第53話 カナズミシティ、再び -Shapes of growth- 「久しぶりだなあ……」 アカツキはカナズミシティのメインストリート――通称『レンガ通り』を歩きながら、感慨深げにつぶやいた。 ずっと前に訪れたような気がするが、実際のところ、一月と経っていなかったりする。 それでも妙に懐かしく感じてしまうのは、この街を発ってからたくさんの出来事を経験してきたからに違いない。 とはいえ、街並みにはいささかの変化も見られない。 通りを行く人の群れは千差万別。同じ姿を見せることはなく、街並みの変化のなさを改めて思い知らせる。 「いろんなこと、あったから……」 右手にそびえる超高層ビル群を見つめながら、今までの出来事を振り返ってみる。 十一歳の誕生日に、ポケモントレーナーとして旅立って早一ヶ月と少々。 今まで生きてきた時間以上に長く感じられたのは、今まで生きてきた中で経験した事象よりも遥かに多くの物事を経験してきたためだ。 超高層ビル群の中でも一際目立つのは、ホウエン地方屈指のマンモス企業、デボンコーポレーションの本社ビル。 槍の穂先を思わせるように、天を突かんばかりの尖塔を有したデボンコーポレーションの本社ビル。 そこでは、ムロ島で世話になったダイゴの父親で、社長のツワブキが今も粉骨砕身の勢いで働いているのだろう。 ダイゴが元気でやっていることを伝えに行きたいところだが、一日に二箇所を回るのは残念ながらできそうにない。 というわけで、今向かっているのは、カナズミジム。 ダイゴ同様――いや、それ以上に世話になったアヤカ・ツツジ姉妹に会いに行こうと思っているのだ。 彼女らにはいろいろなことを教えられた。 ポケモントレーナーとしての心構えというのが一番分かりやすい表現だろうと思う。 彼女らの教えがなければ、今頃とうに挫けてしまっていただろう。 だから、とてもとても大きなウェイトを占めている。 大切なことをいくつも教えてくれた彼女たちに、もう一度会いたい。 今の自分の姿を見てもらいたい。 照れ臭くないと言えばウソになるが、それでも彼女たちに会う必要はあるのだろうと思う。 「アヤカさんたち、元気にしていればいいな……」 ムロタウンのポケモンセンター前で別れてからというものの、手紙や電話の一本も送っていない。 不義理だとは思いながらも、それをするだけの余裕がなかったというのが本音だ。 それに何より、直接会うことの方が恩返しになるだろうと思い、寄ってみることにしたのだ。 様々な広告をしている街頭ビジョンの電子時計に目をやると、午後五時頃を示していた。 今からでも、少しくらいは話もできるだろう。夕陽が西の地平線に沈みかけている。 長く伸びた影を引き連れてしばらく歩いていくと、この先の分岐点がどこへ続くかを示した看板が見えてきた。 『↑:デボンコーポレーション・本社ビル、中心街 ←:中央大通り』 もう間もなくカナズミジムに到着だ。 左手に、巨大な岩が鎮座しているのが見える。それこそがカナズミジム。 見た目どおり、ジムリーダーのツツジは岩タイプを専門に扱う。 彼女のノズパスには煮え湯を飲まされてきたが……リベンジの末に辛うじて勝利を収めることができた。 今になって思えば、それがトレーナーとして大きく成長した出来事だろう。 ジムリーダー・ツツジの姉であるアヤカと過ごした数日のことを思い返しながら歩いていくと、思いのほか早くたどり着いた。 街並みと同様に何一つ変わっていない外観。 もしかしたら、岩肌が少し削れていたりはするのかもしれないが、見た目が岩なので気にしない。 モダンな周囲とは明らかに違う雰囲気を漂わせているカナズミジム。 二階に当たる部分には、大きな文字で描かれた看板。 『こちらカナズミジム。ジムリーダー、岩にときめく優等生・ツツジ。挑戦者の方、お出でませ』 礼儀正しいのか正しくないのか分からない文字の下……庇に隠れるようにして、重厚な扉がある。 傍にはインターホン。 これらもまったく変わっていない。 この扉をくぐった先は、バトルフィールド。土と岩のフィールドで、乱立する岩の柱が障害物となっている。 あの日のポケモンバトルの余韻が今になっても漂ってくるのは気のせいだろうか? どうにも、その興奮が冷めやらない。思い出すと、胸が弾んでしまう。 ドアの前まで来て、インターホンに手を伸ばす。 ボタンを押すと、『ピンポーン』の音が聞こえた。 何度も反響しながら、音量を下げていく。 訪ねてきた人がいますよと物語るその音が消えて―― 「あれ、留守かな?」 何の反応もないことを不審に思って、もう一度インターホンのボタンを押してみる。 再び『ピンポーン』が鳴る。 もしかしたら今日はジムを休みにしているのだろうかと思いながら、待ってみた。 万が一休みだったとしたら、扉にかけ看板でもすることだろう。 よくよく見てみれば、看板をかけるためのものと思われる突起が新設されていた。 と、その時だった。 ずどずどずどずどっ!! けたたましい足音が扉の向こうから響いてきた。 地鳴りやアフリカゾウの集団闊歩に似ているその足音は、しかし人が奏で出したものだった。 と、突然音が止んだ。 続いて、重厚な扉が音を立てながら左右に開いていく。 押したり引いたりするのは人の力では無理だろう、そう思わせるような音だ。 扉が開かれ、そこにいたのはアカツキの見知った顔だった。 「いらっしゃい、アカツキ君。久しぶりね、元気してた?」 「あ、はい」 笑顔を浮かべるその女性は、ムロタウンで別れた時とまるで変わっていなかった。 すでに成熟しきった彼女が一ヶ月やそこらで変わってしまう可能性など皆無に等しいのに、変わっていなかったことに安堵する。 「アヤカさん、お久しぶりです」 「うん。 でも、そんなかしこまらなくていいの。 いつもどおり――君と旅してた時と同じでいいんだから。ね?」 「は……うん」 苦笑混じりに言うアヤカにアカツキは、頷いた。 確かに馬鹿げていたかもしれない。 いくら歳が離れていたって、彼女とは共に数日間旅した仲間なのだ。 敬語を使うこと自体、間違っていたかもしれない。 まあ、礼儀正しいのは悪いことではないが…… 「どうしたの、こんなところに来るなんて……あれから一ヶ月と経ってなかったわよね。 でも、君は変わったわね。 なんていうか……そうね、面構えがよくなったって言えば一番分かりがいいかしら」 「はあ……」 そっち方面に関してはまるで自覚のないアカツキは、曖昧な相槌を打った。 無反応はまずかろうと思っただけだったが、アヤカはそれで気を悪くしたわけではなかった。 「まあ、入ってよ。 こんなところで話すのもなんだしね……久しぶりの来客だもの。お茶でも淹れるわ」 「え、別にそこまでしてもらわなくても……」 「いいのいいの、遠慮しないで。ほら」 「うん……おじゃまします」 アヤカの厚意に甘えることにした。 断る理由も見当たらなかったし、何より、アカツキも彼女といろいろと話をしたかった。 今までのことや、これからのこと。 それから…… 「おーい、何やってんの? 置いてくわよ〜」 いつの間にやら、アヤカは五メートルほど前方にいた。 「あ……アヤカさん、待ってよ!!」 考え事をしていたということすら忘れたアカツキは、慌てて後を追った。 背後で扉が閉じる音を聞きながら、アヤカのもとへと駆けていった。 すぐに追いつけたのは、距離が近かったのと、彼女が待っていてくれたおかげだった。 「君は行ったことないだろうけど、バトルフィールドの向こう側がわたしたちの居住スペースよ」 「そうなんだ……」 確かにアヤカの言うとおりだった。 以前来た時はジム戦のことで頭がいっぱいだったから、余計なことにまで気が回らなかった。 至極当然のことだったが、あまりに知らなすぎたと思ってしまう。 程なくバトルフィールドにたどり着く。 「ここでツツジさんと戦ったんだ」 外観と同じで、あの時とまるで変わっていない。 砂と土でできたフィールドに、ゴツゴツとした剥き出しの岩が乱立している風景は殺風景だが、何か特別な場所のように感じられる。 一度負け、リベンジの末に勝利を収めた場所。ある意味では殿堂入りに等しい場所だったのだ。 「あれからたくさんのトレーナーが来たのかな……」 アヤカもツツジも、フィールドの手入れを怠るような人間ではないだけに、そんなことを思ってしまう。 岩と土のフィールドを縦断して、向かい側にある扉をくぐると、本当に居住スペースだった。 バトルフィールドの傍にあったのは、いつでもチャレンジャーの挑戦を受けて立てるようにとの配慮だろう。 入り口と同じく、ストレートで分かりやすい発想だ。 「実際ね、君がツツジに勝ってから今まで、誰も来てないのよ」 アカツキの心を読んだように、アヤカがポツリとつぶやいた。 「どうして?」 「さあ……わたしにも分からないわ。誰が来たって、ツツジが全力でお相手するってだけ」 「そうだよね」 結局は詮無いことだ。 アヤカとツツジの性格なら、誰が来ようと来まいが関係ないのだ。 ジムリーダーとしての責務を果たすだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。 「そういえば、ツツジさんは?」 「サイユウシティに出張してるわ。ジムリーダーの緊急招集がかかったんだって。 で、今はわたしが代理ってことでジムリーダーになってるの」 「へえ……」 緊急招集。 サイユウシティといえば、ポケモンリーグのホウエン支部がある町だ。 いわばホウエン地方におけるポケモンリーグの中心地であり、ジムリーダーが招集されるのにはうってつけの場所と言える。 とはいえ、緊急招集というからには、何か大きなことがあった、ということに他ならない。 おおよそそういうのは好ましい状況でない場合が多いのだが…… なんとなく気になったのて、訊ねてみた。 「どうしてサイユウシティに召集されたの?」 「さあ……わたしはジムリーダーじゃないからね、ツツジ宛のメールは一切見てないのよ」 「ふーん……」 アカツキは直感でウソだと思ったが、それを口には出さなかった。 妙に疑り深くしたところで、アヤカならのらりくらりと答えをはぐらかしていくだろう。それくらいのことはできる人間だ。 それに、自分が関知したところで何の意味もないと思ったからこそ、これ以上そのことで何も言わなかった。 「はい、一名さまご到着。ゆっくりしてってね」 「うん」 案内されたのはリビングだった。 ダイニングキッチンと一体となっているので、それなりに広く見える。 木目調の扉の向こうにはバトルフィールドがある。 その反対側にもう一枚扉があるが、先は廊下で、左右にアヤカとツツジの寝室があるらしい。 アヤカに椅子に座るように促されて、おとなしく腰を下ろした。 ありふれた家具で彩られたリビングは、広いながらもそれなりに整って見えた。 彼女らが派手さを好まないのがよく分かるが、見る人が見れば本気で地味と思うのだろう。 「緊急招集かぁ……一体、何があったんだろう?」 何度訊ねたところで答えてはもらえないだろうと確信しているので、自分の中で考えることにした。 ジムリーダーの緊急招集といえば、まず間違いなくニュースにされるような何かが起きたことが起因しているはずだ。 ツツジ、トウキ、テッセン、アスナ、センリ…… アカツキが知っているジムリーダーたちも、今頃はポケモンリーグ・ホウエン支部で一堂に会しているのだろう。 そこで何らかの話し合いがされていて、役割分担も自然に行われる。 と―― そこまで考えたところで、はたと気づく。 サイユウシティはホウエン地方でもっとも東に位置する町である。 鳥ポケモンにでも乗っていかない限りは、一日二日でたどり着ける場所ではない。 「センリさんも行っちゃったってことだよね。ぼくはちゃんとジム戦を受けてもらえるのかな?」 と、ジムリーダーの中にこれから出向こうとしている相手がいたから、不安になった。 トウカジムに行ってもジムリーダーがいないのでは、ジム戦などできるはずがない。 道場破りのごとくジムトレーナーを全員倒したところで、ジムリーダーに勝たなければリーグバッジはゲットできないのだ。 緊急招集でジムリーダーが不在になっている今、センリが代理を立てていることを祈るしかない。 アカツキが何を考えているのかなど知らぬと言わんばかりに、アヤカが両手にコップを持って戻ってきた。 「でも、君がいきなり訪ねて来るなんて思わなかったわ。 はい、熱いから気をつけてね」 「ありがとう」 湯気を立てたコップをアカツキの目の前に置いて、彼の向かいの席に就いた。 鼻孔を突く甘い香りが気になってコップの中を覗き込んでみると、茶色い液体が七分まで入っていた。 澄んだ茶色が、覗き込んだ顔をそのまま映し出した。 「ごめんなさい、アヤカさん。本当なら連絡でもしておけばよかったんだろうけど……」 コップからアヤカに視線を移して、アカツキは詫びた。 前もって連絡しておけば、アヤカを驚かせることもなかっただろう。 そう思うと、悔やまれてならない。 「いいのよ別に。 わたしとしてもひとりで退屈してたところだし……君が来てくれて助かったわ。 特にすることもなかったから、ちょうどいいのよね。 今までのこととかいろいろと聞きたいしね……君も、そのつもりでここに来たんでしょう?」 「うん」 「だったらそれでいいじゃない。君が詫びるようなことじゃないわよ」 茶色の液体――アヤカオリジナルブレンドのハーブティーである――をすすりながら、目を細める。 目の前で困惑の表情を浮かべている男の子は、変わっているように見えて変わっていないのかもしれない。 もしかしたら、その逆かも…… 「それを読むのも結構楽しいんだけどね……」 結局のところ、アヤカにとっては、彼がやってきたこと自体が好意的なイレギュラーだったわけだ。 ジムリーダー代理としての仕事以外で何もすることがないのなら、外部要因を上手に取り入れてみるだけのことだ。 「そういえば、君の夢は『黒いリザードン』をゲットすることだったわね。 それはできたかしら?」 「ううん」 アカツキは首を横に振った。 その顔に笑みが浮かんでいたのは、アヤカがコップを持つ手の小指が立っているのがお茶目に見えてきたからだった。 「一度はエントツ山まで行ったんだけど……ダイゴさんが言うには、東の空に飛び去ったんだって」 「そうなの……って、ダイゴさんに会ったの!?」 頷きかけ、素っ頓狂な声で叫ぶなり身を乗り出す。 驚愕に目を見開いたのはアカツキも同じだった。 何の前触れもなくそんなことをされたら、誰だってビックリする。 ましてやその相手がジムリーダー以上のポケモントレーナーであるアヤカならなおさらだ。 妙な迫力に、思いっきり気圧されていた。 「うん、エントツ山で。 そういえば、ダイゴさんはプリムとかいう女の人と一緒に飛んで行っちゃったんだけど……アヤカさんは知ってる?」 「プリムね。知ってるわよ。彼女はダイゴさんの部下なの」 「そうなんだ……」 「でもさ、なんでダイゴさんはエントツ山になんか行ったんだろうね? ニュースでマグマ団とアクア団の抗争があったって聞いたけど……彼自ら調査するほどのことでもなかったと思うんだけどね」 「たぶんそうじゃなくて、ぼくのこと待っててくれたんだと思うんだ。アスナさんや、兄ちゃんと一緒に」 「?」 アカツキの言葉の意味を図りかね、怪訝そうな顔をするアヤカ。 ……なに言ってるの? イマイチ信じていない表情がそう物語っている。 アカツキは今までのことを含めて話すことにした。 そもそも、そのためにここに来たのだから。 「そこだけ話すのも難しいから、アヤカさんと別れてからのことを全部話すよ」 「そうね。そうしてもらえるとうれしいわ」 話してくれるということで、彼女の表情が解れた。 妙に気張っていたらしく、長々とため息を漏らすと、渇いた喉を潤すように一気にコップの中身を口に流し込んだ。 「あれからぼくはトウキさんとジム戦やって、何とか勝って、それからカイナシティに行ったんだ」 「そうね。 あそこからだとカナズミシティかカイナシティにしか定期船が出てないから…… カナズミシティにいちいち戻る理由も、ないものね。 エントツ山に向かうんだったら、カイナシティからの方が近いから」 「うん」 見事な推理――断定に、アカツキは頷いた。 さすがはジムリーダー以上の実力を持つだけのことはある。洞察力も優れている。 「そういえば、カイナシティでもマグマ団が海の博物館に乱入したとかでニュースで騒いでたわね。 巻き込まれたりしなかった?」 カイナシティに行ったと聞いて、アヤカはさり気なく海の博物館襲撃事件を口にした。 まさか、巻き込まれてはいないと思ったのだが、アカツキから返ってきた答えは正反対だった。 「……ぼく、思いっきり当事者だった」 これにはさすがのアヤカも目を剥いた。 「そうなの!? ニュースじゃあんまり細かいところにまでは話が及んでなかったけど…… せいぜいがクスノキ館長が所有する潜水艇のエンジンを狙っていたとか。 あとは変な集団で博物館の敷地を不法占拠してたってことくらいだからね。 まさか、君が関わってたなんて驚きだわ。よく無事でいられたわね」 「うん。ぼくも驚いてるよ。正直、あの時は危ないって思ったんだ」 アカツキは目を閉じた。 瞼の裏に浮かんでくるのはマグマ団三幹部のひとり、カガリ。 彼女の繰り出すグラエナの前に、アカツキは危うく敗北を喫するところだった。 トレーナーとしての格の違いを見せ付けられるような格好になったが、偶然によって救われた。 突然彼女たちが撤退したのである。 理由は分からないが、助かったということで、それだけでよかった。 目を開けてみると、視界の先では、アヤカが困ったような笑みを浮かべていた。 「まったく、君ってよくよくトラブルと縁があるわね。 石の洞窟でもアクア団のアオギリに気絶させられたって、ダイゴさんから聞いたわ」 「あはは……」 「あはは、じゃないんだってば、本当はね」 笑みを崩さぬままで、アヤカはため息を漏らした。 ため息を漏らすなんて憂鬱の証拠なのだろうが、今日に限ってはそんな気がまるでしない。 扱いにくい子供を相手にしているような感覚か。 それでも、嫌な気分はしない。 むしろ楽しいくらいだ。 ジムリーダー代理以外でやることがなかったから、どんな些細なことでも楽しみと感じてしまうのかもしれない。 自分自身で冷静に分析していられるくらいだ。 「でも、カイナシティの時よりももっと危なかったのはエントツ山だったな。本気で死ぬかと思ったし」 考えただけで鳥肌が立ってくる。 妙な悪寒が背中を這い上がっていって、全身をくまなく冷やしてしまう。 死んでいたかもしれないという恐怖が、どうにも消えてくれない。 「それからキンセツシティに行って、テッセンさんともジム戦やったんだ」 「テッセンさんね……ホウエン地方のジムリーダーの長老だものね。そりゃ手強かったでしょ」 「うん。でも、何とか勝てたよ」 「すごいじゃない。君も結構腕を上げたのね、あれから……」 「それほどでもないよ。みんなが頑張ってくれたから勝てたんだ」 「それでもすごいわよ。これで三つ、バッジをゲットしたんだもんね」 「実は四つなんだ。アスナさんからもらったから」 「もらった? ゲットしたんじゃなくて?」 「うん。それからまたいろいろとあって」 アカツキは細かな部分を省略しながら、大まかなことを説明した。 立ち寄ったフエンタウンでアスナと共にマグマ団の泥棒を追ってエントツ山へ行ったこと。 そこでマグマ団三幹部のふたり――カガリとリクヤと戦ったこと。 それから…… 突如として穿たれた大穴に落ちてしまったこと。 気がついたらシダケタウンの友達の従姉妹の家にいた。 はぐれてしまったポケモンと会うためにエントツ山へ向かい、そこでダイゴとアスナ、ハヅキが待っていたこと。 そして、ポケモンと再会できたこと。 アヤカは真剣な面持ちで話に聞き入っていた。 彼女にとってはすべてが驚愕すべき内容だったのだ。 だが、驚きを前面に押し出すようなことはしなかった。 アカツキがそれを望んでいないであろうことを口調から察したためだ。 「リクヤって……」 カガリもリクヤも、ダイゴから聞いたことがある。 カガリの方はそれほどでもないと思っていたが、リクヤはそうもいかなかった。 ダイゴが真剣に話すだけあって、手強い存在と確信していたのだ。 合い見えたことはないが、想像を絶する実力のトレーナーに違いない。 ダイゴから聞いたところでは、リクヤは彼と同等の技量を持つトレーナーで、狡猾な策略をめぐらせるのが得意なマグマ団の幹部。 三幹部でも最強の実力者で、マグマ団総帥マツブサに匹敵するとさえ言われているのだ。 そんな彼と、アカツキは戦ったという。 カガリの時に輪をかけて、よく無事だったと思う。 偶然に何度も助けられるのはおかしいと思いながらも、事実こうして目の前で本当のことを話してくれた彼のことを疑う気にはなれない。 むしろ、無事でいてくれてよかった。 そう思っているくらいなのだから。 「でも、無事でよかったわ。 あんまりマグマ団とかと関わり合いにならない方がいいわよ。 ダイゴさんも言っていたと思うけど」 「うん。これからは気をつけるよ」 ナオミに、ダイゴに――そしてアヤカに言われ、アカツキは深く頷いた。 同じことばかりで耳にタコができるが、言われて当然のことだけをしてきたのだ。 そう思えば、聞き足りないくらいだ。 アカツキは少し冷めたハーブティーを口に含んだ。 「うわ、おいしい……」 「ふふ、驚いた?」 漏らしたつぶやきに、アヤカの笑みが深まる。 独自にブレンドしたハーブティーである。 それも自信作だけに、おいしいと言われるととにかくうれしい。 苦労して作っただけあって、喜びもひとしおだ。 「とっても甘くて……すごくおいしいよ」 「ありがとう。 私としても自信のある逸品だから、そう言ってもらえるとうれしいわね。 まだたくさんあるわよ。お代わりする?」 「うん!!」 アカツキは一気に飲み干して、空になったコップをアヤカに渡した。 彼女は笑顔のままでキッチンに引っ込むと、ガスコンロにかけたヤカンからハーブティーをコップに注いだ。 再び湯気を放つコップを手に、テーブルまで戻ってくると、アカツキは遠い目を窓の外に向けていた。 何か感慨深げなことを思っているように見える。 それを遮るつもりはなかったが、アヤカは彼の目の前にコップを置いた。 その音に、弾かれたように振り返る。 「ゴメンね、何か考え事してたみたいで……」 「ううん。何もないよ」 「ウソね」 言葉にこそ出さなかったが、アヤカは確信していた。 アカツキは嘘をついている。 何かを考えていた。 彼は出会った時からそうだったが、嘘をつくのが下手な男の子なのだ。 態度を繕ってまで――それでもアヤカにはバレバレだったが――何もないと言い張るその裏にはきっと何かがあるのだ。 もっとも、それを探り出すような野暮なマネをするつもりはないが。 「まあ、多感な年頃だもんね。 何を考えてたって、不思議でも何でもないんだけど……」 そういう時期は自分にもあったので、なおさら何も言う気にならなかった。 「君はバッジを四つゲットしたんだよね。ホウエンリーグには出るつもりなの?」 「うん。 ミシロタウンを旅立った頃には考えたことなかったけど……でも、出てみたい。 ハヅキ兄ちゃんと戦いたいから」 「ああ……」 アヤカはこっくんと頷きかけ―― 「ん?」 咽の奥で何かが引っかかったような感覚を憶えて動きを止めた。 そして。 「ねぇ、今なんて言ったの。ハヅキ『兄ちゃん』って……」 「え、うん。そう言ったけど」 「じゃあ、君ってもしかしてハヅキの弟だったりするわけ?」 「うん」 「Noォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」 アヤカは絶叫した。 頭を抱え、悶えるように身体をくねらせながら席を立ち、テーブルの周りをふらふらと歩き回る。 「あ、アヤカさん? ど、どうしたの?」 いきなりのことに、アカツキはビックリしてしまった。 慌てふためきながら、何をすればいいか分からなくなる。 「って、絶叫してる場合じゃないのよね」 意外とあっさり立ち直り―― アヤカはちょうどテーブルを一周して席に戻った。 先ほどまでの絶叫ぶりがウソだったかのように、普段の顔つきに戻っている。 酒を飲んだ後何をしたか、忘れているようでもあった。 まあ、それはどうでもよくて…… 「そうなんだ……君はハヅキの弟なんだ」 「うん。秘密ってほどの秘密じゃないけど……誰もそのことを聞いてこないから」 「そうよね。わざわざ言いふらしたって、彼のこと知らない人からすれば傍迷惑でしかないものね」 アヤカは苦笑した。 アカツキがハヅキの弟だということには驚いたものの、伊達に兄弟を名乗っているだけのことはあると気づいたからだ。 どこか雰囲気が似通っている。 そりゃハヅキの方がトレーナーとしては格が上だし、いろんなことを知っている。 だが、根本的なところで似た雰囲気を感じられる。 「アヤカさんは兄ちゃんのことを知ってるの? 兄ちゃんはダイゴさんとも知り合いみたいだし……意外と顔広いんだね」 「そうね。彼は結構顔が広いわよ」 「ぼくの知らないこと、アヤカさんはたくさん知ってるんでしょ? 教えてほしいな」 「いいわよ。教えてあげる。 でも、わたしだって全部を知っているわけじゃないけど」 「それでもいい」 ハヅキのことをもっと知りたい。 血の繋がった兄であり、トレーナーとしての目標でもあるのだ。 彼のことを知りたいと思う気持ちは自然であり、純粋なものだ。 その気持ちに応えてやりたい。 アヤカはひとりの人間として、アカツキの『友達』として、そう思った。 彼の瞳はキラキラと輝いている。 「わたしとハヅキが出会ったのは一年くらい前かしら……ジム戦をしに、ここに来た時だったわね」 笑みを浮かべ、遠い目をしながら話し出した。 その時のことを懐かしんでいると、傍目から見ても分かるほど、アヤカは感慨深げに見えた。 「あの時はツツジじゃなくてわたしがジムリーダーをしていたわけだけど…… 実際にバトルをしてみたらね、それがバカになんないくらい強くてさ。 わたしも結構頑張ったんだけど、接戦に次ぐ接戦の末に負けちゃったのよ。 それがきっかけで、わたしは彼と時々連絡し合う仲になったってわけね」 「そんなことがあったんだ……」 まるで知らなかった。 だが、それも無理のない話だった。 アカツキも、ハヅキとエントツ山で会うまで、一年以上音沙汰なしの状態だったのだ。 その間のことはまったく知らない。 空白を埋めるようにして――パズルのピースをはめ込んでいくように、兄の話に聞き入る。 知れば知るほど、少しは近付いているのではないかと思えるからだ。 「彼はポケモントレーナーとしての実力を磨くために旅に出たんだって言ってたわね。 今年のホウエンリーグに出るつもりだって言ってたし…… 今になって思えば、それは君とホウエンリーグの舞台で戦うためだったのかもしれないわ」 「うん。兄ちゃんもそう言ってた。 兄弟としてじゃなくて、トレーナーとしてぼくと戦いたいって」 「ふふ。彼らしい話ね」 アヤカは笑みを深めた。 似た者同士という言葉がよく似合っているように思えたのだ、この兄弟には。 歳も離れているし、姿形もあまり似ているとは言えない。 だが、外見ではなく、メンタル的な部分で共通点が多いように思える。 「さっき君はダイゴさんとハヅキが同じ場所で待っていたって言ってたわね。 彼がダイゴさんと知り合ったきっかけってのは、旅の途中で偶然出会ったって話らしいけど。 ま、わたしには本当かどうか分からないけれど…… でも、ダイゴさんにはいろいろとアドバイスをしてもらったって言ってた」 「ぼくもダイゴさんには助けられたから……でも、ダイゴさんって一体何者なの? あの人、どう考えても普通のトレーナーには思えないんだ。 アヤカさんは知ってる?」 「ううん、知らないわ」 アヤカは目を閉じて首を横に振った。 「ダイゴさんはトレーナーとしてかなりの実力者だけど…… わたしとしても、彼がツワブキ社長の息子だってことくらいしかよく分からないのよね」 「ふーん……」 アカツキはとりあえず納得してくれたようだった。 「わたしから『真実』を告げたところで、何が変わるってわけでもないなら、何も言わないで置く方がいいわよね」 アヤカはアカツキに悪いと思いながらも、隠しておくことにした。 石の洞窟、エントツ山と、立て続けにダイゴと会えるようなトレーナーである。 自分が何もしなくとも、いずれはダイゴが彼に『真実』を打ち明けてくれるに違いない。 悔しいが、そうするしか方法はないのである。 「ハヅキは君のことを一度もわたしに話していなかったわ。 まさか、わたしと君が出会うことになるなんて、確信していたわけじゃないんだと思うんだけどね…… 君に余計な負担をかけさせないためって考えるのが妥当じゃないかって思うのよ」 「ふーん」 アカツキにはよく分からなかった。 ハヅキもどこかしらで『駆け引き』を使ったのだろうが、そこまでは興味を持つ気にならない。 「あらら、昔話が過ぎちゃったわね…… ところで、今日の宿は決まってるのかしら?」 「うん。ポケモンセンターにしようかなって」 「だったらウチに泊まっていきなさいよ」 「え?」 唐突といえば唐突な申し出に、アカツキは間抜けな声を漏らした。 鳩が豆鉄砲食らったような顔をアヤカに向けている。 これには本気で笑うしかなかった。 「ウチだって客室くらいはあるわけだし……ひとりじゃね、ちょっと寂しいかなって思っているの。 それに、君の仲間も、見てみたいしね」 アカツキが腰に差した五つのボールを見つめるアヤカ。 「もちろんわたしが誘ったわけだから、手伝いしろとか宿代出せとか言う気はないわ。 どう、悪くないと思うけど?」 「……じゃあ、お願いします」 「オッケー決まりね」 そう言ってくれると思った。 ハヅキと同じで、アカツキも『押し』には弱いタイプだ。 似たような質問を投げかけたら、ハヅキも首を縦に振ってくれた。 兄弟というのはこういうところが実によく似ている。単純というか何と言うか…… 「あの時の君のポケモンはアリゲイツにワカシャモ、それとジグザグマだったわね。 あれからどれだけ仲間が増えたのかしら。結構進化とかもしてたりするかもしれないし…… よーし、今夜は腕によりをかけて美味しい料理作るからね。お楽しみに〜♪」 「期待してます」 アカツキはにっこりと笑った。 アヤカの手料理というのは初めてだが、どうしてか期待を持てる。 彼女が左手で力こぶを作っているような仕草をしていたことが、そう思わせたのかもしれない。 アカツキの顔に浮かんでいる笑みを見つめ、アヤカは思った。 「ナンダカンダ言って、あれから結構成長したのね……やっぱり、ハヅキの弟なんだものね」 男の子というのは『こういうものだ』と改めて痛感した。 第54話へと続く……