第56話 邂逅 -Darkness in deep green- 心なしか、頭上に広がる深緑のカーテンが色濃くなったように感じられた。 風に揺れる葉の隙間から降りそそぐ煌びやかな陽光が心地よい。 森を一直線に、南北に貫く道路を歩きながら、アカツキは深呼吸をして新鮮な空気を心行くまで吸い込んだ。 「うーん……やっぱり気持ちいいなぁ……」 変わらない景色が目の前に広がる。 トウカの森。 トウカシティとカナズミシティの間に横たわる巨大な森で、徒歩で抜けるのには二日ほどかかる。 カナズミシティを昨日出発したので、トウカシティには遅くても明日中にはたどり着けるはずだ。 カナズミシティでは予期せぬことが立て続けに起こったが、それはそれで結構楽しかった。 その中で学んだこともあったから、無駄だったということはないだろう。 「明日にはトウカジムでセンリさんとジム戦して……勝ったら、次はヒワマキシティかな。 どこも遠いけど、どっちかって言ったら近い方だし……」 ホウエンリーグ出場に必要なバッジは八つ。 各町にあるジムを巡るのだが、トウカジムで五つ目のバッジをゲットしたなら、残りは三つ。 残りの三つはどこもトウカシティからかなり離れているので、遠い目で見れば大差ないということになる。 それでも、ヒワマキシティはまだ近い方と言えた。 「まあ、先のことはいいとして、問題はセンリさんがどんなタイプのポケモンを使ってくるか、なんだよな。 あーあ、分かれば楽なのに……」 差し当たっての問題はそこだった。 トウカジムのジムリーダー・センリがどのタイプのポケモンを使ってくるのか。 「今までは知らなくても何とかなったけど……それがいつまでも続くとは限らないし…… でも、今までだって大丈夫だったんだから、何とかなるかも」 狭い胸の中にある泉で、不安と希望が忙しく浮き沈みするのを感じながら、しかし知りたいという気持ちが先走る。 どのジムでも、専門のタイプがある。 カナズミジムでは岩タイプ、ムロジムでは格闘タイプというように、ジムリーダーはそのタイプのポケモンを扱うエキスパートなのだ。 ゆえに、トウカジムでも何らかのタイプを専門として扱っているはず。 アカツキが知りたいと思っているのはそれだった。 ジムリーダーが扱うポケモンのタイプが分かれば、事前に何らかの作戦を練ることも可能となる。 そうすれば、勝利できる確率が多少なりとも上昇するはずなのだ。 勝つためなら手段を選ばない……というのとはちょっとばかり違う。 それが本当に必要な措置か、そうでないか。それだけの違いに過ぎない。 そして、アカツキにはそれを知る手立てがなかった。 ツツジの前にカナズミジムのジムリーダーをしていたアヤカに聞けば分かるのだろうが、それを忘れていた。 大きなことを言って出てきた以上、戻るのは恥ずかしい。 とはいえ、通行人に訊ねるわけにもいかない。 森の中ということで、通るトレーナーはあまりいない。 道から外れたところを通っているのか、あるいは空を飛んで一足飛びに越えていくのか。 それは分からないが、訊ねられる相手が皆無に等しい以上は「する」という選択肢は与えられない。 「結局は行くまで分からないってところなのかな」 アヤカに訊ねるチャンスはいくらでもあったはずだ。 それを逃してしまったのは他ならぬ自分自身。 となれば、必然とそうなってしまうのだろう。 「でも、みんなと一緒ならきっと勝てる。ぼくが信じなくちゃ始まらないんだよね」 アカツキはモンスターボールを手に取った。 ひとつ……無意識に選んで手に取ったのはワカシャモのボールだった。 大切な仲間……『家族』はボールの中で何を考えているのだろう。 トレーナーと心を重ねているのだろうか。 「強くならなくちゃ……誰にも心配なんてかけさせなくて済むくらい」 トレーナーとしての強さ。 アカツキがこの旅の中で求めているもののひとつが、それだった。 『黒いリザードン』をゲットできるだけの実力というのも、トレーナーとしての強さだ。 そして何よりも、エントツ山での一件があって、猛烈に湧き上がってきたのは、誰にも心配をかけさせなくて済むような強さだった。 いつかポケモンセンターで、母ナオミに電話をかけた時のことが脳裏に強烈にフラッシュバックしてくる。 電話に出て、画面の向こうに息子がいることに気づいたかと思ったら怒鳴って、安心して、涙を流して…… それは、母親として息子を案じていたことの表れではないだろうか。 心配しているからこそ、感情を隠すことなく、露にして食って掛かってきたのだ。 それだけで、心配をかけてしまっていると分かったから…… だから、アカツキは強くなりたいと思った。 トレーナーとしても、人間としても。 誰かに心配をさせるのは心苦しい。 誰かに心配をさせても平気でいられるような強さが欲しいわけではない。 心配『させない』だけの強さが欲しいのだ。 「このまま旅を続けてれば、いつかは分かるのかな?」 漫然と続けるだけではきっと無理だ……それくらいのことはアカツキにも分かる。 だが、漫然と続けさえしなければきっと大丈夫。 時間はかかっても、納得できる強さが欲しい。 夢と同じく、決して妥協はしたくないのだ。 だから…… 「兄ちゃんみたいに強くならなくちゃ」 自分自身に言い聞かせるように、わざと声に出してつぶやく。 妥協したくないからこそ、自分自身が本当に納得できる形で、宣言しなければならない。 誰にも聞こえない。そして知られない宣言。 だが、 「それはそれでいい心がけだと思う。俺としてはな……」 男の声が聞こえた。 それは…… 「!?」 アカツキは戦慄が背筋を駆け上っていくのを感じながらも、それには取り合わず…… 手にしたワカシャモのボールを投げ放とうとして――動きを止めた。 いつの間に現れたのだろう。 一瞬前まではいなかったはずだ。それは間違いない。 だが、現実として男はそこに立っている。 アカツキとの距離はおよそ三メートル。 モンスターボールを投げられるような間合いでないことに気づいたのは、それからすぐだった。 鮮やかな銀髪のところどころに陽光を照り受け、煌めく水面のように神秘的に見える頭。 切れ長の目に整った顔立ちは、もう少し若ければ本気で美青年を狙えるだろう。 アカツキはその男を知っていた。 だが、どうしてこんなところにいるのかまでは分からなかった。 「あなたは……」 アカツキは言葉を失っていた。 咽元まで出かけていた言葉も、すぐに掻き消える。 男の冷ややかな目に射竦められたように、身体が動かない。 アカツキ自身がその男に何らかの恐怖を抱いていたからである。 「無事だったようだな……」 男はふっと息を漏らしながら、安堵したように言った。 「どうして、ここに……」 「おまえを待っていたと言ったら、驚くか?」 「…………」 男――リクヤは口の端に笑みを浮かべた。 いつかエントツ山で出会った時とはまるで別人。 あの時は…… 「今は敵じゃない……?」 秘密結社マグマ団の三幹部(いわゆるナンバー・ツー)である彼が、部下も引き連れず、目の前にいる。 あるいは、茂みに部下を忍ばせているのかもしれないが、そんなことにまで気が回らなかった。 アスナと、彼女のポケモンを取り戻しに行った時は敵対していた。 おかげでポケモンバトルには負けそうになるわ、腕を捩じられたりして痛い目に遭うわ……いい思い出が残っていない。 そんな男が今ここにいる。 それは一体何を意味しているのか? 分かるはずもなかった。 笑みを浮かべている当人を除いては。 「ミシロタウンのアカツキ。そうだな?」 返事の代わりに頷く。 「そうか……」 「ぼくのこと、知ってるの?」 彼は頷き返してきた。 その瞳は以前のように氷のような冷たさを宿してはいなかった。 長い冬が終わり、氷も溶けて春が訪れたように、多少のぬくもりを宿しているように思えた。 「理由を知りたそうだな……いいだろう」 リクヤはアカツキの心を読んでいるように、先手を打ってきた。 訊ねる暇すらなかった。 「俺の知り合いの息子がその名前で、ミシロタウン出身ということでな。 顔を見るまでは半信半疑だったが……正直驚いた。そうか、あれから十一年が経ったのかと」 「ぼくに何の用ですか……? 用がないんだったら……どいてください」 薔薇の棘に触れるように、恐る恐るアカツキは言った。 下手に刺激すれば危険だと思ったからだが、リクヤはその程度で『刺激される』ような人間ではなかった。 悪口をいくら並びたてられても平気な神経の持ち主でもなければ、秘密結社の幹部など務まるまい。 「用がなければ、おまえと会うことも許されないというわけか? なるほど……」 何か納得したらしく、リクヤは何度も頷いた。 一体何がどうなっているのか……まるで分からない。 ひとりで都合よく頷いたりして。一体あんたは何なんだ? 相手がリクヤでさえなければ…… ただの大人だったら、モンスターボールからワカシャモを出して強制的にどかすということも考えた。 だが、相手が相手だけに、それも通用しない。 マグマ団三幹部の肩書きは伊達じゃないのだ。 「そうかもしれんな。 だが、生憎と用ならある。おまえと話に来たんだ」 「ぼくに? どうして? だって、あなたはあの時……」 ……ぼくの腕を捩じり上げたじゃないですか。 そう言おうとした時、先に言われた。 「あの時は敵だったが……俺としては、今はおまえの敵であるつもりはない。 マグマ団三幹部リクヤとしてではなく、ひとりの男として、ここにいるつもりだ」 笑みが影を潜め、代わりに前面に押し出されたのは、有無を言わさぬ気迫だった。 10万ボルトのように、ビリビリと嵐のように吹きつけてくるその気迫に、アカツキは言葉を返すことができなかった。 「それならば、いいだろう? 部下や他の幹部は次の作戦(ミッション)に向けて最終調整を進めている。 お世辞にも手を離せるような状況ではない。 次の作戦に関して、仕事を部下に一任しておいたからな。 後任の教育というのも、人の上に立つ者の務めだと思っているよ」 「?」 「おまえには過ぎた話のようだな。悪かった。忘れてくれ」 アカツキが神妙な面持ちで、眉根を寄せているのを見て、リクヤは危うく吹き出しそうになった。 子供のこういう表情を見るのは決して嫌いではない。 「でも……本当にこの人、あの時と同じなの?」 まるで反対だ。 鏡の中にいる虚像のように、あの時とはまるで正反対。 だが、ホンモノはホンモノだ。違和感は否めない。 「ともかく。 あの時おまえを酷い目に遭わせてしまったことについては詫びよう。すまなかった」 「…………」 リクヤが小さく頭を下げたのを見て、違和感が吹き飛んだ。 「この人……」 本当に申し訳ないと思っているのが雰囲気から伝わってきた。 マグマ団とアクア団の闘争に何の関係もない男の子を巻き込んでしまったという、自責の念は持ち合わせているらしい。 それだけでも、人間として捨てたモンじゃないと思える。 少しだけ、彼に対する考え方が変わった気がした。 言葉にはできない何かと一緒に。 「俺がここにいるということはマグマ団はおろか、アクア団の誰もが知らぬことだ。 ここでおまえと会ったことも、話したことも、誰に教えるつもりもない。 約束しよう。それならば話をしてくれるか?」 「……分かりました」 拒んでも無意味と知って、アカツキは首を縦に振った。 道路を通る人もいなかったので、その場で話に入った。 笑みを浮かべたリクヤは、マグマ団幹部としての顔ではなかった。 ひとりのトレーナーとしてアカツキと接しているのだ。 それが分かったからこそ、拒否する気にはなれない。 ワカシャモのボールを腰に戻す。 敵意がないと示すためだ。 「潔いな。 だが、敵意を示さなくとも、相手がそれで気を許したとは限らない。 安易な行動は避けるべきだと思うね。まあ、子供にそういうことは難しいかも知れんが」 「その時は、その時だから」 「なるほど」 アカツキの言い分に、リクヤは苦笑した。 「さすがにハヅキの弟だけはある。考え方もよく似てきたようだ」 「え、兄ちゃんを知ってるの?」 「会ったことがある。一度きりだったが」 「……そうなんだ」 本当にそうかは分からないが、疑うつもりはない。 彼が嘘を並べ立てたところで、得をするとは思えないからだ。 真実がどこにあろうと、彼の話は聞いておく。それがアカツキの考えだった。 「そうだ。兄ちゃんたちから聞いたんですけど……」 ハヅキのことに触れられて、ようやっと思い出した。 先ほどから何かを思い出そうとしていたのだが、今の今まで果たされなかった。 「あなたがあの時ぼくを助けてくれたって……」 「ああ。マグマ団とアクア団に無関係な者を見殺しにする理由はないだろう? それだけだ」 「でも、ありがとう。おかげで助かったから……」 「礼はこいつに言ってもらえるか」 礼を言うアカツキに笑みを向けたまま、リクヤは腰のモンスターボールをひとつ手に取って、軽く上に放り投げた。 それを合図にして、ボールの口が開いて中からポケモンが飛び出してきた!! 飛び出してきたのは、それはもう美しいポケモンだった。 「キレイ……」 自分が礼を言っていたことすら忘れ、アカツキはそのポケモンに魅入っていた。 薄いオレンジ色の細長い身体を持つ蛇のようなポケモンの種族名はミロカロス。 いつくしみポケモン・ミロカロスといえば、この世でもっとも美しく気高きポケモンとしてその名を知らしめている。 無論アカツキはそれを知らなかったが、掛け値なしに美しいものであることは簡単に理解できた。 慈愛に満ちた視線が、真っすぐに向けられている。 よからぬことを企んでいる(と思われる)マグマ団の幹部が扱うには過ぎたポケモンではあるが、同時に納得もしていた。 「こんなにすごいポケモンを使うんだもん……やっぱり、トレーナーとしてはすごいんだ、この人は」 トレーナーとしての力量がすさまじいということも分かった。 相性的には有利なアリゲイツでさえ、いとも簡単に退けてしまったほどなのだから。 「キミがぼくを助けてくれたんだね。ありがとう」 音もなく、宙に浮かびながらやってきたミロカロスに手を触れて、アカツキはありったけの思いを込めて礼を言った。 地下水脈に落とされたであろう自分を、激しい流れから守ってくれたのだ。 おかげで一命を取り留めたし、こうしてトレーナーとして旅を続けることができる。 ハヅキたちから真相を聞くまでは、ただ運がよかっただけかと思ったが、残念ながらそうではなかった。 助けてくれた者がいたのだ。 敵に花を持たせるのとはワケが違う。 本当に助けようと思って助けてくれたのだ。 「あいつを絶対に死なせるな」 ダイゴがそう言っていた。 その言葉だけは信じてみたいと思う。 「おぉぉぉぉぉぉぉん……」 身体に触れられ、ミロカロスが唸るように声を出した。 口を開けてもいないのに聞こえてきた声。 不思議だと思ったが、見た目が神秘的だったから、変に疑うこともなかった。 ミロカロスはその存在だけで争いを鎮めることができるという。 ぎすぎすした気持ちも、敵意も、すべてが鎮圧される。 「どうしてあなたほどのトレーナーがマグマ団なんかに?」 「気になるか?」 アカツキの質問に、リクヤは眉根を上下させた。 「そうだな、一言で言えば、夢を叶えるために入団しただけのことだ。 理念に共感できるというのもあるがな」 「そうなんだ……」 疑問をひとつ解決できて、アカツキは何度も深く頷いた。 どうしてリクヤほどの凄腕のトレーナーがマグマ団などという秘密結社に身を窶しているのか……それは素朴な疑問だった。 もっとも、彼の答えで納得できる部分が多かったから、それでよかったわけだが。 「でも、どうしてここまでぼくに話とかするんですか? ヒマじゃないんでしょ?」 「興味が湧いた。それだけだ」 短く答えた。 それ以上は必要ないという明確な意思表示だったのだろう。 「残念ながら、そろそろ時間らしいな」 「え?」 腕時計に視線を落とし、リクヤがポツリと漏らした。 「俺も確かにヒマではない。 よって、そろそろお暇させてもらうとしよう。ミロカロス、行くぞ」 その声に、アカツキの眼前にいたミロカロスが音もなくトレーナーのもとへと移動した。 相変わらず、その瞳には慈しみの感情が色濃く浮かんでいた。 そんなポケモンを従えているトレーナーだ、覇王のような強さを身体の芯から宿していたとしても何ら不思議ではない。 そしてアカツキは、いつの間にかリクヤの『強さ』に憧れている自分に気づいた。 「でも、なんで?」 彼の持つ『強さ』と、自分が追い求める『強さ』は相容れないものだと分かっているはずなのに。 あの時戦って……リクヤの『強さ』を知った。 氷のような冷たさで相手を威圧し、凄まじい実力でもって立ち塞がる存在をすべて等しく粉砕するのだ。 それはまさしく覇王のごとき『強さ』。 「ひとつだけ忠告しておく」 ミロカロスが生み出した(と思われる)蒼い風に包まれながら、リクヤがアカツキの目を真っすぐに見据えて言った。 その瞳にはどこか感慨深げなものが浮かんでいるように見えた。 「次に会うことがあったなら、その時は俺もマグマ団の幹部に戻る。 二度とマグマ団に近付くな。 おまえの将来にも影響が出ることだろう。願わくば、二度と会わないことを祈る」 「…………」 アカツキがその言葉を理解し切れていないうちに、リクヤは姿を消した。 まるでテレポート。 言葉が終わると同時にミロカロス共々消えてしまったのだ。 残ったのは、彼とミロカロスを包んでいた蒼い風。 だが、それもすぐに周囲の景色に溶け込んで見えなくなった。 「どうして、こんなにぼくはあの人のこと気になるの?」 胸に手を当ててみる。 煮え切らない気持ちが激しく渦巻いているのが自分でよく分かった。 マグマ団三幹部のリクヤ。 先ほどまで目の前にいた男はその当人だった。否定するつもりはない。 「ぼくのことをよく知ってるみたいだったし……お母さんの知り合いなのかな……」 いつかナオミに聞いてみよう。 アカツキはそう思った。 どうしてか気になるのだ、彼のことが。理由は分からない。 分かったとしても、言葉にはできないだろう。 「リクヤさんか……」 エントツ山で戦った時とは百八十度ほど違った彼の姿を見ることができた。 なんとなく、うれしくなった。 「でも、どうしてこんなに魅かれちゃったんだろ……」 氷の『強さ』。 完璧な取捨選択。 不必要なものは何であろうと打ち捨てて、必要なものはどんな手段を経ても確実に手にする。 確かにそれは理想とされるべきものかもしれない。 ただ…… 「ちょっとだけ違う。 必要なくても、大切なものなら捨てられない。 それに……」 歩き出して、アカツキは『強さ』について改めて考え直した。 リクヤとの再会がある意味で転換点になったのは間違いない。 「必要なものならいつだってぼくの中にある。 だから、大丈夫。無理に求めたりしなくても」 アカツキにとって必要なものはただひとつ。 前向きな考え方――ポジティブ・シンキングだけだ。 それをいつでも持っているのなら、それ以上のことは無理に求めなくてもいい。 誰にも心配をかけない『強さ』は、いずれ手に入れられると信じているから。 背伸びせず、等身大の自分のままで歩いていけばいい。 自分の違う一面を見つけられたような気がして、トウカの森を歩くアカツキの足取りはどこか軽そうだった。 一方。 マグマ団の本部に帰還したリクヤは、カガリの出迎えを受けた。 とはいえ、出迎えというのも言葉の文に過ぎなかったが。 「意外と遅かったわね。下見っていうから、パッと済ませてくるかと思ってたけど」 本部のロビーの中央部。 その左右に二本ある柱のうち、左の柱にカガリは背を預けていた。 入ってきたリクヤを見つめる眼差しはいささか鋭さを欠き、口元に浮かべている笑みははにかんだものに見えた。 「そんな事を言うためにここに来たのか。 だとすれば、ヒマを持て余しているとしか言いようがないな」 世間話の口調で言ってきたカガリに、リクヤは氷のような視線を向けて、つっけんどんに言い返した。 相変わらず棘を生やしてるわね…… カガリはリクヤのそういったストイックな部分に好感を抱けた。 下手に優しい軟弱男よりはずっと立派に見える。 「そう言わないでよ。 やっと最終調整も大詰めを迎えたんだから。 あなたがいてくれたら、もっと早く終わってたんだけどね」 「終わった事を悔やむとは、おまえらしくないな」 「かもね」 カガリはじゃれ付くネコのように、ぺろりと小さく舌を出して見せた。 仲間にだけ許せる行動なのだろう。 「で、どうだった? 場所はあそこに間違いなさそうだったの?」 「ああ」 リクヤは頷いた。 確かに、彼はカガリの言うところの『下見』には赴いてきた。 その帰りの駄賃代わりに、少年に会ってきたのだ。一概に職務怠慢と蔑むこともできまい。 ある意味では理由付けと言ってもいいだろう。 「送り火山……あそこに例のブツがある。 それさえあれば、我々が人類を救うことになろう」 「そう……それが分かっただけでも十分ね。お疲れ様。で、どこかに寄り道でもしてたの?」 「まあな。あまり早く終わらせたのではつまらないだろう? 少し気を揉ませるくらいの方が、功績も微妙に膨らむと言うものだ」 「参考にさせてもらうわ」 笑みを深めるカガリ。 リクヤとしても皮肉のつもりで言ったわけではなかったし、彼女自身もそれを理解していたからだろう。 任務は迅速・正確にこなすのが一番だが、そういう見方もあるわけだ。 上司に気を揉ませることでありがたみを増すというしたたかな手段も、世の中にはあるらしい。 現に、目の前で立ち止まっている男はそういう手段を好む。 「アクア団との最終決戦も間近……細かな戦術も考えなければならないわね。 まあ、『あれ』の力があれば、水タイプのポケモンなど恐るるに足らないわ」 「そうだな。大地を創造するポケモン…… 言い伝えではそうらしいが、実際はどれほどのものか。見物ではあるな」 「光で雲を吹き飛ばし太陽を呼び寄せる。 水タイプのポケモンを弱体化するには十分すぎる研究結果よ。 それをないがしろにする理由もないでしょう?」 「まあ、な」 リクヤは半眼で頷いた。 言い伝えと研究を一緒くたにするつもりはないが、まあ、それに越したことはない。 マグマ団の目的は人類救済。 それを遂行するのにアクア団は邪魔だ。 邪魔者は芽のうちに摘み取っておくべきだが、あいにくと創立時期が近かったせいで、それもできなかった。 今では毒の花を咲かせていることだろう。 目的は同じながらもその方法で反目しているような状態だ。 水と油の関係で、和平の動きも一時期はあったらしいが、それも今では下火状態。 時間の問題というレベルだ。 「それに、珍しい逸材にも出会えたからな……」 顔の下半分に笑みを浮かべるリクヤ。 「うふふ……」 つられるように笑うカガリ。 彼がそんなことを言うからには、それ相応の人材なのだろう。 言葉こそ控えめだが、彼の行動は風のように速い。 決断力と実行力においては、総帥(リーダー)マツブサに匹敵するとさえ言われている。 そんな彼だから、自分たちにとって利益となる『逸材』と出会ったのだろう。 「とりあえず、総帥から御呼びがかかってるわよ。 帰還したら出向くようにと」 「分かった」 軽く返事をして、リクヤは再び歩き出した。 その背中が正面の扉の向こうに消えるまで、カガリは笑みを崩すことなく見つめていた。 第57話へと続く……