第59話 ホウエンリーグに向けて…… -Night chat- 今日はとにかく疲れた。 アカツキはベッドに倒れ込むと、深々とため息を漏らした。 トウカジムの一室。 センリとのバトルを勝利という形で終えたアカツキは、トウカジムを制した証であるバランスバッジを受け取った。 その後、センリの厚意に甘えて一晩を過ごしていくことになったのである。 このジムのルールは、料理は自分たちで作るということで、アカツキもジムトレーナーたちに混じって、カレーライスを作った。 しかし、ジャガイモの皮むきでは危うく自分の手を切ってしまいそうになった。 タマネギを刻む作業では涙がボロボロこぼれて仕方なかった。 元々料理なんて得意じゃない男の子である。初歩的なミスを犯すのも仕方がない。 とまあ、そんなアクシデントに見舞われたものの、みんなで作って、みんなで食べたカレーの味は最高だった。 ルーの味と、火の通った具の柔らかさに花を添えたのが、ふっくらと炊き上がったご飯だった。 それから後片付け。 一連の作業を最初から最後までジムトレーナーたちと一緒にやったために、すっかり打ち解けることができた。 スクールでも、アカツキはクラスの輪にあっさりと溶け込むことができたのだが、そういった才能があるのかもしれない。 「みんな毎日あんなのやってるなんて……よく腰が痛くならないよね」 別に腰が痛いわけではない。 ただ、毎食全員総がかりで作って、後片付けもして……飽きないのだろうか? センリのことだから、すべてが修行と言い切っているに違いない。 ジムトレーナーたちに諭すように教え込んでいる顔が脳裏に浮かんで、苦笑が漏れた。 ともあれ―― アカツキは傍に置いてあったリュックから空色の小さな箱を取り出すと、先ほどゲットしたバランスバッジを入れた。 これで五つ。 ホウエンリーグの出場権を手に入れるためにはあと三つ必要となる。 旅立って一ヶ月足らずで、新米トレーナーがここまで集められたのは珍しいものなのだが…… 哀しいかな、当の本人にはそういった自覚はまるでなかった。 「みんなが頑張ってくれたから、これだけゲットできたんだよ」 腰のモンスターボールに触れながら、ポツリとつぶやいた。 センリとのバトルで獅子奮迅の活躍を見せてくれたポケモンたちは今頃、ボールの中でゆっくり休んでいることだろう。 窓の外には満天の星空。虫の音が心地よく、このまま眠ってしまいそうだ。 疲れた身体を包み込む倦怠感。 それと眠気。 「はあ……今日は疲れたなぁ。早いけど、もう寝ちゃおうか……」 壁の時計は八時二十分を指していた。 十一歳の子供が寝るには少々早い時間帯だが、ユウスケ、センリと立て続けにバトルをしたから、疲れている。 ポケモンと違って、人間には体力回復装置などというものがないのだ。 疲労回復には睡眠が一番とよく聞く。 「それじゃ、お休み」 特にやることもないので、空色の箱をリュックに戻して、そのまま目を閉じて眠りに就こうとした、まさにその時だった。 タイミングを計っていたように、ドアがノックされた。 「アカツキ、起きてるか? 俺だ、ユウスケだ」 「ユウスケ?」 ドアの向こうから聞こえてきたのは、確かにユウスケの声だった。 訪ねてこられては、さすがに狸寝入りを決め込むわけにもいかず―― 「今行くよ」 ベッドを降りて、ドアまで歩いていった。 疲れとは裏腹に、足取りはそう重たいものではなかった。 自分でも不思議だと思いつつ、鍵を開けた。 「よう。起きてたか」 「まあね」 ユウスケは白い歯を見せて笑った。 バトルをしていた時の服装ではなく、本気でパジャマだったが、当人はそんなことまるで気にしていないらしい。 「どしたの?」 「ああ、ヒマならちょいと話でもしてみようかと思ってさ。 ほら、あれから夕食の仕込みだの何だのって、あんまヒマとかなかったじゃん? それにさ、おまえ、明日にゃまた旅に出ちまうんだろ? だったら、話せるのって今くらいなモンだろ」 「まあ、そうだけどさ」 言い当てられ、アカツキはユウスケから視線をそらして頬を掻いた。 見事な推理だ。 確かに、バトルの後は食事の下ごしらえという仕事が待っていたので、あまり話をする機会がなかった。 働かざる者食うべからずという厳しい掟があるらしく、アカツキを含め、全員が一丸になって働いたのだ。 おかげで、ユウスケだけと話をするチャンスはほとんどなかった。 ジムトレーナーたちがいろいろと訊ねてきたりしたが、話にかまけて手が留守になると、本気で指を切ってしまいそうだった。 だから、思うように話ができなかったのだ。 「この部屋でってのも悪くないんだけどな……」 「じゃあ、ここでいいじゃない」 「そうだな。そうするよ。邪魔させてもらうぜ」 「うん」 アカツキはユウスケを部屋に招き入れた。 単身赴任者の寮を思わせる個室だったので、二人だと少し手狭に感じられるかもしれない。 なにしろ、この建物はジムトレーナーたちが寝泊りする別館なのだ。 掃除は基本的に自分で行う。 センリ曰く、 『自分でできることは極力自分ですること。それがおのずとポケモンバトルへとつながってくる』 とのことだが、アカツキにはまるで分からない。 理解するには経験が浅かったのかもしれない。 「ああ、俺は椅子でいいぜ。押しかけてきたんだからさ」 「あ、うん」 いい終えるが早いか、ユウスケは椅子に腰を落ち着けた。 アカツキはベッドに座り込み、彼と向かい合う。 不思議なことに、センリの傍に現れた時とはまるで目つきが違っている。 バトルから離れたせいか、柔和な雰囲気すら漂わせている。 それに……この一ヶ月でずいぶんと変わったような気がする。 もちろん、お互いに。 「しっかし、お互い変わったなぁ」 「うん」 ユウスケの言葉に頷く。 どうやら、彼の性格はほとんど変わっていないようだった。 よく言えば親身になってくれて、悪く言えば下世話で…… でも、それは決して悪くないものだった。 「俺はさ、スクールを卒業してからすぐにここのジムに入門したんだ。 俺の夢はジムリーダーになることなんだ。 どのジムでもよかったんだけど、俺、センリさんに憧れてるし。 家からも近いからさ、このジムにしたんだ」 「そうなんだ……」 アカツキは相槌を打った。 一部彼の同級生だったマイクから聞いた話と重なっているが、それを持ち出さない方がいいだろう。 「でもさ、センリさんって、つい数ヶ月前にジムリーダーに就任したばかりだって聞いたよ?」 「ああ。俺、あの人に助けられたことがあるんだ。 スクールにも春休みってのはあるんだけどさ、そん時に里帰りしててな。 まあ、いろいろあってトラブルになってたところを助けてくれたんだ。 あの時のジムリーダーはカッコよかったな。 俺の話を親身になって聞いてくれてさ…… どういうわけか俺は夢のことなんて初体面の人に話しちゃってさ。 そうしたらな、言ってくれたんだよ。 『スクールを卒業したら私のジムに来ないか? 君なら、きっと強くなれるよ』 って、そう言ってくれてさ。 正直、すっげーうれしかった」 ユウスケは瞳をキラキラ輝かせながら言った。 完全にセンリに惚れ込んでしまっている様子だが、アカツキはそれも無理のないことだと思った。 自分も一時はそうなりかけたのだから。 確かに、センリには人を惹きつける魅力がある。 でも、ユウスケは夢を抱いてここに来たのだ。 センリの弟子として、トレーナーの技術や知識を会得している。 「それからは結構大変だったな。 飯は自分たちで作んなきゃなんないし、掃除も自分でしなきゃなんないからさ。 スクールの時は飯が自動的に出てきたからさ、今ならそのありがたみってのがよく分かるんだよなあ」 「そうだね。ぼくも、野宿とかする時は…… でも、結構ポケモンフーズとか缶詰とかで終わらせることが多いから、うらやましいよ、そういうの」 「そうかもな」 ユウスケは笑った。 「ジムリーダーの特訓はスクールの時とは比べ物にならないくらい大変だけど、でもその分やりがいを感じるんだ。 日毎、トレーナーとして強くなってくのが分かって、すっごくうれしいんだよ」 「うん。 ぼくも、ジムに挑戦して、バッジをゲットするたびに強くなったって思えるから。同じだね」 アカツキも笑った。 手段こそ違うが、感じている喜びは同じものなのだ。 だから、こうやって想いを共有できる。 「どう? 夢は叶いそう?」 「まあな。 で、おまえの方はどうだったんだ? 順風満帆ってワケじゃなかったんだろ?」 「うん。それなりにいろんなことがあったよ。 何体かポケモンもゲットしたし、辛いことも、あったから」 逆に問われ、アカツキの笑みが曇った。 辛いことは、ひとつだけではなかった。 様々なことが絡み合い、大樹のように聳え立っている想い出たち。 そこに生っている実は美味しいものばかりでなく、酸っぱかったり辛かったりする。 それと同じなのだ。 曇った表情を見て、ユウスケはためらいがちに言葉を足した。 「悪ぃ。聞いちゃいけなかったかな……?」 「ううん、気にしないでよ。けじめはつけたつもりだからさ」 「……そっか」 ユウスケはため息を漏らした。 お互い、辛い経験をしてきたらしい。 「おまえ、バクフーンなんてゲットしてたんだな。驚いたぜ。 アルベルにぶつけられてたら、確実に負けてたよ」 「え、そう?」 「そうだってば。 やっぱ、アルベルにゃアリゲイツで決着つけなくちゃいけないって思ってたか?」 「うん。それもあるけど、あの時、ポケモンを回復できなかったらって考えたら……アリゲイツを出すしかなかった」 「なるほどな」 結局のところ、五十歩百歩だったわけだ。 トレーナーとしての判断と、アルベルと決着をつけるための判断の間で揺れ動いて、アリゲイツに決めたわけだ。 最初からセンリとバトルする時のことも考えていたに違いない。 だとすれば―― 「たいしたタマだよ、おまえは」 そこまで考えることなど、今の自分にはできそうにない。 トレーナーとしての実力には磨きがかかったと自負しているが、それだけだ。 アカツキのように広い世界を見てきたわけではないから、それ以上のものは分からない。 バトルでは引き分けに終わったが、完全に自分の負けだ。 その負けを認められるほど、ユウスケは心理的に強くなっていた。 以前の自分なら、納得なんて天地が逆転してもできなかっただろう。 本当に不思議なことだ。 「ホウエンリーグに出るつもりなんだ」 「ホウエンリーグか……」 つぶやくと、ユウスケは窓の外に目を向けた。 年に一度開催されるポケモンバトルの祭典。 ホウエン地方の果てとも言われている花の街サイユウシティで行われる。 サイユウシティはポケモンリーグ・ホウエン支部がある街で、名実共にトップである四天王もそこにいる。 ユウスケもテレビの中継でバトルを見たことがあったが、すさまじいの一言に尽きた。 幼心にも、バトルの真剣さ、すさまじさ、その熱気までもが画面を通じて抜け出てきたような……そんな感覚を憶えていた。 いつかは出てみたい。そう思っている。 だが、出場できるのは、各地のジム戦を制してきたトレーナーだけだ。 八つのジムを制し、八つのリーグバッジを手に入れ、そして予選を勝ち上がった真の実力者のみが出場できる。 まさに、選ばれたトレーナーの熾烈な戦い。 そんな祭典に、アカツキは挑もうとしているのだ。 挑戦するには若すぎる気もするが、それを口に出すのは酷というものだろう。 トレーナーに年齢は関係ない。もちろん、性別や国籍も。 どこかのジムでは、ジムリーダーが双子で、それでいてまだ十歳にもなっていない子供だという話もあるらしいし…… それが単なる噂話だとしても、出てくること自体がその証明と言えよう。 「そっか、頑張れよ。おまえならきっと出られるさ」 「ありがとう、ユウスケ」 励ましの言葉を受けて、アカツキの顔に輝かしい笑みが戻った。 「そういえばさ、センリさん、ちょっと前まで出かけてなかった?」 「ああ……サイユウシティのポケモンリーグ・ホウエン支部に呼び出されてたけど。 って、どうしておまえがそんなこと知ってるんだよ?」 「う、うん……」 語尾を強められ、アカツキは一瞬竦み上がった。 だが、ここでそわそわするわけにはいかない。余計に疑われるから。 「うん。知り合いがそう言ってたんだ。ジムリーダーのお姉さんなんだけどさ」 「そっか。 確かに緊急招集とやらで数日不在にはしてたよ。 その間は俺たちに自習させてた。バトルとか知識のな。 でも詳しいことは分からない。ジムリーダー、教えてくれなかったから」 「そうなんだ……」 アカツキは肩を竦めた。 ユウスケならもしかしたら知っているかもしれないと思っていたのだが…… どうやら、これはジムリーダーと、それに近しい人間にしか知られていないことらしい。 それをアヤカが話してくれたのは、単なる気まぐれか……それとも…… 答えが分からない以上、考えても仕方がない。 とはいえ、直接センリに訊ねるわけにもいかない。 この話からは手を引くことに決めた。 自分が知ったところで、何も変わらない。 「キミのアルベル、強くなったよね」 先ほどのバトルの話をしようと思って口を開いた時だった。 再びドアが叩かれた。 「!?」 不意のノックに言葉が止まる。 「センリだ。アカツキ君、いるかね?」 「あ、はい!!」 「入るよ」 言葉どおり、センリが入ってきた。 彼は先客を見て眉をかすかに動かしたが、それだけだった。 ある程度は予想していたのかもしれない。話し声が廊下に漏れていたか。 まあ、どちらにしても同じことだ。 「おや、ユウスケ。来ていたのか?」 「あ、まあ……」 「まあいい。消灯まではまだ時間があるからな」 なぜか気まずそうな顔をしたユウスケにそう言って、センリは壁に背を預けた。 立ったままでも構わない、といったところか。 「あの、センリさん。何か用ですか?」 「ああ。君たちがさっき話していたことの答えを教えにね」 「……!!」 笑み混じりに紡がれた言葉に、アカツキは息を呑んだ。 完全に聞かれていたのである。 だが―― 「冗談だよ。 まあ、それもひとつというわけだけどね、実際はもうひとつばかりある」 センリは笑みを深めた。 それでも驚きが一気に消えてなくなるわけではない。 「ジムリーダー、いいんですか?」 「構わない。隠すには大事になるからね。 いつかはユウスケ、君たちにも話すことだから、今のうちに話しておこうかと思ったんだ。 だが、私の口から話すまでは、他のみんなには秘密にしていてくれ」 「はい」 ユウスケが頷いたのを確認して、話し出す。 「君が誰から聞いたかは分からないが……確かに、ホウエン地方の全ジムリーダーがサイユウシティに緊急招集されたよ。 とある事件でついに『ある組織』が表立って動き始めたとの報告を受けてね。 これ以上は言えないが、もうすぐこのホウエン地方は動乱に見舞われることになるだろう。 普通に旅をしていれば、君がそれに巻き込まれるようなことにはならないだろうが、注意だけはして欲しい。 マグマ団、アクア団……このふたつの組織に聞き覚えはあるかね?」 「はい」 アカツキは頷いた。 ……あるし、思いっきり。 両方の組織と何度も接触していたから。 無論、すべては不可抗力だったが。 「それは隠しておこう。心配かけたくないし」 アカツキは黙っておくことにした。 余計なことまでベラベラしゃべる必要もない。 「最近になってニュースで度々出てくるようになった名前ですよね。 マグマ団は赤の、アクア団は青のコスチュームに身を包んでるって聞きましたよ。 確か、エントツ山で揉め事を起こしたとかで、両勢力の首謀者を警察が追ってるとか」 「詳しいな、ユウスケ。そうやって世間に目を向けておくことも大切なことだよ。 覚えておくといい」 「えへへ」 誉められてうれしいようだ。 ユウスケはニヤニヤと笑みを浮かべた。 「この間エントツ山でよく分からない騒ぎがあったんだけど、知っているかな?」 「はい……」 アカツキは今にも消えそうな声で頷いた。 モロに当事者なので、ハッキリ言っていい気分はしない。 思いっきり関わった挙句に、ダイゴからこれ以上彼らには近寄らないようにと釘を刺されてしまったのだ。 正直、いい思い出と言えるようなシロモノではない。 「ホウエン地方の各地を巡っているチャンピオンの話によるとね」 「チャンピオン?」 「あれ、知らねえの?」 眉根を動かすアカツキに、ユウスケが呆れたように言った。 「そこんとこはちょっと……」 「チャンピオンは四天王を統括してる人でさ、ホウエン地方でナンバーワンの実力者のことを言うんだぜ。覚えときな」 「うん」 またひとつ勉強になった。 ジムリーダーをも上回る実力の持ち主が四天王で、その四天王を束ねる存在がチャンピオン。 ホウエン地方における最強のポケモントレーナーのことを一般的には指すそうだ。 しかし、センリに言わせれば、ポケモンリーグ・ホウエン支部のトップということになる。 「マグマ団は大地を広げるのが目的、アクア団は海を広げるのが目的だって話らしい。 目的こそ正反対だけど、やっていることは大差ないってことらしいんだ。 エントツ山での騒ぎは彼らの闘争みたいなもので、そこではフエンジムのジムリーダーが関わっていたとか。 あの時は地震が起こって事無きを得たってことなんだけど……」 「はあ……」 あんまり蒸し返されたくないことをずけずけと口にされ、アカツキは意気消沈してしまった。 さすがのセンリでも、その出来事にアカツキが関わっていたことなど予想だにしていなかったに違いない。 悪気がないのは顔を見れば分かることだ。 だから、これ以上この話をするなとか、そんなことは言えなかった。 「変な連中がいるっスね。何が哀しくてそんなことしてんだか」 ユウスケは呆れ顔だった。 大地を広げるとか、海を広げるとか。 個人単位で考えるにはあまりに大きすぎるものだ。 だからこそ組織で目指しているのだろうが、それでも一般論からすれば途方もない話。 馬鹿げていると思われて当然だ。 「まったく。そんなことをする必要はないと、私もそう思うのだがね。 無論、他のジムリーダーも口々にそう言っていたよ」 ため息混じりに言うセンリ。 本気で呆れている様子だ。 大地を広げるだの、海を広げるだの…… ポケモンの力を借りたところでそんなことは不可能と頭打ちにそう考えているからかもしれない。 「でも……」 アカツキは知っている。 エントツ山で聞いたのだ。 『陸地が広がれば、人やポケモンの住む場所が増える』 カガリのその言葉を受けて、リクヤはこんなことまで言った。 『世界的に陸地は不足している。 これからの人口増加に加え、食糧危機なども実しやかにささやかれている。 それらを恒久的に解決するには、陸地を広げることが一番だ。 陸地が広がれば、農地も増える。農地が増えれば作物も多く採れ、食糧危機は回避される。 食糧が不足しなくなれば、人類が救われる』 それがマグマ団の掲げる理想。 対照的に、アクア団は海を広げるのだと言う。 あんなやり口の組織がそんな大層な目的を持っていたとしても、信じられるものではない。 人類救済? そのためなら、誰かを傷つけてもいい? アカツキに言わせれば答えはノーだった。 誰かを傷つけてまで手にする幸せなら要らない。そう思っている。 「センリさんたちには話せない。ぼくが関わってるなんて知ったら……」 アカツキは奥歯を噛みしめた。 それだけではこの気持ちを抑えきれず、爪が食い込むほどにキツク拳を握りしめる。 マグマ団やアクア団に関わったことがあると知られたら、どんな目で見られるか分かったものではない。 表面的には何事もなかったような顔をしても、心の中では疎ましく思っているのかもしれない。あるいは、軽蔑しているのかも。 そんなのは耐えられない。 「信じられないって顔をしているね?」 「え?」 アカツキはビックリしてセンリの顔を見つめた。 どうやらセンリには、アカツキの様子がそんなバカな事があるか、と考えているように見えたらしい。 それはそれで間違ってはいないが、悪い言い方をすればその目は節穴か、と…… 「まあ、君がそう思うのも当然だよ」 「はあ……」 「どんなポケモンの力を使ってもそんなことはできない。 伝説のポケモンでさえ、そんな力を持っているのか知れないよ。 まあ、ホウエン地方で語り継がれている神話のポケモンはどうだか知らないけど、あくまでも神話は神話だからね…… 本当にそんなポケモンがいるのかさえ疑わしい」 センリは頭を振った。 陸地を広げる。 海を広げる。 どちらにしても人知を超えた力でも働かない限り無理な相談だろう。 それを本気で目指して闘争まで繰り広げているのだから、タチの悪いテロ集団と何ら変わりはない。 センリが聞いたところによると、マグマ団はこの間カイナシティの海の科学博物館を襲撃したとのこと。 「神話のポケモン……って?」 「初耳ですけど?」 「ああ、君たちは知らないのか」 揃いも揃って首を傾げて聞き返してくるアカツキとユウスケに、センリは小さく息を漏らしながら交互に視線をやった。 アクア団とマグマ団のことから話がそれて、うれしかったのかもしれない。 よく分からない集団のことでこれ以上かき回されるのは正直、不愉快極まりないところだ。 貴重な特訓の時間まで削らなければならなくなる。 「ホウエン地方じゃ有名な伝説だって聞いたけどな……まあ、せっかくだし、話しておくか」 センリがこの話を聞いたのは、ホウエン地方に来る少し前のことだった。 オダマキ博士の妻にして助手でもあるカリンから話をされたのだ。 ポケモンに関する伝説には常々興味を抱いていたので、知っていたら話して欲しいと頼んだら、本当に話してくれた。 「ホウエン地方のどこかに、凄まじい力を持った二体のポケモンが眠っているらしい。 大地を盛り上げて大陸を広げたと言われるグラードン。 大雨と大波で大地を覆い、海を広げたというカイオーガ。 その二体はかつて死闘を繰り広げたらしい。 とても想像できないほど激しいもので、ずっとずっと昔のホウエン地方を焼き尽くしたほどだって言われている」 「すげー……」 ユウスケもアカツキも脱帽した。 真偽の程はともかくとして、大陸を広げたグラードンというポケモン、海を広げたカイオーガというポケモン。 仮にいたとして、凄まじい力の持ち主だったに違いない。 ホウエン地方を焼き尽くすほどの激しい戦いを繰り広げたなら…… 人間などではとても太刀打ちできない力だ。 「他にもね、グラードンは大雨で苦しんでいた人々を、光と熱で雨雲を振り払い救ったとも言われているよ。 カイオーガは干ばつに苦しんでいた人々を、恵みの雨を降らせることで救ったとも……ね。 証人がいない以上は、素直に信じる気にはならないけど…… どちらにしても、すごいポケモンの『存在』は確かにあったということだよ。 グラードン、カイオーガの名を冠するに相応しい力の持ち主はね」 「すごいんですね」 「ああ」 それほどの力を持つポケモンが伝説として語り継がれているのに、知らなかったことが無性に恥ずかしくなった。 ジョウト地方から引っ越してきた彼が知っているというのも、おかしな話だと。 「って……」 アカツキはセンリの言葉に引っかかるものを感じた。 「大地を広げるポケモンに、海を広げるポケモン? まさか……」 「君の想像はだいたい正しいね」 「!?」 センリはアカツキの考えていることを看破した。 「チャンピオンはこんなことも言っていたよ。 マグマ団とアクア団はこれからグラードンとカイオーガを求めて大きく動くだろうと。 その動きがつかめ次第、ジムリーダーと四天王を総動員して彼らを止めると。 その時には力を貸して欲しいと。それがだいたいすべてってところかな」 「そういうことか……」 皆まで言われ、ユウスケも合点が行ったようだった。 先ほどの話と結びつければ、容易に答えは導かれる。 大地を広げる、海を広げるというキーワードで、マグマ団、アクア団、グラードン、カイオーガを結びつけてみれば。 「ここから先は私たちの仕事さ。 くれぐれもアカツキ君。このことは他言無用でお願いするよ。 余計な不安を広めたくはないからね」 「はい、分かりました」 アカツキは頷いたものの、釈然としないものが心の中に残っているのを感じ取った。 神話で語り継がれているような、実在しているかどうかすら定かでないポケモンの存在。 マグマ団はグラードンを、アクア団はカイオーガをそれぞれ狙っている。 その実在しているかどうかさえ分からないポケモンで、それぞれの目的を果たそうとしている。 十一歳の想像力でもそれくらいは分かりそうなものだ。 あまりに馬鹿げていて、コメントも出てこない。 「まあ、君には大して関係のない話だよ。 気にしないで旅を続けて欲しい。 話した後でこんなことを言うのは勝手な話だと、私自身もそう思ってはいるけれど」 「いえ、いいんです」 ユウスケもセンリもその言葉を遠慮と受け取っただろうが、アカツキはそういう意味で言ったわけではなかった。 どうせ、言葉というのは受け取る側の問題なのだから、今のアカツキにとってすればどうでもいいことだった。 「気にしないで旅するなんて、きっと無理だよ」 意気消沈のその表情がそう物語っていると知って、センリは気を利かせてこんな言葉をかけた。 「君はホウエンリーグに出るんだろう? 少しはホウエンリーグのことを知っているのかい?」 「予選と本選があるってことくらいなら」 「上出来だね」 センリの笑みに釣られるように、アカツキの表情も元気を取りもどしていく。 「とりあえずそれくらいの予備知識があれば十分だろうね」 そう。 八つのバッジをゲットしてホウエンリーグ出場権を獲得しても、予選を勝ち上がらなければ本選にコマを進めることはできない。 あまりに出場人数が多いので、本選出場者を選別するために篩にかけるのだ。 運だけで勝ち上がってきたようなトレーナーを完全に排除するために。 「どうだい? 君はホウエンリーグでいいところまで行けると思うかな?」 「まだ、今のままじゃダメだって思います。六体のポケモンも集めてないし」 「あ? おまえ、このジムが五つ目なんだろ? 普通のトレーナーならここまで来れば六体くらい手持ちに揃えてるぜ?」 「ユウスケ」 思わず口を突いて出たであろう言葉に、センリが短く警告を送る。 「あ……悪い」 「ううん、別に気にしてないよ」 アカツキは本当に気にしていなかった。 ポケモンをゲットする早さなんて競ったところで仕方がない。 それに、ホウエンリーグが始まるまでにあと一体ゲットすればいいだけの話だ。 多少気を長くしても問題ない。焦る必要などないのだ。 「さて……」 センリが短く息を漏らし、ドアへと歩いていった。 「そろそろ戻るかな。 これから一仕事片付けなきゃいけないし……ユウスケ。君も部屋に戻りたまえ。 もうすぐ消灯時間だ」 「はい、そうします」 ユウスケは立ち上がった。 「それじゃアカツキ。もう帰るぜ」 「うん。おやすみなさい。ユウスケ、センリさん」 そしてふたりは部屋を出て行った。 ひとりになったアカツキは、ベッドの上で仰向けになった。一面の天井が視界を覆う。 「そうだね。 これからでも関わりを持たないように旅することくらいはできるよね」 小さくつぶやいて、電気を消した。 変なことを考えるのは止めにしよう。 普通に旅をしていれば、トラブルに自ら首を突っ込んだりしなければ、彼らと関わり合いになることもないだろう。 目を閉じると、睡魔が寄せて返す波のように心地よく広がっていった。 第60話へと続く……