第60話 故郷 -My home- アカツキは道の先に見えてきた懐かしい町並みを見つめ、表情をほころばせた。 生まれ育った故郷、ミシロタウン。 最近は港ができたものの、船が接岸する桟橋に毛が生えたようなシロモノである。 もっとも、そのおかげで静けさが保たれているのだから、一概に否定するのもいかがなものかと思う。 「まさかこんな形で戻ってくることになるなんて、思ってもいなかったけれど……」 正直な気持ちが、口を突いて外に漏れた。 ここに来た経緯を、少しずつ整理しながら思い出してみる。 トウカジムでセンリとの激戦の末勝利し、バランスバッジをゲットした翌日。 ゲットした当日はトウカジムに泊まらせてもらって、ユウスケをはじめとしたジムトレーナーと親睦を深めることができた。 翌日目を覚ましていろいろと考えるうちに、ミシロタウンに一度戻ろうということになったのだ。 何かをやり遂げたという達成感がないうちに戻るのもいかがなものかと思ったが、それでも、母親への想いの方が上回っていた。 「ぼく、お母さんに心配かけっぱなしだったし……一度くらい、戻ったって……」 そう。 心配をかけていたのだ、たったひとりの親に。 エントツ山での一件がとにかく堪えた。 心に風穴でも穿たれたように、とても胸が痛かった。 だから、一度戻ろうと思ったのだ。 画面越しではなく、ホンモノの元気な顔を見せに。 それくらいなら、きっと彼女も笑って許してくれるだろうと思いながら。 「おじさんやおばさんのところにも顔を出しとかなくちゃね、たまには」 世話になったオダマキ博士やカリン女史に今の自分を見てもらいたい。 トレーナーとして成長した自分と、自分を支えてくれる仲間たちを。 ワカシャモやアリゲイツとしても、恩人との再会は悪いものではなかろう。 ミシロタウンまではあと少し。 アカツキの気持ちと同じように、足取りも軽やかで弾んでいる。 まるでスキップでもしているような気分になる。 トウカジムを発ってから三日目の昼下がり。 時間の流れを緩やかに感じながら、アカツキはミシロタウンにたどり着いた。 相変わらず長閑で、時の流れなんてほとんど感じられないような場所だ。 だけど、これが自分の生まれ育った故郷。 どんなに素晴らしい景色も、長閑な町並みには及ばない。 「やっぱり、ぜんぜん変わってない」 当たり前である。 たかだか一ヶ月で劇的な変化が望めるわけもないのだ。 特に親しい人と会うわけでもなく、通りを歩いていくと、思いのほかすぐに懐かしき我が家の前に差し掛かった。 「お母さん、いるかな……?」 ベランダには洗濯物が並んでいる。 風を受けて小さくなびく洗濯物は一人分。母ナオミの服だけだった。 そんな様子に寂しさを覚えながらも、アカツキは玄関をくぐった。 玄関の扉に、鍵はかけられていなかった。 マグマ団やアクア団が暗躍しているような時世だ。 鍵をかけないなんて、いくら真っ昼間でも無用心。 泥棒は時間を問わないのだ。 「お母さん、いる?」 リビングへ続く廊下をゆっくり歩きながら、声をかけてみるが、返事はない。 いるのなら、まず間違いなく足音を立てて駆けて来るだろう。 ドロップキックでも喰らわせそうな勢いで抱きついてくるはずだ。 本当にドロップキックを喰らうのは嫌だが、そんな母親の暖かさはうれしい。 ……それがないということは、出かけているということなのだろう。 「仕方ない。ぼくの部屋で休もう……」 ひとりぼっちでリビングにいても仕方がない。 ならば、自室でゆっくりしている方がいいだろう。 「相変わらず綺麗にしてるなあ……」 自室に入っての第一声はそれだった。 旅に出たその日と何ひとつ変わっていない。 この家でひとりぼっちになってしまったナオミが、こまめに掃除をしてくれていたのがよく分かる。 虚しいような気もするが、それでもアカツキは分かっていた。 「いつ戻ってきてもいいように……お母さんはいつでもぼくたちのこと、気にしてたんだ」 リュックを机に置いて、ふかふかのベッドに腰を下ろした。 この家にひとり取り残される気分とはいかなるものなのか…… 窓の外に広がっている、一ヶ月前と変わらない景色を見つめながら、ふとそんなことを思った。 アカツキとハヅキの父……夫は何年も前に別れてしまったし、ふたりの息子はトレーナー修行の旅に出てしまった。 ひとりで過ごすには、この家は広すぎるだろう。 その広さが虚しさを生み出し、不安な心に拍車をかけている。 「寂しかったんだろうな……でも……」 今日は一緒にいてあげられる。 今までの寂しさの幾許かを埋め合わせてあげられる。家族の温もりで、存在で。 「お母さん、買い物にでも行ってるのかな? 鍵もかけずに留守にしてるなんて……やっぱり無用心すぎるよ」 アカツキは立ち上がり、部屋を出た。 意外と、何もしないというのも困りモノだと実感した。 半ば無理やりに、やりたいことを見つけ出す。 ここに戻ってきたのは、ナオミに元気な顔を見せるためだ。 だが、当の本人が留守にしている以上、彼女が戻ってくるまでは何もやることがないも同然。 恥ずかしながらも、それ以外のことはあまり考えていなかったのである。 優先順位で下位にあったものを押し上げて、現時点での第一位に祭り上げる。 「よし、おじさんたちに会いに行こう!!」 しばらくオダマキ博士の研究所で時間を潰すことにしよう。 そうすれば、帰って来た時にナオミが出迎えてくれるはずだ。 リュックはそのまま置いていくつもりだった。 モンスターボールとズボンのポケットに入っているポケモン図鑑さえあれば、それで十分。 研究所に行くのにリュックは必要なかったのである。 廊下を抜け、玄関のドアを開ける。 「……あ!?」 柔らかい陽光と共に視界に入ってきたのは、母ナオミの姿だった。 「アカツキ……帰ってたの?」 「あ、うん。ただいま、お母さん」 「お帰り……って言っても、すっごくマヌケよね」 「うん。ぼくもそう思うよ」 アカツキは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、視線を泳がせた。 そんな息子の愛らしい顔を見つめ、ナオミは笑みを浮かべた。 戻ってきた息子が家から出てきて、買い物から帰ってきた母親がそれを出迎える。 シチュエーションは間抜けすぎるものだったが、ともあれ、ふたりは無事に再会できたのだった。 「元気そうで安心したわよ。 ゴメンネ、今ちょっと買い物に行ってきたの。 カリンがね、そこの八百屋さんが大安売りしてるって言ってたから。 ほんのちょっとのつもりで行ってきたんだけど、あそこの奥さんに捕まって、長話になっちゃったのよね。 鍵かけてなかったから、早く帰るつもりだったんだけど…… 延々一時間も昔話を聞かされるハメになっちゃって……」 ナオミは両手に提げたビニール袋を力こぶの要領で掲げてみせた。 大根やネギが飛び出しているのは、確かに八百屋で買い物をしたという証拠だった。 「お母さんも元気そうでよかったよ」 「そうね。お互いにね」 アカツキも笑みを浮かべた。 お互いに元気に暮らしていると分かって、安心したのだろう。 「ぼくが思ってるほど、お母さんってヤワじゃなかったんだもの」 確かに寂しかったのだろう。 この家で彼女は『一人』だったが、この町では『独り』じゃない。 カリンという十数年来の親友もいることだし、最近ではハルカの母親とも友達になったから、退屈していないはずだ。 「だったら、ぼくも安心して旅を続けられる」 逆に励まされたような気がした。 心置きなく、ホウエン地方の旅を続けていける。 「どこかに行くつもりなの?」 「え?」 「あなた、家から出てきたでしょ。リュックも持たないでね。 だったら、どこかに行くってことなんでしょ」 「うん。おじさんの家に行こうかと思って」 「そう。だったら行っていらっしゃい。遅くならない程度にね。 その間に私はあなたの大好きなハンバーグを作ってあげるわ。 せっかく戻ってきてくれたんだもの、いろいろと話でもしながらご飯食べましょ。 だから、行っていらっしゃい」 「うん、分かった」 意外にもあっさり『行ってこい』と言ってくれたナオミに違和感を抱きながらも、アカツキはそれに従った。 確かに、話をするのなら、夕食の時に久しぶりの手料理を堪能しながら、というのも悪くはない。 オダマキ博士の研究所へと向かう息子の足取りは軽やかなものだった。 「よかったわ、無事で……」 ポツリつぶやく言葉は風に溶け、言葉を発した本人以外の耳には届かなかった。 柔らかな陽光が、凍てついた心を溶かしてくれるように暖かかったが、彼女の表情には雲が差していた。 ナオミがそんな表情を浮かべていることなど露知らず、アカツキはスキップでもしているような足取りで、オダマキ博士の研究所へと向かった。 昼間だというのに、通りを行く人は多くない。 おかげで、貸しきり気分みたいで気持ちいい。 「みんな、出てきて!!」 アカツキは迷うことなくポケモンたちをモンスターボールから出した。 アリゲイツ、ワカシャモ、カエデ、チルット、エアームド。 大切な『家族』たちは、出てくるなりトレーナーの傍へと駆け寄ってきた。 アリゲイツとワカシャモは元気よく行進などしながら。 カエデは初恋の男の子と歩いている少女のように顔を赤らめながら。 チルットはアカツキの頭の上にちょこんと乗っかって。 エアームドはチルットの頭スレスレの低空飛行をしている。 それぞれ、思い思いの位置でトレーナーの傍に寄り添っている。 「どうだい? いい町でしょ?」 「バクフーンっ!!」 誰よりも大きな声で応えてくれたのはカエデだった。 頬を摺り寄せながら、アカツキの手を取る。 「……?」 妙に人間らしい仕草に、アカツキは戸惑ってしまった。 カエデは妙にウキウキしている。 初恋に浸っているかのような……そんな表情。 戸惑いながらも、アカツキはカエデの温もりに触れ、表情を和らげた。 「カエデ、ぼくのこと大好きなんだね」 「バクフーンっ」 性別が違うから余計にそう思えるのかもしれない。 カエデにとってアカツキはお気に入りなのだ。 同じタイプのワカシャモなど眼中にない。 確かに熱く燃える性分は嫌いじゃないが、それよりは少し頼りないくらいの男の子の方が…… 付き合い甲斐があるってモンでしょ!! 「ゲイツ、ゲイツ!!」 ……が、ウキウキ気分のカエデに文字通り水を差してきたのは、水タイプのアリゲイツだった。 アカツキの独占を許さないと言わんばかりに、必死の形相だ。 「バクフーン……(はいはい、分かりましたよ。今日はこれくらいにしときます)」 仕方なく、カエデはアカツキとイチャイチャするのを止めた。 下手にアリゲイツを刺激すると、水鉄砲を食らうと判断したためだ。 夢見がちで恋にウキウキな女の子でも――いや、それゆえに働く打算もすごかった。 「……?」 アカツキは首を傾げた。 アリゲイツが咆えただけでカエデが手を離してしまった。 一体何がなんだか分からなかったのだ。 哀しいかな、十一歳ゆえに純情とか恋愛とかにはまるで興味がなかったのだ。 「カエデ、アリゲイツ、仲良くしなきゃダメだよ。 ふたりとも、ぼくの大切な家族なんだからさ。ね?」 ただ、友情やら家族愛については人一倍強い欲求を持ち合わせているようだった。 もしかしたら、彼のポケモンたちは、そういったところに強く惹かれているのかもしれない。 何も難しいモノが必要なワケじゃない。 それからは順調だった。 はしゃぐことはあっても、仲違いすることなく、終始和やかな気分を維持したままで、オダマキ博士の研究所にたどり着いた。 フィールドワークを専門としているだけあって、大きな庭があるわけでもなく、研究所と住居が一体となっている。 「いるかな、おじさんとおばさん……」 研究所の窓は開け放たれていた。 吹き込む風にカーテンが小さく揺れている。 扉の脇にあるチャイムを鳴らしてみると、すぐに返事があった。 「あら、アカツキ君じゃない。帰ってたの?」 「あ、おばさん」 窓から顔を出して笑みを浮かべているのはカリンだ。 「元気そうでよかったよ」 「そっちもね。ま、なんだから入ってらっしゃいよ。お茶くらいはご馳走するから」 「それじゃあ、お言葉に甘えて……」 アカツキは扉を開けると、ポケモンたちを従えて研究所に入った。 エアームドは、狭い室内で飛び回るわけにもいかないので、翼を折りたたんで、地面を歩いている。 やはり慣れていないらしく、ふらふらしている。 でも、そこはさすがにアカツキのポケモンだけあって、アリゲイツとワカシャモが支えてくれた。 研究所も相変わらず変わっていなかった。 心なしか以前見た時よりも散らかっているような気がする。 研究で忙しくて掃除している暇がないのだろうか? 「しかし、驚いたわよ。まさか、帰ってきてたなんてね」 「うん、たまにはお母さんに元気な顔見せておかないといけないって思って。 ほら、テレビ電話じゃ、あんまりそんな気にはならないでしょ?」 「君の言う通りね。やっぱり、実物が一番のご馳走なのよ」 「ありがとう」 カリンはジュースの入った缶を渡してくれた。 茶を振舞うと言っていた割には、そんな時間もなかったらしい。 彼女自身がブレンドしたポケモンフーズを山盛りにしてポケモンに振舞うと、すぐにパソコンの前に座った。 手を動かしながらも、顔はアカツキに向けていた。 彼女はブラインドタッチの名人で、よほどのことがない限り、キーボードを見なくても正確に入力できるのだ。 手がお留守というよりも、顔がお留守という言葉の方が似合うかもしれない。 どちらにしても、研究に忙しいのだろう。 「おばさん、研究で忙しいの?」 「そうねえ……あの人ったら、フィールドワークに出たまま三日も戻ってきてないのよ。 おかげで私があの人の分まで引き受けなくちゃいけなくなってね。 この通り、掃除もロクにできてないのよ。 こんなのをユウキに見られてないだけマシってモンなんだけどね」 「そうなんだ……ゴメンね。知らなくて……」 「君が謝ることじゃないわ。 あの人に再起不能ってくらいガツンと言ってやれない私が悪いんだし……」 カリンは言葉とは裏腹に笑っていた。 彼女なりに、この生活を楽しんでいるようだった。 ひとりだと、オダマキ博士に気兼ねなくあんなこと(?)や、こんなこと(?)もできるだろうから。 「でも、驚いたわね。 ユウキは一度も戻ってきてないのに、君が戻ってくるなんて」 「うん。いろいろあったから、話したいこともできちゃって」 「そうね……君は母親想いね。うらやましいわ。 私はといえば、ユウキは連絡こそくれるものの家に帰ってこないし。 あの人も最近になってフィールドワークに精を出し始めて、一日帰ってこないなんてのもザラじゃないからねぇ……」 「そうなんだ。ユウキ、戻ってないんだ」 「そうなのよ」 意外なことを言われ、アカツキはキョトンとした。 ユウキはああ見えても実は親思いなのだが……そんな彼ですら、連絡程度で済ませているらしい。 カリンにはオダマキ博士という、愛を誓い合った永遠の伴侶がいるから大丈夫とでも思っているのだろうか。 それは家庭環境のことと、アカツキは割り切った。 「ナオミの気持ちもね、少しは分かってきたかなって…… 分かっているようなつもりで接して、彼女を傷つけてきたってことも、よく分かったわ」 独白めいたようにつぶやくと、カリンはため息を漏らした。 親友の気持ちを測りかねていた自分の愚かしさには、腹が立つというよりも呆れてしまう。 「ともあれ、君のポケモンたち、ホントに数が増えたわね。 そのチルットとエアームドね。 他のみんなもちょっとカッコよくなっちゃって……君って幸せなトレーナーよね。 すっごく懐かれてるんだもの」 「え、そう?」 「そうよ」 アカツキは顔を赤らめた。 カリンの言葉がうれしかったのと、みんなの視線が恥ずかしかったから。 でも、素直に誉めてもらえたのはうれしかった。 「あの時よりも強くなってる気がするわね」 作業も一段落ついたのだろう。 おもむろに立ち上がると、アカツキのポケモンを順番に見ていった。 じーっと視線を合わせたり、頭を撫でてやったりした。 研究者として興味深い個体を観察するのは当然のことだし、活力のあるポケモンを見ているのは楽しい。 かつてトレーナーだった頃の血が騒ぎ出しているように。 「どうしてそんなことまで分かるの?」 「うふふ、知りたい?」 アカツキが疑問に思ったことを素直に口にすると、カリンは笑みを深めながら顔を見返してきた。 びくっ…… 大人の女性の魅力に憑り依かれた(とりつかれた)ように、アカツキは一瞬何も考えられなくなった。 「えっと……」 一体何をしようとしていたのだろう…… 思い出すのにイヤに時間がかかってしまった。 大人の魅力にやられて思考回路が停止していたなどとはさすがに考えられなかったようだが。 「君には言ってなかったかしらね。 私はあの人と結婚するちょっと前まではトレーナーをやってたのよ。 私ね、本当は博士になるのが夢だったわ。 そのためにトレーナーも兼ねてたってだけなんだけどね……」 「そうなんだ、知らなかったな」 「そりゃそうよ。ユウキでさえ知らないことなんだからね」 「え、そうなの!?」 「そうなのよ」 カリンは口の端を吊り上げた。 実の子ですら知らないような過去を親友の息子に告げたことに、何かを感じているのかもしれなかった。 それは、あるいは…… 「ナオミかあの人くらいしか知らないことだけどね……」 「おばさん、トレーナーだったんだ……」 「まあね。しばらくポケモンバトルなんてしてなかったから、もうあの頃ほどの実力はないでしょうけどね。 そうだわ、せっかく来てくれたわけだし、ポケモンバトルでもしてみない?」 「え?」 意外な申し出に、アカツキは戸惑いを隠しきれなかった。 カリンにバトルを申し込まれるとは……さすがに予想はしていなかった。 研究一辺倒とばかり思っていたが、そうでもなかったらしい。 「キンセツシティで君と会った時、私は君に『いつか見せてあげる』って言ったんだけど、覚えてる?」 「ううん」 アカツキは首を横に振った。 そこまで細かな言葉の内容までは覚えていない。 「それとも、君はバトルを断れるのかしらね? ポケモントレーナーはバトルを断れない。ポケモンが戦えない状態でない限りはね」 「う、うん……」 笑みを浮かべながら話してくる彼女に、アカツキは得体の知れない何かを感じ取った。 言葉にはできないが、背筋が凍るような、末恐ろしい悪寒のような……何か。 「君だって、私のポケモン、気になってるんでしょ? だったら、バトルでもしましょ。 あの人もいないことだし、たまにはトレーナーとして頑張ってみるのも、いいことだと思うのよね。 さすがにあの頃ほど激しくはできないでしょうけどね…… 君としても、バトルは貴重なものでしょ。 今日はこの街でのんびりしていくんでしょうから、バトルしたって問題ない。 そういうことだものね」 「分かった……おばさん、ぼくとバトルしよう」 「そう来なくちゃ。 君は君が一番強いと思っているポケモンでかかってきて。 私も私の手持ちで一番強いポケモンを出すわ。 そうね、一対一の時間無制限。どちらかのポケモンが戦闘不能になるまで続行ということで」 「うん」 「それじゃ、外に行きましょうか。この中じゃ狭すぎるからね」 話はあっさりまとまって、ふたりは場所を外に移した。 隣家とは離れているので、派手にポケモンバトルをしても、影響は出ないだろう。 ふたりは十数メートルほど距離を開けて対峙した。 アカツキの周りには、モンスターボールから出たポケモンたち。対するカリンは手にモンスターボールがひとつ。 妖しい笑みを浮かべているのは、久々のバトルに血が滾っているためか、それとも…… 「何か、やりにくいなぁ……」 やりづらさを感じた。 相手がユウキやハルカなら、ライバルということもあって、心置きなく戦えるのだが…… いくらトレーナーとしての経験があるといっても、親友の母親が相手というのは、どうにもやりにくい。 下手にやりすぎてしまうのがとても怖かったのだ。 だが―― 「それじゃ、行きましょうか。 私はこのポケモンでお相手するわね。 久々のバトルよ、ブラッキー」 カリンはアカツキが胸に抱えているものなど知らないような顔で、軽くモンスターボールを投げた。 彼女の意思に応え、ボールが開いてポケモンが飛び出してきた!! 「ブラっ!!」 飛び出してきたのは、黒い身体のポケモンだった。 ところどころに黄色い輪のような模様がある。 血のような真っ赤な双眸が特徴で、身体の大きさはアリゲイツよりも少し小さいくらいか。 「初めて見るポケモンだな……ブラッキーって言ってたっけ?」 すかさず図鑑を取り出して、センサーを向けてみる。 「ブラッキー、げっこうポケモン。イーブイの進化形。 満月の夜や興奮した時、全身の輪っか模様が黄色く光る」 「ブラッキー……」 アカツキは図鑑に映る姿と現物を見比べた。 「ブラッキーはね、私の一番の相棒よ。 君も全力で戦わないと、返り討ちに遭うかもしれないわ」 「それならカエデ、お願い!!」 「バクフーンっ!!」 待ってましたと言わんばかりに、声を大にしてカエデがアカツキの前に躍り出た。 「ブラッキーは悪タイプ。ホントならワカシャモがいいのかもしれないけど……」 相性的には格闘タイプのワカシャモが有利だが、ポケモンバトルは相性ですべてが決まるわけではない。 ある程度強いポケモンなら、力押しで相手を倒せることもあるのだ。 相性的には可もなく不可もないといったところだが、カエデの実力なら何でもないような相手のはずだ。 「やはりバクフーンで来たわね…… 女の子に攻撃するのは気が引けるんだけれど……そんな悠長なことは言っていられないわね」 カリンはカエデを見やりながら、ため息を漏らした。 ポケモンバトルにオスもメスもないのだが、女性ということで、同姓への攻撃は躊躇ってしまうらしい。 ……が、そうも言っていられない状況になってしまった。 「カエデ、火炎放射!!」 「いきなり火炎放射……本気ねぇ……」 アカツキがいきなり攻撃を仕掛けてきたので、のんびり構えていられなくなった。 パチン。 彼女は指を鳴らした。 「電光石火で避わしながら攻撃しなさい」 謡うように、穏やかな声音で言う。 ブラッキーは物怖じする様子もなく、火炎放射を見つめながら駆け出した!! 放射状の火炎を避わそうと、回り込むように大きく円を描きながらカエデに迫ってくる!! 「速ッ!!」 アカツキはギョッとした。 ブラッキーの電光石火は、恐ろしいほど速かったのだ。 だが、驚いている場合じゃない。 この分だと火炎放射を避わして攻撃を仕掛けてくる。 それなら…… 「こっちも電光石火!!」 目には目を、電光石火には電光石火を。 カエデが四本足を使って駆け出した!! 二本足で歩くよりは得意のようで、スピードはブラッキーと互角といったところだった。 瞬く間に距離が詰まっていく。 スピードが同じくらいなら、より大きなダメージを受けるのはブラッキーの方だ。 およそエネルギーというのは物体の質量と速度の二乗の積に比例するのだ。 だから、カエデの方が攻撃力が高いということになる。 そこまで考えたわけではないが、何となくそうなるのではないかと思っただけのことだ。 「へえ……やるじゃない?」 カリンは不敵に笑った。 トレーナーになって一ヶ月足らずの男の子が、これほどのポケモンを素直に使いこなしているのである。 ポケモンがトレーナーのことを信頼しているのと同じように、トレーナーもポケモンの実力を信じているのだ。 だからこそ、これほどの攻撃を出してくる。 「私もそういう頃、あったけどね…… ま、新米トレーナーに負けるほど耄碌してるつもりもないし。 とりあえず、やっちゃいましょっか」 こうなったら本気で相手してやろう。 カリンは笑みを深めた。 ポケモンバトルで手加減をすることは、相手に屈辱感を与えかねない。 そして、目の前にいる男の子はそういうタイプだ。 「あまり本気で戦うのは好きじゃないんだけどね…… まあ、あの人やユウキがいるわけじゃないから」 安直過ぎる理由をとりあえず並び立て、ギュッと拳を握る。 カエデとブラッキーがぶつかる――その直前。 「リフレクターで衝撃を軽減しましょうね、ブラッキー」 「ブラッ!!」 がんっ!! 大きな音を立てて、カエデとブラッキーが真正面からぶつかった!! 刹那、ブラッキーとカエデの間に薄いオレンジの壁が現れた!! 「!?」 アカツキはビックリしたような顔でそれを見た。 リフレクター……物理攻撃の威力を軽減する壁を生み出す防御技だ。 軽減と言うだけあって、威力を完全に削ることはできないが、受けるダメージを減らすことはできる。 「バクフーン……」 カエデは飛び退くと、小さく唸った。 頭と頭をかち合わせただけあって、さすがに痛みを感じたらしい。奥歯を噛みしめて、相手を威嚇している。 「痛かったじゃん、この黒い犬……!!」 尖った眼差しが物語る意味を察し、カリンは苦笑した。 「ブラッキー……」 ブラッキーも同じように飛び退くと、頭を振った。 ダメージは受けているようだが、やる気のみなぎった赤い瞳の輝きはまるで衰えていない。 「おばさん、結構やる……!!」 とっさの判断で防御技を出したのだ。 おかげで、ダメージを最小限に食い止めることができた。 元トレーナーというだけあって、その時の勘は鈍っていないようだ。 その点、注意してかからなければ…… 「さすがに一筋縄で行かせてもらえそうにないわね……それなら、奥の手で……」 真っ向勝負だと、さすがに分が悪いと判断した。 相手はバクフーン……こちらが弱点を突くことはできない。 それなら…… 「妖しい光で混乱させちゃいましょう」 カッ!! ブラッキーの身体が輝き、一瞬、フラッシュを焚いたように光が満ちた!! 「うわ……」 あまりの眩しさに、アカツキは腕で顔をかばった。 光は一瞬で消える。 そこには―― 「バクフーン、バクフーン、バク、フーンっ!!」 カエデのけたたましい鳴き声に腕をどけ、目を開けた。 「……!! カエデ!!」 アカツキは叫んだ。 こともあろうに、カエデは近くの木に頭をぶつけているのだ!! 「妖しい光で混乱した……!?」 間違いない。 妖しい光――相手を混乱させる技だ。 カエデは妖しいエネルギーを漂わせる光を浴びて、混乱してしまったのだ!! 「うふふ、これは始まりよ。 メインディッシュはここから……あら、前菜は美味しかったかしら?」 アカツキが驚いているのを尻目に、続いてカリンが指示したのは―― 「彼女はメス。ならば、メロメロにしちゃいましょう!!」 「ブラッキー……ブラブラ……」 ブラッキーはカエデの前まで駆けていくと、男気あふれるポーズを取って見せた。 具体的な説明は省くが、ポケモンにとっては男らしいと感じるようなポーズだったようだ。 混乱からやっとの思いで立ち直ったカエデは攻撃も忘れて、ブラッキーを見つめたままだ。 「カエデ、火炎放射!! 今なら絶対避わせないよ!!」 その言葉は間違いじゃなかった。 三歩にも満たない至近距離から火炎放射を放てば、まず間違いなくヒットするだろう。 だが、カリンはそんなに甘い女性ではなかった。 むしろ辛口と言ってもいい。 博士として培ってきた知識は伊達じゃない。 さすがはユウキの母親である、彼の戦術は母親譲りと言ってもよかった。 「どうしたの、カエデ!? 攻撃だってば、攻撃!!」 今攻撃すれば間違いなく勝てる。 何を考えているのか、カリンは一向にブラッキーに指示する気配を見せない。 アカツキは優位な立場に立っていながらも動揺していた。 カエデの頬に朱が差した。 愛しい男の子を見つめるような眼差しをブラッキーに向けて、攻撃する気がないみたいだ。 しおれた花のように萎えてしまっている。 「アカツキ君。 何も攻撃だけがバトルの運び手じゃないわよ。 こうやってね、相手を状態異常にすることで優位に立つっていう方法もあるの。覚えておいてね」 「…………」 「さて。それじゃ続きをやるわね」 緊張感のまるでない声音に、アカツキは唖然とした。 すっごく燃えている自分とは対照的に、カリンは淡々としていた。 その堂々とした態度には、揺るぎない自信さえ感じられた。 「ブラッキー、続いて影分身」 「カエデ!!」 「無駄よ。メロメロ状態になると、異性には攻撃しづらくなる。 それも、純情なポケモンならなおさら……」 なんと、彼女はカエデの性格までバトルに利用してしまっているのだ。 アカツキはそこまで知らなかったが、異性ということでピンと来た。 メロメロ……異性に猛烈にアピールすることで、相手の攻撃意欲を極端に低下させてしまう恐ろしい技だ。 ポケモンチェンジをすれば確実に治せるが、それができない状況だと、かなりヤバイことになる。 唯一の救いは、同性には効かないという点か。 まあ、今の状況ではかなり絶望的と言ってもいいが。 「カエデ、今はバトルだよ!! 見惚れてる場合じゃないって!!」 それでも、アカツキはあきらめなかった。 状況がかなり悪いことは分かっているつもりだ。 カエデには戦う力が残されている。ならば、彼女を信じるしかないではないか!! 正気を取りもどせるように、呼びかけることくらいしかできないけれど。 それでも、何もしないよりはマシだ。 「やっぱり、強くなったわね」 カリンは一心不乱にカエデに呼びかけ続けているアカツキを見つめ、目を細めた。 こんな状況になれば、普通のトレーナーならまず間違いなくやる気を失うだろう。 だが、彼はやる気満々だ。 最後の最後まであきらめないという気持ちがひしひしと伝わってくる。 「さて……」 アカツキがカエデに気を取られている間に、ブラッキーは彼女の周囲をすっかり取り囲んでしまっていた。 影分身で回避率を上げたのだ。 相手が状態異常から立ち直るまでの間に、自分は能力を上げてさらに優位に立つ。 アカツキにはとても考えつかない戦法だった。 状態異常にできたら、さっさと相手を倒してしまうのだから。 それをせず能力を上げたのは、次の相手がいることを見越しての戦法。 長丁場では有利になるだろう。 「カエデ!!」 渾身の呼びかけに、カエデが弾かれたように顔を上げた。 想いが通じたのだ。 「へえ、思うよりも早かったわね、立ち直るのが」 それでもカリンは慌てなかった。 ブラッキーの回避率は劇的に上昇している。 攻撃を当てられる可能性は低いし、その攻撃を封じることもできる。 つまり、ダメージを受ける可能性は相当低いと見て間違いない。 「バクフーンっ!!!!」 カエデは天を仰いで咆えた。 気持ちを切り替えているかのようだ。 「でも、ちょっと遅かったわね。ブラッキー、破壊光線」 「カエデ、火炎放射!!」 破壊光線に対抗するにはこれしかない。 何もしなければ破壊光線を食らってしまうのだ。 全方位に展開したブラッキーが一斉に口を開き、破壊光線のチャージを始めた!! 対するカエデは口から炎を噴き出しながら、首を大きく回した。 そうすることで、火炎放射の攻撃範囲を少しでも広げようとしているのだ。 だが―― 「!? ブラッキー、守るのよ」 カリンの声が聞こえたのと、大きな音が響いたのはほぼ同時だった。 ごぅんっ!! ブラッキーの一体の目の前に、蒼い壁が現れた。 そこに吹き付ける強烈な炎。 だが、炎は蒼い壁に防がれて、左右に流れていくばかり。 ブラッキーにはダメージを与えられない。 「守る……なんて攻撃の切り替えが速いんだ……」 アカツキは唖然とした。 今カエデに次の技を指示すれば、ブラッキーにダメージを与えられるのだが、それすらも忘れていた。 電光石火からリフレクターの切り替えといい、攻撃から瞬時にして守りに転じることができるのだ。 不意を突いたとしても攻撃がヒットするかどうか、といったところか。 なんにしろ、彼女が手強い相手だということは分かった。 「ずいぶんとやるわね、君のバクフーン」 そう言って、カリンはブラッキーをモンスターボールに戻してしまった。 「決着はついてないけどね、君の成長を見ることができて、それだけでよかったと思っているわ」 「おばさん……」 「やっぱり血は争えないわね…… ハヅキ君の弟だけあって、戦う意気込みはすごいもの。 何があってもあきらめない気持ちって言うのは大切ね。それだけは忘れないで」 「う、うん……あのさ、おばさん……」 「うん?」 アカツキは上目遣いにカリンを見つめながら、恐る恐る訊ねた。 「おばさんって一体……普通のトレーナーだったなんて思えないけど……」 「そうねぇ……」 彼女は男の子の目を見返しながら、笑みを浮かべた。 「乙女の秘密……ってところね。 私もトレーナーとしては結構頑張ってきたから。 君も私がトレーナーをやめた歳になれば、これくらい強くはなれるわよ。保証してもいいよ」 「え、本当!?」 素直に誉められて、アカツキは天にも昇る気持ちだった。 表情が一瞬で光り輝いたものに変わり、さり気なく話題を刷りかえられたことにすら気付いている様子がない。 「単純ねぇ……まあ、そういう一途なところって、私、好きだけどね」 カリンは、喜んでいる男の子を見つめて、さらに笑みを深めた。 どこか、自分の息子に似ているような気がした。 第61話へと続く……