第62話 信じることの重み -Wild shark in the river- コトキタウンを通過したアカツキは、103番道路を東へと進んでいた。 実際、コトキタウンには見るべきものというものがないので、単なる通過点というのが一般的な見解である。 トウカシティとカイナシティ方面を陸路で結ぶ道路の中継地点という意味合いが強い。 無論、アカツキもその例に漏れず、ポケモンセンターに寄ることもなかった。 103番道路はコトキタウンと110番道路を結んでいる。 110番道路はカイナシティとキンセツシティを結んでおり、ヒワマキシティはキンセツシティを通らなければたどり着けない。 陸路では最短距離なので、細かなところにはこだわらない。 103番道路は北へ延びているが、途中で東に折れ曲がっている。 キンセツシティまではおよそ五日かかる。 陽はすでに西に傾き、そろそろ一晩を過ごす場所を探さなければならない。 ポケモンセンターは110番道路の付近にあるらしく、今日中に行くのはとてもじゃないが無理そうだ。 エアームドに乗っていけば間に合うだろうが、ポケモンセンターに泊まるためだけにそこまではしたくない。 タクシー代わりに使うとなると、エアームドにも悪いだろう。 野宿も何回か経験したから、そんなに嫌でもない。 ただ、野生のポケモンに襲われるかもしれないと言うリスクも常に付きまとう。 そのあたりはカエデやアリゲイツと一緒に寝れば大丈夫だろうから、そんなに気にする必要もないか。 「でも、どっかいい場所はないかな……?」 目を凝らして、場所を探る。 道端で野宿というのは人目につくからさすがにやりづらい。 どうせなら、道から少し離れたところにある木の下とか、そういった場所なら野宿に適している。 野宿に適した場所を探しながら道路を歩いていくと、視界の先に緩やかな流れの川が見えてきた。 「あの川で魚を釣ろうかな……」 そういえば非常食もそれほど持ってきていないので、その場所で食糧を調達するのが一番だ。 川べりで釣り上げた魚を木の串に刺して焚き火で焼いて食べる。 焼き魚として身を捧げたその魚を食べる。 それが魚を一番美味しく食べられる方法なのだ。刺し身にするよりもよほど美味しい。 焼き魚の香ばしい味を脳裏に思い浮かべるだけで、無性に食べたくなる。 「よし、決まり!!」 とまあ、決まったからには早かった。 駆け足で川の辺へと急ぐ。 と、川までの距離が狭まっていく中で、ふと気づく。 「あれ?」 あるべきものがないような気がしたのだ。 緩やかに、でも止まることなく、ただ流れていくだけの川。 水面に突き出た岩をすり抜けて河口へと流れていく。 とまあ、それはよかったのだが…… 「橋が……ない……?」 川幅は百メートル近くあるだろうか。 対岸が見えているので、それよりも近く見える。 幹線道路へ続いている道路だけに、普通は橋が架かっているものなのだが……見る限りでは影も形もない。 「確か……タウンマップじゃ橋があるってことになってたんだけど……」 自分の記憶に間違いはないと確信しながらも、タウンマップを出して確かめる。 103番道路の途中には、確かに南北に流れる川がある。 そして、タウンマップには橋が架かっていると…… でも、ない。 ただあるとすれば…… 「丸太が二本?」 川の辺には人の背丈ほどある丸太が二本、二メートルほどの間隔を開けて並んでいる。 近くに来て分かったのだが、地面と川とは三メートル近い高度差がある。 だから、橋が架かっていたのだ。 「ん、架かっていたってことは……流されたの!?」 橋がない。どこにもない。影も形もない。 「橋は壊されたんだよ」 「!?」 と、横手から声をかけられ、アカツキは身体ごと振り向いた。 そこには帽子をかぶった中年の男性がいた。 気立てのいい服も、くたびれて品格を失っている。 どこか疲れきった表情が、普通の中年男性と呼ぶことを躊躇わせる。 腰にモンスターボールがある辺り、トレーナーなのだろうが、ボールが目に入らないくらい、服装がくたびれて見えた。 まあ、そんなことをいちいち気にしている暇はない。 「あの、壊されたって……?」 「橋をつなぎとめていた二本の木の柱だけが残っている状態だ。 橋本体はバラバラに壊されて下流に流れていったよ。 これじゃあ渡るのは無理そうだ。私はそれで足止めされてるんだよ。 渡ろうとはしたんだけど、どうにも危なくて」 「危ないって……変な魚でもいるんですか?」 「サメハダーっていうポケモンは知っているかい?」 「う……」 男性の問いに、アカツキは小さく呻いた。 サメハダーというと、ハッキリ言っていい思い出のないポケモンである。 いつかどこかで、ワカシャモがハイドロポンプ一発でノックアウトされたのだ。 できれば出会いたくないポケモンの一体に数えられている。 アカツキの嫌そうな表情をイエスと判断したらしく、男性は続けた。 「どういうわけか、サメハダーが集団でやってきて橋をバラバラに壊してしまったのさ。 おかげで、空飛ぶポケモンがいなきゃ渡ることなんてできない状態だ」 「そうなんですか……」 橋はなくなったのではなく、壊されていたのだ。 こうなったら、渡るに渡れない。 男性の言うとおり、空を飛べるポケモンがいなければサメハダーの餌食になるだけだ。 「でも、ぼくにはエアームドがいるし……」 アカツキは腰のモンスターボールをつかんだ。 「エアームド、出てきて!!」 軽く上に投げ放つと、ボールからエアームドが飛び出してきた!! エアームドさえいれば、対岸へ行くことができる。 「君は空を飛べるポケモンを持っていたのか」 「え、まあ……」 驚いたように、エアームドとアカツキを交互に見る男性。 彼の視線が気になるらしく、エアームドは視線を泳がせていた。 「頼む!! 君のエアームドをしばらく貸してくれないか!?」 「ええっ!?」 いきなり手をとってそんなことを言われたので、アカツキはビックリしてしまった。 見ず知らずの男性にいきなりエアームドを貸してくれと言われても、はいそうですかと貸せるはずがない。 どうすればいいか分からず戸惑っていると、 「私はカイナシティに住んでいるのだが……」 頼まれてもいないのに事情説明など始めたではないか。 仕方なく、アカツキは黙って耳を傾けることにした。 無視するのもなんとなくかわいそうだったから。 「私の可愛い可愛い孫が、孫が……うう……」 「あ、あの……」 今度は泣き出した。 一体何がなんだか分からない。 「孫が病気になって、それでカイナシティに戻ろうとしたらこんな風になっていて…… 何度か川を渡ろうと試したんだけども、私の手持ちのポケモンは全員戦闘不能になって…… どうしようもなくなっていたというわけなんだ」 「病気……」 アカツキは表情を硬くした。 「頼む!! 君のエアームドをしばらく私に貸してくれ!! カイナシティに戻ったらすぐにでも返す!! だから、頼む。このとおりだ!!」 「あ、あの……」 止める間もなく、男性は土下座までしてきたではないか。 これにはもう……何も言えない。 頭の中が真っ白になる。 泣きつかれ、土下座され……しかも相手は中年男性。 何やら事情がありげだし…… 「ぼくのエアームドでよければ……」 アカツキはエアームドを見ながら言った。 どう考えてもエアームドにふたりで乗っていくのは無理そうだ。 エントツ山へ行った時は、子供ふたりということで何とかなったが、今回は大人の男性が相手だ。 これではエアームドも辛かろう。 だから、今回は…… 「エアームド、この人をカイナシティまで運べるかい?」 「それじゃあ……」 男性が顔を上げた。 アカツキは頷いて、 「ぼくのエアームドでよければ貸します。でも、ちゃんと返してくださいね」 「ありがとう!!」 男性はその言葉に感涙などボロボロ流して顔をくしゃくしゃにしながら、何度も礼を言った。 「疑っても始まらないし……」 もしかしたら、男性がポケモンブローカーで、涙ながらに説明した事情も全部嘘で…… エアームドをさらおうとしているという可能性も皆無ではないのだが、でも、もし事情が本当だったとすれば、一大事だ。 それに、エアームドならきっと大丈夫。 男性よりもエアームドを信じて、貸すことに決めた。 「エアームド。都合のいい話だとは思うけど、お願いできる?」 「キエェェッ!!」 エアームドは翼を広げて首肯した。 承知した、という意思表示だ。 「お孫さんに顔、見せてあげてください。 ぼくは明日の朝までここで待ってますから。 それまでに返してくれれば」 「分かった。ありがとう!!」 男性は重ねて礼を言うと、屈んだエアームドの背中に乗った。 「それじゃあエアームド、頼んだよ!!」 「キエェッ!!」 男性を乗せたエアームドは大きく嘶いて、翼を広げ飛び上がった。 瞬く間に十数メートルまで高度を上げて、川の向こうへと飛び立った!! と、川の中ほどに差し掛かったあたりで―― 「サメハーッ!!」 「ギャオッ!!」 けたたましい鳴き声が聞こえ、刹那、川から凄まじい水柱が立ち昇った!! 「ハイドロポンプ!?」 水柱などではない。 これはハイドロポンプだ!! 「うわわっ!!」 男性の悲鳴が耳に入った。 危うくエアームドにハイドロポンプが直撃するところだった。 それも、一発や二発ではない。 何体ものポケモンが連続でハイドロポンプを放ち続けているのだ!! 「まさか、サメハダー!?」 アカツキはビックリした。 まさか、上空を飛んで川岸へ向かっても、ハイドロポンプで攻撃してくるとは。 だが、ポケモン図鑑を出してポケモンの姿を探すヒマも、戸惑っているヒマもない。 「ぼくにできることは……カエデ、ワカシャモ!!」 躊躇うことなく、アカツキはカエデとワカシャモを出した。 ふたりは川を渡る仲間の危機を本能的に察し、アカツキが指示を出すよりも早く行動に打って出た。 火炎放射でハイドロポンプを相殺する!! ふたりで揃って繰り出したW火炎放射は絶大な威力を誇る。 それはいつかのバトルで証明済みだ。 いくらハイドロポンプでも、これなら確実に相殺できるはず。 アカツキの意図を、すぐさま感じ取れたのだ。 同時に火炎放射を撃ち出す!! エアームドの真下に差し掛かるように、ハイドロポンプを打ち消すためだ。 「エアームド、急いで!!」 いくら火炎放射の威力が絶大でも、延々とハイドロポンプを打ち消せるわけではない。 ここは一刻も早く対岸に渡ってもらうしかない。 ぷすっ、ぷすっ!! 何発かは蒸発させられたものの、気化熱によって炎の熱が奪われつつあり、少しずつハイドロポンプが炎を突き抜け始めた。 エアームドは足元に迫る脅威を感じ取ってか、速度を上げた。 ぶすぶすぶすぶすっ!! 広げた翼スレスレの空間を水の奔流が貫いていく。 もし掠りでもしたら、水中にまっ逆さまだ。 そうなったら間違いなくサメハダーの餌食になるだろう。 触れるだけで傷をつけるという凶悪な『さめはだ』の特性を持ち、凶器となる牙を持ち合わている。 さらに集団となれば、ピラニアの大群がいる川に命綱なしでバンジージャンプするようなものだ。 いや、それよりももっと性質が悪い。 「こんなんで本当にぼくは渡れるのかな……」 辛うじて川を渡りきったエアームドを見てホッとしながらも、不安に駆られた。 サメハダー(らしきポケモン)のハイドロポンプはかなり高い位置にまで到達している。 むしろ、高度を上げる方が危険かもしれない。落ちた時の衝撃で意識を失えばそこで終わりだ。 やがて、エアームドが渡りきったことで獲物を見失ったサメハダーたちはおとなしくなった。 ここはいつからこんな危険な川になったのだろう…… ムロタウンで会う前、ユウキはこの川を渡ったはずだ。 その時は少なくとも今ほどの危険はなかっただろう。 もし危険があれば、ムロタウンで警告してくれただはず。 そういったところではかなり気が利く性格の持ち主なのだ。 迂回路を探そうか…… 正直、そう思い始めていた。 とはいえ、サメハダーがどこまでを縄張りにしているのか分からない以上、この川の上流も下流も渡るのは危険だろう。 しかし、この川を渡らないでキンセツシティに行くには、かなりの遠回りを余儀なくされる。 延々とエアームドに頼り切るわけにもいかないのだから、必要以上に空を飛んで渡るわけにもいかない。 「今日はここで待とう……明日までなら、なんとかなるし」 アカツキはこれ以上考えるのをやめた。 必要以上に考えて疲れるのも本末転倒だし…… エアームドを信じているんだから、それでいいじゃないか。 「今日休む場所を探さなくちゃ」 サメハダーの脅威にさらされずに済む場所といえば、川から少し離れた木立の中が一番だ。 早々に場所の見当をつけ、そこに決める。 「カエデ、ワカシャモ。焚き火をしたいから、木の枝を集めてきてくれる?」 「バクフーンっ」 「シャモぉっ!!」 ふたりは快く承諾してくれた。すぐに焚き火に必要な枝を集めに取りかかる。 アカツキは寝床にすると決めた場所まで歩いていくと、座り込んだ。 リュックを傍に置いて中から缶詰と缶切りを取り出した。 当初は川の魚を釣って、焼き魚にしてみんな一緒に食べようと思ったのだが……そうもいかなくなった。 「サメハダーがいる川に近付くってだけでも危険だもんね。仕方ないか……」 下手に川に近づこうモノなら、ハイドロポンプで攻撃される恐れがある。 超圧縮された水の奔流である、弾けたら痛いなんてものじゃない。 生身の人間がまともに食らったら、大怪我をするだろう。 そんなリスクを負ってまでやる気にはなれない。 自分だけじゃなくて、大切な『家族』たちまで危険にさらすことはできない。 だから、今晩は家から持ってきたわずかばかりの非常食で過ごすしかない。 味も、そんなに悪くはないし……一食だけなら別に構わない。 焼き魚に未練がないわけではないが、危険を天秤にかければ確実に考えは変わる。 必要な分だけ缶のフタを開けたら、器を取り出して盛りつける。 「チルット、アリゲイツ、出てきて!!」 ここで残ったポケモンをみんな外に出す。 「ゲイツ!!」 「チルッ」 アリゲイツはアカツキの隣に座って、チルットは彼の帽子にちょこんと留まった。 ふたりとも、アカツキが盛りつけたポケモンフーズを興味深そうに見つめている。 今すぐにでも食べてしまいたいという気持ちが伝わってきたのだろう。 アカツキはふたりの頭を撫でながら、笑みを浮かべて言った。 「カエデとワカシャモが戻ってくるまで待っててね」 わざわざ木の枝を取りに行ってもらっているのである。 そんなふたりを差し置いて「お先に」と食べるわけにはいかないではないか。 空腹は感じているものの、腹をさすって食欲という虫を黙らせている。 それからほどなく、カエデとワカシャモは戻ってきた。 両手で抱えきれないほどの木の枝を持っているではないか。 短時間でここまで集めてきたのだから、お互い協力し合ったのだろう。 「ありがとう。そこに置いてくれる?」 アカツキが指差したところに、カエデは焚き火をするに十分な量の木の枝を置いてくれた。 残りは近くに置いて、いつでも使えるようにしておいた。 「それじゃあ、ワカシャモ。火の粉で火をつけて」 「シャモっ」 ワカシャモは山々と盛られた木の枝めがけて火の粉を吐き出した!! パチパチと弾けるような音を立てて、木の枝が火をまとった。 小さな火も寄り添い合えばそれなりの大きさになる。 カエデとワカシャモはトレーナーと一緒に焚き火を囲んだ。 「おつかれさま。はい、みんなで食べてね」 アカツキはカエデたちを労うと、ポケモンフーズが盛られた皿を差し出した。 甘い香りの漂うポケモンフーズを見るポケモンたちの目はキラキラ輝いていた。 口を大きく開いて、食べる気満々だ。 「あ、ケンカしちゃダメだよ。 おかわりならまだあるから、落ち着いて食べ……って、もう食べてるよ」 アカツキはさり気なく注意したのだが……言い終えるよりも早く、ポケモンたちは目の前のご馳走にありついていた。 いつの間にか、チルットも帽子から飛び立って、アリゲイツの隣でポケモンフーズを食べている。 「あはは……」 これにはもう笑うしかない。 でも、見ていてとても楽しくなる。 どうしてだろう。 こんな何気ない場面でもそんな風に思えるなんて。 「みんなと一緒にいられるのが幸せだからかな?」 何も特別な日々でなくてもいい。 ありふれた日常の風景で満たされていても幸せを感じられる。 「あーあ、お腹すいたし、ぼくも食べよう」 アカツキもコンビーフを食べることにした。 非常食というとあまり美味しくないというイメージがあるが、意外とそうでもない。 缶切りでフタを開けて、フォークで塩漬けの牛肉を突き刺して口に運ぶ。 確かに塩辛かったが、我慢できないほどではない。 まあ、肉は好きだから、ちょいとシャレの利いたスパイスだと思えば、多少はマシになるというものだ。 缶ひとつで満腹になった。 見た目こそ小さいが、肉というのは総じてカロリーが高めなので、見た目が少量でも腹を満たせるのだ。 あっさりと食べ終え、アカツキは腹をさすった。 足りるかと思ったが、余計な心配だったらしい。 みんなはどうだろう。 気になってポケモンたちの方を見てみると、そちらの方も空っぽになっていた。 さすがに四人だと食べるのが早い。 それも、食欲旺盛なポケモンばかりだ、無理もない。 で、四人揃ってこちらを見ている。 「もっと食べたい」 彼らの視線がそう物語っているのは明白だった。 問うまでもなく彼らの意思表示が伝わってきたので、アカツキは何も言わずにもう一缶開けて、皿に流し込んだ。 再び瞳をキラキラさせて、アカツキが手を引っ込んだタイミングを見計らって食べ始めた。 「よっぽどお腹すいてたんだな…… でも、モンスターボールの中にいるのにお腹ってすくんだ……」 今さらながら、どうしてだろう。そんなことを思ってしまった。 モンスターボールの中にいても、ポケモンが呼吸をしたり、考えごとをしていたり…… 生きていることに変わりはないのだから、それなりに空腹も感じたりする。 目に見えないから、考えられなくなっていたのかもしれない。 「まあ、当然のことだよね……」 ふっと息を漏らし、笑った。 なんでもないことなのに、つまらないと思えない。むしろ、楽しい。 「こういう日がいつまでも続けばいいのにな……」 無理だと分かっていながらも、そんなことを願ってしまう。 「ずっと、一緒にいようね、みんな」 夢中でポケモンフーズを食べているポケモンたちに小さくつぶやきかけた。 アカツキは彼らがうれしそうな顔でポケモンフーズを食べているのを見て、笑みを深めた。 翌日。 木々の間を縫うようにして届いた陽の光に、アカツキは揺り起こされた。 「う……ん……」 小さく呻きながら身を起こす。 焚き火はすでに消えており、炭と化した木の枝が転がっているばかり。 ポケモンたちはアカツキに寄り添うように眠っていた。 トレーナーが起きたのを肌で感じて、ポケモンたちも次々と目を覚ました。 「おはよう、みんな」 「チルッ」 代表して「おはよう」の挨拶を返してくれたのはチルットだった。 脱いで傍に置いてあったアカツキの帽子を逆さにして、その中でチルットは眠っていたのである。 どうにも寝心地が良かったらしく、起きたばかりでもとても元気だ。 帽子の中から飛び出すと、口で帽子の縁をくわえてアカツキの頭にそっとかぶせてくれた。 「ありがとう、チルット」 かぶせてくれたチルットの頭を撫でる。 「さて……みんな、お腹すいてない?」 「バクフーンっ」 「ゲイツ」 訊ねてみると、みんな揃って首を横に振った。 バトルをしていたわけでもなし、昨晩はじっとしていたから、そんなにエネルギーも消費していなかったのだ。 「そう……」 アカツキもお腹はすいていなかったから、朝食は摂らないことにした。 川の向こうにポケモンセンターがあるのだ、川を渡ってからポケモンセンターに立ち寄って昼食にありつけばいい。 「エアームドは……戻ってない……?」 エアームドの姿はどこにもなかった。 空を飛べばカイナシティまでは往復でも半日とかからないはずだ。 戻ってきていないということは、どこかで休んでいるか、それとも…… 「まさか……」 恐ろしい想像が脳裏に浮かぶ。 「そんなことないよ。エアームドはきっと無事。そうに決まってる」 嫌な想像が当たっていなければいいが…… アカツキは頭を打ち振ってその想像を否定し続けた。 植物のように、根の一欠けらでも残っていれば再生するような、途方もない想像。 それでも、気にしないように意識している分だけ救われる。 「カイナシティに急いでいかなきゃ……みんな、エアームドを迎えに行くよ」 「ゲイツ!!」 アカツキはリュックを背負うと、いつものように帽子を前後逆にして、駆け出した。 エアームドのことが心配だから、気が気じゃない。 木立から抜け出して視界に入ったのは、サメハダーが棲む川。 川幅は百メートルほどしかないが、エアームドがいないこの状況では対岸が果てしなく遠く見えた。 「でも……躊躇ってるヒマなんてぼくにはないんだ!!」 自分自身にそう言い聞かせるが、いざその川の前に行くと、足が止まってしまう。 凶暴なサメハダーが大挙して押し寄せてきたら…… それに…… 「この高さから飛び降りたら、音で気付かれちゃうよ」 ポケモンは基本的に人間よりも五感に優れているので、少しでも音を立てれば、その音を聞きつけてやってきてしまう。 この場合、飛び込もうが穏やかに入ろうが大して変わらないような気はしないでもない。 ……が、今のアカツキに少しでも考えるという余裕などなかった。 もしかしたら、エアームドは帰る途中で野生のポケモンに襲われてしまったのかもしれない。 どんなケースであるとしても、心配であることに変わりはない。 「どこかもっと低い場所は……」 アカツキは慌てて、川との高低差が少ない場所を探し始めた。 運良く、川辺に続いているなだらかな坂がすぐに見つかったので、何も考えずに駆け出した。 彼の慌てように、只事ではないと感じていたポケモンたちもそれに続く。 坂を駆け下りて、川べりで立ち止まる。 直線的に少し遠くなってしまったが、三メートルの高低差からいきなり飛び込むよりはマシだ。 どこまで深いかも分からない以上、慎重に行くしかない。 アカツキは靴と靴下を脱いで、リュックに入れた。 「みんな、行くよ……」 唾を飲み下し、押し殺した声で言う。 恐る恐る、水面に足をつけてみる。 少し冷たいが、我慢できないほどではなかったので、ゆっくりと足を浸けていく。 徐々に深さを感じて――腰の辺りで川底に突き当たった。 深さとしてはそれほどではないらしい。 「ワカシャモ、戻って」 アカツキはおもむろに、ワカシャモをモンスターボールに戻した。 というのも、ワカシャモでは身動きが取れないだろうと考えてのことだった。 アカツキよりも背の高いカエデなら多少の動きにくさは感じられるだろうが、動けないほどではないだろう。 アリゲイツは水タイプのポケモンだから、川の中でこそ本領発揮。 チルットはアカツキの帽子に乗っていられるほど軽いし、いざとなれば空を飛ぶこともできる。 というわけで、ワカシャモだけがまともに渡れそうにないと判断して戻した。 トレーナーとしての判断は正しいと言える。 「サメハダーに襲われませんように……」 今さら祈るような気持ちでつぶやく。 「一気に……立ち止まらないように……」 ここはまだ浅いが、中ほどまで行ったらどうなるのか。 それすらも考えず、アカツキは三体のポケモンを引き連れて川を渡り始めた。 じゃばじゃばと、水の流れを掻き分けて進む音が静かな川に響く。 まず間違いなく、サメハダーに聞かれているはずだ。 ならば、立ち止まらないように――一気に渡るしかない。 万が一襲い掛かって来ても、カエデとアリゲイツで迎え撃っている間にチルットに歌ってもらえば、何とかなるだろう。 アカツキはそう思っていた。 急いでいるつもりだったが、普通に歩いているよりもスピードが落ちてしまうのは否めない。 緩やかではあるが、水の抵抗は思いのほか強いものだった。 深さがそれほど変わっていないのが、せめてもの救いかもしれない。 心臓の鼓動が速くなっていくのを意識して、思わず胸に手を当てる。 いつサメハダーに襲われるか分からないという不安が、限りないほどの緊張を引き起こしているのだ。 疲れているわけではないのに息遣いが次第に荒くなっていく。 額にも汗が浮かんでいる。 「大丈夫……きっと大丈夫……」 大丈夫なワケがなかった。 川も中ほどに差しかかったあたりで、やつらはやって来た。 「サメハーッ!!」 「シャークッ!!」 「……!!」 前後、横や斜めから。 数体のサメハダーが水面を割って飛びかかって来た!! 「カエデ、アリゲイツ!! お願い!!」 「バクフーンッ!!」 「ゲイツ、ゲイツ!!」 「チルット、歌って!!」 絶え間なく指示を飛ばしながら、それでも前進は止めない。 止まっていては、サメハダーたちの思う壺だ。 アカツキの考えを感じ取ってか、カエデが前方から飛びかかって来るサメハダーに強烈な炎を浴びせた!! 続いてアリゲイツが左右からのサメハダーの進撃を水鉄砲の連射で食い止める!! ラーラー♪ チルットが甲高い声で歌いだす。 だが―― 「シャークッ!!」 次々にサメハダーが水面から飛び出してきては、久々の獲物を楽しもうと襲いかかって来る!! 「バクフーンッ!!」 「ゲイツ!!」 「アリゲイツ、カエデ!!」 ハイドロポンプの連打を受けるカエデ。 ロケット頭突きをまともに食らって、飛び石のように水面を転がるアリゲイツ。 「まずい……」 アカツキは奥歯を噛みしめた。 いくらなんでも、数が多すぎる。多勢に無勢もいいところだ。 こちらは三体。 対するサメハダーは十数体。どれだけ相手のレベルが低かろうと勝ち目があるとは思えない。 いや、そもそも彼らはレベルが高い。 ハイドロポンプやロケット頭突きなどという、威力の高い技を使ってくるのがその証拠だ。 「バク……フーン……」 苦痛に満ちた顔で、がくりと膝を突くカエデ。 いくら強いポケモンでも、弱点のタイプの最強技を連打で受ければ戦闘不能寸前のダメージを被ってしまう。 チルットの歌は徐々に効果を現し始めているが、それでも間に合わない!! 「シャークッ!!」 水面から飛び出してきた横手のサメハダー(もちろん新手)が、チルットめがけて圧縮された水塊を発射した!! 「うわ、危ない!!」 アカツキは思わず頭を低くした。 「チルッ!?」 突然の攻撃に驚いたチルットは歌を中断せざるを得なかった。 それを好機に、サメハダーたちが一斉に飛びかかってくる。 「ダメだ、勝てない……ぼくはどうすれば……」 あきらめるのが一番嫌いなアカツキでも、これが面白くない状況であることくらい理解できる。 いや、理解できたからこそ、絶望的な状況を覆すだけの切り札を手にできないのだ。 エアームドがいてくれれば……この危機を脱出することはできるだろう。 だが、ないものねだりをしたところで仕方がない。 アリゲイツは水面に浮かんだままピクリとも動かず、ただ下流へと押し流されていく。 カエデはとても痛そうな表情で、立ち上がれそうもない。 チルットも歌うことを中断してしまった。 打つ手立ては……ない。 「みんな、戻って!!」 アカツキにできたのは、傷ついたポケモンたちをモンスターボールに戻すことだけだった。 「これで、みんなは大丈夫……」 アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 どうにもならないと理解できたから、少なくともポケモンの安全を確保できたことに安堵できたのだ。 「どこから喰いちぎられるのかな……」 サメハダーの大群を睨みつけながら、アカツキはそんなことを思った。 もうどうにもならない。 人間の力で、凶暴なサメハダーの群れを退けられる確率など皆無だ。 凶悪で頭もいい。 サメハダーはおよそ海のギャングと呼ばれるに相応しいだけのポケモンなのだ。 サメハダーの鋭い牙が目に入る。 あんなので噛みつく攻撃でもやられれば、人間の脆い体組織などいともたやすく骨まで喰いちぎられてしまうだろう。 「痛いんだろうな……」 どうにもならない。 せめて頭から……痛みなど感じないうちに…… 祈るような気持ちで、アカツキは目を固く閉じた。 「せめて、みんなだけでも……」 最悪の展開が頭をよぎる。 しかし、彼の胸中とは裏腹に、奇跡の女神は微笑んでくれた。 「ジュカイン、ソーラービーム!!」 凛とした声が響く。 刹那―― ずどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!! 大爆発。 耳を劈く爆音。 空気を震わせて伝わってくる衝撃に、アカツキは目を開いた。 まず目に入ったのは、サメハダーたちが宙を舞っている場面だった。 「え……?」 一体何が起こったのだろう。 理解できず、ただ呆然としていると、 「つかまれ!!」 声と共に影が差した。 空を仰ぐと、そこには見知った姿があった。 「エアームド!?」 「キェェッ!!」 驚いて思わず漏らした声に、エアームドは大きく嘶いて応えてみせた。 だが、のんびりしていられるような状況でないことに変わりはない。 ソーラービームから逃れた新手のサメハダーが、アカツキをエサにしようと飛びかかってきたのだ。 迷っているヒマはない。 アカツキは手を伸ばし、エアームドの脚をつかんだ!! 確かな手ごたえ。 それを感じる暇すらなく、エアームドが羽ばたいた。 「エアームド、無事だったんだね!?」 「キエェッ!!」 元気そうなエアームドの様子に、アカツキは先ほどまであきらめの胸中だったことを忘れてしまった。 それくらい、うれしかったのだ。 エアームドが来てくれた。 それがただ純粋にうれしかったのだが、どうにもそのうれしさに浸っていられるだけの余裕はなかった。 「エアームド、頑張って!!」 足元スレスレのところまで飛び跳ねてくるサメハダーから逃れるために、足をじたばたさせる。 だが、エアームドはアカツキがじたばたしているせいで、思うように高度を取れない。 「あわわわわわ……あだっ!!」 サメハダーの身体が膝下を掠めた瞬間、アカツキは突き刺すような痛みを感じた。 気になって見てみると、痛みを感じた箇所が擦り剥けたように赤くただれていたのだ。 「もしかして、『さめはだ』……?」 サメハダーの特性『さめはだ』は、心を許したトレーナー、ポケモン以外の第三者が身体に触れた時に発動する。 文字通りの鮫肌で、相手を傷つけるのだ。 「痛いけど、我慢できないほどじゃないし……」 痛いが、我慢しよう。 エアームドの脚をつかむ手の力を緩めれば、再びサメハダーが狂宴を繰り広げている河の中にまっ逆さまだ。今度は助からないだろう。 「でも、どうしてエアームドが……」 なんとかサメハダーの直接攻撃から逃れると、エアームドは対岸へと方向を変えて飛び出した。 昨日と違って、ハイドロポンプによる追撃はなかった。 一分と経たずに対岸に下ろされると、アカツキはへなへなと力なく座り込んでしまった。 「はあ……」 ため息が漏れる。 危うくサメハダーのエサになるところだった。 本気で死を覚悟していただけに、何とか生き延びることができたという安堵感が倦怠感になって身体を包み込んでいた。 「助かったぁ……ありがとう、エアームド」 「キエッ!!」 エアームドはアカツキのすぐ傍に着地した。 間一髪のところで、助けてくれた。 「でも、一体誰がソーラービームなんて……」 「どうやら無事だったようだな、よかった」 声の主はすぐ横に立っていた。 身体を向けてみる。 「あ……昨日のおじさん……」 「ふむ……」 昨日エアームドを貸してくれと頼み込んできた中年の男性が、装いも新たに立っていたのである。 しかも、すぐ傍には緑のポケモンが。 男性と同じくらいの背丈で、腕には鋭い葉っぱを生やしている。 シッポが南国植物の葉を思わせるあたり、草タイプなのは明白だろう。 「あれ、このポケモン……」 どこかで見たような気がする。 優しい眼差しを注いでいるそのポケモンに、アカツキは図鑑を取り出してセンサーを向けた。 図鑑は水に濡れていたが、防水構造になっている。 「ジュカイン。みつりんポケモン。 ジュプトルの進化形で、キモリの最終進化形。 背中のタネには樹木を元気にする栄養がたくさん詰まっていると言われている。 森の木を大事に育てているポケモンとして名高い」 「そうなんだ……ジュプトルの進化形……」 どことなくジュプトルと似ていると思ったら……進化形だったとは。 「おじさんのジュカインが、ソーラービームを撃ってくれたんですか?」 「そうなるな」 男性は頷いた。 昨日と違って、くたびれた印象は見られない。 むしろ、凛々しくさえ見えてくる。 「間一髪で間に合ってよかったが……どうしてあんな無茶をしたんだ? 君だって昨日見て分かっていたはずだ。あの川にはサメハダーがたくさんいることくらい」 「…………」 怒られている……アカツキは無意識にそう悟って、俯いてしまった。 口調こそ穏やかなものの、中身は同じだ。 「それは……」 返す言葉など、あるはずもない。 結局のところ……アカツキはエアームドのことを信じきれなかったのだ。 エアームドが無事でいるということを信じずに、この男性を疑い、そして冷静さを失ってしまった。 その結果が、先ほどの危機的状況だったのだ。 もう少しだけ待っていれば、エアームドは戻ってきてくれた。 それなのに…… 「ぼくはエアームドのこと、ちゃんと信じられなかったんだ……」 すべて自分の責任だ。 アリゲイツを、カエデを――傷つけてしまったのも。 自分が傷つくのならいい。でも、他の人や自分の大切なものを傷つけてしまったのは……嫌だ。 「なぜもう少し待たなかったんだ!! 君はいたずらに君自身と、ポケモンを危険に曝したんだ!! その浅はかな考えで、もし君自身に何かあったら、どうするつもりだった!?」 男性は声を荒げた。 何も言わず、目も合わせようとしない男の子の態度に、頭に血が昇ったのだろう。 後半は声が裏返っていることにも気づいていなかった。 「…………」 言われて当然だ。 だから、アカツキは黙っていた。 彼の言うことは正しく、そして自分は間違っていた。 それだけのこと……でも、それだけのことだからこそ辛い。 「ジューッ……」 荒ぶる男性の気を鎮めたのは、ジュカインだった。 肩に手を置いて、もうこれくらいでいいだろうと、嘶く。 その声で我に返ったのだろう、男性はそれ以上何も言わなかった。 「ごめんなさい……ごめんなさい……」 アカツキはボロボロと涙を流しながら、嗚咽混じりにただ謝ることしかできなかった。 全部自分が悪いのだ、いくら責められたって、謗られたって……それは甘んじて受けるつもりだ。 「謝る相手が違うだろう? エアームドと、君を守るために精一杯戦った君のポケモンたちに謝るべきじゃないのかね?」 「……ごめんね、エアームド。みんな……」 申し訳ない気持ちで、胸が張り裂けそうだった。 涙は拭っても拭っても、とめどなく流れ出てくる。 このまま枯れてしまうのではないかと思えるほどに。 「ともあれ、無事でよかったんだ。これ以上泣くのは止めた方がいいんじゃないか?」 「……」 言われるまでもなく、アカツキはこれ以上泣くつもりなどなかった。 やっとの思いで涙を拭うと、立ち上がろうとして―― 「あいたたた……」 膝下の痛みを思い出してしまった。 「サメハダーの『さめはだ』にやられてしまったのか。どれ、そのまま動かずにじっとしなさい」 元の体勢に戻ったアカツキに、男性は消毒液を塗ったガーゼを当てた。 傷口に消毒液が染みて、表情がゆがむ。 「これくらい、我慢しなきゃ…… ぼくを守ろうとしてくれて、アリゲイツもカエデも、もっと痛い想いをしたんだから。 ぼくだって……」 ポケモンたちの痛みは、自分のそれとは比べ物にならないのだ。 これくらいの痛みに耐えられなくてどうするというのか。 男性は慣れた手つきで傷口に薬を塗って、包帯を巻いてくれた。 「これでよし……しばらくは痛むだろうが、手を触れないように。 ばい菌が入って治るのが遅くなる」 「はい……ありがとうございます」 「立てるかね?」 「あ、はい」 アカツキは足に力を入れて立ち上がった。 ズキズキと痛むが、それは薬が傷口に染み込んでいるからだろう。 そうやって傷を治すのだから、多少の痛みは我慢しなければならない。 「あの……ありがとうございました」 「気にするな。私は私なりに、有望なトレーナーの夢をつぶしたくなかっただけだ。 礼を言うなら、このジュカインに言ってやってくれ」 「ありがとう、ジュカイン。助かったよ」 アカツキが礼を言うと、ジュカインは頷いてみせた。 気にするな、とでも言いたそうな表情だ。 「ところで、お孫さんの病気って?」 「ああ……」 やっと思い出した。 この男性がエアームドを借りて行ったのは、カイナシティにいるという孫が病気にかかってしまったからだとか。 ここにいるということは、少なくともその孫に会ってきた、ということなのだろう。 「少々熱が出ているだけだったよ。 大したことがなくてよかった。私の方こそ礼を言おう。 君のエアームドのおかげで、時間をかけずにカイナシティに行くことができた。 これはお礼だ。受け取っておくれ」 男性が腰に下げているカバンから、オレンジ色の輝きを内に秘める手のひらサイズの石を渡してくれた。 「これは……炎の石?」 「ああ、この間偶然見つけたんだが、私には無用の長物でね。もしよかったら、使ってくれ」 「ありがとう!!」 アカツキはありがたく炎の石をもらうことにした。 とはいえ、炎の石で進化するポケモンが手持ちにいない以上、持っていたところで役に立つようなものではない。 それでも受け取らないわけにはいかないではないか。 「それでは行こうか、ジュカイン」 男性の言葉にジュカインは頷いた。 そして、ふたり揃って背を向ける。 「また会えたらいいな。その時は存分にバトルでもしてみたいものだ」 「負けませんよ」 「楽しみにしている」 男性は手を挙げると、歩き出した。 しばらくして、手を下ろす。 アカツキは彼らの背中が道の向こうに消えるまで、ずっと見つめ続けていた。 不思議な男性だったような気がする。 有望なトレーナーの夢を潰したくないなんて、照れ隠しとしか思えないような言葉を発していたあたりは、特に。 「エアームド。ぼく、キミのこと信じ切れなかった。でも、これからは違うよ。 ちゃんと、信じるから」 「キェェェッ!!」 「うん。でも、ぼくはキミのこと心配だったんだ。それだけは分かって欲しいんだ」 アカツキの言葉に応えるように、エアームドは翼を広げてみせた。 「ありがとう。それじゃあ、行こうか」 アカツキは、少し痛む足を引きずることもなく、歩き出した。 しばらくして、ポケモンセンターが見えてきた。 今日はそこで休もう。 カエデとアリゲイツが、サメハダーとのバトルでダメージを受けてしまったのだ。 ジョーイに頼んで治療してもらわなければならないし、痛む足で歩き続けるのも辛いから。 「あ……」 ポケモンセンターのロビーに差し掛かったあたりで不意に思い出す。 「あの人の名前、聞き忘れてた」 自分の名前も言わなかったが、相手の名前も聞いていなかった。 とてもマヌケなことだったので、笑う気にすらならなかった。 第63話へと続く……