第64話 歓待の雨 -Welcome rain- アカツキは119番道路を北上しながら、ひとつのモンスターボールを手の中で弄んだ。 天に青いドームを仰いで、気分は上々だ。 昨日はいろいろとあって気持ちが不安定になっていたが、今ではすっかり平常心を取りもどしている。 嫌な気持ちにさせた人間の顔が目の前にないだけでも、ずいぶんと慰めになる。 「ヒンバスも元気そうだし……」 モンスターボールに入っているポケモンの姿を思い浮かべ、アカツキはつぶやいた。 キバニアの集団に襲われて傷ついたヒンバスをポケモンセンターに連れて行った。 そこでいろいろとあったものの、ヒンバスはケガこそしていたが、命にかかわるものではなかった。 しかしながら、いったんゲットした以上は、大切に育てて行きたいと思っている。 進化しないから、なんて自分勝手でエゴイズムに満ちあふれた理由で、ゴミのように捨てるようなことだけはしたくない。 どんなポケモンであっても大切に――愛情をもって育てていく。 それがすべてのポケモントレーナーの存在意義であり、使命でもあるのだ。 ポケモンだって生き物で……同じ地球に生きている仲間だ。 だから、一緒に過ごして行きたい。同じ時間を、同じ場所で過ごしたい。 そんなささやかな願いを自分勝手と言う人間ほど、自分勝手なエゴイズムに心を蝕まれているのだ。 「でも、ヒンバスはミロカロスに進化するんだよな……」 いつくしみポケモン・ミロカロス。 どんなポケモンよりも美しい外見の持ち主で、争いを鎮める力を持っているという。 一度目にしたことがあったが、その時は本気で心を奪われてしまったものだ。 そんなポケモンに、進化するのだ。 しかし、それほどのポケモンに進化するとなれば、大変な苦労がかかるだろう。 一番醜いと言われるポケモンから、一番美しいと言われるポケモンへ。 ジャンプアップじゃ利かない、劇的な進化だ。 「できればすぐにでも進化して欲しいけど……」 無論、そんな都合のいい願いが罷り通るほど、ポケモンの世界というのは単純ではないもので…… だからといって、ここで文句のひとつでも並べれば、ヒンバスを捨てた人間と同じに成り下がってしまう。 あいにくと、そこまで落ちぶれるつもりはアカツキにはなかった。 進化すると決めるのはポケモンであり、トレーナーではないのだ。 進化したくないと思っているのなら、無理に進化はさせない。 ポケモンの意志を一番に尊重してやりたいと思っているから。 「今はヒンバスが元気になってくれたことを喜ぼう」 結果として、自分のモンスターボールに入ってくれたヒンバスの回復を喜ぶことにしよう。 これ以上踏ん切りがつかないでいると、せっかく空の青さのように晴れ渡った気分が台無しになる。 左右を林に挟まれた道路はまだまだ続いている。 左手には川が流れており、川底ではキバニアの大群が迷い込む獲物を待ち構えていることだろう。 無論、それはイジメのために行っていることではなく、生存競争という名の戦争なのである。 海のギャングの卵と言われているキバニア。 それは、進化形であるサメハダーが、一体で大型タンカーを解体するほどの力を持っているが故のこと。 海のギャングと恐れられるサメハダーとて、生き物であることに変わりはない。 生きるという行為は自然な流れに基づいたものであり、生きるためには栄養を摂取しなければならない。 その一番のウェイトを占めているのは『食べる』という行為である。 栄養価のあるものを食べるからこそ、生命力を維持することができる。 だから、それがいくら残酷なことでも、容認しなければならない。 生きるための行為なら、誰もそれを責めることはできないのだ。 アカツキが昨日助けたヒンバスも、トレーナーに捨てられてしまったとはいえ、キバニアたちの食糧だったのだ。 結局―― アカツキには見捨てることができなかった。 目の前で起こっている出来事を何もかも容認できるほど強くもなかったし…… たまたま目にしてしまったから、助けないわけにはいかなかったのだ。 もちろん、キバニアたちのことまで責任を持てるわけじゃない。 目の前で襲われているポケモンを助ける。 ただそれだけのつもりだったのだ。 「でも、考えるだけでゾッとするな……」 ポケモンのエサがポケモンである場合もあるのだ。 たとえば、鳥ポケモンであれば、虫ポケモンをエサにすることもある。 それが起因しているのかは分からないが、鳥タイプは虫タイプに対して相性がいい。 『食物連鎖のピラミッド』がそういうところにも幅を利かせているのだろう。 「あーあ、雨降ったりしないかな……」 徐々に雨雲が忍び寄ってくる気分を変えようと空を見上げてみると…… 灰色の雲が左の方から青い空の色と勢力争いを繰り広げているではないか。 それも、徐々に青空の軍勢が灰色の軍勢に圧され始めている。 「って、ホントに降るかも……」 さっきまでは、これはもう完璧なくらいの青空だったのだ。 それが今ではどうか。 あっさりと雲の侵入を許してしまっているではないか。 「どこかいい場所はないのかな……」 探そうと思えばいくらでもある。 道路の脇にある木の下なら、いくらでもあるし、折り重なるような木の葉が雨から守ってくれる。 だが、それではヒンバスがリラックスできない。 同じ水タイプのアリゲイツは水陸両用なので、地面も平気で歩けるのだが…… 哀しいかな、魚ゆえに泳ぐことしかできない。 陸に上がってもじたばたしているばかりで、景色を楽しむどころではない。 なので、八方万事収まる場所というのは、少なくとも今現在見つから―― 「あっ」 あった。 道の先に、小さな湖があった。 「あそこならいいかも……」 アカツキはそこに決めた。 湖なら閉鎖的な場所だから、たくさんのキバニアがいることもない。 「よし、あそこまで、レッツ・ゴー!!」 決めたからには早かった。 嫌な気分を振り払うように駆け出す!! 暖かくもなく、冷たくもない、ちょうどいい温度の風を切って、とても気持ちいい。 おかげで、それほど疲れも感じずに、湖の辺にたどり着くことができた。 ちょうど近くにあった大きな木の下に滑り込む。 と同時に、ぽつぽつと雨が降り始めた。 瞬く間に勢いを増し、辺りはすっかり雨模様……とても道路を歩いていけるような状況ではなくなってしまった。 「ぎりぎりセーフだったねぇ……」 もう少し遅ければ、確実に濡れていた。 服は乾かさなければならないし、それまではパジャマに着替えなければならないし…… 人に見られたらこの上なく恥ずかしいことばかり。 それを避けられただけでも良しとすべきか。 「ここで休んでいこうか……」 空を見上げ、思う。 傘など持って来ていないし、雨を浴び続ければ体温も下がって、風邪を引いてしまうかもしれない。 そんなことになったら本気で本末転倒だ。 休むと決めた以上は、ポケモンたちをモンスターボールから出してあげよう。 モンスターボールもそれなりに居心地はいいらしいのだが、なによりもトレーナーの傍にいるのが一番なのである。 リュックを木に立てかけて、モンスターボールを五つ手にとって、呼びかける。 「みんな、出てきて!!」 トレーナーの声に応え、例外なくモンスターボールの口が開いてポケモンが飛び出してきた!! お行儀よく、アカツキの前に五人横に並んだ。 「えっと、あとはヒンバスだね」 最後にヒンバスを出してやる。 言うまでもないことだが、陸上ではヒンバスは無力に等しい。 水中でもそれは変わらないのだろうが、動けるのと動けないのでは天地ほどの差はあろう。 モンスターボールから出てくると、ヒンバスはアリゲイツの足元でバタバタしているばかり。 「アリゲイツ、ヒンバスと一緒に湖に遊んでくれるかな? キミにしか頼れないんだ。お願いできる?」 「ゲイツ!!」 アリゲイツは拳を振り上げて、首肯した。 足元でバタバタしているヒンバスを優しく抱き上げた。 同じ水ポケモンということで、親近感でも抱いているのだろう。 それはヒンバスも同じようで、バタバタするのをやめた。 彼らを仲間と認めているようだ。 「ゲイツ、ゲイツ!!」 アリゲイツはヒンバスを抱えたまま、意気揚々と湖へとダイビング!! ばしゃーんっ、と大きな水音と飛沫が上がる。 「これなら安心だね」 アカツキはふっ、と息を漏らすと、 「この雨じゃ動けないけど、ゆっくりしようね」 「バクフーンっ」 「チルッ」 ゆっくりするということで、それぞれのポジションへと散っていく。 意外とのんびり屋のエアームドは木の枝に留まると、翼をたたんで休み出した。 ストイックなワカシャモはどんな時にでも鍛錬を怠らない。 速度と威力を兼ねた蹴りを実戦で出せるように、目にも留まらぬスピードで蹴りを繰り出している。 アカツキは腰を下ろすと、木の幹に背中を預けた。 雨が止むまでは、ここから出て行けそうにない。 ならば、この状況を楽しんでみようか。 雨の中、湖で泳ぐアリゲイツを見るのも初めてだし。 「チルッ」 小さく鳴きながら、チルットがアカツキの帽子にちょこんと乗っかった。 どうやら、そこが一番居心地が良いらしい。 トレーナーの傍にいたいということで、意外と甘えん坊なのかもしれない。 で、残ったカエデはというと…… 「バクフーン……」 うっとりとしたような表情で、アカツキの目の前で横になる。 カエデのみならず、バクフーンという種のポケモンは四本足でも二本足でも行動できる。 だから、どっちでも大差ないというのが本当のところだ。 「バク、フーン」 背中から炎を出す。 「あったかい……ありがとう、カエデ」 「バクフーンっ」 その炎がちょうどいい温度だったので、アカツキは暖を取ることにした。 雨が降ると、それだけで周囲の温度が下がるのだ。 その分、身体を暖めておかなければ。 トレーナーの傍にいたいというのはカエデも同じようで…… チームの紅一点だけに、トレーナーが異性だと、そういう気持ちが強いのだろうか。 まあ、トレーナーに懐いているという意味では、これ以上ないほどの絆で結ばれている。 しとしとと雨が降り注ぐ。 と、そこへ―― 「ジグザグぅ……!!」 「ぐぐぅっ!!」 大きな木の下に、滑り込むようにしてやってきたジグザグマ二体。 親子だろうか、大きさとしてはそれくらいの差がある。 ポケモンは個体差が見た目では分からないので、同じ顔に見えて実は血の繋がっていない間柄、ということも珍しくはない。 もっとも、アカツキはそのジグザグマが親子だと思っているようだが…… 「ジグザグマ……?」 木の下にやってくると、ジグザグマは身体を激しく震わせた。 風邪を引かないように、余計な水分を飛ばしているのだ。 「雨宿りしたいのかな?」 わざわざ雨を避けるように木の下にやってきたのだ。 木の葉のドームが雨の浸入を防いでくれている。 他にいい場所が見つからなかったのだろうか。 それとも、大きな木の下がいいと思っていたのか。 どちらにしても…… 「ジグザグぅ……」 小さなジグザグマが身体を震わせ、今にも消えてしまいそうな小さな声を上げた。 いくら水分を飛ばしても、下がった体温が戻るにはかなりの時間がかかるのだろう。 大きなジグザグマが身体をぴたりと寄り添わせるが、それだけでは心許ない。 風邪引いちゃいけないな…… アカツキはそう思い、口を開いた。 「ねえジグザグマ、こっちに来なよ。一緒に暖まろう」 「ぐぐぅ?」 ジグザグマは興味深そうに、つぶらな茶色い瞳を向けてきた。 背中から炎を燃やしているカエデと目が合った。 そこに敵意がないことを知るや否や、二体のジグザグマはあっさりと近寄ってきた。 警戒心が薄いというか、何と言うか…… 「ぐぐーっ」 カエデの傍までやってくると、ジグザグマは気持ちよさそうな顔をして、喜びの声を上げた。 雨に濡れた身体に暖かな炎。 心までも温まりそうな優しい炎に、すっかり警戒心はなくなってしまったようだ。 もしアカツキたちに悪意があったなら、確実に捕まっているだろう。 「キミたち、親子なの?」 「ぐぐーっ」 アカツキが小さなジグザグマの背中をそっと撫でながら言うと、大きなジグザグマが頷いた。 ポケモンは人間が思っている以上に賢く、人間の言葉をある程度なら理解できるのだ。 もちろん、言葉尻を捕らえてということではなく、言葉を発する人間の感情や雰囲気から推測を立てているというだけだが。 小さなジグザグマ――子ジグザグマは身体を丸めて、すっかり寝息を立てていた。 炎が心地よいほどに暖かかったのだろう、安らかな寝顔だ。 「ジグザグマかぁ……」 アカツキにとってジグザグマとは、特別な存在だった。 自分の実力で初めてゲットしたポケモンだったから。 たくさんのバトルを経てマッスグマに進化したものの、カエデとのトレードで、ポケモンブリーダーの少年の手に渡った。 もちろん、今でも未練は残っている。 でも、カエデとの出会いや、今までのことを考えると、後悔だけはしていない。 今頃どうしているだろう? 彼と一緒に旅をして、いろんなものを見ているだろうか。 新しい日々に期待を抱き、想いを馳せているだろうか。 幸せを……感じているだろうか? 子ジグザグマの寝顔が、ゲットしたばかりのジグザグマによく似ていたから、不意にそんなことが頭をよぎった。 カエデは、アカツキと旅をしていて幸せそうだ。 アリゲイツ以上に懐いてきているのがその証拠。 マッスグマもそうであればいいなと思う。 いずれはマッスグマと再会できる日が訪れるのだろうが、それは当分先になるだろう。 マッスグマと再会し、旅に出るということは、それはとりもなおさずカエデとの別れを意味するのである。 マッスグマとカエデ。両方を選ぶことはできない。 どちらかしか選べないのだ。 できるなら、その日が来ないで欲しい。 「考えたくなんて、ないんだけどな……」 誰だってそうだ。 好きな人とは別れたくなどない。 人でなくても、ポケモンでもそれは同じだ。 『家族』として過ごしているポケモンであれば、なおさらだ。離れたくない。 「はあ……ぼく、どうかしてるよなぁ……昨日のこと、まだ引きずってるのかも……」 気にしないつもりでいても、やはり心の奥底では引っかかっているのだ。 海藻が絡み付いたスクリューのように、振りほどけずにいる。 どうにも、嫌なことに限ってはすぐに忘れられそうにないらしい。 それでも時間が解決してくれる。 そう信じて、気長にやっていくのが一番なのだろう。 「ゲイツっ!!」 ばしゃーんっ!! アリゲイツの声と水音が立て続けに聞こえ、アカツキは湖に顔を向けた。 サーカスのイルカよろしく、アリゲイツとヒンバスが揃って水面を割って飛び出してきた!! 「ヒンバス……楽しそう……」 アリゲイツもヒンバスも、楽しそうに見えた。 同じ水タイプと言うことで気が合ったのだろう、とにかく楽しそうだ。 誰からも相手にされないポケモンでも、飛び散る水しぶきを存分に浴びて、とても輝いて見えた。 もちろん、みっともなささえどこかに消えてしまうくらい。 「幸せだって、思っているのかな?」 他愛のない一時。 出会って二日目のポケモンと一緒に湖を泳いでいることに幸せを感じているのなら、助けてよかったと本気で思える。 幸い湖には凶暴な生き物は棲息していないようで、存分に泳ぎまわっているようだ。 「進化なんてしなくても、じゅうぶんステキだよ」 ポケモンはバトルの実力や外見がすべてじゃない。 人間と同じで得手不得手はあるし、バトルが得意じゃないポケモンもいる。 だから、お世辞にも容姿に恵まれているとは言えないようなポケモンだっている。 大切なのは、個性に満ちあふれたポケモンたちとどう接していくか。 仲間として、家族として同じ時間をどう過ごしていくか。どれだけ幸せを感じられるか。 それが大切なんだと、アカツキは子供心に思っていた。 もちろん、それは間違いなんかじゃないと頑なに信じている。 ヒンバスがどれだけ見た目ボロボロだろうと、誰からも見向きすらされなくても……ヒンバスはヒンバスだ。 それ以上でもなければそれ以下でもない。 だから、そのままでいいと思っている。 無理に進化なんてしなくたって、それでいい。 ヒンバスだって一生懸命生きている。 それをみっともないだの、ノロマだの、情けないだの……そんなことを言うようなヤツには、言わせておけばいいのだ。 心の貧しさを覆い隠すために、他人を羨む。妬む。謗る。傷つける。蔑む。 哀しいかな、自分の気持ちを伝えるためにある言葉が、そうやって他人を傷つける。 そんなつまらない言葉でヒンバスが傷ついた時には、優しく接して、守ってやりたい。 みっともないと言われながらも一生懸命生きているヒンバスが傷つく必要などないのだ。 「ヒンバスは、バトルは得意じゃないんだけど……別に、それはそれでいいかな。 フルバトルなんて、ホウエンリーグじゃないとやってないし……」 ヒンバスはバトルに不向きで、それでいて容姿にも恵まれていない。 だけど、それならそれでいい。 いつかその中に秘めた才能が花開く時を信じて、共に生きていくだけだ。 もちろん、不思議な魅力を漂わせたミロカロスに進化してくれたらいいなとは思う。 でも、それを強要することなどできないし、したところで無意味。 進化の時が来るまで、気長にやっていこう。 「幸せなら、それでいいさ」 ポケモンが自分と一緒にいて幸せを感じるならば、それ以上はきっと必要ない。 「さて……」 そろそろ小腹も空いてきた。 お腹は鳴っていないが、胃液が分泌されたのを身体で感じ取る。 リュックからポケモンフーズとコンビーフを取り出した。 おいしそうなポケモンフーズが映ったパッケージか、はたまた人が嗅ぎ取れないほどの微弱な匂いか。 どちらに反応したのかは分からないが、親ジグザグマが鼻を鳴らした。 「チルッ?」 ご飯が食べられるということで、帽子の上のチルットが瞳を輝かせる。 カエデもうれしそうにニコニコしている。 気分が高揚して、炎がいよいよ強く燃え上がった。 「アリゲイツ、ヒンバス!!」 アカツキは湖で疾走するように並んで泳いでいるアリゲイツとヒンバスに呼びかけた。 声が大きかったために、気持ちよく眠っていたエアームドと子ジグザグマ、ワカシャモまで反応を示した。 「ご飯だよ!! 上がってきて!!」 「ゲイツっ!!」 アリゲイツの声が何度も反響する。 ヒンバスを抱えて戻ってくる頃には、アカツキのポケモンたちは器に盛られたポケモンフーズに群がっていた。 とはいえ、ちゃんと行儀は心得ているようで、ちゃんと待っていてくれていた。 ポツンと離れた親子のジグザグマ。 アカツキはそんな彼らにもちゃんと声をかけた。 「ジグザグマ、一緒に食べよう。ね?」 「ぐぐぅ……」 「ぐーっ!!」 親ジグザグマは少々戸惑っていたが、子ジグザグマがポケモンフーズに食らいつくのを見て、輪に入った。 刹那、蜂の巣を突いたように、騒がしくなった。 我先にとポケモンフーズの争奪戦が始まった。 アリゲイツはヒンバスの分も確保しなければならなかったので、とにかく必死だった。 あっという間に、皿は空っぽになった。 「あはは……やっぱりみんなの食欲はすごいよね。待ってて、今持っていくから」 大慌てでリュックからもう一缶取り出して、フタを開けて皿に盛りつけた。 先ほどからまったく食欲の衰えない一同。 アカツキがコンビーフの缶を開けて、食べ始めたところで二杯目も終わってしまった。 「…………」 これには開いた口がふさがらなかった。 いつにも増して食欲旺盛で…… でも、これ以上はねだってこなかった。 食べ終わると、その場で横になる。 トレーナーが食べ終わるのを待っているのだろうか。 急かされたわけではないが、アカツキは少々食べるペースを上げた。 なにぶん塩辛いので、早く食べてしまいたい気持ちが…… 「はぅぅ……」 塩気の強いコンビーフ以外のトッピングがないとなると、さすがにキツイ。 とはいえ、食べ終わってしまったのだから、もはや後の祭り。 ピリピリする舌を犬のように出しながら、塩気が飛んでくれるのを待つ。 「ゲイツゲイツ!!」 そんなアカツキの姿を見て、どういうわけか大爆笑するポケモン一同。 「アリゲイツぅ……何も笑わなくたって……」 本人としてはかなり切実な問題なのだが、ポケモンたちにとっては面白いのだろう。 こんなみっともない姿を見られてしまって、アカツキはただ赤面するばかり。 でも…… 「ヒンバスが笑ってる……」 アリゲイツの腕に抱えられているヒンバスが、こちらを見て笑っている。 みんなと一緒に楽しんでいる。 口の中に充満していた塩辛さも、少しずつ薄れていく。 「こういうのも悪くないってことなのかな」 別に、笑いを取るために犬の真似事をしたのではない。 塩辛くて大変だったから、そうしただけで……でも、そういうのも悪くはない。 誰かに笑顔をあげられるのなら、悪役だって道化師(ピエロ)だっていいのかもしれない。 ヒンバスも、少しはみんなに懐き始めているのかもしれない。 アリゲイツと並んで泳ぐ姿はとても楽しそうだった。 捨てられたという事実があったことなど、意に介さないような、本当に幸せそうな笑顔。 「ぼくにだって、幸せにしてあげられるポケモンがいるんだから…… きっと、それでいいんだよね」 笑顔が幸せと直結するのかは、正直よく分からない。 ただ、この瞬間だけは楽しんでいると思えるのなら、それでいいかもしれないと思った。 塩辛さが抜けたところで、アカツキは周囲を見渡した。 雨はまだ降り続いている。 どうやら、今日はこの木の下で野宿することになりそうだ。 背中から炎を噴き出しているカエデの隣で、アカツキは横になっていた。 夜になって雨が止んで、瞬く星たちのカーテンが空を埋め尽くした。 今さら晴れても、夜である以上、行動するのは危険だ。 身体が休息を必要としている。 いつもと同じようなリズムで行動することを強制し、従わなかった場合にはもれなく報復措置が採られることだろう。 別にそんなのを恐れているわけではない。 トレーナーに寄り添うようにして眠っているポケモンたちを起こしてしまうことの方が、よほど恐ろしい。 起こしたからといって頭から食い殺すようなマネをするわけではない。 せっかく眠っているのに、それをわざわざ妨げてまで先を急ぐ必要がない…… 恐れというよりも、単に無理をしないというだけのことだ。 やはり、今の時間だと、よほど疲れていない限りは眠れそうもない。 リュックから出した時計を見てみると、まだ八時にもなっていかった。 いつもは九時くらいに寝ているので、体内時計がまだ眠る時間でないと告げている。 「ぼくは幸せ者なんだな……こうやってみんなと一緒にいられるんだから」 今さらのように思う。 大切な『家族』と一緒にいられればそれで幸せだということ。 アリゲイツ、ワカシャモ、カエデ、チルット、エアームド、ヒンバス。 親子のジグザグマは雨が止んでも、一向にアカツキたちから離れようとしなかった。 完全に警戒心が解けてしまっているだろうし、暖かなこの場所で、居心地が良すぎて離れられないのかもしれない。 それならそれでいいと思う。 夜が明けて、それぞれの生活に戻れば。 「みんな眠ってる。ぼくだけ眠れないなんて……」 寝ようと思った。 目を閉じた。 でも、眠れない。 胸騒ぎがするわけでも、悪寒が背筋を這い上がっていくわけでもないのに。 ただ眠れない。 気持ちとは裏腹に、身体が言うことを聞いてくれない。 気持ちよりも身体の方がよほど素直なんだろうと思う。 ヒンバスはアリゲイツの腕の中で眠っている。 眠りながらも背中から炎を出し続けているカエデ。 楽しい夢でも見ているのだろうか、顔がにやけている。 「ヒンバスは今までこうやって安らかに眠れたのかな……」 見たところ、落ち着き払った様子で、寝顔も安らかだ。 今のヒンバスは、心に小波ひとつ立てていないのかもしれない。 ゲットされ、信頼していた(であろう)トレーナーからは、「進化しないから」という理由で捨てられ、途方に暮れていただろう。 いつか迎えに来てくれる…… そう思って孤独に耐えていたのは間違いない。 その心があまりにも痛々しい。 想像だけでも十二分に伝わってくる孤独。 そしてキバニアの大群に襲われた。 危うく彼らのエサになっていたであろうところを、アカツキたちが助けた。 自然界の大いなる摂理――弱肉強食。 それを一時的にとはいえ脅かしたのだから、それはそれで許されないことかもしれない。 でも、目の前で苦しんでいるものから目をそらしたり、放っておいて逃げ出すなんてことはできない。 平気でそんなことができるような強さが欲しいわけではないのだから、謗られようと別に構わないのだ。 結果として、ヒンバスは自分と一緒にいる。 同じ時間、同じ場所で、同じ景色を見て生きている。 それだけで十分だと思った。 「やっぱり、助けてよかったんだよね」 恩に着せるつもりなどない。 『家族』の一員として迎え入れると決めた以上は、何があってもそんなことは絶対にさせない。 トレーナーとしてのプライドとか、そんなものじゃない。 『家族』というのは、そういうものではないはずだから。 「ずっと一緒にいようね、ヒンバス」 みっともなくたって、そんなの構わない。 みっともないと言う連中のその心の方がみっともないのだ。 アカツキはヒンバスの身体をそっと撫でた。 確かな温もりと、生命の鼓動が手から腕へ、そして身体へ伝っていく。 それだけで十分すぎた。 心のどこかで巣くっていた何かも、氷解して消えた。 気持ちがすごく楽になって、アカツキはそのまま眠ってしまった。 翌朝。 朝食代わりに周囲で集めた木の実や果実を食べると、出発することにした。 親子のジグザグマとも、お別れの時だ。 「それじゃあ。元気でね」 「ぐぐーっ!!」 「ジグザグぅ……」 子供は元気に鳴いて。親は名残惜しそうに鼻を鳴らして。 それぞれの生活へと戻っていった。 ぴたりと寄り添って木の下から去っていく親子の姿を、アカツキは見えなくなるまでずっと見ていた。 なぜか、目を離せなかった。 「お父さんも、ぼくとそうやって一緒に歩いていてくれたのかな……」 親子のジグザグマの姿が、自分と、生死すら定かでない父親と重なる。 自然とそんなつぶやきが口から飛び出していた。 父親の記憶はほとんどない。 顔も覚えていなければ、名前も…… 母親がいてくれたから、それだけで十分だった。 力強く優しい愛に包まれて、他には何もいらなかった。 なのに、どうしてだろう。 あれから成長しているというのに、無性に父親というものに心惹かれてしまうのは? 気のせいと割り切れない心の揺らぎを見せ付けられた。 「今さら逢ったって……」 愛情なんて抱いてない。 生きているにしても、死んでいるにしても、愛する我が子の前に姿を現さないような父親は父親じゃない。 「ま、いっか」 深く考えないことにした。 霧散していく想いを尻目に、アカツキは身支度を整えた。 あまり向き合っていると、どんどん考えが深刻な方向へと行ってしまいそうな気がしたから。 先ほどから心配そうな顔を向けていたポケモンたちも、いつもの表情が戻ったトレーナーを見てホッとした様子だ。 素知らぬ顔で、心配を隠す。 トレーナーの方が鈍感なものだから、まるで気づいていない。 「ちゃんと晴れてくれたね……」 帽子をいつものように逆さにかぶり、リュックを背負う。 眠気は世界の果てへと追放して。 「さぁ行こう、みんな」 「ゲイツ!!」 「シャモっ!!」 「バクフーンっ!!」 爽やかな気分で、太陽の下へと躍り出る。 新しい一日が始まろうとしていた。 第65話へと続く……