第65話 天気研究所に潜む罠 -Team AQUA- 最近どうしてこんなに雨に縁があるのだろう…… アカツキはそんなことを思いながら、急に降り出した雨から逃れられる場所を探して走り続けた。 道の両脇にはいつの間にか木々が消え、剥き出しの岩肌が目立つようになっていた。 割としっかりした造りのつり橋を慌てず急いで渡って、走る走る。 「あー、もう……昨日といい今日といい、どうしてこんなに雨に降られちゃうんだろ。ホントに、最低だってば……」 雨に濡れていくのを感じ、この境遇を呪う。 が、呪ったところで雨が止んでくれるわけではない。 少なくとも、この近くに雨宿りできる場所はありそうにない。 雨のせいで視界はかなり狭まっているので、意外と近くにあるのかもしれないが…… どちらにしても立ち止まっているヒマなどありはしなかった。 一刻も早く雨宿りできる場所を探して滑り込まなくては。 延々と雨を浴び続ければ体温は下がり、夏風邪を拗らせてしまうかもしれない。 そうなったら旅に支障が出るのは間違いない。 自分の都合でポケモンたちに迷惑をかけたくないと思っていたアカツキは、必死の形相で雨宿りできそうな場所を探した。 昨日、今日と続けて雨に降られ、重く垂れ込める灰色の雲のように気持ちは沈みこんでしまっている。 だが、天気とはそういうものだ。 女性の心のように、時に神様の気まぐれのように様々に移ろい変わる。 平野部よりも、119番道路のような徐々に山間部に差し掛かるような場所では天気もそれなりに変わりやすいのである。 だからといって、今から平野部に下っても仕方がない。 ラジオでもあれば、天気予報を聴くことができたのだろうが…… 仮定形の、それでいて過去形の想像では考えるだけ無駄か。 「このままじゃ風邪引いちゃうかも……」 言葉の結尾を迎えるより早く、くしゃみが飛び出した。 気のせいか、肌で感じる温度が下がっているような…… 今はまだ服が濡れるだけで済んでいるが、もう少し濡れたら身体まで濡れてしまう。 そうなったら風邪は避けられまい。 ホウエンリーグ開催までついに五ヶ月を切った。 大会出場の手続きもあるだろうから、少なくとも開催日である十二月一日の数日前までに、サイユウシティに行く必要がある。 リーグバッジを八つ集めなければならないし、ホウエンリーグで勝ち抜けるくらい、ポケモンを強く育て上げる必要もある。 故に、風邪でノックダウンしているようなヒマはないのだ。 一日、いや、一秒だって無駄にはできない。 兄ハヅキもホウエンリーグに出るのだし、アカツキも出るからには兄に勝ちたいと思っている。 だが、今の力ではそれは不可能。 残りの五ヶ月でどこまでポケモンと自分の力量を高められるか。すべてはそこにかかっている。 だから―― 「風邪なんて引いてられないよ!!」 一心不乱に走り続ける。 水たまりを蹴って、靴下が泥水で汚れるのも構わずに走る。 そんな努力が実を結んだのだろうか、視界の先に大きな建物が見えてきた。 一瞬、幻ではないかと思ったが…… 「あそこなら何とかなるかも!!」 幻であっても、何もしないよりはマシ。 スピードアップしてその建物を目指す。 近づいていくにつれて、輪郭が鮮明になってきた。その上、雨が激しさをいよいよ増していく。 「わーっ!!」 雨が激しく身体を叩く。 まるで小石でも落とされているように、当たると結構痛かったりする。 そんな悪魔のような雨から逃れるべく、やっとの思いで建物の軒先に滑り込む。 「あー、助かったぁ……」 雨が身体を打たなくなって、安堵のため息が漏れる。 服のみならず、身体も結構雨に濡れてしまったが、それでもびしょ濡れというレベルではなかった。 庇が広いので、横になっても雨に濡れる心配がない。 「でも、ここって?」 滑り込むのに必死で、建物の外観などあまり見ていなかった。 一体、この建物は何なのだろうか? 重厚なドアには、獅子をあしらった飾りと、金属製のドアノブ。 左右に押し開くタイプのドアの脇には大きな表札がかかっており、そこには『天気研究所』と書かれていた。 確か、タウンマップにもその名を持つ建物が記されているような気がするのだが…… 「天気研究所……?」 お天気の研究をする場所だろうか。 どう考えてもそれしかありえないのだが、それにしては物音ひとつしない。 降りしきる雨が地面を、建物を、打つ音だけが響いている。 心なしか、霧も出てきて、視界は先ほどに増して狭まっている。 これでは雨が止んでもここから出て行けない。 「しばらくここで休んでいこうか……」 別に、建物に入れなくてもいい。 軒先でも、横になれれば、それだけでも休息になる。 「カエデ、出てきて」 アカツキはカエデをモンスターボールから出した。 ひとりだけ出してくれたのがうれしいのか、カエデは出てくるなりアカツキに頬擦りなどした。 「あはははは……カエデ、くすぐったいってば」 アカツキは声を上げて笑った。 自分より大きなポケモンにじゃれつかれ、押し倒される。 不思議と石畳に叩きつけられる痛みは感じなかった。 カエデが上手に押し倒してくれたからだろうか(どういう意味だ?)。 「あ、あのさ、カエデ……」 さすがにいつまでも笑ってはいられない。 濡れた背中の冷たさが背筋を這い上がり、全身を伝っていったからだ。 トレーナーが困惑した表情になったのに気づき、じゃれ付くのをやめるカエデ。 だが、やりすぎたとは思っていないらしく、顔がニコニコしている。 「背中から炎出して、ぼくをあたためてくれるかい?」 「バクフーンっ」 カエデは喜んでアカツキに背中を向けた。 そして―― ぼぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! 「うわっ!!」 その背中から天を突かんばかりの勢いで炎が燃え上がった!! アカツキは慌てて頭を抱えてうずくまった。 そうでもしなければ間違いなく黒コゲになっているだろう。 彼女の火力はワカシャモをも上回っているのだ、黒コゲじゃ済まないのかも。 「バクフーンっ♪」 ビックリするアカツキを尻目に、カエデは上機嫌だ。 ドッキリカメラに成功した仕掛け人のようだった。 「カーエーデー……」 炎が小さくなったのを確認して、アカツキが腹の底から声を絞り出した。 表情は引きつり、目じりが釣りあがっている。 さすがに今のは笑って済ませられるような冗談ではなかったのだろう。 「バクフーン……」 殺意にも似た怒りを感じ取り、カエデは萎縮した。 甘えも度を越えると相手を怒らせてしまうことがあると、学んだのだろう。 アカツキからは見えないが、申し訳なさそうな表情を浮かべている。 「まあ、黒コゲにならなかったから、いいんだけど……」 ため息混じりにつぶやく。 結果オーライで済ませるのは簡単だ。 無論、簡単に済ませないこともできる。 しかし、カエデもカエデなりに反省しているのだろう。背中の炎が小さくなったのがその証拠。 というわけで、アカツキは怒ることはしなかった。 怒る方も怒られる方も嫌な想いをするのだから、それは最後の手段として取っておいた。 「これからはそんなイタズラしちゃだめだよ?」 「バクフーンっ」 カエデは首肯した。 言い聞かせればちゃんと分かってくれる。 だから、それだけでいい。 アカツキはそれ以上何も言わず、カエデの背中から燃え上がった炎で濡れた服を乾かすのと同時に、身体を暖めた。 「カエデ。キミの背中、とてもあったかいね」 「バクフーン?」 カエデが首だけで振り返ってきた。 鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている。素直に誉められたことが分からないのか。 それとも…… 「身体の芯まで暖まってきそうだもん」 事実、服は瞬く間に乾き、身体も雨に奪われた熱を取りもどしていく。 不思議なものだと思う。 焚火ではこんなにすぐに体温が戻ったりはしないだろう。 身体が熱を帯びているが、暑苦しいとは思わない。 「カエデの炎ってとっても気持ちいいんだね」 さすがに触れるわけにはいかないが、手をかざして暖を取るくらいなら、焚き火よりもよほど気持ちよく感じる。 触れれば熱いのに、少し距離を置くだけで気持ちいい。 「ありがとう、カエデ。 昨日も炎を出し続けてくれてたよね。あれって疲れるんでしょ?」 「バクフーンっ」 カエデは炎を消し、身体ごと振り返ると頷いてみせた。 一晩中、弱めながらも炎を出し続けていたのだ。 眠っていても、それはとても疲れることだろう。 思いのほか疲れが取れず、手加減ができなくなっていたのかもしれない。 「ありがとう、ゆっくり休んでて」 アカツキはカエデをモンスターボールに戻した。 カエデは夜の間ずっと自分たちを暖め続けてくれていたのだ。 だから、ゆっくり休んで欲しい。極力彼女の手を煩わせないようにしなければ…… とはいえ、雨はまだ止みそうにない。 止むどころか、勢いがさらに増しているような……そんな気がしてきた。 アカツキはドアの脇に背中を預け、座り込んだ。 「この雨じゃ、とても出て行けそうにないなぁ……」 気温こそ低くはないが、それでも何もしないというのは意外と辛い。 リュックからタウンマップを出して、位置確認をする。 ヒワマキシティへと続いている119番道路には確かに天気研究所がある。 位置的にはややヒワマキシティ寄りになっているので、半分は踏破したということになる。 「もう少しかな……」 縮尺から測ってみると、118番道路から三分の二くらいになった。 もう少しで六つ目のバッジのあるジムに挑戦できるのだ。 今まで歩いてきた道のりを振り返り、しみじみと思い浮かべる。 「長かったような気もするけど……」 六つ目のバッジ。 ホウエン地方東部における最初のバッジだけに、景気づけという意味でも快勝したい。 簡単なことではないだろうが、その方がやる気になるというものだ。 「でも、今はここでじっとしてなくちゃね」 せっかく暖めた身体を冷やすのはバカのやることだ。 なので、タウンマップを眺めることにした。 ホウエン地方東部でリーグバッジをゲットできる街は三箇所。 今アカツキが向かっているヒワマキシティ、港町ミナモシティから定期船が出ているトクサネシティ。 最後に、四方を海に囲まれた島の街、ルネシティ。 この三つの街は距離的にかなり離れているので、移動だけでかなり時間を取られるだろう。 海に隔たれ、移動手段も限定される。 徒歩など論外だし、定期船に乗るか、エアームドで空を飛ぶか。 あるいは『波乗り』を使えるポケモンの背中に乗って海を行くか……その三つしかない。 「エアームドに乗っていくしかないのかな……」 ポツリつぶやく。 定期船は無料(タダ)じゃない。 移動にお金をかけるのはあまりよくない気がする。 母親からもらった大切なお金だ、なるべく節約しておこう。 次に『波乗り』を使えるポケモンだが、アリゲイツが仮に使えたとしても、あの大きさではアカツキを運ぶことはできない。 ラプラスほどの大きさになればともかく、どう考えても引きずられるような形になってしまうだろう。 となれば、一番いいなと思われるのは、エアームドの背中に乗って颯爽と空を駆けていく、ということになるのだが…… 徒歩と言う選択肢が取り上げられている以上は、そうするしかない。 エアームドに頼りっきりになるのは悪い気がするが、だからといって他の方法を模索するほど時間に余裕があるわけでもない。 「それならそれでいいんだけどさ」 いくら眺めたところで、距離が縮まってくれるわけがない。 見るだけ虚しくなってきたので、タウンマップをリュックにしまった。 「でも……」 ずっと気になっていたことが、疑念に変わった。 静かすぎるのだ。 雨の音と、自分が動く音。 そのふたつしか聞こえない。 中からは物音がしなかった。 研究所というからには機械が動いている音だとか、白衣をまとった研究者が歩き回っている音がして当然なのだが…… 「留守なのかな……」 手近なところに窓があったので、中を覗いてみることにした。 もしかしたら、中で誰かが倒れているかもしれない。 なんて想像だけなら限りないが、杞憂とも言い切れないので、とりあえず―― 「あれ、誰もいないや。この部屋にいないだけかなぁ……?」 部屋にはパソコンや本棚、よく分からない機械が置かれているが、そこに人の姿はなかった。 もちろん、この建物に人がいないという証明にはならないのだから、結局無意味だったわけで。 そういえば、反対側も同じようになっていたから、そっちも見てみよう。 そう思って身体を動かそうとした――その時だった。 ごんっ!! 後頭部に鈍い衝撃を感じて、アカツキはその場に倒れこむ前に意識を失った。 もちろん、一体何が起こったのかも分からなかった。 倒れたアカツキの背後に、上半身裸の男が立っていた。 「まったく……チョロチョロとネズミのように動き回りやがって。 おとなしくしてりゃ、俺もここまでしなくても済んだものを…… 子供というのは本当に理解できない行動を取るものだ」 「だからといって、荒事を起こすのだけは勘弁していただきたいのですけど」 ドアが開き、女性が顔を覗かせた。 空気をふんだんに含んだ茶色の髪は豊かに膨らんでいる。 美貌と品格を漂わせたその女性は、ため息混じりに男と倒れた男の子を見比べながら言った。 「そう言うな。 もしここで我々がやっていることを嗅ぎつけられたら、それだけで破綻しかねない」 「否定はしませんが……まあ、いいでしょう。 ですが、次からは気をつけてくださいね。叱られるのは私なんですから」 「分かった。今回の指揮官はおまえだからな、その言葉には従おう」 「それならば結構です。その男の子を博士と同じ場所に連れて行ってください」 「承知した」 イズミと呼ばれた女の指示に従い、男はアカツキを軽々と担ぎ上げると、建物の中へと入っていった。 ドアが閉められ、何事もなかったように静まり返る。 男はウシオ、女はイズミ。 アクア団の幹部が二人して、天気研究所に陣取っていたのである。 「う……う、ん……?」 冷たい何かが頬に触れたのを感じ、アカツキは呻きながら目を覚ました。 「気がついたかい」 正面に白衣の男性が座っていた。 「ここは……?」 半ばお約束のセリフを口にして、身を起こすが、身体が思うように動かない。 腕と足が動かなかった。 というのも…… 「縛られてる……?」 ロープで腕を含めた上半身と両足が縛られていたのだ。 だから、倒れた状態から目の前にいる男性のように座るまでにいやに時間がかかった。 「一体なんで縛られてるんだろ……それに、ここって……?」 アカツキは周囲を見渡した。 清潔に整えられた部屋で、家具類もどこか高級感が漂っている。 椅子や机、その他の飾りなどを見る分に、来賓を招くための部屋だろう。 次の疑問は、どうして自分が縛られているのか、だった。 「えっと、確か……」 目を閉じて、今までのことを振り返ってみる。 降り出した雨から逃れるように、天気研究所の軒先に滑り込んで、濡れた身体を乾かすべくカエデの炎で暖を取った。 それから、あまりに屋内が静かだったのを不審に思って窓から中を覗き込んだところで…… 「あ……」 思い出した。 鈍い衝撃を感じて、気を失ってしまったのだ。 気がついたのはついさっき。 床の冷たさを知覚したのがきっかけだった。 「あれ、荷物は……?」 あるべきものがないことに気づいて、ハッとする。 リュックとモンスターボールが室内に見当たらないのだ。 「ぼくの荷物、知りませんか?」 アカツキはダメ元で訊いてみた。 自分と同じくロープで縛られている白衣の男性に。 だが、彼は首を横に振った。 「いや、君は縛られた状態でこの部屋に放り込まれた。荷物はなかった」 「そっか……」 どうやら、荷物は別の場所にあるらしい。 放り込まれたという言葉から、誰かに殴り倒されたであろうことが容易に推測できた。 でも、誰かって、誰? 次の疑問が沸いてくる。 眉根を寄せて考え込む男の子の表情を覗き見て、白衣の男性が口を開いた。 「ここは天気研究所の二階。 この研究所には数人の科学者がいるのだが、調査のため皆出払っていて、ここ数日は私一人だった。 恐らくはそこを狙って攻め込んできたのだろう」 「え……?」 何を言われているのか分からず、アカツキは口をぽかんと開けたまま硬直した。 「紹介が遅れたな。 私はシライシ。この天気研究所を国より与り、天気の研究を進めている」 「はあ……ぼくはアカツキっていいます。旅の途中……でした」 自己紹介されたからには、しないわけにはいかない。 どう言おうか迷ったが、結果的に過去形にしてしまった。 ここからどうにかして脱出しなければ、旅を再開させることなどできないだろう。 「そうか……運が悪いとしか言いようがないな。 君をこの部屋に放り込んだ男が言っていた。 ネズミのようにチョロチョロと動き回ったからこんな目に遭うんだと」 「ネズミ……? 室内を覗き込んだことなんでしょうか?」 「恐らくは」 シライシは首を縦に振った。 これはもう可哀想としか言いようがない。 困った顔をあちこちに向けている男の子も、別にネズミの真似事などしていたわけではないだろう。 ただ気になったから室内を覗き込んだだけなのだ。 そんな男の子ですらこうして捕らえてしまうのが連中のやり口なら、並び立てている気高き理念とやらも所詮は戯言か。 「どうにかして、ここから出ないと……」 アカツキは奥歯を強く噛みしめた。 誰がこんなところに放り込んでくれたか知らないが、のんびりしていられるようなヒマはないのだ。 「誰がぼくをこんなところに……?」 「アクア団という名の秘密結社は知っているかい?」 「アクア団……」 アカツキは躊躇いがちに首肯した。 ムロタウンの外れにある石の洞窟、次はエントツ山。 二度もアクア団と名を冠する集団と相見えている。 マグマ団と対立しており、変な理念を掲げ、しかしやっていることは大差ないというセコい連中である。 「この研究所で研究を進めていたポワルンというポケモンを狙ってやってきたようなんだ」 「ポワルン……?」 聞いたことのない名前に、アカツキは首をかしげた。 手元にポケモン図鑑があれば、すぐにでも調べるのに……ご丁寧にも図鑑まで取り上げられてしまったのだ。 「どこをどう勘違いしたのか……」 シライシは嘆くように言った。 「彼らはポワルンを『天気を操るポケモン』と解釈してしまっているんだよ。 ポワルンにそんな力はないのに」 「天気を操る……?」 「そんな力を持つポケモンであれば、誰もが放ってはおかない。 今頃存在していること自体がおかしいだろう。 そんなことにすら気づかないのだから、嘆かわしいことだ」 どうしてこんなことになってしまったのだろう…… 今さらのように嘆いているシライシの言葉から、いくつか分かったことがある。 まず、アクア団がポワルンというポケモンを狙っていること。 そして彼らはまだポワルンを奪取していないこと。 最後に、彼らがまだこの建物にいること。 「でも、それならどうして説明しなかったんですか?」 「したが、ウソをついているだろうと一方的に決め付けられた」 「なるほど……」 素直に信じてはくれなかったということらしい。 それだけ相手にとって都合のいいポケモンだったのか、それとも…… 「しかし、ポワルンは今のところ、やつらの手には渡っていないらしい。 もっとも、渡ったところで何もできないだろうが」 「それでは困るのです。教えていただけますか、シライシ博士」 突如ドアを開けて入ってきたのは、空気をふんだんに含んで膨らませたヘアースタイルの女性だった。 アカツキは彼女に見覚えがあった。 「あなたがポワルンを守りたがっていることは分かります。 真の意味で人類救済を願うのであれば、わたくしがたに協力願えませんか? ポワルンの『天気を操る力』さえあれば、世界を変えることも伊達ではありません」 「何度も言ったはずだ。ポワルンにそんな力はない。 君たちは無駄足を踏んでいるんだ。どうしてそれに気づかない?」 「あなたがつまらない意地を張っているからこそ、そこの男の子まで巻き込んでしまったのではありませんか?」 「な……」 笑みを浮かべた女性――アクア団幹部イズミとは対照的に、シライシは驚愕の表情になった。 皮肉を返されたような気がして、動転の度合いが増す。 「お久しぶりですね。 わたくしのこと、覚えておいでのようで…… ありがたいことだとは思いますが、あの状況でよく無事でいられましたね」 今度はアカツキに話を振ってきた。 笑みはそのままに、世間話でもするような口調で。 彼女からすれば事実その通りなのだろうが、アカツキは眼差しを尖らせた。 「この人もマグマ団と同じだ……だから、信じたりしない」 マグマ団もアクア団も、人類救済などと法螺を吹きながら活動している。 だが、やっていることは他人を傷つけたり、ポケモンを傷つけたりすることだけ。 結局、理念と行動がまったく合っていないのだ。 そんな連中の何を信じろというのか。 そういうことを平気で言えるような連中の頭の中が知れない。 「そろそろ観念しませんか、シライシ博士。 何の罪もないトレーナーの男の子をこれ以上ここに閉じ込めておくつもりですか?」 「閉じ込めているのは君たちの方だろう!! 自分たちのしていることは棚に上げて、人に責任を押し付けるのが、人類救済を謳う集団のやることかね?」 「目的のためなら手段は選びません。 何かを失わずして何かを得ることはできないのです」 非難じみたシライシの言葉など意に介していないかのごとく、イズミは笑みを浮かべたまま返した。 「このまま論じても、お互いに譲れないものがあるようです。 ですがシライシ博士、よくお考えになってください。 我々の理念に共感していただけるのでしたら、我がアクア団本部の、最先端の研究所で存分にご研究いただけるのですが…… そろそろわたくしは失礼いたします。 総帥(リーダー)に報告しなければならないことがありますからね。 今度お会いする時には、いい報せを期待しております。 それでは――」 イズミは悠長に一礼してみせると、部屋を後にしようとドアノブに手をかけて――弾かれたように動きを止めた。 「?」 一体なんだろう? アカツキは訝しげに眉を動かした。 彼女は振り返り、笑みを深めて警告してきた。 「そうそう。逃げ出そうとはしないでくださいね。 一応あなたのポケモンはわたくしどもがお預かりしておりますから。 それと、ここは二階ですので、飛び降りるのは止めた方がよろしいと思います。 もしそうしようとなされば、わたくしたちは少々手荒なこともせねばならなくなりますゆえ……では、また後ほど」 などと軽く言って、部屋を出て行った。 ご丁寧に、外から鍵をかけてくれた。 念には念を入れて……という趣向らしい。全然うれしくはないが。 「ぼくのポケモン、もしかして……」 「人質、だろうな」 シライシは目を伏せて頷いた。 イズミがわざわざポケモンを引き合いに出してきたのは、アカツキに余計な気を起こさせないためだったのである。 確かめるまでもなく分かっていたことだが、彼にまで肯定されると、さすがに嫌になってくる。 逃げ出そうという気が萎えた。 とはいえ、いつまでもこんなところに閉じ込められたままでいるわけにはいかない。 「みんなを助け出せれば、ここを出て行くこともできるかな……?」 ポケモンたちさえ…… 大切な『家族』さえ助けることができれば、シライシを連れてここを出ることくらいならできるかもしれない。 騒ぎを起こしながら逃げれば、誰かが気づいてくれるだろう。 警察に誰かが知らせてくれるだろう。 だから、やるならそうするしかないのだが…… 「ぼくもシライシさんも縛られてる……まずは、これを何とかしないと……」 アカツキは恨めしげな目で、胸元のロープを見つめた。 きつく締められてはいるものの、食い込んで痛むこともない。 ずいぶんと慣れた手つきで縛られたに違いない。 膝下を縛られ、歩くこともできない。 歩くというより、ぴょんぴょん飛び跳ねるような感じで移動するしかないが、何もしないよりはいい。 「おい、何をするつもりだ?」 まずは行動あるのみと判断し、アカツキはシライシが止めるのも聞かずに、小さく飛び跳ねながら窓際まで進んでいった。 「このまま何もしないわけにはいかないよ。 ぼくは早くヒワマキシティまで行かなくちゃ……」 歯を食いしばり、窓に背を預けた。 ロープを断ち切れるだけの刃物は室内に転がっていない。 摩擦で擦り切ることもできそうにない。 恐らくはイズミがそこのところも計算に入れていたのだろう。 だからといって何もせず漫然と助けが来るのを待っていられるほど、我慢強くはないつもりだ。 期待すればするほど、この状況に長く耐えられそうになくて、居ても立ってもいられない。 「何かをしなければいけないという君の気持ちは分かるが、ここを飛び降りるのだけはやめておいた方がいい。 地面からの高さはちょうど五メートル。受け身も取れないような状態では確実に骨折するぞ。 打ち所が悪ければ首の骨を折って死ねる高さだ。やめておけ」 「うわ……」 シライシの警告めいた言葉に窓の外――地面を見てみると、その言葉以上の高さに思えてきた。 雨に濡れてところどころぬかるんでいるが、その分衝撃も軽くなりそうだ。 だが、確かに満足に動けない状態では飛び降りるのは無謀と言う他ない。 「や、やめておこう……」 アカツキは窓に背を預けて、飛び降りるのはあきらめることにした。 足がガタガタ震えてきた。 打ち所が悪ければ死ぬと言われて、それでも飛び降りることを選べるほど、勇気と無謀を履き違えられない。 「でも、なんとかしないと……」 飛び降りる以外の方法を探して、アカツキは改めて室内を見渡した。 使えそうな道具は何一つとしてない。観葉植物に、テーブルにソファ。 くつろぐには十分だが、逃げ出す手助けをしてくれそうなものはない。 「マグマ団もアクア団も同じなんだ。ほっといたらアリゲイツが奪われちゃう……!!」 マグマ団に炎ポケモンを奪われそうになった経験があるだけに、アカツキは焦ってしまった。 対立するふたつの集団の理念こそ人類救済と同じだが、やることも同じ。 ということは、水タイプのポケモンを狙っていたとしても何ら不思議ではないのだ。 手遅れになる前に、何とかここを脱出しなければ。 とはいえ、大げさなことをすればイズミたちに気づかれてしまう。 彼女はれっきとした幹部である、部屋の外に要員を配置していても不思議ではないのだ。 八方塞もいいような状態だった。 「焦るな。何か方法があるはずだ」 「分かってるよ……」 どういう神経をしているのか、こんな時にまで落ち着いた口調で言うシライシ。 そんな彼にアカツキは苛立ちを抱いた。 どうにもならないこともあるが、いい考えが浮かばない自分の頭の悪さに腹が立つ。 何も失うものもないような人間に『焦るな』などと言われたところで、心が落ち着いてくれるはずもない。 どうにかしなければならない。 でもどうにもならない。 だからといってあきらめるわけにもいかない。 永遠に続くかもしれない思考の回廊(めいろ)に迷い込む。 「どうにかしたい、でも、どうすればいいの……?」 道具もない。 あるのは自分の身体だけ。それだけあれば何かできるはずだ。 たとえば…… 振り返り、窓の外に広がる景色を見つめる。 と―― 「……!?」 こちらに向かって歩いてくる人影があった。 「こうなったら……」 やるべきことが明確に見えてきた。 失敗したら状況が悪化するのは間違いない。 とはいえ、このまま待ち続けようと、状況が好転する可能性はないに等しい。 アカツキは覚悟を決めた。 ただの通りすがりか、それともこの研究所に用があるのか。 そんなことはどちらだって構わない。 助かる可能性があるなら、賭けてみたい。 一パーセントの可能性も、信じなければゼロになってしまうのだ。 無駄に握りつぶしてしまう理由もない。 窓に体当たりを食らわせようと、いったん離れる。 「よぉし……」 窓に体当たりして、音を外に響かせるのだ。 そうすれば気づいてくれるかもしれない。 本当なら割ってしまうくらいの勢いがあった方がいいのだろうが、そこまでするとアクア団全員を敵に回してしまう恐れがある。 なので、微妙な感じで、ちょっと弱いくらいで……地面を蹴って駆け出す。 力加減を考えながら、腕から窓に体当たり!! 慎重になりすぎて、音があまり出ない。 「もっと強く……」 もう一度体当たり!! 先ほどより大きな音が出たが、窓を割るにはまだ足りないほどだ。 人影は建物に近づいてくる。それにつれて、その人物の顔がハッキリ見えてきた。 「あ……」 アカツキは思わず体当たりするのをやめて、驚愕に瞳を大きく見開いた。 なんてことだろう…… 「どうした?」 ただならぬ様子を感じ取り、シライシが飛び跳ねながら窓際へやってきた。 アカツキの視線を追って、外を見る。 「何と言うことだ……」 白みがかった髪の男の子の姿を外に認め、嘆くようにつぶやいて首を横に振る。 こちらに向かって歩いてくるのは、紛れもなくユウキだったのである。 第66話へと続く……