第71話 再会、ミナモシティ -Carnival of seaside- 「これで六つ……」 アカツキはポケモンセンターの一室で、ベッドで横になりながら、今までゲットしてきたバッジをしげしげと見つめていた。 同じ部屋で泊まることになったユウキは美術館に行くとかで、ここにはいない。 美術館といえば、よく分からない絵画とか美術品が飾ってあって、とにかく静かな場所だ。 どんな絵画が『名画』なのか、まるで分からないアカツキにとっては、美術館などほとんど行く価値もないので、ここに残ることにした。 「ホウエンリーグに出るにはあとふたつゲットすればいいんだ……」 今まで戦ってきた相手を思い浮かべながら、バッジをひとつひとつケースに戻していく。 カナズミジムのストーンバッジ。 ムロジムのナックルバッジ。 キンセツジムのダイナモバッジ。 フエンジムのヒートバッジ。 トウカジムのバランスバッジ。 そして、ヒワマキジムのフェザーバッジ。 ホウエンリーグに出るのに必要なバッジは残り二つ。 二つのバッジを管理しているのは、トクサネシティにあるトクサネジムと、ルネシティのルネジムだ。 両方とも海を隔てた島にあるので、このミナモシティから定期船に乗らなければならない。 そう、アカツキとユウキはホウエン地方の東の玄関口であるミナモシティにまでやってきていたのである。 ヒワマキシティから四日で到着したが、その間は大きなトラブルもなかった。 ミナモシティはホウエン地方東部の玄関口として知られる、様々な施設が整った港町。 トクサネシティ、ルネシティ、サイユウシティ、カイナシティと、四つの都市を結ぶ定期船が一日に数便運航されている。 とりあえず今日はこのポケモンセンターで一泊して、明日、トクサネシティ行きの定期船に乗ろうと思っている。 「ユウキってば、どうして美術館なんかに行ったんだろう……?」 バッジケースをリュックにしまうと、アカツキはベッドの上をゴロゴロ転がりながら、窓の外を見つめた。 港町にふさわしく、陽光にきらめいた海が広がっているのが見える。 空にはキャモメやペリッパーなどのポケモンが鳴き声を上げながら飛び交っており、大型船から荷物を降ろす光景が良く見える。 このポケモンセンターは小高い丘の上に建てられており、その立地条件から、全室の窓から果てなく広がる海が見えるのだ。 いわゆるオーシャンビューと言うヤツで、ホテル並の整った施設はなくても、それなりのグレードを感じさせる。 この部屋の窓は東向きで、ずっとずっと向こうにぼんやりと島影のようなものが見て取れる。 あれが島なら、恐らくトクサネシティ。 次のバッジが待っている場所だ。 トクサネジムはマインドバッジ。ルネジムはレインバッジ。 ユウキにそう教えてもらったが、教えられなかったら現地に行くまでバッジの名称も分からなかっただろう。 まあ、それはともかくとして…… 「あんまり外に出るのも嫌なんだよなぁ……」 視線を天井に据えて、アカツキはため息を漏らした。 キンセツシティやミナモシティといった大都市では、下手に動くと迷子になりかねない。 自分ひとりならまだいいが、ユウキが一緒となると、彼に心配をかけるだろうし、恥ずかしい想いもすることになる。 だから、あまり動きたくない。 とはいえ…… 「ヒマだなあ……」 正直な感想が口を突いて出てきた。 ホウエン地方東部の玄関口と言われるミナモシティだが、ポケモンジムはない。 美術館やらポケモンコンテストの会場といった、およそアカツキに縁のないような施設が多かったりする。 ポケモンセンターのロビーで街の地図を見た時に、あんまり面白くないとユウキに愚痴っていたのを思い出す。 「一緒についていったって、絵なんて何がいいんだかぼくには分からないし……見るだけ無駄って感じもするんだよなぁ……」 一日中ここでこうしてノンビリするというのも、意外と辛い。 三十分で飽き飽きしてしまうほどだ。 ヒマなので寝ようかと思って目を閉じても眠れそうにない。 恨めしいことに、眠気は彼方に吹っ飛んでしまった。 「デパートとかって、買うものもないし……」 ミナモシティといえば、ホウエン地方でも有名なミナモデパートがある。 地下は駐車場、地上十階建てで、ありとあらゆるものが揃っていると有名だ。 買い物(ショッピング)なんていう趣味はないので、あまり行く気にもならないのだが…… 「ヒマだし、行こっか」 決めてからは早かった。 特にすることもないのだし、ノンビリするのも辛いから、どうせなら身体を動かした方がいいに決まっている。 リュックを背負い、腰に六つのモンスターボールを差したら帽子をいつものように逆にかぶって、準備完了!! 「あ、そうそう。 ユウキが帰ってきた時ぼくがいなかったらビックリするだろうから、一応メモでも残しておこうっと」 適当に書置きを残して、部屋を後にした。 念のためロビーでジョーイにもミナモデパートに行く旨を伝え、ポケモンセンターを足早に出て行った。 柔らかく吹き付ける風に微かに混じる潮のにおいがとても心地いい。 思わず立ち止まり、眼下に広がる海の景色を一望する。 「わあ……」 部屋から見たのとはまた違う景色に、アカツキは感嘆のつぶやきを漏らした。 雲の合間から降り注ぐ陽光を受けてキラキラ光る海と、汽笛を鳴らしながら行き交う船。 船に付き添う形で滑空しているキャモメ。 およそミシロタウンの小さな港では考えられないような光景に、新鮮味に似たようなものを感じる。 「写真とかに撮れたらいいのにな……」 美しい景色を、形にして残したいとはじめて思った。 今までこんなことを思ったことはなかった。 どうしてだろう、妙に心が弾んだ。 こうも美しい景色を見たことがなかったからだろうか? しかし、生憎とカメラなんてものは持ち合わせていない。 デパートでインスタントカメラを買って戻ってきても、今見た景色とはきっと違うものになっているはずだ。 だとしたら…… 「ぼくが覚えていればいいだけなのかな」 この美しい景色を、ずっとずっと忘れないように目に焼き付けておこう。 もしかしたら、同じ景色は一生見ることができないかもしれないから。 なんて感慨に耽っていると―― 「急げって!!」 「わかってるよ、ちょっとくらい待ってよ!!」 「置いてくぞ!!」 やたらとやかましい声が聞こえ、せっかくのいいムードが台無し。 振り返ると、ポケモンセンターの自動ドアをくぐって、少年がふたり走っていくではないか。 「ミナモデパートでポケモンバトルやってるっていうからさ、早く行かないと……」 「ポケモンバトル……?」 ふたりの少年は気になる一言を残し、街の方へと駆けていった。 図らずも、その先には一段高くなっている区画にミナモデパートがそびえている。 ポケモンセンターに到着した時にはなかった(と思われる)垂れ幕が前面に躍っている。 『本日限り、ポケモンバトル勝ち抜き戦開催!! 優勝者には商品も進呈!! 腕に自信のあるトレーナーの挑戦を待っています!!』 なんてことが書かれていたわけだから、アカツキとしても黙っているばかりではなかった。 「よし、ぼくも参加しよう!!」 海の景色を目に焼き付けると、勢いよく駆け出した。 ミナモデパートへと向かって。 勝ち抜き戦の会場は並々ならぬ熱気に包まれていた。 ミナモデパートの屋上に設けられた特設ステージで、ポケモンバトルが行われているのだ。 観客席はすでに埋め尽くされ、立ち見さえも押し競饅頭しているように窮屈だ。 そんな場所に堂々と足を踏み入れることができたのも、入り口で参加受付を済ませたためだった。 先ほどポケモンバトルのことを教えてくれた少年たちは、しょんぼりと肩を落としているところをすれ違った。 どうやら、散々な結果だったらしい。 「ぼくが次だなんて……どうしたんだろう?」 会場の熱気とは裏腹に、出場選手はあまり多くないらしい。 現在破竹の勢いのトレーナーがいて、挑戦者がそのトレーナーに勝てない状態が続いているのだとか。 おかげで参加しようとやってきたトレーナーも腰が引けて、あっさり帰ってしまう始末。 相手がどんなに強かろうと、戦いもせずに負けを認めるようなことだけはしない…… そんな考え方の持ち主であるアカツキは、もちろん挑戦することを選んだ。 リーグバッジを六つもゲットできたのだし、並の相手には負けないだけの自信はあるつもりだ。 旅を始めて一ヶ月半しか経っていないが、驚くほどバトルの腕が上がったと自覚している。 もちろんそれはトレーナーとしての経験もあるし、それを支えてくれたみんなの実力が一番なのは言うまでもない。 みんなが自分に自信を与えてくれたのだ。 トクサネジムに挑戦する前に、いま一度、自分の実力を測り直すいい機会かもしれない。 「でも、そんなにすごいトレーナーって一体誰なんだろう」 見てみたいとは思うのだが、観客でごった返しているような状態である。 それもどういうわけか大人が多いものだから、背伸びしてもジャンプしても、特設ステージの中が見えてこない。 間を縫って最前列へ行こうかとも考えたが、危険だということでやめておいた。 「ルールは、ポケモン二体のシングルバトル。 入れ替えはダメで、ポケモンが二体とも戦闘不能になるか降参したら負け…… 普通のバトルと全然変わらないや」 ルールを改めて確認してみる。 確かに普通のバトルと変わらない。 と、その時。 わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 一際大きな歓声が会場を満たした。 「え、なになに?」 一体何が起こったのだろう。 アカツキは周囲を見回した。 観客席にいる人まで立ち上がって拍手しているではないか。 「おーっと、ついにリジュ選手のジュプトルは戦闘不能!! これで勝負はつきましたっ!!」 どうやら、勝敗が決したらしい。 「いよいよぼくの番……だね」 胸に手を当て、深呼吸。 ポケモンバトルはいかに相手のペースに惑わされず、マイペースで続けられるかというのが一番重要だ。 選手の通用門から、負けたトレーナーが肩を落としながら歩み出てきた。 黒い服に身を包んで俯いているところを見ると、最悪というくらい落ち込んでいるようにしか思えないが…… 次のトレーナーであるアカツキとすれ違う時に、ポツリと漏らした。 「おまえのような子供に勝てるかどうかは分からんが、やれるだけやってみろよ。それじゃあな」 応援しているのかバカにしているのか分からないようなことを言うと、足早に会場を後にした。 負けた場所にいるのが辛いのは、誰もが同じことだろう。 アカツキは少し大人のトレーナーが自動ドアの向こうに見えなくなるまでずっと見つめていたが、すぐに出番がやってきた。 「これでハルカ選手、九連勝ですっ!! 続いてのトレーナーが本日最後の挑戦者となります!!」 「……え?」 アカツキは耳を疑った。 今なんて言った……? 聞き間違いじゃないかと思うような言葉。 「ハルカ選手って……まさかね」 こんなところに、同じ日に同じ町から旅立ったあの少女がいるはずなど、ないではないか。 無理にそう言い聞かせて納得する。 それは単なる強がりだったが、アカツキはそんなことにも気づかなかった。 「ステージへお願いします」 「わかりました」 係員に促され、アカツキはリジュが出てきた通用門をくぐり、特設のバトルステージへと進み出た。 と―― 両手を腰に当てて、肩幅に足を広げて立っている相手と目が合った。 「あ!!」 左手の人差し指を、ステージに上がったアカツキに突きつけたのは、彼にとって見覚えのある顔だった。 「ハルカ……やっぱりキミだったの!?」 アカツキは鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、胸中でつぶやいた。 縦長のステージの向こう側に立っている少女は、しかしアカツキほど驚いてはいないようだった。 「今日の最後の挑戦者ってキミのことだったんだね。 よーし、頑張っちゃうぞぉっ!!」 元気にはしゃぐ少女。 アカツキはいきなり調子を狂わされた。 彼女にとってそれは計算などではなかったのだろうが、どうにも別の一面を見せられたような気がして、平静を保てない。 「本日最後の挑戦者は、ミシロタウンから遠路遥々旅を続けてきたというトレーナー、アカツキ選手です!! もはやルールなど説明する必要もございませんね? 両者、ポケモンを前へ!!」 アカツキの胸中など知らぬ存ぜぬ実況は、勝手にヒートアップして勝手に進めた。 おかげで、いきなりバトル突入ではないか。 せっかく久しぶりに会ったのだから、少しは積もる話もあるだろうに…… まあ、バトルなのだから、アカツキとしても決して負けるわけにはいかない。 増してや、同じ日に、同じ町から旅立ったライバルなら!! 「久しぶりだけど、どれだけ強くなったかな? あたしだって、負けないぞーっ!! ってなわけで行くわよ、フィール!!」 元気いっぱいに叫ぶと、モンスターボールを投げ放つ!! 着弾と同時に開いたボールからは、麗しき乙女を思わせる可憐なポケモンが飛び出してきたではないか。 「え? 何、このポケモン?」 見たことのないポケモンだけに、すぐにチェック!! 図鑑を引っ張り出して、センサーを向ける。 「サーナイト。ほうようポケモン。 キルリアの進化形で、ラルトスの最終進化形。 未来を予知する能力でトレーナーの危険を察知した時、最大パワーのサイコエネルギーを使うと言われている。 その力は空間を捻じ曲げ、小さなブラックホールを作るほどだと言われている」 「そんなポケモンがいるの……?」 説明を聞いて、アカツキは唖然とした。 空間を捻じ曲げる…… なんてあっさりと説明してくれたが、それがとんでもないことくらいはさすがに知っている。 そんな力を持つポケモンを、ハルカは一番手に据えたのだ。 アカツキよりも少し背の高いサーナイト――ニックネームはどうやら『フィール(feel/感じる)』らしい。 カールした緑色の髪で片目が隠れていて、もう片方の赤い瞳が妖艶な雰囲気をかもし出している。 胸元には赤いリボンのようなものが覗き、純白のドレスを思わせるヒラヒラが足元まで伸びていて、とにかくか細い脚が見え隠れ。 後ろ姿だけなら本気で乙女に見えてしまうポケモンだが、油断は禁物。 タイプはエスパーだから、相手の動きを止めて操ってしまうサイコキネシスも使ってくるはず。 「前に戦った時はキルリアだったから、あれから進化したんだな。 あの時はジグザグマを盾にしたけど、今回はシングルバトルだからそれは通用しない。 でも、サイコキネシスを出させちゃいけないんだろうけど……」 アカツキは慎重にポケモンを選定した。 まず、ワカシャモは除外。 ただでさえエスパータイプと相性の悪い格闘タイプなので、サイコウェーブでも一発食らえば即ノックアウトされかねない。 何しろ相手は最終進化形である。バシャーモともなれば、少しはマシに戦えるのだろうが…… アリゲイツ、チルットは少々パワー不足ということで今回はお休み。 となると、残るはエアームド、カエデ、ミロカロスの三体。 「誰でもいいような気がするんだけど……」 当人が耳にしたら憤慨しそうなセリフを胸中でポツリつぶやく。 この際、単純にパワーだけで考えてみようか。 下手に悩むよりは、スパッと居合い切りでもするようにさっさと決めた方がいいのかもしれない。 ステージの反対側で腕組みなどしながらこちらの出方を窺っているハルカを待たせるのも興ざめだ。 「カエデ、君に決めたよ!!」 一番の大黒柱に決めた。 目には目を、最終進化形には最終進化形を。 アカツキのポケモンの中で一番パワーのあるカエデなら、サーナイトに勝てるかもしれない。 電光石火も使えるから、サイコキネシスを発動される前に先制することもできるはずだ。 ボールを投げ放つ!! 聞き慣れない名前に、ハルカが眉をひそめる。 もしかしたら、ポケモンの種族名でなく、ニックネームと気づいたのかもしれない。 ボールは最高点で口を開き、トレーナーの意志に応えるかのようにポケモンを放出した。 「バクフーンっ!!」 出てくるなり、カエデは空を仰いで大音響で嘶いた!! 会場の半数の人間があまりの声の大きさに耳を塞いでしまったのは言うまでもないことだが、相手は違った。 一転、真剣な表情へと変わる。 バクフーン――その前身であるヒノアラシはジョウト地方に生息しているポケモンだ。 ハルカの出身はワカバタウン。ジョウト地方に位置している。 となれば、バクフーンのことも知っているのかもしれない。 油断できるような相手ではないということも。 「バクフーンなんて……ジョウト地方のポケモンなのに……」 背中から天を突かんばかりに燃え上がる炎を、顔をしかめながら見つめ、ハルカは小さくつぶやいていた。 まるで、その熱気にやられてしまったかのようだが、気圧されているのは確かだ。 「お互いのポケモンが揃いましたので、バトル・スタート!!」 実況が戦いの火蓋を切って落とす!! 刹那。 「フィール、サイコキネシスよ!!」 「カエデ、電光石火で止めて!!」 ハルカの『サイコキネシス』の言葉に反応し、アカツキはサーナイト――フィールを指差しながらカエデに指示を下した。 サイコキネシスの恐ろしさは以前に嫌というほど味わっている。 ゆえに、発動させてはならない技だと思っているのだ。 フィールが動作に入るその前に、カエデが駆け出した!! 人間の大人ほどはあろうかという体躯をまるで感じさせないような俊敏さで、一気にフィールの懐へと飛び込んだ!! 「速いっ!!」 ハルカは驚愕に顔を引きつらせた。 サイコキネシスでいきなり大打撃を与えてやろうと思っていたが、さすがにそう容易くは行かなかった。 カエデの電光石火によっていきなりフィールは吹き飛ばされてしまったのだ。 「フィール、サイコキネシスがダメなら、いちゃもんをつけて!!」 地面を吹き掃除しながらもゆらゆらと起き上がったフィールは、カエデに向かって声を上げた。 「るぅぅっ、るぅぅぅっ!!」 威嚇しているようにも思えるのだが、声音が高すぎて、そうとは聞こえない。 しかし、アカツキは『いちゃもん』という技の効果も嫌というほど知っている。 同じ技が立て続けに出せなくなる。 クッションに別の技を入れなければ使えないのだから、結構不便することが多い。 だが、今回はそんな技に引っかかるつもりなどない。 もともと、こうするつもりだったからだ。 「カエデ、火炎放射!!」 「待ってたわよ、念力!!」 電光石火が使えないということで、得意の炎攻撃に切り替えてくることを読んでいたのだろう、ハルカの指示は素早かった。 そして、フィールの行動も。 カエデが最大出力の火炎放射を撃ち出した!! しかし、フィールが細長い手で虚空を撫でると、眼前にまで迫っていた炎がピタリと突然動きを止めた!! 「念力で止めた!?」 アカツキはハッとした。 今の火炎放射はハルカに読まれていた。 電光石火以外で素早く相手に攻撃を仕掛けられる技は限られている。 そのひとつが火炎放射。 もっとも、わざわざ威力の低い火の粉を指示する必要もないのだから、読まれて当然だ。 読まれている以上は、それに対する返し技も存在するはず。 「フィール、そのまま返して!!」 「るぅぅぅ……」 穏やかな声を出すと、フィールは念力で止めた炎をカエデに向かって撃ち出した!! 威力がそのまま残っているから、同じだけの火炎放射でないと、相殺は難しい。 だが。 「電光石火!!」 「甘いわよ、リフレクター!!」 次の手も読まれていた。 カエデが迫り来る巨大な炎から身を避わし、先ほどと同じスピードでフィールに向かっていく!! 対するフィールはいま一度虚空を手で撫でると、オレンジ色の壁を生み出した。 カエデが勢いよくオレンジ色の壁にぶつかって―― ぱりんっ。 かわいた音を立てて、壁(リフレクター)はいともたやすく砕け散り、姿を消した。 壁によって威力を半分近く殺されたカエデの電光石火がフィールに炸裂!! だが、威力を落としてしまっているため、先ほどのように吹き飛ばすには至らなかった。 かなりの衝撃を受けながらもフィールは辛うじて凌ぎ切り、驚きの表情を浮かべているカエデを見つめて口の端に笑みを浮かべた。 「カエデ、逃げるんだ!!」 アカツキは叫んだ。 ハルカは『いちゃもん』によってこちらの行動を制限し、それに対してもっとも効果的な手段で攻撃を仕掛けてくるつもりだ!! 今ここで火炎放射、という手もあるが、それはやめておいた。念力で止められたら、今度こそ逃げ場がなくなってしまう。 「フィール、サイコウェーブ!!」 カエデが身を翻した瞬間、フィールが技を発動させた。 腕を振り上げると、超念動によって生み出された見えない嵐がフィールを中心に吹き荒れた!! 「ギャフーンッ!!」 中心点のすぐ傍にいたカエデはまともにサイコウェーブを食らい、地面を転がった!! 「次はサイコキネシスで一気に決めちゃうわよ!!」 ハルカの指示に、フィールが超念動の嵐を鎮め、抱擁を求めるように両腕を広げた。 そして、その身体が淡い光を帯びる。 カエデはかなりのダメージを受けながらも立ち上がり―― その瞬間、サイコキネシスが発動した。 「バクッ!?」 カエデの身体にも同じ光が宿り、刹那、身体がまるで動かなくなっていた。 金縛りに遭ったように、指一本動かせない。 「カエデ!!」 「そのまま浮かせて、地面に叩きつけちゃえ!!」 ビシッとカエデを指差し、さらに指示。 フィールは彼女の意向に従って、カエデを五メートルほどの高さまで浮かせると、おもむろに腕を振り下ろす。 突然重力がかかったようにカエデの身体は地面に落下し、激しく叩きつけられた!! そこでサイコキネシスの効果が切れ、二体のポケモンの身体を包んでいた光も消えた。 「これでトドメよ!! フィール、サイケ光線!!」 ハルカの指示を受け、フィールが腕を胸の前で交差させた。 「カエデ、頑張って!!」 「バク、フーン……」 カエデは奥歯を噛みしめると、ゆっくりと立ち上がった。 彼女の瞳に宿っているのは強い怒りと、ここまでやってくれるような相手が目の前にいるという喜びだった。 全力でぶつかれるだけの相手。 好敵手の出現に喜びさえ感じているのだから、本気で天才かもしれない。 「でも、今ならもしかしたら……」 アカツキは一発逆転の道筋を立てられた。 ピンチこそ最大のチャンスなのだ。 ダメージだけで見てみれば、カエデの方がよほど受けている。 フィールの体力がどれほどあるかは分からないが、ほとんど堪えていないように見えるくらいだ。 フィールの腕から色とりどりに輝く光線が撃ち出された。 エスパータイプの技、サイケ光線だ。 それに対し、アカツキはカエデに迷わずこの技を指示した。 「カエデ、火炎放射だぁっ!!」 きっ!! カエデは目を大きく見開くと、口から最大威力の――これが精一杯と思えるほどの火炎放射を撃ち出した!! だが、その威力は先ほどのものとは比較にならないほど強大だった。 目に見えて炎の量が違うのだ。 「まさか、『猛火』の特性が発動したの!?」 これに驚いたのはハルカの方だった。 カエデの特性『猛火』が発動したのだ。 体力が大きく減っている状態だと、炎タイプの技の威力が上がるのだ。 ワカシャモも同じ特性を持っているが、もともとのパワーが違う分、カエデの方が上がる幅も大きい。 カエデの火炎放射とフィールのサイケ光線がぶつかり―― 勝負は一瞬だった。 サイケ光線はあっさりと吹き散らされ、火炎放射がフィールへ向かって突き進んでいく!! フィールは眼前に迫る炎の大きさにただ唖然としているばかり。行動を忘れているかのようだ。 「今なら間に合うわ……」 ハルカはまだ望みを捨てていなかった。 いかに炎が強力でも、それを無効にするだけの手立てが残っている。 「念力で炎を食い止めて!!」 フィールは慌てて念力を発動させるが、次の瞬間、カエデの炎が情け容赦なくフィールを蹂躙した!! 「フィール!!」 ハルカは叫ぶも、手遅れだった。 炎は徹底的にフィールを攻撃していた。 消えた時には、フィールは身体のあちこちを焦がして倒れていた。 どう見ても戦闘不能だった。 「おーっと、一発逆転を狙ったアカツキ選手のバクフーンによる火炎放射が、見事サーナイトをノックアウトだ!!」 実況に呼応するように、観衆もどよめいた。 「……っ、フィール、戻って!!」 ハルカは戦闘不能に陥ったフィールをモンスターボールに戻すと、舌打ちした。 そうしたくなるような気分だった。 「念力は確かに発動してた……間に合わなかったんじゃない」 確かに見た。 フィールの腕が微かに光を帯びるところを。それは念力発動の合図だ。 にもかかわらず、火炎放射を止められなかったのはどういうことか。 少し頭を捻ればすぐにでも分かることだった。 「威力が強すぎたから……だから、念力じゃ止められなかったんだわ」 いくら念力でも、無尽蔵に炎や水、電気を止められるわけではない。 念力よりも強力なエネルギーなら、もちろん止められない。 『猛火』の特性が発動した時点で、エネルギー総量では念力を圧倒的に上回っていたのだ。 だからこそ、念力を突破してフィールを戦闘不能に陥れた。 「やるわね、アカツキ。 こんな強いポケモンを持ってたなんて……それに、ちゃんと使いこなせてる。 信頼関係も強いってことかしら」 ハルカは口の端に笑みを浮かべた。 自分のポケモンがやられたというのに笑みを浮かべていられるのはどうしてか。 アカツキはフィールを倒した実感を一気に失った。 彼女の笑みが、不気味で、何か企んでますという風に映ったのだ。 事実その通りだったのは言うまでもない。 「キミのバクフーン、すごく強いわね。 でも、あたしだってすっごいポケモン持ってるんだよっ!! それを今から見せてあげるから!!」 ハルカは笑みを深めると、次のモンスターボールをつかみ、投げ放つ。 「出番よ、アーミット!!」 放物線を描いたモンスターボールは着弾の寸前に口を開き、カエデに勝るとも劣らない体格のポケモンをフィールドに送り出した。 「ラージっ……!!」 出てくるなりそのポケモンは威嚇するように低い唸り声を上げた。 「このポケモンは……」 「あたしが最初にもらったミズゴロウの最終進化形、ラグラージよ!!」 「ミズゴロウの最終進化形!?」 アカツキは慌てて図鑑で調べてみた。 「ラグラージ。ぬまうおポケモン。ヌマクローの進化形で、ミズゴロウの最終進化形。 一トン以上もある岩でさえ軽々と引っ張りまわすほどのパワーを持つ。 濁った水中ですら透明な水と変わらないほどにクリーンに見渡せる視力が自慢」 「ヌマクローから進化してたんだ……」 四つんばいになっているラグラージ――アーミットを見つめ、アカツキはつぶやいた。 ハルカのミズゴロウはヌマクロー、ラグラージへと進化を果たし、ユウキのキモリもジュカインにまで進化した。 アカツキのアチャモはまだワカシャモで、最終進化形であるバシャーモまではまだ遠い。 「追い抜かれちゃったかな……」 ギュッと拳を握る。 同じ日に旅立ったというのに、差をつけられてしまったらしい。 だからこそ、余計に負けたくないと思う。 アーミットは鮮やかなブルーの全身で、角のようなヒレを頭に二本と、シッポとして生やしている。 オレンジ色の瞳と、同じ色のエラが両頬に伸びており、水中ではこのエラで呼吸をするようだ。 「確か相性は……」 最悪だったような気がする。 アーミットのタイプは水と地面。 炎タイプのカエデとは相性が悪い。 攻撃面では水タイプによって威力を削られるし、防御面では水と地面、両方がカエデには大ダメージになる。 しかし、入れ替えができない以上は、次のポケモンに引き継ぐ前にできる限りのダメージを与えておきたいところだ。 「続いてハルカ選手が繰り出したのは、難攻不落のラグラージだ!! このポケモンに二体立て続けに撃破されたトレーナーは数知れず!! 最後の砦に相応しい、強力なポケモンです!! それではバトルスタート!!」 いろいろと対策を練っているところに、実況がバトルスタートを宣言したものだから、中断せざるを得なくなった。 「アーミット、マッドショット!!」 先制攻撃はまたしてもハルカだった。 相性が有利なのを活かして、一気に押し切ろうという作戦だ。 彼女の指示に、アーミットは口を大きく開くと、泥の塊を剛速球のような勢いで発射した。 「カエデ、電光石火で避けながら攻撃して!!」 アカツキは慌てながらも的確な指示を下した。 カエデが電光石火のごとき勢いで駆け出す!! 「あのマッドショット、ヌマクローの時とは比べ物になってない……いくらカエデでも食らったら終わりだ……」 アカツキは確信していた。 カイナシティの砂浜で戦った時はニックネームではなく、ポケモンの種族名をそのままに、ヌマクローと呼ばれていた。 その時の実力でさえかなりのものだったのだから、今はもう……考えるだけで恐ろしい。 見た目こそ単なる泥のボールだが、着弾したらハイドロポンプのように中身を激しく撒き散らすに違いない。 ダメージを受けているとは思えないような動きで、アーミットに迫るカエデ。 アーミットは鋭い眼光を飛ばしているが、無論カエデはその程度で怯むほどヤワな女の子ではない。 強気で、勝気で、それでいて純愛に燃える炎ポケモンなのだ。 「アーミット、守って!!」 ハルカの指示にアーミットが素早く後ろ足だけで立ち上がり、前足を顔の前で交差させた。 そこへカエデが突っ込み―― ぎんっ!! 固い音がして、カエデの攻撃が弾かれる!! 「守る……ダメージを受けてない!!」 『守る』は、相手の攻撃を完全防御できる代わりに、エネルギーの消費が激しく、立て続けに使うことはできない。 無論、そんなことをするトレーナーなどいるはずもない。 受け止めるだけ受け止めて、そこから反撃に転じるに決まっている。 カエデは軽やかに着地すると、アーミットとの距離を取った。 近すぎては不利と考えているのかもしれない。 「アーミット、ぐらぐら揺らしちゃえ、地震よ!!」 「カエデ、火炎放射!!」 今なら攻撃できる。 地震は避けられない――ならば、攻撃するしかない!! アカツキの指示にカエデが口から強烈な炎を吐き出し、同時にアーミットが地面を大きく揺るがした!! ごぅんっ!! 強烈な揺れがステージを、デパートすらも襲った!! 『うわわわわわっ!!』 観客が突如襲い掛かった揺れに堪えきれず、将棋倒しのように次々と転ぶ中、アカツキは全身の力を足に込めて辛うじて踏ん張った。 「バク!?」 カエデは炎を吐いていたために、地震に対する行動を一切取れなかった。 突如として襲い掛かった縦揺れに、大きく弾き飛ばされる。 「カエデ!!」 受け身など取れるはずもなく、カエデは地面に叩きつけられた。 フィールのサイコキネシスほどの衝撃はないにしろ、無視できるほど弱い勢いでもなかった。 「カエデ、しっかり!!」 その時、カエデの炎がアーミットに襲い掛かった!! 『猛火』の特性によって強化された炎はアーミットにダメージを与えたが、大ダメージと呼ぶには程遠いものだった。 全身を覆う粘膜が、炎の威力を弱めたのだ。 多少は効いたようで、アーミットは思わず仰け反った。 「アーミット、全力でハイドロポンプ!!」 きっ!! ハルカの指示にアーミットは大きく目を見開くと、口から弾丸のような水の塊を吐き出した!! 「カエデ、避けて!!」 あんなの食らったら絶対にオシマイだ。 アカツキは叫んだ。 ただでさえカエデはダメージを受けているのだ。 ハイドロポンプなど食らったら、間違いなく戦闘不能に陥る。 だが、ハイドロポンプの速度は予想以上だった。 カエデが起き上がって避けようと身体を捻った――ちょうどその時だった。 ばしゅぅぅぅぅっ!! 水の塊がカエデに着弾し、凄まじい水圧を撒き散らした!! 「……!!」 カエデの悲鳴は水音によってあっさりかき消される。 「ミロカロスのハイドロポンプと同じくらい……すごい……」 アカツキはハイドロポンプの威力に、カエデをモンスターボールに戻すことすら忘れていた。 アーミットのハイドロポンプは、ミロカロスと同等の威力を有していたのだ。 それだけでもすごいと分かる。 地震で怯ませたところに全力投球のハイドロポンプ。 並のポケモンなら、地震を食らった時点で確実に戦闘不能になっているだろう。 「カエデ、戻って!!」 戦闘不能を宣言されるのを待つまでもない。 今にも消えそうな背中の炎を見れば、カエデが戦えないほどのダメージを受けていることは一目瞭然。 アカツキは慌てて彼女をモンスターボールに戻した。 「カエデ、ごめん。もう少し早く戻してれば……」 カエデの入ったモンスターボールを見つめ、アカツキは悔しげに漏らした。 だが、悔しさに浸っているヒマなどなかった。 「ハルカ選手の難攻不落の砦――ラグラージのハイドロポンプによってアカツキ選手のバクフーンはノックアウト!! お互い残り一体となったこのバトル、アカツキ選手は最後にどのポケモンを出してくるのでしょうか!!」 暗にポケモンを早く出せという風に、アカツキには聞こえていた。 真に受けたわけではないが、ノンビリ決めているだけの時間はなさそうだった。 「炎タイプのワカシャモは出せないし、チルットもパワーが違いすぎる…… アリゲイツはハイドロポンプに耐えられるだろうけど、水タイプの威力じゃとても敵わない……」 先ほどと同じ消去法で、残ったのはエアームドとミロカロス。 エアームドなら地震は食らわないが、そこはハルカも分かっているはずだ。 水タイプの技で攻撃を仕掛けてくるだろう。 ならば、ミロカロスにするのが筋というものか…… 「やっぱりここは……」 アカツキはカエデのモンスターボールを腰に戻し、ミロカロスのモンスターボールを取ろうとした。 ……と、その時だった。 腰の辺りに振動が走った。 携帯のバイブのような、決して強くない揺れの正体は、モンスターボールだった。 ミロカロスのボールではない別のボールがカタカタと音を立てて揺れていたのだ。 「これは……」 以前にも似たようなことがあったような気がする。 それは確か…… その時のことを思い出すよりも早く、勝手にモンスターボールの口が開いて、ポケモンが飛び出してきた!! 「ワカシャモ、どうして……」 飛び出してきたのはワカシャモだった。 そう。 カイナシティの砂浜を散歩していた時……ヌマクローの存在に気づいたワカシャモはモンスターボールから勝手に出てきたのだ。 そのヌマクローが、オダマキ博士の研究所で、旅立つまで一緒に遊んでいたミズゴロウだと知って。 もしかすると、今回も…… 「シャモぉぉぉぉっ!!」 ワカシャモはアーミットの姿を見るなり、けたたましい鳴き声を上げた!! 『あわわわわわっ!!』 地震が収まり、ようやっと立ち上がった観客は、今度はワカシャモの鳴き声に襲われて耳を塞いだ。 「ワカシャモ……久しぶりね。 でも、バトルはバトル。力なんて抜かないわ」 ハルカは小さくつぶやいた。 カイナシティで戦った時と、ワカシャモはまるで変わっていない。 ただ―― 「闘志満々ってカンジ……」 あの時のワカシャモはヌマクローとじゃれ合っていたが、今回はそうではない。 闘志むき出しの瞳をアーミットに向けている。 「ワカシャモ、どうしたの? いきなり飛び出したりして……」 アカツキが理由を問いただすと、ワカシャモは無言で振り返り、トレーナーの顔を見上げた。 強い意志が滲む赤い瞳に見つめられ――なんとなく、アカツキは理解した。 「おじさんの研究所で一緒にいたミズゴロウだから……戦いたいのかい?」 「シャモっ!!」 ワカシャモは首を縦に振った。 ここは任せろと言わんばかりの勢いだが…… アカツキは正直迷っていた。 ポケモンの意志を最大限尊重するのがトレーナーだが、いくらなんでも相性が悪すぎる。 カエデですら倒されているのだ。 ワカシャモが勝つためにはいかに相手の攻撃を避けながらダメージを与えていくか……それが鍵となる。 しかし…… 「できるなら任せたい……けど……」 相性が悪すぎる。 ハイドロポンプを一発でも食らえば即ノックアウト……そんな気がしているのだ。 時にトレーナーはポケモンの意志に反しなければならない時もある。 冷徹な判断をしなければならないこともある。それは分かっている。分かっているつもりだ。 だがそれは、トレーナーがポケモンを完全に信頼しきれていないということを認めることになる。 だから―― 「キミはアーミットと戦いたいから、ボールから出てきたんだよね?」 「シャモっ!!」 「だったら、ぼくは止めないよ」 ――ここでキミを戻すことなんて、ぼくにはできないから。 胸中でそう付け足して、アカツキはワカシャモでアーミットに戦いを挑むことに決めた。 負けるかもしれないが、覚悟はできている。 いや、負けるつもりで戦うわけもない。 戦うからには勝つのだ。 その意気込みと、強い意志を信じたい。 「アカツキ、本気なの? キミだって分かってるでしょ。 あたしのアーミットとワカシャモじゃ、相性が悪すぎるよ。 今ならチェンジだってできる。だから……」 「ハルカ……」 彼女が自分をバカにしているわけでないということは重々承知している。 本当にアカツキのことを思って、ポケモンチェンジを薦めているのだ。 でも、アカツキの気持ちは変わらなかった。 「ぼくはワカシャモに決めたよ。 ここで戻したら……ワカシャモに申し訳ないから。負けるつもりでいるわけじゃない。 戦うからには勝つんだ」 「分かったわ」 やれやれ…… そう言いたげに口の端をゆがめると、彼女は真剣な表情に戻った。 アカツキが相応の覚悟を背負っていることを知って、彼女も腹を括ったのだ。 それを上回るだけの覚悟で、ワカシャモを倒すと。 「最後のバトル、そのフィナーレはラグラージ対ワカシャモ!! ラグラージにとって有利となるタイプを選んだアカツキ選手に策はあるのか!? それでは始めましょう、バトルスタート!!」 「ワカシャモ、電光石火!!」 相性の悪いポケモンが相手の場合は手数で攻める。 セオリーどおり、アカツキが先手を取った。 ワカシャモは身体を前に傾け――風のように勢いよく駆け出した。 その動きを冷静に見つめ――アーミットもタイプが有利ということを肌で感じているのか、まるで動じていなかった。 「アーミット、地震よ!!」 ハルカの指示を受け、アーミットが思い切りジャンプ!! どすんと大きな音を立てて着地すると、地面が激しく脈打った。 『わわわわわーっ!!』 再び観客たちはバランスを崩して大転倒。 だが、アカツキとハルカは辛うじて踏ん張る。 そしてワカシャモは―― だんっ!! 揺れが襲いかかる直前に跳び上がる。 鍛えられた足腰を使ったジャンプは優に五メートルを超えた。 地震の不発にハルカは驚いているかと思ったら……逆だった。 口の端に浮かぶ笑みが物語っている。 「引っかかったわね!!」 上から迫り来るワカシャモを指差し、叫んだ。 「狙い撃ちよ、マッドショット!!」 その指示に、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 ハイドロポンプを指示されたらどうしようと思っていたのだが……最強威力の技はぽんぽんと連発できるものではないのだろう。 アーミットが口を開き、泥のボールを撃ち出した。 微妙なカーブラインを描きながら、泥のボールがワカシャモへと突き進む!! 「火炎放射!!」 アカツキは迷わず指示を下した。 ハイドロポンプなら火炎放射でも防ぎきれないが、マッドショットとなれば話は別。 「シャモーっ!!」 ワカシャモは大きく息を吸い込むと、強烈な炎を吐き出した。 炎と泥のボールは小さく音を立ててぶつかり合う!! 泥のボールが炎の中を突き抜けるように進んで―― ぼろっ。 ワカシャモに届く寸前、粉々に砕け散る。 「――えっ!?」 驚いたのはハルカだった。 渾身のマッドショットが、ワカシャモに届かなかったのだ。 炎タイプの弱点である地面タイプの技を、火炎放射で防いでしまった。 フタを開けてみれば簡単なことで、ワカシャモの火炎放射は泥のボールに含まれている水分を完全に飛ばしたのだ。 水分のなくなったボールはただの砂の塊に過ぎない。 炎を浴びて、いともたやすく土塊となって威力を失った。 「ラグ!?」 これにはアーミットも驚いた。 今の一撃に相当の自信があったらしい。 驚きの表情のアーミットに、ワカシャモが鋭い蹴りを繰り出した。 ばんっ!! ワカシャモの脚がアーミットの横っ面に突き刺さる!! さらに身体を捻り、もう片方の脚を反対側の頬に叩きつけた!! 「アーミット!! 大丈夫!?」 ハルカはアーミットの身を案じ、悲鳴にも似た声をかけた。 攻撃に確かな手ごたえを感じたワカシャモは、反撃を避けるべく、いったん距離を取った。 「ワカシャモ、やるじゃない!!」 「シャモっ!!」 これはアカツキも意外に思った。 電光石火のつもりが、マッドショットを打ち崩すべく火炎放射、続いては指示もしていないのに二度蹴り。 あの状況では確かに二度蹴りが一番有効だっただろう。 ワカシャモも、少しは自分で考えて戦えるくらいのレベルに達した、ということだろうか。 「ラァァァァァジッ!!」 突如、アーミットが声を張り上げ、怒りに満ちた目でワカシャモを睨みつけた。 今の痛かったぞーっ、とでも言いたそうに。 かつての親友(?)を見る目とはとても思えなかった。 それでもワカシャモはビックリしたり怖気づいたりはしなかった。 格闘タイプのポケモンらしく、根性が据わっている。 一歩も退かずに睨み返す。 「今の一撃で結構ダメージが行ってる……?」 アーミットの怒りは尋常なものではない。 離れていてもそれがひしひしと伝わるくらいなのだから、相当なものだろう。 ただ、ワカシャモの二度蹴りがアーミットに確かなダメージを与えられたのは間違いない。 炎タイプの技は威力を殺されるが、格闘タイプを主軸にして戦えば、あるいは勝つこともできるかもしれない。 湧き上がったかすかな希望に、アカツキはギュッと拳を握った。 勝てるかもしれない。 もしかしたら…… 「ラグラァァァァァァァァァァァァジッ!!」 アーミットは怒りの咆哮を上げながら、口から超圧縮された水の塊を発射した!! 「アーミット、落ち着いて!!」 ハルカが大声で宥めるも、アーミットの怒りは治まりそうになかった。 トレーナーの指示すらも無視して、怒りに身を任せているのだ。 「ワカシャモ、今がチャンスだよ。もう一度二度蹴り!!」 アカツキはこれを好機と捉えた。 冷静さを失っている今なら、アーミットはハルカの指示を受け付けない。 つまり、トレーナー抜きで戦っているも同然。 そんな状態なら、勝率はさらにアップする。 ワカシャモは水の塊をあっさり避けると、再びアーミットに二度蹴りをお見舞いすべく、駆け出した。 勝てるかもしれない、というトレーナーの明るい気持ちに触れて、心なしか表情にも自信が満ちてきた。 「アーミット、慌てないで!! 冷静に見て!! 相手は炎タイプ、落ち着いて戦えば絶対に勝てるから!!」 ハルカが必死の形相でアーミットの怒りを治めようとするが、上手くいかない。 アーミットは怒りに身を焦がして水の塊を次々と放っている!! 大技の連発で体力の消耗も激しいはずだが、そんなことなどお構いなし。 限界が訪れても自分では気づかないのだろう。 ワカシャモは弾丸のように放たれる水の塊を避けながら、着実にアーミットに迫る!! そして。 「シャモーっ!!」 アーミットの眼前に身を躍らせたワカシャモが、がら空きの腹目がけて廻し蹴りを繰り出そうとして―― にやり。 アーミットの口元が動いた。 「シャモ!?」 アーミットの二本の前脚が、鋭い爪のついたワカシャモの腕をつかんだのだ。 まったく予期しなかったことに、ワカシャモは驚いて攻撃を中断してしまう。 「いいわよアーミット!! そのまま地面に叩きつけちゃいなさい!!」 ハルカはホッとした表情を浮かべた。 アーミットが冷静になってくれたと思っているのだろう。 「ワカシャモ、攻撃して!!」 アカツキの指示が飛び、ワカシャモが再び脚を使って攻撃しようとした。 しかし、そうはさせまいと、アーミットが軽々とワカシャモの身体を持ち上げて、そのまま地面に叩きつけた!! 「シャモぉっ!!」 激しい衝撃に、ワカシャモは悲鳴を上げた。 地面タイプの技ではないが、能力的にカエデに劣るワカシャモにとっては無視できないダメージだ。 アーミットは地面に這いつくばったワカシャモを睨みつけると、後ろ足を振り上げた。 「まさか……」 この状態から地震を放ってくるのか!? アカツキは浮かんだ想像に背筋を凍らせた。 震源地に近い場所で地震を食らったら、そのダメージは計り知れないものとなるだろう。 今のワカシャモがそれを食らったら…… だが、その想像は実行に移されなかった。 アーミットが足を振り下ろす!! 「シャモぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 這いつくばったワカシャモを、アーミットは何のためらいもなく踏み潰したのだ。 「ワカシャモーっ!!」 「な……」 ハルカは声を失った。 アカツキの悲痛な叫び声がフィールドに響く。 「アーミット、どうして……」 信じられなかった。 自分の指示を無視するなんて。 いくらダメージを受けても、今のように言うことを聞かずに攻撃することなど、今までに一度もなかったのだ。 それなのに…… アーミットの怒りはまだ治まっていなかった。 ハルカが「地面に叩きつけろ」と言ったからそうしたわけではない。 たまたまアーミットの考えと合っていたに過ぎなかったのだ。 アーミットはワカシャモを踏み潰しただけでは飽き足らず、何度も足蹴にした。 「ハルカ、もう止めさせて!!」 あまりに凄惨な現状に、アカツキはハルカに訴えた。 ワカシャモは立ち上がろうともがくが、その度アーミットの蹴りでそれを止められる。 何発目になるか忘れた頃、ワカシャモは苦しそうな顔のまま、ぴくりとも動かなくなった。 それでも、アーミットは止まらない。 「アーミット、止めなさい!!」 ハルカは声を大にして言った。 言葉で止められないと悟ると、足元に転がっている石を持ち上げた。大人の手ほどはあろうかという石を、アーミットに投げつける。 ごりっ。 石は狙い違わずアーミットの後頭部に当たった。 すると、動きが止まった。 「ラグ……?」 アーミットは忙しなく周囲を見回した。 一体何が起こったというのか。 知らない場所にひとり放り出されたように、ビックリしている。 視線が足元に移り――気づく。 ぐったりしているワカシャモの顔を見て。 自分が何をしていたのか。 「ワカシャモ、戻って!!」 アカツキはワカシャモをモンスターボールに戻した。 「おーっと、大波乱の末、アカツキ選手のワカシャモが戦闘不能になった!! というわけで、勝者はハルカ選手です! 優勝者には商品としてポケ……」 実況の言葉を待たず、アカツキは身を翻すと、ステージを飛び出した!! 「あ、アカツキ……」 ハルカが止めるヒマもなかった。 「あ、アカツキ選手!! どちらに行かれるのですか!? まだ終わっていませんよーっ!!」 実況の声など、アカツキには届いていなかった。 アーミットに散々にやられたワカシャモをポケモンセンターで回復させなければならない。 ただでさえ戦闘不能に達するほどのダメージを受けていたのに、動かなくなるまでアーミットに足蹴にされたのだ。 下手をすれば命に関わるかもしれない。 そう思うと、居ても立ってもいられなかったのだ。 「エアームド、ぼくをポケモンセンターに連れてって!!」 アカツキはエアームドを出すと、その背に乗ってポケモンセンターを目指した。 その間ずっと抱いていたのは、あんなになるまでワカシャモをモンスターボールに戻せなかった自分自身への苛立ちだった。 アーミットを止められなかったハルカに対する怒りは、不思議なことにあまり湧いてこなかった。 ただ、自分自身だけを責め続けた。 せっかくのポケモンバトルも、虚しい気持ちだけが残り、後味の悪いものになってしまった。 第72話へと続く……