第74話 トクサネシティ -Hometown- トクサネシティのポケモンセンターで、アカツキはジョーイに今晩泊まる旨を伝えると、彼女は快くルームキーを手渡してくれた。 閑散としたロビーはどこか寂しげではあるが、それは仕方のないことだった。 トクサネシティは一個の島で成り立っている町で、単純な広さだけならカナズミシティにも引けを取らないだろう。 ただ、名の知れた施設が、スペースシャトルを宇宙に向けて発射する「宇宙センター」しかないので、観光客が寄り付かない。 ジム戦に訪れるトレーナーくらいしかいないものだから、ポケモンセンターは開店休業もいいところだった。 久々の客(?)ということで、ジョーイはどうやら張り切っているらしい。 そんな彼女に水を差すような形で、アカツキは足早にポケモンセンターを後にした。 部屋を確保できたのだから、わざわざ休む必要もない。 これからジム戦に挑むにあたり、休むというのはやる気を削ぐに等しい行為なのだ。 それに、休まなければならないほど疲れているわけではない。 向かうはトクサネジム。 空からトクサネシティを眺めてジムとポケモンセンターの位置関係は把握しているので、迷うこともないだろう。 万が一分からなくなったら、通行人にでも訊けばいい。 「七つ目のバッジか…… 今度のジムリーダーはどんなポケモンを使ってくるんだろう」 変わらない青空の下を歩きながら、アカツキはジム戦に心を飛ばしていた。 七回目のジム戦。 今まで様々なタイプの長所を活かしたジムリーダーと戦ってきた。 そのいずれもが無駄のない戦略と育て抜かれたポケモンたちだった。 七回目の今回は、どんなタイプのポケモンを繰り出してくるのか。 実に興味深い。 「まあ、どんな相手でも勝たなくちゃいけないんだけれど……」 どんなに考えても分からないと思ったので、適当な言葉で済ませた。 相手が誰であろうと、勝たなければならないのだ。 勝たなければ、ホウエンリーグに出られない。ハルカやハヅキと戦うこともできないのだ。 残るはこのトクサネシティにあるトクサネジムと、南西のルネシティにあるルネジムだ。 その二つを攻略できれば、ホウエンリーグへの挑戦権をゲットできる。 まずはそれだけを考えよう。 そこから先は、ホウエンリーグ開催の地であるサイユウシティに行った後で考えればいい。 下手に考えすぎると、動けなくなりそうだ。 今自分にできることを、最大限の力でやり遂げればいい。 そうすれば必ず道は拓ける。 妥協なんてしていたら、ジム戦に勝利することなんてできないから。 自分と、ポケモンたちの力を信じて戦い抜くこと。 それが今自分にできる精一杯のことだ。 なんてことで息巻いていると、背後から声をかけられた。 「アカツキ君じゃないか?」 「え……」 どこか聞き覚えのある声に、アカツキは足を止め振り返った。 見覚えのある顔が、近づいてきた。 「ダイゴさん……」 白みがかった銀髪を風になびかせ、モデルのような優雅な足取りで歩いてくるのは、紛れもなくダイゴだった。 相変わらずスーツ姿で、両腕に銀の腕輪を填めている。 青年はアカツキの前で足を止めると、朗らかな笑みを浮かべた。 「やっぱりアカツキ君だったね。もしかしたら、と思ったんだけど……元気そうだね」 「はい。ダイゴさんこそお元気そうで……」 「まあね」 頷き、笑みを深める。 エントツ山で会った後も、元気に過ごしていたようだ。 「ジム戦をしに来たのかい?」 「はい」 「ホウエンリーグに出ると言っていたからね……どうだい、順調に進んでいるかい?」 「これで七つ目です」 「そうか。それはよかった」 前途有望な若人が頑張っている姿を見ると、なかなかどうしてこちらまで元気が出てしまうのか。 ダイゴは笑みの裏に不思議な感情を抱いていた。 「あの、ダイゴさん」 「うん?」 アカツキは恐る恐る訊ねた。 「ダイゴさんこそ、どうしてここに?」 「ああ……」 このトクサネシティは、それこそお世辞にも発展した街とは言えない。 町の名前こそシティとついてはいるが、宇宙センターしかめぼしい施設がない。 ジム戦に来るトレーナーか、宇宙センターの関係者くらいしか訪れる人間はいない。 まさか、ダイゴがホウエンリーグに出るとも思えないし――仮に出たとしたら、優勝は確実だろう。 かといって、宇宙センターの関係者とも思えない。 じゃあ、彼はどうしてここにいるのか。 「この町はね、僕の故郷なんだよ」 「え……?」 一瞬、その言葉の意味が分からなかった。 故郷って……? 「本当のことだよ」 マヌケなことに口を開けたままのアカツキに向かって、ダイゴは苦笑を浮かべてみせた。 素直に信じられなくてもそれはそれで仕方のないことだと、割り切っているのかもしれない。 「今でこそ親父がデボンの社長なんてやってるけど……親父も僕も、この町で生まれ育ったんだ。 宇宙センター以外、取り立てて面白いものもない、小さな町だけれど……でも、僕はこういった静かな町並みが好きだな。 君がミシロタウンの閑静さを大切に思っているのと、同じくらいに」 「そうだったんですか……」 自分と同じ気持ちを故郷に対して抱いていると言われ、アカツキはすんなり納得できた。 彼もまた、閑静な故郷を大切に思っているのだ。 「でも、意外そうな顔をしているね」 「え、そうですか?」 「うん。僕がプリムとふたりで飛んでいくのを見て以来だったからね…… 彼女がいないの、そんなに不思議かな?」 「別にそんなことはないですけど……」 アカツキは気まずそうな顔をして、ダイゴから目をそらした。 別に意外そうな顔とは自分では思っていなかったのだが…… しかし、言われてみれば、確かにプリムという金髪の女性と一緒にいないのはどうしてだろう。 彼女はダイゴのことを『さま』をつけて呼んでいたし、彼が王様であるわけでもないのに恭しい態度で接していた。 相当親しい間柄だろうと思っていたから、それが無意識のうちに顔に出ていたのかもしれない。 「ふふ、否定するあたりがどうも本当っぽい」 ダイゴは小さく笑った。 自分にもそういう頃があったので、目の前の男の子の気持ちはよく分かる。 「これからジム戦に行くんだろう?」 「あ、はい」 「この町のジムリーダーは知っているのかな?」 「ジムリーダーですか? いえ、知りません。行けば分かることだと思うんで」 「まあ、そりゃそうか……」 「?」 ダイゴはそれから数秒、何かを考え込むように眉間にシワを寄せ―― 顔を上げた。 「その前に、僕の家に寄っていかないか? いろいろと役立つ話もしてあげられると思うのだけれど……どうだろう? 君のためになる話なら、僕はしてあげたい」 「えっと……」 アカツキは即答しかねた。 ダイゴの申し出は確かにありがたい。 トレーナーとしても、ひとりの人間としても純粋に尊敬できる。 彼の家で、様々な話を聞くということは、多少なりともプラスになることがあるのは間違いないだろう。 だが、今はジム戦に行くのが先ではなかろうか。 なんとなく、そんなことを思う。 次の瞬間に投げかけられた優しいこの言葉がなければ、ジム戦を優先していたのかもしれない。 「見たところ、君はホウエンリーグのこともよく知らないみたいだからね。 少しでも知っているのと知らないのでは大違いだと僕は思っているよ」 「え、そうなんですか?」 「そうだよ。ジム戦をするのに、そんなに意気込まなくてもいいんだよ。 そういうのは、容易にペースを乱される。少しは気分が落ち着くお茶でもご馳走するよ」 「それじゃあ……お願いします」 「オッケー。それじゃあ、ついておいで」 話はまとまり、アカツキはダイゴの後について彼の家に向かうことになった。 ジムとは反対側の方角に彼の家はある。 いざとなればエアームドの背中に乗ってでもジムを目指せばいいのだから、道に迷うかも……なんて余計な心配だったかもしれない。 その道すがら、アカツキは気になっていたことを訊ねてみることにした。 「ダイゴさん。プリムさんって人とはどんな関係なんですか? 結構親しそうでしたけど……」 投げかけた質問に、前を歩くダイゴの肩が微かに動いた。 アカツキはそれを見逃さなかった。 いきなりそれを訊いてくるとは……ダイゴは人知れず苦笑していた。 そういった抜け目のなさはハヅキにそっくりだと思ってしまう。 彼にはいろいろなことを教えたが、同じように後ろを歩く男の子にも教えていくことになるのだろうと思う。 「彼女とは職場の同僚みたいなものだよ。 別に恋愛感情は抱いていない」 「そうなんですか……ごめんなさい、変なことを訊いて」 「いや、構わないよ。あのやり取りを見れば、疑問に思って当然さ」 ダイゴは鼻で笑い飛ばした。 自分のことを『さま』をつけて呼んで、その上王様に接するように恭しい態度を取り続けていたのだ。 しかも、あの時だけではなく、いつもそうだ。 どうにかしてそれを止めさせようとはしたのだが、ことごとく失敗に終わっている。 あれが彼女の『地』だということに気づいたのは、つい最近のことだ。 こればかりはどうにもならないとあきらめてしまったが…… 「彼女は働き者でね、僕の分まで仕事をやってくれるんだよ」 「そうなんですか……」 アカツキは不意に思った。 「そういえば、ダイゴさんってどんな仕事してるんだろう?」 今までどうしてそれを考えてこなかったのか、不思議で仕方がなかった。 青年の背中をまじまじと見つめながら、考えてみる。 石の洞窟で出会った時は、炎の石など、進化に必要な珍しい石を集めているストーンコレクターであると言ってくれた。 しかし、それが仕事というわけではあるまい。 コレクターはあくまでも収集家であり、それを他人に売り飛ばしたりはしないものだ。 かといって、純粋なポケモントレーナーというわけでもないだろう。 トレーナーとして旅を続けているのであれば、プリムに『さま』をつけて呼ばれることもないはず。 考えれば考えるほど分からなくなってきた。 「ああ……なんでこんなこと考えてるんだろ。 別に、知らなくちゃ困るなんてことでもないのに……」 ダイゴはそれ以上何も言わなかった。 沈黙を理解の証として捉えているのかもしれない。 だが、アカツキにそれ以上の言葉は出せなかった。 考えに考え、それ以外に何もなかったからだ。 言葉もなく歩くうち、ふたりはダイゴの家にたどり着いた。 「着いたよ」 「……ここが……?」 「そう。僕の家だ」 アカツキは顔を上げた。 目の前にある家は、昔ながらの純和風の佇まいで、屋根に年季を刻んだ瓦が敷き詰められている。 襖(ふすま)や障子など、自分の家には見られないようなものがあって、なかなかどうして新鮮に思えてきた。 どことなく神秘的な雰囲気も感じられて…… 「今は僕一人で暮らしているんだよ。親父はカナズミシティの一等地に家を建ててるんだけどね」 「ダイゴさんはどうしてこの家に?」 「僕はこの家が好きだからね…… 悪口を言うわけじゃないけど、僕にはカナズミシティのような騒々しい都会は似合わないんだ。 まあ、入ってくれ」 「それじゃあ、おじゃまします」 玄関に通され、アカツキはダイゴに倣って靴を脱いで、きちんと整えて置いた。 短い廊下を抜けて、居間に案内された。 和風の外観とは違って、中は洋風になっていた。 フローリングの床は磨かれていて、向き合えば自分の顔が映りそうだ。 内装こそ地味ながらも、それがかえっていい印象を与えてくれる。 居間は台所も兼ねているものの、しかし台所は使っている様子もない。 料理も作らないのだろう、食器棚に並んだ皿やコップは少なかった。 とりあえず、男の一人暮らしということもあって、モノはそれほど多くなかったというわけである。 その中で一際目を引くのは、ガラスケースに収められている石の数々だった。 さながら美術館の様相を呈していたそれは、進化の石だった。 炎の石、水の石、雷の石、リーフの石……下手をすれば、部屋にある進化の石だけでも家が一軒建つかもしれない。 「すごくキレイな部屋ですね」 「ありがとう。 これでも掃除はなるべく欠かさないようにしているからね。 まあ、適当に座ってくれ。お茶でも淹れるよ」 「それじゃあ、お言葉に甘えて」 アカツキは小さく頭を下げると、居間の中央にあるテーブルに就いた。 テーブルを挟んで向き合うようにして椅子が二脚。 どうしてそうなのかは分からないが、客が来た時のためにひとつ用意しているのかもしれない。 明るい色のテーブルクロスが互い違いに二枚敷かれているあたりは、感性の良さ(?)というのが垣間見えるような気がする。 「ダイゴさん、この家にひとりで住んでるんだ……結構大きいけど……」 アカツキは田舎者よろしく、椅子に腰掛けたまま視線をあちらこちらに泳がせた。 ダイゴはダイゴでその様子が見えないのか、素知らぬ顔で鼻歌など交えながら、慣れた様子で茶を淹れていく。 ひとりで暮らすには、この家は少々広すぎる。 それがアカツキの抱いた素直な感想だった。 「おまたせ」 などとは言うものの、一分と経たないうちにダイゴが戻ってきた。 湯気を立てる湯飲みをアカツキの前に置いた。 「あ、ありがとうございます」 「いいんだよ。気にしないで」 いちいち頭を下げてくるアカツキに苦笑を向けながら、ダイゴは向かいの席に腰を下ろした。 真ん中に急須を置いて、同じように湯気を立てる湯飲みを手に取ると、一口含んだ。 「これは興奮作用を鎮める成分が入ったハーブティーだよ。 まあ、ハーブティーなのに急須に淹れてるのは気にしないでね。 まあ、ちょっと熱いけど、それくらいがちょうどいいんだ」 「そうなんですか……」 アカツキは湯飲みに七分まで注がれた薄い緑の液体を見つめた。 ハーブティーらしく、何とも言えないいい香りが鼻孔を突いた。 「それじゃあ……」 ダイゴに倣って、一口含んでみる。 確かに熱かったが、それがそんなに気にならないくらいの味わいが口の中に広がっていく。 甘いようで、しかしどこか苦味もあって、それらが混ざり合って、何とも言えないいい味に仕上がっている。 「美味しいです」 「そうだろう? これは僕も大切な仕事の前によく飲んで気分を落ち着けているんだ。 気が急いているような状態じゃ、思うように実力を発揮できないこともあるからね」 ダイゴは笑みを深めた。 「さて、話に入ろうか。 ホウエンリーグについて、君はどれくらい知っているのかな?」 「ホウエンリーグですか…… えっと……ホウエン地方の八つのジムでゲットしたリーグバッジがあれば出場できて……」 「うん、その通りだね」 いきなり訊ねられ、しどろもどろになっているアカツキの言葉をちゃんと聞いて、ダイゴはさらに促した。 「そのほかには?」 「…………」 さすがにそれ以上は分からなかった。 アカツキとしても、ホウエンリーグはホウエンリーグであって、今一番の目標という以外の認識はなかった。 詳しく知ろうとも思わなかったのだ。 「たとえば、ホウエンリーグに予選と本選があるのは知っているかな?」 「あ、はい、知ってます。予選を勝たなきゃ本選に出られないんですよね」 「そうだよ。 予選はシングルバトル、そして本選はダブルバトルであることは知っているかな?」 「え、そうなんですか?」 具体的な中身を言われ、アカツキは驚いてしまった。 それは知らなかった。 ホウエン地方では数年前からポケモンバトルでダブルバトルを取り入れている。 それは無論ジム戦のみならず、ホウエンリーグの本選でも採用されている。 公式に取り入れているのだから、リーグといった公式の場でも採用されていて当然なのだ。 「この町のジムリーダーはダブルバトルで挑んでくるからね。 ちょうどいい練習になると思うよ」 「そうなんですか、知らなかった……」 急に恥ずかしくなってきた。 ホウエンリーグに出るからには、それくらいのことは知らなければならなかったのだ。 なのに……知ろうとも思わなかったことが無性に恥ずかしい。 みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。 「ダブルバトルについてはさすがに知っているんだろう?」 「はい。ひとりのトレーナーが二体のポケモンを同時に駆使してバトルを進めるんですよね」 「そう。ホウエンリーグではポケモンとトレーナー、あるいはポケモン同士のコンビネーションが要求される。 今の君には厳しい言葉かもしれないけれど、完璧に近いコンビネーションでなければ、勝ち抜くことは難しい」 「完璧なコンビネーション……」 アカツキは小さくつぶやいた。 「そうだよ。 ダブルバトルに慣れていないと、一回戦を勝つのも難しい。 ホウエンリーグは予選を用いているからね……運だけで勝ち上がってきたようなトレーナーを完全に排除できるんだ」 「あの、どうしてそんなに詳しいんですか? もしかして、出たことがあるとか……」 「そうだね。何回か出たことがあるよ」 道理で詳しいと思った。 普通のトレーナーではそこまで突っ込んだ話はできないだろう。 本選まで勝ち進んだ経験があるか、あるいは彼が只者ではないか。 恐らくは両方だろうと思った。 「君は今年トレーナーになったばかりだと聞いたけど……」 ダイゴはテーブルに肘を突くと、指を組んだ。 「自信はあるかい? ホウエンリーグの本選まで駒を進められるか……」 「え……」 より突っ込んだことを訊かれ、アカツキは言葉を失ってしまった。 ダイゴが何を思ってそんなことを口にしたのか。 確かめようと訊ね返しても、恐らくは答えてくれないだろう。 しかし、黙ったままでは彼を納得させられない。 それも、取って繕ったようなその場凌ぎのセリフではなおさら。 どんな内容であっても、本音をぶつけなければならないと肌で感じていた。 「ぼくは……」 ホウエンリーグの予選を勝ち上がれるだけの自信はあるか? 「分かりません」 アカツキは首を横に振った。 「そこまで行けるかどうかなんて、今はまだ分からないけど……でも……」 俯きながら、つぶやくように言う。 目に入ったのは、左右の腰に差した六つのモンスターボール。 「やれるだけはやってみます。 みんなを信じて、最後まであきらめないで戦い抜く……それがぼくにできることだって思うんです。 ……っていうよりも、それ以外はできないような気がして」 「そうか……」 ダイゴはそのままの姿勢で目を閉じた。 何かを考え込むように、一言も発しない。 アカツキは顔を上げて、ダイゴを見つめた。 その面持ちはどこか不安げだった。 自分が今考えていることを素直に言ったつもりなのだが……それで通じたのかどうか、不安だったのだ。 「それが君の答えなんだね」 目を見開き、笑みを浮かべながら言った。 「いい答えだと思うよ。 トレーナーが最善を尽くせば、ポケモンはきっとそれに応えてくれる。 僕はそうやって今まで生きてきたんだ。それが分かっていれば……きっと大丈夫。 悪いね、意地悪な問いなんて投げかけて」 「いいんです。 ぼくも……考え直すいい機会になったと思うから」 「そうか……」 ダイゴは何度も頷いた。 こうして若人の役に立てるというのも、まんざら悪いことでもないらしい。 「あの、ダイゴさん。ぼくからもひとつ聞いていいですか?」 「なんだい?」 「ダイゴさんって、どんな仕事してるんですか? プリムさんって人とは同僚みたいって言ってましたけど……」 「僕はポケモンリーグの役員だよ」 「はあ……ポケモンリーグの役員なんですか……」 相槌を打って反芻する。 と、途中で気づいて言葉が止まった。 「って、えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」 悲鳴が轟く。 ダイゴは耳を塞ぐわけでもなく、苦笑を浮かべているだけだった。 「そんなに似合ってないのかな、僕って……」 「そうじゃなくて……あの、ごめんなさい、いきなり驚いたりして……」 「いや、構わないよ。素直に信じられないっていうのが本当のところだろうから。 ハヅキ君に初めて会った時にも同じことを訊かれて、同じように答えたら驚かれたからね……」 ハヅキを引き合いに出され、アカツキはホッとしたように大きく息を吐いた。 「役員って言っても、各地を回って視察がてら報告するのが仕事みたいなものさ」 「でも、知らなかったです。ダイゴさんがホウエンリーグの役員だったなんて……」 なんて口では言ってみるものの、驚きが大きくて隠し切れなかったのは言うまでもない。 道理で、様々なことに精通していると思ったら。 プリムのことを同僚と称していたが、『さま』付けされているあたり、地位としては彼の方が上なのは間違いない。 「君はホウエンリーグに出て、そして『黒いリザードン』をゲットして…… その先に何を求めるのかな?」 「え?」 「夢がひとつ叶ったからといって、それで満足するようなトレーナーには見えないからね」 「それは……考えたことないです。 ぼく、ずっと『黒いリザードン』に会うことばかり考えてたから……」 「そうだな……君はまだ若い。 いろいろなものを見て、聞いて、感じて……それからでも遅くはないはずだ。 将来について答えを出すには、まだ早すぎる年頃だし。 君は……慌てなくてもいいんだよ。 これからのことは、これからゆっくりと決めていけばいい」 「あ、はい……」 妙に真剣そうな顔で言われ、アカツキは押し黙った。 「将来のことなんて、本気で考えたことなんてなかったし……」 言われてみれば、確かにその通りだった。 将来のこと。 それは他人のことなどではなく、自分自身の進むべき道なのである。 それを本気で考えたことがないのは、いくらなんでもまずかったかもしれない。 「でも、今のぼくには『黒いリザードン』とホウエンリーグ以外のことなんて考えられない」 本音だった。 でも、そのふたつを乗り越えた時―― 果たして自分に何が残るのか? 今はじめてそんなことを考えて……とても怖かった。 夢を叶えました、おめでとう。 それから先に何が待っているのか。何を目指すのか。 考えたことなどなかった。 今が精一杯で、未来にまで目を向けるだけの余裕なんて、今のアカツキには皆無と言っていい。 「考えたことがなかったんです。 でも、今考えてみたら……すごく怖くなった……」 「誰でもそういう時期があるんだよ」 ダイゴは肩を震わせるアカツキの頬に触れて、諭すように優しく言った。 「自分の将来について考えて……何が残るんだろうと考えて、今は何もないと気づくということがね。 僕にもあったよ。 だけど、君はまだ若い。 十一歳なんだから。 年齢でどうこう言うつもりはないけれど、でも、まだ先は長いんだ。 焦らずに、少しずつ見つければいいんだよ。 君にはたくさんの可能性が宿ってる。 優れたトレーナーになるか、というひとつでもね、考え方はいくつもあるんだよ。 ホウエンリーグのチャンピオンになるか、ポケモンマスターになるか、という風に考えが分かれていくものだから。 君は君の夢を大切にしていくんだよ。 そうしていけば、きっと分かる時が来るからね」 「ありがとう、ダイゴさん」 アカツキは毅然とした口調で礼を言うと、湯飲みに残った茶を一気に飲み干した。 何も、必要以上に深く考える必要はないのだ。 先読みをしすぎると、後で困るだけ。 下手に手札を減らして後々必要なカードが引けなくなってからでは遅いのだ。 「ぼくはホウエンリーグに出て…… それから『黒いリザードン』をゲットするんです。 今は……ぼくにできるのは、トレーナーとして頑張ることだけだって……」 「そうだね。それがいいね。 もう、行くのかい? 話は……僕には残っているけれど」 「ごめんなさい。 やれる時にやっておかないと、いつか後悔しそうな気がして……」 「そうだね。 それでこそ君だよ。頑張っておいで、ジム戦を。 今君にできることを精一杯やっておいで」 「はい!! それじゃあ、失礼しますダイゴさん!!」 アカツキは席を立つと、ダイゴに小さく頭を下げて、彼の家を後にした。 その晴れ晴れとした表情を見つめ、ふっと小さく息を漏らす青年の顔にも、笑みが浮かんでいた。 「やっぱりいいね。こうして、元気な子供がいてくれるというのは…… そんな彼らにいい時代を残せるように、僕たち大人が努力をしなければいけないって、改めて思い知らせてくれる」 ダイゴはひとり、少し冷めた茶を楽しんだ。 駆け足でトクサネジムを目指すアカツキの胸は、足取りと同じように軽かった。 いろんな話をしたけれど、そのおかげで心の痞えが取れたような気がする。 ハーブティーの効能か、先ほどまであんなに高鳴っていた気持ちが、少し落ち着きを取りもどしている。 「今ぼくにできるのは……みんなを信じて一緒に戦っていくことだけ!!」 不思議なことに、今ならどんな相手にだって負けないような、そんな気がしていた。 第75話へと続く……