第79話 簒奪者たち -The snatcher- 目の前で繰り広げられている光景に、アカツキはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。 何をすればいいのか、まるで分からない。 あたかも頭の中が空っぽになってしまったかのようだ。 アクア団の一団と、マグマ団の一団。 そして、ダイゴと見知らぬ三人組の輪に飛び込んでいくプリム。 彼女は自分のやるべきことを認識しているのであろう、モンスターボールを両手に握りしめていた。 「一体何がどうなっているの……?」 アクア団、マグマ団、ダイゴたち。 三つ巴の戦いが目の前で繰り広げられていた。 アクア団とマグマ団が争っている中で、両者をダイゴたちが掻き乱しているような様相だ。 おかげで、人類救済を謳いながらもやっていることは大差ないセコイふたつの組織は勢いを失いつつあった。 彼らにとっての『敵』とは、同じ目的を掲げながらも、別々の方法を追い求める敵対組織であり、ダイゴたちではない。 だからこそ、ダイゴたちにまで目が行き届かないのだろう。 そして…… その戦いが行われている先に、祠がある。 祠の前で、何人たりとも近づけさせまいと立っているのは、氷の眼差しを戦場に注いでいるマグマ団幹部の一人、リクヤ。 彼は突然の乱入者――特にアカツキに目を向けると、口の端に笑みを浮かべた。 ――ようこそ、戦いの舞台へ……そう物語っているような笑みに、アカツキは何も言葉を発することができなかった。 「ジュペッタ、シャドーボール♪」 「オニゴーリ、冷凍ビーム!!」 「ボーマンダ、竜の息吹!!」 「アブソル、破壊光線!!」 ダイゴと共にマグマ団とアクア団を掻き乱している三人+プリムが、それぞれのポケモンに指示を出す。 指示を受けたポケモンたちがそれぞれの技を発動させる。 宙にふわふわ浮かぶ黒いぬいぐるみのようなポケモン・ジュペッタが口を開くと、闇を凝縮したような黒いボールを放った。 微かに浮いている岩の塊を思わせるポケモン・オニゴーリは、プリムの指示に口から凄まじい冷凍ビームを撃ち出した。 続いて、どこかで見たことのあるポケモン・ボーマンダが、口から強烈な緑のブレスを吐き出す!! さらには、アカツキのアブソルよりもボリュームのあるアブソルが口から破壊光線を放つ!! タイプが異なる技はすぐに融合し、嵐のような奔流となってマグマ団とアクア団のポケモンをいともあっさり打ち倒していく!! 「やっほ♪ このままやっちゃいますか!?」 相手のポケモンを次々に撃沈していく様を見て、プリムの隣にいる少女が歓声を上げた。 小麦色の肌と短く切りそろえた黒髪。 つぶらな瞳の少女は、妙に露出度の高い格好をしていた。 ハッキリ言うと見ている方が恥ずかしくなるような…… 胸元と腰から下を薄い布だけで覆っているような惨状で、しかし本人はそのことを気にしている様子がない。 「油断は禁物ですよ、フヨウ」 「分かってるわよ〜♪」 「ぜんぜん分かっていないようだな……」 さり気なく注意するプリムの言葉はどうやら、フヨウと呼ばれた少女には届かなかったらしい。 モヒカン刈りの若い男が額を抑えて唸った。 「しかし、あらかた片付いたかな?」 「そのようですね」 船長のような服と帽子をまとった老人の言葉に頷くと、プリムは周囲を見渡した。 いつの間にかマグマ団とアクア団は総崩れになっていた。 自慢のポケモンを戦闘不能にされて、戦意を喪失したのだろう。次々と撤退していく。 尻尾を巻いて逃げ出す根性なしになど目もくれず、わずかに残ったアクア団、マグマ団に目を向ける四人。 そんな中、ダイゴは悠然とした足取りでリクヤの前へと歩いていった。 「残ったのは幹部連中だけか……ったく、根性のないやつらだぜ」 「そう言うものではないぞ、カゲツ。 あそこまでやられて逃げない者などそうそういるものではない」 「どうだかな」 モヒカン男――カゲツがその言葉を笑い飛ばした。 根性なしは根性なしじゃないかと言いたげに口の端をゆがめる。 プリムたち四人は、マグマ団とアクア団の幹部を左右から挟みこんでいた。 マグマ団の幹部であるカガリと、似た服装をした野蛮そうな男。 反対側にはアクア団の幹部・イズミとウシオ。 そんな彼らと対峙していながらも、プリムたちは余裕そうな面持ちを見せていた。 「あの人たち、すごく強い……」 アカツキは背筋を震わせた。 技の威力が桁外れだったのだ。 プリムもそうだが、他の三人のポケモンが放った技のスピード、威力とどちらを取っても凄まじいものだった。 傍目から見ても分かるほどなのだから。 「プリムさんと一緒にいるってことは、あの人たちもポケモンリーグの役員さんなのかな」 なんてアカツキが思っていることなど知らないような顔で、事態は進んでいく。 「ち、役立たずなやつらめ……」 ウシオが忌々しげに吐き捨てた。 戦意を失って逃げ出すような部下を持った覚えがないだけに、なおさら腹立たしいのだ。 「で、どうするつもりかな? リクヤのもとには大将が向かっている。 いくらあいつが強かろうと持ちこたえられるとは思えんが?」 「なら、逆転でも狙ってみましょうか」 老人の言葉に、カガリはしかし余裕を浮かべた笑みで応じた。 お互いに勝ち目があると踏んでいるだけに、余裕を浮かべていられたらしい。 「生憎とリクヤはあんたたちよりも強いわよ。 あのお兄さんが何者だろうと関係ない。彼は誰であろうと『決して負けない』わ」 「試してみるかね?」 「敵に塩を送るようなマネはいたしませんが」 カガリの言葉に挑発するように返したのはカゲツ。さらに応じたのはイズミだった。 アクア団、マグマ団、ダイゴたち。 三者がそれぞれ敵対しており、そのいずれもが他者と一時的とはいえ手を結ぶことを考えていない。 ……となれば、考えられるのはただひとつ。 徹底的な戦いだ。 張り詰めた糸のような緊張した雰囲気が周囲に立ち込めた。 瞬く間に膨れ上がる緊張感に水を差すように、リクヤの言葉が響いた。 「残念ながらその必要はない」 一同の顔がそちらに向き、同時に言葉を失った。 「ダイゴさまっ!!」 プリムが悲痛な悲鳴を上げる。 ダイゴに駆け寄ろうとしたのを、カゲツに抑えられた。 「ダイゴさん……!?」 アカツキは言葉を失った。 いつの間に事態が動いたのだろう…… プリムたちを挟みこんでいるマグマ団、アクア団の幹部たちを見ていて、まるで気がつかなかった。 変化はふたつあった。 リクヤの足下でうつぶせに倒れているダイゴと、リクヤの傍で静かに佇んでいるポケモン。 キノコの傘のようなものをかぶったポケモンは、鋭く尖った爪が光る前脚から繰り出される攻撃は強力そうだ。 何しろリクヤが扱うポケモンだ、強いのだろう。 一方、倒れたダイゴの顔に苦痛は浮かんでいなかった。 外傷も見られないことから、眠り粉か催眠術などの技で眠らされたのだろう。 アカツキやプリムたちに気づかれることなく、ダイゴを倒してしまうとは。 彼がポケモンを出していなかったこともあるだろうが、それを差し引いてもリクヤの実力が圧倒的であることがうかがえる。 「あなた、一体ダイゴさまに何を……!!」 カゲツに抑えられながらも、プリムは声を張り上げてリクヤに食ってかかった。 彼女にとってダイゴは単なる同僚ではない。 特別な感情を抱けるような相手なのだ。 だからこそ、何らかの形で危害を加えられたことに憤慨している。 そんな彼女の素っ頓狂な声と怒りに燃える瞳を楽しんでいるのか、リクヤの口元には冷笑が浮かんでいた。 おまえなど怖くもないよ―― そう物語るような笑みに、プリムのみならずカゲツ、フヨウ、老人までもが不快感を露わにした。 「大将に何をしたのかね?」 老人は穏やかな声音でリクヤに問いかけた。 しかし、その声音にただならぬ怒りが込められているのは明白だった。 アカツキにさえ分かるほどなのだから、それは相当なものに違いない。 「見て分からないか? キノガッサの『キノコの胞子』で眠らせただけのこと。 生憎、俺としてもダイゴに危害を加えるのは忍びないのでね……迅速に黙らせただけだ。 まあ、感謝しろとは言わぬよ。 ポケモンリーグの名誉とやらを汚すつもりは俺にはないのでな」 「感謝ですって!! あなた何様の――」 「姉貴、止めとけ」 カゲツは腕に力を込めて、今にも飛びかかっていきそうなプリムを制した。 身体に食い込む痛みに、プリムは顔をしかめた。 「賢明な判断だ。こいつの二の舞にはなりたくなかろう」 「リクヤ。よくやったわ」 「ふっ……」 カガリともう一人のマグマ団幹部は勝ち誇った顔で、ゆっくりとリクヤの元へ歩いていった。 誰も彼らを攻撃しなかったのは、リクヤのキノガッサが何らかのリアクションを起こすと予想していたからだ。 そして、少しでも事態が動けば、そよ風は瞬く間に荒れ狂う台風となるだろう。 この場の誰もがダイゴの実力を知っている。 だが、リクヤはダイゴにポケモンを出す暇も与えずに眠らせてしまったのだ。 これにはアクア団のふたりやプリムたち、そして当のマグマ団幹部も驚かされた。 相当強いであろうことは知っていたが、ホウエン地方でナンバーワンの実力を誇るダイゴをこうもあっさり眠らせてしまうとは…… 「ポケモンリーグの役員の皆様方。 ここはわたしたちが頂くわ。 これ以上被害を増やしたくないのなら、このお兄さんを連れて退きなさい」 余裕綽々の仕草と口調で、カガリは目を細めながら言った。 事実、ダイゴを抑えられているプリムたちに余裕はない。 その上、リクヤの実力を知っているイズミは勝利の可能性があるとは思っていなかった。 「何がどうなってるの……?」 アカツキは呆然と立ち尽くしていた。 一体何がどうなっているのか分からない。 麓から延々と続く戦いの爪痕はここが最終地点だった。 ダイゴとその仲間たち、アクア団、マグマ団が三つ巴の戦いを繰り広げていたが、ダイゴたちがアクア・マグマ団の団員を追い払った。 残っているのは幹部のみで、ダイゴは単身リクヤに何かをしようとしていたが、あっさりと返り討ちに遭って眠ってしまった。 アカツキが現時点で認識しているのはその程度。 ダイゴとプリムがどうしてここにやってきたのか、その理由は皆目見当もつかなかった。 静寂が――空間を支配した。 物音一つない、完全なる無音の世界。 だが、それを打ち崩したのは…… 「ふざけないで!!」 プリムだった。 青筋など額に浮かばせながら、ありったけの声量で叫ぶ。 「ダイゴさまに危害を加えられて、それであっさり引き下がるとでも思っているのですか!? ホウエンリーグ四天王を見くびらないで頂きたいですわね!!」 「え……?」 プリムが口走った言葉に、アカツキは驚愕した。 ホウエンリーグ四天王…… それは子供でも知っている『称号』だ。 ポケモンリーグ・ホウエン支部の頂点に立つ『チャンピオン』を補佐する四人の凄腕のトレーナー。 それが『ホウエンリーグ四天王』と呼ばれる存在だ。 各人が得意なタイプを有しており、そのタイプに関しては完全無欠の強さを誇るという。 ジムリーダーすら上回る実力を持ち、多少の相性の悪さなら持ち前の強さで覆してしまう。 ポケモントレーナーなら誰もが憧れる存在……その四人が今目の前にいる……? 正直信じられなかった。 プリムの言葉から、彼女とカゲツ、フヨウ、そして老人がホウエンリーグ四天王のようなのだが…… 正直なところ、そうは見えない取り合わせだった。 だが―― 「あのポケモンたち、すごく強い……本当に四天王かも」 練り高められたポケモンの技の威力を見てみれば、とてもジムリーダーと同等とは思えない。 明らかにそれ以上の高みに達している。 何がどうなっているかも分からない状況ではあったが…… アカツキは目の前にホウエンリーグ四天王という憧れの存在がいるのを知って、場違いながらも胸が高鳴っていた。 「でも……」 疑問が残っていた。 ホウエンリーグ四天王のひとりであるプリムが、ダイゴのことを『さま』付けで呼んでいたという点だ。 明らかにダイゴはプリムより格が上ということになる。 四天王より格が上の人間はひとりしかいない。 「ダイゴさんはホウエンリーグのチャンピオンなの!?」 胸中で嵐が巻き起こった。 どんな船でも確実に沈没してしまうような、恐ろしい勢いの嵐だ。 アカツキが驚いているのを尻目に、彼らの会話は続いていた。 「相手が誰であろうと関係ない。 たとえ国を敵にしようと、わたしたちは目的を遂行するだけ。 人類救済の究極手段・グラードンの復活をね!!」 カガリが大声で笑いながら言った。 もうすでにその目的を達成しているかのような口ぶりだ。 「そんなのはとっくにお見通しだぜ。だからこそこうして……」 「だが、リクヤに勝てなかった。つまり、俺たちの勝ちということだ」 余裕綽々のカガリの態度が気に入らなかったのか、口を尖らせるカゲツ。 しかし、カガリの横に立つマグマ団の幹部――ホムラは野太い笑みを浮かべて応じた。 どう考えても、マグマ団が優位に立っている。 ダイゴを押さえられたことで、ホウエンリーグ四天王が手出しをすることはできなくなった。 「この『紅色の珠』はグラードンを復活させるのに必要だ……」 リクヤは右手を掲げて言った。 その手のひらには、野球ボールほどの大きさの珠が乗っていた。 美しい真紅を湛えるその珠は、不思議な雰囲気を漂わせていた。 「そして、この『藍色の珠』はカイオーガを復活させるのに必要。そうだな?」 だらりと下げた左手には、呼び名どおり藍色で染め上げられたような珠。 赤と青という対照的な色だけに、その色彩は兎にも角にも視線を引き付けてやまなかった。 「さすがに同じことを考えていましたか」 「そういうことだな。 だが、藍色の珠はここから持ち出されはしない」 額に汗を浮かべているイズミの言葉に頷くと、リクヤは藍色の珠でキャッチボールを始めた。 「グラードンの復活に、カイオーガは邪魔なのだよ。 両者が邂逅するなら、それはホウエン地方の壊滅を意味する。 ゆえに、カイオーガを復活させるわけにはいかない」 「まったく正反対だな!! だが、我らが負けたと決まったわけではない!!」 手を打ち振って、ウシオが叫ぶ。 その反動で突き出た腹がぶよんと揺れるが、この雰囲気では爆笑を誘うに至らなかった。 「グラードン……カイオーガ……? どこかで聞いたような……」 リクヤが口にしたポケモンの名前に、アカツキは聞き覚えがあるような気がした。 どこで聞いたのか覚えていない。だが、聞き覚えはあった。 「おまえたちに代わって、俺たちが人類救済を果たしてやろうと言っているのだ。 おとなしく敗北を認めたらどうなのだ? 何もおまえたちでなければ人類救済ができないという理由はあるまい」 「いいえ。母なる海を汚すあなた方の考えは、到底わたくしたちとは相容れないものです」 「ふっ……どこまでも愚かな連中だ……」 嘆かわしそうにため息混じりに首を横に振りながら、吐き出すように言葉を紡ぐリクヤ。 強がりとしか受け取られないような言葉を並べるアクア団の女幹部は、自分たちだけが人類救済を成し得る存在だと思い込んでいる。 それは決定的な間違いだ。 誰もが救世主になれる可能性がある。 無論、リクヤはそれを履き違える気などなかった。 自分たちが唯一の救世主だとは思わない。 ただ、その手段を持ちえた唯一の組織であるという認識はある。 アクア団は目的を達成するための手立てを失った。 ならば、救済できるのは現時点で自分たちのみ。 ……と、けたたましい音が周囲に響いた。 「な、なに!?」 フヨウが大げさに驚きを示した。 リクヤが顔を上げる。 その場の全員の視線が追いかけて―― 数十メートルの高度に、一隻のヘリがやってきていた。 「迎えが来たようね……リクヤ」 「ああ……」 どうやら、そのヘリはマグマ団の所有物らしい。漆黒のヘリはその場で滞空を続ける。 視線がヘリに集中していたからこそ、誰も気づけなかった。 イズミの口元にかすかな笑みが浮かんでいることに。 ヘリの扉が開いた次の瞬間、リクヤの表情に驚愕が浮かぶ。 「!?」 扉から飛び出したサメハダーがハイドロポンプを発射したのだ。 「な、なんですって!?」 カガリの表情は蒼ざめた。 ホムラも同じようなものだったが、それよりは驚愕に瞳を大きく見開いたという方が分かりやすかったかもしれない。 「イズミ、これは……!!」 「そういうことです」 ウシオの言葉に、イズミは短く答えた。 ハイドロポンプはリクヤの足下に突き刺さった!! 「ぬっ!!」 強烈な水圧が撒き散らされ、洗濯機の中でぐるぐる回されているような感覚がリクヤに襲いかかる!! 歯を食いしばり、その場に踏ん張ろうとするが、人間とポケモンの力の差は分かりきっていた。 自然災害に歯が立たないのと同じように、強烈なハイドロポンプの前では、リクヤの足掻きなど児戯に等しかったのだ。 「ぐぅっ!!」 水圧に押され、リクヤの身体が捻れた。 「しまった……!!」 痛恨の呻きを漏らした時には遅かった。 左手の『藍色の珠』がその手を離れたのだ。 半回転して、リクヤは尻から地面に倒れこんだ。 「リクヤっ!!」 「今だ!!」 カガリの悲鳴とウシオの声は見事に重なった。 宙を舞う『藍色の珠』をこの手にすべく、ウシオが動く。 一瞬遅れて、プリムたちも行動を起こすが…… その一瞬が決定的な差を生んだ。 「キングドラ、高速移動で撹乱しなさい!!」 イズミのキングドラが目にも留まらぬスピードで動き、プリムたちの間を縫うようにして行動を邪魔した。 思うように動けないプリムたちを尻目に、ウシオの手が『藍色の珠』をキャッチ!! 「ぐはははははっ!! これでカイオーガ復活は間違いないッ!!」 勝ち誇った顔でウシオが笑った。 「人類救済は我々が行うのだ!!」 「撤退します……」 「逃がさない!!」 身を翻すウシオとイズミに、カガリは憤怒で塗り固められたような形相を向けた。 同僚を傷つけられた怒りは烈火のごとく凄まじかったが、それを発散する機会は訪れなかった。 イズミのキングドラはトレーナーの前に舞い戻ると、地面に竜の息吹を放った。 緑のブレスが煙となって立ち昇り、プリムたちとマグマ団の視界を覆い隠す。 まともに触れば身体が一時的に動かなくなってしまう効果を持つ煙。 誰も、それを突っ切ってまで攻撃しようという気にはならなかった。 竜の息吹はすぐに拡散し、次第に視界が明瞭になってきた。 だが、その時すでにウシオとイズミの姿は掻き消えていた。 「おーっほっほっほっほっ!!」 「上だっ!!」 視線が再び上に集まる。 ヘリから伸びた梯子につかまっているウシオとイズミの姿がそこにあった。 ふたり揃って勝ち誇った表情でこちらを見下ろしている。 「楽しみに待っているのですね。 我々アクア団が人類救済を成し遂げるその瞬間を!!」 そして、ヘリはポケモンの攻撃が届かないような高みにまで上昇していく。 マグマ団、プリムたちは成す術がなくなっていた。 あそこまで高く飛ばれては、攻撃する手段はない。空を飛べるポケモンがいても、手出しはできない。 「く……」 「リクヤ、大丈夫?」 「藍色の珠は?」 「奪われたわ」 「そうか……」 リクヤはしかし無表情でゆっくりと立ち上がった。 ヘリが雲の合間に消えていくのをその目に焼きつけ――視線を下ろす。 プリムたちと、その向こうにアカツキの姿を映した。 「ホウエンリーグ四天王よ」 凛とした声で、唖然としているプリムたちに言った。 「これよりグラードンとカイオーガの戦いが始まるだろう。 想像を絶する、地獄絵図の様相……勝者が人類救済を成し得る。 おまえたちにそれが止められるか? 止められるのなら、目覚めの祠へやって来い。 カイオーガが眠っているのは海底洞窟。 今のおまえたちに止められるなら、止めてみせろ。 ダイゴの言葉が正しいと証明できるものならば……待っているぞ」 一方的に好き勝手な演説などした。 言葉が終わるタイミングを見計らって、カガリが煙幕を放った。 もやもやと煙が立ちこめ―― 「トドゼルガ、吹雪!! 逃がしてはなりません!!」 プリムの指示を受けたトドゼルガが猛烈な吹雪を巻き起こして煙幕を払いのけたが、遅かった。 リクヤたちマグマ団幹部は姿を消し――『紅色の珠』も失われた。 残されたのは、四天王とダイゴ、そしてアカツキだけだった。 空虚な風がその場を通り過ぎていく。 誰も、何も言わない。 そんな中、プリムはダイゴの元に駆け寄った。 「ダイゴさま!! ダイゴさま!! しっかりなさってくださいませ!!」 声をかけ、身体を揺さぶる。 だが、キノコの胞子の効果が強いのか、ダイゴは眠ったままだった。 命に別状がないと分かっていても、心配なものは心配なのだ。 眠り続けるダイゴの元に、フヨウ、カゲツ、老人も駆け寄った。 一様に不安そうな面持ちでダイゴを見つめる。 その様子に、彼らにとってダイゴがどんな存在なのか、アカツキには分かったような気がした。 とても大切な存在であり、尊敬できる人間でもある。 アカツキにとってもそれは同じだった。 ダイゴは一人の人間として、トレーナーとして純粋に尊敬できる人間だ。 「ダイゴ君!!」 突然声が聞こえ、アカツキは振り返った。 そこには見慣れた顔があった。 「カリンおばさん、ハヅキ兄ちゃん!!」 白衣を身にまとったカリンと、兄ハヅキの姿があったのだ。 ふたりとも、目の前に立っている男の子に釘付けだった。 どうしてアカツキがここにいるのか。その理由を計りかねているのが分かった。 「アカツキ!? おまえ、どうしてここに……?」 「それよりもダイゴさんの方が先だよ!!」 「あ、ああ……」 有無を言わさぬ口調で返され、ハヅキはそれ以上何も言わなかった。 アカツキは二人と一緒にダイゴの元へと駆け寄った。 「カゲツ、ダイゴ君の状態は?」 「眠っているだけだが、相当深刻だな。キノコの胞子は眠り粉よりも効力が強い」 「そう……」 カリンはカゲツの言葉を受けると、研究者らしく、ダイゴの身体を隅々まで調べた。 呼び捨てにしている辺り、かなり親しい間柄なのだろうが、それを指摘する人間はいなかった。 みんな、ダイゴのことが心配だったのだ。 「このまま目を覚ますのを待つわけにはいかない。女史、何か良い手段はなかろうか?」 「ありますよ、ゲンジ殿」 ゲンジと呼ばれた老人の言葉に頷き、カリンはモンスターボールを一つ手に取った。 「来なさい、ロゼリア」 トレーナーの言葉に応え、ポケモンが飛び出した。 アカツキの靴の長さくらいの背丈しかないそのポケモンは、見た目から明らかに草タイプであることが知れた。 葉っぱで覆った身体。赤と青の美しい薔薇を両腕から生やしている。 どう見ても草タイプだろう。 アカツキはすかさず図鑑で調べた。 「ロゼリア。いばらポケモン。 両手の花を狙う相手には、鋭い棘を飛ばして攻撃する。 綺麗に咲いた花の香りは、気持ちを和やかにさせる効果を持つ」 「なるほど……」 図鑑の説明を聞いてか、それともロゼリアの姿を目の当たりにしてか。 合点が行ったように、カゲツが口元に笑みなど浮かべながら小さくつぶやいた。 「ロゼリア、アロマセラピー」 カリンが小さな声で指示を下すと、ロゼリアは両手に咲き誇った薔薇の花を振るった。 すると、キラキラと光る粉が立ち昇り、一点に集まると、ダイゴの身体に降り注いだ。 一見すると眠り粉や痺れ粉と同じように見えるが、ロゼリアのアロマセラピーの効果は正反対だった。 状態異常を回復する技なのだ。 「今すぐには目が覚めないけれど……遅くても明日の朝までには意識を取り戻すでしょう」 「ありがとうございます、カリンさま」 プリムは恭しく頭を下げた。 一時はどうなることかと心が混乱したが、博士号を持つ彼女の言葉が信用に足るものと悟り、安堵感が広がっていく。 「何があったのか、お話し願えますか? ダイゴ君からは、緊急事態だから送り火山に来るようにと頼まれたのですけど…… 途中でハヅキ君にも協力を要請しました」 「そうだな」 ゲンジは羽のような白い髭をいじりながら、頷いた。 張り詰めた雰囲気が流れる中、フヨウが雰囲気をぶち壊しにするようなハスキーボイスを上げた。 「あーっ、ハヅキじゃんっ♪ どこ行ってたの〜!?」 ハヅキの存在に気がついて、キラキラと目を輝かせたのだ。 「ハぁ〜ヅぅ〜キぃ〜♪ 会いたかったにょ〜んっ!!」 人目もはばからず、大胆にもハヅキに飛びついたではないか。 「ええっ!?」 いきなりのことに、アカツキは目の前が真っ白になるかと思った。 目の前の光景は、子供である彼にはあまりにショッキングだったのだ。 「あわわわっ!!」 ハヅキは表情を引きつらせながらも、フヨウを受け止めた。 大人に見えなくても女性は女性である、避けて転ばせたりすることはできなかった。 だが、受け止めたことが、フヨウをその気にさせてしまう。 「チューして、チュー」 唇を近づけ、口づけを迫る。 「あぁぁぁぁ……」 ハヅキの顔に絶望感に似た色が浮かぶ。 ただでさえこの露出度の高い少女は苦手なのだ。 冗談なのか本気なのかつかみ所のない性格は言うに及ばず、トレーナーとしても、とても敵う相手ではない。 実力でどうにかすることもできず、為されるがままでしかない。 それも、他人の目があるからとにかく恥ずかしいことこの上ない。 「兄ちゃん……かわいそう」 アカツキはフヨウに執拗に迫られているハヅキを見つめ、胸中でつぶやいた。 口に出せばそれこそ大爆笑を誘うだろう。 そうなれば恥をかくのはハヅキだ。アカツキとしてもそれは望むところではない。 「まあ、そこの女色魔はほっとくとして……」 「にゃー、ハヅキぃぃっ」 女色魔などという不名誉きわまる呼び名を与えられても、フヨウはまるで気にしていないようだった。 いつの間にやらハヅキを押し倒して、はしゃいでいる。 「カエデに押し倒されてるぼくに似てるような……気のせいかな」 アカツキはいつかカエデに笑いながら押し倒された時のことを思い返していた。 カエデにとっては単なるコミュニケーションというか愛情表現というか…… そんな感じの行為だったのだろうが、今のフヨウもそれと同じだろうか。 しかし、ハヅキは今にも泣き出しそうな顔をして頑なに拒んでいる。 明らかに違っていた。 アカツキは色魔という言葉の意味を知らなかったが、ほっとくとして、などと言われたからには、いい意味ではないと思った。 色魔……多くの女性を弄ぶ不誠実な男性、という意味の言葉である。 カゲツが皮肉を込めて言ったのは、その女性バージョンみたいなものだ。 多くの男性を弄ぶ不誠実な女性……まあ、それはともかく。 「そこでイイ雰囲気になってるお二人さん放っておくとして……」 ゲンジはこんなところで何をしていると言わんばかりに呆れた口調で言うと、奇妙なやり取りをしているフヨウたちを一瞥した。 「ところで、そちらの坊やはどなたかね?」 『ん?』 視線が集中し、アカツキは頭に熱がこもるのを感じた。 照れなのか、身体が火照っている。 「そういえば、見慣れない顔だな」 「もしかして、旅のトレーナーがちょうどここに来たところで巻き込まれたとか…… あ、なんで逃げるのよ〜、あたしとラブラブしましょーよ♪」 カゲツとフヨウが口々に言う。 言葉の途中で逃げようとしていたハヅキを取り押さえながら続きを楽しんでいる(?)フヨウはともかく。 特にカゲツは値踏みでもしているような、何の感情も宿っていない無機質な視線を向けてきている。 当然アカツキとしてもこれで爽やかな気持ちでいられるわけがない。 「ああ……彼はハヅキ君の弟で、アカツキ君です」 「ハヅキの弟か……へえ、どーりで面構えが似てると思ったぜ」 カリンの紹介に、カゲツは勝手な感想を述べると、口の端を笑みの形にゆがめた。 「で、そのアカツキ君とやらがどうしてここにいるのかね? 女史、よもやあなたが連れてきたというわけでもあるまい」 「まあ、それはそうですけど……私も分かりません。途中で誘ったのはハヅキ君だけですし」 カリン視線も加わり、異様な雰囲気がアカツキを包み込んだ。 カゲツとゲンジは明らかに好奇心だった。 プリムはどこか冷めた視線で。 カリンは不安と心配が入り混じった、どこか淋しげな視線を向けてくる。 色とりどりという言葉がよく似合うような複数の視線を受け、アカツキは緊張で何も言えなかった。 喉がカラカラに渇いていく。 「……というわけでね」 カリンはアカツキの肩に手を置いた。 「説明しなさい。ナオミには関わり合いにならないと約束したはずでしょ。 君は約束を破ったの。説明する義務があるわ」 咎めるような口調で、説明しろと迫ってきた。 そう言われては、ダンマリを決め込むわけにもいかない。 「ぼくはお母さんとの約束、破っちゃった…… 破るつもりなんてなかったけど、結果として破っちゃったんだ。 おばさんには、説明しないと……」 意を決して、アカツキは口を開いた。 ホウエンリーグ四天王の、半ばプレッシャーに似た視線を受けて、思うように言葉にならない。 でも、言わなくちゃいけないという気持ちが、言葉を押し出した。 「ダイゴさんとプリムさんが……」 自分の名前が出てくるとは思わなかったのか、プリムは訝しげに眉をひそめた。 「トクサネシティからミナモシティの方に飛んでいくのが見えて……それで……」 「見ていたのですか?」 アカツキは首を縦に振った。 まさか見られていたとは思わなかった。人目につかないと思ってあの場所を選んだというのに……それが裏目に出てしまったようだ。 「だから後を追いかけてきたと?」 「違います!!」 ゲンジの皮肉塗れの言葉に、アカツキは声を上げて反論した。 結果としてダイゴとプリムの後を追う形となったのは事実だが、そうしようと思ってこうなったわけではない。 「それから…… ぼくのアブソルとミロカロスが……ダイゴさんたちが飛んでいったのと同じ方向に何か感じ取ったらしくて…… ぼくはアブソルたちを信じたかったから、ここまで来たんです」 「ポケモンが何かを感じた……?」 「わたくしにも同じことを説明しました。嘘ではないと思われます。 ゲンジ殿……人間では感じられない微弱な何かも、ポケモンなら敏感に感じ取ってしまうのかもしれません」 「そうかもしれぬ」 納得したように、緩慢な動作でゲンジは首を振った。 そして眠っているダイゴを振り返る。 「ゲンジ殿。わたくしはこの子に言いました。 何があってもそれを受け入れられるだけの覚悟があるのかどうかと。 そして、この子はあると答えました。 ポケモンを信じたいという気持ちは、我々も、この子も、変わらないと思っています。 ただし、わたくしはこの子の擁護をしたというわけではありません」 「分かっているさ」 観念したように、ゲンジは目を閉じ、頭を垂れた。 「では、話そう。 ここで何があったのか。そして、これから何が起こるのか。 女史とハヅキ君には話す必要があったし……君に話しても構わんだろう」 「……!!」 アカツキはハッと息を呑んだ。 「我々はここで、『紅色の珠』と『藍色の珠』を守ろうとした。 だが、結果として奪われたのは見てのとおりだ」 ゲンジは祠を振り仰いだ。 よくよく見てみれば、祠の内部には円形のくぼみが二つあった。 同じ大きさで、ゲンジが言うところの『珠』を二つ奉ってあったのだろう。 「マグマ団はグラードンを、アクア団はカイオーガをそれぞれ復活させ、人類救済とやらを成し遂げようとしているのだ……!!」 悔しさを押し殺した低い声で、ゲンジは握り拳を震わせながら語り始めた。 第80話へと続く……