第81話 ルネシティ -Shrine of Waking- ルネシティは、かつて度々噴火していた火山の火口に作られた街である。 すり鉢状になった火口の底部に湖があり、人家などが斜面に沿って立ち並んでいる。 山肌である花崗岩をそのまま地盤にしていることと、立ち並ぶ家々の壁がどういうわけか揃って白いので、街並みはとにかく白尽くし。 しかし、夕陽が差し込めば、白い景色は一変する。 鮮やかな赤に染まり、その美しさを観ににやってくる観光客も決して少なくない。 また、湖の底は外海へと通じており、ダイバーが拠点とする街でもある。 湖にはいくつか浮島のようなものがあり、そこには木々が生い茂っている。 白と緑、そして湖の透き通る青という三つの色に彩られているのがルネシティの特徴である。 今、アカツキはエアームドの背中からその街並みを見下ろしていた。 「あそこがルネシティ……」 「そう。君の求める、最後のバッジがある街だ」 アカツキが漏らしたつぶやきに相槌を打ったのはダイゴだった。 彼はギリギリまでエアームドに幅寄せしているオオスバメの背に乗っていた。 ダイゴだけではない。 すぐ近くには同じように鳥ポケモンの背に乗っているプリムと、兄ハヅキの姿もある。 アカツキと話しているダイゴと違い、プリムもハヅキも真剣な面持ちで、冗談の付け入る隙などないような眼差しをルネシティに向けていた。 まあ、ルネシティにやってきた目的が観光でない以上は、それも仕方のない話かもしれない。 アカツキたちがルネシティを訪れることになったのは、一言で言えば世界を救うためだったりする。 ずいぶんと大げさで嘘臭いものではあるが、もちろん嘘などではない。 「グラードンとカイオーガが激突すれば、ホウエン地方は確実に壊滅する。 他の地方にも被害が及ぶのは間違いない。僕たちはそれを止める。それが僕たちの使命だ」 今朝、ダイゴが拳を固く握りしめながら力強く決意表明したのを思い出す。 しかしながら、アカツキは未だに信じきれかった。 「グラードンとカイオーガって……神話の中のポケモンじゃないか。本当にいるのかな……」 ダイゴたちを疑うわけではない。 だが、飛躍しすぎている話に、素直に信じきれない部分があるのは、それはそれで仕方のない話だったのである。 事の経過を要約すると次のようになる。 アクア団、マグマ団は共通した目的――人類救済を掲げながらも、その方法においてはまったく正反対のものだった。 故に対立し、独自の方法で人類救済を遂行すべくホウエン地方の各地で暗躍していた。 どういう経過があってか、二つの組織は神話で語り継がれているポケモンを復活させることで人類救済を果たそうと思いついた。 アクア団は、かつて干ばつに苦しむ人々を雨で救ったカイオーガを。 マグマ団は、大雨に悩んでいた人々を光と熱で救ったグラードンを。 二つの組織は、二体のポケモンの復活に必要な『紅色の珠』と『藍色の珠』が安置されている送り火山を襲撃。 ダイゴたちホウエンリーグと二つの組織は、三つ巴の戦いを演じた。 一時は事態が膠着したものの、結果として二つの珠はそれぞれが必要とする組織に奪い去られてしまった。 グラードンを復活させるのに必要な『紅色の珠』はマグマ団に。 カイオーガを復活させるのに必要な『藍色の珠』はアクア団の手に、それぞれ渡った。 たかだか不思議な雰囲気を漂わせる美しい珠でポケモンが復活できるのか……と訝しむところはあった。 しかし、万が一のことを考え、ダイゴたちは現時点の戦力を二手に分けることとなった。 神話のポケモンの復活を阻止すべく、それぞれのポケモンが眠っていると言われている場所へ向かったのだった。 ホウエンリーグ四天王とそれを統括するチャンピオンと言えば、ホウエン地方最強のトレーナー集団ということになる。 それでも珠を奪われてしまったのは、二つの組織が彼らより上手で、それでいて狡猾だったということに他ならない。 マグマ団が呼び寄せたと思っていたヘリは、実はアクア団のものだった。 勝利を確信していたマグマ団の不意を突いたことにより、リクヤが持つ『藍色の珠』がアクア団の手に渡った。 珠は片方があれば良いため、マグマ団はグラードンを、アクア団はカイオーガをそれぞれ復活させるべく、最終準備に入っている。 復活が果たされれば、それだけで目的が達成されるほどのポケモンである。 実在していると強く信じ込まない限りはそこまでの行動を起こさないだろう。 ゆえに、話し合いや停戦交渉の類はまったく期待できなかった。 膨大な人員を有する組織を相手に、戦力として期待できるのはたった八人。 あまつさえそれを二手に分けてしまうのは下策だが、無論、何の考えもなしにそのような策を採ったわけではない。 ダイゴはポケモンリーグ・ホウエン支部を通じて、ホウエン地方の全ジムリーダーに緊急要請を出した。 中身までは教えてもらえなかったが、恐らくは助力の類だろう。 というわけで、アカツキとしてものんきにジム戦などやっていられる場合ではなくなってしまったのだ。 ここでマグマ団とアクア団を止めなければ、ホウエン地方が壊滅するのだ。 しかし、ホウエンリーグ四天王やジムリーダーほど強くもない十一歳の男の子になぜ『力を貸してくれ』とダイゴが言ってきたのか。 不思議で仕方ない疑問が今でも頭の片隅で漂っている。 アカツキとしても、助力を頼まれて断るほど嫌な人間にはなりたくなかった。 自分を必要としてくれるのはうれしかったし、自分にできることがあるなら……と引き受けたのだ。 ダイゴたちと共に、グラードンが眠っていると言われるルネシティの『目覚めの祠』を目指している。 一方、カイオーガ復活を阻止すべくルネシティの南東にある『海底洞窟』を目指す面々は以下の通り。 かつてジョウトリーグの四天王を務めていたカリンと、ホウエンリーグ四天王ゲンジ、カゲツ、フヨウの四人だ。 「でも、マグマ団の人たちを止めなくちゃいけないってのは分かってる……」 アカツキは拳を握りしめた。 ダイゴがオオスバメにルネシティに降下するように指示を出すと、オオスバメはゆっくりと高度を下げていった。 エアームドも追従するように降りていく。 アカツキはルネシティの美しい街並みなどまるで目に入っていないようだった。 マグマ団……今まで何度も相手にしてきた組織。 炎タイプと悪タイプのポケモンを駆使する人員で構成されており、その中でも群を抜いた実力を有しているのが三人の幹部。 カイナシティの海の博物館で戦った女幹部カガリ。 エントツ山で圧倒的な実力を見せつけ、そのくせトウカの森では一般人としてアカツキに接触してきたリクヤ。 そして、天気研究所でアクア団の幹部・ウシオに成りすました変装の名人ホムラ。 彼らはいずれも卓越したポケモントレーナーであるが、特にリクヤは得体の知れない『強さ』の持ち主だ。 彼ならば『覇王』を名乗れるような、そんな圧倒的な強さ。 アカツキはなぜかリクヤのことが気になるものの、それでも彼の……マグマ団のやっていることが正しいこととは思わない。 彼が母親の親友であろうと、属している組織の理念とやり口に従っている以上は許すことなどできない。 「でも……」 話し合いはできないのだろうか。 本当にその余地はないのだろうか。 アカツキはもちろん分かっているつもりだった。 話し合う余地がないから、こうして実力で阻止すべく行動を起こしたということも。 だが、戦いで全てが解決するなんて、信じられるはずもなかった。 結局はどこかで禍根を残すのだ。 それがいつか悪意の芽として形となるのかもしれない。そう思うと、なんだか胸が痛い。 「リクヤさん……あの人はぼくにとってなんだろう?」 見捨てることだってできたのに、激流に飲み込まれたアカツキを助けてくれた。 彼が助けてくれていなければ、溺死していただろう。 もちろん、その事に関しては言い知れないくらい感謝している。 ただ、個人的にはリクヤに憧れにも似た何かを抱いているが、やり口だけは認められない。 「アカツキ君。そろそろ行くよ」 「え……?」 ダイゴに声をかけられ、アカツキは我に返った。 どうやら深く考えていたせいで、景色が目に入ってこなかったらしい。 ダイゴとプリムとハヅキはすでにポケモンの背中から降りて、モンスターボールに戻していたのだ。 自分だけ何やってるんだろうという恥ずかしさが込み上げて来た。 顔を真っ赤にしながらも、慌ててエアームドの背を降り、労いの言葉をかけてモンスターボールに戻した。 「考えごとでもしていたのですか? ずいぶんと眉間にシワを寄せていましたよ」 「ま、まあ、そんなところです」 叱咤にも似たプリムの言葉に、アカツキは照れ隠しに後頭部を掻きながら曖昧な答えを返した。 考えごとねぇ…… 訝しげに目を細めながらも、プリムはそれで納得したらしく、切り返す言葉は出してこなかった。 「考え事をするのも分かるよ。 ただ、僕たちにはやるべきことがある。それだけは忘れないでほしい」 「はい」 ダイゴの言葉に、アカツキは大きく頷いた。 やるべきことがある。 そう……マグマ団を止めるのだ。 「で……この建物は?」 アカツキの目に入ってきたのは、白亜の建物だった。 ドーム状の造りになっていて、とにかく広そうだ。 湖の半分近くを占める巨大な浮島の上に建てられたその建物は、ミシロタウンの公民館が五つは入りそうな規模だ。 入り口の上には煌びやかなネオンライトがあるが、昼間は点灯していない。 ネオン管で描かれた文字は『グレイスフル・エンターテイナー、ミクリより愛を込めて……』などとある。 グレイスフル? エンターテイナー? アカツキにはまったく意味不明な文字の羅列であったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。 辛うじてルネジムという綴りが目に入ってきた。 だが、今ルネジムに挑戦するわけでもない以上、それほど気にするほどのものでもなかった。 「ダイゴさま。ミクリ殿のお力を借りるのですね?」 「ああ。この街で生まれ育った彼ならばグラードンのことも詳しく知っていることだろう」 「そうですか」 プリムはその意味を含んだように深く頷いた。 「では、わたくしは先に目覚めの祠の前でお待ちしております。 マグマ団がやってきたら、その時は騒ぎを起こしてお知らせいたします。 できるだけ手短にお願いいたします。わたくしひとりでは、さすがに分が悪いので」 「分かった。頼んだよ」 ダイゴはプリムに満足げに微笑みかけると、 「アカツキ君。ハヅキ君。僕についてきてくれないか」 「分かりました」 白亜のドーム――ルネジムへと、兄弟を連れて入っていった。 ドアが閉まるまでダイゴの背中を見つめるプリムの瞳はどこか淋しげだったが、ダイゴがそれに気づくことはなかった。 「わたくしにはわたくしのやるべきことがあるのだわ……あの二人が、そうであるように……」 ダイゴの後ろについてルネジムに入っていった兄弟に、聞こえない声でつぶやきかけた。 『きゃーっ、ミクリさまーっ!!』 『最高〜っ、こっち向いて〜っ!!』 ルネジムに入るなり聞こえてきたのは、幾重にも重なり合った女性の黄色い悲鳴だった。 「え、え!?」 一体何が起こったと言うのか。 アカツキは慌てふためいた様子で周囲を振り返った。 そんな弟に困ったような顔を向けて、ハヅキは言った。 「大丈夫。ミクリさんのショータイムだから」 「ショータイム? ミクリさんって誰?」 キョトンとした顔で首を傾げるアカツキに、しかしダイゴは歩みを止めず、振り返ることもなく肩越しに言ってきた。 「君にとって最後のバッジを守っているジムリーダー。そして……」 『きゃ〜っ!! We Love M・I・K・U・R・I♪』 ダイゴの最後の一言は黄色い悲鳴にかき消された。 「まあ、この先に行ってみれば分かるよ」 結局何がなんだか分からないまま、アカツキはダイゴの後ろについて少し広めの通路を歩いていった。 そして見た。 「うわ……」 辛うじてそれだけで口を突いて出た。 アカツキたちがやってきたのは、広間だった。 ルネシティの形状と同じくすり鉢状になっており、今現在三人がいるのは広間の端――言い換えれば一番高い位置だった。 巨大な水槽を思わせるステージを囲むように、観客席が設けられている。 三百六十度に設けられた観客席は、黄色い悲鳴を絶え間なく上げ続ける女性で埋め尽くされている。 彼女らの手には派手な団扇やペンライトが握られており、その視線は中央のステージへと向けられていた。 釣られるように目を向ける。 スポットライトを全身に浴びた男が、巨大な水槽の中央に設けられた足場で、水ポケモンたちと華麗なダンスを披露しているではないか。 ミロカロス、ランターン、ラグラージ…… アカツキにとっても見慣れたポケモンが何体か混じっている。 キビキビとした動作で、大音響のトランスミュージックに合わせて、複雑なステップを踏んでいる。 「す、すごい……」 アカツキはそのダンスの虜になっていた。 ポケモンは戦わせるだけの存在ではないと印象付けるような、見ていると心が和んでくるようなダンスだった。 「ミロカロス、ラグラージ、フィニッシュ・オン!!」 ポケモンと共にダンスを披露している男の指示を受け、ミロカロスとラグラージが持ち場に着いた。 そして…… ラグラージが天井に向かって吹雪を撃ち出し、それに合わせてミロカロスが吹雪の中心に竜巻を生む。 重なり合った技は、美しい緑の風として周囲に広がっていった。 吹雪ほどの冷たさは感じられず、ちょっと効き過ぎたクーラー程度の冷気が、緑色の風をまとって観客席を駆け抜けていく。 「さすがですね、ミクリさんは……」 「ああ……」 感嘆するようにつぶやくハヅキに頷くダイゴ。 ラグラージとミロカロスが技を止めると、ミュージックが止まった。 同時に、他のポケモンも動きを止めて、男の傍へと駆け寄る。 男はピンと背筋を伸ばし、 「皆様。エンターテイナー・ミクリの華麗なるダンス・アンド・ステージ、お楽しみいただけましたでしょうか?」 『お楽しみいただきました〜っ!!』 男――ミクリの朗々とした言葉に、観客席の女性が総立ちになってペンライトやら団扇やらを振り回した。 スタンディング・オベーションなど生温いほどだ。 「なに、それ……」 光景が一変し、アカツキは現実に引き戻された。 ダンスが終わって、音楽も止まった。 どうやら終わりらしいが、女性たちは声を揃えて『もう一度アンコールお願〜い♪』などと甘えるように叫んでいる。 「ステージにいる彼がルネジムのジムリーダー・ミクリだよ。 最後のバッジ……レインバッジを持つ、ホウエン地方最強のジムリーダー……」 「あの人が……」 アカツキはごくりと唾を飲み下した。 スポットライトを浴びてダンスを披露していたあの男が、打ち負かすべき最後のジムリーダーとは…… 長身で、淡いブルーの髪を背中で束ねている青年だ。 遠目ではよく分からないが、ダイゴと同年齢に見える。 ステージ用の衣装だろうか、金ラメ銀ラメが散りばめられた派手な衣装をまとっている。 「彼に話があって来たんだけど……もう少しすれば大丈夫だろう。 僕たちは控え室で待たせてもらおう」 「そうですね。行くよ、アカツキ」 「あ、うん……」 アカツキは少しだけステージ上で手を振っているミクリを見つめた後、ダイゴとハヅキの後を追った。 先ほどとは違った通路に入る。 細くて複雑に入り組んだ蛇のような通路を、しかしダイゴは迷うことなく歩いていく。 「ダイゴさん、詳しいんですね」 「まあね」 アカツキが投げかけた言葉を、ダイゴは世辞と受け取ったのだろう、軽く肩を竦めてみせた。 彼なりの、ありがとうというサインかもしれない。 「ここで待っていよう」 辿り着いたのは控え室だった。 どうして控え室か分かったのかというと、扉の脇にあるプラカードにそう書いてあったからだ。 誰の控え室だろうかと思ったが、クローゼットに色とりどりの衣装がぶら下がっているのを見る分に、ミクリの控え室なのだろう。 ステージの前では、いろいろとここで準備していくに違いない。 「あの、いいんですか?」 「大丈夫。彼も僕がここに来ることは承知しているよ」 勝手に入っていいのかと思っているアカツキは、躊躇いながらもダイゴに倣って控え室に足を踏み入れた。 ダイゴは何度もここに来たことがあるのだろう。 アカツキは恐る恐る控え室の隅っこに腰を下ろして、足をだらりと前に投げ出した。 ダイゴのことを信じないわけではないが、ステージ衣装が並んでいる部屋は、ミクリにとって神聖な場所であるはずだ。 許可もなく立ち入ってお咎めなしなんてことは、少なくとも今のアカツキには考えられないことだった。 自分の部屋に無断でハヅキが入ったら、アカツキでも少しくらいは怒ったりするから。 だが、ダイゴやハヅキはそういう心配をまったくしていないらしい。 気楽な表情で何やら語り合っている。 「ぼくはどうなっても知らないからね」 なんて棘の生えた言葉を胸中で繰り返す。 この控え室には窓がなければ、手持ち無沙汰の状態を解消できるような小物もない。 本番直前に入る部屋なのだから、集中力を乱すようなシロモノなど持ち込むはずもないのだが……それがかえってもどかしかった。 「ミクリさんってどんな人なんですか?」 あまりに退屈なので、アカツキはダイゴに訊ねてしまった。 話の腰を折る行為であることは承知していたが、そうでもしなければ退屈で息が詰まりそうだった。 「ミクリは僕の親友だよ」 ダイゴはしかし不快そうな様子を見せることなく、笑顔をアカツキに向けてきた。 これから会う人のことを知ってもらいたいと思っているのかもしれない。 「個人的に結構いろいろと付き合ってるよ。 彼のステージに僕のアイディアを取り入れてもらったりもしてるかな。 ほら、さっきのフィニッシュに使ったミロカロスとラグラージの技。 あれも一応僕のアイディアが元になってたりするよ」 「そうなんですか……」 アカツキは先ほどの光景を思い返した。 ラグラージの吹雪にミロカロスの竜巻がまとわりついて、美しい緑色の粒子が観客席を席巻した。 ポケモンの技にあんな使い方があるとは知らなかったので、あまりの斬新さに思わずため息が漏れてしまった。 「ミクリさんはああいうステージもこなしてるけど、一応はこのジムのジムリーダーなんだよ。 エンターテイナーとジムリーダーを両立してる、立派な人だと僕は思っているんだ」 「へえ……」 アカツキはハヅキの言葉に脱帽した。 ああいうステージをこなしているのは、ミクリの趣味と言うか生きがいみたいなものらしい。 それとジムリーダーを両立しているのだから、その努力は並大抵のものではないだろう。 「お褒めに預かって光栄だよ」 不意に聞こえてきた声に顔を上げると、控え室の入り口に男が立っていた。 長身で、派手な衣装を身にまとっている。 年の頃は二十代前半で、柔和な顔立ちと優しそうな目をしている。 そのくせ白い歯を見せて微笑みを浮かべているあたりは、二枚目顔負けの優男に見えてくる。 それなりにフェイスラインも整っているから美男と呼ぶには差し支えないのだろうが。 「ミクリ。おじゃましてるよ」 「お構いなく。君たちが来ることは知ってたから。 まあ、知らない顔がひとつ混じっているけれど」 男――ミクリはアカツキに笑みを向けると、控え室に入ってきた。 壁にかけられている白いタオルで顔を拭くと、ギラギラとラメが輝く衣装を脱いで、サッパリした服に着替えた。 「しかし、早かったね」 ミクリはため息混じりに言うと、ダイゴの傍に腰を下ろした。ステージでそれなりに疲れていたのだろう、肩で息をしている。 「全ジムリーダーに通達を出したんだから、それくらい早くなきゃダメだってことは分かっているけど」 「ミクリ、早速で悪いが……」 「ああ、分かっている。 『目覚めの祠』に案内しろって言うんだろ。 ルネシティで生まれ育った僕にとってあの場所は聖地だからね、協力させてもらうさ。 マグマ団と戦うことになれば、僕の水ポケモンが役に立つはずだ」 「分かっているじゃないか」 ダイゴは苦笑した。 優男に見えて、実は物事を客観的に見つめることができる男。 決して情に流されることなく、扱うポケモンと同じように、流水のごとく穏やかに考えを運ぶ。 そして頭の回転が速い。 それがミクリという男の人となりだ。 「それはそうと、久しぶりだねハヅキ君。元気にしていたかな?」 「まあ、それなりに」 いきなり話を振られ、ハヅキは困惑しながらも、何とか笑みを浮かべて返した。 続いてミクリの視線がアカツキに留まった。 柔和な顔立ちに甘いマスクの微笑み。 普通ならこちらもホッとして笑みを返すのだろうが、アカツキは肉食獣に怯えた草食獣のように縮こまっていた。 知らない顔がひとつ混じっているけれど―― そう言われて、本当はここに来てはいけなかったのではないかという不安が生まれてしまったのだ。 ミクリは年端も行かない男の子の心に宿る不安を的確に感じ取り、優しい口調で言った。 「君、名前は? ダイゴやハヅキ君と一緒ってことは、それなりに『できる』トレーナーなんでしょ」 「えっと……」 いきなり優しくされ、アカツキはどう対処すればいいのか分からずに、視線を泳がせていた。 こうもコロコロ態度が変わると、思考がそれに追いつかない。 若輩者ゆえに、そういったところは未発達だったのだ。 「ミクリ。そう困らせないでやってくれ」 ダイゴは困ったような顔をミクリに向けて、アカツキを助けてくれた。 「彼はアカツキ君。 ハヅキ君の弟だよ。『彼ら』を止めるために必要だろうと思って連れてきたんだ」 「そうなのか」 ダイゴの言葉を受けて、ミクリは合点が行ったように大きく何度も頷いた。 「アカツキ君。 ルネジムのジムリーダーにして華麗なるエンターテイナー…… 百万の麗しき乙女が恋するジェントルメェン・ミクリとは僕のことだ。よろしく」 「よ、よろしくお願いします」 聞いている方が恥ずかしくなるような言葉と共に手など差し出してきたが、握手を求めてきている以上は拒む理由もなかった。 アカツキは恐る恐るミクリに手を差し出し、握手した。 思っていたよりも彼の手は暖かかった。 ミクリに対する戸惑いや警戒が一気に薄らいでいく。 「ところでダイゴ、カリンさんにもご助力頼んだんだって?」 「ああ。戦力は少しでも多いに越したことはないよ」 呆れたように――しかしどこか期待しているような二面性を漂わせる口調でミクリが訊ねると、ダイゴは肩を竦めて答えた。 悪意はないのだろうが、言い方が皮肉めいていて、いい気分はしない。 「彼女なら信頼できるよ。 仮にもジョウトリーグの四天王だった女性さ。ゲンジさんと同等かそれ以上の働きは期待できると思っていい」 「その分の見返りとか求めてたりしてね」 「もちろん。要求されればそれに応える義務はあると思っているよ」 「そうか。ならばいい」 大人の話に、アカツキは首を突っ込もうという気がしなかった。 見返りとか応える義務だとか……はっきり言ってよく分からない。 カリンがジョウトリーグの四天王であったというのは、ミシロタウンでのバトルで実証済みだ。 並のトレーナーでないとは思っていたが、まさか四天王とは。 だが、そんな彼女を母に持つユウキがうらやましいと思った。 だからといって、自分の母親であるナオミを『大したことない』なんて思っているわけではない。 アカツキにとって最高の母親だし、これ以上ない大切な存在だと痛感している。 幼い頃に失踪した父親の分まで、必死になって育ててくれた。 そんな母親はアカツキにとって誇りそのものだ。 「じゃあ、行こうか」 「休まなくてもいいのか?」 「大丈夫。景気付けに栄養ドリンク片手に行くとするさ」 「悪いな」 「それは言わない約束だ」 瞳を細め、ミクリは口元に人差し指を持ってきた。 そう。言わない約束のはずだ。 ホウエン地方に立ち込める暗雲を取り払うためなら、身を粉にしてでも働くつもりだ。 それくらいの覚悟がなければ、ジムリーダーなど務まるまい。 「行くとしようか」 ダイゴとミクリが立ち上がった。 ワンテンポ遅れてアカツキとハヅキが立ち上がる。 四人は控え室を後にして、ジムを出る前に台所に立ち寄った。 ダイゴは栄養ドリンクを、アカツキとハヅキはオレンジジュースの入った缶を手渡された。 「とりあえず、少し落ち着くといい。ここで飲んでいこうか。外でゴミを捨てるわけにも行かないからね」 などとお気楽な口調で言い、ミクリは栄養ドリンクを一気に飲み干した。 ただでさえ余裕がない状況なのにこんなことに甘んじているのは、こういう時こそ落ち着かなければならないことを知っているからだ。 冷静になって判断を下さなければ、事態は決して好転しない。 慌てて飲み干したせいで、アカツキは少し蒸せてしまった。 「大丈夫か?」 ハヅキが優しく背中をさすってくれたが、アカツキは「大丈夫」と小さな声で答えた。 これくらいのことで弱音なんて吐いちゃいられない。 「それじゃあ行こうか。 『目覚めの祠』はジムの裏手にある。そう時間はかからないさ」 ジムを後にした四人は、ミクリの言葉どおりジムの裏手を目指した。 ジムを迂回するように歩いていくと、大人二人がやっと通れるような細い道が洞窟へと続いているのが見えた。 左右は湖なので、一歩足を踏み外せばびしょ濡れだ。 洞窟の前で、プリムが腕を組みながら待っているのが目に入った。 こんなに待たせて……と怒っている様子はないのだが、お世辞にも機嫌が良さそうには見えない。 これが彼女の素だと知らないアカツキは、どうして怒っているんだろうと思った。 だが、プリムは怒っているわけでも、不機嫌でいるわけでもなかった。 単にこういう顔つきになってしまっただけだ。 これから起こることを考えれば、どう転んでも笑顔でいられるはずがない。 彼女の真剣な面持ちに、アカツキはこれから自分たちがすべきことを思い出し、気持ちを引き締めた。 恥ずかしい話、彼女に教えられてしまったのだ。 細い道を縦列で渡っていくと、プリムは先頭を歩くミクリに恭しく頭を下げた。 「ミクリ殿、お久しぶりでございます」 「久しぶりですプリムさん。ですが、お話はそれくらいにしておきましょう」 「そうですね」 挨拶を交わすと、プリムは口の端を吊り上げた。 ミクリは自分の言いたいことを察している。 理解してくれているのは、決して悪い気分ではなかった。 「案内しますよ。はぐれないよう、注意してください」 ミクリは先頭を切って歩き出した。 その後をダイゴ、ハヅキ、アカツキ、プリムの順に続いて行く。 プリムが最後尾を選んだのは、アカツキでは殿が務まらないと判断してのことだった。 もちろんそんなことを口にするつもりはない。 前を歩く男の子はどう見ても繊細そうで、ちょっとした冗談でも簡単に傷付いてしまいそうに見えたのだ。 ダイゴの不興を買うような度胸は、プリムにはなかった。 洞窟は大人五人が横に並んで歩いても窮屈しない程度の通路から始まった。 左右の壁に松明がくべられており、普通に歩くのに不自由しないくらいの照度をもたらしている。 そのおかげで、圧迫感はそれほど感じられなかった。 「なんか、不思議なところ……」 アカツキは忙しなく周囲を見渡した。 何の変哲もない岩肌が上下左右と取り囲んでいるが、どうも普通の洞窟とは違うような気がする。 祠などと名前がついているが、結局は洞窟で、明かりがなければ自分がどこにいるのか分からなくなりそうなのは間違いないだろう。 神話で語り継がれているようなポケモンが眠っている場所、というのを感じさせるような雰囲気は確かに存在していた。 アカツキは子供らしい素直な心でそれを感じ取っていたのだ。 言葉にはできない不思議な雰囲気を。 他の四人もそういったモノを感じ取っているのか、言葉を発することもなく、黙々と歩みを進めている。 アカツキは前を歩くハヅキとの距離が遠くならないように、大股で歩いた。 少しは無茶をしているが、これくらいなら何とかなる。 通路は一分ほどで終わり、階段にさしかかった。 洞窟に階段なんて不似合いなのは言うまでもないことだが、階段は明らかに人の手が加わった産物だった。 螺旋状に段が連なっている辺り、間違いない。 コツコツと、階段を下る足音だけが洞窟に響き渡る。 「ここにグラードンがいるのかな……」 階段を下りながら、アカツキは神話のポケモン――グラードンについて今現在知っていることを改めて整理してみた。 たいりくポケモン・グラードン。 強烈な光で雨雲を払い、大雨に苦しんでいた人々を救ったと云う伝説のポケモン。 そして、アクア団が追い求めるカイオーガとの戦いは、かつてのホウエン地方を一夜にして焼き尽くしたとか。 神話として残っているため、真偽は定かではない。 しかし、それだけの力の片割れがこの場所に眠っているのなら、たとえ誰であってもそれを使わせるわけにはいかない。 分不相応な力を手にしたばかりに自滅の道を選んだ人間がいるということも、アカツキはニュースなどを通じて知っている。 だから、マグマ団を止めたいと思った。 エントツ山を噴火させることで陸地を広げ、いつか訪れるであろう食糧危機を脱するための農地とする、という以前の出来事。 それは辛うじて阻止されたが、アカツキはそんな理念とやり口に共感などとても抱けなかった。 人類救済を本気で成し遂げようとする姿勢は見上げたものだが、そのやり方はとても人間のものとは思えない。 火山が噴火すれば、それだけで人やポケモンに多大な被害を及ぼすだろう。 そんな被害を生んでまで人類救済を行う必要がどこにあるというのか。 改革に犠牲は付きものとよく言うが、アカツキはそんなの納得できなかった。 子供の絵空事と笑われるのなら、それもいいと思っている。 誰だって犠牲になりたくて犠牲になるわけではないのだ。 だから、そんなことは止めたい。 アカツキはアカツキなりに考えて、今この場所に身を置いているのだ。 自分にできることは高が知れているが、何もできないわけではないはずだ。 「アカツキ君」 「あ、はい」 突然ダイゴに声をかけられ、アカツキは思考を中断せざるを得なかった。 ダイゴは肩越しに言葉をかけてきた。 「今のうちに言っておくよ。 君はマグマ団との戦いに加わるな」 「え、どうしてですか?」 突然の言葉に、アカツキは素っ頓狂な声を出しそうになった。 だが、戸惑いなど覚えさせるヒマもないくらい、ダイゴはすぐに返してきた。 「マグマ団がここに来るのであれば、精鋭を揃えてくるはずだ。 今の君が太刀打ちできるような相手ではない。 君は後ろに下がって、じっとしているんだ」 「…………」 それは事実上の戦力外通告だった。 アカツキは何も言えなかった。 ダイゴの言いたいことは分かっているつもりだ。 彼は彼なりに暁のことを心配してくれている。 だからこそ戦いには加わるなと言っているのだ。 だが、それで納得できるほど、アカツキは素直でいるつもりはなかった。 ダメ元で理由を訊ねてみた。 「ぼくが……足手まといだっていうことですか?」 「君にとっては辛いだろうが、そうなる」 「じゃあどうして……」 足手まとい。 そう言われて、アカツキは居たたまれない気持ちになってきた。 足手まといだと言うのなら、どうして連れてきたのか。 あまりに不可解で、理解することもできなかった。 「君が僕と初めて出会ったあの頃よりも成長しているのは分かる。 だけど、今の君ではカガリはおろか、マグマ団の精鋭ひとりを相手にするのも苦しいだろう」 ダイゴはありのままの事実を突きつけてきた。 それもすべてはアカツキのことを考えてのものだ。 責められるなら構わない。それだけの覚悟は持っているつもりだった。 「だけど、君ならあの人を止められるかもしれない……僕はそう思っている」 「あの人……?」 アカツキはポツリとつぶやいた。 ハヅキの前を歩くダイゴが頷いた――ように見えた。 足手まといとキッパリ言われたことについては悔しいが、ムキになって突っかかるほど子供ではないと思っている。 一通り理由を聞いて、それで納得できないならここを出て行けばいいだけの話だ。 「それは……?」 「それはね……」 ダイゴが答えようとした時だった。 「到着したよ。ここが祠の最深部。グラードンが眠ると言われている赤き海……」 ミクリの言葉に視線を前方に据えた。 洞窟を掘りぬいてつくられた螺旋階段が終わりを迎え、その先には熱気漂う広い空間が広がっていた。 赤と白を織り交ぜたような――しかしピンクとはまた違う色彩の霧が立ち込めている。 高さ、広さ共に野球場をも上回るだけのスペースが地下に存在していたのだ。 『目覚めの祠』の最深部。 そこは円形の岩盤が中央に存在し、その周辺を取り囲むように灼熱の溶岩が煮えたぎる、赤き海に浮かんだ大地だった。 第82話へと続く……