第82話 ゆらぎ -What I can do- 『目覚めの祠』の最深部は、溶岩に囲まれていた。 ドームのような空間となっているが、地上へと続く階段の反対側には、溶岩の吹き溜まりが広がっている。 ゴボゴボと耳障りな音を立てて煮えたぎる溶岩から立ち昇る煙が、薄く引き延ばされて漂っている。 アカツキたちは溶岩の海を背に、階段と向かい合うようにして横一直線に並んでいた。 ダイゴを中心にして、その左右をアカツキとハヅキが固め、両端をプリムとミクリが受け持っている。 溶岩が煮えたぎっているだけあって、渦巻く熱気はかなりのものだが、アカツキでも我慢できないほどではない。 さすがに一日中いるのは辛いが、そう長々と居座ることもないだろう。 たいりくポケモン・グラードンが眠っているとされる場所。それがここ――目覚めの祠の最深部。 高熱の光で雲を吹き飛ばし、大陸をも動かす力を秘めた、神話で語り継がれるポケモン。 強大な力を持つと言われるポケモン復活させるべく、マグマ団が『紅色の珠』を持ってここを訪れるはずなのだ。 ダイゴたちはマグマ団を一網打尽にし、さらに『紅色の珠』を奪還して送り火山の祠に安置するという目的でここに来た。 すべてのジムリーダーに協力を要請したし、そろそろホウエンリーグの役員たちも重い腰を上げる頃だろう。 解決は時間の問題だと、ダイゴはそう思っていた。 人員やポケモンの数はマグマ団やアクア団が上回っていようとも、他の地方のポケモンリーグ支部に助力を要請できる分、優位性は保てる。 アカツキは振り返り、溶岩の吹き溜まりを見つめた。 重苦しい音を立てて煮えくり返っている溶岩。 あの赤い海に手を入れれば、瞬く間に骨まで溶けてしまうのだろう。 こんなところでポケモンが眠っていられるものなのだろうかと、疑問に思ってしまう。 「気になるのかい?」 「え、あ、はい」 声をかけられ、アカツキは慌てて視線を階段に戻した。 溶岩の吹き溜まりから敵がやってくるわけではない以上、いつまでもそちらに目を向けているのは無用心だろう。 さり気ない言葉で咎められ、アカツキは縮こまってしまった。 恐る恐るダイゴの顔を覗き見ると、彼は場の雰囲気に合わぬ笑みなど浮かべていた。 プリムやミクリは特に神経質そうに眉間にシワなど寄せて真剣な面持ちをしている。 すぐに訪れるであろう戦いが楽に勝てるものでないと分かっているからこそ、こんな顔を見せるのだろうが。 「気になるのは分かるけど……後で思う存分調べてみるといいよ。 だけど、今はやるべきことがある。ね?」 「はい……」 アカツキは小さく頷いた。 ダイゴの言うことは正しい。 グラードンを復活させるべく、マグマ団は三人の幹部を柱とする精鋭部隊を送り込んでくるだろう。 激戦は避けられないはずだ。 あまつさえ、アカツキは戦いに加わらないようにとダイゴに釘を刺されているのだ。 事実上の戦力外通告だが、それは仕方のないことだと思っている。 ホウエン地方でトップのダイゴと、彼を補佐するプリム。 ホウエン地方のジムリーダーで最強と謳われているミクリ。 彼ら三人はあまりに実力が違いすぎるから除外するとしよう。 ハヅキにさえ勝てない有様では、足手まといと思われても仕方がない。 それでも、マグマ団を止められるだけの『力』があるというダイゴの言葉を信じて、アカツキはここに来ることを選んだ。 だから、今さらどうこう言ったりはしない。 「あの人って誰だろう……?」 アカツキは階段に視線を据えて、考えごとをしていた。 いつマグマ団が来るか分からないのだから、延々と神経をすり減らしながら警戒するのも辛い。 そんな『退屈』を紛らわすためには、考えごとをするのが一番だ。 それも、今回の事象に関係があるものなら、無駄にはならないはずだ。 ダイゴが言っていた『あの人』とは一体誰なのか。 ――君なら『あの人』を止められるかもしれない。 マグマ団の中の誰か――つまり個人を特定しているのだろう。 その口ぶりから、彼にはそれが誰であるか分かっていたに違いない。 アカツキにその人の名前を教えなかったのは、なぜか? 教える必要がなかったのか、教えると都合が悪いのか、あるいはアカツキを納得させるための方便なのか。 下手な方便なら、ダイゴは口にしないはずだ。 その場しのぎのウソをつくような人間でないことは、アカツキがよく知っている。 「誰だろう……? ダイゴさんがぼくに教えたくないって人は……」 思考が進んでいくに従って時間も経過していくが、一向に変化は訪れない。 漂う熱気に少し息苦しさを覚えながら、しかし思考はとどまることを知らない。 アカツキが深く考え込んでいることなど知る由もない四人は、微動だにせず、ただ階段へと鋭い視線を向けているばかり。 と、ひとりの男が脳裏に浮かんできた。 マグマ団といえば、やはり彼しかいない。 「もしかして、リクヤさん……なのかな?」 マグマ団三幹部がひとり、リクヤ。 明らかに普通の人間とは違う怜悧さと強さを兼ね備えたトレーナーだ。 ポケモントレーナーとして圧倒的に強ければ、それでいて人間性も確立されている。 誰にも気づかれることなくポケモンを駆使し、ダイゴを眠らせてのけたところからして、彼と同等、あるいはそれ以上の使い手だろう。 アカツキはそんな男とこれまでに三度見えた(まみえた)。 三度とも違った顔を見せた彼に、言葉にはできない複雑な感情を抱いた。 厳しく、そして優しく。 まるで父親みたい……そう思ったが、彼はナオミの親友というだけの間柄であり、それ以上の関係はないはずだ。 「分からない……」 アカツキは首を左右に打ち振った。 ダイゴが言いたがらない相手が誰であろうと、考えたところで答えが出ないということに関しては変わらないと思った。 だから、変に考えるのはやめよう…… 考えにかまけて肝心なことを見過ごしてしまうかもしれないから。 「でも……」 気持ちを切り替えようとした矢先に、楔のように思考にヒビを入れた疑念があった。 チラリとダイゴの顔を覗き込む。 彼は引き締まった表情で、矢のように鋭い目つきでマグマ団がやってくると思しき方向を見ていた。 アカツキが覗き込んでくることなど、意に介していないかのようだ。 「ダイゴさん、どうして教えてくれないんだろう、その人の名前を」 分からなかったのは、ダイゴが『あの人』という表現でとどめた理由だった。 都合が悪いなら、別の言い方だってできただろう。 サッパリした性格のダイゴらしくもない、曖昧な方法だ。 「ぼくに教えられないのかな、やっぱり」 考えるのを止めようと思うたび、糸が絡まるように逃げられなくなっていく。 もがけばもがくほど、自分の首を絞めるかのような気持ちになってくる。 「後で聞いたら、教えてくれるのかも……」 きっと、アカツキを納得させるための最善策だったのかもしれない。 でも、もしかしたら、本当に自分の力を必要としてくれたのかも……答えはしかし明確にはならなかった。 想像だけの答えなんて、ホンモノとは程遠い。 平行線のように、決して交わらない。ホンモノにはなれない。 「おや、雁首揃ってお待ちかねとはな……準備は万端と言うことか、ダイゴ」 「!?」 不意に声が聞こえ、アカツキは顔を上げた。 階段の前に、リクヤが立っていた。 立ち込める薄い霧のせいで、冷笑を浮かべているようにも見えてくるのだが……しかし彼は笑ってなどいなかった。 「いつの間に……?」 アカツキはただただ驚いていた。 物音ひとつしなかったではないか。 まさか、ポケモンのテレポートで運んでもらったというわけでもないだろうに。 考えに耽り、周囲が見えなくなっていたのだろう。 「そっちこそずいぶんと時間がかかっているね。 準備万端というのはそちらの方じゃないのかな、リクヤ」 「お互い様ということか」 皮肉を込めた言葉を返したダイゴだが、リクヤはまともに受け取らなかったらしい。 もっとも、この男にそういった心理的な動揺を誘う策など無意味だと、ダイゴだからこそ知っている。 この男の性分を含め、いろいろなことをよく知っているから。 リクヤの言葉が終わったか終わらないかの際に、階段からぞろぞろとマグマ団の団員が現れた。 一般の団員が六人に、幹部のカガリとホムラ。 そして炎のように鮮やかな髪を今時流行らないような七三分けにした、ゆったりした赤い服に身を包んだ中年の男。 総勢十人のマグマ団が、ダイゴたちと対峙した。 赤い髪の男とリクヤを取り囲むように配置につくマグマ団。 カガリ、ホムラが前面に躍り出て、左右に他の団員が散開する。 いずれも両手にモンスターボールを持ち、いつでも戦える体勢を取っている。 「しかし、どうしてこうも我々の邪魔をしてくれるのかね。 ホウエンリーグのチャンピオン……ダイゴよ」 赤い髪の男が訝しむように眉をひそめ、朗々と響く声で言った。 「今さら訊くまでもないだろう、マグマ団総帥・マツブサ」 「くく……確かに」 真剣な面持ちを崩さず、押し殺した声で返すダイゴ。 赤い髪の男――マグマ団の総帥マツブサは小さく笑った。 マグマ団とアクア団ほど犬猿の仲だったわけではないが、確かにマグマ団とホウエンリーグは対立する組織だ。 対立にはそれなりの理由が必要だし、両勢力のリーダーともなれば、その理由は嫌と言うほど心得ている。 「あの人がマグマ団のボス……」 アカツキは呆然とした顔でマツブサを見つめた。 堂々とした態度は、指導者として相応しく見えた。 威厳に満ちた雰囲気をその身から放っている。 「しかし、ダイゴ」 マツブサはアカツキにチラリと目をやると、すぐダイゴに視線を戻して、冷笑を浮かべた。 「このような年端も行かぬ子供を使わなければならぬほど、ホウエンリーグというのは逼迫していたのかね?」 痛烈な皮肉だが、ダイゴは動じなかった。 むしろ動揺していたのはプリムだった。 表情を引きつらせ、拳をギュッと握りしめながら叫ぶ。 「それを言えばあなた方はどうなるのです!? あちこちから炎ポケモンをさらってはエントツ山の噴火を目論んだそうではありませんか!! 外道なやり口を好むあなた方にとやかく言われる筋合いはございません!!」 「落ち着きなよプリムさん。こいつらの口上に乗ってやる必要なんてないさ」 頭に血が昇ったプリムを制するように、ミクリはわざと落ち着き払った声音で言い、その肩に手を置いた。 見え透いた挑発だが、プリムがそれに乗ってしまったのは、仕方のないことかもしれない。 ミクリは少なくともそう思っている。 ホウエンリーグも、組織と言う名の通り、例外なく腐敗が適度に進んでいるものなのだ。 金に目が眩んで内部情報を漏らす役員だって、今年に入って六人も摘発されている。 恥ずかしい話だが、カントー地方やジョウト地方の摘発者よりも多い。 アクア団・マグマ団が活動を活発化させていることが影響しているのだろうが、それでも嘆かわしい事態であることに変わりはない。 そんな組織の中にいるからこそ、プリムはそれを我がことのように感じてしまうのだろう。 彼女が情熱的な性格だからこそ、引っかかってしまったのだ。 それを浅慮とか落ち着きのない女だとか責めるのは筋違いというものだ。 「大方、子供を混ぜておけば我々が手加減するのではないかと、浅はかな考えでも抱いていたのだろう。 だが、生憎と我々はそんなに生温くはないぞ? 子供が相手だろうと、刃向かう相手には容赦しない」 「どう受け取ってもらっても、それはそれで構わないよ」 ダイゴはため息を漏らした。 ある意味でマツブサの言葉を肯定したようなものだが、確かに否定はしない。 様々な要素を考えた上で、アカツキとハヅキをこの場に連れてきたのだ。 ダイゴにとっても大切な『あの人』を止めるための最終兵器……切り札として。 それが誉められるべきことであるかは考えるまでもない。 だが、妖しい幻想に惑わされて人類救済などという、二面性を持つ行為に手を出した連中を止めたいという気持ちはホンモノだ。 「ここでこのまま話に興じるというのも悪くはないが、生憎とやつらに先を越されては我らの計画は水泡に帰すのでね……」 マツブサは小さく笑うと、懐から微かに輝く『紅色の珠』を取り出した。 それを見たダイゴたちは表情が強張った。 自分でも分かるほどに、亀裂の入った表情。 ここに眠っていると云われているグラードンを呼び覚ますのに必要な珠が輝いている。 それが何を意味するのか……嫌でも分かる。 薄く立ち込める霧のせいでそう見えるのかもしれないが、本当に輝いているのなら…… 「まさか、グラードンの力に反応している……?」 ダイゴは戦慄に背筋を震わせた。 半分おとぎ話だろうと思っていたこと。 それが現実かもしれないのだ。 ホウエン地方を一夜にして壊滅寸前にまで追い込んだと言われる力の半身。 それがここに眠っている。 対となる半身を追い求めて、アクア団もゲンジが率いる四天王『四人』と戦うことになる。 いや、すでに始まっているのかもしれないし、まだ始まっていないのかもしれない。 どちらにしても、対峙している連中との衝突は避けられないだろう。 どちらにも譲れないモノがある以上は。 「見よ、この輝きを……分かるだろう? グラードンは実在している!! 大陸を統べる、母なる大地の覇者!! 彼(か)の力が我々のものとなる時は近い!!」 マツブサは演説でもするように、上体を反らし、張りのある声で叫んだ。 気のせいか、その言葉に呼応するかのように『紅色の珠』の輝きも強くなっていくような…… アカツキは漠然とした不安を覚え、表情をしかめた。 「私の同志たちよ!! 人類救済に立ち塞がる者共を打ち倒すのだ!!」 『おぉっ!!』 マツブサの号令と共に、アクア団の面々がポケモンを繰り出した!! 揃いも揃って炎や悪タイプで固めている。 しかし、数が数だけに、相性的に有利なミクリやプリムのポケモンでもそう簡単には勝たせてもらえないだろう。 無論、マツブサやリクヤはそこまで読んでいる…… ただし、その二人はポケモンを出さなかった。 「彼らで抑えている間にグラードンを復活させるつもりか……!!」 ダイゴは舌打ちした。 マグマ団のポケモンは少なくとも三十体はいる。 こちらがフル動員してもその数にしかならないのだ。 両者合わせれば六十近いポケモンがこの場で戦うことになる。 限られた空間では、大きなポケモンは狙い撃ちされるだけだから、それを考えても辛い状況だ。 「プリム、ミクリ、ハヅキ君!! 僕たちもポケモンを出す!!」 「オッケー♪」 『分かりました!!』 ダイゴの言葉に、三人はそれぞれ手持ちギリギリの六体のポケモンを繰り出した。 タイプ、大きさ共にまとまりがないが、その分相手を撹乱させることも可能。 同士討ちになる可能性も捨てきれないが、下手に大技を使いすぎなければ大丈夫。 小技でもそれなりに勝負はできるだろう。 そして、ダイゴもポケモンを繰り出した。 ぽんぽんぽんっ!! 次々とモンスターボールから飛び出してきたポケモンは五体。 残り一つのモンスターボールは腰に差したままだ。恐らくは切り札だろう。出すべき時に出す……アカツキはそう思った。 「アカツキ君、下がるんだ」 「……はい」 ダイゴに言われ、アカツキは少し下がった。 まるで戦地で睨み合っている歩兵隊のように、横一列に並んで防壁を成している。 そう、これは戦争だ。 人類救済を遂げるべく、強大すぎる力を手にしようとする集団と、それを阻止する集団との。 そんな中、戦うこともできず、ただ後方から見ていることしかできないなんて…… アカツキは自分の弱さを歯痒く思った。 もう少しトレーナーとしての実力があったなら、きっと戦列に加えてもらえたはずだ。 「でも、ぼくにもできることがある……」 自分と同じように、ポケモンを出さず、後方に下がっているリクヤとマツブサ。 彼らにやるべきことがあるように、アカツキにもあるはずだ。 やるべきこと、できることが。 「行くよっ!!」 カガリの言葉が引き金となり、戦いが始まった。 マグマ団のポケモンが一斉にダイゴたちのポケモンに襲い掛かった!! 対するダイゴたちは、それぞれの判断で戦い始めた。 瞬く間に苛烈さを増し、修羅場と化した。 炎が、水が、氷が……実に様々なものが戦場を駆け抜け、ポケモンたちを傷つけていく。 どうしてこんなことになったんだろう…… お互いに譲れないモノがあるとはいえ、こんな戦いにまで発展するなんて。 傷付いていくポケモンたちを見て、アカツキは居たたまれない気持ちになってきた。 目の前で繰り広げられているのは、古来より続いている尊厳あるポケモンバトルであるならば、こんな気持ちになどならない。 まるで無駄な争いではないか。 勝ったとしても単なる自己満足……相手の不幸を喜び、自らの正しさを正当化する。 ただそれだけのために、人間の一方的なエゴのために、傷ついてしまうポケモンがいる。 虚しすぎて、居たたまれない。 「リクヤ。あの子供をどう見る?」 悲しそうな表情を浮かべているアカツキを見つめ、マツブサはリクヤに問うた。 リクヤは瞳を細めてアカツキを見つめたが、アカツキはただ呆然と戦場を見守っているばかりだった。 「伏兵という可能性はあるな……」 リクヤはポツリと漏らした。 ダイゴが無意味に子供を連れてくることなどあり得ない。 それも、熱気漂うこの場所に。 だが、そう考えることこそが罠だとしたら…… 余計な勘繰りならいくらでもできるが、それが正解であるとは限らない。 お互い小細工だらけだということか。 「トレーナーとしての実力で言えば、取り立てて見るところはない」 「では、問題はないか?」 「一応な。だが、念のために俺が抑えておこう。ダイゴのことだ、考えていることは分かる」 「分かった……」 戦場に罠はあって当然。 敵を罠に填めて自軍を優位に導く。 それが常套手段であり、昔から変わらない考え方だ。 ならば、自分もそれに倣おう。 マツブサは円形の大地を迂回するように、戦火の及ばない端をゆっくりと歩き出した。 そこを狙うべくプリムのオニゴーリが冷凍ビームを放つが、ホムラのギャロップが火炎放射を放ち、それを阻む。 マグマ団にとって、グラードン復活のキーアイテムを手にしたマツブサは死守すべき存在なのだ。 何があろうと彼を守らねばならない。 マグマ団の幹部――カガリとホムラは両翼に位置し、中央部の団員の援護をしながら、ミクリやプリムと熾烈な争いを繰り広げている。 一方ダイゴたちはミクリとプリムでマグマ団の幹部を抑え、ダイゴとハヅキで残りの団員の相手をしている状況だ。 幹部さえ何とかなれば、団員は苦もなく倒せる……のだが、さすがは幹部、そう簡単に勝たせてはくれない。 向こうもそれなりに必死なのだ、どんな手段でも使ってくることだろう。 「あの人……!!」 アカツキは戦場からひとり離れてこちらに向かってくるマツブサの姿を視界に捉えた。 手には輝きを増していく『紅色の珠』が握られている。 「ダイゴさんや兄ちゃんはあの人たちの相手で手一杯…… でも、あの人はマグマ団のボスみたいだし……ぼくじゃ止められない……」 カガリやリクヤを配下に置くマグマ団の総帥だ。よもや彼らよりポケモンバトルが弱いということはあり得まい。 彼らに遠く及ばないアカツキがマツブサに勝つなど、夢のまた夢。 でも、自分だけ何もせずにはいられない。 できることがあって――やるべきことがあって、ここにいる。 ここにいるだけで意味がある。 「その意味が知りたい……!!」 アカツキは強く歯を噛みしめた。 拮抗するパワーゲームを嘲笑うかのように徐々に距離を詰めてくるマツブサ。 彼を止めるべきか否か。 考えるまでもなかった。 だが、行動を起こすよりも早く、目の前にリクヤが現れた。 「!?」 腕を組み、何の感情も宿っていない表情を向けてくる。 炎や水が飛び交う中を駆けてきたというわけではあるまい。 ポケモンの技で運んでもらったのか、あるいは……しかし、そんなことを考えているだけの余裕はなかった。 「マツブサを止めようとしているのか。 だが、それは無意味なことだ」 リクヤは無表情のまま、何の感情も含まぬ平坦な声で告げてきた。 「今のおまえでは止めようがない」 「そんなこと……」 頭から否定され、アカツキはギュッと拳を握りしめた。 立ちはだかる男を睨みつけながらも、彼を殴り倒してでもマツブサを止めようとする気が起こらない。 嫌でも分かってしまう。圧倒的な実力の差。 やりもしないうちからあきらめるなんて、自分らしくない。ポリシーに反する。 だが…… 「トウカの森で……おまえと初めて会った時に比べて……少しは成長したようだな。 ならば、よかろう」 リクヤはひとりで勝手に頷くと、腰のモンスターボールを一つ手に取った。 「来い、ミロカロス」 ポツリつぶやくと、手のひらのボールが勝手に口を開いて、ミロカロスが飛び出してきた。 神秘的な雰囲気を漂わせながら、慈しみに満ちた瞳を向けてくる。 「アカツキ。本気で俺たちを止めたいと思うなら、トレーナーとして俺のミロカロスを倒してみろ。 それができぬなら、俺たちを止めることは不可能だ。もっとも、時間などないに等しいが」 挑発とも取れるような言葉を発し、チラリとマツブサの動向を横目で窺う。 マグマ団総帥は奥に広がる溶岩の吹き溜まりの前まで歩みを進めていた。 「この人を……倒す……!?」 アカツキはマツブサからリクヤに視線を移した。 勝てるわけがない。 理性が告げている。 天と地ほどの実力差は、小手先の努力やポケモンのタイプなどで埋められるほど浅いものではない。 それでも、やらないであきらめることだけはしたくない。 「兄ちゃんたちは戦ってるんだ。ぼくだけ何もしないなんて……」 ハヅキたちはマグマ団の面々を相手に激しい戦いを繰り広げている。 個々の実力はマグマ団を上回っていながら、数で圧されて一進一退の攻防が続いている。 この状況で自分が加わったところでどうになるわけではないとは分かっている。 それでも、何もしないまま漫然と時を過ごし、グラードンが蘇るのを見ているだけなんて、そんなのは自分らしくない!! アカツキは挫けそうになっている自分自身のハートに火をつけた。 やるしかないのだ、ここは!! 表情が心を映し出す。 「フッ……」 リクヤは口の端をゆがめた。 骨のない男の子を相手にするのに、わざわざマツブサの了承を取ったわけではない。 戦う意志を固めたアカツキを見つめるその眼差しは、なぜか期待が滲んでいた。 「勝ち目がないと分かっていても俺と戦うつもりか。 ならば、それもよかろう……」 「やってみなくちゃ分からない!!」 あくまでも余裕の構えを崩さないリクヤに気持ちをぶつけるように叫びながら、アカツキはモンスターボールを一つ腰から引っつかんだ。 頭上に掲げたボールに入っているポケモンに呼びかける。 「ミロカロス。ぼくに力を貸して!!」 トレーナーの意志に応え、ミロカロスがボールから飛び出してきた。 凛々しさと美しさを滲ませるように身をくねりながら。 「ミロカロス……ほう、進化させるとはな……」 面白くなりそうだ……リクヤは素直にそう思った。 ミロカロス対ミロカロス。 大きさこそリクヤの方が二回りは上だが、何かを成し遂げようとする意志は拮抗しているように思える。 もっとも、リクヤのミロカロスはあくまでも落ち着き払っている。 引き換え、心の余裕と言うものが皆無のアカツキのミロカロスは、トレーナーの心情を雰囲気に反映させてしまっている。 ぐっ…… より強く、爪が食い込むほど強く拳を握りしめ、アカツキはミロカロスに指示を下した。 やるしかない!! 「ミロカロス、竜巻!!」 「ろぉぉぉぉぉぉんっ……」 美しい声を上げ、ミロカロスはピンと槍のように身体を伸ばした。 瞳がかすかに輝き、次の瞬間。変化は現れた。 リクヤとミロカロスを取り囲むようにして、緑の粒子をまとった風が吹き始めた。 「ん……?」 怪訝そうに唸りながら、リクヤは足下に目を落とした。 だが―― ごぉぉぉぉっ!! 風は瞬く間にその勢いを増し、数秒後には竜巻と呼べるレベルにまで達した。 緑の風に囲まれ、リクヤとミロカロスの姿は見えない。 指示を出すにしても、技をまともに食らっては出せないはずだ。 「こんなこと、したくないけど……」 アカツキは相手のトレーナーに手を出してしまったことを痛烈に後悔したが、でも、そうしなければ止められそうにないと思ったのだ。 生身の人間がポケモンの技を食らうというのがどういうことか――その身で味わったことのあるアカツキだからこそ分かる。 リクヤは恐らく無事では済まない。竜巻に巻き込まれたとなれば、確実に裂傷が生じる。 運が悪ければ身体中を切り刻まれる。 「許してください、リクヤさん……」 後で罰せられるならそれも構わない。 ただ、今は止めなければならない。 こんな無意味なことを!! マツブサが『紅色の珠』をゆっくりと頭上に掲げるのを、アカツキは見た。 「さあ、深淵の眠りより蘇れ、大地の化身・グラードン!!」 マツブサの声に応えるように、いよいよ『紅色の珠』の輝きが強くなっていく!! 「どこを見ている……?」 「!?」 冥府の底から響くような声に、アカツキは身を震わせた。 慌てて視線を戻すと、 「俺も、舐められたものだ……」 「え……!?」 激しい風の中から、しかしちゃんとした声が響いてきた。 刹那―― がしゅぅっ!! 緑の風が一瞬にして弾け飛んだ!! そこには、まったく表情を変えずに佇むリクヤとミロカロスの姿があった。 「効いてない……!!」 アカツキは戦慄した。 無意識のうちに、数歩後退った。 ミロカロスの竜巻をまともに受けながらも、リクヤにもミロカロスにも傷一つ見当たらないのだ。 間違いない、この男は何らかの手段を用いて竜巻を防いでいた。 だが、その手段とは何だ? 「なかなかの威力だが……悲しいかな、俺のミロカロスには少々役不足だ」 「なら、もう一度!!」 得体の知れない何かに侵されそうな心を奮い立たせ、再びミロカロスに竜巻を指示する。 リクヤの足下に再び緑の粒子が出現し…… 「遅い」 リクヤの一喝と共に、彼のミロカロスの全身が輝く。 そこからは本当に一瞬だった。 緑の風がリクヤのミロカロスに収束し、強い輝きのレーザーが放たれた。 それは音もなくアカツキのミロカロスを貫いた。 「ろぉぉぉ……」 力ない悲鳴に気づき、アカツキは振り返った。 ミロカロスが倒れている。 「え、なにが……?」 何が起きたと言うのか。 ミロカロスは倒れると、そのままピクリとも動かなくなった。 わずか一秒にも満たない短い間に、リクヤは何をしてミロカロスを倒してしまったのか…… 手段が思い浮かばなかったからこそ、より強く恐怖した。 「ミロカロス、しっかり!!」 アカツキは膝を折ってミロカロスに呼びかけるが、返事がない。 命に別状はなさそうだが、かといって放置しておいていいような状態とも思えない。 「ふふ……」 リクヤは笑った。 所詮はこの程度か……過剰な期待をしてしまったと言う失望が広がっていく。 リクヤがミロカロスに指示した技。それはミラーコート。 特殊攻撃の威力を倍にして返すという恐ろしい技だ。 一撃目をわざと受け、時間差でそれを倍返ししてやっただけのこと。 すぐに返すのではなく、二撃目が発動する前に返すのには相当なスピードと、発生した威力を抑え込むだけの『力』が要求される。 リクヤのミロカロスはそれすらも造作なくこなしてしまったのだ。 一瞬のことに、アカツキが混乱してしまうのも当然と言えば当然だった。 「戻って、ミロカロス!!」 戦える状態にないことは分かった。 アカツキは躊躇せず、ミロカロスをモンスターボールに戻した。 リクヤが何をしたのか、気にはなるのだが、それを確かめているだけの時間すら惜しい。 どんな結果になろうとも、マツブサを止めなくてはならないのだ。 立ち上がり、次のモンスターボールを手に取った。 そしてポケモンの名を呼ぼうとした時。 機先を制するように、リクヤの言葉が飛んできた。 「アカツキ。俺と共に来い」 「え……」 予想だにしない言葉に、アカツキは一瞬、自分がやるべきことを忘れてしまった。 「俺のもとでトレーナーとしての修行を積めば、おまえは必ず強くなれる。 俺の次くらいに……そう、ダイゴと同じように」 「ダイゴさんと……同じ……」 「そうだ」 つい鸚鵡返しをすると、リクヤはさらに踏み込んできた。 「ダイゴにトレーナーとしての技術を教えたのは、この俺だ」 「ウソ……」 今度こそアカツキは言葉を失った。 落雷を受けたように、言葉にならない衝撃が身体中を駆け巡っていくのを感じる。 「ダイゴさんが、この人にトレーナーとしての技術を教えられたなんて……」 信じられない反面、ああそうなのかと思わされる部分があるのも事実だった。 二人ともトレーナーとしてはトップクラスの実力を持っているし、どこか似通っているような考え方も持っているように思える。 いや、それが事実かどうかは分からない。 アカツキの心を惑わすための虚言とも限らないのだ。 ダガ、モシカシタラ…… 不協和音が胸中に響く。 もし、それが本当だとしたら…… 「ぼくは、もっと強くなれる……?」 アカツキはふとそんなことを思った。 今がどんな時であるかを忘れて。 「トレーナーとして強くなって……お母さんに心配かけないくらい、強くなれる……?」 石を投げ込まれた水面のように、心に波紋が広がる。 リクヤの言葉が事実だとすれば……ダイゴほどのトレーナーを育てたとなれば、その言葉の重みは磐石のものとなるだろう。 「決めるのはおまえだ。 俺に教えを乞うも、それを断り、自らの足で歩いていくのも……すべてはおまえが決めることだ。 拒んだところで、俺は何もしない」 リクヤはハッキリ言い放った。 トレーナーとして強くなりたいのなら自分のもとへ来いと。 そしてそれを断るのも自由だと。 一方的でない選択肢を突きつけられ、アカツキの心は揺れ動いていた。 一方的なら、それを跳ね除けることしか考えずに済む。 だけど…… 「あの人が今までしてきたことは……」 思い出せ。 リクヤたちが今までしてきたことを。 アカツキも……忘れはしない。 エントツ山では炎タイプのポケモンを方々から拉致し、その力を持って噴火させようとした。 送り火山ではグラードンを眠りより覚ますのに必要な『紅色の珠』を略奪すべく、自然豊かな山肌を徹底的に荒らし回った。 安らかな眠りを妨げられたポケモンたちが嘆き、憤る姿が脳裏に浮かぶ。 その他にも様々なことに手を出してきただろう。 それも、人やポケモンからは歓迎されないような、汚いことばかりに。 アカツキは振り子のように両極に揺れ動く心の中に、確かな何かを見つけた。 「ぼくがあの人のところに行ったら……」 想像するまでもなく分かることだ。 相手は、人類救済などと謳っては悪事に手を染めてきた人間だ。 そんな人にトレーナーとして様々な技術を教えてもらったところで、それが本当に自分の求めている『強さ』であるのかどうか。 答えは否だった。 善悪で人を判断してはいけないということくらい、分かっている。 だが、求めるものが彼のもとにあるわけでない以上、その申し出を受ける理由はなくなった。 「断ります」 アカツキは小さく漏らし、リクヤを睨みつけた。 「ぼくは、自分の力で強くなりたい!!」 一転、大きな声で自分の決意を述べる。 しかし、リクヤは特にガッカリした様子は見せなかった。 断られることを最初から予想していたように、落ち着き払っていた。 「そうか……」 言われてみなければ気づかないほどの、かすかに残念そうな感情を滲ませ、一言漏らした。 リクヤとて、嘘であんなことを言ったわけではない。 彼ほどのトレーナーになると、一目見ただけで、相手の力量はおろか、素質まで分かってくるのだ。 つまるところ、アカツキはリクヤのメガネに適った……それは事実だ。 「あなたにいろいろ教えてもらった方が早く強くなれる…… でも、ぼくはあなたのことを信じることができないんだ!!」 アカツキは大声で言い放った。 ポケモンの技が炸裂する音にかき消されないような、大きな声で自分の気持ちをぶつけた。 平気な顔をして他人のポケモンを奪おうとするような、関係ない誰かを犠牲にできるような…… そんな人間のどこを信じればいいというのか。 と、そこではじめてリクヤの表情が変わった。 どこか悲しそうな笑みを浮かべている。 「え……?」 一体どうして彼がこんな顔をしているのか。 アカツキには分かるはずもなかった。 いや、分かろうと思うよりも早く、何の前触れもなく、突然突き上げるような揺れが真下から襲い掛かってきた!! 「うわっ!!」 アカツキは短く悲鳴を上げて、尻餅を突いた。 揺れの影響を受けたのはアカツキだけではなかった。 ハヅキたちやマグマ団、そしてリクヤまでもが影響を受けていた。 ほぼ全員が辛うじて転倒を免れたようだが、戦いは今の揺れであっさりと終結した。 トレーナーには戦う意志が残っていたが、数十体のポケモン全員がそれをなくしてしまったのだ。 何かを畏れ敬うような表情で、同じ方向に身体を向けている。 炎のような輝きを放つ『紅色の珠』を掲げたマツブサへと、彼らの視線は集まっていた。 「ど、どうなっているんだ……」 ハヅキはポケモンたちの視線を追いかけると、小さく漏らした。 「まさか……!!」 渇いた声で言うと、ダイゴが目を大きく見開いた。 とてつもなく嫌な予感が、アカツキとハヅキ、ダイゴ、プリム、ミクリの胸に突き刺さる。 「わははははは!!」 その正体を確かめる暇もなく、マツブサの哄笑が空間を満たした。 「蘇れぇ、グラードンっ!!」 言葉に呼応するかのように、溶岩が首を擡げるのを、アカツキは確かに見た。 第83話へと続く……