第83話 背信 -Treachery- 溶岩が山のように盛り上がった。 その高さは優に五メートルを越えていた。あるいは十メートルに達していたかもしれない。 ドロドロと重苦しそうな音を立てながら、盛り上がった溶岩がこぼれ落ちていく。 誰もが言葉を失い、その光景を見つめていた。 ダイゴたち、マグマ団、彼らのポケモン……すべてが盛り上がった溶岩へと視線を送っていた。 「まさか、本当にグラードンが存在したと言うのか……!?」 ダイゴは喉がカラカラに渇いていくのを感じた。 思わず飲み下した唾は、しかし喉を潤すには足りなかった。 「……いったい何が起きてるんだ……?」 アカツキは心臓が不自然な鼓動を刻む音を確かに聞きながら、嫌な予感を膨らませていた。 マツブサを止めなければならない―― 煌々と輝く『紅色の珠』をもってグラードンを復活させようとしているマグマ団総帥・マツブサ。 彼はアカツキたちに背を向けたまま、じっと目の前に盛り上がった溶岩を見つめていた。 だが、身体が動いてくれない。 見えない力で縛られているかのように、何もできない。 時が停滞しているかのような空間で、しかし変化は起きていた。 山のように盛り上がった溶岩は、溶岩の塊などではなかったのだ。 溶岩が零れ落ちていくに連れて、その姿が明らかになっていく。 赤い巨体が姿を現した。 「おお……」 神々しいものでも見るように、マツブサの声は感嘆に打ち震えていた。 「あれがグラードン……」 全員が胸中でつぶやいた。 優に五メートルを超す体躯に、赤い体躯から繰り出される雰囲気はオーラのごとく全員の足を止めていた。 紋様のように黒い縞が全身に走り、前脚の爪は一本一本が大人の手の大きさほどはあるだろうか。 何者をも寄せ付けぬ灼熱の海に屹立するその姿は、雄々しく、それでいて神々しかった。 「すばらしい……!!」 カガリは赤い巨体を見つめ、感嘆に声を震わせた。 これが、自分たちが復活を目指してきた存在なのだ。 カガリもホムラも他のマグマ団員も、自分たちの勝利を確信していた。 グラードンさえ蘇ってくれれば、海など一瞬で干上がらせられる。 陸地を広げ、いつかは訪れるであろう食糧問題による人類の危機を脱することができる!! 「大地の化身・グラードン……永き眠りよりようやく覚めたか……!!」 マツブサは頭上に掲げていた両手を下ろした。 右手に持つ『紅色の珠』が輝きを失っていく。 「本当にいたとはね……」 「信じられません……」 ミクリは余裕ぶった口調で言うものの、しかしその声はプリムと同じく震えていた。 マツブサが畏れ敬うような視線を向けている相手――それこそが大地の化身と神話で語り継がれている存在・グラードンだった。 しかし、神話などではなく、グラードンは実在したのだ!! 「ごぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 永い眠りで鈍った身体を慣らすように全身を捻りながら、グラードンは低い唸り声を上げた。 空気を振動させ、全身に声の『力』が伝わってくる。 砂利でも飛ばされているかのように、衝撃が身体を駆け抜けていく。 「これがグラードンか……」 リクヤは別段動揺することもなく、冷めた瞳でグラードンを見つめていた。 マグマ団が人類救済を行うにおいて絶対的に必要な力を持つポケモンだ。 光と熱を操ることで雲を追い払い、太陽の恵みをこの大地に降り注ぐ力を持つ。 一見無骨そうに見える姿からは想像もできないほどの力を有している……それはアカツキにだって分かった。 ただそこにいるだけで、身体が動かなくなってしまうような雰囲気を放っている。 ポケモンたちはグラードンの凄まじい力を全身で感じ取り、金縛りに遭ったように身動き一つできなかった。 「俺の役に立つかどうか……まずはそれを見せてもらうことにするさ」 皮肉めいた言葉を胸中でつぶやくと、口の端を吊り上げ、彼に背を向けているマツブサをじっと見つめた。 「マツブサ。おまえがそのポケモンを操れるのかどうかを」 リクヤの中で渦巻く陰謀など素知らぬ顔で、時は動き出す。 「すごい……ぼくたちのポケモンとは比べ物にならない……」 遠目でも、アカツキはグラードンの圧倒的な力を感じ取ることができた。 溶岩の中にいても平気だったと言うことから炎タイプだと思われるが、実際は地面タイプのポケモンである。 たとえ相性的に有利なアリゲイツとミロカロスで戦ったところで、まず勝機がないということがひしひしと伝わってくる。 こんなポケモンを使って、マグマ団は人類救済のために何をしようというのか…… 考えただけで恐ろしい。 こんな力、人間が手にしていいものではないのかもしれない。 子供心にも、そんなことが分かってしまうほどだった。 「グラードンよ!! 我らがために、その力を貸せ!!」 マツブサは期待に満ちた眼差しでグラードンを見つめ、尊大とも言える口調で呼びかけた。 俺が目覚めさせたのだ、俺のために働け――とでも言わんばかりだった。 グラードンはひとしきり身体を動かした後で、目の前で喜びの表情を浮かべている人間の男を見下ろした。 取るに足らない小さな存在だ。 足を一歩踏み出せば、すぐにでもつぶれてしまいそうな、頼りない存在。 グラードンに見つめられたことで、マツブサはいよいよその興奮が最高潮に達していた。 言葉が通じたのだ、古代のポケモンに!! 言葉が通じたと言うことは、自分の言いたいことも理解してもらえている……それは正解であり、しかし間違いでもあった。 すべてはグラードンが決めることだということを、マツブサは失念していたのだ。 グラードンは低く唸った。 目の前の人間が、どうやら自分を永い眠りから覚ましてくれたらしい。 眠りの中にまどろんでは、時の流れがどれほどに移り変わっていったのか、それさえも虚ろでよく分からない。 だが、現実として自分は目覚めた。 男の手には見覚えのある赤い珠が握られている。 いつかの死闘の末に、この場所で力尽き、眠りに就くことになった遠き昔……そして今までが、一瞬という名の線で結ばれていた。 「グラードン、我々に手を貸せ!! そして、その力で大陸を押し拡げよ!!」 マツブサは改めてグラードンに呼びかけた。 グラードンは確かにその男の言いたいことを察し……理解した。 だが、理解したところでそれは内容に過ぎず、その言葉に従うか否かは、グラードンの意志ひとつ。 そして…… グラードンは答えを出した。 「ごぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 凄まじい咆哮と共に、その口から吐き出された灼熱の炎が矢のような勢いでマツブサへと迸った!! 「なにっ!?」 信じられない光景に、マツブサは驚愕した。 だが、自分に向かいつつあるのは、食らったら間違いなく骨すら残らないであろう灼熱の炎。 さすがにそれをまともに食らうつもりはなかった。 驚きながらも、辛うじて身を避わした!! マツブサのいた場所を、灼熱の炎が容赦なく舐めつくす!! 「ばかな……」 マツブサは愕然とした。足腰が砕け、その場に崩れ落ちる。 「総帥(リーダー)!!」 ホムラとカガリが思わず彼のもとに駆け寄ったが、マツブサはふたりがやってきたことすら、分からないようだった。 「なぜだ…… 『紅色の珠』があれば、グラードンを自由に操ることができるのではなかったのか……!!」 嘆くように……憤るように、マツブサは拳をわなわな震わせながら叫んだ。 彼の表情は驚愕と、絶望にすら似た感情を湛えていた。 『紅色の珠』。 それはグラードンを眠りより覚まし、その力を自在に操るためのキーアイテムだったはずだ。 古文書や文献を研究した結果として得られた成果。 確かにグラードンを目覚めさせることには成功した。 だが、グラードンはマツブサの言葉を拒んだのだ。 それは今まで積み上げてきた努力の瓦解を意味していた。 グラードンの力を使って大陸を拡げるというマグマ団のすべてが潰えた瞬間だった。 すべてはこのために組織を立ち上げ、念入りな計画を立て、それを実行に移してきた。 すべてが順調に進み――今、最終局面でそれは蜃気楼のように消えてなくなってしまった。 「総帥、どうなさいます?」 動揺を押し殺せない様子で、カガリはマツブサに問いかけた。 「このままでは……」 マツブサは目が覚めたような気がした。 グラードンの力などに頼ってはならなかったのかもしれない。 本来人が手にしてはならない、禁断の力……それに手を出してしまったのは、アクア団という組織があったためだ。 対抗馬があったからこそ、何としてもそれに負けてはならないと思っていた。 故に、汚いことにも手を染めてきた。 すべては……間違いだったのだ。 一部の人間だけが先走って人類救済など成し遂げようとしても、それは結局叶わぬ夢。 「やはり、貴様ではグラードンを操るには至らなかったようだな」 「!?」 マツブサは立ち上がり、声の方を振り向いた。 嘲るような笑みを浮かべたリクヤが彼を見ていた。 「どういうことだ……」 その言葉の意味を測りかね、マツブサはつぶやいた。 「今まで貴様に協力してきたが、それも無意味になったわけだ……」 「何を言っているんだ、リクヤ!!」 ホムラは咆えた。 意味不明なことを言うリクヤが乱心したのではないかと、そう思ったのだ。 共通目的である人類救済が完膚なきまでに潰えた今、団員の希望は完全に消えた。 リクヤはそれに絶望してしまったのではないか。 そういえば、グラードン復活への情念は人一倍強かった。本気で人類救済を考えているのだと思っていた。 だからこそ頭がおかしくなって……だが、ホムラもカガリもリクヤという男の真意を知ることができなかった。 アカツキは、グラードンが再び身体を慣らすような仕草を取り始めたことと、マグマ団の内輪もめに、すっかり置き去りにされていた。 あるいは、ダイゴたちはそれを静観しているようでもあった。 「グラードンが俺の役に立つ存在であるかどうかを確かめるために、マグマ団に協力してきたが…… やはり、俺の最強のポケモンに比べれば、ただ無骨で粗暴なだけで、役に立つ存在ではないな」 「リクヤ、あなたまさか……!!」 カガリは蒼ざめていく表情を自分で知覚しながらも、リクヤを信じたいと言う、半ば無理のある気持ちを抱えていた。 リクヤはそんな彼女に残酷にも告げた。 「俺はグラードンを自分のものにするつもりだった。 そのために貴様らに協力してきた。 結局それが無駄であると分かった以上、これ以上貴様らと仲間ごっこなどしている必要もなくなったというわけだ……」 彼の傍にミロカロスがやってきた。 「リクヤ、どういうことだ!? まさか、このためにマグマ団を利用してきたと言うのか!?」 「今頃気づいたか……ダイゴ。 おまえも同じだ……俺の目的を知りながら、それに手を貸さなかったおまえも。 こうなった以上、俺はどうなろうと知ったことではない。 ホウエン地方を灰燼に帰されたくなくば、おまえたちでこの化け物をどうにかするんだな」 ミロカロスの力が働いたのか、リクヤの身体はゆっくりと宙に浮かび、驚愕の視線を向けている一同を見下した。 「どうしても無理と言うのなら、俺に頭でも下げに来ることだ……」 勝ち誇ったような笑みを残し、リクヤは緑の風に包まれた。 それが消えた後、彼とミロカロスの姿はどこにもなくなっていた。 「俺たちはリクヤに利用されていたと言うのか……」 ホムラは渇いた声でつぶやいた。 信じられないことが立て続けに起きて、彼も混乱していたのだ。 グラードンの離反、リクヤの裏切り……マグマ団はまさに四面楚歌の状況と言えた。 ダイゴたちホウエンリーグ部隊と、グラードン。 いずれもが味方にはなり得なく、敵でしかない。 「あの人は……マグマ団を利用してた……?」 アカツキも信じられない気持ちでいっぱいだった。 だが、同時にどこかで納得していた。 リクヤほどのトレーナーがマグマ団という組織に属していることに、疑問を抱いていたからだ。 何もかもひとりで成し遂げられるような強さを持っているのに、どうして組織という枠に囚われていたのか…… 結局、彼はその組織を逆に自分の枠に捕らえてしまっていたのだ。 グラードンが自分の役に立つ存在になり得るかどうかを確かめさせ、それができないと分かると、あっさりと裏切ってしまった。 残ったのは、彼がどうしてグラードンを自分のものにしようとしたのかという疑問だけだった。 無論、答えてくれる存在はすでに消え失せていたが。 「やっぱり、そうなんだ」 ついていかなくて正解だったと、ホッと胸を撫で下ろした。 平気な顔してマグマ団の悪事に手を貸し、平気な顔してマグマ団を裏切った。 たとえ悪事であっても、彼を信じていた人間がいたのは間違いない。 それを裏切るような人間だったのだ。 信じなくて正解だったと思った。 「あの人は……ぼくも利用しようとしてたんだ……」 マグマ団の面々すら利用していたのだ、アカツキを利用していたとしても、何の不思議もない。 ポケモントレーナーとして育て上げた後、自らの尖兵(てあし)として使おうとしていたのかもしれない。 どうせそうに決まってる。 そんな考えから身体が熱を帯び、頭が重くなってきた。 思わずふらついて――数歩たたらを踏んだところでバランスを取り戻す。 「マツブサ。あなたはこの不始末をどうつけるつもりだ?」 と、ダイゴが刃のような言葉をマツブサに突きつけた。 その言葉に顔を上げ、ダイゴを見つめるマツブサ。 「……やつを倒す……」 「だが、それでもあなたたちの処罰は免れない。 それを知っても、僕たちに手を貸すというのかい?」 「このままでは、人類救済どころか、確実にホウエン地方が壊滅する。 それを防ぐのが、今の私たちの使命だ」 「上等だな。で、そこの団員さんたちはどうする?」 ミクリはイマイチ信じられないらしく、呆然と立ち尽くすマグマ団の団員に目を向けたが、マツブサは躊躇うことなく言葉を返した。 「ルネシティの住人と共に避難してもらう」 「それを素直に信じるとでも思っているのですか?」 「信じられなくて当然だと思っている。 だが、ホウエン地方の壊滅は我々としても望むところではない」 突き刺すようなプリムの視線に屈することなく、マツブサは強い意志が滲んだ瞳を彼女に向け返した。 自分が今までやってきたことに比べれば、これくらい…… そもそも罰せられて当然なのだ。 それを軽減させてくれると期待などしているわけではない。 今までしてきたことに対する、せめてもの償いをこの場でしたい。 それがマツブサの真意だった。 目が覚め、自分のやるべきことを悟った、彼なりの境地だったのだ。 そんな彼に、カガリとホムラは従うことにした。 総帥の命令が絶対ということもあるし、グラードンを味方につけられなかった以上、ホウエン地方が壊滅するのも時間の問題。 逃げたところでどうにもならない以上、ここは不本意ながらもダイゴたちに手を貸してグラードンを倒すしかない。 「いいだろう」 ダイゴは頷いた。 「ここはあなたたちを信じよう。手を貸してくれ、マツブサ」 「承知した。カガリ、ホムラ。おまえたちもそれで良いか?」 「言われなくても」 「そうするつもりでしたぜ」 「ふっ……」 マツブサは愚問を投げてしまったとかすかに後悔しつつ、うろたえている団員に指示を下した。 「これが私の最後の命令だ。 ルネシティの住人に理由を説明し、彼らと共にルネシティを離れよ。 避難先はキナギタウン。分かったらさっさと行け!!」 団員たちは彼の言葉を受けると、背筋をピンと伸ばした。 それぞれのポケモンをボールに戻し、元来た道を戻っていった。 「というわけで……」 ダイゴはグラードンを睨みつけた。 視線に気づいて、グラードンはこの場に残った八人の人間と彼らのポケモンを見下した。 本気にならなくても潰せるような相手だ……そう思って、さして動揺もしていなかった。 「グラードン、僕たちが相手になろう。 悪いが、カイオーガと引き合わせるわけにはいかない。 ホウエン地方を壊滅させるわけにはいかないからね」 ダイゴはグラードンの圧倒的なプレッシャーに負けないように声を張り上げて告げた。 まっすぐに見つめてくる視線に気がついて、グラードンは相手を見つめ返した。 だが、それでも動揺はなかった。 「ぼくは……」 アカツキは自分のやるべきことがなくなってしまったような気がした。 つい先ほどまで敵だったマツブサ、カガリ、ホムラは一時的にダイゴたちに味方することになった。 さすがにそれくらいは分かっていたが、だからこそ自分の出る幕がなくなってしまったということも感じていた。 グラードンと対峙しているトレーナーたちは、自分とは次元の違う強さを秘めた強豪ばかり。 「ぼくがいたら、それだけで足手まとい……なんだよね」 悲しい気持ちになってしまったが、だけどそれは事実だった。 誰もアカツキの方を振り向いたりはしない。視線を向けられても、グラードンの方を見ているばかりだ。 だが、その視線に一人だけ気づいてくれた。 「アカツキ……」 一番近くにいたハヅキだった。 距離だけではなく、兄弟としての情愛か何かが気づかせてくれたのかもしれない。 額にびっしり汗を滲ませながら、鬼気迫るような表情を向けられ、アカツキは言葉を失った。 何も言えるはずもない。 何をすればいいのか分からなくて……ここにいる意味すら手のひらから零れ落ちてしまいそうな、こんな自分には。 「普通なら、『おまえも逃げろ』って言うところなんだろうな」 グラードンとダイゴたちの間の緊張が高まっていくのを余所に、ハヅキは兄として、アカツキに接した。 何かを求めるような弟の視線に、何もせずにはいられなかった。 「アカツキ。逃げるな。ここで一緒に戦うんだ」 「え……?」 予想もしなかった言葉を投げかけられ、アカツキは一瞬考えが麻痺した。 そんな弟を置き去りに、ハヅキは矢継ぎ早に言葉を継ぎ足した。 「今のおまえは足手まといなんかじゃない。 ダイゴさんがおまえを連れてきたのは……きっと意味があるんだ。だから一緒に――」 「来るぞ!!」 ハヅキの言葉が終わらないうちに――アカツキの考えがまとまらないうちに、ダイゴの鋭い声が飛んだ。 刹那、グラードンが咆えた。 「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 大気を震わせる咆哮は、洞窟の壁に幾重にも反響した。 思わず耳を塞いでしまうほどの騒音で、パラパラと壁が小さく剥がれ落ちていく。 変化はそれだけではなかった。 ようやっと咆哮が収まったと思ったら、今度は洞窟に光が満ちた。 足下にくっきりと黒い影が生まれ、太陽に照らし出されたように洞窟が明るくなった。 「太陽!?」 プリムの悲鳴と共に、アカツキをはじめ、全員が天井を仰いだ。 天井に、光り輝く球体が浮かんでいた。 太陽のような明るさを放つ光の球体は、太陽と同じように蒸し暑さを覚えるような熱気を放っていた。 「やはり、グラードンはこの光の球で雨雲を吹き飛ばしたのか……!!」 マツブサが呻くように漏らした。 「ならば、水タイプのポケモンで対抗するしかないのでしょうね」 「そうでもないわ」 度を増す熱気に顔をしかめながらプリムが言ったが、カガリは鼻で笑い飛ばした。 「これは日本晴れに似た効果をもたらすわ。ならば、炎タイプで対抗する手段もある」 「どちらでもいいさ!! 行くぞ!!」 小さな小さな内輪もめではあったが、見過ごすことはできない。 ダイゴは檄を飛ばすと、鋭い爪を宿した巨大な脚を四本持つポケモン・メタグロスに指示を下した。 「メタグロス、破壊光線!!」 ダイゴの指示に応え、メタグロスが四本の脚を折りたたみ、青く巨大な石を思わせる頭部を開いて、破壊光線を発射した!! 凄まじい力を秘めた光線が、一直線にグラードン目がけて突き進んでいく!! 「す、すごい!!」 アカツキは感嘆のつぶやきを漏らした。 いつかユウスケのグラエナが放った破壊光線を見たことがあったが、それとは明らかにレベルが違う。 太さだけで言えば二倍近くはあるだろう。 その威力は如何ほどのものか。 残念ながら、それを確かめる機会は訪れなかった。 メタグロスの破壊光線が合図であるかのように、次々にポケモンたちの技がグラードン目がけて突き進んでいく。 その中にはハヅキのバシャーモの火炎放射も含まれていた。 破壊光線が、冷凍ビームが、火炎放射が、グラードンのがら空きの腹に突き刺さった。 「ぐぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 いくら神話のポケモンでも痛いものは痛いのか、グラードンは苦悶の咆哮を漏らしながら身を捩った。 その光景を見て、アカツキはハッとした。 やるべきことは『なかった』わけじゃない。はじめからここにあったのだ。 ただ、リクヤがいなくなってしまったことで、見失っていただけなのだ。 だから…… 「ぼくだって……」 アカツキはギュッと拳を握った。 サウナをさらにエスカレートしたような熱気に頭がぼーっとしながらも、やるべきことを再認識できた。 「アリゲイツ、水鉄砲!! カエデ、火炎放射!!」 アカツキは腰からモンスターボールをふたつ引っつかみ、投げ放った。 口を開いたボールから二体のポケモンが飛び出し、指示された技をグラードンへと放った!! 絶え間なく続くダイゴたちの攻撃に追従する形で、グラードンに突き刺さる!! グラードンはただ身を捩るばかりで、これでは一方的なワンサイドバトルだ。 もっとも、グラードンに何らかのアクションを起こされては、それだけで危ないとダイゴたちは考えていた。 咆哮で太陽のような光の球体を生み出すほどの力が実際の戦闘で用いられたら、面白くないことになるのは想像に難くない。 だからこそ一方的に攻撃し続けるしかない。グラードンが倒れるまで。 「アリゲイツ、カエデ、休まないで水鉄砲と火炎放射をぶつけて!!」 アカツキは自分自身が思うよりも早く、流れに乗ることができた。 すっかり、グラードンと戦うトレーナーの一人へとなっていた。 「心配するほどのことでもなかったかな……」 ハヅキは様々な技をポケモンに指示する合間にも、アカツキのことを横目で何度も見ていた。 真剣な表情で、アリゲイツとカエデに指示を下しているその様子を見ている分には、思ったよりは深刻な事態にならなかったらしい。 とりあえずは安心できた。 あとはこれでグラードンを何とかできれば…… 具体的には倒すしかない。 神話で語り継がれていようともポケモンはポケモンなのだから、ゲットできないことはないだろう。 だが、仮にボールに入ったところでトレーナーの言葉に従うかどうかは分からないのだ。 我が強いポケモンはなかなか言うことを聞かないこともある。 だから、倒すしかない。 ゲットしようとすれば、余計な手間隙がかかる。 万が一その間にカイオーガがこちらにやってくることになれば、その時は本当にホウエン地方が壊滅する。 「ネンドール、サイケ光線!!」 「トドゼルガ、冷凍ビーム!!」 次から次へと途絶えることなく攻撃が繰り出され、間髪入れずにグラードンにダメージを与えていく。 だが、それも長くは続かなかった。 攻撃を受け続けて痛みに慣れたのか、グラードンは身を捩ることも、苦痛に声を上げることもしなくなった。 怒りに満ちた瞳でダイゴたちを睨めつけると―― 「ぐおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 巨大な爪のついた腕を左右に広げ、口から凄まじい炎を吐き出した!! 「逃げろ!!」 ダイゴが叫ぶまでもなく、全員がその場から退避した。 噴火を思わせるような爆風すら伴って吹き付けてきた炎は、攻撃すら吹き散らし、先ほどまでダイゴたちがいた場所を容赦なく焼き払った!! 超高熱にさらされて、地面が赤く煮えたぎっている。 さらに熱気が生まれ、強風に乗って肌に吹き付けてくる。 肌が焼け付くように熱くなり、ヒリヒリしてきた。 あまりの暑さに、アカツキは思わず膝下に触れようとしたが、思いとどまった。 そんなことをすれば、本当に掻き乱してしまいそうだ。 「なんて威力だ……」 ミクリは身体を震わせた。 あんなのをまともに食らったら、間違いなく即死だ。 先ほどマツブサに吐いた炎など、肩慣らしといわんばかりの威力が込められていたと思われる。 「しかし、あれほどの攻撃を受けながらもまるでたじろいでいない……」 ホムラは驚愕に目を見開いていた。 怒涛の攻撃を受けながらも、グラードンはまるで効いていないようだった。 先ほど咆哮を上げながら身を捩っていたのは、痒いと思っていたのか、それとも…… 「反撃する!! 防戦に回っては不利だ!!」 「了解!!」 つい数分前まで敵だったとは思えないくらい、ダイゴたちとマツブサたちの息はピタリと合っていた。 共通の目的を見出せると、人はそこまで協力的になれるものなのだろうか…… 今に限ってはそれがとてもうれしかった。 グラードンの炎が収まるのを待ってから、ダイゴたちは反撃に打って出た。 防戦に回っても、グラードンの体力が尽きるよりも早く、ダイゴたちが力尽きてしまうだろう。 そうならないためには、徹底的に攻撃し続けるしかない。 再び様々なタイプを織り交ぜた攻撃がグラードンに突き刺さる!! 少しは効いているのかもしれないが、グラードンは表情をまるで変えなかった。 攻撃を受けている途中に一際大きく咆えると、それだけで地面が大きく揺れた!! 「あわわわわっ!!」 大地震のような揺れに襲われ、アカツキはたまらずバランスを崩し転倒した。 アカツキだけでなく、攻撃に夢中になっていたポケモンも何体か転んでしまった。 「怯むな、攻撃ーっ!!」 まるで戦場で指揮を執る隊長のような口調で、ダイゴが檄を飛ばす。 現場のトップと言うのはそういうものなのだろうか。 アカツキにはよく分からなかったが、悠長に休んでばかりはいられないはず。 身体に力を込めて立ち上がるが、気のせいか、頭が重い。 「なんで、こんなに熱いんだ……」 アカツキは首を左右に打ち振った。 元々からの熱気と天井付近に浮かんでいる光の球からの熱が合わさって、炎天下をも凌ぐような熱気がこの空間にわだかまっている。 身体が熱を帯び、思うように物事を考えられない。 頭が熱くて、そんなに疲れてもいないのに息が上がってしまう。 そんな状況に置かれながらも、アカツキは退かなかった。 ダイゴたちが戦っているのに、一人だけここから逃げ出すなんて、できるはずもない。 「アリゲイツ、カエデ、しっかり!!」 アカツキは自分と同じく転んだ二体のポケモンを励ますと、グラードンを凝視した。 普通では考えられないような規模の集中砲火を受けながら、倒れない。 それどころか、怯みさえしない。 一歩前に出ると、グラードンは成人男性の身長よりも長く、それでいてその身体よりも太い腕を振りかざした!! 至近距離で戦っているダイゴのメタグロスやミクリのミロカロスは、間一髪のところでその攻撃を避わした。 まともに受ければ身体の内部までズタズタにされてしまうだろう。 さすがにそれを感じ取ったのか、二体のポケモンはすぐにグラードンから離れた。 グラードンは徐々に溶岩の海から、その足場を岩盤質の大地へと移していた。 糸を引くように溶岩が流れ、すぐに黒く固まった。 陸に上がったグラードンは、溶岩の海にいた時よりも大きく見えた。 「これがグラードンなんだ……」 露になった全身を見つめ、アカツキは息を呑んだ。 今まで見てきたどのポケモンよりも巨大で、雄々しくて……そして神々しかった。 その間にも攻撃は続いていたが、グラードンはそれほど意に介してはいないようだった。 「く……リクヤがいてくれれば……何とかなったかもしれないわね……」 カガリが悔しそうにポツリ漏らしたのを、アカツキは聞き逃さなかった。 彼はこの場の誰よりも強いポケモンを育て、誰よりも強いトレーナーだった。 彼は、自らが所属していた組織を裏切って姿を消した。 ホウエン地方の命運をゴミのように簡単に投げ捨てて、何処かへと消えた。 そんな彼がアテになるはずがないと分かってはいるが、それでも頼りたくなってしまう。 カガリにとってリクヤはそれくらい頼りになる存在だったのだ。 「リクヤさん……」 半ば無意識に、アカツキの口からその一言が飛び出していた。 なぜだろう。 こんな時なのに、気になってしまう。 優しい時があったかと思えば、さっきのように平然と仲間を裏切ったり。 いや、彼にしてみれば、マグマ団は単なる隠れ蓑に過ぎなかったのだろう。 グラードンが自分にとって有益な存在になりえるか。 だからこそマグマ団に属し、グラードン復活を手助けしてきたのだ。 そして、見込みがなくなればあっさり切り捨てた。 あるいはそれは完璧な取捨選択かもしれない。 「でも、どうしてあの人はぼくに……声をかけたのかな?」 攻撃が続く。 アカツキの指示がなくても、アリゲイツとカエデはその場の雰囲気を読み取ってそれぞれの得意技で戦っている。 アカツキだけが、雰囲気から切り離されたようだった。 考えている場合じゃない。 今はグラードンを何としてでも倒さなければならないはずだ。 考えにふけるよりも前にやるべきことがあるはずだ。 なのに、そう思えば思うほど深く考えにのめり込んでいく。 リクヤはどうしてアカツキに声をかけたのか。 彼がその気になれば、他の同年代のトレーナーをスカウトして、アカツキと同じようなことだってできたはずだ。 いや、むしろその方が効率的と言えるだろう。 それをやらなかったのはなぜか。 わざわざこの場所で、アカツキに声をかけてきた理由は? 分かるはずがないのに、考えてしまうのは何故だろう? 考えにふけるあまり、今のこの状況さえほとんど目に付かなかった。 自分がどれだけの危機にさらされているのかも…… 「アカツキ君、逃げろ!!」 「!?」 ミクリの、叱咤に似た声に弾かれたように顔を上げる。 今さらのように我に返り、見た。 グラードンがたくさんの攻撃を受けながらも、呆然と立ち尽くしていたアカツキを睨みつけた。 「あ、ああ……」 憎悪を凝縮したような眼差しを受け、アカツキは一歩も動けなかった。 氷に閉ざされたように足が竦んで、動いてくれない。 グラードンが口を開き、今まで見たどの炎よりも凄まじい火力を持った炎を吐き出した!! 「アカツキ!!」 ハヅキが悲痛な声を上げるが、それでも動けない。 眼前に迫る死の恐怖に、動こうという気持ちすら萎えてしまったのだ。 さらに――運が悪いとしか言いようがない――、全身が熱い。 少し前まではそんなに気にならなかったのに、突然身体が炎に包まれたように熱く感じられた。 何も考えられなくなって、立っているのも辛い。 心臓の鼓動がいつもよりも速く、鮮明に聞こえる。 「くっ……行けっ!!」 ダイゴはこの場に出さずに温存しておいた最後の一体が入ったモンスターボールを投げ放った!! 躊躇っているヒマはない。 自分のこの行動が何をもたらすかなど、考えている暇もない。 間に合うかどうかすら分からない。 ただ――死に瀕した男の子を見殺しにすることだけはできない。 ダイゴの意志に応えて飛び出してきたポケモンは翼を広げ、滑るようにしてアカツキのもとへ向かう!! 「!?」 ハヅキは息を呑んだ。その姿を目の当たりにして。 そんな彼のことなど露知らず、アカツキは自分に向かって突き進んでくる炎を見ているだけだった。 気のせいか、遅く見える。 感覚が徐々に麻痺していくのを感じる。 動くべきだと分かっているのに、熱を帯びた身体は動くことを拒絶し続けた。 炎に飲み込まれる――確実に死ぬ――その直前。 ひゅっ!! 横手から滑り込んできた黒い影が、アカツキの身体をつかんだ!! 「!?」 気がついた時には、身体が宙に浮かんでいた。 熱を帯びた風が妙に生温く感じられたのは、死の恐怖に怯えていたからかもしれない。 「入り口へ運べ!!」 ダイゴの声に、アカツキの身体をつかんだポケモンはグラードンの脇をすり抜けて、階段の傍へと空を駆けた。 「一体……なに?」 アカツキは自分の置かれた状況を懸命に理解しようとした。 だが、理解するスピードよりも、時間の経過の方が早かった。 そのポケモンはアカツキの身体を階段の傍に横たえた。 力加減が上手なのか、地面にぶつかって痛みを感じることはなかった。 と、猛烈に意識が薄らいでいく。 オーバーヒートするように身体が熱い…… 「あう……うう……」 悪夢にうなされるように、アカツキは引きつった呻き声を上げた。 熱波にさらされ続けて、熱中症にかかってしまったのだ。 身体が出来上がっていないので、ちょっとした変化でも大きなものと捉えてしまうのだ。 「これは……」 ダイゴはメタグロスたちに攻撃し続けるように指示を出すと、アカツキのもとへと駆け寄ってきた。 その額に手を当て、顔をしかめる。 あまりに熱かったのだ。 どれほどかは分からないが、身体中が平熱を大きく上回る熱に覆われているのは疑いようがない。 アカツキが苦しそうに喘いでいるのを見ているのが辛いのか、思わず目を反らしてしまう。 「ミクリ!! この子をジムに連れて行くんだ!! 早く!!」 「分かった!!」 ミクリはミロカロスを伴ってやってきた。 他のポケモンたちで攻撃を続けているのは、ダイゴと同じだった。 アカツキはうっすらと目を開けた。 視界がぼんやりして、ダイゴがどんな顔をしているのかさえ分からない。 髪の色と顔の輪郭だけで、辛うじてダイゴと認識できた。 だが、何よりも鮮明に飛び込んできたのは、ダイゴを守るように、彼の傍でグラードンに目を向けているポケモンの後ろ姿だった。 「あ……!!」 その姿を認識し、理解するその直前に。 アカツキの意識は闇へと滑り落ちた。 気を失った男の子を易々と背負うと、ミクリはダイゴに言った。 「すぐに戻ってくる。それまで持ち堪えていてくれ」 「分かった。なるべく早く頼む」 返事の代わりに頷くと、ミクリはミロカロスと共に階段を駆け上った。 「ダイゴさん……」 ハヅキはダイゴの傍で佇むポケモンを見つめ、震えた声でつぶやいた。 まさか…… 信じられない気持ちの方が圧倒的に強い。 今の今まで教えてくれなかった、ダイゴの六体目のポケモン。 ハヅキの目に飛び込んできたそのポケモンは、紛れもない――アカツキが会いたいと願い続けていた『黒いリザードン』だったのだ。 第84話へと続く……