第85話 どんな犠牲を払っても…… -At any price...- 状況はどうにも芳しくないらしい…… ぼんやりした意識の中でもハッキリ分かるほどの状況が眼前に広がっている。 一言で言えば劣勢だった。 ハヅキは息を切らして壁にもたれ座り込んでいる。 そのほかの六人は必死の形相でグラードンと戦っているが、その表情からは疲労が色濃く読み取れた。 ポケモンたちも満身創痍に等しい状況だ。 その中で、グラードンだけが、まるで疲れを知らないようだった。 目には燃え滾る炎のような闘志を宿し、攻撃の頻度が下がったダイゴたちに対して、熾烈な攻撃を仕掛けている。 それに圧されて、ダイゴたちは防戦一方だった。 攻撃を仕掛けるだけの余裕も残されていないように思えた。 彼らも、熱中症を圧してやってきたアカツキのことには気づいていたが、構ってはいられなかった。 一瞬でも隙を作れば、それだけでグラードンは易々と防衛線を突破してくることだろう。 そう…… この祠こそが最終防衛線なのだ。 ここでダイゴたちが負ければ、眠りから覚めたグラードンは今度こそ神話に語り継がれている通り、ホウエン地方を壊滅へと導きかねない。 それはグラードンの気持ち次第なのだろうが、それだけの力を宿している以上、その気持ち云々という話にはならないのである。 わずかな可能性でも、悪い芽はすぐに摘み取っておかねばならない。 それが無情なことであろうと、ダイゴたちにはそうするだけの責任がある。 「ダイゴさんたちが……圧されてる?」 アカツキはグラードンの脇をすり抜けてやってきたカエデとアリゲイツに身体を支えられながら、ポツリつぶやいた。 「もう二十時間近く戦い続けてるんだ。 でも、グラードンはまるで疲れを知らないみたいに……全然力が衰えてないんだよ」 「そんな……」 アカツキほどではないが、やはり完全に身体が出来上がっていないハヅキも、休むことを余儀なくされていた。 戦いたいと言う気持ちはあっても、身体がそれについていってくれない。 今でこそ熱中症こそ免れているが、いつ発症してもおかしくないような……そんな状態だった。 グラードンが凄まじい火力を秘めた炎を吹き出した!! 人の顔以上はあろうかと思われる巨大な鉄の脚で強烈な一撃を叩きつける技…… コメットパンチを放った直後を狙われ、疲れのたまっているダイゴのメタグロスはそれを避けることができない!! 慌ててさらに高く浮かぼうとしたところに―― かっ!! ミクリのラグラージが放ったハイドロポンプが炎の先端に当たり、その進攻を辛うじて食い止めた!! 「ろぉぉぉぉぉんっ……」 その様子を見て、居ても立ってもいられなくなったのだろう。 アカツキをここまで導いてきたミクリのミロカロスが戦いに加わった。 最高の相棒が戻ってきたことを知ってか、ミクリの口元が少しだけ緩んだ。 アカツキをここに寄せ付けるなと言う指示を与えてはいたが、ミロカロスがいるのといないのとでは、戦力に差が出てくる。 正直なところ、ありがたかった。 ハイドロポンプが炎を食い止めている間に、メタグロスはその場から離れ、事無きを得た。 その直後、ハイドロポンプすら押し切った炎が先ほどまでメタグロスがいた場所を貫く!! まともに炎を食らったら、炎タイプ以外のポケモンはまず確実に戦闘不能になるだろう。 あるいは、それ以上の重傷を被ってしまうかもしれない。 どちらにしても、まともに食らってはならないのだ。 「グラードンは不死身なの……?」 アカツキは寒いわけでもないのに身体を震わせながら、つぶやいた。 数十体のポケモンとの激しい攻防を、単身繰り広げていながら、グラードンは力尽きるどころか、昨日と変わらないように見えた。 圧倒的な攻撃力で阻む者どもを粉砕しようとしているみたいだ。 こんなに強いのがポケモンなのだろうか? 神話で語り継がれているだけの実力は確実に有している。 「僕も……こんなに疲れてなきゃ、絶対に戦ってたのに……」 ハヅキは悔しそうに唇を噛むと、ギュッと拳を握りしめた。 戦いたい気持ちはある。 だが、身体が動いてくれない。 気持ちとは裏腹に、身体はあくまでも正直なのだ。 それはアカツキも同じだった。 身体がこんな風に熱くなければ、意識がもっとハッキリしていたら、ハヅキと同じように戦列に加わることを考えていた。 「兄ちゃん……」 「うん?」 「ぼくたち、何もできないのかな……ただ、黙って見てるしかないのかな……?」 「アカツキ……?」 「悔しいよ……」 アカツキはボロボロと涙を流した。 哀れむような――しかし悲しそうな表情を浮かべ、ハヅキは泣きじゃくる弟を見つめていた。 気のせいか、涙も熱くて、目からお湯が流れ出ているかのようだった。 戦いは途切れることなく続いて行く。 相変わらずダイゴたちは防戦一方だった。 ポケモンたちの体力の消耗が激しく、攻撃の頻度がとにかく下がり続けている。 グラードンのペースに完全に飲み込まれてしまいそうだった。 それも時間の問題かもしれない。 こんな状況で自分たちが加わっても、状況をより良くできるとは思っていない。 だが、それでも何もせずにはいられない。 結果ももちろん重要だが、同じようにプロセスにも価値があるはずだ。 「ぼくがこんな身体じゃなかったら……」 突然身体から力が抜けて、アカツキは膝を折った。 昨日と変わらず天井には太陽のような光の球体が浮かんでおり、炎天下のような熱波を降り注いでいるのだ。 熱中症が完治していない状態でもう一度炎天下の熱波を受けたら、普通は体力が尽き果ててしまうだろう。 「はあ……はあ……」 肩で荒い息を繰り返すアカツキの顔をカエデが前屈みで覗き込んだ。 いつにも増して疲弊しきっているトレーナーに、どうしたらいいか、とっさに分からなくなる。 「アカツキ、無理なんてするな。このふたりにルネジムに連れて行ってもら……」 「いやだ……」 アカツキはハヅキの言葉に激しく頭を打ち振った。 逃げるなんて嫌だった。 誰かが必死になって戦っているのに、身体の調子が悪いというだけの理由で逃げたくない。 明らかに勇気と無謀を履き違えているが、それでもその根性は見上げたものがあった。 「そんなこと言ったら、兄ちゃんだって同じだよ……」 「そうだな……」 無駄な質問をしたという自覚はあるようで、ハヅキは深いため息を漏らした。 「でも、ここにいたって、僕たちにはどうすることもできない。 僕のポケモンはみんな戦闘不能だ……アカツキ、おまえのアリゲイツとバクフーンも、戦えるだけの体力は残っていない……」 「でも、だからって……」 アカツキは足下に視線を落とした。 どうしようもないということは分かっている。 他のポケモンを出したところでどうになるわけではないということも。 ダイゴのポケモンでさえ、グラードンに決定打を与えるに至っていないのだ。 見た目こそ満身創痍とは程遠いが、もしかしたら、それなりに力を使ってしまっているのかもしれない。 ただ、それが分からなければ同じことだ。 何もできないと言う悔しさと、自分の実力のなさに、無性に腹が立ってくる。 何かしなきゃいけないと分かっているのに、何もできないと分かってしまっている。 八方塞とは、まさにそのことだった。 「どうにかしたいよ…… ぼくだって、何かできるって……」 「おまえの気持ちは分かるよ」 ハヅキは優しく言うと、アカツキの肩に手を置いた。 汗を吸い込んで湿った服は暖かかった。身体の熱を吸収しているかのようだった。 どうにかしたいという気持ちは、ハヅキも同じだった。 だが、そうするだけの手立てが完全になかった。 「やつは不死身か……?」 カラカラに渇いた声でつぶやき、マツブサは膝を折った。 ただでさえ休息を取っていない上に、絶え間なく降り注ぐ熱波が身体を狂わせつつある。 思うように動かなくなってしまうのも、時間の問題だった。 「総帥!!」 カガリとホムラが駆け寄るも、マツブサは立ち上がれなかった。 彼の部下であるふたりとて、満身創痍に等しい状態だった。 それはダイゴとプリムとミクリも同じだったが、彼らは気丈にも戦い続けている。 大半のポケモンは体力を使い果たしてモンスターボールの中で休んでいる。 体力を回復させる機器がないので、自然回復を待つしかない。 しかし、一時間や二時間で回復するほどの体力ではないのだ。 「我々は……とんでもないものを追い求めていたのだな……」 小さく笑う。 自らを嘲笑していた。 グラードンは天井に浮かんでいるような熱と光を秘めた球体で雨雲を吹き飛ばし、大陸を吹き飛ばせるだけの力を持っているのだ。 それを求め――結果としてグラードンは彼らに従わなかった。 「そもそもは、すべてが間違いだったのだ……未知のポケモンなどに頼ろうなどと……」 いくら論じたところで、グラードンが圧倒的な力を振るい続けているということは変わらない。 言葉で眠らせることなどできるはずもない。 「マツブサ、大丈夫か!?」 ダイゴの呼びかけに、しかしマツブサは首を横に振った。 彼のポケモン――バクーダはすでに戦闘不能だ。 それ以上の戦力は現在のところ望めない。 ほぼ同時に、カガリのグラエナとホムラのキュウコンまでもが戦闘不能に。 それぞれの最強のポケモンが使えなくなり、マグマ団の三人は事実上の足手まといに成り下がった。 戦えるのはダイゴとプリムとミクリの三人のみ。 「リザードンは……?」 アカツキは無意識のうちに『黒いリザードン』の姿を探した。 しかし、その姿はなかった。 ダイゴがモンスターボールに戻したのだろう。 「『黒いリザードン』は……ダイゴさんのポケモンだったんだね……」 「ああ……」 ハヅキはアカツキから目をそらした。 弟が追い求め続けていた『黒いリザードン』はダイゴのポケモンだった。 アカツキがミクリに背負われてこの場を去った直後にダイゴ本人から聞かされたから、それは間違いない。 「今は……それどころじゃないけどね……」 「ああ……」 無理にその話を終わらせようとするアカツキに、ハヅキは何も言い出せなかった。 心に鍵をかけて無理をしているというのが分かったからだ。 「グラードンを何とかしなきゃ……」 アカツキは顔を上げ、ダイゴのメタグロスを叩き落とそうと腕を振るうグラードンを見つめた。 この大地の化身をどうにかしない限りは、『黒いリザードン』どころではない。 ゲットすることもできなければ、その背に乗って空を飛ぶなど夢のまた夢。 目先の問題だけでなく、もっと先のことまで見通しているかのようなアカツキの眼差しを見て、ハヅキはかすかに笑みを浮かべた。 弟は……知らない間にずいぶんと大きくなっていたのだろう。 旅をしてきて、いろんなものを見たり聞いたりして、成長していたのだ。 送り火山で再会したその時よりも、さらに成長しているようにさえ思えた。 少し頼れるかなと思い、自然と口元が緩む。 「カエデもアリゲイツも……戦えないんだよね……」 アカツキは脇を支えてくれているポケモンを交互に見つめた。 トレーナーと同じで、悔しそうな顔を見せているポケモンは、自分の無力さを噛みしめているかのようだった。 グラードンが先ほどと変わらない規模の炎を、巨体ゆえに動きの鈍いプリムのトドゼルガに向かって吹き付ける!! 厚い脂肪を持つトドゆえに、逃げようにもこれでは間に合わない!! だが、トドゼルガは逃げようともしない。 プリムもその指示をしていない。 突然、トドゼルガが口から水の波動を吐き出した!! どうにも規模が違いすぎて、完全に相殺するにはとても足りないが…… ぶしゅっ!! 水と炎がぶつかって、水蒸気が生まれ出る!! 生まれた水蒸気を飲み込んで、残った炎がトドゼルガへと突き進んでいく!! 相殺できたのはせいぜいが三割だった。 残った七割の炎がトドゼルガを包み込む!! 「……!!」 アカツキは息を呑んだ。 あんな炎をまともに食らったら、いくら水タイプを持つトドゼルガでも…… とても逃げられそうにないから、避けようとせず迎撃しようとしたその判断はさすがだと思うが…… だが、炎を確実に食らうと分かったら、その時点で戻すのが最善策のはずだ。 それをしなかったということは…… 炎がトドゼルガを舐める!! プリムは氷のような眼差しをトドゼルガとグラードンに向けていた。 真一文字に結んだ口元が雄弁に物語っている。 トドゼルガなら確実に耐えられる――そういう判断ができないようでは、四天王失格だろう。 炎が消えた後には、トドゼルガが平然と佇んでいた。 まったくの無傷というわけでもないが、大ダメージというわけでもなさそうだ。 「え、どうして……?」 アカツキはその場に腰を下ろすと、震えた声でつぶやいた。 あの威力の炎をまともに食らいながら、トドゼルガは戦闘不能に陥っていないのだ。 信じられないのは当然のことだった。 ポケモン図鑑で調べれば分かることだったが、そうするだけの考えが浮かんでこない。熱中症は相当深刻と見える。 ハヅキは弟に解説してやった。 「トドゼルガの特性は『厚い脂肪』。炎や氷の技の威力を弱めることができるんだ。 それに、プリムさんのトドゼルガは恐ろしいほど鍛えられているからね…… 僕のバシャーモのブレイズキックでも、ほとんどダメージを与えられない」 「そうなんだ……」 アカツキはぶるっ、と身体を震わせた。 あんな炎を受けて平気でいられるポケモン。 そこまで育て上げたプリムの実力。 ハヅキのバシャーモは、彼の最強のポケモンである。 バシャーモの得意技であるブレイズキックを受けてもほとんどダメージを与えられないなどと……それこそ、素直には信じられない。 なんて驚いている間にも、戦いは続く。 「メタグロス、破壊光線!!」 「トドゼルガ、絶対零度!!」 ダイゴとプリムの指示が同時に響く。 プリムのトドゼルガはグラードンを睨みつけ、口から凄まじい吹雪を吐き出した。 猛烈な吹雪は荒れ狂い、瞬く間にグラードンを取り囲むと、その巨体を一瞬氷に閉ざした!! その瞬間を狙いすましたように、メタグロスの破壊光線が、氷によって動きを妨げられたグラードンの腹に、まともに直撃した!! ばりんっ!! 「グォォォォォォォッ!!」 氷がけたたましい音を立てて崩れ落ちる。 グラードンの悲鳴が重なった。 防御されなければ、かなり効いているようだ。 身をよじり、痛みを紛らわしている。 「効いてる……?」 「メタグロスはダイゴさんの最強のパートナーだ。さすがにそれくらいはね……」 ハヅキは感嘆のつぶやきを漏らした。 ダイゴの得意なタイプは鋼。メタグロスは鋼タイプのポケモンでも最強と名高い実力の持ち主だ。 「グラードンもこれで結構ダメージを受けたはず……」 近くで声が聞こえ、アカツキは振り向いた。 すぐ傍に、マグマ団の三人がやってきていた。 間近でその表情を見つめ、疲労が色濃く滲んでいるのが分かる。 「だ、大丈夫ですか……?」 アカツキは慌てて声をかけた。 マツブサの疲労度は、ハヅキすらも上回っている。 額には脂汗が浮かび、疲れきった表情は実年齢よりも十歳以上もほど老けて見えた。 「大丈夫……なんかじゃないわ」 カガリは口を尖らせた。 見れば分かるでしょ、と言わんばかり。 「しかし、このままいけば、もしかしたら……」 ホムラが希望を言葉に滲ませながら言った。 「グラードンを倒すこともできるかもしれん……」 「実際、普通のポケモンなら数百体……いや、数千体は戦闘不能にできるだけのダメージは受けているのだ。 どう考えても、相当のダメージと見て間違いない」 マツブサはすぅっ、と瞳を細めた。 戦い続けてきたからこそ、グラードンの度合いも分かるのだろう。 だが…… グラードンは破壊光線のダメージを堪えきると、瞳に怒りを滲ませて空間を舐めるように見回した。 「ダイゴさま……」 プリムは不安げな表情をした。 「グラードンは確かにダメージを受けている。だが、油断はできない……」 ダイゴは真剣な表情を崩すことなく、首をかすかに横に振った。 想像を絶するほどの攻撃を受けながら、しかしグラードンは倒れない。 あとどれだけのダメージを与えたら倒せるのか……分からないからこそ、恐ろしい。 と、グラードンが天を仰いで口を開いた。 ダイゴたちからは見えなかったが、その口の中には恐ろしいほどの火力を持つ炎が燃え滾っていた。 炎の攻撃が来る…… そう来るであろうことは誰もが分かっていた。 だが…… グラードンが顔を下ろして炎を吹き出す!! この空間すべてを飲み込むような巨大な炎に、誰もが一瞬言葉を失った。 「メタグロス、光の壁!!」 「トドゼルガ、ハイドロポンプ!!」 「ミロカロス、ラグラージ、彼らを護るんだ!!」 三人の指示は意外と早かった。 メタグロスがダイゴたち三人の真上に浮かび上がり、分厚い光の壁を生み出した。 続いて、トドゼルガがグラードンの炎に向けて最強の水技を放つ!! ミロカロスとラグラージは、扇状に広がる炎からアカツキたちを護るべく、同じく最強の技で迎え撃つ!! 炎は瞬く間に広がっていく。 ダイゴは背筋を震わせた。 押し寄せる炎はトドゼルガのハイドロポンプをあっさり散らし、メタグロスの光の壁にぶつかると、激しく鬩ぎ合う!! 力ずくで押し切ろうとする炎を食い止めるべく、メタグロスが全力で光の壁を展開する!! しかし、光の壁を維持するのが精一杯で、それ以上範囲を広げるなどとても考えられなかった。 一方、アカツキたちに押し寄せた炎の先端にミロカロスとラグラージのハイドロポンプが直撃する。 しかし、水タイプ最強の技さえ、その勢いをほんの一瞬、押し留めるに過ぎなかった。 次の瞬間には、何事もなかったように炎が迫る!! 「まずい……!!」 ホムラは驚愕した。 目には目を、という言葉があるように、炎には炎で対抗するという手段もある。 ただ、その場合、力勝負で負けた方が両者の威力を乗せた一撃を食らうことになる。 それは確実に致命傷になりうる、この場合は…… 「死にたくなんてないよ……でも、どうしたら……」 昨日の炎とは比べ物にならない灼熱の死神が迫る中、アカツキはどうすればいいか、必死で考えた。 死んだら夢なんて叶えられない。 「ポケモンたちはもう戦えない。防げないのか……?」 あきらめたくはない。 だが、阻む手立てもない。 マグマ団の三人はあっさりとあきらめた。 どうしようもない……仮に彼らのポケモンが体力を取り戻しても、この一撃を総出ですら押しとめることはできないだろう。 「あきらめない…… 絶対、あきらめたりなんか……」 アカツキは奥歯を食いしばり、思うように力の入らない拳をギュッと握りしめ、迫る灼熱の死神を睨みつけた。 あきらめたら、そこで終わりだ。 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 アカツキは今できることを実行した。 トレーナーの意志を感じ取ったアリゲイツは、躊躇うことなく押し寄せる炎目がけて水鉄砲を吐き出そうとして―― かっ!! 突如、その身体が光に包まれる!! 「え……?」 アカツキは呆然とつぶやいた。 ポケモンの身体に光が宿る時――起こってきたのは、たったひとつの事象。 ワカシャモが、マッスグマが、ミロカロスが経験してきたこと。 証拠なんてなくても、分かった。 光に包まれ、アリゲイツは身体に力がみなぎるのを感じた。 これから自分がどうなってしまうのかも、自然と理解できた。 この姿ではなくなり、今の名前では呼ばれなくなるのだろう。 「でも……」 アリゲイツは躊躇なんてしなかった。 身体中にみなぎった力を、別のことに使おうと決めた。 光に包まれたアリゲイツが、水鉄砲を吐き出した!! 水鉄砲のつもりで吐き出したそれは、しかしミクリのミロカロスのハイドロポンプすら上回るだけの規模だった。 「あれは……!!」 プリムが驚愕の声を上げる。表情が引きつるくらいに目を大きく見開いた。 「なんて威力なんだ。あれで本当にアリゲイツか?」 ミクリは押し殺した声で、額に手を当てながら言った。 アリゲイツの水鉄砲はグラードンの炎と互角に渡り合うほどの威力だった。 激しく鬩ぎ合い、まったく勢力争いを譲らない。 「アリゲイツ、どうしたの!?」 アカツキは声を上げて問いかけた。 すぐ傍にいるのに。 触れようと思えば触れられるのに。 どうして声をかけたのだろう。自分でも分からなかった。 『進化』の邪魔をしてはいけないと思ったから……かもしれない。 アカツキもハヅキもマグマ団の三人も。 信じられないものでも見るような表情をアリゲイツに向けていた。 光の中でアリゲイツは水鉄砲を吐き続けていた。 不思議と、あれだけの水鉄砲を放ちながら、疲れをまるで感じない。 ダイゴは、アリゲイツの水鉄砲の桁外れの威力を目の当たりにして、この一撃に賭けるしかないと悟った。 「プリム、ミクリ!! これしかない!!」 「分かった!!」 「承知しました!!」 ダイゴの言葉に、プリムとミクリはすべてを悟り、アリゲイツに勝利を託した。 残ったポケモンすべてに同時に指示を下す。 『手助け!!』 ポケモンたちが自分に残された力をすべてアリゲイツに注ぐ。 「守る……!!」 流れ込む力を感じたアリゲイツは、確たる意志を込め、さらに強烈な水鉄砲を放つ!! 「すごい……」 アカツキはとてつもない威力の水鉄砲を見つめることしかできなかった。 一体どうしたらアリゲイツがこんな威力の水鉄砲を放てるのか……皆目見当もつかない。 アリゲイツの水鉄砲は徐々にグラードンの炎を押し戻していく!! 「水鉄砲……? いや……桁が違う!!」 ハヅキは目を瞠った。 ダイゴのメタグロスの破壊光線すらも上回る威力の水鉄砲などあるものか。 信じられない気持ちでいっぱいだった。 グラードンも負けじと炎を吐くが、水を得た魚のようなアリゲイツの水鉄砲を止めることはできなかった。 加速度的に水鉄砲が炎を吹き散らし―― どぉぉぉぉぉぉぉんっ!! 天を突くような巨大な音と共に、グラードンの腹に突き刺さった!! その勢いを見せ付けるように、グラードンの巨体をあっさりと宙に舞わせ、溶岩の海の傍の壁に叩きつける!! 祠全体を強い揺れが襲う!! グラードンは壁のカケラと共に溶岩の海に没した。 それからは一転、静寂が空間に立ち込めた。 揺れが――収まる。 と、アリゲイツの身体から光が消えた。 「アリゲイツ!!」 アカツキはそのまま仰向けに倒れこむアリゲイツの背中を支えた。 大切な『家族』は、満足するように笑みを浮かべて眠っていた。 「今のは……?」 アカツキは、アリゲイツが進化するものとばかり思っていた。 でも、アリゲイツは進化しなかった。 それが分からなかったのだ。 その理由を手探りで考えている中、ダイゴとプリムとミクリは、恐る恐るグラードンが沈んだ溶岩の海の淵へと歩いていった。 ごぼごぼと不気味な音を立てる溶岩。 何の気配も感じられないが、油断はできない。 今の一撃が相当重く圧し掛かったのは間違いないが、それで倒せたかどうかは……断定できない。 「メタグロス。グラードンの力を感じるかい?」 「ごごぉっ……」 「そうか……」 宙に浮かぶメタグロスの鳴き声(?)から、ダイゴは否と判断した。 頭が良さそうに見えないメタグロスだが、実はスーパーコンピューターをも上回る計算能力の持ち主だったりする。 情報を仕入れてから判断するまでの時間がほぼ一瞬なのだ。 そして、その正確性はほぼ百パーセント。 「ダイゴさま……」 心配そうな顔を向けるプリムに、ダイゴはしかし溶岩の海を見据えたままで首を縦に振った。 「どうやら……グラードンは再び眠りに就いたらしい……」 そう判断するしかなかった。 メタグロスの感覚を欺けるほどの精密さをグラードンが持ち合わせているとは思えない。 どちらかというと粗暴で、パワーがすごいタイプだ。 だとすれば、気配を隠したりといった神経の使うことには向いていない…… 「とりあえず、こっちはなんとかなったってことなのかね?」 「ああ。 あとは、カリンさんたちがカイオーガを止めてくれるのを待つだけだ。 さて……」 ミクリの疑問に答えると、ダイゴは物悲しそうな顔でアリゲイツを見つめているアカツキに目をやった。 無言で歩き出す。 プリムとミクリは、念のため自分のポケモンにもグラードンの気配を探らせ、それがないと分かると小走りにダイゴの後を追った。 「あ、ダイゴさん……」 ダイゴが傍に屈みこみ、アカツキは顔を向けた。 「大丈夫。アリゲイツは疲れて眠っているだけだよ」 ダイゴは優しく言うと、アリゲイツの頭を優しく撫でた。 その口元には笑みが浮かんでいる。 「ダイゴさん……アリゲイツはどうして……」 アカツキはダイゴに訊ねた。 どうしてアリゲイツは進化しなかったのか。 あの光は、ポケモンが進化する時に発生する光ではないのか。あんな水鉄砲がどうして放たれたのか。 「その前に、アリゲイツには感謝しないとね…… あの水鉄砲がなければ、僕たちは確実に負けていた」 ダイゴの言葉は事実だった。 その場の全員の心に圧し掛かり、自然と視線がアリゲイツに集まる。 「アリゲイツはね、進化する時に生じる力を、グラードンへの攻撃に費やしたんだよ」 「え?」 言葉の意味が分からなかった。 プリムは物分りの悪い男の子にむすっと頬を膨らませたが、ダイゴは教え込むように言った。 「進化と引き換えに、今まで進化のために溜め込んできた力を、君を守るために使ったんだ。 言い換えれば、当分は……いや、もしかしたら、アリゲイツはもう進化することができないのかもしれない」 「そんな……」 アカツキは驚愕した。 アリゲイツは進化と引き換えに、その力を攻撃として放出したのだ。 だからこそ、あれほどの威力を生み出せた。 もっとも、威力の半分はダイゴたちのポケモンによる『手助け』で引き上げられたものだが、それを差し引いてもすさまじい。 自分の身体と能力を変質させる進化には、膨大なエネルギーが必要になる。 アリゲイツは膨大なエネルギーを……進化のための力を、攻撃に使ったのだ。 トレーナーを守るために。 「アリゲイツ、どうして……?」 長く待ち望んでいた進化の瞬間。 旅に出る前。 具体的な日時は忘れたが、確かに覚えている。 アカツキはアリゲイツにこう問い掛けた。 「アリゲイツはオーダイルに進化したい?」 オーダイルとはアリゲイツの進化形。ワニノコの最終進化形だ。 アリゲイツは首を縦に振った。 あの時の何気ない風景が脳裏に蘇り、アカツキはやるせない気持ちになった。 アリゲイツは進化したがっていた。 理由は分からない。 もっと強くなることを願っていた。 それを果たす絶好のチャンス。 それができる唯一のチャンス。 アリゲイツはそれを棒に振ってまで、自分達を守ろうとしてくれた。 進化という夢を棄て、大切な存在を守ることを優先したのだ。 「あんなに、進化したがってたのに……」 自然と涙があふれた。 誰も気には留めていなかったようだが、その頃にはグラードンが生み出した光の球は消えて、少しずつ温度も下がり始めていた。 涙で顔をくしゃくしゃにしながら、答えてくれるはずもないと知りながら、アカツキはアリゲイツに訊ねた。 「ぼくたちを守るために……夢を棄てたんだね……ごめん。 ぼくに、もっと力があったら……キミの夢を壊さずに済んだのに……ごめん……!!」 アリゲイツがグラードンの強烈な炎から自分を守ってくれたことは確かにうれしかった。 でも、そのためにアリゲイツが進化を棄てたに対して、アカツキは言い知れない罪悪感を抱いていた。 その気がなかったのにそうさせてしまったからこそ、余計に辛い。 「ダイゴさん、アリゲイツはもう進化できないんですか……?」 「分からない」 しかし、ダイゴは首を横に振った。 無情とも言える答えが返ってきた。 「こういうケースは僕も聞いたことがない。 だから、僕からはどうとも言えないんだ」 アリゲイツの将来は見えない。 進化できるのか、できないのか。 「ありがとう、アリゲイツ……」 アカツキは力をすべて放出し、疲れて眠っているアリゲイツの身体を愛しそうに抱きしめた。 確かなぬくもりと鼓動が伝わってくる。 アリゲイツは自分の夢を守るために、アリゲイツ自身の夢を犠牲にした。 どんなに償っても償いきれないけれど、アカツキはアリゲイツの夢を叶えてやりたいと強く願った。 そのためならどんなことだってすると決意した。 それに…… 「進化できないって、決まったわけじゃないんだもん……ゆっくり歩いていけばいいよ」 はじめから決め付けることなんてできない。 進化できないなんてはじめから決め付けて、やる前からあきらめるなんて、そんなの嫌だ。 「…………」 アカツキは無言でアリゲイツを抱きしめたまま、目を閉じた。 すっと意識が遠くなる。 体力が限界を超えていたアカツキには、アリゲイツと同じで休養が必要だった。 「笑ってるね……」 アカツキの安らかな寝顔を見て、ハヅキは口元にかすかな笑みを浮かべた。 グラードンは再び眠り、ホウエン地方の危機もとりあえずは脱したが、それでも勝利の喜びを素直に噛みしめる気にはなれなかった。 アリゲイツの進化を犠牲にして得た勝利だけに、とても喜べるものではなかったのだ。 誰もが胸中で喜びながらも、それを表には出さなかった。 「たいしたトレーナーだよ、君は……」 ダイゴは小さくつぶやくと、アリゲイツを抱いたまま眠ったアカツキの頭を撫でた。 進化を棄てる決意をさせるには、それ相応の絆がなければ到底無理な話。 アリゲイツにとって、アカツキが誰よりも守るべき存在だったからこそ、進化の道を閉ざしてまで、グラードンを討ち果たしたのだ。 「ミクリ」 「ん?」 「この子とアリゲイツ、それとハヅキ君をルネジムで休ませてやってくれ」 「そのつもりだが……ダイゴは?」 「僕は……まだやるべきことがあるからね」 訊き返されたダイゴは、チラリとマグマ団の三人に目をやった。 「休まなくてもいいのかい? 君こそ疲れているだろう」 「僕はこれでもホウエンリーグのチャンピオンなんて肩書きと、それに見合うだけの給料をもらってるわけだし。 もっと働かなくちゃいけないよ」 ミクリの心からの言葉にも、しかしダイゴは首を横に振った。 「今まで、休んでいた分まで。当分は忙しくなるだろうけど……」 「そうか……ならば、止めないが……」 これ以上は何を言っても無駄になりそうだ。 ダイゴの決意は固い。 顔こそ笑みを浮かべているが、その目は真剣そのものだった。 一分の冗談も妥協も入り込む余地がないほどに。 「マツブサ。カガリ。ホムラ」 順番に顔を見回しながら、ダイゴは言った。 「これから君たちにはサイユウシティに来てもらうことになる。 そこで事実経過と事情聴取を受けてもらって……それから……」 「分かっている……」 皆まで言うなと、マツブサは息を吐いた。 ダイゴと共闘すると決めた時から、こうなることは覚悟していた。 今さら、逃げ出すつもりもなければ、この場で自害しようなどと思えるはずもない。 それは傍に控えている二人の部下とて同じはずだ。 潔く裁きを受けるつもりでいる。 「そうか……」 武人のごとき潔い姿勢に、ダイゴは感服した。 敵将だからこその姿勢なのかもしれない。 だが、彼らの協力があってこそ、ここまで持ち堪えられたと言ってもいい。 「立てるか?」 「うむ……」 ダイゴのメタグロスに脇を支えられ、マツブサはゆっくりと立ち上がった。 ホムラとカガリは彼よりも若い分、自分の力で立ち上がることができた。 この分なら、外まで歩いていくこともできるだろう。 「ハヅキ、と言ったか?」 「……はい」 マツブサは立ち上がると、壁に背をもたれて座り込んだままのハヅキに目をやった。 つい先日まで敵だったとは思えないほど、マツブサの目には優しさが滲んでいた。 そして、ハヅキは感じ取った。 その視線に哀れみのような感情が宿っていることを。 「今回の一件で分かったことだと思うが……」 ダイゴは眉を微動させた。 マツブサの話に興味が湧いたのか、言葉を中断させてまで連行しようとはしなかった。 「あの男は……言葉で止められるような存在ではない。 たとえおまえたちの言葉でも……届かない」 「……!!」 ハヅキは息を呑んだ。 どうしてこの男が『そのこと』を知っているのか。 「マツブサ殿、それは……」 口を挟むプリムだが、マツブサは彼女の問いには答えなかった。 「あの男が何かを成し遂げようとしていたことは、私には分かっていた。 素性も知っているし、我々を利用しようとしていることも」 「なら、どうして?」 ミクリの問いかけを、先を促すものとして受け止めたのだろうか。マツブサは話し始めた。 どこか淋しそうな笑みを浮かべて。 「あの男がグラードン復活の話を持ちかけてきた時、何かを企んでいることも分かっていた。 中身まではさすがに分からなかったが、それを利用して何かを成し遂げようとしていたであろうことを…… だが、信じて欲しい。 我々はあの男に利用されたいと思っていたわけではない。 グラードンを復活させることが、我々の望みにかなっていたからこそ…… そうするしかないと分かったからこそ、あえて危ない橋を渡ったのだ……」 今までのすべてを出し切るような言葉だった。 結局、マグマ団という組織は、あの男の器に収まりきらないものでしかなかった。 理想を実現するたった一つの方法だからこそ、利用されていると知りつつもそれに乗った。 「行こうか……」 ダイゴを先頭に、マツブサ、カガリ、ホムラと続く。 最後にプリムがトドゼルガの代わりにオニゴーリを出して、地上へと続く階段を昇りはじめた。 マグマ団の三人の表情は、どこか晴れ晴れしているように見えた。 階段の影に隠れて消えるまでの短い間だったが、ハヅキには確かにそう見えた。 「ハヅキ君。 ダイゴからは聞いている……僕には何を言えばいいのか分からないが……」 「いえ、いいんです。 もしかしたらこうなるかもしれないって……覚悟はしてました」 ハヅキはミクリに笑顔を向けた。 無理をしている……ミクリには分かった。 だからこそ、胸が痛んだ。 「でも……」 ハヅキは目を閉じると、首を横に振った。 「このことは、アカツキには言わないでもらえますか。余計な負担はかけたくないから」 「ああ……どうせダイゴにも口止めされるだろうからね……」 ミクリは口の端に笑みを浮かべた。 「帰ろうか。 僕も疲れたからさ。少しはふかふかのベッドで休みたいんだ」 その言葉に、つられるようにしてハヅキは笑みを浮かべた。 その後、一連の事件の首謀者とされたマグマ団・アクア団両組織の総帥と幹部はホウエンリーグ四天王の手によって連行された。 知られざる事件の原因ともなったふたつの『珠』は、送り火山の頂にある祠に無事戻された。 しかし、事件の首謀者のひとりであるマグマ団幹部・リクヤの行方はつかめなかった。 一応、事件は表向きには解決を迎えたのであった。 第86話へと続く……