第86話 眠りより覚めて -What I should do now- 夢がすぐ傍にある。 手が届くほど近い場所に。 淡い光に包まれながら、優雅に空を舞うその姿に手を伸ばしてみる。 ……と、太陽と重なって、消えてしまった。 手が届くはずなのに届かない夢。 気づかないうちに涙腺からあふれたものが頬を伝っていく、少し冷たい感覚。 どうしてそんなことになったのだろう。 いつまで経っても夢との距離が変わらなくなるような気がして、胸が痛い。 ――いつまでもこのままじゃいけないと分かっているのに…… 頬が少し冷たいことに気が付いて、アカツキは目を開けた。 どうやら、眠っている間に泣いていたらしい……何か悲しい夢でも見たのだろうかと思いながら、身を起こした。 目覚めの祠で一度倒れた時に運ばれた部屋だった。 あの時と同じように、荷物は机に並べて置かれていた。 窓辺のカーテンレールにハンガーで吊るされているのは、紛れもない自分の服とズボン。 ってことは…… アカツキは視線を落とした。 見たこともないパジャマを着せられている。 誰かが着替えさせてくれたらしい。 と、一通りの事情が把握できたところで、今までのことを振り返ってみる。 「ぼくは確か……もう一度目覚めの祠に行って……」 激しい攻防の末に、アリゲイツが特大の水鉄砲を発射して、グラードンを再び眠りに就かせた。 どれだけの時間が経ったのかは分からない。 窓の外には晴れ渡る青空が広がっていて、海鳥の鳴く声がさえずりのように、耳に心地よかった。 グラードンを眠らせたからこそ、こうして平穏に過ごせるのかもしれない。 グラードンには罪などないのだろう。 それでも、生きるためには非情に徹しなければならない。 ポケモンの世界でも、人間の世界でも、同じことだ。 アリゲイツが進化を犠牲にしてまで守ってくれなかったら……今こうしてベッドの上にいることもできなかった。 「あ、アリゲイツ!?」 その時の状況を思い出し、アカツキは慌てて布団を跳ね除けベッドを降りた。 机の上に寄り添いあうように置かれてあるモンスターボールからアリゲイツのボールを選び取り、引っつかむ。 「出てきて!!」 アリゲイツはどうなったのだろう…… 心臓が飛び跳ねてしまいそうなほど心配で、大慌てでアリゲイツをモンスターボールから出した。 ボールから出てきたアリゲイツは、パチパチと何度も瞬きした。 アカツキの気持ちなど知ってか知らずか、のんきに長い欠伸などして、眠たそうに目を擦る。 その様子からは、不安だの辛さだの、まるで感じられなかった。 あまりに何事もなさ過ぎるので、アカツキは拍子抜けしてしまった。 「アリゲイツ……」 いつもとまったくと言っていいほど変わらないアリゲイツの視線に立つように、アカツキは身を屈めた。 ここに来てトレーナーの視線に気づいたか、アリゲイツは右の前脚を上げてみせた。 おはようと言わんばかり。 「大丈夫? 身体は痛んだりしない?」 「ゲイツ!!」 心配そうな顔をして訊いてくるアカツキに、アリゲイツは大きく首を縦に振った。 自分は元気だ。何の心配もいらない。 そう物語る態度に、少しだけ心を落ち着けることができた。 進化のための力を攻撃に使ったとなると、その反動も凄まじいだろう。 今まで扱ったことのない力だけに、不安は完全に払拭しきれない。 「あのさ、アリゲイツ……」 一転、アカツキの顔は申し訳なさに沈んでしまった。 「ありがとう……あの時は助かったよ」 とりあえず礼は言っておいた。 あの時アリゲイツがグラードンを倒してくれなかったら、自分はおろか、ハヅキやダイゴ、ミクリたちまで確実に死んでいた。 そのことに感謝の意を述べるのは当然のことだった。 ただ…… 問題はそこから先だった。 「でも……アリゲイツ、進化できたんだよ?」 そう。 アリゲイツは進化するための力を使ったのだ。 アリゲイツの夢でもあった、オーダイルへの進化。 夢が花開くその瞬間が訪れたのに、その花を摘み取ってまで、アリゲイツはアカツキたちを守ることを選んだ。 どれだけ進化を待ち望んでいたか…… それが分かっていただけに、アカツキはアリゲイツに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 ダイゴが言っていた。 もしかすると、二度と進化できないかもしれない…… その言葉が現実になるかもしれないと思うと、とてつもなく恐ろしくなってくる。 「進化してから……それからだって、よかったんだよ?」 それは不可能なことだったと、アカツキにだって分かっていた。 あの状況では、進化を果たしてからではあまりに遅かった。 進化が終わる前に、グラードンの放つ灼熱の炎がアカツキたちを確実に葬っていた。 アリゲイツの判断は賢明なものだったと言えるが……それを選ばせてしまったということに、アカツキは胸を痛めていた。 「ぼくたちを守ってくれたんだよね……ありがとう……」 アカツキはアリゲイツの身体をギュッと抱きしめてやった。 ぬくもりが伝わってくる。 それだけで、アリゲイツの気持ちは理解できた。 理解できたから苦しかった。 でも、その苦しみを背負って生きるだけの覚悟は……あるつもりだった。 「進化したって、しなくたって。 キミはキミなんだから。 ぼくの、かけがえのない『家族』なんだよ。これからも、一緒に行こうね。 同じものを見て、同じものを感じて……同じ時間を生きよう」 「ゲイツ……」 トレーナーのぬくもりを全身に感じて、アリゲイツはこくりと首を縦に振った。 進化できなかったこと――それを自分から棒に振ったことは後悔していない。 大切な家族を守るためなら……結果として守れたのだから、二度と進化できないとしても、別に構わないと思った。 「同じものを見て、同じものを感じて……同じ時間を生きよう」 そう言ってくれたトレーナーの気持ちが痛いほどに伝わってきたから。 たとえ言葉は分からなくても、その中に秘められた家族としての情愛は深く感じられた。 「アリゲイツ……大好きだよ」 アリゲイツの耳元でそう囁こうと口を開きかけたその時だ。 タイミングを計ったように、ドアがノックされた。 「あ、はい」 アカツキは慌ててアリゲイツの身体から手を離すと、立ち上がった。 応対があったことを確認して――少しの間をおいて、ドアが開かれた。 「目が覚めたんだね。よかったよ」 などと言いながら、笑みを浮かべて入ってきたのはミクリだった。 銀ラメが散りばめられ、羽のような飾りが肩口から飛び出している派手な服を着ていて、額には汗をかいている。 どうやら、先ほどまでルネジム恒例のショーをこなしてきたのだろう。 観客席を埋め尽くさんばかりの女性達の黄色い悲鳴とスポットライトを浴び続けて、少し疲れて見える。 「しかし、君もアリゲイツも何事もなくてよかったよ」 本当に疲れているのだろう、言葉の後で漏らした息は重苦しかった。 「ミクリさん……」 「ん?」 「終わったんですか……グラードンは……」 「ああ……一応解決したよ。 マグマ団の連中はダイゴがサイユウシティに連行したからね」 今しがた目覚めたばかりのアカツキに、ミクリは一連の事情を説明してやった。 思いっきりかかわった当事者だけに、顛末を知る権利――いや、義務があるはずだ。 カリンと、モヒカン頭のカゲツと、女色魔フヨウ、最長老のゲンジ――の四人は、ルネシティ南東の洋上へと赴いた。 そこで、アクア団と激しい戦闘の末に、その幹部ふたりと総帥を拘束。 『藍色の珠』を奪還し、カイオーガの目覚めを阻止することに成功したという。 二つの珠は送り火山の祠に戻され、実質的な被害はないまま事態は終息した、というわけである。 「そうですか、よかった……」 話を聞き終えて、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 取り沙汰されていたホウエン地方の危機とやらも、これで何とか回避されたということになる。 「兄ちゃんは……?」 ハヅキの名前だけが話に出てこなかったことが不思議で、アカツキはつい訊き返してしまった。 しかし、ミクリは別に機嫌を悪くする様子もなく、 「ハヅキ君は昨日目を覚ましてね、昨日のうちにここを発ったよ」 「昨日……あれから何日か経ったんですか?」 「そうだな。あれから三日後だから……君は丸三日間寝てたことになるか。 その間に、君のポケモンは回復させておいたし、その、君の服も一応洗濯させてもらったよ」 「そうなんですか、ありがとうございます」 三日間もずっと眠り続けていたということに驚いたが、ミクリはその間にアカツキのやるべきことをやってくれていたのだ。 ジムリーダーとして、あるいはエンターテイナーとして多忙な身だろう。 それなのに、ポケモンの回復や洗濯までしてくれていたのだから、感謝してもしきれないほどだった。 アカツキは改めてハンガーにかけられた服を見やった。 ミクリのミロカロスにぬかるんだ地面を引きずられていった時に泥だらけになっていたはずだが、その汚れは一点も残っていない。 その上、洗濯の後には必ずと言っていいほど残るシワも、どこにも見られなかった。 洗濯だけでなく、アイロンまでかけてくれたのだろうか。 だとすると、ミクリは意外と家庭的(アットホーム)なのかもしれない。 「あれから三日も寝てたなんて……」 ただでさえ熱中症で体力は減衰気味だった上に、本気で昏倒するまで凄まじい熱波の中にいたのだ。 限界を突き破った体力を取り戻すのに、普通の睡眠では物足りなかったのだろう。 普段より余計に眠った分(それも恐ろしいほど)、疲れは全然残っていなかった。 熱中症の時のような、ダルさや辛さは感じられない。 普段と何ひとつ変わらない体調に戻っていた。 「それよりも、君は大丈夫かい? 君のアリゲイツやバクフーンは回復を済ませているから問題ないが……身体がダルかったり、頭が痛かったりはしないかい?」 「おかげさまですっかり良くなりました」 アカツキはぺこりと頭を下げた。 目が覚める寸前に、なんだか嫌な夢を見ていたということを除けば何ら問題なしだ。 「でも……」 アカツキは遠い目で、窓の外を見つめた。 ルネシティを取り囲む、すり鉢状の山の稜線の向こう側に広がる空は、これ以上ないというほどに青かった。 とても清々しくて、まるで今の心境を表しているかのような…… 「一応……ハヅキ君からは聞かせてもらったよ」 「?」 一体何を言い出すのか。 アカツキは不思議そうな顔をミクリに向けた。 彼は苦笑を浮かべながら口を開いた。 「君が『黒いリザードン』をゲットするために旅をしていたなんてね……」 「…………」 『黒いリザードン』。 その名前が出て、アカツキは息を呑んだ。 七年前のあの日、雪深い山に独り迷子になってしまった自分を助けて両親のもとへ帰してくれた。 ゲットしようと息巻いて旅立ったほどの、夢の存在だ。 だが、フタを開ければそれはあっけないもので、『黒いリザードン』はダイゴのポケモンだった。 グラードンの炎からアカツキを助けるために、ダイゴはやむなくリザードンを繰り出したのだ。 他人のポケモンを無理矢理ゲットすることはできない。 分かっているだけに、どうすればいいのか分からなくて、あまり考えようとはしなかったが…… 口に出されては、その姿を脳裏から抹消するわけにもいかなくなる。 「君も分かっていると思うが……あれはダイゴのポケモンなんだ。 色違いのポケモンというのは知っているかな? 身体の色素が突然変異して、普段ではありえないような色彩になってしまうのだけど……あのリザードンはそれなんだ」 色違いのポケモンについては、アカツキもユウキから聞いたことがあるので知っている。 そうなってしまう経緯までは理解できないにしても、そういった存在が確認されているということだけは頭の片隅に留めていた。 「そのことでダイゴが君と話をしたいと言っていたけど……」 「え?」 アカツキは弾かれたように顔を上げた。 「一応、少しは落ち着いてきたようでね、今日の午後にもこっちに来るって、さっき電話があったよ。 君と、『黒いリザードン』のことで話をしたいと……」 「ダイゴさんが……」 よくよく思い出してみれば…… ダイゴはアカツキが『黒いリザードン』に会って、ゲットするのを夢みていることを知りながら、それをあの時まで隠していたのだ。 アカツキにだって、誰かを疑う気持ちは持ち合わせている。 だから、心の底からダイゴのことを信じることができない。 話に応じることが大切だ、というのは分かっているつもりだ。 でも、どうしても心が素直になってくれない。 結局のところ、話をしてみなくては、何も進展しない。 そう悟って、彼と話をしてみようと思った。 万に一つ譲ってくれるにしても、それが無理だとしても、何もしないまま指をくわえて見ているよりはまだマシなはずだ。 「決まったみたいだね」 ミクリはやれやれといった顔をして、緩く首を打ち振った。 「はい」 アカツキは頷くと、強い決意を瞳に滲ませてミクリを真正面から見据えた。 「ぼくがトレーナーになろうって思ったのは、『黒いリザードン』に会いたかったからなんです。 それがダイゴさんのポケモンだって分かっても、やっぱりその夢は捨てきれないから…… ダイゴさんと話をしてみようって思います」 「そうだね、それがいい」 ミクリは笑顔で頷いた。 さすがはハヅキの弟だけはある……決意の表情は、兄とうりふたつだった。 そして、あの男の息子だけのことはあると、そう思わせるだけのものがあった。 夢が手の届く場所にまで近づいていて、それをむざむざとあきらめるような弱い人間なら、ここまで世話なんてしなかった。 そうじゃなかったと分かっただけでも、十分な収穫になったと思える。 「さて、午後まではまだ時間があるからね……君はホウエンリーグに出ると聞いたけど」 「はい」 アカツキは頷いた。 『黒いリザードン』をゲットするというほかにも、今ではホウエンリーグに出るという目標もできた。 その目標を設定するまでは、『黒いリザードン』をゲットするだけの実力をつけるためにジム戦にチャレンジしてきたのだ。 結果としてそれがホウエンリーグに出るということにつながっているのだから、無駄どころか一石二鳥になっている。 世の中、変なところで奥深いものだと思わずにはいられない。 「ならば、ジム戦をしようか」 「え?」 唐突な申し出に、アカツキは目を丸くした。 「君はすでに七つのバッジをゲットしている。 ルネジムのリーダー……つまり僕が君にとっての最後のバッジを握っているわけだ。 ダイゴが来るまでにはまだまだ時間があるからね。 どうせなら、その時間を使ってジム戦をやろう、って趣向だよ。悪くないと思わないかい?」 「それはまあ、そうですけど……」 ダイゴがここに来るまでもう少し時間があるのなら、その間にジム戦で最後のバッジをゲットしてしまうのもいいかもしれない。 アカツキは少しやる気になってきた。 「僕としても、ジムリーダーとして久々に挑戦を受けるのもいいと思っていたから…… ふふ、君がどんなバトルを魅せてくれるのか、楽しみなんだよ、これでも」 ミクリは笑った。 心の底からバトルを楽しみにしているような、彼の言葉が真実であることを物語るような笑みを浮かべていた。 しかし…… 「ミクリさんは確か……」 いつかどこかで聞いた言葉が不意に蘇ってきた。 ミクリこそ、ホウエン地方最強のジムリーダー…… 真偽の程はともかくとしても、彼が相当手強いであろうことは容易に想像がついた。 彼の傍にいて、それがよく分かる。 「でも、この人に勝たなくちゃ、ホウエンリーグには出られない」 彼は、ホウエンリーグ出場への、最後の関門なのだ。 何としても負けるわけにはいかない。 アカツキはパジャマの袖の内側で、ギュッと拳を握りしめた。 やる気の炎が胸中で油を得たように燃え上がっていくのを感じながら、しかしミクリの言葉はそれに水を差すようなものだった。 「だけど君はまだ起きたばかりだろう。 それじゃあ、思うように頭は働かないよね」 「あ……」 「それに……」 ミクリは口の端に笑みを浮かべると、懐から取り出したタオルで、撫でるように顔を拭いた。 「僕はショーを終えてアップしてきたばかりだしね…… お互いにフェアな条件でバトルするには、少し時間が必要らしい。 その間、英気でも養っておいた方がいいだろうね。 というわけで、君とジム戦を行うのは今から一時間後。 それまでに少しは気分を落ち着けておくといいよ」 「分かりました」 アカツキの返事を背に受けて、ミクリは人差し指と中指を立てて部屋を出て行った。 「一時間後かぁ……」 糸の切れた人形のように、アカツキはベッドに仰向けに寝転がった。 トレーナーに倣って、アリゲイツも同じように寝転がった。 確かにミクリの言葉にも一理あると思う。 起きたばかりで、なんだか身体が鈍っているような気がして仕方がない。 せっかく一時間と言う猶予が与えられたのだ、バトルが始まるまでノンビリとゴロ寝を楽しむ……もとい英気を養うとしようか。 リラックスしないと、とてもではないがジム戦で思うように戦えない。 相手が仮にもホウエン地方最強のジムリーダーであれば、マイペースを失っては絶対に勝てない。 そう思ったからこそ、素直にこの一時間をノンビリしようと思える。 下手に戦略を練ったりだとか、いかに相手のポケモンの弱点を突くかなどを考えても仕方がないだろう。 「あ、そうだ……」 アカツキは何を思い立ってか、机の上のモンスターボールを五つつかむと、手のひらに集めた。 「みんな、出てきてよ!!」 うれしさに弾んだ声で叫ぶと、トレーナーの意思に応えてボールが次々に口を開き――中からポケモンが飛び出してきた!! ワカシャモ、カエデ、エアームド、ミロカロス、アブソル。 飛び出してくるなり、一斉にアカツキの目を見つめてきた。 何をするつもりなの? と言わんばかりの視線を一身に浴びながら、しかしアカツキはニッコリと笑った。 「ミクリさんとジム戦することになったんだ。 もう少し時間があるみたいだから、みんなと一緒にノンビリしようかなって、そう思ったんだ。 ね、羽を伸ばしてゆっくりしよう」 そう言って、ベッドに寝転ぶ。 本当にノンビリしようとしている気持ちを感じ取ってか、ポケモンたちは好き勝手にくつろぎ始めた。 勝手知ったる何とかとはよく言うが…… エアームドとミロカロスは文字通り窓の外へ飛び出して羽を伸ばしている。 「バクフ〜ン♪」 カエデはニコニコ笑顔でベッドに上がりこむと、背中の炎を消してゴロンと寝転がった。 ワカシャモは部屋の隅で、強烈なキックを素早く放てるように練習している。 どんな時も余念なく鍛錬に励んでいる様子だ。 最後にアブソルだが…… その場で身体を丸くして横になった。 楽しむ気がないのか、それとも休むことが楽しみなのか……それは分からないが、誰とも馴れ合うつもりはないらしい。 さっさと目を閉じるアブソルを横目で見やり、アカツキは人知れずため息を漏らした。 「まだそんなに慣れてないのかな……」 個性的なポケモンに囲まれているせいか、どうにもまだこの環境に慣れていないらしい。 まあ、はじめはいきなりアカツキに襲い掛かってきたくらいだ。 そう簡単には打ち解けてくれないのかもしれない。 少し淋しい気はしたが、気長に待つことにした。 「ジム戦でアブソルを出してみようかな……」 トレーナーとの意思疎通を図るには、ポケモンバトルが効果的とされている。 バトルフィールドの中でトレーナーとポケモンが見えない糸で繋がって、ひとつになったような臨場感を味わえる。 スキンシップを図るという意味でも、ジム戦でアブソルを一番手に出すのも悪くない。 「アブソルの実力ってまだ分からないし」 よく考えてみれば、アブソルをゲットする時にバトルして以来、一度もその実力を見ていないのだ。 威力抜群のカマイタチを放てるから、それ相応の実力はあるのだろうが…… ミクリとのバトルで、それをもう一度確かめたい。 だけど…… 「そういえば、アブソルはどうしてぼくに襲い掛かってきたんだろう……?」 アブソルと出会った時のことを思い出した。 なんとなく、そんな気分だった。 アブソルは出会い頭にいきなり襲ってきた。 どうしてそんなことをしたのかと、今さらになって思い返してしまうのはなぜだろう。 「でも、ぼくの家族なんだよね。 何があったって、気になんて……」 もう止めよう。 考えれば考えるほど、嫌になっていきそうだ。 首を動かすと、うっとり夢心地のカエデ。 「幸せなのかな、カエデは」 幸せそうな顔を見て、アカツキは笑みをこぼした。 起こさないように、ゆっくりとその背中を撫でる。 「ぼくがやらなくちゃいけないのは……」 無意識のうちに悟った。 自分がやるべきことはただひとつ。 ポケモントレーナーとして、ポケモンと一緒に頑張っていくだけだ。 どんな時だって『家族』であるポケモンのことを信じていくだけ。 自分のために戦ってくれるみんなの気持ちに報いるのが、トレーナーとしての性分だ。 絶対に勝つ…… 胸中で意気込んで、アカツキは目を閉じた。 普通に横になるだけのつもりだったが、少し眠っていたらしい。 壁時計が、ジム戦開始時間の直前を指し示していた。 慌てて身を起こすと、ポケモンたちがベッドの下で一同に会していた。 見ている限りでは、和気藹々とした雰囲気で、アブソルも少しだけ笑顔を見せていた。 アカツキの視線に気づくと、すぐに無表情に戻ったが……もしかすると、単に照れ隠しだったのかもしれない。 感情表現が思うようにできないだけだったりして。 ジム戦の開始までは五分を切った。 アカツキは急ピッチで着替えを始めた。 パジャマを脱ぐと、ベッドの上にきちんと畳んで置いた。 いつもの服に着替えると、前後逆にかぶった帽子から飛び出した一房の前髪を揺らしながら、視線を向けてくるポケモンたちに笑顔を向けた。 「みんな、行くよ。最後のジム戦だ!!」 意気込みを見せ付けるように、声を大にして言った。 全員黙って聞いていた。 「みんなの力をぼくにあずけて。 一緒に戦って、勝とう!! ホウエンリーグに出るための最後のバッジをみんなで勝ち取るんだ!!」 途端に歓声が部屋を満たした。 その音量に、壁がミシミシと軋むような音を立てて小さく揺れた。 その中で、アカツキはアブソルがうれしそうな顔で歓声を上げているのを見逃さなかった。 少しだけ、うれしくなった。 同時に、絶対勝たなくちゃと思った。 爪が食い込むほど強く拳を握りしめても、痛みは感じなかった。 第87話へと続く……