第87話 最後の砦 -Last trial- バトルフィールドは不気味なまでの静寂に包まれていた。 つい一時間前まで、観客席を埋め尽くさんばかりに詰め掛けたたくさんの女性が、黄色い悲鳴を上げていたとは思えないようだ。 アカツキは緊張の面持ちで、フィールドの向こう側で腕を組んで立っている相手を睨むような目つきで見つめた。 先ほど女性達を酔わせていた、銀ラメギラギラの衣装ではなく、機能性を重視した服に身を包み、純白のテンガロンハットをかぶっている相手。 彼――ルネジムのジムリーダー・ミクリはキラリと白い歯を光らせていた。 ホウエン地方最強のジムリーダーの異名を持つミクリは、その笑みからは想像もできないような迫力を放っていた。 それは、彼と相対する者のみが感じられる緊張感(プレッシャー)。 「ミクリさんのポケモンは水タイプ……草タイプか電気タイプが有利なんだろうけど……」 アカツキはバトルフィールドに視線をめぐらせた。 巨大な水槽に浮かぶ長方形の島で、自分とミクリは対峙している。 周囲は並々と水が張られていて、ミクリのポケモンが動き回るにはもってこいの造りになっている。 それだけで、彼のポケモンが水タイプであると読み取れる。 相手の使うポケモンのタイプがあらかじめ分かるのと分からないのとでは確かに違う部分はある。 しかし、弱点を突けるポケモンが手持ちにいないと分かった時点で、大した変化ではないと思い知らされる。 アカツキのポケモンでは、ミクリのポケモンの弱点を突くことは不可能。 敢えて同じタイプで挑むという手もあるが、それはどうにも無謀と言わざるを得ない。 水ポケモンのエキスパートである彼を、同じタイプのポケモンで出し抜くのは限りなく不可能に近いからだ。 「でも、勝たなくちゃ!!」 優位に立てる要素がどうにも見つからなくて滅入りそうになっていた気持ちを鼓舞する。 胸の内にやる気の炎を激しく燃え上がらせる。 余裕の雰囲気を感じさせる態度の相手の目を真っ直ぐに見つめながら、改めて彼に勝つ目的を確認する。 ルネジムのジムリーダー・ミクリの持つレインバッジを勝ち取れば、ホウエンリーグ出場に必要なバッジが八つすべて揃う。 次へのステップが拓けるのだ。 最後のジム戦……最後にして最強のジムリーダーに勝たなくてはならない。 「ミクリさんの水ポケモンはミロカロスと……ラグラージと……まだたくさん、ぼくの知らないポケモンがいるのかも……」 どちらにせよ、全力で戦って勝たなくては。 「さて、アカツキ君。ルールを説明しよう」 ミクリは流暢な口調で説明を始めた。 ごくり…… アカツキは唾を飲み下した。 どんなルールで戦うことになるのだろう……オーソドックスなものか、それともミクリらしいルールなのか。 「互いに三体のポケモンを使うシングルバトルだ。 ただし、入れ替えは君にだけ認められる。 もちろん、最初に見せた三体以外のポケモンは無効となるから気をつけてくれ。 時間無制限で、どちらかのポケモンがすべて戦闘不能になるか、ないとは思うけど降参したら、その時点で決着……質問は?」 アカツキは首を横に振った。 何の変哲もない、一般的なルールだ。 とんでもないルールを突きつけられたらどうしようかとちょっと心配していたりしたのだが……杞憂だったらしい。 「ちなみに……このバトルフィールドは水槽全体…… 水タイプのポケモンなら水に入ることもできるよ。 というわけで……」 キラリ。 ミクリは白い歯を見せると、身体を回転させながら腰のモンスターボールを引っつかんだ。 気のせいか、一回転し終えた時に、キラキラと光る粉のようなものが舞ったような気がしたが…… 「僕の一番手(ファースト・ステージ)は君だ、ラグラージ!!」 掛け声と共にボールが投げられ、バトルフィールドにラグラージが飛び出してきた!! ホウエン地方の『最初の三体』の一体、ミズゴロウの最終進化形だ。 水と地面、ふたつのタイプを持ち合わせ、互いのタイプの弱点――水タイプなら電気、地面タイプなら水と氷――を補い合うという凶悪さ。 そんなラグラージも、草タイプの技にはめっぽう弱い。 草タイプの技を使えるポケモンがいれば、ラグラージなど恐れるほどでもないのだろうが…… 生憎と手持ちに草タイプの技を使えるポケモンはいない。 となれば、相性抜きのガチンコ勝負を仕掛けていくしかないだろう。 ラグラージの強さは、ハルカのアーミット(ニックネーム)で実証済みだ。 水タイプと地面タイプの技を自在に使いこなし、なおかつ打たれ強い。 「ラージ……」 ラグラージは低い唸り声を上げながら、アカツキを睨みつけた。 オレを倒せるモンなら倒してみやがれ……そう言わんばかりだ。 「カエデとワカシャモは相性が悪い……」 これもアーミットとのバトルで分かっていること。 残ったのはアリゲイツ、ミロカロス、エアームド、アブソルの四体。 彼らを軸にして戦い抜くしかないだろう。 正直なところ、最終進化形に対してアリゲイツ、というのもいささかパワー不足のような気もする。 進化のためのパワーを使い果たして、バトルの実力にどういう影響が出ているのか分からない。 不本意だろうが、今回は我慢してもらうことになる。 消去法で考えると、今回バトルに出せそうなのは、ミロカロス、エアームド、アブソルの三体。 というわけで…… アカツキはモンスターボールをひとつ腰からつかんだ。 「行くよ、アブソル!!」 あまり懐いていない『家族』の名を呼びながら、モンスターボールを投げる。 フィールドに入ったボールは着弾する前に口を開き、アブソルが飛び出してきた。 「アブルルル……」 アブソルは甲高い声を上げることもなく、足を広げると獰猛な唸り声を上げた。 ミクリのラグラージに対抗しているかのようだ。 「アブソルが使えそうな技は……」 今さらのように思い返してみる。 先ほど一生懸命ポケモン図鑑を調べて見つけ出した技は、アブソルらしいといえばアブソルらしい技が揃っていた。 それらを一つ一つ思い出しながら、バトルの開始を待つ。 今回のバトルでは審判がいない。 ミクリが言うところによると、審判は実家の母親が腹痛で寝込んだとかで一時帰郷している。 ……というわけで、バトルの口火を切るのはミクリだ。 有利なタイミングを計ることができるだけに、開始の第一声を聞き逃してはならない。 「アブソル、大丈夫かな……」 最近になって少しは懐いてきたが、エアームドやミロカロスと比べると、どうにもその度合いが低いのは否めない。 バトルを拒否してどこかに逃げ出すのではないかと思ったが、心配する必要はないようだ。 アブソルはとにかくやる気になっている。 もともとバトルが好きなのか、強い相手と戦えるのが好きなのか……どちらにしても、バトルが嫌いというわけではないらしい。 「へえ、アブソルか……別名、大災害の遣い……」 ミクリは目を細めた。 アブソルといえば、攻撃力が高いポケモンとして有名なのである。 意外なことに、種族としての攻撃力なら、ミクリのどのポケモンよりも上だ。 だが、負けるつもりはない。 こちらには水ポケモンの特権とも呼べる、水中戦がある。 いざとなれば奥の手を使うだけ…… 「それじゃあ、バトルを始めよう!!」 ミクリは高らかにバトルの開始を宣言した。 「アブソル、カマイタチ!!」 宣言と同時にアカツキが指示を出す。 相手が手強いと分かれば、すぐにでも攻撃に打って出なければ。 アカツキの意志が伝わったのか、アブソルはすぐに攻撃してくれた。 鎌のような形をした角に力を集め、輝きを帯びた角を振りかざすと三日月型の衝撃波が生まれ、ラグラージ目がけて突き進む!! 「へえ?」 ミクリは歓声を上げた。 アブソルが放ったカマイタチは、ホウエン地方最強のジムリーダーが絶賛するほどの威力を秘めているのだ。 どれくらい強いのかとワクワクしていたが……アンビリーバボー、なかなかどうしてかなりの威力ではないか。 「これでこそ楽しみ甲斐ってのがあるんだよね。 ラグラージ、マッドショットで丁重にお出迎えしなさい!!」 ミクリはアブソルを指差しながら、指示を下した。 ラグラージは飛来する衝撃波に臆することなく、ボール状に濃縮した泥を撃ち出した!! 勢いは互角。 だが、衝撃波はいともあっさり泥のボールを真っ二つに切り裂いた!! 推進力を急激に失った泥のボールはフィールドに落下し、中身をぶちまけた。 泥のボールを撃墜した衝撃波は、何事もなかったかのようにラグラージ目がけて突き進み―― 「なかなかの威力だね。でも……」 ミクリは動じなかった。 「ラグラージ、冷凍ビームで防護壁を打ち立てて防ぎなさい」 ラグラージも別段慌てることなく、口を開き、冷凍ビームを吐き出した。 「え!?」 アカツキはビックリした。 てっきり、冷凍ビームで撃墜しにかかったのかと思ったのだが……そうではなかったからだ。 ラグラージの冷凍ビームは、眼前の地面に突き刺さった。 着弾点が凍てつき、氷の面積を広げていく。 しかしそれは水平方向ではなく、垂直方向だった。 瞬く間に氷の壁ができあがった。 「防御のために?」 冷凍ビームほどの攻撃技なら、衝撃波を相殺することができるはずだ。 それをせず、敢えて防御に転じるとは…… 何か策があるのかもしれない。 ここは慎重に…… そう思った時、アブソルの衝撃波が氷の壁を真っ二つに切り裂いた!! そこで力を失ったのか、霧散する衝撃波。 「今なら攻撃できる!!」 ラグラージの視界にアブソルが入っていない今なら、攻撃できるかもしれない。 そう思ってアブソルに指示を下そうとした矢先に、 ばりんっ!! 真っ二つになった氷の壁を打ち砕き、強烈な水塊がアブソル目がけて飛来した!! 「ハイドロポンプ!?」 考えていたことは同じだったらしい。 だが、ミクリの方が攻撃を仕掛けるのは先だった。 「アブソル、避けて切り裂く攻撃!!」 「そうはいかないよ、地震!!」 慌てて指示を下したものの、それは見破られていた。 というか、あまりに見え見えのタイミングだった。 ミクリの言葉が終わった時、フィールドを強い揺れが襲った!! ラグラージの地震が発動したのだ。 水塊を避けようとしていたアブソルは突然襲い掛かってきた揺れに足下をすくわれ、転倒してしまう!! 「アブソル、しっかり!!」 だが、その言葉も虚しく、水塊が慌てて立ち上がろうとしたアブソルを直撃した!! ド派手な音と共に猛烈な水圧が撒き散らされる。 アブソルは成す術もなく水流に弄ばれ、地面に叩きつけられた。 「ふふ……」 ミクリは口元をゆがめた。 高い威力の技を三回立て続けに放ったにも関わらず、ラグラージはまったく息が上がっていなかった。 アブソルは今のハイドロポンプでかなりのダメージを受けただろうが、戦闘不能には及ばなかったはず。 となれば…… 「アブルルル……」 アブソルは頭を打ち振って唸りながらも、危なげもない様子で立ち上がった。 「よかった……」 並の威力ではないハイドロポンプをまともに食らったから、もしかしたら戦闘不能になるのではないかとヒヤヒヤしたが…… あいにくと、アブソルはそんなにヤワじゃない。 アブソルは怒りに満ちた眼差しでラグラージを睨みつけた。 よくもやりやがったな、倍にして返してやる…… 「アブソル、反撃開始だよ!!」 恐ろしいほどのやる気を出しているアブソルはその言葉にかすかに頷いた。 「電光石火!!」 「アブルぅっ!!」 アカツキの指示に、アブソルが駆け出した!! ダメージを受けたことをまるで感じさせない俊敏な動きで、ラグラージに迫る。 「素早い……ダメージを受けているとは思えないね」 ミクリは胸中で驚嘆していた。 ラグラージのハイドロポンプは、厚さ数センチの鉄板すらへこませるほどの威力がある。 それを食らってもなお電光石火の動きを見せるとは…… これはますます楽しくなってきた。 「ラグラージ、舞台(ステージ)を美しく飾りなさい!! 吹雪!!」 ミクリは腕を水平に広げ、ラグラージに指示を出す。 大きく息を吸い込むと、ラグラージは口から強烈な吹雪を吐き出した。 数え切れないほどの粉雪が強い風に乗ってバトルフィールドを舞う!! あっという間に空気が冷やされ、夏とは思えない温度にまで低下した。 体温が低くなるのを感じながらも、しかしアブソルは立ち止まらなかった。 全身に力を込めて、地面を蹴ってラグラージに肉薄する!! アブソルは一際高く跳躍すると、吹雪を吐いたまま動こうとしないラグラージの顔面に、前脚の鋭い爪を一閃させた!! ガシュッ!! アブソルの切り裂く攻撃がラグラージにクリーンヒット!! 「ガウゥッ!!」 ラグラージは仰け反った。 吹雪が止む。 しかし…… 「あれ?」 アカツキは眉を動かした。 バトルフィールドが変わっているのだ。 ラグラージの吹雪によってフィールドは全面スケートリンクのように氷に閉ざされていた。 ラグラージの吹雪は、アブソルを攻撃するものであると同時に、フィールドを変化させるためのものだったのだ。 いや、主たる目的は後者のはずだ。 フィールドを変えることによって、何かをしようとしているのは明白。 考えられるのは…… アブソルは一撃をくれると、仰け反ったラグラージの顔を蹴って飛び退いた。 着地する時に少し横滑りしたが、辛うじて転倒は免れた。 だが、フィールドは一面氷。 陸上を駆けることしか知らないポケモンではツルツル滑ってしまう。 「ラグラージにここまでのダメージを与えるとはね……」 ミクリはラグラージのコンディションを確かめた。 肩で息をするほど疲弊していないものの、今の一撃はかなり効いたはず。 あれを五回も食らえば、さすがのラグラージでも戦闘不能は免れない…… 「でも、接近戦はここまでだ……」 ミクリは笑みを崩さぬまま、ラグラージに指示を下した。 「ラグラージ、水中ショーのはじまりだ。ダイビング!!」 「やっぱり……」 同時に、アカツキはラグラージがフィールドを氷に閉ざした理由を悟った。 ラグラージは氷のフィールドを滑り、水槽にジャンプ!! 大きな水音と共に、その姿は水中に消えた。 ミクリがラグラージに、フィールドを氷に閉ざすように仕向けた理由―― それは、陸上でしか動けないアブソルの動きを封じるためのものだったのだ。 水中でも動けるラグラージは、敢えてフィールドに上がる必要もない…… そこまでするからには、水中からでもアブソルを攻撃する術があるということに他ならない。 すぐにそれは実証された。 「アブルルルル……」 アブソルは忙しなく周囲を見回したが、どこにもラグラージの姿はない。 もちろん、アカツキにもミクリにも分からない。 「どこにいるんだろう……」 水中からの攻撃。 こればかりは防ぎようがないのかもしれない。 と、焦りを抱き始めた時、攻撃がやってきた。 どぉんっ!! 氷に覆われたフィールドを突き破り、水の柱が吹き上がった!! 「水鉄砲!?」 アカツキはギョッとした。 ラグラージはフィールドの下に回りこんで、そこから攻撃を仕掛けてきているのだ。 当てずっぽうなのか、今の一撃はアブソルから離れた位置だったが…… 「あれじゃあ、避けることはできるけど、反撃できない……」 水の柱が吹き上がった箇所を見つめ、アカツキは歯を食いしばった。 人の握り拳ほどの大きさの穴が穿たれていて、そこからなら水中が見えるが、どう考えてもその範囲は狭すぎる。 仮にラグラージの姿を見ることができたとしても、向こうは水中戦の方が得意。 となれば、攻撃を仕掛けた時点で、それが当たらない場所にまで逃げることができる…… このままでは一方的に攻撃されるのだ。 穴が空いても、そこを氷で塞いでしまえば、同じこと。 そういう意味もあったのだ。ラグラージが氷のリンクを作り上げたのには。 「アブソルじゃ防げない。だったら……」 アカツキは空のモンスターボールをかざした。 「アブソル、戻って!!」 迷わずアブソルをボールに戻す。 「戻したか……なるほど」 ミクリは合点がいったように小さく頷いた。 アブソルでは反撃できないという盲点を解消するために、次に出してくるのは…… アカツキは別のボールをつかんで、投げ放った。 「エアームド、頼んだよ!!」 ボールは空中で口を開くと、エアームドをフィールドに送り出した!! 「キェェェェェェッ!!」 飛び出してくるなり、けたたましい鳴き声を上げるエアームド。 「エアームドか……」 ミクリは目を細めた。 ラグラージの水面下からの攻撃を防ぐことはできるだろうが、それでも、反撃には及ばないはず。 どうして両方を満たさないポケモンを出したのか……正直なところ、理解に苦しむ。 「エアームド、エアカッター!!」 アカツキの指示に応え、エアームドは鋼の硬度を持つ翼を激しく打ち振った!! 空気が掻き混ぜられて、見えない刃として射出される!! 螺旋のような軌道を描きながら、空気の刃は舞い降りていく。 そんな中、ラグラージも攻撃を再開した。 ぼんぼんぼんぼんっ!! 次から次へとフィールドを突き破って水の柱がエアームド目がけて様々な角度で飛び出してきた!! 間違いない。 ラグラージは何らかの方法でエアームドの位置を知っているのだ。 その方法を探るヒマはない。 「エアカッターを連発しながら避けて!!」 荒唐無稽な指示だったが、エアームドはそれに従った。 吹き上がってくる水の柱を避けつつ、エアカッターを放ち続ける。 見えない空気の刃はフィールドに突き刺さると、表面を覆っている氷を打ち砕いた!! 「うん?」 ミクリは眉をひそめた。 エアカッターでフィールドの表面を覆っていた氷を砕いて……それで何をしようとしているのか。 分からないが、別にそのままでも問題はないだろう。 ミクリはラグラージに攻撃を続行させた。 天井付近を飛んでいるエアームドとの距離があるせいか、ラグラージの攻撃はことごとく不発に終わっている。 次々とエアカッターがフィールドの氷を砕いていき、ほぼすべてを砕いた時、アカツキはまたしても空のモンスターボールをつかんだ。 「エアームド、戻って!!」 「む!?」 捕獲光線を発射し、エアームドをモンスターボールに戻した。 「まさか、氷を砕かせるためにエアームドのエアカッターを……?」 そのためだけにポケモンをエントリーさせたのだとすれば、あまりに軽率としか言いようがないのだが…… 「氷さえなくなれば、アブソルは自由に行動できる。それを狙ったか。やるな……」 しかし、ミクリの予想は思いっきり外れることになる。 アカツキの柔軟な思考を読みきれるほど、頭が柔らかくはなかったのである。 続いて投げ放ったモンスターボールには…… 「なに、ミロカロス!?」 これにはさすがにミクリも面食らった。 水タイプを極めた自分に対して、同じ水タイプのポケモンで勝負を挑んでくるなど考えられなかった。 それと、序盤で三体のポケモンをすべてエントリーしてしまったということ。 アブソル、エアームド、ミロカロス。 この三体をエントリーした以上、他のポケモンに入れ替えようとしてもそれは無効になる。 そんなことも分からないような男の子ではないはずだが……となれば…… 「それだけ、これからやることに自信があるということか……」 リスクを前面に押し出してきた覚悟を見ると、それ相応のことをやってくれそうだ。 モンスターボールから飛び出してきたミロカロスはエアームドと同じで宙を漂っている。 翼も生えていないのに、ミロカロスはどういうわけか宙に浮かんでいることができる。 理論(原理)は分からないが、『不思議な力』で浮かんでいるというのが通説だ。 トレーナーにとって理論はどうでもいいことだったりするのだ。 「ミロカロスには水タイプの技は効果が薄いな……」 さてどうするかと考えたその時。 「ミロカロス、水に潜って!!」 アカツキの指示が響き、ミロカロスはフィールドに空いた穴から水中に飛び込んだ!! 「水中戦を狙ってきたか……」 ミクリは眉を動かした。 ミロカロスがどれだけの戦闘能力を持っているのかは分からないが、水中戦ではラグラージの方に分がある。なにしろ場数が違うのだ。 「ラグラージ、力の違いを見せてやりなさい!!」 水中に身を潜めるラグラージに指示を下すミクリ。 目に見えない場所にいる以上、戦い方はラグラージに任せるしかない。 せめてフィールド上か、上空か……どちらかに相手がいれば、こちらから的確な指示を下すこともできるが…… こういうケースはミクリにとって初めてだった。 相手がわざわざ水中での戦いを選んでくるというのは。 それから数秒が過ぎて―― 「今だ……ミロカロス、竜巻!!」 「むっ!?」 ミクリは目を大きく見開いた。 水面下で何が起こっているのか分からないが、ミロカロスに遅れを取るとは思っていなかった。 途端―― ばぁんっ!! バトルフィールドのちょうど中間あたりに文字通り風穴が空いた。 水中から飛び出した緑の粒子をまとった荒々しい風と共に、ラグラージが宙を舞う!! 「そういうことか……」 ミクリは親指を噛んだ。 水中なら自在に動けるから、そっちの方が有利になると思ってミロカロスを潜らせたとばかり思っていたが……間違いだった。 水中で接近戦を挑んだところで竜巻を発動させれば、ラグラージは逃げられない。 「やるね、なかなか……」 見た目よりもずいぶんと『戦る(やる)』男の子を見つめる目を細める。 ラグラージは成す術なく宙を舞い、そのままフィールド目がけて落下を始める。 「ラグラージ、地面に向かって水鉄砲!!」 このままでは追加ダメージを受けてしまうだけである。 ミクリはダメージを最小限に食い止める手段を採った。 彼の指示にラグラージは口を開き、地面に水鉄砲を吐き出した。 水の奔流がフィールドにぶつかる!! ラグラージにかかる重力を、水鉄砲がフィールドにぶつかって生まれる反発力が打ち消す。 「今なら攻撃には出られない!!」 絶好のチャンス。 アカツキはギュッと拳を握りしめた。 「ミロカロス、ラグラージの真上からハイドロポンプ!!」 「なっ!?」 ミクリの余裕綽々の顔が引きつった。 もしここに大勢の観客がいたら、確実に悲鳴が上がっているところだが…… ミロカロスが矢のように水面から飛び出し、そのままラグラージの真上に回りこんだ!! 背中を見せて、隙だらけだ。 これなら攻撃を食らうことはない。攻撃に転じれば、地面に激突する。 ミロカロスはハイドロポンプを発射!! 剛速球のような水塊はラグラージの背中に激突し、凄まじい水流を撒き散らした!! 「ラージっ!!」 ラグラージは痛みでとても水鉄砲を維持することができなかった。 水の奔流が途切れ、さらに撒き散らされたハイドロポンプの水圧で加速度的に落下スピードが増していく!! ばぁんっ!! 然したる時間もかからずに、ラグラージはフィールドに激突した!! 本気でマンガ調のポーズで倒れているが……それは愛嬌だろう。 「戻りなさい、ラグラージ」 ミクリは意外なほど呆気なくラグラージをモンスターボールに戻した。 「え?」 あまりに素早い判断に、アカツキは戸惑いを隠しきれなかった。 ジムリーダーであるミクリはポケモンチェンジができない。 モンスターボールに戻すということは、そのポケモンが戦闘不能だと認めることに他ならないのだ。 だからこそ、信じられなかった。 ジムリーダーともあろう者が、そう簡単に自分のポケモンを戦闘不能にしてしまうなんて。 だが、それはTPOが大きく関係している。 ミクリは、このままラグラージで戦ってもミロカロスには勝てないと判断した。 だからこそ、二番手のポケモンにバトルを託すことにしたのだ。 アカツキはそこのところを勘違いして、戦略という二文字を外していたに過ぎない。 「ラグラージ、ゆっくり休みなさい……」 ラグラージの入ったボールにキスをして、ミクリは次のポケモンが入ったボールに入れ替えた。 「キスなんてするんだ……」 アカツキは唖然としていた。 自分のポケモンを大切にする気持ちは分かるが、だからといってボールにキスなどするだろうか。 どうにも考えられないことだったので、どういう対応を採ればいいのか分からない。 無論、そんな時間は与えてくれなかったが。 「さすがに七つのジムを巡ってきただけのことはあるね。 その実力、なかなかのものだ」 ミクリは朗々と響く声で言った。 「だけど、快進撃はここまで……」 二番手のボールにもキスをすると、投げ放った!! 「セカンド・ステージ(二番手)は君だ、ラプラス!!」 ボールは中天で口を開き、中からポケモンを放出した!! 飛び出してきたポケモンは、背中にゴツゴツしたトゲだか突起だかを生やしている殻を乗っけたポケモンだった。 透き通る水色の身体に、左右に足代わりのヒレがそれぞれ二本ずつ。 耳は妙にカールしていて、雄々しさと可愛さが同居した、とにかく愛くるしいポケモンだ。 首の長さも手伝ってか、その身長はアカツキはおろかミクリすら上回っていた。 キリンのような長い首をもたげて、優しい瞳で対戦相手を見つめている。 ミロカロスのような慈しみをその眼差しから感じ取れるのは果たして気のせいか…… 「君は長期戦であるほどその実力を開花させるトレーナー…… だから、そう長々と戦うのは止めにするよ……」 ミクリは胸中でつぶやいた。 彼が対戦相手の男の子から感じ取ったのは、男の子自体が感じているはずのない『トレーナーとしての資質』だった。 最初は危なっかしい戦い方をしていたが、時間が経つに連れて状況を見極め、的確な指示を下した。 その結果、ラグラージはミロカロスの竜巻に倒されたのだ。 そして気づいた。 アカツキは、バトルが長引くほどに実力を発揮するトレーナーだ。 この先際限なく実力を発揮し続けていくと考えれば、ミクリとしても脅威になりうる。 決して低くないリスクを背負うことになるが、それだけの覚悟を抱かせたトレーナーだ、全身全霊を賭けて戦い抜いてやろうと思った。 「ラプラス……えっと、確か……」 頭の中にある知識を引っ張りながら、ポケモン図鑑で調べ始めた。 液晶画面にラプラスの姿が映し出される。 「ラプラス。のりものポケモン。 人の言葉を理解する、高い知能を持つ。 人を乗せて海の上を進むのが大好きと言う優しい性格」 アカツキもラプラスはテレビで何度か見てきた。 子供向けのポケモン教育番組で、ラプラスが出てきたのだ。 はしゃぐ子供を乗せて、とてもうれしそうな顔をしていたのを覚えている。 当然のことだが、それとバトルとは別である。 温厚なポケモンほど怒ると怖いものだが……さて、ラプラスはどうだろうか。 「それじゃ、はじめよう」 「ミロカロス、ハイドロポンプ!!」 アカツキは即座に指示を下した。 竜巻にしなかったのは、ラプラスは見た目が重そうなので、そう簡単には持ち上がらないだろうと思ってのことだった。 それに、ミロカロスの体力の消耗を考えれば、不必要に大技を連発するのは控えたい。 自身と同じ水タイプなら、体力の消耗も少しは抑えられるはずだ。 そう踏んだのだが…… 「ラプラス、妖しい光」 ミロカロスが水塊を撃ち出すと同時に、ミクリが抑揚のない声で指示を下す。 水も何もないフィールドでは、ラプラスも動けないのだろう。 まったく動くことなく、ラプラスは目を見開いた。 ぎんっ!! 凄まじい光が一瞬フィールドを覆い―― 「ろぉぉぉぉん?」 ミロカロスは変に高かったり低かったりする声を上げながら、ハエのように不規則に飛び回り始めた。 「ミロカロス!!」 妖しい光を浴びて、混乱したのだ。 だが、ハイドロポンプを避けようともせず、攻撃に転じてきたのは……アカツキは言い知れぬ不安を覚えた。 その不安は的中した。 ミロカロスのハイドロポンプが、ラプラスの顔面を直撃し、猛烈な水圧を撒き散らす!! いくら水タイプのポケモンでも、これをまともに食らえばそれなりのダメージは受けるはず。 致命的ではないにしろ、多少は…… ハイドロポンプが消えた時、そこには何食わぬ顔をしたラプラスが佇んでいた。 まったくダメージを受けた様子がない。 「え、どうして!?」 アカツキはひどく動揺した。 ミロカロスの全力投球を受けて、ダメージを受けていない!? どんな防御力であっても考えられないことだが、事実ラプラスはダメージを受けていない。 『守る』を使うほどの余裕はなかったはずだ。 驚きの表情を見せるアカツキに、ミクリは涼風を浴びているような清々しい顔で言ってのけた。 「君はラプラスの特性を知らないのかな。 ラプラスの特性は『貯水』。水タイプの技を食らった時体力を回復するんだ。 僕のラプラスに水タイプの攻撃は無意味さ!!」 「なっ……」 言葉が詰まる。 水タイプの技を食らって体力を回復するような特性があるとは……だが、今後は水タイプの技を使わなければいいだけの話。 挽回のチャンスはいくらでもある!! 心機一転、アカツキは無意味に飛び回っているミロカロスに叫んだ。 「ミロカロス、しっかり!!」 混乱から立ち直ってくれなければ、反撃どころではない。 今アカツキができるのは、呼びかけることくらいだった。 しかし、無情にもミクリは混乱から立ち直ることを許さなかった。 「ラプラス。 切なくも儚く、そして美しい歌声を聞かせて差し上げなさい。滅びの詩!!」 その指示に、ラプラスがミロカロスを見上げ、口を開いた。 ラールルーラー♪ ラプラスの口から流れてきたのは、確かに切なく、儚く、それでいて美しい歌声。 だが、どこかノイズに似た音が混じっているような…… 「ミロカロス、しっかりして!! ミロカロス!!」 刹那―― ばしっ!! ミロカロスの身体に、赤黒い蔓のような光が巻きついた!! 強烈な痛みを感じ、ミロカロスは正気を取り戻した。 赤黒い光を振りほどこうと必死に身体を捩るが、とても振りほどけない。 自分の力で宙に浮かんでいられなくなった以上、重力に従って落下を始める。 「竜巻で振りほどくんだ!!」 アカツキの指示にも、ミロカロスは竜巻を発動することができなかった。 「一体何が……?」 滅びの詩。 スクールでは習わなかった技だ。いや、もしかしたら単に覚え忘れていただけかもしれない。 気になってラプラスを見てみると、どこかその表情は辛そうだった。 きつく片目を閉じながら、歌い続けている。 何が起こっているのか悟る暇もなく、結果は突然訪れた。 ばしっ!! 鞭打つような音と共に、ミロカロスは首を落とした。 赤黒い光は消えたものの、ミロカロスはピクリとも動かなかった。 「ミロカロス、ミロカロス!!」 アカツキは、ミロカロスが一瞬で戦闘不能に陥ったことに気づけなかった。 あまりに唐突すぎるのだから、信じられないのも無理はない。 驚き、叫ぶアカツキに、ミクリが穏やかな声音に言う。 「君のミロカロスは戦えない。 ラプラスの滅びの詩で、戦闘不能になったからね」 「え……」 ミクリの言葉に、アカツキは身体を震わせた。 寒いわけでもないのに、どういうわけか身体が震える。 「滅びの詩は、大部分の体力と引き換えにすることで、相手を戦闘不能に陥れる技…… おかげで僕のラプラスは結構ダメージを受けてしまったけどね」 「そんな……」 「君を相手にするのに、余裕ってワケにもいかなくなったってことさ」 「戻って!!」 アカツキはミロカロスをモンスターボールに戻した。 続いて出したのはエアームド。 この際アブソルだろうがエアームドだろうが大して変わらないと判断したのだ。 何しろミクリには恐るべきコンボがある。 そう気づいたからには、何としても滅びの詩だけは出させてはならない。 滅びの詩で消耗した体力を、『貯水』の特性を利用して水タイプの技を何らかの手段で自ら食らうことで回復するのだ。 この方法なら何度でも滅びの詩を使えるので、それほど時間をかけずにアカツキのポケモン全員を戦闘不能にすることができるのだ。 背筋が凍ってしまうような、恐ろしいコンボだ。 ラプラスにはどんな技すらも出させてはならない。 こうなったら速攻で連続攻撃を仕掛けて倒すしかない。 「さて、それじゃあ次のバトル……」 「エアームド、エアカッター!!」 「ラプラス、滅びの詩」 「!?」 あまりに意外な指示に、アカツキは驚いた。 『貯水』を利用して体力を回復することを選ばず、またしても滅びの詩を仕掛けてきたのだ。 エアームドは羽ばたいて空気を掻き混ぜている途中で、赤黒い光の蔦に巻きつかれて地面に落下した!! 「エアームド、振り解いて!!」 アカツキの指示に、エアームドは必死に光の蔦を振り解こうとするが、結果は同じだった。 ミロカロスと同様に戦闘不能に陥ってしまう。 対するラプラスも、滅びの詩を二度使ったことで体力を使い果たし、戦闘不能になった。 「戦闘不能になってまで、どうして……」 ここまで来て、アカツキはミクリの背負った覚悟の重みを思い知った。 ラプラスを戦闘不能にしてまで、ミロカロスとエアームドを倒してみせたのだ。 何としても負けるわけにはいかないという気迫が感じられ、思わず後退った。 「君のようなトレーナーは、僕にとって初めてなんだよ。 だけど……僕とてジムリーダーだ。負けるわけにはいかない」 ミクリは自分自身に言い聞かせた。 ラプラスを戻し、労いの言葉を小声でかけてやった。 今までに滅びの詩を二度使うことで戦闘不能に陥ったことはなかった。 だからこそ、このバトルには楽しみ以上の意地がかかっているのだ。 最後のポケモンで必ず勝ってみせる。それだけの実力はあるのだ。 一方のアカツキも、エアームドをモンスターボールに戻し、背水の陣を敷かざるを得なくなっていた。 ミクリの覚悟はハンパなものではない。 それを上回るだけの覚悟がなければ、とてもではないが勝ち目はない。 最後に残ったのはアブソル。 最初に三体エントリーしてしまっているため、他のポケモンに入れ替えることはできない。 だが、アブソルで戦い抜くしかないではないか。こうなってしまった以上は。 「僕の最後のポケモンをお見せしよう。 ミロカロス、ラスト・ステージ(最後のバトル)だ!!」 やはり…… アカツキはミクリが最後にミロカロスを出してくると思っていた。 投げ放たれたボールから飛び出してきたミロカロスは凛とした美しさを存分に発揮していた。 アカツキのミロカロスとはまた違った美しさが際立って、とても大切にされているんだとすぐに分かった。 「さあ、君の最後のポケモンを出したまえ!!」 「……アブソル、行くよ!!」 アカツキはこのバトルの行方をアブソルに託した。 投げ放ったボールはワンバウンドしてから口を開き、アブソルが飛び出してきた!! 威嚇の唸り声を上げて、アブソルはほんの少しだけ浮かんでいるミロカロスを睨みつけた。 本能的に強敵であることを悟ったのだろう、殺気めいた雰囲気が膨らんでいく。 「それじゃあ、始めようか。最後のバトルを!! そして、存分に楽しもう!!」 ミクリは楽しげに見えた。 余裕なんてないのに、とても楽しそうに笑みなど浮かべている。 ここまで心躍る展開を迎えたことがなかったのだろう。 言うまでもないことだが、アカツキはとても楽しもうなどという余裕は持ち合わせていなかった。 精一杯戦って勝つことしか考えられなかった。 「ミロカロス、華麗な技を魅せて差し上げなさい、竜巻!!」 「!?」 先手を取ったのはミクリだった。 それも、いきなり大技で勝負を仕掛けて来た。 宙に浮かび上がったミロカロスが声を上げると、その周囲に蒼い粒子をまとった風が渦を巻き始めた。 技は同じでも、ミクリのミロカロスはその力で粒子の色を自由自在に変えられるのだ。 蒼いと思ったら、緑、黄色、赤……無数のグラデーションを描いていく。 瞬く間に風は竜巻へと進化を果たした。 グラデーションの竜巻は神秘的ですらあった。 「さあ、そのまま突っ込みなさい!!」 ミクリの指示に、ミロカロスは竜巻をまとったままアブソル目がけて突進してきた。 虚空に描かれていくグラデーションはまるで虹のようだった。 バトルという真剣勝負の場にも、エンターテイメントの芸術性を持ち込むあたりは、さすがと言うしかないだろう。 竜巻をまとったミロカロスの突進を避わしたとしても、渦巻く風に切り裂かれる。 単に避けるだけでは、勝ち目はない!! 「アブソル、カマイタチ!!」 目には目を。 風には風を。 というわけで、アカツキはアブソルに威力抜群のカマイタチを指示した。 アブソルは首をしゃくり上げ、角に力を宿していく。 輝きを帯びた角を振るうと、三日月の形の衝撃波が生まれ出た。 衝撃波はミロカロスに一直線に迫り――対するミロカロスも避けようとしない。竜巻は破れないと思っているのか、それとも…… 「負けない……ぼくたちは負けない!!」 闘志の炎がこれでもかとばかりに燃え上がり、ヴォルテージは最高潮に達した。 竜巻と衝撃波がぶつかり合う!! 派手な音がして、衝撃波が弾けた。 「打ち負けた!?」 アカツキはビックリしたが、実際はそういうわけでもなかった。 アブソルの衝撃波は、確かにミロカロスの突進を食い止めたのだ。 竜巻を打ち破ることはできないが、動きを妨げることはできる!! 気づいた時には、ミロカロスが突進を再開していた。 「アブっ!?」 アブソルは間一髪のところで突進を避わしたが、周囲に渦巻く風によって多少ダメージを受けてしまった。 辛うじて着地して、首を打ち振る。 この程度のダメージで負けてなんかいられない、と言わんばかりだ。 「アブソル、剣の舞!!」 アカツキの次なる指示に従い、アブソルは華麗なステップを刻み始めた。 人間の目ではよく分からないが、ポケモンの世界では戦いの踊りと言われているステップ。 「させないよ、突撃だ!!」 ミロカロスは一旦高く舞い上がり、狙いを定めて急降下!! 今度は逃がさない……そんな意志が感じられた。 アブソルはしかし動じることなく、マイペースにステップを刻み続ける。 二度目の突進を、紙一重のところで避わすが、またしても風に切り裂かれる。 それでも、ステップは止まらない。 三度目の突進を避けたところで、剣の舞は完了した。 一瞬にして、アブソルの攻撃力が飛躍的に上昇する。 剣の舞はポケモンの攻撃力を高める技だ。 しかし、突進をまともに食らわなかったと言っても、風に三度切り裂かれたアブソルの体力も相当消耗している。 どこか息が荒々しくなってきたように思えるのは、間違いなく気のせいなどではない。 「このままじゃまずいな……」 体力の消耗の度合いだけを見てみれば、確実にミロカロスの方に分がある。 竜巻を維持し続けているのは簡単なことではないだろうが、直接的なダメージを受けていない分、優位に働いているはず。 アカツキはアブソルのコンディションを確かめた。 まともに竜巻を食らえば、耐えられるかどうかも疑わしい。 しかし、今のアブソルのカマイタチなら、確実に竜巻を破れる。 四度目の突進を仕掛けてくるミロカロスを見据え、アカツキはアブソルに指示を下した。 「カマイタチだっ!!」 アブソルは迅速に力を角に集約し、衝撃波として撃ち出した。 その威力は先ほどとは比べ物にならない!! 「なにっ!?」 ミクリが初めて動揺を口に出した。 アブソルの衝撃波は、大きさだけで言えば先ほどの二倍近い。 あれを食らったら、竜巻でも防ぎきれるかどうか分からない。 だが、逃げるつもりはない。 「負けられないのは僕も同じことだ……」 ミロカロスはトレーナーの意識を共有しているように、怖気づくこともなく衝撃波と正面から向き合い―― ごぅんっ!! 空気が爆発したような音が轟く。 衝撃波と竜巻がぶつかり、両方が壮大に弾け飛んだ!! 「よしっ!!」 竜巻を破れた!! アカツキは思わずガッツポーズを取ってしまったが、まだ勝ったわけではない。 「やるね……でも、それならそれで好都合。 ミロカロス、ゼロ距離ハイドロポンプ!!」 「アブソル、電光石火!!」 ミロカロスとアブソルの距離が縮まる!! アブソルの硬い角がミロカロスの身体に食い込むと同時に、ミロカロスのハイドロポンプがアブソルを直撃した。 互いに吹っ飛ばされて、地面に激しく激突する!! 「アブソル!!」 「ミロカロス!!」 正直なところ、両者とも今の一撃は馬鹿になっていない。 攻撃力が高まったアブソルの電光石火に、水タイプ最強のハイドロポンプ。 大ダメージだ!! しかし戦闘不能には至っていない。 アブソルもミロカロスも、気力を振り絞って起き上がった。 「でも、アブソルはもう精一杯……チャンスはこれで最後……」 アカツキは嫌でも悟ってしまった。 アブソルの体力は限界に達しつつある。 あと一撃放つか、あるいは一発食らうか……どちらかだけで倒れてしまいそうなほど、足元は覚束なかった。 ミロカロスがどれだけダメージを受けているのか分からない。 でも、最後の最後まであきらめるわけにはいかない。 最後の一撃に賭けて……ミロカロスを倒し、ミクリに勝つ!! 「ミロカロス、最後の奥義を使う時が来た!! 君の力を見せてやれ、ハイドロカノン!!」 「破壊光線!!」 聞き覚えのない技をミクリが指示し、一瞬遅れてアカツキも指示を下した。 ミロカロスはこれでもかとばかりに口を大きく開くと、ハイドロポンプすら上回る威力の水の大砲を撃ち出してきた!! 「あれは!?」 あまりに凄まじい威力に、アカツキは息を呑んだ。 あんなのをまともに食らったら、アブソルの体力が満タンだったとしても、一撃で戦闘不能だ。 そんな技を最後の最後まで取っておいたのは、本当の意味で最後の一撃にするためだったのだろう。 だが、アブソルは口から破壊光線を撃ち出した!! その表情に恐怖は微塵も見られなかった。 ミロカロスの水の大砲と、アブソルの破壊光線がぶつかり合う!! 両者の中間でふたつの技が激しく鎬を削る。破壊光線の熱で、ハイドロカノンの水が蒸発していく!! 威力は互角。 どちらかが一瞬でも、少しでも弱まれば、それだけで確実に押し負けてしまうだろう。 アブソルもミロカロスも必死の形相で最強威力の技を放ち続ける。 破壊光線は言うに及ばずノーマルタイプで最強の技。 今さら特に説明すべきことはない。 一方ハイドロカノンは、一般にはあまり知られていない、ハイドロポンプすら上回る水タイプ最強の技。 あまりにも強力すぎるので、一般トレーナーが使うのはまずかろうということで、ポケモンリーグが秘密裏に封印しているほどの技だ。 アカツキはそれを知らなかったが、そんな技を使わなければならないほど、ミクリは切羽詰っていたりするのだ。 ちなみに、ハイドロカノンと同じ理由で封印されている技がふたつある。 草タイプと炎タイプの最強の技だが、それについてはここで語ることもあるまい。 いつ果てるとも知れない最強威力の技の鍔迫り合いは、突然終焉を迎えた。 ごくわずかにミロカロスのハイドロカノンの勢いが衰え……それを端緒にして、破壊光線が徐々に圧していく。 「アブソル、がんばって!!」 アカツキの声援が効果覿面だったのか、アブソルは限界ギリギリまで出力を強めた。 剣の舞で威力が高まった破壊光線は、しかしそれゆえに反動も大きいのだ。 身体が耐え切れなくなる前に、決着はついた。 どごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!! 耳を劈く大音響と共に、破壊光線がミロカロスに突き刺さり、爆発を起こした!! 「なんてこった……」 ミクリは残念そうにため息を漏らし、モンスターボールを掲げた。 爆風によって宙に巻き上げられたミロカロスに照準を絞り、捕獲光線を発射する。 かくして、ミロカロスはモンスターボールに戻された。 「もしかして……」 自分からボールに戻したミクリを見て、アカツキは喜びが湧きあがることに気づいた。 その時、アブソルが膝を突いた。 力を使い果たして、動けなくなってしまったのだ。 「アブソル!!」 アカツキはアブソルのもとへと駆け寄った。 荒い呼吸を繰り返すアブソルは、近づいてくる足音に気づいてか、顔を上げた。 振り向くこともできなかったが、トレーナーがどんな雰囲気を漂わせて傍に来たのかくらいは分かる。 アブソルの目の前でアカツキは身を屈めた。 「アブソル、大丈夫?」 「アブルルル……」 「よく頑張ったね。ありがとう……」 まだ戦うつもりでいるアブソルの身体に触れて、労いの言葉をかける。 アブソルはもともと好戦的な性格の持ち主なので、相手が倒れたからといって戦いを止めるタイプではないのだ。 アブソルを労わっているアカツキのもとに、ミクリが歩いてきた。 吹っ切れたような清々しい表情で、口の端には笑みなど浮かべているではないか。 「アカツキ君。おめでとう、君の勝ちだ」 「あ、はい……」 アカツキは慌てて立ち上がり、ミクリの方を向いた。 「君の意気込み、ポケモンを信じる心……それが僕達のポケモンを倒す力になった。 ジムリーダーとして本気の本気で戦ったが、負けは負け。悔いはないよ」 「ありがとうございます、ミクリさん」 過ぎた賛辞だとは思ったが、アカツキは素直に受け取っておくことにした。そんな大げさなものでもないと思うのだが…… なんだか照れくさくなった。 だけど、ミクリに勝てたのだ。それだけはとてもうれしかった。 「その健闘を称え、ルネジムを制した証であるレインバッジを君に……」 そう言って、ミクリは懐から取り出したバッジをアカツキに手渡した。 「これがレインバッジ……」 八つ目のバッジを見つめるアカツキの瞳はキラキラ輝いていた。 そのバッジが気になったのか、アブソルが必死に背伸びしているが、力を使いすぎていてそれも無理っぽい。 「アブソル、君が頑張ってくれたから、このバッジをゲットできたんだよ」 アカツキはニコニコ笑いながら、アブソルにも見えるようにしゃがんで見せた。 男の子の手のひらで、スポットライトを浴びて輝くバッジをしげしげと見つめる。 鈍い銀色のバッジは、名前どおり雨粒がいくつも集まったような形をしていた。 ともあれ、これでホウエンリーグに出場するために必要なバッジは揃ったのだ。 「今の君ならホウエンリーグでも十分に通用するだろう。 だけど、優勝を狙うのなら、これからも鍛錬を欠かさないようにすること。オッケー?」 「はい」 アカツキは大きく頷いた。 ホウエンリーグに出るのなら、狙うはもちろん優勝だ。 無理かもしれなくても、やるだけのことはやらなくては。 バッジが八つ揃ったということは、単にホウエンリーグへの扉が開いたに過ぎない。 そこから先は、これからの時間の過ごし方次第なのだ。 「くぅぅぅぅぅんっ!!」 アブソルはうれしそうな声を上げると、アカツキの足に頬擦りなどしてきた。 「あ、あれ?」 いきなりどうしたのだろう。 アブソルはあまり懐いてなくて、はじめの頃は敵意までむき出していたのだ。 それが今ではどうだろう。うれしそうな顔は明らかに本心から来るものだ。 「ふふ……」 何をどうすればいいのか分からないアカツキの困惑した顔を見つめて、ミクリは小さく笑った。 「アブソルも君に懐いたようだね。 ところで、ダイゴが来るまでもう少し時間があるようだから、その間にポケモンセンターでみんなを休ませてあげるといい」 「あ、はい。そうします」 アカツキは弾かれたように顔を上げて、アブソルをモンスターボールに戻した。 ミクリの言葉が胸に沁みる。 アブソルも君に懐いたようだね……それが本当のことだと分かって、とてもうれしかった。 「それじゃあミクリさん。 後でまた来ます!!」 「ああ。ダイゴが来たらそちらに連絡を入れるよ。それまでゆっくりしておいで」 「はい!!」 アカツキは清々しい顔で頷くと、踵を返した。 バトルで疲れているとは思えないくらい、バトルフィールドを走り去る足取りは軽やかだった。 姿が見えなくなるまでその背中をずっと見守り―― ミクリは背後を振り返った。 「ダイゴ。来てるんだろう」 その言葉に、観客席から親友の青年が姿を現した。 「気づいていたのかい?」 「そりゃあ、当然」 観客席の縁からフィールドに華麗に降ってきたダイゴに、ミクリは微笑みかけた。 十数年来の親友ともなれば、些細なことにも気づくものだ。 まさか、それを忘れているわけでもあるまいに。 「しかし、予定よりずいぶん早かったね」 「思いのほか楽に引渡しが行われたから」 精一杯の皮肉をまぶした言葉に、しかしダイゴは飄々と笑顔で応じた。 この場にはいない誰かさんの協力があって、仕事がずいぶんと捗ったのだろう。 まあ、それはそれでいいことだが。 「良かったのかい? 話があるのだろう?」 「今ここで、というのは僕としても控えたい。 バトルして疲れているところで話すようなものでもないと思っているから」 「なるほど」 ダイゴらしいと思い、ミクリは笑った。 ポケモンリーグという組織でトップにまでのし上がったのだ。 他人に対する気遣いは人一倍というものだ。 「それより、いいバトルだったね。初めて会ったあの頃とは段違いだ」 「いつから見ていたのかな?」 「君がラプラスであの子のミロカロスを戦闘不能にしていた時から……かな。 しかし、君もずいぶんと思い切った戦法に出たものだ。 ミロカロスが最強のポケモンということで、出す前に相手のポケモンをできる限り戦闘不能にしておこうなんてさ」 「あんな方法を採ったのは初めてだよ」 ラプラスに滅びの詩を二発使わせたのは本当に初めてのことだ。 どんなポケモンでも滅びの詩を二発使うと確実に戦闘不能に陥る。 それだけリスクの高い技だが、そうせざるを得ないだけの覚悟があったのも事実。 認めないわけにはいかないだろう。 「しかし、旅に出てたかだか二ヶ月とは思えないような実力だね。 さすがに『あいつ』の息子だけのことはある、かい?」 「それは事実だね。 本人を目の前に言うようなことじゃないけれど。 まあ、時が来たら自ずと知ることになるさ。それまでは僕達が知らせるべきことじゃない。 『本番』前に、少し付き合ってくれないかい?」 「頼まれちゃ、断れないな……」 お互いに笑みを向け合った。 言いたいことは手に取るように分かった。 第88話へと続く……