第88話 家族 -So precious...- ミクリとのバトルを終えて、傷ついたポケモンたちを回復させるために訪れたポケモンセンターで。 アカツキは回復が終わった後もノンビリとくつろいでいた。 ミクリが言うには、ダイゴが来るにはまだ時間があるだろうから、しばらくポケモンセンターでノンビリしているといいと言われたのだ。 バトルで疲れていることもあって、少しくらい羽を伸ばしたって罰は当たらないだろう。 「でも、これでぼくもホウエンリーグに出られるんだ……!!」 アカツキは人気のないロビーの長椅子に腰掛けながら、リュックから取り出したバッジケースを開いてしげしげと眺めた。 等間隔に並ぶ八つのバッジ。 左からゲットした順に並んでいる。 カナズミジムのストーンバッジ。 ムロジムのナックルバッジ。 キンセツジムのダイナモバッジ。 フエンジムのヒートバッジ。 トウカジムのバランスバッジ。 ヒワマキジムのフェザーバッジ。 トクサネジムのマインドバッジ。 そして最後に、ついさっきゲットしたレインバッジ。 八つのバッジ。 それはホウエンリーグ出場権を得るのに必要な、ジム戦を制してきた証だ。 どのジムでも、紙一重の勝利だった。 手に汗握る興奮、勝利の行方を占う緊張感……今でも新鮮で、思い出せばそれだけであの時の臨場感が蘇ってきそうだ。 「ぼくも一人前のトレーナーになれたってことなのかな……」 ホウエンリーグの大舞台で、たくさんの観客の前でバトルを披露する。 トレーナーとして全力で戦うだけのことだ。 誰かのために戦うんじゃない。自分のために戦うのだ。 ミクリとのバトルで、少しは強くなったという実感が持てたし、少しだけ、アブソルも懐いてくれたような気がした。 たった一度のバトルだったが、お互いに心を重ね合わせて、気持ちを通い合わせることができた。 それは素直に成果だと喜べるところだ。 もう少し頑張れば、きっとアブソルとも仲良くできるはず。 アリゲイツやカエデと変わらない、本当の『家族』として同じ時間を過ごせるようになるのだ。 「それまで頑張らなくちゃ……みんないっしょに」 アカツキはバッジケースの蓋を閉じ、リュックにしまった。 いつまでも見ていると、目が離れなくなってしまいそうだったから。 窓の外に広がるルネシティの街並みを見つめ、今までの旅路を思い返してみる。 たったの二ヶ月だったが、今まで過ごしてきたどの『二ヶ月』よりも重みがあって、大切なもののように思える。 実がたくさん詰まっていて、楽しかった二ヶ月間。 もちろん、いいことばかりじゃなかった。 新たな出会いと別れを繰り返して、たくさんのバトルを経験してきた。 その中で負けたこともあったし、紙一重の勝利も味わってきた。 楽しさや辛さや悲しさやうれしさ……そういったものの積み重ねが今の自分につながっている。 無駄だと思えるようなものは何ひとつない。 そう思えるだけで幸せなのかもしれない。 「とても楽しかった……今も、こんなに楽しいし……」 正直なところ、トレーナーとして旅に出る前は、不安もいくらか抱えていた。 楽しいだけの日々になるとは思えなかったし、本当に旅なんて続けていけるのだろうかと思うことも少なくはなかった。 でも、旅に出てその考え方は反転した。 辛いこともあったが、とても楽しい日々が続いている。 旅を続けられるのはみんなが一緒にいてくれるからだし、だからこそ頑張ろうと思える。 結局、ひとりでできることなんて高が知れているのだ。 誰かしらの支えがなければ、今頃はミシロタウンの自宅でひっそりと暮らしていたことだろう。 みんながアカツキのために頑張ってくれるから、逆にアカツキもみんなのために頑張ろうと思える。 さらには、旅をするための原動力になっている。 本当に不思議なものだと思う。 「これからもずっとずっと、こんな時が続いていけばいいな……」 なんて幻想のような考えを抱いていると、ジョーイに声をかけられた。 振り返ると、いつものスマイルを浮かべた彼女がすぐ傍に立っていた。 「お電話ですよ。ミクリさんからです」 「ありがとう、ジョーイさん」 アカツキは彼女から電話の子機を受け取ると、耳元に宛がった。 「もしもし……」 「やあ。ポケモンの回復は終わったかな?」 「はい。おかげさまで」 電話越しに聞こえてくる相手の声は、どこかうれしそうだった。 ジム戦で力を出し切って、負けた悔しさなど吹き飛んだのだろうか。 それとも、これが彼の地なのか。 「ダイゴさんが来たんですか?」 「ああ。でも、ルネジムじゃなくて、とある場所に来て欲しいと言っている」 「とある場所?」 「ああ」 アカツキは眉をひそめた。 ダイゴが自分を呼んでいるなんて、きっと何かあるのだろう。 余計な探究心が働いてしまう。 そんな思考回路を無理矢理断ち切って、電話にだけ神経を集中する。 「ルネシティの南に小島があるのだけれど、そこの岩場で君を待っているよ。 空から見ると、三角形をしているから、すぐに分かると思う」 「南の小島ですね。分かりました」 「大切な話があると言っていたよ。 僕よりも、君の方がよく分かっていると思うけど……それじゃあアカツキ君。 ホウエンリーグでの君の健闘を祈っているよ」 「ありがとうございます、ミクリさん。それじゃ……」 アカツキは丁重に礼を言うと、電話を切った。 いつの間にやらカウンターに戻っていたジョーイに子機を返す。 「南の小島……そこの岩場でダイゴさんが待ってる……」 胸が高鳴ると同時に、不安が降って湧いた。 ミクリの口ぶりでは、ダイゴが話すであろうことは恐らく…… 「不安なんて感じちゃいられない。行こう!!」 余計な不安なんかに構っている時間はない。 アカツキは頭を左右に振って、雑念を振り払った。 ポケモンセンターを飛び出し、エアームドをモンスターボールから出した。 「エアームド、ぼくを乗せて!!」 「キェェェッ!!」 エアームドは素直に従うと、翼をたたんでアカツキに乗るように促した。 たたんだと言っても、エアームドの翼は刀のような切れ味があったりする。 だから、切り傷などつくらないよう慎重に背中に乗った。 左右からアカツキの足が視界に入ったのを確認し、エアームドは翼を広げて飛び上がった。 翼に触れたらそれだけで大怪我につながるということで、それなりに気を遣っているのだろう、速度は少し遅めで、慎重に羽ばたく。 眼下にルネシティが一望できるくらいの高さまで上がったところで、アカツキは遠くを見渡した。 ルネシティの周囲にはいくつも小島があるが、ダイゴが待っているであろう島はすぐに分かった。 真南に、三角形の小島があった。 その島を指差し、 「エアームド、あそこの岩場までぼくを連れてって」 「キェッ!!」 承知したと言わんばかりに短く嘶くと、エアームドは目的の場所へと空を駆けた。 ぐんぐんと距離が縮まっていくにしたがって、アカツキは心臓の鼓動がいつもよりも速くなっていくことに気づいて胸に手を当てた。 抑えきれない何かが渦巻いている。 その正体を知るのが怖くて、手を触れないことにした。 「でも、ダイゴさんはきっと……『黒いリザードン』の話をしに来たんだ。 ぼくだって……」 アカツキの夢。 その夢を握っている青年が待つ島へ。 時間はあっという間に過ぎた。 エアームドは三角形の小島の岩場に軽やかに着地すると、翼を折りたたんだ。 「ありがとう、エアームド」 労いの言葉をかけて、アカツキはエアームドをモンスターボールに戻した。 そして、視線を前方へと向ける。 ゴツゴツと乱立する岩のひとつに背を預け、ダイゴが立っていた。 その傍には寄り添うようにプリムが。 穏やかな表情のダイゴとは対照的に、プリムは厳しい表情で、睨みつけるような眼差しを向けてきている。 「来たね、アカツキ君……」 アカツキは返事代わりに頷いた。 ダイゴはアカツキの方へと、ゆっくりとした足取りで歩いてきた。 彼のSPのように、プリムも同じ歩調でやってくる。 いつでも付き従う……まるで影のようだ。 「ミクリから聞いたよ。ジム戦に勝ったそうだね。 これで君もホウエンリーグに出られるというわけだね。おめでとう」 「ありがとう……ございます」 賛辞に、アカツキは躊躇いがちに頷いた。 そんなことを話しに来たわけではないはずだ。 なぜ単刀直入に言ってくれないのか。 竹を割った性格のダイゴなら、回りくどい手段なんて使わないはずなのだ。 なんだか不安になった。 アカツキの心中など知らないような涼やかな顔をして、ダイゴは突然切り出してきた。 「君に話があるんだ。 君のよく知るポケモンについて…… いずれは話さなくてはならないと思っていたのだけれど……結局今の今まで話せなかったね。 それは僕の心の弱さからだから……言い訳をするつもりはないよ」 弁明にしか聞こえない台詞だが、アカツキは黙って聞いていた。 プリムが目を細めるが、ダイゴは気づいていないようだった。 何もそのようなことを申さなくてもよろしいでしょうに……彼女の眼差しがそう物語っていた。 そう。 そのとおりだ。 アカツキはそんな言葉を聞きたくてこんなところまで来たわけではない。 聞きたいのは…… 生命の危機を二度も救ってくれた、あのポケモンのことだけ。 それ以外のことなんてどうでもいい。 アカツキが意を決して口を開こうとした時、ダイゴが先に言葉を発してきた。 「君が求めていた『黒いリザードン』は……僕のポケモンなんだ。 エントツ山で、僕は君に言ったね。 『黒いリザードン』は東の空へ飛んでいったと。 もう分かっていると思うけど、あれは嘘だ」 「どうして……? どうしてそんな嘘ついたんですか?」 アカツキは耐えかねて質問をぶつけた。 ダイゴの表情がかすかに動いた。 「ぼくのこと、まだ弱いって思ってたからですか?」 「いや、そうじゃない」 「じゃあ、どうしてですか?」 食いつくような形相になったアカツキを見つめ、ダイゴは首を振った。 会いたくて、ゲットしたくて…… そう強く願い続けたポケモンを、目の前の青年が持っているのだ。嫌でもそんな表情になる。 ダイゴには、アカツキの気持ちが痛いほど分かった。 それでも、自分にも意地やプライドがある。誰にも譲れぬ想いがある。 想いを握りしめながら言う。 「どう受け止めてもらっても構わないよ。 僕は君にもっと、トレーナーとして、ひとりの人間として強くなって欲しかったんだ。 君にはトレーナーの素質があるから……」 「ダイゴさまの心中、どうかお察しください」 表情とは裏腹に、穏やかな声音で懇願するようにプリムが付け足した。 どうすればいいのだろう。 アカツキは分からなくなってしまった。 なんだか、どんどん核心から遠ざかっているような気がする。 それも、彼らがそうさせているような…… 「もし君が仮に僕にリザードンを譲ってくれと頼んだとする。 君のことだ、それも一つの方法として考えているだろう」 「それは………」 見事に言い当てられ、アカツキは口ごもった。 夢にまで見た『黒いリザードン』が手の届く位置にいるのに、何もせず指をくわえたまま見ているだけなんて考えられなかった。 だから、譲ってもらおうという考えだって脳裏にはあった。 先に言われ、こちらから切り出すことができなくなってしまった。 「僕がトレードを了承したとして…… 君に僕のリザードンと釣り合いがとれるだけのポケモンを用意できるかい?」 「…………」 トレードとは言うまでもなく、互いのポケモンを交換することを指すが、だからこそ自分のポケモンをダイゴに渡さなければならない。 それはもちろん慈善事業などではないのだから、それなりに釣り合いの取れるポケモンを相手に渡さなければならない。 アカツキにだってそれくらいは分かっているから、なおさら何も言えなかった。 プリムをはじめとするホウエンリーグ四天王。 そして彼らを統括するチャンピオンがダイゴだ。 彼のポケモンとなれば、手持ちは確実に並のポケモンとは比べ物にならないだけの実力を有している。 言うまでもないことだが、今のアカツキの手持ちに、ダイゴのリザードンと釣り合いが取れるだけのポケモンがいるだろうか。 答えは否だった。 それが嫌と言うほど分かっているから悔しくて、アカツキは俯いた。 爪が食い込むくらい強く拳を握りしめて、わなわな震わせた。 道理で、ダイゴがエントツ山で本当のことを話してくれなかったわけだ。 あの時も……今もそうだが、トレードできるだけの優秀なポケモンがいなかった。 だから、何も言わなかった。 「少なくとも今の君に……僕のリザードンを託すことはできないよ」 「だったら……」 アカツキは『☆』のマークがついたモンスターボールを手に取った。 プリムもダイゴも、何も言わない。 何をするつもりなのか、分かっているからなのだろう。 「ぼくのポケモンがどれだけ成長したか、見てください!!」 アカツキの言葉に応えるように飛び出してきたのはカエデだった。 「バクフーンっ!!」 カエデは飛び出してくるなり、背中の炎を激しく燃え上がらせた。 ――あたしのトレーナーを弱いなんて言う人は絶対に許さないんだから!! と言わんばかりにダイゴを睨みつけるが、彼はまったく動じていなかった。 「ダイゴさん。ぼくとバトルしてください!!」 「君と……?」 「はい!!」 ダイゴは肩を竦めた。 威勢のいいバクフーンを繰り出してきた男の子のやる気は存分に伝わってくる。 しかし、だからといって、本気でバトルできるほど強いポケモンでないことくらいはすぐに分かる。 とはいえ、ここで逃げるのも癪である。 バトルを申し込まれたからには断れない。 チャンピオンとはいえ、ポケモントレーナーであることに変わりはないのだ。 粋がる男の子を相手にするのは正直気乗りしないのだが…… 渋々やる気になったところで、ダイゴの前に飛び出した人影があった。 それはプリムだった。 ダイゴは背を向けた彼女の表情を見ることができなかった。 だけど、その雰囲気から悟ることはできた。 プリムは凍土のような厳しさを顔に貼り付け、眼光は氷で作った刃のごとく冷たく、そして鋭かった。 気を抜けば射抜かれてしまいそうな視線と雰囲気に晒され、アカツキは一瞬怯んでしまった。 その隙を突いて、プリムが厳粛な口調で話し始めた。 「いい加減にしなさい。 あなたには分からないのですか? ダイゴさまのどのポケモンとも、釣り合いが取れないということを……」 「そんなの、やってみなくちゃ……」 「今のあなたなら、やらなくても分かることです」 アカツキの精一杯の主張――やりもしないうちからあきらめたりしないということさえ、プリムは顔色一つ変えず撃沈した。 情け容赦ないプリムを、ダイゴはしかし止めなかった。 彼女は自分に代わってアカツキの相手をしているのだ。 トレーナーとして必死に…… そう、見ていられなくなるほど健気にも背伸びしようとしている男の子と向き合うのは、正直辛いと思っていたところだった。 「ぼくは何もせずにあきらめるのが大っ嫌いなんだ!! 相手が誰だって、やる時はやるんです!!」 「そうですか……」 自分で自分の感情をコントロールできずに熱く燃えているアカツキとは対照的に、プリムは氷のように冷たかった。 「ならば、ダイゴさまに代わり、わたくしがお相手いたしましょう……」 プリムは滑るように手を動かし、モンスターボールを掴み上げた。 「来なさい、オニゴーリ」 静かに告げ、ボールを軽く上方へ放り投げる。 口が開いて、中から氷に覆われた岩のようなポケモン・オニゴーリが飛び出してきた。 ふわふわと宙に浮かび、鋭く尖った視線をアカツキに――というよりもカエデに向けている。 オニゴーリは氷タイプのポケモン。 炎タイプのカエデとは相性が悪い。 プリムほどのトレーナーならそれくらいは分かっているはずだ。 それにも構わず出してきたと言うことは…… 「カエデ、火炎放射!!」 戦うべき相手を忘れ、アカツキはカエデに指示を下した。 プリムのオニゴーリを倒せば、少しはダイゴも認めてくれるかもしれない。 自分のトレーナーとしての強さと、ポケモンの強さを。 勝手にそう思い込んで、理性が制止すら振り切って突っ走り続ける。 カエデはトレーナーのやる気を感じ取り、指示された通りに口から炎を吹き出した!! だが―― 「オニゴーリ、ハイドロザード」 プリムが撫でるような声でつぶやくと、オニゴーリは即座に吹雪を巻き起こした!! 炎と氷…… 普通ならどちらが勝つのか、文字通り火を見るよりも明らかだったが、あいにくとオニゴーリが発動したのはただの吹雪ではない。 水タイプと氷タイプを併せ持つ強烈な技で、吹雪と共に空気中の水分を著しく増やす効果がある。 擬似的に雨乞いの効果が発生し、カエデの炎が弱まる。 凄まじい風に、アカツキは片方の目を固く閉ざし、手で視界の一部を遮った。 刹那、カエデの火炎放射は意外なほどあっさり吹き散らされる!! 「!?」 信じられない光景を目の当たりにして、アカツキの思考が途切れる。 吹雪は瞬く間にカエデの体温を奪い、背中の炎すらかき消した。 最終的にはその身体を分厚い氷に閉ざしたのだった。 「カエデ、そんな!!」 相性では圧倒的に有利だったはずだ。 攻撃面でも、防御面でも。 なのに、勝負は一瞬だった。 それも、敗北なんて。 「これが……ぼくの力だって言うの?」 アカツキは内に秘めていた熱が急激に冷やされていくのを感じ、その場に崩れ落ちた。 信じられないものを見て、目を大きく見開いている。 相性をあっさりと覆すほどの実力差。 ダイゴはプリムよりも強いのだ。格が上であることを考慮しても、それは疑いようもない。 だから、彼女のポケモンに勝てないようでは、リザードンとはとても釣り合いなんて取れない。 どうしようもない現実を思い知らされた。 アカツキは慌てて、今にも泣き出しそうな表情でカエデを包む氷に触れた。 「カエデ、カエデーっ!!」 「オニゴーリ、止めを刺しなさい」 「もうやめろ、プリム。やめるんだ」 「ダイゴさま……」 勝負がついたのにまだ続行しようとするプリムの肩に手を置いて、ダイゴは首を横に振った。 「これくらいでいい……分かってもらえるなら……」 哀れなくらい必死なアカツキの表情を見て、ダイゴもやるせない気持ちになった。 ここまでするつもりはなかった。 ただ、分かってくれればよかった。 だからといってプリムを責めるのは筋違いというものだろう。 彼女は自分に代わって教えようとしていたのだ。 トレーナーとしての厳しさや、心構えを。 「分かりました……ダイゴさまがそこまでおっしゃるのなら……」 プリムはダイゴの言葉を素直に聞き入れ、冷凍ビームを放とうとしていたオニゴーリをモンスターボールに戻した。 「アカツキ君」 ダイゴはしかし落ち着き払ったような口調で言ったが、言われている本人は気づいていなかった。 カエデを包み込んでいる分厚い氷をどうにかして溶かそうと必死だった。 その声が届いていないであろうことは承知していたが、それでも続ける。 「君にとってそのバクフーンがかけがえのない『家族』の一員であるように、僕にとってリザードンは、君と同じくらいの存在なんだよ。 だから、僕はリザードンを手放したくないんだ。 今の君に託すことはできない……」 アカツキは聞いていないようだった。 必死な顔でカエデを氷から助け出そうと叩いたり摩ったりしているが、人間の力で簡単にどうにかできるはずもない。 そんなことを考えていられるだけの余裕もないのだろう。 ワカシャモの格闘タイプ、あるいは炎タイプの技なら意外とあっさり助け出せるのだろうが…… 「仮に僕が君のポケモンの誰かとトレードを了承したとしよう。 だけど、僕のリザードンは、今の君には従わないよ。 その背に乗って飛ぶことも、バトルで活躍させることも……『家族』として接することもできないと思う」 ダイゴは腰のモンスターボールからオオスバメを出した。 彼に倣い、プリムもオオスバメを出した。 ふたり揃ってそれぞれのオオスバメの背にまたがる。 「君と僕がトレードすることの意味を考えてごらん。 もう少し冷静になって……君が『家族』を本当に大切にしたいと思うなら、結論を急ぐべきではないよ。 僕は逃げも隠れもしない。 君がリザードンに相応しいと思えるようなトレーナーになったら、考えてもいいんだけどね……強くなるんだ、アカツキ君。 僕はそれまで待っているよ」 ふたりを乗せたオオスバメは軽やかに舞い上がり、東へと飛び去った。 残されたアカツキは、ただ呆然としていた。 カエデをこの氷から助け出す方法だけを考えていた。 だから気づけなかった。 ダイゴが残したメッセージ――背伸びせずに進んで欲しいということも、気づくのはもう少し先になる。 サイユウシティへ帰還の途に就いているダイゴは、ポケモンリーグ・ホウエン支部の建物を見つめたまま考えごとをしていた。 何も言わず、身動きもしない彼の様子が気になったのか、プリムはオオスバメを傍につけると、その顔を覗き込んだ。 「ダイゴさま。何か気になることでもおありですか?」 不意に横手からかけられた声に、ダイゴは弾かれたように顔を上げた。 どこかその表情がビックリしたように一瞬見えたのは、果たして気のせいか。 さすがに無視するわけにもいかず、ダイゴは考えを中断せざるを得なかった。 「うん……いろいろとあったりするよ」 「あの子のことも、そのひとつですか?」 「ああ。否定しても仕方がないしね……」 ダイゴは正直に答えた。 プリムのことだ、嘘の答えを返したとして、表面上は納得して何も言わないだろう。 それは彼としても後味の悪いものだった。 氷浸けになったバクフーンを助けようと必死になっていた男の子の顔は忘れようと思って忘れられるものではない。 目を閉じれば瞼の裏に焼きついているように鮮明に蘇ってくる。 「ダイゴさまがお気に病むことではありません」 プリムは吹き付ける風にも負けないように堂々と言い放った。 それが自分のためだと分かっているが、気にするなと言われて、そうできれば何の気苦労も抱かない。 「なあ、プリム。あの子は自分の父親のことを知らないんだよ」 「ええ。言動を見てみればそれくらいは分かります」 「僕があの子にリザードンを託さなかったのは、トレーナーとしての実力が足りないのはもちろんだけれど、そっちの方が気がかりでね」 「そういうことですか……」 「ああ……」 プリムは合点が行ったように何度も頷いてみせた。 そんな彼女から視線を逸らし、ダイゴは後ろを振り返った。 もう肉眼では確認できないが、その方向には先ほど突き放した男の子がいるはずだ。 立ち直れたかどうかは分からない。 無責任なことをしたな、という自覚は確かにある。 だが、それが彼のためになるのであれば、少しくらいの汚名は着てもいいと思っている。 「あの子がリザードンを手にしたことで有頂天になったとしたら…… きっと、取り返しのつかない事態を引き起こすだろうね。今のあの子なら……」 力とは諸刃の剣なのだ。 使い方次第で他人を傷つけるものにも、大切な存在を守るものにもなり得る。 だからこそ、ダイゴは『黒いリザードン』という力を託さなかった。 それができるようになる頃には、男の子も成長しているはずだ。 焦るな…… それはあの男の子に対するものであり、そして自分自身に対するものでもある。 「焦ったところでね……」 ダイゴはポツリつぶやいた。 独白めいた言葉に、プリムは黙って耳を傾けた。 「あの人を止めることなんてできないよ。 今の僕にも、今のあの子にも……だから、待つしかないんだよ。 あの子が気づいてくれるまでね……」 「ダイゴさま……そうですね。ダイゴさまがそうおっしゃるなら、わたくしはそれに従います」 「迷惑をかけて済まない……」 「いいえ」 プリムは首を横に振った。 この人に付いて行くと決めたのだ。何があろうと離れはしない。 「僕も、あの人を助けたいと思っているよ」 ダイゴの瞳に迷いは見られなかった。 静かな決意を、静寂の中に滲ませていた。 第89話へと続く……