第90話 ホウエンリーグ予選・第一戦 -1st heat on the league- ホウエンリーグは年に一度、ホウエン地方で最大のバトルの祭典として催されている。 十二月一日の開会式から始まり、三日間かけて、本選出場を賭けた熾烈な予選が行われる。 予選はポケモンを二体使ったシングルバトル。 一方、本選ではポケモンを四体駆使するダブルバトル。 予選と本選では形式こそ違うが、熱いバトルが繰り広げられるのは間違いない。 今さら言うまでもないことだが、ホウエンリーグはホウエン地方東端の街であるサイユウシティのサイユウスタジアムで行われる。 ただし、予選はスタジアムの周囲にあるオープン型のバトルコートで行われる。 多数の観客が詰めかけるスタジアムは一面しかバトルコートがないため、そこですべての予選を行うと時間がかかりすぎてしまうのだ。 それでは本選の前に観客がシラけてしまうということで、予選はスタジアムの周囲に広がる十面のコートで随時行われる。 ちなみにバトルの見学は誰でも自由にできるため、観客は足の赴くまま、選手は後学のためにと、それぞれの思惑を秘めて、観戦する。 「ぼ、ぼくも頑張らなきゃ……」 アカツキは胸中で自らに喝を入れると、心を落ち着かせようと胸に手を当てて深呼吸した。 今、彼が立っているのは予選が行われるバトルコート。 反対側には、アカツキの初戦の相手となる年上の少女が、今か今かとバトルの開始を待ち侘びている。 「これよりGコートにて、ミシロタウンのアカツキ選手VSキンセツシティのユイカ選手のバトルを行います!!」 審判の声がスピーカーから盛大に流され、その声に釣られるようにして観客が次々にコートへ群がった。 「落ち着いて……今までやってきたことを発揮すればいいんだから…… 大丈夫。大丈夫だよ、アカツキ」 嫌でもドキドキしまくる心を何とかして抑え込む。 瞬く間に、コートの周りは観客と他の選手によって埋め尽くされた。 無数の好奇の視線が突き刺さり、緊張に身体がガチガチに固まってしまいそうだ。 審判の背後には太い柱に支えられた電光掲示板があり、アカツキとユイカの顔写真と、バトルのルールが掲載されていた。 ルールはポケモンを二体使うシングルバトル。 勝ち抜き方式で、どちらかのポケモンが二体とも戦闘不能になった時点で決着。 途中で入れ替えることはできるが、最初の二体のみがエントリーされ、そのほかのポケモンを出しても、無効となる。 「えっと、相手は……」 アカツキは恐る恐る、上目遣いでこれから戦うことになる相手を見つめた。 予選は四人で一つのブロックを構成し、総当たり戦で勝ち星が一番多い選手が本選に進めるという仕組みになっている。 アカツキとユイカ、あと二人のトレーナーが予選Gブロックとして、このコートで三日間、本選出場を賭けた熾烈なバトルを繰り広げるのだ。 すべてのバトルが終わった時点で勝ち星が同じトレーナーが二人いれば、同点決勝といで、一対一のポケモンバトルで本選進出を決める。 ちなみに、ブロックはぜんぶで三十二個あるため、本選はそれぞれのブロックで頂点に立った三十二人のトレーナーによって行われる。 いかにポケモンを戦闘不能にせずにバトルを勝ち進めるか。 まあ、そんなことはどうでもいいとして…… アカツキの対戦相手……ユイカはキンセツシティの出身。 見た目はとても気が強そうなお金持ちの少女といった感じで、下手な男よりも迫力のある視線が印象的だ。 バトルだというのにどういうわけか赤いハイヒールに赤いフリルがついたドレスと、全身赤で統一している。 まるで闘牛士がはためかすマントを思わせるようで、見ている方がなんだか落ち着かない。 何かしらの縁起を担いでいるのか、それともただ赤という色が好きなのか。 それこそどうでもいいことだが、赤ずくめの彼女を見続けるというのは何気に目が痛い。 対戦相手がどんなポケモンを使うのか、というのはもちろん気になるところだ。 緊張で今にも膝が笑い出しそうなアカツキにとっては、観客達の視線の方が気になって仕方がない。 なにしろ、その中には兄ハヅキやユウキ、ハルカの視線も含まれているのだ。 純粋にバトルを楽しみに来たユウキはともかく、ハヅキとハルカはアカツキと同じでホウエンリーグに出場しているのである。 アカツキがどんなポケモンと戦術で戦っていくのか、それが気になるのだろう。 さらにプレッシャーとなっているのが、ハヅキもハルカも予選の初戦を白星でスタートしている、ということだった。 二人のバトルを観てからではこのバトルに間に合わなかったので観ていなかったが、危なっかしいバトルでないことは想像に難くない。 「兄ちゃんたちも見てるし、何が何でも負けらんない!!」 アカツキはギュッと拳を握りしめた。 短めに切っておいた爪が手のひらに食い込む痛みを軸にして、緊張に侵されそうな身体を奮い立たせる。 そうでもしないと、上がってしまいそうだ。 茹蛸(ゆでだこ)みたいに顔は真っ赤になり、自分でもワケの分からない指示とかを飛ばしそうでとにかく怖い。 「あんたのようなガキんちょが相手なら、あたくしの勝ちは揺るがないわね!! ほーっほっほっほっ!!」 突然ユイカが声を立てて笑った。 いかに八つのバッジを手に入れたとはいえ、『年齢差=実力差』という風に捉えているのだろう。 お金持ちがよく陥りやすい思考である。 あからさまな挑発だったが、アカツキはカッと身体に熱がこもっていくのを感じた。 自分の勝ちを確信するのはいいことだが、だからといって声に出してまでバカにされると、さすがにいい気分にはならない。 「絶対に勝ってやる……」 アカツキは胸中で闘志を燃やした。 「それでは先攻、後攻を決めます。掲示板のルーレットをご覧ください」 審判の一声に、その場の全員の視線が電光掲示板に向いた。 いつの間にか電光掲示板の真ん中にはルーレットが表示されていた。 矢印の向きでどちらが先攻になるか決まるらしい。 「ルーレット、スタート!!」 矢印が高速で動き始める。 すぐに肉眼では追いつけないような速度に達する。 徐々に速度を落とし、ルーレットが止まる。 矢印が指し示したのは、ユイカだった。 「ユイカ選手の先攻です!! ポケモンを出してください!!」 「ちぇ……」 審判の指示に、ユイカは舌打ちしながらも、モンスターボールを手に取った。 しかし、態度とは裏腹にその顔には笑みが浮かんでいた。 「どんなポケモンを出されても勝つのはあたくし……それを思い知らせてあげるわよ、ガキんちょ」 そんな言葉をわざわざ口に出してきたのは、アカツキの冷静さを損なわせるため。 しかし、さすがにそんな見え透いた挑発に引っかかたりはしなかった。 否――単にその言葉に動じているだけの余裕がなかっただけかもしれない。 どちらにしても引っかからなかったわけである。 「んじゃ、あたくしのビューティフルなポケモン、見せたげるわ!! 来て、カクレオン!!」 ユイカは天にも響くような大声で言うと、モンスターボールを上に放り投げた。 ボールは電光掲示板よりも少し高い位置に達すると口を開き、中からポケモンが飛び出してきた。 飛び出してきたのは、アカツキもよく知っているポケモンだ。 「カクレオンはお腹の模様以外の部分を隠せるんだっけ……それじゃあ……」 いつか煮え湯を飲まされた覚えがあるので、油断ならない相手だということは承知している。 アカツキはどのポケモンを出すべきか勘案し……モンスターボールにそっと手を触れた。 その顔は真剣そのものだった。 誰も見たこともないほどに。 「さて、アカツキはどんなポケモンを出すのかねえ」 ユウキはバトルコートの外――コートを取り囲む柵のすぐ傍で、笑みなど浮かべながらアカツキの真剣な表情を見ていた。 その傍には、アカツキと同じようにホウエンリーグに出場しているハヅキとハルカ。 結局はどこか他人事のように構えているユウキと違って、ハヅキとハルカの表情は真剣だった。 アカツキのバトルを見て、本選で戦うことになった場合に備えるのだろう。 二人ともアカツキとブロックが違うが、本選に進んだら戦うことになるのだ。 傍にいても、ライバルという気概は忘れない。 「カクレオンはノーマルタイプだから、出すのなら格闘タイプのポケモンかな」 「だろうね……」 ハルカの冷静な分析に首を縦に振るハヅキ。 単純な相性論で言えば、ノーマルタイプに有効な攻撃ができる格闘タイプを出すのがセオリーだろう。 あるいは、防御面のことを考え、ノーマルタイプの攻撃が通用しないゴーストタイプか、とにかく固い鋼タイプのポケモンか…… アカツキの一番手は、とても興味深い。 誰を出すかによって、どんな戦略を練っているか、ある程度は分かるからだ。 もちろんその通りになるかどうかは分からないが、参考程度にはなるだろう。 開会式の後でいろいろと話した時の弟の表情は、五ヶ月近く前とは明らかに違っていた。 トレーナーとして、人間として、大きく成長したのが、すぐ傍で接していてよく分かった。 だからこそ―― 「僕は今のおまえと戦えるのが楽しみでたまらないよ」 ハヅキは胸中で弟を激励した。 簡単なことではないだろうが、予選を突破して決勝まで勝ち進んで欲しい。 そして、トレーナーとして、兄弟なんて言葉は抜きで、全力でバトルしたい。 「だから……勝て、アカツキ!!」 そして、アカツキはモンスターボールを手に取った。 「行くよ、チルタリス!!」 勢いよく投げ放ったボールは放物線を描きながらコートに入った。 景気のいい音でワンバウンドして、ボールが口を開く!! 「チルチル〜っ♪」 素晴らしいソプラノを披露しながら飛び出してきたのは、ハミングポケモンのチルタリスだ。 晴天の空を思わせる美しいブルーの身体を包み込むような、綿雲の翼が印象的なポケモンである。 しかし、翼には骨があるので、実際に殴られるとかなり痛い。 言うまでもないが、チルタリスはチルットの進化形。 進化することでドラゴンタイプが加わり、より実戦に即した能力を身につけた。 ドラゴンタイプの技は言うに及ばず、その他のタイプの技も自在に操れるのだ。 どんなポケモンとでも渡り合えるようにオールマイティに育てるのが、勝利への第一歩なのである。 ……と、そういうところまでアカツキが意識していたかはともかく、チルットが頑張って進化してくれたのだ。 それなりの戦いは見せてくれるはずである。 チルタリスは翼を広げると、かすかな上昇気流を捉えて、ふわり舞い上がった。 「チルタリス……ドラゴンタイプのポケモンで来るとはね……」 宙に浮かんだチルタリスを見つめ、ユイカは眉根を寄せた。 いきなりドラゴンタイプのポケモンを出してくるとはさすがに思わなかった。 一瞬面食らったが、そんなに慌てる必要もないと悟り、心を落ち着ける。 「空を飛ぶポケモンでも、あたくしのカクレオンの敵じゃないわ」 ユイカの中にある勝利の確信は、微塵も揺るがなかった。 「チルタリスかぁ。ゲットしてたんだぁ」 チルタリスは、美しいソプラノで子守唄を歌われたら、老若男女問わずメロメロという歌声の持ち主。 そんなポケモンを、アカツキがゲットしていたことに驚くハルカ。 チルタリスの特徴は何と言ってもその歌声と綿雲のような翼だが、バトルの面から見たら、ドラゴンタイプの付加である。 単なる鳥ポケモンと一緒にするのは失礼と思えるほどのプラス効果を秘めているが、もちろんデメリットもある。 ドラゴンタイプと飛行タイプの共通する弱点――氷タイプの技には極端に弱くなってしまうのだ。 そこさえ何とかなれば、チルタリスは文字通り鬼神のような戦いを魅せてくれることだろう。 「ハヅキの兄貴」 「ん?」 ユウキはアカツキとチルタリスから目を逸らさないまま、ハヅキに問いかけた。 安易に結論を出して自己満足に浸るのも悪くない。 しかし、トレーナーとしての経験が豊富なハヅキの意見を聞いて、その上で考えて結論を出した方がいいに決まっている。 「あの高飛車女、ぜんぜん慌ててないとこを見ると、チルタリス対策はしてあるんだろうな」 「恐らく……カクレオンは意外とたくさんのタイプの技を覚えられる。 そのうちのひとつに入っていると見て間違いないだろうね」 「こりゃ序盤から厳しくなりそうだな」 「ああ……」 ハヅキは頷いた。 カクレオンはお世辞にも『強いポケモン』とは言えない。 しかし、お腹のギザギザ模様を除いた全身を周囲と同化できるという身体的な特徴を持つ。 その上、たくさんのタイプの技を覚えられるという汎用性から、カクレオンを使うトレーナーは意外と多い。 ハヅキもその一人だから、カクレオンというポケモンの真骨頂というのを知っている。 「ま、あいつなら乗り越えられるさ。 十年来の親友であるオレが言うんだ、間違いない」 「うん。そうだね」 ハルカは目をキラキラ輝かせながら、バトルが始まるのを今か今かと待った。 そんな気持ちが通じたのかどうかは分からないが、審判が旗を振り上げた。 バトルがいよいよ始まるのだ。 「それではGブロック第一戦、バトルスタート!!」 凛とした宣言と共に、バトルの火蓋は切って落とされた。 「あたしの先攻!! カクレオン、姿を消しなさい!!」 ユイカの指示が飛ぶ。 カクレオンは無音で姿を消した。 もちろん、お腹のギザギザ模様だけが不自然に宙に浮いて見えるので、その居場所は一目瞭然だった。 「チルタリス、カクレオンはそこにいるよ、突進!!」 アカツキは宙に浮かんだギザギザ模様を指差し、チルタリスに指示を下した。 チルタリスは最大限に翼を広げ、急降下!! カクレオンとの距離がぐんぐん縮まっていく。 「カクレオン、避けて火炎放射!!」 ギリギリまで引き付けたところでユイカの指示が飛ぶ。 カクレオンは至近距離まで迫ってきたチルタリスの突進をタッチの差で避わし、高度を上げるチルタリス目がけて炎を吹き出した。 さすがに本家炎ポケモンほどの火力はないので、今のチルタリスならまともに食らったところで大したダメージにならない。 しかし、無傷というわけにもいかないだろうから、食らうというのは得策ではない。 というわけで、アカツキは策を切り替えた。 「チルタリス、避けて竜の舞!!」 チルタリスはその指示にさらに高度を取り、神秘的な舞を披露した。 「おぉぉぉぉぉぉぉ」 優雅で美しいその舞に、観客が驚嘆する。 と、先ほどまでチルタリスがいた場所を、カクレオンの炎が舐めていく。 鋼タイプのエアームドがこれを食らえば痛いだろうが、炎に耐性を持つポケモンなら大きなダメージにはならない。 竜の舞は、踊り続けた時間に比例して攻撃力と素早さが一時的に上昇するという効果を持つ。 身体に負担がかかる限界まで能力を上げれば、文字通り鬼神のような強さを身につけたことになる。 「そうすれば、カクレオンともう一体のポケモンも倒せちゃうかも」 アカツキは希望を抱いた。 ポケモンバトルで大切なのは相性とポケモンの強さの二点。 しかし、ポケモンの強さによっては相性を覆すこともできる。 能力さえ高めれば、相性の悪い相手の攻撃を食らわずに勝つこともできるのだ。 だが、相手は自分と同じで八つのバッジをゲットしてきた実力者である。 そんな甘い作戦が通用するような相手ではなかった。 炎がカクレオンの腹のギザギザ模様を隠しているその間に、ユイカの指示が飛んだ。 「吹雪!!」 「!?」 言葉を失った一瞬で、攻撃は事足りた。 炎の赤に紛れて少し移動したカクレオンが口から吹雪を吐き出した。 炎を吐いたと思ったら今度は吹雪。 どの口から温度の違う技を続けて吐けるのか。 恐ろしいほどの器用さだが、最大の欠点は能力の低さにある。 言い換えれば、それを補うためにたくさんの技を覚えるということになる。 南極や北極を思わせるような吹雪が空へ舞い上がり、竜の舞に全神経を費やしているチルタリスに襲いかかる!! 「チルッ!?」 「火炎放射で振り払って!!」 アカツキの指示が響くも、チルタリスの綿雲の翼の片方があっという間に凍りついていく。 これではm火炎放射を放つどころの話ではない。 バランスを崩し、チルタリスが地面に向かって急降下!! 「今よ、冷凍ビームで凍らせて!!」 錐揉みのように落ちていくチルタリスを指差し、ユイカが勝ち誇った表情で指示を出す。 カクレオンが狙いを定めて、冷凍ビームを撃ち出した!! 「チルタリス!!」 アカツキの悲痛な声がフィールドに響き渡った。 「これは最悪の展開かもな」 ユウキがポツリと漏らした一言に、異論は出なかった。 言われるまでもなく、ハヅキとハルカの方がそう感じ取っていたのかもしれない。 バトルは完全にユイカのペースで進んでいる。 誰もがそれを理解していた。 もちろん、バトルしているアカツキが一番それをよく理解していることだろう。 だからこそ、あんなに真剣に、苦しい胸の内をさらけ出すような顔を見せているのだ。 「あのカクレオン、なんであんなにたくさん技持ってるの? やっぱり、あたしのお父さんのマッスグマと同じなのかな?」 「たぶん……」 ハルカの素朴な疑問に、ハヅキは声を小さくしてポツリと漏らした。 同じトレーナーとして、ユイカの戦術は驚かされるものだった。 カクレオンのお腹に刻まれたギザギザ模様は赤い。 それを炎の赤と同化させることで『本当の意味』でチルタリスの視界から消えてみせた。 だが、炎はあくまでもカムフラージュでしかなく、本命はその後の吹雪だ。 姿を隠している間に吹雪の威力を高め、放出する。 チルタリスの翼さえ何とかすれば、カクレオンが勝つのはそう難しいことではない。 同じカクレオン使いとして、弟と戦っている高飛車なトレーナーは学ぶところの多い人物だ。 現に、チルタリスは翼を片方凍らされて、墜落しているではないか。 地面に落ちれば、飛べない鳥も同然。煮るなり焼くなり好きにされてしまうだろう。 そうなれば、竜の舞で能力を上げていても挽回は難しい。 「アカツキ。いきなりだけど、ここが正念場だぞ。 おまえもトレーナーなら……僕と戦いたいと本当に思うなら、この状況を打破してみせろ!!」 胸中で、決して届くことのない檄を飛ばす。 ここでどんな言葉をぶつけても、勝つか負けるかを決めるのは戦っている本人だ。 だから、ハヅキは何も言わずバトルの行方を見守ることにした。 それが弟にできる唯一のことだと信じているから。 「チルタリス!!」 落下するチルタリスに対する第二声は、悲痛なものではなかった。 アカツキの瞳には確かな光が宿っている。 「火炎放射で翼の氷を溶かして!!」 「なんですって!?」 あまりに意外な指示に、ユイカの表情が崩れた。 まさか、自分を攻撃するよう指示を出すなどと……およそ考えられないことだけに、ユイカは混乱した。 対照的に、チルタリスはアカツキに何かいい考えが浮かんだのだろうと確信した。 落下の途中で思うように動かない首を必死に動かして、凍った翼に炎を吹きかける。 まるで、赤い流星が降り注ぐように、炎が虚空にたなびく。 翼を縛り付けている氷が徐々に溶けていくが、地面も近づいてくる。 「でも、冷凍ビームから逃れることは不可能よ!!」 わずかに揺らぐ勝利の確信を払拭すべく、ユイカは声を荒げた。 いかに翼を解放しようと、地面にぶつかるか、冷凍ビームで身体全体が氷に閉ざされるか…… どちらにしてもダメージを受けるように仕向けたのだ。 「あたくしの勝利は揺るがない……」 ユイカは想像を膨らませながら、唇を噛んだ。 なんなのだ、この言い知れない不安は? コートの向こうで立っている男の子の瞳に不安や怯えはなく、チルタリスもあきらめを知らない様子だ。 計算されつくした完璧な戦術。 針が通るほどの穴もない。 なのに……なぜ、こんなに気になるのか。 理解しようと努めている間に、アカツキがチルタリスに指示を出した。 「身体を回転させて冷凍ビームから身を守って!! あと、地面にぶつからないように踏ん張るんだ!!」 あまりに無茶すぎる要だが、チルタリスはそれをやってのけた。 カクレオンのそれとは比べ物にならない炎を吐きながら、自らの身体を回転させる。 瞬く間に炎に包まれるが、元々炎に強いチルタリスにとってはそれほどのダメージにはならない。 それを利用しての、一種の防御だった。 致命的なダメージを避けるために、敢えて小さなダメージを負うのだ。 冷凍ビームがチルタリスを直撃する!! しかし、身体を包み込む炎に弾かれては虚空に水蒸気を撒き散らした。 身体を包む炎で冷凍ビームを防ぐも、次の問題は迫り来る地面。 氷から解き放たれたチルタリスは炎を吐くのを止め、全力で体勢の立て直しにかかった。 地面にぶつかるかぶつからないかという微妙な位置で、チルタリスは大きく羽ばたき、再び空へ舞い上がる!! 綿雲の翼で上昇気流を的確に受けられる体質が幸いしたようだ。 「よーし、今度はこっちから行くよ、チルタリス!!」 「チルっ!!」 笑みを取り戻したアカツキに、チルタリスは優雅に空を舞いながら嘶いてみせた。 「まさか、こうなったら……」 一転、余裕を失くしたのはユイカの方だった。 どんなポケモンであろうと確実に倒せる、計算しつくした戦術。 キモリからバシャーモ、メタグロスに至るまで、およそホウエンリーグに出てくるであろうすべてのポケモン。 彼らの能力から考え得る戦術をトレースして、それぞれのポケモンに対応した戦術を頭に叩き込んだはずなのだ。 なのに、それが打ち破られた……? 信じられないことに、頭が混乱する。何をどうすればいいのか、情報が錯綜する。 「吹雪!!」 「吹き飛ばすんだ!!」 再び吹雪を吐き出すカクレオン。 だが、同じ攻撃は二度通用しなかった。 チルタリスが激しく羽ばたくと、ものすごい風が巻き起こり、吹雪をあっさりと吹き散らす。 吹き飛ばしという技で、使い方によっては炎や吹雪と言った技を防ぐこともできる。 「そ、そんな……!!」 ユイカは驚愕に目を見開いた。 弱点の攻撃を無効にする技を相手が持っているなど、想定していなかった。 少なくとも、チルタリスには考えられなかった。 だが、事実として『考えられないこと』をやってのける相手がいるのだ。 「こっちも吹雪で地面を凍らせちゃえ!!」 「なんですって……!?」 ユイカの悲鳴は、チルタリスが吐き出す吹雪の音にかき消された。 カクレオンのものとは比べ物にならない吹雪がフィールドに突き刺さり、土のバトルコートを凍らせていく。 瞬く間に全土が凍りつき、澄んだ青色を呈した。 青空を映したその色に、カクレオンのギザギザ模様がくっきりと浮かび上がる。 地上戦を得意とするポケモンにとっては、氷の足場は足枷でしかない。 「チルタリス、とどめのドラゴンクローだ!!」 チルタリスは指示を受けると、くっきり浮かび上がったカクレオンのギザギザ模様目がけて急降下!! 「くっ……カクレオン、こうなったら一か八か!! 気合いパンチ!!」 ユイカが指示を下したのは、格闘タイプの最強技である。 気合いを込めてパンチを繰り出すことで、凄まじい威力を発揮する技だ。 ただ、集中力が必要なので、発動前に攻撃を受けたりすると、不発に終わってしまうこともあるというリスクも背負う。 多少のリスクを顧みないほどに、ユイカは追い詰められてしまっていたのだろう。 お腹の模様以外を隠すのは無駄だと悟ったか、カクレオンは氷に閉ざされたフィールドに姿を現した。 カクレオンが集中力を高めると、その拳に淡い光が宿る。 しかし、ユイカは誤算を正せなかった。 「うそ、速いッ!!」 チルタリスのスピードが予想以上だったのだ。 それはもちろん竜の舞で能力がアップしたからだが、そんなことさえ考えられなかったのかもしれない。 綿雲に隠れていたチルタリスの脚が現れる。 鋭い爪のついた脚は、実は攻撃能力が高かったりする。 落下の勢いに重力をプラスしたチルタリスの勢いはすさまじかった。 カクレオンが拳を突き出そうとしたその瞬間に、オーラをまとった鋭い爪でカクレオンを薙ぎ裂いた!! オーラの赤が残照のごとく、しばらくその場に残るほどだ。 渾身の一撃を受けたカクレオンは大きく吹き飛ばされ、凍てついたフィールドに何度も叩きつけられた。 「カクレオン!!」 ユイカの悲鳴が響く。 審判が、倒れたカクレオンの様子をじっくり眺め、旗を振り上げた。 「カクレオン、戦闘不能!!」 宣言に、観客は沸き立った。 「くっ……戻りなさい、カクレオン!!」 悔しさに歯軋りしながら、ユイカはカクレオンをモンスターボールに戻した。 その手が小刻みに震えているのは、予期せぬ事態に直面したからだ。 どんな相手とでも戦えるように育てておいたのに、結局は能力の高さで負けてしまった。 こればかりは悔やんでも悔やみきれない。 もう少し能力を重視しておけば良かったのだろうが、もはや後の祭り。 フィールドの向こうでは、無邪気な笑顔で喜ぶ相手が立っている。 「チルタリス、やったね!!」 「チル〜っ♪」 アカツキが笑顔で労いの言葉をかけると、舞い降りたチルタリスは美しいソプラノを存分に披露して応えた。 「でも……今度は確実に氷タイプのポケモンが来るはず……」 笑顔はすぐに掻き消えた。 何とかユイカの一体目を倒すことはできたが、それは次のポケモンで確実にチルタリスを倒せる機会を与えるようなものである。 だから…… 「できればチルタリスで勝ち抜きたいな。 だけど、無理ならできるだけダメージを与えておかないと……」 アカツキはチルタリスのコンディションを改めて確認した。 翼を凍らされて、かなりのダメージを受けているはずだ。 いくら能力が高まっていても、体力差というハンデは克服すること自体難しい。 結局、できそうなことはひとつしかなかった。 倒されるのを覚悟で、全力で攻撃をし続けること。 「意外な方法でやっちまったな」 「うーん……火炎放射で氷を溶かして、あと冷凍ビームを防ぐなんて……あたしじゃ考えられなかったかも」 平然と言ってのけるユウキに対し、ハルカは唸るように言って頭を抱えた。 チルタリスが翼を凍らされた時には、本当にどうなることかと我がことのようにハラハラした。 自分ならどうするか……他人のケースを自分に当てはめて考えることで、いろんな戦術を生み出せるものである。 現に、ハルカもハヅキも同じようなことをしていたわけだが……さすがに面食らった。 「しかし、それが最善の方法だったんだろう」 「だろうな」 ハヅキの言葉に、ユウキは白い歯を見せた。 耐性のある炎タイプの技で自らの翼にまとわりついた氷を溶かし、身体を包み込むことでダメージを最低限に抑える…… 確かにそれが最善の方法だった。 正直、ハヅキにすら考えつかなかった方法だ。 冷凍ビームと、地面との激突という二つのダメージ要因を完全に潰してしまうとは……さすがにこれには驚かされた。 「だけど、次のポケモンは確実に氷タイプになるね」 「ああ……チルタリスを倒さないことには、次には進めないだろうからな」 心配そうに漏らすハルカ。 ユウキはただ頷くだけだった。 「あたくしのカクレオンを倒したからって、いい気になるのはよしなさいよ……」 怒っているのか、肩を震わせながら、腹の底から絞り出すような声でユイカは言った。 先ほどチルタリスに労いの言葉をかけた時のアカツキの笑顔を思い返すと、どうにも腹が立ってくる。 まだ勝ってもいないのに、無邪気に喜んだりして…… だが、その鼻っ柱、ここでへし折ってやる!! 「チルタリスなんて、あたくしのポケモンが倒してやるわよ!! 行くのよトドゼルガ!!」 これ以上ないほどの声を出し、ユイカは最後のポケモンが入ったモンスターボールを投げた。 「やっぱり氷タイプ……!!」 アカツキは真剣な表情で目を細め、ポケモンの出現を眺めていた。 ボールから飛び出してきたのはトドゼルガ。 トドゼルガは大きく青いトドといった外見で、特徴は口の大きさに似合わないような巨大な牙。 分厚い氷すら砕いてしまうほどの強靭な牙で噛み付かれたら、怪我なんてものでは済まないだろう。 だが、巨体ゆえに動きは鈍い。 それが付け込む隙と言えるか。 氷タイプのポケモンが出てくると分かっていたからこそ、驚く必要もない。 チルタリスは竜の舞によって攻撃力と素早さが上がっている。 動きの鈍いトドゼルガが相手なら、ヒット・アンド・アウェイ戦法で撹乱していけば、少しは優位に立てるだろう。 「バトル・スタート!!」 トドゼルガの出現を確認した審判は、凛とした声でバトルの再開を告げた。 「トドゼルガ、必殺の吹雪をお見舞いしなさい!!」 「やっぱりそう来た……!!」 またしても先手を取ったのはユイカだった。 彼女はもう後がない。 こうなったら、攻めて攻めて攻めまくるしかないのだ。 ダメージを受けないうちに相手を倒し、振り出しに戻しておかなければならない。 「チルタリス、ドラゴンクロー!!」 アカツキは迷うことなくチルタリスに指示を下した。 吹雪の攻撃範囲はとても広い。 どんなに高く飛んだとしても、確実に吹雪を食らうだろう。 本家本元の氷タイプであるトドゼルガの吹雪なら、威力はカクレオンとは比べ物にならないはず。 運が悪ければ一発でノックアウトされてしまう。 チルタリスに防御の技はないので、こうなったら攻撃に打って出るしかない。 下手に回避を選んで、相手にダメージを与えることなく戦闘不能になったなら、それこそ踏んだり蹴ったりだ。 トドゼルガが口を開き、猛烈な吹雪を吐き出した!! カクレオンとの威力の差は火を見るより明らかだった。 激しい渦を巻いて吹き荒ぶ氷点下の風に、飛び立ったチルタリスも少し怯んでしまう。 「チルっ!!」 こんなところで負けるわけにはいかない…… チルタリスは体温が徐々に下がっていくのを感じながら、目をパッチリ見開いて、狙いを定める。 吹雪の中心で微動だにしないトドゼルガだ。 パチ、パチ。 火の粉が弾けるような音と共に、チルタリスの翼が末端から徐々に凍り始めた。 「チルタリス、頑張って……!!」 アカツキは祈るような気持ちで戦況を見つめていた。 吹雪の威力は折り紙つき。 チルタリスでも耐えられるかは分からないが、ここで引き下がることはできない。 トドゼルガとの距離が縮まっていくにつれて、チルタリスの身体が凍てついていく。 気合いで絶え凌ぐチルタリスの脚に、赤い光が宿る。ドラゴンクローが発動するのだ。 「もう一息よ、頑張りなさいトドゼルガ!!」 檄を飛ばすユイカ。 この分なら、トドゼルガにドラゴンクローを見舞う前にチルタリスを氷漬けにできる……そうなれば、戦闘不能に準じた扱いになる。 『リスクのない選択』などというものはない。 最善策だろうと下策だろうと、程度の差こそあれ、リスクを背負うということに変わりはない。 「チルーっ!!」 チルタリスの翼が完全に凍てつき、推進力を失う。 だが、その直後――光の宿った脚がトドゼルガの顔面を薙ぎ払った!! 「がうぅぅうぅっ……」 痛みに唸るトドゼルガ。 集中力が途切れたのか、吹雪が止んだ。 「と、トドゼルガ!?」 まさか一撃を食らうとは思っていなかったので、ユイカは驚愕した。 しかし、それは一瞬のことだった。 トドゼルガの頭上を越えたチルタリスが、推進力を失って地面に墜落したのだ。 翼が凍てつき、飛び上がることもできない。 「火炎放射で溶かして!!」 アカツキに出せる指示など、それしかなかった。 最後の最後まであきらめず戦うのがポリシーである以上、可能性がいくら低くても賭けないわけにはいかないではないか。 チルタリスは身体が凍りつきそうな寒さに耐えながら必死に首を動かし、凍てついた翼に炎を吹きかけようとしたが、 「させないわ!! トドゼルガ、冷凍ビームで決めちゃって!!」 ユイカの指示を受けたトドゼルガが意外なほどの速さで振り返り、冷凍ビームを発射!! チルタリスの口から炎が出たのとほぼ同時に、冷凍ビームがその身体を一瞬で氷に閉ざした。 「チルタリス!!」 アカツキが叫んだ。 間に合わなかった……悔しさを噛み殺すように拳をギュッと握りしめた。 「チルタリス、戦闘不能!!」 氷漬けになったチルタリスは戦闘不能と同じ状態である。 自力で氷から脱け出せなければ、戦闘不能となる。 審判が出した判断に、アカツキは納得せざるを得なかった。 「戻って!!」 モンスターボールを掲げ、チルタリスを戻した。 その様子を見たユイカは、ニヤリと微笑んだ。 これで、互いに残ったポケモンは一体。 「次に何を出してくるか……こればかりは格闘や電気タイプでないことを祈るだけよ……」 ユイカの背負ったリスクは、アカツキの二体目のポケモンを選べない、というものだった。 どんなタイプが出てこようとも、水&氷タイプのトドゼルガで戦っていかなければならない。 トドゼルガの天敵は電気タイプと格闘タイプのポケモンだ。 チルタリスのモンスターボールと入れ替えるように手に持ったボールに何が入っているのか……ドキドキしながらその時を待つ。 「次はキミだよ!!」 アカツキは声を上げて、モンスターボールをフィールドに投げ入れた。 彼の目線の高さあたりで口を開き、飛び出してきたのは、黒い肌を持ち、全身を真っ白な体毛で覆った犬のようなポケモン、アブソルだった。 「くぅぅぅぅんっ!!」 アブソルはフィールドに飛び出すと、天に向かって咆えた。 「アブソル!?」 「わざわいポケモンの!?」 アカツキがアブソルを出して驚いたのはユウキとハルカだった。 まさか、アカツキがアブソルをゲットしていたとは予想もつかなかったからだ。 「アブソルっていうと、確か険しい山岳地帯に生息してるポケモンだよな。 何らかの自然災害がない限りは人里に降りてくることのないポケモンだって図鑑で載ってたっけ」 ユウキはポケモン図鑑を見るまでもなく、アブソルについての知識を頭のタンスから引き出した。 そんなことをしているうち、バトルは再び始まった。 「トドゼルガ、吹雪で蹴散らしちゃいなさい!!」 またしても先手はユイカだった。 というのも、アカツキは敢えて先手を取らなかったのだ。 氷タイプに有利でも不利でもないアブソルを出した時、彼女がどんな反応を示すか。 それを見てみたかったのである。 八つのバッジをゲットした後、少しミシロタウンに戻っていたのだが、その時カリンに言われた言葉を思い出し、実行したまでのことだ。 「有利でも不利でもないタイプのポケモンを出された時、相手がどういう反応を示すのか。 それを見てから攻撃を指示しても遅くはないわ。 影分身とかで回避率を上げられても、必ず当たる技を覚えているなら、必ず試しなさい。 いいことあるから」 実行して、それがよく分かった。 「おばさんの言葉、嘘なんかじゃなかった」 確信した直後、トドゼルガが口から猛烈な吹雪を吐き出した!! チルタリスに大ダメージを与えた吹雪だが、アブソルは凛と構えて一歩も引かなかった。 ハエでも見ているような視線をトドゼルガに向けている。 まあ、意地っ張りな性格なので、それも仕方のないことかもしれない。 さて、これからどうするつもりなのか…… 吹雪に巻き込まれて徐々に体温が下がっていくのを知覚しながら、アブソルは動くことなく、トレーナーからの指示を待っていた。 ゲットされてそれなりに時間も経っているし、少しは信頼の置ける人間だと分かった。 だから、指示を待つことにしよう。 トレーナーの指示はそれからすぐに届いた。 「アブソル、できるだけ遠くに逃げてから剣の舞!!」 「ぬぁんですってぇぇっ!?」 アカツキの指示に、ユイカが悲鳴を上げた。 怒るような、それでいてどこか驚いているような……開いた口が塞がらないとはこのことだ。 アブソルは言われたことをすぐ実行に移した。 吹雪の及ぶ範囲は、トドゼルガの前方だが、距離が開くにつれて徐々に効果も低くなっていく。 アブソルはバトルフィールドのエンドラインのすぐ傍まで駆けると、剣の舞を発動した。 下がった体温を取り戻すかのごとく激しく身体を動かす。 しかし、本当の目的はそんなものではない。 吹雪の影響はかなり軽減できており、至近距離では氷漬けになるところだが、ここでは少し冷たい風を受けている程度だ。 ほとんど効果がないということを知り、ユイカは慌ててトドゼルガに指示を下した。 「トドゼルガ、狙いを定めて冷凍ビームよ!! 吹雪じゃ効果薄いわ!!」 賢い選択だった。 動きの鈍いトドゼルガが吹雪でアブソルに確かなダメージを与えられるほどの距離まで近づくのは無理。 それこそ時間がかかり、アカツキの思う壺だ。 トドゼルガは即座に吹雪を解除し、代わりに冷凍ビームを放った!! 青白い光線が虚空を貫きながらアブソルに迫る。 直撃すれば問答無用で氷漬けだが、当然そんなものをおとなしく食らうはずがない。 「影分身!!」 「うぎゃーっ!!」 アカツキの指示に、アブソルが踊りながら影分身を発動した。 アブソルの姿が幾重にも増えていくのと、ユイカの悲鳴が重なる。 お嬢様とは思えないくらい頭を激しく掻きむしり、怒りだか悔しさだかよく分からないものを撒き散らしている。 冷凍ビームはアブソルの一体を貫くと、何事もなかったように貫かれた分身が姿を消した。 ハズレである。 「えーい、こうなったら連発よ!! トドゼルガ、冷凍ビーム冷凍ビーム冷凍ビィィィィィムッ!!」 ペースを完全に狂わされ、ユイカは平常心を失った。 ホウエンリーグ出場が叶ったトレーナーとは思えないくらいに落ち着きがないが、まあ、燃えているのはそれはそれでいいことかもしれない。 平常心を失っているトレーナーとは対照的に、トドゼルガは冷静に冷凍ビームを発射し続ける。 そしてアブソルの分身を一体ずつ確実に消していく。 無限に分身があるわけでないので、一体消されるごとに、本体に命中する確率も上がっていく。 やがて、分身は残り三体になった。 確率で言えば33%。三分の一。 だが―― ユイカはアカツキに時間を与えすぎた。 「今だアブソル、カマイタチで決めちゃえ!!」 剣の舞の効果で、アブソルの攻撃力は極限まで高まっていたのだ。 アカツキの指示に、アブソルは分身ともども、角に力を集めた。 「トドゼルガ、こーなったら奥の手よ!! 絶対零度!!」 ユイカは最終手段に出た。 技の名前を聞いて、アカツキはギョッとした。 「いっけーっ!!」 掛け声でアブソルを急かす。 絶対零度とは、極限の寒さを相手に与えることで、一撃で戦闘不能に陥れてしまうという、凶悪な攻撃技である。 発動までにむやみに時間がかかったりするので、普通はあまり使わない。 威力の点に置いては、最終手段と言うに相応しいのかもしれないが…… びゅんっ!! アブソルが角を打ち振ると、三日月の形をした衝撃波がトドゼルガに向かって突き進んでいく!! 「急いでトドゼルガ!!」 ユイカは焦りに焦りまくっていた。 衝撃波のスピードは、トドゼルガが避けようと思えば避けられるものだが、何しろそれが四つ同時に飛んできているのである。 どれがホンモノか分からない以上、むやみに回避するのは自殺行為に繋がる。 というわけで、こちらが戦闘不能になる前に相手を戦闘不能にするしかなかった。 フィールド全体に激しい吹雪が巻き起こる。 トドゼルガの全身全霊を賭けた一撃だ!! これが決まれば負けるのはアカツキだが…… ざんっ!! 飛来した衝撃波はトドゼルガに炸裂し、その巨体をバトルフィールドの端まで弾き飛ばした。 がくりと頭を垂れるトドゼルガ。 「あーっ、トドゼルガーっ!!」 両手で顔を挟み込むようにして、ユイカが悲鳴を上げる。 いくらチルタリスの攻撃でダメージを受けていたと言っても、まさかカマイタチ一発でやられてしまうとは……信じられない!! 審判がトドゼルガの表情を脇から覗き込む。 「トドゼルガ、戦闘不能!! よって、アカツキ選手の勝利です!!」 旗を振り上げ、宣言する。 同時に、フィールドは歓声に包まれた。 「やったよ、アブソル!! ぼくたちの勝ちだ!!」 「クォォォォォォンッ!!」 アカツキはフィールドに飛び込み、アブソルを抱きしめた。 アブソルは窮屈そうにアカツキを振り払うと、天に向かって咆えた。 俺の力を見たかと言わんばかりの咆哮だった。 白星スタートを切ることができて、アカツキはとにかく喜んだ。 鬱陶しく思われようが、そんなものはお構いなしにアブソルにじゃれ付いた。 「やった、アカツキ勝ったよ!!」 「おお、やったじゃねえか!!」 アカツキの勝利に、ハルカとユウキも沸き立った。 手を叩いたり声を上げたりして喜びを示している。 だが、ハヅキは少しばかり違った。 親友の勝利を素直に喜んでいるハルカとユウキとは違う。 そんなに浮かれたい気分じゃなかった。 「あれれ、ハヅキの兄貴」 あまり喜んでいるようには見えないハヅキの肩を叩き、ユウキは意地悪な笑みを浮かべた。 「アカツキが勝ったのにうれしくないのかい、兄貴としちゃさ」 「え、そんなことはないけど……」 「ホントにぃ?」 「ホントだってば!!」 どういうわけかしどろもどろするハヅキをからかうユウキ。 年下にからかわれて、とにかくうろたえている。 「ふーん、まあそういうことにしとくよ」 ユウキはこれ以上ハヅキをからかうのを止めた。 兄が弟の勝利を喜んでいないはずはないし……まあ、表面に出していないだけかもしれない。 辛うじてユウキの追及を逃れたハヅキは胸中でため息を漏らし、コートの中でアブソルと勝利の喜びを分かち合っている弟に目を向けた。 ユウキもすぐにハルカと何やら話に興じて、ハヅキのことなどお構いなしだ。 「あのアブソル……」 暑苦しそうに見えるアブソル。 本心から嫌がっているとは思えないが、人前なんだからと、さり気なく窘めているのかもしれない。 まあ、トレーナーは気づいていないから意味なんてないが。 「剣の舞で能力を強化したとはいえ……あの攻撃力……」 ハヅキは信じられないものを見たような気がした。 「僕のバシャーモと互角に戦えるほどの攻撃力だったな」 トドゼルガを一撃で沈めたカマイタチの威力は、どう見ても尋常ではない。 剣の舞で強化した攻撃力だからこそ為せる技だ。 しかし、アカツキのアブソルは、ハヅキにとって油断できるような相手ではなかったのである。 「強くなったな、まったく……」 確かな脅威として受け止めながらも、しかしハヅキは弟が少しは自分と戦えるほどに成長したことを素直に喜んだ。 ただ、それを表面に出すことだけはなかった。 戦う時が来るまでは、黙してその時を待とうと思っていたからだ。 第91話へと続く……