第93話 ホウエンリーグ予選・最終戦 -Decide- どうやら事態は今ひとつ複雑だったようで…… 昨日の第二戦が終わった時点で本選進出が決まるほど、ホウエンリーグは甘くなかった。 アカツキはこれまでの二戦を戦い抜いたGコートに立っていた。 バトルコートの反対側に立っているのは、何かの制服にも見える服を着た、穏やかな物腰の青年だった。 「誰かに似てるような気がするんだけどなぁ……」 真剣な眼差しで相手を睨むように見つめながら、しかしアカツキは最後の対戦相手の顔に見覚えがあるような気がしていた。 「これより、Gブロックの最終戦を行います!!」 審判の朗々たる声に、なにやら盛り上がる観客たち。 というのも…… 「ぼくかあの人か……勝った方が本選に進めるんだ……」 誰かに似ているかもしれないなんて考えていたことをあっさりと投げ捨て、アカツキはギュッと拳を握りしめた。 高まる緊張に、飲み込まれないように。 どんな状況でも自分自身を保ち続けられなければ、ポケモンバトルに勝利することはできない。 いかに自分のペースを乱さずに済むか。今までのバトルで嫌と言うほどそれを思い知ってきた。 まあ、それはともかく、実に厄介なことになっていた。 「ミシロタウンのアカツキ選手対ルネシティのミキヤ選手のバトルを始めます」 電光掲示板に二人の顔写真が映る。 アカツキと、対戦相手のミキヤ。 二日目が終わった時点でこの二人が二勝零敗という戦績になっている。 他の二人はすでに二敗を喫しているため、どう考えても本選進出は叶わない。 というわけで、アカツキとミキヤのどちらかが本選進出となるのだ。 なんとしても勝たなければならない。 「兄ちゃんも見てる。 恥ずかしくないだけのバトルをしなくちゃ……」 握り拳により力がこもる。 先に本選進出を決めたハヅキが見ているのだ。 ホウエンリーグの舞台でおまえと戦いたい……その言葉を現実のものにしたいから、なにがあっても負けられない!! その隣には澄ました顔をしたユウキ。 ハルカは本選進出を賭けた最終決戦に、アカツキと同様に臨んでいるところである。 「先攻・後攻を決める運命のルーレット、スタート!!」 審判が旗を振り上げて見せたその先で、電光掲示板に浮かび上がったルーレットが回転を始めた。 どの戦いでもそうだが、先攻・後攻のどちらを取るか、というのはとても重要な要素のひとつだ。 なるべくなら後攻の方が、相性の有利なポケモンを出せる分だけ優位に立てる。 しかし…… ルーレットが止まり、矢印が指し示したのはアカツキの方だった。 「……っ!!」 アカツキは胸中で舌打ちした。 一日目、二日目と後攻だったから、最後の最後になって先攻というのは痛い。 先攻に慣れていない分、それは顕著だった。 「では、アカツキ選手。ポケモンを出してください」 審判がポケモンを出すように促してきた。 迷っている時間はない。 こうなった以上はやるしかない。 誰を出すべきか、ここは慎重にならなければならない。 相手が相性的に有利になるのは確実だ。 となれば、なるべく弱点の少ないポケモンを出さなければならない。 「ミロカロス、行くよ!!」 短時間で決め、モンスターボールをフィールドに投げ入れる。 ボールの口が開き、中からミロカロスが飛び出してきた!! 下手に自分をアピールすることもなく、黙って相手を見つめていた。 ただでさえ慈しみの心が強いポケモンである。 睨みつけると言っても、相手からすればそうは受け止められないのだろう。 「ミロカロス…… 兄貴と同じポケモンを使うとは、なんだか嫌なことしてくれるな」 ミキヤはぼやいたが、その声はあまりに小さく、アカツキの耳には届かなかった。 「なら、こちらはこのポケモンで行かせてもらうよ」 ミキヤがモンスターボールを手に取った。 穏やかな物腰とは思えないような真剣な表情に変わった。 「行け、ライチュウ!!」 フィールドに投げ入れられたボールから飛び出してきたのは、黄色い身体のポケモンだった。 身体の上についている耳は取ってつけられたような感じで、反り返った角のように見えないこともない。 左右の頬には黄色い電気袋。 何よりも目を引くのは、とにかく長いシッポである。 アカツキの腰より少し高い程度の身長なのに、そのシッポは身長の倍以上あり、なおかつ先端が鋭く尖っている。 「ライチュウ……確か、ピカチュウの進化形だったっけ」 アカツキはライチュウをテレビで何度か見かけたことがあった。 進化前のピカチュウが人気ナンバーワンの地位を不動のものとしており、その周辺のポケモンも何気に情報として頭に入ってくるのである。 ライチュウは、言わずと知れた電気ポケモン。 ピカチュウから雷の石を使って進化する。進化前とは比べ物にならないパワーの持ち主だ。 しかも、水タイプのミロカロスは相性が悪い。 攻撃面は五分五分の勝負ができるだろうが、防御面はそうもいかない。 電気タイプの技はミロカロスに効果抜群なのだ。 「食らう前に倒すしかないかな……?」 それしか考えられなかった。 と、結論付けたところで…… 「バトルスタート!!」 審判がバトルの開始を告げた。 先攻はアカツキである。 実際のスタートは、アカツキがミロカロスに指示を出した時だ。 もちろん、不用意に長引かせるつもりなどない。 「ミロカロス、ハイドロポンプ!!」 アカツキはライチュウを指差し、いきなり水タイプ最強の技を指示した。 指示を受けたミロカロスは口を開き、超圧縮された水塊を発射した。 剛速球のような勢いでライチュウ目がけて飛んでいく。 これを食らえば、いくら電気タイプのポケモンでも大ダメージは免れないはずだ。 ホウエンリーグが始まるまで、ミロカロスは水タイプの技の威力を高めることを主体として頑張ってきた。 体力や防御力は元から優れている方だったので、少し劣り気味の攻撃力に磨きをかけてきた。 だから、ハイドロポンプの威力には自信があるのだが、さすがにそう簡単に決めさせてはくれなかった。 「ライチュウ、電撃波!!」 ミキヤの指示が飛んだ瞬間、ライチュウが電撃を撃ち出した。 迸る稲光のような一筋の電撃が、瞬時にミロカロスを貫く!! 「ミロカロス、しっかり!!」 苦手な電撃を食らって身を縮めるミロカロスに、アカツキは檄を飛ばした。 ミロカロスは見た目とは裏腹に、意外とタフなのである。 苦手な電撃を受けても、一発や二発では戦闘不能にはならない。 電撃波の特徴は、あまりのスピードゆえに避けるのが難しいということ。 言い換えれば必中の技だが、威力はそれほど高くない。 「続いて影分身!!」 ライチュウの姿が幾重にもブレ、その数を増した。 ふっ。 ミロカロスが撃ち出した水塊は正面にいるライチュウにぶつかると、何の抵抗もなくすり抜けた。 影分身で回避率を上げ、水タイプの技を受けないようにする作戦に出たようだ。 ライチュウはあっという間に十数体の分身を生み出し、その中に紛れ込んだ。 分身は攻撃する術を持たず、本体の動きに従うだけの影。 ただの目くらましなのだが……実際、広範囲に攻撃できる技でもない限りは、とにかく厄介と言うしかない。 「ライチュウ、電撃波を連発!!」 ミキヤの指示が飛び、たくさんのライチュウが一斉に電撃波を撃ち出してきた。 そのすべてがミロカロスに命中するが、ホンモノの攻撃は一つだけ。その他は目晦ましの幻に過ぎない。 「ろぉぉぉぉぉぉん……」 絶え間なく飛んでくる電撃に撃たれ、ミロカロスは身悶えた。 いくら威力が低かろうと、痛いものは痛い。 連続で食らい、ミロカロスの体力が削り取られていく。 「ど、どうすれば……」 アカツキはギュッと握り拳に力を込めた。 発動までのスピードを頼みに数で攻められると、手出しすることが難しい。 見た目こそホンモノと同じであっても、攻撃力を有しているのはひとつだけだ。 他は目くらましとして使っているに過ぎない。 ただ、区別がつかないから、下手に避けることもできない。 このままミキヤのペースに引きずり込まれたら最後、勝ち目はない。 アカツキは序盤にして窮地に立たされてしまった。 一方的(ワンサイド)になりつつあるバトルだが、ハヅキは真剣な眼差しを弟に注いでいた。 何をすべきか必死になって考えている弟の目を見ていると、このままで終わるとは思えない。 「ミキヤさんは確かに強いけど……でも、今のおまえならきっと勝てる。僕はそう信じてるよ」 アカツキが戦っているのはハヅキの顔見知りだ。 しかし、どちらに勝ってもらいたいかというのは、訊ねるまでもないだろう。 ライチュウの電撃波が次々とミロカロスに命中する様子を見て、ミキヤは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 勝ちを確信するには、時期尚早だろう。 それもこれも、アカツキのミロカロスが彼の兄が使っているミロカロスとダブって見えたからだ。 同じ種類のポケモンを一方的に攻撃できると言う、一種のウサ晴らしのようなものだった。 アカツキからすれば傍迷惑な話でしかないが、それを知らなければ詮無い話。 「ミロカロスが使える技は……」 慌ててはいけないと分かっていながらも、慌ててしまう。 こうも一方的に攻撃され続けていると、冷静ではいられない。 感受性が豊かな年頃であるアカツキは特にそうだ。 ミロカロスが使える技は、ホウエンリーグが始まる前に一通り確認しておいた。 水タイプの技だけでいくつかのバリエーションがあり、状況によって使い分けができる。 あと、リフレッシュ、自己再生といった回復技がふたつと、最後に…… 「あ……」 その技の名前に行き当たり、アカツキは弾かれたように顔を上げた。 これなら、相性なんて関係なく相手を『確実』に倒せる。 攻撃に打って出る暇がないと思われる以上、試すしか他に手はないではないか。 失敗すると取り返しがつかなくなるが、アカツキは意を決して叫んだ。 「ミロカロス!!」 トレーナーの決意が伝わってきたか、ミロカロスはその声に目を大きく見開いた。 「ミラーコート!!」 「なに!? ライチュウ、電撃波を止めろ!!」 アカツキの指示に慌てたのはミキヤだった。 立場は一瞬にして逆転した。 ミロカロスは目の前に鏡のような壁を生み出した。 電撃波がその壁を貫いてミロカロスに触れた瞬間、平手で頬を打った時のような景気のいい音が響いた。 ライチュウが撃ち出した電撃波の二倍くらいの大きさの光が矢となってライチュウを打ち据える!! まともに光を受けて倒れ伏すライチュウ。 電撃波を止める暇もなかった。 影分身で作り上げた身代わりは何の役にも立たなかった。 「く、ミラーコートで来るとは……ぐぬぬぬぅ……」 ミキヤは親指の爪を強くかじり、唸った。 まんまとやられてしまった。 ミラーコートは、電気や炎など、エネルギータイプの技によって受けたダメージを倍にして返すという反撃型の技だ。 相手の技でダメージを受けてから発動するというデメリットは否めない。 それでもダメージを倍にして返せるのだから、受けるダメージが多ければ多いほど、返される側にとっては脅威となる。 電撃波で受けたダメージは、ミロカロスを戦闘不能にするには程遠かったが、だからといって小さいものではなかった。 それを倍にして返されたのだから、たまったものではない。 いくらたくさんの電撃波が襲いかかってきても、ホンモノは一つ。 だからこそ、ミラーコートも、ライチュウ本体にのみ命中した。 必中という技の特性を利用した反撃である。 しかし、ミラーコートで返した一撃では、ライチュウは戦闘不能にはならなかった。 「ライチュウを倒すには至らん!! 全力投球の雷だ、レッツ・サンダー!!」 ミキヤは声を張り上げた。 ミラーコートによってダメージを倍にして返されたと言っても、それでライチュウが戦闘不能になることはない。 ダメージは大きいが、戦えなくなるほどではなかったのである。 ライチュウは跳ね起きると、怒りの表情でミロカロスを睨みつけた。 「ラーイ……」 頬の電気袋から最大級の電気を引き出し、解き放つ。 「チューッ!!」 空気の絶縁など何のその。 ライチュウの全力投球の雷は、地面を抉りながらミロカロスに迫る。 「ミロカロス、ハイドロポンプ!!」 今から避けたのでは間に合わない。 攻撃範囲の広さとスピードを勘案し、アカツキはミロカロスに攻撃技を指示した。 逃げることは無理。 かといって、ミラーコートで返すにしても、その前に戦闘不能になる可能性が高い。 博打に委ねるより、攻撃に打って出た方がいい。 アカツキの判断は正解だった。 ミロカロスが口から水塊を撃ち出す。 微妙なカーブを描いて飛んでいく水塊は、雷をすり抜けてライチュウに迫る。 ダメージが大きくて動けないのか、ライチュウは逃げる素振りを見せない。 「守れ、ライチュウ!!」 「なっ……!!」 ミキヤの指示に、アカツキは息を呑んだ。 刹那、水塊はライチュウが生み出した青い壁に阻まれ、虚しく吹き散らされる。 同時に、ライチュウの雷がミロカロスを容赦なく蹂躙した。 ばりばりと弾けるような音がして、電気が周囲に弾け飛ぶ。 「ミロカロス!!」 アカツキの声はミロカロスに届かなかった。 徹底的に電撃を浴びて、ミロカロスは倒れた。 「ミロカロス、戦闘不能!!」 審判は無情にも、ミロカロスを戦闘不能とみなした。 「ミロカロスが負けた……」 アカツキは信じられないものでも見たみたいに、目を大きく見開いて唸った。 完全に読み違えてしまった。 これは間違いなく自分のミスだ…… 全力投球という言葉に惑わされ、相手が守りの一手を用意していないと思ってしまったのだ。 言葉はいつでも真実を語るとは限らない。 むしろ、嘘を騙る方が多い。 言葉をフェイクに、ミキヤのライチュウはハイドロポンプを受け流してしまった。 「戻って、ミロカロス!!」 アカツキはきつく唇を噛むと、ミロカロスをモンスターボールに戻した。 あそこでミラーコートを指示していたら、あるいは……いや、変わらなかったはずだ。 結果として耐えられなければ、ダメージを返すどころではない。 何としても避ける、という選択肢が最良だったのだろう。 「ふふ……」 ミキヤは目を細めた。 駆け引きじゃおまえには負けないよ、と言わんばかりの視線だった。 「負けるもんか……」 アカツキは低い声でポツリと言うと、次のポケモンが入ったモンスターボールを手に取った。 相手は電気タイプ。 手負いであることは疑いようもないが、そこは戦い方でどうにもなる。 何かをさせる前に倒せば、少しは有利な状態に戻せるかもしれない。 「カエデ、行くよ!!」 もう後がない。 ここで負ければ、本選には進めないのだ。なんとしても勝つしかない!! アカツキはモンスターボールを勢いよく投げ入れた。 一番強いポケモンで、ライチュウと残り一体のポケモンをまとめて倒さなければならない。 大変と言えば大変なのだが、やる前からあきらめるほど軟弱であるつもりはない。 フィールドに入ったボールは口を開き、カエデが中から飛び出してきた。 「バクフーンッ!!」 飛び出すなり、カエデは咆哮を上げた。 堂々とした声音は、並のポケモンなら尻尾を巻いて逃げ出すほどの力強さを秘めている。 しかし、頭の上のリボンが風にそよいでいるあたり、せっかくの迫力を半減させてしまっている。 まあ、それは言わない約束と言うことで。 「バトルスタート!!」 審判はせっかちなのか、カエデの姿を確認するなりバトルの続行を告げた。 先攻はまたしてもアカツキであるが、そんなことは関係ない。 電撃波を指示されようと、それを覆すだけの手札は揃っている。 アカツキは疲れた表情を見せているライチュウをびしっと指差し、カエデに指示を下した。 「火炎車!!」 カエデが前傾姿勢になって駆け出すと、身体が炎に包まれる。 火炎車とは、炎をまとって突進する技。炎の技と体当たりを組み合わせたような性質だが、それでひとつの技だ。 炎をまとうことで攻撃力を上げると同時に、バリアーのような役目も果たせる。 一石二鳥の技だが…… 「電撃波!!」 ミキヤの指示は素早かった。 ここでもう一度『守る』で受け流してもよかったのだろうが、エネルギー消費の激しい技を立て続けに使うことはできない。 ここは攻撃に打って出ることで時間を稼ぎ、チャンスを窺うしかない。 ライチュウは再び電撃を撃ち出した。 びしっ!! 電撃は一瞬でカエデを射抜いたが、炎によって守られている分、ダメージは小さく済んだ。 「今だ……!!」 アカツキは大きく息を吸い込むと、カエデに次の指示を下した。 「電光石火!!」 「なに!?」 その指示にミキヤが驚愕の表情を見せる。 びゅんっ!! 赤い炎の揺らめきが残像として見えたのを背に、カエデが電光石火の勢いでライチュウに迫り、吹き飛ばす!! 強烈な体当たりと炎を受け、地面を吹き掃除するライチュウ。 「ライチュウ、立て!!」 「火炎放射!!」 カエデはそのままの勢いでライチュウの眼前まで迫ると、ミロカロスの仇と言わんばかりに炎を浴びせかけた。 至近距離から炎を食らい、ライチュウは攻撃どころではない。 何としても逃げようと足掻いて―― ぽてり。 電光石火+火炎車の一撃が重くヒットしたのか、足がもつれてその場にすっ転んだ。 「ああああ戻れライチュウ!!」 ミキヤは慌てふためいてライチュウをモンスターボールに戻した。 戦闘不能とみなされなくても、予選で入れ替えは戦闘不能と同等の扱いを受けるのである。 「ライチュウ、戦闘不能!!」 審判は容赦なく戦闘不能と同じに扱った。 「やったよカエデ!! あと一体倒せばぼくたちの勝ちだ!!」 「バク、フーンッ!!」 全然慰めにもなっていないようなことを大声でうれしそうに話すアカツキ。 だが、カエデはミロカロスの仇を取れたことに満足したのか、大声で嘶いた。 「そのバクフーン、予想以上にやるな……」 ミキヤは舌打ちした。 昨日のバトルを見ていたが、その時から侮れないものを感じていた。 だが、実際にバトルして、それが予想以上だと思い知らされた。 まあ、あと一体どのポケモンを出すか選べるのだから、相性で優位に立っておくのは常識だ。 「ならば、俺はこいつで行かせてもらう!!」 ミキヤはモンスターボールを引っつかんだ。 この中には一番の相棒が入っている。 こうなったら、エース同士でバトルするしかない。 電撃波を一発受けた程度では、体力もほとんど削れていないだろう。 「行け、カメックス!!」 フィールドにボールを投げ入れると、その声に応えてポケモンが飛び出してきた。 「カメェェックスッ!!」 飛び出してきたポケモンは、青く大きなカメだった。 ただ、後ろ脚でちゃんと立っているし、茶色い甲羅からは、左右に大砲の先端が飛び出している。 明らかに普通のカメとは違っていた。 「このポケモンは……」 アカツキは初対面のそのポケモンに図鑑を向けた。 ピコン。 電子音と共にポケモンの存在を認識し、液晶にその姿が映し出された。 「カメックス。こうらポケモン。カメールの進化形で、ゼニガメの最終進化形。 主にカントー地方に棲息している。 甲羅に噴射口があり、恐ろしい勢いで水を発射し、その反動で突進してくる」 「カメックス……カントー地方のポケモンなんだ……」 一通り確認して、図鑑をポケットにしまう。 カントー地方とは、ホウエン地方の北にある地方だ。 島国のようなホウエン地方と違い、陸続きでいくつかの別の地方と接している。 海を越えた先にあり、そこにはポケモン研究学の権威であるオーキド博士が住んでいるという。 バトルに何の関係があるのかは分からないが、未知のポケモンとして警戒した方がいいのだろう。 幸い、タイプは水タイプと分かった。 カエデとは相性が悪いが、そこはガッツとパワーでカバーすればいい。 「バトルスタート!!」 「ハイドロポンプ!!」 審判の合図と共に、先手を取ってきたのはミキヤだった。 カメックスに最強の水技を指示する。 カメックスは甲羅から飛び出している二つの噴射口(ハイドロキャノン)をカエデに向けた。 ぼぅんっ!! 爆発のような音を立てて、左右の噴射口から水塊が撃ち出される。 「……!!」 脅威のダブル・ハイドロポンプに、アカツキは驚きを隠し切れなかった。 言葉にこそ出さなかったものの、驚愕に目を大きく見開いた。 「ハイドロポンプを二発同時に発射するなんて!!」 今までの相手とは桁が違うのかもしれない。 どんな相手だろうと、同じ技を一瞬に二発撃ち出してくることはなかった。 それも、最強の技だけに、その衝撃は計り知れない。 「カエデ、避けて火炎放射!!」 しかし、驚いてばかりもいられない。 あんなのをまともに食らったら、いくらカエデでも凌げるかどうか疑わしい。 カエデはその指示にさっと横に身を避わした。 銃弾のように直線軌道しか描けない水塊は、距離があれば避けるのは何も難しいことではないのだ。 軽いフットワークで飛来する二発の水塊を避けた後、カエデはカメックスを睨みつける。 口を大きく開き、これでもかとばかりに強烈な炎を吐き出した。 水タイプでもこれを食らえばかなりのダメージになるはずだが、当然そんなことが簡単にできるほど甘くはない。 「カメックス、高速スピンでバクフーンに接近しろ!!」 ミキヤの指示が飛ぶ。 カメックスは足と頭を甲羅に引っ込めると、高速で回転を始めた!! 文字通り前後不覚のはずなのだが、どういうわけかカエデ目がけて一直線にフリスビーのように飛んでくる。 途中で炎にぶつかるが、難なく潜り抜けてくる。 「あの時と一緒だ……!!」 昨日のバトルでも、同じようなことがあった。 無意識に爪が食い込むほどきつく拳を握りしめる。 回転することで風をまとい、炎の威力を半減させているのだ。 その上水タイプなのだから、ダメージはほとんどないに等しい。 「バク!?」 渾身の炎をあっさりと潜り抜けられて、カエデは驚いてしまった。 何をすべきか、トレーナーの指示がなくても分かっているはずなのに、反応が遅れた。 ほんの一瞬の反応の遅れだったが、徐々に速度を上げてきたカメックスにとって、それはあまり関係のないことだった。 ばんっ!! 高速スピンからの体当たりをまともに食らい、カエデはフィールドに叩きつけられた。 「カエデ、しっかりして!!」 アカツキの声に、カエデはきっ、と目を大きく開くと、体勢を立て直す。 「バクフーンっ……」 カエデの目には怒りの炎が燃えていた。 ――よくもやってくれたわね、カメの分際でこのあたしを…… 言葉にすればそんな怒りが、背中から激しく燃え上がる炎で如実に示される。 カエデを弾き飛ばしたカメックスは軌道を変えて、再び迫ってきた。 先ほどはいきなりのことにビックリしてしまったが、今度は大丈夫。 アカツキは自分にそう言い聞かせて、カエデに指示を下した。 「受け止めて!!」 下手に避けたところで、炎タイプの技が通じるようになるわけでもない。 ならば、受け止めることで相手に隙を作らせるしかない。 カエデは肩幅に足を広げて、カメックスを受け止める体勢に入った。 高速回転を維持し続けるカメックスが迫り―― ごぅんっ!! カエデの前脚がカメックスの身体に触れる。 凄まじい勢いに押され、じわじわと後退してしまうが、いきなり吹き飛ばされると言うことはなかった。 渾身の力を込め、カメックスの暴虐とも言える回転力を必死に抑え込む。 手が擦り切れてしまいそうな痛みを堪え、カエデはただ自分のやるべきことだけを考えていた。 「バク……フーンッ!!」 気合を入れて抑えているうち、カメックスの回転が徐々に鈍くなっていく。 「な、なに!?」 高速スピンの攻撃力に自信を持っていたのだろう、その様子を見てミキヤが驚愕の叫びを上げた。 カメックスの回転が止まった瞬間、アカツキがカエデに指示を飛ばす。 「カエデ、そのまま火炎放射!!」 待ってましたと言わんばかりに、カエデが至近距離から紅蓮の炎をカメックスに吹きかけた。 甲羅に閉じこもったままのカメックスが、炎に飲み込まれる。 「……しまった!! これではハイドロキャノンを向けられない!!」 ミキヤは気づいた。 カメックスは、甲羅に閉じこもったままでもハイドロキャノンを使って相手を攻撃することができる。 しかし、今の角度ではハイドロキャノンをカエデに向けることができないのだ。 どういうわけか高速スピンを完全に止められ、炎を浴びせられている状態。 いくらカメックスでも、この状態が長く続けばどうなるか分からない。 「よし、このままなら……」 アカツキは勝機を見出せたような気がした。 高速スピンを止めたところで火炎放射。 カエデの特性『猛火』が発動するほど体力は減っていないだろうが、ただでさえ強力なのだから、一気に押し切れる。 カメックスが甲羅から出てきたら、投げ飛ばして火炎放射。 出てこなくてもこのまま火炎放射を浴びせて蒸し焼きにするつもりだった。 周囲の温度が恐ろしい勢いで上昇していく。 さすがのカメックスも、防御さえできない状態では、急激な温度上昇に長く耐えられない。 「このままでは……くっ、しかしあの技を使わなければ脱け出せない、だと!?」 ミキヤは胸中で激昂した。 相性では優位に立っていながら、フタを開けてみれば状況は不利に立たされている。 このままではカメックスが戦闘不能になるのも時間の問題だろう。 ここで甲羅から顔や足を出すように指示したところで、そのタイムラグを突かれては厳しい。 しかし、何もしないままでは終われない。 この状況を覆せる可能性があるのなら、それに対して好き嫌いなど言っていられる状況ではないはずだ。 背に腹は変えられないか。 「カメックス、ハイドロカノン!! こうなったら使うしかない!!」 「ハイドロカノン……!!」 ミキヤが指示した技の名前に、アカツキは聞き覚えがあった。 ルネジムのジムリーダー・ミクリと戦った時、彼が最後に指示した技だ。 ハイドロポンプすら上回る水量で敵を打ち倒す、真の意味で水タイプ最強の技。 ミキヤがどうしてその技を知っているのか。 そんなことが気にならないくらいの状況は一瞬にしてやってきた。 カメックスが勢いよく顔と足を甲羅から突き出すと、ハイドロキャノンからではなく、口から猛烈な水流を吐き出した。 至近距離からの水流に巻き込まれ、カエデは為す術なく炎ごと吹き飛ばされた。 「カエデっ!!」 アカツキは叫んだ。 ハイドロカノンの威力は実証済み。 相性の悪いカエデがまともに食らったら、戦闘不能になってもおかしくない。 いや、それが当然なのかもしれない。それくらいの威力はある。 カエデは全身水塗れになりながらも、必死に立ち上がろうとする。 身体に力を込め、気力を振り絞って立ち上がるが、そこで糸が切れた人形のように再び倒れ、それきり動かなくなる。 「そ、そんな……」 アカツキは目の前が真っ暗になったような気がした。 カエデは戦闘不能になってしまったのだ。 「負けた……?」 目の前に広がっている残酷な現実を見つめるアカツキの瞳は、これ以上ないほど震えていた。 審判がカエデの横に回りこみ、その表情を見やるが、 「な、なにぃっ!?」 ミキヤの悲鳴めいた声に、アカツキの意識はそちらに向けられた。 「え……」 アカツキが漏らした小さな声を掻き消すように、大きな音を立ててカメックスがうつぶせに倒れたのだ。 一体何が起こったのか。 アカツキもミキヤも、信じられないといった表情を見せる。 観客たちも固唾を呑んで事態の行方を見守っている。 これはどういう扱いになるのか。 そんな中、審判だけがひとり冷静になってカメックスの顔を覗き込んだ。 カメックスはカエデと同じようにまるで動かない。 ――結論は、すぐに出された。 審判は両手の旗を振り上げ、 「バクフーン、カメックス、共に戦闘不能!! よって、これより勝敗を決める一対一のバトルを行います!!」 「最後のシングルバトル……」 アカツキはポツリつぶやいた。 そういうルールがあるのを思い出したのだ。 予選の最終戦と本選において、最後のポケモンが同時に戦闘不能とみなされた時にのみ行われる特別なバトルだ。 確実に勝敗を決さなければならない時にのみ執り行われるが、それは今この時を指す。 アカツキとミキヤはそれぞれ二勝零敗と、同じ戦績を残しているのだ。 このバトルを制した方が本選に進めるのだから、引き分けなど考えられない。 よって、これから行われるバトルによって勝敗を決するのだ。 「戻って、カエデ!!」 「戻れカメックス!!」 アカツキとミキヤは死力を尽くして戦ってくれたポケモンをそれぞれモンスターボールに戻した。 これから始まる最後のバトルに抱く想いは中途半端なものではない。 お互いに真剣きわまる表情を見せた。 「両者、合図をしたらモンスターボールを投げてください」 審判の指示に頷く。 運が試される最後のバトルのポケモン選び。 同時にモンスターボールを投げることで、先攻・後攻の差をなくしてしまうのだ。 最後の最後になって公平なバトルが運営されるわけだが、運が悪ければ相性の悪い相手と戦うことになりかねない。 よって、どのポケモンを選ぶかというのは特に重要になる。 ミキヤは無造作にモンスターボールを手に取ると、じっとそのボールを見つめた。 勝敗を委ねるだけに、それなりに想うところもあるのだろう。 「ぼくは……」 アカツキは残された四体のポケモンが入っているボールに手を触れた。 一体誰を出せばいいのだろう。 アカツキのパーティの主砲(エース)であるミロカロスとカエデはすでに戦闘不能。 残されたのは、お世辞にも最強と呼べるポケモンではない。 「でも、みんなを信じなくちゃ……みんながぼくを信じてついてきてくれているのと同じように」 信じなければ始まらないではないか。 だから…… 「ぼくの気持ち、一番分かってるのはキミだよね。だから、君に託すよ」 アカツキは意を決し、モンスターボールをひとつ、手に取った。 「両者、ポケモンを前へ!!」 「アリゲイツ、キミに決めた!!」 「ファイナルバトルだ、サイドン!!」 審判の合図に、アカツキとミキヤはそれぞれの想いを託すポケモンが入ったモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 その想いに応えて、それぞれのポケモンがフィールドに姿を現す。 アカツキはアリゲイツ。ミキヤはサイドン。 「相性は有利だけど……でも、全力でやらなくちゃ!!」 水タイプのアリゲイツは、地面・岩タイプのサイドンと相性が良い。 だが、ポケモンバトルはそれだけで決まるほど単純ではないのだ。 油断はできない。 「アリゲイツか。相性は悪いが、実力で捻りつぶせる」 ミキヤはやる気満々のアリゲイツを見つめる目を細めた。 様々な想いが交錯する中、最後のバトルは審判の一言によって幕を開けた。 「バトル・スタート!!」 刹那。 「サイドン、穴を掘れ!!」 「それならアリゲイツ、雨乞い!!」 ふたりの指示はほぼ同時に飛んだが、ミキヤの方がわずかに早かった。 サイドンはドリルのように高速で回転する角を地面に突き立て、地面に潜った。 姿を消したサイドンに攻撃することができないので、アリゲイツはアカツキの指示通り、フィールドに雨雲を呼び寄せた。 それからほどなく、ポツリポツリとフィールドに雨が降ってきた。 水タイプの技の威力を上げることが最大の目的だ。 「どこから来るのかな……?」 アカツキはサイドンがどこから攻撃してくるのか、雨が降りしきるフィールドを眺めながら考えた。 サイドンが攻撃をしてくるとしたら、その可能性が一番高いのがアリゲイツの真下。 警戒をしても対処のしようがないのが真下だ。 前や後ろ、横なら、攻撃が当たるまでの一瞬で水鉄砲を撃ち出すことができるのだが…… 「真下でも、攻撃されてからなら水鉄砲を使える……!!」 考えても分かるはずがなかった。 どこから攻撃されても、確実に反撃できるようにしておくこと……それが今必要なことだ。 ダメージを受けるか受けないかの違いでしかなくても、大切なのはサイドンを倒すことなのだ。 雨が降りしきる音だけがフィールドに響く。 サイドンはまだ攻撃してこない。 アカツキとアリゲイツの神経をすり減らす――いわば心理戦を仕掛けてきているのだろうか。 「そうだとしても、ぼくとアリゲイツのこの気持ちは簡単に折られないよ……」 アカツキはそんなものには乗らないと胸中で強く意志を持った。 アリゲイツも、目を閉じて耳を澄ませている。 どれくらいの時間が経ったのか分からなくなりかけた時、地響きが轟いた。 「来る……!!」 「サイドン、攻撃だっ!!」 ミキヤが拳を突き上げると同時に、地面に亀裂が入った。 アカツキの予想通り、サイドンは真下から姿を現した。 強烈な衝撃に、アリゲイツは宙に投げ出されてしまうが、反撃のチャンスでもある。 「今だ、アリゲイツ!! 水鉄砲!!」 アカツキの指示に、アリゲイツは目を見開くと、口を開いて猛烈な水流を吐き出した。 不安定な体勢であったにも関わらず、狙いすましたように水流はサイドンの顔面を直撃した!! 苦手な水鉄砲を受け、思わず仰け反るサイドン。 「怯むな、角ドリル!!」 ミキヤの指示が飛ぶ。 サイドンは角をドリルのように回転させて、水鉄砲を弾いた。 さらに、ミキヤが続けて指示を出す。 「砂嵐!!」 直後、サイドンの丸太のように太い脚が地面にめり込む。 舞い上がった土煙は角ドリルによって起こされた風に乗って、砂嵐と化した。 「砂嵐!?」 アカツキが驚いた時には遅かった。 舞い上がる土煙によって、アリゲイツとサイドンの間が埋め尽くされた。 視界を奪われ、アリゲイツは着地しても、周囲を忙しなく見回すばかりだった。 アカツキからもアリゲイツの姿は確認できないため、指示のしようがない。 それはミキヤにとっても同じことと言えるが、砂嵐の影響を受けない分だけ、サイドンに有利に働く。 「サイドンはどこからでも攻撃してくることができる……どうにかしなくちゃ……」 アカツキはサイドンを倒す方法を思案した。 その間に、ミキヤが指示を下した。 「サイドン、地震を起こせ!!」 サイドンが唸り声を上げ、ジャンプ。 地面に両脚がめり込むと同時に、フィールドを強烈な揺れが襲った。 「ゲイツ!?」 砂嵐によって視界を奪われている中で突如地震に襲われ、アリゲイツはたたらを踏んでその場に転倒した。 「アリゲイツはおまえの正面だ!! 突進!!」 「な……!?」 ミキヤの指示に、アカツキは仰天した。 ミキヤにサイドンの位置など分からないはずなのに、どうしてそんなことを言ったのか。 アカツキに彼の真意は読めなかった。 ただ…… 「アリゲイツ、サイドンは真正面から来るよ!! 水鉄砲、最大出力だ!!」 ミキヤの言葉をこう解釈できた。 サイドンは駆け出すと、立派な体躯からは想像もできないスピードで砂嵐の壁を突き破る。 姿を見せたサイドン目がけ、アリゲイツが最大出力の水鉄砲を浴びせかけた。 だが、サイドンも負けてはいない。 水鉄砲を受けながらも、怯むことなく突き進んでくる。 と、砂嵐が晴れ、再びフィールドに雨が降りしきる。 砂嵐の影響で、雨が降っていないように見えていたのだ。 「効いてない!?」 サイドンが水しぶきを上げながら突っ込んでいくのを見て、アカツキはギョッとした。 雨乞いの効果で威力の上がっている水鉄砲を食らっても怯まないその気迫に、アカツキは呑まれそうになっていた。 アリゲイツは全力の水鉄砲を放ち続けるが、サイドンは止まらない。 溶岩の中にいても熱さを感じないと言われるほど分厚く頑丈な身体で、サイドンがタックルをかましてきた。 どんっ!! 強烈なタックルを受け、アリゲイツは吹き飛ばされる。 「アリゲイツ、しっかりして!!」 「続いて地震!! ぐらぐら揺らせぇっ!!」 アカツキの声と、ミキヤの指示は見事に重なった。 地面を拭き掃除するアリゲイツを見据え、サイドンがジャンプ。 着地すると同時に強烈な揺れがフィールドを駆け抜ける。 地面がかすかに持ち上がり、アリゲイツを打つ。 毬のように空に投げ出され、地面に叩きつけられる。 仰向けに倒れ、ぐったりしているアリゲイツを見て、アカツキは言葉を失った。 サイドンの突進でさえあれだけ強烈だったのに、さらに地震まで受けたとなると……かなり危険だ。 カエデやミロカロス、アブソルにすら体力で劣るアリゲイツにとってはたまらないだろう。 「ゲイツ……」 アリゲイツは気力を振り絞り、ゆっくりと立ち上がった。 その瞳にはどんな状況になっても決して折れない闘志が炎のように燃え上がっていた。 「アリゲイツ……まだやれる……?」 足元が覚束ない様子だが、アリゲイツはまだまだやる気のようだ。 ここで負けることの意味を理解しているのだろう。 今まで頑張ってくれたミロカロスとカエデの想いを背負い、負けるわけにはいかないのだ。 「なら、ぼくはキミを信じる。そうじゃなきゃ、ミロカロスとカエデに悪いもの」 アカツキはギュッと拳を握りしめた。 体力が極限まで減らされている今のアリゲイツなら、特性である『激流』が発動しているはず。 水タイプの威力が跳ね上がる特性で、雨が降りしきっている状況なら、相乗効果で恐ろしいほどに強力になっているはずだ。 その一撃に賭けるしかない。 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 「捨て身タックル!!」 ふたりの指示は同時に飛んだ。 サイドンが肩を怒らせながらアリゲイツへと突進する。 アリゲイツは目を閉じ、大きく息を吸い込んで―― 「ゲェェェェェイツっ!!」 裂帛の咆哮と共に、水鉄砲を撃ち出した。 「!?」 ミキヤの表情が驚愕に歪む。 「な、これが水鉄砲だと!?」 その言葉は、水鉄砲がサイドンに直撃する音にかき消された。 滝のような大きさの水鉄砲は、並の水ポケモンが扱うハイドロポンプなどよりもよほど強烈だった。 さすがのサイドンも、これには前進を続けることができず、じりじりと後退する。 最後にはフィールドから飛び出し、観客達がひしめく柵に叩きつけられた。 『うわぁぁっ!!』 いきなりサイドンが飛んできたので、周囲の観客は我先にと逃げ出した。 二メートル近い巨体がいきなり飛んでくれば、誰だってビックリする。 柵に叩きつけられたサイドンはそのままうなだれると、動かなくなった。 すかさず審判が近寄った。 「倒せた……?」 アカツキは注意深く動向を見守ることにした。 アリゲイツにこれ以上の攻撃を放つだけの体力は残されていない。 立っているのもやっとの状態だ。肩で荒い息を繰り返し、いつ倒れてもおかしくない。 万が一ここでまた同時KOなどになったら…… もう一度繰り返すなら、今のアカツキに勝ち目はないだろう。 ただでさえ緊張と興奮で身体が熱いのだ。 「サイドン、戦闘不能!!」 その言葉と共に、バトルは終わった。 飛んできたサイドンに驚いて逃げ出していた観客も、別の場所から歓声を上げた。 「勝った……?」 アカツキはサイドンが戦闘不能と言われても、実感が湧かなかった。 予選の中で一番手強い相手だったから、まだ立ち上がってくるかもしれないという不安があったのだ。 しかし、それはなかった。 「戻れ、サイドン」 ミキヤは悔しがって血の涙を流すどころか、むしろ清々しい表情で、サイドンをモンスターボールに戻した。 「ゆっくり休め、サイドン。また来年頑張ればいいさ……」 小声でサイドンの健闘を讃え、労った。 「……よって、Gブロックから本選に進出するのは、アカツキ選手となりました!!」 電光掲示板にアカツキの顔写真が大きくクローズアップされ、本選進出おめでとうの文字が躍った。 「勝った……ぼくたち勝ったんだ!!」 アカツキは喜びで胸をいっぱいにして、フィールドで立ち尽くすアリゲイツに駆け寄り、抱きついた。 「アリゲイツ、勝ったんだよ!!」 「ゲイツ……」 アリゲイツは満足げに微笑むと、目を閉じてアカツキに身体を預けた。 「ありがと、アリゲイツ……」 アカツキは精一杯戦ってくれたアリゲイツの背中を撫でた。 いままでで一番厳しかったバトルだったから、勝利の喜びも一番大きかった。 勝利の喜びをポケモンと共有できるのがこんなにもうれしいものだと、アカツキは今さらながら気づいたのだった。 フィールドを去ったミキヤは、待ち構えていたように立っているハヅキの脇を無言で通り過ぎようとして―― 「惜しかったですね」 不意に声をかけられ、足を止めた。 観客の視線は本選に勝ち上がったアカツキに注がれていて、ふたりのやり取りは孤島で行われているかのようだった。 それに……声をかけられた以上、無視することはできなかった。 「君は一足先に本選進出を決めたのだろう?」 「おかげさまで」 「ふっ……」 ミキヤはハヅキと顔を合わせることもなく、空の一点に目を留めた。 しばらく無言で時が過ぎ―― 「君の弟なんだってな。 十一歳とは思えないくらい腕が立つね。兄貴が言ってた通りだったよ。油断するなってね……」 「ありがとうございます」 「褒め言葉のつもりじゃないよ。別に……」 「それでもうれしいですよ、兄として」 「そうか……それじゃあな。来年に向けて特訓しなければならないから。 これで失礼するよ、ハヅキ」 「ええ」 ミキヤは片手を挙げて、立ち去った。 彼が別のフィールドの影に隠れて見えなくなるまで見送り、ハヅキは歓声に包まれている弟に目を向けた。 目を閉じて、アリゲイツの身体をギュッと抱きしめている弟の口元には笑みが浮かんでいた。 「楽しみだよ、おまえと戦うのが……」 それまで負けるなよ…… ハヅキは小さく言い残し、ポケモンセンターへと引き返した。 第94話へと続く……