第97話 真実 「さあ、どうする? 果たして、おまえに兄を見捨てて逃げるだけの度胸はあるか?」 「…………」 氷のように冷たい言葉を投げかけられ、少女は怯えきった表情で後ずさりした。 潤み、震えた瞳に映っているのは、狡猾な策をめぐらせた男と、彼のポケモン……キノガッサに捉えられた青いポケモンの姿。 流線型の身体は鮮やかな青と白に塗り分けられ、いかにも賢そうな顔立ちをしたポケモンだ。 しかし、そのポケモンは傷だらけだった。 ジタバタもがくものの、力強さはない。キノガッサに首を締め上げられ、苦しそうだ。 「…………クゥ……クゥ……」 キノガッサに締め上げられても、ポケモンはもがくことをやめず、声を上げた。 苦しそうな声と表情に、少女は居たたまれない気持ちになる。 囚われの身となったポケモンが何を言っているのか、彼女には分かった。 血を分けた実の兄妹なのだから。 少女は人間の姿をしていても、本当はポケモンだ。 ポケモンの言葉も、人間の言葉も理解できる。知能の高いポケモン……それが、少女とキノガッサに囚われたポケモン。 「…………」 少女はどうしたらいいのだろうと考えをめぐらせた。 男の背後には台座があり、その上には淡く輝く宝石が安置されている。 その宝石を使って、何かをするつもりだ……少女は男の企みに気づきつつも、打つ手がなかった。 兄を犠牲にしてまでも何かを成しとげようとする非情さは、あいにくと持ち合わせていなかったからだ。 男は少女と、キノガッサが捕らえたポケモンを交互に見やった。 この期に及んで、互いに相手の心配をしているのが分かる。 「兄と妹ゆえか……」 顔色一つ変えず、眉を動かすこともなく、男は少女に言葉を突きつけた。 「ラティアス。仮におまえが逃げ出したとしよう。 俺としてはそれも構わんが、おまえはそれで良いのか? ラティオスだけでは、『心のしずく』の力を完全に引き出すことはできない。 それどころか、無理に引き出そうとすれば、負担が大きくなる。無論、それをやってもらうつもりでいるのだ。 傷つき疲れ果てたこいつが、力の代償として支払う負担に耐え切れるかな? おまえと共に力を引き出し、俺のために使うのなら、手厚い保護を提案しよう。 負担が半分に軽減できれば、こいつも無駄に命を落とすこともないだろう。 おまえにとっても、悪い話ではないはずだがな」 男の言葉に、ラティアスと呼ばれた少女――ポケモンは、首を締め上げられて苦悶の表情を浮かべる兄、ラティオスを見やった。 そうだ、確かにその通りだ。 男のやろうとしていることは分かるし、そのためにはラティアスとラティオスの力が必要。 男の背後にある宝石の力を引き出すための手段を持っているのだから、それは当然のこと。 しかし…… 「クゥ、クゥゥ……」 ラティオスは言った。 ――俺のことはどうでもいいから、おまえだけでも逃げろ。   この力を悪用させてはいけない。 「…………っ!!」 ラティオスはラティアスの心配だけをしていた。 血を分けた愛しい妹の身を案じていた。 それが分かるから、ラティアスも逃げるに逃げられなかった。 兄の言いたいことは理解できるつもりだ。 それでも、見捨てて逃げるなど、そんなことはできない。 キノガッサを駆る男の企みを阻止しつつ、ラティオスを助ける方法はないのか……? 実に都合のいいことだが、そんな手段がないものかと考えてしまう。 男は少女が何を考えているのか、表情からおおよそ察していたが、何も言わなかった。 ここでラティオスをさらに締め上げても良かったが、必要以上に追い詰めては意味がない。 やがて、少女は一つの結論に至った。 「……カゥッ!!」 怯えきっていたとは思えないような咆哮を上げると、少女の身体が瞬時に変化した。 ラティオスに似た体型の、しかし青い部分が赤くなったポケモン。 それがラティアスの本当の姿だった。 「カウッ、カウカゥッ!!」 ――絶対に戻ってくるから!!   待ってて、お兄ちゃん!! ラティアスは精一杯の想いをラティオスに伝えると、全速力で飛び立った。 木立の合間を強引に突き抜け、茂る枝葉で身体が傷つくことも厭わず、空へ。 兄と共に暮らした、大切な仲間の元へ。 ただ一人の兄を助ける、そのために。 ラティアスが空へ飛び立ったのを見ても、男は表情一つ変えなかった。 これもまた、予定調和の一部。 ラティアスの性格を考えれば、こういう行動を取るであろうことは想像に難くなかったし、男にとっても都合が良かった。 「ラティオス、おまえにはあいつが戻ってくるまでの間、一働きしてもらおう。 間違っても逃げようなどとは思わぬことだ。 その時はおまえの代わりに、ラティアスを使うだけのことだからな」 男はラティオスに言うと、腰のモンスターボールからポケモンを出した。 ズラリと勢ぞろいした屈強なポケモンたち。 ラティオスはキノガッサから解放されながらも、逃げ出すことができなかった。 傷だらけの身体で逃げたとしても、すぐに追いつかれるだけだ。 それなら、愛する妹を守るためにも、自分自身を捧げるしかあるまい。 ラティオスは宙に浮かぶと、宝石を戴く台座に寄った。 じっと宝石に目をやり、祈るように目を閉じる。 「いよいよ始まったか……」 宝石の輝きが増していく。神秘的な雰囲気漂う宝石を見やり、男は目を細めた。 「ラティオスだけではそう長くは保つまい」 傷ついたポケモンだけでは、十分に力を引き出すことはできない。 となれば…… 「ラティアスが向かうとすれば、おまえと、共に暮らした仲間の元。 その仲間の名は、アブソル。 残念だが、俺はそのアブソルに会ったことがあるのでね」 男は口の端に笑みを浮かべた。 すべて、予定通りに進んでいる。 もうすぐ、もうすぐだ。 望むものが手に入る。 男が浮かべた笑みを、ラティオスが見ることはなかった。 十二月八日。 サイユウスタジアムはホウエンリーグを戦い抜いたポケモントレーナー百数十人と、戦いを見守ってきた観客たちで溢れかえっていた。 スタジアムの中央には壇が設けられており、ホウエンリーグ四天王の最長老であるゲンジがマイクを前に講評を述べている。 今回のバトルはどうだったとか、見ごたえがあったとかなかったとか。 慰めにも励ましにもならないような言葉であることは誰もが知っているが、形式上の儀礼ということで、おとなしく聴いていた。 そんな中、アカツキは列を作ったトレーナーの最前列に立って、隣で同じように背筋を伸ばしている兄ハヅキの顔を覗き見た。 特に何の感情も表していない表情で、ゲンジの方に目を向けている。 彼を見ているのか、その向こうを見ているのかは分からないが、優勝を逃した悔しさは、少なくとも表面上からは見て取れない。 まあ、相当悔しかったのは言うまでもないことだろうが…… 「兄ちゃんも吹っ切ったんだろうな……」 アカツキはそう思った。 先ほど優勝、準優勝者の表彰が行われたが、そこにハヅキの姿はなかった。 彼は準決勝で惜敗したからだ。 準決勝で負けてしまった時に見せた悔しそうな表情は、今も忘れることはできない。 「悔しいのはぼくだって同じわけだし……でも、兄ちゃんもきっとバトルを楽しめたんだ」 アカツキはホウエンリーグ本選の一回戦でハヅキと対決し、敗北した。 一回戦敗北という半ば不名誉な形でホウエンリーグが終わってしまったわけだが、悔いはない。 精一杯戦い抜いたのだから。 これほどにバトルが楽しいものだったのかと、そう教えられるバトルだった。 バトルが終わり、ポケモンセンターでポケモンを回復させている時に、アカツキはハヅキと固く握手を交わした。 兄弟としてではなく、トレーナーとして。 そこには負けた悔しさなんて立ち入る隙もなかった。 お互いの実力を認め合えたことが素直にうれしかった。 「でも、兄ちゃんと戦ったあの人が優勝したなんて…… 兄ちゃんが勝ってたら、優勝できたのかな?」 ふとそんな思いが頭をよぎった。 ハヅキが準決勝で負けた相手が、今回のホウエンリーグの優勝者。 名前はよく覚えていないが、カナズミシティの出身らしい。 本当に僅差だった。 ハヅキが勝っていてもおかしくない状況だった。 だからこそ、もしハヅキが勝っていたら、優勝者として表彰されていたかもしれなかったのだ。 まあ、仮定の話なんてしたって仕方がない。 ハヅキは準決勝で負けて……彼のホウエンリーグもそこで終わったのだから。 「もしそうだとしても…… もう終わっちゃったし……次に賭けるしかないんだよね」 アカツキはまたいつかホウエンリーグに出ようと思った。 来年か再来年か、それは分からない。 でも、またいつか出たい。次はもっと上を目指したい。 そう、できれば優勝だ。目指すのならそれくらいでなければ。 ゲンジの話が終わり、拍手に包まれながら彼が壇上から降りていくのを見つめながら、アカツキは次に自分のやるべきことを見据えた。 だから、四天王の最長老が何を言っていたのか、覚えてはいない。 どうせためになる話ではないと分かっていたから、別にそんなことはどうでもよかった。 大切なのは、これから自分がやるべきことを見出すこと。 ポケモントレーナーたちと相対するように向かい合っているのは、ゲンジを始めとするホウエンリーグ四天王。 講評を述べたのはモヒカン青年のカゲツでなければ、凍れるシンデレラと仇名されるプリムでもない。 ましてや、つかみどころのない性格が持ち味の女色魔フヨウではあり得ない。 亀の甲より年の功ということで、ゲンジが述べることになったのだろう。 閉会式のこの場に、彼ら四人を統率するダイゴの姿はなかった。 彼はいろいろと多忙だし、ホウエンリーグのトップということで、その存在自体がシークレットなのかもしれない。 できれば彼に会いたかったのだが……いないのなら仕方がない。 自分で探せばいいだけのことだ。 表彰式、講評と終わり、閉会式も文字通り終わりを迎えようとしている。 「今年のホウエンリーグはこれで終了です。全力を尽くして戦い抜いたトレーナーに、会場の皆様、もう一度大きな拍手で彼らの健闘を称えて下さい」 司会のその言葉に、スタジアムは拍手の嵐に包まれた。 アカツキは八日間寝泊りしていたポケモンセンターの部屋に戻ると、荷物の整理を始めた。 窓を開き、換気を良くしておく。 参加賞やら何やらで、荷物が少し増えた。 おかげでリュックもぱんぱんに膨らんで、力を込めて押し込まないとチャックが閉まらない有様だ。 それがなんだかおかしくて、思わず笑ってしまう。 「今日から『黒いリザードン』をゲットするために頑張らなくちゃいけないんだよね」 トレーナーになった最大の目的は、『黒いリザードン』をゲットすることだ。 『黒いリザードン』はホウエンリーグのトップに立つダイゴのポケモン。 彼に『黒いリザードン』と自分のポケモンをトレードしてもらうには、トレーナーとしてもっと強くなるしかない。 やるべきことは、トレーナーとしてのレベルアップ。再びホウエン地方の各地を巡って、様々な経験を重ねなければならない。 それだけならアバウト極まりないが、中身は山積みだ。 でも、その方が燃えてくる。 もっと強くなれるんだと思うと、またひとつ夢に近づけるような気がして。 「でも、やる前からあきらめるなんて、そんなの絶対にできないよ。 夢はきっと叶うんだ。ううん、ぼくが叶えるものなんだ」 言葉にして自分自身に強く言い聞かせる。 それくらいの意気込みがなくては、先には進めない。 開け放った窓から、心地よい風が部屋に入ってきた。 頬を撫でる風に、荷物をまとめる手を止め、窓の外に目を向けると、あり得ない光景が広がっていた。 「へ……?」 力のない声が小さく漏れた。 いつの間に、どうやって入り込んだのか、今にも泣き出しそうな表情の少女が立っていた。 年の頃はアカツキと同じくらいだろうか。 茶髪を後ろに束ね、泣き顔でなければそれなりに可愛らしく見える少女だった。 もちろん、アカツキの見知った顔ではない。というか、初対面だ。 「あ、あの……どちら様?」 言葉をかけるだけで泣かれそうな気がして、アカツキは恐る恐る声をかけた。 扉が開く音はしなかったし、増してや窓の外から入ってくることなど考えられない。 ここは四階である。鳥ポケモンの背中に乗って、飛び移ったのだとしても、少女はモンスターボールを手にしていなかった。 「どうやって入ってきたんだろう……?」 アカツキは懐疑的な考えを抱きながら、縋るような眼差しを向けてくる少女を見返した。 と、不意に声が聞こえてきた。 「助けて……」 「……えっ?」 どこからともなく聞こえてきた声に、アカツキは驚いた。 なぜなら、耳から入ってきたのではなく、頭に響いてきたからだ。いきなりのことに軽い頭痛を覚えたが、すぐに消えた。 「……?」 アカツキは周囲を見回してみたが、先ほどから視線を向けてきている少女以外に変わったところはなかった。 「お願い、助けて……」 再び声が聞こえてきたところで、少女に視線を留める。 「あれ、もしかして、キミが……?」 他に話しかけてこられる存在はいない。 アカツキが恐る恐る訊ねると、少女は小さく頷いた。 「でも、耳から聞こえてこないなんて……テレパシーってヤツなのかな?」 少女の口はまったく開いていない。 念じれば相手に言葉を届けられる……テレパシーでなければ説明がつかない。 「わたしのお兄ちゃん……ラティオスを助けて……」 少女は三度、テレパシーでアカツキに言葉を届けた。 直接口にすることがはばかられるのか、それとも別の事情があるのか……それは分からないが、少女が助けを求めているのは分かった。 「お兄ちゃん……ラティオスって? キミって一体……」 助けを求められているのは分かるが、一体全体、何がどうなっているのか。 理解しようにも、あまりに情報が不足している。 どう対処すればいいものかと考えていると、腰に振動が走った。 「……ん?」 視線を落とすと、モンスターボールの一つがカタカタと小刻みに震えているではないか。 「これって、アブソルのボール? 一体どうしたんだろう?」 何か訴えかけるような振動に、アブソルのモンスターボールを手に取った。 すると、アカツキが何も言っていないにもかかわらず、ボールが勝手に口を開き、アブソルが飛び出してきたではないか。 「アブルルル……」 アブソルは外に出てくるなり、少女に歩み寄って小さく唸り声を上げた。 威嚇しているような声音だが、アブソルに敵意は感じられなかった。 「ああ、無事だったのね……」 アブソルの姿を認め、少女の表情がパッと明るく輝いた。 先ほどまで泣き出しそうだったのに、一体どうしたことか。 少女の言葉に、アカツキは得体の知れないものを感じつつも、少女とアブソルが何らかの形で知り合いだということは理解できた。 「グルルル……」 アブソルが喉を鳴らすと、少女は何度も頷く。 その度に表情が明るくなっていくのを見て、アカツキは正直ホッとしていた。 いきなり助けを求められた時にはどうなることかと思ったが、少しは落ち着いてきたようである。 アブソルはそれから何度も少女に声をかけ、その度に少女は頷き返したり、意味不明な単語(?)を口にしていた。 まるで噛み合っていない会話だが、当人たちの間では通じているのだろう。 「でも、知り合いってどういうことなんだろう?」 トクサネシティでゲットする前まで、一緒にいたのだろうか? そんなことを思ったが、その割にはアブソルはアカツキに敵意を剥き出しにして襲いかかってきた。 腑に落ちないところはあるが、雰囲気が和んできたから、正直どうでもよくなった。 三分ほど会話をしていた少女だったが、やがてアブソルを愛しげに抱き寄せると、アカツキに笑みを向けてきた。 「ありがとう。この子、とても大切にしてくれてたんだね。 ニンゲンなんて信じられないって思ってたけど……あなたは違ってたんだね。 この子が、そう言ってるの。 あなたは、悪いニンゲンじゃないって……」 「え……そう?」 少女が笑みを浮かべながらテレパシーで話しかけてくると、アカツキはドキリとした。 悪いニンゲンじゃないって…… 意味は分からないが、どうやら好感を抱いてくれたらしい。 アブソルが少女にアカツキのことを話したのだろう。そうでなければ、そんなことは言わないはずだ。 とはいえ、どんな間柄だというのか。 今ならちゃんと答えてもらえそうだと思い、アカツキは少女に訊ねた。 「あのさ、アブソルと知り合いなの? どんな関係だったのかな……良かったら教えてくれない?」 「うん……」 少女は目元に浮かんだ涙を手の甲で拭うと、アカツキの問いに答えた。 「わたしとこの子は、同じ場所で暮らしていた仲間だったの」 「えっ?」 さすがにこれには驚いた。 同じ場所で暮らしていた仲間だとは……でも、だからこそ親しげにしていたのだ。少女の言葉が真実であると、アカツキは理解した。 しかし、余計に腑に落ちないところがある。 「仲間って、人間とポケモンが一緒に暮らしてたってこと?」 「ううん、違うの。わたしも、あなたたちニンゲンが言うポケモンって存在だから」 「ええっ!?」 アカツキが驚くのを予期していたように、少女は自らの姿を変えた。 人間の少女だった彼女が、流線型が赤と白に塗り分けられたポケモンの姿に変わったのだ。 「ウソ〜!! ポケモンが人間の姿してたの!?」 なんてことはない。 どうして部屋に入ってこられたのかと思ったが、ポケモンであればそれも容易い。 増してや、少女だったポケモンは何の支えもなく浮いているのだ。これなら部屋に入ってくるのは簡単だろう。 ポケモンであれば、アブソルと共に暮らしていたと言っても不思議はない。 ただ、お兄ちゃんを助けてくれと言ったのは……? 「もしかして、お兄ちゃんっていうのもポケモンのこと?」 アカツキは声に出したわけではなかったが、少女の姿に戻ったポケモンは頷き返してきた。 相手の考えていることを理解しているのだろう。 「あのね……その前に、謝りたいことがあるの。 この子にあなたを襲わせたのは、わたしなの……本当にごめんなさい」 少女は申し訳なさそうな顔をして、ペコリと頭を下げた。 「え、それって……」 あまりの衝撃に、一瞬、思考が麻痺する。 すぐに何でもなかったように再開される思考だが、よく分からなかった。 「アブソルがぼくを襲ったのは偶然じゃなかったってこと?」 気になってアブソルを見てみると、アブソルも少女と同じように申し訳なさそうな顔で俯いていた。 確か、あの時…… アカツキはアブソルと出会った時のことを思い返した。 子供のような声に導かれて山に入ったら、いきなり襲われたのだ。 何らかの意図があったのかもしれないが、アブソルを仲間に加えた喜びで、そんなことはとうに忘れていた。 だが、少女の言葉が本当だとしたら…… アカツキは少女に視線を戻した。 彼が思考を整えるのを待っていたように、少女は言葉を足してきた。 「わたしのお兄ちゃん……ラティオスを助けるために、この子にあなたを襲わせたの。 あのニンゲンからラティオスを取り戻すには、そうするしかなかったの。 あなたにケガさせて、あのニンゲンのところに連れてって、交換しようって…… あの、本当にごめんなさい。 この子から、あなたのこと聞いて、バカなことしたって思ったの。 悪いのはぜんぶわたしなの。だから、この子は責めないであげて。わたしの頼みだから、聞いただけ。それだけだから……」 「それって……」 アカツキは頭を思いきり殴り倒されたような衝撃を受けた。 アブソルは少女――少女の姿をしたポケモンに頼まれて、アカツキを襲ったのだ。 どうやら、あの時聞こえていた子供のような声は、少女のものだったらしい。もちろん、その時と今の声は違うが。 少女はアブソルにアカツキを襲わせ、囚われていた兄――ラティオスというポケモンを助けるつもりだったそうだ。 アカツキを差し出せば、ラティオスを捕らえていた人間も交換に応じてくれるだろうと考えてのことだった。 成り行きは分かったが、それはそれで分からないこともある。 アブソルに襲われたのが少女の差し金だったことには驚いたが、もう過ぎたことだ。今さらアブソルや少女を責める気にもなれない。 ただ、分からないことがある。 「あの人間って、誰のことなんだ?」 アカツキを差し出せば、ラティオスというポケモンが助かるというのなら、アカツキ自身に交換条件としての価値があるということなのだろう。 あいにくと、アカツキは自分が特別な人間だと思ったことはないし、交換条件の価値があると言われてもピンと来ない。 「それは……」 アカツキの問いかけに、少女は躊躇うような表情を見せた。 言いにくいことなのか……? 言いにくいなら、無理に言わなくてもいい。 言葉をかけようとしたが、先にアブソルが寂しそうな声で嘶いた。 アカツキには何を言っているのか分からなかったが、多分、気を遣っているのだろう。 「壁を見て……」 「……?」 噛み合わない言葉が少女から飛び出したが、アカツキは言われたとおり、右の壁に視線を向けた。 少女も同じように壁に向き直ると、瞳を輝かせた。 輝かせたというのは、比喩ではない。本当に瞳が輝いていたのだ。 ポケモンなら、人間の常識など通じないということだろう、 彼女の瞳から発せられた光が、壁に当たると、映画のスクリーンのように、壁に映像が映し出された。 「あっ……!!」 映し出された映像に、アカツキは愕然とした。 豊かな自然が残る森の中、といったところだろうか。 そこに、嫌でも忘れられない人がいた。 「リクヤさん……!!」 元マグマ団三幹部の一人、凄腕トレーナーのリクヤだった。 グラードン、カイオーガ復活の騒動の後、ポケモンリーグが血眼になって行方を追っていたが、結局は見つからなかったらしい。 彼らの目を掻い潜り、どこかに潜伏していたのだろう。 マグマ団を裏切った彼の後ろ姿を目の当たりにして、アカツキは喉がカラカラに渇いていくのを感じていた。 彼の傍らには、輝く宝石を戴いた台座が設けられ、宝石に寄り添うように、一体のポケモンが祈りを捧げていた。 「あれって……」 少女がポケモンになった時の姿と酷似していたが、赤い部分が青かった。 どうやら、そのポケモンが少女の兄……ラティオスという名前らしい。 ラティオスとリクヤの周囲を、サイドン、ミロカロス、キノガッサが囲んでいる。 ラティオスが逃げないように監視しているのだろう。 「あのニンゲンが……ラティオスをひどい目に遭わせたの。 このままじゃラティオス、死んじゃう……!!」 「ええっ!? それってどういうこと!?」 アカツキは驚愕に振り仰いだが、少女は映写機のごとく目から光を発したまま、テレパシーで言葉を返してきた。 いきなりリクヤの姿が映し出され、その後でラティオスが死んじゃうと言われても、意味が分からなかった。 「あの宝石には、願いを叶える力があるの…… その力を使って、あのニンゲンは何かするつもりらしいの。 だけど、ラティオスとわたしにしか、力を引き出すことができなくて……だから、お兄ちゃんは一人で……わたしを守るために」 「でも、なんでぼくなの? ぼくなんか差し出したって、リクヤさんがラティオスを解放するとは思えないけど……」 アカツキは首を傾げた。 リクヤは強い。目的のためなら冷酷になれるし、属していた組織でさえ簡単に捨てられる。 エントツ山では助けてくれたが、だからといって何の関係もないアカツキを交換条件として提示したところで、ラティオスを解放するとは思えない。 少女とアブソルの意図は的外れでしかないと思ったのだが、 「アカツキ、いるかい?」 ドアをノックする音と共にハヅキの声が聞こえてきた。 兄の声に、アカツキはびくっと身体を震わせた。 「に、兄ちゃん……?」 恐る恐る振り返る。 ドアの向こうには旅支度を済ませた兄が立っているのだろう。ドア越しでもその姿が浮かんでくる。 よりによってこんな時にやってくるなんて、偶然にしてもタイミングが悪すぎる。 壁にはリクヤの映像が映し出され、目から怪光線(?)を発する少女がいるのだ。 こんなところを見られたら……アカツキは何気に戦々恐々としていた。 どうやってごまかそうかと考えていたが、ハヅキは返事がないのをイエスと勝手に判断し、部屋に入ってきた。 「アカツキ、入るよ?」 言葉と共にドアが開かれ、予想通り旅支度を整えたハヅキが入ってきた。 こんな時に鍵をかけなかったのが呪わしいところだが、鍵などかけたら居留守も使えない。 「あ……」 部屋に入ってきたハヅキは、目から光線を発する少女を見て、呆然と立ち尽くした。 「兄ちゃん……」 見られた……目から怪光線の少女を見られた。 アカツキには、リクヤが何かを企んでいることよりも、そっちの方が気がかりでならなかった。 「えっと、これは……」 ハヅキは信じられないものを目にしたように、驚愕に目を見開いた。 見てみれば、彼の膝はガクガク震えて笑い出している。 真っ昼間から怪談に出くわしたようだった。 「いや、兄ちゃん……これにはいろいろ深い事情が……」 どう弁明すればいいのか分からず、アカツキはしどろもどろになってしまった。 少女とアブソルの事情をそのまま話していいものか。 ハヅキはしばらく呆然と少女を見つめていたが、少女が発する光の先――壁に映し出された映像を見て、さらに表情が引きずった。 「そ、そんな……なんで……!!」 「…………?」 ハヅキの瞳が驚愕に震えているのを見て、アカツキは訝しげに首を傾げた。 リクヤを見て驚いているのだろうが、どうしてそこまで驚いているのか……理解できなかったからだ。 ハヅキはグッと拳を握りしめた。 爪が食い込む痛みさえ心地良く思えるのだから、それだけ気持ちがグラグラ揺れているということだろう。 「一体これは何なんだ……なんで父さんが……」 「え……?」 アカツキは耳を疑った。 雷が落ちたような衝撃に、頭がまともに働かない。 聞き間違いではないかと思ってしまうような言葉だった。 「父さん……って?」 恐る恐る、壁に映し出されたリクヤに向き直る。 映像は映像ゆえ、触れることなどできないし、リクヤもアカツキたちに観られていることなど気づいてもいない。 少女……ポケモンは遠い場所の景色を映し出せる能力を持っているのだ。 これは幻でも過去の映像でもない。 現在起こっていることをありのままに映し出している映像なのだ。 「これは一体何なんだ……? なんで父さんが映ってるんだ……? アカツキ、どういうことなんだ?」 「え……?」 ハヅキは怒りに満ちた眼差しをアカツキに向けた。 こんなに怒りを露わにしている兄を見るのは初めてで、アカツキは戸惑いを隠しきれなかった。 だが、少女から伝え聞いた言葉をありのまま、ハヅキに打ち明けた。 話を聞くにつれて、ハヅキは落ち着きを取り戻していった。 弟が冷静にしているのに、なぜ自分がこんなにもカッカしているのかと思ったに違いない。 すべての事情を聞き終えて、ハヅキは納得したように深く頷いた。 「そうか……おまえのアブソルが、そんな風に関わっていたなんて……」 「うん。ぼくも知らなかった。彼女が話してくれたんだ」 「…………ごめんなさい」 「いや、いいんだ。あの人を止めようと思うなら、それも無理のないことだよ」 少女がテレパシーで謝ってきたが、ハヅキは驚くことなく、むしろ慰めるような口調で言葉を返した。 「……兄ちゃん?」 アカツキには意味が分からなかった。 どうして、ハヅキがリクヤを『父さん』と言ったのか。 ずいぶんと落ち着いているように見えるが、多分落ち着いてなどいないのだろう。 それだけは分かる。 「…………」 ハヅキは目を閉じた。 気持ちを落ち着けるように、胸に手を当て、深呼吸を繰り返す。 何度か深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けると、ハヅキは目を開き、アカツキをまっすぐに見つめた。 「な、なに……? そんなに改まっちゃって……」 戸惑う弟に、ハヅキは言い聞かせるように一言一句、区切りながら言葉をかけた。 「信じられないかもしれないが……僕が話すことはすべて事実だ。 そのつもりで受け止めて欲しい」 「え、うん……」 本当に、どうしてしまったのだろう? リクヤを見たかと思ったら、怒りを滲ませたり、そうしたかと思ったら落ち着いたり……いつものハヅキとは違う。 きっと、リクヤとの間に何かあったのだろう。 父さんと呼んだのは、そう思えるようなことをしてもらったからだろうと思ったが、ハヅキの言葉はアカツキの考えを容易く打ち砕いた。 「あの人は……リクヤは、僕たちの父さんだ」 「え……? どういうことなの?」 意味が分からない。 いきなり、リクヤは自分たちの父だと言われても…… 呆然と立ち尽くすアカツキに悲しげな目を向け、ハヅキは言葉を続けた。 「そこの彼女…… ラティアスがアブソルを使っておまえを襲わせたのは、おまえと引き換えなら、父さんがラティオスを解放すると考えたからだ。 そうとしか思えない……」 「え……それじゃあ……」 少女……ラティアスがアカツキと引き換えにラティオスを取り戻そうとしたのは、リクヤにとってアカツキが価値ある存在だと思ったから。 ……親子であると知っていたからだ。 ラティアスの言葉とハヅキの言葉。 どちらかだけなら、そんなのはウソだと思えただろう。 だが、両者が混じり合った時、アカツキにはウソだと思えなくなっていた。 「そんな、あの人がぼくたちのお父さんって……そんな、ウソでしょ?」 アカツキの言葉を浴びて、ハヅキは顔を上げた。 何とも言えない哀しみを湛えた瞳を、何も知らない弟に向ける。 そう…… 何も知らない。 知らされずに育ったのだから、そんな反応を見せるのは当然のことだ。 でも、それはすべて弟のためだったのだ。 繊細な心を傷つけないための小さな嘘。 でも、もう知らせなければならないのかもしれない。 ラティアス、アブソル……予期せぬ形で関わってきてしまったのなら。 ハヅキは意を決して口を開いた。 「嘘じゃないよ。あの人は……僕たちの父さんだ」 「そ、そんな……」 改めて肯定され、アカツキは言葉を失った。 「ぼくのお父さんは生きているか死んでいるかも分からないんじゃなかったの……?」 心の水面に一粒の水滴が落ちて、波紋が広がっていく。 小さい頃から、父は行方不明だと教えられてきた。 優しい母の言葉を疑ったことはなかったし、父親のいない生活は半ば当たり前だった。 だから、父がいない寂しさというものを感じることはなかった。 今さら名乗りを上げたところで、そんなことはどうでもいいと思っていた。 でも…… 「あの人がぼくたちのお父さんだなんて、そんなこと……」 今は解散したマグマ団の幹部にして、ポケモンリーグ・ホウエン支部を統率するダイゴにトレーナーの技術を教え込んだリクヤ。 それが自分たちの父親だったなんて。 素直には受け入れられない話であるが、ハヅキが嘘をついているとは思いたくない。思えない。 「母さんは……おまえには本当のこと話してなかったんだ。 理解するにはあまりに幼かったし……本当のこと話して傷つけたくなかったから。 前にも話しただろ? 僕が一年以上家に戻らなかったのはね、父さんを捜していたからなんだ。 手がかりを見つけて、追いかければ会えるかなって思ったけれど…… おまえの誕生日までに連れ戻して、会わせてやりたかった……でも、それはできなかった。 ごめんな、父さんを連れ戻せないような兄ちゃんで……」 ハヅキはありったけの気持ちをアカツキに伝えた。 それは痛いほど伝わったが、別の感情が湧きあがってきた。 「兄ちゃんの気持ちはうれしいよ。 でも、あの人がぼくのお父さんだなんて……!!」 アカツキは口を真一文字に結び、血が出るほどきつく歯を噛みしめた。 「どうしてなの!? あの人は、マグマ団の人たちを利用してグラードンを復活させて、用済みになったからって捨てて!! たくさんの人を巻き込んであんなことをしてきたんだよ!? そんな人がぼくのお父さんなんて……そんなの嫌だよ!! 兄ちゃん、嘘だって言って!! あの人はお父さんじゃないって!!」 アカツキは泣きじゃくった。 流れる涙を拭おうともしない。 ハヅキのことを責めようとは不思議と思わなかった。 黙っていたのは褒められたことではなくても、自分のためを思ってのことなら、それを責めるのは筋違いだと分かっている。 だけど…… 「ぼく、みんなにどう謝ればいいの? お父さんがあんなひどいことをして……そんなの、耐えられないよ!!」 低い嗚咽に阻まれて、それ以上は言葉にならなかった。 「嘘じゃないんだよ。 あの人が僕たちの父さん……母さんが世界で一番愛している人なんだよ。 どんなに悪いことをしても、あの人が僕たちの父さんであるってことは変わらないんだ」 ハヅキはたくましく成長した腕で弟の身体を包み込んだ。 そして、言葉で心を優しく包み込んだ。 どうしようもない現実。 どんな悪人だろうと、指名手配犯だろうと……彼が父親であるという事実は変わらない。 何をどうしても変わることのない、永久不変の事実だ。 それを素直に受け入れるには、アカツキの心はまだ幼すぎた。 ハヅキはもう少し経ったら……一年や二年が過ぎたら打ち明けようと思っていたのだ。 だが、リクヤはそんな兄心を見事に打ち砕いた。 ラティオスを使って何かをしようとしていた。 だから、ラティアスたちはリクヤを止めようとアカツキを拉致することを思いついた。 もちろん、それは不発に終わったが、結局は先延ばしに過ぎない。 父親でも、子供を傷つけるなど許せなかった。 結果的に弟を傷つけたことは相手が誰だって許せない。 震えるアカツキの背中を優しく擦りながら、ハヅキは言った。 「おまえの気持ちは分かるよ。 父さんがあんなことをして、僕も本当はみんなに謝りたい気持ちでいっぱいなんだ。 だけど、ダイゴさんはそんな僕に言ってくれたんだ。 『君の父親がどんな人間だろうと、彼は彼で、君は君なんだ』ってね」 「……?」 アカツキは水面のように潤んだ瞳をハヅキに向けた。 気のせいか、兄も、今にも泣き出しそうな顔をしているように見えた。 確かめる暇もなく、ハヅキは言ってきた。 「父さんがしたことをおまえが謝る必要なんてないんだよ。 おまえは知らなかったわけだし……おまえがそんなことをするの、誰も望んじゃいない。 おまえがおまえらしく生きることを願っているんだよ」 「ぼくがぼくらしく?」 「うん……」 兄と弟は向き合った。 少しずつ現実を受け入れ始め、アカツキは声を上げて泣くことをやめた。 ハヅキの言葉は嘘に思えないし、ダイゴが彼に言った一言が暖かく包み込んでいてくれるように思えたから。 どんなに否定しても、ハヅキはアカツキに「リクヤが僕たちの父だ」と言い続けるだろう。 だから…… 「おまえが父さんの罪を背負う必要なんてないんだ。 それに……今からだって遅くはないよ。 家族四人暮らすことだってできるはずなんだ。 僕はそれを実現したくて、今まで父さんのことを追ってた。 今でもそれが出来ると思ってる。 だから、あきらめたくない。 一緒に行こう。父さんを止めるんだ」 アカツキは頷くと、涙を拭いた。 「止めるって……お父さん、何かしようとしているの?」 震えた声で問い掛けると、ハヅキは悲しそうな顔をして首を縦に振った。 「父さんは何か、とんでもないことをしようとしている。 そのためにマグマ団を利用してたんだ。 僕には、何をしようとしてるのかは分からないけど…… ラティアスやアブソルがおまえを連れ去ってまでラティオスを助けようと思ってたくらいなんだ。 きっと、とんでもないことをしようとしてるんだろう。 だから、僕たちで止めよう? あの人を止められるのも、家族四人で一緒に暮らせるようにするのも、きっと僕たちにしかできないんだよ、アカツキ」 「うん……」 家族四人で一緒に暮らす。 その言葉に、アカツキの心は揺り動かされた。 今さら父など現れても愛情すら抱いていなかったはずなのに、どうして今は家族四人が揃って暮らすことを望んでいるのだろう。 答えは簡単だった。 本当は父に傍にいて欲しかったのだ。 一緒に暮らしたかった。 長い間父の温もりというのを忘れていたから、そうやって父親と暮らすということを望んでいないと思い込んでいるだけだった。 父への想いが氷解して、今は何が何でも親子として対面したい気持ちでいっぱいだ。 何か良からぬことを未だに企んでいるのなら、それを止めたい。 悪いことなんてして欲しくない。 たとえそれが自分たちのためになることだとしても。 「止めよう、兄ちゃん。 ぼくたちの力で……お父さんを」 「ああ」 リクヤを止める。 彼が自分の父親であると知ったから、なおさら止めなくてはならないと思える。 「いつ、ぼくのことを知ったんだろう……?」 七年以上も会っていない父親の顔など、アカツキは忘れてしまっていた。 リクヤはいつ、アカツキが自分の子供だと知ったのだろう。 名乗ったのは、エントツ山だ。 今思えば、ミロカロスを使って助けてくれたのは、アカツキが実の子であると理解したからだろう。 「でも、お父さんはどこにいるのかな……? 居場所が分からないんじゃ、どうしようもないよ」 「それなら大丈夫……」 「え?」 居場所が分からなければ、止めるに止められない。 そう思っていたが、少女――ラティアスはポケモンの姿に戻り、アカツキとハヅキにリクヤの居場所を告げた。 「ここから南に、小さな孤島があるの。 あいつはそこで、ラティオスを苦しめてる……何かしようとしてるの。 『心のしずく』を使って……」 ラティアスが言うには、人が寄り付かない絶海の孤島にリクヤはいるらしい。 そこでラティオスを使って『心のしずく』の力を引き出し、願いを叶えようとしているのだとか。 願いを叶える? 言われてもすぐには理解できなかったが、ハヅキが『心のしずく』に関する童話を話すと、アカツキはすんなりと理解できた。 『心のしずく』は、願いを叶える力を持つ神秘的な宝石で、その力ゆえ、昔から悪人に狙われ続けてきたという経緯がある。 ラティオスとラティアスの兄妹は『心のしずく』の力を引き出すことができる唯一のポケモンとして、同じく狙われ続けてきた。 ここ百年ほどは落ち着いていたそうで、アブソルや他のポケモンたちと、孤島で慎ましく暮らしていたそうだ。 穏やかな暮らしに終止符を打ったのは、リクヤだった。 どこから嗅ぎつけてきたのか、孤島に乗り込んできて、ラティオスを捕らえてしまった。 ラティアスたちは抵抗したが、リクヤの屈強なポケモンの前に屈するしかなかった。 そこで、アブソルにアカツキを襲わせ、ラティオスと交換してもらおうと考えていたのだ。 「でも、あれからだと何ヶ月もあるけど……」 トクサネシティで襲われたのは、何ヶ月も前のことだ。 リクヤにしては時間をかけすぎている。 アカツキが疑問に思うのも無理はなかったが、経緯を理解しているラティアスの口から、真実が語られた。 「それは、グラードンの力が必要かどうか見極めていただけ。 そのために時間をかけてた。 だけど、その後はわたしが逃げ回っていたから、ずっと追いかけていたの。 わたし、何があってもラティオスを助けたかったから、一度あの島に戻ったんだけど…… 捕まりそうになって、逃げ出して……ここに来たの。 あなたに、助けてほしくて……」 「そうだったんだ……」 ラティアスは元からアカツキに助けを求めるつもりだったらしい。 仲間であるアブソルを従えたトレーナーなら、事情を理解してくれる……そう信じて。 アカツキはラティアスたちの事情を理解して、なおさらリクヤを止めなければならないと思った。 リクヤは『心のしずく』を使って願いを叶えようとしている。 どんな願いを抱いているのかは分からないが、ラティオスだけでは『心のしずく』から力を引き出しきれない。 そればかりか、過剰な負担がかかって、最悪の場合、ラティオスが死んでしまうことにもなりかねない。 ポケモンの命を散らしてまで叶えたい願いなど、あってたまるか。 「ラティアス。ぼくたちがお父さんを止めるよ。 だから、案内して」 「ええ、分かったわ」 アカツキの言葉に頷くと、ラティアスは音もなく窓の外に移動した。 「アブソル、戻っててね」 アカツキはアブソルをモンスターボールに戻すと、窓辺に移動して、チルタリスをボールから出した。 「チルタリス、ぼくを乗せて」 言葉が終わるが早いか、アカツキはチルタリスの背に飛び乗った。 突然のしかかってきた重さに、チルタリスは顔をしかめたが、すぐに慣れたようだ。 ハヅキも同じように、空を飛べるポケモン……フライゴンを出してその背に乗った。 「よし、行こう!!」 ハヅキの声にラティアスは頷き、進路を南に取った。 彼女の後を追いかければ、リクヤのいる場所にたどり着ける。 「絶対に止める……!!」 アカツキはグッと拳を握りしめ、何がなんでも父親を止めると固く誓った。 しかし、そんな決意を砕くような声が、空から降ってきた。 「お〜い、どこに行くんだ〜?」 「え……!?」 頭上を振り仰いでみれば、トロピウスに乗ったユウキとハルカが、笑顔で手を振っていた。 第98話へと続く……