第98話 南の孤島〜それぞれに想うこと 「ユウキ、ハルカ……」 動きを止めたチルタリスと、ハヅキのフライゴンに接近してくるトロピウス。 その背にまたがっていたのは、ユウキとハルカだった。 アカツキが驚いた表情で見上げると、二人して『してやったり』と言わんばかりの表情を見せた。 トロピウスを横付けすると、ユウキはアカツキとハヅキが抱えている事情など知らんと言わんばかりに気安い口調で訊ねてきた。 「おいおい、どうしたんだ? チルタリスとフライゴンでレースでもしようってのか?」 「え……いや、そういうわけじゃないんだけど……」 どうやら、ユウキにはそう見えたらしい。 何も言わないところを見ると、ハルカもきっと同じなのだろう。 何も知らずに向けてくるニコニコ笑顔が、心に痛い。 アカツキは顔をしかめると、助けを求めるようにハヅキの方を向いた。 「どうやってごまかそう……? いくらなんでも、素直には言えないよ……」 いくらなんでも、ユウキとハルカに正直なところを話せるはずがない。 リクヤが……自分の父親が、ラティオスを使って何かをしようと企んでいるなど。 自分の父親が、元マグマ団の幹部であることなど。 アカツキの懇願するような眼差しを受け、ハヅキは機転を利かせた。 「レースじゃないんだよ。 ちょっと競うように見えたんだろうけどね。 僕たち、ちょっと向かうところがあってね」 「そうなんだ……」 ユウキにこちらの事情を悟られぬために平静を装っていても、ハヅキの胸中は穏やかなものではなかった。 彼もまた、この場をさっさと切り抜けて南の孤島へと向かわなければ……と思っていたからだ。 「で、用件は?」 「用件って……つれねえなあ、ハヅキの兄貴〜。 ホウエンリーグが終わって一段落ついたんだから、ミシロタウンに一緒に戻らないかって思って。 どうせ、そうするつもりなんだろ?」 「まあ、そのつもりだけど、今はちょっと用事があるんだ。 な、アカツキ?」 「うん……」 ハヅキとアカツキは口裏を合わせたが、明らかに普段の二人と様子が違うので、これは何かあるに違いない……ユウキは確信した。 「そっか〜、そうなんだ〜」 棒読み口調で言うと、アカツキたちの前で困った表情をしているラティアスに目を向けて――驚いた。 「ををっ!! あれってオレの知らないポケモンじゃん!! 早速図鑑、図鑑……っと」 さすがのユウキも、ラティアスは知らなかったらしい。 キラキラ輝いた眼差しとポケモン図鑑のセンサーを向けられ、ラティアスは困惑しきっていた。 「ねえ、この人たち誰?」 アカツキとハヅキにテレパシーで話しかける。 何やらヘンテコな機械を向けてくる少年と、好奇心むき出しの少女。 アカツキとハヅキの知り合いというのなら、悪いニンゲンではないのだろうが、それでもやはり警戒心は隠せない。 ラティアスが警戒心を剥き出しにしているのを見て、トロピウスが声をかける。 「ごぉぉん……」 しかし、ラティアスはまるで聞く耳を持たなかった。 今は立ち止まっている場合ではない。 ラティオスの命がかかっているのだ。一刻も早く南の孤島へ向かわなければならないというのに…… 「ぼくの友達。 悪い人じゃないから、怖がらなくていいよ」 「じゃあ、さっさと煙に巻いて、行きましょうよ」 「うーん、それはそうなんだけど……」 アカツキの煮え切らない対応に、ラティアスは焦りと苛立ちを募らせた。 アブソルが付き従ったから、実力者だと思っていたのだが……それは買いかぶりすぎだったのか? ラティアスがイライラした雰囲気を撒き散らしているのを見て、ハヅキが脳裏に言葉を思い浮かべた。 「少しだけ時間をくれ。なんとかこの二人を撒く」 「分かったわ……」 ラティアスをなんとか黙らせたところで、ハヅキはユウキに言った。 「悪いね、ユウキ。 僕たち急いでいるんだ。 後でこのポケモンのことを教えてあげるからさ。今は通してくれないか?」 「ん〜、その割には二人してなんか隠してるだろ?」 「え、なんで分かったの?」 「こら、アカツキ!!」 ハヅキの言葉にカマをかけるユウキ。 引っかかったのは当然と言えば当然か、アカツキだった。 ハヅキが慌てて弟の口を抑え、愛想笑いを浮かべたが、遅すぎた。 まさか、こんな手に引っかかるなんて……兄が兄なら、弟も弟ですごく後悔していた。 カマをかけられて引っかかるなんて。 だが、手遅れである以上は、差し障りない程度に話すしかあるまい。 ハヅキはそう心に決めて、打ち明けることにした。 「ユウキ、僕は一年近くミシロタウンに戻らなかった」 「うん、分かってる。なんかやろうとしてたことがあったんだろ? 母さんがそう言ってたぜ?」 確かにそれは間違っていない。 カリンはアカツキの家の事情を知る、数少ない一人なのだ。 リクヤのことはもちろん知っているし、彼がマグマ団に属していたことも知っている。 だが、それをアカツキとユウキには一度も話したことがないだけだ。 「実は、僕は行方不明になってた父さんを捜していたんだ。 それで、見つかったから会いに行こうと思って……」 「そうだったんだ……」 「でも、良かったね」 道理で急いでいるはずだ。 ユウキはハヅキの言葉に納得し、ハルカはニコッと微笑んだ。 二人とも、アカツキとハヅキの父親が行方不明になったという話は知っているのだ。 「そっか、止めて悪かったよ」 「いや、分かってもらえたらいいんだ」 謝るユウキに、ハヅキは頭を振った。 少し回り道になってしまったが、『シコリ』を残さないようにできたのだから、それで良い。 しかし、ユウキはあいにくとアカツキほど単純な思考の持ち主ではなかった。 「でさ、そのポケモン、見たことないんだけど」 「いや、だから後で教えるから……」 さすがは研究者を目指しているだけのことはある。 見たことのないポケモンだと、ラティアスに目をつけた。 その目のつけどころを、もっと別のところに回して欲しいんだけど……ハヅキはそう思ったが、 「ラティアスって言うんだ。 ぼくもさっき初めて見たんだけど、結構すごいポケモンなんだよ。 目から光を出して、映写機みたいに映像を映し出したりできるんだ」 アカツキが一から十までラティアスのことをしゃべってしまった。 ハヅキは余計なことを……と思ったが、ユウキを手っ取り早く納得させる手段なのだと気づくと、何も言えなかった。 「へえ……なるほど、図鑑でも認識しないわけだ」 ユウキはポケモン図鑑の液晶に視線を落とした。 『UNKNOWN』と表示されている。 生体反応からポケモンであるとの認識は示しているようだが、データとして登録されていないポケモンらしい。 これはますます気になってきた。 このポケモンのことを調べて持ち帰れば、両親も喜ぶだろう。 そう思い、ユウキは一計を案じた。 「なあなあ。 オヤジさんに行くんだったら、オレたちも連れてってくれよ。 オレ、オヤジさんにはすっごく世話になったんだ。 無事にしてるんだったら、会いたいんだ」 「あたしも会ってみたいな。二人のお父さんってことは、きっとすごい人なんだよね?」 「…………」 「…………」 ユウキが予想以上に素早く手を回してきたものだから、これにはアカツキはおろか、ハヅキまで打つ手がなくなってしまった。 さすがに研究者の息子だけのことはある。両親から受け継いだ知能指数はいかほどか。 「どうするの?」 ラティアスも困ったような顔を向けてきた。 「しょうがない……」 こうなった以上は、こちらとしても腹を括るしかない。 ある程度ついてきてもらい、途中で煙に巻けばいい。 「分かったよ。 でも、父さんは今すごく忙しいらしいから、そんなに長居はできないんだけどね。それでもいいなら……」 「オッケー、決まりだなっ」 『してやったり』と、ユウキは満面の笑みを湛えた。 「本当にいいの? この人たち、何も知らないよ?」 ユウキとハルカが無邪気に喜ぶのを見て、ラティアスも観念した。 余計なお荷物がついてくるハメになったが、時間には代えられないということだ。 「でも、ユウキとハルカだったら、事情を知っても、何も言わないと思うよ。 ぼくは友達だから……よく分かるんだ」 「そう……なら、いいけど」 アカツキがそこまで言うなら、それで構わない。 ただ、どうなっても知らない。 「時間を無駄にしてしまったわ……行こう!!」 ラティアスは嘶くと、南の孤島目指して飛び立った。 アカツキたちも、急いで彼女の後を追った。 いつの間にか、空には灰色の雲が重く垂れ込めていた。 その変化に気づいたのは、孤島に降り立ち空を見上げた時だった。 サイユウシティの南――ホウエン地方南東部の洋上にポツリと浮かぶただひとつの島。 誰の目にも無人島と明らかな島だ。 「チルタリス。ごくろうさま。ゆっくり休んでて」 アカツキはサイユウシティからここまで全速力で飛んだチルタリスに労いの言葉をかけると、モンスターボールに引き戻した。 ハヅキとハルカも、ここまで飛んできたポケモンをモンスターボールに戻した。 垂れ込める灰色の雲。 それでも暗く感じないのは、島の中央部から淡い光の柱が立ち昇っているからだ。 空の青さが少し褪せたような色の光が、中空まで立ち昇っていた。 ラティアスが迷わずにこの島にたどり着いたのも、その光が発する波動をキャッチしてのことだった。 とはいえ、無人島である。 「ねえ、本当にこの島にアカツキのお父さんがいるの?」 「なんか、あんまり来たい場所じゃないよな……」 島を取り巻く奇妙な雰囲気に、ハルカとユウキが顔をしかめる。 事情を知らないのだから、当然と言えば当然だが、アカツキもハヅキも、何から何までしゃべる義理などない。 適当に煙に巻こうと考えているのだから、なおさらだ。 しかし、アカツキも不安になった。 明らかに無人島だ。こんなところに父親がいると言われて、素直に信じられる方がどうかしている。 浮世を離れて仙人になったかと笑われてもおかしくないくらいだ。 「この島にお父さんがいるんだね……」 「そのはずだけど……」 唾を飲み下しつぶやくが、ハヅキは周囲を忙しく見回した。 空から見た限り、生い茂る森に覆われた、何の変哲もない島。 「あの人がぼくのお父さん……だから、ぼくたちが止めなきゃいけないんだ」 アカツキはぐっと拳を握りしめた。 リクヤが何かを企んでいるのだとしたら、それを止めなくてはいけない。 これ以上罪を重ねて欲しくないのだ。 息子として、父親を止めなければならないのだ。 そうしなければならない。 義務と言ってもいい。 「この島、結構広そうだけど……」 空から見下ろす分には少し広い運動場程度かなと思っていたが、とんでもない。 孤島などと言われている割に、数百メートル四方ほどの広さがあるのだ。 中央部には島の半分以上の面積を占める森が広がっており、その中に隠れられたら、捜すのはかなり骨が折れるだろう。 「それでも、父さんはこの島にいる。ラティアスがそう言っているんだから、間違いはないよ」 弱気になっているような弟の肩に手を置いて、ハヅキは明るい口調で言った。 何があってもあきらめるつもりなどない。 それはアカツキだって同じはずだ。 小さい時からそうだった。 何もせずにあきらめるということが一番嫌いな男の子。 だから、少し不安になっているだけなのだ。 弟くらい励ませないようでは、兄として失格。 自分がしっかりしなければならないのだ。 ハヅキがアカツキを励ましているのを見て、ユウキは釈然としないモノを感じずにはいられなかった。 「なあ、疑うワケじゃないんだけど、兄貴たちの親父さん、ホントにこの島にいるのか? 人が住むような場所じゃねえぞ?」 「そうよねえ……なんか、肌寒いし、不気味だわ……」 ユウキの言葉に、ハルカはその通りと言わんばかりに、腕を擦りながら周囲を見渡した。 雲が重く垂れ込めているせいもあるのだろう……緑豊かな森も、どこか時の流れに色褪せ、不気味さを増しているように見える。 「彼女……ラティアスが、父さんがここにいることを僕たちに教えてくれたんだ。 僕たちはラティアスを信じている。 ……それだけだよ」 ハヅキはラティアスに微笑みかけると、それ以上は言わなかった。 自分たちの父親が、ポケモンリーグに追われている指名手配犯であることや、 グラードン・カイオーガ復活の騒動に関わっていたことなど、わざわざ口にする義理はない。 いや、それ以前にそんなことは知られたくなかった。 ハヅキの気持ちを察して、アカツキは口を真一文字につぐんだ。 先ほどはつい口を滑らせてしまったが、次はない……少なくともそう思っている。 「ユウキは、疑ってる……」 疑っているわけではないが、と前置きなどしているが、すでに疑っているのが声音で察せられる。 これでも、長年親友などやってはいないのだ。 「…………」 答えになっていない回答に、ユウキは顔を背けた。 きっと、込み入った事情があるのだろう。 他人が興味本位で人様の家庭の事情に入り込んでいいものではない。 それでも、いつか時が来たら打ち明けてくれるに違いない…… ユウキはそう結論付け、アカツキとハヅキのためにも彼らの父親を捜すのを手伝おうと思った。 しかし、リクヤを追いかけているのはアカツキたちだけではない。 ポケモンリーグも、血眼になって捜しているのだ。 そう、たとえば…… 「それより、そのラティアスって一体どんなポケモンなんだ? なんで親父さんのことを知ってるんだ?」 見ず知らずのポケモンがそこまで深い事情を理解しているとはとても思えず、ユウキがダメ元で訊ねようとした時だった。 バサ、バサ、バサッ…… いくつもの羽音が重なって聴こえてきた。 突然の羽音に慌てて振り向くと、ダイゴ率いるホウエンリーグ四天王がそれぞれのポケモンに乗って舞い降りてくるではないか。 「な、なんでダイゴさんたちが……!?」 口を噤んでいようと決めていたはずなのに、予想外から差し込まれた事態には脆かった。 アカツキは眼前に降り立ったダイゴたちに驚愕の表情を向けると、震えた声でつぶやいた。 「…………」 ハヅキは黙って最先頭に立つダイゴを睨みつけるも、ホウエンリーグ・チャンピオンの青年は表情一つ変えない。 緊迫した雰囲気が、ダイゴたちとアカツキたちの間に流れる。 そんな雰囲気を中途半端に砕いたのは、事情を知らないユウキとハルカだった。 「確かあんた、ダイゴさんとかって……」 「あ、そこのおじいさん、ホウエンリーグ四天王の……えっと、確かゲンジさん?」 「久しぶりだね、ユウキ君」 「うむ。そういうキミはホウエンリーグに出ていたね。確か、ハルカと言ったか」 話しかけられたのを端緒に、雰囲気を和やかにしようと思っているのだろう。 ダイゴとゲンジはにこやかな笑みを浮かべながら言葉を返したが…… 半裸とまでは行かないが、かなり際どい服装の四天王――フヨウがハヅキの姿を認め、瞳を輝かせた。 「あーっ、ハヅキじゃ〜ん!! ここにいるってことは、あたしを待っててくれたってことだね〜っ? いや〜ん、もうその気なんてないって言っといて、ホントはあたしに会いたかったんだね? わ〜い!!」 言い終えるが早いか、場の雰囲気を容易くぶち壊し、ハヅキに抱きついたではないか。 一瞬で間を詰められ、逃げる暇さえなかった。 「うわぁぁぁぁっ!!」 ハヅキは絶望にも似た感情を浮かべ、フヨウに押し倒された。 避けたり、逃げたりすることはできなかったようだ。 弟には大きな顔を見せている兄貴も、フヨウの前では赤子のように為されるがままになっている。 「…………」 「…………」 一体ど〜なってんだ? 精一杯嫌がっているハヅキに対し、ぐりぐりと何やら嫌らしい想像を掻き立てるような仕草を見せるフヨウ。 満面の笑みには、悪気などというものはカケラほども感じさせなかった。 ハヅキとフヨウの間にある何とも言えないアンニュイなものを知らないユウキとハルカは、 ただ呆然と二人のやり取り(?)を見ているしかなかった。 全員の視線が集中するのも構わず、フヨウはハヅキ相手にいかがわしい行為に及ぼうとしていた。 一分、二分…… 時間が経っても何も変わらない。 さすがにこのままでは時間を無駄にするだけと思ったのか、ダイゴはアカツキに顔を向け、口を開いた。 「どうして僕が四天王を引き連れてここにいるのか……それを聞きたいんだろう?」 「……ぼくたちの後を尾けてきたんですか?」 「ああ、悪いがそうさせてもらった。 ポケモンリーグに追われていると分かっている状況なら、リクヤが接触してくるとしたら君たち以外には考えられなかったからね。 もっとも……そのラティアスが君たちをリクヤの元に案内しようとしているようだけど」 アカツキのどこかトゲの刺さった問いに、悪びれる様子もなく頷く。 チャンピオンの立場からしたら、リクヤにつながるものは見逃せないのだろう。 アカツキとしても、彼の立場は理解しているつもりだが、だったら先に言ってもらえたら……少しは違っていたかもしれない。 アカツキとダイゴとの間に流れ始めた不穏な空気を察して、ユウキが言葉を継いだ。 「ホウエンリーグ四天王……ってことは、ダイゴさん。 あんたはホウエンリーグのチャンピオンなのか?」 「ああ、そうだ。隠すつもりはなかったが……特に話す必要もなかったからね。今まで黙っていたんだよ」 「ええっ、うっそーっ!!」 ダイゴの告白に、ハルカが素っ頓狂な声を上げる。 ホウエンリーグ四天王を引き連れている存在など、彼らより上の立場の人間……チャンピオンしかいないのだ。 ジムリーダーをも上回る実力の持ち主である四天王は、ハルカにとって憧れの存在と言っても良かった。 その憧れの人たちが四人勢ぞろいしている。 ……まあ、そのうちの一人はハヅキ相手に何やら楽しんでいるようだが、それはさておいて。 「……アカツキたちの後を尾けてたって? やっぱり、事情があるのか?」 「ああ……その様子だと、君たちは知らないようだね。 ちょうどいい機会だから、僕たちがここに来ることになったいきさつも交えて話そう。 どちらにしても、時間はそんなに残されていないようだ」 ダイゴは頷くと、黄色い悲鳴を上げているフヨウを一瞥した。 「フヨウ、それくらいにするんだ。僕たちは遊びに来たわけじゃない」 「は〜い」 強い調子で窘められ、これ以上はやる気が失せたのだろう。 フヨウが渋々離れると、ハヅキはここぞとばかりに彼女と距離を取り、アカツキの斜め後ろに陣取った。 何かあったら弟を押し出して盾にしようという魂胆がバレバレだったが、それについては誰も苦言を呈さなかった。 「……アカツキ君、ハヅキ君。 リクヤに会うなら、この二人も事情を知ることになる。 それを前提に、話をさせてもらうが……構わないかな?」 「はい……」 前提に、と控えめな言い方こそしてみせたが、どちらにしろ知ることになるのだから今のうちに話しておく……と言っているのだ。 人の上に立つ人というのは、ややこしい言い回しが好みらしい。 ……などと皮肉めいたことを思いながらも、アカツキとハヅキは真剣な表情で頷いた。 ユウキもハルカも、二人して複雑そうな顔をしているのを見て、並大抵の事情ではないのだろうと思った。 とりあえずは事情とやらを聞いてからだ。 それから、ついていくか、ここで手を引くか、選ぶのも遅くはない。 二人がそれぞれに胸中を固めていると、ダイゴが説明を始めた。 「僕たちが追いかけているのは、とある組織のメンバーだった男だ。 ……そう、アカツキ君とハヅキ君の父親。名前はリクヤという。 属していた組織は壊滅したが、彼は組織が遺した資料やデータから、とあることを成しとげようと行動しているらしいんだ。 内偵を進めていたんだが、思うように相手が尻尾を見せなくてね…… 接触してくるとしたら、息子であるアカツキ君とハヅキ君。 そう踏んで、二人の動向に気を配っていたというわけだ。 彼自身は動かなかったが、ラティアスなんて珍しいポケモンが動いているのを見ると、恐らくは彼に関係することではないかと思ってね。 それで後を尾けたんだけど、その様子だと大当たりだったようだ」 リクヤが属していた組織がマグマ団であるということや、彼が所属していた組織を裏切ったこと、 マグマ団がグラードンを復活させようとしていたなどという裏の事情は伏せておいた。 いくら事情を説明すると言っても、これくらいの配慮は必要だろう。 オブラートな表現でまとめられた説明を聞いて、ユウキとハルカはようやく合点が行った。 「そっか……」 小さくため息をつき、真剣な表情の親友に目をやる。 「道理でさっき余所余所しい態度見せてたんだな……」 「隠すつもりはなかったんだけど、ユウキたちを巻き込みたくなくて……」 「……だろうな」 アカツキはたどたどしい口調で弁明したが、ユウキは彼を責めるつもりなどこれっぽっちもなかった。 ハルカも同じである。 人には言えない事情というのは、誰にもあるものだ。 ユウキだって、数年前に知り合いの家で赤っ恥をかいたことがある。 それは誰にも知られたくないと思っているが、そういうのと、大差ないのだろう。 「ユウキ、ハルカ。 できれば、ここで帰ってくれないか。 これは僕たちの問題で、君たちが関わるべき問題じゃない」 ハヅキは二人の顔を正面から見据え、堂々とした口調で言った。 事情を伏せていたから、二人はここまでついてきてしまった。 そう……その時に、強引にでも振り切っておくべきだった。トロピウスにダメージを負わせることになろうとも。 今からでも遅くない。深く知られてしまう前に、帰ってもらうしかない。 アカツキは口にこそ出さなかったが、ハヅキと同じことを考えていた。 しかし、事情を知ったからこそ、なおさら付き合わなければならないと、ユウキは思っていた。 ハヅキはともかく、アカツキは父親のことで心を痛めているはずだ。 こんな時だからこそ、支えになるのが親友というものだ。 押し付けがましい感情だとは思うが、見返りなんて一切求めていない。 「悪いな、兄貴……」 ユウキはお手上げのポーズを取ってみせた。 「そうと分かったら、なおさら引くワケにはいかねーよ。 はいそうですかってサヨナラするのも悪くないんだろうし、ホントはそうするべきなのかもしれねえけど、 だからってアカツキだけに負担かけるわけにもいかないだろ」 「そうよ……どんなことがあったって、アカツキのお父さんはお父さんなんでしょ? だったら、あたしたちが一緒についていくべきじゃない」 「…………」 ユウキに続いて、ハルカまで一緒に行くと言い張った。 二人の表情は真剣そのもので、好奇心や冗談など一部とて割り込む余地はなかった。 「ユウキ、ハルカ……」 いろいろと辛い事実を知ることになるかもしれない。 その時に、親友として支えたい…… そんな気持ちが二人の真剣な表情からにじみ出ているような気がして、アカツキは強く言葉を返すことができなかった。 「止めるだけ、無駄だとは思うが……どうするかね?」 アカツキとハヅキが考えをめぐらせていると、決意を促すように、ゲンジが言ってきた。 カゲツはやれやれと言わんばかりに嘆息するが、仏頂面のプリムに睨まれ、素知らぬフリをした。 フヨウはどうでもいいと思っているらしく、欠伸など欠いている。 アカツキは…… 「…………」 ここまで来た以上、もう引くことはできない。 どんなに辛くても、逃げ出すわけにはいかないのだ。 ユウキとハルカは、そんな自分を支えようとしてくれている。彼らの気持ちを無下に扱うことなど、残念ながらできそうにない。 アカツキは顔を上げ、小さく頷いた。 「うん、分かった」 「よし、やっぱ分かってくれると思ってたぜ」 「頑張るからね」 ユウキがアカツキの手を取ると、ハルカが彼の手の上に自身の手を重ねた。 何が待っていようと、支えていくという決意の表れだった。 三人の強い結束を目の当たりにして、ハヅキも野暮なことは言えないな、と観念した。 ダイゴはハヅキが向けてきた眼差しを許可と受け取り、話を進めた。 「どうやら、リクヤはこの島に潜伏しているらしい。 ラティアスには、遠くの景色を映し出せる能力がある。 恐らく、アカツキ君とハヅキ君はそれを見て、ラティアスがここに導いたのだろう」 見事な推理に、ハヅキは頷いた。 アカツキの部屋で起きた出来事をそこまで正確に言い表すからには、ラティアスのことをそれなりに調べていたのだろう。 伊達にチャンピオンなど務めてはいない。 「そうなると、リクヤが潜伏しているのは中央部の森だろうね。 あの光の柱……その下にいると見ていいだろう」 中空まで立ち昇っている光の柱は、何らかの兆候だ。 だとしたら、リクヤはその真下に位置する森の中に身を潜めていることになる。 その意見にはアカツキも賛成だったのだが、 「フヨウ。あの辺に何か感じるかい?」 ダイゴが光の柱を指差して、フヨウに話を振った。 「んー……」 フヨウは背伸びしたり飛び跳ねたりしながら、森から立ち昇る光の柱に目を向けた。 彼女はゴーストタイプのポケモンの使い手らしく、不思議な感覚の持ち主だった。 霊験新たかな送り火山で修行したことがあったのも、彼女の感覚を鋭く研ぎ澄ましているのだろう。 「……どうなのですか?」 三十秒以上経っても何の答えも返してこないことに業を煮やし、プリムが語気を強めた。 ヒステリックに怒鳴られるのは嫌だったので、フヨウは感じたままのことを口にした。 「なんだか嫌〜な感じだね。 あそこに直接飛んでいければいいんだろうけど、なんか無理な感じ」 「無理な感じ?」 「うん。あたしのヤミカラスが嫌がってたし……たぶん、飛んでったりするのは無理だと思うよ」 「確かにそうだな……どうする、兄貴?」 カゲツも含むところがあったらしく、フヨウの言葉を肯定すると、ダイゴに顔を向けた。 「ふむ……」 ダイゴは二人の意見を勘案した上で、対策を練ることにした。 リクヤが部外者――特に自分を血眼になって捜しているであろうホウエンリーグ四天王+ダイゴに対する策を練っていないとは考えにくい。 そうなると…… 「下策だが、やるしかないか……」 裏を読むか、逆に読まれるか。 極端な話、どちらかでしかないのなら、やれるだけのことはやってみよう。 「では、こうしよう。 下策で申し訳ないが、リクヤがどんな罠を張っているか分からない以上、一丸になって進んでいくのは危ない。 よって、戦力を三つに分けて、別々の方角から光の柱の源へ向かうとしよう」 ダイゴが考えた末に導き出した方策に、全員が小さく頷く。 ユウキとハルカ以外は、リクヤが狡猾な策をめぐらせる策士であると理解しているが、 二人に限っては詰めを誤らないように慎重を期すためだと思っていた。 「九人だから……」 アカツキは一同の顔を見渡した。 自分を含めた子供四人を除けば、ホウエンリーグのチャンピオンと四天王。 敵に回すと恐ろしいが、肩を並べて戦うとなると、これ以上に頼りになる存在もいないだろう。 いくらリクヤが罠を張り巡らせていると言っても、一人でダイゴたち五人を相手にするのは苦しいはずだ。 「これなら、お父さんを止められるかもしれない……ラティオスも助けられる……」 自分たちだけだったら、できるかどうかも分からなかったが、ダイゴたちの存在はアカツキに安心を与えた。 「三人ずつ分けるんですか?」 先にハヅキが言葉にしたが、ダイゴは頭を振った。 「どうしてですか?」 人数で割った方が早いと思っていたアカツキは、意外そうに首を傾げたが、 「有り体に言おう。 三人ずつに分けるとすると、どこかに戦力の偏りが生じてしまうんだよ。 戦力のネックが君たち若手であることを考えると、そこを突かれると苦しくなる。 そこで、僕は提案したいんだが……」 ダイゴは包み隠さず、思っていたことを口にした。 戦力的に足枷だと言われ、さすがにアカツキたちはムッとしていたが、それは仕方のないことだった。 ホウエンリーグのチャンピオンと、四天王。 どう考えても、実力的に釣り合いは取れまい。そう言われるのも致し方ないことだ。 「ゲンジ殿とフヨウ、カゲツとプリムでタッグを組んでくれ。 僕と君たちで組む。 三グループに分けて進んでいこう。 自慢するわけじゃないが、僕ならネックをカバーできる。 リクヤも恐らくは僕たちを狙ってくるだろうから、その分ゲンジ殿たちが動きやすくなる」 「うむ……それしかあるまいな」 「そうですわね」 ダイゴの提案に、四天王は賛成の意向を示した。 ネックが一箇所に集中していれば、逆に他のメンバーの融通が利く。 そこのところの意味合いはアカツキたちも理解したようで、特に異論は出なかった。 「じゃあ、それで行こう」 相手の手の内が分からない状態で戦力を分けるのは下策だが、一丸になって進んで、みんなまとめて罠に嵌っては意味がない。 「ラティアス、君は僕たちと来てくれ。 アカツキ君やハヅキ君と離れるのは、君としても本意ではないだろう」 ラティアスは素直に頷いた。 彼女が救助者として選んだのは、アカツキとハヅキだ。 ならば、彼らと共に行くのが道理というものだろう。 方針がまとまったところで、すぐに行動しなければならない。 「お父さんだって、ラティアスが逃げたことは分かってるはずだし……」 ラティアスがいなくてもどうにかなるのかもしれないが、それではラティオスの命が危ない。 そこまで考えた上で、万が一ラティアスを逃がしたのだとしたら…… 「時間がない……!!」 ラティオスを助けなければ……そして、リクヤを止めなければならない。 アカツキは使命感に似た想いに突き動かされ、誰よりも先に駆け出していた。 「おい、アカツキ!! 先走るな!!」 慌ててハヅキたちが追いかけたが、アカツキは足を止めなかった。 立ち止まって論じている時間などないはずだ。 方針が決まったのなら、なおのこと。 アカツキたち四人が正面から森に入っていくのを見て、ダイゴたちは困ったような顔を向け合ったが、彼らの表情には笑みが浮かんでいた。 「行動開始(ミッション・スタート)だ、みんな」 『OK!!』 ダイゴの号令に四天王は頷き、それぞれのルートから森へ突入した。 最後に、ダイゴは空に立ち昇る光の柱を凝視した。 ……先ほどよりもその輝きが増しているように見えるのは、果たして気のせいか? 「…………」 どちらにしても、自分たちのやるべきことは変わらない。 リクヤを止めること。 ダイゴは決意を胸に、森へ突入した。 暗く淀んだ森は、湿気をふんだんに帯びた生温い空気に満ちていた。 「……なんか、あんまり来たい場所じゃねえな」 ジメジメした空気が肌に張り付く嫌な感覚に、ユウキが顔をしかめながら言った。 「だったら、今から帰るかね?」 「いや、冗談だよ……」 先頭を行くダイゴが振り返りもせずに痛烈な皮肉を口にしたものだから、ユウキは頭を振った。 ホウエンリーグのチャンピオンと言えば、ホウエン地方最強のポケモントレーナーと言っても差し支えない存在だ。 そんな彼の背中には、余裕らしい余裕がまるで感じられなかった。 ジメジメした空気のせいなのか、それとも別の理由があるのか…… 捜している相手がダイゴ以上の使い手であることを知らないユウキには、彼の真意を確かめる術はなかった。 どこか凝り固まった嫌な雰囲気を打開しようと、ハルカは思い切ってラティアスに訊ねた。 「でも、ラティアスはここで暮らしてたんでしょ?」 「うん。だけど、前はこんな嫌な空気じゃなかった……あいつのせいで、この森は変わってしまったわ……」 「…………」 雰囲気が和らぐどころか、余計に重苦しさを増した。 ラティアスはダイゴやユウキ、ハルカも心許せる相手であると悟り、テレパシーの通話範囲を広げてくれた。 それでもわざわざ質問を口にしたのだから、ハルカなりにこの雰囲気に耐えかねていたのかもしれない。 少なくとも、彼女からラティアスへのアプローチは、一方通行でしかないのだから。 「お父さんが、この森を変えちゃったってこと?」 にわかに信じがたかったが、この場所で兄ラティオスや仲間たちと暮らしていた当事者が言うのだから間違いはないのだろう。 「……アブソルも、ここで暮らしていたんだよね……」 アカツキは腰のモンスターボールに触れた。 中で休んでいるアブソルは、自分にゲットされるまで暮らしていた場所に戻ってきて、何を思うのか……? 聞いてみたいと思う反面、想像通りの答えが返ってきそうで、怖くなった。 「変わったって、前はこんなんじゃなかったって……きっとそう言うんだよね」 アカツキはボールから手を離した。 この場所に初めて来た少年には、何がどう変わったのかなど、分かるはずもない。 ただ、分かることがあるとしたら、それは…… 「お父さんが、心のしずくとかいうのを使って変えちゃったってことくらいだけど……」 リクヤはラティアス、ラティオスの力で、『心のしずく』の力を解き放ち、願いを叶えようとしている。 そのための足がかりとして、森を変えてしまったのだろう。 どこがどう変わったのかは分からないが、豊かな森とは思えないほど空気は重苦しく、それでいて生気が感じられなかった。 鳥のさえずりも、虫のさざめきも、まるで聞こえてこない。 息を殺し、嵐が過ぎるのを待っているかのように、静まり返っている。 響くのは靴音や、落ちている小枝を踏み折る音くらいだろう。 「…………」 それからは沈黙が張り詰めた。 重苦しく湿気をふんだんに帯びた空気が、倦怠感を誘う。 誰も一言も発しないが、それは森の中心部へ近づいてきたからだろうか。 しかし、リクヤに会ってからでは、あれこれ話もできなくなる。 ダイゴは歩みを止めることなく、肩越しに振り返りながら言葉を発した。 「アカツキ君、ハヅキ君。 リクヤが何をしようとしているか……君たちには見当がつくかい?」 もしかしたら、息子である二人なら、リクヤがどんな願いを叶えようとしているのか、見当がつくかもしれない。 ユウキとハルカを交え、アカツキとハヅキ、ダイゴは事情を共有化した。 何も知らないで行くよりはマシという判断だったが、さすがにリクヤがマグマ団の一員だったことは伏せられたままだった。 だから、リクヤが『心のしずく』を使ってどんな願いを叶えようとしているのか。 それを知ることができれば、あるいは突破口もつかめるかもしれない。 しかし、二人は口を揃えて「分からない」と返した。 当然である。 アカツキは七年以上も会っていなかったのだし、リクヤが父親であると知ったのは今朝のこと。 リクヤについて知っていることと言えば、並々ならぬ実力の持ち主であり、必要だと思えば非情にもなれる強さを持つ人ということくらい。 ハヅキは七年前から音信普通だった父親を捜していたが、結局は見つからなかったのだから、アカツキと大差ない。 こんな状態で、リクヤが何を考え、どんな願いを叶えようとしているのかなど分かるはずもなかった。 望み薄だったが、分からないなら分からないで仕方ない。 究極、直接聞いてみたって構わないとさえ思っている。 「だけど……」 「……ん?」 唐突に、ハヅキが口を開いた。 拳を固めて、どこか俯き加減ではあるが、その目には力強い光が宿っていた。 「何をしようとしていても、僕たちが止める。 どんな願いを叶えようとしていても、ラティオスの命には代えられない」 「うん、そうだね。ぼくたちが止めないと……」 並々ならぬ決意すら秘めた言葉に、アカツキは心から励まされたような気分で頷いた。 やはり、兄は力強い存在だ。 暖かな気持ちが続くうちにと、アカツキはハヅキに訊ねた。 「ねえ、兄ちゃんはお父さんのこと覚えてる? ぼく、あんまり覚えてないんだ」 「覚えているよ」 今でこそ指名手配犯だが、ハヅキの知るリクヤは優しい父親だった。 アカツキは幼かったから覚えていないのだろうが、ハヅキはちゃんと覚えている。 道先の石に躓いて転んで膝を擦りむいた時には、血相を変えて飛んできてくれた。 熱を出して寝込んでしまった時には、一晩中傍にいて介抱してくれた。 とても優しくて、包容力もあって……この人が僕の父さんだと自慢できる存在だとすら思っていた。 だが、リクヤは唐突に姿を消した。 どうしていなくなってしまったのかは分からないが、それでも共に暮らした八年間は幸せだった。 その幸せを伝えるように、ハヅキはアカツキの隣に並び、優しく話してくれた。 「優しい人だった……どうしてあんな風に変わってしまったのか。僕にも分からない。 でも、僕たちがちゃんと話をすれば、優しかった父さんに戻ってくれるって、そう信じてるよ」 「うん……」 アカツキは相槌を打ちながら、しかし俯いた。 前だけを見ているハヅキは気づかなかったが、アカツキの表情には翳りが見えていた。 「でも、お父さんは……ぼくのこと……」 胸中で嫌な想像を膨らませていたからだ。 「…………」 ユウキとハルカは口を挟めなかった。 アカツキが父親のことを覚えていないのは無理もない。 四歳でいなくなってしまったのだから。 「でも、あの人は優しかったな、確かに……」 ただ、ユウキはリクヤがミシロタウンにいた頃、彼の優しさに触れたことがあった。 あんなに優しい人はそうそういるものではない。 分かってはいても、どうして今はホウエンリーグに追われる立場になったのか……ユウキなりに、信じがたい気持ちを抱いていた。 ダイゴもダイゴで、リクヤにポケモントレーナーとしての技術を教わっていた頃のことを思い返した。 どうして今になってそんなことを思い出したのかと言われると困るのだが、やはり気になっているからだろう。 十年以上も前のことになる。 ダイゴがポケモントレーナーとして行き詰っていた頃のことだった。 今でこそホウエンリーグのチャンピオンという立場にいる彼も、昔はアカツキやハヅキと同じように、広い世界に想いを馳せ、 叶えたい夢へと向かって努力を惜しまない少年だった。 手持ちのポケモンも順調に進化を重ね、実力を高めている。 ダイゴ自身も、トレーナーとして手ごたえを感じていた。 だが、どこかで違う気がしていた。 本当にこの道で良かったのか……他にやりたいことがあったのではないか? そんなことを気にしながら旅を続ける中、ダイゴは想いに囚われて実力を発揮することができなくなっていた。 負け戦が続き、ポケモンとの間に溝が生まれ始めていた。 そんな時だった。リクヤと出会ったのは。 彼は初対面の少年に対して、居丈高になることもなく、視線を合わせてくれた。 決して無理やり答えを導き出そうとせず、ダイゴの胸中を聞いた上で、一緒になって悩んでくれた。 それから、トレーナーとして必要な心構えや技術を教えてくれた。 実際、彼と過ごしたのはほんの一月ほどだったが、その間にダイゴは立ち直り、ポケモンたちとの絆を取り戻せた。 彼が吹っ切ったのを見て、リクヤは満足げに笑いながら、手を振って別れた。 『ここからはおまえが決めて進む道だ』 そう、言い残して。 彼の優しさも厳しさも知っているダイゴだからこそ、リクヤが何を求めているのか、本心を知りたいと思っていた。 そして、願わくば彼の道を正してやりたい。 できるか、できないかという精神論ではなく、やると決めたらやる。それだけだ。 ダイゴが、決意を新たに拳を握りしめる。 アカツキはリクヤのことなどほとんど覚えていない。 むしろ、旅に出てから何度も出会い、そこから覚えだしたと言った方が正確だろう。 覇王のような強さを持っている彼なら、どんな願いだろうと自分の力だけで叶えられそうな気がする。 そんな彼がなぜポケモンに……意味も分からない宝石などに頼るのか。 そこまでして叶えたいと思うものとは何か。 知ったところで、自分のやるべきことは変わらない。 それは分かっていても、知りたいと思う気持ちは偽れなかった。 「ねえ、兄ちゃん」 「うん?」 アカツキはハヅキに訊ねた。 胸の中に閉じ込めておくにはあまりに大きすぎる疑問だ。 ハヅキがどう思っているのか知りたい。 「お父さんが叶えたい願いって何だろう? あの人なら何でもできそうな気がする。 なのに、ポケモンの力を借りるなんて、あの人らしくないような……」 「おまえも僕と同じことを考えていたんだね」 最後尾を歩くアカツキには見えなかったが、ハヅキは笑みを覗かせていた。 そう。ハヅキも同じことを考えていた。 リクヤが手に入れたがっているモノ――叶えたがっている願いとは? 何となく分かるような気がするものの、それが明確な答えと限らない以上、こう答えるしかなかった。 「あの人が叶えたい願いって、きっと僕たちじゃ分からないものなのかもしれない。 あの人の強さでも手に入れられないものだから」 「うん……ごめんね、つまらないこと聞いて」 「いや、いいんだ。気になって当然だろうから」 アカツキはそれ以上何も言わなかった。 答えが分からないことなど、はじめから知っていた。 ただ、口にすることで――ハヅキなりの『答え』を耳にすることで、少しは肩の荷が下りたような気がする。 分からないものは分からないと認められただけでもよかったと思っている。 「ただ、分かってるのは、あの人は誰かを傷つけて願いを叶えようとしているってことだけ。 ラティオスに危害を加えているかもしれないから……早く止めなきゃな」 「うん……」 言葉が途切れ、足音だけが静寂の森に響き渡る。 アカツキはただリクヤのことだけを考えていた。 幼い頃、父親と共に過ごしていたことは忘れている。 記憶として明確に留めるには、心が発達していなかったのかもしれない。 トキワの森で二度、エントツ山、送り火山、そして目覚めの祠……幼い日々のことは忘れているのに、最近のことをよく覚えている。 多く接している……それがなんだか不思議でたまらない。 こんな形で父親と対面することになるなんて。 一時でも父親なんて必要ないと思っていたことが笑えるくらいおかしかった。 「お父さんに傍にいてほしいなんて、今まではそんなこと考えられなかったのに……」 なんだか他人事のような気がして、笑みがこみ上げてくる。 それを誰にも感づかれなかったのがせめてもの幸いだろうか。 アカツキにとって父親というのは、いてもいなくても変わらないような存在だった。 母と兄の愛情を一身に受け、父親のいない寂しさはまったくといっていいほど感じなかった。 だから、自然と父親を必要としなくなっていた。 ――少なくとも、自分自身はそう思っていた。 心の奥底で、気づかない場所では父親を必要としていた。 だから、会いに行こうと思った。 本当に不必要なら、会う理由もなかったはずだ。 「だから、これ以上お父さんには悪いことして欲しくないな……」 ただ一人の父親だから。 子として、これ以上の悪事を重ねてほしくないと思うのは当然のことだ。 いろいろと考えていると、肩越しにハヅキに声をかけられた。 「なあ、アカツキ」 「なあに?」 顔を上げ、兄の背中を見つめる。 ラティアスは兄弟の会話には興味がないのか、あるいは聞き流すつもりなのか、黙って歩みを進めている。 「もしも……もしも父さんと戦うようなことになったら……おまえは僕と一緒に戦えるかい?」 「ど、どうしたの、いきなり?」 予期せぬことを言われ、アカツキはドキリとした。 アカツキだけではない。ユウキとハルカも驚いて振り向いてきた。 「父親と戦えるか……?」 アカツキとハヅキがリクヤと戦ったことがあるとは知らないユウキたちには想像もつかないことだったが、ここで一戦交える可能性はあるのだ。 アカツキも、薄々は気づいていた。 もしかしたら、リクヤと戦うようなことがあるかもしれない。 その時どうするのか。 相手が実の父親と知って、それでも戦えるのか……と。 「父さんはラティオスを傷つけてまで願いを叶えようとしている。 僕たちはラティオスを助けたい。たぶん、戦いは避けられないと思うんだ」 「親子なのに……戦わなくちゃいけないのかな? 戦わなくちゃならなくなったら、ぼくは……」 「辛いよね……僕も同じだよ」 ハヅキは立ち止まると、同じように立ち止まって肩を震わせるアカツキの身体を抱きしめた。 親子がどうして戦わなければならないのか。 戦いが避けられなくても、少しでも努力すべきではないのか。 穏便に済ませるという努力を。 それを破棄するのかと、アカツキは遠回しにハヅキに投げかけていたのだ。 正直言って、どんな言葉よりも胸に深く突き刺さった。 ハヅキだって、できれば戦いたくない。 理由はどうあれ、肉親同士で戦わねばならぬなど、そんな残酷なことがあろうか。 ポケモンバトルという次元の話ではない。 ラティオスの命がかかっているのだ。バトルなどとしゃれた言い方をしていても、実際は戦争のようなもの。 勝ち目がどうとか、そういった結果論ではなく、親子としての感情が戦うということを拒んでいるような気がするのだ。 だが、アカツキは必要ならリクヤと戦うという覚悟をすでに固めていた。 「戦うよ」 「え?」 思いもよらない言葉に、ハヅキはハッとしてアカツキの顔を見つめた。 笑顔だった。 混じりっ気のない純粋な微笑み。だが、その裏には鋼よりも堅い意志が宿っている。 驚く兄に向けて、アカツキは言った。 「ぼくも戦いたくない。 でも、お父さんは戦わなくちゃ止まらないと思う。 ぼくは、あの人にこれ以上悪いことをしてほしくないんだ」 「分かった……行こう。僕たちで止めよう。僕たちの父さんを」 「うん……」 互いの想いを確認し合い、再び歩き出す。 何があっても止める…… アカツキは決意を固めた。 その背を、ユウキとハルカが辛そうな眼差しで見つめていることなど、気づく由もなく。 一方、島の西側から森に突入したカゲツとプリムは無言で歩を進めていた。 「…………」 服が肌にまとわりつく不快さ。 不快指数はとうに80を越えているが、そんなことで音を上げるわけにはいかなかった。 自分たちよりも、アカツキ・ハヅキの兄弟の方が辛いに決まっているからだ。 森に入って何分経ったのか分からないが、中心部に近づいているのが空気の重苦しさで知れた。 「そろそろかしら……?」 プリムが不意につぶやく。 「どうだろうな……結構奥に入ってきたのは間違いねえけどな」 返事代わりに、カゲツは周囲に視線を這わせた。 生気のない森の風景。 こんなところに身を潜めるとは、リクヤも何を考えているのか…… もっとも、彼が何を考えていようと、そんなことは関係ない。 自分たちがやるべきことは一つ。 リクヤを逮捕し、裁判にかけること。法の裁きを下すのだ。 プリムはドレスのような服の裾が土に擦れて汚れることなど構うことなく、進んでいく。 ……と、カゲツはただならぬ気配を感じ、プリムの腕を取った。 「姐さん、ストップ」 「なんです?」 プリムは足を止めると、「いきなり何をする」と言わんばかりに膨れっ面で振り返ってきたが、カゲツの言葉に事態を理解した。 前方に、二体のポケモンが姿を現したのだ。 サイドンと、キノガッサ。 眼光鋭く、並のポケモンならその眼力だけで退散させられるだろう。 数々の修羅場を潜り抜けた四天王の足をそこで止めさせるだけの威圧感を放つポケモン……考えるまでもなかった。 「けっ、お出迎えってワケか。 くだらねえこと考えてやがるな」 「ですが、油断は禁物ですよ。仮にも、あの方のポケモンです」 「だったら、ぶっ倒して先に進むまでよ」 カゲツは鼻を鳴らすと、対峙するポケモンの前にモンスターボールを投げ放った。 飛び出してきたのはアブソルだ。 アカツキのアブソルよりも立派な体格と鋭い眼光を宿している強者。 「では、こちらも……」 プリムもポケモンを出した。 動きは鈍いが、攻撃と防御に優れたトドゼルガだ。 少なくとも、サイドンとキノガッサは戦う意思を見せている。 出迎えに来てくれたのかと思ったが、どうもそうではないらしい…… ここでカゲツたちを足止めするか、追い払う役目を帯びているのだろう。 「となると、筒抜けということでしょうか?」 「構うモンかよ。こいつらぶちのめして進みゃそれで済む」 「まあ、確かにそれはそうですね。では行くとしましょうか」 「おう。アブソル、キノガッサを叩きつぶしてやれ!! つばめ返し!!」 「トドゼルガはサイドンに水の波動!!」 カゲツのアブソルと、プリムのトドゼルガが技を放つと、リクヤのポケモン……サイドンとキノガッサが戦闘態勢に入った。 東側から突入したゲンジとフヨウ。 こちらの雰囲気は西側から突入したカゲツとプリムの二人と違い、和やかだった。 「しかし、こんなところを隠れ家に選ぶとは、リクヤもずいぶんとセンスがないな。嘆かわしいことだ」 「そうかなあ……あたしのポケモンは、こういうトコ大好きみたいだし」 「ふむう。ゴーストポケモンは暗く淀んだ場所が好みらしいからな。それはポケモンの習性というものだろう」 ジメジメした場所。 生気のない森の景色。 確かにゴーストタイプのポケモンはこういった場所を好むらしいが、ゲンジからしてみれば趣味が悪いという一言に尽きる。 湿気や暗い場所を好むポケモンなら、まあ居心地も少しはいいのだろうが、いくらなんでも不気味な雰囲気が漂いすぎている。 この雰囲気をどうにかするためにも、リクヤを止めねばならない。 鳥のさえずりも、虫のさざめきも聞こえない。 自然豊かな森には、様々な生物がそれぞれの営みを送っているはずなのに。 ゲンジが嘆かわしいことだと思っていると、さらに嘆かわしい言葉がフヨウの口から飛び出した。 「あ〜っ、ハヅキは大丈夫かしら……? あのハルカとかいう女の子に毒されてなきゃいいんだけど……はぁ」 「…………」 こんな時でも、ハヅキを弄ぶことしか考えていないらしい。 ゲンジの視線を受けて、決まりの悪そうな顔を逸らしたが、悪いと思ってはいないのだろう。 もっとも、フヨウは純粋にハヅキと遊びたいと思っているだけだ。 ただ、その手段が問題で、それゆえに相手から理解されない。悪気がない分、始末に負えないところだった。 「まあ、これが終わってから存分に遊べばよかろう。 そのためにも、今は神経を研ぎ澄まし、相手の不意を突く攻撃に備え……むっ?」 ゲンジが苦言に似た忠告をかけた時だった。 前方の薄暗い一画からポケモンが二体、姿を現した。 「お?」 二人は足を止め、突如現れたポケモンに視線を向けた。 エスパータイプのスリーパーと、電気タイプのライチュウだ。 二体はあからさまな敵意をゲンジたちに向けていた。 「ずいぶんとシャレた歓迎式典だな。 まあ、そういうのは嫌いではないがな」 「そうだね。あたしも暴れてみたかったトコなの。 だって〜、ハヅキが一緒じゃないなんて、嫌だも〜ん」 ゲンジとフヨウは口々に言葉を並べると、腰のモンスターボールを手に取り、眼前に放り投げた。 姿を現したのはボーマンダとサマヨール。二人が自慢する最高のパートナーだ。 剣呑な雰囲気を漂わせるスリーパーとライチュウは、リクヤが手持ちとしているポケモン。 そうなると…… 「やっぱ筒抜けだったかな? なんとなく、誰かに見られてるような感じしてたんだよね」 「それを早く言わんか!!」 フヨウがあっけらかんと言い放つと、ゲンジの額に青筋が浮かんだ。 どうしてそういう重要なことをこんな時になってサラリと言ってのけるのか。 神経の太さが羨ましい限りだが、今に限ってはこれ以上ないほど妬ましい。 しかし、フヨウは悪びれることもなく、しれっと言ってのける。 「ほらほら、そうやってカッカしてるんだったら、戦わなきゃ♪ サマヨール、封印しちゃいましょ♪」 「くっ……後でお仕置きしてやるからそのつもりでいろ」 愚痴るのも程々に、サマヨールが封印の技を放つと同時に、ライチュウとスリーパーも動いた。 「ボーマンダ、ドラゴンクローで薙ぎ払えっ!! 遠慮は要らん、フヨウのサマヨールもろとも倒せっ!!」 「えーっ!! そんなことしないでよ〜っ!!」 ゲンジが怒りまくって出した指示に、フヨウが悲鳴を上げる。 ……が、戦いが始まっても彼女は笑みを浮かべていた。 誤解のないように言っておくが、これが彼女の素である。決して、ゲンジをからかっているわけではない。 対照的な二人が織り成す攻撃が、ライチュウたちに迫る…… 「予想通りに入ってきてくれたな……」 森の中心部で、リクヤは眼前に映し出された三つの映像を交互に見やり、口の端に笑みを浮かべていた。 傍らには、天へ向かって伸びる光の柱……その光を生み出している『心のしずく』と、祈るように目を閉じているラティオス。 ラティオスを使い、『心のしずく』から力を引き出しているのだが、やはり片割れだと時間がかかるし、負担も大きい。 もっとも、ラティオスの命が尽きてしまっては、それこそ本末転倒。 「心配も要らんな。俺の予定通りに進んでいる……」 しかし、心配は要らない。 ビジョンのように映し出された映像の一つに目を留める。 他の二つは、ホウエンリーグ四天王とリクヤのポケモンたちが激しく戦っている様子を映し出している。 そして、最後の一つは、ダイゴとラティアスを先頭に、四人の少年少女が周囲に気を払いながら歩いている映像。 気の強そうな顔立ちとは対照的に、あまり気の強くない少年と、その兄。 リクヤの視線はその二人に釘付けだった。 「アカツキ、ハヅキ……もうすぐだ。 もうすぐ、俺の願いが叶う。 おまえたちを呼んだのは、その瞬間を見届けてもらうため……そして、もう一度家族として暮らすためだ……」 誰も聞いていないと知りつつも、感嘆の声を上げる。 ラティアスを逃がしたのは、いずれ戻ってくると分かっていたからだ。 そして、リクヤの息子たちを連れてくるという確信があったこと。 この場所でラティアスたちと共に暮らしていたアブソルが、アカツキにゲットされたとなれば、 ラティアスは必ずアカツキとハヅキを選ぶだろう。 ラティアスが必死になって逃げ出したのもまた、リクヤの作戦の一部に過ぎなかったのだ。 「……ハヅキが共にいるということは、もう知っているのだろうな。 俺が、おまえの父親であると……」 ラティアス、ハヅキ、アカツキ……ダイゴまでいれば、これは決定的だった。 アカツキが、リクヤが自分の父親であると知ったこと。 だが、そんなのは問題ではない。 いずれは知ることになるのだから、わざわざ作戦の一部に組み込む必要さえない。 「さあ、ラティオス。もうすぐおまえの妹がやってくるぞ。 二人で力を合わせ、俺の願いを叶えるんだ……」 ラティオスはリクヤの声に耳を貸すことなく、一心不乱に祈り続けるばかりだった。 ――妹よ、来るな……俺のことはどうでもいい。さっさと逃げろ。 そんな言葉が、現実にならないことを知りながらも、ラティオスはそう祈ることを止められなかった。 第99話へと続く……