第100話 最初で、最後の…… もう、ダメだ…… レックウザが吐き出した炎を止める術を、誰も持たない。 それを悟ったアカツキは、絶望のあまり発狂しそうになった。 あと何秒と経たずに、ユウキとハルカが灼熱の炎に飲み込まれてしまう。 彼らがポケモンであれば別だが、ポケモンの技を生身の人間が受けたらどうなるか。 実際に10万ボルトを食らったことのあるアカツキには分かっていた。 恐らく、生き延びることはできまい。 それが分かるから、足元から視界から、すべてが崩れそうで、拠り所のなくなった気持ちが壊れていく。 「せめてもの慈悲だ。苦しまずに逝けるようにしてやろう……」 リクヤが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて言う。 人間に対しては十分すぎるほどの殺傷能力を持つ炎である。熱さを感じる間もなく、まず意識が途切れるだろう。 苦しまずに、何が起こったのか理解する前に死ぬ……それはある意味、幸せと言えるかもしれない。 ゆえに、リクヤはそれを慈悲とのたまったが、そんな彼にも誤算はあった。 ハルカの全身に巻きついた蔓だったが、彼女の腰に差してあるモンスターボールの一つが蔓の外側に出ていた。 ボールとベルトの間を蔓が通っているせいで、辛うじて外に出ていたのだ。 炎を照り受けて赤く染まるボールが口を開き、中からサーナイトのフィールが飛び出してきた。 「なにっ……!?」 まさか、ここでポケモンが出てくるとは思わなかった。 だが、それが普通のポケモンであれば、リクヤが驚愕することもなかった。 出てくるポケモンが、サーナイトでなければ。 なぜなら、サーナイトはトレーナーを命がけで守ることもあるといわれるポケモンだったからだ。 「フィール……!!」 どうして出てきたのか……ハルカは信じられない気持ちで目を見開いたが、フィールは彼女のつぶやきに応えるように、腕を広げた。 まるで炎に抱きつくように腕を広げたかと思うと、全身からすさまじい力を放出し、眼前に小さなブラックホールを生み出した!! 「これは……!!」 ユウキが驚愕に目を見開き、サーナイトの眼前に生まれた小さなブラックホールを見やった。 直後、レックウザが放った炎は空間に空いた黒い穴に吸い込まれていく!! 炎は意志を持つかのように、黒い穴の淵から外へ飛び出そうとする。 しかし、吸引力の方が強いのか、やがて炎は黒い穴に飲まれて、一片たりとも飛び出してくることなく、消えた。 炎タイプに強いポケモンでさえ戦闘不能は免れない、すさまじい威力の炎だったが、サーナイトが生み出したブラックホールには敵わなかった。 シュゥゥ…… レックウザもまた、驚愕に目を見開いた。 まさか、渾身の力を込めて放った炎が防がれるとは、夢にも思っていなかったのだ。 目の前に立つサーナイトは、それほどの力を持っているとは思えないポケモンだったのだが…… 「レックウザ、もう一発放て。次は……ない」 リクヤはもう一度、レックウザにドラゴンフレアを指示した。 一般には知られていない技だが、ドラゴンフレアはドラゴンタイプ最強の技だ。 灼熱の火球を放ち、何かにぶつかった直後、すさまじい炎を撒き散らす。 いわばハイドロポンプの炎バージョンだが、威力は桁違いだ。 マグレだかなんだか知らないが、一度防ごうと、二度目はない。 なぜなら、レックウザが二発目を放つ前に、フィールがその場に崩れ落ちたからだ。 「……?」 灼熱の炎がユウキ、ハルカ、ダイゴを焼き尽くさなかったのを見て、アカツキは絶望の淵から這い上がっていた。 偶然も何でもいいから、フィールが防いでくれたのだ。 きっと、ハルカの危機を察して自ら飛び出してきたのだろう。 ドラゴンフレアを防ぐため、すべての力を使い果たしたフィールの身体が、見る間に細く萎びていく。 「……!?」 一体何がどうなっている? アカツキは信じられない気持ちで、ミイラのように乾ききっていくフィールを見ているしかなかった。 ハヅキも同じだった。 今ならラティオスを取り返すこともできるだろうし、リクヤに殴りかかることだってできる。 だが、目の前の光景に、為すべきことさえ吹き飛んでしまった。 ほんの数秒の間に、鮮やかな緑の身体が萎びた野菜のように艶を失い、枯れ木を思わせるように細くなっていく…… それは、ミイラそのものだった。 「フィール!! フィールっ!!」 フィールが変わり果てた姿になったのを見て、ハルカが悲鳴を上げた。 今すぐ抱きしめてあげたい。助けてあげたい。 だけど、全身に巻きついた蔓が、大事な存在を抱きしめることさえ拒んでいる。 「そうか……そういうことか……」 アカツキとハルカ以外の三人には、フィールが何をしたのか、理解できた。 フィールに代表されるサーナイトというポケモンは、トレーナーの危機に敏感に反応し、全身全霊でトレーナーを守ることで知られている。 モンスターボールの中からでも、トレーナーが危機にさらされていることを察したのだろう。 フィールは自力でボールから飛び出し、生命力のすべてを賭して、ドラゴンフレアを防いだのだ。 しかし、防ぎきったのも束の間、力尽き、その場に崩れ落ちてしまった。 命を懸けて、トレーナーを守りぬいたのだ。 萎びたフィールの顔には、笑みが浮かんでいるように見えた。愛しい存在を守りぬき、満足しているかのような笑みが、悲壮感を一層際立たせる。 「……そんな……」 命を懸けてトレーナーを守るポケモン。 それをさせたのは、他ならぬ自分の父親。 アカツキは指の先から全身に氷のような冷たさが伝わっていくのを感じていた。 フィールは、ハルカにとって大切な存在だ。そんなフィールに、命を懸けてトレーナーを守らせたのは、リクヤだ。 彼がハルカたちに危害さえ加えなければ、こんなことにはならなかったはずだ。 「フィール……嫌だよ、死んじゃ嫌っ!! いやあああああああっ!!」 ハルカはまったく動かないフィールを見つめ、狂ったように悲鳴を上げ続けた。 彼女にも分かっていた。 フィールが命を懸けて自分を守ってくれたこと。 だけど、ハルカはそんなことを望んではいなかった。 サーナイトというポケモンの習性は知っているが、それはとりもなおさず、サーナイト自身が死ぬことを意味するからだ。 死ぬなら一緒に……そう思っていたのに、フィールはハルカたちを守り、一人だけ…… 「く……」 まさか、助かるとは思わなかった。 だが、どうしてこんなことに……? ダイゴは小さく呻き、目を伏せた。奇しくもフィールに助けられることになったが、その代償として、フィールは命を落とそうとしている。 今はまだ生きているだろうが、命の火は刻一刻と弱まり、程なく消えてしまうだろう。 「…………」 「レックウザ、何をしているッ!! ヤツらを殺せ!! おまえにならできるだろうッ!!」 リクヤは取り乱しながらも指示を出したが、レックウザは彼の指示を受け付けなかった。 「…………」 レックウザは背後で何やら騒いでいる人間には気を留めず、目の前で倒れ、ミイラのように萎びたポケモンをじっと見つめていた。 ――命を懸けて、自分の攻撃を防いだ……おまえにそこまで決意させたものは何だ?   それほどまでに、あの人間の女が愛しいとでも言うのか……? レックウザには、フィールが何を想って命を懸けたのか、理解できなかった。 なぜなら、レックウザにとって人間など取るに足らない存在だったからだ。 それでも、ポケモンには心がある。 時に強さとなり、またある時には弱さにもなりうる諸刃の剣。 レックウザにもまた、物事を考える心があった。 リクヤについたのは、たまには暴れてみたいと思ったからであって、彼のやろうとしていることなどどうでも良かった。 しかし、その結果は……? フィールは命を懸けてハルカたちを……正確にはハルカを守った。 命を懸けてまで人間を守ろうとする、その覚悟……決意とは何なのか。 生半可な気持ちで、死と破壊を撒き散らす炎の前に飛び出そうとは思わないだろう。 だからこそ、分からなかった。 レックウザが行動を起こさないことに業を煮やし、リクヤは憤怒の形相を浮かべた。 「…………苛立ってる……!!」 冷酷な策士でもこんな表情をすることがあるのかと、アカツキは意外に思ったが、リクヤとて人間である。 思いもよらないことに動揺し、愛しい息子を惑わす存在だからと、ユウキたちに激しい殺意さえ向けた。 今、リクヤが思い描いたとおりに状況が進んでいるわけではない。 それはこの場にいる全員が理解していることだった。 ラティアスとラティオスは何やら祈っているが、『心のしずく』の輝きは黒々と染まったままだ。 周囲に黒い霧のようなものが立ち込め始めた。 景色の変化を合図に、状況が動き出す。 「使えないポケモンめ……!! それなら、ミロカロス!! ハイドロポンプ!!」 何を考えているのか、レックウザは行動を起こさない。 起こさないのか、起こせないのか……そんなことはどうでもいい。 リクヤの苛立ちは頂点に達した。 彼は怒声を隠すこともなく、ミロカロスに攻撃を指示した。 ホウエンリーグ四天王の相手をさせたポケモンは戦闘不能となり、彼の手持ちはもはやミロカロスだけだった。 レックウザは興味本位でついてきたようなものだし、手持ちのポケモンとは言えない。 ミロカロスはリクヤを心底信頼しているのか、彼の言葉に従い、レックウザの身体の合間を縫って前に躍り出ると、口を大きく開いた。 危機を完全に脱したわけではない――!! ドラゴンフレアほどの威力はないにしろ、ハイドロポンプが身動き取れない人間を直撃したら、内臓破裂くらいは引き起こすだろう。 「フィールを助けなきゃ……!!」 アカツキはフィールを助けることが事態を解決へと導くと思い、視線を周囲に這わせた。 今の自分に何ができるのか…… 考えるだけ、無力感を噛みしめる結果になるのは分かりきっている。 だから、考えるよりも先に、何ができるか周囲を見てみることだ。 ミロカロスがハイドロポンプ――最大威力を放つためにチャージを始める。 元々はチャージなど不要な技だが、リクヤの指示に応えるには、威力を最大限に高めなければならない。 一撃でハルカたちを葬るために、手加減など無用の長物だったのだ。 だが、その時間が、アカツキに味方した。 「……これだ!!」 アカツキの目が、黒々と染まる『心のしずく』を捉えた。 リクヤはその宝石を使って、願いを叶えようとしていた。 だったら、自分も願いを叶えられるかもしれない……どうやればいいのかは分からないが、まずはやってみることだ。 「……っ!!」 どんなリスクがあろうと、フィールを助けられるなら……その一心で、アカツキは立ち上がり、地を蹴って駆け出した。 「……させんっ!!」 アカツキが『心のしずく』を使って願いを叶えようとしていることを察し、リクヤが憤怒の仮面を顔に貼り付けたまま、その前に立ちはだかる!! まともに戦ったら、大人と子供では力量の差は知れている。 それでも、アカツキは正面からぶつかろうと決めていた。 リクヤなら、自分に手を出すことはできない……そう思っていたからだ。 「フィールを助けるんだ……!! そうじゃなきゃ、ハルカが救われないっ!!」 強い決意を胸に、声にならない声を上げながらリクヤにぶつかろうとした時だった。 横手から割って入る影を認め、アカツキは思わず足を止めた。 ……と、次の瞬間。 どんっ!! 「くっ……!! ハヅキ、おまえまで俺に……!!」 突き飛ばされ、リクヤは不様にも転倒した。 彼を突き飛ばしたのはハヅキだった。アカツキが何をしようとしているのか察し、リクヤを止めようと思っていたからだ。 立ち上がろうとするリクヤに馬乗りになり、ハヅキは声を荒げた。 「父さんは僕たちの大事な存在を傷つけてまで幸せになろうとするのか!! 僕もアカツキも母さんも、そんなの望んじゃいないッ!! なんで、それが分からないんだ!!」 「分かってもらえなくてもいい…… どのみち、俺たち四人だけの幸せのためには、そうするしかなかったのだからな。 それが分かったなら、そこを退け!!」 リクヤはハヅキを力づくで退かそうとしていたが、ハヅキも必死になってリクヤを押さえにかかった。 「アカツキ、今だ!! 今のうちにフィールを助けてやれ!!」 「うん、分かった!!」 アカツキは再び走り出したが、ミロカロスは顔を彼に向け、ハイドロポンプを放とうとした。 ハルカたちを葬るよりも、アカツキを止めることを優先したのだろうが、残念ながらミロカロスはアカツキの邪魔をすることができなかった。 レックウザがドラゴンクローでミロカロスを倒してしまったからだ。 「なっ……」 突然の出来事に、誰もが言葉を失った。 まさか、ミロカロスがレックウザに倒されるとは……レックウザが味方を手にかけるなど、リクヤには想像もつかなかった。 天地がひっくり返ったような衝撃に、呆然とする。 リクヤの身体から力が抜けたのを見計らい、ハヅキは両手両足を使って、彼をその場に押し留めた。 事態は、明らかにリクヤの望んでいない方向へと動き出していた。 どこで歯車が狂ったのか、それは誰にも分からなかった。 アカツキは程なく『心のしずく』を戴く台座にたどり着いた。 「…………」 黒く染まった宝石は、禍々しく、触れるのを躊躇うような汚物に感じられた。 しかし、好む好まざるではない。 今は……フィールを助けることしか考えられなかった。 アカツキは迷うことなく、『心のしずく』に手を伸ばした。 それを見たリクヤが、表情を変えた。 「やめろっ!! 手を出してはいけない!!」 「えっ……!?」 ハヅキは驚き、黒く染まった宝石に手を伸ばすアカツキを見やった。 彼の力が緩んだ隙を突き、リクヤはハヅキの脇腹を蹴飛ばして立ち上がると、アカツキに向かって走った。 「しまったっ!!」 強く蹴飛ばされて痛む脇腹を押さえながら、ハヅキはリクヤを止めようと駆け出したが、勢いの差は歴然としていた。 このままでは、フィールを助けるどころか、邪魔をされてしまう。 万事休すか…… ユウキもハルカもダイゴも、アカツキが『心のしずく』の力を借りてフィールを助けようとしていることは悟っていた。 どうにかしてフォローしたいと思っていたが、蔓に巻きつかれている状態ではそれもできない。 何もできないもどかしさ。 この身体が動くなら、殴られようと、蹴られようと、リクヤを止めることができるのに。 自身の無力さに歯噛みしながらも、ユウキはアカツキの為そうとしていることを見守ろうと決めた。 それが、この場に居合わせた責任だと思ったからだ。 アカツキは『心のしずく』に手を触れると、願いを叫んだ。 「助けて!! フィールを助けてよ!!」 どうやったら願いが叶うかなんて分からないが、そんなのは知ったことではない。 ラティオスとラティアスが『心のしずく』から願いを叶える力を引き出すのなら、彼らにさえ届けば、願いを叶えられるはずだ。 確かに、アカツキの仮説は間違っていなかった。 だが、黒々と染まった『心のしずく』は、そんな素晴らしい存在ではなかった。 「……!?」 不意に、身体の奥底から大事なものが抜き取られるような虚脱感に襲われ、アカツキは一瞬、意識が飛びそうになった。 「な、なに、これ……?」 身体の芯まで冷えていくような感覚。 まるで、生身で北極に連れて行かれたかのように、身体が動かなくなる。 あまりの寒さに熱を奪われ、凍り付いていくかのように。 それは、気のせいではなかった。 『心のしずく』が、アカツキの生気を吸い取っているのだ。 願いを叶える代償をいただくと言わんばかりに。 直後、周囲に黒い靄が立ち込め、リクヤは見えない壁に弾かれてそこから先に進むことができなかった。 「アカツキ!! 手を出すな!! 『心のしずく』は……」 「やめろっ!!」 リクヤは虚空を握り拳で何度も叩きながら叫んだが、ハヅキに後ろから羽交い絞めにされ、それもできなくなってしまった。 まだ成長段階とはいえ、ハヅキは普通の男の子よりも力があるのだ。 「ハヅキ、止めるな!! 『心のしずく』の力を、ラティオス、ラティアスを介して引き出さなければ、願いを口にした者の命を削ることになるんだぞ!! だからこそ、俺はラティオスとラティアスを狙ったのだ!!」 「な、なんだって!?」 リクヤの言葉に、ハヅキは彼を解放せざるを得なかった。 アカツキは自分の命を削ってでもフィールを助けるつもりなのだ。 リクヤも、そんなことは望んでいなかった。愛すべき息子の寿命を削るなど、考えていなかったからだ。 もはや、望みは叶えられまい。 それでも、アカツキの命を削るのも認められない。 リクヤは自身の野望が費えたことを悟りながらも、アカツキを助けることだけを考えていた。 ラティオス、ラティアスを介して得た『願いを叶える力』を使い、ハルカたちとホウエンリーグ四天王を縛り付けている蔓を消した。 自由を取り戻したユウキとダイゴが、リクヤとハヅキの傍まで駆けてくる。 ハルカは倒れたまま動かないフィールを抱きしめていた。 程よい弾力があって、触れるとなんとなく気持ちいいフィールの身体は、今や乾ききり、カサカサになっていた。 少し力を入れれば、枯葉のように千切れてしまいそうだ。 少しずつ、冷たくなっていく身体。 どうにかして助けたい……暖めてあげたい。 そんな想いとは裏腹に、フィールの身体は命の温もりを失いつつあった。 『心のしずく』は願いを叶える力を持つ宝石だが、その力を正しく引き出せるのは昔から『心のしずく』と共にあったラティオスとラティアスだけ。 それ以外の者が力を引き出そうとしたら、自身の命を削ることになる。 リクヤは古代の文献を読み漁り、そのことを知ったからこそ、ラティオスとラティアスを狙ったのだ。 彼から『心のしずく』の秘密を打ち明けられても、ハヅキたちに打つ手はなかった。 「ちくしょう、どうにもならねえのか!!」 「リクヤ、あなたでもどうにもならないというのか?」 今にも黒い靄に突入しようとするユウキを押し留めながらダイゴが訊くが、リクヤは頭を振った。 「アカツキ自身が願いを捨てなければどうしようもない……!! こんなことなら、俺が代わりに願いを叶えれば良かった!! 俺は、アカツキの命を削ってまでどうにかしようなどとは思っていなかった!!」 もう引き返せないところまで来たのだと悟り、リクヤは思いの丈をさらけ出した。 アカツキとハヅキ、ナオミの三人から、家族以外の存在の記憶を消すだけで済まそうと思っていた。 たとえば、アカツキやハヅキが共に過ごしてきたポケモンたちや、ユウキ、ハルカといった親友の記憶。 共に過ごした日々や、辛かったことや楽しかったことという思い出。 家族四人『だけ』の、絶対なる幸せ。 それを脅かそうとする者には裁きを下し、永遠の幸せを約束しようとしていたのだ。 だからこそ、ユウキがアカツキの気持ちを揺り動かす存在と悟り、彼を抹殺しようとした。 「……あんた、そんなにアカツキのこと愛してんだったら、なんで戻ってやんなかったんだ!! あいつはそれだけを望んでたんだ!! そんな幸せ、望んじゃいなかったんだよ!!」 ユウキはリクヤの想いを聞き終えるとすぐに、彼に食ってかかった。 父親の勝手な独りよがりのせいで、こんなことになった。 本当に息子を愛しているのなら、ただ家に帰ってやるだけで良かったのだ。 それをどう勘違いしてか、自分の手で幸せを作り出そうとした。 幸せは一人でつかめるものではないのだと、知ろうともしないで。 「そうだ、俺は愚かだった……」 自分の幸せが、息子たちの……家族の幸せであると信じて疑わなかった。 多少逆らわれようと、記憶を都合のいいように改竄してしまえば良いとさえ思っていた。 今になって目が覚めても…… もう、遅すぎるのかもしれない。 リクヤはいろんなことをやりすぎた。 ポケモンの御霊が眠る地を荒らしたり、心からそう思っていなかったとはいえ、仲間を裏切ったり…… 因果応報とはよく言ったもので、これまでやってきたことのツケが、今になって一挙に襲ってきたのだ。 「父さん、ユウキの言うとおりだ。今からでもやり直せるよ。 だから、アカツキを止めてくれ!! アカツキを助けてくれ!!」 ハヅキはその場に膝を突いたリクヤの肩を力いっぱい揺さぶり、懇願した。 ラティオス、ラティアスが引き出した力は残っているはずだ。 それを使えば、アカツキを助けることができるはずだ。 だが、リクヤは頭を振った。 「駄目なのだ。 もう、力は残っていない……『心のしずく』は暴走している。 今の状態では、ラティオスたちを介して力を引き出すことはできない……」 「そんな……それじゃあ、アカツキはどうなるんだよ!!」 「…………」 ユウキは驚愕と恐怖に震えた瞳を、黒い靄の向こうにいる親友に向けた。 「アカツキ、バカな真似はよせ!! おまえが死んじまったら、何の意味もなくなっちまうんだよ!! おいこら、聞こえてんのか!!」 はちきれんばかりの声で叫ぶも、アカツキには聞こえていなかった。 気がつけば、アカツキの視界は真っ黒に染まっていた。 「ここ、どこ……?」 何の音もせず、暑さも冷たさも感じない。 色と音、温度を失った世界に迷い込んだようだ。 自分が今立っているのか、それともどこかに向かって落ちているのか、それさえも分からなくなる。 身体の感覚などあってないようなもので、辛うじて自分の意識が残っていることだけ知覚できる。 アカツキは首を動かして周囲を見渡そうとしたが、一面が闇ではそれすら意味を持たない。 「ぼくは一体……どうしたっていうんだ?」 なぜこんなところにいるのか。 不思議と、恐怖は感じなかった。 これが無明の闇……救いようのない永遠の真理であると、なぜか理解できた。 自分の存在だけが理解できる場所。 ここからどうやって戻ればいいのかも分からず、ただそこに佇んでいると、声が聞こえてきた。 ――少年よ、おまえは我が力を得て何を望む? 「えっ?」 突然聞こえてきた声に、アカツキは驚いた。 どこから聞こえてくるのか、立ち込める闇のせいで分からない。 ただ理解できるのは、自分以外にも、この闇の中に存在するものがあるということだけだった。 考える暇も与えず、声は再び問いかけてくる。 ――我は、おまえたちが『心のしずく』と呼ぶもの。 ――何人もの人間が、我の力で願いを叶えようとし、そして自らの命を捧げた。 ――そんな代償を払ってまで、おまえは何を望む? 「……って言うより、ここはどこ?」 難しい言葉ばかりで意味が分からない。 それよりも、答えてくれるのなら、ここがどこなのか教えてほしい。 行く宛てもなく漂うだけなんて、それこそ頭がどうにかなってしまいそうだ。 ――おまえの父が何をしようとしていたか、おまえには分からないだろう。 ――家族四人だけの幸せを追い求めようとしていたのだ。 ――そこには友も、ポケモンと呼ぶ存在もない。 ――家族四人だけしか存在しない、箱庭の世界での絶対の幸せだ。 「ど、どういうこと?」 アカツキは声が告げる真実に戸惑うばかりだった。 どうやら、相手は『心のしずく』に宿る意志のような存在らしい。ゆえに、リクヤが何を考え、願っていたのか知っているのだ。 アカツキが焦りにも似た表情を浮かべていると、声はそんな少年を嘲笑うように、淡々と言葉を突きつけてきた。 ――おまえの友を亡き者とし、おまえたちがポケモンと呼ぶ存在をも消し去ろうとした。 ――そうして、家族四人だけしか存在しない世界を作り上げようとした。 ――もっとも、それはただの妄想でしかなかったが。 ――おまえやおまえの兄から、ポケモンの記憶を消し、家族だけの記憶に染め替える。 ――我には分からぬが、家族四人だけの閉ざされた世界が、幸せなのだそうだ。 「そうなんだ……」 リクヤが何を考えていたのかはよく分からないが、彼ならそんなことを考えるのかもしれない。 だが、リクヤはユウキやハルカを亡き者にしようとした。 それは事実だったが、だからこそ声の告げる言葉が信実であると理解できる。 アリゲイツやカエデといった大切な仲間の記憶をアカツキの中から消し去り、家族だけの幸せな思い出だけにしてしまう。 そうすることで、リクヤは家族四人だけの幸せを手に入れようとした。 家族だけなら、幸せを壊そうとする者や、悪意の牙を研ぎ澄ます者も存在しない。 クローズされた世界だからこそ、家族の中にある幸せは外に逃げることなく、永遠に存在し続ける。 それが、リクヤの思い描いた幸せだった。 真実を淡々と告げられても、アカツキは心を揺り動かされなかった。 理解できる範疇を越えているからかと思ったが、そうでもなかった。 父親が自分たちのことをそこまで考えてくれていると理解できたが、それでも今まで、許されない罪を重ねてきた。 だから、今さらそんなことを言われたところで、聞く耳を持たなかった。 ただ、それだけだった。 アカツキの胸中を理解しているのか、声はさらに続けてきた。 ――おまえは父が望むことを知り、おまえ自身は何を望む? ――おまえには、願いを叶える権利があり、その願いの代償を支払う義務も持つ。 ――我に触れてきたおまえの気持ち、確かに見せてもらった。 ――ゆえに、願いを叶える権利を手に入れた。 ――さて、何を望む? 「そんなの決まってる!!」 アカツキは闇に覆われた空を――そこに空があるのかは分からないが、真上を振り仰ぎ、声を上げた。 相手が『心のしずく』の意志であるのなら、言うべきことは決まっている。 『心のしずく』に願いを叶えてもらおうと思ったからこそ、起ち上がったのだ。 どこにいるかも分からない相手を睨みつけ、アカツキはありったけの想いをぶつけた。 「フィールを助けるためだ!! みんなを命がけで守ってくれたフィールを、ぼくが助けなくて誰が助けるんだよ!! ぼくじゃなきゃダメなんだ!!」 フィールが命を懸けて助けたのはハルカだ。 だが、フィールの行動が、アカツキの気持ちを動かした。 本当の意味で救われたのは、かけがえのない親友を失わずに済んだ自分自身だと分かったからだ。 願いを叶える奇跡に代償が必要だと言うのなら……自分に捧げられるものなら何だって捧げてやる。 そんな気持ちでいるアカツキの覚悟を試すように、声は問いかけた。 ――その願いを叶えた時、おまえの命はないかもしれんぞ? ――願いの大きさによって、我は願いを叶える者より代償を貰い受ける。 ――おまえが何も望まぬなら、このまま元の世界に帰してやろう。 平坦な声が傲慢に聞こえ、アカツキは声を張り上げた。 「ぼくは死んだりしないよ!! だって、みんなが待っててくれてるんだから!! みんなを残して死ぬなんてそんなの嫌だし、せっかくフィールが助かるんだもの、ぼくだって助かってみせる!!」 十一歳の少年とは思えない凛とした声は、強い決意を滲ませていた。 確かに、死ぬのは怖い。 願いを叶えたら、その瞬間に命を刈り取られてしまうかもしれない。 だが、アカツキの中では死への恐怖よりも、フィールを助けなければならないという使命感の方が上回っていた。 フィールを助け、自分も生きて、みんなの元へ帰る。 それこそ虫のいい傲慢な願いだが、純真な想いに一点の曇りもなかった。 アカツキの純粋な気持ちを、凛とした声で受け取った声は、最後にこう締めくくった。 ――分かった。おまえの願い、聞き届けよう。 ――真っ白な気持ちを持つ者よ。おまえの道行きが輝きに満ちたものになることを祈る。 「え、それって……?」 声に幾許かの優しさがこもっていたのを悟り、アカツキは驚いた。 命をもらうとさえ言っていたのに、どうして今になってそんな優しさを見せたのか。 戸惑うアカツキに、声は何も答えなかった。 その代わりに、周囲を覆いつくす深い闇に白い亀裂が入り、次々と闇がこぼれ落ちていく。 やがて、周囲に満ちあふれたのは、まばゆいばかりの白い光だった。 アカツキの意識は、急激に視界に溢れた優しい光に溶けた。 その変化を最初に感じ取ったのは、ハルカだった。 色褪せ、痩せこけたフィールの身体に青い輝きが宿ったのを見て、ハッと息を飲む。 一体何が始まろうとしているのか……? 青い輝きは次第に膨れ上がり、辺りに立ち込めていた黒い靄を切り裂くように溢れ、周囲を淡い輝きに染め上げていく。 やがて黒い靄は消え、代わりに青い輝きが生気のない森を包み込んだ。 「……これは?」 突然起きた変化に、ユウキが慌てて周囲を見渡す。 息を吹き返したように、森の緑が蘇って見える。 気のせいかと思って目を擦ってみたが、新鮮な空気と鮮やかに色づく木の葉の色は変わらなかった。 いつの間にか、レックウザの姿まで消えていた。 「禍々しい気配が消えた……これは、どういうことだ?」 ダイゴも突然の変化に戸惑いを隠しきれない。 しかし、リクヤだけは何が起こったのか理解していた。 『心のしずく』について、寝食を惜しんでまで研究を続けてきた成果だろう。 「アカツキが願いを叶えたからだ。 『心のしずく』の暴走は終わった……そして、俺の願いももう、叶うことはない……」 「……それじゃあ、アカツキは!?」 「アカツキ!!」 願いを叶えたということは、フィールは息を吹き返しているのだろう。 事実、ハルカの腕に抱かれたフィールの身体は、ふっくらとした弾力と鮮やかな緑の体色、そして暖かな体温を取り戻していた。 しかし、その代償と言うべきか、亜kつきは輝きを失った『心のしずく』が安置された台にもたれかかるように座り込んでいた。 がくりと首を落とし、目をつぶっている。 居ても立ってもいられなくなり、ユウキとハヅキはアカツキに駆け寄った。 一方、フィールは息を吹き返し、ハルカの腕に抱かれて目を覚ました。 「るぅぅぅ……」 「フィール……!! 良かった……あなたが死んじゃったら、あたし、どうしたらいいか…… 本当に良かった……!!」 ハルカは涙をボロボロ流しながら、フィールが息を吹き返したことを素直に喜んだ。 フィールだけでなく、アーミットや他のポケモンも、ハルカにとっては大切な存在だ。 何を引き換えにしても失いたくないと思える。 だが、フィールが息を吹き返したということは、アカツキが願いを叶えてくれたということだ。 「あ、アカツキは……?」 フィールを抱きしめるのもそこそこに、ハルカは周囲に視線を這わせた。 そこで、見つけた。 「アカツキ、おい!! しっかりしろよ!! 寝てる場合じゃねえだろ!! フィールがちゃんと息吹き返したんだぞ!!」 ユウキがアカツキの前に屈みこみ、その肩を強く揺さぶっている。 だが、アカツキは揺さぶられるがままだった。まったく反応を示さない。 「ま、まさか……そんな……!!」: ハルカは心臓を鷲づかみにされたような気がした。 まさか、アカツキはフィールを助けるために命を捧げたとでも言うのか……? 嫌な想像ほど、容易く掻き立てられていく。 「おい!! 頼むから目ぇ開けてくれよ!! おまえがここで死んじまったら、アリゲイツたちはどーなるんだ!! おまえのこと、誰よりも待ってるヤツはどうなるんだよ!! 聞いてんのか!?」 ユウキもまた、涙を流しながら叫んだ。 こんなところで親友を失うようなことがあったら……その原因を作ったリクヤの首を絞めて殺してしまいそうだ。 冷静だという自負がありながらも、今はそんな風に構えてはいられなかった。 「リクヤ……」 ダイゴはリクヤに言葉をかけた。 もし、本当にアカツキが命を落としてしまったなら……リクヤはどう責任を取るつもりなのか? アカツキと同様に、台座の傍らにはラティオスとラティアスも倒れている。 生きているのか、死んでいるのか…… 見た目では判断できないが、楽観視できないのは確かだった。 「これがあなたの望んだ結果なのか?」 「違うに決まっているだろう……」 ダイゴの言葉に聞く耳など持たないと、リクヤはアカツキに歩み寄った。 彼の足音に気づいたユウキは、泣きはらして赤くなった目で、リクヤを睨みつけた。 「あんたのせいで……!! あんたのせいで、アカツキが……!!」 声をかけても、肩を揺さぶっても反応しないアカツキ。 もう、助からないのだ。 ユウキはそう思って、リクヤに食ってかかった。 これがあんたの望んだ結果なのか、息子を殺してまで叶えたい願いがあるとでもいうのか。 烈火のごとく激しく責められ、リクヤに返す言葉などあるはずもなかった。 しかし、救いは残されていた。 「ユウキ、止めるんだ」 グーに握り固めた拳で今にも殴りかかりそうなユウキを押し留め、ハヅキは彼の頬を叩いた。 ぱんっ、という景気のいい音が森に響く。 頬を叩かれたユウキはもちろん、ダイゴもハルカも、呆然と立ち尽くしていた。 ハヅキは呆れたように言った。 「早とちりなんて、おまえらしくもないよ。 アカツキは死んじゃないない。ちゃんと確かめてから、食ってかかるんだ」 「えっ……?」 ハヅキはハトが豆鉄砲食らったような表情で呆気に取られるユウキの手を取り、アカツキの胸にそっと宛がった。 「あっ……」 心臓の力強い鼓動が、手のひらに伝わってくる。 そう……アカツキは死んでなどいなかったのだ。 願いを叶えた代償に生命力を吸い取られたが、死ぬまでには至らなかった。疲れて眠っているだけだった。 「な、なんだよ、ビックリさせやがって……」 「まったくだ。これは本当に心臓に悪い……」 「良かった……アカツキ、生きててくれたんだ……」 もし、ここでアカツキが死んでしまったら……そんな嫌な想像から解き放たれ、ユウキ、ハルカ、ダイゴは安堵のため息をついた。 「……そうか、良かった……」 リクヤもまた、笑みを浮かべた。 アカツキが生きていてくれたこと……それだけがせめてもの救いだった。 台座に安置されている『心のしずく』に目を向ける。 輝きが失われ、ガラス玉のように周囲の景色を映し出している。願いを叶える力など、カケラほども感じられなかった。 フィールを生き返らせたことで、長年をかけて溜め込んできた力を使い果たしたのだろう。 役目を終えた宝石は、ただの宝石に戻ったのだ。 「…………」 リクヤは何も言わず、眠っているアカツキに背を向けた。 『心のしずく』が力を使い果たしたなら、願いを叶えることはできない。 自分が望んだ絶対なる幸せは、もう手に入らない。 だが、もうどうでも良かった。 アカツキが死なないでいてくれた。それだけで良かったと思えるからだ。 「もう、俺は必要ないんだな……」 寂しい気持ちはあるが、アカツキには支えてくれる人がいる。 ユウキであり、ハルカであり、ハヅキであり……今まで出会ったたくさんの人たちが支えてくれるだろう。 自分が心配することなど、何もない。 「俺は、おまえたちの幸せは俺の幸せだと思っていたが……そんなことはなかったんだな」 もう、二度と現れまい。 アカツキを追い込んでしまったことは事実だし、今さら見せる顔もない。 リクヤが何も言うことなくこの場を去ろうとしたのを認め、ダイゴがその背中に声をかけた。 「リクヤ、どこへ行くつもりだ?」 「決まっているだろう」 リクヤは足を止めたが、振り返りはしなかった。 「俺はおまえたちにとって必要ない存在だ。 それが分かったから……去ることにした。それだけだ……」 今さら父親面したところで、今までしてきたことを考えれば、傷つけてしまうだけだ。 そうなるくらいなら、ここで背中を向けて去るのも愛情だ。 自分勝手だが、傷つけてしまうよりはいい。 これが親心かと、七年ぶりに蘇った暖かな気持ちに背中を押され、リクヤは歩き出した。 「父さん!! もういなくならないでくれ!! 僕もアカツキも、今の父さんとなら一緒に暮らしたって構わない!! 母さんのためにも……一緒にミシロタウンに帰ろう!! アカツキだって……父さんの気持ちが分からないわけじゃないんだ。 きっと、受け入れてくれる。 だから……」 ハヅキの言葉が、背中に深く突き刺さる。 うれしい反面、今まで自分がしてきたことは、決して許されはしないと分かっている。 「ハヅキ、ありがとう。 だが、俺はもう戻れないのだ」 リクヤは足を止め、必死になって引き留めようとする息子に言葉をかけた。 懐かしむような目を、さざめく木の葉の合間から覗く青空に向けて。 「俺はおまえたちを裏切った…… 俺の幸せが、おまえたちの幸せであるのだと、傲慢にもそんなことを考えていた。 おまえたちの気持ちなど考えもせずに。 ……こんな俺に、おまえたちと共に暮らす資格などないんだ」 「そんなことは……」 ハヅキは力ずくでもリクヤを止めようと、立ち上がった。 リクヤは自ら身を引くつもりなのだ。 確かに、彼は許されないことをした。罪を犯した。 だが、それでもハヅキにとってはこの世でたった一人の父親だった。 アカツキとナオミにとっても、それは同じだろう。 だからこそ、共に暮らしたいと思った。 今すぐには無理だろうが、罪を償い終えたら、その時は家族として、ゼロから始めよう。 今からでも遅くないはずだ。あきらめなければ、どれだけ時が経とうとも、遅すぎるということはない。 多少遠回りになっても、永遠にたどり着けないよりはマシではないか。 ハヅキの想いは、リクヤに伝わっていた。これが家族の温もりかと、彼の熱い想いに胸が満たされていく。 それでも……同じ道を行くことはできない。リクヤ自身が決めたことだ。 「だから、アカツキにも伝えておいてくれ。 俺は……おまえたちを愛していた、と。 いや……これからも、ずっと見守っている、と」 リクヤはハヅキに別れを告げて、再び歩き出した。 これが、今の自分にできる、父親としての愛情なのだと信じて。 しかし、運命は最も残酷な形で、親子を引き裂いた。 ――どこへ行こうというのだ、リクヤ……? 地獄の底から響くような凄みのある声に、時が一瞬、その動きを止めた。 背後から突きつけられた声に全員が振り向くと、ラティオスが狂気に満ちた眼差しでリクヤを睨みつけていた。 「ラティオス……」 どこに力が残っていたのか、ラティオスは宙に浮かび、オーラをまとっていた。 『心のしずく』の力を引き出すために、自身の生命力を媒体として捧げていたはずだ。 宙に浮かぶ力など、残ってはいないはずなのに。 「良かった、おまえたちも死んじゃいなかったんだな……」 気が立っているだけだろうと思い、ユウキはホッと胸を撫で下ろしたが、ラティオスはリクヤだけを見つめていた。 ――リクヤ、やりたいことだけをやって逃げようなど、身勝手にも程があるな…… ――おまえが……ニンゲンが、俺たちの生活を脅かし、運命を狂わせた。 ――それを償うことなく逃げようというなら、俺はおまえを許さない。 「許さないというなら、どうするつもりだ?」 ラティオスの凄みのある声に怯むことなく、リクヤは相手を正面から睨み返した。 別に、許してもらおうなどとは思っていないし、増してや償おうと思ったこともない。 ラティオスたちに悪いことをした、などという気持ちは露ほども持ち合わせていないからだ。 だが、ラティオスはリクヤの胸中を理解しているらしく、狂気に満ちた瞳をギラリと妖しく光らせた。 ――ニンゲンはいつもそうだ…… ――自分たちがこの世の王であるかのように振る舞う。 ――他者を虐げ、裏切り、その先に何を求めるというのだ……? ――おまえたちのせいで、どれだけの同胞が苦しんだか、分かるのか? ――今、この場で……おまえたちを消し去ってくれる!! ――これ以上、妹を……傷つけさせはしない……!! ラティオスは一方的に宣言すると、ラティアスから吸い取った生命力をすべて費やして、 フィールが生み出したものとは比べ物にならない、直径三メートルはあろうかという巨大な漆黒の穴を空間に穿った。 リクヤのみならず、『同じ』人間であるユウキたちまで巻き込んで、怨讐を果たそうというのだ。 ラティオスとラティアスの間には不思議な絆があり、互いに力をやり取りすることができる。 ラティオスが望めば、ラティアスの力を吸い取ることができるのだ。 無論、ラティアスには最低限、生きていけるだけの力を残してある。 ラティオスは自身の命を懸けて、運命を狂わせたリクヤに復讐を果たすつもりでいるのだ。 『心のしずく』の力は残されていないが、ラティオスとラティアスの力を合わせれば、これくらいのことはできる。 ――消えろっ!! 薄汚いニンゲンどもめ!! ――永遠にいなくなってしまうがいいッ!! ラティオスの声に応えるように、漆黒の穴が吸引力を生み出し、周囲の枯れ木や岩を吸い込んでいく!! 「おい、いきなりなんなんだよ!!」 ラティオスの凶行に不満を爆発させるユウキだったが、ブラックホールの吸引力は人間の力では抗えないほど強力だった。 とっさにポケモンを出し、全員の力を合わせて吸い込まれないように踏ん張るのが精一杯だった。 ユウキ、ハルカ、ダイゴ、ハヅキの四人はそれで事無きを得たが、眠っているアカツキには繋ぎとめるものがなかった。 少しずつ、ブラックホールへ向かって吸い込まれていく。 「……ッ!!」 リクヤは恐怖に表情をゆがませた。 愛しい息子が、先がどこへ通じているかも分からぬ漆黒の闇に飲み込まれようとしている。 脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。 何があっても思い出すまいと封印していた、忌まわしく、それでいて今までのリクヤを突き動かしてきた原動力。 「やべっ!!」 ユウキたちはなんとか踏ん張ったものの、踏ん張るのが精一杯で、アカツキまで手が回らない。 だが、どうにかしなければならない。 「オオスバメ、アカツキを助け……」 素早さに優れるオオスバメなら、アカツキを助けることができると思って指示を出した。 しかし、オオスバメが動くより早く、ユウキの視界に飛び込んで、アカツキの身体をかっさらう姿を認めた。 それはリクヤだった。 ありったけの力を振り絞ってアカツキの身体をつかむと、手前に引き寄せ、オオスバメに託した。 ――消えろ、消えろ!! 醜いニンゲンめ!! ラティオスは狂った哄笑を響かせる。 狂気に染まった瞳は、もはや正気に戻ることはありえまい。 ――ダメ……やめて…… ラティアスが絶え絶えに発した声も、狂ったラティオスには届かなかった。 こんなことをしても、何にもならない。 いや、それどころかラティオス自身を破滅させてしまう。 『心のしずく』の力なしに、今のラティオスを止めることはできない。 ラティアスには、生きていくのに必要な最低限の力しか残っていないのだ。手も足も出ない。 オオスバメはアカツキの身体を脚でガッチリ掴むと、全力で羽ばたいて、ユウキの元に戻った。 ……と、そこでアカツキは目を覚ました。 「……ぼくは?」 一体何をしていたのだろう? 妙に身体がダルくて、一日中野原を走り回ったような疲労感が全身を包み込んでいる。 少しでも力を抜けば、このまま倒れてしまいそうになる。 目を覚ましたばかりで鋭さを欠いている思考に亀裂を差し込むように、周囲に掃除機をかけた時の音が鳴り響く。 「……!?」 ハッとして顔を向けると、リクヤが自分に微笑みかけているのを認めた。 今までに見たことのない、優しく、慈愛に満ちた父親としての微笑み。 そんなリクヤは、背後にある黒い穴――ラティオスが生み出したブラックホールに吸い込まれようとしていた。 「お父さんっ!!」 何がなんだかよく分からないが、嫌な予感がした。 アカツキは短く叫び、遠のいていくリクヤに手を伸ばした。 「お父さんっ!!」 悲痛な声で叫びながら手を伸ばす我が子の顔を見やりながら、リクヤはこれが幸せなのかと知った。 自分を求めてくれる人がいる。 どんな理由があっても、自分の存在を認めてくれる人がいる。 「ああ、そうか……」 リクヤの胸中は穏やかだった。 背後に近づいているブラックホールの先には、無明の闇が広がっている。どこに通じているのかも分からない。 もしかしたら、入った瞬間に命を刈り取られてしまうのかもしれないし、時間の止まった空間に出てしまうのかもしれない。 どちらにしろ、ラティオスが末期の力を振り絞ってまで生み出したシロモノだ……無害であるはずがない。 それでも、リクヤの中に恐怖や戸惑いはなかったし、むしろ今までに感じたことがないほどの平穏に満ちていた。 「これが、俺の望んでいたモノだったんだな……なぜ、今まで気づかなかったのか……」 絶対の幸せなど、そもそも存在するはずがない。 人は生まれ落ちた時から、死ぬことが決まっている。 人だけでなく、すべての動植物、ポケモンたち……そして宇宙さえも。 誕生の瞬間に、終焉という名の呪縛を背負うのだ。 限りある時間だからこそ、幸せになろうとする。 その幸せは誰かが作るものではなく、自分たちの手で手に入れるもの。 リクヤは絶対の幸せを求めていたが、小さな幸せを手にすることすらできぬ者に、それ以上の幸せが舞い降りようか。 家族が四人で暮らしていくのなら、その四人が共にいるだけでいい。 その中で、小さな幸せを積み重ねながら、より大きな幸せを手にする。 それだけのことだったのに…… ずいぶんと遠回りをしてしまったものだ。 リクヤは遠ざかる息子に微笑みかけながら、胸の中でつぶやいた。 万感の想いを込め、この世でただ一人の父親として。 「すまない……こんな父親で。 だが、今の俺にできることは、これだけだ……おまえにはおまえの夢があるのだから。 そして、ありがとう。 こんな気持ちを思い出させてくれて…… これが、父親としての俺がおまえに対してできる、最初で、最後の……」 「父さん!!」 「お父さん!!」 「リクヤっ!!」 ハヅキが、アカツキが、ダイゴが声を振り絞って叫んでも、願いは届かなかった。 リクヤはブラックホールに吸い込まれ、それから程なくラティアスも吸い込まれた。 ラティオスが、何があっても守ると決めていた妹さえ、自身の狂った怨讐に巻き込んでしまったのだ。 しかし、ラティオスがそれに気づくことはなかった。 ブラックホールは、自身を生み出したラティオスすら吸い込み、弾けるような音と共に掻き消えた。 一瞬、何がどうなったのか、全員が理解できなかったが、時は立ち止まることを許してはくれない。 「父さん……」 「…………」 ハヅキはポケモンたちを離すと、ブラックホールがあったところまで、よろよろと頼りない足取りで歩いていった。 「やっと会えたと思ったのに…… 一緒にミシロタウンに帰れると思ったのに……なんで、こんなことに……」 リクヤはブラックホールと共に消えた。 どこか、別の場所に放り出されていればいいが、そうでなければ…… 最悪、ブラックホールの中の空間ごと消し飛んだ可能性すらあるのだ。 「お父さん……まさか、ぼくを助けようとして……?」 アカツキは思うように力の入らない身体を引きずるように、ハヅキの傍へと向かった。 黒く染まった『心のしずく』に手を伸ばした瞬間までは覚えているが、それから目を覚ますまでの間に何があったのか……記憶が曖昧だった。 誰か見知らぬ者の声を聴いて、自分の主張を展開したような気はするのだが、どうにもハッキリしない。 目覚めたばかりで思うように考えられない頭では、無理に答えを出さない方が良いのだろう。 それでも、分かることはあった。 リクヤは、気を失っていたアカツキを助けようと飛び出し、彼を助けたまでは良かったが、 繋ぎとめるものを失って、ブラックホールに飲み込まれたのだ。 そう、自分を助けようとして。 「なんで……」 気づかぬうちに、アカツキの目から涙がこぼれた。 後味の悪い結末はもちろんのこと、それ以上に、今まで敵として対峙していた父親が、自分を助けるために闇に消えたのが信じられなかった。 「なんでお父さんがいなくなっちゃうんだよ!! なんで!!」 「…………」 アカツキの叫びに答えられる者はいなかった。 ……いるはずもなかった。 目の前で、父親を失ったかもしれない少年の気持ちを汲んでやれる者など、いるはずがない。 「アカツキ……」 ハルカは居たたまれない気持ちだった。 アカツキが握り拳を何度も何度も地面に叩きつけている。 見かねたハヅキが止めようとするが、アカツキは構わず拳を振り下ろそうとする。 フィールを助けるために、アカツキは自身の命を削ってまで願いを叶えた。 そして、リクヤはアカツキを無明の闇に明け渡さぬよう、自身を代わりに捧げた。 親子というのはそういうものなのだろうか? 喉に魚の小骨が遣えているのとは比べ物にならないような、気味の悪い何かが胸の奥底に蟠っている。 「…………」 ダイゴは、輝きを失った『心のしずく』を見やった。 願いを叶える力も消えて、闇に消えたリクヤの行方も知れない。 ある意味、最悪の結末と言っても良かった。 しかし…… まだ、すべてが終わったわけではない。 そう思わなければ、やりきれなさに狂ってしまいそうになる。 ダイゴとて、リクヤを助けたいと思っていたからだ。 何かに追い立てられるようにして、罪を重ねてゆく恩師を止めたかった。 ホウエンリーグのチャンピオンとしてではなく、一人の人間として、彼を救いたかった。 相手が消えてしまった以上、今さらそんな言葉を口にしたところで虚しくなるだけだったが……それでも、捨てきれない想いはまだ残っている。 すべてが終わったわけではないのなら…… ダイゴは目の前で項垂れている兄弟に言葉をかけようとしたが、ユウキに割り込まれた。 「アカツキ……」 「ユウキ、教えてよ。 ぼくは一体、何のためにここに来て、何のためにあんなことをしたんだろう……? お父さんがいなくなっちゃったんじゃ、意味なんてないのに……」 「それは……」 ユウキは今までに見せられたことのない表情を向けられ、言葉に詰まった。 目の前で、帰ってきて欲しいと思っていた父親がいなくなってしまったのだ。 悲しさと寂しさとやるせなさが同居する、複雑で痛ましい顔を見ているのも辛かった。 同じように項垂れていたハヅキは、まだ良かった。 現実を現実として受け止め始めていたが、アカツキはそうも行かなかった。 心の身体も発達段階で、未熟な少年にとって、目の前で父親が消えたという事実はあまりに重すぎた。 増してや、罪を重ねて欲しくないと、父親を止めるつもりでここまで来たのに…… フタを開けてみれば、父親自身が消えてしまった。 これでは、止めるどころではない。 今までやってきたことも、父親を止めたいという想いも、すべてが無駄になってしまったような、やるせなさが胸を押し潰しそうになる。 アカツキは苦しい胸のうちを、親友のユウキに打ち明けた。 何のために、今、自分がここにいるのか……と。 こんな結末になるなんて、誰も思っていなかった。 だから、余計に分からなくなる。 笑みを残し、リクヤが吸い込まれた闇の向こうには何があるのか……今、彼が生きているのか、それとも…… 「助けてくれ、って言ってんだよな……」 ユウキはアカツキの眼差しを真正面から受け止めようと思った。 自分に打ち明けたのは、助けて欲しいと思っているからだ。 どうしようもない気持ちを汲み取って欲しいと思っているからだ。 こんな時に親友一人助けられないようでは、立派な研究者になんて……立派な人間になんてなれない。 ユウキはうまくまとまらない胸中を、穏やかな声に乗せてアカツキに届けた。 今の自分にできることと言ったら……これくらいしか思い浮かばなかった。 「オレにも分からねえよ。 だけど……今のおまえが、どうしようもなくダメなヤツに見えるってことだけは確かだ」 「…………」 どっちが『どうしようもなくダメなヤツ』なんだかな…… ユウキにもよく分からなかったが、このままではダメだ。 いつまでも塞ぎ込んでいたって、始まりはしない。 後ろ向きでいるなんて、アカツキらしくない。 だから、憎まれてもいいし、殴られたって罵られたって構わない。 今は、アカツキに元気になって欲しい。 その一心で、ユウキは言葉を尽くした。 ダイゴもハヅキも、そんな彼に希望を託すしかなかった。 共に過ごしてきた時間が最も長く、アカツキのことを、もしかしたら本人よりも分かっているかもしれない、親友に。 「だいたい、親父さんが死んじまったなんて誰に分かるんだよ? 目の前からいなくなっちまっただけだろ。 目の前からいなくなっちまったんなら、捜せばいい。 そうじゃねえのか? 今のおまえは、それさえやろうとせずに、俯いて我が身を呪ってるだけのどうしようもなくダメなヤツだよ」 「…………ッ!!」 散々に扱き下ろされ、アカツキは眼差しを尖らせ、握り拳を震わせた。 「ユウキに何が分かるんだよ……ぼくはお父さんに傍にいて欲しかったのに……!!」 そんな言葉をぶつけてやりたい気持ちは確かにあった。 だが、できなかった。 ユウキの言葉が、ナイフのように胸を抉った。 やるべきこともやらずに、弱者だからというだけの理由で、俯いて不満や不安を漏らすだけ。 「そうだよね…… それじゃあ、ぼくはどうしようもなくダメなヤツだよね……」 何もせずに文句だけ述べるのは自分勝手だ。 ユウキの手厳しい言葉は、アカツキの心を強かに打った。 おかげで、目が覚めた。 悟った瞬間、彼の顔つきが変わった。 ただ嘆くだけで何もしようとしない少年は、一瞬でいつもの顔つきに戻った。 「……?」 「これはすごい……」 思いもよらない変化に、ハヅキもダイゴも目を丸くしていた。 アカツキのことを誰よりも理解しているユウキだからこそ、短い言葉のやり取りで彼に正気を取り戻させたのだ。 「ユウキ……ごめん。ぼく、どうかしてたね」 「まったくだ。おまえらしくもないじゃないか。 目の前にないものなら、捜せばいい。 ……おまえ、いつかオレにそう言ってくれてたよな。まさか、忘れてたのか?」 「……うん、そうみたい。いつだったかな?」 アカツキとユウキの顔に、笑みが浮かんだ。 リクヤがいなくなったことで塞ぎ込んでいたアカツキの心に、一筋の光明が差し込んでいた。 「何年も前のことさ。 親父の大事な研究資料をどっかに失くしちまって泣きじゃくってたオレに、おまえが言ってくれたじゃねえか。 『目の前にないんだったら、捜せばいいんだよ。ぼくも手伝うから』ってさ。 ……親父さんがいなくなっちまったって言うんだったら、捜せばいい。 死んだなんて決め付けるのは簡単だけど、それじゃあおまえの気が済まないんじゃないか?」 「うん……」 目の前で消えたことが衝撃的で、他には何も考えられなくなっていた自分。 だが、本当は認めたくなかっただけだ。 父親が、死んだなどと。 それに、目の前で消えたからと言って、死んだとは限らないのだ。 少なくとも…… 「ぼくが生きてるって信じなきゃ、始まらない」 アカツキは『心のしずく』を見やった。 青い輝きを失い、ただのガラス玉となった宝石が、陽の光を照り受けている。 信じる気持ちがある限り、終わらないのだ。 七年前……リクヤが何も言わずに家を飛び出した頃に戻った時と同じと言えば語弊があるが、それと似たような状況。 アカツキは立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。 今ではやるせない気持ちも消え失せて、代わりに新しい目標……やるべきことが理解できた。 「アカツキ……」 ハヅキの言葉に振り返った彼の顔には、少し寂しげな笑みが浮かんでいた。 だけど、いつまでも引きずってはいられないという気持ちが見て取れて、これにはハヅキの方が励まされた。 「まだまだだな、僕も」 弟に励まされるようでは、まだまだ大人には程遠い。 少しは大人になったと思っていたが、それは単なる思い上がりに過ぎなかったらしい……気づいて、苦笑が漏れる。 生気を取り戻した森に、木漏れ日が差し込む。 景色と同様に上向いた雰囲気。 「アカツキ君、ハヅキ君」 ダイゴもまた、思い切って口を開いた。 二人が振り向いてくる間に、思っていることを簡単に胸中でまとめておいた。 「僕はこれからも引き続き、リクヤの行方を捜索する。 彼のやりたいことは薄々だけど感じていたんだ。 気持ちも、少しは理解しているつもりだけど、リクヤはあまりいいろんなことをやりすぎてきた。 それは、ホウエンリーグのチャンピオンとして、看過できることじゃない。 見つけ次第、拘束することになるだろう。 先に、それだけは言っておきたい」 「分かってますよ。 ダイゴさんなら、きっとそうするんだろうなって思いますから。 だけど、僕たちは僕たちで、父さんを捜します。 なあ、アカツキ?」 「うん。ぼくたちは、父さんが生きてるって信じてるんだ。 信じるだけじゃなくて、捜さなきゃ。 今までやってきたことは、人を傷つけたり、ポケモンを利用したり…… 絶対に許されないことだけど、それでも、ぼくたちにとってはお父さんだから」 「そうか……」 間髪入れずに次々と言い返してくる兄弟を見て、ダイゴは安心した。 目の前で父親が死んだかもしれないのに、それでもくじけることなく、どこへ消えたかも知れない父親を捜そうと言うのだ。 「さすがはリクヤの息子だな…… あなたは、これからも彼らのことを見守っていくのだろう? なら……死ぬわけにはいかないな……?」 ダイゴは、今どこにいるかも分からないリクヤに問いかけた。 彼なら、絶対に生きているはずだ。 根拠も確証もないが、そう思える。 彼ほどの人間が、大切な人を残してそう簡単にくたばったりするものか。 「さて……」 これなら、この兄弟は大丈夫だろう。 ダイゴはレックウザの攻撃を受けて倒れているミロカロスを抱き起こした。 「……そのミロカロスは、お父さんの?」 アカツキは目を見張った。 ハルカのアーミットが抑えてくれていたおかげで、ブラックホールに吸い込まれずに済んだのだ。 とはいえ、レックウザの攻撃は強力で、ミロカロスは意識を失ったままだった。 命に別状はないだろうが、一刻も早くポケモンセンターで診せた方が良いだろう。 「ダイゴさん、まさか……」 ハヅキの問いに、ダイゴはそっと頷いた。 「ミロカロスだけじゃない……他のポケモンも、リクヤは残していった。 彼が見つかるその日まで、僕が責任を持って面倒を見よう」 ミロカロスだけでなく、ホウエンリーグ四天王の前に立ちはだかった彼らのポケモンは、リクヤを心底信頼していたはずだ。 彼が消えてしまったからといって、放っておくわけにはいかない。 ならばせめて、リクヤが見つかる日まで、ホウエンリーグが責任を持って面倒を見る。 ダイゴの器の大きさを見せ付けられるような格好になったが、ユウキが黙ってはいなかった。 「でもさ、ダイゴさんは忙しいんだろ? 面倒を見るって言っても、毎日顔を合わせてられる時間なんてないんじゃないか? なんだったら、ウチで面倒見るよ。母さんが喜びそうだし」 「う……」 尤もな意見に、さすがのダイゴも撃沈。 誰も反論しなかったので、それで決まりだった。 ホウエンリーグのチャンピオンと言えど、将来大物になるであろう研究者の論理には手も足も出せなかったのだ。 「……分かった。それでは、君とカリンさんに頼むとしよう」 ため息混じりに言い、ダイゴは携帯電話を取り出すと、今頃は目を覚ましているであろうホウエンリーグ四天王に電話をかけた。 「…………」 呼び出し音が十回鳴り、まだオネンネをしているのかと思った矢先、つながった。 「目を覚まして早々悪いが、頼みがある。 リクヤのポケモンをミシロタウンのオダマキ研究所に運んでもらいたい。 事情は後で説明するが、できるだけ急いでくれないか。 ……うん、分かった。他の二人に連絡を頼む。 終わったらサイユウシティに集合だ。今後の策を見直す必要があるからね。 それじゃあ……」 必要な指示は出した。 次に、今後に向けて策を見直さなければ……リクヤの失踪も含めて、理事の耳に入れておいた方が良いだろう。 後々になって禍根を残すようなことがあってはならない。 携帯電話をズボンのポケットにすべり込ませると、ダイゴはアカツキに向き直った。 彼の朗らかな笑みに含むところを感じたのか、アカツキは怪訝な表情で首を傾げた。 「アカツキ君。 君に、伝えたいことがある」 「え……どうしたんですか、いきなり改まっちゃって」 「本当はホウエンリーグが終わったその足で伝えに行きたかったが……こんなことになってしまったからね。 まあ、それはともかくとして。 明日、サイユウスタジアムに来てくれないか? 君の夢について、話がある」 「……っ!!」 ダイゴが笑みを浮かべながら紡いだ言葉に、アカツキは息を飲んだ。 『黒いリザードン』のことで、話があるというのだ。 ホウエンリーグが始まる前……アカツキはダイゴが『黒いリザードン』のトレーナーであると知り、無茶なことをしてしまった。 もしかしたら、その時の二の舞を踏むことになるのでは…… なんとなく不安になったが、ダイゴの方から持ちかけるということは、少なくとも以前のようなことはないのだろう。 『黒いリザードン』を実際に見たことのないユウキとハルカはちんぷんかんぷんだったが、 アカツキとダイゴの間で意味が通じれば、それで良かった。 「分かりました……」 アカツキは真剣な表情で頷いた。 夢を忘れていなかった……ダイゴは安心から笑みを深めた。 ホウエンリーグでの戦いぶりを見て、以前とは違うと分かっていたのだ。 今なら、あるいは…… しかし、ダイゴは明言を避けた。 明日……すべてが分かる。今、焦る必要はない。 「じゃあ、明日……待っているよ。今日はゆっくり休んで、明日に備えるんだ」 ダイゴはミロカロスを予備のモンスターボールに入れると、それだけ言い残し、その場を去った。 アカツキは次第に小さくなっていく彼の背中を、消えるまでずっと眺めていた。 「明日、どうなるんだろう……? でも、ぼくがしっかりしなくちゃ!!」 なんとなく不安になるが、自分がしっかりしなければならない。 どんな形になるとはいえ、ダイゴとは話をしなければならないと思っていたのだ。 夢は夢のままでいる方が美しいのかもしれないが、立ち止まるわけにはいかないのだ。 『黒いリザードン』に相応しいトレーナーになると決めたのだから。 やがてダイゴの背中が木々の合間に消えると、ユウキがここぞとばかりに問いかけてきた。 「なあ、どういうことなんだ?」 「ダイゴさんは『黒いリザードン』を見たことがあるんだって。居場所を知ってるかもしれないんだ。 たぶん、その話だと思う」 アカツキは真実と嘘を半分ずつ混ぜた言葉を返した。 確かに、ダイゴは『黒いリザードン』を見たことがあるし、居場所だって知っている。 トレーナーなのだから、それは当然だ。 だが、彼がそのトレーナーであるとは言わなかった。 それこそ後でいろいろとややこしくなると思ったからだ。 ユウキとハルカはとりあえずそれで納得したらしかったが、ハヅキだけは違った。 真実を知る彼だからこそ、異なった反応を見せたのだろう。 「本当にそれでいいのか?」 と言いたそうな眼差しを向けてくるが、アカツキは小さく頷きかけるだけだった。 ユウキとハルカなら分かってくれる。 そう、信じているからだ。 「あの、アカツキ……」 「なに?」 フィールをモンスターボールに戻したハルカが歩み寄り、恐る恐るといった口調で言葉をかけてきた。 「ありがとう、フィールを助けてくれて……本当にありがとう。 あのままだったら、フィール、ホントに死んじゃってたかもしれない」 「うん……でも、ぼくがフィールを助けたいって思っただけだから、気にしないで。 それより、フィールのこと、これからも大切にしてあげてね」 「ええ、もちろん!!」 アカツキの言葉に、ハルカは満面の笑顔で大きく頷いた。 彼が身を削ってまでフィールを助けてくれたこと……ちゃんと、フィールに伝えよう。 そして、フィールと共にこれからを生きよう。 未来を閉ざさずにいてくれたアカツキに対する、せめてもの感謝だった。 しかし、アカツキはフィールを助けるために自身の命を削ったことなど覚えていなかった。 気を失ってから目覚めるまでの記憶が、今となっては完全に吹き飛んでしまっていたからだ。 ただ覚えているのは、フィールを助けたということだけ。 その間の出来事は記憶の中からきれいサッパリ消えていた。 それでも良かった。 フィールを救い、ハルカの笑顔が見られたのだから。 手に取ったフィールのボールを愛しげに見やるハルカの笑顔に心が暖かくなっていると、ハヅキがアカツキの肩に手を置いた。 「アカツキ、今のうちにおまえに話しておきたいことがあるんだ」 「なに?」 「僕はジョウト地方に行こうと思う。 父さんがどこに行ったのかは知らないけれど……ホウエン地方じゃない場所に飛ばされた可能性もある。 だから、僕が外に出て捜そうと思う。 トレーナーの腕を磨きながら、いつか父さん相手に勝負できるように」 ハヅキは決意を語った。 リクヤを捜すなら、手分けした方が効率は良い。 それはその通りだったが、彼が口にしたのは遥か北方の地方だ。 まずは手近なオレンジ諸島から捜すべきなのだろうが、海を隔てた北方…… この国の本島の中部に位置するジョウト地方に赴くと言うからには、それ相応の理由があるのだろう。 アカツキは試しに訊いてみた。 「どうしてジョウト地方なの? オレンジ諸島の方が早いんじゃない? どうせ、途中で通るんだし……」 ホウエン地方からジョウト地方へ行くとなると、空を飛べるポケモンで行くか、海を渡るために定期船を利用することになる。 どちらにしても、途中にはリゾート地としても有名なオレンジ諸島を通ることになるのだ。 手近な場所から捜していく方が確実だと思うのだが…… 「確かに、それはそうだね」 ハヅキはアカツキの言い分を認めた上で、こう付け足した。 「ジョウト地方にも、ホウエンリーグのような大きな大会があるらしくてね。 そういった大会に出た方が、父さんも僕のことを見つけやすいんじゃないかって思うんだ。 もちろん、ジョウト地方の各地に足を伸ばして、父さんが立ち寄った形跡がないかどうか、捜して歩くつもりだけど」 「そっか……」 ジョウト地方にはジョウトリーグと呼ばれる公式大会があり、ホウエンリーグのジョウト地方版のようなものだ。 年に一度の大きな大会ゆえ、テレビで中継されるだろうから、リクヤもハヅキの居場所を見つけられるだろう。 「ちょっと、寂しくなっちゃうな……」 突然、ジョウト地方に行くと言われて、アカツキは戸惑ったものの、ハヅキの決意は固いのだろう。 握りしめた拳が、彼の決意の強さをうかがわせた。 止めるだけ無駄だろう。 それなら…… 「ぼくも別の地方に行く。 兄ちゃんがジョウトだって言うなら、ぼくはカントーにでも……」 手分けして捜すなら、自分も別の地方に旅立つべきだ。 アカツキの主張はユウキとハルカにとっては寝耳に水だった。 目を丸くする二人を余所に強く主張したが、ハヅキは頭を振って否定的な言葉を返した。 「いや、アカツキはホウエン地方に残ってくれ」 「なんで? ぼくだって、他の地方で旅くらいできるよ」 「そういう理由じゃない。 ……いいかい? おまえには待っていて欲しいんだよ。 父さんがいつ帰ってくるかも分からないし、できればミシロタウンで待っていて欲しい。 父さんには帰るべき場所があって、そこには待ってくれている人もいるはずなんだよ。 だから……おまえにはそうして欲しい。 もちろん、これは僕の勝手な願いだし、おまえが断っても、僕は何にも言わない」 「…………なんだか、そう言われちゃうと断れないじゃない。兄ちゃん、ちょっと卑怯」 「すまないな……でも、これが最善なんだよ。 どちらかが残っていた方がいい。 父さんを笑顔で迎えられるように……ただいまって言えるように」 「うん……分かった。そうするよ」 話はまとまった。 アカツキがハヅキの言葉に折れる形になったが、リクヤがいつ戻ってくるかも分からない以上、家を守るというのも大事な役目なのだ。 アカツキはそれを理解したからこそ、外に出て捜す役目をハヅキに任せることにした。 「ありがとう。 それじゃあ、戻ろうか。 おまえも疲れているだろうし、ユウキとハルカのポケモンをジョーイさんに診せた方がいいだろう。 ここからならキナギタウンの方が近いだろうから、今日はそこで休もう。 明日……僕はジョウト地方に旅立つよ。 おまえはサイユウシティで、ダイゴさんとの約束を果たしたら……ミシロタウンに戻るんだ」 「分かってる。行こう!!」 「おう!!」 「うん!!」 アカツキがユウキとハルカを引き連れて歩き出したのを見て、ハヅキは心の底から安堵した。 弟ならきっと、自分の想いを理解してくれると思っていた。 後付したような理由で、なんだかご都合主義的なところを感じてしまうが、納得してくれたのなら、それに越したことはない。 「兄ちゃん!! 早く!!」 「……!!」 気がつくと、アカツキはずっと先で立ち止まり、手を振っていた。 「ああ、すぐに行くよ」 ハヅキは大声で言葉を返したが、今しばらくこの場所に留まっていた。 「…………」 振り返ると、台座に載ったガラス玉。 そこにいるはずのポケモンの姿はなかった。 「ラティオス、人間の傲慢さは確かにその通りだけど…… だけど、アカツキは自分の意志で、自分の命を削ってまでフィールを助けることを選んだんだよ。 そこに損得勘定や利害は関係ない。 人間にも、誰かを想う気持ちはある。 それだけは……信じてほしいんだ。 今となっては、どうでもいいことかもしれないけれど……」 ラティオスもラティアスも、無明の闇に消えた。 今頃どこにいるのかも分からないが、生きているのなら、いずれはここに戻ってくるだろう。 自分たちは何もしてやれなかったが、その分、彼らには自分の目でいろいろなものを見てほしい。 人間は確かに傲慢で残忍で非情な面を持つ。 しかし、逆に相手を慈しみ、愛する気持ちも持っている。 無明の闇に吸い込まれるその瞬間も、ラティオスにはそれが分からなかったようだが……いつか理解してくれる日が来ることを、願わずにはいられない。 ハヅキはしばし目を閉じて想いを馳せると、アカツキたちの後を追いかけた。 鮮やかに色づく森の中に、物言わぬ『心のしずく』だけが残った。 アカツキたち親子の運命が変わった翌日。 舞台はサイユウスタジアム。 ホウエンリーグが終わって、サイユウシティは全体が静まり返っていた。 予選を勝ち抜いたトレーナーが熱戦を繰り広げたサイユウスタジアムも、溢れんばかりの熱気を失い、静寂が包み込む。 激しいバトルが行われたとは思えないほどに静まり返ったスタジアムの中央に、ダイゴは入り口に背を向けて立っていた。 青空と棚引く雲を見上げながら、何か考えをめぐらせているようであった。 静まり返ったサイユウスタジアムに小さな足音が響いた。 「来たね……」 ダイゴはつぶやくと、笑顔を湛えて振り返った。 スタジアムに入ってきたのは、アカツキだった。向けられた笑みを返し、ダイゴの傍へと歩いていく。 足を止めたところで、言葉をかける。 「君の夢を、もう一度教えてもらえるかい?」 「……黒いリザードンをゲットすることです」 アカツキは少し躊躇ったものの、顔を上げ、ダイゴの目を真っ直ぐに見つめて正直に言った。 どう言い出そうか迷っていたけれど、自分の気持ちに嘘はつきたくなかったし、ダイゴもそれを望んではいないだろう。 「そうだね」 ダイゴは頷くと、再び青い空を見上げた。 「君の夢は、まだ叶っていないんだよね」 「はい……あきらめるつもりはありません。プリムさんがなんて言おうと……」 「うん。いいことだと思うよ」 夢をあきらめるということを知らない様子のアカツキを見て、ダイゴは満足したようだった。 プリムの苦言程度で負けるような夢なら、こんなところにまでやってくることはなかったはずだ。 彼女には、仕事に託けて遠くに出てもらっている。 そうでもしなければ、この場で再びオニゴーリを出してアカツキを阻止しようとするだろう。 それだけは、避けたかった。 ダイゴがそう思っていることなど露知らず、アカツキはじっと彼に視線を注いでいた。 「アカツキ君。 君は今まで旅をしてきて、何を見てきた? たくさんのトレーナーと出会い、バトルを繰り返し、仲間を得て……悲しみも辛いこともあっただろう。 たくさんの出来事の中で何を感じた?」 ダイゴは腰のモンスターボールをつかむと、アカツキの前にかざして見せた。 楽しむように……笑みを浮かべて。 何をしようとしているのか、理解できたから。自分も、そうするつもりだったから。 「君の中に芽生えた何かを、僕に見せて欲しい。 ――さあ、始めよう!!」 ダイゴはモンスターボールを投げ放った。 ボールの口が開き、飛び出してきたのは『黒いリザードン』だった。 俗に言う色違いのポケモン……身体の色素が突然変異を起こして、同種のポケモンと身体の色が異なるというポケモンだ。 アカツキは胸がこれ以上ないほどに弾んでいるのを感じていた。 夢にまで見た存在が悠然と翼をはばたかせ、宙を漂っている。 言葉は要らなかった。 特にここで何をすると前もって打ち合わせていたわけではない。 だが、サイユウスタジアムはポケモンバトルの聖地。 ここでやるべきことがあるのだとしたら、それは一つしかない。 本当はここでいろいろと話をするべきなのだろう。 しかし、話ならいつでもできる。 アカツキもモンスターボールを引っつかみ、頭上に掲げた。 「行くよ、アリゲイツ!!」 トレーナーの意思に応え、アリゲイツが口の開いたボールから飛び出してきた!! 「ゲイツっ!!」 アリゲイツは飛び出してくるなり、やる気満々の表情で雄たけびを上げた。 相対するのは、黒味がかった紫の肌を持つそのポケモン。 自分の倍近い……あるいはそれ以上の立派な体躯を誇り、鋭く尖った目つきで睨みつけてきたが、アリゲイツはまったく怯まなかった。 ケンカ上等と言わんばかりに、睨み返す。 「さあ、君の実力(ちから)を僕のリザードンに見せてくれ!!」 「行きます!! アリゲイツ、水鉄砲!!」 アカツキはアリゲイツに指示を出した。 『黒いリザードン』は炎タイプ。尻尾の先で燃え上がる赤々とした炎からもそれが読み取れる。 そして、たくましい翼は飛行タイプの証。 弱点は……水、電気、岩タイプだ。地面タイプの弱点は飛行タイプによって相殺され、地面に降り立っていなければ食らうことはない。 だから、弱点の水タイプの技を軸にして攻めていかなければならない。 アリゲイツは大きく息を吸い込むと、凄まじい水の奔流を吐き出した!! 通常の水鉄砲を遥かに上回り、ハイドロポンプにすら匹敵する水流が、一直線に『黒いリザードン』へ向かって突き進んでいく!! 「リザードン、空を飛べ!!」 ダイゴの指示に、『黒いリザードン』は翼を打ち振ってより高く飛び上がった。 その真下を水流が通り過ぎていく。 思わず視線を落として通り過ぎる水流を見やる。まともにくらったら危ないと思っているのかもしれない。 どちらにしても―― 「楽しめそうな相手だ……」 アリゲイツのことをそういう風に思っていた。 久しぶりに全力を出して戦えそうだと。 「火炎放射!!」 続くダイゴの指示。 『黒いリザードン』は口を開くと、凄まじい火炎放射を撃ち出してきた。 並のポケモンが放つ大文字すら上回る威力を誇る火炎放射は、徐々にその攻撃範囲を広げながらアリゲイツに迫る!! 「やっぱりすごいな、ダイゴさんは……」 アカツキはぐっと拳を握りしめた。 悔しいが、単純な実力だけで言えば勝ち目はない。 だけど、今回のバトルは勝ち目があるか、ないかという次元の話ではないのだ。 精一杯戦って、ポケモンバトルを楽しもう……はじめからそのつもりでいた。 だから、勝ち目とか、そういうのはどこかに捨てようと。 「だけど、バトルを楽しみたいって気持ちだけは負けない……!!」 ダイゴにも負けない何かが自分の中にあると気づいて、アカツキの顔にはより輝く笑みが浮かんだ。 「アリゲイツ、水鉄砲!! 最大出力で防いで!!」 アカツキは迷わず水鉄砲を指示した。 火炎放射を放ちながら平気で空を駆け回っている『黒いリザードン』の攻撃から逃げるということを考えてはいけない。 迎え撃つしかない。 そんなトレーナーの意図を感じ取ったのか、アリゲイツは文字通り最大出力の水鉄砲で火炎放射に立ち向かう!! だが、前方の炎を防いだかと思えば、今度は側面、背後から時間差でじわじわと迫ってくる。 息つく暇もないというのはこのことだ。 だが、アリゲイツは水鉄砲を放ちながら身体の向きを変え、少しでも炎を受けずに済むように頑張っている。 「やるね……でも、どこまで保つかな?」 ダイゴは不敵な笑みを浮かべると、 「リザードン、翼で打つ攻撃!!」 出された指示に、『黒いリザードン』は器用に応えてみせた。 炎を吐くのを止めると、翼を広げたまま空を滑り、一直線にアリゲイツへと急降下!! 炎を防ぐので手一杯のアリゲイツには、とても『黒いリザードン』を止めるだけの余裕はない。 「やられたかも……」 アカツキは奥歯を噛みしめた。 ダイゴはアリゲイツがどういう対処をしても必ずダメージを受けるように攻めてきたのだ。 炎を防ごうとすれば『黒いリザードン』の翼で打つ攻撃を受ける。 かといって翼で打つ攻撃を防ごうとどこかしらに飛び退けば、炎が追い打ちをかける……何気ない攻撃の中に隠された、高度な戦術。 彼ほどのトレーナーになれば、それくらいのことが自然にできるようになるのだろうか。 もしそうだとすれば…… 「ぼくも頑張らなくちゃいけないんだな」 自然とそういう気概が心に満ちてくる。 アリゲイツは炎を防ぎながらも、可能な限り『黒いリザードン』に目を向けて、攻撃を避わそうと手立てを探っているようだった。 しかし、そう簡単に防げるような相手ではなかった。 炎を防いでいる間に、『黒いリザードン』の翼がアリゲイツの身体を打ち据えた!! すれ違う瞬間、すごい風が襲ってきた。 アリゲイツはそのまま何メートルも吹き飛ばされる!! 偶然か、その方向には炎はなかった。 だが、翼で打つ攻撃を受けただけでもかなりのダメージのはずだ。 ホウエンリーグのチャンピオンであるダイゴのポケモンなら、あらゆる能力が自分のどのポケモンをも上回っている。 運が悪ければ今の一撃で戦闘不能になることだってあるほどだ。 アリゲイツを攻撃した『黒いリザードン』は再び空に舞い上がる。 反撃を受けないか警戒していたのだろうが、強烈な一撃を食らってもなお反撃できるほどのポケモンなど、そうそういるものではない。 言うまでもなく、アカツキのアリゲイツはそういう類のポケモンではなかった。 毬のように転がりながらも、アリゲイツは身体に力を込めて踏ん張る!! 「君のアリゲイツはこの技を防ぎきれるかな!?」 ダイゴが右手を振り上げ、叫んだ。 「僕のリザードンが放つ最強の技、ブラストバーン!!」 いきなり勝負を決めようとしているようだ。 そして、それはアカツキのことを試そうとしているようでもあった。 『黒いリザードン』は大きく息を吸い込むと、首を擡げた。 体内で燃え盛る炎を凝縮し―― 首を勢いよく前に振り、凄まじい火力が凝縮された炎の球を吐き出した!! 「あんなの食らったら、絶対戦闘不能だって!!」 どう考えてもこれはまずい攻撃だと思った。 それでもアカツキの胸中は比較的穏やかだった。 これを防ぐことができたなら……耐えることができたなら……ダイゴは自分のことを認めてくれるだろうか。 期待が蕾のように力強く膨らんでいくのを感じながら、指示を出す。 「アリゲイツ、君の力をすべて注ぎ込んで水鉄砲!!」 水鉄砲以外では防げない。 炎の球が届くまでに、どれだけその威力を削れるか……すべてはそこにかかっている。 威力を削れば削るほど、アリゲイツが耐え凌げる可能性が高まる。 アリゲイツは立ち上がると、向かい来る炎の球を凝視し、口を開いて全力の水鉄砲を放った!! ハイドロポンプを使えないアリゲイツにとっては、水鉄砲が最大の武器なのだ。 「……ゲーイツっ!!」 アリゲイツは裂帛の叫びを上げると、口から全力投球の水鉄砲を放った。 先ほどの水鉄砲を上回る威力だ!! 炎の球と水鉄砲の先端が接触した瞬間…… どがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!! 耳を劈く爆音と共に、炎の球が大爆発を起こした!! アカツキは驚き、思わず耳を塞いでしまった。 大爆発を起こした炎の球は、溜め込んだ火力を放出するかのごとく、凄まじい炎をフィールドに撒き散らした。 「うわわわっ!!」 アカツキは慌てて逃げ出した。 まともに食らったら黒コゲだ。 アリゲイツは広範囲に撒き散らされる炎を防ごうと、これ以上ないほどに身体に力を込めて水鉄砲を放ち続ける!! だが、押し寄せる炎の前に、水鉄砲が徐々に圧される。 もうダメか…… アカツキがそう思った時だった。 「ゲイツ?」 アリゲイツは全身に今まで感じたことがないほどの力が満ちあふれるのを感じた。 身体の芯から湧きあがる不思議な力。 それは何よりも強く、確かな力だった。 アリゲイツは『それ』を躊躇わなかった。 待ち侘びたその時が来たことを悟る。 アリゲイツの身体が炎に飲み込まれる直前、アカツキは見た。 その身体に光が宿るのを。 「まさか、アリゲイツ……」 驚きと同時に――否、それ以上にアカツキは喜びを感じていた。 もう無理かもしれないとあきらめていた、アリゲイツも望んでいた、その瞬間……それが今、訪れたのだとしたら。 これ以上にうれしいことはない。 ダイゴもアリゲイツの身体に光が宿る瞬間を見た。 「君たちの絆……確かに見届けたよ」 今の彼なら、託してもいいかもしれない。 いつだったか……プリムが横槍を入れてきた時には、アカツキもまだまだ頼りない部分が多分に強かった。 だけど、今なら…… 『黒いリザードン』が放つ最強の炎は、アリゲイツの姿を飲み込んだまま、フィールドで荒れ狂った。 ダイゴですら避難せざるを得ないほどに攻撃範囲が広く、それでいて威力も高い。 並のポケモンなら、何体もまとめて戦闘不能にできてしまうだろう。 それほどの炎に襲われ、果たして耐えられるのか……? 時が過ぎ―― その瞬間はやってきた。 ……ァァァァァァァァァァイルッ!! 火の粉が弾けるような音がフィールドを包み込む中、確かに聞こえた力強い嘶き。 文字通り突然に、フィールドを包み込んだ炎は上下に両断された。 刃のような水流に薙ぎ払われ、炎は急激に縮小していく。 完全に消えるのにそれほど時間はかからなかった。 先ほどまで燃え盛っていた炎の中央部に、アリゲイツはいた。 たくましく進化したアリゲイツ――ワニノコの最終進化形、オーダイルとなって。 アリゲイツの面影を色濃く残したまま、しかし鋭さを増した眼差しが、『黒いリザードン』を捕らえる。 身長だけで言えば優に二倍以上にもなり、アカツキの背丈をあっさりと追い越した。 分厚い筋肉に支えられた立派な身体は、陸上で四つん這いになることを可能にするほどに強靭だ。 「オーダイル……」 アカツキは震えた声でつぶやいた。 胸が熱くなった。 いつか進化する時を共に夢見て……今、その夢は花開いた。 アリゲイツと呼べばいいのか、それともオーダイルと呼び方を変えるべきなのか……少しだけ戸惑ったけれど、自然と理解できた。 「オーダイル、ハイドロポンプ!!」 新しい名前で呼ばれたオーダイルは、アカツキの指示に応え、口から水の塊を吐き出した!! 「……なっ!!」 その威力、スピード。 ダイゴはオーダイルのハイドロポンプを見つめ、顔を驚愕に引きつらせた。 これほどの威力を持つハイドロポンプは、今まで見たことがなかった。 リクヤのミロカロスですら、今のオーダイルには勝てないだろうと思わせるほどほどの威力だ。 驚きに、指示を飛ばすのが遅れた。 だが、その一瞬で十分だった。 剛速球を超えるスピードで迫る水の塊が『黒いリザードン』の腹を直撃し、猛烈な水圧を撒き散らした!! ガァァァァァァァッ!! 『黒いリザードン』は悲鳴を上げながら地面に落下した。 全身に力を込めてもなお、ハイドロポンプの水圧に抗えないなど……信じられなかったが、事実だった。 「リザードン!!」 地面に激しく叩きつけられた『黒いリザードン』の身を案じて叫ぶダイゴ。 どう考えても戦闘不能寸前のダメージだ。 いや、戦闘不能にならなかったのが奇跡的と思える。 「オーダイル、もう一度ハイドロポンプ!!」 今が最大のチャンスだ。 アカツキは『黒いリザードン』を指差して指示を出したが、オーダイルは攻撃を出すことができなかった。 アカツキに顔を向けると、満足げに微笑む。 目を閉じ、ゆっくりと地面に倒れた。 「オーダイル!!」 アカツキはオーダイルの元へ駆け寄ると、膝を突いた。 「オー……ダイル……」 オーダイルは弱々しい声を上げると、糸が切れた人形のように首を落とした。 戦闘不能になったのだ。 進化をしても、体力を取り戻せるわけではない。 ただでさえ戦闘不能寸前のギリギリのところで、気力だけで立っていたようなものだった。 「オーダイル……ありがとう」 アカツキは笑みを深め、オーダイルの頬を優しく撫でた。 負けたというのに、こんなにも心を満たす充実感。 「それから……おめでとう」 進化を果たしたオーダイルに、精一杯の祝いの言葉をかけた。 もう、二度と進化することができないのではないかと覚悟していた。 だが、そんなことはなかった。 進化するためのエネルギーは、日常生活の中でも少しずつ蓄えられるものなのだ。 「今はゆっくり休んでいて。後で一緒に遊ぼうね」 最高のバトルをしてくれた『最愛の家族』に労いの言葉をかけた後で、アカツキはオーダイルをモンスターボールに戻した。 清々しい気分だった。 立ち上がり、思い切り空気を吸い込む。 先ほどの炎で余計な臭いが吹き飛んだせいもあるかもしれない。 吸い込む空気は、心の透明さをより際立たせるように新鮮だった。 「アカツキ君」 ダイゴの声に、振り返る。 彼は『黒いリザードン』をモンスターボールに戻していた。 そのボールを手に、歩いてくる。 自分と同じように、彼の顔にも笑みが浮かんでいた。 もしかして、『黒いリザードン』も戦闘不能になったのだろうか。 ダイゴの手の中にあるモンスターボールを見つめ、そんなことを思う。 「見事なバトルだった。 僕のリザードンを相手にここまでのバトルができるようになっていたんだね。驚いたよ」 「ぼくも驚いてます。 アリゲイツがオーダイルに進化してくれて……夢が叶って……ぼく、とてもうれしいんです。 勝ち負けなんて関係ないって。 それよりも大切なものを、今、見つけたんです」 「そうだね。今の君となら、リザードンをトレードしても良い……そう思っているよ」 「え?」 思いがけない言葉に、アカツキは驚いた。 『黒いリザードン』をトレードしても良いと、そう言ってくれたのだ。 以前は『大切な家族だから』と、あっさりと拒否したダイゴが。 素直にうれしかった。 自分の実力を認めてくれたからこそ、『黒いリザードン』とのトレードを了承してくれたのだ。 だけど…… トレードするということは、自分のポケモンを一体ダイゴに渡さなければならない。 アカツキにとって『大切な家族』を。 かつては――その意味を知らずに、功を焦る若き志士のように、目先のモノばかりを見ていた。 でも、今は違う。 トレードの真の意味を知っている。 「ダイゴさんは……ぼくのポケモンを『家族』として、きっと大切にしてくれる。 ぼくが『黒いリザードン』を大切にしようと思うように」 トレードに応じたい。 夢はすぐそこにあるのだ。 手を伸ばせばつかみ取れる距離にまで。 それに、ダイゴとトレードしたところで、そのポケモンと永遠に会えなくなるというわけでもない。 カエデを迎え入れる代わりに送り出したマッスグマとも、会おうと思えばいつでも会えるのだ。 ダイゴはチャンピオンという立場上、外を飛び回っていることが多いのだろうが、連絡を取ることはできるだろう。 連絡が取れれば、会うことも難しくはない。 「ダイゴさん。ぼく、どのポケモンでトレードに応じればいいのか分かりません」 「うん?」 アカツキは抱く想いを正直に述べた。 『黒いリザードン』と釣り合うだけのポケモンがいないこと。 だから、どうすればいいのか分からないということも。 『黒いリザードン』とトレードしたい気持ちはあっても、いざその時になると、どうしても躊躇ってしまう。 それも、アカツキがポケモンを『家族』として深く愛しているが故のことだった。 そんな男の子の胸中を察してか、ダイゴは笑みを深めながら言った。 「君は鋼タイプのポケモンを持っているかな?」 「鋼タイプ……ですか?」 「そう」 アカツキはきょとんとした顔で首をかしげた。 もしかしてダイゴは鋼タイプのポケモンとトレードしたいのだろうか、なんて考えが浮かんでくるが…… 「いつか話したかな。 僕は鋼タイプポケモンのエキスパートになりたいって。 覚えてないみたいだけど……確か話したはずだ」 ダイゴは、夢みる少年のような表情を浮かべ、遠い目で青空を見上げた。 「ホウエンリーグ四天王にも、それぞれエキスパートのタイプがあるんだよ。 カゲツは悪タイプ、フヨウはゴースト。プリムは氷で、ゲンジ殿はドラゴンタイプとね。 チャンピオンである僕も、得意なタイプがあるんだ。 それが鋼タイプ」 「ぼくの鋼タイプは……」 アカツキはモンスターボールを一つ手に取った。 そこに入っているポケモンこそ、ダイゴの得意とする鋼タイプの…… 「エアームドしかいません。ダイゴさんはエアームドをトレードしたいんですか?」 「ああ……」 「本当にいいんですか? オーダイルやカエデの方が、強いんですよ?」 「僕は前々からエアームドを使いたいと思っていた。 仕事が忙しくて、エアームドが棲息しているという地域に足を伸ばせなかったからね…… 多分、これからも仕事は尽きないだろうから、当分はその機会も訪れないだろう。 なら、この場で君と、リザードンとエアームドをトレードしたい。 いや、トレードして欲しい」 「ダイゴさん……」 アカツキはエアームドと『黒いリザードン』が不釣合いだと分かっていた。 だからこそ躊躇っていた。ダイゴが後悔しないだろうかと。 しかし、それは無用の心配だったようだ。 ダイゴは鋼タイプのエアームドだからこそトレードしたいのだと言う。 ならば、その気持ちを無駄にするわけにはいかないではないか。 アカツキはエアームドと『黒いリザードン』をトレードすることに決めた。 お互いが望むのであれば、そこには余計な打算など立ち入る隙もない。 「分かりました。お願いします」 アカツキはエアームドのモンスターボールを差し出した。 すると、ダイゴも『黒いリザードン』の入ったボールを同じように差し出してきた。 心臓の鼓動がいつもよりも早い。 それは、夢が叶う瞬間を迎えているからだろうか。 七年以上も前……幼心にその姿を目に焼きつけ、心に留め、いつか会うことを夢みてトレーナーになった。 こんなにも早く夢が叶うと思っていなかったからこそ、たとえようのない喜びを感じている。 「君ならきっと大切にしてくれる。 『家族』として愛してくれる。そう信じているんだ」 「ぼくも……」 アカツキはダイゴの目を真っ直ぐに見つめた。 ダイゴもアカツキの目を見つめ返す。 言葉にならない想いが交わる。 「ダイゴさんなら、きっと世界一強いエアームドにしてくれるって信じてます」 「そうだね」 アカツキはダイゴの、ダイゴはアカツキの、互いのモンスターボールを取り替えた。 アカツキの手には心なしかずしりと重いモンスターボール。 『黒いリザードン』が自分の『家族』として迎え入れられた瞬間だった。 「ありがとう、ダイゴさん……」 「こちらこそ」 「ぼく、ダイゴさんにも負けないようなトレーナーになります。それがきっと、ダイゴさんへの恩返しになると思うから……」 「頑張るんだよ。 今の君なら何が起こってもきっと大丈夫……君の『家族』を信じて頑張れば、どんな困難も、君を止めることはできないさ」 「はい!!」 アカツキは大きな声で返すと、頷いた。 積年の夢が叶った今……世界の誰よりも幸せだと思った。 エピローグへと続く……