The Advanced Adventures 外伝:チャンピオンロード<前編> Prologue 各地方のポケモンリーグを統べる存在を、人々は敬意を込めてチャンピオンと呼ぶ。 チャンピオンとは、卓越したポケモンバトルの実力を持つ四天王を従え、実質的にその地方最強のポケモントレーナーである者を指す。 数多のトレーナーの憧れの的であるが、たった一つしかないその椅子に座ることが許されるのは、 現役のチャンピオンに勝利したトレーナーのみ。 チャンピオンとのタイトルマッチに臨む権利は各地方の公式大会優勝者に与えられるが、 地方最強のトレーナーがそう易々と負けることはなく、とある地方のチャンピオンは十年以上もその座を守り続けているという。 そして今日。 一人の青年がタイトルマッチに臨むべく、旅を続けていた。 タイトルマッチが行われる場所(リング)へと続く、チャンピオンロードという戦いの道へ。 相対する(あいたいする)は、十年にわたって無敗を誇る、最強のチャンピオン。 T 温暖な気候と、一つの島に火山や砂漠、森が共存することから、学会からは自然界の縮図と呼ばれているホウエン地方。 主たる都市が築かれた本島を中心に、周囲に無数の群島が散らばる中、その南東部…… 一年を通して色とりどりの鮮やかな花が咲き誇るサイユウシティに、一人の青年が降り立った。 傍らに、歴戦の戦士を思わせる鋭い眼差しが印象的な、屈強なオーダイルを連れて。 「やっと、ここまで来たね。長かったなあ……」 「ダイル……」 青年が小さなため息を漏らしながら紡いだ言葉に、オーダイルは深く頷いた。 声だけでも十分にその通りであると伝わりそうなものだが、妙に人間くさい仕草を見せる。 それがまた、屈強な見た目からは想像もできないほど可愛かった。 青年は桟橋に降り立つと、通行人の邪魔にならないような場所に移動した。 そして、目の前に聳え立つポケモンリーグ・ホウエン支部の巨大なビルを見上げた。 青年が感慨深げな視線を向けているのを余所に、定期船から降りた人々が、吸い込まれるように巨大なビルを目指して歩いてゆく。 彼らが百段近くはあろうかという階段に足をかけたところで、 「もう一度、挑戦するって決めたんだもんね。今度こそ、勝たなきゃ」 つぶやき、青年は風で額にかかった前髪をさっと掻き上げた。 年の頃は二十歳前後といったところだろうか。あるいは、もう少し若いかもしれない。 黒髪で中肉中背。 この国ではどこにでもいるような背格好の持ち主だ。 衣服も動きやすさを重視したモノで、地味と派手の中間に位置しているような色使い(デザイン)だった。 しかし、普通の人とは明らかに違う特徴が、彼の頭部には存在していた。 前後逆さにかぶった帽子の隙間から飛び出した一房の前髪。 どうやら少年時代からのクセっ毛らしく、本人もこれが自分の特徴だと思っているせいか、 パーマをかけて直すつもりはないらしい。 一方、顔立ちはそれなりに大人らしい風格を漂わせているが、表情を緩めると、途端にあどけなさがにじみ出てくる。 もっとも、本人は自分が立派な大人であるとは思っていないようで、他人がどうこう口を出すのは詮無いことだったが。 「今まで頑張ってきたんだ。 今の僕たちならきっと勝てるって、ユウキも太鼓判を押してくれたんだ。 ここで負けるわけにはいかないよね」 「ダイル……」 見上げたビルは、越えるのが困難と思わせる試練を思わせる。 一度はそのビルに背を向け、何とも言えない気持ちを胸にこの島を後にしたものだ。 だけど、今は違う。 青年の瞳には、いつしか強い意志の光が宿っていた。 今度こそ、勝利で終わらせる――そう決めた以上は、何がなんでも負けるわけにはいかない。 今まで並々ならぬ努力を積み重ねてきた自分たちのため。 そして、今まで自分たちを支えてくれた、多くの人たちのためにも。 明確な決意を無言で示し、青年は拳をグッと握りしめた。 「よし、行こう!!」 「ダイルっ!!」 突き抜ける大空のように張りのある声を響かせて、青年はオーダイルと共に、ホウエン支部のビルへと向かって、歩き出した。 これから始まる、激しい戦いの先にあるモノを見据えて。 ホウエン支部のビルに足を踏み入れた青年を出迎える人物があった。 小麦色に程よく焼けた肌を存分にさらけ出し、薄布としか思えないような衣服を身にまとった女性だった。 年の頃は青年と同じくらいだろうか。 背丈はどちらかと言うと低めで、鼻筋も整っていてなかなかの美人である。 低い身長と、艶やかな肌。 ちゃんとした服を着れば、それなりの相手だって望めるのかもしれないが…… ある意味、惨状から生還したと思わせるような佇まいの女性は、ビルに入ってきた青年の姿を認め、パッと表情を輝かせた。 「あっ、来た来たっ♪」 小走りに、踊るような足取りで青年に駆け寄った。 「やっほ〜。フヨウちゃんのお出ましですよ〜♪」 明らかに場違いな声が、彼女の口からこぼれ出る。 受付嬢が何やら顔を引きつらせていたが、彼女――フヨウの目には青年の姿しか映っていなかった。 弾みに弾んだハスキーボイスと共にやってきたフヨウを、青年は笑顔で出迎えた。 互いに見知った間柄ということで、久しぶりの再会を喜んでいるような笑顔だった。 「フヨウさん、久しぶり。 その様子だと……まあ、元気そうで何よりだよ」 青年は一瞬、フヨウの惨状(笑)に戸惑いながらも、それが彼女らしさかと思い、多くは言わなかった。 元気印が取り得だと公言しているように、フヨウは場の雰囲気も弁えずに元気なところを振りまくのだ。 そういったところがホウエンリーグの潤滑油として機能しているのは、言うまでもない。 「当たり前じゃな〜い。アカツキも元気そうだねっ」 「あれからすっごく頑張ったから。負けっぱなしで終わるなんて、やっぱり僕もみんなも嫌だからさ」 「うんうん。ダイゴもそう言ってたよ。 『いつかまた来るだろうから、僕もウカウカしていられないな。より高みを目指して修行しなければ……』 な〜んて、すんごいこと言ってたからね」 「そっか……」 アカツキと呼ばれた青年は、フヨウの言葉に深く頷いた。 ――負けっぱなしで終わるのは、僕もみんなも嫌だから。 穏やかな声音の裏に、負けず嫌いな本心がにじみ出ていて、フヨウは笑みを深めた。 やはり、彼は変わっていない。 それどころか、負けず嫌いな子供っぽさが出ていて、より好感度アップだ。 フヨウは笑みをこれでもかと言わんばかりに深めると、アカツキの手を取った。 「ねっ、みんな待ってるから。早くフィールドに行こう♪」 「分かった。ここに来たのも……ダイゴさんと決着つけるためだし」 「じゃ、あたしがマンツーマンで案内したげる♪」 「……いや、それは遠慮しとくよ。ほら、オーダイルが……」 馴れ馴れしい態度で、まるで恋人気取りだ。 もちろん、フヨウは元来の明るい性格からそういった態度を見せているだけで、アカツキを恋人などと思ったことは一度もない。 実年齢は二十代後半もいいところだが、子供っぽさで言えば現役以上の凄まじさ。 身体だけ大人になったような女性。 それでも憎めないのが、彼女の魅力というものだろう。 アカツキはフヨウの普遍的な陽気さに安心しつつも、オーダイルを指し示した。 「をぉ?」 フヨウが首をかしげて、彼の指が指し示す先に視線を送る。 じーっ…… 今までずっと黙っていたオーダイルが、敵意にも似た視線をフヨウに向けていた。 十数年も一緒に過ごしてきた『家族』であるアカツキに、こうも馴れ馴れしく接するなどありえないと言いたげだった。 誤解のないよう言っておくが、一応、オーダイルは♂。 同姓ではあるが、やはり家族としての付き合いを大事にしているということだろう。 最近になって、妙に嫉妬深くなってきた。 それだけアカツキのことを大切に思っているのだ。 普通のオーダイルとは明らかに異なる迫力を滲ませる、アカツキのオーダイル。 そそくさと退散するというわけではないが、フヨウはすぐにアカツキの手を離した。 「や〜ね〜。オーダイルったら、カワイ〜んだから、もぅ♪」 「…………」 出し抜けにはしゃがれて、オーダイルも呆然。 そういえば、フヨウってこんなヤツだったっけ……思い出しても、彼女に先を越されては意味がない。 つかみ所のなさも相変わらずか。 アカツキは嘆息したが、ここに来た目的を思い出し、どうでもいいお話はこれで終わりにしようと決めた。 「それより、ダイゴさんたちが待ってるんでしょ? 早く行こうよ。僕も……早く戦いたいんだ」 「うん、そうだね。行こうか」 案の定、フヨウは何も考えていないような表情で、ステップなど踏みながらアカツキをエスコートしてくれた。 「オーダイル、行くよ」 「…………」 アカツキの言葉に頷き、オーダイルは彼の傍について歩き出した。 ポケモンリーグ・ホウエン支部のロビーはモダンな雰囲気に満ちていた。 床から天井まで、シックな色彩のパネルが敷き詰められ、ところどころに心を和ませてくれる観葉植物が設けられている。 応接スペースでは落ち着いた雰囲気のテーブルセットが間仕切り(パーテーション)ごとに設けられているが、 ホウエンリーグが終わって一月が経った今の時期は打合せや来客もないのだろう。 空気だけを載せているような状態だった。 静まり返ったロビーに、自分たちの足音だけが響く。 「ここも、ずいぶん久しぶりだな……」 アカツキはロビーの穏やかな景色に目をやり、胸中で懐かしんだ。 去年にもこのビルに足を踏み入れたが、その時とまったく変わっていない。 ホウエン地方における、ポケモンに関する職業を統括する組織が本部としているビルゆえ、 相当に警備が厳重なのかと思いきや、そうでもない。 広く一般に開放されているというわけではないが、警備らしい警備などビルの内外に取り付けられた監視カメラや、 出入口に立つ屈強なガードマンくらいだ。 重要な機密を多く抱える支部にしては、ずいぶんとおざなりな警備だという印象を受けるが、 実際のところ、そうとは言い切れなかったりする。 このビルには、常に一人以上の四天王が常駐しているのだ。 各地のジムを預かるジムリーダーをも上回る凄腕のポケモントレーナー……それが四天王と呼ばれる存在である。 四天王というからには、当然四人なのだが、このビルには一人以上が常駐している。 彼らのポケモンは、野生のポケモンが束になっても敵わないほどの実力の持ち主ばかりで、 トレーナーである四天王が駐在している時には、敷地内に放されている。 何かあったら騒ぎを起こして知らせてくれることになっているのだが、 四天王が擁する屈強なポケモンを欺いて侵入できるような輩も、そうはいない。 四天王は各地で講演やポケモンバトル振興のイベントに参加することも多く、 四天王を統括するチャンピオンと違ってメジャーな存在として受け入れられている。 なお、外見からは信じがたいことだが、フヨウはホウエンリーグ四天王の筆頭(ヘッド)という立場なのだ。 普段はつかみ所のない、なんだかガキのような女性だが、いざポケモンバトルになると、 つかみ所のなさをこれでもかとばかりに発揮して、相手のペースをガタガタに崩してしまうのだ。 アカツキも、フヨウのポケモンの強さを嫌というほど思い知らされたものだ。 「でも、フヨウさんがいつの間にか筆頭になってたなんて。 カゲツさんから聞くまでは知らなかったけど……」 何やら鼻歌交じりに、楽しげな足取りで前を歩くフヨウ。 彼女の背中を見やり、アカツキは胸中でつぶやいた。 今から九年前のことになるが、ポケモンと共に旅に出ることが許される十一歳になった日、アカツキは広い世界へと旅立った。 出会いと別れを繰り返し、たくさんのバトルや人との触れ合いを経験する中で、 ホウエンリーグのチャンピオン・ダイゴと、フヨウをはじめとする四天王と出会うこととなった。 彼らとはその頃からの付き合いで、互いに連絡を取り合ったりして、それなりに親交を深めてきた。 当時とはメンツが異なるものの、四天王の職を辞した者とも、関係は続いている。 ちなみにカゲツとは、ミリオンヒットを連発する超売れっ子のロックバンド『ザ・ペリッパーズ』のギターを務める青年で、 二年前にバンドが結成されるまでは四天王として活躍していた。 まあ、いろいろとあって、アカツキは以前、このビルを訪れていた。 目的は……今もその当時も変わらない。 あれこれ考えながら歩くうちにリビングを抜け、エレベーターに乗る。 強化ガラス越しに、色とりどりの花が咲き乱れる花園がその姿を現した。 高度が高くなるにつれて鮮やかに、それでいて楽園のような佇まいを見せるのは果たして気のせいか。 しかし、途中で北にそびえる小高い山へと向かって延びる橋が目に入り、リラックス気味の気分もすぐに立ち消えた。 今のアカツキの目的地である。 「…………?」 裾野から中腹までは麓の花園と同じ景色が広がる山。 トレーナーが真剣な面持ちで山頂を見つめていることに気がついて、オーダイルは首をかしげた。 去年の二の舞になりはしないかと、不安に思っているのが分かる。 額をゆっくりと舐めるように流れ落ちる一筋の汗。 表情こそ目標を達成しようと意気込んでいるように見えても、内心不安で仕方がないのが手に取るように分かってしまう。 十年以上も一緒に過ごしていれば、言葉にしなくとも相手が何を思っているのかくらいは分かるものだ。 それはアカツキにも、オーダイルにも、同じことが言えた。 だけど、時には解り過ぎてしまうことがもどかしくなることもある。 「るんるんっ♪」 アカツキとオーダイルが神妙な雰囲気を漂わせていることなどお構いなしに、フヨウは何が楽しいのか鼻歌など吟じている。 単純に、アカツキたちと一年ぶりに再会してうれしいのかもしれないが、 それにしては大の大人が場の雰囲気も弁えないのは、四天王と言う立場からしてもよろしくない行為だろう。 もっとも、アカツキにはそんなフヨウの行為を気に留めるほどの余裕はなかった。 ……戦いの時が、近づいてきているからだ。 去年と比べて、今は強くなっている。 トレーナーとしても、人間としても。 手持ちのポケモンだって、大きくレベルアップした。 戦術の弱点となる穴も確実に一つ一つ塞いできたし、やるべきことはやってきたつもりだ。 それでも不安に刈られるのは、相手が強大な存在であると身を以って理解しているからだろう。 「……大丈夫。僕ならイケる。みんなを信じて、今まで頑張ってきたんだ…… ここで怖気づいてどうするんだよ……」 いざ戦いを目前にした時、不安になってしまうのは人としてのサガだろう。 それを弱味と断じることはできまい。 気を抜けば笑い出しそうになる膝。 アカツキは気を強く保ち、来るべき戦いの時に備えた。 これでも、トレーナーとしての経験はそれなりに長いのだ。その中で何度だって負け戦は経験してきた。 今回もそうならないとは限らないが、負けたって次がある。 勝つまで何度だって挑戦すればいい。 幾度となく味わった不安な気持ちを振り払うのと、ほぼ同時だった。 エレベーターが、橋を越えたところで止まった。 扉が開くと、まばゆい日差しが差し込み、爽やかな風に乗って花の芳しい香りが漂ってくる。 「よし、行こう!!」 気を取り直し、アカツキはフヨウの後についてエレベーターを出た。 ホウエン支部ビルの17階。 山で言えば中腹に位置するその階には、デスクやパソコンといった機器はおろか、会議室や仕事場となる場所は存在しない。 中空のリラックススペースということで、ランチテーブルや喫煙所といった仕事外でのスペースとして広く開放されている。 昼時になると、役員たちが弁当を持ち寄って楽しい昼食の時間を過ごすのだろうが、 残念ながら、昼休みでない時間帯は閑散としていて、スペースの広さがかえって虚しく見えてくる。 そして、この階には北にそびえる山へと一本の橋が架かっている。 その名はチャンピオンロード。 チャンピオンへの挑戦者が必ず歩む道という意味で、いつからかチャンピオンロードという名で呼ばれるようになったそうだ。 エレベーターをぐるりと回り込み、橋へと差し掛かる。 途端、吹き抜ける風の爽やかさが一転した。 心なしか、風は妙に寒々しく感じられ、アカツキはぶるっ、と身体を震わせた。 ここから先は、四天王の知り合いとしてではなく、一人のポケモントレーナーとして…… 挑戦者として歩いていかなければならない。 相手は精強なポケモンばかりを繰り出してくる強敵だ。 一瞬の油断が、即、敗北につながる危険なバトル。 しかし、今までに幾度も絶体絶命のピンチを切り抜けてきたのだ。今さら臆することはない。 眼下に咲き誇る花の楽園とは裏腹に、山へと架かる橋は殺風景極まりないものだった。 鉄筋を内部に埋め込んだコンクリートの橋が、複数の橋脚に支えられて架かっているが、 橋脚の真上に位置する場所には、人の姿があった。 等間隔で立つ人は、いずれもこちらに身体を向けていた。 その中には、アカツキの見知った顔も混じっていた。 「…………」 いよいよ、戦いの時が来た。 アカツキは嫌でも緊張せざるを得なかったが、橋に立っているのはホウエンリーグが擁する自慢の四天王である。 チャンピオンと戦う前に、四天王全員と連続で戦わなければならない。 アカツキは五年前のホウエンリーグ優勝者であり、タイトルマッチの権利自体は有している。 一度、四天王に勝ち抜いてチャンピオンとの戦いに臨んだが、返り討ちに遭っていた。 それからは一年間じっくりと修行を重ねてきて、弱点の克服と、長所のさらなる延伸に務めてきた。 タイトルマッチの権利は永続的なものであるが、何度目の挑戦であっても、 四天王全員に勝利しなければチャンピオンが待つ戦いの舞台に駒を進めることはできないという厳しいルールが設けられている。 最初はやる気満々で挑む者も、やがてそういった厳しいルールを突きつけられて、背中を向けて去っていく。 チャンピオンとは、そういった重圧感をも跳ね除けるだけの心の強さも必要となってくるものなのだ。 橋の手前で足を止め、チャンピオンに挑戦することの意味を再度見つめなおしているアカツキに、 フヨウが優しく声をかけてきた。 「どしたの? 具合でも悪くなった?」 「いや……違うよ。やっぱり最初からやり直しって厳しいなって思っただけ」 アカツキは頭を振った。 一度チャンピオンに挑戦しているため、勝ち抜いた四天王にはこちらの手の内がバレてしまっている。 去年と同じポケモン、同じ戦術で挑んだとしても、勝ち目があるとは思えない。 ネックは、途中で負けると一からやり直しになってしまうという絶対的なルールだ。 四天王、チャンピオン共に、時間無制限のバトル。 ポケモンが戦闘不能になるか降参した時点で決着するものとし、次の相手と戦うことになる。 ポケモンの技(自己再生やミルク飲みといった技)以外では体力回復ができず、 実質的に一度戦ったポケモンは出せないことから、相手が得意とするタイプを考えた上で戦っていかなければならない。 磨きぬかれた戦術(タクティクス)も必要になってくるのだ。 無論、相手のタイプを考えてのオーダーになっているが、それでもやはりルールというのは……重い。 改めてルールの重さに唇を噛みしめるが、ここまで来た以上、戦わずしてこの場を去るなどという選択肢はありえなかった。 やりもしないうちからあきらめるのが大嫌いなアカツキにとっては、勝つために来た以上、正々堂々、全力を尽くすだけだ。 「大丈夫。僕には心強い『家族』がいるから」 「そう。それじゃ、行こっか」 フヨウのいつになく暖かい言葉に背中を押され、アカツキはゆっくりと踏み出した。 つかみ所のなさは相変わらずだが、それでも彼女が陽気で優しい人柄だということは疑いようもない。 昔は陽気な性格が災いして、アカツキの兄に対していかがわしい行為に及びかけたこともあった。 当の本人はそんな風に認識しておらず、単なるお遊戯と思っていたらしい。 なぜか今になってそんなことを思い出し、アカツキの顔に小さく笑みが浮かぶ。 乾いた足音を響かせながらコンクリートの橋を歩く。 やがて、アカツキは足を止めた。 二十メートルほど先に、一人目の四天王の姿を捉えて。 最初の相手は女性だった。 年の頃はアカツキと同じくらいだろうか。 どことなく余裕を漂わせている笑顔は、屈託のない子供のようなあどけなさを多分に残している。 少しカールしたツインテールを、頭に巻いたバンダナから覗かせ、ラフな服装でまとめている。 そんな四天王の女性とアカツキは、深い付き合いのある間柄だった。 「やっぱり来たね、アカツキ。元気そうで良かったよ」 ニコッと笑みを深めながら言う彼女に、アカツキは少しだけ表情を綻ばせた。 相手の実力を知っているがゆえに、安易に笑みを見せることなどできなかった。 だけど、その代わりに言葉を返した。 「ハルカの方こそ、元気にしてるみたいだね。 まあ、君が落ち込む姿なんて想像もできないんだけど」 「当然っ♪ あたしは早くフヨウちゃんみたく筆頭四天王になりたいんだから!! 落ち込んでるヒマなんてありゃしないの!!」 四天王――ハルカはアカツキの言葉に、挑戦的な口調で返してきた。 彼女には明確な目標がある。 そして、高い目標意識を常に抱いている。 そんな彼女なら、落ち込むヒマがあればフヨウを蹴落として筆頭四天王になるべく修行を積むのだろう。 相変わらずだな……とアカツキが思わず苦笑していると、 「あらあら。あたしをダシにするなんて、いい度胸してるわねぇ、ハルカも…… 後でケチョンケチョンにしてあげちゃおうかなっ?」 本気か冗談か、フヨウが含み笑いなどしながらそんな言葉を口走る。 つかみ所がなさすぎて、どちらとも取れるのが恐ろしい。 まあ、それはともかく…… アカツキとハルカは軽い挨拶を交わすと、すぐさま戦闘態勢に入った。 二人とも、久しぶりの再会を喜ぶためにこんなところまで来たわけではないのだ。 「じゃ、早速始めよっか」 ハルカは言うなり、腰のモンスターボールを手に取った。 「改めて名乗るわ。あたしは四天王が一人、竜使い(ドラグナー)のハルカ。 去年は負けちゃったけど、今回は絶対に負けないから。 ルールは……説明するまでもないわね? それじゃ、あたしのポケモンはこの子よっ!! ランドルフ!!」 朗々と名乗りを上げ、自身を鼓舞しているのだろう。 彼女が頭上に掲げたモンスターボールから飛び出してきたポケモンを見て、アカツキは緩みかけた気持ちを引き締めた。 「グォゥッ!!」 ハルカにランドルフと呼ばれたポケモンは、外に飛び出すなりヒレのついた腕を広げ、天を仰いで咆哮を響かせた。 ドラゴンタイプを得意とする彼女の、普段なら切り札として最後まで温存しているポケモンがいきなり出てくるとは…… しかし、去年もそうだった。 序盤から手こずらせてくれたのが、鋭い眼差しでギロリと睨みつけてくるランドルフだった。 マッハポケモン・ガブリアス。 ランドルフというのはニックネームで、種族名はガブリアスという。 手足を折りたたむとジェット機の如きスピードで跳ぶことができるポケモンで、ドラゴン・地面タイプの持ち主だ。 外見はサメを基調としながらも、陸上で活動ができるよう、立派な腕や脚を生やしている。 ダークブルーの鮮やかな身体はしなやかで、凶悪な眼差しさえなければ、優雅な印象さえ受けるだろう。 しかし、ランドルフの能力は非常に高く、相性が圧倒的に有利な氷タイプのポケモンを駆使しても、苦戦は免れない。 互いに一体しかポケモンを使用できないため、必然的に四天王は最強のポケモンを繰り出してくることになる。 対して、アカツキはチャンピオンと戦うまでは最強のポケモンを温存しておかなければならないハンデを負う。 四天王の最強のポケモンともなると、並大抵のポケモンが寄り集まったところで勝ち目など皆無。 そんな相手に最強のポケモンで臨めないのは辛いところだが、ルールである以上は四の五の言っていられない。 「ランドルフか……」 やる気満々のランドルフを見やり、アカツキは腰のモンスターボールに手を触れた。 ドラゴン・地面タイプを持つランドルフには、氷タイプの技が異常なほどよく効く。 また、同じドラゴンタイプの技でも効果抜群となるが、ドラゴンポケモンで対抗しようとすると、逆に弱点を突かれる。 そうなると…… 「こういう時は……」 四天王の順番は、最後の一人――筆頭であるフヨウを除いてランダムとなっている。 去年、ハルカは三番目に登場した。 四天王の中にも階級はあるのだろうが、少なくともバトルの中ではその二文字を感じさせないほどの実力者ばかりだ。 アカツキの目から見ても、四天王の中では目に見えるほどの実力差はない。 「オォッ……」 と、不意にオーダイルがアカツキの肩を軽く叩いた。 肩越しに振り返ると、オーダイルは自分が行くと言いたげな視線を投げかけてきた。 「…………」 確かに、オーダイルならランドルフから弱点を突かれることはない。 さらに、冷凍ビームや吹雪、氷の牙といった技で逆に弱点を突くこともできる。 しかし、アカツキにはオーダイルに一番手を任せる気はさらさらなかった。 なぜなら、オーダイルは最後……チャンピオンとのタイトルマッチまで取っておきたいと考えていたからだ。 しばし思案をめぐらせた後、アカツキは頭を振った。 「オーダイル、君の出番は最後まで取ってあるんだから。ここは他のみんなに任せて」 トレーナーの穏やかな言葉に、オーダイルは引き下がるしかなかった。 ここで自分が無理に飛び出していけば、アカツキはきっと困るだろう。 さすがにそういうのは嫌いだった。 ただ、それでは立つ瀬がないので、渋々といった表情を演出して一歩下がる。 妙なシコリが残りそうな終わり方だったが、アカツキはさして気に留めることもなく、 腰のモンスターボールに触れている手を止めた。 「よし……」 とにかく、オーダイルは最後まで取っておく。 それは最初から決めていたことだ。今さら変更するつもりはない。 そうなると、別のポケモンでランドルフの弱点を突かなければならないが、その心配も解消された。 ある意味、適任と思われるポケモンが手持ちにいたからだ。 アカツキは今触れているモンスターボールを手に取ると、頭上に軽く放り投げた。 「出てこい、マニューラ!!」 凛とした呼び声に応え、放り投げたボールが口を開く。 閃光を伴って地面に降り立ったのは、ランドルフの半分ほどの背丈しかないポケモンだった。 「へえ、新しくゲットしてたんだ……驚いたなあ」 ハルカはアカツキが繰り出したポケモンを見て、眉根を寄せた。 どうやら、彼女にとってもこのポケモンは予想外だったらしい。 アカツキが繰り出したのは、マニューラ。氷・悪タイプのポケモンだ。 浅黒い体色と、やせ過ぎではないかと思うような細い手足が不気味さを際立たせる。 しかし、手足の先に生えた鋭く尖った爪と猛禽を思わせる目つきが、しなやかで力強い印象を与えている。 「マニューっ……」 マニューラは腰を低く構えると、ランドルフを睨みつけた。 その口元には、余裕をもうかがわせるような不敵な笑み。 相性の良さを肌で感じているのか、それとも…… ポケモンを挟んで、睨み合うトレーナー。 アカツキとハルカは、アカツキの十一歳の誕生日に、同じ町から旅立った。 誰よりも大きな夢を胸に抱き、広がる世界に胸を高鳴らせて。 だからこそ、余計に目の前に立つ相手には負けられない。 「さ、どうなるかなっ?」 フヨウは少し離れたところで高みの見物を決め込んだ。 彼女の出番はもっと先……ハルカを含め、アカツキが三人の四天王に勝たなければ訪れない。 それまでは、高みの見物と洒落込もう。 去年と比べて、どれだけトレーナーとしての腕を上げたのか、実際に戦う前に見てみるのも一興。 生暖かい風に混じって、張り詰めていく緊張感。 やがて風が止まり、空気の流れさえ停止したかと思われた瞬間―― 「ランドルフ、先手必勝よ!! マッハドライブ!!」 「マニューラ、氷の礫を連発!! ランドルフを近づけさせるな!!」 トレーナーの指示に、マニューラとランドルフは素早く動いた。 一瞬でも隙を見せようものなら、確実に倒される……相手の手強さを肌で感じていたからこそ、確信できることがあった。 ――短期で決着をつける。 ランドルフはともかく、マニューラはお世辞にも体力に優れたポケモンとは言えない。 相性の有利さを活かし、自慢の素早さで攻撃を畳み掛け、一気に勝利を手中に収めるのだ。 ランドルフはヒレのついた腕を折りたたむと、パッと飛び出した。 直後、マニューラが空気中の水分を瞬時に凍てつかせて作り出した氷の礫を次々とランドルフ目がけて放つ。 しかし、ランドルフはフィールドを縦横無尽に動き回り、氷の礫による攻撃を避けまくっている。 「マッハドライブか……まさか、使ってくるとは思わなかったな」 アカツキはランドルフの不規則な軌道を目でたどりながら、小さく舌打ちした。 マッハドライブはドラゴンタイプの技で、威力こそ低いが、電光石火やマッハパンチと同様に速攻が可能な技だ。 いきなり飛び込まず、なぶるようにじわりじわり迫ってくるのは、マニューラにプレッシャーを与えるためだろう。 氷の礫はランドルフが最も苦手とする氷タイプの技。 動き回っている状態でまともに食らえば、ダメージは計り知れないものとなるが、受けなければ痛くも痒くもない。 「近づいてしまえば、こっちのモンよ。 ランドルフには、奥の手があるんだから……ウフフフフ」 ハルカは少しずつマニューラとの距離を詰めているランドルフを見やりながら、胸中でほくそ笑んでいた。 攻撃力の高さでは、ランドルフの方が圧倒的に上である。 それに、マニューラが最大の弱点とするのは格闘タイプ。 ランドルフは、氷タイプのポケモンを返り討ちにできるよう、格闘タイプの技を覚えているのだ。 互いに、最大の弱点を突くことができる…… アカツキも、そういったリスクを承知の上で、マニューラを繰り出してきたといったところだろう。 さすがに、楽観視できる状況ではない。 「……捉え切れない? マニューラでさえ氷の礫を当てられないなんて。 さすがに、ハルカのポケモンだけのことはある」 マニューラは手当たり次第に氷の礫を放つが、一発もランドルフに命中しない。 橋に叩きつけられ、無残に砕け散る破片の数が物語るのは、マニューラが放った勢いの強さと、ランドルフのスピード。 さすがはハルカのポケモン……よく育てられている。 アカツキは胸中で彼女のポケモンの強さに称賛を贈っていた。 そんなことをしている場合ではないのは重々承知しているが、 彼女が次にどんな手を打ってくるのか分かっているからこそ、焦りはそれほど感じていない。 対照的に、マニューラの方はとにかく焦っていた。 今までに氷の礫だけで仕留めた相手は数知れないが、 ここまで徹底的に避けられ続けるという経験がないものだから、とにかく焦っていた。 顔に色濃くにじみ出る焦り。 こういう時こそ落ち着かなければならないことは分かっていても、焦りというのはそう簡単に消せるものではない。 「…………!!」 氷の礫をことごとく避けまくり、じわりじわりと迫ってくるランドルフ。 距離が縮まったのを見計らい、ハルカが次の指示を出した。 「ランドルフ、瓦割りっ!!」 「やっぱりそれで来た……」 ハルカの指示を受け、ランドルフは一気にマニューラとの距離を詰め、折りたたんでいた腕を広げた。 そして、思わず怯んでしまったマニューラ目がけ、格闘タイプの技・瓦割りを繰り出す!! 防御など考える必要はない。 相手が怯んでいるのだから、反撃される恐れもない。 ランドルフは腰が浮くほどに前傾姿勢を取り、攻撃にすべてのパワーを注いでいた。 ここで決まれば確実に勝てる…… トレーナーの弾んだ声に、確信する。 ――しかし、この時点ですでに勝負はついていた。 渾身の瓦割りがマニューラに決まる直前、ランドルフがその場にすっ転んでしまったのだ。 「ええっ!?」 マンガ調のポーズでコケたランドルフを見やり、ハルカが顔を引きつらせ悲鳴を上げた。 一体何がどうなっているのか……? 確認する暇もなく、アカツキの指示が飛ぶ。 「マニューラ、冷凍パンチっ!!」 直後、マニューラが冷気の力を込めた拳を、無防備なランドルフの背中に叩きつけた。 「グゲェっ……」 苦手な氷タイプの技を無防備な状態で食らい、ランドルフは潰れたカエルのような声で悲鳴を上げた。 「うっそーっ!!」 どうして、ランドルフが突然すっ転んだのか。 それさえなければ、瓦割りがマニューラを確実に倒していたはずだ。 それなのに…… ハルカは予期せぬ事態に混乱していたが、彼女を見据えるアカツキの視線は、計画的戦略を如実に物語っていた。 ランドルフは背中を氷漬けにされ、身動きが取れなかった。 立ち上がろうともがくものの、背中に張り付いた氷から漏れる冷気が身体の働きを狂わせ、手足はただ縺れるばかり。 「はい、そこまで。アカツキの勝ちっ」 この状態では、ランドルフに勝ち目はあるまい。 フヨウはいち早く察して、アカツキの勝利を宣言した。 「そんなぁ……ひどいよ、フヨウちゃ〜ん。まだ勝負ついてないのに」 ハルカは涙目で抗議したが、ニコニコ笑顔を返されて、敢え無く沈黙。 対照的に、アカツキはホッとしたように胸に手を当て、安堵のため息をついた。 上手く行くかは賭けだったが、成功して良かった。 失敗していたら、間違いなくマニューラは倒されていた。 紙一重の勝負を何度も経験してきたが、やはりそういったものには慣れることができない。 もちろん、慣れたいなどとも思わないが。 「……はぁぁ。負けちゃったね」 ハルカは思いのほか早く立ち直り、じたばたしているランドルフをモンスターボールに戻した。 冷静な目で見てみれば、寒さに弱いランドルフがこの状態で立ち上がれたとしても、 マッハドライブを始め、多くの技が使用不可能な状態になっているだろう。 氷の礫で攻められたら、ひとたまりもない。 どこで計算が狂ったのか…… アカツキに「何をしたの?」と訊ねる前に、答えは彼女の目の前に示された。 「地面が凍ってる……?」 「うん。マニューラが凍らせたんだよ」 「うそ……そんなヒマは……」 怪訝な表情を見せるハルカに、アカツキは肩をすくめながら頷きかけた。 なんてことはない。実に単純なトリックだ。 ランドルフが倒れていた場所……マニューラのまん前の地面が薄い氷に覆われていたのだ。 遠くから見た限り、コンクリートが打ちっぱなしのままに見えるが、 陽光が反射することで初めて、そこに氷が張っていると確認できる。 「いつの間に氷なんて仕掛けたの?」 「氷の礫に混じって、凍える風を放っておいたんだ」 「……それじゃあ、分からないはずだわ」 なるほど、それでは見破れないはずだ。 ハルカはそこでやっと、敗北を認めた。 やはり、アカツキはとんでもないことを平気でやらかすトレーナーだ。 相手に気取られぬよう、こっそりと技を仕掛けて罠に填める……だが、それもまた戦略の一環だ。 相手の方が一枚上手だった。それは認めねばなるまい。 ランドルフはマニューラがこっそり張った氷に足を取られ、転倒してしまったのだ。 確実に勝てるという、ある意味で驕りが生み出した致命的な隙。 じたばたするだけで立ち上がれなかったのも、上下から冷気がサンドイッチ状態で押し寄せてきたからだろう。 短期決戦であれば、相手に見えないように罠を仕掛けることが重要だ。 正面きって打ち合えば、負けるのは目に見えている。小細工でも何でも、仕掛けなければならない。 「前はもっと追い詰めたと思ったんだけどね」 「今回も危なかったよ。あと少しで、マニューラが倒されるところだったからね」 アカツキは素っ気なく答えると、戻ってきたマニューラの頭を優しく撫でた。 ランドルフが氷に足を取られなかったら、確実に負けていた。 冷静を装っていても、実は冷や冷やしていたのだ。 「マニューラ、お疲れさま。ゆっくり休んでて」 アカツキはマニューラをモンスターボールに戻し、フヨウに向き直った。 高みの見物を決め込んで、あっさりと勝利を宣言してくれた。 まったくもっていい趣味の持ち主だ……何年も前に、彼女にいいように玩ばれた兄が気の毒に思えてならない。 まあ、それは置いておいて…… ハルカとのバトルに勝利した以上、先へ進まなければならない。 「それじゃあ、先に行くよ」 「頑張ってね」 アカツキはハルカと握手を交わし、次の相手が待つ橋の中ほどへ向けて歩き出した。 小走りにフヨウが後を追いかける。 「……まいっちゃうなあ、もう……」 ハルカは再びため息をつくと、困ったような笑みを浮かべた。 さすがに、彼には敵いそうにない。 ……とはいえ、何度も何度も負け続けるのも癪である。 この先、彼がチャンピオンに勝利したとしても、負けっぱなしで終わるのは許せなかった。 地の果てまでも追い詰めて、ポケモンバトルで正々堂々勝利する。 「次は、そうは行かないわよ……」 アカツキの背中に、精一杯のエールと共に、次なる挑戦状を叩きつけるハルカだった。 U 橋の中ほどで待ち受けていたのは、二人目の四天王。 アカツキの見知った顔だった。 「やぁ、アカツキ君。久しぶりだね」 「お久しぶりです、ミクリさん」 軽い調子で挨拶してくる相手に、アカツキは小さく頭を下げて応じた。 二人目の四天王は、水タイプの使い手として有名なミクリだ。 かつてはルネジムのジムリーダーとして腕をならしていたが、 訳あって四天王に迎えられることになった凄腕のトレーナーである。 裾が少し短めの白いマントを羽織り、青を基調としたラフな服装でまとめた男性だ。 間もなく三十歳を迎えるが、一世を風靡した『百万の麗しき乙女が恋するジェントルメェン』は今も健在。 駐在日以外は大抵、どこかしらのステージでエンターテイメント・ショーを開催しているという噂を聞くが、 実際に見たことはないので、なんとも言えない。 それっぽいポーズを取ってみせたり、漂白したのかと見紛うばかりの白い歯をキラリ光らせたり。 エンターテイナーとしての意識は相変わらず……どころか、さらに拍車がかかっているような印象を受けた。 「いろいろと積もる話もあるだろうが、今の僕は『百万の麗しき乙女が恋するジェントル……』……」 「あー、それもう飽きた〜。 どうせなら『百億』とか『ハートブレイク』とか、それくらいのこと言ってよ〜」 言葉の途中で無情にもフヨウに改変させられ、ミクリはがっくりと項垂れた。 彼女のつかみ所のなさは、四天王の悩みの種になっているようだ。 だが、何年も同じ文言を延々聞かされた側としては、 いい加減『百万』から『百億』にグレードアップしてもいいじゃないかと思うものだ。 ここでは完全に、ミクリの自業自得である。 「…………」 ボケとツッコミの世界に突入しつつある二人を交互に見やり、アカツキは絶句した。 どんな言葉をかけて良いのかにも苦慮するのはなぜだろう……? だがしかし、さすがに四天王。こんなところでがっくりと項垂れるだけではない。 ミクリはしゃくるように顔を上げると、 「さあ勝負だッ!!」 「早ッ!!」 声を裏返らせながら、人差し指をアカツキに突きつけて勝負を迫った。 あまりの立ち直りの早さに、アカツキは思わずツッコミを入れてしまったが、それくらい、今の彼が普段とは違うのだ。 キメの口上をフヨウに邪魔されて、思いきりストレスが溜まったらしい。 自称『百万の麗しき乙女が恋するジェントルメェン』の表情は引きつり、額にはいくつもの青筋が浮かんでいる。 フヨウに植えつけられたストレスを、ポケモンバトルで払拭したいとしか思えなかったが…… どちらにしろ、ここで勝負しないわけにはいかないのだ。 「じゃ、そういうわけだからガンバってね♪」 『ここまでコジれたの、あんたのせいだろーがっ!!』 フヨウが他人事のように言いながら手を振って離れるものだから、これにはアカツキとミクリが声を揃えて大ブーイング。 ……が、さすがは筆頭四天王と言うべきか、フヨウは素知らぬ顔で少し離れた場所に陣取って、見学態勢に入った。 言動から察するに、ここまで事態を引っ掻き回したという自覚はないらしい。 仮にあったとしても、あってないような曖昧なものでしかないのは確実だ。 「…………」 「…………」 アカツキとミクリは、無言で顔を見合わせた。 どうして戦う前からこんな風に疲れなければならないのか……と、視線で語り合う。 しかし、この場に立った以上は、戦うしかない。 思いのほか簡単に完結したところで、ミクリは気を取り直し、腕をばっ、と広げた。 羽織ったマントが、風にはためく。 「では、改めて名乗ろう!! 僕は百万の麗しき乙女が恋するジェントルメェン!! ……にして、四天王が一人、水と氷の幻想師(イリュージョニスト)ミクリ!! ミシロタウンのアカツキ!! いざッ!! 尋常に勝負ッ!!」 「よろしくお願いします!!」 いつになくハイテンションなミクリに合わせ、アカツキも声を張り上げた。 ここは暗黙の了解というヤツで、フヨウによって大幅に下げられたテンションを取り戻そうという魂胆だった。 テンションの低いままではポケモンも思ったように戦えないだろうし、何よりも、トレーナーとしての務めも果たせない。 十数メートルの間を挟んで対峙するアカツキとミクリ。 互いの手には、いつの間にやらモンスターボールが握られていた。 「では、我が華麗なるポケモンをお見せしよう!! カモ〜ン、シャーリーーーーッ!!」 キザったらしいポーズを決め、ミクリが手にしたモンスターボールを空へ向かって投げ放つ。 一瞬、どこからともなくキラキラ光るものが見えた気がしたが……気のせいだろう。 ミクリが投げ放ったモンスターボールは空中で口を開き、ポケモンを戦いの舞台へと送り出した。 「ク〜ン……」 飛び出してきたのは、ラプラスだ。 シャーリーというのはミクリがそのラプラスにつけたニックネーム。ちなみに、女の子らしい。 ラプラスは乗り物ポケモンという分類をされているが、実際に人を背中に乗せて海を渡るのが大好きという優しい性分の持ち主だ。 一時は乱獲によって絶滅寸前まで数を減らしたそうだが、 今では保護運動の高まりも受けて、少しずつ個体数を回復しつつある。 「…………」 慈愛にも似た感情を瞳に湛えながらも、シャーリーがアカツキに向ける眼差しには敵意がこもっていた。 何しろ、彼には二度負けているからだ。 今度こそ勝たねば……という意気込みを全身から惜しげもなく放出している。 「シャーリーか……」 アカツキはやる気満々のシャーリーを見て、目を細めた。 彼女をはじめとするラプラスは大型で、水のない場所では満足に動けない。 もっとも、フィールドを凍らせてしまえば話は別で、水上には劣るものの、それなりの機動力を発揮することができる。 恐らく、ミクリは戦いの舞台を氷漬けにして、シャーリーの機動力を上げてくるだろう。 しかし、シャーリーはそれ以上に恐ろしいコンボの持ち主である。 旅立ったその年に、アカツキはミクリと最後のリーグバッジを賭けてジム戦をしたのだが、 シャーリー(当時は特にニックネームでは呼ばれていなかった)の『滅びの詩→貯水による体力回復』コンボで、 二体のポケモンを立て続けに倒されてしまった。 その時の光景が脳裏を過ぎり、アカツキは無意識に険しい表情を浮かべた。 「さすがに、滅びの詩なんて使ってこないとは思うけど……でも、一対一なら……」 滅びの詩は、歌声を耳にしたポケモンを戦闘不能にしてしまう恐ろしい技だが、 放ったポケモンにも戦闘不能寸前の大打撃を与える。 しかし、シャーリーは受けた打撃を『貯水=水タイプの技を受けた時に体力を回復する特性』によって回復し、 さらに滅びの詩を繰り出すという破滅的なコンボを使える。 一対一であれば、ダメージを受ける前に滅びの詩を使ってしまえば、それだけで確実に勝利できてしまうのだ。 いつになくハイテンションのミクリなら、それくらいのことは平気でしてきそうだ。 さて、どうしたものか…… アカツキはシャーリーの破滅的コンボを封じる手段を模索し、妨害に適したポケモンをすぐにピックアップした。 「よし、今回は……」 圧倒的な速さと力を持つポケモンで、一気に倒してしまうしかない。 シャーリーは、ハルカのランドルフとは明らかに異なるタイプの相手だ。 ランドルフが素早い攻撃を得意とするのに対し、彼女は並外れた耐久力で勝負する。 ラプラスは温和な見た目や性格とは裏腹に、耐久力に優れているポケモンなのだ。 その上、貯水による体力回復も行ってくるため、長期戦では明らかに不利。 「それなら、僕はこのポケモンで行きます!! カエデ、出番だ!!」 アカツキは手にしたモンスターボールを頭上に掲げ、中に入っているポケモンに呼びかけた。 トレーナーの呼びかけに応え、中からポケモンが飛び出してくる。 「バクフーンっ!!」 飛び出してきたのは、ピンクの水玉模様がプリントされたリボンを頭につけたバクフーンだった。 リボンをつけているだけあって、バクフーン――カエデは女の子。 アカツキのチームの中でも、とりわけ『斬り込み隊長』という言葉が似合う、速攻が持ち味のポケモンだ。 カエデは飛び出すなり、背中の炎を激しく燃え上がらせ、敵意むき出しの視線でシャーリーを睨みつけた。 「ほう……彼女で来るか。 ならば、こちらもそれ相応の覚悟でお出迎えしなければならないようだな」 ミクリは目を細めた。 相性的にはシャーリーの方が有利だが、カエデのパワーとスピードは侮りがたいものがある。 それに、トレーナーのことが死ぬほど大好きなカエデは、彼のためならどんな無茶だってやってしまうほどの純情さを秘めている。 トレーナーのために、自身の持てる能力を余すことなく発揮するのだ。 これは、敵対する相手にとってみれば厄介この上ない純情さだ。 ともあれ、アカツキが滅びの詩を警戒しているのは間違いない。 ここは別の方法で……正攻法で戦うとしよう。 互いのポケモンが場に出揃ったところで、見学者であるフヨウがバトルの開始を宣言した。 「それじゃ、バトル開始っ♪」 バトルが始まって早々、アカツキの指示が飛んだ。 「カエデ、近づいてブレイジングクロー!!」 相性の不利な相手と戦うからには、先手必勝。 トレーナーの考えを察して、カエデはさっと駆け出した。 彼女はシャーリーと直接戦ったことがないが、アカツキが放つ雰囲気から、早く決着をつける必要があると判断した。 ミクリは迫るカエデをじっと見据えながら、シャーリーに指示を出した。 「シャーリー、水の波動でダイナミックかつビューティフルに出迎えて差し上げなさ〜い!!」 「…………」 こんな時にでも、エンターテイナーとしてのサガを忘れていないらしい。 アカツキは一瞬呆然としたものの、すぐにバトルに集中した。 カエデが前脚の爪に熱線を凝縮させながら迫る中、シャーリーは首をもたげ、眼前に水の波動を放った!! 球体の水が地面に触れた直後、水は猛烈な波動となって放射状に広がっていく。 水の波動は、その名の通り水タイプの技。 威力的にはそれほどでもないが、恐ろしいのは水に含まれる超音波によって、受けたポケモンを混乱させる追加効果。 とはいえ、この一撃を避けたところで、シャーリーに次の技を出させる時間的猶予を与えてしまうだけだ。 「だったら……突っ切れ!!」 水の波動がシャーリーの前に立ちはだかるのを睨みつけ、アカツキは強い調子でカエデに指示を出した。 カエデには一発逆転の要素を秘めた特性が備わっている。 小さなダメージでは済まないだろうが、カエデは水の波動を数発受けたところで戦闘不能になるほどヤワでもない。 だったら、相手に時間を与えず、ダメージ覚悟で一気に決めるのみ。 カエデは地面から湧き上がる泉のように派手に立ち昇る水の壁目がけ、渾身の力を込めて突っ込んだ。 「……っ!!」 炎タイプのカエデには、水タイプの技は効果抜群だ。 しかし、カエデは奥歯をグッと噛みしめると、爪に凝縮した熱線を維持した。 追加効果の混乱が恐ろしいが、確実に混乱するというわけではない。 発現するかも分からないリスクに尻込みしていては、めぐるチャンスを手にできない。 カエデが水の波動を強引に突っ切ってくるのを見ても、ミクリは表情一つ変えなかった。 恐らくはそうしてくるだろう……という読みがあったからだ。 むしろ、水の波動を突っ切ってこようが、横や後ろに回り込んで攻撃を仕掛けてこようが、シャーリーは対応できる。 四天王のポケモンはそんな生温い存在でないことを、今日こそ見せてやろう。 意気込み、ミクリはシャーリーに指示を出した。 「シャーリー、雨乞いで炎の威力を弱めて差し上げなさい!!」 「無駄ですよ!!」 攻撃してくればいいものを、ここで炎タイプの技を弱める『雨乞い』を指示してくるとは…… 水の波動の威力を増大させ、持続時間を増やしてカエデの動ける範囲を狭める作戦だろうが、 シャーリーに肉薄している以上、カエデの『今』の動きを制約するには至らない。 水の波動を突っ切り、カエデは熱線を凝縮した爪でシャーリーを薙ぎ払う!! 「ギャォォォッ……」 膨大な熱量を一点集中した爪で薙ぎ払われ、シャーリーが悲鳴を上げて仰け反った。 ブレイジングクローは、攻撃範囲こそ爪で薙ぎ払える範囲と狭いが、威力は火炎放射や大文字を上回る。 シャーリーは水・氷タイプであり、氷タイプの弱点となる炎を、水タイプでカバーしている。 効果だけで言えば、普通のポケモンと大して変わらない。 「よし、このまま気合玉だ!!」 シャーリーが仰け反っている今がチャンスだ。 アカツキの指示に、カエデは腕を引っ込めると、爪の先端に『気合』を凝縮してボール状のエネルギー体を作り上げた。 気合玉は、格闘タイプの技だ。 読んで字のごとく、渾身の気合を込めたエネルギー体で攻撃する。 威力は高いが、集中力が極限状態でなければ最大威力を発揮できないという、扱いの難しい技で知られているが、 カエデほどレベルの高いポケモンが使えば、その難しさもかなり軽減されるのだ。 ブレイジングクローのダメージはかなり大きく、弱点となる気合玉が決まれば、勝利にグッと近づく。 ――が、さすがにそう簡単には攻略させてもらえなかった。 「シャーリー、サイコキネシス!!」 ミクリの指示に、シャーリーはすぐさま体勢を立て直し、カエデが気合玉を放つ前にすかさずサイコキネシスを発動させた。 「……!?」 仰け反っている状態から一瞬で立て直すとはさすがに思わず、アカツキは驚愕に目を見開いた。 サイコキネシスでカエデの動きを封じて、その間にハイドロポンプなどの技で決着をつけようという魂胆か…… しかし、ミクリの策はアカツキの予想を裏切るものだった。 未だに発動中の水の波動が動きを止めたかと思うと、瞬時にその形が巨大な球に変わる!! 「カエデ、後ろ!!」 ここで初めて、アカツキはミクリの策に気づいた。 カエデの動きを止めることではない…… 少なくとも、サイコキネシスは『形あるもの』の動きを封じるという効果を理解していなければ、勘違いに至ることはない。 いわば、技の特性を理解している者が陥る策を用意していたのだ。 「……!?」 カエデは振り返り、背後に生まれた巨大な水球が迫るのを見てギョッとした。 サイコキネシスを発動している間、シャーリーは動けないのだが、それどころではない。 「電光石火で避けてから、シャーリーに気合玉!!」 アカツキがとっさに指示を出したのが幸いして、カエデはギリギリのところで水球を避けることができた。 ほだが、ホッとするのも束の間、カエデを押しつぶさんと迫っていた水球がシャーリーをスッポリ包み込む。 「フフフ……」 ミクリが小さく笑う。 策は成功した……と言わんばかりの、不敵な笑みが口元に覗く。 「……!! そういうことか……!!」 違う…… 彼の笑みに隠された真意に気づき、アカツキは絶句した。 水球でカエデを攻撃できればそれで良し、万が一避けられたとしても、そのままシャーリーにぶつける。 それが目的だったのだ。 シャーリーは水タイプの技では一切ダメージを受けない『貯水』の特性を持つ。 サイコキネシスが絡んだとはいえ、水球のタイプは水のまま。 ならば、その攻撃を受けたシャーリーはダメージを受けず、逆に体力を回復できる。 ミクリはそこまで計算した上で、水の波動を最初に放ったのだ。 さらには、水球に包まれることで、水が苦手なカエデの進軍を押し止め、 得意とする炎タイプの技を受けないという防御まで張り巡らせた…… 「さすがに、一時は最強のジムリーダーなんて言われてただけのことはあるな……」 アカツキは唇を噛んだ。 リーグバッジを賭けて戦った時も十二分に手ごわい相手だったが、その時にも増して、シャーリーは強くなっている。 さすがに、一筋縄では攻略できない相手だ。 長期戦が得意なシャーリーならではの戦法だが、アカツキは最初から短期決戦で臨むつもりでいた。 シャーリーが水球のエネルギーを吸収して体力を回復している間に、カエデがすかさず背後に回り込み、気合玉を放つ!! 今ならサイコキネシスを発動して妨害することもできまい。 アカツキの目論見どおり、カエデが放った気合玉は水球を突き破り、無防備なシャーリーの背中を直撃!! 直後、水球が四散し、周囲に飛沫を盛大に飛び散らせた。 痛みに集中力が途切れ、サイコキネシスを維持できなくなったためだろう。 「よし……このまま一気に……」 シャーリーをスッポリ包み込んでいた水球が消えた。 今なら、振り向かれる前にブレイジングクローを決められる。 「カエデ、今のうちにブレイジング……って、逃げるんだ!!」 アカツキは揚々と指示を出しかけ――頭上から大量に降り注いでくる水流に気づき、カエデに逃げるよう叫んだ。 何事かと思えば、いつの間にか頭上に大量の水が発生し、それがカエデ目がけて降り注いでくるではないか。 一体何がどうなっているのか……と詮索するのは後でいい。 今は、猛烈な勢いで降ってくる水流から逃れることが先決だ。 カエデはアカツキに指示を出されるまでもなく、降り注ぐ水流から身を避わしながら、シャーリーに迫る。 「ちぃっ……!!」 あっという間に再びシャーリーとの距離を詰めたカエデを見やり、ミクリは表情をしかめ、舌打ちした。 念のためにと、サイコキネシスで頭上に水の膜を作り上げていたのに……攻撃されたなら、 サイコキネシスが途切れるのを承知の上で反撃の策を練っていたが、それさえ避わされてしまうとは思わなかった。 ミクリの策は、水の波動でカエデを攻撃しつつ、 突っ切られた時のことを考えてサイコキネシスで水を操って背後から奇襲をかけるというのが一つ。 次に、それを避けられてもシャーリーの特性を利用して体力回復及び炎からの絶対防御をプラスする。 さらに、余った水をこっそりと頭上に膜の形で張り巡らせ、気合玉など、炎タイプ以外の技で攻撃を受けた時に反撃する…… 三段構えの策を見事に打ち破られた。 「さすがに、ダイゴに挑戦するだけのことはある……」 あらゆる相手を叩きのめしてきた三段構えの策も、アカツキには通用しなかった。 今までチャンピオンに挑戦しようとここにやってくるトレーナーは数多くいたが、ほとんど全員をミクリが食い止めてきた。 シャーリーの特性を最大限に活かした秘策も、通じない…… カエデはゆっくりと振り向いてくるシャーリーに、熱線を凝縮した爪を振りかざす!! ザシュっ!! 乾いた音を立て、虚空に熱線の赤い軌跡が刻まれる。 左右の爪で繰り出されたWブレイジングクローが、シャーリーの首筋と脇腹を薙ぎ払った!! 最強威力の技をダブルで食らい、たまらず倒れ伏すシャーリー。 勝負は……ついた。 「はい、そこまで」 パンパンと手を叩き、フヨウが歩いてくる。 相変わらずのニコニコ笑顔だが、ハイレベルな勝負に満足しているようである。 「ミクリの負けだね」 「……悔しいが、そのようだな。戻りなさい、シャーリー」 ニコニコ笑顔で敗北を突きつけてくるとは、嫌味のつもりか…… ミクリは苦々しげにそんなことを思ったが、フヨウに嫌味などあるまい。元々天然系の明るいキャラなのだ。 淡々と事実を突きつけられただけとすぐに認め、ミクリはシャーリーをモンスターボールに戻した。 「カエデ、ご苦労様。ゆっくり休んでてね」 アカツキは満足げな表情で振り向いてきたカエデに労いの言葉をかけ、モンスターボールに戻した。 水の波動で混乱していたら、恐らくは負けていただろう。 かといって、リスクを恐れて手をこまねいていたなら、別のコンボで苛烈な攻撃を仕掛けてきたに違いない。 紙一重の勝利に、ホッと胸を撫で下ろす。 「ふう……」 激しい戦いが終わってホッとしたのはミクリも同じだったようで、肩をすくめ、 『百万の麗しき乙女が恋するジェントルメェン(自称)』とは思えぬ深いため息をつく。 「ミクリさん、ありがとうございました」 「ああ。こちらこそいいバトルができたよ。負けたのは悔しいが、悔いはない」 アカツキが小さく頭を下げると、ミクリは口の端の笑みを深めて言葉を返した。 さすがに、去年よりも強くなっている。 以前はカエデではなく別のポケモンがシャーリーと戦ったが、その時はもっと相手に多くのダメージを与えられた。 二連敗ではあるが、内容的に見て、不満の残るバトル展開ではなかった。 負けることは悔しいが、大切なのは自分で満足できるか否か、だ。 「さあ、行きたまえ。次の相手が君の到着を心待ちにしているよ」 「分かりました。それじゃあ……」 「レッツゴ〜♪」 アカツキはフヨウと共に、三人目の四天王が待つ先へ向けて歩き出した。 ミクリはゆっくりと振り向き、アカツキの自信ありげな背中にそっと微笑みかけた。 「いい男になったものだ。 是非、僕と『百万の麗しき乙女が恋するジェントルメェンズ・ショー』に出てもらいたいくらいだが…… さすがに、嫌だと言いそうだな。 だが、何とかして手を考えねば……」 小さくつぶやくその後半はほとんど彼の願望……というよりも、むしろ妄想に近いものだった。 何やら背後でぶつぶつつぶやいているミクリは放っておいて、 アカツキは一歩ずつ、チャンピオンが待つ山の頂へ向かって地面を踏みしめ歩いていく。 「…………」 ハルカ、ミクリという順番で来たなら、次の四天王は…… 橋の先で待ち構える三人目の四天王は、アカツキの予想通りの顔だった。 <中編に続く>