The Advanced Adventures 外伝:チャンピオンロード<中編> V 三人目の四天王は、パッと見十五歳くらいの少年だった。 鮮やかな緑の髪を肩口で切り揃え、品の良さそうな顔立ちは少女と見紛うほどに整った鼻筋が特徴だ。 背がそれほど高くないのも、少女と間違われそうな一因だろうか。 そんなことは気に留めず、少年はアカツキの姿を認めるなり表情を輝かせ、無邪気な声など上げながら手を振ってくる。 「やっほ〜、アカツキお兄ちゃ〜ん♪」 「…………相変わらずだな、このお坊ちゃんは……」 内心げんなりしながらも、アカツキはそれ相応の笑みを繕って、小さく手を振り返した。 それが相手をその気にさせるのだということに気づかないほど、げんなりしていた。 心なしか重くなる足取り。 だけど、ちゃんと三人目の四天王の近くまで歩いていく。 「リック。元気そうだね」 「もちろん。アカツキお兄ちゃんも元気そうだね。良かった良かった。 ハルカお姉ちゃんが心配してたからね」 「そうなんだ……まあ、それはいいとして」 屈託のない笑顔で話しかけてくる少年――三人目の四天王・リックと、適当に会話を交わす。 見た目こそどこにでもいるような無邪気な少年だが、ホウエンリーグが誇る四天王の一人なのだから驚きである。 明るく陽気で人懐っこい性格とは裏腹に、バトルになると凄まじい攻撃を仕掛けてくるのだ。 リックは十四歳。 言うまでもなく四天王では最年少で、ホウエンリーグにおいては史上最年少で四天王に登りつめたトレーナーだ。 恵まれた素質と、血の滲む努力の積み重ね。 そして、ポケモンを信頼する強い心が、彼を四天王にまで押し上げたのだろう。 アカツキが十四歳だった頃は、四天王相手に互角に戦えるところまでは至っていなかった。 そう考えると、リックが今のアカツキの歳になったら、どこまで強くなるのか……正直、脅威以外の何者でもなかった。 「リック〜、元気なのはいいけど、仕事ちゃんとしようね〜」 無邪気になついてくるリックを言葉で往なすフヨウ。 扱いに苦慮するガキんちょだが、ちゃんと話せば分かってくれるし、物分りもいい方だ。 「まあ、そういうわけだから。リック、僕とバトルしてもらうよ」 「オッケー。お兄ちゃんとバトルするの、楽しみにしてたんだ〜」 「今回も勝たせてもらうからね」 「ふっふ〜ん♪」 さっさとバトルを済ませよう。 リックはあまりに人懐っこすぎて、どうでもいいことまで他人に頼る悪いクセがある。 ゆえに、大らかなアカツキでさえ時々鬱陶しいと思うことがある。 今の彼は、四天王としてこの場に立っている。 ならば、四天王としての務めを果たしてもらわなければならない。 人懐っこいのは結構だが、それと仕事を混同するのは間違いである。 バトルの前だと言うのに、自分の立場を弁えていないのはどうかと思うが、 それもこれも、フヨウたち年長者がちゃんと心構えというものを教え込んでいないからだろう。 しっかりしていない(と思われる)上司のせいにして、アカツキは腰のモンスターボールを手に取った。 「それじゃあ、ボクのポケモンから出すね」 リックはやる気満々と言わんばかりに腕をぐるぐる振り回すと、モンスターボールを頭上に思い切り投げ放った。 「行っくよ〜、ナーグ!!」 投げ放ったボールは口を開き、中からポケモンが飛び出してくる。 飛び出してきたのは、全身が黒光りするハガネールだった。 普通のハガネールは光沢を帯びた灰色だが、リックのハガネール――ナーグは体色が異なっていた。 「ごごぉぉぉぉっ!!」 鋼鉄の塊をつないだような細長い身体は、しかし大きさだけで言えばポケモンの中でもトップクラスだ。 ナーグは飛び出すなり、高みからアカツキを睨みつけ、威嚇の声を上げた。 トレーナーとは正反対に、ずいぶんと神経質なポケモンと聞くが…… ポケモンはトレーナーに似るという格言は、彼らに関しては当てはまらないらしい。 「ナーグか……また大爆発なんかされたらたまらないな」 アカツキは苦々しげにつぶやき、表情をしかめた。 去年、ナーグがバトルで大爆発の技を使った時のことを不意に思い出したからだ。 アカツキのポケモンを確実に倒すべく、相打ちを前提に大爆発を使ったのだが、ものの見事に自滅した。 リックからすれば目にも当てられない大失態だったが、負けは負けと素直に認めていた。 もっとも、大変なのはその後の処理だった。 大爆発のせいで、橋が十メートルほど欠落してしまい、リックはチャンピオンに半日近くこってりしぼられ、 さらには一年間給与の半分を修繕費の一部に当てる……という経緯があった。 前回の失敗に懲りて、今回は大爆発など使わないと思うが、だからこそ別の戦術を組み立てていると見るべきだろう。 静かな眼差しでナーグを見つめ返しながら、アカツキはどのポケモンで行くか、思案をめぐらせた。 「さっ、お兄ちゃんの番だよ。早くポケモン出してよっ♪」 フヨウ二号…… 頭の片隅にそんな単語が浮かび、アカツキは思わず吹き出しかけた。 しかし、これからバトルに望むのだ。笑ってなどいられない。 年長者として、リックには『公私混同は良くない』ということを教えなければなるまい。 陽気で人懐っこいのは結構だが、仕事中にまでそういったところは出すべきではない……と。 「ならば……」 ナーグの弱点は水、炎、格闘タイプ。 鋼タイプを持つだけあって、物理攻撃に対する防御力は凄まじく高い。 反面、特殊攻撃への防御力はそれほど高くないので、突くならばそこだろう。 ただ、ここはあえて挑戦してみよう。 「リーフ、出番だ!!」 作戦を瞬時に組み立て、アカツキはモンスターボールを軽く投げ放った。 放物線を描いて宙を舞うボールが口を開き、中からリーフと呼ばれたポケモンが飛び出してきた。 「きゅぅぅん……」 「あ、リーフィアだ!! めずらし〜っ♪」 飛び出してきたポケモンに、リックがキラキラ輝いた視線を注ぐ。 アカツキが繰り出したのはリーフィアという草タイプのポケモンだ。 ホウエン地方では棲息していない珍しいポケモンで、遥か北方のシンオウ地方を旅していた時にトレードでゲットした。 七つあるイーブイの進化系の一つで、身体の大きさは他の進化系とほとんど変わらない。 クリーム色の身体に、つぶらな茶色い瞳。 耳と尻尾が葉っぱのような色彩と質感だが、実際の葉っぱかどうかは定かでない。 しかし、リーフィアは植物と同様に光合成を行うため、植物と同一でないにしろ、 同等という見方は十分に可能である。 リーフと呼ばれたリーフィアは窮屈そうに身体を動かすと、チラリと振り返ってきた。 「どうするの?」 そんな風に言いたげなつぶらな瞳。 聞かれるまでもない。目の前にいる相手を倒すのだ。 去年は別のポケモンで相手をしたが、その時と同じ戦術を取るつもりはない。 それに、策はすでに用意してある。 アカツキがリーフに小さく頷きかけると、リーフはそっぽを向くようにナーグに向き直った。 体格の差は如何ともしがたいが、それはどのポケモンを選んでも同じこと。 考えるだけ無意味。 大事なのは、いかにして相手の裏を欠いて攻撃を決められるか、というきめ細かい戦術だ。 「でも、相性は有利でも不利でもないね。 それに、ボクのナーグの防御力はすっっっっっごく高いよ?」 「さあ、それはどうだろうね。戦ってみなきゃ分からない。違うかい?」 「まあ、それもそうだね」 リックは訝しげな表情を見せたが、アカツキは彼の言葉を鼻で笑い飛ばした。 確かに、相性で見てみれば、有利でも不利でもない。 リーフが得意とするのは、物理攻撃。 特殊攻撃は不得意で、一見するとナーグとは別の意味で相性が悪いと言えるだろう。 それでも、用意した策は相手の裏を確実に欠ける。 特に問題点は見当たらないはずだ。 「じゃ、バトル開始っ♪」 両者の準備が整ったのを見て、フヨウが見学場所に陣取って、戦いのゴングを打ち鳴らす。 アカツキとリックはほぼ同時に指示を出した。 「リーフ、葉っぱカッターをナーグの頭目がけて連発!!」 「ナーグ、アイアンテールでぶっ潰しちゃえ!!」 入り乱れるトレーナーの指示。 二体のポケモンはすぐさま行動を開始した。 リーフはその場に踏ん張って、額の葉っぱを思い切り振りかざす。 毎度毎度不思議なことだが、特にその葉っぱが抜けるわけでもなく、数枚の葉っぱが虚空に生まれる。 葉っぱは鋭く回転しながらナーグの頭目がけて飛んでいく。 一方、ナーグは身体を槍のように伸ばしたかと思うと、猛烈な勢いで尻尾の方を振りかざした。 体重数百キロの巨体から繰り出されるアイアンテールは強烈だ。 普通のポケモンなら、相性論を抜きにしても戦闘不能に陥れることくらい造作もない。 リーフ(一般的なリーフィア)は見た目とは裏腹に物理攻撃に対する抵抗力が高く、 アイアンテールを食らったところで戦闘不能にはなるまい。 とはいえ、だからと言って痛い一撃を受けてやる義理もない。 リーフが発射した葉っぱカッターはナーグの頭部に一枚残さず命中するが、ダメージらしいダメージにはなっていない。 鋼タイプの防御力は伊達ではないといったところか。 当たった傍から弾かれて、ハラハラと儚く舞い落ちる葉っぱ。 しかし、リーフは構わず葉っぱカッターを連発する。 塵も積もれば何とやら……という言葉もあるように、ダメージらしいダメージにはなっていなくとも、 積もれば大きなダメージになるのだ。 ぐぉんっ!! 突如、空気が張り裂けんばかりの轟音が響き渡った。 ナーグが振り下ろした尻尾の勢いが空気を切り裂き、周囲に膨大な影響を与えているのだ。 リーフは頭上から迫る鋼鉄の尻尾から逃れるべく、葉っぱカッターを放ちながらさっと真横に飛び退いた。 直後、ナーグの尻尾が地面に叩きつけられ、激しい振動が橋を駆け抜ける!! 「わわっ!!」 とっさに踏ん張ったが、リックは振動に耐え切れずに尻餅をついてしまった。 それでも指示を忘れないのは、さすがは四天王といったところか。 「ナーグ、そのままなぎ払ってアイアンヘッド!! 最後はジャイロボールだ!!」 立て続けに鋼タイプの大技を指示する。 地面タイプの技では、リーフに大きな打撃を与えられないと分かっているからだろう。 だが、そう容易く攻撃を食らうわけにはいかない。 リーフは避けた後も、ひたすら葉っぱカッターを連発していた。 一本調子の攻撃だが、トレーナーの指示を疑うことなく、真剣な面持ちで黙々と放ち続けている。 元から素直な性格だが、それ以上にトレーナーへの信頼が篤いからだろう。 リックは単調な攻撃を見て訝しげな表情を浮かべた。 慌てて立ち上がり、 「葉っぱカッターじゃ、何発食らっても倒れないよ?」 さり気なくアカツキを挑発してみた。 安っぽい挑発だと、アカツキは小さく鼻を鳴らすに留まった。 リックは挑発しているつもりなのだろうが、あまりに見え透いた挑発に、引っかかる方が難しいくらいだ。 「さあ、どうだろうね」 「…………」 事も無げに返されて、リックは沈黙した。 大らかな人間を怒らせるには、それ相応のことをしてから挑発しなければ効果がないというのを知らないのだろう。 さすがにそこは社会勉強が足りないお子様といったところか。 「ま、お兄ちゃんがその気なら、それでいいけど……」 どちらにしろ、ナーグの攻撃が始まる。 ハガネールは身体の大きさが弱点となり得るが、逆に全身で相手に攻撃することができるという強みも併せ持つのだ。 狭い橋上で暴れれば、逃げ場などあるまい。 ガァァァァァァァァァアッッ!! ナーグが天をも震わす咆哮を上げながら、地面に叩きつけた尻尾を水平に薙いで、リーフに攻撃を仕掛ける!! リーフは持ち前のフットワークでど太い尻尾の攻撃を避わし、さらに葉っぱカッターを放つ。 どこから取り出したのか、ナーグの周囲には葉っぱの絨毯ができていたが、それでも攻撃は止めない。 次の指示を受けるまでは葉っぱカッターを放ち続けろ……という風に、アカツキの指示を受け止めているからだ。 尻尾での強烈な薙ぎ払いを避わしたのも束の間、ダイヤモンドなど軽々と粉砕できるほどの頭突きが飛んでくる。 アカツキはタイミングを計り、リーフに次なる指示を出した。 「ジャンプで避けてリーフブレード!!」 ナーグが一直線に突っ込んでくる。 今さら勢いを落としたり別の軌道を刻むことなど考えられない。 リーフはトレーナーと同じようにキッチリとタイミングを計り、跳躍した。 ポケモンの中では小型に入る部類だが、小柄な身体や細い足腰からは想像もできないような跳躍力を見せる。 アイアンヘッドをお見舞いせんと迫るナーグの一撃を容易く避わし、すれ違いざまに身体を大きく捻った。 刹那、葉っぱに似た尻尾に新緑の輝きが宿り、剣のような形状となってナーグの頭部から背中にかけて広範囲を薙ぎ払う!! ガァァァォォッ!! すれ違いざまに強烈な攻撃を加えられ、ナーグは勢い余ってそのまま地面にダイビング。 リーフブレードは草タイプの大技で、草の力を凝縮して剣の形と成し、相手に切りつける技だ。 威力が高く、さらに急所に当たりやすい技であるため、リーフが多用する技である。 葉っぱカッター程度ではナーグの堅固な防御力を崩すことはできなくとも、 リーフブレードほどの威力があれば、話はガラリと変わってくる。 「よし、効いてる……」 ナーグの堅固な防御を崩せるだけの威力があると分かれば、こちらのものだ。 素早い動きで翻弄しつつ、リーフブレードでダメージを与え続けていけばいい。 あらかじめ立てていた策を変更しようかと思った時だった。 軽やかに着地したリーフの背後で、いつの間にか立ち直ったナーグがその場でぐるぐると回転し始めた。 「ジャイロボール……!! もう立ち直ったか!!」 アカツキはギョッとした。 リーフブレードのダメージは決して小さなものではないはずだ。それはナーグの苦しげな顔を見ればよく分かる。 だが、こうもあっさり立ち直り、ジャイロボールによる攻撃を仕掛けてくるとは……予想外だった。 尻尾を追いかけるように、円を描きながら回転するナーグの強烈な体当たりが、リーフを吹き飛ばす!! ごっ!! 橋の本体と同じコンクリ製の欄干に激しく叩きつけられる!! 「リーフ、しっかり!!」 リーフが叩きつけられた箇所に細かなひび割れが走っているのを見て、背筋が震えた。 ジャイロボールは鋼タイプの技。 身体を高速回転させて体当たりを食らわす技で、見た目からは想像もできない特性を持つ。 放つ側の素早さが、相手を下回っていればいるほど威力が上がる。 リーフとナーグの素早さには明らかな差があり、それを利用した一種の戦術だ。 「よ〜し、このまま一気に行っちゃうよ〜? ナーグ、アイアンヘッド!!」 リックは『風は我に吹いておるわぁぁぁぁッ!!』と言わんばかりに勝ち誇った表情でナーグに指示を出した。 リーフの防御力もそれなりに高いとはいえ、ナーグほどではない。 欄干に叩きつけられたリーフはゆっくり立ち上がろうとするが、足元は覚束ない。 小刻みに震えている脚が、ダメージの大きさを如実に物語る。 「さすがに、もう一発食らうと危ないな…… リーフブレードを連発するなんて悠長なことはしてられない。 となると、ここはやっぱり……」 策を変更する……のを取り消す。 当初の予定通りで行くとしよう。 アカツキはすぐさまリーフに指示を出した。 「リーフ、目覚めるパワー!!」 これで最後だ。 ナーグの周囲に葉っぱが積もっている今なら、十分可能なはず。 リーフは立ち上がると、アイアンヘッドを放とうと身体をまっすぐに伸ばしたナーグ目がけて、目覚めるパワーを放出した。 リーフの全身からあふれた光が球状となって、ナーグに向かって放たれる!! 「……!? 水タイプの技!?」 すごいスピードで虚空を迸る光球に目を剥き、リックが叫ぶ。 目覚めるパワーは使用するポケモンによってタイプと威力が異なるという特殊な技だ。 この場で使わせるということは、リーフの目覚めるパワーがナーグの弱点を突けるタイプということだ。 しかも、リーフの弱点となるタイプを考えれば、水タイプが妥当だろう。 「なるほどね…… リーフブレードばっかりじゃダメだって踏んで、目覚めるパワーまで出してきたんだろうけど」 リックにはなんとなくアカツキの考えていることが理解できた。 離れたところから目覚めるパワーを連発して、ナーグを近寄らせない作戦だろう。 なるほど、確かにそれなら接近戦が得意なナーグにとっては痛い。 ここはダメージ覚悟で一気に決めるしかないだろう。 いきなり目覚めるパワーで攻めてこなかったのは、様子を見るため…… 半分、彼の考えは当たっていた。 だが、残りの半分は不正解。 アカツキの考えていることは、アカツキにしか分からないのだから。 足元が覚束ない状態で放った光球は狙いが定まっていなかったせいか、ナーグのすぐ脇に着弾した。 「外れ……だね!! ナーグ、やっちゃえ!!」 光を周囲に撒き散らしながら薄くなっていく光球を見やり、リックは勝利を確信した。 次の目覚めるパワーを放つ前に攻撃を仕掛ければいい。 そうすれば、去年の雪辱は果たせる。 勝利への確信が、灯台下暗しという状況を生み出すのだということに、当然気づく由もなく。 ぶおっ!! そんな音は、突然周囲に響き渡った。 「えっ……? ええっ!?」 直後、リックの悲鳴が重なる。 というのも、フィールドに信じられない変化が起きていたからだ。 大量に敷き詰められた葉っぱ――リーフの葉っぱカッターによるもの――が発火し、ナーグの周囲を猛烈な炎が渦巻いていた。 「ちょ、ちょっと……一体どうなって……!?」 突然生まれた炎に飲まれ、ナーグは苦しげにのた打ち回っている。 一体何がどうなっているのか……? 簡単なことである。 リーフの目覚めるパワーは水タイプではなく、炎タイプだったのだ。 炎の力を撒き散らした光球は、敷き詰められた状態の葉っぱに引火し、凄まじい炎となってナーグを襲った。 ただ、それだけのことだ。 「……!! そ、そっか……そーいうことかッ!!」 周囲の空気を糧に激しく燃え盛る炎を睨みつけ、リックはすべてを理解した。 最初にアカツキが葉っぱカッターを連発させたのは、大量の葉っぱという可燃物を生成するためだったのだ。 そこに炎タイプの目覚めるパワーをぶち込んでやれば……言うまでもなく発火する。 ナーグは全身で攻撃することができるという強みを持つが、逆に、身体が大きい分当たり判定も大きいという弱点も併せ持つ。 アカツキはすべてを計算した上で、こんな方法を採ってきたのだ。 「ナーグ、炎は消さなくていいから!! リーフにギガインパクト!!」 火を消すのは無理と悟り、リックは攻撃を指示した。 火を消す間に、リーフが威力絶大なリーフブレードを連発してくるだろう。 そうなるくらいなら、倒されるのを覚悟で相打ちを狙う……それしかない。 だが、リックが驚いている間に、リーフは大きく跳躍していた。 苦しげにのた打ち回るナーグの上を取り、アカツキの指示を受ける。 「遅い!! リーフ、スパイラルスラッシュ!!」 トレーナーの自信満々な指示を受け、リーフはナーグに迫りながら、身体を縦に回転させた。 大型の毬が宙を舞っているような光景だが、すぐさまそんな人畜無害なものではないと思い知らされる。 丸めた身体とは裏腹に、尻尾だけはリーフブレードを発動する状態となっており、激しく回転する刃がナーグの頭部に突き刺さる!! 「わーっ!!」 回転を続けるリーフが繰り出す、リーフブレード連続攻撃。 普段はこんな使い方はしないが、相手が四天王ともなれば話は別だ。 血の滲む努力の末に編み出した大技……スパイラルスラッシュ。 躊躇うことなく使わなければ、勝利などつかめない。 リーフブレードの連続攻撃を受けて、リックは顔面蒼白になった。 「も、戻って!!」 炎に巻かれている状態では反撃もままならない。 この状態で勝つことは不可能だと悟ったのだ。 リックは震える手で、ナーグをモンスターボールに戻した。 「はい、そこまで♪」 フヨウの鶴の一声で、勝敗は決した。 「アカツキの勝ち。リック、もっと相手の手を読まなきゃダメダメだよ〜?」 「うー……」 諭すような口調とは思えなかったが、面と向かって叱られるよりもキツイらしい。 リックは気まずい表情で呻くばかりだった。 直後、葉っぱを焼き尽くした炎は糧となる可燃物がなくなったため、すぐに鎮火した。 橋上に残ったのは少量の灰と、炎が荒れ狂った跡の焦げ目だった。 少し離れたところに、すとんっ、と軽やかに着地するリーフ。 ジャイロボールを受け、なおかつ大技を使用したことで体力的にかなりキツイはずだが、ちゃんと立っている。 「きゅぅぅぅん……」 相手がいない=勝利と理解してか、リーフは小さく嘶きながら歩いてきた。 アカツキは笑顔で膝をかがめ、歩いてきたリーフの頭を優しく撫でた。 「お疲れさま、リーフ。よく頑張ったね」 「きゅぅぅん……」 「ゆっくり休んでてね」 満足げな表情でパチパチと瞬くリーフに微笑みかけ、モンスターボールに戻す。 これで三人目にも勝った……残るは…… リーフのボールを腰に差し、立ち上がると、 「あーあ、負けちゃった」 リックが心底ガッカリしたような口調でつぶやいた。 振り向くと、大仰に肩などすくめている。 負けたのは悔しいが、アカツキに負けたのなら仕方がない……と、あきらめにも似た雰囲気を漂わせていた。 なんだか心得違いのような気もするが、アカツキは特には言わなかった。 その代わり、ナーグとリックの息がピタリ合っていたことを褒めた。 「でも、去年に比べたらナーグも強くなってたよ。 もし、目覚めるパワーが炎タイプだって見破られてたら、どう転んでいたかは分からない」 「そう? ホントにそう思う?」 「ああ、もちろん」 リックは表情を輝かせながら詰め寄ってきたが、アカツキは首を縦に振って適当に往なした。 「次は四天王と挑戦者っていう立場じゃなくて、一人のトレーナーとして戦いたいね」 「うん!! その時までにはもっと強くなるから」 「楽しみにしてるよ。それじゃあフヨウさん、次はあなたとのバトルだね」 「そうだね。行こ〜か」 「リック、それじゃあまた後で」 「うん♪」 アカツキはリックに微笑みかけると、フヨウと共に先へ進んだ。 次の相手は……隣でニコニコ笑顔を振りまいて、鼻歌交じりに歩いている彼女だ。 一見すると、四天王には絶対見えないような女性だが、アカツキは彼女の実力を知っている。 ホウエンリーグが誇る最強の四天王……ゴースト使いのフヨウ。 彼女は敗れた三人の四天王の分まで全力でかかってくるだろう。 気を引き締めてかからなければ…… 山の中腹に設けられた特設のフィールドを見やり、アカツキは気持ちを引き締めた。 W 山の中腹に設けられたフィールドに立ち、アカツキはごくりと唾を飲み下した。 センターラインを挟んだ反対側のスポットには、フヨウがニコニコ笑顔で立っている。 彼女が、チャンピオンへの挑戦を食い止める最後の砦……最後にして最強の四天王。 ハルカ、ミクリ、リック…… 今まで戦ってきた三人も強敵だったが、フヨウは彼らに輪をかけた強敵だ。 真剣な面持ちでじっと見据えてくるアカツキに微笑みかけ、フヨウが口を開く。 「それじゃ、アカツキ。ここはあたしが相手したげるね」 「お手柔らかに」 「うん。お互いにね」 「…………」 いきなり彼女のペースに巻き込まれつつあることに気がついて、アカツキは激しく頭を打ち振った。 「……ん?」 一体何をしているのかと疑問に思い、フヨウが首を傾げる。 どうやら、心理戦を仕掛けているという自覚がないらしい。 自覚もなしにそういったことを仕掛けられる方が恐ろしく、また始末に負えないものだ。 「ルールは今までと同じで、一対一の勝負だよ。 んじゃ、あたしのポケモンは……グラ、レディ〜ゴ〜っ♪」 フヨウは言うが早いか、腰のモンスターボールをつかんで、フィールドに投げ入れた。 チャンピオンロードの橋上にはフィールドらしいフィールドはなかったが、ここは違う。 チャンピオンに次ぐ最強の四天王が立ちはだかるのだ。 フヨウが投げ入れたボールは着弾と同時に口を開き、中からヨノワールが飛び出してきた。 「ヨノォォォォォ……」 ヨノワール――グラは飛び出すなり、アカツキに向けた手のひらをぐるぐると回して低い声を上げた。 「グラか……去年と同じだけど、油断はできない」 グラを睨みつけ、アカツキはグッと拳を握りしめた。 グラはフヨウの手持ちで最強のゴーストポケモンだ。 去年は本当に苦戦させられた。 変幻自在という言葉がピッタリ似合うような戦略に翻弄され、本当に負けるかも……と思うほどだった。 そんな相手に勝つには、相手の『弱点』を突くことだ。 アカツキは腰のモンスターボールを引っつかみ、フィールドに投げ入れた。 「バシャーモ、出番だ!!」 トレーナーの凛とした呼び声に応え、ボールは着弾の寸前に口を開いた。 飛び出してきたのは、仮面をかぶったようにも見える顔立ちで、人型のシルエットを備えたポケモン・バシャーモだ。 「バッシャーモっ!!」 バシャーモは飛び出すと、手首の炎を激しく燃え上がらせ、グラを睨みつけた。 「あれれ? バシャーモで来るの? 去年はマニューラで来たのに……あー、もうマニューラ使っちゃったもんね。 でも、バシャーモじゃ、自慢の格闘タイプの技が通じないから大変だよ?」 「いや、それでいいんだ。策は用意してあるから」 「そっか、それならいいんだけど」 フヨウが珍しく心配そうな口調で言ってくるが、アカツキは聞く耳を持たなかった。 暗に『入れ替えるなら今のうちだぞ』と言われているが、バシャーモには秘策がある。 格闘タイプの技が通じないというリスクは大きいが、それさえ覆せるだけのものがあるのだ。 そうでもなければ、出したりはしない。 何しろ、バシャーモはアカツキがミシロタウンを旅立つ時に選んだ、いわゆる『最初の一体』である。 旅立った当初は愛くるしさ全開のアチャモだったが、旅を続ける中でワカシャモに進化し、 最終進化系のバシャーモに進化したのは二年前のことだ。 長いことバシャーモに進化することを嫌がっていたが、とある出来事で妙なこだわりを取り払い、 進化を受け入れた……というエピソードがあるが、それはまた別の機会に。 ともあれ、バシャーモはアカツキと共に七年以上もの旅の月日を歩いてきた、オーダイルに次ぐ存在である。 策を用意してある以上、負ける要素はない。 「それじゃ、バトル開始ね♪ 先手は譲るよ」 フヨウはニッコリ笑顔のまま、手招きなどして先手を譲ってくれた。 先に攻撃を仕掛けさせ、反撃の糸口を探るつもりでいるようだ。 だが、ヨノワールというポケモンの能力を考えれば、攻勢に打って出るよりも、 むしろ反撃や防御といった戦術の方が合っている。 ましてや、最強の四天王の手持ちとなれば、長所は限りなく伸ばされているだろう。 防御からの攻撃を得意としているのは、今までの戦いを見ても明らかだった。 「…………」 先手を譲る……? はあ、そうですか。それじゃあお言葉に甘えて……とも言えず、アカツキは思案をめぐらせていた。 バシャーモはじっとグラを睨みつけたまま、動かない。 先手を譲るからには、何らかの罠を張り巡らせているに決まっている。 あどけない笑顔の裏に、軍師顔負けの狡猾な罠を幾重にも張り巡らせているのだ。 「どこまで読んでる……?」 何手先まで読んでいるのか…… 大まかにでもそれが分からなければ、迂闊に飛び込むことは避けたい。 グラの特性は『プレッシャー』。 心理的な圧力を常に相手に加えることで、技を発動した時の体力消費を普段よりも多くする効果を持つ。 大技であればあるほど体力消費は大きくなるが、並大抵の技ではグラを倒すことは不可能。 さらにグラは守りに優れた能力の持ち主であるため、『プレッシャー』との相性が抜群なのだ。 そんな状態で何も考えずに飛び込むなど無謀の極み。 とはいえ、このまま睨み合っているだけでも、バトルは進展しない。 互いに待つだけでは、勝つことも負けることもない。 「…………」 「…………」 フヨウがグラの防御能力を最大限に活かした戦術を取ってくるなら、それを打ち崩す策は用意してある。 ここまで来て、何もしないわけにもいかない。 アカツキは腹を括り、バシャーモに指示を出した。 「バシャーモ、剣の舞からブレイズキック!!」 グラが防御型なら、こちらはその防御を貫くだけのパワーアップを果たせばいい。 アカツキの指示に、バシャーモはその場で闘志を昂らせる激しい舞を踏み始めた。 すぐさま激しいステップを刻み始め、バシャーモの闘志が見る見る高まっていく。 剣の舞は攻撃力を大きく上昇させる技だが、効果は一定時間しか発揮されない。 それでも防御型のポケモンが攻撃してくるまでに上昇効果は付与される。 「じゃ、こっちは横取りで」 「うわっ!! しまった!!」 だが、フヨウが攻撃力アップを黙って見過ごすはずもなかった。 グラが手を突き出すと、青黒いオーラがバシャーモから立ち昇り、ゆっくりとグラの手に吸い込まれていく。 「バシャーモ、剣の舞を取り消してブレイズキック!!」 アカツキは慌てて剣の舞を取り消すよう指示を出した。 まさか『横取り』まで使えるとは……迂闊だった。 『横取り』は、相手が能力アップ及び回復の技を使った時、その効果を丸ごと横取りすることができる技。 フヨウはアカツキが真っ先にバシャーモの破壊力を上げると見抜き、敢えて先手を譲ったのだ。 苦労することなく、攻撃力アップの恩恵に与る……実にゴーストタイプのポケモンを得意とする四天王ならではのやり方だ。 攻撃力アップの効果を横取りして、バシャーモの身体から立ち昇っていた青黒いオーラは立ち消えた。 攻撃力を上げられると苦しいが、それ以上に、アカツキには心理的なダメージが大きかった。 「去年は使ってこなかったけど……やっぱり、去年と同じじゃダメだってことか」 グラの防御を貫くには、単純に攻撃力を増加させればいい。 相性論以外でどうにかするには、そうするしかない。 それを理解した上で、フヨウはグラに『横取り』を覚えさせたのだろう。 グラ自身の能力を上げるため……というよりは、むしろ相手の能力アップを防ぐための手段として。 いきなり作戦が転んで、アカツキの胸には動揺が渦巻いていた。 だが、バシャーモの攻撃力は上昇させなくても、素のままでも十二分に高い。 手数で圧倒すれば、グラの防御を崩すことも不可能ではない。 バシャーモはアカツキが慌てていることには取り合わず、脚に猛火をまとわせて跳躍した。 見る間にグラに迫り、ブレイズキックを繰り出す。 ブレイズキックは炎をまとった脚で蹴りを繰り出す技で、 キックという名前から格闘タイプに分類されがちだが、実は炎タイプの技である。 炎をまとっているため、グラのようなゴーストタイプのポケモンにも効果がある。 グラはバシャーモの動きについていけず、炎の蹴りをまともに食らって横転した。 「よし……」 何の対策もなくまともに受けるとは思わなかった。 腑に落ちないところはあるが、グラは素早いとは言えないポケモンだ。このまま連打していけばいい。 長々と時間をかければかけるほど、グラの『プレッシャー』がその真価を発揮する。そうなる前に攻撃を畳みかけ、倒すのみだ。 よろよろと立ち上がるグラを指差し、アカツキはバシャーモに指示を出した。 「ブレイズキックと炎のパンチの乱れ打ちだ!!」 バシャーモは格闘タイプのポケモンらしく、パンチやキックといった技はお手の物。 それらの格闘技の乱れ打ちなどという途方もない指示を出されても、淡々とこなしてしまう。 バシャーモは炎をまとわせた拳でグラの顔面を殴りつけると、 その勢いを殺すことなく身体を捻って脇腹に鋭い蹴りを見舞い、さらにアッパーでグラの身体を浮かせた。 まさにプロレスラーが見せるラッシュだが、グラはバシャーモの攻撃の速さについていけずに反撃もままならない。 「…………」 フヨウはグラが殴られるわ蹴られるわ、やりたい放題にされているのを見ても、表情一つ変えていない。 相変わらずつかみ所のない笑みを浮かべたままだった。 「……? 何か策でも隠し持ってるのかな……?」 余裕ぶっこきまくりのその態度に、アカツキは怪訝な面持ちで眉根を寄せた。 常に『プレッシャー』が発動している状態なら、バシャーモの体力もそれ相応の勢いですり減らされている。 攻撃を食らうだけ食らって、最後の最後に体力を回復してから、疲れ果てたバシャーモをボコるつもりなのか? ……と思ったが、それにしては無策にも程がある。 ならば、一体全体どういうことか? グラが一瞬にして体力を回復する手段を心得ているとは思えないが、だからこそ解せない。 何十発もボコられてから、フヨウがようやっと指示を出した。 「グラ、痛み分け」 「……!! 剣の舞!!」 なるほど、そう来たか。 アカツキは驚愕しつつも、今なら確実に『横取り』されないと悟って、バシャーモに攻撃力上昇を指示した。 怒涛のラッシュを取り止めたバシャーモの眼前で、グラが『痛み分け』を発動させた。 ぎんっ!! 剣戟に似た甲高い響きと共に、バシャーモとグラの体力が平均化される。 『痛み分け』は、自分と相手の体力を平均化する……つまりは同量にする技だ。 自分の体力が残り少なく、相手が満タン近く残っている時に使用すると、 自分は体力を回復し、相手に大きなダメージを与えることができる。 使い方によっては戦況をひっくり返せる技だが、その分使いこなすのが難しく、 ゴーストポケモンでも容易く使える技ではない。 一瞬で体力を半分近く削られても、バシャーモは怯むどころか、すぐさま剣の舞を発動させ、攻撃力を大きく上げた。 フヨウが何も指示を出さず、グラにダメージを受けさせたのは、『痛み分け』を使うためだろう。 『横取り』で攻撃力を上げているとはいえ、グラは素早いとは言えない。 怒涛のラッシュを受ければ、反撃もままならないだろう。 だから、フヨウは『痛み分け』を使うことで、攻撃せずしてバシャーモにダメージを与えた。 つかみ所のない性格は、バトルでもキッチリ反映されているようである。 突然、予期せぬ角度から刃を差し込んでくる……その恐ろしさは昔から変わっていない。 それどころか、エスカレートさえしているではないか。 「さ〜、反撃開始だよっ♪」 『痛み分け』で体力を回復したことで、グラが放つプレッシャーもその度合いを大きく増した。 「グラ、妖しい光!!」 「守る!!」 状態異常にすれば、バシャーモの攻撃力の高さが仇となる。 それを目論んでいるかは分からないが、この際、状態異常にかからないように策を講じる必要がある。 フヨウとアカツキの指示が同時に飛び、両者の技もまた同時に発動した。 グラが目を輝かせて一際強い光を放つと同時に、バシャーモが眼前に蒼い壁を生み出す。 放射状に発せられた光は壁に遮られてバシャーモに届かず、妖しい光は不発に終わった。 しかし、フヨウの指示はそれで終わりではなかった。 「グラ、シャドーパンチから妖しい光と催眠術」 「バシャーモ、電光石火で接近してブレイズキック!!」 とっさにアカツキも指示を出すが、速攻可能なシャドーパンチに敵うはずもない。 グラが拳をゆっくり突き出すと、バシャーモの影から漆黒の拳が飛び出し、本体を宙に殴り飛ばす!! ダメージはそれほど大きくないが、シャドーパンチは速効性に優れ、相手に回避を許さないという利点を持つ。 恐らくは、そちらの使い方を重視しているはず。 宙に投げ出され、なおかつ一度『守る』を使っているため、再び妖しい光を防ぐのは不可能。 続いてグラが妖しい光を放とうとした時だった。 「ブレイズキックで風を起こせ!!」 アカツキの指示に、バシャーモは不安定な態勢であることすら顧みず、烈火をまとわせた脚で虚空を蹴りつけた!! 振り抜かれた脚の軌道に、鮮やかな炎の赤が照り映える。 直後、バシャーモの周囲に風が巻き起こった。 脚を振り抜いた勢いが風を起こし、発生した炎がさらに風を起こす。 直後、グラが妖しい光を放つが、炎が風に流れてバシャーモの視界を覆い、不発に終わる。 続けて放とうとした催眠術も、発動以前に潰れてしまった。 「わ〜お!!」 『守る』を使わずに妖しい光から身を守るとは…… フヨウは感心しているのかバカにしているのか分からないような声音で感嘆のつぶやきを漏らした。 ブレイズキックの特性を理解した上で、炎で光を遮断させたのだ。 不安定な態勢からやろうと思っても、そうそう成功するものではない。 さすがはチャンピオンに挑戦しようと言う気概の持ち主だ。 フヨウは胸中で感心しながらも、バトルにおいて手を抜くことはありえなかった。 「でも、着地までは無防備なんだよ? グラ、シャドーボール!!」 着地までは、動きが制約される。 グラはフヨウの指示を受けて、闇を凝縮した球を放った。 シャドーボールはゴーストタイプの技で、球に込められた不気味な力が、 炸裂した相手の特殊攻撃に対する防御力を低下させることもある。 確かに、着地までは不安定な態勢のままで、無防備もいいところ。 だが、ブレイズキックでワンクッション置いたことで、身を守るための手段は確保できた。 ……が、それを使う気はなかった。 「バシャーモ、火炎放射で相殺だ!!」 アカツキの指示に、バシャーモは不安定な態勢であることも意に介さず、迫り来る闇の球目がけて炎を吐き出した。 空気を焼きながら虚空を突き進む炎の先端が闇の球に触れた瞬間、轟音と共に爆発が生じた。 バシャーモは風に煽られてバランスを崩したが、フヨウとグラにとって予想外の方向に落ちたため、追撃を受けることはなかった。 しかし、着地した後は互いに攻撃が本格化した。 「グラ、シャドーウェーブ!!」 「バシャーモ、近づいてブレイズキック!!」 それぞれのトレーナーの指示を受け、グラとバシャーモが動く。 フヨウは補助の技を多用しながらじわりじわり攻めていく戦略を取っていたが、 アカツキはバシャーモの技を巧みに駆使して、状態異常を避けている。 このような小細工を続けていても、埒が明かない。 それに、バシャーモが攻撃力を不用意に上げないように『横取り』を使ったが、不意を突かれて一度使われてしまった。 妖しい光も『横取り』も、今となっては小細工にすらならないだろう。 相手に攻め入るだけの時間を与えてしまうだけだ。 さすがはチャンピオンに挑戦しようと言うだけの実力はある。 わずかな隙でも見せようものなら、一気呵成に攻め込まれてしまう。 本当なら焦るところかもしれないが、フヨウはこのバトルを純粋に、恐らくはアカツキよりも真剣に楽しんでいた。 グラはトレーナーとは裏腹に真剣勝負に臨んでいる。 両手に禍々しい漆黒の力を生み出すと、左右の手首を合わせて掌を眼前に突き出し、闇の波動を放つ。 シャドーウェーブはフヨウが編み出したゴーストタイプの技で、グラにしか扱えない。 単純に、シャドーボールの攻撃範囲を帯状に広げただけだが、威力はシャドーボールと同等。 つまりはシャドーボールを強化した大技……というわけだ。 一直線に突っ込んでくるバシャーモ目がけ、闇の波動が虚空を迸る。 その先端が生き物の触手のごとく、うねうねと気味悪く蠢いているように見えるが、 それは先端に凝縮された力の質量が大きすぎて安定しないからだ。 「痛み分けで体力を削られてるバシャーモがあんなの食らったら、さすがにまずいな…… 『守る』じゃ次の攻撃は防げないし、ここは一発ドカン、と……」 仮にここで避けたとしても、第二、第三のシャドーウェーブを放つだろう。 近づくまでが一苦労では意味がない。 アカツキは臨機応変に作戦を変更し、再構築する能力に長けていた。 十一歳の誕生日に旅立ってから今まで、トレーナーとして旅していた中で身に付けた、一種の情報処理能力だ。 ガチンコ勝負を仕掛けようと思っていたが、相手の出方によっては作戦の変更を強いられることもある。 もっとも、アカツキにとってはその程度のことは苦でもなかったが。 「バシャーモ、その場で立ち止まって火炎放射!!」 急制動からの方向変更、さらには急発進もいいところの指示。 しかし、バシャーモは嫌な顔一つせず、迅速にその指示に従って脚を止めた。 トレーナーを心から信頼しているからこそ、途中で針路変更となっても文句一つ言わないのだ。 バシャーモは立ち止まり、口から紅蓮の炎を吐き出した。 真っ赤な炎と、真っ黒な波動が正面から激突!! 異なる属性の力と力がぶつかり合い、大爆発を引き起こした!! 爆発の衝撃力(インパクト)と爆風に砂煙が掻き混ぜられ、アカツキとフヨウの間の視界を遮る。 「きゃ〜。けふけふ……!!」 ちょうど、風は北に向かって吹いていた。 風に乗って飛んできた砂煙を思い切り吸い込んで、フヨウが咳き込む。 その割には声に緊迫感がないが、まあそれは愛嬌と言うことで。 なんだか変な意味で予想外の出来事が発生しているものの、アカツキは最初から、この砂煙を利用するつもりでいた。 ここで指示を出せば確実……だが、咳き込んでいるとはいえ、爆音はすでに掻き消えている。 バシャーモを信じて、何もせずに見守るしかなかった。 ここでやろうとしていることは…… 「グラ、悪の波動!!」 一頻り咳き込んだ後で、フヨウがグラに指示を出す。 この砂煙に紛れて、アカツキが何かをしようとしている……それを早々に察知したからだ。 グラは悪の波動を放ち、砂煙を強引に吹き散らした。 ……が、バシャーモの姿はどこにもない。 「あれ?」 フヨウの間の抜けた声が、虚しく響く。 ひゅ〜っ。 タイミングを計ったように、風が甲高い音を鳴らして吹き抜けていった。 「あれれ、バシャーモちゃんはどこ行っちゃったの?」 フヨウが驚いたのは、他でもない。 橋上のどこにも、バシャーモの姿が見当たらなかったからだ。 「……上?」 穴を掘った痕跡も見当たらないことから、フヨウは上空から強襲を仕掛けてくると思って振り仰いだが…… そこにも、バシャーモの姿はない。 「…………あれ、どこ行っちゃったの?」 落ち着きなく周囲を見渡しているフヨウ。 彼女なりに焦っているようだが、表情が伴っていないため、なんとも緊迫感のない行動に映る。 アカツキは無言でたたずんでいた。 バシャーモがどこへ行ったのかなんて、正直なところ、彼にもよく分からなかったからだ。 自身のポケモンの行動を完璧に把握できないのはいかがなものかと思うが、 明確な指示を出していない以上は、どうしようもない。 ただ、今バシャーモがどこにいるのかなら、おおよその見当はつくが…… 「…………」 「…………」 乾いた風が吹き抜けていく。 ……と、薄物しか身にまとっていないフヨウが身体を震わせた直後だった。 ――ずどんっ、ずどんっ!! 轟音と共に、橋に振動が疾った(はしった)。 「……!!」 突然やってきた足元から突き上げてくるような振動に、フヨウが目を見開く。 ここまで来ないと、驚きを表には出さないらしい。 「…………」 落ち着きのないフヨウとは対照的に、アカツキは淡々と構えていた。 何が起こっているのか、手に取るように分かる。 明確な指示を出したわけではないが、ここぞと言う時、バシャーモは自分で考えて戦ってくれるのだ。 以心伝心という言葉がピッタリ合うほど、アカツキの考えに沿って行動することが圧倒的に多い。 振動は徐々に強く、轟音は大きくなっていく。 十数回の振動が橋を襲った直後、一際大きな変化がグラを襲った。 ――ずどんっ!! グラの足元が砕け散り、炎が噴き出した!! 凄まじい炎の奔流は、意思を宿しているかのようにうねっている。 足元から噴き上がる炎に圧され、グラの身体が宙に舞い上げられた。 「ええっ? そんな〜。穴を掘ってる様子もなかったのにぃ〜」 フヨウが頭抱えて悲鳴を上げる。 緊迫感が伴わない表情は相変わらずだが、涙目になっている。 傍から見ても分からないが、少しは慌てているらしい。 トレーナーが慌てふためいている(?)のを余所に、グラは強烈な炎に抗おうと闇の波動を生み出そうとしたが、 炎が噴き出した場所からコンクリの橋を突き破って飛び出したバシャーモのブレイズキックを受け、 地面に激しく叩きつけられた!! 「…………」 火炎放射を上回る威力の炎と、剣の舞で攻撃力が上がった状態のブレイズキックを食らい、 さすがのグラも戦闘不能を免れなかった。 序盤で痛み分けを使った時点で、体力は残り半分となっていたのが痛かった。 「……負けちゃったね〜。さっすがアカツキ。あれからまた一段と強くなっちゃって。悔しいぞぉ〜」 フヨウはグラが伸びているのを見て、すぐにモンスターボールに戻した。 自身の敗北も、気にする様子も見せずに申告する。 地面から噴き出した炎は、バシャーモが着地したところで立ち消える。 「バシャーモ、お疲れさま」 「…………」 アカツキが笑顔で労うと、バシャーモは「当然だ」と言わんばかりに大きく頷いた。 何も言われなくとも、彼がこうしようと思っていることは手に取るように伝わってくるものだ。 『相手の意表を突いて攻撃しろ』ということなのだと、すぐに分かった。 「ふぅ〜」 フヨウはグラのボールを腰に差すと、敗北を吹っ切ったようなまぶしい笑顔で歩いてきた。 「やられたよ。まさか、あんな手で来るなんてね〜」 「あんな手……って、どんな手?」 「やだ〜、アカツキったら」 ケロッとした表情で受け答えするアカツキの肩をバンバン叩き、フヨウは声を立てて笑った。 「バシャーモだよ〜。 何も指示しなくても、グラの意表を突いて攻撃するって分かってたんでしょ? まさか、橋の『下』から攻撃してくるなんて……穴を掘った痕跡もないし、かといって空でもないし。 どこから来るかと思ったけど、さすがにやられたね」 フヨウの推測は見事に当たっていた。 バシャーモが攻撃に移る前に見抜かれていたら、恐らくは対策を立てられていただろう。 フヨウの屈託のない笑顔に、アカツキは空恐ろしいものを感じながらも小さく微笑んだ。 バシャーモは自慢の脚力を活かし、橋の下に回り込んでいた。 『穴を掘る』は使えるが、コンクリの橋を掘って地面に潜るのは難しい。ならば、どこからなら相手の意表を突けるか? 地面に潜った痕跡がないと分かれば、相手は上から来ると思うだろう。 しかし、上にも姿がなかったら? まさか、橋脚を飛び移りながら、徐々にグラの足元を崩して一気に攻撃してくるとは思うまい。 バシャーモが機転を利かせたからこその勝利だ。 アカツキはいつの間にか傍にやってきていたバシャーモに目をやり、事も無げに言ってみせた。 「僕は何も指示を出してないよ。 あそこで指示を出したら、フヨウさんのことだから対抗策を練ってくると思ったし…… もしかしたら、橋の下から攻撃してくれるかなって思ったけど、これは賭けだった」 思っていることが大体伝わるとはいえ、失敗したことだってある。 相手が相手だけに、失敗したら目にも当てられなかったのだが、成功して良かった……というのが本音だった。 「それでも、あたしが負けちゃったことに変わりはないんだし。 さすがに、一年前ほど簡単には行かないね」 「お互い様だと思うよ」 「そうだね」 一年前は、状態異常のオンパレードだった。 アカツキは一年前、この場でフヨウとバトルした時のことを思い返し、背筋を震わせた。 その時も、フヨウはグラを繰り出してきたが、今回ほど攻撃的なバトルはしてこなかった。 妖しい光から始まり、催眠術、呪い、悪夢、夢喰い……という恐怖の悪夢コンボを仕掛けてきた。 そして、マニューラを戦闘不能寸前まで痛めつけたものだ。 一年前に比べれば、まだソフトでスマートなバトルを展開できた。 フヨウが攻撃的な戦術を執ってきたことも影響しているのだろうが。 ともあれ、四天王を全員下したアカツキは、チャンピオンへの挑戦権を手にした。 「バシャーモ、ありがとう。ゆっくり休んでてくれ」 グラとの激闘でかなり疲労しているバシャーモをモンスターボールに戻し、アカツキは小さく息をついた。 今回も、なんとか四天王を全員下すことができたが、かなり際どい戦いだったのは一年前と変わらない。 一年前よりも全体的にレベルアップしているのは間違いないが、 それは相手にとっても同じことが言えるため、一概に『成長した』と言い切ることもできないだろう。 「あとは、ダイゴさんのポケモンがどこまで育て上げられてるか……だな」 十年間、チャンピオンの座を守り通した青年の勇ましい姿を脳裏に浮かべ、アカツキはごくりと唾を飲み下した。 ある時は彼の強さに憧れ、またある時は畏怖すら覚えた…… だが、チャンピオンの座を賭けてダイゴとの戦いに挑もうとしているのもまた、 彼がアカツキの人生観を大きく変えた人物だったからに他ならない。 彼自身は言うまでもなく、ポケモンたちのレベルは想像を絶するほどのものだ。 俗に言う『伝説のポケモン』と力比べしても、易々と勝利してしまうのではないかと思わせるほどの域に達している。 達人など目ではなく、下手をすれば神だ。 アカツキは知らず知らずに、ダイゴが待つ山の頂に目を向けていた。 頂上決戦という名のタイトルマッチに相応しい場所である。 殺風景な景色だったが、厳かで、それでいて神聖な雰囲気が漂っている。いわば聖地のような場所だ。 チャンピオン・ダイゴは、アカツキの到着を今か今かと手薬煉引いて待ち構えているに違いない。 彼の使いそうなポケモンは把握しているが、それだけで勝てるほど甘くはない。 チャンピオンという肩書きは伊達ではないのだ。 ホウエン地方最強のポケモントレーナーであることは言うに及ばず。 半年前にアメリカで開催されたポケモンバトルの祭典では、 各国・各地方のチャンピオンが一同に結集して激しい戦いを繰り広げた。 優勝こそ果たせなかったものの、三位入賞という快挙を成し遂げたのだ。 つまり、世界で三本の指に入るトレーナーと、これから戦うことになるのだ。 今の自分の実力でどこまで通用するか……分からないが、ここまで来た以上、後には引けない。 チャンピオンが待つ山の頂をじっと見据えたまま思案しているアカツキの顔を横から覗き込み、フヨウがポツリつぶやく。 「緊張する?」 「……そりゃ、普通は緊張するよ。相手はあのダイゴさんだし。 でも、一年前ほど緊張してないから」 アカツキは頭を振った。 心なしか、彼女の明るい口調で緊張感が和らいだ気がする。 良くも悪くも、他人の心を掻き混ぜることに関して、フヨウは天才的な資質の持ち主だ。 ともあれ、彼女の一言で少しは緊張が解れたのも事実だった。 「待たせたけど、やっとダイゴさんと戦える。 ――行こう!!」 気を取り直し、アカツキはチャンピオン・ダイゴが待つ山の頂へ向けて、歩き出した。 X 山の頂に設けられたバトルフィールドには、先客がいた。 バトルコートの内外は荒れ放題になっており、一本の雑草さえ認められない。 今までに激しいバトルを幾度となく繰り広げ、地表はめくれ上がり、岩の塊がゴロゴロ転がっている。 頂上決戦を執り行うにはあまりに殺風景な景色が広がっているが、荒野を思わせる頂には、厳かな空気が満ちていた。 仮に、麓から上がってくる階段の反対側のスポットで、 険しい表情を浮かべたまま目を閉じて精神を統一している青年が発した空気だとしても、異は唱えられまい。 最後の一段を登りきり、アカツキはフィールドの向こうに立つ青年を見やった。 十年間、完全無敗を誇るチャンピオン・ダイゴその人である。 灰色の髪を短く切り揃え、七年前に初めて出会った時と似たようなスーツを着こなしている。 引き締まった顔立ちと、全身から発せられるオーラのような雰囲気は若い頃とまったく変わりない。 腕を組み、来るべきバトルに備えて精神を統一させているのだろう。 「ダイゴさん……」 アカツキは小さく、彼の名を呼んだ。 初めて出会った時から、彼はとても大きく、それでいて強く暖かな存在だった。 時に、彼の人間離れした強さに恐怖を抱いたこともあったが、今でも尊敬できる人物であることに変わりはない。 無敗のチャンピオンを打ち倒すのは、容易いことではない。 分かりきっていることでも考えてしまうのは、彼の屈強なポケモンたちの実力を身に沁みて理解しているからだった。 真剣な雰囲気が漂うバトルフィールドに足を踏み入れ、フヨウが声を上げる。 「ダイゴ〜。アカツキがキタよ〜ッ♪」 「……む、そうか。気がつかなかった」 厳かで、チャンピオンの座を賭けた戦いの前…… 嵐の前の静けさという雰囲気をぶち壊す声音に、ダイゴはゆっくりと目を開いた。 と、ダイゴの肩が、神経質そうに小さく揺れていたのを、アカツキは見逃さなかった。 もっとも、そんなことをいちいちチェックしたところで、何にもならないことも分かりきっていたが。 「しかし、一年ぶりだな、アカツキ君。壮健そうで何よりだ」 「ダイゴさんこそ」 「ふふ、元気でなければチャンピオンなどやっていられないからね」 言葉を交わす二人の顔には、小さな笑みが浮かんでいた。 見知った間柄ゆえ、互いに元気にしていたのだと分かると、うれしくなる。 知人以上の深い付き合いだと思っているから、なおのこと。 「さて、去年と同じく、君はここまで勝ち上がってきた。 ならば、僕はチャンピオンとして、君と戦わねばならない……それも、去年に話したかな」 「はい。同じ文言だったのを覚えてます」 「そうか。ならば、二度は言うまい」 頭を振るアカツキに、ダイゴは苦笑した。 「多くを語らずとも、君が今までたゆまぬ鍛錬を積み重ねてきたことは、君の瞳が如実に物語っている。 ……早速、始めるとしようか。 君がこの一年で積み重ねてきた修行の成果を、僕に見せてくれ!!」 「もちろん、そうさせてもらいます!!」 二人の手には、モンスターボールが握られていた。 チャンピオンとの戦いでは、それぞれが二体のポケモンを用いる。 シングルバトルの勝ち抜き形式で、相手のポケモンを二体とも倒せば勝利となる。 チャンピオンは手持ち六体の中から任意で二体を選択できるが、 挑戦者は四天王との戦いですでに四体のポケモンを使っているため、実質的に出せるポケモンは決まったも同然だ。 だが、それではフェアでないため、チャンピオンから先にポケモンを出すというルールになっている。 「では、僕の一番手はこいつだ!!」 ダイゴが腕を振りかぶり、言葉と共にボールをフィールドに投げ入れる。 着弾と同時に飛び出してきたのは、顔の中ほどから生えた三叉の角が一際目を引く、 巨大なペンギンのようなポケモンだった。 「エンペルト……去年は出さなかったけど、ダイゴさんの手持ちとしてはいたってところかな……?」 アカツキはダイゴが一番手として繰り出してきたポケモン――エンペルトを見やり、考えをめぐらせた。 皇帝ポケモンと呼ばれているエンペルトは、 ホウエン地方から遥か北方に位置するシンオウ地方での『最初の一体』ポッチャマの最終進化系だ。 皇帝の二つ名に恥じない立派な体格と、雲の合間から降り注ぐ陽光を浴びて黄金に輝く三叉の角。 皇帝を思わせる威厳ある雰囲気を放っているのは、チャンピオンの手持ちとして鍛え上げられたという自信の現われか。 見た目こそ巨大なペンギン(背丈はダイゴとほとんど変わらない)だが、 強靭な翼は流氷をも容易く切断するほどの力を秘めている。 エンペルトのタイプは水と鋼。 多くのタイプに耐性を持ち、攻撃面でも使用できる技のタイプは幅広い。 守るに易く、攻めるに難い……まさに砦として相応しいポケモンである。 攻守に優れているポケモンゆえ、オールラウンドに戦うことができるが、 素早さに限っては、それほど高くないという欠点がある。 しかし、弱点となるのは電気、地面、格闘の三タイプのみ。 そのうち、地面タイプは併せ持つ水タイプの技で十分に対抗できるため、 実質的な弱点はそれ以外の二タイプだけと言ってもいい。 一番手から、難敵を繰り出してくる…… それだけ、ダイゴがこの勝負にチャンピオンとしてのプライドを賭けているということだろう。 「さあ、君のポケモンを出したまえ。 言うまでもないが、生半可なポケモンでは、エンペルトの防御を貫いて倒すことは敵わない」 「分かってますよ」 ダイゴの言葉に軽く答えつつも、アカツキはエンペルトの手強さを十分に理解していた。 かつて、シンオウ地方を旅した頃、手強いエンペルトと戦ったからだ。 「とはいえ、弱点を突けるポケモンはそう多くないんだよな……」 エンペルト自身の防御力は大したことがないが、厄介なのは、鋼タイプが誇る防御能力である。 鋼タイプは、攻撃面こそ岩・氷タイプにしか有効打を与えられないが、防御面では多くのタイプの技に耐性を持つ。 どんなに威力のある技でも、タイプの防御によって威力を削られてしまうのだ。 相手のポケモンが弱いなら、タイプの防御(そんなもの)など紙でできた鎧のようなものだが、 ダイゴほどの猛者が繰り出したポケモンとなると話は変わってくる。 生半可な攻撃では、エンペルトの堅固な防御能力を崩すこともできないのだ。 ……残ったポケモンは二体。 一体は、言うまでもなくアカツキの傍に控えているオーダイルだが、 オーダイルはダイゴの最終兵器(切り札)に対抗するために、何がなんでも残しておかなければならない。 そうなると…… 「メタグロス対策にゲットしたポケモンだけど、エンペルトにも通じるから、ここは行ってもらおう」 アカツキはモンスターボールを持ち替えず、そのままフィールドに投げ入れた。 「ルカリオ、行けっ!!」 ボールは放物線を描きながら着弾し、中からポケモンが飛び出してきた。 人に似た体格ではあるが、鮮やかなブルーの、しなやかな身体。 頭上の耳をピンと立てて、鋭い眼光でエンペルトを睨みつける。 大昔にとある勇者の従者を務めていたのと同じ種族のポケモン・ルカリオだ。 タイプは鋼と格闘。 格闘タイプの技は、エンペルトに効果抜群だ。 動きも素早いから、自慢の水タイプの技さえ食らわなければ、勝ち目は十分にある。 アカツキの一番手を見やり、ダイゴは目を細めた。 「ほう、ルカリオをゲットしていたとは…… さすがに、メタグロスに対抗するポケモンを用意していたようだね」 「万全を期さないと、ダイゴさんには勝てませんから」 「確かにそうだね」 軽口を叩き合い、二人して身構える。 一瞬の油断や判断ミスが、即敗北につながる頂上決戦。 その重みは、対峙する二人が誰よりも理解している。 「それじゃあ、あたしが審判やるね」 「頼む」 「オッケ〜、任せといて♪」 審判はフヨウが務めることになった。 若干(どころか、かなり)音程を外している鼻歌など交えながら、審判の配置に就く。 四天王の筆頭として、現役のチャンピオンと、チャンピオンになろうとしている者の戦いの行方を見守らなければならない。 ……という殊勝な使命感があるのかは分からないが、フヨウはなんだか楽しそうだった。 もっとも、頂上決戦に相応しいレベルのバトルが繰り広げられると分かっているのだから、血沸き肉躍るというものだ。 「それではっ、バトルを開始するよっ!! 赤コーナー、十年間無敗を誇る、鉄壁のチャンピオン・ダイゴぉぉぉぉぉぉっ!! 青コーナー、去年の雪辱は果たせるか!? 四天王全員をバッサバッサとなぎ倒し、決勝の舞台へコマを進めた期待の新星!! ミシロタウンのアカツキぃぃぃぃぃぃっ!!」 いつの間にやらマイクを手にしたフヨウが、声高に叫ぶ。 フィールドの周囲に埋設されているスピーカーから、彼女のハスキーボイスが吹き出した。 本気で楽しむことしか頭にないようだったが、今に始まったことではない。 アカツキもダイゴも気にはしていなかった。 「……やっぱり、相変わらずなんだな、この人……」 ボクシングやらプロレスに例えるのはいいが、何もそんな文言で無理に盛り上げようとしなくてもいいのに…… だが、これも彼女なりのエールなのだろう。 アカツキはため息の代わりに、やる気をみなぎらせた。 掻き立てられた闘争心を見せ付けるように、エンペルトと、その向こうに悠然とたたずむダイゴを睨みつける。 ダイゴも負けじと、エンペルト共々睨み返してくるが、互いに一歩も引かない。 「僕には、チャンピオンになりたい理由がある。だから、負けない……!!」 燃え上がる炎の如き闘争心に、やる気の油を注いで、より激しく、高く、大きく炎を燃え上がらせる。 アカツキがチャンピオンの座を頂きに来たのは、伊達でも酔狂でもない。 増してや、ダイゴに勝ちたいという理由だけでもない。 ダイゴを下せば、様々な手続きを経て、一月後にはチャンピオンとして就任する。 チャンピオンの責務は、その燦然たる称号とは裏腹に、重いものである。 ホウエンリーグの頂点として、様々な責任と義務を背負い込むことになる。 「チャンピオンっていいな〜」 「カッコいい。あたしもなってみたい……」 ……などと、軽々しく口走れるようなシロモノではない。 ダイゴは就任からの十年間、様々な責任と義務……その重責に耐えて、チャンピオンとして君臨してきた。 アカツキにはダイゴの苦労や苦悩が分かっているが、だからこそチャンピオンになりたいと思った。 ここで『恩師』たる彼を打ち負かし、自分が新たなチャンピオンとなる…… そのためだけに、この一年間、たゆまぬ修行を続けてきたのだ。 想いを噛みしめながらバトルの開始を待っていると、 「じゃ、戦いに入る前に、お互いのコメントをもらおっかな♪」 「えっ……」 言葉が終わるが早いか、フヨウがセンターラインから駆けてきて、アカツキの眼前にマイクを突きつけてきた。 「えっ、じゃないよ〜。 ダイゴをぶっ倒してチャンピオンになろうって人が、意気込みも何もナシでバトルに挑むわけ? それってひどいな〜。みんなも見てるんだし、ちゃんと答えてほしいぞぉ〜」 「…………カメラまでついてるし。一体いつの間に……」 「んふふふふ〜。フヨウちゃんに不可能の三文字はないのダ♪」 得意げに鼻を鳴らすフヨウ。 いつの間にか、斜め前にカメラマンが立っていた。 一体いつ、どこから現れたのだろうという疑問を覚えたのはダイゴも同じらしく、呆然とした表情でこちらを見ている。 まあ、世の中科学がすべてではないのだし、幽霊や心霊現象だって実際には存在する。 だから、カメラマンが何の前触れもなく現れたところで、不思議でもなんでもない。 ポケモンの力を借りれば、人間が一瞬で何百メートルも先の場所に移動することだってできるのだ。 ……と結論付けて、アカツキは口を開いた。 「僕はダイゴさんのようになりたいと思って、頑張ってきた。 でも、それだけじゃダメなんだって、去年ダイゴさんに負けた時に気づいたんだ」 アカツキは初めてダイゴと出会った時から、ずっと彼に憧れていた。 彼のような立派な大人になりたいと思って、頑張ってきた。 だが、どんなに頑張っても、ダイゴにはなれない。彼のようになることはできても、彼本人に成り代わることはできない。 そんなこと、考えるまでもなく理解できるはずなのに。 去年、完膚なきまでに叩き潰されたことで、自分の過ちに気づいた。 ダイゴのようになろうと努力するのではなく、彼の強さの一部でも自分に取り入れて、 自分らしい自分にならなければならないのだと。 憧れは憧れで、美しいまま思い出の一部として取っておくのはいいだろう。 だが、それはあくまでも過去を象徴するものでしかない。 憧れという名の美景を目の前に映し出すことで、自分だけの未来を描くことから目を逸らしていた。 十七歳までそんなことに気づかなかったなんて、本当に馬鹿げている。 だからこそ、アカツキは今、ダイゴを倒してチャンピオンになることを願っている。 自分に期待してくれている、大切な人のために。 自分が頑張れば、その人に笑顔と希望を与えられると信じている。 だから、ここまでやってきた。 「僕はチャンピオンになって、いろんなことをしたい。 何でも自分の思い通りにできるなんて思っちゃいないけど、僕にできることがあるのなら、何だってやってみたい。 辛い時も、苦しい時も、本当は逃げたくて仕方ないことだってあったけど、 僕に『逃げずに歩いていく』勇気をくれたのは、ダイゴさんだったから。 だけど、僕はダイゴさんを超えるチャンピオンになるって決めた。 僕が頑張ることで、誰かが『頑張ろう』って気になってくれるなら、やってみたいと思うんだ。 ……こんな僕でも、誰かを励ませるのなら、勇気付けられるのなら……やってみたい。 だから……」 アカツキは思いの丈を残さずに搾り出すと、ダイゴを睨みつけ、宣言した。 「ダイゴさん、今日は僕が勝ちます!! あなたからその座を奪い取って、僕が次のチャンピオンになる!!」 叩きつけるような言葉にも、ダイゴは眉根一つ動かさず、淡々と構えている。 それどころか、口元にはかすかな笑みさえ浮かべているではないか。 言うようになったものだ……と思っているのかもしれない。 「わおっ!! な〜んかいい感じのコメントじゃない!! それじゃ、次はチャンピオンのダイゴだね!!」 アカツキの想いが伝わったのか、フヨウはカメラマンを伴って、凄まじいスピードでダイゴへと駆け寄った。 驚愕の表情で振り向いてくるエンペルトなど構わず、マイクをダイゴに向ける。 「言うことは……ないさ」 ダイゴは小さく息をつくと、頭を振った。 「君も大きくなったものだ。 だけど、僕にはホウエンリーグのチャンピオンとしての意地がある。 できるなら君を新たなチャンピオンとして迎えてやりたいが、仕来りを変えるわけにもいかない。 ならば、僕のポケモンたちをバトルで征したまえ。 君の実力、存分に見せてもらおう」 「はい、ありがと〜」 ダイゴも、アカツキに負けないだけのものを背負っている。 チャンピオンとしての意地、プライド……今まで培ってきたものすべて。 再び二人が睨み合うと、フヨウはカメラマン共々フィールドの外に待避した。 チャンピオンとのバトルの模様は、ホウエン支部のビル内に放映される。 自分たちの上司が、次にその上司になるかもしれないトレーナーと戦うのだから、視聴率はそれこそ100%。 どんなトレーナーが次のチャンピオンになるのか……ホウエンリーグの役員も気になっているところなのだ。 残念ながら、ホウエン地方のお茶の間に戦いの様子が流れることはないが、噂など風のような速さで巷を席巻するものだ。 「それじゃ、バトルを開始するよ。 ――Are you ready? レッツ、バトルっ!!」 フヨウはいつの間にやらマイクを手旗に持ち替え、審判モードに突入。 そして、すぐにバトルのゴングを打ち鳴らした。 チャンピオンの座を賭けた頂上決戦の火蓋が今、切って落とされた!! <後編に続く>