カントー編Vol.02 確かな絆 「わ〜、ここがトキワシティなんだね」 「ああ、そうだよ」 夕陽に染まった街並み。 マサラタウンとは明らかに異なる景色を眺めるナミの瞳は、これでもかとばかりに輝いていた。 オレたちは、夕方になって隣町のトキワシティにたどり着いたんだ。 道中、然したるトラブルもなく――歩くトラブルメーカーであるナミとこんなに長い間一緒にいて何事もなかったなんて、マジ信じらんない。 まあ、下手なトラブルだったら起こらないに越したことはないんだけどな。 ともあれ、今日はトキワシティのポケモンセンターで一泊していくことにするさ。 歩きながらポケモン図鑑をあれこれいじったから、使い方とか機能はだいたい分かった。 役に立つ機能から、どうでもいいシロモノまであったけど、何とかとハサミは使いよう…… 使い方次第では恐ろしいモノに化ける可能性もありそうだ。 ポケモン図鑑は固有のIDが設定されていて、オレの図鑑にはオレの、ナミの図鑑にはナミの顔写真や名前とかが記録されてるから、 身分証代わりにもなる。 これはこの先、一番役に立ちそうな機能と言えるだろう。 もちろん、紛失したら一大事だけど。 「そういや、ナミはトキワシティ来るの初めてなんだっけ?」 「何度か来たことあるよ。アカツキも来たことあるんでしょ?」 「まあな」 答えたとおり、オレはトキワシティに何回か来たことがある。 だから、ポケモンセンターとかフレンドリィショップとか、トレーナーとして必要な場所は覚えているんだ。 いつか旅立つ時に役立つだろうと思ってたけど、正解だった。 昼食は一応食ったけど、腹の虫が騒ぎ出していた。 小遣いだって限られてるんだから、野宿では食材を節約しとかなきゃいけない。 ほら、どうせならポケモンセンターでたらふく食った方がイイに決まってっからさ。 「それより、そろそろ行かないか? 腹、減っちまったよ」 「うん、そうだね」 赤く染まる街並みを見るのもほどほどに、オレたちは街の中心部にあるポケモンセンターへと向かった。 トキワシティはマサラタウンよりも大きな街だ。 『街』と形容されるだけの施設が揃っている。 南にマサラタウン、西にポケモンリーグ・カントー支部があるセキエイ高原、北にニビシティと、三方に出入り口を持っているんだ。 事実、南側から入った時には警備用のゲートが設けられていた。そこで街に入る人間のチェックを行ったりするのは、 今のご時世仕方のないことなんだろうけど……でも、あんまりいい気分はしない。 なんてことは置いといて、今は旅に出られたっていう喜びを味わうとしようか。 1番道路を歩いていた時に感じた風や、新鮮な景色。じいちゃんのお遣いで来た時とはまた違って見えたな。 あの時はじいちゃんのお遣いだったから、すぐにマサラタウンに戻らなきゃいけなかった。 だから、今ほど自由には振る舞えなかったんだと思うよ。 当分はマサラタウンに戻らなくてもいいし、好きなこと――強いて言えば夢へ向かって頑張ること……だな――を存分にやれるんだから。 とはいえ、旅はまだまだ始まったばかり。 これからもたくさんのものを見て、感じて、触って、夢に向かって猛ダッシュなんだよな。 「わー、マサラタウンとはやっぱり違うんだねぇ」 「そりゃ違うよな」 なんだかとてもうれしそうなナミを横目で見つめ、オレはため息を漏らした。 瞳はキラキラ輝いてるし、忙しなく周囲を見回してるし……なんていうか、田舎モノ丸出しって感じ? 周囲の人たちがこっちを向いてクスクス笑っている。 田舎モノね、あの子…… なんて思ってるんだろう。 ナミ本人はそういった視線を気にしてないみたいだけど、むしろオレの方が気にしてしまう。 できれば、そういうのはやめてほしいんだよなぁ。 口にしたところで、すました顔ですっ呆けるんだろうけど。 「ポケモンセンターだって、マサラタウンとは違うんだぜ。見たらきっと驚くと思うけどな」 「へぇ〜。楽しみ〜♪」 すっかり舞い上がるナミ。 こいつにプレッシャーとか不安とかって、きっとないんだろうな。 それはそれでうらやましいんだけど…… 街中を歩くうち、前方にポケモンセンターが見えてきた。 マサラタウンのポケモンセンターは平屋建てに毛が生えたようなシロモノだったけど、トキワシティのポケモンセンターは全然違う。 規模が比べ物になっていないんだ。 トキワシティは往来の激しい街。 人が行き交う街だから、そこに滞在するトレーナーやブリーダーも多い。 徒歩でカントーリーグの舞台であるセキエイ高原へ行くには、必ず寄って行く街なんだよ。 だから、カントーリーグが開催される十二月に近くなると、ポケモンセンターはバーゲン中のデパートみたく混み合っているらしい。 まー、今はまだ三月だから、それはまだまだ先のことなんだけどな。 「あ〜、もぉ待てない!! レッツ・ゴーっ!!」 マサラタウンの建物とは比べ物にならないほど洗練されたイメージに魅了されたのか、ナミはいきなり駆け出した。 早く中に入って、どんな場所なのか確かめたいと思ったのだろう。 しかし、こればかりは予想もできなかったぞ。 突飛な行動という新たな一面に驚いて、思わず対応が遅れる。 追いかけようと思った時には、ナミはすでにポケモンセンターの入り口にたどり着いていた。 「アカツキ〜。早く早く〜」 立ち止まるなり、こっち向いて手を振りながら叫ぶナミ。 ああああああっ。 通りを行く人の何割かがオレに視線を向けてきた。 うわ恥ずっ!! カァッ、と顔が火照るのを感じ、オレは全速力でポケモンセンターへと駆け出した。 その勢いに驚いてか、道を譲る人がちらほら。 そんなのが目に入らないくらい、すっげぇ恥ずかしかった。 運動会の50m走で1位を目指して全力で駆け抜けるみたいに、もぉ必死。 ゴールテープを切った時のように、ポケモンセンターの入り口にたどり着いたオレに、ナミがパチパチと拍手をくれたり……ってヲイ。 オレは50m走の選手か。 そう言いたくなったけど、息を切らしててそれどころじゃない。 言葉を出すのも辛い。 肩で荒い息を繰り返し、呼吸を整えるので精一杯だ。 それが落ち着いてきたのは一分くらい経ってから。 「アカツキって足速いんだね。驚いちゃった」 「あのなぁ……」 オレに辱めを与えたという自覚がないようで、ナミはケロッとした顔で歓声を上げた。 自覚のない人間に懺悔とか謝罪を求めたところで無意味だと分かっているから、何も言う気にはならない。 むしろ、気兼ねなく何でも言える方がストレス発散になっていいんだけど……残念ながらナミはそういったタイプの人間ではない。 「まあ、いいや。それより……」 胸の動悸が治まったのを見計らい、 「早く部屋取っちまおうぜ。そうすりゃノンビリできるからな」 「うん」 オレはナミを連れ、ポケモンセンターの自動ドアをくぐった。 すると、とても広いリビングがお出迎え。 「うっわぁ……」 マサラタウンとは比べ物にならない広さに、ナミは感嘆のつぶやきを漏らした。 床はピカピカに磨かれ、足元に目をやれば、自分の顔と『こんにちは』。 試しにやってみたら、自分でも分かるくらい疲れていたな。 マサラタウンで一番広い多目的ホールに匹敵するロビーには数十、もしかしたら百に達するかもしれないというほどの椅子が整然と並んでいる。 結構埋まってるから、正直なところ泊まれるか心配だったりするんだけど……とりあえず、聞いてみなくちゃ始まらない。 奥にあるカウンターには、ポケモンセンターの看護士であり、責任者でもあるジョーイさん。 彼女に話して、今晩の宿を確保しておこう。 少しでも休みたいという気持ちから――それを起こしたのはナミだ、間違いない――、 オレは引き寄せられるようにジョーイさんの元へと向かった。 カウンターの前まで歩いていくと、ジョーイさんはニッコリと微笑んで出迎えてくれた。 「ジョーイさん。今晩泊まりたいんですけど」 「泊まりたいんですけど〜」 オレの言葉を真似るナミ。 おいおい…… こういうのはオレに一任してくれればいいのに……ナミが割り込んでくると、結構ややこしくなりそうなんだけどな。 ま、いいか。 「はい、分かりました。こちらがキーになります。ごゆっくりどうぞ」 腰にモンスターボールを差してあるのを見て、オレたちがトレーナーだってことが分かったんだろう。 ジョーイさんは何の疑いもなく了承すると、後ろの壁にかけてあるルームキーをオレに渡してくれた。 同室ってことになるけど、別に構わないだろ。 オレがナミに危害を加えるってワケでもないんだし、ナミも異議を唱えなかったんだから。 それどころか、オレと一緒の部屋で寝られるってんで、喜んでる始末だ。 ルームキーはカード式だ。ドアに差し込むだけでカギを開けられるんだから、普通のカギと比べても機能性は良い。 キーに書かれた部屋番号から、泊まるのは二階だと分かった。 「とりあえず部屋は確保できたわけだし……メシにすっか」 「うん!!」 肩越しに提案すると、ナミはうれしそうに頷いた。 ナンダカンダ言って、腹が減ってたんだろう。 ナナミ姉ちゃんが作ってくれたお弁当だけじゃ、足りなかったらしい。 まあ、マサラタウンからここまで歩いてきたんだから、それも当然のことなんだけど。 案内に従ってロビー脇の廊下を通ると、香ばしい匂いが鼻を突いた。 食欲が刺激され、腹の虫が騒ぐ。 ポケモンセンターでの食事はバイキング形式で、好きなものを好きなだけ装って食べる。 食堂もロビーと同じように広く、百人以上が一度に食事を楽しめるほどだ。 半分くらい埋まってるけど、カントーリーグが始まる直前に比べれば、まだ空いている方だろう。 「わー、なんかいっぱい」 様々な種類の料理を目の前に、ナミは今にもよだれを垂らしそうに口をだらりと開けた。 「この中から好きなもの選んで盛り付けるんだ」 オレはそう言い、ナミにお盆を手渡すと、早速料理の盛り付けを始めた。 大皿には具だくさんのチャーハンを装い、小皿には栄養バランスを考え、野菜を中心としたサラダを。 最後に、コップにオレンジジュースを注ぐ。 オレの方は終わったし、ナミのヤツはどんなものを食べるんだろう。 ふと気になって、見てみると―― 「ヲイ……」 信じられないくらい盛ってるし。 本当に食えるのかと思うけど、どう考えてもそれは無理。 残しすぎるとジョーイさんから注意されるってこと、先に言っておいた方が良かったんだろうか。 いや、でもまさかナミがこんな非常識な量を取り分けるとは思ってもなかったからなぁ…… 仕方ない。 これはオレの落ち度でもあるわけだから、万が一――っていうか間違いなく――残したら、その時はオレも少しは処理してやろう。 ナミが盛り付けを終えるのを脇で待ち、彼女をエスコートするように窓際の席へ。 「なあ、ナミ」 「なあに?」 「本当にそんなに食いきれるのか? 今ならまだ戻しても間に合うぜ?」 席について、オレは最後通告を送った。 これがダメならあきらめるしかない。 料理に口をつけていない今なら、あるいは何とかなるかもしれないと思ったんだけれども…… 何気に不安なオレの心境など知ってか知らずか(たぶん知らなそう……)ナミはスプーンを片手に、ニコリと笑いながら、 「あたし、家じゃあまり食べないけどね、外じゃ結構食べるんだよ。これくらいなら大丈夫」 なんて言い終えるが早いか、山のように盛られたピラフの一角を崩して口に運び始めた。 止める間もなくピラフがナミの口に入り――タイムアップ。時間切れ。 まあ、保険代わりの措置だから、無駄になってもそんなに悔しくはないけど……尻拭いってのはあんまりしたくないのが本音だ。 ここはナミの言葉を信じて、食べ切るのを期待するしかないだろう。 深く考えないようにして、オレも料理をいただくことにした。 ナミは猛烈な勢いでピラフの山を削っていく。 目分量だけ見てみれば、大の大人ですらこれを食いきるのは相当大変なことだろう。 でも、ナミはそれを苦にしている様子もない。好みの味付けなのか、ピラフはどんどん彼女の胃袋へ。 これなら本当に食いきる……か? 変な期待をしている自分自身に気がついて、思わず苦笑が漏れる。 「む〜、どしたの?」 その様子がたまたま目に映ったんだろう、ナミはスプーンを止めて、オレを見ながら首を傾げてきた。 ギャップ、激しすぎ…… 大食い大会出たら並み居る大人を差し置くほどの貫禄と、今の間の抜けたような表情はギャップ激しすぎだろ。 「いや、これから何しようかと思って」 滑るように視線を窓の外へ向ける。 いつの間にか、夕焼けに染まる空は夜空へと取って代わられていた。淡くライトアップされた敷地には、誰もいなかった。 高い塀に阻まれて、外の様子は窺い知れない。 まあ、その方が誰かの視線が気にならずに食事を楽しめるわけだから、それはそれでいいことかもしれない。 窓にうっすらと映るオレの顔。 真剣ってほど真剣でもないし、辛いってワケでもない。 いつもと同じ顔。 そういえば、旅に出たんだよな。 最強のトレーナーと最高のブリーダーになることがオレの夢。 両方を叶えたいって思ってる。 もちろん、それが口で言うほど簡単なことでないことも承知してるつもりだ。 努力は惜しまないし、どんな困難だって乗り越えてみせるって意気込みだって、ハートの熱さで確かめられる。 それはいいとして、問題はそのための方法。 チャーハンを何口か食んだ後に、スプーンをくわえながら考えをめぐらせた。 最強のトレーナーと最高のブリーダーを目指して旅に出たのはいいんだけど、具体的に何をするのかっていう話なんだよな。 各地のポケモンジムをめぐり、ポケモンバトルでジムリーダーを打ち負かしてリーグバッジを手に入れ、 八つ(八種類)集めることでカントーリーグに出場する。 それがトレーナーとしての王道で、オレもそうしたいと思ってる。 各地を巡る間にポケモンバトルも経験していくだろうから、メリットこそあれ、デメリットなどまず存在しない。 とはいえ、ブリーダーは成果を披露する舞台がほとんどないのが実情で、こっちは地味にやっていくしかない。 ポケモントレーナーとしてポケモンと接する中で、ブリーダーの技量や知識を会得していくのが最良か。 なんて考えてはみたけれど、オレは今一人で旅をしているワケじゃない。 ホントは一人で旅をするつもりだったけど、予期せぬアクシデントでナミがくっついてくることになった。 一緒に旅してる以上、彼女の意見も随所に取り入れていくべきだろう。 そう思い、オレは話を振った。 「ナミはさ、どうするつもりなんだ? おまえは確か『すっげぇトレーナー』になりたいんだったよな?」 「うん。やっぱりジム戦でバッジをゲッチュするのが一番だよね。あたしはそうしたいなあ」 ナミにしては、まともな答えが返ってきた。 ただ、ゲッチュって言葉の意味が分からないけど…… 「アカツキは?」 「それが妥当な線だと思ってる」 結局は同じだったワケだ。 もしかしたら、ナミはこうなることが分かっててオレと一緒に旅に出たのか? なんてあり得ないようなことまで勘繰ってしまう。 でも、ナミはナミなりに考えを持ってるみたいだな。そこのところは素直に安心したよ。 流れに身を任せてるだけだったらどうしようなんて心配があったんだけど、それが払拭されたんだから、いいことだ。 「カントーリーグには?」 「出てみたいな」 「なるほど……」 目的もある程度は同じってワケか。 旅に出るまではいろいろとドタバタあったから、確かめられなかったけど。 カントーリーグっていうのは、カントー地方にあるジムでリーグバッジを八つ以上ゲットしたトレーナーが激しいバトルを繰り広げる、 ポケモンバトルの祭典。 どちらに転ぶかも分からないような、手に汗握るバトルの展開…… ポケモンの単純な強さを競うのはもちろん、戦略、戦術といったトレーナーの技量や精神力まで試されるんだ。 普通のポケモンバトルとは比べ物にならないような苛烈なバトルが待ち構えてるんだ。 だけど、カントーリーグにはオレも出たいと思っている。 サトシやシゲルも一度出たっけ。旅立ったその歳で初出場だったわけだけど、結構いい所まで行ってたな。 ということは、オレとナミだって努力次第でそれ以上を望むこともできるってことだな。 「オレもカントーリーグに出るつもりだよ。それまでは一緒に旅できるってことか?」 「うん。そうだね」 ナミはうれしそうに笑った。 口の端にこびりついた一粒の米が、いいところまで行ってた情景を台無しにしてたりするけど、 それでもナミがうれしそうな顔してるのを見て、悪い気分にはならない。 「目標が同じだってのは分かったわけだし……それなら一緒に行ってもいいかって思っただけだからな。勘違いするなよ」 「うん。分かってる。それでもアカツキと一緒にいられるのってうれしいよ♪」 「ったく……」 さり気なく釘を刺したつもりだけど……なんだよ、何気に心くすぐること言ってくれるじゃん。 釣られるようにして、オレも笑ってしまった。 底抜けに明るいところはオレも見習うべきなのかな……飾り立てた表情は好きじゃないけどさ。 「よし、そうなると明日からはポケモンジムめぐりだな」 「うん!! よ〜し、たくさん食べてスタミナつけなくっちゃ♪」 弾んだ声で言うなり、ナミは大皿を手に席を立った。 いつの間にか空っぽになっていた皿に、オレの視線は釘付けだった。 あ、あれ……? ほ〜んのちょっと前までは、そこには山のようなピラフが盛られていたはずなんだけど……いつの間に平らげたんだ!? あまりに不可解な現象(?)だ。 オレはナミが戻ってくるまで、食べることすら忘れてた。 「ナミ、まだ食うのか?」 「うん。まだイケるもん」 「あんまり食いすぎて後で腹痛くなっても知らないぞ。忠告はしといたからな」 「大丈夫大丈夫♪」 全然聞いてないし…… どうせ「忠告」なんて思われてないんだろうな。 頭ごなしに怒鳴りつければ「忠告」じゃなくて「警告」だと受け止めてもらえるんだろうか、って意地悪なことを考えてしまう。 それくらい、ナミのこと放っとけないんだよ。 一人にしとくと、何をするか分かったモンじゃない。 しょうがない。目的も同じことだし、しばらくは一緒に旅をしようか。 カントーリーグに出る頃には……オレもナミも、結構成長してるだろうし。 安心して一人にできるかもしれないからな。 少なくとも、それまでは…… 「って、まだそんなに……」 二杯目はさすがに一杯目より少ないけど、オレが普通に食うよりも量がある。 本当にこれを食べ切るつもりなのか? いや、さっきの食べっぷりを見てみれば、それも不可能じゃないんだろうけど。 ただ、食いすぎて腹を壊したり、太ったりするのは平気なんだろうか。 こればかりはオレが口を挟むことじゃないかもしれない。 でも、気になった以上はそれをそのまま放置しておくっていうのも、後悔しそうで嫌だ。 「太っても知らないからな」 「その分運動すればオール・オッケーだよ」 「はいはい」 ああ言えばこう言う……馬の耳に念仏にも似たこの状況に、オレはもう何も言わないと決めた。 ナミなりの考えがあるのなら、そこから先は自己責任の領域。 都合のいい解釈だって、自分でも思うんだけど……そう考えないと、終わりが見えないような気がしたんだ。 オレは食事をさっさと片付けると、お口直しにオレンジジュースを口に含む。 独特の甘みと酸味が交じり合ったこの味……これがオレンジジュースの醍醐味ってヤツなんだな。果汁100%の味だよ。 身体にはいいし、美味しいし。いいこと尽くめっていうか、一粒で二度美味しいってのはこのことなんだなって思うくらいだ。 しっかし…… オレは、窓に映る無表情な自分の顔をじっと見つめた。そこにいるのは自分自身。 だから、胸中で問い掛けてみる。 「明日はジム戦……どんなジムリーダーがどんなポケモンを使ってくるのかは分からない。 今のオレで勝てるのか?」 口に出せば弱気と取られかねないような言葉。 でも、それが率直な気持ちだ。 ポケモンの知識に関しては誰にも負けないくらいの自信がある。 ただ、トレーナーとしての実力は、シゲルよりも下だろう。 そこんとこはキャリアの差だから仕方がないとしても、旅に出たその翌日にいきなりジム戦なんて、 普通に考えれば無茶もいいところかもしれない。 ラッシーやラズリーとの相性にもよるけど、どう考えたところで一筋縄で行くような相手ではないはずだ、ジムリーダーというのは。 ジムリーダーはトレーナーとして卓越した技術を持ち、なおかつ人間性も尊敬できる人物であることが多い。 自分に奢らず、冷静でいるトレーナーの方が戦いにくいのは言うまでもないけど…… だから、勝てるかどうかなんて分からない。 「やってみなくちゃ、分からないんだよな。 勝てるか勝てないかなんて……それに、やらなくちゃ勝つことだってできやしないんだ」 確実なのは、やらなきゃ勝つことさえできないっていう事実(コト)だけ。 「全力でやるしかない。オレは世界一強いトレーナーになるんだ。親父にも負けないくらいに」 だから、やるしかない。 いつまでも親父から逃げ続けられるとは限らないし…… そうさ、オレは親父からいつでも逃げてるんだ。 それはずっとずっと前から分かってること。 だからこそ余計に腹立たしい。 わざわざ逃げなくちゃいけないようなオレ自身が。 親父が生半可な気持ちでオレに博士になれって言ってるわけじゃないのは、その時に見せる厳しい表情と強い意志を秘めた瞳で分かるんだ。 いっそ生半可な気持ちでいてくれた方が、存分に反発もできたんだけどな。 面と向かって反発したって、トレーナーとしては、今のオレじゃ絶対に勝てないような強さを持ってるんだろう。 だから、今は少しでも力をつけて、いつか親父をポケモンバトルで打ち負かしてやる。 そうすれば、オレだって思いのままに自分の道を歩いていけるってモンさ。 そのためにも、何としても強くならなくちゃ。 「親父から逃げずに済むだけの強さを、オレが身につけなくちゃ……」 強く思っても、それを口に出すことだけはできなかった。 親父から逃げてるって、他の誰にも知られたくなんてなかったから。 翌日。 ポケモンセンターを後にしたオレたちが目指すのは、トキワシティのポケモンジムだ。 昨晩は思いのほか良く眠れたから、目も心もパッチリ見開かれている。 マサラタウンから歩いてきたから、それなりに疲れもあったんだろう。夜中に目を覚ますことはなかった。 「ふぁぁ……眠〜い」 「…………」 そんなオレとは対照的に、いかにも眠そうに欠伸を欠きながら口元に手を当てるナミ。 ……なあ、布団に入るなりいきなりイビキ欠いてたのは誰だっけ? ナミも疲れてるんだなぁって。 だから、よく眠れたと思ったんだけども……それとも、よく眠れたフリして、実は寝不足だったとか。 オレはナミに声をかけず、ジョーイさんからもらったトキワシティの地図(タウンマップ)に視線を落とした。 いちいち構ってられない。 一度そのペースに引き込まれたら最後、脱け出すのにはこれ以上ないほどの時間を要するんだ。 蟻地獄なんかよりもよっぽどタチが悪い。 なにせ今はポケモンジムに挑戦するって気持ちでいっぱいなんだ。 余計なことを考えて士気(やる気)を落としたくない。 「ねえアカツキ。まだ着かないの?」 「もうちょいかかる。おまえだって知ってるだろ、あんなことがあったから、トキワジムは木っ端微塵になっちまったんだぜ?」 「分かってるけどぉ……ふあぁっ……眠いぃ」 日も高く昇り、通りは人であふれていた。 押し競饅頭するくらい込んでるわけじゃないけど、少なくともマサラタウンじゃ考えられない人数だ。 そんな人前で欠伸なんて欠いて……恥ずかしくないんだろうか。 年頃の女の子って、結構そういうのを恥ずかしがるんだろうけど……ナミには無縁なんだろうか、もしかすると。 なんて思うけど、ナミの言い分も分からないではない。 なにせ、トキワジムは本来の建屋を失ってるんだから。 数ヶ月前、トキワジムが突然爆砕した。 ニュースで知った時には、心臓が口から飛び出すってくらい驚いた。 原因は調査中だなんて言われてるけど、聞いたところによると、トキワジムは悪名高い犯罪組織ロケット団のアジトの一つで、 カントーリーグ四天王の大将ワタルが摘発のため他の四天王を引き連れて乗り込み、大激戦の末にアジトが壊滅するに至ったって話らしい。 ……ま、尾びれ背びれのついた話だとは思うんだけどな。 そもそも、トレーナーにとって雲の上の存在と言っても過言じゃない四天王が表立って動くことなんて、ほとんどないらしいし。 噂の真偽はともかく、何らかの理由でトキワジムの建屋が吹っ飛んだのは事実だ。 フィールドも木っ端微塵で、ジムとしての機能は失われている状況。 その上、ジムリーダーはそんな状況に恐れをなして雲隠れしたとか。 それじゃあ、ジム戦なんてできるはずもない。 ジム戦ができないと、一般トレーナーの苦情が殺到したとかで、ポケモンリーグは慌ててジムリーダーを任命し、派遣してきた。 もちろん、仮のバトルフィールドを作って、ジム戦という形だけは辛うじて回復した。 おかげでオレもナミもジム戦に挑めるんだけどな。 傍迷惑な話ではあるんだけど、ジム戦ができるっていうことで、言いっこなしだ。 トキワジムは元々ポケモンセンターの近くにあったけど、今は急ピッチで復旧作業をやってるんで、急ごしらえのジムは街の外れに。 中心街のポケモンセンターからはえらく離れてるんだよな。 「もうちょっと寝てくればよかったなぁ……」 「ほー、そうかそうか。なんなら、今から一人で戻るか? オレは止めねえけどな」 性懲りもなく言うナミに、オレはトゲつきの言葉を突きつけた。 「やめとく」 「それでいい」 物分りがよろしい。 ただでさえ何度か道を曲がっているんで、眠気の抜け切らないナミはどこを通ってきたかほとんど覚えてないだろう。 この状態でポケモンセンターに戻るとなれば、迷うのは間違いない。 そんな想いをしてまでポケモンセンターに戻ろうって思うわけないよな、いくらなんでも。 それからは、ナミは黙ってついてきた。 オレの言葉で眠気が吹っ飛んだのなら、悪い気はしない。 ポケモンセンターを出発して二十分くらい歩いたところで、一枚の看板が目に飛び込んできた。 つい最近立てられたと思われるその看板には、 『トキワジムはこちら。このまま200m歩いて右に曲がる。トレーナー諸君の熱い挑戦を待っています。ジムリーダー・レオ』 なんて書かれている。 しかも、お世辞にもキレイとは言えない字で。 「面白い人なんだねえ、ジムリーダーって」 「どうだろうな……」 食い入るように看板を見つめてるナミに視線をやり、オレは頭を振った。 普通の言葉と敬語をごちゃ混ぜにしたり、字体は乱れてたり…… 取って作ったような看板を道端に立てるあたり、人間性は正直疑っちゃうけどな。 まあ、ジムリーダーに任命されるほどの人なら、トレーナーとしての腕は確かなんだろう。 レオって名前に聞き覚えはないけど、とても力強い響きだってのは分かる。 なにせ、レオっていうのは獅子(Leo)って意味なんだから。 その名前に恥じないだけの強さはきっと持ってるんだろう。 勝てる勝てないの議論は止め、まずは挑戦してみることだ。結果だけじゃなくプロセスに意味があるって、そう思いたいんだよ。 看板に従って歩いていき、道を右に曲がったら、仮設のジムが見えてきた。 とはいえ、フィールドがあって、その脇にプレハブが設けられているという程度。それでもジム戦をする分には差し支えない。 なるほど、ジムリーダーはプレハブこと事務所に常駐し、挑戦者がやってきたらジム戦に応じて外に出るという仕組みか。 確かにこれなら新しいジムが完成するまでの費用を最低限に押さえ込むことができるし、必要以上に撤去のための金をかけなくて済む。 誰が考えたかは分からないけど、上手なやり方だと思うな。 「あれがジム? なんかイメージ違うね」 「仮設なんだから仕方ないだろ」 「そっか」 返した言葉に納得するナミ。 まあ、ジムって言えば普通は立派な建屋があって、外装や内装にそのジムの特徴が現れていたりするものなんだけど…… 仮設じゃ、それもないってワケだ。 プレハブは人が二人入ってちょうどいいくらいの大きさだから、ジムリーダーの他にもう一人誰かいるんだろう。 大方、事務員ってところなんだろうけどな。 なにせ、ジムリーダーは基本的にポケモンバトルのこととか、街の治安のことを考えてる場合が多いから、経理とかまで気が回らない。 じいちゃんに聞いたところによると、経理担当の事務員やバトルの審判はポケモンリーグが派遣するって話だ。 さて、一体どんなジムリーダーが手薬煉引いて待ってるんだろう。 胸の鼓動がいつもより速く感じられるのは果たして気のせいか。 逸る気持ちを抑えるように胸に手を当てながらプレハブの前まで歩いていく。 窓ガラスの向こうでは、二十歳過ぎと思われる青年が椅子に腰掛けて眠っていた。 神妙な面持ちで、腕組などやっている。瞑想だか気持ちを落ち着けるための訓練だか……ま、どっちでもいいけど。 オレは軽く窓ガラスを叩いた。 すると、青年は目を覚ましてこちらを向いた。 小麦色の肌と同じ色の髪の毛が特徴で、好き勝手な方向に伸びている。 これでカッコイイと思ってるんだろうか。カッコ悪くはないけど。 青年――たぶんこの人がジムリーダーだろう――は横手のドアから出てくると、ニッコリと笑みを浮かべて近づいてきた。 なんか、人懐っこい雰囲気だなあ。 なんて思っていると、 「やあ、おはよう。キミたちはこのジムのチャレンジャーかな?」 「はい、そうです」 声をかけられ、オレは頷いた。 相手が大人っていうのが理由なんだろうけど、敬語で応じた。タメ口でもいいんだろうけど……第一印象って大切だと思うんだな。 「そっちの嬢ちゃんも?」 「うんっ」 「なるほど……」 二人組の挑戦者なんて普段はやってこないだろうから、珍しく思っているのかもしれない。 青年は何度も何度も頷いてみせた。 「俺がジムリーダーのレオだ。挑戦を受ける前に、キミたちの名前を聞こうか」 「マサラタウンのアカツキです。こっちは同じくナミ」 「ナミでーす♪」 「オッケー。で、見たところキミたち、トレーナーになったばかりに見えるけど?」 「そうですけど、それが何か?」 目を細め、値踏みでもするような視線で頭から爪先まで見てくるレオに、オレは不信感を込めて語気を強めた。 これがジムリーダーってモンなのかね…… 人を値踏みするだなんて、実に見上げた人間性だよ。 オレがそう思ってるのに気づいたのか、レオは手をぱたぱたと横に振って、 「気を悪くしたのなら謝るよ」 意外と素直に詫びを入れてきた。 「だけど、トレーナーになったばかりでジム戦ってのは無茶だと思わないかい? 仮にも、ジムリーダーは普通のトレーナーよりも強いってのがウリなんだからね」 「やってみなくちゃ分からないんじゃないですか?」 あからさまに「やめておきたまえ」と言われている。 オレは頬を膨らませた。 バカにするのは結構だけど、それはオレに勝ってからにしてもらいたい。 トレーナーになったばかりだからといって、ポケモンバトルが弱いとは限らない。 むしろ、持てる知識を総動員してバトルに臨めば、ジムリーダーに勝つことだって夢じゃない。 だから、頭から否定されるのは気に入らない。 「なるほど、確かに……それは君の言うとおりだ。 悪いが試させてもらったよ。新米トレーナーにしておくにはもったいないくらいの意志の強さだね」 笑顔はそのままに、ため息を漏らすレオ。 試してた、なんて言う割には結構マジって雰囲気だったけど…… 「キミたちの挑戦を」 レオはぐっと拳を握りしめた。 「悪いが受けることはできない」 「なに〜っ!?」 ジム戦を拒否されたぁ!? 思いがけない言葉に、オレは自分でも分かるほど表情を引きつらせていた。 おいおいおいおいちょっと待て。 ジム戦ってのは、基本的には普通のポケモンバトルと同列に扱われてるモンだぞ? ポケモンが戦えない状態にあるか、あるいはトレーナーが病気とかでバトルに支障を及ぼすような状態なら分かるけど…… もしかして、今のレオってそういう状態? いや、そうじゃないな。 レオはそういう状態なんかじゃない。 単純に誰の挑戦も受けないんだってんなら、プレハブに『本日は休業』とかいう文言の垂れ幕だの看板だのをつければ良かったんだ。 「キミたちがどれだけのポケモンを持ち、どれだけの実力の持ち主かは分からない。 だが、新米トレーナーと戦って、俺が得られるものはあまりないだろうと思ってね」 「ちょっと待てよ、それって……」 オレは敬語を使うことも忘れ、食ってかかった。 そんな自分勝手な理由で拒否されて黙ってられるとしたら、そんなのはトレーナーでも何でもない。 ただの『意気地なし』だ!! 目標へのステップを目の前にあきらめられるか? 少なくとも、オレの中で答えはノーだ。 「もちろん……」 レオは今にもつかみかかりたい気持ちでいるオレを制するように手を広げて前に突き出した。 「俺個人の勝手な理由と言うのは承知している。 だが、いかにキミたちが実力者であるにしても、俺には分かる。 勝てない勝負をいきなりやる必要はないだろう」 「勝てる勝てないの問題じゃねえよ!!」 自分勝手な理屈ばかり並び立てるレオに、オレは叫んだ。 ジムリーダーってこういう人ばかりなんだろうか。なんて思ってしまうけど…… 「でも……オレもひとつだけ分かったことがあるよ」 「?」 「あんたとここで無駄に論議してる時間が惜しいってことだな」 訝しげに眉をひそめるレオ。 自分の主張が素直に認められたわけでないと気づいたんだろう。 それも、皮肉たっぷりに返されて、本当は苦渋に満ちた表情でも見せたいところなんだろうけど、 みっともない姿は子供に晒せない……ふん、惨めな意地の張り方だな。 いかにも大人らしい…… 「ナミ」 「なあに?」 傍で言い争いをしているというのに、ナミはケロッとした顔を向けてきた。 お世辞にも気持ちいいとは言えない言い争いでさえ、楽しいと感じていたのだろうか……ニコニコしてやがる。 そこんとこは正直、神経を疑いたくなるな。精神科に通院させてやろうか、とかマジで思っちまう。 「ここは後回しだ。 こんなジムリーダーと戦うなんて、今のオレにはできないな。 他のところ回って実力つけたら、そん時はコテンパンにしてやる」 煮えくり返る気持ちをそのまま言葉に出し、オレはレオに背を向けた。 そうさ、もっと実力つけてからここに挑戦しに来てやる。その時は全身全霊でレオのポケモンをぶっ倒してやる。 そうすりゃ、頭を下げさせることくらいは朝飯前だろう。 「え、いいの?」 「時間が惜しいって言っただろ」 何か言いたそうな目を向けてくるナミを置き去りに、オレはその場を立ち去った。 ちっ、こんなジムリーダーがいるんだって思うだけで苛立っちまう。 ナミは慌ててついてきた。 何度も何度もレオを振り返ってたけど、結局はオレについてきた。 「しっかし、本当にこれでよかったのかねぇ……」 ジム戦にやってきた二人連れの姿が路地の向こうに消えたのを見届け、レオは胸に手を当てて長いため息を漏らした。 心臓に悪いと言わんばかりの仕草だが、事実その通りだった。 「俺だって心にもないことを言うのは勇気要るんだぞ? 俺がそういうの得意じゃないってこと、あんたは分かってたはずなんだけどな」 「そう言わないでくれ。君じゃなきゃ務まらないんだからな」 レオの言葉に応えて、プレハブの影から姿を現した男性。 白衣をまとったメガネの男性は、年の頃は三十過ぎ。 穏やかな物腰に不釣合いな鋭い眼光。その瞳には怜悧な刃にも似た輝きが宿っていた。 レオは男性に向き直ると、苦言を呈した。 「一言言わせてくれる? いい年こいた大人なんだからさ、自分のケツは自分で拭け!!」 「確かにそれは俺の責任でもある。認めよう。 だが、その責任を果たすためにも、君には手伝ってもらう必要があった。 君とて、俺の事情を理解した上で協力してくれたのではないのかね?」 「けっ……お互い様ってことかよ」 「そうしてもらえると助かる」 のらりくらりとはぐらかす男性に根負けする形で、レオは舌打ちした。 人生経験の差というものか、どうにもこの人には勝てそうにないと思い知らされる。 バトルでも、こういったやり取りでも。 「ショウゴさん、次は嫌だからな。先に言っておく」 「ああ。同じことを二度もさせるほど、俺とて落ちぶれてはいない」 ショウゴと呼ばれた男性は頭を下げた。 食えない男だ…… レオは胸中でイライラしていた。 イライラせざるを得ないほど、いけ好かない状況だったからだ。 「ねえ、アカツキ。ホントによかったの? あれで……」 何やら気まずそうな口調で横から言ってくるナミ。 さすがにこいつも分かってるんだろうな……オレの機嫌がよくないってことに。 自分でも分かるくらい、イライラしてるんだ。 何も返さないのは、口を開いたなら堰を切ったように気持ちを吐き出してしまいそうだからさ。 ナミに当たったって、何にもならないだろ? これでも自制してるつもりなんだ。 ただ、あれで良かったのかと言われてイエスと答えるほどバカでもないつもりさ。 良いわけがない。 ジム戦を目的にしていたのに、あっちの一方的な都合で拒否されて、その挙句あきらめちまったんだから、どうにも苛立たしい。 こうなったら他の街のジムを回って、全部制覇した後で、最後にこの街のジムに来てやる。 そして、鍛え上げられたポケモンと練り上げられた戦略でぐうの音も出ないくらい完璧に叩きのめしてやるんだ。 そうすりゃ、オレたちの挑戦を拒否したことを後悔させることができる。 ふっふっふ、完璧なプランじゃないか。 「あの人がダメだって言ったって、それであきらめちゃうなんて……あたし、納得できないな」 「オレも同じだ。おまえもしかして、オレが本気で納得してるとでも思ってんのか?」 「え?」 少しは気持ちの整理もついてきて、心の海に立つ波も穏やかになってきた。 八つ当たりしなくても済むと思い、オレはナミに言葉を返した。 オレだって、拒否されただけであきらめるなんて納得したくない。 ただ、オレ自身が決めたことなんだから、それを曲げるってのも気に入らない。 結局五十歩百歩なんだろうけど…… 「他のジムを回って、オレたち自身も鍛えるのさ。 そうして七つのジムを回って最後にここに戻ってくる。 その時こそオレたちの力を見せてやるんだ。 そうすりゃ、あいつだってごめんなさいって言うハメになるだろうよ」 「ををっ、なるほど!! それいいアイディアかも!!」 思いっきり恨みから来てるアイディアなんだけど、ナミはどういうわけか拍手喝采の大賛成。 何考えてるか分からないから、むしろそういった意見の方を重宝するのかも。 「で、どこから行く!?」 すっかりやる気になっているナミのことが気になって視線を向けると…… 「ヲイ……」 オレなんかよりもよっぽど燃えてるモンだから、何も言い出せなかった。 目なんか炎を宿しているような感じで、周囲の空気が歪んで見えてきた……多分気のせいだろう。 「ニビジム。この街から一番近いのがそこだからな」 オレは脳裏にカントー地方の地図を思い浮かべた。 どこにどんなポケモンが棲息しているのか……それを知るために、地図は重要なんだ。 だいたいの地形と街の位置なら、頭の中に叩き込んである。 本当に道に迷った時くらいだろう、ポケナビのGPSに世話になるのは。 旅立つ時に、親父からの贈り物(プレゼント)だって言うんでもらった機械だ。 リュックの紐に据えつけてあるんだけど、説明書を読んでみると、これがまた使えるんだ。 海を隔てた南方に、ホウエン地方と呼ばれる一帯がある。 そこを中心に勢力を広げつつあるマンモス企業デボン・コーポレーションが手がけた、トレーナーをターゲットにした最新式の機械なんだ。 ポケナビというのは略称で、正式名称はポケットナビゲーター。略してポケナビ。 名前のまんまで、ポケットサイズのナビ。 GPS機能によって、自分のいる位置を、衛星を通じて知ることができるなんてのは朝飯前で、 ポケモンにセンサーを向ければ、そのポケモンの状態(コンディション)を知ることだってできる。 説明書を読んで、結構面白いシロモノだって分かったよ。 親父がどうしてこういうのをくれたのかは分からないけど……ま、使えるんだから、ありがたく使わせてもらうだけさ。 勘違いして欲しくないから重ねて言うけど、オレは親父のこと大ッ嫌いだ。世界の誰よりも大嫌いなんだ。 「ニビシティはこっちか……」 気づけば変な方向に歩いていたらしい。 ふと目にした標識に『2番道路〜ニビシティ →』の件を見つけて、それに従うことにした。 「ねえ」 「なんだ?」 「ニビシティって、確か石の街なんだよね?」 「そういう話らしいな。オレは一度も行ったことないから、よく分からねえけど……」 適当に答え、話を打ち切る。 ニビシティか…… マサラタウンを旅立ったトレーナーが一番にジム戦を挑むのがそこだって言われてる。 なんでトキワジムじゃないかって言うと、ジムリーダーがめちゃめちゃ強いとか、カントーリーグに出るのに寄るんだから、 ここは後で、とか……どうでもいいような理由だったりするんだな。 オレもそういう一人に入っちゃったから、とやかく言うことはできないけれど。 ニビシティはナミの言うように、良質の石を採掘して発展した街だ。 墓石だったり、建物を支える基礎に用いられたりするらしい。 ただ、コンクリートっていう便利なのが発明されてからは、石は墓石やら石碑とかにしか使われなくなったんで、採掘業は縮小傾向にあるらしい。 今は科学博物館っていう別の目玉で観光客を集めて成り立っているって、じいちゃんが寂しそうに言ってたな。 じいちゃん、古くはニビシティに友人がいたらしいんだ。 だから、そう感じるのかも。 それはさておき、ニビシティのニビジム。 そこがオレたちの最初のジム戦が行われる場所になった。 どんなジムリーダーが待ってるのかは分からないけど、何がなんでも絶対に勝つ。 圧倒的な能力の差や相性の悪さがない限り確実に勝てるっていう必殺コンボは、ラッシーに何通りか教えてあるからな。 ポケモンの知識を活かすために考えてみたんだけど、これがまた実戦で役に立ちそうなんだよ。 ジムリーダー相手に試すってのもなんだから、途中にあるトキワの森で適当にトレーナーとバトルして、試してみるか。 「なんだか、ワクワクするねっ」 「そうかあ? 途中にはトキワの森があるんだぞ? 今の時期、結構危ないかもしれないんだけどなあ……」 「そうなの?」 「ああ」 普通の森なら、何もこんな風に言うことはないんだけど、今の時期、トキワの森に棲息する虫ポケモンは産卵時期を前に、気が立っているんだ。 気性の荒いスピアーにもなると、もう大変だ。 ちょっと刺激しただけで、これでもかこれでもか!!ってばかりに追いかけてくる。 その執念を、外に出て巣をがら空きにしているという事実に向けてもらえると助かるんだけども…… 「うーん、大丈夫かなあ……?」 途端に、ナミは不安げな表情を浮かべた。 オレが『結構危ない』なんて言ったから、心配になってきたみたいだ。 でもまあ、危険なのは相手を刺激した場合だ。 普通にゆっくり通り過ぎる分には、危険なんてことはない。 「なに、おとなしく立ち去ればいいんだ。 それに、もし襲われたってガーネットで追い払えばいいさ。 虫タイプのポケモンは炎に弱いんだからな」 「あ、うん、そうだよね」 対応策を教えてやると、ナミはホッと安堵のため息を漏らした。 虫ポケモンには炎タイプの技で。 これってセオリーなんだけどな……もしかして気づいてなかったとか? ポケモンバトルじゃ、基本的な相性論が頭に入ってなきゃまともに戦ってけないんだぞ? なんて意地悪なことを考えながら歩くうち、トキワシティの北ゲートを抜け、2番道路に入っていた。 ニビシティへ続く道路の途中には、樹海にすら似た広大な森が横たわっている。 それがトキワの森で、視界の先にうっすらと見えてきたところだ。 トキワの森は虫ポケモンの宝庫と言われているくらい、様々な種類のポケモンが棲息していることで有名なんだ。 セキチクシティのサファリゾーンにすら匹敵すると言われてるくらいだから、乱獲や自然破壊を防ぐために、国立公園に指定されている。 十数年前からはほとんど人の手が加わっていない森林には、虫ポケモンをはじめ、様々なポケモンが棲息している。 キャタピーに、進化形のトランセル、バタフリー。 ビートル、コクーン、スピアー。さらにはポッポやコラッタ、ピカチュウまで。 たくさんのポケモンを観察するにはうってつけの場所なんだ。 森は空気が新鮮で、雑音もない。 リラクゼーション空間だなんてよく言うけど、まったくもってその通り。 「ああ、そうだ。 先に言っときたいんだけど」 「なあに?」 森ってことで思い出した。 何を言われるのか、ナミは楽しみにしているような笑顔で横からオレの顔を覗き込んできた。 いや、楽しいことじゃないんだけども…… 「オレのラッシーは大丈夫だけど、おまえのガーネットはまずいんだよな。 切羽詰まった状況じゃない時は、モンスターボールから出すなよ」 「え、どぉして?」 ナミは分かっていなかった。 やっぱりな……こんなこともあろうかと、先に釘を刺しておこうと思って正解だった。 全然うれしくなんかないけど。 ちゃんと言っておかないと、ナミはとんでもないことをしでかしかねないからな。 トラブルメーカーとしては天才的な資質の持ち主だ。 少しでも危険の芽があるのなら、成長しないうちに全部摘み取って、ゴミ箱に捨てとかないと。 なんだか使命感にも似たモンを抱きつつ、ナミに言う。 「ガーネットの火の粉とか、シッポの炎はああいう場所じゃ凶器だからな。 万が一引火したりしたら、それこそ森林火災になっちまう。 あれこれ事情聴取とかされたくなかったら、絶体絶命っていう状況じゃない限りガーネットを出すな。オッケー?」 「う、うん、分かった」 森林火災。事情聴取。絶体絶命。 子供には難しい四文字熟語が放つ妙な雰囲気に圧されてか、ナミは恐る恐るといった様子で首を縦に振った。 そうなんだよ…… ガーネットの炎は、森のような場所では文字通りの凶器となる。 水ポケモンを持ってれば消火できるだけまだいいけど、今のオレやナミの手持ちに水タイプのポケモンはいない。 だから、森林火災の心配までしなきゃいけない。 ナミにはガーネットを外に出してもらいたくない。 納得いかないところはあるだろうけど、国立公園を全焼しました、なんてシャレにならないからな。 そうならないように、オレがしっかり見張っておかなくちゃ。 マジで責任重大だぜ。 「まあ、何もそんなにビクビクしなくていいって。 そうならないように、オレもできるだけ協力するからさ」 「うん、ありがと♪」 本当に大丈夫かという声がどこからともなく聞こえてくるけど、気にしない。 この期に及んで心配なんてしてたら、それこそおちおちトキワの森に近づけやしないんだ。 そういったことはなるべく考えないようにしながら、歩いていく。 ニビシティで幕を開ける、オレのトレーナーとしての挑戦に想いを馳せる。 どんなポケモンが出てこようと、負けるわけにはいかないんだ。 親父を追い越して、最強のトレーナーになるためには、いきなり躓いてなんていられない。 見返してやりたいヤツがたくさんいるものだから、負けたくないっていう気持ちだけは苦もなく湧き上がってくる。 ありがたいことかどうかは分からないけど。 トキワシティを出てから一時間あまり。 他愛のない会話で盛り上がったりしながら歩くうち、オレたちはトキワの森にたどり着いた。 入り口に設けられたゲートでいろいろと検査を受けた。 そこんとこはトキワシティに入った時と同じように、なにかと物騒になってる時代だから仕方ないと言えば仕方ないんだろう。 持ち物の検査や注意事項の説明を受け、やっと森に入ることができた。 「うっわ〜、ここがトキワの森なんだね♪」 森に入るなり黄色い悲鳴を上げたのは、言うまでもなくナミだ。 まさかこいつ、どこだろうと初めての場所にはこうやって黄色い悲鳴を上げてくんだろうか。 そう思うと結構気が重くなってくるんだよな…… 人が近くにいなきゃ別に構わないけど、タマムシシティとかヤマブキシティといった都市になると、結構恥ずかしいんだよな。 他人のフリするにしても、ナミのことだからオレのそういったデリケェトな気持ちってのを無視して土足で踏み込んでくるだろう。 今のうちに釘を刺しておいた方がいいのかもしれないけど…… いや、やめよう。 悪い方へ考え出すとキリがないんだ。 今は、広大な森の新鮮な空気を思う存分吸い込んで、リフレッシュしなくちゃ。 鮮やかな深緑の景色。 風に揺れる木の葉の音色が妙に心地よい。 揺れる木の葉の間から差し込む柔らかな陽光がキラキラしてて、神話の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。 これが本当の自然なんだなって思ってしまうな。 近くの木の枝には羽根を休めているポッポ。地面を忙しく駆けていくのはコラッタだ。 ポケモンたちが早々にお出迎えとは、なかなかシャレた場所だなぁ。 森に入っても道は続いているから、迷うことはまずない。 数百メートルおきに、どちらがトキワシティ側か分かるように標識が設けられている。 迷わないようにとの配慮なんだろう。 もっとも、太陽の方角でも見れば分かりそうなものなんだろうけど……実際迷った人がいるから、標識を設けたりするんだろう。 「あ、あれってポッポ? コラッタもいる〜!!」 ナミは目をキラキラ輝かせながらポッポやコラッタを指差した。もう片方の手で服の袖を引っ張ってくる。 「あー分かってるって……」 今時珍しいポケモンでもないんだし。 もう少し落ち着けばいいのにな。 ポッポやコラッタは、じいちゃんの研究所の敷地にも結構な数棲んでる。 だから、ナミも見慣れてるはずなんだよな。 まあ…… オレはちょっとだけ、ポッポやコラッタの方に目をやった。 研究所のポッポたちとはまた違う生き方なんだと思う。 棲んでいる環境が違うと、性格も違ってくるんだろう。その違いが表面に出てくるから、ポケモンっていうのは面白い。 「ポッポかあ……あたし、ゲットしちゃおっかな♪」 「やってみれば?」 「よーし、んじゃ決まりぃっ!!」 ナミは俄然やる気になって、木の枝に留まって羽根を休めているポッポに狙いを定めた。 モンスターボールを手にとって、 「ポッポ〜っ!! あたしとバトルしましょ!! あたしの仲間になるのよ!!」 大声で怒鳴るように言うものだから、そのポッポはビクッと身体を震わせると、いきなり翼を広げて飛んでいってしまった。 「あ、逃げるの!? ずる〜いっ!!」 「逃げるな卑怯者ぉ〜!!」と喚いているナミを尻目に、オレは逃げ去ったポッポに目をやった。 臆病な性格なのかなあ、オレのラズリーと同じように。 ポケモンにだって性格はあるんだから、それを考慮した戦略を立てる必要もあるんだ。 ポケモンの性格を読み取ることが、触れ合うことの第一歩。 オレはガキの頃から、じいちゃんや親父からそう言われ続けてきた。 それが骨の髄にまで染み込んでるんだろうか、出逢ったポケモンの性格をまず読み取ろうって思うようになった。 「まあ、こういうこともあるって」 ポッポが木立の間に姿を消すと、ナミは悔しそうに肩を震わせた。 オレは彼女の肩に手を置いて、適当に励ましの言葉をくれた。 ポケモンをゲットするのに毎回成功するとは限らない。失敗だってある。何にだって『絶対』はないんだから。 「次は頑張れよ。なにもポッポだけがポケモンじゃないんだからさ」 「うん……」 オレの一言で立ち直ったようで、ナミはいつもの表情に戻っていた。 ……戻っていた……か。 それだけならいいんだけど。 いきなりポケモンゲットに失敗なんて、幸先の悪いスタートだけど、そんなのを気にしてちゃ、何もできなくなっちまう。 トキワの森は、カントー地方に街ができるよりもずっと前からこの地に息づいてる。 深く根を下ろした自然は、オレたちからすれば原初のモノって言っても差し支えないくらい、目にまぶしいものなんだよな…… だから、こんなにも気持ちが落ち着くんだろう。 「そういえばさあ、アカツキはどんなポケモンをゲットしたいって思ってるの?」 「オレ? そうだな……」 逆に訊かれるとは思ってなかったから、答えを返すのに少し時間がかかってしまった。 でも、ゲットしたいポケモンは星の数ほどいる。 できればぜんぶゲットしたいと思うけど、それこそ簡単なことじゃない。 「セレビィかな。『時渡り』の能力で未来とかに行ってみたいって思うんだよ」 「セレビィっていうと……おじーちゃんのスケッチブックに載ってた?」 「ああ」 オレはセレビィの安らかな顔が忘れられない。 どうしてあの時、じいちゃんにスケッチブックのことを言い出せなかったんだろうって。今になって思うんだ。 セレビィの背格好は頭に刻まれてるけど、それだけじゃ足りないような気がする。 今一番会いたいと思うポケモンがセレビィだ。 ナミにも言ったように、『時渡り』の能力で未来に行ってみたい。 未来になれば、今はまだよく分かってないポケモンのことだって、判明してるかもしれない。 そう。 伝説のポケモンと呼ばれてるサンダー、フリーザー、ファイヤー、西のジョウト地方で語り継がれているルギア、ホウオウについても。 今よりは少しは分かっているかもしれないからさ。 知識は貪欲に求めよ……じいちゃんの著書に載ってる名言なんだ。 オレはガキん頃からその言葉を聞かされ続けてたから、ポケモンのことを知りたいっていう気持ちが強いんだろうな。 「会えるといいね」 「ああ」 なんて頷いてはみたものの……手がかりがないに等しいのが実情か。 じいちゃんならセレビィのこと、よく知ってるんだろうけど。 でも、じいちゃんはたぶん教えてくれないんだろうな。 なんでか分からないけど、そんな気がする。 結局のところ、最後は自分の力でどうにかするしかない。 改めて森を南北に貫く道を眺める。 道を歩いているのはオレたちだけのようだ。前にも後ろにも人っ子一人見当たらない。 歩くうちに、キャタピーやビートルも何体か見かけたけど、ナミでさえゲットしようとはしなかった。 あまりに平和すぎる営みに、ゲットしようという気が起こらなかったのか。 それとも別の理由があったのか――たとえばオレと同じように、バランスの取れたチームの最終系が頭にあるのか。 それは分からないけどな。 どんなポケモンをゲットするのかはトレーナー次第だ。 虫ポケモンが好きなら、手持ちは虫ポケモンで固めるトレーナーだっているし、タイプごとに妙なこだわりを持っているトレーナーも実際いるんだ。 ジムリーダーなんかいい例だよな。 大概のジムは、それぞれ専門のタイプで挑戦者の相手をする。 言い換えればそのタイプのエキスパートであって、弱点に対する対処法というのも心得ている場合が多い。 そう考えれば、強敵なんだよ。 でも、そんな相手だって弱点はあるんだ。そこを突ければ、勝つことも難しくはない。 「ねえ」 「ん?」 隣を歩くナミが不意に足を止め、オレは数歩進んだところで気がついて、同じように足を止めた。 「どうかしたのか?」 「うん……」 オレの言葉に、ナミは忙しなく周囲を見回して、 「何か聞こえない? ぶーん、って……」 「ぶーん?」 オレは耳を澄ましてみたけど、ぶーん、なんて音は聞こえない。 「気のせいじゃないのか?」 「そうかなぁ……ハチが飛んでるような音だと思ったんだけど」 「……ハチぃ?」 気のせいか。 なんか嫌な予感がするんだな。 これこそ「なんで?」って訊く方がおかしい、直感で。 嫌な予感なんて抱いたせいか、心なしかぶーん、なんて音が聞こえてきたし…… 「ほら、聞こえた!!」 やっぱり気のせいじゃない? 周囲の音を聞き取ることに集中して数秒、音が聞こえてきた方向が分かり、そちらに身体を向けると…… 「げ……」 自分でも分かるくらいマヌケな声が飛び出していた。 ナミが聞いた音って、こいつらの羽音だったのか……確かにぶーん、なんて変な羽音立てるのはハチくらいなモンだろ。 遠くに見えるのは黒い点。それがいくつも集まって飛んでいる。 オレの勘が間違ってなければ、そいつはとっても危険なシロモノなんだけど。 「あ、ハチさんだ!!」 何を勘違いしてか、ナミはオレがこれからどうしようかと対応を協議しているのを無視する形で騒ぎ出した。 ……って待てヲイ!! 危険の二文字も考えずになんでいきなり手なんて振ってやがるんだ!? そう思う反面、一緒にいるとひっきりなしにトラブルが舞い込んでくるような気がして、気持ちがブルーになってしまう。 一長一短って言葉で勝手に片付けてゴミ箱に送ってやればオッケー。 今はそんなことやってる場合じゃねえっ!! こちらに向かって近づいている黒い点は、槍のような針を手のように持っているハチだった。 それも、オレの身長の半分以上はある、巨大な。 無論、それが普通のハチであるわけがない。言うまでもなくポケモンだ。 オレが知る限り、こいつは結構危険。 生身の人間にとっては特に。 「お〜い、ハチさんやっほー、こんにちは〜っ!!」 「おい、騒ぐな!!」 ハチのようなシルエットのポケモンを見て、能天気に笑顔で手を振るナミの手をつかみ、オレは黙らせようとした。 「な、なに!? ハチさんなんだよ!? ミツバチとかと違って、可愛いじゃない!!」 いやあの、ミツバチと普通のハチって、こいつの中じゃ違う生物として認識されてんのか? なんか根本的なトコで間違ってる気がするんですけど。 今置かれている状況と、これから立たされるであろう状況を理解していないようで、ナミは猛然と抗議などしてきた。 ここは多少強引でも黙らせるしかないだろう。 腹を決めて―― ぶーん……ぶーん…… 遅かったかも。 行動に移す前に、『ヤツら』に気づかれた。 誰かさんが能天気に大声なんて出すから、注意を引いてしまったんだ。 黙って茂みに隠れてりゃ、やり過ごせたかもしれないのに。 黒い点こと『毒蜂(どくばち)ポケモン・スピアー』の大群は、スピードを上げてオレたちの方に向かってきた。 さすがにそこまで来ると、ナミにも普通のハチじゃないっていうことが分かったらしい。 「あれ、ハチじゃないの?」 「あのどこが普通のハチに見えるんだよ!? おまえの目は節穴か!? あぁ!?」 マヌケな声を上げるナミにツッコミを入れるくらい、オレの中に何かしら余裕が残っていたようだ。 だけど、そんなことを認めてもどうにもならないって!! 「あれはスピアーっていうポケモンだ!! しかも、今は産卵シーズンの前でめっちゃ気が立ってて、少しでも刺激すると襲い掛かってくるんだよ!!」 「ええっ、何それ〜っ!!」 有無を言わさぬ言葉に、お花畑が広がる脳ミソを持つ状態のナミにも分かったようだ。 オレはナミの手を取ったまま、 「逃げるぞ!!」 「うん!!」 駆け出す。 スピアーなんて、関わり合いになると、これほど厄介なポケモンはいない。 現に、オレたちが背中を向けて逃げ出すと、スピアーの大群はこれ幸いと追いかけてきたんだから。 かといって、すぐ茂みに飛び込むようなミエミエの行動じゃ、さすがに撒けそうにない。 ここはしばらく逃げ回ってから木立にでも身を隠して、やり過ごすしかないか…… 道は一本しかない。 まあ、何本あっても同じことなんだけど、ただ走ってるだけじゃ、いつかは必ず追いつかれる。 そうなる前に身を隠すしかない。 時限爆弾を仕掛けられたような気分だけど、だからって、逃げるしかないじゃないか。 いくらなんでも数が多すぎる。 相性のいいガーネットがいたって、文字通り多勢に無勢。 ラッシーやラズリー、それからトパーズが加勢したとしても、多分指示が追いつかなくて余計に混乱する。 なら、逃げるのがベストってことだ!! スピアーは三つの黄色い節で身体が成り立っているポケモンだ。 頭には真っ赤な双眸、真ん中の節が胴体で、槍の先端のような鋭い脚が二本生えていて、それが主な攻撃手段になっている。 脚はもう二本生えているけど、そちらに攻撃能力はない。 最後に、お尻のある節だけど、ハチだから、言うまでもなく毒のあるトゲが生えてる。 こっちも攻撃能力はあるから、スピアーの武器は三つということになる。 一体でも厄介だというのに、これだけの数をまともに相手にできるほど、オレたちのポケモンは育っちゃいない。 巣から遠く離れれば、スピアーたちもおとなしくあきらめてくれるんだろうけど…… 巣の位置が分からなくては、それに期待するわけにもいかない。 どっちみち、逃げるしかないじゃん!! 「ねえ、アカツキ!! このままじゃ追いつかれちゃうよぉっ!!」 じりじりと距離を詰めてくるスピアーの大群を振り返り、ナミは悲鳴を上げた。 状況が深刻ってことが嫌でも理解できたようだ。 理解できたって、オレは全然うれしくもないけど。事態が好転するわけでもなし。 「分かってる!! だからって、これだけの数を相手に戦うってのは分が悪すぎるんだ!!」 パッと見た目、二十体くらいはいるだろう。 ガーネットがリザードやリザードンに進化してれば、まだ戦えるかもしれないけど…… ないものねだりしても仕方ない!! スピアーたちから逃れようと走るうち、先で道が二手に分かれていることに気づいた。 これを使うしかないか……? 「ナミ」 「なに!?」 鬼気迫った声で応じるナミ。 よし、これなら大丈夫か……そう思い、オレは思い切った策を話した。 「二手に分かれるぞ」 「えぇぇぇぇっ!?」 「一緒にいたら、どうにも対処できねえんだよ!! オレの方に全部が来たら、おまえはすぐに取って返してスピアーたちを後ろから攻撃しろ。 逆になったらオレがスピアーたちを攻撃する。 逃げ続けても埒が明かないだろうからな……挟み撃ちにすれば、勝ち目はある!!」 「う、うん、分かったよ」 ナミは恐る恐るといった様子で首を縦に振った。 よし、決まりだ。 あえてリスクを話さなかったのは、話せば拒否すると思ったから。 そのリスクっていうのは…… 「よし、オレは左、おまえは右だ!!」 「うん!!」 言葉を合図に、オレたちは左右に別れた。 その後を追ってくるスピアーたち。 ナミを一人で行かせることに不安はあるけど、ガーネットがいれば何とかなるはずだ。 ドジでマヌケだけど、やる時はやるっていう根性は持ってるからな。 それを信じるしかないだろ。 一体どうなったのか、走りながら振り返ると―― 「げっ!!」 最悪の展開になっていた。 オレがあえてナミに話さなかったリスク。それが現実になってしまった。 十体くらいのスピアーがオレを追いかけてきていた。 二手に分かれちまったんだ、こいつらも!! いっそどっちかに集中してくれたら、やりやすかったんだけど……まあ、これくらいなら何とかなるか? ナミのことは心配だけど、かといってこいつらに追われたままナミのところに行っても、挟み撃ちに遭うだけで、状況はさらに悪化する。 ここはそれぞれで対処するしかない!! 時間が経てば経つほど不利になるのなら、今ここで何とかするしかないってところだな。 オレは走りながらモンスターボールを引っつかんだ。 ある程度走ったところで足を止め、モンスターボールを上に投げた!! ボールは空中で口を開き、中からはラッシーが飛び出してきた。 「……ソーっ!?」 迫り来るスピアーたちに驚いたのか、ラッシーはビクッと身を震わせた。 まあ、野生ポケモンとバトルするのはこれが初めてだし、驚くのも分かる。 オレも実戦は初めてだけど、テレビとかでポケモンバトルを見てるから、どう進めればいいのかも分かってるつもりだ。 だから、怯えてなんかいられない。やるしかないんだから!! 「ラッシー、蔓の鞭!!」 オレはスピアーたちを指差し、ラッシーに指示を下した。 オレの口調に鼓舞されたのか、ラッシーは大きく構え、背中から二本の蔓の鞭を撃ち出した!! まさか攻撃されるとは思っていなかったんだろう、スピアーの対応が遅れ、その一体に見事蔓の鞭が命中!! 力なく高度を下げる。 でも、一体倒したからって、後続がどんどん迫ってるんだ、休んでる暇はない。 「一体ずつ倒したんじゃ埒が明かない!!」 相手の数が多い場合ってのはあんまり想定したことないから、戸惑ってしまう。 オレだって結構緊張してるんだ。 なんだか胸の鼓動がいつもよりも速くなっているような気がする。だけど、気にしてなんかいられない。 スピアーのタイプは虫と毒。 蔓の鞭のような草タイプの攻撃は効果が薄い。 それを象徴するかのように、蔓の鞭に打たれたスピアーは再び飛び上がり、先を行く仲間に追いついてしまった。 「蔓の鞭や葉っぱカッターじゃ倒せない……なら……」 オレは『とっておきの切り札』を使うことにした。 どっちにしたって、多勢に無勢。こうするしか勝ち目はない。 「ラッシー、眠り粉!!」 ラッシーは背中の葉っぱを震わせると、キラキラと光る粉を空に舞い上げた。 見た目はきれいだけど、実は結構有害な成分を含んだ粉だったりする。 眠り粉……文字通り、相手を眠らせることができる粉なんだ。 吸い込んだり身体に付着すると、血管に取り込まれ、相手を眠りに誘う。 ほとんどのポケモンを眠らせることができるから、使い勝手は非常にいいんだけど、粉が見えていれば、まともに食らう可能性は低い。 距離を詰めて逃げられないようにしてから、という手もある。 だけど、大群が迫ってるっていうのに、そんなまどろっこしい手段は使っていられない。 こういう時のために、オレは切り札を用意してたんだ。 まさか、役に立つ日がこんなに早く来るとは思わなかったけど。 キラキラと輝きながら舞い上がる粉が有害なものであると知ってか、スピアーは粉の直前で立ち止まった。 もちろん、それは読んでるぜ。 「葉っぱカッター!! 連続で出し続けろ!!」 続けて指示を下す。 ラッシーは慌てず騒がず、オレの言うとおりに葉っぱカッターを乱射!! 高速で打ち出された無数の葉っぱカッターが眠り粉を突っ切ってスピアーたちに迫る!! 迫らない粉よりも、こっちの方を脅威と感じたのだろうか。 スピアーたちは槍のような脚で葉っぱカッターを撃退しにかかった。 よし、かかった!! 仮に命中しても、相性を考えれば、ダメージはそれほどでもないだろう。 でも、目的はダメージじゃないんだな。 カキン、カキン。 剣戟のような響きと共に、スピアーの脚が葉っぱカッターを次々と撃ち落としていく!! 「そ……ソーっ?」 本当に大丈夫なのかと言わんばかりに、ラッシーが不安そうな声を上げた。 気持ちは分からなくもないけど、オレを信じて欲しい。 何の考えもなしに、そんなことさせたりなんかしないんだから。 確かに、見た目こそ一見何の意味もないように思える。 葉っぱカッターはスピアーたちにダメージらしいダメージを与えていないんだ。 それに、そろそろ眠り粉も地面に舞い降り始めている。 ここぞとばかりに進軍を開始するスピアーたち。 結構、賭けの部分もあるんだけど…… スピアーたちが眠り粉の領域を易々と突破し、今にも防衛線が破られようとしたその時だ。 先頭を進むスピアーが突然、地面に落ちた。 「ソーっ?」 いったい何が起こったというのか。 ラッシーは不思議そうな目を地面に落ちたスピアーに向けた。落ちたスピアーはピクリとも動かない。 その一体を端緒に、他のスピアーたちもバラバラと地面に落ち、同様に動かなくなる。 程なく、すべてのスピアーが同じ憂き目を見た。 「よっしゃ、成功だ!!」 作戦が完全に成功したんで、オレは思わずガッツポーズを取ってしまった。 それくらい、完璧だったんだから。 ここでモンスターボールを投げれば、たぶんゲットできるんだろうけど、オレの思い描く最終チームにスピアーは入っていない。 だから、今回はパスしようと思ってるんだけど、そうそう浮かれてもいられない。 スピアーたちは眠ってるだけなんだからな。 「ラッシー、ナミんとこ行くぜ。あいつの方が心配だからな」 「ソーっ!!」 オレは眠ったまま動かないスピアーたちには目もくれず、来た道を取って返した。 ラッシーが少し遅れてついてきた。 たった数秒でスピアーたちが地面に落ちて眠ってしまったトリックを明かそうか。 なんて言っても、トリックって言うほどのモノじゃないけど。 ラッシーの葉っぱカッターが、スピアーたちを眠らせたんだから。 眠り粉を突き抜けた葉っぱカッターには、眠り粉が付着しているんだ。 葉っぱカッターは回転しながら相手に向かって飛んでいくものだから、全体にほぼ満遍なく付着している。 それがどんな部位であれ掠りでもすれば、それだけで眠り粉が体内に入り込む。 そこから先は説明したとおり。 体内に入り込んだら、強い睡魔に襲われて夢の世界へレッツ・ゴーってワケさ。 相性が悪い相手でも、眠らせることができれば、それだけで無力化できるってことになるんだ。 勝つことに対する難易度が大幅に下がるってことになる。 タイプを超えた最高の攻撃方法として、オレがちょっと前に編み出したんだ。 じいちゃんに話したんだけど、そういうのは複合技って言うらしい。 二つ以上の技を組み合わせることで、あたかも同時に繰り出したかのような効果を発揮する。 葉っぱカッターのダメージと、眠り粉による眠り効果。相性が悪い相手にはダメージは行かなくても、眠りに落とすことができる。 大したものだと褒められたけど、それがキッカケで、もっとたくさん複合技を編み出そうって頑張る気になれたんだよな。 ラッシーが使える複合技は三つ。 葉っぱカッターをベースとして、効果を発揮させたい粉の種類によって変わる。 葉っぱカッターと眠り粉で、ダメージを与えつつ相手を眠らせることができる。 眠り粉を痺れ粉にすれば、相手を痺れさせることができる。毒の粉なら、相手を弱い毒に冒すことができる。 ……という具合に。 他にも考えられるだけならいくつかストックがあるけど、残念ながら今のチームでは使えそうにない。 説明も程々にしとこう。 オレとラッシーはさっきナミと別れた二股の道に戻ると、すぐにナミが入って行った方へと向かった。 持ち堪えてくれればいいんだけど……ちょっとした不安を胸に抱きながら、オレは走り続けた。 少しばかり時は遡り…… ナミもアカツキと同じように、十体近いスピアーと戦うことを選んでいた。 「このままじゃ逃げ切れないし、あたしも頑張らなくちゃね!!」 意気込む彼女の目の前には、スピアーたちと対峙するガーネット。 相性の良さと言うのが分かるのか、ガーネットは気が強そうな顔になっていた。 だが、数の差は如何ともしがたく、勝つのは簡単なことではない。 それでも、やる気になった女の子を止めることは不可能だ。 「よーし、ガーネット、火の粉よーっ!!」 じりじりと距離を詰めてくるスピアーたちを指差し、ナミがガーネットに指示を下した。 「カー……ゲーッ!!」 ガーネットは大きく息を吸い込むと、スピアーたち目がけて巨大な火の粉を無数に吐き出した!! ひとつひとつが人の握り拳ほどの大きさはあろうか。 赤々と輝きを放って燃えながら、スピアーたちへと突き進んでいく!! 当たると痛いというのが分かったのだろう、スピアーたちはぴたりと前進を止め、槍のような脚で火の粉を撃ち落としにかかった。 「ガーネット、頑張って!! キミならきっとできるよ!!」 ナミは初バトルながらも、的確な指示を取っていた。 いつものニコニコ笑顔からは想像できないような真剣な表情で、スピアーたちの対処に当たる。 ガーネットとスピアーたちの根競べが始まった。 火の粉を撃ち落とすスピアーたちに、負けじと火の粉を吐き続けるガーネット。 こちらも真剣な表情だ。負けたくないと言う気持ちは強いのだろう。 ……と、そこでナミがモンスターボールを手に取り、 「トパーズ、頼むよ〜♪」 飛来する火の粉を撃墜することに手一杯のスピアーたちの背後へ、投げ放つ!! ナミの投げたボールはスピアーたちの頭上を飛び越え、その背後に着弾。同時に、トパーズが飛び出した。 「ブイっ!!」 飛び出してくると、トパーズは周囲を見回した。 ここはどこだろうと、興味深げな視線を生い茂る木々に向けている。 緊迫感が漂っているのに、ぜんぜん気がついていない様子だが、指示を受けると一変する。 「トパーズ、後ろからガンガンやっちゃえ。体当たり!!」 「ブイっ!!」 トパーズはナミの指示が飛ぶと同時に、背を向けているスピアーたちへと駆け出す!! 「ガーネットも頑張って!! 負けちゃダメだよ!!」 スピアーたちと一進一退の攻防を精一杯に繰り広げているガーネットにエールを送ることも忘れない。 初めてのバトルということで、ナミは緊張していた。 心臓が口から飛び出してしまうほどの緊張感。握り拳を少しでも緩めれば膝が笑い出してしまいそうだ。 ポケモンたちが頑張ってくれているのに、トレーナーである自分がそんな惨めな姿をさらせるはずもない。 ナミはトレーナーとして精一杯戦おうと思った。 どんっ!! トパーズが背後から体当たりを食らわすと、まともに食らったスピアーは前へと押し出され、火の粉をまともにかぶった!! 弱点を突かれ、よろよろと力なく地面に落ちていく。 「よーし、その調子だよっ♪」 順調に始まった作戦に、ナミは声を上げた。 作戦と言うほどのものではないが、少しでも上手くいくと、なぜだかとてもうれしい。 トパーズは休むことなく体当たりを食らわし、スピアーたちを次々と火の粉の前へと押し出した。 その度に火の粉が直撃し、蚊のように落ちていく。 順調に進んでいるかに見えたが、スピアーたちも負けてはいなかった。 一体のスピアーが槍のような脚を縦横無尽に振るうと、火の粉を落としていった。 そのスピアーの影に隠れる形で、残ったスピアーがじわりじわりと迫ってくる!! 「え、ええっ!?」 ナミは悲鳴を上げた。 ガーネットは必死の形相で火の粉を放ち続けているが、そろそろ疲れが見えてきたようだ。 脚が小刻みに震えている。 トパーズも、一度は地面に落ちたスピアーたちが再び飛び上がったことに驚いて、攻撃を躊躇っている様子だ。 このまま近づいてこられたら、まず勝ち目はない。 そもそもバトルを挑むということ自体が、数の差から見ても無謀に等しいのだが、 逃げたところでどうにもならないと分かっていたから、仕方がない。 「このままじゃ負けちゃう!?」 どうすればいいというのか。 これ以上はガーネットもトパーズも無理。 かといって、ここで野生ポケモンを捕まえて即戦力にするという手段も使えそうにない。 万策尽きたかと思った矢先、ガーネットの火の粉を最先頭で弾いているスピアーの影から残ったスピアーたちが飛び出し、ガーネットに襲い掛かった!! 「か、カゲーっ!?」 複数の方向からいきなり攻撃を仕掛けられ、ガーネットは驚愕のあまり火の粉を吐き出せなかった。 攻撃を受ける心配がなくなったと、先ほどまで獅子奮迅の活躍をしていたスピアーも攻撃に加わってくる!! 最悪かも…… 旅に出たかと思えば、トキワの森でスピアーに追い掛け回され――言うまでもないが、それはナミの浅慮が原因である――、こんな目に遭うなんて。 ナミは泣きたくなった。 どうしようもないと思ったから。 だが、トレーナーがあきらめても、ポケモンはあきらめていなかった。 背後でナミが怯えているのを感じ取ったのか、ガーネットはこんなことをしている場合じゃないと思ったのだ。 「ボクがなんとかしなくちゃ!!」 この場を切り抜けられるのは自分しかいない。 そう悟った瞬間、ガーネットの身体が光に包まれた!! 「え!?」 今度は何が起こるのか。 スピアーに襲われるというイメージが一瞬で光に切り裂かれ、霧散する。 光に包まれたガーネットに起きた異変を察してか、スピアーたちが直前で動きを止めた。 触れることを躊躇っているようにも思える。 そうして躊躇っている間に、光に包まれたガーネットの姿が膨らんでいく。 「なになに!?」 ガーネットが大きくなった。 ナミの腰より少し低いくらいの大きさになったガーネットの身体から光が消えた時、そこにはヒトカゲの時の面影はほぼ消え去っていた。 身体はより赤みを増し、シッポに灯る炎は激しく燃え上がっている。 身体つきはたくましくなり、四本の脚には鋭く光る爪が。後頭部には角のような突起まで現れている。 「これってリザード……ガーネットが進化した!?」 一応オーキド博士の孫であるので、ポケモンが進化することは知っているし、ガーネットが進化すればリザードになることももちろん分かっていた。 だが、実際にその様子を目の当たりにすると、認識が少し変わってしまう。 「ガーッ!!」 リザードに進化したガーネットは咆哮と共に、口から凄まじい炎を吹き出した!! 火の粉なんて生易しいレベルではない。文字通りの炎だ。 スピアーたちは瞬く間に炎に飲み込まれ、次々と黒コゲになって地面に落ちていく。 炎の向かう先は、トパーズの足を止めている残りのスピアーたち。 「す、すごい……これって火炎放射?」 火の粉とは明らかに格が違う攻撃に、ナミは呆然としていた。 進化したと思ったら、いきなり火炎放射など使うとは…… フンッ。 地面に落ちたスピアーたちを見て、ガーネットは満足げに鼻を鳴らした。 だが、安心するのは早かった。 ぶーんっ!! スピアーの羽音が止んでいなかったからだ。 「まだいたの!?」 ナミはハッとして音の聞こえた方を向いた。 「ウソっ!!」 真上からスピアーが一体、槍のように鋭く尖った脚を先頭に垂直落下してくるところだった。 言うまでもなく、狙いはナミだ。 ガーネットが脅威と見て取って、先に指示を出しているナミを仕留めようと考えたのだ。 「ガーっ!?」 火炎放射に巻き込まれなかったスピアーがいるとは夢にも思わなかったガーネット。 振り仰ぐが、火炎放射を吐くわけにはいかない。 吐けば、炎に包まれたままスピアーがナミの頭上に落下する。 そうなれば、ナミも黒コゲだ。 熱いなんてモノじゃ済まない。 進化してもトレーナーを想っていることは変わらず、それが災いした。 遠く離れた場所にいるトパーズがナミを助けようと駆けてくるが、とても間に合わない。 「逃げなきゃ……!!」 分かっているのに、足が動いてくれない。 膝が笑い、足が動かない!! 脚の穂先が陽の光を受けてギラギラ輝くのが徐々に大きく視界に映るようになる。 こんな時、アカツキが傍にいてくれたら…… きっと、スピアーなんて簡単に倒して、大丈夫かって言いながら、頭を撫でてくれるに違いない。 だが、密かに想いを抱く従兄妹の男の子は今、反対側の道で同じようにスピアーたちとバトルを繰り広げているはず。 どう考えたって助けに来られるはずがない。 それでも、ナミは願わずにはいられなかった。 「やだ〜っ!!」 目を閉じて、これ以上ないほどの声で叫ぶと同時に、 「ソーラービーム!!」 凛々しい声が耳に飛び込んできた。 一番聞きたいと願っていた、アカツキの声だ。 刹那、ナミの頭上を一筋の光が行き過ぎた!! 唯一残ったスピアーは光に飲み込まれ、少し離れた地面に叩きつけられる。 「え……」 一体何が起きたのか。 ナミはただ立ち尽くしていた。 そこへ―― 「ナミ、大丈夫か!?」 反対側の道でスピアーたちを退けたアカツキが駆け寄ってきた。 「あ、アカツキ……」 来てくれた…… 安堵感が爆発的な勢いで膨らみ、足腰が砕けた。身体中の力が抜け、ナミは糸の切れた人形のように倒れ込むと、気を失った。 「おっと……!!」 なんでかいきなり倒れたナミを、辛うじて抱きとめられた。 もうちょっとで地面に激突するところだったぞ……ホントに。 しかし…… オレはナミの顔を見やった。 目をつぶっているのに、口元には笑みが浮かんでる。 こんな時にまで笑ってられるんだから、意外とタフなのかもな。 リザードに進化したガーネットとトパーズが頑張ってくれたおかげだろう、スピアーたちは黒コゲになって倒れていた。 唯一、ラッシーのソーラービームで倒したスピアーは除くとしても……なんとかなったってことか。 いくら相性が有利だからって、その場で戦うなんて、無茶をする。 ラッシーのように状態異常を起こす技があれば話は別だけど。 まあ、ナミはナミなりに頑張ったんだろう。 だったら、それを責めることはできないよな。 「が、ガーっ?」 オレの腕の中でぐったりしているナミに近寄ってくるガーネットとトパーズ。 ヒトカゲから進化しても、やっぱり抜け切ってないところはあるみたいだ。 鋭さを増した目つきとは裏腹に、その瞳には不安の色がありありと浮かんでいるんだから。 「大丈夫だ。ただ寝てるだけだよ」 そう言って、オレは不安そうなガーネットとトパーズを安心させた。 ナミのことが心配になって急いできたけど、ドンピシャリだ。 万が一に備えて、ラッシーにソーラービームの発射準備をさせていたのが役に立った。 頭上から襲いかかろうとしてたスピアーを倒しちゃうんだから、相性の悪ささえも簡単に覆せるソーラービームの威力には脱帽したよ。 草タイプの最強技だけど、発動するのに時間がかかってしまう。 そんなリスクを低減することはできるけど、この場でそんなのが思いつくはずもない。 だから、結果オーライってことで済ませよう。 「ナミ、よく頑張ったな……」 逃げずに頑張って戦ったナミの勇気と健闘を、オレは素直に讃えた。 いっつもオレの後をくっついてちょこちょこしてるだけかと思ってたけど……やっぱりこいつもトレーナーなんだよな。 ガーネットもヒトカゲからリザードに進化したし。 それはガーネットの頑張りが一番大きいんだろうけど、ナミが逃げずにいたからってのもあるんだろう。 なんて思ってガーネットの方を向いたら、いつの間にかラッシーと遊んでたりするし。 おい、トレーナーのことは心配じゃないのかって、そう思うのはオレだけなんだろうか。 そう思わせるような素振りだからさ、マジで。 「ソーっ」 「ガーッ」 「フッシーっ?」 「ガーッ」 なんて意味の分からない話(?)をしているところにトパーズが入ってきた。 「ブイっ」 「ガーッ」 「フッシー……」 何言ってんだ? しかもみんな嬉々とした表情でやり取りしてるけど。 でもまあ……こういうのも悪くない。 進化したことで姿形が変わっても、ガーネットがガーネットであることは変わらない。 ラッシーもトパーズも、それを分かっているんだろう。 だったら、わざわざ止める必要もないか。 それに……止めたって、ナミが起きてくれなきゃ先には進めないんだしな。 こういうほのぼのした光景を見るってのもいいかもしれない。 いつ目覚めるのか分からないみたいだから……腹ごしらえでもしようか。 オレはナミを起こさないように、その場にそっと横たえると、リュックを下ろして調理道具を取り出した。 小振りな包丁にまな板、いくつかの皿と、深皿と見紛うような小さい鍋。 これが結構コンパクトなんで、普通に歩いている分には「こんなの入ってたっけ?」って忘れてしまうくらいだ。 万が一遭難した時を想定して、一日分の食糧を(もちろん日持ちするヤツ)を持ってきといたけど、正解だった。 ポケモンセンターはもっと先だし、そこまで空腹を我慢できるとは思えないんだな、自慢じゃないけど。 スピアーたちと息詰まる攻防なんてやってたせいか、妙に腹が減ったんだ。 アルミ製の缶を開けると、中にはコンビーフ。塩辛いけど、味なんて調理の仕方でどうにでもなる。 ここは腕の見せ所ってヤツだな。 オレ、こう見えても料理はできる方だと思ってる。 だから、ナミになんて任せずに自分でパッと作っちゃうのが一番なんだよな。 もう一缶リュックから取り出して開ける。 中には薄切りにされた野菜がいっぱい。野菜の缶詰ってのもあるんだな。世の中便利になったもんだ。 野菜は油に漬けられたような状態なんで、さっと鍋に通せば、すぐに野菜炒めのできあがりって寸法だ。 フライパンじゃなくても、炒め物はできる。 あまりにフライパンが便利だから、誰もそのことに気づいてないだけだと思う。 鍋にコンビーフと油漬けの野菜を入れ、菜箸で掻き混ぜる。 適度に混ざり合えば、火の通りも良くなる。 下準備はできた。 あとは…… オレはワイワイ騒いでるラッシーたちに目をやった。 オレだけメシってワケにもいかないから、持参したポケモンフーズを皿に取り分けた。 「ラッシー、ガーネット、トパーズ。あと……」 危うく忘れてしまうところだったけど、ラズリーもモンスターボールから出してやる。 ラズリーは出てくるなり、足元に置かれたポケモンフーズ満載の皿を不思議そうな眼差しで見下ろしていた。 意外と慎重なんだな……臆病な性格が反映されてるような気がして、あんまりうれしくはなかった。 だって、毒が入ってるか疑ってるようにも見えてくるんだ。初めてだってんなら、しょうがないんだけどな。 「おーい、みんな。メシだぞ〜」 呼びかけてやると、ラッシーとガーネットとトパーズが一斉に振り向いた。 視界の先に食糧を見つけるや否や、目の色を変えて走ってきた。 「ブイ……!?」 ラズリーはその勢いに驚いて、オレの後ろに隠れてしまった。 驚くよな、そりゃ…… ラズリーが逃げてしまったのを知ってか知らずか、ラッシーたちは猛烈な勢いでポケモンフーズを食べ始めた。 怯えた様子で、ラッシーたちがポケモンフーズにかぶりついているのを見つめるラズリー。 オレはラズリーの頭を撫で、つぶやくように言った。 「なあ、ラズリー。君も食べに行けよ。 いつまでもそうやって怯えてちゃ、ラッシーたちだって仲良くできないじゃないか。な?」 「クーン……?」 不安そうに見上げるラズリー。 ラッシーには慣れたみたいだけど、ああいった一面を見たことがないから、驚いているだけかもしれない。 「大丈夫。君ならできるさ」 オレはラズリーの身体を抱き上げると、ラッシーとガーネットの間に割って入らせた。 二人は一瞬驚いたけど、ラズリーを暖かく迎え入れてくれた。 ガーネットが左手で取ったポケモンフーズを、ラズリーが恐る恐る口に運んで…… 「ブイっ!!」 あまりの美味しさに感動!! みたいな顔をして、次々にポケモンフーズを口の中にかき入れて行く。 これなら大丈夫だろうと思い、オレは早速調理に取り掛かった。 近くに落ちてた木の枝を集めると、適当な大きさの石で木の枝を囲う。 鍋を置いてみて、傾きがないことを確認してから、リュックから取り出した固体の燃料を真ん中に置く。 「ガーネット。ちょっと来てくれないか?」 「ガーっ?」 食事の途中にもかかわらず、ガーネットは素直にオレの呼びかけに応えてくれた。 こんなに美味しいモノをご馳走になったんだから、少しは働こうと言う気になったのかもしれない。 もしそうなら、オレとしてもうれしいんだけどな。 「ここにシッポの炎を当ててくれるか?」 「ガーッ」 言われたとおり、集めた木の枝にシッポの炎を当てた。 ぼっ!! 固体燃料に引火すると、火はパチパチと音を立てて一気に燃え出した。 炎の熱さが気持ちいいのか、ガーネットはそのままの体勢でうっとりした表情を浮かべている。 進化しても、やっぱりガーネットはガーネットってことなんだな。 「オッケー、もういいよ。ありがとな、ガーネット」 「ガーッ」 ガーネットは任せとけと言わんばかりに爪を一本立てると、再び食事に戻っていった。 その頃には山積みのポケモンフーズも、平原かクレーターを思わせるくらいにまで減っていた。 みんな食欲旺盛だけど、ちゃんと残しておいてくれたみたいだ。 仲間意識ってのが芽生えてくれたんだったら、これ以上はないってほどの強力な武器になる。 最近じゃ、ダブルバトルっていうのが取り入れられるようになってきたんだけど、 それは普通のポケモンバトル――一般にはシングルバトルと言われてる――とは違い、 互いのトレーナーが二体のポケモンを駆使する。 仲間意識っていうのは、結構重要となってくる要素なんだよ。 ポケモン同士の息がピッタリ合わないと、ダブルバトルは戦えないって言われてる。 確かに、シングルバトルとは勝手が違うだろう。 二体のポケモンを同時に扱わなければならない分、状況を的確に見極めなければならなかったり……難しいんだろうな。 なんてポケモンバトルについていろんなことを考えながら、ジュージューと音を立てる鍋の中の具を掻き混ぜて、焦げ付きを防ぐ。 油と、野菜や肉から出てくる汁がいい感じに混ざり合って、香ばしい匂いが煙と共に立ち昇っていく。 うーん、いい感じ♪ 自分で言うのもなんだけど、本気で自画自賛って感じだよな。 具がコトコト煮立ってきたところで鍋を火から離す。 火力が結構強力だったモンだから、すぐに火が通ってしまうんだろう。 あんまりノンビリしたくはないから、こういう時には結構役に立ってくれる。 オレとナミの分。 二枚の皿に均等に装う。 とはいえ…… オレは気を失って寝てるナミに目をやった。 楽しい夢でも見ているのか、笑みなんて浮かべては「あははぁ……」なんて気味の悪い声を出してたり。 心配して損したかなって、ちょっとだけそう思ったけど…… あの時もしオレが割って入らなかったらどうなってたかってことを考えたらさ、こうなった原因ってオレにあるんだろうなって思っちゃうよ。 オレたちが二手に分かれることで、確かにスピアーたちの戦力を半分ずつに減らすことはできた。 でも、よくよく考えてみれば、単なる数だけで言えば比率はまるで変わりやしないんだ。 ナミに無理を押し付けてしまったような気がするんだよな…… もしあいつに何かあったら……オレはアキヒトおじさんになんて言い訳すればいいんだろう? すっごく子煩悩で優しいお父さんだけど、それだけナミのこと愛してるんだ。 そう思うと、ゾッとする。 今回はたまたま運が良かったって、そう考えるようにしなくちゃな。 「ソーっ?」 その声に顔を上げる。 いつの間にか俯いていたらしい。考えに夢中でまったく気づかなかったけど、顔を向けたら、ラッシーがいた。 ポケモンフーズを食べ終えたんだろう。 「大丈夫……オレは大丈夫さ。ちょっと考えごとしてただけだから」 「ソーっ?」 笑みをつくってラッシーの頭を撫でる。 しかし、ラッシーは心配そうな顔を向けているままだった。 ――本当に大丈夫? なんて見抜かれてるような気もしないわけじゃない。 たぶんそうなんだろう。 ポケモンって、人間とは比べ物にならないくらい多感だから、そういったところまで見抜いてしまう。 だけど、強がらなくちゃいけない場面ってあると思うんだ。 きっと、それが今なんだよ。 「さっきは頑張ってくれたよな。疲れただろ? 少し休んでなよ。 ナミが起きるまでは出発できないからさ」 「ソーっ」 オレの言葉に納得したようで、ラッシーはゆっくりとした足取りで離れていった。 こうやって強がってることだって、分かってるんだろうな……そう思うと、悪い気がするけれど…… 「んん……」 オレの思考を壊したのはナミだった。 嫌な思考だって思ったから、壊してくれたのは不幸中の幸いというものかもしれない。 顔を向けたら、ナミはうっすらと目を開けるところだった。 意外とお目覚めが早いんだな。 こんなトコに長々と居座るのは嫌だから、それはうれしい限りさ。 「うにゅぅ……アカツキぃ?」 「よう、目ぇ覚めたか?」 ナミは寝ぼけ眼を擦ると、起き上がった。 もしかして、オレのお手製料理が発する「かほり」につられて起きたとか? なんて思っちゃうね。 「腹減っただろ? これ食えよ」 「なあに?」 湯気と共に香ばしい匂いを発する皿には、適度な塩加減の肉と野菜の炒め物が載っている。 ナミにも「かほり」というのが分かっているようで、受け取るなりぱっと瞳を輝かせた。 今まで寝てたとは思えないくらいだ。 「アカツキが作ったの?」 「そうだよ。ああ、そういえば、おまえ、オレの料理食うの初めてなんだっけ……」 寝ぼけたこと言うなあって思ったけど、考えてみれば、ナミはオレが料理作ってるところなんて一度も見たことないんだったっけ。 じいちゃんの研究所でポケモンの食事をケンジと二人でよく作ったりしてたからな……それなりのモノは作れるはずだ。 なんか、妙に家庭的だけど、そういうのが役に立つんだから、悪くはないもんだよ。 ナミは不思議なモノでも見るような視線を肉野菜炒めに注いでいる。 「毒なんか入ってないって。 オレも食うからさ、おまえも早く食べろよ」 「うん♪」 オレが言わなきゃ食べないつもりじゃなかっただろうな……? ナミは一口、二口と食べ始め、もぐもぐと噛んでから、表情をほころばせた。 「おいしぃ……」 「そっか。そりゃ良かった」 ナミの感嘆のつぶやきに短く応え、オレも食べることにした。 キャベツとニンジンとコンビーフを一気に突き刺して口に運ぶ。 野菜から染み出した水分と油が不思議に相まって、何とも言えない味をかもし出している。 ここまで美味しいとは正直思わなかった。 ナミが恐ろしい勢いで平らげていくのも、分かる気がするな。本気で自画自賛したい気分だ。 「おかわりーっ!!」 あっという間に平らげて、ナミがカラになった皿を突き出してきた。 起きたばっかだってのに、すっげぇ食欲……褒めればいいのか呆れればいいのか分からなくなる。 でも、リクエストがあるんなら、応えてやらなくちゃ。 「オッケー」 オレはカラの皿に、肉野菜炒めを装った。 「ほらよ」 「ありがとーっ♪」 受け取ると、ナミは本当にうれしそうな顔を見せてくれた。 オレの手料理でこんなに喜んでくれるのって、なんだかいい気分だ。 オレのこと、認めてくれてるような気がするんだ。 親父でさえ、オレのことを認めようとはしない。今までに一度も。 自分の路線を一方的に押し付けるばかりで、オレの夢や希望すら否定する。 旅に出て本当に良かったと思ってるんだ。 親父と顔を合わさないで済むし、何よりも、やりたいことをやってるっていう実感が湧くから。 「あ、あのさ、アカツキ……」 「ん?」 一口運ぼうとしたところに声をかけられ、オレは手を止めた。 ナミは半分くらい平らげたところで、オレに申し訳なさそうな顔を見せてきた。 さっきとは別人みたいに感じられるよ。 「どうしたんだ?」 「うん……ごめんね、助けてもらっちゃって。 あたし、もうちょっとしっかりしてればよかったなって……」 ナンダカンダ言って、気にしてるのか。 オレに助けられたってことよりも、自分一人の力で何とかできなかったってところを気にしてるんだろうな。 ……でも、ナミは悪くない。 悪者がいるとすれば、それはオレだ。オレだけで十分だ。 有無を言わさず自分の作戦に強引に乗せたんだから。 リスクを説明しないまま強制加入なんて、詐欺師もビックリだろうよ。 だから、オレはどこか落ち込んでるナミに言葉をかけた。 少しでも慰めになるなら、どんな言葉でもかけてやろうって、そう思ったから。 「バッカだなぁ。おまえがうっかりしてるのって、今日に始まったことじゃないだろ?」 「?」 大きな声で、からかってるような口調で。オレは驚くナミを尻目に、続けた。 「昔からそうだったんだ。今さら気にするようなことじゃないって。今謝られても、困るんだよ」 「うん……ありがと」 ぎこちない笑顔だけど、オレの気持ちが通じてくれたんだって、確信できたよ。 それがなんでだか、とてもうれしかった。 「少しは成長したということか。それもまた、よかろう……」 遥か上空から、木々の間を縫うようにして見えたかすかな笑顔に、彼――ショウゴは何か感じるものがあったのか、深く頷いた。 「行くぞ、リザードン」 その言葉に、彼を乗せたリザードンは音もなく空を駆ける。 深い絆で結ばれていることが分かっただけで、十分だ。 当然、ナミに構っているアカツキが、父親が空から自分のことを見ているなどと気づくはずもない。 翌日。 「わぁ……」 眼下に広がる街並みに、ナミは相変わらずの黄色い悲鳴を上げまくっていた。 これで三回目だし……慣れてきたのかな、オレも。 それが幸か不幸か、オレには分からないけど……まあ、ナミは元気にはしゃいでるのが一番だよ。 オレたちはトキワの森を抜けて、ニビシティの直前にそびえる高台にやってきた。 白い石畳で舗装された道は、石の町と呼ばれる由縁だろうな。 マサラタウン、トキワシティとはまた違った趣きに、何か新鮮なものを感じるよ。 街の奥にあるのが科学博物館だろう。一目でそうと分かるような外観だ。 濃いクリーム色の壁と、夕陽のようなオレンジの屋根が印象的で、まるで古代の神殿を思わせるような佇まいだ。 人が結構出入りしてるところを見ると、繁盛してるんだろう。 白い道の両脇には鮮やかな緑が芽吹いていて、単に石の無骨さや地味さだけがある街じゃないってことを思わせる。 この街で、オレとナミのジム戦が始まるんだな…… そう思うと、握り拳にも力が入る。 付け焼刃の戦術で勝てるとは思えないけど、やるだけのことはやらないとな。 オレは決意を固め、歩き出した。 最初のジムのある街へと。 To Be Continued…