カントー編Vol.04 月夜に煌めく山 ニビ科学博物館。 ナミがニビジムでのジム戦に勝利した翌日、オレたちはそこに足を運んでいた。 正直、あんまりノンビリしてられないけど、ナミにもいろんなことを知ってもらいたいっていう気持ちには勝てなかったらしい。 それに、普段はお目にかかれない月の石やポケモンの化石が展示されるって言うんだから、 入館料が半額になったってことも相まって、レッツゴーって感じで向かうことになったんだ。 ナミは、その話を聞いた途端に瞳を輝かせて「行く、絶対行くよっ!!」なんて息巻いてたっけ。 そのおかげで昨日は興奮してなかなか寝付けなかったらしいけど……今は眠気なんか感じてないみたいだ。 まあ、下手に落ち込んでたりするよりはよっぽどマシだから、何も言わないけどさ。 なんていろいろと考えることにも飽きて、オレは道の先に見えてきた博物館に視線を固定した。 入館料半額だの、特大の月の石展示中だのっていう文言が並んだ垂れ幕が屋上から垂れ下がっている。 まあ、それで集客効果を上げようと思ってるんだろうな。 「いかにも」な字体を見てみると、一体どこまで「自信のある展示物をたくさんの人に見て欲しい」と思っているのか…… 正直、あんまりいい方向には考えられそうにない。 どう思われてようと、展示物を見てそれをモノにするかしないかは、オレたち次第だから、そんなに気にしないようにしよう。 ふっと、小さく息をついたところに、ナミがじゃれ付くように話しかけてきた。 「ね〜、大っきな月の石って、いったいどれだけの大きさなんだろうね?」 「ビルほど大きいってワケでもないだろ。建物に入るくらいなんだから、せいぜいが直径二メートルってところだろうな」 「興味あるよね♪」 「ああ」 特大サイズの月の石。 一般的な「進化の石」のサイズっていうのは、大きくても手のひらサイズだ。 特大っていうとどれだけのサイズになるのか……正直なところ、そこにも興味があったりするんだよ。 一般的な認識として、月の石は他の進化の石と比べて採掘量が極端に少ない。 宇宙から降ってきた隕石のカケラとも言われてるんだけど、世間に出回る量の少なさから希少価値が高く、 時に高級外車に匹敵する値がつくこともあるらしい。 もちろん、それは大きさや形状、傷が付いていないかどうかなどにもよるんだけど、捨て値で捌いても高級ブランドの時計より高い。 「月の石が一番の目玉なんだろうけど、他にもポケモンの化石とか、 伝説のポケモンって呼ばれてるフリーザーが作ったって言う氷の塊が飾られてるんだってさ。 結構面白そうだよな、それも」 「うん♪」 ナミは大きく頷いてくれた。 でも、ホントに分かってんのか? 月の石がキレイだからっていう理由で行こうなんて考えてたワケじゃねえだろ…… 「さて、そろそろ見学のお時間だ」 博物館が目の前に迫っていた。 絶滅したって言われてるポケモン・プテラの絵がプリントされたハッピを着た男の人――たぶん博物館の職員だろう――が、 黄色いメガホンを手に、垂れ幕に書かれてる文言と大して変わらないことを大声で叫んでいる。 その人の脇をすり抜けて、オレたちは科学博物館へと足を踏み入れた。 「なんであの人あんなに大声で叫んでたんだろうね?」 振り返り、閉まりかけた自動ドアの向こうで客寄せに必死になっている男の人を不思議そうな目で見つめるナミ。 「さあな……」 オレは適当にはぐらかし、入り口のカウンターで二人分の入館料を支払った。 客寄せなんてしなきゃいけないんだから、見込んだ以上に繁盛してないってことなんだろう。 それをわざわざ口にするのはかわいそうだから、適当にはぐらかしといたんだけどな。 まあ、それより…… 「ほら。ちょっとくらいこれを見て勉強しろよな」 「あ、うん。ありがと」 オレはナミに、入館料と引き換えにもらった小冊子を渡した。 表紙を見てみる分に、科学博物館の歴史や、展示物、展示物にまつわるエピソードが書かれてあるようだ。 これは後で見ればいいだろう。 展示物の傍には、展示物の説明が記載されたパネル。小冊子はあくまでも付記みたいなものだから、真剣になって読み解くほどのものじゃない。 オレは小冊子をズボンのポケットに滑り込ませると、順路に従って進み始めた。 博物館に入ったオレたちを最初に出迎えたのは、ガラスケースに収められたオムナイトの化石だった。 「なに、この石? 化石なの? へぇ〜」 ナミは、ライトを浴びている化石をただの石と見間違えたようだ。でも、すぐ脇にあるパネルの説明を見て、それが化石だと分かったらしい。 ……っていうか、普通の石なら飾っておく価値なんてないだろ。 気づけよ、それくらい。 なんて思ってることは胸の中に閉まっておく。 「オムナイトは大昔に絶滅されたって言われてるポケモンなんだ。だから、こうやって化石として発見される」 オレはオムナイトの化石を見つめた。 巻き貝のような出っ張りがあるけど、それがオムナイトだ。 柔らかな本体は時を重ねるにつれて溶けて消えていったんだろう、丈夫な貝の部分だけがこうして残ってる。 ひとカケラでも遺伝子が残っていれば、今の科学技術を総動員して蘇らせることもできるらしい。 今、じいちゃんをはじめとする研究者が、時を越えて昔のポケモンを蘇らせようと奮闘しているそうだ。 もしオムナイトが現代に蘇ったら、どんなポケモンでどんなタイプなのか、オレだったら思う存分研究するけどな。 それに、ブリーダーとして、そういった未知のポケモンを育ててみたいという楽しみがある。 絶滅したポケモンについては謎の部分が多いから、それを解き明かすというのは大いなるスペクタクル……冒険なんだよな。 「どうして絶滅しちゃったのかな?」 ナミはガラスケースに鼻っ柱をぶつけるほどに顔を近づけ、首をかしげながら疑問符を浮かべた。 「さあな……今はこうして環境が落ち着いてるけど、昔はいろいろと天変地異とかがあったらしい。 恐竜時代って知ってるだろ? あんな感じだったんじゃないか?」 「ふーん……」 オレが当たり障りのない推測を述べると、ナミは分かっているのかいないのか、抑揚のない声を返してきた。 でもまあ、間違ってはいないと思うんだ。 今でこそ科学技術で天候をある程度予測したりできるけど、昔はそういうものはなかったから、 それこそ神様の気紛れってくらいに環境がめまぐるしく変わり続けてたらしい。 多くの生き物は目まぐるしく変化し続ける環境に適応しきれず、絶滅と言う形で、地球という舞台から退場することを余儀なくされた。 オムナイトは恐らくその一種なんじゃないか……オレが立てた仮説はこうだ。 だけど、その仮説を人に話したりはしない。 博士でもないのにそんなことを口にしたって、何にもならないからさ。 むしろ、そこまで言えるのなら博士になれって背中を押される可能性の方が高い。 親父の言い分を認めるような形になるのは、金輪際お断りだ。 「まあ、いつか蘇る時が来るんだったら、一回は実物と対面してみたいもんだよな」 オレは素直な気持ちを口にして、次へ進んだ。 結構広い博物館は人もまばらで、長時間立ち止まっても、どこからも文句が飛んでこない。 空いてるってのも、結構いいかもしれない。ゆっくりと見て回れるから。 次はヤドキングの頭に噛み付いたっていうシェルダーだ。 見た目は灰色の王冠ってところで、頭皮に触れる部分には牙にも似た突起が左右に一つずつ見受けられる。 とはいえ、この王冠もポケモンだったりするんだから、驚きだ。 二枚貝ポケモン・シェルダー。 海に棲んでいるポケモンで、ネーミングどおり見た目は二枚貝だ。 さて、まぬけポケモン・ヤドンはご存知だろうか? とにかくマヌケで、殴られても痛みを感じるのは何分も後のこと。動きも遅く、のほほんとした性格の持ち主だ。 そのくせ、尻尾の先を釣り針のない釣り糸のように水面に垂らして釣りをするのが得意だっていう意外な一面も持つ。 そのヤドンの頭に、シェルダーが噛みつくとどうなるか? シェルダーの牙から漏れた毒素が脳みそに染み込んで、ただならない能力に目覚めるんだ。それがヤドンの進化で、進化形はヤドキング。 ヤドンがヤドキングに進化する時、頭に噛み付いたシェルダーは形を変え、王冠のようになるんだ。 そこんとこはメカニズムも分かってないけど、頭のシェルダーが外れると、ヤドキングはヤドンに逆戻りしてしまうらしい。 傍目には結構楽しいのかもしれないけど…… 「なんか、ボロボロの王冠みたい」 「そうだな……」 ヤドキングの頭に噛み付いていたシェルダーを訝しげに見やり、ナミはポツリつぶやいた。 良く見てみれば、確かにキズだらけだ。 手荒く扱われたのかは分からないけど…… 「これがポケモンだって言ったら、おまえ信じるか?」 「え〜? ウソでしょ。あたし、たぶん信じないと思う」 「だろうな」 今回ばかりはナミの意見に賛成したい。 「こういうポケモンがいても、それはそれで面白い気がするんだけどな……」 ポツリ漏らす。 ヤドキングの頭に噛み付いたシェルダーはバトルなんてできない。 だって、バトルするのはただならぬ力に目覚めたヤドキングなんだ。 毒素がどう変化したのか、人語すらヤドキングは操れるという。 ホントなのか夢物語なのか、オレには分からないけど……サトシが言ってたっけ。 オレンジ諸島で出会ったヤドキングは流暢な人語を操ってたって(1999年の映画「幻のポケモン〜ルギア爆誕〜」を参照のこと)。 だから、こういうポケモンがいたら面白いって思うな。 いろんな形、色……見た目じゃ分からないような特徴。 人の言葉をしゃべるポケモンがいたら、意思疎通も捗るだろうし、お互いに本音と本音でぶつかり合える。 絆はより深められる。きっと楽しいんだろうな、そういうのって。 「あたし、一回でいいから王冠ってかぶってみたいんだよね」 「止めとけ。こういうの、おまえにゃ似合わないって」 「え〜? そう? 結構サマになってたりして……」 「はいはい。妄想ならどっか違う場所で勝手にやっててね〜」 さっきはボロボロの王冠みたいなんて言っといて、かぶってみたいなんて……ナミってホントに気分屋なんだなって思うよ。 想像を膨らませるのはいいことだけど、それが妄想だったら途端に価値がなくなる。そういうもんだと思う。 それから順路に従って進んでいったけど、しばらくはあんまり興味をそそられるようなモノじゃなかった。 サイドンの頭についてるドリルとか、カラカラやガラガラが持ってる骨とか…… 普通のもので代用できるようなシロモノばかりだから、信頼性はあんまり高くないんだろう。 オレたちだけじゃなくて、立ち止まる人はほとんどいなかった。 短めの階段を昇って、踊り場のような中二階に出たところで、オレは足を止めた。 目の前には、恐竜プテラノドンのような骨格模型。 骨だけだから、肉がついたらどんな姿になるのかまでは、想像でも分かるものではない。 「プテラの化石……骨組みだけだけど、オムナイトのよりはまだマシかもな。 さすがに目玉のひとつにしてるだけのことはある。骨だけでもこの迫力だ……」 たかが骨。されど骨。たかが××、されど××と用いるのにピッタリな化石だと思った。 恐竜時代に空の王者として君臨していたっていうポケモンがプテラだ。 高い声で鳴きながら悠然と空を駆け、ノコギリのような鋭い牙で獲物をズタズタに食い千切ってしまう獰猛なポケモンだって言われてる。 シゲルが現代に復活させようとしているポケモンの一種がこのプテラで、化石からでもその存在感がひしひしと伝わってくる。 翼を広げた化石は、横に二メートル近くはあるだろうか。 ノコギリのような牙が何本もまだ残ってて、大きく口を開いた態勢は、まるで獲物に襲い掛かろうとしているかのようだ。 やっぱり、現物を見てみたいよな。 シゲルが復活させてくれるのを、首を長くして待つというのも悪くないかも。 「これってプテラっていうポケモンなんだね」 「ああ。プテラってプテラノドンに似てるからプテラって呼ばれてるんだ。 恐竜時代に生きてたっていうから、今のポケモンじゃ歯が立たないかもしれないな」 ナミの言葉に答え、傍のパネルに目をやる。 プテラ 恐竜時代に生きていたとされるポケモンですが 現在では絶滅してしまっており、その姿を見ることはできません この度、アメリカのグランドキャニオンで発見された骨組みを復元し その全身が明らかになりました 翼を広げると全長は二メートル以上に達すると考えられ 口の中に生え揃った鋭い牙はノコギリのような切れ味と強度を誇り 大きく口を開いて、その牙で獲物を噛み千切る 獰猛な性格であったと専門家は分析しています 大空を自由に飛び回っている勇姿は まさに空の王者と呼ぶに相応しいポケモンなのでしょう なんて書かれてた。 そのまんまって感じもしないことはないけど、オーソドックスな意見って意外と当たってることが多いんだよな。オレもそう思うから。 「見てみたいよね。プテラ」 「今は無理だろ……でも、将来はどうなるか分からないな」 将来はプテラを手持ちに加えて大空を飛び回ったり、 恐竜時代を生き抜いたっていうほどのタフですごい戦闘能力を思う存分発揮してもらうっていうのも、案外いいかも。 ……と、一階からなにやらワイワイ騒ぎながらやってくる親子連れの姿を認め、オレはナミの手を取り二階へと歩き出した。 オレよりも少し年下の男の子はキラキラ目を輝かせ、外に出たことがない箱入りのような顔立ちをしていた。 こういうのが傍にいると、楽しく見てられないからな…… ナミも、嫌でも理解したようで、文句の一つも出してこなかった。 二階に着いてしばらく歩いていくと、大きな扉の向こうに広間のような空間が広がっていた。 天井は吹き抜けになっていて、陽光が燦々と降り注いでいる。 その光は白い壁に反射し、広間は薄い光の膜に包まれているかのように明るかった。 広間の中央に座しているのは、巨大な石だ。鉄球を思わせる大きさの石は、直径数メートルはあろうか。 ダークグリーンの色彩を放つその石こそ、この科学博物館が目玉として展示してある月の石だ。 他の展示物よりも見物人が多いとはいえ、入館者自体が少ないから、毛が生えた程度なんだろうけど。 大きな石を固定する台座はポールと太い綱で囲まれており、触れることができないようになっている。 二メートルなんて、メじゃなかった……これにはオレもため息が漏れてたよ。 「でっかいね〜♪」 手を頭上にかざし、壮観な眺めでも見ているような顔でナミ。 「そうだな」 オレは頷いた。 こんなに大きな月の石は、今までに見たことも聞いたこともない。 よく隕石とかが落っこちてくるお月見山ですら、こんな大きさの石はあるかどうか…… だから、本当にこれが月の石かどうかって疑いたくなるってのも本音だよ。 実は表面だけ月の石っぽい色で塗りたぐってるだけなんじゃないかって思えてくるけど、 大々的に宣伝してるのを見ると、多分それはないだろうという結論に落ち着く。 研究者なら一目見れば月の石かどうかくらいは見分けられるだろうし、万が一ウソが見破られた時のことを考えると、 デメリットの方が圧倒的に大きい。 「こんな大きな月の石だったら、どれだけのポケモンが進化できるんだろうな……」 圧倒的な大きさに、オレはそんなことを考え出した。 ナミはオレのことなんて気にする様子もなく、石の向こう側に回り込んでは目と口を大きく開けながらあれこれ観察している。 単純な容積で言えば、数百体は進化できそうなものなんだけど。 月の石で進化するポケモンはピッピにプリン、ニドリーノにニドリーナ……カントー地方に生息しているのはそれくらいだろうか。 『進化の石』で進化するポケモンは全体数から見ると少数だ。 正直なところ、これほどの大きさの『進化の石』は宝の持ち腐れみたいなモンなんだろうな。 とはいえ、これだけの大きさだ。捨て値で捌いても、ヘタな国の国家予算くらいはくだらないんじゃないか? 目玉に据えるだけのことはあるんだけど、その警備体制って結構ズサンに見えるの、気のせいだろうか? 警備員は見当たらないし、赤外線センサーが仕掛けられてる様子もない。 まあ、良く考えてみれば、これだけの大きさの石を誰にも気づかれずに持っていくのは無理だろう。 こっそりってのも無理だから、敢えて警備をしていないだけなのかもしれない。 変なところで世の中、奥が深いんだよな〜。 「ね〜、これちょっと削って持って行っちゃダメかなぁ?」 「ダメに決まってるだろ、それはいくらなんでも」 やりたいって気持ちはオレにもあるんだけど……いつの間にやら傍に戻ってきたナミにサラリと言われ、オレは本音を喉元で押さえ込んだ。 いくら『盗まれない』からって、こんなに警備がないのを見ると、ついついひとカケラでも削って持って行きたくなっちゃうよな。 オレやナミだけじゃなくて、右斜め前にいるカップルもクスクス笑いながら何か話してるあたり、そうかもしれないと思ってしまう。 「月の石は他の石よりも珍しいからな……でも、お月見山を通れば、運が良ければ見つかるかもしれないぜ?」 「うん。そーだねっ」 ……ってヲイ、ホントに分かってんのか? 陽気に頷いてみせるナミの笑顔を見て、オレは危うくその言葉を口に出しちまうところだった。 オレは別に冗談でそんなことを言ったワケじゃない。 このニビシティから一番近くて、ポケモンジムがあるのは、東のハナダシティだ。 ニビシティからハナダシティに行くには、3番道路と4番道路を通らなきゃいけない。 4番道路にはお月見山があって、越えなきゃハナダシティには行けないようになっている。 どうしてもお月見山を通るのが嫌だと言うのなら、地図にない獣道を行くか、 マサラタウンの南にある港からクチバシティまで船に乗って、そこから北上していくか。 言うまでもないけど、最短ルートはお月見山を越える方だ。 昔から月がキレイに見えるという謂れがあるのと、どういうわけか隕石が多く落下することから、お月見山という名前がついたらしい。 隕石に混じって、時々月の石も落下してくるらしい。 ただ通るだけだったら、見つかるかどうか……確率はゼロじゃないけど、山に張り付いて探すのと比べたら天と地ほどの差はあるんだろうけど。 「月の石見るのは程々にして、そろそろ行くか」 「うん。次のジム、行っちゃいたいもんね」 月の石の見物はこれくらいにしとこう。 ハンマーで削ったカケラをくれるわけでもなければ、抽選で切り売りしてくれるわけでもないんだ。 長くいればいるほど、どんどん欲しいって欲求が高まるばかりさ。 それからは月の石やプテラの化石と比べるとゴミとかクズみたいなシロモノしかなかったんで、敢えて触れないけれど…… 専門家からすれば、宝の山に見えるんだろうな。 館員の「ありがとうございました〜」というのんきな声を背に、オレたちはニビ科学博物館を後にした。 「結構面白かったねっ」 「まあ、それなりにな」 本当に楽しかったのだろう、ナミは科学博物館が背後に遠ざかってもはしゃいでいた。 気楽だなって思うけど、それを言ったところで、どうになるわけでもなし。 でも、入館料ぶんは楽しめた……それくらいの価値はあったんじゃないかと思う。 あんだけ大っきな月の石ってのは、それこそ滅多にお目にかかれない。 ポケモンが進化するのに必要なサイズは、手のひらにすっぽり収まる程度。 それより小さいと、石が放つ放射線の量が少ないとかで進化できないんだってさ。 「で、次はどこの街?」 次にどの街へ行くのかなんて、考えてみればすぐにでも分かりそうなモンなんだけど、ナミはいちいち聞いてきた。 オレは自分でも痛いと思うような皮肉を塗した言葉を返した。 「ハナダシティ。おまえの頭の中のようにキレイな花がたくさん咲いてる街なんだぜ」 「へぇ〜、面白そ〜♪」 「褒めてないのにどぉしてそんなに喜べるんだ……?」 褒め言葉どころか、明らかに皮肉なんだぞ? それなのに、どうしてそんなに笑ってられるんだ…… 神経の図太さは大きな橋を支えるワイヤーくらいあるかもしれない。 「ま、別にいいけどさ……」 今に始まったことじゃない。そう思えば、どうでも良くなってくるよ、正直。 「どれくらいかかるの?」 「三、四日ってところだろ。お月見山の麓にポケモンセンターがあるんだけど、明日の昼あたりにはたどり着ける」 ナミの質問に答え、オレは大まかな道のりを頭に思い浮かべた。 ニビシティからハナダシティへの道のりは三つに分けられる。 まずはニビシティからお月見山――強いて言えば麓にあるポケモンセンターまで。 次はお月見山を登って降りる山越え、最後に4番道路をハナダシティまで一直線に進んでいく。 やっぱり、お月見山を越えるのがナミには辛いかもしれないな。 お月見山は準国立公園の扱いになってるから、登山道だってあまり人の手が加わってない。 必要最低限の道しか整備されていないだから、一歩道を外したり、洞窟に入ったりしたら、結構危険だったりするんだ。 「お月見山かぁ。ピッピとかゲットできたらいいな♪」 「そうだな。月の石よりは見つけやすい……かもな」 ピッピか。 そういや、カントー地方じゃお月見山にしか生息してないんだっけか。 ようせいポケモン・ピッピ。 ピンクの丸い身体と愛くるしい顔立ちでとても人気があるんだけど、ピッピは種族的に臆病らしいから、あんまり人前に姿を現さないんだ。 お月見山を棲み家としているだけあって、月の石と関わりが深いとされているピッピは月の石でピクシーに進化できる。 物理攻撃よりも、電気や氷、炎などエネルギータイプの攻撃が得意だ。 見た目の愛らしさとは裏腹にタフだったりするから、ピクシーは結構な戦力になるんだよな。 幅広い技を使えるポケモンは、万能攻撃タイプとして、チームの核になり得る。 オレが目指す最終チームには、そういったポケモンが一体か二体は欲しいところ。 お月見山のことでいろいろと話を弾ませるうち、ニビシティの東のゲートを抜け、3番道路に入った。 いくつかの岩山の向こうに、一際大きな山が見えてきた。灰色の岩肌と木々の緑が混ざり合ったようなその山こそ、お月見山だ。 「あれがお月見山?」 「ああ」 お月見山を指差してはしゃぐナミ。 そんなにピッピをゲットしたいのか……おおかたピッピの可愛さに中てられたな。 とはいえ、可愛いポケモン=強いとは限らない。 ピッピはピクシーに進化してこそパワーが大幅に上がるものの、ピッピのままでは『力に頼らない戦い方』に特化するしかない。 そこが結構苦しかったりするんだけど…… 「それはそれで楽しいんだよな。 力に頼らない戦い方ってなると、サポートしてくれるポケモンとかがいないと苦しいか。単体だとやっぱり……」 ナミはポケモン図鑑を引っ張り出して、ピッピのことを興味深げに調べてる。 そんな彼女に言葉をかけるわけにもいかず、暇つぶしを兼ねていろいろと『戦い方』について考えてみた。 いつもいつでも、力押しで勝てるとは限らない。 特に防御に優れたポケモン、こっちよりも素早いポケモンが相手になれば、 力押しでどうこうしようとする姿勢が仇になるってことも考えられるんだ。 物理攻撃のダメージを倍にして返すカウンター、エネルギー攻撃にはミラーコート。 反撃技を持つ相手に中途半端なパワーで攻撃したら、逆に返り討ちにされてしまう。 ラッシーの『状態異常の粉+葉っぱカッター』みたいに、状態異常を絡めてパワーで押すってのがオレの基本戦法だったりするんだ。 「力に頼らないって言うんだったら、やっぱり毒に冒してから、あとは毒で相手が倒れてくれるのを待つってのがいいかもしれないな」 逃げるが勝ち、なんてよく言うけれど。 相手を毒にしてからは、自分の能力を高めたり、攻撃から逃げ回ったりすることに徹して、相手が力尽きるのを待つ。 そういうやり方もあるか。 実際のバトルで不慣れな戦法がどこまで通用するのか……ジム戦とかで試さなきゃいけないってこともいつかは出てくるかもしれない。 その時のことを考えて、少しはやってみるのもいいか。 それで新しい何かが見えてくるかもしれない。 少なくとも、無益ってことにはならないだろうから。 考えに一区切りつけて、視線を上向かせる。 少しは景色も変わってきた。道の左右には岩山が切り立っていて、申し訳程度に木が生えている程度の、本気で殺風景な景色だ。 これじゃ、景色を楽しむなんて風流なことはできないよな。 「ピッピほし〜ぃ♪」 ナミはポケモン図鑑の液晶に映った愛らしい仕草のピッピを見て、黄色い悲鳴を上げながら身を捩る。 正直、これが人前じゃなくてホントに良かった。 街中で同じことされたら、本気で他人のフリして、全速力で逃げ出してやるところだ。 呆れたくなる気持ちを宥め透かし、オレはどうでもいいような口調で言った。 「じゃあ、頑張ってゲットしろよ。ガーネットだって、進化してくれたんだろ? 単純に力比べやるんだったら、多分勝てるはずだ」 「うん。頑張るよ」 オレの助言(?)に、ナミは大きく頷くと、図鑑をしまい込んだ。 ガーネットとピッピが力勝負すりゃ、だいたいガーネットが勝つだろ。 オレはあんまりピッピには興味ないからな。 エレブーとかスリーパーとか、物理攻撃にも向いているポケモンの方をゲットしたいって思うからさ。 そーゆーわけで、今回はパス。 ……と、道の向こうからこちらへ歩いてくる人影が現れた。 そういや、今の今まで道歩いててすれ違う人なんていなかったっけ。 あんまり人通りが多くないってことなんだろうな。 それとも、今日は特別少なかったりとか。 まあ、そこんとこは関係ないから、いちいち詮索したりはしないけど。 オレもナミも何も言わずに歩いていって、その人影――オレたちと同年代の少年だった――とすれ違う。 腰にモンスターボールを差しているあたり、トレーナーなんだろうけど……パッと見、特徴らしい特徴は見当たらない。 というわけで、そのままお月見山目指して歩みを進めた、ちょうどその時だ。 「あんたたちトレーナーだろ?」 背後から突然かけられた声に、オレとナミは足を止めた。 道路を行く人は前にも後ろにもいない。 つまり、知らんぷりはできないってことか。 振り返ると、ついさっきすれ違った少年が口の端に笑みなど浮かべ、手にはモンスターボールを持ってこちらを見ているではないか。 「そうだけど……」 一応答える。 イエスかノーかで訊ねられた質問に、それ以外の答えを返すのはバカのやることだ。 どこかの政治家やら汚職の役員やらがよくやるよな。 「よし、それならポケモンバトルだ!!」 「オッケー」 出会いのしるしにポケモンバトル。よくあることだから、二つ返事でオッケーだ。 「え〜? 今ここでやるのぉ?」 対照的に、ナミは不満顔だ。 ぶ〜っ、と頬を膨らませ、恨めしそうな目で少年を見つめる。 実に平均的な特徴の少年だ。敢えて言えば歩く平均点みたいな。外見とか着てる服とかも。 ナミからすれば一刻も早くピッピをゲットしたいんだろうから、こんなところでポケモンバトルに興じる――もとい、 油を売っている暇はないってところなんだろうけど、ポケモントレーナーはポケモンバトルを断れない。 ポケモンが戦えない状態というのを除けば、断れないんだ。 それすら分からないようではトレーナー失格である。 「ポケモントレーナーはバトルを断れない。そりゃ知ってるだろ?」 少年は鼻を鳴らした。 オレが二つ返事したものだから、すっかりバトルをする気になっているようだ。 「バトルするのはオレだ。ナミは傍で見てろよ」 「うん。分かった。頑張ってねぇ〜♪」 「ってワケで、あんたの相手はオレがやる」 「オッケー。一対一の時間無制限ってところでどうだ?」 「いいぜ」 相手の提案したルールに、オレは首を縦に振った。 手の込んだルールよりはよっぽどシンプルで分かりやすい。 何年か前のカントーリーグでは、エキシビジョンマッチとして変則ルールでバトルが行われたらしい。 なんでも、互いに六体のポケモンを使うシングルバトルでありながら、一体でも戦闘不能になったら負けで、 入れ替えは自由、定められたSP(スキルポイント)が尽きたら負けという、ムチャクチャややこしいバトルが行われたことがあった。 え〜、単純に言うと、SPはポケモンが技を出したりポケモンの入れ替えを行うと減少していくポイントで、 一体もポケモンを倒されることなく、なおかつSPが尽きる前に相手のポケモンを倒せっていうルールだ。 あれは印象強すぎたな。 とてもじゃないがオレのような新米トレーナーにゃ無理だ。 やっぱ、シンプルなルールが一番だよ。 ってワケで…… オレと少年はバトルするのに十分な間を空けた。直線距離でおよそ十五メートル。 「『力に頼らない』バトルでも、やってみるか……」 この際、やってみるのも悪くはないだろう。 バトルの経験が少ないオレにとっては、一度であってもとても貴重なんだ。 それを存分に活かせるようにするのは、トレーナーとしてのオレの使命みたいなモンさ!! オレはモンスターボールを手に取った。 「んじゃ、行っくぜぇっ!! 出番だ、クラブ!!」 少年がモンスターボールを投げる。 口が開いて中から飛び出してきたのは、カニだった。 二本のハサミが頭部に匹敵するほどの大きさをしているのを除けば、本当にカニだ。 「クラブ……水タイプのポケモンだな」 瞬時に相手の情報が脳裏にひらめく。 クラブは水タイプのポケモンだ。 水タイプの技の攻撃力はそれほどでもないけど、クラブやその進化形であるキングラーが本領を発揮するのは、大きなハサミを使った物理攻撃。 見た目じゃラッシーより小っこくても、単純なパワーでは向こうの方が上。 水中以外の場所では本来の機動性を発揮できないのを考えると、勝つこと自体は難しいことじゃない。 まあ、見た目で相手の実力を測れないから、そこんとこは断言できないけどな。 「なら、オレはラッシー、君に決めた!!」 オレは迷うことなくラッシーを選んだ。 ラズリーはもう少し落ち着いてからじっくり育てていこうと思ってるからさ。 ある程度オレがトレーナーとして成長してからの方が、ラズリーに適切な教育ができそうな気がするんだよ。 気長だって思うかもしれないけど、慌てたってどうしようもないんだ。 ボールを頭上に掲げると、ラッシーはオレの呼び声に応えて、線も何もないフィールドに飛び出した!! 「ソーっ……!!」 威嚇するような低い声を上げ、ラッシーはクラブを睨みつけた。 「フシギソウか……相性じゃあ不利だけど、クラブの物理攻撃で仕留めてやるぜ」 ラッシーを見つめる少年の目はそう物語っていた。 相性が悪いから、上回るパワーでねじ伏せようと考えてるってことか。 オレが相手の立場に立ったとしたら同じことを考えただろう。妥当な判断だと思うな。 でも……オレにも考えつきそうな戦法で勝とうなんて、甘いぜ。 「ナミ。適当なタイミングで『バトル・スタート』って言ってくれるか?」 「うん、分かった」 ナミは高みの見物を決め込んだようだ。先ほど見せた不機嫌さはどこかへ消えていた。 一秒、二秒と時が過ぎる。 オレがわざわざナミにバトル開始の宣言を言わせるのは、公平を期してのことなんだ。 オレかあいつのどちらかがバトルスタートと言ったら、言った方が有利なタイミングを計れるに決まってる。 「じゃ、バトルスタートっ♪」 唐突にバトル開始の宣言をもたらすナミ。 オレのバトルが見られるってんで、うれしいんだろうか。声が妙に高く弾んでるように聞こえたな。 ま、今はバトルのことが最優先。 「クラブ、バブル光線!!」 先手を取ってきたのは向こうの方だった。 何を考えてか、ラッシーにはあんまり効かないバブル光線なんて……でも、それは相手も知っているはずだ。何かしらの思惑が隠れてるな。 なら…… 「ラッシー、日本晴れ!!」 オレはバブル光線の威力が弱まるように、ラッシーに指示を下した。 刹那、周囲に強い日差しが降り注いだ。 「うわ……!!」 突然辺りがまぶしくなったものだから、相手は驚いて腕で顔を覆った。バトル慣れしてないな、見たところ。 トレーナーよりも度胸があるらしく、クラブは突然の日差しに驚くことなく、口を開いて泡の光線を撃ち出した!! しかし、ラッシーに向かってくるにつれて、どんどん威力を落としている。 この分だと、ラッシーにたどり着く頃には人畜無害のレベルにまで弱まるだろう。 クラブに対して警戒すべきは物理攻撃のみ。 クラブハンマー、挟む攻撃……あんまりバリエーションは多くないけど、そこを補う手段の一つや二つはあるかもしれない。 「毒の粉!!」 続いてラッシーに指示。 バブル光線なんて食らったところで痛くも痒くもないはずだ。 なら、避ける必要もない。むしろ、避けることで時間的な無駄を生み、隙が生まれるんだ。 ダメージが小さいなら、それと引き換えに『時間』を得るということも考えなきゃいけない。 ラッシーは背中の葉っぱを打ち振ると、紫の粉をクラブへと放った。 宙をふわりふわりと漂いながら、ゆっくり飛んでいく毒の粉。 他の粉と同じように、肌に付着するか吸い込むかすれば、たちまち身体が弱い毒に冒される。 徐々に体力を削り取られていくんだ。 極限にまで弱まったバブル光線がパチパチと音を立てながらラッシーにぶつかっていくけど、 ラッシーはそんなに気にする様子もなく、クラブをじっと見つめている。 向こうの出方が気になってるんだろう。 「なに、効いてないぃっ!? 日本晴れって確か……」 バブル光線の威力に自信があったんだろうか。相手は頭を抱えて唸り出した。 やっぱ、オレと同じでトレーナーとしては新米なんだろうな。 でも、どう考えてもオレの方が知識は上だし。総合的に見ても、オレの方が強いってことかな? 「クラブ、毒の粉を泡で落とせ!!」 毒の粉をまともに食らってなるものかと、再び指示。 クラブは口からブクブクと音を立てながら無数の泡を飛ばしてきた。 水タイプの技だけど威力はとにかく低い。 炎や岩ポケモンならちょっとは痛いと感じるかもしれないけど、相性が普通のポケモンですら、ダメージはほとんど負わない。 じわりじわり滲み寄ってくる毒の粉は泡に包まれると、明後日の方角へと風に流される。 なるほど、考えたな。 水鉄砲じゃ吹き散らすのが関の山だけど、泡に包んでどこかに運び去ろうなんて。 でも、それにはひとつ難点がある。 「葉っぱカッター!!」 待ってましたと言わんばかりに、ラッシーは背中から葉っぱカッターを飛ばした!! 回転する葉っぱは毒の粉を包み込んだ泡をいともあっさり破ると、クラブへ向かって飛んでいく!! 「クラブハンマーだ!!」 葉っぱカッターを撃ち落とそうってワケか? クラブはハサミを輝かせ、飛来する葉っぱカッターを迎撃する態勢に入った。 葉っぱカッターを受ければ痛いと考えたんだろう。 泡やバブル光線じゃ、葉っぱカッターを撃ち落とすのは無理な話。 かといって、まともに食らうわけにもいかない。相性抜群の攻撃は、大ダメージになるからだ。 だから、撃ち落とそうってワケだ。 ……さて、それとこれとは関係ないけど、オレがどうして最初に日本晴れを指示したのか。 それは本当に簡単な話なんだ。 クラブの水タイプの攻撃の威力を落としてラッシーへのダメージを低く抑えるのと、 いつでもソーラービームで相手を倒せるようにという、攻撃と防御を兼ねてるだけ。 相手を倒せる時に倒すってのがポケモンバトルのセオリーなんだけど、いつでも相手を倒せる状態を作り出せば、何もいきなり倒す必要もない。 存分に戦略を練って、危ないと感じたらソーラービームでドカンと一発くれてやればいいだけのことだ。 意地悪だって思うかもしれないけど、バトルは貴重な体験なんだ。 一回一回を大切にしていかなくちゃいけない。いろいろと試すのは大事なことなんだよ。 泡をたやすく破った葉っぱカッターがクラブに迫り―― クラブがハサミを振るい、葉っぱカッターを撃ち落とす!! 「どうだっ!!」 縦横無尽にハサミを振るって、葉っぱカッターをすべて撃ち落とすクラブ。 トレーナーが自信たっぷりに胸を張るのも分かるけど……そういうのはさ、結果を見てからやってもらいたいモンだな。 オレは、向こうが葉っぱカッターをクラブハンマーで撃墜するのを、『手をこまねいて見ていた』ワケじゃない。 むしろ、それを望んでたくらいさ。 クラブハンマーって大仰な名前がついてても、ハサミはハサミ。クラブの身体の一部だ。 それがどういうことか――答えはもう少し後で形になって現れるはずだ。 とにかく、今は―― 「クラブ、そのままの勢いでクラブハンマー叩きつけてやれ!!」 相手はラッシーをビシッと指差して叫んだ。 クラブは意気込んで、全速力でラッシーへ向かって地を駆ける。 とはいえ、速度はお世辞にも速いとは言えない。 感動的なまでに遅いってこともないけど……ラッシーなら簡単に避わせるくらいだ。 ただ、水辺での戦いなら、どうなっていたかは分からないとだけ付け足しておこうか。 「ソーっ?」 どうするの? ラッシーはそう言いたげに嘶くと、チラリとオレの方を振り返ってきた。余裕だって、ラッシーもそう思っているらしい。 「とりあえず避けろ」 ラッシーはオレの指示の通りに動いた。 十秒くらい経ってから、クラブがハサミを大きく振り上げてラッシーに必殺のクラブハンマーを食らわそうとする。 だけど、ラッシーは簡単に避けた。 動きが遅い上に大振りとなれば、人間のオレですら避けられるぞ。 まさか、そんなことにも気づいてないってことはないんだろうけど…… ごりっ。 クラブハンマーは宙を切り、地面にめり込んだ。 めり込んだ部分が小さくひび割れてるのを見ると、威力はかなりのものなんだろうな。 食らったって、ラッシーは草タイプだから、それほどのダメージにはならないけど。 食らう前にソーラービームで瞬殺せる(たおせる)んだから。 「今のは偶然だ!! 行っけぇ〜、クラブハンマー連発だぁっ!!」 攻撃を空振りに終わって驚くクラブに喝を入れるべく、声を上げる相手。 その言葉に勇気付けられてか、クラブは二度、三度とクラブハンマーをラッシーに叩きつけようと身体を動かす。 その度にラッシーは避けて避けて避けまくる。 オレが何を考えているのか察している、ってワケじゃなくて、オレのこと信じてくれてるんだろう。 ラッシーは不平不満を漏らさない。 何度も何度も必殺のクラブハンマーを避けられて、そろそろクラブも疲れてきたようだ。 「へこたれるな!! おまえならできる!!」 なんて、見てる方が虚しくなるような叱咤激励。 でも、クラブはその声に応えることができなかった。 突然動きを止めると、そのまま前のめりに倒れてしまったからだ。 「な、なにぃっ!? 一体何がどうなって……」 クラブはピクリとも動かない。相手は顔面蒼白で口をパクパクさせているだけ。 何がどうなっているのか本当に分からず、混乱している。 クラブが戦闘不能になってるってことにも気づいていないものだから、オレは思わず口を挟んでしまったよ。 見てるのも、忍びなくなってきた。 「おまえのクラブ、もう戦えないぞ。 早く戻してやれよ。トレーナーなら、ポケモンを必要以上に傷つけちゃいけないんだからさ」 「な……!! 戻れ、クラブ!!」 言われてようやく気がついたようで、相手は慌ててクラブをモンスターボールに戻した。 「ちくしょー、負けちまうとは……」 悔しそうに漏らす。 やっぱり……この戦い方は有効かもしれない。 今回は相手がちょっとばかり弱かったから都合よく行っただけかもしれないけど……ハマれば、ジムリーダーにすら通用するだろう。 持久戦になると思ったら、この作戦は欠かせない。 毒に耐性のあるポケモン以外が相手なら、時間さえかければ勝つことができる。 「今回は負けたが、次は勝つぞ。覚えとけよ!!」 「ああ、楽しみにしてるぜ」 悔しそうに言うと、相手はオレに背を向けて駆け出した。ニビシティのポケモンセンターでジョーイさんに看てもらうんだろう。 しかし、呆気ない決着だったなぁ。 「アカツキ〜、すごいじゃない♪ どうやってクラブ倒したの? まさか、疲れ果てて倒れたなんてドジな結末じゃないんでしょ?」 「まあな……ラッシー、お疲れさん。ゆっくり休んでてくれ」 「ソーッ」 オレはラッシーに労いの言葉をかけると、モンスターボールに戻した。 ポケモンにとってモンスターボールの中というのは、結構居心地がいいらしい。 実際に入ったことがないから、本当に居心地がいいのかは分からないけど……抵抗して出てこないってことは、多分そういうことなんだろう。 「簡単なことさ」 オレはいつの間にか額を濡らしていた汗を手の甲で拭うと、お月見山へと歩き出した。 その間に、ナミに解説をした。 確かに、ギャラリーには不思議な決着の仕方だったから。 それに、ナミにとっては今後の参考になるだろう。 「ラッシーの葉っぱカッターは毒の粉を包み込んだ泡を破っただろ?」 「うん。簡単に破れちゃったね。でも、クラブハンマーに落とされちゃったけど」 「それが狙い目だったんだ」 「え?」 「葉っぱカッターには何がついてたと思う?」 逆に聞き返すと、ナミは言葉に詰まった。 「葉っぱカッターが毒の粉を包んだ泡を破って…… えっと、それがクラブハンマーに落とされて……え〜っと、分かんない」 「毒の粉がたっぷり付着してたんだ。 それをクラブハンマーで叩き落したんだからな。 大層な名前がついてても、それはクラブの身体の一部で繰り出された技さ。 毒の粉のついた葉っぱカッターに触れたらどうなるか、それくらいは答えを言わなくても分かるだろ」 「あ〜、なぁるほど」 ナミもようやく分かったらしい。 今回オレが見せた戦術を。 毒の粉を泡で包み込むことも、泡を破った葉っぱカッターをクラブハンマーで撃ち落とすことも、オレの味方にしかならなかったってことなんだ。 毒の粉が付着した葉っぱカッターをクラブハンマーで撃ち落としたことで、クラブの身体に毒の粉が移る。 以前にも説明したと思うけど、毒の粉をはじめとする粉の攻撃は、粉が相手の身体に付着するか、吸い込むことでその効力を発揮するんだ。 皮膚から体内に取り込まれ、血管に入って全身をめぐることで、それぞれの効果を発揮する。 クラブはハサミに毒の粉がついたことに気づいていなかった。 それはトレーナーも同じことだっただろう。 身体に付着した粉はキラキラ輝くこともなかったんだから。 向こうはムキになってクラブハンマーを連発してたけど、激しく運動することで血管が押し広げられ、その分血流に乗った毒の回りが速くなった。 だから、あんな短時間で体力を削りつくされて、戦闘不能に至ったっていうことさ。 『力に頼らない戦い方』ってこのことだけど、相手がそのことに気づいて何らかの策を打ってきた時のことは今のところ考えていない。 今回は日本晴れでソーラービームをいつでも撃ち出せるように手を打っておいたから、 その時はソーラービームで済ませるつもりでいたけれど……万が一炎ポケモンが相手だったら、そうもいかなかっただろう。 むしろ雨乞いで雨を降らせて、炎の威力を弱めて持久戦に持ち込むって手段を採らなければならなくなる。 まあ、その時はその時ってことで。 「アカツキ、すごいんだね。あたしじゃきっと力任せだったと思うよ」 「相性が不利な場合は、持久戦は望まない方がいいな。 ラッシーのように相手を状態異常にできる技があれば別だけど、ないのなら一気に押し切った方がいいと思う」 「うん。また一つ勉強になったよ」 ナミは笑顔を湛えて頷いた。 オレがすごいかってことはさておいて……オレも勉強になったな。 相手を毒にしてからは、回復手段がない場合は逃げることにだけ専念してればいいんだけど、 自由に動き回れるだけのフィールドと、相手の素早さがカギになる。 そこんとこは勘違いしないようにやっていかないとな。 「ねえアカツキ。今度はあたしと勝負しよっ♪」 「はあ?」 何を言い出すかと思ったら。 オレの前に躍り出るなり、ナミはなにやらうれしそうに提案してきた。 「あのなあ……」 これはもう呆れるしかない。 オレとバトルしたいっていう一心でナミは言い出したんだろうけど……ちょっとくらい考えてくれれば分かりそうなものなんだよなあ。 「ラッシーはさっきのバトルで体力を消耗しちゃってるんだぞ。 まあ、バトルできないほどじゃないけど……本気で勝負したいって言うんなら、ラッシーの体力が満タンの時に言ってくれないか? おまえだって、フェアじゃないバトルで勝ったってうれしくもなんともないだろ?」 「む〜、言われてみれば確かに……」 口元に手をあて、唸る。 あのなあ…… ナミは『普通に考える』ってことが苦手らしい。考えるよりも身体を動かす方が楽でいいってことなんだろうけど。 そこんトコをなんとかしてほしいんだよな、オレとしては。 「ってワケで、勝負はまた後でな」 「うん、わかった」 適当に打ち切ると、ナミは引き下がった。 オレだってナミとバトルしてみたいという気持ちはある。 ヒトカゲからリザードに進化したガーネットがどれだけの実力を身につけたのか知りたいし、 一度もバトルしているのを見たことがないトパーズの実力も気になる。 だけど、ラッシーが体力をそれなりに消耗していることを考えると、同じ段階に進化したガーネットの相手をするのは辛いだろう。 相性は悪いし、体力的にはガーネットの方に分がある。 トパーズとラズリーで一対一のバトルをするって言うのなら、受けて立つんだけど…… ナミが提案してこないのを見ると、そこまでは考えてなかったってことだろう。 なら、無理にこちらから言い出す必要もない。 「しかし……できればそう遠くないうちにバトルしたいモンだ」 ふっと息を漏らし、オレは思った。 翌日の昼すぎに、オレたちはお月見山の麓にあるポケモンセンターにたどり着いた。 ニビシティからここまで来る間に3番道路を通ってきたけど、すれ違ったのは昨日バトルした、名前も知らない少年だけだった。 今になって思い返せば、どうして名前を聞かなかったのか。 まあ、それはお互い様なんだけどさ。 そんなことより、ポケモンセンターはそれなりに賑わっていた。 規模としてはマサラタウンのより少し大きい程度で、トキワシティやニビシティと比べるといかんせん狭いという印象は拭えない。 だから、それなりに混んでた。 ここをベースキャンプにして、お月見山でピッピや月の石をゲットしようとする人が多いんだろうな。 さすがにここまで歩き詰めだと、結構辛い。 オレが辛いって感じるんだから、ナミはもっと辛いはずだ。 「今日はここで休んでくけど」 「うん。いいよ。あたし、クタクタだよぉ」 「よし、決まりだ」 あんまり疲れているとは思えないような明るい口調で言い、ニコリと笑う。 でも、足取りはどこか頼りなく見えるな。すぐにも倒れそうなほどの千鳥足じゃないけど、 このままお月見山を越えるのは無理ということだけは間違いない。 なら、無理をせず今日はここで休んでいくというのが普通だ。 ……ってワケでオレはジョーイさんに今晩泊まっていく旨を告げた。 彼女は快く了承してくれ、部屋の鍵を渡してくれた。 二階の廊下の突き当たりらしいけど、オレはどこの部屋だろうと構わない。 ゆっくり休める部屋があれば、それでいい。何も、ホテル並の待遇なんて望みやしないよ。 「じゃ、メシ先に食うか」 「うん♪」 メシという言葉に、ナミは目を輝かせた。 口にこそ出さないものの、オレと同じで空腹に耐えかねていたんだろう。 ジョーイさんが「食堂はあちらです」と、手で差してくれた方向に歩き出そうと身体の向きを変えた――その時だ。 ざわり…… 全身が総毛立つ。 オレは『信じられないモノ』を見たような気分に陥った。 今しがた、ポケモンセンターの自動ドアを抜けて外に出て行った後ろ姿に見覚えがあるような気がしたからだ。 「今の……」 どこかで見た背中。 どこかで見た背格好。 気のせいと割り切るのは簡単だけど、急に高鳴った胸の鼓動が嘘偽りだと認めることだけはできない。 「? どしたの?」 数歩進んだところでオレがついてきてないのに気づいたのか、ナミは足を止めて振り返ってきた。 「いや……なんでもない」 オレは頭を振ると、いつの間にか額をじっとり濡らしていた汗を拭い、ナミの後を追った。 これ以上考えないことにしよう…… もし今の人が……いや、仮にそうだとしても、何事もなかったかのようにポケモンセンターを後にするなんておかしいから。 ロビーはそれほど広くないから、出入りがあれば確実に気づくはずだ。 『あいつ』が気づかないはずがない。 オレだからこそ分かるんだ。 オレの姿を見たら、絶対オレの前に出てくるって。 だから、さっきの人はただの空似だ。そうに決まってる。 半ば強引に決め付ける。 そうでもしないと、考えないようになんて、できそうになかった。 食堂に入って、オレは気持ちを切り替えた。 『あいつ』のことなんか、気にしてる場合じゃない。 オレの前には壮大な世界が広がってて、そのどこかにオレの夢があるんだ。振り返ってなんか、いられない。 いつもどおりのバイキング形式。 好きなだけ装って、席に就く。 窓の向こうにはお月見山。 山頂までは見えないけど、自然が豊かな山肌が見て取れる。 「あそこを越えていくんでしょ?」 「ああ。一日はかかるからな。明日は野宿になる」 「ふーん。キャンプって久しぶり♪ 学校でやって以来だね」 「ああ……」 野宿をキャンプとたとえるか……まあ、確かに同じようなモノなんだけど。 オレもナミも、十歳になるちょっと前まで学校に通ってた。 俗に言う小学校だけど、この国での義務教育はそこまでで、「中学高校大学は行きたいヤツは勝手に行ってね♪」って感じ。 オレはトレーナーとブリーダー志望だから、将来のためになるかどうかすら分からない勉学にうつつを抜かしてる暇なんてないわけで、 当然のように学校を卒業してからは旅に出る準備にかかりっきりだったんだ。 学校を卒業するちょっと前。 オレたちの学年は、トキワシティの西に広がるシロガネ山(その周囲の山脈の総称)でも標高が一番低い山で登山とキャンプをやったんだ。 高校とかで言う修学旅行ってヤツ? まあ、そこまで大げさじゃなかったけど。 オレと同じ学年って言えば、向かいに座ってるナミはもちろん、シゲルやサトシもいた。 それがどういうわけか同じ班になってしまったものだから、そりゃもう大変だった。 ただでさえシゲルとサトシは互いをライバル視――オレとシゲルの間よりもよっぽどヒートアップしてたからな(もちろん現在進行形)。 そのせいで、どういうわけか班長になってしまったオレは、とてつもなく苦労した。 シゲルとサトシのみならず、ナミまで好き勝手にやり始めたから、手をつけられるどころじゃなくて……先生に叱られたっけ。 班長ならちゃんとまとめなさいって。 『そんなこと言うくらいなら、あんたがやってみろよ』って言おうと思えば言えたけど、 それってオレの負けを認めるのと同じだから、そう言ってやりたい気持ちを押し殺してたっけ。 あの頃はあんまりいい思い出だと感じてなかったけど、今になってそれが『笑えるような話』になるんだから不思議だ。 でも、ほんの少しだけ……全体の中では一割にも満たなかったであろうわずかな時間だけは、みんな仲良く笑って過ごせた。 あの日は満天の星空だったっけ。 星が散りばめられたキレイな夜空を見上げてたオレたちは、流れ星が空を駆けていくのを見たんだ。 それがキッカケで、オレたちは口々に将来の夢について語り合った。 サトシはポケモンマスターになること。 シゲルはじいちゃんのような立派な博士になること。 ナミはすっごいトレーナーになること。 そして……オレは最強のトレーナーと最高のブリーダーになること。 オレとサトシの夢は似ているようで、だけど全然別物だ。 『ポケモンマスター=最強のトレーナー』とは限らないし、その逆もまた然り。 よくよく思い出せば、あの夜がオレの今までで一番幸せだった瞬間かもしれない。 学校を卒業してからは、親父が……博士になれってうるさく言い始めたんだから。 もちろんオレはそれを事あるごとに突っぱねてきたわけだけど…… はあ…… つまんないことで親父のこと思い出しちまうなんて……せっかくの気分も台無しだ。 食事の楽しみすら、親父は奪ってしまうのか。 そう思うと、つくづく親父の息子に生まれてしまったことを後悔してしまうんだ。 今さら変えられるはずもないけど、できれば親父じゃない誰かの子に生まれたかったな。 「あれ、アカツキ。食べないの?」 「あ? いや、別に……」 ナミに声をかけられ、オレはハッとした。 知らないうちにどっぷりと考えに浸っていたらしい。 お月見山の景色すらカーテン越しのように、ほとんど目に入らなかったんだ。 ま、親父がここにいるわけじゃないし、気にしてても仕方ない。 気を取り直して、オレは食事を始めた。 昔は昔。今は今。 目指す夢へ向かって一歩ずつ歩いていけばいいんだ。その他は二の次ってことで、間に合ってるんだ。 「ハナダシティに着いてからのこと、今のうちに話ときたいんだけど」 「む〜? いいよぉ」 今後の方向性を肉付けするのと、気分転換を兼ねてオレは話し始めた。 「ニビジムと同じようにオレから先に行くか。おまえが先に行くか。 ま、どっちにしたってデメリットがあるわけじゃないから、オレはどっちでもいいって思ってるんだけどさ」 「む〜」 「たまにはナミの意見も尊重しなきゃいけないかなって思ったりして」 「む〜」 「聞いてんのか?」 「聞いてるよぉ」 手にしたマグカップの中身を飲み干し、ナミは頬を膨らませた。 っていうか、オレが話してるってのに「む〜」なんて反応するのはまずいだろ。 子供時代はいいかもしれないけど、大人の世界じゃ、それは通用しない。 話してる相手がオレか、オレじゃないかっていうこともあるんだけども。 今のうちから礼儀だけでも徹底しておいた方がいいような気がするのはオレだけだろうか? 「おまえはどっちがいいんだ?」 「どっちでもいいよ。だって、どっちにしたって同じでしょ」 「そりゃそうだ」 「んじゃ、ニビシティと同じでいいよ。アカツキが先に行ってきて」 「分かった」 どっちでもいいことだけど……次もオレからジム戦挑むか。 ホントのこと言うと、早くハナダシティに行って、ジム戦したいって思ってるんだよな。 トレーナーの性分だって、じいちゃんがここにいたら、笑いながらそう言うんだろうけど。 次のジムリーダーはどんなタイプのポケモンを手に立ち塞がってくるのか。 分からないから、なんだか胸が高鳴るんだ。早くバトルしてみたいって具合にね。 「今頃パパとママはどうしてるのかなぁ……」 ナミはフォークで宙を掻き回しながらポツリ漏らした。 どこか寂しげな目をしているように見えるのは気のせいだろうか? 「ホームシックにでもかかったのか?」 「違うよぉ。こんなに離れて過ごしたことなかったから、気になるの」 「そっか」 オレは味噌汁をすすった。 ナミのことだから、ホームシックにでもかかったんじゃないかって思ったんだけどな……心配なかったってワケか。 不安とかって、あんまり頭にないんだろうな。純粋に気になってるだけなんだろう。 だけど、オレは……ナミほど気にならないな。 「おじさんもおばさんも元から元気なんだから、心配なんてしなくても大丈夫だと思うけど」 「うん。そうだよね。分かってるけど、気になるんだよね〜」 「ふーん……」 適当に相槌を打つ。 沢庵を箸でつまんで、口に運ぶ。 カリカリと大きな音が口の中に響く。 ついでとばかりに、マサラタウンの家で一人になった母さんの顔を思い浮かべる。 優しくてちょっと繊細なところがあるけど、オレがガキん頃は親父と結構夫婦ゲンカして、 しまいには包丁まで取り出したことがあったんだってさ。 さすがの親父も母さんのすさまじい形相に怯んで、その場で何度も何度も頭下げて謝ったから事無きを得たっていう、 どーでもいいようなエピソードが未だに頭から離れない。 そんな母さんだから、オレがいなくても楽にやってけるだろう。 ちょっとは淋しいかもしれないけど、オレよりはきっと親父の方がウェイトは大きいはずだし。 オレは淋しいなんて思ってない。 むしろ離れられて清々してるくらいだ。 なにせ、親父はほとんど家に帰らないものだから、母さんも淋しいんだろう。 オレに結構構って来るんだよ。 構ってくれるのはうれしいんだけど、必要以上に干渉されると、オレとしても困る……っていうか鬱陶しくさえ思うんだ。 「アカツキは気にならないの?」 「なんで?」 「あんまり気になってるようには見えないから」 鋭い…… ぼけーっ、としてるように見えて、実はちゃんとオレのこと見てるんだなぁって思った。 オレがあんまり気になってないんだって、表情でちゃんと読んでるんだ。 変なところで鋭いから、どんな些細なことでも油断できないって言う証明なんだよな、これって。 「オレは……あんまり気にならないよ。旅に出られてうれしいから。 母さんは母さんで元気にやってるよ」 「ふぅん……」 頬杖突いて頷くナミ。 子供の前で平気な顔して夫婦喧嘩なんかできるだけの神経の太さがあるんだから――オレは胸中で付け足してた。 そうだよ、豪胆な母さんなら、オレがいなくたってやっていける。 オレは母さんのことが嫌いじゃない。むしろ好きだよ。でも、過度な干渉は嫌いだ。 「ま、そんなどうでもいいことはほっといて……そろそろ食べちまおうぜ。 今日はゆっくり休んで、明日は朝イチで出発するからな。お月見山越えるんだ」 「うん、わかった」 どうでもいい……まったく。 オレの考えていることが伝わったのか、ナミはそれからマサラタウンに残した親のことについては一言も触れなかった。 お月見山は準国立公園の指定をされているとはいえ、最低限の登山道こそ備えている。 けれど…… 「なんだか歩きにくいね」 「ああ……」 ナミが不満そうに頬を膨らませてつぶやくと、オレは首を縦に振った。 神経が図太いナミでさえ歩きづらいと感じるほどとは。 さすがに予想していなかったな、ここまでは。 周囲の景色はそれなりにキレイで、新鮮な空気で気分もそれなりに落ち着くんだけど…… ただ、足裏から伝わってくる妙な起伏が、ちょっとだけマイナスになっている。 今朝は朝のニュース(午前七時にやってるヤツ)が始まる前にポケモンセンターを発ち、朝焼けに染まるお月見山に入ったんだ。 ガンバれば今日中に山越えできるからさ。 あんまり山の中とかで野宿はしたくないんだよな。 あまり人の手が加わっていない山ということで、ヘビがいるって話もあるらしいんだ。 正直なところ、そんな山で野宿する気はサラサラない。 まあ、無理なら無理でその時はしょうがないんだけども……ってワケで、ナミにはそこんトコをキッチリ言い含めておいたんだ。 その言葉が功を奏してか、ナミはナンダカンダ不平不満など漏らしつつも、結構速いペースで山を登っている。 この分だと、途中で多めに休みを取っても、今日中にハナダシティ側の麓にあるポケモンセンターに到着できるだろう。 「だけど、ガーネットは慣れてるみたいだぜ?」 「うん、そうみたい」 ナミは隣を黙って歩くガーネットに目をやった。 当たり前なことなんだけど、靴なんかは履いてない。 ポケモンに服や帽子をかぶせたりして、オシャレする人が最近になって増え始めたらしいけど、 トレーナーであるオレやナミは、そういったチャラチャラしたのには興味がない。 ヒトカゲやリザード、リザードンは一般的に山岳地帯に住むポケモンと言われてるから、こういった山道を駆け回るのに必要な足腰を備えてるんだ。 だから、こんな山道程度なら、歩くのを苦にしないんだろうな。 ナミはガーネットを出してるけど、オレはラッシーを出してない。 ラッシーは草タイプだから、フシギダネやその進化形であるフシギソウやフシギバナが住んでるのは、当たり前だけど森だ。 森には山道のようなでこぼこはほとんどないだろうから、こういった道を延々と歩くようには身体ができてないはず。 それに、ラッシーは背中に蕾を背負ってるから、長時間歩くのは辛いだろう。 そう思って、敢えて出してない。 本当に外に出てきたかったら、ラッシーはボールを中からこじ開けて出てくるはずだからな…… ポケモンは何もモンスターボールに閉じこめられているワケじゃない。 出てこようと思えばいつでも出てこれるけど、居心地がいいのか、オレがボールを投げたりしないと外に出てこないことが多い。 そう考えるとちょっと寂しいけど、しょうがない。 緩やかにカーブした道を抜け、展望台のような場所に差し掛かったところで、オレは足を止めた。 「お? キレイだねぇ……」 「そうだな」 目の前に広がっているのは、ニビシティからお月見山までを結ぶ3番道路と、4番道路の西側だ。 こうして高いところから見下ろしてみると、結構いいモンだなぁ。 道路の向こうにはニビシティが見える。 今いるところの標高を考えてみると、ジオラマの中のように小さく見えるけど、 もともとニビシティには高い建物がほとんどないから、それは当たり前のことだ。 あれがトキワシティだったら、もう少し大きく見えるんだろうけど。 「あ、あそこでバトルしてるよ!!」 「ちょっと小さくてどんなポケモンかは分かんないな……」 声を立ててはしゃぐナミが指差す先――3番道路で岩場に差し掛かったあたりだろう――には、 バトルをしているトレーナーと、彼らのポケモンの姿。 だけど小さくて、どんなポケモンかは分からない。 少なくとも、トレーナーより大きなポケモンではないんだろうけど。 とはいえ、こうやって一度に様々な景色を見られるってのは、今までにない経験だよ。 マサラタウンの小高い丘じゃ、見えるものだって高が知れてる。 いつもと同じ、見慣れたものばかり。 生まれ育った町だから、嫌とかつまんないとか、そういう風には思わないけど……やっぱり、新鮮だとは思えないな。 「ガーネットはこういうのキレイだって思う?」 「ガー? ガーっ」 「え〜? あんまり興味ないって?」 ガーネットは景色を眺めるということに興味がないらしい。 ナミは意外に思っているようだけど……もちろんオレも。 いや、だって……ガーネットはナミに似てるとばかり思ってたから。 進化して、ちょっと性格が変わったんだろうか。 リザードはヒトカゲと比べるとかなり好戦的だから、バトル以外のことには興味がなくなってしまったのかもしれない。 「ガーネットはバトルの方が好きなんだろ?」 「ガーッ」 オレの言葉に頷くガーネット。 やっぱりな…… ヒトカゲだった頃は、あんまりバトルは好きじゃなかったんだ。 旅に出るちょっと前にラッシーとバトルさせようと思って声をかけたんだけど、ナミの後ろに隠れちゃったんだよな。 実力差ってのを肌で感じてたんだろうけど、多分それだけじゃない気がする。 「じゃあ、今度からはたくさんバトルさせてあげるね」 「ガーッ♪」 ナミがニッコリ笑いながら言うと、ガーネットは目をキラキラ輝かせて、本当にうれしそうな顔で何度も何度も首を縦に振ってみせた。 やっぱ、バトルが好きになっちまったワケか。 こりゃラッシーよりも好戦的だな。 ラッシーもバトルは好きだけど、日に何度もやりたがるタイプじゃない。 ラズリーなんか、たぶんバトルは苦手だろうな。 性格が『臆病』だから……まあ、一度もバトルに出してないから、ラズリーの実力を測りきれていない部分があるのは事実だ。 そんなことを考えながら山道を登っていると、雲間から太陽が顔を覗かせ、柔らかな光が差し込んできた。 時間が気になって、リュックの吊り紐につけたポケナビで確かめる。 折りたたまれたポケナビを手に取って開くと、すぐに電源が入って現在時刻(じかん)が隅っこに小さく表示された。 十一時。 頂上まではまだ程遠い。半分を少しすぎたあたりだ。 そこを考えてみると…… 「トパーズちゃんも出てきて♪」 ナミがトパーズを出して景色を楽しんでいることなどには構わず、オレは頭ん中で計算を始めた。 昼食にはまだ早い。 かといって、まともに昼食を作れるような場所も、ここか山頂以外には考えられない。 食べずに歩き続けるのはハッキリ言って辛い。 ていうか無理だし。 お腹に手を当ててみる。 タイミングを計ったように、グルグルと小さな音がして、鈍い感触が手に伝わってきた。 腹、減ったな……知覚してからは、計算なんて不要だった。 「ナミ」 「なあに?」 トパーズを抱き上げたナミが振り向いてくる。 「メシにするか」 「賛成〜♪」 「ガーっ!!」 「クーン……」 賛成大多数で決まり。 多少は行程の遅れも出てくるだろうけど、背に腹は変えられない。大げさすぎかな? ここで昼食なんて、ナミだってちょいと考えれば分かるはずだ。 だから、オレひとりのせいじゃない……なんてね。 ま、ここで昼食と決まれば…… 「ラッシー、ラズリー、出てこい!!」 オレは二つのボールを引っつかんで、頭上に軽く投げ放った!! 一番高いところで口を開き、中からラッシーとラズリーが飛び出してきた。 「ソーっ」 「クーン」 ラッシーもラズリーも「やっと外に出られた。中は退屈だったよ」と言わんばかりに身体を動かす。 やっぱり、外に出してやれば良かったかな……? 窮屈そうに身体を動かすポケモンたちに目を向けてそんなことを思いつつ、調理器具とニビシティで買い足した食料を取り出した。 ハナダシティまでの分だから、量はそんなに多くない。 なるべく日持ちするものを選んで買ったんだ。 保冷パックに入れておいたから、多少は日持ちしなくても問題ない。 数日だけど、中では数時間程度の経過でしかないはず。 タマゴが五個に、ネギが一本の半分。鶏肉が百グラム。それから調味料を少々。 これから作るチャーハンの材料を取り分け、鍋に放り込む。もちろん、ちゃんと調理するよ。 「ねえアカツキ。あたしが手伝えることってある?」 料理ということでワクワクしてるんだろう。ナミはニッコリ笑顔で手伝いを申し出てきたけど、オレはそれを断った。 「ナミは少し休んでろよ。休んでるのがイヤだって言うなら、みんなを頼むよ」 「うん。わかった」 とりあえずこっちは片付いたところで……まな板を取り出し、材料を切り分ける。 オレがチャーハンを作ってる間に事態が進展してればいいなと、少し期待しながら調理に取り掛かった。 「よし、できた!!」 腕によりをかけて作ったチャーハンを皿に盛り付ける。 うーん、いい匂い…… 立ち昇る湯気からにじみ出る香ばしい匂いに、本気で自画自賛したくなる。最高の出来だ。 「おーい、ナミ。できたぞ〜」 「今行くよ〜♪」 ポケモンたちの面倒を見てくれていたナミがやってきた。 「ほらよ」 「わー、ありがとー。おいしそうだね〜」 チャーハンの皿を渡してやると、目をキラキラと輝かせる。 気のせいか、口の端には涎みたいな液体が滲んでるけど、そんなに腹が減ってたんだろうか? オレは料理作ってる間に芳ばしい香りを堪能してたから、食べた気分になったのかもしれない。 「ソーっ、ソーっ」 香ばしい湯気を立てるチャーハンをナミが本当においしそうに食べるのを見て、ラッシーが服の裾を蔓の鞭で引っ張ってきた。 早く食べさせてと、そう言っているんだ。 見てみれば、ラッシーだけじゃなくて、ガーネットやラズリー、トパーズまでもが食事を待っているではないか。 「オッケー。すぐ支度するから待っててくれよ」 好みの味に配合したポケモンフーズをリュックから取り出し、それぞれの皿に取り分けてやった。 目の前に差し出されると、ラッシーたちはこれ以上ないほどうれしそうな顔をして、行儀など無視して、競い合うようにかぶりついた。 「おいおい、そんなに慌てて食って、喉に詰まらせたって知らないぞ。 お代わりはちゃんとあるんだからさ、慌てなくても……って、言うだけヤボか」 オレは食欲旺盛なみんなを見て笑っちゃったよ。 モンスターボールの中にいても、空腹は感じるんだろうな。 ポケモンたちが勢いよくかぶりつくのは程々に、ナミが満面の笑顔で言葉をかけてきた。 「おいしーおーっ」 「そっか。ありがとな」 ナミは頬を膨らませていた。 不満があるんじゃなくて、チャーハンを口いっぱいに放り込んだんだろう。 これで喉に詰まらせなきゃいいけど……なんて、余計な心配をしてしまうほどだ。 ナミもみんなも美味しそうにしてくれてるから、作った甲斐があるってモンだ。 こうやってみんなを喜ばせて腹を満たすついでに料理の腕も磨けるんだから、一石三鳥ってこのことだよな。 さて…… オレはチャーハンを一口頬張った。 ふみゅ……これは美味い!! 自分で言うのもなんだけど、こりゃ美味い。 ご飯は水分が程よく飛んでてパサパサしてるし、タマゴだって適度な弾力性を失ってない。 ネギと塩コショウが混ざり合ってて、独特の風味をかもし出している。 これなら本気で調理師(コック)になれるかも。 もちろん、なるつもりなんてないけど。なれるだけの腕はあるのかもしれない。 一口、また一口と、口に含むたびにチャーハンを掬うスプーンの動きが加速する。 というわけで、オレもナミもみんなも、それぞれの分をあっという間に平らげてしまった。 「ソーっ」 「ガーッ」 もっと食べたい。 ラズリーとトパーズは満足げだけど、ラッシーとガーネットは二人よりも身体が大きいんで、もっと必要としているんだろう。 「オッケー。ちょっと待っててよ」 オレは追加のポケモンフーズをラッシーとガーネットの皿にどばーっ、と放り込んだ。 おかげで残りわずかになっちゃったけど、ハナダシティでナミがジム戦やってる間に作っておけばいいだろう。 レシピもちゃんと頭に入ってるから、作るだけならそんなに難しいことでもない。 「ソーっ!! ソーっ!!」 ラッシーは皿を弾き飛ばさんばかりの勢いでかぶりついた。 食欲旺盛…… ガーネットが脇で呆れたような顔で見てるぞ。 でも、ガーネットも負けじと食べる。手でつかむんじゃなくて、本気で犬食い。 ラッシーは蔓の鞭で一個一個つかんで食べるわけにはいかないから仕方ないとしても、ガーネットのヤツ、本気で行儀もクソもないよな。 ……ま、いっか。 美味しそうに食べてくれるんだから、そんなのはどうでもいい。 行儀なんて人間が勝手に決めたものだし、そんなのをポケモンに適用すること自体がおかしいんだ。 「おいしかったぁ……また作ってね」 「おう、任せとけ」 一粒のご飯も残さずに平らげ、空になった皿を受けとる。 リュックから別の袋を取り出して、使った食器類を手当たり次第に放り込んでいく。 ハナダシティ側の麓にあるポケモンセンターで洗うんだ。 どこかに小川でもあれば、そこで洗うのもいい。 食器類を満載した袋の口をきつく結え、リュックに詰め込む。 もっと考えて入れれば良かったなって思うけど、一応入ったからそれでよし、と。 ポケモンフーズの皿は汚れてないから、そのままリュックに戻そう。 なにしろ固体なんで、小さなカケラはその辺にでも振り落とせばいい。 パラパラと落ちた後には、何事もなかったかのように、使う前と変わらない皿。 と、リュックを背負おうとした時、視線の先にある茂みがガサガサと動いた。 「うん?」 「なあに?」 小さな音だったけど、ナミも聞き逃さなかったらしい。オレと一緒に顔を向ける。 「ソーっ?」 何がいるんだろう……? そう言わんばかりに一声鳴くと、ラッシーは蔓の鞭をゆっくりと茂みに伸ばし―― 「ピッピ〜♪」 甲高い鳴き声が聞こえたかと思うと、茂みからピンクの塊が飛び出してきた。 「ピッピ? なんでこんなとこにいるんだ?」 ポケモンだったりするし。 「ピッピだ〜♪ わあ、珍しい……」 ナミは茂みから飛び出してきたピンクの塊……こと「ようせいポケモン・ピッピ」を見て黄色い悲鳴を上げた。 そう。 滅多に人前には姿を現さないって言われてるピッピが、オレたちの目の前にいるんだ。 しかも、その手には黒光りする、どこかで見たような石が握られていたりする……ってそれ月の石じゃん!! ピッピと月の石って言えば、結構関係が深かったりするんだよな。 ピッピの棲息地にはなぜか月の石がよく落ちてくるから、もしかしたらピッピは宇宙から来たポケモンじゃないかって言われてたり…… もちろん、それはウソだと思うけど。 関連付けたくなってしまうのも仕方ないって、オレはそう思ってるよ。 ピッピは、ボールと見間違うばかりに丸みを帯びた身体が特徴で、とても愛くるしい顔立ちをしてるんだ。 耳の先が黒くなってる以外は、全身が薄いピンク色。 背の高さはオレの膝よりも少し高いくらい。 ピッピがピクシーに進化したら、もう少し背が伸びるけど…… で、なぜかそのピッピの手には、進化を促す月の石。 これって偶然? ……にしてはずいぶんと運がいいってことになるんだけど、ピッピが見ているモノに気がついて、オレはそういった考えを振り払った。 というのも、ピッピの視線の先には、ポケモンフーズが入ったビン。 大方、食事の匂いにつられてノコノコ姿現したってところなんだろうか。 でも、一般的にピッピって臆病な性格をしてて、その上耳もいいから、聞き慣れない物音がしたらすぐにでも逃げ出してしまう。 見る限り、このピッピはぜんぜん臆病じゃない。 むしろ、友好的なくらいだ。 「かっわE〜♪」 なんて、ニコニコ笑顔でナミに頭撫でられても逃げないし。 オイシイ匂いにつられて出てきたトコを見ると、目的はやっぱり…… 「もしかして、これ食いたくてここに来たのか?」 ポケモンフーズのビンを目の前で軽く振ってやると、ピッピは大きく頷いた。 種族的には臆病でも、好奇心は人一倍ってヤツなんだろうな、きっと。 でも、オレの作ったポケモンフーズがピッピをも引きつけちゃう何かを持ってるって解釈すれば、すっごくうれしいような気もするよな。 「しょうがないな……」 リクエストされたからには、応えてやらなくちゃいけない。 たった一人でノコノコやってきたその度胸は賞賛に値すると思うからさ。 オレにその気があれば、たぶん今頃はこのピッピをゲットできてるだろう。 まあ、ナミだったら大げさに騒いでピッピを怯えさせた挙句逃がしちゃうんだろうけど。 ピッピが興味を示した――と思われる――甘いポケモンフーズを皿に盛ってやると、一目散にやってきた。 「ピッピ?」 食べていい? つぶらな瞳でそう訴えかけられたら、そりゃ断れない。 オレは首を縦に振った。 「わ〜、ピッピがポケモンフーズ食べるの、初めて見たよ」 「オレも。ラッシーたちも珍しがってるけど……」 手で一つ一つつまんで口に放り込むなり、ピッピは喜びに満ちた顔を見せてくれた。どうやら、甘い味が好みのようだ。 ラッシーたちポケモン勢は、突然現れて食事を楽しんでいる珍客を呆然と見つめているばかり。 特にガーネットは危害を加えようともしない。 弱いものいじめはしません、ってことなら殊勝な心がけなんだろうけど。 いろいろと楽しめるから、こっちとしても退屈しなくていい。 一つ口に放り込んで、噛み砕いて、飲み込んで…… 一つずつそれを繰り返すものだから、皿のポケモンフーズを空にするには、それはもう思った以上に時間がかかった。 じっくり味わって食べてるって分かる表情だから、オレは何も言わなかった。 普通に食べてたら、もっと早く食えとか、苛立ちながら言うんだろうけど…… ピッピのうれしそうな顔を見てると、そんな気が萎えてくるんだ。 「美味しかったか?」 空になったポケモンフーズの皿を見て、オレは思わず訊ねてしまった。 訊ねなくても、見れば分かるんだけど、それでも訊かずにはいられなかった。やっぱり、気になるからさ。作成者としては。 「ピッピ♪」 改めて首を縦に振ってくれてるのを見ると、やっぱりうれしくなる。 オレの作ったポケモンフーズが見ず知らずのポケモンを喜ばせることができるって……そう思うと、なんだかうれしいな。 ブリーダー冥利に尽きるって言ったら、それまでなんだけどね。 ポケモンフーズを作るのは主にブリーダーだ。大抵はオリジナルレシピを持ってて、市販のポケモンフーズは使わない。 自分で味付けや香りなどを計算して材料を配合し、作り上げたポケモンフーズが受け入れられたんだから、うれしくないわけがない。 これが市販のものだったら、うれしさの度合いとかも、思いきり違ってくるんだろうけどさ。 「ありがとな。オレも、すっごくうれしいよ」 オレはピッピの頭を撫でた。 美味しいって言ってもらえると――態度で示されただけだけど――、満足できるんだ。 「ピッピ♪」 ごちそうさまでした。そう言わんばかりにペコリ頭を下げると、ピッピは足元に置いていた月の石を持って、踵を返した。 腹減ってたから、わざわざ出てきたんだろうな。 そう思うと、やっぱり勇気あるんだな。 「あれ、ゲットしないの?」 「おまえがすれば?」 「うん……でも、今のピッピはかわいそうだからしないの」 「なんだよ、それ……」 無防備にも背中を向けているピッピを見つめながらナミに問い掛けるけど、ナミはもともとゲットするつもりがなかったらしい。 でも、動機が不純だよなぁ……今のはかわいそうだからって…… 昨日はなにやらゲットしたがってたみたいだけど、気が変わったんだろうか? それとも、満腹の相手は動きが鈍いから、フェアな勝負ができないと思ってるんだろうか? オレには分からないけど……まあ、ナミがそういうつもりなら、それでいいさ。 「さて……そろそろ行こうぜ。今日中にはハナダシティ側のポケモンセンターに着いときたいからさ」 「うん」 話は簡単にまとまった。 荷物を手短にまとめて、リュックを背負う。 「ラズリー、ラッシー。戻って」 ラズリーとラッシーを戻そうとモンスターボールを手に取った時だ。 「ピ、ピ、ピッピ〜!!」 さっきのピッピと思しき声が聞こえた。 声っていうより悲鳴だ。 聞こえてきたのは茂みの向こう。 「ナミ……」 「うん!!」 モンスターボールに戻している場合じゃない。 理由はないけど、そんな気がする。 理由も根拠もない直感でも、オレはそっちの方を信じる。 地面を蹴って駆け出し、目指すはピッピが姿を消した茂みの向こう側。 一般的な山道からは外れてるから、そこがどうなっているのかは分からない。 だけど…… オレのポケモンフーズを美味しいって言ってくれたピッピだ。 何かに巻き込まれているのなら、助けてやりたい。 勢いをつけて、茂みを一気に飛び越える!! 視界が変わり、その先には柄の悪い男が二人と、さっきのピッピ。 悲鳴を上げたこともあって、とにかく怯えている。 「ん、なんだ?」 オレたちが乱入してきたことに気づいて、男たちがこちらを向く。 本気で柄が悪い。 背の高い方は脳みそまで筋肉でできてるようなタイプで、暴力でしか物事の解決方法を知らないっていうか探そうともしない人間だって、 鎧のような筋肉とスキンヘッドという見た目が如実に物語ってたりする。 対照的に、背の低い男は物腰穏やかな中にも狂気に満ちたところを漂わせている。 普段は冷静だけど、いざとなれば冷酷なこともできるっていうタイプ。 対照的な組み合わせだ。 「ピ……ピィッ!!」 ピッピは後ろ手(?)に月の石をかばうような格好でオレたちの方に走ってきた。 そのまま通り過ぎる――かと思ったら、オレの後ろに隠れてしまった。 大体、何があったかは想像できるんだけど…… 「やい坊主」 スキンヘッドの男が口を開いてきた。 見つめているのはオレだけど、実際にはオレの後ろに隠れているピッピを見てるんだろう。 「何しに来たかは知らねえが、おとなしくそこのピッピを渡しな。 そいつは俺たちが目星をつけてたんだ。カモがネギ背負ってくるように、ほれ、月の石なんて持ってるだろ? こりゃ一石二鳥で、捕まえりゃ高く売れるって寸法さ……へへへ」 「余計なことは言わなくていいんだ。なんでおまえはこんなに口が軽いんだ、まったく……」 下品な声を上げるスキンヘッドを、背の低い男が手で制する。 すげぇ下品……見てるだけで気持ち悪くなるよ。 オレと同じ考えを持ってるのかもしれない。背の低い男の方は。 「大丈夫だよ、ピッピ。あたしたちがついてるんだから。ね?」 「ピ……?」 絶妙なタイミングで、ナミがオレの後ろでピッピを励ます。 ちゃらんぽらんに見えて、やることはちゃんとやってるんだな。安心したよ。 ナミもナミで、こんな下品な男たちにピッピを渡したくはないんだろう。 口を滑らせてくれた(?)おかげで、ロクでもない目的のためにポケモンを捕まえてるってことも分かったし。 ピッピはなかなか人前に姿を現さないから、言い換えればそれは珍しいポケモンってことだ。 さらに月の石は希少価値が高い。 ポケモンの進化のほかにも、飾ったり転売したりと、人それぞれの使い方ができるんだ。 だから、ピッピと月の石をセットで手に入れたら、それだけで一攫千金も夢じゃない。 大方、この男たちはそれを狙って、この山に張り付いてたんだろう。 で、月の石を持ってるピッピを見つけて、執拗に狙っている……そんなところか。 ピッピが震えているのが、何となく伝わってくる。直接触れてるわけじゃないけど、怯えてるのが雰囲気でビンビン伝わってくるんだ。 執拗に狙われてるってことの証明だろうな。 でも…… 単にお腹が空いてるというだけの理由でオレたちの前に姿を現したのって、なんかおかしいよな。 考えてみればさ、『同じ』人間に追われてるってのに、オレたちをぜんぜん怖がってなかった。 もしかすると、ピッピには人間の性格を読む力があるのかもしれない。 「さ、大人の言うことは素直に聞いておくモンだぜぇ?」 スキンヘッドが凄みを利かせて言い、手を差し出す。 ここで素直にピッピを渡せば、オレたちには危害を加えない……見なかったことにする。 そういうことだろう。 オレたちだって、できるなら余計な揉め事には首を突っ込みたくない。 だけど…… オレは、怖がってるポケモンを見捨てて先に進めるほど無神経でも薄情でもないつもりだ。 多少の戦いがあったとしても、ポケモンを見捨てるような最低なトレーナーやブリーダーにはなりたくない。 だから、 「断る」 オレはピシャリと断った。 その瞬間、小柄な男が眉をかすかに動かした。 凄みを利かせれば、相手が子供なら怖がって大抵言うことを聞く。 まさか断られるとは思ってなかったようで、どこか唖然としてるようにも見えるけど……表情一つ変えていない。 そう来ることを予想していたかのようだ。 とはいえ…… これでこいつらが敵に回っちまったわけだ。 何とかして追い払わないと、ピッピも安心して住み家に戻れないだろう。 追われている身で棲み家に帰ったら、他のピッピたちまで狙われかねない。 このピッピは仲間たちを巻き込まないために、敢えて一人で逃げ回っていたんじゃないだろうか? とても勇気の要る決断だけど……そういったところは素直に尊敬できるよ。 余計に守ってやりたいと思える。 「オレは、あんたたちのように私利私欲でポケモンを金に換えるようなヤツは嫌いだ。 ポケモンは人間の道具じゃない!!」 「そーよそーよ!!」 さり気なく援護するナミ。 その声がいつもとは比べ物にならないくらい大きいのを見ると、ずいぶんとご立腹の様子。 やっぱり、こいつもトレーナーなんだよな……何気にイイ性格してやがる。 「なら、力づくで行かせてもらおう。そうなるとは思っていたからな……」 背の低い男は一歩前に出ると、腰のモンスターボールを手に取った。 トレーナーらしく、ポケモンバトルで勝敗を決しようってことか……望むところだ。 「おまえはそっちの嬢ちゃんの相手をしてやれ」 「おう、任せとけ」 野太い笑みを浮かべ、スキンヘッドもモンスターボールを手に取った。 絶対的な自信……それがどこまでのものか見せてもらいたいところだけど、オレの相手はどうやら背の低い方…… 向けられてる視線からそう悟らざるを得なかった。 こっちの方が、手強そうに見えるけど、果たして…… ともあれ、ここは戦って切り抜けるしかない。 向こうもトレーナーだ、まずはポケモン同士でバトルをさせて、勝ったら自慢のポケモンでピッピを奪いに来るってところだろう。 そうはさせないぜ!! 「ラッシー、行くぞ!!」 「ソーっ!!」 ラッシーは息巻くと、大股でオレの前に歩み出てきた。 一方、ナミはオレから少し離れたところに場所を移して、スキンヘッドとのバトルに入りそうだ。 なるほど、相手からすれば、密集して戦うと同士討ちの危険があると踏んだんだろう。 賢いけど、それが命取りだ。 ナミは並大抵のトレーナーには負けない。 ニビジムのジムリーダーに勝てたんだから。 それだけは自信を持っていいんだぜ、ナミ。 胸中でナミにエールを贈るも、そうそう余裕ぶっていられないのも事実だ。 「いい目をしたフシギソウだ……ならば、俺はこのポケモンで行かせてもらおう」 男はモンスターボールを軽く上に放り投げると、中にいるポケモンの名を呼んだ。 「行け、ニドリーノ!!」 その声に応え、ボールの口を開いてポケモンが飛び出してきた!! 彼を守るように立ちはだかるポケモンは、ラッシーに負けないくらい息巻いていた。後ろ脚で地面を蹴り、闘争心を高めている。 ニドリーノ…… どくばりポケモンのニドリーノは、ニドラン♂の進化形だ。言うまでもなく、オスしか存在しない。 背丈はオレの腰よりも少し高いくらいで、身体つきもかなりいい。 相当鍛え上げられてるかも……ラッシーでも油断はできない相手だな。 全身紫色で、四本足で行動する。 顔とほとんど同じ大きさの耳と、額に生えた鋭い角がニドリーノの特徴だ。 その角は鉱石すら串刺しにすると言われ、角で突き刺したところから毒を注入して相手を弱らせるという戦法も使える。 毒と、攻撃力の高さが脅威となるポケモンだ。 毒タイプを持つラッシーは毒を食らうことがないから、ニドリーノの力押しの攻撃を防ぐことだけを考えればいいだろう。 「そのフシギソウがどれだけ育っているかは知らんが、俺のニドリーノには勝てん。 降参するなら今のうちだぞ?」 「あいにく……戦う前から勝負捨てるようなバカじゃねえんだよ、オレは」 「なるほど」 哀れみをかけてくれているつもりなんだろう。 でも、そんなのに屈するほどオレはバカじゃないつもりだ。 降参したら、トレーナーの名が廃るどころか、オレの心ん中で、じいちゃんの顔に泥を塗るのも同じことなんだ。 オーキド家の一員だっていう自覚は……それなりにあるつもりだからさ。 勝つとか負けるとかって話じゃない。 やりもしないうちに勝てるわけないし、どんな勝負だってやらなくちゃいけない。 「では、行くぞ……ニドリーノ、角で突く!!」 先手は向こう。 ニドリーノは後ろ脚で力強く地面を蹴ると、猛烈な勢いで突進してきた!! 自慢のパワーで一気に決めようって魂胆か。 それなら…… オレは男と同様に目つきを鋭く尖らせているニドリーノを指差し、ラッシーに指示を下した。 「タネマシンガン!!」 ラッシーが口を大きく開き、種のような小さなエネルギーボールを無数に吐き出した!! 威力は小さいけど、手数で勝負。 種族的なパワーはニドリーノに敵わない。ならば、戦い方や手数でそれを補う!! 「効かぬわ!!」 男の一喝が響く。 ばばばばばばっ!! 次々とタネマシンガンが直撃しても、ニドリーノはまったく怯むことも、勢いを衰えることもなく突進を続けてきた!! 草タイプのタネマシンガンは毒タイプのニドリーノに効果が薄いけど、勢いをまったく殺げないとは、予想外だ。 それだけ鍛えられているってことだな。 それなら…… 「痺れ粉!!」 「遅いッ!!」 再び指示を下そうとしたその瞬間だった。 ニドリーノが自慢の角をラッシーに突き刺してきたんだ!! 直撃は免れたけど、大きく吹き飛ばされ、地面を転がるラッシー。 「ラッシー、しっかりするんだ!!」 ダメージはそれなりに大きいみたいだけど、大丈夫。 今のラッシーなら……体力を回復させながら戦う手段がある。多少のダメージなら受けたところで取り戻せるんだ。 何メートルか地面を転がったところで、ラッシーはゆっくりと立ち上がった。 背中の花が重くて、思うように動けないのがラッシーの弱点だけど、それを補う手段はある。遅れは取らないはずだ。 しかし……このニドリーノ、パワーもスピードもかなりのもの。 小細工などなしで、パワーでガンガン攻めてくるタイプだ。 まあ、オレとしては小細工で時間を無駄にしてくれる方がやりやすいんだけど、そうも言っていられない。 この勝負は、オレの後ろで怯え、震えているピッピの命運がかかってるんだ。 何があったって、負けるわけにはいかない!! 「今の一撃に耐えるとは……なかなかよく育てられている。だが、いつまで保つかな?」 男は小さく笑うと、手を振り上げた。 気取ったポーズか、それとも指示か……オレにはどうでもいいことだけど。 「ニドリーノ、影分身」 「!?」 意表を突いた技の名前に、オレは一瞬息を呑んだ。 影分身で来るか……!! 奥歯を噛みしめるオレの目の前で、ニドリーノは一体、また一体とその数を増していく。 影分身……呼び名どおりの効果を持つ技で、自分の分身をいくつも生み出して相手を惑わす。 もっとも、分身には攻撃能力がないから、ミもフタもない言い方をすれば、単純に目くらまし……案山子とも言う。 だけど、どれがホンモノか見分ける手段がなければ、それは脅威となる。ニセモノに紛れてホンモノが攻撃を仕掛けてくるんだ。 ホンモノ目がけて攻撃したつもりが、ニセモノを撃破して隙を作ったり、ということも考えられる。 薄日も差してこないこんな場所なら、なおさら見分けはつかない。 なるほど、こっちの攻撃手段を限定し、ニセモノを攻撃しているうちにホンモノが渾身の力を込めてラッシーを倒しにかかる。 ……確かに悪くない戦法だ。 「さて、どれがホンモノか、分かるかな? 言うまでもないが、俺の目の前にいるニドリーノはニセモノだ……」 男はそう言って、目の前にいるニドリーノの耳に触れた。音もなく、そのニドリーノが消え失せた。 ニセモノか……少しでも衝撃を受けると消えてしまうのが影分身によって生み出された分身だ。 ホンモノを含め、オレの前にいるニドリーノは十体。 当てずっぽうに攻撃しても、ホンモノにヒットする確率はちょうど一割か……結構絶望的とも思える確率だけど…… 「ニドリーノの突撃を防げるかな? 行け!!」 挑発するように言うと、男はニドリーノに指示を下した。 わずかにタイミングをずらしながら、一体、また一体とニドリーノがラッシー目がけて突進してくる!! 波状攻撃……!? 一体の突撃を運良く避わしても、次から次へとやってくる……!! なるほど、こういう使い方もあるのか、影分身には。 男の技の使い方には勉強させられる部分もあるけど、それはそれ、これはこれだ。 今はニドリーノを倒すことだけを考えなきゃ。 チラリと横目でナミの戦況を覗き見ると、かなりいいペースでバトルを進めているようだ。なら、問題はこっちだけってことさ!! 「ラッシー、日本晴れ!!」 必殺のコンボをここで出して、一気に決めてやる!! ラッシーは木々と生い茂る木の葉に遮られた空を仰いだ。 「余裕のつもりか!? ならば、後悔しろ!!」 ニドリーノを育てなれている割には、結構深読みしないんだな。 ま、それなら好都合。 ニドリーノの一体目がラッシーにタックルを食らわすか食らわさないかという微妙なタイミングで、突然周囲に陽の光が差し込んできた!! 「なにっ!?」 柔らかく暖かな日差しに、男は初めて動揺を見せた。 というのも……ニドリーノの姿が、降り注ぐ日差しによって透けて見えたからだ。 一体目はニセモノ。ラッシーに触れたかと思えば、何事もなかったかのように、消え去る。 唯一透けて見えないニドリーノは、最後から二番手か三番手あたりに陣取っている。 なるほど、いきなり突撃しないで、最後の方で油断したのを狙って攻めてくるという方法。 悪くないけど、影分身を破る方法を知ってるオレにはほとんど役には立たないぜ!! ……シゲル、おまえに教えてもらったこと、ここで役に立つなんて思ってなかったよ。サンキュ。 オレは胸中でシゲルに感謝した。 影分身を陽光で透かす……ジョウトリーグを終えて、旅立つ直前にシゲルがオレに教えてくれたんだ。 そんなに真剣には聞き止めてなかったけど、不意に思い出した。 その時、シゲルは言ってたんだ。 「僕は当分トレーナーを休むことになるだろうから……忘れてしまうかもしれない。 だけど、君はこれから旅立って最強のトレーナーになるんだろう? だったら、君に覚えててもらいたいんだよ。 まあ、それを使うか使わないかは君次第だけどね」 相も変わらず挑発するように生意気な口調で言ってたけど、シゲルはシゲルなりにオレにエールを贈ってくれてたんだ。 今になってそのありがたみが分かるなんて、シゲルって結構あざとい性格してるんだなって…… さて、バトル続行だ。 ホンモノのニドリーノが分かったところで、 「ソーラービーム!! 狙いは透けてないニドリーノだ!!」 「吹雪!!」 オレの指示と男の指示は見事に重なった。 ラッシーが一瞬で光を集め、口から強烈なソーラービームを発射!! 対するニドリーノは、口から吹雪を吐き出す!! 吹雪を覚えてるなんて、驚いた。 飛行タイプやドラゴンタイプを倒すことを想定してたんだろうけど、草タイプであるラッシーには、氷タイプの技は効果抜群なんだ。 氷タイプの最強威力を誇る技だけど、その分体力の消費は大きい。 でも、吹雪まで覚えさせてたなんて…… ソーラービームは吹雪をあっさり貫いてニドリーノを直撃!! 吹雪は半分ほどがソーラービームで蒸発したけど、残った半分がラッシーを襲う!! 「そ、ソーッ……!!」 「踏ん張れ!!」 本家ではないだけに、威力こそそれほど高くないみたいだけど、弱点の攻撃を受ければ話は別だ。 運が悪ければそれだけで戦闘不能になる可能性もある。 ラッシーは突然襲い掛かった寒さに震えていた。 ……草木は冬場じゃ生きていけない。それと同じで、草タイプのポケモンは氷タイプの技が苦手なんだ。 だけど……今なら!! 「ラッシー、光合成で体力を回復するんだ!!」 ラッシーはピンと背筋(?)を伸ばすと、降り注ぐ陽光を存分に浴びた。 草タイプのポケモンが得意とする光合成。 本当のところは酸素を生み出すための行為なんだけど、ポケモンが使えば体力回復の役割へと変わる。 日差しが強い状態で使えば、体力を大幅に回復できる。弱点の炎攻撃がなければ、大きな後ろ盾になる。 どんっ!! ソーラービームの直撃を受け、ニドリーノは大きく吹き飛ばされると、男の目の前で止まった。倒れたままピクリとも動かない。 毒タイプのニドリーノでも、ソーラービームによるダメージは大きいようだ。 気にしてなかったとはいえ、タネマシンガンでもそれなりにダメージを受けてたんだろう。 「俺の負けだ」 男は小さく漏らすと、ニドリーノの具合を確かめることもなくモンスターボールに戻した。 潔いというか、何と言うか…… 無駄な戦いを避けるっていう分別(?)のあるところは、オレとしてもありがたいところなんだけども…… 「俺も男だ。二言はない。そのピッピはあきらめよう」 悟りきったような表情で言うと、男はふっと息を漏らした。 素直にそれを信じていいものか……疑いは捨て切れなかったけど、バトルを通じてなんとなく分かったような気がするよ、この男の人となり。 とりあえずは信じるか。 向こうのポケモンは戦闘不能。対してラッシーは光合成で体力を回復していて、 ニドリーノの角で突く攻撃で受けたダメージもほとんど残っていない。 男はもう一人の方に身体を向けた。 オレも、つられるようにそちらを見ると、ちょうど決着がついたところだった。 「な、なにィッ!?」 どんっ。 スキンヘッドが引きつった表情で悲鳴を上げるのと、彼のポケモンが目の前で倒れたのは同時だった。 黒コゲになった倒れたラッタはどう見ても戦闘不能。ガーネットの火炎放射がクリーンヒットしたようだ。 「よーし、あたしの勝ちぃっ♪」 ナミは勝利を確信しているのか、何気にガッツポーズまで見せ付けてるし。 まあ、オレが見てもナミの勝ちは疑いようもないんだけども。 「お、俺がこんなガキに負けるだとぉっ!? 有り得ん!! 有り得んぞっ!!」 スキンヘッドは憤怒に顔を真っ赤に染めると、戦闘不能となったポケモンを戻すこともせず、 次のポケモンを出そうと腰のモンスターボールを引っつかむ!! ガーネットはそれなりに疲れているようで、肩で息をしてる。 ラッシーのように回復技を持ってるワケじゃないから、一度失った体力をバトルの中で取り戻すのは容易ではないんだ。 それを見越した上で、男は次のポケモンを使ってガーネットを倒す気か!! ポケモントレーナーとしては見過ごせない行為。 オレはラッシーに蔓の鞭を指示しようと口を開きかけ―― 「やめろ、見苦しいぞ」 機先を制するように辺りに響いたのは、男の声だった。 「な……」 止められるとは思っていなかったのか、スキンヘッドは顔を真っ赤に染めたままで動きを止めた。 相棒に顔を向けるが、返ってきたのは冷たい視線。 「負けは負けだ。男に二言はない……帰るぞ」 ぶっきらぼうに言うなり、男はルール違反をしようとした相棒(?)に背を向け、歩き出した。 「ま、待ってくれよ兄貴!!」 倒れたポケモンをモンスターボールに戻すと、みっともない声――悲鳴にすら聞こえた――をあげて、相棒の後を追う。 振り返ることも、負け惜しみを言うこともなかった。 程なく二人の姿は茂みの向こうへと消える。 それからどれくらいの時間が経ったんだろう。 「ピィィィィッ!!」 後ろに隠れて怯えていたピッピが、大声で泣きながらオレの胸に飛び込んできた。 月の石はその場に置いて。 オレはピッピをちゃんと受け止めたよ。突き放すなんて、できるわけないじゃないか。 「大丈夫。もう大丈夫だから……」 激しく泣きじゃくるピッピの頭を撫で、慰める。 今のバトルも、ビクビクしながら見てたんだろう。 オレとナミが負けたら、あの二人に捕らわれて、どこの馬の骨とも知らない人に売られてしまうところだったんだ。 でも、もう大丈夫だ。 スキンヘッドはともかく、オレが戦った方は、柄は悪いけど人間性はまだまともな方だ。 信じても大丈夫なはず。 下手に疑ってばかりいたら、何も進まないんだからさ。 オレは信じるよ。 一応、信じるのがオレのモットーなワケだし。 「よかったね、ピッピ」 ナミはガーネットとトパーズを連れて歩いてくると、笑顔でピッピの頭を撫でてやった。 「ナミ、サンキュ」 「うん♪」 握り拳に親指を立て、ナミは頷いた。 「ピィィィィィッ……」 ピッピはオレの胸にしがみついたまま、一向に泣き止まない。 とても怖い思いをしたんだろうな……かわいそうに。 どうして、ポケモンをこんなに怯えさせてしまうんだろう。 人間とポケモンは時に助け合い、またある時は反目しながらも、同じ地球で生きてきたんだ。 もちろん、人間にはいろんなタイプがいる。 オレやナミや……親父のように。 中にはどーでもいいようなこと、ロクでもないことを考えてるヤツもいる。 個性が溢れてる世界に生きているなら、そういうこともあるんだろうな。 でも…… さっきも言ったとおり、ポケモンは人間と一緒に生きてきたんだよ。道具なんかじゃない。 仲間だったり、友達だったり、家族だったり……少なくとも、道具なんて冷たい言葉で、対等以下の表現をされるような間柄じゃないはずだ。 「おいおい、そろそろ戻ってやれよ。おまえの帰り、みんな待ってるはずだぜ?」 「ピィ……?」 オレの言葉にピッピは顔を上げ、涙でくしゃくしゃになった表情を向けてきた。 「ピィっ!! ピィっ!!」 泣き顔とは思えないような声を上げて、ピッピは首を横に振ったんだ。 ……あれ、もしかして、戻る気なし? 「あれ、ピッピは家に帰りたくないのかな?」 「……かもな」 ナミの言葉、当たってるかもしんない。 ピッピの真意を確かめるべく、オレは疑問を声に出した。 「もしかしてさ、オレたちと一緒に行きたいのか?」 「ピィっ!!」 「やっぱり……」 なんてことはない。 ピッピは仲間の元に戻るより、オレたちと一緒に行きたいと思ってたんだ。 助けてくれたってことを感謝してるだけとは思えないな…… どんな理由があっても、オレたちと一緒に行きたいと思ってくれてることはうれしいよ。 でも…… 「本当にいいのか? オレたちと一緒に行ったら、当分はここに戻って来れないんだぞ?」 お月見山を越えてハナダシティに行けば、次は進路を南に取る。 まずお月見山には戻らない。 ピッピと月の石くらいしか見所がないし、オレにとってはあんまり価値のある山じゃないからさ。 戻ってくるつもりはないよ。 それでもピッピがついて来たいと思うなら……その時は…… 頭の中で考えを明確にまとめた時だった。 「ピッ!!」 ピッピは迷う素振りすら見せず、首を縦に振った。 「そっか……」 オレが心配するようなことでもなかったんだな……きっと。 「なら、オレたちは仲間だ。よろしくな」 その瞬間。ピッピの表情が太陽みたく明るくなった。 オレたちと一緒に行けるって、うれしいのかもしれない。 「それじゃ……」 オレはピッピを地面に下ろした。 「ソーっ」 「ブイっ」 ラッシーとラズリーが歩み寄ってくると、ピッピはうれしそうな顔で応じたんだ。 ラッシーもラズリーも、新しい仲間ができたっていうことがうれしいんだろう。 ラズリーのいわゆる『対人・対ポケ恐怖症(笑)』も、少しはマシになってきたってことか。 ピッピの放つ明るい雰囲気に触発されたように、笑顔を振りまいている。 仲間だって認められたら、心の垣根を簡単に取り払えるものなんだろうな…… 「じゃ、次は……」 腰を下ろし、ピッピにより近い視点に立つ。 「君の名前、考えたんだけどさ」 ラッシーやラズリーと同じように、ニックネームで呼ぶことにしたんだ。 ピッピっていう響きも好きなんだけど、やっぱり一緒に旅する仲間なんだ。 オリジナリティとパンチの利いたニックネームで呼んでやるのが、トレーナーとしての一番の愛情表現なんじゃないかって、そう思うんだ。 人それぞれの考え方とか愛情表現の仕方とかってのもあるだろうから、 一概にそれが一番だとは言えないかもしれないけど、オレの中では一番なんだよ。 「リッピー……ってのはどう?」 「ピピィッ!!」 「なんか不思議な響きだね」 「な? イケるだろ?」 ピッピとナミが歓迎ムードなんで、このまま一気に押し切った。 反対意見も出なかったんで――なにせ当人がうれしそうにしてるから、反対意見なんて出ようはずもないんだろうけど…… 「よし、決まりだ」 オレはうれしそうにしているピッピの頭を撫で、名前を呼んだ。 「リッピー。よろしくな」 「ピッピ〜♪」 ピッピ――リッピーは輝く笑顔を振りまきながら、これはもう本当にうれしそうな顔でぴょんぴょんと飛び跳ねた。 それからというもの、山越えはとても順調に進んで、夕暮れを迎える頃、 オレたちはハナダシティ側の麓にあるポケモンセンターにたどり着くことができた。 早速部屋を取って、夕飯を摂った。 山道を何時間も歩き続けてたこともあって、オレもナミもみんなも、かぶりつくような勢いで、結構な量を食べたんだ。 あまりトレーナーが宿泊してないこともあって、オレとナミは別々に部屋を取った。 たまにはオレも一人で……っていうか、自分のポケモンだけと気兼ねなく過ごしてみたいと思ったからさ。 別にナミのことが嫌いとか、トラブルメーカーを遠ざけたとか、そういうわけじゃないぞ。 まあ、後者はまったくないとは言わないけどさ…… オレにはオレの、ナミにはナミの時間ってモノがある。 それぞれの過ごし方をしたっていい……いや、そうすべきだと思うんだ。 オレと一緒にいることで、ナミは『自分のポケモンだけと共に過ごす』ってことを忘れてしまうかもしれない。 そうなったら、トレーナーとしてどんどん悪い方向に進んでいってしまうかもしれない。 まあ、オレだって、本気でそこまで考えてるワケじゃないよ。 現に、ナミは部屋を分けるって聞いた時には不満そうに頬を膨らませてた。 傍らのガーネットも、どこか非難めいた目をオレに向けてきてた。 進化しても、ポケモンはトレーナーに似るんだって……前言撤回だって思った。 それでも、オレはちゃんと主張を通した。 一応は納得してもらえたけど、どこか不満が残ってるげな顔だったな。 嫌われたって……それでも物の道理ってのは曲げたくないんだよ。 ナミの為になるって思えるなら、嫌われたっていい。 悪人になったっていい。 オレ個人のワガママかもしれないけど、それでも。 「ピ?」 窓際のイスに深く腰を下ろし、窓の外に目を向けているオレに声をかけてきたのはリッピーだった。 「ん? どうしたんだ、リッピー?」 「ピピッ」 リッピーは月明かりだけが差し込む部屋の中にいても、太陽のように明るい笑顔を浮かべてた。 ラッシーもラズリーも疲れてベッドの上で横になってるっていうのに、リッピーはとにかく元気だ。 ピッピはフシギソウやイーブイと比べると、なぜかタフなんだって、じいちゃんが言ってたっけ。 一般的にポケモンの体力ってのは身体の大きさに比例するものだけど、もちろんそれがすべてだってワケじゃない。 理由は分からないけど、リッピーがラッシーやラズリーと比べると体力面で優れてるってことだけは確かだ。 これをバトルで活かさない手はない。 ラッシーはやんちゃな性格で、ラズリーは臆病で…… リッピーはさしずめ陽気ってところなんだろうな。 仲間に加わってからポケモンセンターまでの道中、とにかく元気だった。 ナミとタメ張れるくらいさ。 ムードメーカーって役どころが一番似合うのかもしれない。 ラッシーやラズリーが寝てるからってんで、オレは部屋の明かりを消した。 外からは月明かりしか入ってこないけど、それでも本を読めるくらいだ。 あいにくと、今は本を読みたい気分じゃないから、唯一持ち出してきた本『ブリーダーズ・バイブル』は窓辺に置いてある。 お月見山が月の光に照らされて、浩々と輝いているように見える。 その景色がとてもキレイで、オレは考え事をしながらずっと見ていたんだ。 リッピーだって、ちょっと前まではラッシーたちと同じように横になってたんだけど…… 起きて、すぐ傍まで来てたことにも気づかなかったなんて、オレも、結構深く考え込んでたんだなって、そう思ったよ。 「ほら、おいで」 オレはリッピーの身体を抱えると、膝の上に乗せた。 オレの傍に来れることがうれしいのか、リッピーの笑みが深まる。 「見てごらん。とてもキレイな景色だろ?」 「ピっ」 リッピーは窓の外に目を向けた。 月明かりに照らされたお月見山。 恐らくは、リッピーが生まれ育った場所。 オレと一緒に行くと決めた場所……たぶん、リッピーにとっては今までのすべてが詰まってる場所なんだろうな。 だから、どこか懐かしむような、それでいて淋しそうな顔を向けている。 あの時は意気込んでたけど、ちょっとだけ未練が残ってるのかもしれない。 それを悪く言う気はない。 未練だってあっていい。 それだけ執着して、深く思っているはずだから。 ただ、それをいつまでも引きずっていてほしくないと思っているよ。 「大丈夫。いつかはちゃんと訪れるよ。 オレは、君やみんなと一緒にいろんな場所をめぐるんだ。 今まで見たこともないような景色だって、いっぱい見ていくことになる。 だから、明日のことを考えよう? 楽しいばかりじゃないかもしれないけど、精一杯楽しもうと思わなくちゃ。な?」 「ピっ」 リッピーは小さく頷いてくれた。 オレの言いたいこと、ちゃんと伝わってるみたいだ。 なら……これ以上は言わない。 「大丈夫。ラッシーもラズリーもいいやつだからさ。きっとすぐに仲良くなれるよ。心配なんてしなくていいさ」 言い終え、改めて窓の外に広がる景色を見やる。 満天の星空の下、月明かりを受けて煌めく山はとても美しかった。 To Be Continued…