カントー編Vol.08 変わらないもの 道の先にポケモンセンターが見えてきた。 ハナダシティを発って二日目。ヤマブキシティまで、残り半分の距離を切ったところだった。 「あ、ポケモンセンターだ!! ねえねえ、今日はあそこで休んでいかない?」 「そうね。シャワー浴びたいし」 ナミの言葉に、カスミは一も二もなく頷いた。 やっぱり、女の子は野宿があんまり好きじゃないんだな。 ……って、カスミはサトシたちと旅してた時は毎晩ポケモンセンターに泊まってたのか? なんて思ってしまうけれど…… そういう理由か。 カスミもナミも……もちろんオレもだけど、昨日の晩はカスミの水ポケモンの水鉄砲(もちろん手加減してる)でシャワーがてら 水浴びをして身体を洗ったわけだけど、当然文句を言える筋合いなんてないんだよな。 水鉄砲とシャワーじゃ、水温と勢い以外に違うモノがあるっていうんだろうか? ちょっと冷たい滝に打たれたような感じだけど、こういうのもアリだなって、オレは思ったんだよ。 気分的には悪くないけど、さすがに身体にはあんまりよさそうじゃない。 程よい温かさのシャワーがいいっていう意見にはオレも賛成だ。 だけど、せめて表面上はもっと『らしい』理由の方がいいじゃないかと、そう思うのは果たしてオレだけだろうか? しかし…… ヤマブキシティはまだ見えない。 道がただただ続くばかりだ。 道路の両脇に延々と植えられている木がジャマして、先がよく見えないってのも原因なんだろうな。 普通に行けば、ヤマブキシティにたどり着くのは明日ってところ。 多少無理をしても、たどり着く日付は変わらないんだろうな。 だったら無理はせず、今日はポケモンセンターで休むってのもアリか。 「ねえ、アカツキはどうする?」 話を振ってくるナミ。 多数決じゃ勝ってても、オレの意見が気になるってところか? なんとなくそんな気がするんだ。 横目で見つめてくるカスミも、どこか浮付かない表情でそれを物語っている。 多数決で負けてるっていうんなら、抵抗したところで無駄だろう。オレはそもそも賛成してるわけだし。表面上では見せてないけど。 「シャワー浴びたいとかっていう理由じゃないけど、賛成だ」 「わ〜い♪ それじゃ、今日はあそこで休んでこうね♪」 賛成意見を出すと、ナミはぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを表した。 ポケモンセンターでシャワーを浴びれるってことが、そんなにうれしいんだろうか。 一瞬、本気で疑いたくなったけど…… 「あんたも大変だね」 「なに言ってんだよ……」 カスミが耳打ちしてくるも、本気で勘違いしてるようだ。 オレは多数決で負けてるから、余計なトラブルを呼び込まないように賛成に回ったってワケじゃない。 どーゆーわけか、カスミはそう思ってるようだ。 オレがナミに引っ張られてるカワイソウな男の子だって思ってるのか、もしかして…… なんて不吉すぎる予感が芽生えるけど、そんなことはないだろうと無理矢理打ち払った。 いくらなんでも惨めすぎるだろ、それは。 「どうせこのまま強行軍続けたって、ヤマブキシティに着くのは明日だ。 だったら、無理なんてせずに休んでいった方がいいに決まってるだろ」 「そりゃそうね。どうせそんなことだと思ってた」 「あのなあ……」 いけしゃあしゃあと返してくるカスミに、オレはそれ以上何も言えなかった。 ああ言えばこう言うってヤツで、何を言ったって無駄だって思ったからさ。 カスミのことだ、わざとあんなこと言ったに違いない。 同い年とはいえ、さすがにジムリーダーやってるだけのことはある。本気で煮ても焼いても食えそうにない。 「だったらなんで変なこと言ったんだよ」 黙ってるのも辛いから、一応訊いてみた。 ナミはいつまでもトランポリンのように飛び跳ねてる。 それでちゃんとオレたちと同じ方向に向かってるんだから、すごいっていうか何ていうか……たぶん褒められません。 「なんで、って……そりゃ、面白そうだったから」 「あ、そう」 遊び半分かよヲイ。 傍迷惑な話だけど、これ以上言葉を返してややこしいことになるのは本意じゃない。 からかわれていたと思うと悔しいけど、ここは退いておいてやろう。 「明日になれば、ヤマブキジムに挑戦するんでしょ?」 「ああ……どんなジムリーダーか、カスミは知ってるんだろ?」 「もちろん。ジムリーダーの会合とか、あたしはちゃんと参加してるから」 「どんなタイプのポケモン使ってくるかってのも、当然知ってるんだよな」 「もちろん。どこのジムがどのタイプのポケモン使ってるか、知ってなくちゃ。最低限のたしなみよ」 得意気に鼻を鳴らすカスミ。 たしなみ、ねえ…… そーか。そう来ますか…… だったら…… 「どんなタイプのポケモン使ってくるんだ?」 「教えな〜い」 「やっぱりな」 ダメ元で訊いてみたけど、当然突っぱねられた。 ジムリーダーが、他のジムリーダーの使うポケモンのことを口にするなんて、ジムリーダーの会合とやら以外の場所ではタブーだろう。 それくらい、オレだって分かってる。 「あんた、あたしが教えないって言うの分かってて訊いてない?」 カスミの顔から笑みが消えた。どこか拗ねたような眼差しを向けてくる。 「分かってる、って言ったら?」 「どうしてそんなことするの、って訊くわよ」 カスミも気付いたらしい。 不満げに頬を膨らませ、不機嫌そうに言う。 そりゃ不機嫌にもなるだろうな。 だけど…… 「どういう反応するのか、試してみようかと思って」 「…………あんた、根に持ってたのね、さっきの」 「持ってないよ。ただ、同じことしてやったらどうなるかなって、そう思って」 「それを『根に持ってる』って言うのよ……!!」 言葉に怒気など込めながらも、その目は微妙に笑っているように見える。 やったことをやり返されて、笑いたい気分なのかもしれない、本当は。 まあ、どうでもいいけど。 「サトシと旅してて、そういうことなかったのか? ま、あいつはオレほど物事考えて行動するタイプじゃないけどな」 「そりゃそうね」 カスミは笑みを漏らした。 一応幼なじみだから、サトシが直球一本槍なタイプだってことくらいは分かる。 一度燃え出したら周囲のことなどお構いなしで、ただ前に突っ走っていくっていう、熱血な性格。 あんまりに熱くなられると、オレとしても迷惑だから、マサラタウンにいた頃はあんまり構ってこなかったんだけどな。 何事にも熱血な性格が幸いしたんだろう、サトシはトレーナーとして大きく成長したんだ。 オレだって負けてはいられないところなんだけどな。 「あんたもどこか似たところあるけどね」 「あるんだ……っていうか、あんのか!?」 カスミの言葉に相槌を打ちつつ――はたと気づいて、オレは素っ頓狂な声を上げた。 ……ってヲイ、オレのどこがサトシに似てんだよ!? 食いいるような視線を『説明しろ』と受け取ってか、カスミは大仰に肩などすくめながら言葉を返してきた。 そうやってムキになるから、似てるって余計思えんのよ……と物語りながら。 「あるのよ。一度決めたことを絶対に曲げないってところとか……ね♪」 「けっ……」 ごくごく当たり前なところを突かれたものだから、本気で返す言葉がなかった。 舌打ちするしかない。 「でも、あたしとしてはね……」 手を顔の高さに持ってきて、人差し指を立てる。 「あんたの方が好みかな」 「はあ? 何言ってんだよ」 「冗談よ。本気にしちゃダメよ」 「しねえよ!! 誰がするか!!」 「んふふ、照れてる照れてる……」 「いい加減にしろよ。オレ、先に行くからな」 かっと全身が――特に顔が熱くなって、オレは半ばヤケで言うと、歩幅を広く歩き出した。 カスミのヤツ、本気で何考えてんだか…… ジムリーダーやってるだけあって、何言い出すか分かったモンじゃない。 オレのこと、年下だとでも思ってんのか? 言っとくが同い年だぞ、一応。 「あれれ、アカツキどうしたの?」 オレが一人先に行ってしまうものだから、何かあったと思ったんだろう。 背後でナミがカスミに問い掛けていた。 オレはそんなの気にせずに歩を進めて―― 「照れてんのよ。 本気で言ったわけじゃないのに……かわいいところ、あるんだから。 ぶっきらぼうに見えて……まあ、サトシよりは鈍くないわね」 「え、なにが?」 笑みを交えて言うが、ナミは何がなんだか分からないといった様子で、口元に人差し指を当てて、首を傾げてしまった。 その様子を見て、カスミは深々とため息を漏らす。 「あー、そういえば……サトシと同じくらいあんたも鈍いってこと、忘れてたわ」 当然、オレがカスミたちのそんなやり取りを聞いていたかと言えば、答えはノーに決まっていた。 ポケモンセンターの自動ドアをくぐると、ジョーイさんが忙しそうな顔をしてカウンターの奥で右往左往していた。 一体何があったんだ……? ジョーイさんといえば、いつもニコニコ笑顔のはずだ。今まで訪れたポケモンセンターでは必ず笑みを向けられた。 クローンのごとく一族の女性が酷似しているからと言っても、やっぱり別人なんだろう。 こういうジョーイさんもいたって当たり前……なんだけどさ。なんか違うんだよな。 どのジョーイさんも同じような顔をしてるから、どこへ行っても同じ顔に会える……自然と気持ちが落ち着くんだ。 でも、ここのジョーイさんは、オレが入ってきたことにも気づいてないようで、 ああでもない、こうでもないと言いながらカウンター内を往復しているばかりだ。 仕方がないからカウンターの傍まで歩いていったところで、ようやく顔を向けてくれた。 でも、笑顔はそこになかった。 不安と焦りが色濃く滲んだその表情は、いつもの笑顔からは想像もできなかったよ。 額ににじむ大粒の汗が、心理的に平静を保っていないであろうことを容易にうかがわせる。 「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」 「あ、そうですけど……」 どことなく元気のない声に、オレは思わず弱々しく返してしまった。 ここで声を大きく言ったら、卒倒してしまいそうな……疲れも見えるんだ。 「分かりました……」 汗を拭うこともせず、傍のパソコンのキーボードを叩く。 「お一人様で……よろしいですか?」 「連れが二人来ますけど……部屋は別々でお願いします」 「かしこまり……まし……た」 言い終えるが早いか、ジョーイさんはふっと目を閉じると、そのまま倒れてしまった。 ……って、いきなりなんなんだ!? 「あ、ジョーイさん……!!」 糸が切れたような人形のように、カウンターの中で倒れるジョーイさん。 オレは慌てて脇を通ってカウンターの中に入り、ジョーイさんの傍に膝を突いた。 そっと額に手を当ててみる。 「熱いな……風邪か?」 風邪をこじらせて、低下する体温を平熱まで上昇させようと、身体が過剰に熱を発してしまっているのかもしれない。 あー、なんでこういう時にだけどうでもいい知識が出てくるんだか。 それはともかく、このポケモンセンターにラッキーはいないのか……? カウンターの奥にある部屋を覗いてみるけど、ポケモンセンターの看護士の姿はなかった。 それほど広くもないポケモンセンターだけど、ジョーイさんの倒れる音が気になって、見に来るのが普通だ。 それがないということは、ラッキーがいないってことか。 ラッキーがいないとなると……ここはオレが何とかするしかない。 ナミとカスミの二人とはずいぶんと距離が開いているから、ここにたどり着くのに今しばらく時間がかかるだろう。 それまで待っているっていう余裕もない。 仕方ない。 オレはリュックを置くと、中からウェットティッシュを取り出して、ジョーイさんの額に宛がった。 とりあえずの処置としてはこれくらいにして……失礼を承知で、奥の部屋へ足を踏み入れる。 医薬品が並んでいる棚を片っ端から調べる。 何か使えそうなものはないかと思ったんだけど、こういう時に限って、ぜんぜん見つからない。 「いくらポケモンのための施設だからって、人間に使えるような薬も置いとけよ」 思わず愚痴りそうになるけど、喉元まで出かけた言葉を飲み下した。 この部屋にあるのは、ポケモンの医薬品ばかりだ。 じいちゃんの手伝いで、身体を壊したポケモンの看病とかやったことあるから、棚に並んでいるのがポケモンに対して使う薬だってことくらいは分かる。 ついでに言うなら、人間用とポケモン用に区別することもできる。 でも、棚や引き出しを調べても、人間用の風邪薬は見つからなかった。 ガーゼや氷嚢はあるけど、根本的な治療ができるっていうものじゃない。オレのリュックに入ってるのはポケモン用の薬ばかりで、人間用のはない。 これは本気でヤバイかも…… 部屋中ひっくり返しても、本気で見つからなかった。 こうなったら、別のポケモンセンターに電話して、助けてもらおうか……そんな考えが頭によぎった時。 「やっと着いたぁ〜」 間延びした声が聞こえてきた。 ナミとカスミが着いた……!? 使えそうなもののない部屋から飛び出す。 「あれ、アカツキ。どうしてそんなところにいるの?」 ナミはオレの胸中など知らないと言わんばかりに、ニコニコ笑顔で訊いてきた。 妙に神経を逆撫でされるような気もするけど、気にしちゃいられない。 「ナミ、カスミ!! ジョーイさんが大変なことになってるから手伝ってくれ!!」 「え?」 「分かったわ!!」 有無を言わさぬ雰囲気だと言うことを悟ったらしく、呆然としているナミをよそに、カスミが急いでカウンターの中にやってきた。 「ジョーイさん……」 「カスミ。 奥の部屋に氷嚢があるから、水入れておまえのポケモンの冷凍ビームで凍らせてくれ。 あと、ナミと一緒に適当な部屋に運んでベッドに寝かせてやってくれ」 「分かったわ。あんたはどうするの?」 「この近くにチーゴの実が生ってるはずだから、探しに行く。 薬がないから、木の実をすり潰して飲ませる。それが一番だろ」 「オッケー。なるべく早く戻ってきてね」 「ああ!!」 リュックを背負い、オレはカウンターを飛び越えると、駆け足でロビーを後にした。 入り口で、何をすればいいのか分からずオロオロしているナミとすれ違いざまに、 「ナミ。カスミの手伝いを頼む!!」 「あ、うん!!」 半分怒鳴りながらポケモンセンターを飛び出す。 オレの勘に間違いがなければ……ポケモンセンターの周辺に、火傷や熱に効果があるチーゴの実が生っている木があるはずなんだ。 下熱効果の高い木の実で、それを粉末状にすり潰して水と一緒に飲ませれば、少しはマシになるはずだ。 薬がないんだから、あるものを使うしかない。 これを機に、ポケモンセンターにも人間用の医薬品を置いてくれるようになるといいんだけど…… あいにくと、オレには木の実の持ち合わせがない。だいたいポケモンフーズの中に混ぜたりしてるから、街でないと補給はしないんだ。 ポケモンブリーダーは木の実の種類や効能をすべて覚えてこそ一人前。 自慢じゃないけど、オレは現時点で確認されている木の実はぜんぶ把握してる。 だから、チーゴの実じゃなきゃ解熱できないってことが分かるんだ。 道路を背に、草の生い茂る林の左右に視線をやりながら走る。 一刻を争うというほど切羽詰った事態じゃないけど、かといって楽観視できるような状態でもない。 なるべく早く見つけて、戻って、すり潰して……ジョーイさんに飲ませなきゃいけない。 カスミなら、ある程度のことはちゃんとやってくれるだろうから、問題ないだろう。 気を利かして、ヤマブキシティのポケモンセンターと連絡を取ってくれているかもしれない。 今のオレにできることをやるだけだからさ。 木の実を見分けることができるのはオレだけ。 なら、チーゴの実を見つけられるのもオレだけだ。 「一体どこにあるんだ……」 周囲を見渡しながら毒づく。 気候から見ても、この辺りにチーゴの実が生っていることは間違いないんだ。 十数分走り回ったけど、チーゴの実は見つからない。 イアの実とかクラボの実とか、解熱作用のない木の実ばかりが苦労なく目に飛び込んでくるけど、当然無視。 目指すはチーゴの実だけ!! じいちゃんの研究所の敷地に生ってるものを持ってくればよかったけど……ないものねだりしたって現実が変わるわけじゃない。 ポケモンセンターの周囲百メートルを探し終えてもなお見つからないってことは、もうちょっと遠いところじゃなきゃダメってことか? かといって、どこかの街に助けを求めるっていう時間的な余裕もないだろう。 どんだけ急いだって数時間はかかるんだから。 ナミとカスミの介抱で少しでもよくなるのが一番なんだけどな。 それはナミとカスミでできること。 そっち方面じゃ、オレは足手まといにしかならないだろう。 だから、薬になるものを見つけるしかないんだ!! しかし、本当にこれだけ探してもないなんて。 もっと遠くに行かなくちゃダメなんだろうか。不必要に遠く離れた場所に行けば、その分戻るのに時間がかかってしまう。 ある程度のリスクは覚悟して探しに行くべきか…… 迷いながらもイエスと答えを導き出し、駆け出す。 いちいちハンカチを取り出す暇も惜しかったから、手の甲で額の汗を乱暴に拭い去る。 見渡す限り緑の葉が生い茂る木しかない。 でも、あきらめちゃいけない。 ナミやカスミだって頑張ってくれてるはずだ。負けてなんかいられないんだから。 少し痛み出した足腰に力を込め、走りながら周囲を見渡す。 時間間隔が麻痺して、どれくらいの時間が経ったのかは分からないけど、いつしか目の前に一本の木が姿を現した。 「これは……」 他の木とは幹の色が異なり、やや薄い。 それだけなら無視してたけど、木の葉に混じって実っていたのは、緑の蔕を生やした青い木の実だ。 間違いない、これが…… 「チーゴの実!!」 一瞬疲れが吹き飛んだように思えた。 大きく一歩を踏み出し、チーゴの実がたくさん実っている木の傍へ駆け寄る。 涼しさを示すような鮮やかな青と、イチゴのような形から、この実がチーゴの実であることは間違いない。 よし…… ジャンプして、チーゴの実を摘み取った。 人間が粉末状の薬として摂るには、三つもあれば十分だ。 摘み取ったチーゴの実をリュックに詰め込む。 「これ以上の長居は無用だな。戻ろう」 なるべく早く戻って、ジョーイさんを治してあげたい。 走ってきた道はだいたい覚えているから、戻るのにそれほど時間はかからないだろう。 チーゴの実が生る木に背を向けて、走り出そうとした――その時だ。 「待ちなさい、そこのジャリガキ!!」 「んっふっふっふ……」 「おまえたちは……!!」 目の前に立ちはだかったのは、どこかで見た覚えのある二人組。 思わず足を止めてしまったけれど、そんなことしてる暇はない!! とはいえ…… おとなしく通してくれそうな雰囲気じゃない。 「ヤマトとコサンジ!?」 そう。 オレの前に立ちはだかったのは、花見客で賑わうハナダシティ郊外で、ポケモン欲しさに騒ぎを起こしていたロケット団のペアだった。 ツインテールの金髪女がヤマトで、鮮やかな緑のショートカットの男がコサンジ……だったと思う。 だけど、 「コサンジじゃなーいっ!! 人の名前覚えとけよ!! コサブロウだっつーの!! だいたいどいつもこいつもどーして人様の名前ちゃんと覚えられないかな人の名前呼び間違えるの失礼だろうまったく!!!!」 名前を呼び間違えられたことに激昂するコサンジ――じゃなくてコサブロウ。 ……っていうか、その名前覚えにくすぎ。 だいたい、そんなに何度も何度も呼び間違えられるんだったら、いっそのことコサンジに改名してくれた方がいいと思うのはオレだけか。 「何の用だよ。今はおまえらなんかに構ってる暇はないんだ。さっさと退け!!」 「残念だけど、そうはいかないんだよ」 相棒がああでもないこうでもないとイライラしていることなどお構いなしに、ニヤニヤしながら言うヤマト。 いつものことだから、とあきらめにもにた雰囲気さえ漂わせている。 とはいえ……どうやら、オレたちの抱えている事情は知らないらしい。 でも、知らないからって邪魔だてされる理由はないはずだ。 「わたしたちはあんたに用があるんだ?」 「はあ? オレに? なんでまた……」 「あの時、あんただけポケモンを出さなかったね? それは『おまえらなんかお呼びじゃない。こいつらで十分だ』なんて余裕ぶっこいてたからでしょ!?」 …………はぁ? あー、確かそんなこともあったかもしんない。 ハナダシティの時は、ナミとカスミに任せてたんだっけ。 なんでトパーズがサンダースに進化してるんだろうと思って呆然と突っ立ってたら、気づいた時にはもう終わってたわけだけど…… それをこいつらは悲しい勘違いをして、オレが余裕ぶっこいてポケモンを出さなかった、なんて解釈してるらしい。 「あのなあ、いきなりあんな登場の仕方されて、普通の人間なら呆然と突っ立ってる!! 余裕ぶっこく前にナミとカスミがおまえら倒しちまっただけだよ!!」 とにかくこの場を何とか乗り切って、チーゴの実をすり潰した粉末をジョーイさんに飲ませなきゃいけない。 大人二人を振り切って逃げるっていうことも、できないことはないだろうけど、簡単なことじゃない。 ヤマトの方はどうだか知らないけど、コサンジ……じゃなかった、コサブロウの方に腕力で勝つってのはきわめて難しい。 となれば…… 「あんたのポケモン、この場で頂いてゆくっ!!」 「仕方ない……」 ポケモンバトルで切り抜けるしかない。 周囲に燦々と降りそそぐ日の光はオレの味方……それを利用すれば、何とか逃げおおせることくらいはできるはず。 ヤマトとコサブロウがモンスターボールを投げ放つと同時に、オレもモンスターボールをひとつ掴み取った!! 飛び出してきたポケモンはデルビルとカポエラー。前とメンバーは同じだけど…… 「ラッシー、頼む!!」 オレが選んだのはラッシー。 ボールを頭上に掲げて名を呼ぶと、口が開いてラッシーが飛び出してきた!! 「ソーっ!!」 やる気満々な声を上げ、戦うべき相手を睨みつけるラッシー。 ……ってヲイ!! 「おい、一対二って卑怯だろ!?」 よく考えてみれば、オレはラッシー一体。 対するヤマトとコサブロウはそれぞれデルビルとカポエラーを出している。 本気で一対二は卑怯だろ!? 声を荒げるオレに対し、コサブロウがニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら発した一言は…… 「卑怯は俺たちロケット団の褒め言葉!! さぁ、もっと『卑怯、卑怯』と言ってくれ!!」 なんて開き直る始末だ。 いつの間にこいつ立ち直ってたんだ……? ……っていうより、本気でこの卑怯な状態でバトルしようってのか……!? ぎりっ。 奥歯を噛みしめる。 ここでオレもラズリーかリッピーを出せば、数の上では互角になるだろう。 でも、二体のポケモンに適切に指示を下すのはかなり難しいはず。 ダブルバトルという新しいバトルの方式もあるらしいけど、余裕のないこの状況ではまともに戦い抜けるかどうかすら疑わしい。 数でも戦力でも不利だけど、ラッシーの必殺コンボで一気に片をつける……それしかない!! 「やる気になったようだね……」 目を細めるヤマト。戦って切り抜けるしかないんだ、本当に。 「じゃあ、始めようか!!」 本当にオレのポケモンが目当てで来たのかは分からないけど……でも、やるしかない。 考えるのは後でいい。今は、目の前の敵を片付けることだけ考えればいいんだ。 「ラッシー、日本晴れ!!」 先手必勝!! こうなったら手数を増やして、少しでも相手にダメージを与えていくしかない。 そう判断して、オレはコンボを組み立てるべくラッシーに指示を出した。 ラッシーが空を仰ぐと、燦々と降りそそぐ木漏れ日がその光の量を増した。周囲に汗ばむ熱気が立ち込める。 「ならば!! デルビル、火炎放射!!」 日本晴れの効力を理解しているんだろう、ヤマトがデルビルに指示。 火炎放射……どれくらいの威力かは分からないけど、日本晴れで威力が増長されているとなると、油断は出来ない。 デルビルは肩幅に脚を広げると、口を開いて紅蓮の炎を吐き出してきた!! 虚空を舐め、周囲の空気を灼熱・屈折させながら向かい来る炎の威力は、オレの予想を遥かに超えていた。 けれど…… 「ソーラービーム!!」 いくら火炎放射が強くても、当たらなければ痛くない。 ここで避けたらカポエラーの追撃を受けることが目に見えていたから、攻勢に打って出る。 ラッシーは一瞬のうちに光を吸収すると、必殺のソーラービームを発射した!! 火炎放射を上回る規模のソーラービームは、タイプでは不利な炎をあっさりと吹き散らし、デルビルへ向かって突き進んでいく!! 「なにっ!?」 狼狽するヤマト。 でも、指示は忘れない。 「デルビル、避けなさい!!」 「カポエラー、トリプルキック!!」 とっさに退避するデルビル。 ここでコサブロウがカポエラーに指示。 ソーラービームを放って隙ができたところに攻撃を叩き込み、 ラッシーが怯んだところを狙ってデルビルが火炎放射を食らわせるという算段なのは間違いない。 肝心なのは…… 考えをまとめ始めたところで、カポエラーが頭の突起を地面に押し当て、高速で回転しながらラッシーに向かってきた。 刹那、先ほどまでデルビルがいた場所にソーラービームが突き刺さる。 「ラッシー、もう一発ソーラービーム!! カポエラーを吹っ飛ばせ!!」 一直線に向かってくるカポエラーを指差すと、ラッシーは迅速にその指示に応えた。 一秒と間を置かずにチャージを終え、カポエラー目がけてソーラービームを放つ!! いくらチャージが短時間で終了すると言っても、技の威力自体が落ちるわけじゃない。 つまり、技を放つのに必要な体力が減ってくれるわけじゃないんだ。 大技だけに、何十発放つことは、今のラッシーじゃできない。 せいぜいが十数発だ。 それまでに決着をつけないと、本気でヤバイ。 「カポエラー、避け――」 草タイプ最強の技の威力を目で見て感じ取ったか、コサブロウは慌ててカポエラーに指示を下すも、遅かった。 どんっ!! ソーラービームはカポエラーに突き刺さると、爆発を起こした!! 生まれ出でた爆風に吹き飛ばされ、近くの木の幹に叩きつけられる!! よし、これで一体…… 残りはデルビルだ。ラッシーのソーラービームに耐えられるポケモンなんてそうそういない。 炎タイプや飛行タイプといった、タイプ的に不利なポケモンならともかく、体力的に優れているとは言えないカポエラーなら、 まず今の一発でノックアウトできるはずだ。 オレの読みどおり、カポエラーはその場で倒れ、戦闘不能になった。 だが―― 「デルビル、火炎放射!!」 ヤマトの指示が響く。 しかし、デルビルは一体どこに…… 周囲を見渡すが、デルビルの姿は見えない。 左? 右? 前? 後ろを取られることはまず考えられないから、残りは―― 「上だ!! ソーラービーム!!」 「遅いよっ!!」 ラッシーの前に突き出た枝から飛び降りながら炎を放つデルビル!! オレの注意がカポエラーに向いた隙に、姿を隠してたってワケか!! ラッシーは振り仰ぎ、ソーラービームを放とうとチャージを始めるけど……間に合わない!! ラッシーが口を開くよりも一瞬早く、デルビルの火炎放射がラッシーを飲み込んだ!! 「ラッシー!!」 至近距離からの火炎放射。避けることはおろか、防御することもできなかった。 いくらラッシーが強くても、威力を増した火炎放射に耐えられるかどうか…… どうする……? ラッシーを戻して、ラズリーかリッピーを出して切り抜けるか…… トレーナーとしての判断が求められている。 でも、どの判断が賢明なのか、今のオレには分からない。 「ラッシー、こらえろ!!」 耐えられたら、その時はソーラービームで狙い撃ちにしてやるだけのことだ。 無理なら……他の手を考える。 炎は勢いよく燃え盛り―― デルビルは離れた場所に着地し、ラッシーを包み込む炎を見ている。 勝ち誇った表情のヤマト。 コサブロウはカポエラーを戻したものの、他のポケモンを使おうという素振りすら見せない。 ヤマトに任せておけば勝てると思っているのか。 「降参するなら今のうちだよ?」 せめてもの情けのつもりか、ヤマトが本気で嫌らしい口調で言ってくる。 「…………っ」 オレは何も言い返さなかった。 降参するつもりなんて、ひとカケラもないんだから。 負けを認めたところで何かが変わるわけでもない。 なら、最後の最後まで足掻いてやるさ。ラッシーが戦闘不能になろうと、なるまいと。 「わたしたちだって、子供をいじめるのは趣味じゃないんだ。 潔く降参すれば、そのポケモンをもらってくだけで済む。 あんたにとっても、悪い話じゃないだろう?」 「ふざけるな!!」 あまりに身勝手なセリフに、オレは全身の血が滾るのを感じずにいられなかった。火照ったように身体が熱くなる。 気がつけば怒って叫んでたんだ。 「ラッシーはオレの大事な家族だ!! 絶対に渡さない!!」 「強がりを……デルビル、もう一発火炎放射っ!!」 子供の強がりなど怖くないという意思表示のつもりだろう。 ヤマトは再び火炎放射を指示。 デルビルが口を開きかけ―― かっ!! 炎を裂いて飛び出した光がデルビル目がけて疾る!! ソーラービーム!? 炎は一瞬で爆ぜ割れ、身体のあちこちを焦がしたラッシーが姿を見せた。 満身創痍に見えるけど、デルビルを睨みつけるその目に宿る闘志は色褪せない。 よかった、耐えてくれた…… ホッとしたのも束の間。 「悪あがきなんて、怖くないんだよ!!」 素直に降参してもらえなかったことに腹を立てたのか、ヤマトの口調は怒りそのものだった。 デルビルがその言葉に反応するように素早くその場を飛び退く。 ソーラービームは虚しく突き刺さり―― 「頭突き!!」 着地と同時に、デルビルがラッシー目がけて駆け出した!! まずい、満身創痍のラッシーが頭突きなんて受けたら…… それ以上考えるのがふと怖くなり、オレは何も考えないままラッシーへと駆け出した。 招く結果も、それに対する責任も。 雲に隠れて見えないように、まったく考えのうちに入らなかったんだ。 ラッシーが避けてくれたら……満身創痍のラッシーにそれを期待するのはあまりに酷だったから。 間一髪のところでラッシーの前に立ちはだかり―― ごっ!! 「ぐあっ!!」 激痛が脇腹に走った。 デルビルの頭突きをまともに受け、足に力を込めて踏ん張ったけど、ダメだった。 大きく吹き飛ばされ、額から地面に叩きつけられる!! 生い茂る草がクッションの代わりになって衝撃を和らげてくれたけど、脇腹に走る痛みが緩和されるわけでもない。 「くぅ、いってぇ……」 「ソーっ……ソーっ!?」 痛い。 今までこんな痛みを味わったことはなかった。 じいちゃんの研究所にいるポケモンはみんな穏やかで、じゃれつくことはあっても、明らかな敵意を持って攻撃を仕掛けてくることはなかった。 でも、今。 オレはデルビルの頭突きをまともに食らった。 ポケモンの力は人間のそれを遥かに凌駕している。 骨が折れたんじゃないかって思ったりもしたけど、それはなさそうだ。 骨が折れてたら、こんな痛みじゃ済まなかったはずなんだ。折れた骨が肉に食い込んで、包丁で刺されたような激痛が走る。 だけど、痛いものは痛い。ラッシーをかばってこんな痛い思いをしたわけだけど、後悔はしてない。 痛みを堪えて上半身を起こすと、目の前にラッシーが飛び出してきて、目を潤ませながらオレを見つめる。 「大丈夫……痛いけど、大丈夫だ」 思うように身体が動いてくれない。 声も、どこか掠れている。 ポケモンの攻撃を食らうなんて、そうそう経験できることではない。 ある意味で貴重な経験だけど、できれば今後はそういう経験はしたくないな。 「ポケモンの攻撃を受けた……!? 正気、あんた!?」 「なんてヤツだ……」 その声に顔を上げると、驚愕のヤマトとコサブロウ。 ポケモンの攻撃を食らう、というのがどういうことか、この二人は分かっているようだ。 だからこその驚き。 「ラッシーを守るって決めたんだ……これくらいのことで……」 痛む身体に鞭打って立ち上がろうとするけど、ダメだ。 身体に力が入らないっていうなら、まだその方がマシ。だけど、痛みにジャマされて立ち上がれない。 「おまえらがオレと同じ立場に立ったら……どうするんだよ!? あっさりと引き渡すってのか!! あぁ!?」 腹の底から声を絞り出す。 かけがえのない家族を守るためなら、これくらいの痛みでへこたれてなんかいられないんだ。 「う……」 後ずさるヤマト。 コサブロウは一歩も動かないものの、その足は小刻みに震えている。 一体何を恐れているのか。オレには分からないけど、こいつらをどうにかするには今しかない。 ラッシーに敵意を持っていたデルビルですら、闘志を失って、怯えた表情でヤマトの後ろに隠れてこちらを覗いている始末だ。 「オレは、そんなの絶対認めない。死んだって、認めない!!」 家族を奪われるってことの方が辛いに決まってるんだ。 一緒に何年も過ごしてきた、自分自身の一部とも思えるような家族を奪われるくらいなら、死んだ方がよっぽどマシだ。 オレはありったけの声と共に、想いも吐き出した。 気圧されたように何の反応も示さないヤマトとコサブロウ。 と、その時だ。 腰に振動が走り、視線をやると同時に、モンスターボールの一つが口を開いたではないか。このボールは…… 「ブイっ!!」 閃光が迸り、飛び出してきたのはラズリーだった。 臆病な性格なんて、その後ろ姿のどこにも感じられなかった。 オレをかばうように立っているラズリーは、誰よりも勇敢に見えた。 オレの気持ちに応えて出てきたってのか……? 分からないけど、ラズリーがオレとラッシーのために出てきてくれたってことだけは分かる。 理由なんてないけど……直感でもない。なんとなく、なんだ。 「ブイぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」 ラズリーがこれ以上ないほどの声を上げた瞬間、その身体が光に包まれた!! 一体何が起こるんだ!? オレでさえ、何が起こるのか予想がつかないなんて。 信じられないけど、事実だ。 ラズリーの身体を包み込んだ光が、帯となってヤマトたちに撃ち出された!! 破壊光線……いや、目覚めるパワー!? 技の正体を悟り、オレは愕然とした。 「な、なに、これは!?」 ヤマトは声を上げるも、光の帯は彼女らをまともに直撃した!! 爆発が起こり、あっさりと吹き飛ばされる!! 「のわぁぁぁぁぁぁっ!!」 「やな気持ちぃ〜!!」 「ワオーン……」 木々の間をすり抜けて、ヤマトとコサブロウとデルビルは星になった。 す、すごい威力だ…… 背筋が震えていたのに、今さらのように気づく。 目覚めるパワーは、それぞれのポケモンが持つ潜在的な能力の一部を解き放って攻撃する技だ。 ゆえに、ポケモンによって技のタイプと威力が異なる。 ラズリーの目覚めるパワーのタイプは分からない。 でも、その威力はラッシーのソーラービームに匹敵していた……間違いない。 それだけの潜在能力を、ラズリーが秘めてるってことなのか? なんて思っていると、ラズリーがオレの前にゆっくりと歩いてきた。 「クーン……」 もう大丈夫だよ。そう言わんばかりの声を上げ、オレの膝にちょこんと乗った。 「ありがとな、ラズリー。おかげで助かったよ」 礼をいい、ラズリーの頭を撫でる。 「ブイっ」 ニコッと笑うラズリー。 あどけないその表情に助けられたってことかな…… もしラズリーが出てきてくれなかったら、目覚めるパワーであいつらを吹き飛ばしてくれなかったら、もっと大変なことになっていたと思う。 「あたたたた……」 「ソーっ!?」 ホッと安心したのも束の間、痛みがぶり返してきた。 目覚めるパワーに驚いている間、痛みをあまり感じなかったらしい。 頭突きを食らった時よりはマシになってきたものの、それでも痛いものは痛い。 まだ立ち上がることはできそうにない。 「大丈夫。さっきよりはマシになったからさ。戻ってくれ、ラッシー」 今にも倒れそうなラッシーをモンスターボールに戻す。 「クーン……」 続いて心配そうな顔を向けてきたのはラズリーだ。 臆病に逆戻りしているように見えるけど、そうじゃない。心配しているからこその表情なんだ。 「ラズリー。頼みがあるんだけど、聞いてくれるか?」 「ブイっ!!」 オレの言葉に力強く頷く。 ボクに任せて――人間の言葉にたとえるなら、そんな感じだって、すぐに分かった。 これなら、任せてもいい。 いや、ラズリーにしか任せられないことなんだ、今は。 リュックを外して、目の前に持ってくる。 先ほど摘み取ったチーゴの実と、ハンカチ、ペンを取り出す。 「ブイ?」 一体何をするつもりなのかと、ラズリーは首をかしげた。 感情表現が豊かって言う意味では、潜在能力を秘めててもおかしくはないだろう。 それが分かっただけでも、すごくうれしい気分になれるのは、気のせいだろうか。 いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。 ペンでハンカチの中央に、こう書いた。 「ジョーイさんに、この木の実を粉末状にすり潰したものを水と一緒に飲ませてくれ」 乾くまで少々の間を置いてから、チーゴの実と、ラッシーとリッピーのモンスターボールをその上に置いた。 そう。 ラズリーにチーゴの実をポケモンセンターに届けてもらおうって思ってるんだ。 身体が痛むから、全力で走るってのは無理。 なるべく早くチーゴの実を届けるには、ラズリーに任せるしかない。 不思議そうな目でハンカチの上のチーゴの実を見つめるラズリーをよそに、オレは着々と作業を進めていく。 実が落ちないように、ハンカチを巻いていく。幾重にも巻いたところで、両端をラズリーの首筋に結わえつけた。 「ラズリー、よく聞いてくれ」 オレはラズリーの目を真っ直ぐ見つめて言った。 ラズリーにしかできないことだから、何が何でも頑張って欲しい。 「君の身体に巻いたものを、ポケモンセンターにいるカスミに届けて欲しいんだ」 「ブイ……?」 「オレはもう少しここにいる。 身体が痛くて、思うように動けないんだ。 だから、君は先にポケモンセンターに戻ってくれ。いいな?」 「…………」 キミはどうするの? 本当にいいの? 不安そうな表情になるラズリー。 オレ一人をこの場に残していくわけだから、そりゃ不安にもなるだろう。 だけど…… 「いいかい? 君にしかできないんだよ。 何が何でも、それをカスミに届けるんだ。行け、ラズリー!!」 「……ぶ、ブイっ!!」 語尾を強めたことが功を奏したのか、ラズリーは少し躊躇ったけど、オレの膝を降りて、ポケモンセンター目がけて駆け出した。 途中で立ち止まり、振り返る。 オレは笑みを浮かべ、頷いた。 大丈夫……君ならやれる。 オレよりも早く届けられるなら、それに賭けるのもいい。 ジョーイさんには、一刻も早く元気になってもらいたいからな……そうじゃなきゃ、ラッシーを回復させてやれないじゃないか。 身体にまとわりつく痛みも、少しずつではあるけど、引いてきている。 この分だと一時間とかからずに立ち上がれるだろう。 リュックの肩紐を片手にギュッと握りしめ、残る片方の手にありったけの力を込めて、身体を引きずり、近くの木の幹に背をもたれた。 はあ…… 背中を預けられて、少しは気分もマシになってきた。 デルビルの頭突きは、威力としてはそれほど高くなかったんだろう。 今になって、それが何となく分かってきた。 デルビルは物理攻撃よりも、炎での攻撃の方が強烈だ。 むしろ、炎よりも頭突きを食らった方がマシだったのかもしれない。 まあ、どっちにしたって痛いことには変わりないんだけど。 「ああでもしなきゃ、ラッシーを守ってやれなかった……」 ポツリつぶやく。誰もいないからこその弱音。 他の手段をまるで考えられなかった。 オレ自身の迂闊にも苛立ちは隠せないけど、愚痴ったところで変わりはしない。 「あの時……オレはそう思った」 意識を、木の幹を挟んだ背後に向ける。 ふっと目を閉じ、 「親父はどうなんだ? 親父だったら、他の方法、見つけられたか?」 「さあな」 誰もいないはずのその場所から、答えはちゃんと返ってきた。 思いのほか人間味が漂うその声に、オレは口の端を上げた。 「少しは落ち着いたかな……?」 ポケモンセンターの一室で、カスミはベッドで眠っているジョーイの安らかな寝顔を見つめて、安堵のため息を漏らした。 ポケモンセンターに入るなり、いきなりジョーイは倒れているわ、アカツキが木の実だかなんだかを探しに飛び出していくわと、 ずいぶんと波乱に富んでいたように思えるが…… 目の前で人が熱を出して苦しそうにしているのを、黙って見過ごせるはずもなく、カスミはナミと協力して、 ジョーイをベッドに横たえ、氷嚢を彼女の額に置いて、それなりの処置を施した。 その甲斐あって、当初よりは少し熱も下がったようだし、何よりも当人の表情も落ち着いたものになってきた。 この分なら、心配は要らないだろう。思ったよりも深刻な事態にならなくて良かった。 「アカツキ、遅いねぇ」 「そうね。まあ、あいつなら大丈夫でしょ」 ナミの言葉に、カスミは適当に返した。 投げやりに聞こえるが、しかしカスミには明確な根拠というか、自信みたいなものがあった。 共に旅をしていた少年に似ている部分がある。 だから、大丈夫だと思える。 その根拠は何かと突っ込んで訊ねられたら答えられほど曖昧なものないかもしれないが、それでも。 ナミは椅子に深々と腰を下ろして、退屈そうに足を揺らしている。 「それより、驚いたよね〜、ジョーイさんが倒れちゃってて……いつでも元気だとばかり思ってたよ」 「まあ、一応人間だし……不調な時だって、あるんじゃないの?」 あまりに的外れな言葉だが、無視するわけにもいかず…… 同じように少し退屈していたカスミは会話に応じることにした。 何もしないまま、アカツキの帰りを待つ、というのもなんだか辛い。 それくらいなら、些細なことだってやっていた方が、時間も無駄にはならないだろう、たぶん。 本気で他愛ない話だが、ナミの性格を反映した話題だと分かると、なんだか少し楽しくなる。 「ジョーイさんじゃなくてポケモンが病気だとか不調だとかってことはよくあったんだけどね。 こういうケースは初めてだわ」 ニコッと笑い、カスミはナミに顔を向けた。 同じように笑顔を向けられて、自然と笑みは深まっていった。 「あいつの帰りを待つまで、退屈せずに済みそうだわ」 カスミは胸中で密かに喜びを噛みしめた。 風がそよぎ、木の葉が擦れて小波のような音を奏でる。 心地よいそよ風に、疲れがほんの少しだけ吹き飛んだような気がしながらも、オレは気を抜くことができずにいた。 その原因が背後にいるのだから、仕方ない。 面(ツラ)を拝んでどうにかしてやりたい気持ちはある。 でも、デルビルの頭突きを食らった痛みが残っているこの状態じゃ、どこまでそういうことができるかも分からない。 このまま木の幹にもたれている方が、疲れが取れるのも早いはずだ。 取ってつけたような理由だってのは分かってる。 だけど、それが一番だと思っているんだ。 もちろん……根拠はあるんだけどな。 「しかし、いつ気づいた? 俺がここにいると。これでも気配は消したつもりだったんだがな」 「息子としての直感と言われたら喜ぶか?」 「ふふっ……」 「なんとなく分かっちまったんだ。 はじめは証拠もなかったけど、確信を持てたのは、ラズリーが不安そうにしてたってことかな」 「ラズリー……ああ、あのイーブイか」 親父の声は平坦だった。 嫌われまくっている息子の傍にいるというのに、何も感じないんだろうか。 苛立ちを感じるほどの気力が今のオレにはないだけってことかもしれないけど……今はオレもなんとも感じてない。 うれしくも、悲しくも、淋しくもない。 親父はいつの間にかオレのすぐ傍にやってきていたんだ。 いつから、っていうのは分からないけど…… 「いつから見てたんだ?」 「そうだな……ラッシーがソーラービームでカポエラーを撃破したくらいか」 「最初からいたんじゃねえか……」 呆れてモノも言えなかった。 ラッシーやヤマトたちのポケモンにすら気づかれずに近くにいたなんて信じられないけど、まんざらウソってわけでもないらしい。 ソーラービームでカポエラーを撃破したところを見たとなると、障害物の多い林の中、遠くにいたとは思えない。 とはいえ―― 「オレに嫌われてるって知ってるくせにどうしてオレの傍にいるんだよ。 親父、そこまでバカじゃないだろ?」 「……どうだろうな。 希代の博士などと持て囃されてはいるが、知らないことはいくらだってあるし、理解できないものだって両手の指の数以上はある」 「フン……」 上手くはぐらかされている気がしないわけじゃないけど、何を言っても無駄になるんだろう。 オレに嫌われている理由か、それとも他のモノか…… どちらにしても、親父に理解できないものって、そういうものなんだろうと思う。 「悪趣味だよな。そんなにオレの惨めな姿を見たかったのか?」 「どうだろうな。あるいはそれも一興かもしれないな。おまえに言われて気づいた」 口を尖らせて言うオレに、素知らぬ口調で返す親父。 見たい、とも受け取れるのは本当に気のせいだろうか? 普段からむやみに嫌っていると、そう思ってしまうものらしい。 オレだって、理由があるから嫌ってるんであって……ああ、もうワケ分かんない。 考え出すと頭の中がマーブル模様になってくるんだ。コーヒーに垂らしたクリームが渦を描くように。 「いい趣味だよ、まったく。 ハナダシティで会った時は、四つ目のバッジがどうのこうのと言ってた割には、オレの事が心配になって様子を見に来たってワケじゃないんだろ」 オレの醜態を見に来たっていうんなら、それはもぉ殊勝なご趣味で、と嫌味で返すことができたんだ。 でも、曖昧な言葉を口に出されたら、そういう風に露骨に返せない。 言葉で遊ばれてるような気分になるけど、事実その通りなんだろうな…… 大人を言いくるめられるほど口が達者だなんて、オレは思ってないんだから。 「そうだったらうれしいか?」 「冗談」 完全に遊ばれてると理解するのに、時間はかからなかった。 親父からすりゃ、お手玉でもやってるような感覚でいるんだろうけど、それがかえって腹立たしい。 思うようにこの身体が動けば、一発でもパンチをくれてやってるところだ。 長年積み重なった『嫌い』って感情はそう簡単に消えないんだからさ。 「あの時、おまえは必死になってたから気づかなかったのかもしれないが…… ラッシーを守るのであれば、モンスターボールに戻すことを一番に考えるべきだった。 そうすれば、デルビルの頭突きなど食らわずに、おまえの言う惨めな姿とやらを俺にさらすこともなかった。 もっとも、あの状況で冷静でいられるトレーナーなど、そうそういるものではないさ。 駆け出しのトレーナーなら、なおさらだ」 「嫌味のつもりか、それ……?」 つい言い返してしまったけれど、親父の言葉にも一理あるってことくらいはオレにだって分かるよ。 モンスターボールはちょっとやそっとの衝撃や熱じゃ割れないくらい頑丈にできてるんだ。 中にいれば、割られるとかして強制的に外に出されない限り、安全なんだから。 そんなことにすら気が回らなかったっていうことこそ、醜態なのかもしれない。 今になって考えてみれば…… デルビルの頭突きが満身創痍のラッシーを捉えるよりも、モンスターボールの捕獲光線がラッシーをボールに引き戻す方が早かったはずだ。 モンスターボールに戻れば、オレがデルビルの頭突きを食らってこんな風に木の幹にもたれかかってなんかなかったわけだし。 ああ、恥ずかしすぎる。ショボいじゃん、オレ…… ラッシーを守らなきゃって想いに囚われて、トレーナーとして一番にやるべきことを忘れてしまうなんて。 親父に、っていうのは癪だけど、また一つ教わったな。未熟なところをさ。 「ホントはそうするべきだったんだろうな……」 吹き付けてくるそよ風に導かれるように、顔を上げ、揺れる木の葉の間から見え隠れする空を仰ぐ。 ラッシーのことを考えれば、モンスターボールに戻すことこそが正解だったのかもしれない。 だけど、オレにだって譲れない信念ってものがあるんだ。 それを在るがまま受け入れてしまうのも癪だから、言わせてもらうことにする。 「でも、オレはラッシーのことを守りたいと思った。 親父の目にはどんな風に映ってたのかは知らないし、知りたいとも思わねえ。 でも……オレはオレ自身にウソなんかつきたくなかった。だから、あんなことをした。 ラッシーや他のみんなには心配をかけたけど、後悔なんかしてない」 「それでいい」 「はぁ……?」 親父がポツリ漏らした一言の意味が分からず、オレは思わず肩越しに背後に視線をやった。 当然のごとく、太い木の幹がジャマで、親父の表情を窺い知ることはできなかったけれど。 つまらない小言を言われるか、つまらないと揶揄されると思ってたから、親父の反応は意外なものだったよ、オレにとっては。 「最後に一つ聞かせてもらいたい」 「なんだよ」 「おまえはなぜ一人で残ることにしたんだ? おまえのピッピは無傷。ボディーガード代わりに残しておくのが普通だろう」 「ああ、このあたりには凶暴なポケモンは棲息してないみたいだからな。 それが分かってたから、あえて一人で残ってたんだ。文句あんのか?」 「いや……」 親父が口ごもった……ように思えた。 気のせいだろうか? でも、オレは本当のことを口にしたまでだ。 この辺りには凶暴なポケモンは棲んでない。 棲んでたら、虫や鳥の声は聞こえてこないはずだから。 人間よりも敏感な彼らが何の反応も示さないってことは、そういうことなんだよ。 「安心した。 おまえはトレーナーとして少しずつ成長している。もちろん、一人の人間としても」 「なんだよ、いきなり……気味悪い」 「次に合い見える時が楽しみだ……それまで、今以上に腕を磨いておけ。 さもなくば、以前のように一瞬で負けることになる」 「言われなくたって、そうしてやるよ。 オレは親父を乗り越えてやる。 そうじゃなきゃ……負けっぱなしのままじゃ、オレは先に進めない」 「そうか……」 草を踏み分ける足音が聞こえたかと思うと、それは少しずつ遠ざかっていった。 親父、行っちまったんだな。 別に感慨深げに浸るつもりはないけれど……でも、なんでだろう。 親父に対して敵対心みたいなもの、オレは持ってたはずなんだ。 ハナダシティの時なんか、そうだったんだから。 身体が思うように動かない分、余計な事はできないって考えてたんだろうか……少しだけ、親父のこと、素直に見つめられたような気がするんだ。 だからって、親父のことが嫌いだってことに変わりはない。 嫌いなモノは嫌いだけど、ちょっとだけ……緩んだのかも。 都合のいい解釈だなって、自分でも思うよ。 でも、ホントのことだろうって思うんだ。 親父がどうしてわざわざオレの様子を見に来たのかは分からない。偶然なのか、狙っていたのかも。 そんなの、知りたいとも思わないさ。 狙っていたなんて想像したら、ホントに惨めな姿晒しちまったんだから……自分でも分かる。 デルビルの頭突きなんぞ食らって、こんな風に木に背中もたれてるような状態を、普通とは言わないだろ。 だけど…… 「次に会う時が楽しみだなんて、オレにプレッシャー掛けるようなこと言いやがって…… ホントに勝手なんだよ、親父は!!」 マーブル模様になった気持ちを、声を大にして吐き捨てた。 ホントに勝手だ!! 親父はわざとオレにプレッシャー掛けていきやがったんだから。 次に会う時……ハナダシティで言ってた。 四つ目のバッジをゲットした頃。 それはそう遠くないはずだ。十日くらい後か、遅くても二週間。 それまでに、もっともっと強くならなくちゃいけないんだよな。 トレーナーとしてもうちょっとマシなバトルができるようになっておかないと、本気であの時の二の舞になっちまうんだ。 「でも、次は負けない。あんな負け方だけは、絶対にしないからな……」 ハナダシティで負けたあの時の屈辱と悔しさが脳裏に蘇ってきた。 どうでもいいようなことばかり、忘れられずにこびりついてるんだ。 あんな、バトルとは呼べないシロモノをやるつもりなんか、二度とない。 身体がにわかに熱を帯び、オレはギュッと拳を握りしめた。 「ありがとうございました。おかげで助かりました」 いつものような笑みとは程遠いけど、ジョーイさんはペコリと頭を下げると、笑みを向けてくれた。 彼女なりにできる精一杯の謝意のつもりなんだろう。ありがたく受け取っておくよ。 親父が行ってしばらくして、身体がちゃんと動くようになったから、オレは自力でポケモンセンターに戻ったんだ。 ラズリーはちゃんとポケモンセンターに戻り、チーゴの実をカスミに届けていてくれた。 すり潰して粉末状にした即席の風邪薬を飲ませたおかげで熱も下がり、ジョーイさんも起き上がれるまでに回復したんだ。 ラズリーさまさまだぜ、ホントに。 ポケモンセンターに戻ったオレに、ラズリーは一も二もなく抱きついてきた。 オレのことをとても心配してくれたんだって、じんと胸が熱くなったよ。 ナミが、ポケモンの回復装置を使ってラッシーを回復してくれたらしい。 じいちゃんの研究所にも同じものがあるから、使い方は知ってたんだろう。ちゃんとナミにも礼を言っておいた。 あー、そこまでは良かったんだけども…… 熱も下がったジョーイさんを前に、ナミが余計なことを口走ったものだから、ちょっとしたことになってさ。 オレが遅くなったのを不審に思ったんだろう。 ラズリーが先に戻ってきて、首に結んだハンカチに薬の作り方を書いてあるのを見れば、 何もなかったと考える方がおかしいわけで……今さらのように気づいたものだけど。 ナミが突いてきたんだ。 病人が寝てる前だってのに。 あいつにゃ、TPOなんて期待するだけ無駄だったのかもしれないけど、 せめて人を労わる気持ちってのを持ってもらいたいと思うのはオレだけだろーか? とはいえ、あまりの剣幕に、そんなことも言い返せず、警察の事情聴取を受ける人のように縮こまって、オレは適当な言い訳を繕ってた。 もちろん、親父に会って話をしたとか、ヤマトとコサブロウの横槍が入った、なんてことは言ってない。 言ったら言ったでややこしいことになるってのが分かりきってたからな。 ある程度端折って、でも本当のことを話したつもりだ。 野生のポケモンに襲われて、不意を突かれてラッシーは戦闘不能。 これまた不意を突かれて、オレも吹っ飛ばされて思うように動けなくなった。 ラズリーが何とか倒してくれたけど、動けなくなっちまったオレの代わりに、チーゴの実を届けてくれるように頼んで…… で、少し時間が経ったら身体の痛みも引いたから、ゆっくりと戻ってきた。 一応、あんまり話したくないことを除いた経過をナミに伝えたわけだけど……一応納得はしてもらえた。 横で見ていたカスミは「本当かしら?」なんて視線で問い掛けてきたけど、知らん振りで押し切った。 親父に会ったなんてことを言えば、ナミのことだ、 「どうしてここに連れてこなかったの!? あたし、ショウゴおじさんに会いたかったのに!!」 なんて駄々を捏ねるに決まってるからな。 それだけはオレとしても勘弁してもらいたいんだ。 ただでさえゴチャゴチャしてるのに、余計なトラブルは要らないんだよな。金輪際お断りだ。 ナミは自分の父親であるアキヒトおじさんと同じくらい、親父のこと好きなんだよな。 気さくで優しいおじさん、なんて風に映ってるのかもしれないけど、そんなのオレに言わせれば外面だけ繕ったロクデナシって感じだよな。 ナミほど単純なら、コロッとやられたってそりゃ仕方ないか。 だから、言えばややこしいになるって、想像に難くなかった。 「あなたたちが来てくれなかったら、わたし、どうなってたか分からなかったわね……」 ジョーイさんが窓の外に目を向けて言った。 あ……その言葉に、オレは我に返った。 彼女が何も言わなかったら、ずっと今までの経過に考えが行っていただろう。 「ラッキーはいないんですか?」 「いるんだけど、ちょっとお遣いに出していたの。 明日には戻る予定だったんだけど……わたしが今日倒れたんじゃ、どうしようもないわね」 カスミの問いに対し、ジョーイさんは力なく笑みを浮かべた。 倒れてしまった頼りない自分を責めているようにも見えるけど、気のせいだよな。 「ところで、今晩は泊まっていくんでしょう?」 「はい。そのつもりで寄りましたから」 「好きな部屋に泊まっていってちょうだい。助けてくれたお礼もしたいし」 「無理はしないでくださいね。無理して倒れちゃ、元も子もありませんから」 「そうね」 オレはジョーイさんを諌めた。 やる気満々なのが伝わってきたからさ。 その気持ちはうれしいんだけど、体調が優れていない状態で無理して倒れられたら、またチーゴの実を取りに行かなくちゃならなくなるからな。 それも、勘弁してもらいたい。 しかし…… ラッキーがお遣いで出払ってるなんてね。 ポケモンが重傷で、回復装置じゃ回復しきれないような事態が起こってたらどうするつもりだったんだろうか。 不意に疑問が頭を掠めてくけど、それは言わないことにした。 心身ともに疲れている人にそんなことを言えば、どうなるかくらい、分かっているから。 「じゃあ、あたしたちはこれで失礼します。 ジョーイさん、ちゃんと休んでくださいね。社会人は、身体が資本だって言葉もあるんですから」 「ええ、そうします」 ジョーイさんの笑みを背に、オレたちは部屋を後にした。 「よく言うよな」 背後でバタンと扉が閉まったのを確認してから、オレはカスミに言った。 間違っちゃいないけど、こういう時に発するセリフとは思えないんだよな。 まあ、人間もポケモンも身体が資本みたいな部分は確かにあるから、一概に否定はできないけど。 「だって、ああでも言わないと、ジョーイさん、ムチャしちゃうかもしれないし。 ほら、使命感に溢れてるような感じだったじゃない」 「そりゃそうだけどな……」 よく回る口だ、と思いながらも、カスミの言葉は正論だった。 余計な反論は一切封じられた。 確かにジョーイさんは使命感に溢れてるように思える。 どこのジョーイさんも似たようなものだけど、ここのジョーイさんは特に使命感が強いように見えるんだよ。 風邪をこじらせて倒れるなんてことをしたんだから、余計にそういう風に映ってしまうのかもしれないけれど。 「…………」 誰も何も言わないけど、向かっているのは今日寝泊りをする部屋だ。 ジョーイさんはどの部屋を使ってくれてもいいと言っていた。 だから、その言葉に甘えて、向かうは…… 平屋建てのポケモンセンターは、ロビーを中央に、左右に廊下が延びていて、それに沿って部屋が並ぶという形になっている。 ロビーは何かとうるさいかもしれないから、ロビーから一番遠い最果ての部屋こそ、オレたちが目指す―― 廊下の先にその部屋が見えてきたあたりで、オレは思わず足を止めた。 数歩進んだところで、オレがついてきてないってことに気づいたんだろう、ナミが立ち止まり、振り返ってきた。 「あれ、アカツキ。どしたの?」 「あ、ああ。そういや、おまえらはどの部屋で寝るつもりなんだ?」 「決まってるじゃない」 同じように立ち止まったカスミが指差した先は、最果ての部屋。 オレとミスマッチしてるし。なにげに。 「あそこの部屋よ。見晴らしが良さそうだし」 「ああ……そりゃそうだな」 「あれ。アカツキも同じこと考えてたりするわけ?」 「悪いか?」 「いや、ぜんぜん」 すっと瞳を細めるカスミ。 うっ……何考えてるか、思いっきり分かるんですけど。 オレにとっては痛いっていうか、弁慶の泣き所を思い切り蹴飛ばせたような気分だ。 「ねえカスミ。どーゆーこと?」 話についていけないようで、ナミは人差し指を口に当て、首を傾げてしまった。 いや、分かんないならいっそ分かんないままでいてくれ。頼むから。 そんなオレの祈りすら踏みにじるように、カスミが口を開いた。 「ナミ。アカツキはあたしたちと一緒の部屋で寝たいんだって」 「えっ!?」 「ちょっと待てヲイ!!」 その言葉に驚きながらも瞳をキラキラ輝かせてなにやら期待をしているナミ。 オレは文句を言いたい気持ちでいっぱいになった。 何が悲しくてそんなこと……!! 一緒の部屋で寝たい!? ヲイ!? 変態か!! オレは!? 猛抗議するよりも先に、カスミがトドメとばかりに言葉を突きつけてきた。 「あたしは別に構わないわよ。あんたがどう思うかは別だけど」 「じゃあ、一緒に寝ようよ♪ ねっ、ねっ?」 同意と受け止めたらしく、ナミはオレの腕にしがみついてきた。 オレと一緒の部屋で寝ようっての? 構わないっていうか、そういう流れで持ってこられるのはオレとしても嫌なんだよな。 カスミのペースにどっぷりはまるってのが気に食わないんだ。 わざと狙ってそういう風に流れを作ってるようにしか思えない。 オレが狼狽するのを見て喜んでるんだとしたら、はっきり言って親父と変わらないくらい悪趣味だぞ。 最果ての部屋で寝たいという気持ちは強いが、それを利用してオレをおちょくろうとしてるな。 「あのなあ……」 猫のようにじゃれ付いてくるナミを力づくでどうにかする気にもならず、ドギマギしちまう。 妙に心臓の鼓動が速く感じられるのは一体……ちくしょー、マジでオレらしくねえ!! 何を言えばいいものか分からずに口ごもっていると、 「ナミ。それくらいにしときなよ。アカツキ、本気で困ってるわよ」 カスミが笑顔でナミを諌める。 本気で楽しんでやがるな、この状況を……ちくしょー覚えてろ。いつか絶対仕返ししてやるっ!! 人知れず闘志の炎を燃え上がらせる。 どう考えたって、カスミは楽しんでるだろ!! こんな性悪なヤツと一緒に旅をしてたなんて……サトシもさぞかし気苦労多かったんだろうな。 なんとなくサトシに同情までしちまった。 本気でどうにかしてるぞ、オレ。 「なあ、ナミ」 「なあに?」 オレが一緒の部屋で寝ると思い込んでいるようで――リアクションを肯定的に受け止めたんだろう――、ナミが喜びの顔を向けてくる。 「オレ、別の部屋で寝るよ」 「えぇっ……」 不満げに頬を膨らませるナミ。 そんなにオレと一緒の部屋で寝たかったのか……ってか、こいつ何歳だ? 一緒にいたいっていうナイーヴな理由だけじゃないだろ、絶対。 何考えてるか分かんないからなあ……本気で変なことされるかもしれない。 一方的な被害妄想だってことは重々承知してるけど、ダメだ。 そう簡単には変な考えが止まってくれない。 ありえないって、頭では分かってはいるんだけど…… 「なんで〜? あたしと一緒の部屋に寝るの、そんなに嫌なの?」 「いや、そういうわけじゃなくて。あー、なんてゆーか……」 どう答えていいものか。思わず考え込んでしまう。 下手な答えを返したところで、ナミが口を尖らせて突いてくるに決まってる。 納得できるような答えを導き出すのは骨が折れるけど…… 「疲れてるからさ……一人にしてくれないか? ほら、オレのイビキがうるさかったりすると、ナミだけじゃなくてカスミにまで迷惑かけちまうことになるんだ。 オレ、そういうのは嫌なんだよ」 「…………」 ナミは何も言ってこなかった。どこか淋しそうな顔でオレを見るばかり。 とっさに口を突いて飛び出した言葉。 でも、ウソじゃない。 疲れてるんだよ、ホントは。 ポケモンセンターに戻ってきてからというものの、疲れがどっと噴き出したような感じなんだ。身体よりも、精神的な方が大きいのは分かってる。 知らないうちにイビキ欠いたりするかもしれない。 それでナミやカスミに迷惑をかけちゃうんじゃないかっていう心配は確かにある。 本当のところは、一人でゆっくり休みたいって気持ちが大きいんだよな。 「分かってくれるか、ナミ? 今度はいつでも同じ部屋で寝てやるからさ。な? 今日はひとりにしてくれないか?」 「ホント?」 「ああ。約束する」 ……あ。 言い終えてから、ホントにそれでいいのかという後悔が逆風となって吹き付けてきた。 でも、一度口に出した言葉を翻すようなヘタレな根性は持ち合わせてないつもりだ。 こうなったら仕方がない。 ヤマブキシティのポケモンセンターで、同室ってことにしよう。 変なことされそうになったら、ラッシーの眠り粉で強制的に眠らせてしまえばいいし。 最大の防御策に気がついたおかげで、なんとなく気分も楽になったような気がする。 「うん。わかった」 ナミは納得してくれた。 渋々って感じだけど、食いついてこないところを見ると、オレの気持ちは通じたらしい。 ホッと一息だよ。ホントに。 「じゃあ……またな」 「うん」 「ゆっくり休みなさいよ」 「ああ……」 オレはすぐ傍の部屋に入った。 さっきまで行こうと思ってた部屋はまだ遠いけど、これくらいがちょうどいいのかもしれない。 ナミとカスミはなにげに性格で意気投合してるから、どこまでドンチャン騒ぎを繰り広げるか分からない。 だから、隣の部屋というのは止めといたんだ。 ホントのところをカスミは理解してくれてるんだろう。 だから、余計な口は挟まなかった。 本気で油断ならないヤツだけど、根は優しくて思いやりのある女の子だからな……それくらいは分かるさ。オレにだって。 部屋はさっぱりとしていた。広くもなく狭くもない。 個室ってイメージがピッタリだろうか。 机と椅子とテレビとベッド。家具はそれくらいなもので、床と壁と天井の木目調が妙にマッチしているように思える。 結構落ち着いて寝られる部屋かもしれない。 オレはリュックを机に置くと、そのまま倒れ込むようにベッドで横になった。 はあ…… 誰もいないと分かるから、漏れてくるため息。 人のいる場所で疲れてる様子を見せれば「どうしたの?」って言われるかもしれない。 余計な気苦労をかけてしまうのは、オレとしても本意じゃないからな。 「いろんなことがあったような気がするな、今日は……ふわぁ……」 思わず欠伸が漏れ、不意に眠気が襲ってきた。 精神的に疲れているオレに、眠気に抗うだけの余力なんて残されているはずもなく、抵抗むなしく、眠りに追い込まれてしまった。 「ふみゅー……」 無意識のうちの寝返りに、ナミは目を覚ました。 眠れないというわけではない。たまたま目が覚めてしまった。 窓にかかったカーテンの向こうは夜の世界。 闇夜のカーテンをバックに、月が輝き、星が瞬く。静寂の世界だ。 室内は薄暗いものの、かすかに入ってくる月明かりのおかげで、目を凝らしてみると家具の配置がよく分かる。 「むぅ……」 せっかくいい気分で眠りに就いたというのに、上半身を起こして時計を見てみれば、まだ十時半ではないか。 眠りに就いてから一時間と経っていない。 どうして起きてしまったんだろうと、運の悪さに嘆きもしたくなるが、そもそもナミにはそんな思考がないので関係ない。 運悪く目を覚ましてしまった自分と違って、カスミはちゃんと眠っているんだろうか。 そう思って視線をめぐらせてみるが、カスミの姿はベッドの上になかった。 もちろん、部屋のどこにも。 廊下に出なくても、部屋に備えつけのバスルームで風呂とトイレは事足りる。 バスルームの明かりが点いていないのを見ると、部屋を出ているようだ。 丁寧なことに、布団はちゃんとたたまれている。 「を? カスミ、どこ行ったんだろ……?」 夜食でも探しに行ったんだろうか。そう思いながらベッドを降りる。 「お腹空いたのかなぁ……」 寝ぼけ眼をこする。 カスミがどこに行ったのか、気になって仕方がない。 このままでは眠りに就くこともできないかもしれない。 カスミのことが心配で……という乙な感情がないわけではないが、 それよりも『カスミがどこへ行ったのか』ということの方が気になって仕方がないのだ。 実にナミらしい考えなのだが、それを指摘する人物は残念ながらここにいない。 「まあ、いいや……ちょっと歩いてこよっと」 夜風に当たれば、少しは眠ろうと言う気になるかもしれない。カスミもいるかもしれない。 そう思って、部屋を出た。 窓のない廊下は天井からの明かりのおかげで、歩くのに十分すぎる光度を宿している。 もともと平坦だから、足を取られて転倒するということはないが、それでも人的な配慮が為されているのだろう。 いろいろと楽しいことを考えながら廊下を歩いていくうち、ロビーに辿り着く。 同じようにライトアップされていたが、そこに人の姿はなかった。 ナミたちのほかに、宿泊しているトレーナーはいないのだ。 「ここにもいない……どこかなぁ……」 アカツキなら知っているだろうか? 通り過ぎた部屋で一人、悠々自適に眠っているであろう従兄妹の少年のことが脳裏に浮かぶ。 だが、よく考えればそれも無理な話かもしれない。部屋が違うのだから、分かるはずがない。 「外だったら、探しようもないよね」 もしかしたら、と思いつつ入り口を見やる。 「を?」 ドアはほんの少しだけ開いていた。 もしかしたら、カスミは外に出て行ったのかもしれない。 「でも、何のために出てったのかなぁ……」 理由など考えたところで正解を導き出すのは困難だ。 ナミにもそれくらいは分かるのだが、なぜだか眠ろうと本心から思えない。 何か気持ちを持て余しているような……そんな気分だ。 何かに導かれるように――ナミは外へと歩き出した。 そんな意識はないものの、足取りはそんな風にさえ見えた。 外に出るなり、涼しいような生温いような、微妙な温度の風が吹きつけてくる。出迎えてくれたのはささやかな虫の声。 どこへ行くわけでもなく、ポケモンセンターに沿うように歩いてしばらく。 「……ィっ!!」 かすかに声が聞こえ、続いて何かがぶつかる固い音。 「え、な、なあに?」 何もないところからそんな音がしたので、ナミはビックリして視線を周囲にめぐらせた。 一体何があるというのか。 気になりだすと、坂道を転がり落ちる岩のように、その気持ちがどんどん膨らんでいく。加速度的に。 ものの数秒でナミは興味の塊となって、音の聞こえてきた方へ足を向けるのだった。 その気になった女の子というのは総じてそういうものか…… まあ、どうでもいいからほっといて……走り出して数秒。 数本向こうの木立の傍に、こちらに背を向けて立っているカスミの姿を認めた。 「あ、こんなところにいたのね、カスミったら。でも、一体こんなところで何してるんだろ?」 何が起こっているかなど、もうどうでもよくなった。 そういえば、カスミを探して外に出たんだった。 見つけられたからその目的は達成……要するに単純な思考で彼女は動いていたのである。 小走りに、カスミの傍へと駆けてゆく。 「カスミ。どしたの? こんなとこで」 「な、ナミ……ビックリさせないでよ……もう……」 声をかけると、カスミは大げさとも思えるほど身体を震わせて振り向いてきた。 表情からも明らかに動揺していることが分かるが、ナミは取り合わず―― 「あたしが来るまで気づかなかったんだね。何見てたの?」 なんて言いながら、カスミが隠れるようにして立っていた木の向こうに視線を送ると―― 「あ……」 さっき聞こえた音が再び響く。 そこにいたのは、アカツキだったのだ。 傍にはラズリーとリッピーが真剣な面持ちで向かい合っている。 今にもケンカをしそうな雰囲気だが、心なしか、両者とも肩で息をしているように見える。 「アカツキも外に出てたんだ。一体何してるのかな? おーい、あ……」 ナミがしようとしていることに気がついて、カスミは慌てて飛び出そうとしたナミの腕を引っ張った。 「にゃ? いきなりなにするの〜?」 いきなりのことにビックリして、ナミは声を震わせながらカスミに抗議した。 自分はアカツキの前に出ていこうとしていただけなのに、どうして腕を引っ張られなければならないのか。それも、かなり強い力で。 理由がサッパリ分からなかったから、抗議する気になるのだ。 だが、怒りたいのはカスミも同じだった。 表情は穏やかだが、眉尻を吊り上げて十時十分の形にして、 「あんた、アカツキがなにしてるのか、分かんないの?」 「え?」 「あたしが黙って見てた理由も……その顔じゃ、分かんないわよね」 呆れたように言うカスミ。ナミは首を傾げるばかりだった。 「なに言ってるの?」 「見てみなさいよ。声はかけないように。静かにね」 何を言われているのかサッパリ分からないものの、ナミは言われたとおり、木の脇から覗き込むようにしてアカツキたちの様子を見つめた。 「ラズリー、もう一度電光石火!! リッピーはリフレクターだ、頑張れ!!」 アカツキはポケモンと同じ――あるいはそれ以上に真剣な面持ちで、彼らに指示を下した。 ラズリーが前傾姿勢で駆け出し、リッピーが身構える。 「ブイーっ!!」 渾身の一撃が直撃……かと思われた瞬間、リッピーの前に、半透明のオレンジの壁が現れた。 がくっ!! ばりんっ!! ラズリーの身体が当たると、壁は粉々に砕け――何事もなかったかのように、ラズリーの電光石火がリッピーを直撃した。 「ピっ!!」 たまらず吹っ飛び、毬のように転がるが、一メートルと転がらずにむくっと起き上がった。 リフレクターで軽減した分の威力は削られて、それほどのダメージにはならなかったようだ。 「よし、その調子だ!!」 檄を飛ばしているのか。それとも労っているのか。 ナミには分からなかった。どちらにも取れるから。 とはいえ…… 「アカツキ、なにやってるんだろう? あ、もしかして特訓?」 「まあ、そういうこと」 「どーして? アカツキ、あたしより強いじゃない」 「人にはいろいろあるってことなんじゃないの?」 カスミはとぼけたが、ナミにはよく分からなかった。 一人でこっそりポケモンセンターを抜け出してまで、特訓にしか見えないようなことをしている理由などあるのだろうか。 どうしてアカツキはこんなことをしているのだろう? トレーナーとしては、彼の方が知識も実力も上のはずなのに。 少なくともナミはそう思っている。 判断力、決断力、度胸……そのどれを取っても勝てないと思っているから。 そんな彼がどうして、誰にも見られまいとポケモンセンターから離れたこの場所にいるのか。 どれだけ考えても答えは出てこなかった。 当然である。 そんなものは、当人にしか分かるはずがないのだから。 「でも、なんか真剣……」 真剣な雰囲気はピリピリと、針で刺されるように伝わってくる。 アカツキの額はびっしりと大粒の汗が浮かんでいた。長い時間、真剣に打ち込んでいることがよく分かる。 「ねえ、ナミ」 「なあに?」 肩越しに振り返る。 カスミはナミの肩に手を置くと、アカツキたちに目をやった。 その間にも、アカツキはラズリーとリッピーに指示を下し、ラズリーとリッピーはその通りに動いている。 これはどう見ても特訓だ。 ポケモンバトルの特訓。技を覚えさせるためなのか、それともポケモンのレベルアップのためなのか。どう考えても両方だ。 「あんたは、アカツキのあんな真剣な表情、見たことある?」 「え?」 弾かれたようにアカツキを見やる。 いつになく真剣な従兄妹の少年の表情。 少なくとも、今まで見たことはなかった。 「ない……たぶん」 「そうでしょうね。あたしとのジム戦でも、あんな表情は見せなかったわ」 もしかしたら、自分の知らないところで……そう、たとえばジム戦とか、旅に出る前とか……こんな表情をしていたかもしれない。 だけど、知らない表情だということに変わりはなかった。 これ以上ないほどの真剣な表情。必死になっているのがよく分かる。 何に対して必死になっているのかまでは分かるはずもなかったが。 「アカツキ、どうしたんだろう……」 なんだか不安になった。なにか、不安でもあるのだろうか? もしかして、焦りとか…… 「アカツキはきっと、あんたに追い抜かれたって思ってるんだよ」 「え? あたしに追い抜かれた?」 信じられない言葉を聞いたような気がした。 追い抜かれた……? 誰が、誰に? 何がなんだか分からないうちに、カスミが言葉を継ぎ足してきた。 「よく考えてみて。 トレーナーとしての実力なら、たぶんアカツキの方が上だろうけど、ポケモンは? あんたのリザードとサンダースと、アカツキのフシギソウとイーブイとピッピを比べてみたら。どっちの方が強そう?」 「えっと、それは……あ……」 なんとなく分かった。 根拠はないし、それを明確な言葉で表すこともできそうにない。 でも、分かった。 アカツキは自分に負けたくないと思っている。 現時点の彼自身が、自分に負けていると……少なくとも彼はそう思っている。 だから、人知れずこうして特訓をしているのではなかろうか。 「カスミ。だから見てたんだ。黙って」 「そうよ。帰りましょ。ホントは、あたしたちが見ていいものじゃないわ」 「うん」 ナミとカスミは、ポケモンセンターへと戻って行った。 アカツキは、彼女たちが見ていたことに気づくことはなかった。 がっ!! ラズリーの電光石火が決まり、リッピーは地面に這いつくばった。 必死に立ち上がろうともがくけど、かなりのダメージを受けているリッピーに立ち上がるだけの余力はなかった。 「よし、そこまでだ」 今日のところはこれくらいにしておこう。 オレは、額の汗を拭った。 いつの間にかこんなにビッシリと大粒の汗をかいていたらしい。 せっかく風呂を済ませたってのに、これじゃあもう一度入り直さなきゃいけないな。 顔だけじゃなくて、身体中が蒸せているような感じだ。 服が肌にべったりと張り付いた感じが、とにかく気味悪い。洗濯も追加だろうか。 肩で息をしているラズリーを肩の上に乗せ、リッピーの元へ駆け寄る。 「リッピー、大丈夫か?」 「ピっ」 そっと抱き起こすと、リッピーはニッコリと笑顔を返してくれた。 受けたダメージを、本人はそれほど感じていないのかもしれない。 同じ女の子ということもあってか、ナミのように陽気なのは悪くないけど……ここまで鈍いってのも困るかも。 「よく頑張ったな。えらいぞ」 「ピっ」 労いの言葉に、リッピーの笑みが深まる。 「ラズリー。君も」 「ブイっ」 ラズリーがうれしそうに耳元で嘶くけど、その声は弱々しかった。 さっきからリッピー相手にバトルし続けてたんだから、そりゃ疲れる。 身体を動かしていないオレでさえ、全身汗びっしょりなんだから、実際にバトルしているポケモンの疲労はピークに達しているだろう。 オレはポケモンセンターを一人抜け出して、かれこれ二時間ほど前からポケモンバトルの特訓をしてたんだ。 ポケモンセンターから少し離れたところを選んだのは、ナミやカスミに迷惑をかけたくなかったからだ。 ラズリーとリッピーがぶつかり合う音は結構大きいから、近くだと聞こえてしまう可能性があった。 でも、本当の理由はそんなんじゃない。 誰にも見られたくなかったんだ。 こんな、コソコソ隠れなきゃいけないなんてさ……ホントに自分らしくないって思うよ。 でも、誰にも見られたくない。こうやって、必死になって頑張ってるところなんか。 「オレ、ナミに負けてるからな……負けたるところなんか、見られたくないよ」 すぐ傍の木の幹に背中を預け、そのまま座り込む。 ラズリーとリッピーを傍に下ろす。 満天の星空を見上げ、思う。 そうさ……今のオレはナミにも負けちまってるんだ。 昼にヤマトとコサブロウのポケモンに不覚を喫しただけじゃない。 ナミのポケモンには勝てない……そんな気がする。 ラッシーは、トパーズになら勝てるかもしれない。 でも、ガーネットには勝てないだろう。 相性が圧倒的に不利だ。 ソーラービーム連発作戦だって、日本晴れで炎タイプの技が強化されてしまえば、それどころじゃない。 で、今のラズリーとリッピーじゃ、タッグを組んでもトパーズを倒せない。 素早さが違いすぎるんだよ。 自慢のスピードを生かして速攻を掛けられたら、撹乱の上に各個撃破されるのがオチだ。 やりもしないのに負けを認めるなんて、ホントは嫌だけど、事実なんだって思う。 トレーナーの実力としてならたぶんオレの方が上だろう。 でも、ナミのポケモンはそれすらカバーしてしまう実力を身につけてるんだ。 進化形だからっていう理由もあるかもしれないけど、それ以上に、ナミの前向きな気持ちが一番大きいんだろうな。 そんなあいつに、オレは負けたくない。 従兄妹としてじゃない。トレーナーとして。相手が誰であったって負けたくはないんだ。 だから、こうやって、寝る間も惜しんで特訓に打ち込む。 オレの、トレーナーとしての判断力を養うのと、ラズリーとリッピーのレベルアップ……あとは実戦向けの技を覚えさせるということで。 判断ミスというのは、ヤマトとコサブロウがタッグを組んで襲ってきた時に思い知らされた。 デルビルが真上に回り込んでいたことに気づけたなら、もう少しマシな展開に持っていけたはずなんだ。 今のままじゃ、ジム戦で勝ち続けられるとは限らない。 少しでも強くならなくちゃ。ナミにも、親父にも。負けたくないからさ。 だって、オレの夢は最強のポケモントレーナーになることなんだから。 努力しなきゃ強くなんかなれない。 「ごめんな、ラズリー。リッピー。オレの身勝手につき合わせちゃって……」 胸中で詫びを入れる。 本当に身勝手さ。 特にラズリーには、ムチャをさせっぱなしだったからな、今日は。 荷物を持たせてポケモンセンターまで戻らせたし、その上特訓までさせてしまった。 ラッシーは今、ポケモンセンターの部屋で、モンスターボールに入ってゆっくり休んでいるはずだ。 日本晴れで強化されたデルビルの火炎放射で受けたダメージは予想以上に大きく、回復装置でも完治させることができなかったんだ。 でも、今日一日眠れば大丈夫だとジョーイさんが言ってくれたから、今日のところはゆっくり休ませることにした。 「ラズリー、リッピー。 いい感じだったぞ。今日一日で、君たちは強くなった。オレはそう思ってる」 ポツリつぶやきながら頭を撫でてやると、ラズリーもリッピーも、とてもうれしそうな顔を向けてくれた。 努力が報われた、と言わんばかりの明るい笑顔に、オレも少しだけ疲れが吹っ飛んだような気がする。 「オレたち、もっともっと強くならなきゃいけないんだ。 だってさ、目指すは最強のポケモントレーナーなんだから」 「ブイっ!!」 ラズリーは大きく頷くと、オレの胸に飛び込んできた。 一瞬ビックリしたけど、それだけラズリーの意気込みもすごいってことだからさ。責めることなんかできないよ。 「なあ、ラズリー」 片手でラズリーの身体を撫で回しながら、もう片方の手をズボンのポケットに突っ込む。 取り出したのは炎の石。 昨日、とある三つ子のトレーナーと戦って、もらったものだ。戦利品というヤツである。 炎の石は、半透明のオレンジを呈する石の中に炎のような模様が刻まれているのが特徴だ。 進化の石と呼ばれている通り、石の放射線がポケモンの進化を促す。 ラズリーに代表されるイーブイは、進化の石で三タイプの進化が可能だ。 雷の石を使えば、ナミのトパーズのようなサンダースに。 水の石を使えば、シャワーズに。 そして、オレの手の中にある炎の石は、ラズリーをブースターに進化させることができる。 不思議そうな顔を炎の石に向けるラズリー。 「これ、分かるか?」 「ブイ?」 ラズリーは首をかしげた。 オレの言葉を完全に理解しているわけではないようだ。 でも、断片的に、なんとなくは分かっているのかもしれない。 「炎の石って言ってさ、君を進化させることができるんだ。炎タイプのブースターに」 「クーン?」 鼻を鳴らす。 炎の石のにおいを嗅いでいるんだろう。 ホントは……この石を使うのはもっと先になるだろうと思っていた。 ラズリーがもっともっと強くなってからのことだって。 でも、ラズリーは今日一日ですごく強くなった。もちろん、リッピーだって。 度合いはラズリーの方が断然上だ。 電光石火に磨きはかかったし、高い威力を誇る代わりに扱いが難しいアイアンテールも、命中精度が高くなってきた。 覚えたての頃に比べれば、実戦でも十分に通用するレベルに達している。 そんな今なら、進化させてもいいような気がする。 もちろんそれはオレの勝手な希望に過ぎないわけで、最後にはラズリーの気持ちも確認しておかなくちゃいけない。 「ラズリーは進化したいか?」 ラズリーの視線がオレに移る。 目と目が合う。言葉にならない気持ちが流れ込んでくるような気がした。 ラズリーの目には迷いなんか微塵もなかった。澄んだ瞳に映っているのは、オレの顔だ。 出会ったばかりのラズリーとはまるで違う。 一緒に旅をしてきて、ラズリーは変わったよ。 初めて出会った時は、オレの顔を見ただけで、今にも泣き出してしまいそうな頼りない性格だった。 でも、今は違うんだ。根本までは変わってないかもしれないけれど、勇敢な性格になった。 バトルでは相手を怖がらないし、積極的に攻撃を仕掛けることができるようになったんだ。 ラズリーは強くなった……そう言ってもいいくらい。 オレなんか、軽く抜かれちまったんだろうな。 だから、炎の石でラズリーがもっともっと強くなったら……その時のことを想像すると、なんだかワクワクしてくるんだ。 「ブイっ!!」 ラズリーは大きな声で嘶き、頷いた。 ボク、進化する。 そんな風に聞こえたのは気のせいだったんだろうか? 「ラズリー。いいんだな、ホントに?」 確認のために問いかけると、返事とばかりにオレの手の炎の石に触れた。 刹那。 ぴかっ!! 「ピっ!?」 ラズリーの身体が輝きを放った!! 突然のことに、楽天家のリッピーも腰を抜かしたようだ。 ハトが豆鉄砲食らったような顔をラズリーに向けている。一体何が起こるんだろうと言わんばかりに。 「ラズリー、サンキュー」 ポツリつぶやき、ラズリーの『進化』を見守る。 ポケモンの進化を見るのは何度目になるだろう。 ラッシーがフシギダネからフシギソウに進化する瞬間や、 じいちゃんの研究所で暮らしているポケモンが進化した瞬間にも立ち合っているから……実際は両手の指の数より多いだろう。 だけど、今回は特別。 そんな気がする。 光に包まれたラズリーの身体が、徐々に大きくなっていく。 一回り……いや、二回り大きくなったところで変化は終わり、光が音もなく消えていく。 そこにいたのは、イーブイとしてのラズリーじゃなかった。 炎タイプのポケモン……ブースターに進化したラズリーだった。 「ブースタぁっ!!」 ラズリーが声高に叫ぶ。 身体が大きくなり、声の迫力もそれなりに備わったように思えた。 「ラズリー、おめでとう。進化したんだぜ?」 「ブーっ!!」 ラズリーは大きく頷いた。 身体が全体的に大きくなり、炎のように赤々と色も変わっている。尻尾と首もとの毛は薄いクリーム色で、肌触りはとても良さそうだ。 ブースターというポケモンは、持ち前の炎タイプの技も強力だけど、何よりも、小柄な身体からは考えられないような物理攻撃力。 ラッシーと大して変わらない体格で、ナミのガーネット、トパーズをも上回る攻撃力を秘めているんだ。 進化して姿形が変わった。 もしかしたら、性格もちょっと変わってしまっているかもしれない。 世界で一番弱いって言われるコイキングが進化すると、世界一凶暴と言われるギャラドスになる。 そこまでは行かなくとも、多少は性格が変わっているかもしれない。 それでも…… 「ラズリー、これからもよろしくな」 オレはラズリーの身体をギュッと抱きしめた。 摂氏900度に達することもあるというその身体はポカポカと温かかった。 熱すぎず温すぎず……本当に気持ちよく感じられる温度だ。 毛の肌触りのよさも相まって、フカフカのベッドに眠っているような気分になる。 「ブーっ!!」 うれしそうに嘶くラズリー。 オレの腕の中でもぞもぞと動いているのは、うれしいからだろうか。 それとも、くすぐったいと思っているからか。 分からないけれど……いつかカスミが言っていたのを思い出す。 ――記憶まで消えてなくなるわけじゃない。 そうだ。 ラズリーがオレたちと一緒に過ごしてきたって事実まで消えてなくなるわけじゃない。 ラズリーはちゃんとオレたちのことを覚えてる。 進化をして、姿形が変わってしまっても、絶対に変わらないもの。 それは同じ時を過ごしたという事実であり、記憶だ。 これからも、同じように一緒に歩いていける。 そう思えることが、こんなにもうれしいだなんて。 言い知れぬ喜びに包まれて、オレは時が経つのも忘れてラズリーの暖かな身体を抱いていた。 To Be Continued…