カントー編Vol.11 虚空を裂く、稲妻のごとく 眼下に広がる港町の向こうには、陽光を照り受けてキラキラと輝く大海原。 マサラタウンから見える海とはまた違った雰囲気に、オレは思わず呑まれそうになった。 大小さまざまな船が行き交い、海鳥が寄り添うように船の周囲を飛んでいる。 「クチバシティに到着ね♪」 素直に感動すら覚えているオレの傍で、お約束の黄色い悲鳴を上げるナミ。 もう何度目になるか……あんまり覚えてないけど、毎回のことだから、ツッコミを入れようという気すら失せてくる。 「わーっ、キレイな海……マサラタウンの高台から見た海とはまた違って見えるね」 「ああ。こっちの方がキレイかもな」 ナミの言葉に、オレは正直に頷いた。 たとえ同じものでも、見る場所や見る人の気持ち一つで違って見えることがあると聞いたことがあるけど…… 目の前に広がっている景色も、きっとそういうものなんだろう。 船や海鳥、灯台といったオマケつきだから、余計キレイに見えるのかもしれない。 人工物ですら自然に溶け込んでいると考えると、オレは今素直な気持ちになっているんだろう。 素直にキレイなものをキレイだと感じて、心が洗われるかのようだ。 オレもナミもずっと海を見て立ち尽くしているものだから、カスミが不満げに頬を膨らませていた。 もちろん、オレもナミもそれにまったく気づいていない。 「あのさ、そろそろ行かない?」 しばらく経って、やけに苛立った声でカスミが言ってきた。 「ああ、そうだな」 カスミは飽きていたらしい。 まあ、カスミはオレンジ諸島の冒険も楽しんだんだよな。 オレンジ諸島はカントー地方の南部にある群島の総称なんだ。 島から島の移動には定期船やら、水上を移動できる大型ポケモンの背中に乗るという手段を用いる。 もちろん、海を移動するわけだから、それこそ飽きるくらい見ているんだろう。 今さら感動を覚えないとしても、なんの不思議もない。むしろ当然かもしれない。 カスミからすれば、オレたちの方こそ世間知らずなガキって感じなんだろうな……癪だけど。 目の前のゆったりとした坂道を下りれば、クチバシティの街中に入る。 ここからは街を一望できるから、ポケモンセンターやクチバジムの位置もはっきりと分かるんだ。 ポケモンセンターは街の中心部にあって、クチバジムはどちらかというと港から離れた場所にある。 二つの施設を隔てているのは、緑が鮮やかな公園だ。 距離的にはそれほど離れていないから、行き来するのは簡単だろう。迷う心配もない。 「ナミ、行くぜ」 「うんっ。ジム戦、頑張らなくちゃね」 ナミの言葉を受け、オレは歩き出した。 四つ目のジムとなるクチバジム。 今回のジムリーダーはどんなポケモンを使ってくるのか。一筋縄で行くような相手でないことは間違いないけど…… ラッシーとの相性さえ悪くなければ、必殺コンボで倒せるかもしれない。ここは強気に攻めてみよう。 ある程度の方向性がまとまったところで、坂を下って街中へ入った。 さすがはカントー地方の海の玄関口。白レンガが敷き詰められたメインストリートは様々な格好をした人で溢れかえる寸前だった。 いかにも船乗りという体躯の良い男性や、異国から来たと思しき金髪の女性。 普通の人から、ちょっと変わった人(?)まで、それこそ考えうるあらゆる種類の人たちでごった返してる。 「人いっぱいいるね〜。変な人もいるけど」 「あんまり声デカくして言うなよ。聞かれたら何されるか分かったモンじゃないからな」 「まったくね」 降りそそぐ陽光から目を守るように手をかざし、ナミが周囲を忙しなく見渡しながらそんなことを言う。 オレとカスミは揃って釘を刺した。 まあ、ナミに『一般常識』なるモノがあるのかは甚だ疑問だけど、一緒に旅をしている以上は、彼女の言動にも気を遣っておく必要がある。 もちろん、変な方に行っちゃわないように。 チラリとカスミに目をやると、困ったような顔をしながらも、口の端に笑みが浮かんでいた。 ナミのそういったところには困っているけど、かえって微笑ましく見えているのかもしれない。 まあ、それはオレも同じだけど……それも度を過ぎると逆効果だってことは疑いようもない。 街を一望できるところからポケモンセンターの場所をちゃんと確かめたけど、メインストリートには色とりどりの標識が並んでいて、 どこへ行けば良いのか、迷わないようになっている。 ひらがなやカタカナだけじゃなくて、アルファベットやらハングルやら漢字やら…… とにかく様々な種類の文字で、いろんな国の人に分かるようになっているんだな。 さすがは海の玄関口。ユニバーサルデザインが平準化されちゃってる。 いろんな国の人が出入りするから、こうやって道に迷わないようにとの工夫が為されているんだろう。 マサラタウンに外国の人が来ることは滅多にないから、標識に英語表記はされていないし、そもそも標識自体が圧倒的に少ない。 標識なんてなくても迷うような町じゃないし、景観に良くないという理由もあるんだろうけど。 「たくさんの人がいるんだね。 ハナダシティもヤマブキシティも、ここまでバリエーションが豊富じゃなかったよ」 「まあ、そりゃそうだな。一応海の玄関口だから」 ナミの言葉に頷いて、オレは周囲を見渡した。 本当にいろんなジャンルの人がいる。オレたちが一番まともに見えてくるくらいだ。 リボンとかケープとかで着飾ったオシャレな犬を連れてる人もいれば、己の肉体美を存分に披露できるような格好をしてるような人まで。 ある意味でコンテストさながらなんだけど、それすら新鮮に感じられるんだから、少しは気分も落ち着いているんだろう。 これからジム戦だって言うのにさ…… まあ、気持ちを落ち着けるのって大事なことだと思うから、無理に慌てるつもりもないけれど。 「カスミは何の用事があってこの街に来たの?」 「え……?」 ナミに訊かれ、カスミはビックリした。 ああ、そういえば…… ナミはカスミがホウエン地方に行くってこと知らなかったんだっけ。 この街に来てしまったら、もう隠し立てすることはできないわけだけど…… 少しだけ振り向いてみると、カスミは何かを考えているような顔をしたけど、すぐに顔を上げ、 「あたし、この街から船に乗るの」 「え? 船に?」 「うん」 船……ホウエン地方へ行く船だ。 ホウエン地方のどこへ行くのかまでは分からないけどさ。 「あたしの知らないポケモンがたくさんいる場所に行くの。 少しは息抜きもしないとね、ジムリーダーなんてやってられないのよ」 「へえ、そうなんだ」 半ば詭弁に近い言葉にも、疑う様子すら見せないナミ。 ……って、納得してるなよ。いくらなんでも取ってつけたような理由だろうが。 突っ込んでやろうかと思ったけど、そうもいかなかった。 オレはあらかじめカスミからホウエン地方に行くことを聞かされてたからな。 彼女の返答が詭弁に近い言い訳だってことを知ってるけど……ナミは知らないし。 二人の一向に進展しない一問一答を小耳に挟みながら歩くうち、オレたちはポケモンセンターの前にたどり着いた。 不意に足が止まる。 自然と、カスミと目が合った。 軽く微笑みかける彼女の表情と瞳には、別れの淋しさがにじんでいた。それが分からないほど、オレは子供じゃない。 「ここでお別れなんだな」 「うん……」 「もうお別れなの?」 「うん……」 オレとナミの言葉にそれぞれ頷いて―― カスミの目が潤む。 ほんの少しでも気を抜けば涙が溢れてしまいそうで、そうならないように必死に堪えているのが分かるよ。痛いほどに。 だったら…… 「ゆっくり息抜きしてこいよ。まあ、言われるまでもないだろうけどさ」 「うん。当たり前でしょ」 「まあ、なんだ……お互い頑張ろうな」 どんな言葉をかけていいのかよく分からなくて、適当に締めくくった後で、手を差し出した。 言葉よりも早くて、確かな方法だと思ったからさ。 それに……これ以外、オレには思い浮かばなかったんだ。 そんなこと、口が裂けても言えないけど。 「…………」 カスミはオレが差し出した手をじっと見つめていた。 彼女が何を考えているのかは分からない。 だけど、気持ちは通じているはずだ。そう信じたい。 ナミも何も言わない。 珍しく、場の雰囲気を読んでいるんだろうか? 余計なことを口走らないだけ、マシといえばマシか。 十秒、二十秒と時が過ぎ――カスミが腕を動かした。 そして、オレの手と重なり――ギュッと握り合わせる。 「次は絶対に勝つんだからね。それまでに少しは実力つけてなさいよ」 「ああ。そっちこそ怠けてんなよ。この間より簡単にやられちまわないようにな」 「あたしを誰だと思ってんのよ。おてんば人魚、カスミちゃんよ?」 軽口を交わし合ううち、カスミの笑みが深まった。 「まあ……いいわ。あんたたちも頑張るのよ。カントーリーグ、ちゃんと観に行ってあげるからさ」 「ああ。楽しみにしてるぜ」 「カスミになら観に来てもらってもいいよね♪」 カスミの笑みに釣られるように、ナミも笑顔になった。それを見届けるようにして、オレの手を離す。 「それじゃあ……あたし、行くね」 「また会おうぜ」 「うん。アカツキ、ナミ。 あたし、あんたたちと短い間だけど、一緒に旅できて楽しかったよ。貴重な経験になったと思う。ありがとう」 「ああ、こちらこそ」 「また一緒に旅しようね」 「うん……じゃあねっ!!」 名残惜しそうな顔を少し見せながらも、カスミは身を翻し、港へと走っていった。 時々振り返りながら、大きく手を振る。 オレも大きく手を振って、カスミの新たな旅立ちを見守った。 ほんの一瞬だけ―― 人込みに紛れる直前に、虚空に煌めく何かが見えたような気がするけど…… 確かめようにも、カスミの姿は人込みに紛れ、すぐに見えなくなってしまった。 「行っちまったな……」 「うん」 ポツリつぶやくと、ナミが頷いてくれた。 いつもより言葉少なめなのは、ナミもナミなりに心を痛めているからなのかもしれない。 いつも元気ハツラツなナミからは想像もできないけど……でも、ナミにだって悩みとかはあるんだ。 オレだって、ハナダシティからここまで、短い間だったけどカスミと一緒に旅ができて良かったと思ってるんだ。 いろいろと思い返すこともあって、そこからまた気づかされることもあったから。 カスミと旅をしてきた日々を振り返ることにも飽きてきて――薄情かな、オレって?――、オレはポケモンセンターの自動ドアをくぐった。 少し遅れてナミがついてくる。 一度だけ振り返ってみると、彼女の顔には別れの淋しさはなかった。 カスミに負けていられないと言わんばかりの気迫がにじんでいるように思えたよ。 一時はどうなることかと心配してしまったけど……杞憂だったな。 ハルエおばさんにみっちり仕込まれたナミがそんなに打たれ弱いワケないか。 ともあれ、カスミはカスミの道を歩き始めたわけだし、オレたちも負けちゃいられないよな。 何も言わず、ポケモンセンターの自動ドアをくぐった。 毎度のことだけど、今晩の宿を確保しておかないと。 ホールのように広いロビーは吹き抜けで、天窓から陽の光が差し込んでくる。 昼間は照明要らずって感じだ。省エネ型のポケモンセンターなんだろう。 ロビーには百近い椅子が並べられていたけど、半分ほどが埋まっていた。 外国のジェントルマンやらサーファーやら船乗りやら……椅子に腰掛けている人も、港町ならではの面々。 「あんまり混んでないんだね」 「そうだな。これなら泊まれるだろ」 半歩遅れてついてくるナミの言葉に頷き、オレはカウンターへ向かった。 たどり着くと、ジョーイさんが笑顔で出迎えてくれた。 毎度毎度の笑顔だけど、同じ笑顔だけになんだか安心できるな。ああ、やっぱりジョーイさんだ、って感じで。 「今晩泊まりたいんですが……一応、別々の部屋で」 「かしこまりました」 注文をつけても、ジョーイさんは素知らぬ顔で応じてくれた。 パソコンの画面に目をやり、手でキーボードを素早く叩く。 空室状況をあっという間に調べ終えて、 「二部屋ですね。ルームキーをお作りしますので、少々お待ちください。ポケモンの回復は必要ですか?」 「お願いします」 オレはモンスターボールをジョーイさんに手渡した。 壊れ物を扱うような手つきでボールを持って、回復促進装置にかける。 フタを閉めてボタンを二、三回押すと、ぎゅいーん、という機械音と共に装置が作動した。 「ジム戦に行くの?」 「ああ。今回はオレが先に行かせてもらうぜ。いいか?」 「うん。別にいいよ〜」 ナミの軽い口調は、どちらが先に行っても同じだという事実を物語っていた。 まあ、そりゃそうなんだけど。 挑戦することになるんだから、それが先であろうと後であろうと同じだと。 だけど、できれば先に挑戦しておきたいな。待つのはあんまり好きじゃないから。 ジム戦に挑戦する前に、ポケモンのコンディションをベストな状態にセッティングしておく必要がある。 回復装置にかけるっていうのも、セッティング方法の一つだ。 ピピッ。ピピッ。 甲高い音が聞こえてきた。 パソコンとケーブルでつながっている機械の細長い穴から、長方形の紙が飛び出してきた。 トースターみたいだと思っていると、ジョーイさんがちょっと分厚いその紙をオレに渡してくれた。 「ありがとうございます」 礼を言って、細長い紙に目を落とす。 ルームキーだ。 部屋番号が書かれてある白地のカード。 とても地味だけど、これに派手さを求めるっていうのも筋違いってモノなんだろう。 裏返すと、黒い筋が入っているのが見えた。磁気情報を閉じ込めているヤツだ。名前や細かい機能までは知らないけどさ。 「ありがとー、ジョーイさん」 ナミも同じカードを受け取った。部屋番号は違ってると思うけど。 「ジョーイさん。今日は空いてる方なんですか?」 「そうですね。空いてる方だと思いますよ。普段なら椅子は埋まってますからね」 「すごいんだねぇ……」 オレとの会話に応じながらも、ジョーイさんはいつの間にやら動きを止めた装置からボールを取り出して、カウンターに三つ並べてくれた。 「ポケモンの回復は終わりましたよ」 「よし……」 ラッシー、ラズリー、リッピー。大切な家族の入ったボールを手に取り、腰に差す。 「アカツキ。ジム戦だね。頑張って」 「ああ。行ってくる」 ナミの励ましに頷くと、オレはジョーイさんに軽く頭を下げ、ポケモンセンターを後にした。 目指すはクチバジム。 四つ目のバッジが待ってるんだ。じっとしてるなんて、考えられない。 自動ドアをくぐって外に出ると、ポケモンセンターを囲む塀に沿って歩き出す。 緑が多い公園を横切れば、クチバジムにはすぐにたどり着ける。 それほど慌てる必要はないのかもしれない。 心なしか昂ぶり始めてきた気持ちを、あふれる緑で抑えておくのも、あるいは必要なことかもしれないけど。 今までのジム戦と同じように戦っていけば、きっと勝てるんだろうけどな……どうして、こんなに気持ちが昂ぶってくるんだろう。 どこか生温く感じられる潮風を身体いっぱいに浴びながら、ふと思う。 四つ目のバッジ。四回目のジム戦。 でも、今のオレにとってはそれだけじゃないんだ。 四つ目のバッジを手にする頃に、親父はもう一度ポケモンバトルをするために、オレの前に姿を現す。 親父がウソを言ってるとは思えないからな…… だから、今回のジム戦で、オレたちが親父に負けたあの日からどれだけ強くなっているのか、それを確かめる必要があると思うんだ。 あの日と同じなら……可能性は皆無に等しいけど、万が一ってことも考えられないわけじゃないから。 またしても親父に負けるなんて、そんなのは嫌だ。 嫌がってどうにかなるとは思えないけど、それでも親父を追い越さなきゃ、オレはオレの道に進めないような気がする。 いや、きっとそうなんだ。 今回のジム戦で分かる。 オレがどれだけ強くなったのか。みんなとどれだけピッタリ息を合わせられるのか。ポケモントレーナーとしての努力のすべてが判明するんだ。 お世辞にも明るいとは言えないようなことを考えながら歩くうち、緑豊かな公園に入った。 石畳の散歩道を抜けた先に、クチバジムがある。 うっすらと、木々の向こうに見え隠れしている建物がそうだ。 公園内の拓けた場所じゃ、子供たちが無邪気な笑顔を振りまいて友達と遊んでいる。 買い物籠を持ったおばさんたちが寄り集まって、なにやら話に興じていたり。 目を向けてみれば、それこそ港町という華やかな場所には不釣合いな日常的な風景が広がってるんだけど、今のオレにはとても無縁なシロモノばかりだ。 ジム戦を終えて、そう遠くないうちに親父がやってくる。 端から見ればたったそれだけのことだけど、オレにとっては、オレの将来を左右しかねない重大な問題。 いっそあの風景の一部にでも溶け込めたらどれだけ楽だろう、なんてほんの少しだけ考えてみたけれど、それも無理だって分かってる。 親父から逃げるなんて、そんなの考えられないよ。 逃げたら、オレはオレの道へ進めないんだから。 一生逃げ続けるなんて、そんなのはごめんだ。 だから、ジム戦を制し、親父とのバトルでも勝利をつかまなくちゃならないんだ。 切り離された日常の風景を横切り、公園を抜ける。 メインストリートを一本外れた道端に、クチバジムはあった。 「…………」 無言で見上げる。 港町だけあって、船を模したような建物だ。とはいえ、大まかな見た目だけで、細部を見てみれば普通の建物だってことがよく分かる。 建屋の傍の看板には、派手なキャッチコピーが躍っている。 『稲妻アメリカン・ジムリーダー・マチス』 アメリカの人がジムリーダーなのか。 マチスなんて名前からしても、この国の人じゃないのは間違いないだろう。 まあ、ジムリーダーがこの国の人じゃなきゃいけないなんて規定は確かないはずだし…… それだけの実力を有しているっていうことなんだ。 それに、ジムリーダーのタイプは恐らく電気……!! 電気タイプは、飛行や水タイプのポケモンに効果抜群だ。 攻撃範囲が広かったり、相手の動きを封じたりと、攻撃から補助まで、様々なバリエーションに富んだタイプだ。 オレのポケモンじゃ弱点は突けない……それは相手も同じことが言えるはずだ。 なら、ガチンコ勝負でどうにかするしかないか。 下手な小細工なしに、真正面からぶつかり合って、何とかしてパワーで相手を押し切るっていう戦法が一番有効なんだろうか…… 考えてても仕方ないかな。 なぜか開け放たれている入り口をくぐる。 いつでも来やがれと、あからさまな挑発にも思えてくるけど、そんなことを気にしてたって仕方ない。 誘いをかけてきてるのなら、応じてやるまでのことだ。 オレは行かなくちゃならない。 立ち止まっているだけの時間は……ないはずだから。 ジムの内部は空か海(あるいは両方?)を表現しているらしく、床から壁、天井に至るまで鮮やかなスカイブルーで彩られている。 さすがに天井に設置されている照明の類は白色だけど、それでも青い色の印象はとても強かった。 廊下の両脇には扉らしい扉もなく、完全な一本道。 十秒ほど歩いていくと、視界が拓けた。 バトルフィールドだった。 廊下とは対照的に、無機質な灰色ですべてが塗り潰されている。 天井から降りそそぐライトが目に痛く思えるのも、先ほどまでの印象の違いによるものだろう。 そう納得して、バトルフィールドの向こう側に立つ相手を見やる。 サングラスをかけた、金髪で背の高い男性だ。 港町には不似合いな迷彩服に身を包み、野太い笑みを浮かべている。 見方によっちゃ若くも見えるけど……でも、この人がジムリーダー・マチス。 「Hey Boy!! Welcome to Kuchiba Gym(ようこそ、クチバジムへ)!!」 バトルフィールドに足を踏み入れたオレに対して、マチスが英語で話しかけてきた。 意味は……これくらいなら分かる。学校で少しは英語をかじったから。 まあ、ジムリーダーが初対面の挑戦者に良く用いる言葉だ。 タケシやカスミも似たようなことを言ってたし。 そうしろっていう決まりはないんだろうけど、最低限の流儀なのかもしれない。 「ミーがジムリーダーのマチスだYo!! ユーの名前、教えてもらえますカ!?」 「アカツキ。マサラタウンのアカツキ!!」 スポットについて、オレは声を張り上げて名乗った。 でも、マチスの声にはとても敵わない。 マイクを使っていないのにこれほどの張りのある声を届かせてくるんだ……声量や肺活量もそれなりにあるんだろう。 「アカツキ、ネ? OK、OK!!」 なぜか笑うマチス。 オレの声が小さいって思ってるんだろうか? 挑戦者の割には威勢がない、とか? オレが何を考えているのかなんて知らない顔で、マチスはサングラスを外した。バトルをするのに邪魔と感じたんだろう。 野太い笑みによって、鋭い目つきがさらに先鋭に見えてくる。 気のせいなんかじゃない……この人は強敵だ!! 歴戦の戦士を思わせる視線、物腰……今までのジムリーダーよりも年上なのは疑いようがない。なら、その分手強いのは間違いないだろう。 オレがトレーナーとしてどれだけ成長したのかが、本気で問われてくるわけだ。 なおさら負けるわけにはいかない……!! 爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。 今までよりも厳しい戦いが予想される以上、オレもそれなりの意気込みで、覚悟で臨まなければ。 そんなオレの気持ちを察したか、マチスが口を開いてルールの説明を始めた。 「ミーのジムのルールを説明するネ!! 使えるポケモンは二体、タイムはノー・リミッツ(無制限)!! ミーかユーがサレンダー(降参)するまでバトルを続けるネ!! ポケモンチェンジはユーだけのライト(権利)ヨ!!」 あー、つまり…… 言語が変に混じってるせいで、理解するのに少し時間がかかってしまったけど……ルールは今までのジムと変わんないってことだ。 「ドゥ・ユー・アンダースタン(分かった)?」 「分かった!!」 「Oh!! ユー、リアライズ(理解)するのスピーディー!! 気に入ったYo!!」 オレの返答に満足したようで、マチスは豪快に笑ってのけた。 もしかして、変な言葉遣いをして、相手の反応を楽しんでるって言う高尚な趣味じゃないだろうな……? 確かめようかと思ったけど、のらりくらりはぐらかされそうで、やめておいた。 つまらないツッコミを入れるために来たわけじゃないんだ。 バトルして、リーグバッジを勝ち取るためだ。 「それじゃあ、レッツ・バトル!! ミーのポケモン、見せてあげるヨ!!」 マチスは笑みを浮かべたまま、腰のモンスターボールをフィールドに投げ入れた!! フィールドでワンバウンドして、ボールが口を開いてポケモンを送り出す!! 飛び出してきたのは…… 「ラーイ!!」 身の丈よりも長い尻尾を立てて威嚇の声を上げるポケモン。 ライチュウか…… 薄いオレンジの身体、耳は反り返ったような形になっていて、左右の頬には黄色い電気袋。 細長い尻尾の先は鋭く尖っていて、これも攻撃手段の一つであると如実に物語っている。 背の高さはオレの腰より少し高いくらいだから、オレのポケモンたちと大して変わらない。 ライチュウはピカチュウの進化形で、ラズリーと同じように、進化の石を与えることで進化するんだ。 ピカチュウと比べると太った印象があるけど、それでもすべての能力がピカチュウを上回っている。 ジムリーダーが使うようなポケモンなら、生半可な育て方はされていないはずだ。 電気タイプの弱点は地面タイプのみ。 ライチュウは防御面で見ると打たれ弱い部分も見られるけど、そこのところは弱点の少なさでカバーできる。 攻撃を重点的に育てているのだとしたら、防御の弱さを一気に突き破るほどの強烈な攻撃を食らわせれば、あるいは意外とあっさり倒せるのかもしれない。 もちろん、それは短期決戦が前提だけど。 「ミーのライチュウ、ナイス・スタイル(カッコイイ)でShow? ユーのポケモンも、早くステージ・オン(登場)させるヨ!!」 あー、一体何言ってんのかよく分かんなくなってきたけど……ポケモンを出せってことなんだろう。 使用ポケモンは二体……となると、今回はリッピーがお休みになるな。 進化前のピカチュウはもちろん、ライチュウの素早さも折り紙つきだから、単純なスピードファイトではまず勝ち目はない。 スピードには目をつぶって、相手の電気タイプの技によるダメージを軽減させられるポケモンが一番手。 なら…… 「ラッシー、行けぇっ!!」 オレはモンスターボールを引っつかみ、フィールドに投げ入れた。 ボールの口が開き、ラッシーが飛び出す!! 「ソーっ……!!」 ラッシーは飛び出してくるなり、お返しだと言わんばかりにライチュウを威嚇した。互いに睨み合う。 スピードでは負けていても、パワーやスタミナでは引けを取らないはずだ。 いざとなれば、ラッシーの必殺コンボで叩き伏せればいい。 防御面ではこちらが有利だから、大胆に戦っていけば良いだろう。 「WOW!! 草タイプのポケモンとは、ユーもシンキングしたネ!! But(でも)……ミーのライチュウは、そこまでスウィートじゃないYo!?」 自信たっぷりに言うマチス。 ライチュウにそれだけの実力があるにしても、タイプの相性でダメージが低減されるのは、痛いはずだ。 とはいえ、強がりとも思えない。 「ミーから行かせてもらうYo!! ライチュウ、クイック・アズ・ライトニング(稲妻のごとく)……電光石火ネ!!」 マチスがいきなり先制攻撃!! ……って、審判は一体何やってんだ……あれ? いつまで経っても何も言わないと思ったら、審判の姿はどこにもなかった。 ……って、はじめからいねぇのかよ!! それを先に言えと文句をぶつけてやりたいところだけど、そうも行かなくなっちまった。 マチスの指示を受けたライチュウが、自慢の脚力で、文字通り電光石火の勢いでラッシーに迫ってきたんだ!! さすがにこのスピードじゃあ、スピードで対抗するなんて到底無理な話…… ならば…… 「ラッシー、日本晴れ!!」 ライチュウの電光石火を受けるのを覚悟でラッシーに指示を出す。 スピードに圧倒的な差がある以上、攻撃を避けることだけで無駄に体力を消耗することになる。 多少のダメージと引き換えに優位な状態を作り出せるなら、短期決戦で臨むのみ!! 迫り来るライチュウなど眼中にないと言わんばかりに、ラッシーが無言で空を仰ぐ。 すると、フィールド全体に熱気が立ち込めた!! 「ン……!?」 マチスが笑みを崩し、険しい表情になる。 何をするつもりだ……? こちらを睨めつけるその表情が如実に物語っている。 なら、見せてやる!! 指示に移す前に、ライチュウの電光石火が無防備なラッシーを直撃!! 「ソーっ!!」 悲鳴を上げて吹き飛ばされるラッシー。 スピードが乗った一撃なら、ダメージはそう小さいものではないはずだ。 だけど、ラッシーのスタミナもかなりのものだ。これくらいなら、十分に耐えられる。 ゴロゴロと毬のようにフィールドを何回か転がったところで、ラッシーが踏ん張って立ち上がる。 「ユーが何するかなんて、ミーはドント・ノー(知らない)だけどネ!! ライチュウの前じゃ、チープ・トリック(小細工)なんて通用しないネ!! ビリビリ痺れるネ!! 10万ボルト!!」 ラッシーに一撃を加え、後方に飛び退いて着地したばかりのライチュウに指示を下すマチス。 彼の顔に野太い笑みが戻る。熱気がどうした、と言わんばかりだ。 まあ、ライチュウにとっては日本晴れの効果なんて恩恵もデメリットもないものだから、気にしないのも分かる。 でも、すぐに分かるさ。 日本晴れで幕を開ける、ラッシーの必殺コンボの恐ろしさを!! 「ラーイ、チューッ!!」 ライチュウが裂帛の叫びを上げ、頬の電気袋から電撃を放出した。 左右の電気袋から放出された電撃は虚空で交わり、一本の帯となってラッシーに迫る!! 10万ボルト…… 電気タイプの技の中でも威力は高めで、半ば電気タイプのポケモンの中ではスタンダードな技に入るほど汎用性が高い。 言い換えれば、相手にとって警戒されやすい技だけど…… ライチュウの10万ボルトの威力は並の電気ポケモンが束になって放ってやっと敵うというレベルにまで練り上げられている!! まともに食らえば、電気タイプに強いラッシーでもかなりのダメージを受けかねないな。 ならば―― 「ソーラービーム!!」 虚空を突き進んでくる電撃が放つビリビリ、という音に負けないように大きな声で叫ぶ。 待ってましたとばかりにラッシーが顔を上げ、口を開く。 瞬時にチャージが終了し、余裕で10万ボルトを迎え撃つ態勢に移った!! そして、放つ!! どんっ!! 空を突く音と共に撃ち出されたソーラービームは、マチスのライチュウの10万ボルトを易々と打ち破り、ライチュウに迫る!! とはいえ、エネルギー同士では、ぶつかり合った場合相殺されるから、それなりに威力は殺がれているけど、それでも十分だ。 「Wow!! なかなかやるネ!! ライチュウ、Dodge(避けろ)!!」 ライチュウの反応は素早かった。 素早い身のこなしで、ソーラービームからあっさりと身を避わしてみせた。 マチスの指示がなくても避けただろうな……当たれば痛いから。 目標を見失ったソーラービームは離れた場所に突き刺さり、小さなクレーターを穿った。 でも、一発避けたくらいでいい気になってもらっちゃ困るんだ。 「ラッシー、ソーラービーム連射!!」 これで終わらせやしないよ。 日本晴れの効果で、ソーラービームを発射するのに必要なチャージは劇的に縮まったんだ。一秒で何発も放てるほどに。 ソーラービームの連射に、ライチュウはついて来られるか!? 胸中で挑戦的なセリフをいくつも並べ立てる。 ラッシーがソーラービーム、二発目を発射!! 「ライチュウ、Dodge!! Dodge!! Dodge!!」 意味不明な英語を口にするマチス。 何かしらの指示なんだろうけど……分からないから、気にする必要はないかもしれない。 虚空を切り裂きながら突き進むソーラービームから、再び身を避わすライチュウ。 しかし、ラッシーは休むことなくエネルギーをチャージし、三発目、四発目と次々にソーラービームを撃ち出す!! 少しでも休めば、その瞬間に狙い撃ちだ。 どちらの体力が尽きるのが早いか……いわば賭けだけど、単純な体力だけならラッシーに軍配が上がるはずだ。 とはいえ、なるべくなら早い段階でライチュウに命中させてダメージを奪っておきたい。 次々と放たれるソーラービームから、ライチュウは避けるので精一杯だ。 それなのに、マチスは笑みを崩していない。 ライチュウとソーラービームでその顔が見え隠れするけど、間違いない。 何かしらの策を用意している……と見るのが妥当か……!? 「Wow!! ユーのフシギソウのソーラービーム、なかなかの威力だネェ!!」 証拠に、楽しむような口調で言ってのける。 「But……!! そんなに調子に乗っチャ、ダメですネェ!! ライチュウ、見せてさしあげなサイ!!」 「こけおどしだ!! ラッシー、怯むな!!」 何を見せられようが同じだ。 避けるのが手一杯という状況で攻撃に打って出れば、その瞬間を狙って最大威力のソーラービームをお見舞いしてやる。 何らかの策を用意していたとしても、それを簡単に発動させたりはしない!! 「ソーっ!!」 気合を込めて放った何発目になるかも分からないソーラービームがライチュウに迫る!! パワー、スピード共に申し分ない一撃だ。 これを食らえばいくらライチュウでもかなりのダメージになるはず。そこから畳み掛ければ、勝つのは難しいことじゃない。 頭の中でこれからのプランを組み立て―― しかし、ライチュウの姿が突然掻き消えた!! 「なっ……!?」 オレは息を呑んだ。 消えた……!? ソーラービームが虚しく地面に突き刺さった爆音を聞きながら、オレはライチュウを探した。 フィールドはソーラービームが穿った(としか思えない)小さなクレーターでゴチャゴチャになっていた。 姿を隠せるほど大きな穴じゃない。 かといって、フィールド上にその姿が見当たらない。 となると…… まさか!! 浮かんだ想像に背筋が凍りつきそうになる。 追い打ちをかけるように、マチスが口を開いた。 「気づいたみたいネ!? ユーのシンキング(考え・想像)どおり、ライチュウはアンダー・ザ・フィールド(地面の下)!! いくらソーラービームがストロングでデリシャスなスキルでも〜、ヒットしなければ痛くないネ!!」 豪快に笑うマチス。なるほど……そう来たか。 「ソー……っ?」 どうするの? 不安げに振り返ってくるラッシー。今はまだ言葉をかけてやれる段階じゃない。 相手の姿が見えず、手の打ちようがない今の段階じゃ、下手な言葉は不安を助長させるだけ。 しかし、どうする? 地面に潜られたら、マチスの言うとおり、いくらソーラービームが強力だろうと当たらない。 当たらなければ、どんな技も無意味。 むしろ、無意味に体力を使うだけ、損だ。 マチスが心理戦を挑んできたのだとすれば、明らかにオレの方が不利。 相手がどっちから攻撃を仕掛けてくるのか読めないし、いつ攻撃を仕掛けてくるのかと神経を張り詰めてなければならない。 考えるまでもなく、オレとマチスじゃ精神力には差がありすぎる。 相手の目を見れば嫌でも分かることだけど…… いつ出てくるかも分からない相手に対してできることと言えば、備えることくらいか。 だけど、ソーラービームを延々とチャージし続けるというのも、やったことがないんで、できれば避けたい。 最悪、自爆っていう可能性もあるし。 オレからの指示がないせいもあって、ラッシーはいよいよ不安に刈られたようだ。忙しなく周囲を見回して、ライチュウの姿を探す。 見当たらないから、余計に不安になるか。 それはオレも同じ。 不安だ。 ライチュウはすでにラッシーの足元に潜んでいるのかもしれない。 尖った尻尾を突き出して、近距離から10万ボルトを浴びせてくるのかもしれない。そう思うと、本気で困るんだけれど。 マチスはこの状況を楽しんでいる。 オレが札を出すのを待っているのか、反応を楽しんでいるのか。どちらにしても、悪趣味としか言いようがない!! なんとかしなくちゃならない。 こうなったら……何の対策もしないまま攻撃を食らうわけにはいかない。 拳をギュッと握りしめ、ラッシーに指示を下す。 「ラッシー、眠り粉!!」 その言葉にラッシーが背筋を伸ばし、背中のつぼみからキラキラ輝く粉を空に向けて放つ。 「ライチュウ、アイアンテール!!」 「!?」 びしっ……びしっ、がしゃっ!! ラッシーの足元の地面がひび割れ、そこから細長い何かが飛び出してきた!! ライチュウの尻尾か!? その正体を悟った時には、ラッシーは宙に投げ出されていた。 やっぱり、ずっと足元で息を潜めてたんだ。 こっちが何らかのアクションを起こしたところで技を放つ作戦でいたか!! 先ほどまでラッシーがいた場所に、ライチュウが現れた。 そうか……さっきは「穴を掘る」技で地面の下に逃げていたんだ。 そこからこういう作戦で来るとは、さすがに一筋縄じゃ行かないか。 「10万ボルト!!」 続くマチスの指示。 今なら避けられないと判断してのことだろう。 そして、不安定な態勢からではソーラービームを発射しても当たらないということを読んでいる!! でも、それはこっちにとってもチャンスだ。 ラッシーは空に舞い上がった眠り粉よりも高い位置にまで投げ出されていた。 それを追うように10万ボルトが迫る!! ――よし、今だ!! 「ラッシー、葉っぱカッター!!」 ラッシーが葉っぱカッターを放ったのと、10万ボルトが突き刺さったのは同時だった。 バジバジ、と耳障りな音を立てながら、ラッシーの身体が痙攣する!! これはかなりの威力だ……アイアンテールでダメージを受けたラッシーには辛いかもしれない。でも、チャンスは今しかないんだ!! 「Huh!! 葉っぱカッターなんて、受けてもそんなに痛くないネ!!」 ラッシーが放った葉っぱカッターはライチュウを直撃したけど、一歩も後退させられなかった。 ダメージは小さいか……でも、それでいい。 マチスの言うとおり、葉っぱカッターのダメージはそれほどでもないだろう。 くっくっく……オレの狙いは、そんなチャチなモノじゃないんだから。 ライチュウは何も知らない顔で10万ボルトを放ち続ける。 ラッシーが地面に叩きつけられてもなお容赦なく放ち続けている。それも必死な顔で。 ラッシーは電撃に打たれながらも、ライチュウと同じ必死の形相でゆっくりと立ち上がろうとしている。 電撃を浴びせ続けられているんだから、ダメージはバカにならない。 それでも闘志を失わないラッシーのためにも、ここは勝たなくちゃ。 猛烈な勢いで体力を削り取られているラッシーと、10万ボルトを放ち続けているライチュウ。どっちが倒れるのが先か……考えるまでもなかった。 「ソー……っ」 ラッシーが先に倒れてしまった。 いくらなんでも……これは耐え切れなかったんだな。 「ラッシー、戻れ!!」 「戦闘不能ネ!! OK!?」 「ああ、いいよ!!」 ラッシーをモンスターボールに戻したオレに、マチスはわざわざ確認をしてきた。 審判がいないっていうのは、こういう時にとても面倒くさいんだ。 でも、ラッシーはたぶんもう戦えない。さすがにジムリーダーのポケモンだ。 効果が薄いはずのタイプの技でも、短時間で戦闘不能に至るほどのダメージを与えてくる。 これがリッピーだったら、それこそもっと短い時間で戦闘不能にされていたかもしれない。 そう思うと、ゾッとするけどね。 「ラッシー、あとは任せてくれ。オレたちは絶対に負けないからなっ!!」 ラッシーに労いの言葉をかけ、モンスターボールを腰に戻す。 引き換えに、最後のポケモンが入ったボールを手に取る。 「ユーのラスト・ポケモン、早くステージ・オン……!? ……ン!? Noォォォォォォォォォッ!?」 いきなり訪れた変化に、マチスが悲鳴を上げた。 先ほどまでの笑みはどこへやら。ライチュウが倒れたんだ。 いきなりのことだったから、マチスは混乱しているんだろう。 戦闘不能に至るほどのダメージは受けていない。ならば、なぜ倒れたのかと。 確かに、ライチュウは葉っぱカッター一発分のダメージしか受けてない。 どう考えても戦闘不能には当たらないんだ。 だから、混乱している。 ラッシーが倒れた今なら、話してもいいか。 後続のポケモンも同じコンボを使えればそうも行かないんだけど、このまま延々と混乱しっぱなしというのも嫌だから。 「Sleeping Leaf。あんたならどういう意味か分かるだろう?」 「むぅ……ユー、なかなかやるネ……」 オレの言葉に、悔しそうに歯軋りするマチス。 直訳すれば、眠りの葉っぱ。 ラッシーが放った葉っぱカッターには眠り粉が付着してたんだ。 ラッシーが眠り粉よりも高い位置にまで投げ出されていなければ、こういう手段は使えなかったんだけど…… まあ、ここんとこは結果オーライってことで。 眠り粉が付着した葉っぱカッターをまともに受ければ、粉の成分が血液を通じて全身に行き渡り、睡魔を引き起こす。 この状態なら、オレの次のポケモンであっさり倒すことができる。 ジムリーダーの割には警戒が薄いっていうか……まあ、これも結果オーライで。 「そんなにインテリジェント(知的)には見えないのに、ユーはワンダフルな戦い方するネ!! ミーとしても、そういうファイターの方が好きネ!! というわけで……ライチュウ、ゴー・バック(戻れ)!!」 マチスはライチュウをモンスターボールに戻した。 ポケモンチェンジが認められていないジムリーダーがポケモンを戻すということは、戦闘不能と認めるってことに他ならない。 眠りながら戦えるような器用なポケモンならいいけど、ライチュウにそういう芸当はないだろう。 だからこそ戻したんだ。 つまり、それは向こうも背水の陣で臨むという意気込みに他ならない!! オレも同じだけどさ。 相手が電気タイプのポケモンであると分かれば、あとは…… 「ラズリー、頼むぜ!!」 投げ入れたボールからラズリーが飛び出してきた!! 「ブーっ!!」 ラズリーは飛び出すと、肩幅(?)に脚を広げて、叫んだ。 任せとけ、っていう風に聞こえたよ。とても頼もしいね。 そして、マチスもモンスターボールをフィールドに投げ入れる。 「レアコイル!! ユーに任せるネ!!」 レアコイル……!! 飛び出してきたポケモンは、小さな目が入った丸い塊の両脇に磁石を従えたユニットが三体連結したレアコイルだ。 磁力線を作り出してふよふよと浮かんでいる。 機械に見えないこともないけれど、これでもれっきとしたポケモンだ。 コイルというポケモンの進化形で、コイルの時はユニットが一つ。 進化の時に(?)、ユニットが二つ追加されて、その分攻撃力が強化されたらしい。 見た感じ鉄の塊みたいな色彩だから、それなりに防御力も高い。 なにしろタイプは電気と鋼。 鋼タイプのポケモンは総じて物理攻撃に対する防御力が高いんだ。 格闘タイプ以外の物理攻撃技なら、よっぽど強烈な威力を持つものでなければ一撃で倒すのはたぶん不可能。 でも、鋼タイプがついたことで、炎タイプの技には弱いんだ。 ラズリーなら、火炎放射を浴びせれば二、三発で倒せるはず。 それに、レアコイルはライチュウと対照的に動きは鈍いんだ。 ラズリーの電光石火で撹乱すれば…… でも、動きの鈍さはマチスも承知しているはず。 スピードの差を補う手段の一つや二つは準備していると考えるのが妥当だろうな。 「レッツ・バトル!! レアコイル、コーリング・レイン!! 雨乞いネ!!」 「!?」 そう来たか…… 先手はまたしてもマチスだ。相性が不利なら、先手を取って状況を変えるって戦法だな。 でも、そうはさせない!! ラッシーの日本晴れの効果は薄れてきているから、炎タイプの威力がアップするという恩恵も、そう遠くないうちになくなるだろう。 だけど、問題はそこじゃない。 レアコイルが身体ごと上を向くと、フィールドの中だけにぽつぽつと雨が降り出した!! 雨乞い……雨を呼ぶ技だ。 日本晴れとは対照的な効果を持っていて、炎タイプの技の威力がダウンし、水タイプの技はアップする。 ソーラービームのチャージの時間が倍以上に伸ばされ、「電気タイプの技」は、降りしきる雨によって命中率が格段にアップする。 マチスはそれを利用して一気にカタをつけようとしてるってことだ。 そうはさせないぜ!! 「ラズリー、電光石火!!」 「遅いヨ!! 雷!!」 オレの指示にラズリーが駆け出そうとした瞬間、雨音を縫ってマチスの声が響いた。 レアコイルが三つのユニットそれぞれから強烈な電撃を発射!! 真上で交わった電撃はより強大になって、フィールドに降りそそぐ!! 虚空すら割るような轟音と共に広範囲に降りそそいだ雷は、レアコイル目がけ駆け出したラズリーに襲い掛かった!! 「……っ!!」 「ラズリー!!」 いくらラズリーが電気タイプとの相性が普通でも――いや、普通だからこそダメージはバカにならない。 雨乞いでフィールドに雨が降り注いでいる状態では、電気タイプの技の命中率は格段にアップする。 水は電気を通しやすい……物理的なその法則が、ポケモンバトルでも適用されるんだ。 この状況じゃ、そういうのはうれしくなんかないけどさ。 電撃に打たれ、ラズリーの歩みが止まる。 ラズリーもタフとは言えないポケモンだから、雷のダメージはかなり重く圧し掛かっているはずだ。 可能な限り早く決着させないと、本気で危ない!! 雨乞いで炎の威力を弱められ、レアコイルの防御はまた一歩鉄壁に近づいてるんだ。 攻守一体の使い方をするなんて、さすがはジムリーダーと言ったところか。 そういう手腕は見事と言うしかない。 でも、それとこれとは話が別!! 激しく頭を打ち振って、電撃から逃れるラズリー。 よし、こうなったら…… 「ラズリー、電光石火!!」 「雷!!」 オレの指示とマチスの指示は同時だった。 マチスとしても、雨乞いで炎の威力が弱められると言っても、弱点だけに食らえばかすり傷程度で済まないと分かっているんだろう。 短期決戦を目指すは同じってことか…… ラズリーが、雷のダメージを感じさせない足取りで駆け出し、レアコイルに迫る!! ほんの少し遅れて、レアコイルが三つのユニットから別々に放った電撃が虚空で交わり、一本の大きな槍となった!! 雨という、空気抵抗を最大限に削げる状態なら、直撃を避けられても、多少の余波は食らうだけの覚悟が必要だってこと。 そんなの分かってる。 ノーリスクで勝てるほど、向こう側のスポットに立つ相手は甘っちょろくない。 「横に回り込め!!」 このまま真っすぐ行けば、雷の直撃を受ける。 なら、ダメージを最小限に抑えつつ、レアコイルの背後を取れるような位置を目指すのが最善策。 ラズリーはオレの指示に迅速に応え、大きな円を描くように、レアコイルの側面に回り込んだ!! 直進するばかりの雷の直撃は避けられたけど、少しは余波を受けているかもしれない。 そこのところを確かめる術はないけど、いちいち確かめてなんかいられない。 「ユーが何をするつもりなのかは分からないケド、これで決めるネ!! 電磁波!!」 「電光石火から火炎放射!!」 電磁波なんて恐れてたら何にもできない。 オレはラズリーに攻撃を指示した。 側面に回り込んだラズリーが向きを変え、矢のような勢いでレアコイルへと突っ込む!! 一方のレアコイルはユニットに電気を溜めながら、ゆっくりとラズリーに向き直り―― ばじばじばじばじっ!! ラズリーが炎を吹きかけるよりもわずかに早く、レアコイルの電磁波がラズリーを捕らえた!! 遅かった……!? ラズリーの突進がウソのように止まった。 その身体にまとわりついているのは電撃の糸……もちろん、そんな生温いシロモノじゃないってことくらいは分かってる。 ラズリーは必死の形相で、身体にまとわりついた電撃の糸を振りほどこうとするけど、なかなか思うようにはいかない。 まずい。これはまずい。 電磁波は相手の動きを封じる技だ。 ただでさえ雨乞いの恩恵を最大限に受けているレアコイルに動きを封じられたとなると、状況は一気に悪くなる。 この状態で一体どうすれば…… 「Huh、Huh!!」 唇を噛みしめ、爪が食い込むほどにきつく拳を握りしめるオレに対して、マチスが大きな声で笑った。 嘲笑ってるってのがよく似合う表情だったよ。 「ユーのブースターも、これでジ・エンド!! 一気に決めてあげるヨ!! レアコイル、ラスト・テイク(最後の一撃)!! 電磁砲!!」 電磁砲……!? マチスが口にした技の名前に、オレは背筋が凍りつくのを確かに感じた。 まともに食らったら、ラズリーじゃ間違いなく戦闘不能だ!! 電磁砲は、電気タイプでも最高クラスの威力を誇る技だ。 雷よりも威力はわずかに劣るけど、攻撃範囲は広めで、当たるとあまりの電気量に麻痺に陥ってしまう。 でも、それだけ強力な技だから、チャージが必要だ。 今、レアコイルは左右のユニットに電気を集めている。 瞬く間に、電気が発する光によって磁石が覆い隠される。 ラズリーは電磁波の効果で動きを封じられている。 これを何とか振りほどいて、至近距離で火炎放射を決めないと、負ける!! 「ラズリー、振りほどけ!! 君の優れた物理攻撃力で!! 振りほどくんだ!!」 オレは叫んだ。 こうなったらラズリーの力を信じるしかない。 オレがバトルに乱入したところで何もできない。 祈るだけじゃ、何も変わらない。 想いを伝えるためにある言葉で――負けたくないという気持ちを伝えて、ラズリーの力を最大限に引き出すしか、方法はない!! オレの言葉を受けて、ラズリーが一層激しく身をよじり、電撃の糸を振りほどこうともがく。 そうしている間にも、レアコイルがチャージする電気の量がどんどん増えていく。 時間との勝負だ……雨乞いの効果がなくなるのを待つ、というのは論外だ。 そこまでの時間は残されていない。 ラズリー、君ならできる。 出会った頃は臆病だったけど、進化をきっかけに、勇敢な性格に生まれ変わったんだ。 現在確認されているポケモン(数百種)の中でトップクラスの物理攻撃力を、小柄な身体に秘めている。 そのパワーがあれば、何とかできるはずだ。 「ユーはよく戦ったネ!! ミーのレアコイルに電磁砲使わせたのは、ずいぶんと久しぶりだと思うネ!!」 電磁砲まで引きずり出させたんだから、よくやった。 そう言いたいのか……? 確かにそれを否定することはできないかもしれない。 だけど、ここでやらなきゃ、負けたら同じことなんだ!! 何がなんでも勝って、オレたちが成長したんだってことを実感したいんだ!! そうじゃなきゃ、オレはオレの行く道へ踏み出せない。自由に羽ばたけない。 「ラズリー、頑張れ!!」 レアコイルの全身を覆い隠さんばかりの電気量が既にチャージされている。 この状態なら、数秒と待たずに発射できるはず……至近距離だけに、避けるのはほぼ不可能。 先手を取って、発動自体をつぶすしかない!! そうそう都合よく行くかは分からないけど、可能性が少しでもあるのなら、それに駆けるしかない。 「ブーっ……」 ラズリーが低い唸り声を上げる。 全身に力を込めているのが、踏ん張った脚からも見て取れる。 大丈夫か……? 心配は確かにある。 でも、頑張れって言っといて心配するなんて、そんなの無責任だ。できるって信じてるんだから、きっとできる!! 「スターぁっ!!」 裂帛一閃。ラズリーの声がフィールドに響き渡り―― ばしっ!! 音を立て、ラズリーの全身を縛りつけていた電撃の糸が弾け、千切れ飛ぶ!! 「ホワット!? ユーのブースターにそんなパワーが!? ぬぅ……レアコイル、電磁砲、ファイア(発射)!!」 まさかラズリーが自力で電磁波を振りほどくとは思ってなかったんだろう。 マチスの声には驚きがあった。 だけど、さすがはジムリーダー。強気に攻撃に打って出てきた。 あるいは、オレと同じで逃げるという選択肢を考えつかなかったのかもしれない。 ラズリーは口を大きく開き、体内の炎袋で急激に温度を上げた炎をレアコイルに浴びせかけた!! 刹那、レアコイルの全身からも電撃が迸り、ラズリーを飲み込む!! 「……!?」 クロスカウンター!? 炎と電撃がぶつかり合って生じた爆音に、オレの上げた声は虚しくかき消され―― ラズリーとレアコイルの姿が、荒れ狂う炎と電撃の中に消える!! 至近距離で繰り出された渾身の一撃。 互いに、逃げるだけの時間もスペースも残されていない。 結局のところは体力勝負ということになりそうだ。 レアコイルよりもラズリーの方が、弱点でない分有利かもしれないけど……ダメだ、そんな考え方じゃ。 ラズリーはすでにダメージを受けている。 荒れ狂う炎と電撃は程なく爆ぜ消えたものの、濛々と立ち昇る土煙によって、ラズリーとレアコイルの姿は覆い隠されている。 どうなったか分からないこの状況では、迂闊に指示を下せない。 マチスが真剣な眼差しを土煙に向ける。 これがジムリーダーとしての、この人の本気の表情だ。 予断を許さないこの状況だからこそ、本気にならざるを得ないんだろう。 「ラズリー……」 ここで踏ん張ってくれればいいんだけど…… 祈るような気持ちで、土煙が晴れるのを待つ。 まさか電磁砲を食らうことになるとは思わなかったからな……心配に決まっている。 だけど、オレがいくら心配したところで結末が変わるはずがない。無駄なことだと知っているけど、それでも心配してしまうんだ。 頼むから、耐え抜いてくれ――ここを耐え抜けば、勝機は十分に見出せるはず。 沈黙の波に乗って、時は黙々と流れ…… 土煙が――晴れた!! 「ラズリー!!」 「レアコイル!!」 オレとマチスは同時に声を上げていた。 決着はまだついていない!! 互いに大ダメージを受けていながらも、ラズリーもレアコイルも戦闘不能にはなっていなかったんだ。 とはいえ、戦闘不能に『近い』状態だから、先に攻撃を仕掛けた方が勝利にぐんと近づける。 ラズリーの四本の脚はしっかり地面を踏みしめているけど、指で軽く突いただけでその足腰が砕けてしまいそうなほど、小刻みに震えている。 レアコイルも、左右のユニットが力なく垂れ下がり、磁力を利用して常に浮遊しているはずなのに、地面に身体がついてしまいそうな状態。 この一撃にすべてを賭ける――!! 「火炎放射!!」 「10万ボルト!!」 お互いにその指示が来ることを知っていたように、対応は素早かった。 ラズリーが大きく開け放った口から、紅蓮の炎を噴き出す!! わずかに遅れてレアコイルの全身に電気の輝きが宿り―― 一瞬の出来事だった。 ラズリーの炎がレアコイルを包み込み、その姿を飲み込んだ!! 飲み込まれる直前、オレは確かに見た。レアコイルの全身から、電気の輝きが消えてなくなっていくのを。 炎の熱で、集中力が途切れてしまったのだろう。 それが何を意味しているのか――一番よく知っていたのは、他ならぬマチスだった。 「レアコイル、ゴー・バック!!」 手にモンスターボールを持ち、レアコイルを戻したんだから。 「Oh!! ユーの勝ちネ!! コングラチュレーション(おめでとう)!!」 審判がいないものだから、マチスは易々と負けを認めてくれた。 決断が早いというか……なんというか。オレはしばし呆然としていたよ。 ポケモンチェンジが認められていないジムリーダーが最後のポケモンを戻したんだ。その意味は一つしかない。 目標を見失った炎は少しずつ勢いを弱め、やがて消え失せた。 「ブーっ……」 レアコイルの姿が消えたことの意味を理解したんだろう。 ラズリーはか細い声を漏らすと、その場に崩れ落ちた。 「ラズリー!!」 オレは叫ぶなり駆け出していた。ラズリーの傍で膝を折り、その身体を抱き上げた。 「……ありがとな、ラズリー」 ラズリーは安心しきった顔で眠っていた。勝利の実感を噛みしめているかのようにも見えた。 「ゆっくり、休んでてくれ」 ラズリーが死力を尽くして戦い抜いてくれたからこその勝利だ。 たった二文字だけど、今のオレたちにはとても大きな意味を持っている言葉だよ。 眠っているラズリーを起こさないように、モンスターボールに戻してやる。 ボールを腰に差して立ち上がろうとした時、拍手が聞こえてきた。 顔を上げると、マチスが勝負前と同じ野太い笑みを浮かべて拍手などしながら、歩いてくるではないか。 その笑みからは、負けた悔しさなんて微塵も感じられなかったけど、心の中では悔しいと思ってるんだろうな。 だから、オレとしても大げさに喜べない。本当はうれしい。飛び跳ねて騒ぎ立てたいくらい。 「ユーの勝ちネ!! ユーのブースターのヒーティング・パワー(火力)にはミーもサプライズ(驚いた)ネ!! そんなユーに、このバッジをあげるヨ!!」 マチスが差し出した手には、太陽を模したオレンジのバッジがあった。 これは…… 「オレンジバッジ……」 クチバジムを制した証だ。 結果だけを見てみれば、ラズリーもレアコイルも戦闘不能。 とはいえ、ジムリーダーがオレの勝ちを宣言したその直後にラズリーが倒れたわけで…… ほんの少しでも宣言が遅かったら、負けていたのはオレの方だった。 マチスなら、そうすることだってできたはずだ。 それをしなかったっていうのは…… たぶん、オレたちの頑張りを認めてくれたってことなんだろうと思う。 吸い寄せられるように、オレの手はオレンジバッジへと伸びていった。 そして、人差し指と親指でつかみ取る。 「コングラチュレーション(おめでとう)!!」 「サンキュー!!」 差し出されたままの手を握り、オレとマチスは固い握手を交わした。 四つ目のバッジを手に入れたという実感が一気に噴出し、自然と表情は明るいものへと変わっていった。 だけど、その時のオレには、そう遠くないうちに訪れるであろう試練など考えられるはずもなかったんだ。 四つ目のバッジをゲットして、ポケモンセンターへの帰路をたどる足取りは、心なしか……じゃなくて間違いなく軽かった。 カントーリーグに出るのに必要なバッジはあと四つ。 言い換えればこれでノルマを半分クリアしたということになる。 開催まではあと八ヶ月以上あるから、このままのペースで旅をすれば余裕でバッジを集め終える。 集め終えたら、ブリーダーとして頑張ってみるのも悪くない。 ポケモンセンターとクチバジムを隔てる公園をウキウキ気分で歩く。 とはいえ、そう舞い上がってばかりもいられず、ほどなく冷静さを取り戻す。 足取りは相変わらずだけど、それは愛嬌ということで。 ここクチバシティから一番近くて、大きな街で、ジムがあるといえば、タマムシシティだ。 ヤマブキシティの西ゲートから7番道路を通れば、タマムシシティに行けるんだ。 だから、ヤマブキジムを制した後、ここに来る前に行くことだってできたけど、 カスミがクチバシティに用があるっていうから、先にクチバシティに来たんだ。 もちろんカスミのせいにするつもりはないよ。 いずれは訪れるわけだし……順番が変わっただけ、と思えばいいんだ。 タマムシシティに行ったら、ジム戦はもちろんだけど、ポケモンフーズの材料を調達するのもいいかもしれない。 大都市なんだから、それなりに豊富な種類の材料が手に入るはずだ。オレが今までに使ったことのないものとかも、売っているかもしれない。 楽しみの種は尽きない。 これからやらなくちゃいけないこと、やってみようと思うことが次から次へと浮かんできて、 気がつけばあっという間に公園を横切り、ポケモンセンターの目前にまでやってきていた。 こうやって考えを膨らませるってのも楽しいものなんだなって、改めてそう思ったのも束の間。 オレの行く手を遮るように、ポケモンセンターの敷地の入り口に、スーツ姿の親父が立っていた。 オレは思わず足を止めた。 まさか、こんなに早くやってくるなんて……正直予想していなかった。 確かに親父は四つ目のバッジを手にした頃と言ってた。 だったら、こういう展開も予想してしかるべきものだったんだ。オレの読みの甘さは認めざるを得ないだろう。 だけど、こうしてオレが戻ってくるのを待ち構えてるなんて、そこまでしなくてもいいだろうって思うのはいけないことだろうか? だって、オレは逃げるなんて考えは持ってないんだから!! 次は必ず勝つという意気込みがあるんだから、逃げる理由なんてそれだけで消えてなくなるじゃないか。 なんだよ、オレが逃げるとでも思ってたのか。 ポケモントレーナーとしての勝負なら、オレは逃げたりなんかしない。 相手が大ッ嫌いな親父だって同じことだ。 一言も言葉を交わしていないのに、そう思われていると考えるだけで、胸がムカムカしてくる。 ジム戦での勝利の喜びなど、一瞬で別物に取って代わられた。 「思ったよりも早かったな。その顔を見れば吉報であると予想はつく」 親父は口の端に笑みを浮かべた。 マチスの野太い笑みとは明らかに違って朗らかに見えるけど、これからオレと繰り広げるバトルを楽しみにしているのがよく分かる笑みだった。 どんな顔だよ、それ。 ツッコミを入れてやりたい気持ちはあるけど、その言葉は喉元でぐっと抑えた。 そんな漫才をするつもりなんて、オレにはサラサラないからさ。 「こんなところで待ってたのかよ」 オレはつっけんどんな口調で返した。待たれてたってことにも、なんだか腹が立つ。 「それに……オレがこの街にいるって、よく分かったよな」 オレたち親子は通りを行く人たちとは別次元にいるように感じられた。 素知らぬ顔で、オレたちの脇を通り抜けてポケモンセンターに入っていく人もいれば、通りを歩いていく人もいる。 きな臭い事情を感じて敢えて知らないフリをしているのかもしれない。 そんなこと、オレには興味ないからさ。 「おまえの行動は非常に分かりやすい。 ニビジムから始まったジム戦からの道筋を考えるなら、四つ目となるのはタマムシシティか、このクチバシティか、考えられるのはどちらかだ。 ハナダジムのジムリーダー・カスミと一緒にいるのを見れば、こちらであることは疑いようがなかったからな」 「けっ……」 いけしゃあしゃあと言ってのける親父に、オレは舌打ちを返すしかなかった。 ハナダシティを発つ時、親父はどこかでオレたちのことを見てたんだろう。 カスミが抱えている事情までは知らなかったはずだけど、親父なりに推理を重ねて、 オレが四番目のバッジをゲットするのがこの街であると突き止めたんだろうな。 そんなにオレの行動は分かりやすいものなんだろうか? 単純って言われてるのかと思うと、これまた非常に腹立たしいんだけど。 「俺がおまえの前に姿を現した理由は分かっていると思うが……」 「分からないとでも思ってんのか。 ポケモントレーナーとしてオレとバトルするためだろ。 オレがどんだけ強くなったのか、確かめに来たんだろ。 研究者としての仕事サボってまで来るんだから、さぞかし暇なんだろうな」 つまんない戯言に付き合っている暇なんてない。 オレは皮肉のスパイスをたっぷり塗した言葉で返した。 しかし、親父は顔色一つ変えず、平然と言ってきた。 「仕事も一段落着いたからな。たまには息子の顔も見ておきたいと思ったんだが……」 「あんたがそんなこと言うなんて、世の中末だよな」 「ふっ……」 本気と冗談を交えた言葉に、親父は苦笑する。 オレがどれだけ親父のこと嫌ってるか、分かってるはずなのに。 なのに、どうしてわざわざオレの神経を逆撫でするような言葉を平気で吐けるんだ? 息子の顔を見ておきたい……だ? 構ってほしい時に構ってくれなくて、どうでもいい時だけ余計な干渉してくるような親父だぞ。 どんな神経してるんだか……人間性を疑いたくなっちまうよ。まったく。 「ナミには会ったのか?」 「いや……あの子だけは俺も苦手だ」 一転、親父は真顔で答えた。 親父もナミだけは苦手らしい。始終マイペースを振り撒かれていると、さすがに辛くなってくるんだろうか。 まあ、そんなことはどうでも良くて…… 「親父。 オレと一刻も早くバトルしたいと思うんだったら、そこをどいてくれないか。 頑張ってくれたみんなをちゃんと回復させなきゃ、バトルなんてできないだろ」 「正論だな」 親父は潔く道を譲ってくれた。 くれた、なんて表現するのはホント嫌だけど……しょうがない。 「港の7番倉庫の前で待っている。ポケモンを回復させたら来ること。いいか?」 「ああ、行ってやる。今度こそあんたに勝ってやる」 言い終えるが早いか、オレはポケモンセンターに駆け込んだ。 「その意気だ」 親父の言葉の真意を確かめようなんて思わなかった。 オレに発破かけてるつもりなんだろうけど、それでペースを乱すほど落ちぶれちゃいないつもりだ。 ポケモンセンターに入ったオレは、ジョーイさんにラッシーとラズリーのボールを手渡した。 「お預かりいたします。数分かかりますので、椅子に腰掛けてお待ちください」 ジョーイさんが二つのボールを回復装置にかけたのを見届け、オレは窓際の椅子に深々と腰を下ろした。 ふうっ…… 真っ先にため息が漏れた。 マチスとのバトルに勝ってオレンジバッジをゲットしたのはいいけど、いい気分に水を差すように親父が現れやがった。 とはいえ、避けては通れない道なんだ。 オレがオレの夢を追いかけるためには、親父をどうにかして退散させなくてはならない。 今回のバトルで、ぐうの音も出ないくらい完璧にやっつければ、障害物として立ちはだかってくることもないだろう。 「でも、なんで親父はわざわざオレに会いに来たんだ……?」 前々から気になっていたことが首をもたげてきた。 他の考えという景色が、ジャマされて見えなくなる。 「親父はオレに嫌われてるってことくらい、分かってるはずなんだけどな……」 親父のこと大ッ嫌いなオレが言うのもなんだけど……親父はバカじゃない。 むしろ賢い。 とっても賢い。 研究者として名を馳せているのは、頭脳と判断力が伴っているからだ。それくらい、オレにだって分かる。 そんな親父が、どうして嫌われている息子に会いに来たのか。 親父のトチ狂った神経なんてオレには理解できないようなシロモノなんだろうけど……君子危うきに近寄らずって言葉が親父には似合う。 だったら、わざわざトラブル起こしに来る必要なんてないだろ。 連れ戻しに来るわけでなければ、オレの背を押しに来てくれたわけでもない。 ポケモントレーナーとしてオレとバトルするって言ったって、それが何のためなのかも分からない。 オレの成長を確かめたいって言うんなら、こんなに短い間じゃなくても、一ヶ月、二ヶ月と間を置いた方がいいに決まってる。 だから、余計に分かんない。 何のために、わざわざ研究者の仕事を放っぽり出してまでオレにポケモンバトルなんか申し込みに来たんだか…… 神のみぞ知るってことなんだろうか? 考えてても仕方ないか。 親父とバトルしなくちゃならないってことに変わりはないんだし……オレが勝てば、それで済む問題なんだから。 オレの進む道に文句なんかつけさせない。増してや、邪魔はさせない。笑わせない。 それだけで十分だ。親父とバトルする理由なんか。 せっかくの青空も、今のオレには本気でブルーに見えてきた。 バトルなんて数分もあれば終わる場合が多いけど、それもとても長く感じられそうなんだ。 嫌なことがある時だけ、時間って妙に長く感じちまうんだよな……人のサガです、と言われちゃえばそれまでだけど。 ナミにオレと親父が会ってるなんてことは教えないようにしなきゃな。 感づかれてもならないか。ナミはオレとは対照的に親父のことを尊敬してるみたいだからさ。 何が楽しくて親父なんか尊敬してるんだか…… そんなことを本人を前に言えるわけはないけど、ナミだってオレが親父のことを嫌ってるってことくらいは分かってるはずだ。 お互いに不干渉ということで知らず知らず妥結してるってのが現実だろう。 妥結って言葉が相応しいのかは分かんないけど……ま、似たようなものなんだろうな。 「どこまでもオレを不愉快にさせてくれるんだな、親父……」 煮えたぎる気持ちに気がついて、オレはギュッと拳を握りしめた。 爪が食い込むくらい強く。 爪が食い込む痛みすら心地良く思えるんだから、親父に対する嫌いっていう気持ちは結構なシロモノなんだろう。 この気持ちを清算するためにも、今回は勝たなくちゃ。 親父のポケモンは手強いだろうけど、それでも勝たなくちゃいけないんだ。 決意を新たに、青空にたなびく白い雲を見上げる。 あの雲の行き先は知らないけど、オレの行く先は決まってる。 最強のトレーナーと、最高のブリーダーだ。 親父とハッキリ白黒つけて、オレはオレの道を行く。それだけで十分!! ピカピカに磨き抜かれた窓ガラスにジョーイさんが映る。 振り返ると、いつもの笑顔を浮かべ、モンスターボールを渡してくれた。 「回復は終了しましたよ」 「ありがとうございます」 オレは礼を言い、モンスターボールを腰に差した。 ラズリーとラッシーのボール。 今回は誰を戦わせるか。 ラッシーのことは親父もよく知ってるだろうから、それなりに対策も練られているだろう。 かといって、リッピーじゃ力不足。この前のバトルでそれを嫌と言うほど思い知らされた。 となると…… カウンターへと戻っていくジョーイさんのことなど構わず、オレは親父とのバトルに出すポケモンを考えていた。 最有力候補はラズリーだ。 理由は、一番警戒されていないっていうこと。 それに、ラズリーは進化したおかげで能力が飛躍的に上昇した。特に物理攻撃力はラッシーをも追い越している。 持ち前のパワーで相手をねじ伏せるパワー型だから、求められるのは速攻性。 いかに素早く相手を撃破するか。 ラズリーのパワーに耐えられるポケモンなんてそうそういないはずだ。 電光石火で一気に距離を詰めて火炎放射や他の物理技でガンガン押すのがセオリーだろうな。 「さ、行くぞ、アカツキ!!」 このまま考えてたって仕方ない。 オレは自分に言い聞かせた。絶対に勝つ。勝ってみせる。 席を立ち、地面を蹴ってポケモンセンターを後にした。 親父とのバトルで頭がいっぱいだったから、オレは気づけなかった。 ナミがポケモンセンターを飛び出すオレのことを見ていただなんて。 親父がポケモンバトルの場所に指定した7番倉庫は港の隅にあり、ほとんど人目につかない場所だった。 棟続きの倉庫で街とは遮断され、前方は海。それも、角のように尖った沖合いの半島に隠れて、船からもほとんど見えない位置。 関係ない人を巻き込みたくないという殊勝な心がけなのか、親子のことだから他人に首を突っ込んでほしくないと考えていたのか…… 分からないけど、オレはその場所に迷うことなく辿り着けた。 ポケモンバトルをするのに十分なスペースもあることだし……親父は下調べをちゃんとして、この場所を選んだんだろう。 だとしたなら、なんて計画的な犯行なんだ。オレとバトルするためってだけなのにさ。 「来たか……しかし、よく逃げなかったものだな。おまえには逃げるという選択肢も残されていたはずだが」 「誰が逃げるかよ」 親父の言葉に、オレは強い口調で返した。 逃げるなんて……そんなことできるか。 大ッ嫌いな相手だからこそ、ここで決着をつけなくちゃいけないんだ。 背を向けて逃げるだなんて、一生その影に怯えて暮らすのと同じことだ!! 親父は口の端にかすかな笑みを浮かべると、腰のモンスターボールを手に取った。 「おまえがどれだけ成長したか、見せてもらおう。四つのバッジをゲットしたおまえの実力を」 好き勝手なセリフを並べ、ボールを頭上に投げ放つ!! 「行くぞ、ゲンガー!!」 親父の言葉に応えるようにボールは口を開き、中からポケモンが飛び出してきた。 「ゲンガー……」 呼ばれたとおりの声を上げたのは、まさにゲンガー。 オレよりも少し背が小さい程度で、ずんぐりむっくりした体型に意地悪な目つきが特徴のポケモンだ。 影のように全身は黒ずんでいる。 ゲンガー……シャドーポケモンと呼ばれているんだ。 ドッペルゲンガーっていう言葉が名前の由来と言われているけど、真偽の程は定かじゃなくて、学会でも論争になったことがあるらしい。 ともあれ、ゲンガーはゴースっていうポケモンの最終進化形。 二段階進化を経ているだけに、その実力は折り紙つき。 様々なタイプの技を使いこなし、相手を翻弄するトレーナーも多いと聞いたことがある。 攻撃技から補助の技まで、様々な技を覚えられるから、トレーナーによって技の構成が異なる、というポケモンでもある。 果たして、親父のゲンガーはどういう技を覚えているのか…… ゲンガーが覚えられそうな技はだいたい分かるけど……その中からどれだけ使ってくるのかがポイントだな。 そこにラズリーがどう対応するか。勝負の分かれ目は時間!! いかに時間をかけずにゲンガーを倒せるか。 攻撃力とスピードに優れるゲンガーの攻撃を受けるだけでもキケンだ。 幸い、ゲンガーは耐久力が低めのポケモンだから、アイアンテールが一発決まるだけでもかなりのダメージを期待できる。 「よし、ラズリー、行くぜ!!」 オレはラズリーのボールを引っつかみ、投げ放った!! 口の開いたボールから飛び出したラズリーは軽やかに着地すると、ゲンガーを睨みつけて低い唸り声を漏らした。 「ほう、ブースターか……親父からもらったイーブイを進化させたようだな」 親父は口の端の笑みをそのままに、何が楽しいのか眉を上下させた。 オレがイーブイをブースターに進化させたってのがそんなに意外なんだろうか。 まあ、どうでもいいことだけど。 ラズリーとゲンガーはタイプの相性的に普通。 ゲンガーはラズリーの弱点を突くことができないけど、ラズリーはゲンガーの弱点を突くことができる。 その点、攻撃力の高いラズリーの方が有利なんだろうけど……油断はできない。 親父のことだ、意外な技を織り交ぜて攻撃してくるに違いない。 警戒は抱きすぎても無駄にならないくらいだ。 これが別のものだったらどれだけ良かったか…… 挑発のつもりか、親父は手で「かかってこい」っていうポーズを見せ付けてきた。 それだけゲンガーの実力に自信があるってことか……なら、それが罠だとしても飛び込んでやるよ。先手必勝だ!! 「ラズリー、電光石火!!」 「妖しい光!!」 オレがラズリーに指示した直後に、親父もゲンガーに指示を出した!! 接近戦に持ち込んでくることは読まれてたか!! でも、ゲンガーは接近戦の得意なポケモンじゃない。ここで懐に飛び込むことができれば、一気に有利になる。 ラズリーはオレの意図を悟ってか、駆け出すなり一気に加速してゲンガーに迫る!! さっきのバトルでのダメージは回復しているから、動きにキレがある。 少しでもダメージが残っていたらどうしようかと思っていたけど、その心配は要らないってワケか。 さすがにすごいよ、ラズリー。 でも、親父の指示を受けたゲンガーも、迎撃体勢に入った。 おもむろに肩幅(なんてモノがあるのかは疑問だけど、それくらいの間隔だったんだからしょうがない)に脚を広げる。 妖しい光か……!! 光を浴びた相手を混乱状態に陥れる技。ゲンガーの得意技と言っても良い。 親父がバトルの初手にこの技を用いるということは……一気に決めるつもりはないってことか。 まずは混乱状態で攻撃の手を休ませ、その隙に能力を高めるか、攻め立ててくるか。 どっちにしたって、混乱状態になればまともに攻撃に打って出られないのは間違いない。 妖しい光は光という特性上、遮蔽物に隠れでもしない限りは避けられない。 攻撃範囲はかなり広いから、距離を取っている相手にはこれ以上ないほど有効だ。 見たところ、ラズリーが電光石火でゲンガーを攻撃範囲に捉える方が早いけど、そこから別の技に連携させるほどの暇は残っていない。 ならば―― 「ラズリー!!」 ゲンガー目がけて地を駆けるラズリーに、オレが出した指示は…… 「ゲンガーの中に潜り込め!!」 「……!?」 親父が怪訝そうに眉をひそめる。 ラズリーはオレの指示に応えてくれた。 かっ!! ゲンガーの目から発せられた光が周囲を明るく染める!! ほんの一秒程度の光だったけど、その中に宿る不思議な力で、相手を混乱させる。 でも、ラズリーは……混乱していない!! 「アイアンテール!!」 「遅い、10万ボルト!!」 オレの指示の後半と重なって親父の指示。 ラズリーが一時的に尻尾を鋼鉄のように硬くしてゲンガーを薙ぎ払うよりもわずかに早く、ゲンガーが全身に蓄えた電撃がラズリーを打ち据える!! たまらずゲンガーの『中』から飛び出すラズリー!! 「ちっ……!!」 舌打ちの一つもしたい気分だった。 親父はオレの作戦を見破ってた……わざと誘い入れたんだ。 妖しい光を避けるには、ゲンガーの『中』に入るしかない。 外に対する光なら、ゲンガーの身体の中は影となってその光は届かない。 いや、その言い方は正しくないかもしれない。 ゲンガーはゴーストタイプ。 シャドーポケモンという呼び名どおり、ノーマルタイプの技は一切受け付けない身体を持つ。 言い換えれば、電光石火は無効で、その身体を透き通るんだ。 だからこそ、その『中』にいて妖しい光を避けることができると気づいたんだけど…… 親父はそこを読んでたんだ。 全身に電気を蓄え、放つ10万ボルトなら、『中』にいるポケモンは逃げ場がなくなる。四方八方から電撃が襲い掛かってくるからだ。 そこまで読まれてるなんて……親父はホントに強い。 生半可な戦術じゃ、持ち前のパワーで粉砕されるのが関の山だろう。 ラズリーは着地に失敗してコンクリートの地面に身体を一メートルほど引きずってしまったけど、すぐに立ち上がった。 10万ボルトのダメージは決して小さくないけど、早々に脱出したおかげで、それ以上のダメージを受けずに済んだってことか。 とはいえ、体力に差が出てくるってのは、好ましいことじゃないな。 ただでさえ親父のゲンガーの実力は未知数だってのに…… 「いい判断だな。さすがに、前のようには行かないか……」 親父はポツリと漏らした。 ラズリーがすぐに飛び出したってことを言いたいのか。 だけど、後半の言葉には賛成だ。 以前のように簡単に負けたりはしない。今回は勝つんだ!! 「だが、どこまで保つかな? ゲンガー、シャドーボール!!」 親父の指示に、ゲンガーが両手を突き出し、闇が凝縮されたシャドーボールを撃ち出した!! ゴースとタイプの技で、攻撃力は高め。 ヒットすると、炎や水と言った特殊攻撃に対する防御力が低下することがあるという凶悪な技だ。 これをまともに受けるわけにはいかない。 「ラズリー、避けろ!!」 一直線に飛んでくるシャドーボールを、ラズリーはいとも容易く避けてみせた。 どんっ!! ラズリーが先ほどまでいた場所に、シャドーボールが突き刺さり、小さな爆発を起こす!! 普通の一撃といえば普通の一撃だけど……なんか違う。頭の中に何か引っかかるものを感じたんだ。 親父のゲンガーなら、もっと強力で素早いシャドーボールを放てるはず……まさか、陽動!? 気づいてゲンガーを振り仰ぐ。 「ラズリー、電光石火からアイアンテール!!」 親父が何を考えているのかまでは読めないけど、防御や回避に徹していても仕方がない。ここは攻撃に打って出なければ!! わざわざ加減する理由があるとすれば、それは…… ラズリーは着地と同時に電光石火の勢いで駆け出した!! 今回はゲンガーの『中』に潜らない。さっきの二の舞を踏むのはゴメンだからな。 10万ボルトのダメージを感じさせない動きに、オレは正直ホッとしたよ。 対する親父は…… 表情一つ変えず、ゲンガーに指示を下した。 「ゲンガー、雷だ!!」 雷……!! 電気タイプの最強技まで覚えさせてるのか!! 攻撃から補助まで、親父のゲンガーはオールマイティに戦えるように育てられてる!! 攻撃範囲が広いのは、先ほどのレアコイルとのバトルで実証済み。 下手に避けようとすれば、それこそ損をするのはこっちの方だ。 ならば……!! 「ラズリー、怯むな、突っ込んでアイアンテールだ!!」 指示を出し終えた瞬間、ゲンガーが手のひらに電気をボールのように蓄え込み――その手を地面に打ちつける!! ばじりりりりっ!! 刹那、蓄えられた電気が弾け、猛烈な勢いで周囲に飛び散った!! 蔓のように四方八方に伸びる電撃が、電光石火で距離を詰めていたラズリーを襲う!! ダメージだけならさっきの10万ボルトの比じゃない。 でも、ここで攻撃に打って出られなければ……負ける!! 頼む、ラズリー。ここは耐えてくれ、そしてゲンガーにアイアンテールを食らわせるんだ!! 祈るような気持ちでラズリーを見つめる。 一瞬ダメージに怯む様子を見せたものの、ラズリーは再び加速し、 雷を放って得意気な表情を浮かべているゲンガーに、鋼鉄の硬度を得た尻尾を勢いよく叩きつけた!! 「ぬぅ……!?」 親父が呻く。 表情がかすかに変わった――ように見えた。 でも、そんなのを確かめている場合じゃない。ゲンガーにキツい一撃を与えた今がチャンスだ!! 「ラズリー、火炎放射!!」 耐久力の低いゲンガーに対してなら、火炎放射のダメージもかなりのものになるはず。 勝つことも……夢じゃないんだ!! オレはギュッと拳を握りしめた。 ここで親父に勝てば、もう二度と邪魔なんかされない。 だけど、現実はそう簡単に行かなかった。 「シャドーパンチ!!」 親父の指示が響いた次の瞬間―― ばんっ!! ラズリーの身体が宙に舞い上がった!! ……!? 一体何が起こったというのか。 ラズリーは炎を吐く寸前だった。 ラズリーの影から黒い拳が飛び出し、本体を殴り飛ばしたんだ。 シャドーパンチ……こんなところで使ってくるか……!! 攻撃に打って出た瞬間、速攻可能なシャドーパンチで、その攻撃すら無効にするっていうのか!? ここまで来れば、親父が次にどんな手を打ってくるのかも分かる。 恐らく―― 「なかなかやるようだが……これで終わりだ。ゲンガー、破壊光線!!」 親父が言い終えるが早いか。 ゲンガーが破壊光線を放った!! 空中ではラズリーに回避は無理……ならば…… 「ラズリー、火炎放射!!」 少しでも破壊光線のダメージを抑えれば、勝機はある!! ラズリーは空中にいながらも器用に身体の向きを変え、下から伸びてくる破壊光線目がけて、ありったけの力で炎を吐き出した!! 破壊光線と火炎放射じゃ、威力に差があるのは分かってる。 ダメージを受けるのを覚悟で、そのダメージをできる限り削る。そうすれば…… ごっ!! 破壊光線と火炎放射が真っ向から衝突し、互いのエネルギーを相殺していく。 しかし、残ったのは破壊光線!! 残ったと言っても、半分以上……!? まずい、耐え切れない!! 度重なるダメージで体力も限界に近いラズリーが破壊光線なんか受けようものなら、耐え切れる可能性は皆無だ!! 「ラズリー、戻……」 どごんっ!! モンスターボールを引っつかみ、捕獲光線を出すよりもわずかに早く、破壊光線がラズリーを直撃、爆発を起こした!! 生まれ出る爆風が周囲を吹き抜け、ラズリーを地面に叩きつけた!! 「……!!」 やっぱり、耐え切れなかった……!! ピクリとも動かないラズリーを見れば分かる。 ラッシーに匹敵する根性の持ち主であるラズリーが動かないということは……結論は一つしかない。 「少しは実力をつけたようだが、今のおまえでは俺に勝てん」 親父は涼やかな声で言うなり、ゲンガーをモンスターボールに戻した。 決着はついた。これ以上戦う必要はない、と言わんばかりに。 オレだって……分かってるよ、そんなの。 ラズリーがもう戦えないってことくらい。 ゲンガーにダメージを与えられたけど、倒すことはできなかった。勝てなかったんだ……今回も。 たったそれだけのことなのに、受け入れるのに時間がかかった。 負けたくない……負けを認めたくない気持ちが強かったんだって。自分でも分かるからさ。 「ラズリー……!!」 オレは傷つき倒れたラズリーに駆け寄り、動かない身体を抱き上げた。 身体を覆う赤い体毛はあちこちが汚れ、炎タイプとは思えないほどの体温の低さが、受けたダメージの深刻さを物語っている。 ラズリーは炎を吐く時、体温が900度まで上昇する。 今は……オレの平熱と同じか、少し低いか。どちらにしても、これ以上は戦えない。 「ラズリー……ごめんな。こんなに痛い思いさせて……オレが、不甲斐ないばかりに……」 オレは戦闘不能に陥ったラズリーに詫びることしかできなかった。 勝てなかったのは、ラズリーの実力が足りなかったわけじゃない。 進化を経て、ラズリーは飛躍的に強くなった。 その強さに、オレが追いついていなかったからなんだ。 トレーナーとしての強さが足りなかったからなんだ。 だから負けた。 負けた原因をポケモンのせいにして自分は悪くないなんて言い張るほど、オレは落ちぶれちゃいない。 どんな時だって、ポケモンのせいになんかしない。 「アカツキ」 親父の声にゆっくりと顔を上げると、いつの間にかすぐ傍までやってきていた。 何の感情も宿していない目でオレを見下している。 そう、『見下ろしてる(みおろしてる)』んじゃない。『見下してる(みくだしてる)』んだ。実力の差を、見せ付けているかのように。 これが実の父親のすることか? 最強のトレーナーを夢みる息子の夢を手折るような真似をするってのが、父親なのかよ!? 親父に反発したい気持ちはある。 火山のように噴火寸前だ。 でも、今のオレがやるべきなのは、そんなことじゃないはずだ。 「少しは腕を上げたようだが、その程度では俺には勝てない。 ――次が、最後だ」 「……?」 最後……? それ、一体どういう意味なんだ……? わざわざ区切って言ってくる親父の真意が読めるはずなどなかった。 追い打ちをかけるように、親父は冷たい声で告げた。 「この次おまえが俺に勝てなかったら……その時は、おまえは最強のトレーナーになる術を永遠に失う。 そうなりたくなければ、もっと腕を磨け。死ぬ気で努力して、俺を追い越してみせろ。 言うまでもないが……俺のポケモンは強いぞ。おまえ自身だけではなく、ポケモンももっと強く育て上げることだ」 さい、ご……? 呆然と見上げるオレを尻目に、親父はモンスターボールからラプラスを出し、その背に乗って海を駆けていった。 ………… 「ラズリー……戻れ……」 何も考えられず、オレはただラズリーをモンスターボールに戻しただけだった。 足腰が砕けたように、立ち上がれない。 オレがトレーナーとして未熟だってのは認めるよ。トレーナーになって一ヶ月も経っていない、っていうことを言い訳にはしたくないけれど…… それでも、親父の言葉は許せない。 気がつけば、親父への怒りだけが心の中で煮えたぎっていた。 オレが次の機会に親父に勝てなかったら、オレから最強のトレーナーと最高のブリーダーっていう夢を奪う……だって? 「なんなんだよ!! 一体なんの権利があって、そんなこと言うんだよ!! 親父なんか、大ッ嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」 オレはありったけの思いを吐き出すように、無人の海に向かって叫んだ。 悲鳴のようだった。自分でも分かったんだ。 親父が今のオレの言葉を聞いていようといまいと、そんなことは関係ない。 「何の権利があって、オレから夢を奪うなんて言えるんだよ……」 そんなことを言われるほどオレが弱いんだって分かって、悔しくてたまらなかった。 知らず知らずのうちに涙が頬を濡らし、コンクリートの地面に染みを作っていく。 すっごく惨めだ。 これ以上ないほど惨めで、情けなくて……以前に負けた時とは比べ物にならないくらい。 「ちくしょう……」 親父がやろうとしてることは分かった。 オレからトレーナーとブリーダーの夢を奪い、自分の手足となって動くように、博士に仕立てようとするんだろう。 いや、親父の影響力を考えれば、それはあながち不可能なことじゃない。 ポケモンリーグにもそれなりに顔が利くから、オレからモンスターボールを奪うことだってできるかもしれない。 その他の方面にも根回しをして、オレが旅を続けられなくすることだって……そんな卑怯な手段だって、親父は平気な顔をしてやってのけるんだろう。 親父……なんでオレの邪魔ばかりするんだ……? ウソでもいい、気持ちがこもっていなくてもいい、頑張れと一言でも言ってくれたなら……!! 「ちっくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」 自分自身がとても惨めで、情けなくて。 親父の身勝手な言葉に面と向かって反論できないオレ自身を、これほど嫌だと思ったことはなかった。 涙はとめどなく溢れては地面を濡らしていく。 染み込んで、消えてを繰り返す地面の染み。堂々巡りを繰り返すかのように。 オレは博士になんかなりたくない!! 最強のトレーナーと最高のブリーダーになりたいんだ!! それだけなのに!! どうして親父はそんなオレの邪魔ばかりするんだ!! いくら父親だからって、子供の夢を一方的に奪う権利があるっていうのか!? 自分自身に対する怒りと、親父に対する憤りが、狭い胸で凌ぎを削っている。 少しでも気を抜けば、怒りに任せて親父に危害を加えかねないほどに。 こんな気持ちは初めてだった。 たまらなく悔しい。みっともないし……情けない。 怒り、悲しみ、憎しみ……それらすべてが混ざり合ってマーブル模様になって心の奥底に沈んでるんだ。 どうすればいいのか分からない。 親父の力なら、オレが考えている大抵のことができてしまう。 オレを博士として育て上げることだってできる。 ………… 分かってるんだよ、ホントはさ…… 理不尽に押し付けられようとする『現実』を跳ね除けられる唯一の手段くらい。 でも、今のオレじゃそれを武器として使うことすらできないんだ。対等なカードとして扱うこともできないんだ。 今のオレは…… 最悪な気分は、それだけで終わらなかった。 ざっ。 背後に足音が聞こえ、振り返ると…… 「ナミ……なんでここに?」 倉庫の影から、驚愕に目を見開いたナミが姿を現した。 まさか、今のバトルを見てたのか!? オレが蹲ってるだけじゃ、そんな顔は見せないはずだ。 間違いない……ナミはオレと親父のバトルを見ていた。 最後のやり取りまでは聞こえていたか知らないけど、少なくとも…… 「アカツキ……なんでおじさんとキミが戦ってるの? ねえ、どうして?」 ナミは言うなり、今にも泣き出しそうな顔で走ってきた。 オレはナミをどうにもできなかった。ナミに八つ当たりしたって……何にもならない。 見られてたなんて……本気で最悪だ。 これで親父との最後のやり取りを聞かれてたなら、もうダメかもしれない。 いくらトレーナーだからといって、親子で戦うなんて間違ってる。 ナミの表情はそう言いたげだった。 「ナミ……いつから見てたんだ?」 「…………」 ナミは俯いてしまった。 オレとしては穏やかに訊いてるつもりなんだけど……妙な迫力でもあるんだろうか。 とはいえ、この分では答えてくれないんだろうな。 そして、それが語っていることはただ一つ。最初からずっと見ていたっていうことだ。 ナミが見てたっていうことには驚いたけど……一部だろうと全部だろうと、どっちだって大して変わらない。 彼女からすれば、オレが親父と激しく火花散らしてるってだけでショックだったんだろうから。 「オレが親父のこと嫌ってるの、知ってるだろ?」 「…………うん」 オレの言葉に、ナミは頷いた。視線すら合わそうとせずに。 さっきのバトルを見て何かを感じたんだろうか。 聞きただしてみなければ分からないけど、無理に扉をこじ開けるつもりはないよ。 そんなことしたって、オレもナミも嫌な気分になるだけだ。これ以上気分を害したくない。 「……なんていうか、その……」 言い出してから口ごもってしまう。 なんて言おうか……下手な言葉を出せば、ナミは傷ついてしまうかもしれない。 つまんない親父のことでナミを傷つけてしまうのは、オレとしても本意じゃない。 嫌だよ、そんなの。 なるべく本質に触れないように、慎重に言葉を選んで話してみた。 「オレ、おまえに大切なこと言い忘れてた。 いつかは言うことになるだろうって思ってたけど……もっと先になるって思っていたんだ」 「大切なこと?」 「ああ」 ナミはゆっくりと顔を上げた。 目と目が合う。 さっきまで泣きそうな顔だったけど、少しは明るさを取り戻したようだ。 単なるポケモンバトルだって受け止めているなら、ありがたいんだけど…… そう思いながら続ける。 「ハナダシティでカスミと戦った後、オレは親父と会ったんだ。 さっきのようにポケモンバトルしてさ、負けたんだ。そりゃもう、コテンパンにやられたよ。 親父がトレーナーやってたって知ってたけど、まさかここまで強いとは思わなくてさ。 おまえも見ての通り、今も負けた。これで二度目だ」 「……おじさん、強いんだね」 「ああ……」 ナミの言葉に頷くオレ。 親父は確かに強い。 でも、オレは親父を認めるわけにいかないんだ。 親父の強さの一部分でも認めてしまったら、それは親父を認めるということと同じになる。 息子の夢を叩き潰そうとする親父なんか、誰が認めるって言うんだよ……冗談じゃない。 「こんなこと隠してたけど……悪かったよ。 親父としては気まぐれと暇つぶしのためにオレとバトルしに来てたみたいだけどな…… 親父の気まぐれに振り回されるオレってすっげぇ惨めだろ?」 ナミには言えない。親父がオレの夢を叩き潰そうとしてるだなんてこと。 いくらなんでもショックが大きすぎるだろうからさ。 もしかすると、オレよりも強いショックを受けるかもしれないし。 「……でも、アカツキは頑張ってたんでしょ? ラズリーちゃんも一生懸命戦ってくれたんでしょ?」 「ああ……オレはともかく、ラズリーは一生懸命戦ってくれたよ。オレがついていけなかっただけだけどな」 「そんなことないよ!!」 「……?」 ナミは猛然と食いかかってきた。 オレの言葉に聞き捨てならないものでも感じたようで、オレの両肩をがっちりつかんできた。 非力な女の子とは思えないくらい、爪が食い込むような気がするけど…… それだけナミの気持ちが強いってことなんだろうか? 「アカツキはアカツキだもん!! みっともないとか、情けないとか、惨めとか、そんなことないよ!! だって、トキワの森であたしのこと助けてくれたじゃない!! あの時のアカツキ、すごくカッコよくて強かったよ!!」 「……そうだよな。オレ、どうかしてたかもな」 ナミの金切り声から逃れたい一心で漏らした言葉……だったんだけど、言い終えてからそうじゃないと気づいたんだ。 ラズリーは一生懸命戦ってくれた。 トレーナーであるオレが至らないばっかりに敗北を喫してしまったわけだけど…… そのどこにみっともないとか、情けないとか、惨めだとか思わなきゃならない理由があったんだろうか? オレはオレなりに精一杯戦ったつもりだ。 負けてしまったけど、バトル自体に後悔はしてない。 だから、みっともないとか、情けないとか、惨めだなんて思っちゃいけないんだ。ラズリーに悪いんだから…… 「ナミ、悪い。おまえに教えられたな……ありがとさん」 「うんっ♪」 ナミは大きく頷いてくれた。 励まされるなんて、本気でらしくないんだけどさ……でも、今回は本気で救われたよ。 もう少しでオレ、腐っちまうところだった。 トラブルばっかり招き入れると思っていたけど……そうでもなかったみたいだな。 こいつの底抜けた明るさに触れるってのも、悪くはない。 ともあれ…… 「ナミ。そろそろ帰らないか? おまえさ、明日ジム戦だろ。ノンビリしてていいのか?」 「あ……」 ナミは口をポカンと開け放ったまま、閉めるのを忘れているようだった。 この街に来たのは、ジム戦が一番の目的のはずだ。 少しは戦い方とか考えといた方がいいと思うんだけど……無縁なんだろうか、こいつには。 なんて思いつつ、 「ここのジムリーダー、かなり強いぜ。少しくらいは戦い方とか考えといた方がいいと思うぞ」 「あー、うん。そぉだね」 「んじゃ、帰ろうぜ」 「うん!!」 オレはナミの手を取り、歩き出した。 道中、ナミがいろいろ話しかけてきたけど、オレは適当に答えたり、相槌を打ったりしていた。 だけど…… ナミが言ってくれた一言が、ずっとずっとオレの胸の中に染み渡っていったんだ。 「アカツキはアカツキだもん!!」 オレはオレか……そりゃそうだよな。 オレはオレだよな。親父じゃなけりゃ、じいちゃんでも、シゲルでも、ナミでもない。 ホントはさ、とてもうれしかった。 オレをアカツキとして一番よく見てくれてるのが、ナミなんだって分かったからさ。 じいちゃんもそうだけど……でも、ナミが一番だって分かる。いつだって本音で接してくれてるんだから。 いつかはこの借りを返さなきゃいけないかな…… 少しだけ上向いた気分がこのまま右肩上がりで続けばいいなと、オレは人知れず心の中で思ったんだ。 To Be Continued…