カントー編Vol.13 フレンドシップ〜緑の絆 「それじゃ、行ってくるね〜っ!!」 「あ、おい、待……」 止める暇もなく、ナミは人込みの中に消えてしまった。 オレはただ呆然と、流れてゆく人込みを見つめているしかなかった。 カントー地方で一番の大都市タマムシシティにたどり着いて早々、ナミはジム戦に行くなんて言い出して、人込みに消えてったんだ。 本気で止める暇すらなかった。 思い切った決断というか、即決力というか……ハッキリ言ってただ呆然。 ナミってここまで思い切った性格をしていたんだっけ……? ほかに考えるべきことがあるはずなのに、どーいうわけかそれだけが頭の中をグルグルと回っている。 旅に出るまでは、オレの後をちょこちょこくっついてくるだけかと思ってたんだけどな。 やっぱり、旅を通じて成長してるんだ、少しずつではあるけれど。 多少なりとも目に見える形での成長をナミに見出すことはできる。 でも、オレはどうなんだろう? トレーナーとして、あるいはブリーダーとして、成長しているのは確かだ。 経験こそ少ないけれど、トレーナーやブリーダーとしてそれなりに自信も懐いているつもりなんだ。 懸念があるとすれば、それは目の上のたんこぶの象徴である親父のことだけ。 それを除きさえすれば、おおむね順調と言えないこともない。 だけど、な〜んか肝心なところから遠ざかってるような気がするんだよなあ。 オレが人間として成長してるかってのが問題なんだよ。 アカツキっていう人間として、旅に出る前と今とどう違うのか。 オレ自身、よく分からないでいるんだ。自分のことなのに分からないなんて、おかしいんだと思う。 でも、本当に分からない。 どう変わったのか。 トレーナー、あるいはブリーダー。 そうやって何かと肩書きとか理由とかつければ成長してるって断言することもできるんだろうけど、そういうのが一切なくて…… ただのアカツキとして見て、どれだけ変われたのか。 単にトレーナーやブリーダーとして成長するだけじゃ、あの親父には勝てっこない。 今までの度重なる敗北で、オレはなんとなくそれが分かってきた。 もっとも、分かっただけじゃ、何にもならないんだけどさ。 考えに一区切りつけたところで、改めて人込みを見やる。 「…………」 ナミはホントに行っちまったらしい。 黄色い悲鳴とかが聞こえなくなってるから、間違いないだろう。 大都市だから、迷わずに行ければいいんだけど。 そこまで心配するのは、さすがにお節介なんだろうな。 とはいえ、あいつがトラブルに『巻き込まれてしまうんじゃないか』ってことを心配してるんじゃない。 むしろ、自分からトラブルに『首を突っ込むんじゃないか』ってことを心配してるんだ。 まあ、あいつのことが心配だって言ってしまえば、確かにその通りなんだけど。 それでも、心配ばかりしてたって一銭の得にもなりやしない。 気持ちを切り替えて、オレはポケモンセンターへ向かって歩き出した。 オレは今、タマムシシティを東西に貫くメインストリートの東端にいる。 ヤマブキシティ方面から来たから、すぐ後ろのゲートの向こう側は、ヤマブキシティとタマムシシティを結ぶ7番道路だ。 大都市だけあって、人は本気で多い。 マサラタウンとかニビシティとかハナダシティと比べるのが酷と思えるくらいだ。 だけど、人が集まればいろいろと新しいものが生まれる。 たとえば、経済とかファッションとか。 おかげさまで、ナミやオレが文字通りの田舎モノにしか見えなくなるくらい。 でもまあ、オレはこの格好が好きだし……他人と違うってのも、悪くはないと思えるんだ。 むしろその方がいいかな。 誰かと同じだなんて、それじゃあ何のために自分っていう存在があるのか、分からなくなると思うからさ。 なんか哲学的になってきたけど、それはさておき。 大都市だけあって、初めて来た人が道に迷わないように、あちらこちらにタマムシシティの地図が貼り出されている。 それを見れば、迷う心配はないだろう。 すぐ近くの地図の傍で足を止め、ポケモンセンターの位置を確認する。 このままメインストリートを西に進めば、それほど時間をかけずにたどり着けるようだ。 家が何軒もスッポリ入ってしまうほど広い道に沿って進んでいくと、他にもフレンドリィショップや、タマムシデパートにも行けるらしい。 でも、ただでさえ高層ビルが目立つから、デパートの姿はここからじゃ影も形も見られなかった。 完全に覆い隠されてるって感も否めないんだろうけど、そもそも、あんまりデパートには興味がないんだよな。 ああいうチャラチャラしてるトコって、あんまり行きたいとは思わない。 バーゲン目当てで殺到した主婦とかが、激安のバーゲン品の服を凄まじい形相で取り合ってるとか…… そういうイメージしか湧いてこないからさ。 それから、肝心のジムは…… ポケモンセンターの先で、メインストリートと直角に交わっている道を進んでいくと、たどり着けるらしい。 まあ、この分なら大丈夫だな。 その他には自然公園だのアミューズメントセンターだの、複数の施設が見受けられる。 でも、今のオレにはあんまり関係なさそうだし、パッと見て心にその存在を留め置いたくらいで良しとしよう。 ホッと一安心したところで、再び歩き出す。 知らず知らずに、視線がメインストリートの両脇に構えられた店舗に向いてしまう。 ショーウィンドウの中で照明を浴びたマネキンが、春夏物の洋服に身を包んでいる。 マサラタウンの洋服屋さんじゃ考えられないほど飾りっ気があるんだな。 一言で言えば派手な色使いで、斬新なスタイル。 それだけに、マサラタウンじゃ絶対に流行りそうにないと自信を持って言える。 マサラタウンも、少しずつではあるけれど、確実に発展している。 片田舎なんて、悪口代わりによく言われるみたいだけどさ、オレだってあの町が都会だなんて本気で思ってるわけじゃない。 観光の目玉があるわけでもなければ、大規模な商業施設が建ち並んでいるわけでもない。 田舎だって言われるのも当然だと思う。 だけど、都会には絶対に存在し得ないものがたくさん存在してる。 自然が色濃く残っているし、気のせいかな……今見上げてる空と、旅に出るまで見上げてた空の色が違って見えるんだ。 きっと、郷愁に似てるんだろうけど…… なんか、空の青さっていうのが、どことなくくすんで見えるんだ。 「遠くまで来たってことなのかなあ……?」 人々の活気で賑わうメインストリートを歩きながら、正直な気持ちが口を突いて飛び出してきた。 オレがポツリつぶやいたことなど、周囲の人にだってほとんど聞こえていないだろう。 こういう時に限っては、周囲の雑音がオレのつぶやきをかき消してくれるんだから、ありがたいとでも言うべきかな。 もし隣にナミがいたら、きっとこんな風に言葉をかけてくるんだろう。 「らしくないね」 笑顔で、オレの気持ちも知らずに元気に言ってくるんだろうけどさ。 でも、自分らしくないって、オレ自身が一番よく分かってる。 どうにも気持ちが空の青さみたいにすっきり晴れなくて、いろいろと考え込んでしまう。 気の抜けない日々が続くんだって思うと、どうしてもナミみたく底抜けに明るく振る舞えそうにない。 そういう風にできたらどれだけ気が楽になるんだろうとは思うんだけどな。 将来に対する不安も憂いも迷いもなかったら、オレだってもっと心が上を向いて歩いていけるはずなんだ。 他人がどう言おうと、オレがちゃんとするってのが一番なんだろう。 ナンダカンダといろいろなことを考えながら歩いていくと、ポケモンセンターがすぐ近くにあった。 そんなに時間が経ったとは思えないし、それに見合うだけの歩数とも思えない。 考えごとをしていると、何でもかんでも速く感じられてしまうんだろう。 ポケモンセンターって言っても、今まで見てきたどのポケモンセンターよりも規模が大きかった。 野球のドームがすっぽり入るほどの広さというのが遠目にもよく分かる。 他のポケモンセンターでは見られなかった特徴はまだあった。 敷地をぐるりと囲む虹色の塀の天辺には、ポケモンを模した小さな銅像が並んでいる。 やっぱり、大都市のポケモンセンターともなると、違うんだなあ。 訪れる人の数とか、設備の性能とか。 タマムシシティはヤマブキシティのような交通の要所ではないけれど、他の街にはない施設がたくさん存在しているから、そのぶん人が集まるんだ。 カントー地方最大規模のポケモンセンターでも、泊まれないってこともあったりして…… なんて、一抹の不安を覚えつつも、ポケモンセンターのドアをくぐった。 とにかく広いロビーには、これでもかとばかりに、たくさん人がいた。 老若男女幅こそ広いけど、そのほとんどがポケモントレーナーだ。 ジム戦のためにこの街を訪れたのか、デパートでの買い物を楽しみにしているのか。 理由は人それぞれだけど、ズラリと並んだ数百の椅子の七割……いや、八割近くが埋まっている。 使っているのは人間だけじゃなくて、彼らのポケモンも含まれる。 毛を梳かれていたり、同じ種族同士ということで戯れていたり……時間の過ごし方もそれぞれ異なっている。 ……これって、本気で泊まれるんだろうか? 一人一部屋と単純に計算した場合、可能性としては泊まれない方が高くなる。 入ったところで呆然と立ち尽くして、頭の中で泊まれるか泊まれないかというところばかりがクローズアップされているのが分かる。 考えに没頭しそうになるオレを現実に呼び戻したのは、脇を通り抜けてカウンターの方へ歩いていく人の姿だった。 立ち止まってて、邪魔だって感じてたんだろうな。 前を行く人の肩が大きく動いているのが見えた。 考えたって仕方ないか。 いくら考えをめぐらせたところで、泊まれないという言葉を突きつけられたら、納得するしかない。 オレがどうこうしたところで仕方がない。 簡単に考えを丸めて投げ捨てて、オレはカウンターでパソコンの画面を熱心に見つめているジョーイさんの元へ歩いていった。 ジョーイさんはオレの顔を見るなり、いつもの笑顔で出迎えてくれた。 「今晩泊まりたいんですけど、部屋空いてますか?」 単刀直入に訊ねると、ジョーイさんの笑顔が崩れた。 季節が移り変わるように、表情の変化がよく分かる。 これって、もしかすると……一抹の不安は現実となって現れた。 「申し訳ありません。 つい十分ほど前に最後の一部屋が埋まってしまいまして……明日であれば、空室はあるんですが……」 本当に申し訳なさそうに頭を下げるジョーイさん。 やっぱり、部屋、空いてなかった…… なんとなく予想はしていたから、それほど気分は落ち込まなかった。 野宿だって、今までに何度かやってるわけだし、別に問題はない。 オレは何事もなかったかのように笑顔をジョーイさんに返した。 「分かりました。別のところを探してみます」 ここで野宿しますと言わないのが、何気に自分でも高等(ハイ)テクだなって思ったよ。 別のところっていう言い方をしておけば、少なくとも野宿じゃない宿泊方法に考えが向くだろう。 ポケモンセンターに空室がなかったのはジョーイさんの責任じゃないわけだし、彼女を責めるのは間違いだ。 だから、当たり障りのない言い方で誤魔化して、ジョーイさんの心の負担を減らしてやるというのも、トレーナーとしての責任じゃないかと思う。 かすかに上向いた表情を見せたジョーイさんを背に歩き出そうとして―― 再び彼女に向き直る。 「ああ、そうだ。伝言を頼まれてくれませんか?」 「伝言ですか? かしこまりました」 ジョーイさんは一瞬拍子抜けした様子を見せたが、すぐにペンと紙を取り出し、話を聞く姿勢になった。 宿泊を断ってしまったという負い目があるせいだろう。とても素直な印象を受けた。 「ナミっていう、オレと同じ年頃の女の子に伝えてほしいんです。 白い帽子をかぶってて、ラフな格好をして、一目見れば嫌でも分かるほど能天気な顔をしてますから」 オレはナミの特徴を事細かに話すと、ジョーイさんはペンを素早く動かして書き留めた。 「東ゲートで待ってるって伝えてください。 たぶん、今日中にはここに来るはずですから」 「分かりました。必ずお伝えいたします」 ジョーイさんは深々と頭を下げた。 ……やっぱり、傷つけちゃったかな。 オレはジョーイさんに小さく頭を下げると、人とポケモンでごった返すポケモンセンターを後にした。 いつもいつでもポケモンセンターに泊まれるわけじゃないって、旅に出る前から分かっていたことだ。 オレは行くつもりなんかないところだけど、カントー地方とジョウト地方にまたがる山岳地帯じゃ、ポケモンセンターはほとんどない。 あの辺りを徒歩とかで踏破するとなると、何日も連続して野宿を強いられる。 そんな、ある意味悲惨な状況に比べれば、すぐ傍に街がある場所で野宿できるっていうのは恵まれているんだろう。 野宿に対する心配事とかってのがあるワケじゃないんだ。 むしろ、ナミがちゃんと伝言を受け取って、東ゲートに来てくれるかどうかが問題なんであって…… まあ、考えたってしょうがないよな。 ナミにはガーネットとトパーズと、ニョロモのサファイアがついてるわけだし……たぶん大丈夫だろう。 マイペースなガーネットとトパーズと違って、新入りのサファイアはそれなりにしっかりしてるようだから。 「さて……どうするかだな」 ポケモンセンターの敷地を出たところで、オレは足を止めて周囲を見渡した。 相も変わらず往来の激しいメインストリートを東ゲートまで歩いていくのも、なんだか疲れそうだ。 ただでさえポケモンセンターで泊まれないってことで、心のどこかでは落ち込んでるんだろうな。 でも、そんなことは言っていられない。 野宿の支度はちゃんとしてあるんだ。 炊事道具や食材は背負ったリュックの中に詰まってるから、三日程度ならぶっ続けで野宿したって大丈夫。 いつもいつでもポケモンセンターに宿泊できるとは限らないんだ。 旅に出た以上は、野宿を何日かできるくらいの備えはしておかないと、いざって時に困るんだよな。 あとは、野宿する場所を探すだけだ。 街の中じゃ、警察とかの目もあるから場所なんてないだろうし。 かといって裏通りとかを選んだりすると、トラブルに巻き込まれそうで嫌だ。 なら、考えられるのは街の外――ゲートの向こう側……7番道路の隅っこがベストだろう。 場所も暫定的に決めたことだし、ノンビリと時間をつぶしながら東ゲートに向かうことにしよう。 今すぐ行ったって長いこと待つだけだし、そうなるくらいならいっそ、郊外でもぶらつきながら行くってのが一番だな。 ナミと別れてすぐに見たタマムシシティの地図に、街の北部に広がる自然公園が描かれていたのを思い出す。 メインストリートと並行するように、北部を東西に貫く公園で、自然を満喫するお散歩コースが見所とのことだ。 たまには、色濃い自然に触れて身体も心もリラックスするのもアリかもしれない。 自分自身を納得させる適度な理由も見つかったことだし、早速行ってみることにしよう。 確か北部だってことだから、太陽と逆の方に歩いていけばいいんだ。 メインストリートをタマムシデパートの方へと歩き出す。ポケモンセンターの敷地を西から迂回する形で北部に向かう。 角を曲がると、人通りが極端に少なくなった。 魅力的な施設や店舗が見られなくなったからだろうと勝手に推測してみるけど、あながち間違っちゃいないはずだ。 まあ、こういう場所の方が落ち着けるかもしれない。 正直なところ、人込みの中にいると、息が詰まりそうだった。 都会という場所に慣れていないのが一番の理由だろうけど、たぶんそれだけじゃないだろう。 あんまり喧騒を受け入れたくないっていう心理も働いているのかもしれない。 歩いていくにつれてビルも次第に姿を消していき、代わりに街路樹が増えてきた。 景観を壊さないために、建物の色も控えめなものが多い。街路樹に合わせたダークグリーンや、淡い色調も目立つ。 ちなみに、マサラタウンにはこういう色の建物はない。 大抵地味で、淡いクリーム色とか白とか。 少なくとも、ピンクとかスカイブルーとか迷彩色といった色彩は町の条例に違反するとかで建てられないそうだ。 「あんまり人もいないんだな……オレだったら、住むんだったらこういう場所の方がいいな」 周囲に人がいないということで、オレは抱く気持ちを素直に口にすることができた。 道の両脇にポツンポツンと点在する民家は、都会の喧騒を忘れたように、静かに佇んでいる。 沈黙の海に浮かんでいるようで、喧騒すら過去の出来事のように、ここには存在していない。 風に木の葉が擦れる音が妙に心地良く耳に入ってくる。 子守唄のような爽やかな音に包まれながら歩くうち、オレは自然公園の入り口にたどり着いた。 周囲に民家や店舗はなく、左右に延びる道は土を固められたもので、アスファルトによる舗装もされていない。 「へえ……思ったより、緑が濃いんだ」 自然公園を見渡して、素直に思った。 間もなく新緑の季節ということで、公園は鮮やかな緑で満ちていた。 天に向かって屹立する木々の枝葉が屋根となって、陽射しから歩行者を守ってくれる。 そのくせ、枝葉の間から差し込む薄日が妙に気持ち良かったりもして…… 自然に包まれているとリラックスできるってのは、そういうことを指すんだろう。 ザァザァという、風にそよぐ枝葉の音に誘われるようにして、オレは公園に足を踏み入れた。 入り口に設けられた全景(イメージ)に目を通してみる。 ここから右に歩いていくと、東ゲートの前まで行けるとのことだ。途中で右に折れて、南下する。 目的地は東ゲートだから、これはもう一石二鳥。行かないなんて選択肢は考えられなかった。 土を固めただけの道を踏みしめる。 地面につけた足が、かすかに浮き沈みする感覚。アスファルトで舗装された道を歩き慣れたせいか、そういった感覚の違いを敏感に感じてしまう。 でも、悪くはない。 都会の喧騒を忘れ、自然の中に身を置く。 風の音がとても新鮮に聞こえてくるんだ。 よく考えてみれば、都会を吹き抜ける風はビルとかに当たって、揺らすものといえばベランダに干した洗濯物くらい。 木の葉を揺らし、さながら旋律のような音を響かせることはない。 ここにいたら、色濃い自然に囲まれながら、風の音を絶え間なく耳にすることができる。雑音だなんて思わない。 自然に囲まれた公園を歩きながら、オレはふと、マサラタウンの郊外に広がる森にいつか行った日のことを思い出した。 ガキの頃から、オレとナミはいつも一緒だったっけ。 風が枝葉を揺らす音が、オレの心をあの日に送り届けてくれるみたいで、なんとなく懐かしい気持ちになる。 シゲルは幼いながらも将来の夢を目指して、じいちゃんの傍から離れずに勉強してた。 それこそ窒息しちまいそうなほど、あいつは恐ろしく勉強に励んでいた。 オレたちはそんなシゲルの邪魔をしないようにと、離れた場所で遊んでたんだっけ。 そんなある日のことだった。 オレとナミはじいちゃんの言いつけを破って、遠くにまで遊びに行ってしまった。 外は危ないから出ないようにって言われていたけれど、オレたちは町の郊外に広がる森に足を踏み入れた。 規模としてはそれほど大きくない森だったけど、幼いオレたちにはとても大きく、それでいて魅力的に見えた。 見たことのない景色にはしゃいで、時が経つのも、町から遠く離れたことも忘れて、森の奥深くに足を延ばしていった。 どれくらいの時間が経ったのか、オレたちは空腹を感じてじいちゃんの研究所に戻ろうとしたんだ。 でも、歩いても歩いても森から出ることができなかった。 道らしい道がなかったし、目印をつけながら歩くという知恵もなかったから、迷ってしまったんだ。 あの頃は、ナミも今ほどお気楽な性格じゃなかったから、不安げに表情をゆがめて、わんわん泣いてたっけ。 オレだって、不安でたまらなかった。 このまま家に戻れないんじゃないかって。 ナミのように泣きはしなかったけれど、涙がこみ上げてたのは今でもよく覚えてるんだ。 ナミが泣き疲れて眠ったものだから、オレは一人ぼっちになったって思っちゃったんだろうな……火がついたように泣き出したんだ。 その声を聞きつけたのか、それともオレたちの後を尾けてたのか……じいちゃんが助けに来てくれた。 オレは安心しきって、じいちゃんの腕の中で眠りに落ちてしまった。 気がついた時にはじいちゃんの研究所のベッドにいた。ナミと隣りあわせでぐっすり眠ってたんだ。 目を覚ましたオレとナミの前で、じいちゃんはとても険しい表情を見せた。 オレは怒られるとばかり思って、巣穴から引きずり出された小動物みたく、ビクビク怯えてた。 言いつけを破ったってことに、今さらのように気がついたから。 だけど、じいちゃんは怒らなかった。 「無事でよかった……」 そう言って、オレとナミの頭を優しく撫でてくれた。 本当は怒りたかったのかもしれない。 でも……じいちゃんは怒らなかった。 今でもどうして怒らなかったのか、理由は分からない。 もしかしたら、オレたちが近場に飽きているってことに薄々感づいていたのかもしれない。 だけど、こればかりは直接じいちゃんの口から聞かないと、ハッキリしたことは言えないだろう。 どうして今ごろになって、そんなことを思い出したのか…… 分からないけど、たぶん何らかの意味があるんだろうと思う。 似たような景色が今目の前に広がっているのかもしれない。 その出来事は覚えているけど、その時の景色はあまり覚えていないんだ。 ちょっと昔の思い出に心を重ねながら歩いていくと、いろんなものが見えてきた。 二本の木の間にぶら下げたハンモックで気持ち良さそうに眠っている壮年の男性と、彼の胸の上で身体を丸めて眠っているイーブイ。 モグラ叩きのモグラ役に扮しているかのように、茂みから顔を出したり引っ込めたりするコラッタ。 自然が色濃く残っている場所だからこそ、ポケモンも棲息しているんだろう。 自然公園という名がついているだけあって、公園内でのポケモンの捕獲やポケモンバトルは固く禁止されている。 そのおかげで静かで過ごしやすい環境が整えられて、ポケモンも暮らし始めたんだろう。 オレもできればこういう場所で暮らしてみたいと思うけど、今すぐは無理だ。 すべてを忘れて、夢をあきらめてまで飛び込む勇気は、今のオレにはないんだ。 やりたいことをすべてやり遂げて……後悔も未練も残らなくなったら、静かに暮らしてみるのもいいかもしれない。 喧騒を忘れて、ややこしい人付き合いも忘れて。 ただ自分らしく時を過ごすっていうのも、ステキな選択肢なのかも。 今のオレに選べないものだからこそ、なんだか輝いて見えるけれど。 「今はまだやるべきことがあるんだ。 リーグバッジを集めて、カントーリーグに出て……あと、何がなんでも親父に勝たないと」 すべてはそこからなんだ。 あの忌々しい親父に勝たなきゃ、オレに未来はないんだ。オレが望む未来を迎えられないんだ。 だから…… 「絶対にゲットしてやる。タマムシジムのバッジを」 誰にも負けるわけにはいかない。 勝ち続けなきゃ、親父を超えることなんてできない。 何を考えるにも親父が影を落とすなんて、ホントに忌まわしいけれど…… 親父を超えるっていう目標がついて回ると思えば、少しは気が楽になるかもしれない。 親父のことを頭から振り落とすべく、オレは周囲の自然を満喫しながら歩いた。 ちょうど街の東端にぶつかって道が右に折れるところで、足を止める。 一枚岩でできた長椅子に腰を下ろし、少し休んでいくことにしたんだ。 今から行ったって、ナミはまだ来てるはずもないだろうから。ちょうどいい時間つぶしになるだろう。 それに…… オレは腰のモンスターボールを四つ手にとって、軽く前に放り投げた。 ぽんぽんぽんぽんっ!! 着弾と同時に、競うようにボールが次々と口を開き、中からポケモンたちが飛び出してきた。 「ソーッ」 「ブーっ……」 「ピッキ〜♪」 「…………」 それぞれが違った反応を見せてくれた。 ラッシーは色濃い自然に心を許したのかリラックスしきった表情を浮かべた。 ラズリーは頭上に目をやり、風に揺れる枝葉の隙間から覗く小さな空を見上げている。 リッピーは相変わらず陽気に歌など歌いながらぴょんぴょん飛び跳ねて。 リンリは、ここはどこだと言わんばかりの表情で、周囲を見回している。 本気で違った性格の持ち主たちだと思ったよ。 でも、これくらいバリエーションがあった方が面白いとも思うんだ。 リンリはみんなと顔合わせも済んだから、ラッシーたちのことを、それなりに仲間だと思ってくれている。 おとなしい性格で、あんまり言葉も話さない。 思慮深そうな様子と落ち着いた物腰が理知的に見えて、それでオレはリンリ(倫理)って名前をつけたってワケ。 「みんな、ここ、街の中なんだ。驚いただろ?」 「ブーっ……」 声をかけると、ラズリーが真っ先に頷いてくれた。 少し遅れて、リンリも頷く。 街の中にこんな緑の濃い場所があるのかと、驚いているのがよく分かるんだ。 今まで通ってきた街に、こんな場所はなかった。 単に通り過ぎているだけかもしれないけど、見なかったのは確かだ。 まだ時間もあることだし、ここで自然を満喫して、リラックスしてもらいたいと思っているんだ。 草タイプのラッシーは、緑が傍にあると落ち着くようで、すぐに横になってしまった。 ラッシーを頼りにしてきたところは多いから、ゆっくりしてもらいたいよ。 今までだって厳しいバトルがあったけど、むしろこれからの方がもっと厳しいに決まってる。 トレーナーとしてたくさんのバトルをしなきゃいけないし、何より、あの親父との決着もつけなくちゃいけないから。 今まで戦った誰よりも強い親父に勝つには、生半可な努力じゃ無理な話。 オレもポケモンも、厳しい試練が待ってるんだ。 休めるうちに休んでおかないと……いざって時に、身体も心も保たなくなってしまうからな。 こういう時には、ポケモンフーズでも食べてもらおうか。 そう思って、オレはリュックから大きめの皿とポケモンフーズが詰まったビンを取り出して、それぞれが好きな味に取り分けてやった。 山盛りになった皿が置かれると、みんな好みの味のポケモンフーズに手を伸ばして、食べ始めた。 ラッシーは身体を動かすのも億劫といった様子で、背中から蔓の鞭を伸ばしてポケモンフーズを絡め取り、口に運んでいた。 むしろ、そっちの方が労力が要るように思えるんだけども……まあ、いいか。 ラズリーとリッピーは積極的に、行儀なんて何のそのと言わんばかりにかぶりついていた。 対照的に、リンリは落ち着き払った物腰で、慌てることなくポケモンフーズを口に運んでいく。 ヘルメットの下から口の中にポケモンフーズを放り込んでるんだと思うけど、無理に覗き込むのは止めといた。 そんなことしたって、リンリが嫌な思いをするだけだ。 見たいっていう気持ちはあるんだけどね。 それでも、ポケモンが嫌がるようなことだけは、トレーナーとしてやっちゃいけないんだ。 だから、そっと見守ることにしたよ。 「…………?」 オレが興味深げに眺めていることに気づいたか、ポケモンフーズが半分以下になった頃、リンリが顔を向けてきた。 「…………」 相変わらず無言。 でも、パチパチと瞬きする視線が、リンリの思っていることを如実に語ってくれている。 「なんで僕のこと見てるの?」 ちなみに、リンリは男の子だ。 ポケモンって、ほとんどの種類が見た目では性別の判別ができないって言われてる。 オレが知る限り、オスとメスの違いが表面的に現れているのはニドランだけだ。 「君のこと、興味深いからだよ。 なんでそんなにおとなしいのかなって……」 オレはリンリの頭を撫でた。 正確にはヘルメットだけど、撫でられてうれしいんだろう。リンリは満足げに見えた。 「元々の性格かもしれないけど……なんとなく気になるんだよ」 「…………」 リンリはオレの顔を見上げてきた。 視線と視線で会話、なんて風流なことができるとは思ってないけど、なんとなく、リンリが思ってることが分かる。 「ラッシーはああやってノンビリしてるし、ラズリーやリッピーはすごい勢いで食べてるだろ? でも、君はマイペースを保ってるからさ。ちょっとうらやましいな」 リンリの落ち着いた物腰は、言い換えればマイペース。 リッピーというムードメーカーにも動かされず、常に自分のペースを貫いている。 マイペースって言うと悪い方に受け取られがちだけど、本当はそうじゃない。 『自分のペースを保ち続けられる』っていう意味なんだよ。 だから、本当はとてもいい意味で使われなくちゃいけない言葉なんだって、じいちゃんが言ってた。 そう考えると、リンリはもしかすると、天才かもしれない。 常に自分のペースを貫き、違うペースの相手が傍に寄ってきても、気にしない。 人間と同じように、ポケモンにだって個性はある。 一体一体違うから、リンリのように落ち着き払ったポケモンだっている。 どっちかというと騒がしい系に入るラッシー、ラズリー、リッピー(リッピーは間違いない)とは一線を画すリンリこそ、 オレが追い求めていたポケモンかもしれない。 落ち着いていれば、下手に弱点を露呈することもないだろうし…… 「みんな、いいヤツばっかりだからさ。 早く慣れてくれよな。オレも、君のことをもっとちゃんと理解できるように頑張るからさ」 「…………」 リンリは首を縦に振ると、何事もなかったようにポケモンフーズに手を伸ばした。 呆れるくらいマイペースだな、ヲイ。 ……もちろんいい意味で、だけど。 ラッシーたちも、自分たちとは毛色の違うポケモンが仲間に加わったということで、リンリのことを結構意識してるみたいなんだ。 これから仲間が増えていくから、そりゃ毛色の違うポケモンだって入ってくるわけで、慣れてもらわないと、オレも困るんだよな。 オレはどんなポケモンだろうと分け隔てするつもりはないからさ。 ……と、ポケモンフーズが残り少なくなったことに気づいたラッシーが身体を起こして、蔓の鞭に頼らず、自分の口でポケモンフーズを食べ始めた。 ラズリーとリッピーは存分に食べたようで、ラッシーとリンリに後を譲った。 こうやってコミュニケーションを深めているのを見ると、本当に仲がいいんだなって思うよ。 思わずにやけた表情を浮かべていると、 「あら。かわいいポケモンさんですね」 不意に横手から声をかけられた。 ビックリして顔を向けると、緑の木々をバックに一人の女性が立っていた。 今時珍しく着物なんか召してて、インパクトのつもりなんだろう、肩口に切り揃えた黒髪にヘアバンドを差している。 こーいうのを、和洋折衷と言うんだろうか? どう見てもオレより年上で、年の頃は十代後半から二十歳くらいってところだろう。 さすがに、面と向かっちゃ言えないけど。 ポケモンたちがポケモンフーズを食べているのを微笑ましく思っているようで、彼女の顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。 突然声をかけてきた彼女が気になってか、ラッシーたちはポケモンフーズを食べるのを中断した。 「……ああ、紹介が遅れましたね」 オレが向けた視線を「自己紹介しろ」と受け取ったようで、女性は笑みを崩さないまま、ペコリと小さく頭を下げると、 「わたくし、エリカと申します。この街に住んでいるんですのよ」 「はあ……」 「ところで、あなたのお名前を教えていただけますか?」 「アカツキです」 「アカツキさんですか……」 エリカと名乗った女性は、オレの名前をつぶやくと、笑顔のまま視線を斜め上に向けた。 何か思い当たるところでもあるんだろうか……まあ、そこんとこはどーでもいいんだけど。 「あの、なにか?」 十秒くらい経っても考え込んでいたんで、オレは言葉を挟んだ。 何を考えているのかは知らないけど、あんまりそういう態度を見ているのも面白くない。 「いえ、なんでもありませんわ。 知り合いに同じ名前の人がいるんですが……その人のことを思い浮かべていたんです」 うわぁ…… いかにも取ってつけたような理由だけど、それを追及するのも気が引けた。 そんなことをしたって、お互いに不快な思いをするだけだろう。 とはいえ、一体何の用があって名乗ったんだか。 虫も殺さぬ笑顔の裏に、なんかとんでもない雰囲気を背負ってるような気がするのは、果たして気のせいか……? オレが訝しげに視線を向けていることなど知らん顔。 エリカさんはしゃがみ込むなり、ポケモンフーズを食べるのを中断していたラッシーの頭を撫でた。 見知らぬ誰かが傍に来たから、一体なんだろうと思って、みんなポケモンフーズを食べるのを止めたんだ。 そこに付け込むように、笑顔でオレのポケモンの頭を撫でるなんて……しかも、ラッシーはまったく嫌がっていない。 マサラタウンにいた頃、ラッシーは知らない人にいきなり頭を撫でられ、蔓の鞭を振り回してその人を追い払ったなんてことがあった。 なのに、今はどういうわけか拒絶の意志すら見せていないんだ。 柔らかな笑顔に触れて心が和んでるんだろうか。 「いい育ち方をしていますね。 わたくし、草タイプのポケモンが大好きですの」 「はあ……」 「実家が活け花教室を開いておりまして。 そのせいか、幼い頃から草タイプのポケモンとは縁が深いんです。 おかげでわたくし、草タイプのポケモンが一番大好きになってしまったのです」 下手な相槌など打っちまったから、興味を持っていると思われたんだろう。 いよいよ饒舌になって、笑顔も深まった。 あー、なんだか…… いきなりこの人のペースに引き込まれてるような気がしてならないんだけどさ。 いきなりしゃしゃり出て、ラッシーの頭撫でて、なんでか知らないが身の上みたいな話まで始めて…… ナミと同じで天然なのか、それともすべてが計算ずくなのか……それすら読めない。 一体なんなんだ? ラッシーの頭や背中を撫で回しているかと思うと、ラズリーやリッピー、リンリにまで手を伸ばし始めた。 止めなかったのは、誰も嫌がっていないからだ。 まあ、嫌がれば実力行使に打って出るだろうから、オレが手出ししたところで無意味なんだろうけど…… 陽気でかしましいリッピーなんて、不思議そうな顔でエリカさんを見上げるだけ。 実に信じられない光景を目の当たりにしてるぞ、オレは。 ラズリーもリンリも、無言。 リンリはともかく、ラズリーは結構コミュニケーションを積極的に取るようになったんだけど……それでも無言なんて。 エリカさん。 やっぱりタダモノじゃないよこの人。 トレーナーには見えないけど、一瞬でオレのポケモンの警戒を解き、あっさりと触れ合ってるんだから。 普通の人なら、そんなマネはとてもできないはずだ。 だからといってここで探りを入れても、笑顔で避わされるか、突っ込まれるか。 どっちにしたって、リスクしか考えられないよな。 はて、どうしたものか……思案していると、 「アカツキさん」 「……はい?」 エリカさんは立ち上がり、笑みをそのままに、顔を向けてきた。 「お見事なポケモンたちですわ。 わたくし、散歩がてらよくこの公園を歩いているんですけど、あなたのようにポケモンに信頼されているトレーナーを見たのは久しぶりなんです」 「そうなんですか? あんまり自覚はないんですけど……オレはみんなのこと信頼してますよ。 だって、そうじゃなきゃ、意味ないじゃないですか」 「そうですね」 半ばヤケクソの言葉にも、エリカさんはちゃんと頷いてくれた。 聞き上手というか……単にそれ以外に思いつかなかったんじゃ…… なんて思ってると、 「特にあなたのフシギソウ…… 背中のつぼみの成長具合から見まして、そろそろフシギバナに進化できるかもしれませんね」 「……え?」 予想だにしなかった言葉を突きつけられ、オレは絶句した。 ――ラッシーが……そろそろ進化できるかもしれない? ――一体なんでそんなことが分かるんだ? なんでエリカさんにそんなことが分かるんだか。オレにだって、ラッシーがいつ進化するなんてこと、分からないのにさ。 他人にそんなこと言われるなんて、なんだか悔しいな。 「草タイプのポケモンのことなら、わたくし、誰にも負けないと思っております。 差し出がましいマネをしたようで……申し訳ございません」 オレが唖然としているのを見て、なんでかエリカさんが笑顔のまま頭を下げた。 悪気はないけど、善意もないみたいな感じだな。 ホント、この人はメチャクチャだ。 ガキの頃から草タイプのポケモン一筋だって言うなら、ラッシーの姿を見てそういう判断もできるかもしれないけど…… なんだか、信じられないよ。 ラッシーがもうすぐフシギバナに進化できるっていうのが本当なら、すごくうれしいけど。 「あの、エリカさん」 「なんですか?」 「あなた一体何者ですか? どうしてラッシーが進化できるかもしれない、なんて……」 どう考えてもタダモノじゃない!! オレは思い切って切り出した。 草タイプのポケモンに詳しいからって、『ただの詳しい人』がそこまで断言するのは不可能だ。 並々ならぬ知識と経験に裏打ちされた言葉の重みは、素人とプロでは明らかに違う。 オレには、彼女の言葉一つ一つがプロのモノだと思えるんだ。 だから、タダモノじゃないぞ、この人は。 「わたくしは草タイプのポケモンが大好きな女です。それだけですが」 エリカさんは懐に手を差し込むと、すぐに取り出した。 その手にはモンスターボールが一つ。 「出てきてください」 モンスターボールを見つめてつぶやくと、ボールの口が開いて、中からポケモンが飛び出してきた。 「……クサイハナ?」 「ええ、そうです。幼少の頃からのお付き合いですわ。お友達というよりも家族ですね」 オレはエリカさんの傍らでぼーっとしているクサイハナに目をやった。 背丈はラッシーより少し低い程度で、黒か見紛うばかりの濃紺の身体はボールみたいに丸みを帯びている。 短い手足がついていて、二本の足でちゃんと自重を支えているのを見ると、足腰は強いんだろう。 横に広い口の端からは涎みたいな液体がみっともなく垂れている。 涎のように見える液体は、実は蜜のような汁だ。 それに、糸目はなんかやる気がなさそうに見える。 そのくせ、頭の上には赤く細長い葉っぱが何枚か生えていて、さらに同じ色の花が鎮座しているから、自然と視線が花に向く。 まだ咲く前のようで、寒さに身を縮めているかのように見えるんだ。 なんか見た目というか雰囲気と言うか、おっとりしてるのがエリカさんにそっくりだな。 さすがに口には出せないけど。 クサイハナはナゾノクサの進化形で、花のめしべが放つ臭いは恐ろしく強烈で、二キロ先まで届くと言われている。 でも、なんか普通のクサイハナとは違って見える。 見た目はそのまんまなんだけど、なんというか、雰囲気だろうな。 妙に落ち着いているし、何よりも…… ――クサイハナがクサイハナと呼ばれるようになった所以たる、強烈な臭いがない!!!! ただそこにいるだけで、めしべが強烈な臭いを放つっていうのに…… あまりの臭いにオレの鼻が機能しなくなったのかと思ったけど、そんなわけはないか。 ラッシーたちが無反応なのを見ると、本当に臭いがしてないんだ。 「そのクサイハナ、全然臭いませんね」 「ええ……わたくしのクサイハナは、臭わないクサイハナなんですの」 普通のクサイハナと違う点を指摘すると、エリカさんはうれしそうに笑みを深め、クサイハナの頭の花を撫でた。 別にその気があって言ったんじゃないけど、どうやら誉め言葉と受け止めたらしい。 「クッサー……」 当のクサイハナも満足げに鳴いた。 うーん、やっぱり普通のクサイハナとは違うな。 そう思いつつ、オレは率直な疑問を口にした。 「どうやったら臭わなくなるんですか? オレ、臭わないクサイハナになんて会ったことないから、正直驚いてるんですけど……」 じいちゃんの研究所にいるクサイハナは、それはもう強烈な臭いを放つもので、じいちゃんもナナミ姉ちゃんも持て余している感があった。 でも、ちゃんと世話はしてるよ。 臭いこそ強烈だけど、『何気に愛嬌があっていい』んだそうだ。 そういや、クサイハナの強烈な臭いで何日かまともに鼻が機能しなくなったこともあったっけ…… を思い返していると、エリカさんはさも当然と言わんばかりの口調で答えた。 「わたくしのクサイハナはリラックスしている時だけ何の臭いも放たないんです。 でも、本当に珍しいんですのよ。 あなたのフシギソウがいるおかげですね」 「……?」 「同じ草タイプのポケモンがいると、リラックスできるみたいです。実に久しぶりのことですね」 「そうなんですか」 オレは曖昧に頷くと、ラッシーを見やった。 ラッシーも顔を上げてきた。 お互いに、素直には信じられないって思ってるのがよく分かる。 ラッシーも、研究所のクサイハナの臭いには『煮え湯』を飲まされてきたから。 でも、目の前にある現実を疑う気にはなれない。 「クッサー……」 エリカさんのクサイハナがおもむろにラッシーに話しかけてきた。 オレには「クッサー」としか聞こえないんだけど、微妙なイントネーションの違いで、ポケモンには伝わる言葉になるらしい。 言葉が通じれば、なんて言ってるのか分かるんだけど…… 「ソーッ?」 ラッシーが応じる。 何か言われたのか、驚いているようだけど…… オレが想像を働かせるより早く、二人の会話(?)は進んでいった。 「クッサー、クッサー……?」 「ソーッ、ソーッ……ソーッ……!!」 表情に乏しいクサイハナが何を考えているのかはまったく読めない。 でも、ラッシーの方は豊かな表情のバリエーションから、どんな感情を抱いているのかが分かる。 最初こそ驚いていたけれど、今は楽しんでいるように見える。 「あらあら、すっかり仲がよくなってしまいましたね」 「そうみたいですね」 エリカさんの言葉に、オレは素直に頷いた。 ラッシーとクサイハナは、いきなり意気投合してたんだから。 草タイプのポケモンという共通項を差し引いても、すぐに打ち解け合えたのには、オレも驚くしかない。 驚くオレを尻目に、ラズリー、リッピー、リンリまで二人の話に加わったんだ。 「ポケモンはポケモン同士、仲がよろしいんですね。 わたくしとしてもうれしい限りですわ。クサイハナにお友達ができましたから」 エリカさんは、それはもううれしそうな顔を見せた。 笑顔の絶えない人だけど、毎回見せる笑顔が違うように見えるんだから不思議なものだ。 ポケモンはポケモン同士……か。 なるほど、それなら…… オレはエリカさんの言葉を逆手にとって、思い切って訊ねてみた。 「エリカさん。 オレには、あなたが普通の草ポケモン好きな人には思えないんですけど……」 なんとなくじいちゃんに通じる何かを感じたよ。 ただの草ポケモン好きにしちゃ、リラックスしている時にだけ臭いを放たないクサイハナと共に過ごすなんて…… なんか考えられないよな。 和気藹々と話(?)に花を咲かせるポケモンたちを満足げに見つめるエリカさん。 もしかして無視されてるのかって思ったけど、ちゃんと答えてくれた。 焦らしてたのかもしれない。 「あらあら……よくお分かりになりましたね。わたくし、活け花教室の先生をやっております」 「いや、そういうんじゃなくて…… ポケモンのこと、すごく詳しいですよね。どうしても、普通の人には思えなくて」 「…………」 しばらくエリカさんは黙っていた。 言葉を探っているように見えたけど、本当は違うのかもしれない。なんとなく、そう思った。 急かすのも悪いから、彼女の口が開くのを、ただ待った。 「さすがに誤魔化しきれませんでしたね。 フシギソウをそこまで立派に育て上げるようなトレーナーを、わたくしは見たことがありませんでしたから……」 「じゃあ……」 「ええ。わたくし、タマムシジムのジムリーダーをさせていただいております」 言って、エリカさんはペコリと頭を下げた。 「…………」 オレは驚かなかった。 ある程度は予想してたからな。 ただの草タイプポケモン好きな人には見えなかったし……なら、考えられるのはジムリーダーか、スクールの先生か。 草タイプのポケモンに詳しいのを見ると、彼女がジム戦で扱うのは草タイプで間違いないだろう。 「エリカさん。 実はオレの連れがあなたにジム戦を挑もうとジムに行ったんですけど……会いませんでしたか?」 「いいえ、会っておりませんわ。今日はジムをお休みにしていますから」 「…………」 オレの問いに、エリカさんは首を横に振った。 ジムリーダーがこんな昼間に出歩くなんて普通考えられないよな。 やっぱり、ジムを休みにしてたんだ。 ジムリーダーだって人間だから、月に何日かはちゃんと休みを取ってるんだろう。 ……ってことは、ナミはジムに行ったって無駄足踏んだわけだ。 もしかしたら、ポケモンセンターに戻ってるかもしれない。 こうやってのんびりくつろいでるオレよりも先に東ゲートに行ってるって可能性は……やたらと高いかも。 オレがあれこれ考えているのを見つめ、エリカさんは首をかしげて、顔を覗き込んできた。 「あの、どうかなされましたか?」 「ああ……たぶん問題ないんじゃないかと……」 言われたことに対する答えがぜんぜん違ってるなあ…… エリカさんは別に突っ込んでこなかったけど、自分でも分かるよ。チグハグな受け答えだってこと。 しかし、ナミが先に行ってるとなると、オレが遅れて行った時に、あれこれ突っ込まれるんだろうなあ…… どこで何をしてたんだ、とか。 言い訳を繕うのも面倒だし、この際エリカさんを連れてって事情を説明するのが一番簡単かな。 なぜだか最近どんどん鋭くなっているナミをごまかす手段を考えるので頭がいっぱいだった。 「アカツキさん」 「はい?」 言葉をかけられ、オレは顔を上げた。 相変わらずの笑みに、少しだけ心が落ち着いた。 ポケモンセンターのジョーイさんみたく、本当に笑顔を絶やさないんだ。 大らかな性格なんだろうな……きっと、いろいろと苦労してきたから、そうやって笑っていられるんだろうなって思った。 「お近づきのしるしに、お茶でもご一緒しませんか?」 ぶぅッ。 これにはたまらず吹き出してしまった。 本人を前にして失礼だってことは重々承知なんだけさ…… でもだからっていきなり初対面のヤツに「お茶でもご一緒しませんか?」なんて。 どう考えても不自然でしょ、オレとエリカさんの取り合わせを考えてみれば。 でも、当のエリカさんはまったく気にしていないようだ。 これって、大らかって言うより、鈍いんじゃ…… オレが吹き出したことも不快には思っていないようで、笑みはそのまま保たれていた。 「あの……嫌ですか?」 「そういうんじゃないですけど」 嫌というわけじゃない。 むしろ、ジムリーダーとお茶を飲みながらいろいろと話ができるっていうのは、願ってもないことだ。そうそうめぐりあえるチャンスじゃない。 でも……なんか、シチュエーションがぜんぜん違ってるぞ。 断る理由がないのに、なんでか素直に受け入れられないなんて。 なんか変だよ、今のオレ。 彼女はジムリーダーであって、それ以上でもそれ以下でもないんだ。 なのにさ、なんでこんなに身体が熱くなるんだろ? 「どうかされましたか? お顔、赤いですけど……」 顔が赤い。 そうなのか、ホントに!? オレの顔、真っ赤なのか!? 簡単に言ってくれるけど、顔が赤くなるって、女性からすればどういう意味かくらい、分かって当然だと思うんだけど。 こういうのに疎いんだろうな、きっと。 「なんでもないです。 エリカさん、ぜひご一緒させてください」 「まあ……ありがとうございます」 申し出を快諾すると、エリカさんは本当にうれしそうな顔で何度も頭を下げてくれた。 出会いのしるしにお茶を一緒に……なんて、プレイボーイの決まり文句じゃないか。 一時代昔のことだと思うけど。 まあ、ジム戦前に敵地の偵察ってのも、悪くはないしな。 どうせ先にナミがジム戦するんだし、一日ほど戦略を練る時間があると考えれば、一概に悪い申し出じゃない。 むしろ、受けるべきだ。 なんてオレが考えをめぐらせているとは思っていないのか、エリカさんはモンスターボールを掲げ、 「クサイハナ。戻ってください」 妙に弾んだ声でクサイハナをボールに戻した。 そろそろ行くってことか。 でも、その前に…… 「あの、エリカさん。 行く前に、ヤボ用を済ませていいですか?」 「ヤボ用、ですか?」 「はい。連れがジムに向かったんですけど……実はポケモンセンターが満室で泊まれないんですよ。 それで、戻ってきたら東ゲートに向かうようにって伝言を頼んだんで、東ゲートに寄ってっていいですか?」 「構いませんわ。今晩の宿はお決まりでないのですね?」 「泊まり損ねちゃいました。野宿は慣れてますから、別に平気です」 目には目を、と言わんばかりにオレは笑みを返した。 ナミを連れて行かないと、後で文句を言われる恐れがある。 ……つーか、絶対に言われる。 「なんでそんな面白いところにあたしを連れてってくれなかったの〜」 ……なんて、駄々を捏ね出すに決まっている。そうなると後々面倒だからなぁ。 どうせならナミも一緒に行った方がいいだろう。 みんなをモンスターボールに戻して歩き出すと、エリカさんは粛々と、優雅な足取りでついてきた。 お嬢様ぶってるってワケじゃないんだな。 着物という服装が余計にそう思わせるんだろうけど、彼女の足取りは静かで、それでいて流れるようで力強い。 真っ白な足袋には一点の染みも許していないし、赤い鼻緒の下駄を履いても、音をほとんど立てずに歩いている。 やっぱり、普通の人とは違うんだなぁ。 花嫁養成所にでも行ったような足取りなんだから。 「エリカさん。どこでお茶するんですか?」 オレは訊ねた。 エリカさんはオレを立てると言わんばかりに、半歩遅れていた。 別に立てられるほど立派な顔をしてるわけじゃないし。そんな次元の話じゃないか。 どうせどこかの喫茶店で紅茶を楽しむってところなんだろう。 そう思っていたけど、返ってきた答えは予期せぬものだった。 「せっかくジムをお休みにしていますので、ご招待いたしますわ」 「ジムっすか!?」 オレは素っ頓狂な声をあげ、足を止めて振り返った。 エリカさんは相変わらずニコニコ。 当たり前じゃない、と言わんばかりだ。 あ、そういえば…… 今までのジムの構造を思い出した。 トレーナーとジム戦を行うバトルフィールドと、ジムリーダーの居住スペースを兼ね備えてるんだっけ。 だから、家であり仕事場でもある。 敵地の視察という意味では、最高の場所だ。 バトルフィールドの地形や特徴を覚えておけば、バトルを有利に進められるに違いない。 まあ、都合よく見せてもらえるかは分からないけど、行くだけの価値は十二分にある。 驚きこそしたけど、すぐに熱も冷めた。 「お気に召しませんか?」 「いいえ……ぜひ」 エリカさんの笑みを受け、再び歩き出す。 それからほどなく、土を固めた道の先に、東ゲートが見えてきた。 人の流れがあるせいで、ナミがいるのかよく見えない。 まあ、いないならいないで、ゲートに詰めているお巡りさんに伝言を頼めばいいだろう。 一応、少しは待つつもりだけど。 オレは背後にエリカさんの存在を感じながら、一歩ずつ道を踏みしめ歩いていく。 東ゲートにたどり着くまでの間に、ジム戦に向けて考えをめぐらせる。 エリカさんがジム戦で使うポケモンのタイプは、草か毒のどちらかと見ていいだろう。 クサイハナのタイプは草と毒だからな。 ああいうクサイハナを育てているのを見ると、どちらかのタイプで責めてくるのは間違いない。 となると、草タイプを出してきた場合、有利に戦えるのはラズリー。毒タイプならリンリだ。 相手のタイプが絞られている今の状態を有利と見るか、それとも不利と見るか…… オレ的には50:50(フィフティ・フィフティ)ってところだろうな。 一見アドバンテージがこちらにあるように思えるけど、実はそうでもない。 エリカさんはオレの手持ちのポケモンをすでに見ている。 オレはジム戦を挑むなんて一言も言ってないけど、ジム戦を想定して、じっくり観察しているのは間違いないだろう。 だから、有利とも不利とも言えない。 相性が有利なら、強気に攻めていけばいいだけのことだ。 それ以上は今の段階で考えても仕方ないな。 まずは、敵地の視察。 エリカさんからお茶がてらいろんなことを聞かせてもらうとしよう。 「アカツキさんはどちらのご出身ですか?」 「マサラタウンです。エリカさんは?」 「この街で生まれ育ちましたの。 わたくしが生まれた頃は、まだ高層ビルもそれほど建っていなくて、景色の良い街でしたのよ。 時代が変わったということなのでしょうか。 でも、こういう場所が残っていると言うのはうれしい限りですわ。心が落ち着きますから」 「そうですね」 いつの間にか話題が変わってるんだけど……突っ込むのは止めておこう。 ここで機嫌を損ねたら、 「気が変わりました。お気に入りの喫茶店があるのですが、そちらにしましょう」 なんて言われかねない。それこそ完璧な計画が一瞬で水泡と帰してしまう。 必要最低限の受け答えで済ませるようにしよう。 「マサラタウンと言いますと、オーキド博士がお住まいでしたね」 「はい」 一瞬ドキッとしたけど、平静を装うのに必死だった。 なにせ、じいちゃんのことなんだから。 思いっきり近い人物なんで、自分のことを言われてるみたいに感じてしまうんだ。 「わたくし、何度か電話越しですがお会いして、お話させていただいたことがございます」 「へえ。どんな印象だったんですか?」 「聡明で、落ち着いた物腰の方でした。 今となってはつまらない内容の相談をしたのですが、とても親身に聞いて下さって、貴重な助言まで賜りました。 感謝してもしきれないくらいです」 「そうですか」 なんだかうれしいな。 聡明で落ち着いた物腰かどうかはともかく、感謝してもしきれないなんて言われちゃ、悪い気はしない。 孫としてじいちゃんのことをホントに誇りに思えるよ。 「つかぬことをお聞きしますが…… アカツキさんはトレーナー志望ですか? それともブリーダーですか?」 「え……」 しみじみしてるところに、予想だにしなかった角度から言葉を投げかけられ、オレは本気でドキッとした。 トレーナー志望か、ブリーダー志望かなんて、どうして訊いてくるのか…… とはいえ無下にするわけにもいかず、オレは正直に答えた。 「両方です。 二足の草鞋を履くのって難しいって言われてますけど……どうせなら、夢は大きく持たないといけないかなって思って」 「そうですね。素晴らしいことだと思いますわ」 冗談なのか本気なのか、エリカさんの声は妙に弾んでいた。 トレーナーとブリーダーの両立が難しいってことは、ジムリーダーであるエリカさんならよく分かっているはずだ。 でも、夢を持つのは、持たないよりずっと素晴らしいという風に、オレには聞こえたんだ。 ほんの十分前に会った人にここまで親身にされるのって、普通の人なら気味が悪いと感じるのかもしれない。 その反面、相手がジムリーダーなら、ある程度は信頼も置けるかな。 それも、エリカさんの人柄が思わせているんだろう。 柔和で優しくて包容力がある……って言ったら大げさだな、って笑われるかもしれない。 だけど、本当のことだと思う。 「エリカさんはやっぱりトレーナーなんですか? ジムリーダーをやってますけど……」 「そうですねぇ。今になってはそれしか考えられませんね。 ポケモンの世界は奥が深いですから……いろんなポケモンのことを知りたいですわ」 エリカさんらしい答えだ。 不思議と、贅沢だなんて思えないから。 これも、エリカさんの人柄なんだろう。 いろんなことを話しながら歩いていくと、あっという間に自然公園を抜け、東ゲートにたどり着いた。 案の定ナミは先に来ていた。 オレの姿を認めるなり、駆け寄ってきた。 そして、寄り添うようにオレの傍にいるエリカさんとオレを交互に見つめ、口を開く。 「あ、アカツキじゃない!! どしたの? 女の人と一緒にいるなんて……」 「変か?」 「ううん……そうじゃないけど」 ナミは否定するけど、エリカさんに向ける視線がどこか余所余所しく見える。 何気に気にしてんだな。 オレが見知らぬ女性と一緒にいるって。意識しなきゃ、そんな反応は見せないだろう。 な〜んだ、カワイイところがあるんじゃないか。 だけど、エリカさんは気にする様子すら見せず、 「あら……この方があなたのお連れさんですか?」 「はい。従兄妹のナミです」 「ナミで〜す!!」 促されて紹介すると、ナミは元気よく挙手などしながら名乗りを上げた。 周囲の人が振り向いてくるのも気にしていない。 ああああ、見てるオレの方が恥ずかしい…… なんて知らず知らずのうちに顔を真っ赤にしていると、エリカさんはクスッと小さく笑った。 「ナミさんですか。はじめまして。わたくし、エリカと申します」 会釈と共に名乗るエリカさん。 「で……アカツキはどーしてエリカさんと一緒にいるの? あれ、もしかしてデート?」 「違うわっ!!」 ナミの口から飛び出したトンデモナイ言葉に、オレはなぜかムキになって反論した。 言い終えてからはたと気づく。 なんでオレ、こんなにムキになってるんだろうか、と。 そんなオレを置き去りにするように、ナミとエリカさんの会話が始まった。 「デートだなんて、とんでもございません」 エリカさんはニコニコ笑顔で、手を左右に振って否定した。 否定って言っても、そもそもデートという単語自体を意識していないような口調だった。 やっぱり、そういうのには鈍い人なんだ…… オレがそう思うのを尻目に、エリカさんは相変わらず朗らかな笑みを浮かべて続けた。 「わたくし、アカツキさんと自然公園で出会いまして……」 「そうなんだ……ねえねえ聞いてアカツキ!! この街のジム、休みだったんだよ!? ドアには『くろーずど』なんて書かれたプラカードがぶら下がってたし、ドアを叩いても誰も出てこないの。 ポケモンセンターに戻ってみたら、満室だって言うから、ここに来たの」 「ああ……そうだったっけ」 「ジムリーダーも休みの日がなきゃダメだってことなのかなぁ?」 ナミは不満げに頬を膨らませていた。 どうやら、ジムが年中無休のコンビニと同じだと思っているらしい。 と、熱を帯びてた頭が少し冷えてきた。 よしよし、なんとなく冷静に物事を考えられるようになったぞ。 ナミはオレの傍にいるエリカさんがジムリーダーだってことに気づいてないな。 まあ、普通は分からないか。ニコニコ笑顔の着物姿の女性がジムリーダーだなんて…… とはいえ、ここで素直にしゃべれば、ナミはここぞとばかりに不満をエリカさんにぶつけるんだろうなあ。 それでオレがお膳立てしてきた計画がパァになったら、それこそ踏んだり蹴ったりで…… 発生するであろう誤解にどう対処しようかと考えていたところ、 「申し訳ございません」 「え……」 どうにかして敵地視察を成功させようと、必死に策をめぐらせている最中だった。 エリカさんが発した不吉な言葉に、オレは恐る恐る振り返った。 頭、下げてるし。 「一月に何度か、お休みの日を頂いておりますの。 ジムの草木の世話ということで、庭師の方においでいただいているのです。 伸びきった枝葉をちょうどいい長さに剪定していただかなければなりませんので……」 「えっと……」 ナミは何を言われているのか分からないようで、困った顔で首をかしげた。 庭師とか剪定とか……難しい言葉が続いて、意味を理解しかねているようだ。 「ジムの草木の世話……って?」 「申し遅れました。 わたくし、タマムシジムのジムリーダーを務めさせていただいております」 ガーン。 崖から突き落とされた気分に襲われる。 テレビとかでよく耳にする『ガーン』っていう効果音が、鐘のように何度も反響するのを聞いた。 エリカさんが自分から告白するっていう可能性をぜんぜん考えてなかった……そこんとこはオレの計算ミスだ。 でも、防ごうと思って防げるシロモノでないことも確かだ。 あとはナミがどういう対応を取るかだけど…… 「えぇっ!? エリカさん、ジムリーダーなの!?」 「ええ、そうなんですの」 ナミは驚きに目をこれでもかと言わんばかりに大きく見開いていた。 まさかオレがジムリーダーと歩いているとは思わなかったんだろう。 それに、着物姿のジムリーダーというのも、初めてだから。 ナミが驚くのを尻目に、エリカさんは相変わらずの笑顔。 何があっても驚いたり慌てたりしないんだろうか、この人は。 人間の顔をしたアンドロイドかと、ありえない想像を働かせていると、 「でも、なんでアカツキと一緒に……!?」 「気分を落ち着けようと自然公園に出かけたんです。 そこで出会いまして……ナミさん、と申しましたね。あなたもいかがです? ジムでお茶でもいたしませんこと?」 「お茶!? うん、行く行くっ♪ ラッキー、ジムリーダーと一緒にお茶できるなんてっ♪」 オレの予想に反して、ナミは完全に乗り気だった。 今にも駆け出さんばかりに息巻いている。 怒り出すかと思ったけど……「ジムでお茶」の一言に完全に懐柔されてしまったらしい。 ジムへの不満なんか、一気に吹き飛んだに違いない。 もしかすると、エリカさんの柔和な人柄に当てられたのかも。 それに、ずいぶんと話の持って行き方が上手い。 ナミの気を引く言葉をすかさず口にして、追撃を完全に封じ込めたんだ。 意図してやったことでないにしても、さすがはジムリーダーと思わず敬服してしまう。 今までのジムリーダーと違うと思わずにはいられないよ。 「……というわけですので」 エリカさんはオレの脇をすり抜けて、ナミの傍にやってくると、着物の裾を風になびかせながら振り返った。 「参りましょうか」 「レッツゴーっ!!」 「はあ……そうっスね……」 オレは曖昧な答えを返した。 ナミとエリカさん、何気に意気投合してるよ。 似てる部分があるとはいえ、こうも簡単にナミが気を許すなんて……やっぱり、エリカさんってすごい!! 手などつなぎながら歩き出した二人に、数歩遅れてついていく。 どちらともなく始まった会話は、すぐに容易く割り込めないほど弾んだ。 「ナミさんはアカツキさんと従兄妹だとか」 「うん。頼りになるお兄ちゃんって感じ!!」 「そうですか……それはうらやましいですわ」 完全に打ち解けちゃってるし。 エリカさんの天性の才能なんだろうか。 柔和で優しい人柄にあてられると、誰もが引き込まれてしまうのかもしれない。 ある意味危険なのかもしれないけど、それが見た目で分かれば苦労はしないわな。 しっかし……頼りになるお兄ちゃんって何だよ。 オレは従兄妹であって、お兄ちゃんなんかじゃないんだぞ。 まあ、ナミがオレのことをどう思おうが、それはナミの勝手なんだけどさ……お兄ちゃんとはね。 そのつもりがオレにないから、なおさらおかしく聞こえてくる。 オレが胸中で思っていることなど露知らず、ナミとエリカさんの会話は途切れることなく続いていく。 「エリカさんってどんなポケモンが好きなの?」 「わたくし、ポケモンに選り好みはいたしませんわ。どんなポケモンとでも仲良くなれると思っています」 「へえ……アカツキと同じだね。 アカツキも、どんなポケモンでも好きだって言ってるんだよっ」 「そうなんですか。いいことですわね」 ナミのヤツ…… なにも、会話に加わっていないオレをダシにしなくてもいいのにさ。 それに、ずいぶんと年上の相手にタメ口利くなんて、度胸があるって言うか、礼儀を知らないって言うか。 幸い、エリカさんも気にしていないようだし。 まあ、オレの口から話すようなことでもないか。 話に加わるのも、割って入るみたいで気が引ける。 ジムに着くまでの間は、二人の話に耳を傾けるというのもいいかもしれない。 自分で話してると、意外に重要な一言とかをさらりと聞き逃してしまいそうな気がしたんだ。 「本当に大切なことですけれど、忘れていらっしゃる方は意外と多いんですよ。 わたくしたちが親を選んで生まれてくることができないのと同じです。 ポケモンも、トレーナーを選べる機会はとても少ないものですから。 共にこの星で生きている者同士、力を合わせていくのは当たり前の事ですわ」 「うん、そうだよね」 そうだと言わんばかりに、ナミは大きく頷いた。 普通の人の言葉なら、単なる奇麗事――偽善者っぽく聞こえるんだろうけど。 不思議なことに、エリカさんから聞かされると、ぜんぜんそれらしく聞こえない。 純粋な祈りの結晶みたいに聞こえるんだ。 当たり前な願い。 そう、オレが親父になんぞ邪魔されずに旅を続けられますように……というのと同じように。 オレがここにいることにだって意味はあるだろうし、ポケモンがポケモンとして存在しているってことにも、きっと意味がある。 いつだったか、オレとナミとシゲルがじいちゃんと一緒に研究所のリビングで昼食を楽しんでた時のことだった。 テレビに映った事故現場と思しき映像を仏頂面で見つめながら、じいちゃんが嘆くように漏らした一言。 ――ポケモンがポケモンとして存在しているということに意味があるというのに―― オレもナミもシゲルも、あの頃は子供だった。 テレビに映ったのが何だったのか、じいちゃんが何を思ってつぶやいたのか、分からなかった。 今でもよく分からないけど……エリカさんの言葉を聞いて、なんとなく分かったような気がするんだ。 オレがどんなポケモンも好きだって、今そう思っているのは、ポケモンはポケモンだからなんだ。 どんなポケモンだって関係ない。 フシギソウだろうとブースターだろうとマタドガスだろうとヤミカラスだろうと関係ないんだ。 オレはどんなポケモンとでも仲良くなれると思ってる。 一緒に旅をすることになったポケモンが、世間では嫌われているコイキングやベトベターでも、それは同じだ。 ラッシーやラズリーたちと分け隔てなく接することができるっていう自負があるんだ。 エリカさんは、オレが思っているよりもずっと立派な人なのかもしれない。 ただ、表面にそれが出てこないものだから、分からないだけ。 ジム戦でも何でもないのに、なんでだろう、大切なことを改めて教えられたような気がする。 「ナミさんはトレーナー志望ですか?」 「うん。すっごいトレーナーになるのが夢なのっ♪」 「すっごいトレーナーですか……いいことだと思いますわ。 ジム戦は明日になると思いますが、その意気込みを存分に発揮してくださいね。期待しておりますわ」 「もちろんっ!! ね、アカツキ?」 「あ、ああ……そうだな」 オレが投げやりに頷くと、ぴょんっ、と一歩後ろにジャンプして、ナミはオレと並んだ。 それからオレの腕を取った。 曖昧な反応が気に入らなかったというわけじゃないらしい。 オレと一緒ならどんな困難でも乗り越えてみせるっていうポーズのつもりなんだろう。 「……それはそれで別に構わないんだけど、オレがおまえの傍からいなくなったら、その時はどうするんだ?」 その言葉は、いつだって口に出せた。 今でも、セイジやミツルと戦い終えた時も、もっともっと前……旅立ったその日だって。 でも、口には出せなかった。 ナミは、一人立ちするにはいろいろと問題を抱えてる。 お気楽な性格のせいで、ピンチになっても気づかないんじゃないかとか…… いつかスピアーの大群に襲われた時のことを思い返した。 気が立っている時期のスピアーに平気で声をかけたり……とても、ナミを一人で行かせることなんてできない。 だけど、いつかオレはナミと袂を別つ日が来ると思っている。 当たり前のことだけど、まだ今はそれを切り出す気にはなれないんだ。 甘えだって言えば、確かにそうなる。 と、そこへエリカさんが言葉を投げかけてきた。 ナミの一言を聞き逃さなかったんだろう。 まあ、当然のことだけど。 「あら……アカツキさんもジム戦に?」 「え……まあ、そのつもりです」 「それならそうと、最初からそう申してくださればよろしかったのに」 「すいません。 でも、エリカさんがジムリーダーだって知って……お休みだって聞きましたし。 そこで持ち出すのは悪いんじゃないかと思って」 「気を遣ってくださったのですね。ありがとうございます。 ですが……明日からはジムリーダーに戻りますから。存分にお相手させていただきます」 「ありがとうございます」 オレはごく普通にエリカさんの話に応じた。 今日は存分に知り合いとして接しよう……ジムリーダーという立場は忘れて、お茶を楽しもうと言う意思表示だった。 その方がオレとしてもありがたいかな。 ジムリーダーの時のエリカさんの姿なんて想像もできないからさ。 もしかすると、着物を風になびかせて、笑顔のままバトルをしたりとか? うわあ、あんまり考えたくねえ…… 笑顔のまま戦えるような人なんて、そうそういないよな。 エリカさんだって、バトルの時には真剣になるはずだ。 存分にお相手させていただく……その言葉が如実に物語っているけれど、着物を着たままでバトルをやるんだろうか? あれって帯が結構きつく締められたりして、動きにくかったりするから、若い人はあんまり着たがらないって話だけどさ。 もちろん、オレもあんまり着たくない。 動きにくいし、なんていうか息が詰まりそうで嫌だ。 エリカさんの前じゃ、口が裂けても言えないけどな。 公衆の面前にまでこうして着物を着て出てくるということは、着物に対して愛着があるってことだろう。 そんな人の前で着物の悪口なんて言えるはずもない。 「エリカさんはジムリーダーになられて長いんですか?」 「間もなく三年目になります」 エリカさんはあっさり答えてのけた。 隠す必要もないと判断したんだろう。 ジムリーダーとしてのキャリアは二年……それ以前にもトレーナーをやっていたことを含めると、ずいぶんと長いんだろうな。 聞いた話じゃ、ジムリーダーの試験は結構難しくて、合格率は1%に満たないとさえ言われている。 ジムリーダーが推薦してくれる場合――推薦受験は難易度が下がるらしい。 だけど、一般受験はかなりハードルが高いようで、千人受けて一人受かれば良い方だとか。 狭き門を潜り抜けた彼女の実力はいかほどのものか…… ポケモンの育成は言うに及ばず、技の構成やそこから導き出される戦略は、相性すらひっくり返しかねない。 だけど、オレたちはこの人に勝たなくちゃいけないんだ。 オレの未来を勝ち取るために……必要なことだからさ。 あの場所でエリカさんと出会ったというのも、あながち偶然ではないのかもしれない。 オレが力んでいると雰囲気で察したのか、エリカさんは軽い口調で言葉をかけてくれた。 「大丈夫ですよ。そう気張らないでくださいな。 わたくし、ポケモンバトルは楽しむものだと考えておりますの。 勝ち負けは二の次なんですよ。 ただ、自分にできる精一杯のことをやるというだけのことですわ。 それで負けたのなら、仕方がありません。 今まで以上に強くなるだけのことですから」 「そうですね……」 本当は、ポケモンバトルは楽しまなくちゃいけないのかもしれない。 でも、今のオレにはエリカさんのように、バトルを楽しもう、という考えが持てそうにない。 ナミなら持ってるかもしれないけれど、親父の影が付いて回るこの状況で楽しもうなんて考えられるはずがないじゃないか。 やっぱり……エリカさんは立派な人だ。 自分にできる精一杯のことをやって、その上でポケモンバトルを楽しもうと思える。 ある意味で悟りの境地に入ったのかもしれないな。 親父に負けた二度のバトルで、オレはオレなりに精一杯やったつもりだ。 でも、負けは負け。オレが弱かったってだけのことだ。 心にもう少し余裕が持てたら、少しは結果が変わっていたかもしれない。 親父相手にそんなモノが持てれば……の話だけどな。 タマムシシティを東西に貫くメインストリートに、左から突き刺さるように交差している道に折れる。 あとは道なりに進んでいけば、タマムシジムにたどり着けるはずだ。 どんなジムなんだろう。 ニビジムやハナダジムみたいに、外観からジムリーダーのポケモンのタイプが割れるようなものだといいんだけど…… メインストリートから外れたことで、人通りはかなり減った。 とはいえ、マサラタウンじゃとても考えられないのは変わらないけれど。 「もうすぐ到着いたしますわ。 マサラタウンは静かな町だとうかがっておりますから、この街の人の多さに呆気に取られませんでしたか?」 「思いっきり取られました。 一番人口の多い街だって知ってましたけど、まさかここまでとは……エリカさんはこの街で生まれ育ったんですよね」 「ええ。本当は郊外にジムを移転したかったのですけど……」 エリカさんは自然公園の景色をとても気に入り、住まいであり仕事場であるジムを、自然の残る郊外に移転したかったらしい。 しかし、用地や移転の費用などの問題で、彼女の申請は残念ながら却下されたとのことだ。 「でも、これからだって却下され続けるとは限らないわけですし、気長に待ちましょうよ」 「そうだよ。慌てたって、何にもならないっておじーちゃんが言ってたよ」 「そのつもりです」 エリカさんは肩越しに振り返ると、とびきりの笑顔を見せてくれた。 オレやナミがとやかく言うことじゃなかったかな。 一度却下されたくらいであきらめるほど気の弱い人じゃない。 素知らぬ顔でまた申請して、受理されるまで延々とやり続けるんだろう。 そうなると、書類を受け取る人の方が参るかもしれない。 エリカさん、それを狙ってたりは……まさかな。 妙な方へ転がりかけた想像を押し留める。 なんてことで話をしているうちに、オレたちはタマムシジムにたどり着いた。 敷地を囲むのは鉄柵で、その中に生い茂っている草木が外からよく見えるように工夫されている。これもエリカさんのアイディアなんだろう。 そして、建屋は緑の木々に溶け込むように、蔦で覆われていた。そのくせ窓だけはピカピカに磨かれている。 蔦を切り落とさなかったのは、手入れが面倒だったから、なのかな? オレの抱いた想像は、エリカさんの一言であっさりと崩れ落ちることになる。 「自然の少ない場所だからこそ、皆さんが緑を見て心を安らげる事ができると思いまして。 敷地に木を植えて、建屋を蔦で覆いましたの。 屋内の温度が下がって、夏もクーラー要らずで快適に過ごせるんですよ」 「そうなんだ……なんだか分かんないけど、すごいんだねえ……」 そこまで考えてたんだこの人は。 もう何があっても驚かないぞ。 本当に面倒くさいという理由があったとしても、彼女の言葉は確かに理にかなっていたから。 建屋は窓の数から見て三階建てで、住居や事務所は二階と三階にあるんだろう。 一階は言うまでもなくバトルフィールド。 「ここからでは見えませんが、屋上から見る景色はなかなか風流ですよ。 ご案内いたします」 「わ〜、楽しみだなあ!!」 ナミの黄色い悲鳴を背に受けて、エリカさんは玄関へ続く石畳の道を歩き出した。 「…………」 もう何を言っても無駄になりそうな気がして、オレも歩き出した。 玄関にたどり着くと、エリカさんは懐からカギを取り出し、扉を押し開いた。 「はい、どうぞ。お入りください」 「おじゃましま〜す」 「おじゃまします」 小さく頭を下げ、オレはタマムシジムの玄関をくぐった。 玄関を抜けた先は廊下が広がっていて、突き当たりに重厚な扉が設けられている。 途中には階段が左右にあるけど、これから向かうのはたぶんそっちだろう。 エリカさんは扉を閉めると、ご丁寧にもカギを掛けた。 「屋上にご案内いたしますわ。どうぞこちらへ」 一言述べると、廊下を歩き出した。 下駄が床を叩く音が、カツン、カツンと響く。 昔はこの音で街中が満たされてたんだろうな……なんて想像してみたよ。 まあ、あんまり履いてみたいとは思わないんだけど。靴の方が動きやすいだろうし。 「行こっ、アカツキ♪」 「あ、ああ……」 なんでだか腕を絡めてくるナミ。 そのままオレを引っ張っていくように、エリカさんの後について歩き出した。 ……引っ張られてるよ、オレ。 ちゃんと自分の足で歩いてるんだけど、ナミにリードされることになるとは思わなかった。 普通は立場が逆になると思うんだけども…… とはいえ、気がつけば階段を昇っていたんで、強引に振り払うワケにもいかない。 「……ふう……」 ここはしばらくナミの好きにさせてやるか。 いろいろと考えるのも面倒になってきたところだ。 ――面倒くさがり屋とは言うなかれ。 そもそもここに来たのはお茶を楽しむのと、敵地を視察するという二つの目的があるんだ。 序盤からナミのペースにどっぷりハマり込んでは意味がない。 階段を昇っていくうち、途中から右側の壁がガラス窓に変わったのに気づく。 なんとなく視線を向けてみると、植物園さながらの景色が広がっていた。 自ずと三人の足が止まる。 さながら……っていう言い方は正しくないかもしれない。本気で植物園だし!! 「すごく緑がいっぱいだね」 「ええ……」 ナミが感慨深げにつぶやくと、エリカさんは短く応えた。 一階から三階まで吹き抜けになっていて、天井には透明なガラスがはめ込まれてある。 燦々と降りそそぐ陽光が柔らかく緑の庭園を照らし出している。 青々と生い茂る木の葉が陽光を存分に照り受けて、誇らしげにすら見えてくるんだ。 草の絨毯の上に、ケーキのお飾りみたく、緑の木々や色とりどりの花が咲き誇っている。 これを植物園と呼ばずに何と呼ぶのか……というくらいすごかった。 しかし、中央部には草の絨毯だけが敷き詰められ、気のせいか、白いラインが描かれている。 その形状、大きさ……これはどう見ても…… 「エリカさん、あれってバトルフィールドですか?」 「え、どこどこ?」 オレが植物園の中央を指差すと、ナミは興味深げに覗き込んだ。 「あ、ホントだ。そんな形してるね」 草の上からラインが描かれているわけじゃないんで、正直分かりづらい部分があるのは否めないんだけど…… でも、あの形状はバトルフィールドの領域を示しているはずなんだ。 「ええ、そうです。 ここからでは分かりにくいかもしれませんが、確かにおっしゃるとおり、バトルフィールドでございます」 「やっぱりな……」 あそこでジム戦が行われるわけだ。 植物園の真っ只中でバトルを行うわけだから、エリカさんのポケモンが草タイプであることがハッキリした。 さっきオレはエリカさんのポケモンのタイプは草か毒と言ったけれど、あながち間違っちゃいなかったってワケだ。 草タイプに対して効果抜群な毒タイプのポケモンを使うんだったら、植物園なんて場所を選ぶはずがない。 だって毒だよ、毒。 どぉ考えたって自然に優しいわけないじゃないか。 ……ってワケで、エリカさんのポケモンは草タイプに決定!! となると、戦うならオレもナミも炎タイプのポケモンで固めるのがセオリーなんだけど…… 植物園に囲まれたバトルフィールドを見ていると、疑問が沸いてきた。 「あの、エリカさ……」 「あそこでバトルやってて、花とか焼けちゃったりしないの?」 オレが口にするよりも早く、ナミがエリカさんに訊ねた。 まあ、誰だって考えるよな。 「そういう心配をなさるトレーナーの方もいらっしゃるのですが、ご心配には及びませんわ」 しかし、エリカさんは余裕ぶっこきまくりの笑みを浮かべ、バトルフィールドを囲う植物園を指でなぞった。 「肉眼では確認できないと思いますが、バトルフィールドを囲むように極薄のガラスが張られているんです。 炎や氷や毒といった植物に有害なものは一切入り込まないようになっておりますの」 「なるほど……」 エリカさんの説明で、オレは納得した。 ちゃんと対策は施してるってワケだ。 ガラスを張ってバトルフィールドを隔離するなんて……ここからじゃよく分からないけど、たぶんそうなんだろう。 そこまでして植物園を守りたいんだったら、いっそ別の場所にバトルフィールドを設ければ良かったのにと思うのはオレだけだろうか。 エリカさんはオレの心でも読んでいるように、言葉をかけてきた。 「わたくし、自然が大好きでして。 どうせなら、こういった自然に囲まれた状態でジム戦をやってみたいと思っておりました。 ポケモンリーグの方に申請を出したところ、移転は無理だと言われましたが、その代わりに……と植物園を作っていただけました。 やはり、物は試しですわね。おほほほほ……」 おほほほほ、じゃないってば。 エリカさんが浮かべた屈託のない笑みが、何か企んでる悪女に見えてくるのは果たして気のせいなんだろうか……? 何食わぬ顔をして、本当はそこまで読んでたりしてたんじゃないか……なんて、勘繰りたくもなってくるんだ。 エリカさん、ジムリーダーとしても、一人の女性としても「やり手」だからなぁ。 オレたちが訊ねるまでもなく、エリカさんはジムのつくりについて説明してくれた。 ジムの中央部はバトルフィールドと植物園を兼ねていて、屋内からでも植物観賞ができるようになっているらしい。 植物園を囲むように部屋が配置されていて、その部屋の中から強化ガラス越しに植物園を見渡すことができるとのことだ。 現に、バトルフィールドを挟んだ反対側も、今いる場所と同じようなつくりになっていた。 もっとも、こういうつくりにしたのはエリカさんだそうだ。 ジムリーダーになった当時は、草タイプのポケモンのジムなのに、殺風景極まりなかったという。 子供の頃から植物に慣れ親しんできたこともあって、植物園とバトルフィールドを一部合体させることにしたんだそうだ。 さすがはエリカさんとしか言いようがない。 「それでは参りましょうか」 何気に感心していると、エリカさんは早々に話を打ち切って、オレたちを屋上に案内してくれた。 屋上の扉を開けると、風が吹き込んできた。 三階建てなのに妙に高く感じられたのは、遠くに見える高層ビルと肩を並べているように見えたからだ。 でも、なかなかに悪くない。 オレは屋上の縁の柵に身体を預け、周囲の景色を見渡した。 メインストリートの南側に位置しているだけあって、南側の景色は北側と比べてビルが少ない。 高度を低く抑えられた建物と緑が微妙な加減で混在し、どこかマサラタウンを彷彿とさせるものがあった。 何気にしみじみしていると、ナミが近寄ってきた。 「わあ……きれいだねぇ」 「ああ。なかなか悪くないよな、ここ」 オレは正直に頷いた。 高層ビルが屹立する北側の景色と、どこか懐かしさを感じる南側の景色を一望できるんだ。 立地条件としてはなかなかだけど、なんだか複雑な気分だな。 完全に都会化した北側と、少しずつ都会に組み込まれていく南側。 マサラタウンも、いつかはこんな風になっちゃうんだろうか……? そう思うと、なんだか切ないよ。 エリカさんは対比したふたつの景色を見てきたんだろうか? 見て何を思ってきたんだろう。 お世辞にも……100%いいとは言えないんだけど。 答えを求めるように視線をエリカさんにやると、彼女はニコッと笑ってくれた。 「では、わたくしはお茶を用意いたしますので……こちらにかけてお待ちください」 エリカさんが手で指し示したのはカラフルなパラソルと、その真下にある白いテーブルと四脚の椅子。 どうやら、ティータイムはここで楽しんでいるようだ。 エリカさんは鼻歌など交えながら、楽しそうにスキップなんてしながら屋内に戻って行った。 「エリカさん、とても楽しそうにしてたね」 「ああ」 オレはエリカさんが消えた扉を見やった。 見ず知らずのオレたちをお茶に誘ってくれたのを見ると、休みを一緒に過ごす相手がいないのかもしれない。 ジムリーダーとしての交流はあっても、それがプライベートな部分にまで延びてくるかと言えば、たぶんノーなんだろう。 タケシもカスミも、そういう風には見えなかったから。 オレ、敵地視察のことばっかり考えて、エリカさんの気持ちなんてまったく考えてなかったんだな…… 表面上の明るさは、寂しさの裏返しだったのかも。 エリカさんのこと、ナミと同じ風に見ていたんだな、オレは。 まあ…… 深く考えたって仕方がないし、エリカさんが単なる気まぐれで――暇つぶしにオレたちを呼んでくれたのかもしれない。 そうやって自分で勝手に考えたって、それが何になるって言うんだか。 「ナミ」 「なあに?」 なんだかどんどん変な方に傾いていく気持ちを持ち直すべく、オレはナミに話を振った。 さっきエリカさんが示したテーブルを指差し、 「座るか」 「うん。そうだね」 エリカさんが来るまで景色を見て過ごすと言うのも悪くないけど…… 少し休みたいな。 自然公園からここまで歩き詰めってこともあるし、どーしても気になることが一つ。 エリカさんが、オレたちがジム戦に挑戦するって知った上で案内してくれたってことだ。 腑に落ちないっていうのが正直なところなんだけど、エリカさんのことだ。 オレたちを案内したところで、多少手の内を明かしたところで問題ないと考えてるんだろう。 たとえ炎タイプのポケモンを使われても、相性をひっくり返せるだけの算段があるのか…… 大げさだけど、それに近いことをやってのけるだけの戦術は用意していると見るべきだ。 ハンムラビ法典よろしく、草タイプには草タイプ……ラッシーを一番手に据えるというのも考えた。 でも、相手は草タイプのエキスパートだ。生半可な戦術では返り討ちに遭うのが関の山だろう。 ここはラズリーを投入して、序盤から圧倒的な火力で押し切るっていうのが定石だけど、一番効果的か。 とはいえ、草タイプのポケモンは攻撃力の低さを補うように、補助の技を覚えていることが多いんだ。 眠り粉や痺れ粉、毒の粉といった、相手を状態異常に陥れる技だ。 コンディションで攻められると、こっちの実力を十分に引き出せなくなる恐れがある。 ラッシーの複合技で使っている分にはやりやすくて良かったけど、いざやられる立場になると、なんと厄介なことか。 眠り粉や痺れ粉で身体の自由を奪われたら、いくら相性で優位に立っていようと、不利な立場に立たされるのは言うまでもない。 エリカさんには、ラッシーの複合技も通用しないだろう。 ここは炎タイプのラズリーでガチンコ勝負を仕掛けるしかないか……? 「ねえアカツキ」 「ん?」 ジム戦へ向けて戦略を練っているところに、ナミが話しかけてきた。 オレが何も言わずに考えに耽っていたのを見て、不思議に思ったんだろう。 口元に手を当て、首をかしげている。オレをからかってるように見えるのは気のせいか……? 「考えごと?」 「分かってたんだったら、なんで声かけてきたんだ?」 「だってぇ、退屈じゃない。エリカさんが来るまで」 「だったらジム戦の攻略法でも考えとけよ。今回はおまえが先なんだからな。 オレみたく余裕ぶっこいてられないはずだろ?」 「そうだねえ……」 能天気なところをさり気なく指摘してやると、ナミはため息混じりに漏らした。 ジム戦のこと、あんまり真剣に考えてなかったようだな。 ナミとしても、植物園なんてやってたのを見れば、エリカさんが草タイプのポケモンを出してくることは予想できたはずだ。 ガーネットを中心に戦っていく、というところから考え出せば、戦術なんていくつも見つけられるさ。 「でも、その心配はないみたいだよ♪」 「あ?」 ナミが指差した先に目をやると、開け放たれた扉から、銀のトレイを持ったエリカさんが歩いてくるのが見えた。 いつの間に……ってゆーか、ナミのヤツ、エリカさんが来てたってことに気づいてたのか!? オレでさえ言われるまで分からなかったのに…… 侮りがたし、といったところか。 やっぱりハルエおばさんの娘なんだなあ……何気に抜け目がない。 いい意味でも、悪い意味でも。 ハルエおばさんは何事にも厳しい人けど、特に行儀にはうるさい。 花見の時なんか、ちょっとでも行儀に反する食べ方をしようものなら、すぐさま割り箸が飛んできた。 オレだろうとシゲルだろうとナナミ姉ちゃんだろうと、平気でぶっ叩いてきた。 でも、ナミはどちらかというとアキヒトおじさんに似てるかな。 当然顔はハルエおばさんだけど……そういう意味じゃないよ、一応。 エリカさんは笑顔で歩いてきた。 手に持ったトレイの上には、同じ銀のティーポットと、花の彫り物がされてあるティーカップが三つ。 「お待たせいたしましたぁ」 妙に間延びした声で言うと、エリカさんはトレイをテーブルに置いて、ティーカップをオレとナミの前に出してくれた。 それから空いている椅子に腰を下ろし、ティーポットから茶色い液体を三つのカップに注いでいく。 立ち昇る湯気に顔を少し近づけると、甘く爽やかな香りが鼻を突いた。 紅茶のようだ。 エリカさんはトレイの上に一つだけ残ったティーカップを手にとって、顔に近づけた。 「う〜ん……いい香りですね。 やはり、こういった場所で楽しむティータイムは紅茶が一番です。そう思いませんか?」 「はあ……確かにそうですね」 甘い香りに顔を綻ばせる彼女に、オレは一応相槌を打った。 オレはあんまりティータイムに興味ないから、よくわかんないんだけど…… ナナミ姉ちゃんやじいちゃんなら、キッパリと、イエスって答えるんだろうな。 オレはそこまでロマンチストじゃないつもりだから。 オレがちゃんと相槌を打ったのがうれしいんだろう、エリカさんはニコニコしながら紅茶を口に含んだ。 「はあ……この味が一番ですね。甘くもなく渋くもなく……」 片方の手で紅潮する頬を押さえて、うっとりしたような顔を見せた。 やっぱりこの人ロマンチストだよ。 普通に紅茶を飲むだけでこれとは……地なんだろうか、もしかして。 そう思っていると、ナミがエリカさんに話しかけた。 「本当においしいね。 あたし、こういうの大好きだな」 「あら……そうなんですの? お代わりはたくさんございますわ。気にせずにどんどん飲んでくださいね」 「うん!!」 何気に紅茶の話で盛り上がってたりする。 ナミって甘いものが好きだとばかり思ってたんだけど……こういうのも好きなんだな。意外に思ったよ。 オレも紅茶を一口含んでみた。 エリカさんの言葉どおり、甘くもなく渋くもなく……ミもフタもない言い方をすれば偏りのないごく普通の味なんだ。 せめてどっちかに偏ってくれたら、それなりにコメントできるんだけど。 匂いと味は別物ってことなんだろうか? じいちゃんやナナミ姉ちゃんなら、この紅茶の『美味しさ』というのを舌でちゃんと理解できるんだろう。 オレはあいにくと貧しい舌なんだよな。 ナミはガキの頃から甘いお菓子が好きで、太ってもおかしくないくらいの量を毎日食べていた。 にもかかわらず、腰は微妙にくびれてたりするし、どこも太っちゃいない。 そんなナミだから、紅茶の味なんぞ分かるのかと思ったんだけど……大きな間違いだったらしい。 「隠し味にモモンの実の粉末と蜂蜜を混ぜているんです。 元々の葉は苦味があるので、甘い味が加わって相殺されるんですよ」 「へっ!?」 隠し味にモモンの実の粉末……と聞いて、オレは素っ頓狂な声を上げた。 二人の視線が突き刺さるように向けられる。 う……いくらなんでも大げさな反応だったかも…… でも、モモンの実を隠し味に使うなんて…… 確かモモンの実は甘み成分が強い木の実だ。ラッシーのポケモンフーズに混ぜているのもモモンの実。 苦味のある葉っぱにモモンの実の粉末を混ぜれば、確かに苦味は薄れるか。 混ぜる割合にもよるけど、甘味が引き立たないのを見ると、苦味を抑える程度なんだろう。 「どうかされました? 木の実アレルギーとか……?」 「いえ……」 どうしました、なんて言いながらも顔が思いっきり笑っているエリカさんに、オレは手を振って何事もないと告げた。 「モモンの実を入れてる割には甘味が引き立ってないなと思って。 エリカさんは甘いの嫌いなんですか?」 「お詳しいんですね。 確かに甘味を引き立てるほど入れておりませんの。 甘いのは好きですが、甘すぎるというのも、味気ないものでしょう? それに……甘いものを食べ過ぎると太ってしまいます。 わたくしだって女ですから、このスリムな体型を維持したいと思っておりますのよ」 「はあ……」 話が思いっきり脱線してる気がひしひしとしてくるんだけど…… そう思っていると、ナミが加わってどんどんと話の筋がズレていった。 「あたしも最近は甘いお菓子を食べないようにしてるの。 パパもママも、そんなに甘いもの食べてたら太るよって、嫌味のように毎日言ってくるんだもん。 食べたくて食べたくて仕方ないんだけど……太りたくないから、我慢してるの」 「お互いに辛いですね」 「うん……」 「…………」 女の子同士でなければ通じない次元の会話に、オレは口を挟むことすらできなくなっていた。 そりゃ甘いものばっかり食べてりゃ太るだろ。 アキヒトおじさんもハルエおばさんも、そのことを指摘してるだけなのに、ナミには嫌味に聞こえるんだろう。 でも、甘い誘惑に耐えているナミは偉いと思うな。 オレは別に甘いものがそんなに好きってワケじゃないから、別にどうでもいいことなんだろうけどさ。 女性じゃないし、そこんとこはよく分からない。 「ですが、たまには息抜きとして食べた方がよろしいですよ。 わたくしも、一週間に一度、ジムリーダーとして頑張っている自分にご褒美を与えているんです。 サーティーエイトのジャンボアイスクリームを食べているんですけどね」 「ええっ!? サーティーエイトのジャンボアイスクリーム……いいなぁ……」 ナミは心底ガッカリしたように、ため息混じりにつぶやいた。 サーティーエイトのジャンボアイスクリームって言えば確か…… 記憶の中から、それらしいイメージを取り出してみる。 一年くらい前にその大きさでギネス記録を打ち立てたっていう曰くつきのシロモノだったっけ。 ドリルのように先の尖ったアイスクリームを支えるべく、コーンは片手で持てないくらいデカイんだ。 重さにして数百グラムはくだらないと言われてるんだけど、オレはテレビで見ただけで、実際に食べたことはない。 あんまり食べたいとも思わないんだけどな。 バニラにチョコにオレンジにレモンにメロンにイチゴ…… およそ考えつく限りの色が混ざっていて、見た目はあんまり食欲をそそらないんだけど、それがなぜか大人気なんだよ。 お約束と言えばお約束か、マサラタウンにはサーティーエイトの店がない。 ――仮に出店したとしても、利益を出すのは無理。 オレでさえそう思うんだから、サーティーエイトとしてもトキワシティまで遠出してもらおうと考えたんだろう。 で、ナミはジャンボアイスクリーム食べたさに、ハルエおばさんの買い物に手伝いとしてついていくくらいなんだ。 見た目からカロリーがむやみやたらに高いのが明らかなんだけど、どうしてそういうのを食べたがるのか。 そんなのを毎日食べれば間違いなく太るだろうけど、エリカさんは一週間に一回で抑えてるらしい。 ジムリーダーとして頑張っているご褒美という名目はひどく立派に聞こえるんだけどな。 「タマムシシティにはサーティーエイトの直営店がございますから、今度よろしければご案内いたしますよ」 「わーい!! お願いしま〜すっ!!」 エリカさんのお誘いを、ナミが断るはずもなかった。 一も二もなく飛びついた。 「ねえアカツキ。いいでしょ?」 「別に構わないけど……」 なぜかオレに許可を求めてくる。 オレとしてはノーと言う理由がないから、構わないと言うしかない。 たまにはそういうのもアリだろう。 体調管理は自分自身でやらなきゃいけないってことを教える、いい機会かもしれないし。 「それでは明日にでも行きませんか? お二人とジム戦を行ったら、明日はそれでジム戦は終了です。疲れた身体に甘いものはいいですよ」 「じゃあ、それで」 「決まりですね」 なんか、あっさり決まっちゃってるし。 その気になると女って強いんだなあって、思い知らされるよ。 ともあれ、話がジム戦に及んだ今がチャンスだと思い、オレは思い切って話に割り込んだ。 「それで、ジム戦なんですけど……オレとナミと二人続けて戦うんですか? でも、それだとエリカさんに負担がかかりますよね」 「そうですねえ……」 オレの言葉に、エリカさんは口元に手をあて、しばし考え込む様子を見せた後、手を叩いた。 そして、とんでもない案を持ち出してきた。 「では、こうしましょう。 一度にお二人と戦うと言うのも、それはそれで面白そうかもしれませんね」 『はぁ!?』 さすがにこれにはオレもナミも素っ頓狂な声を上げてしまった。 二人同時にバトルするって言うのか!? それじゃあ、いくらなんでもエリカさんの方が不利に決まってる。 笑いながら言うものだから冗談じゃないかと疑ってしまったけど、エリカさんは本気だった。 「わたくしが二体のポケモンを使います。 お二人は一体ずつポケモンを出して、わたくしのポケモンを二体とも戦闘不能にできたら、バッジを差し上げましょう。 どちらかのポケモンが戦闘不能になっていても、お二人にバッジを差し上げると言う条件でいかがでしょうか」 「…………」 本気でとんでもなかった。 普通に考えれば、こっちが圧倒的に有利だ。 エリカさんが強いポケモンを出そうと、こちらが相性の良さを生かして二体同時で攻撃を仕掛ければ、ひとたまりもないだろう。 だけど、エリカさん、目だけは笑っていなかった。 鋭い光が宿っていて、オレの心を射抜かんばかりに研ぎ澄まされている。 「ね、ねえアカツキ」 ナミが不安げな顔を向けてきた。 いくらなんでもこの条件で受けるわけにはいかない……表情が物語っている。 オレだって、黙ってこの条件を受ける気はないよ。 アンフェアな状態で戦って、勝利を収めても、それに意味なんてないし、満足だってできないだろう。 そんなジム戦なら、やらない方がマシだ。 そう思っていると、エリカさんは言葉を継ぎ足してきた。 「わたくし、本気ですよ。 ジムリーダーをやってきて、それなりにトレーナーとしても強くなれたと思っておりますの。 ですから、今の自分の実力がいかほどのものか、敢えて不利な状態で戦って確認してみたいのです」 伊達でも酔狂でもないことが十分に分かった。 こりゃ、完全に本気だ。 炎や氷、虫、飛行タイプのポケモンを二体使われる覚悟で、自慢のポケモンとトレーナーとしての実力を試そうとしている。 リスクを大きく設定するのは、それに比例した覚悟があるからだ。 冗談で言えるようなことではないだろう。 「こんなことを頼めるのは、たぶんあなた方しかいないと思います。 受けていただけませんか?」 「……いいんですか、それで?」 「構いませんわ。 ジムリーダーは決められたルールで勝利することに満足してはならないんですよ。 時にはルールを変え、自らを追い込んでこそ、ジムリーダーとして磨かれるというものです」 ジムリーダーとしての自分を磨く……か。 言葉こそ違うけど、オレたちトレーナーと似たような部分があるように思える。 いや……似てるんじゃない。同じなんだ。 自分を追い込むことで本当の実力を発揮し、より自分を高める。 「エリカさんがいいんでしたら、それで受けます」 「アカツキ、ホントにいいの?」 「いいんだよ」 なにやら反発してくるナミを、オレは語気を強めた言葉で黙らせた。 「エリカさんにはエリカさんの覚悟ってモンがあるんだ。 自分を不利な状況に追い込むんだから、それなりの秘策って言うか、そういうものがあるってことなんだろ。 だったら、オレたちは受けて立つ。 そして勝つ……それだけだ。 嫌ならおまえは降りてもいいんだぜ。強制する気はねえから」 「…………」 ナミは黙りこくった。 視線をテーブルに落として、なにやら考えているようだ。 オレもエリカさんも、答えを急かすことはしなかった。 最終的にはナミが決めるべき問題だ。オレやエリカさんがどうこうできることじゃない。 ナミが答えを導き出すのを、じっと待つだけ。 一分くらい経って、ナミは顔を上げた。 何かを決意した表情だ。 そして口を開き、 「わかった。あたしもアカツキと一緒に頑張るね。 エリカさん。あたしたち、頑張って勝つから。エリカさんも頑張って」 「ええ、もちろんそうさせていただきますわ」 結果的に提案(?)が受け入れられ、エリカさんは満面の笑みをたたえた。 言葉尻だけ捉えてみてみれば、確かにオレたちの方が有利に決まってる。 でも、エリカさんの覚悟の大きさを考えれば、そうとも言えないだろう。 背負うべきものが大きければ大きいほど、逆境に追い込まれるほど、ポケモンは真の実力を発揮してくるんだ。 もしかしたら、今までのジム戦とは違ったバトルになるかもしれない。 「アカツキさん。ナミさん。 わたくし、全力で戦わせていただきます。 あなた方も、わたくしの草タイプの戦術に負けないよう、しっかりと作戦を練ってきてくださいね」 オレとナミが頷いたのは言うまでもなかった。 To Be Continued…