カントー編Vol.16 サイクリングロード〜激しい嵐の中で 「おい、まだ準備できないのか?」 「もうちょっとだよ〜♪」 「何度目だよ、その『もうちょっと』って」 洗面所から聞こえてきた間延び声に、オレは半ば呆れていた。 『昨日のうちに準備しとけよ』って、口を酸っぱくして言ったのに、ナミはぜんぜん聞いてなかったんだ。 起きてメシ食って、少し休んでいざ出発っていう時になって、いきなり慌ただしく準備しはじめた。 女の子のイノチとかいう髪の毛のセットとか洗顔といったエチケットから、荷物をまとめるまで…… それこそナミはベッドの上で横になってテレビのニュースを見ているオレの傍を忙しなく走り回り、出発の準備に追われてたんだ。 かくいうオレは、ノンビリしてられる余裕をぶっこいてたわけで、テレビをつけて、久々にニュースに目を通すことにしたってワケ。 準備は完了しているし、特にやるべきこともないからさ。 「まったく……」 オレは洗面所から飛び出してくるなりカバンをベッドの上に置いて、荷物を力いっぱい押し込んでいるナミを見つめた。 必死の形相で荷物を押し込んでるけど、どう見ても入りきらないだろう。 ナミは全然気づいてる様子もないけど。 まあ、ナミが納得するかしないかの問題だし。 気にせずテレビ画面に視線を戻す。 世の中どうにも乱れているらしく、流れるニュースは事件やら事故とか……暗い話題ばかり。 またロケット団が悪さをして、森がいくらか焼失して、ポケモンが住処を追われたっていうニュースがトップを飾ってた。 明るいニュースと言えば、余所の国の野球チームに移籍した選手がホームラン記録を数十年ぶりに塗り替えたってことくらいか。 まあ、ハッキリ言ってしまえば、どうでもいいニュースばかりだ。 アナウンサーの声を聞くたび、流れる事故現場を見るたびに胸がムカムカする。 「ロクでもないニュースばかりだよな……おいナミ、さっさとしてくれ」 「わ、分かってるってば。ちょっと待って!!」 オレに急かされて、ナミはさっきに増して慌ただしくなったけど、進歩はまったく見られない。 チラリと横目で見てみると、ナミは脱ぎ捨てたパジャマを畳みもせず、丸めて詰め込んでるんだ。 それじゃあ、残り少ない容量に収まりきるはずがない。 「あのなあ……」 もう呆れてモノも言えない。 このまま待っていても進まないと思い、オレは手を出すことにした。 このままじゃ、本気で日が暮れるかもしれない。 「ちょいと貸してみろ」 「あ……うん」 オレはナミの手から半ば強引にパジャマを引ったくると、一から丁寧に折りたたんで、バッグにそっと入れた。 「ふん……」 普通に折りたたんでも結構キツイんだけど……まあ、入らないことはないか。 テレビからは天気予報の予告が流れてきたけど、目を向けたら手もお留守になりかねない。 仕方なく、バッグの口を閉めながら、耳だけで聞く。 「今日のカントー地方中部の天気です」 元気な女性アナウンサーの声が響く。 今、オレたちがいるタマムシシティはカントー地方中部に当たる。 肝心なところは聞き漏らさないようにしなきゃな。 一言一句聞き逃さないよう、聞き耳を立てながら作業を続けた。 「あ、太陽が半分雲に隠れてるよ」 ナミの陽気な声が聞こえてきた。 ……って、なにげに天気予報見てるんじゃねえか。 オレにややこしいことさせといて、よく目を離せるもんだ……って呆れててもしょうがない。 それからほどなく、アナウンサーの天気予報が始まった。 「カントー地方中部は、晴れのち曇りでしょう。 午前中は雨の降る心配はありませんが、午後になると、時間が経つにしたがって天気が崩れて、夜前には雨が降り出すでしょう。 お出かけの際には、折り畳み傘をご用意ください」 「よし……」 一通りのアナウンスが終わったところで、バッグの口を閉めることができた。 ナミは荷物の入れ方が雑で、後先考えずジャンジャン放り込んでた。 だから、一旦半分ほど出して、入れ方を工夫しなきゃバッグの口が閉まらなかったんだ。 こりゃイチから教えた方がいいのかも…… オレって意外に家庭的だったりするんだよな。 じいちゃんの研究所で食事を作ったり、あるいはナナミ姉ちゃんの洗濯を手伝ったりしてた。 おかげで家事全般に妙に詳しくなっちゃったんだよな。 「入ったぜ。 これからは。ちゃんと入れ方工夫しろよな。 これから多分荷物が増えてくるだろうから、工夫しないと、さっきみたいに押し込むのに躍起にならなくちゃいけなくなる」 「うん、ありがとう」 オレは荷物が入ったバッグをナミに渡した。 うれしそうな顔で言って、ナミはバッグを袈裟懸けにかけた。 なにやら言いたそうな天気予報のアナウンサーをリモコンで黙らせて、立ち上がる。 午後までは雨の心配がないってことだ。 それまでにできる限り遠くへ足を伸ばしとかなきゃな。 「んじゃ、行くか」 「うんっ」 いま一度忘れ物がないか部屋を見回して、小走りに出て行く。 一階のロビーに降り、ジョーイさんに礼を言ってルームキーを返却する。 ポケモンセンターの自動ドアをくぐって外に出ると、涼しい風が吹きつけてきた。 「ちょ、ちょっと寒いかな……?」 寒く感じられたんだろう、ナミは肩をさすった。 まあ、肩から先を丸出しにしてるんだから、寒いというのも分からんでもないか。 「まだ四月だからな。朝晩は冷えるんだろ。 それより、上着は持ってきたんだろ?」 「え……」 当たり前のことを訊いたつもりだったんだけど、ナミはどういうわけか口ごもった。 ……かと思ったら、 「空キレイだねえ」 「持ってきてないんだな」 さり気なくというほどさり気なくはないけど、話を変えてきたその態度を見ればアホでも分かる。 こいつ、旅をしてるってゆー自覚があるんだろうか? どうせ上着持って来てないから、それをごまかすためにわざと話を変えたに違いない。 今さら何を言おうが上着が勝手に飛んでくるわけでもないから、とやかく言う気はないけど…… 「じゃ、タマムシデパートに買いに行くぞ。持ってるのと持ってないんじゃ大違いだからな」 ポケモンセンターの敷地の入り口あたりで立ち止まり、オレはノースリーブの上着をナミに貸してやった。 「あれ、いいの?」 「デパートに着くまで着てろ。何もないよりはマシだからな」 「うん、ありがと〜」 ナミはウキウキ気分でオレの上着を羽織った。 ノースリーブだから、風が吹きゃ寒いだろうけど、羽織るのが一枚と二枚じゃ、ずいぶんと違うはずだ。 その分オレも一枚になったから少し寒くなってきたんだけど、ナミに寒い思いさせてまでヌクヌク気分に浸るつもりはない。 そこまで薄情なヤツにはなりきれないんだよな、オレって。 「アカツキって優しいね〜」 「どうだかな……別に自分で思うほど優しいってわけじゃないさ」 誉めてくれてるんだろうけど、オレはつっけんどんに返した。 本当に自分が優しいヤツだっていう自覚はないから。 他人から見ればそう映るってだけの話だ。 『オレは世界で一番ナミに優しくする男です』なんて言いふらすつもりはない。そんなこと、口が裂けたって言えないさ。 恥ずかしくて死んじゃいそうだから。 「そういえばさ、アカツキ」 「なんだ?」 タマムシシティのメインストリートを西へ向けて歩きながら、ナミが訊ねてきた。 「エリカさんにはお別れしなくていいの?」 そう来るか。 その言葉は、オレには「エリカさんにもう一回だけ会っていきたいな」という風にしか聞こえなかった。 何気に遠回しな表現を覚えたか、こいつも…… なんて思ったけど、わざわざそんなことをする必要も見出せない。 今生の別れってワケじゃないんだし、暇になったら会いに行けばいい。 エリカさんならきっと喜んでお茶をご馳走してくれるだろう。 「暇になればいつだって遊びに来れるんだからな。今は先を急ごうぜ」 「うん」 オレの言葉に頷くナミ。 チラリとその横顔を覗きこんでみれば、ガッカリしてる風にも見えない。本気で言ってきたワケじゃないってことか。 単なる気まぐれ……やられたかもしれない。 それよりも、今は先を急がなければならない。 カントーリーグが始まるまで八ヶ月以上の時間があると言っても、無駄にしていい時間は一秒だってないんだから。 バッジをあと三つ集めて、カントーリーグに出場する強豪に通用するまでにポケモンを育て上げなければならないんだ。 やるべきことは数多い。 ……と、その前に。 今はタマムシデパートでナミの上着を買わなくちゃいけないんだよな。 季節は春だけど、朝晩はやはり冷える。 野宿の時に、上着はないと困るだろう。 今までは焚き火の傍で寝てたから、そんなに寒さは感じなかったんだろうけど……毎回毎回火を焚くとは限らないんだ。 場所によっては焚き火のできないところもあるだろう。 それに今までよく耐えたもんだ。 痛いのとか苦手そうなのに、変なところで忍耐強いんだな。 決して誉めてるわけじゃない。むしろ呆れてるくらいだ。 他愛ない話をしながら、かすかに賑わいを見せ始めたメインストリートを歩く。 何気に話が盛り上がって、タマムシデパートにはあっという間にたどり着いた。 朝十時にオープンという常識が一昔前まではあったらしいんだけど、今は朝八時に開いて、夜遅くまでやってる。 その方が客の入りが良くて、売り上げも伸びるんだとか。 まあ、道理といえば道理だ。 入り口に貼り出されたプレートを見て、服の売り場を目指す。 朝早いこともあって、デパートにはイマイチ活気がなかった。客もまばらで、なんだかオレたち自身が浮いて見えるほどだ。 エスカレーターで四階まで行って、あとはナミに任せる。 「どれがいいかなあ……」 ナミは鼻歌なんぞ交えつつ、片っ端から上着を手にとって、試着室に持ち込んで行った。 一度に持ち込む限度を超えてるんだろうけど、誰も注意しない。 子供のやること、と思っているんだろうか。 試着室でガチャガチャと音を立てている。 カーテンが締め切られて、何をしてるのかは分からないけど。 服をハンガーから外したり、ハンガーに戻したりするのに悪戦苦闘してるんじゃないだろうか。 ――間違っても壊すなよ。弁償なんだからな。 なにげに、胸中でナミが熱くならないように祈る。 こういう場所じゃ、男は暇を持て余すのに大変な労力を費やす。 もちろんオレも当てはまる。 待つのが面倒くさい……ってゆーか辛い。 気に入った数点の服だけを持って行けばいいのに、ナミは持てるだけ持ってったって感じだから。 ああでもない、こうでもないと優柔不断に陥っているのかもしれない。 オレが割り込んで行っても「エッチ」なんて耳元で叫ばれて、さらに平手打ちを食らうのが関の山だな。 女性ってのは総じてそういうのには敏感だから。 「でも、ナミにもそういうところがあるんだな……」 試着室の脇の壁を背に、オレはデパート中央部の吹き抜けに目をやりながらため息をつく。 ナミって女と言えば女だけど、それは性別上であって、どう転んでも女性と言えるようなところは見受けられなかった。 でも、試着室であれこれやってるのは、女性のやることだ。 いつかオレが母さんと町の洋品店に行った日のことを不意に思い出したよ。 母さんは「ちょっと待っててね」って言って、オレを試着室の前で待たせた。 試着室を外部から遮断しているカーテンをめくって、こっそり中を見たんだけど、それはもう凄まじい光景だった。 口にするのはおろか、想像するだけでもかなり勇気が要る。 ああ、これが女性なんだって、幼心にも思い知ったものだ。 今のナミは、あの時の母さんに少しだけ似てる。 もっとも、あの時の母さんの方が迫力あったのは言うまでもないんだけど。 だから、ナミにもそれなりに女性らしいところがあるんだなって思ったんだ。 口に出すのは失礼だけど、思うだけなら自由だ。 昨日一日エリカさんとショッピングを楽しんで、それなりに感化されたんだろう。 エリカさんは大人の女性の装いで、知的な雰囲気を漂わせている。 脳みそにお花畑が咲いているナミでも、一日も一緒にいて馬を合わせていれば、影響を受ける部分も少なからずあるはずだ。 その一端が今のこの状況だと思えば、ナミは成長してるって言えるんだろう。 しかし…… 中でガチャガチャやってる割には、やたらと時間がかかってるな。 本当に選んでるのか? 試着室に入って三分が経つけど、ナミは全然出てくる気配がないんだ。 「これ、結構いいんだけど。あぁ、これも捨てがたいな。 でも、何着も変えるほどお小遣いないし」 悩んでいるような声が聞こえた。 どうやら、一着に絞れないようだ。 小遣いは持ってるけど、ハルエおばさんは子供に大金を渡すようなバカ親じゃない。 『必要最低限+α』程度で、服が何枚も買えるような大金は渡してないだろう。 ナミもそれを分かっているからこそ、迷ってるんだ。 別に誰かが見るわけじゃないし……何でもいいと思うんだけどな。 ダサいと自分で思わなければ、それだけで十分だと思うんだ。 それなりに時間が経って、少しずつ客が入り始めた。 子供を学校に送り出して、亭主も出勤した後らしく、一人で暇を持て余しているんだろう、主婦が仲間を連れ立ってやってくる姿が目立つ。 「子供がこんな時間にこんな場所にいるなんて……」 と言わんばかりの視線をオレに向けてくるけど、気にしない。 言わせるだけ言わせとけばいいんだ。気にする理由なんてないからさ。 おばさん連中はあっさりとセールの服に目移りしたらしく、一着手にとって黄色い悲鳴を上げ始める始末。 あー、なんていうか…… 『おばさんパワー』ってスゲェ〜って思い知らされるよ。 それから何分も待って、いい加減こいつを置いてさっさと行こうかと思い始めた矢先、 カーテンを開けて、ナミが出てきた。 「おまたせ〜」 「ホントに長かったな。そんなに迷うことか?」 オレはナミが抱えている何着もの服に視線を落とした。 パッと見た目は色が違うだけで、デザインはどれも似通っている。 飾りらしい飾りも見当たらないし、どうして迷っていたのか……正直言って理解できない。 ナミはスキップなんぞしながら、抱えていた服を元の場所に戻した。 そして、最後に残った一着を買った。 「ごめんね、ずいぶんと待たせちゃったみたいで」 「まったく……一応聞いとくんだけど……」 清算を終えて戻ってきたナミを隣に従えて、下りエスカレーターへ向かいながら、オレはナミに訊ねた。 本気でどうでもいいことなんだけど、ここまで待たされたからには訊いても罰は当たらないだろう。 「なんでこんなに迷ってたんだ?」 「どれも可愛かったんだよ。似たようなものばっかりだから、どうしても決められなくて……」 似たものばかりだから決められなかったか。 だったら、いっそどれでも良かったんじゃないか? 口から飛び出しそうな言葉を必死に飲み下す。 結局ナミが選んだのは、今着ているライトブルーの服とは対照的なダークブラウンの薄地の上着だった。 曰く、生地が厚いと動きにくかったりゴワゴワしたりするんで嫌だったそうだ。 まあ、本気でどうでもいいな。 オレは聞かなかったことにして、先を急ぐことにした。 ナミは時折、手に持った袋の中身にちらちらと視線を落としている。 そんなに中身が気になるんだろうか……だったら着ればいいのに。 少し賑わいを見せてきたデパートを早々に立ち去り、再びメインストリートを西へ向かって歩き出す。 と、オレはナミに上着を貸しているのに今さらながら気づいた。 「そろそろ返してくれるか? おまえ、上着買ったわけだし……一応ここで着とけよ。後で寒い思いするのが嫌だったら」 「うん。ありがとね」 オレは返された上着を羽織った。 ふう…… 自然と漏れるため息。 旅を続けてきて、ずっと着ていたものだから、これじゃなきゃ落ち着かないな。 「さぁて、上着ちゃん、着てあげるからねぇ」 心底楽しそうな声をあげて、ナミはダークブラウンの上着を羽織った。 シャツと対照的な色で、結構似合ってるような気がする。 ただ、下がミニスカートでなければ、本気で写真にして残してもいいと思えるんだけど……それは言わないことにしよう。 デパートに逆戻りするに決まっている。 それに、下ならパジャマのズボンでも履けばいいんだし。 この話題はここで切り上げ、オレはこれから向かう場所についてナミに話した。 「次のジムはセキチクシティのセキチクジムだ」 「あ、セキチクシティって知ってる!!」 言うなり、ナミはなにやら息巻いた様子で、はしゃぎ出した。 「サファリゾーンがあるんでしょ!?」 「ああ、まあそうだな」 まあ、確かに間違っちゃいなかった。 オレたちがこれから向かうセキチクシティには、サファリゾーンという施設があるんだ。 一般的にサファリゾーンというと、動物観賞を目的とするんだけど、セキチクシティのサファリゾーンは一味違う。 ……っていうか、思いっきり違ってたりする。 入園料を払えば中に入れるんだけど、そこでサファリボールと呼ばれるモンスターボールを渡されるんだ。 と、ここまで言えばもうお分かりだろう。 セキチクシティのサファリゾーンは、ポケモンをゲットすることのできる施設なんだ。 広い敷地の中には様々な種類のポケモンが棲息している。それだけの環境が用意されているんだ。 だから、今のオレたちの手持ちにないタイプのポケモンをゲットすることもできるってワケ。 ただ、制限時間があって、その中でゲットしなきゃならない。 できなかったら払い損って感じだよな。 やるんなら狙いを絞って、他のポケモンに目移りしないようにする、などの工夫が求められる。 ただし、中では手持ちのポケモンを使うことはできない。 ポケモンバトルをすれば誰だってゲットできるに決まってるけど、バトルで環境が悪くなったら意味がない。 そこで暮らしているポケモンの生態系を乱すような行為は厳重に禁じられている。 オレは行ったことがないから、それ以上詳しいことは知らないんだけど……トレーナーなら一度は行ってみたい場所だ。 そう思っていると、ナミが黄色い声ではしゃいだ。 「あたしサファリゾーン行きたい!!」 「なら、行ってみるか? ジム戦の後になるかもしれないけど」 「うん♪」 あっさり決まった。 サファリゾーンって言う名前だけじゃなくて、何をする場所なのかも知っているようだった。 なら、説明する必要はないだろう。 トレーナーとして目指す、ポケモンバトルにおける手持ちの最終形に足りないタイプはたくさんある。 そのうち一つでも補うことができれば上出来さ。 様々なタイプのポケモンを揃えれば、相性的にも優位に立つことができ、勝利に近づく。 これ、結構重要だよな。 ジム戦の後になるだろうけど、絶対に立ち寄ろう。 「セキチクシティまでの道のりなんだけどな……」 機先を制するように、オレの言葉が終わらないうちにナミが答えた。 「サイクリングロードを通るんでしょ?」 「ほー、よく知ってるな」 「えへへ……」 誉められていると思ったらしく、ナミは照れくさそうに笑った。 誉めてないわけじゃないんだが、それほど誉めてるってつもりもない。 ナミの言うとおり、セキチクシティに行くにはサイクリングロードと呼ばれる道を通ることになる。 セキチクシティはタマムシシティの真南に位置しているんだけど、海が間に横たわっていて、一直線に行ける道はない。 だけど、十五年くらい前に、タマムシシティの南西の洋上浮かぶ島と本土を大きな橋で結んでサイクリングロードができたらしい。 サイクリングと言うからには、当然自転車で渡ることになる。 サイクリングロードの両端にあるゲートで自転車が貸し出されてるんで、徒歩で旅をしているトレーナーでも通ることができる。 爽やかな潮風を感じながら自転車を漕ぐなんて、風流だよなあ。 何気に、一度は行ってみたいと思ってたんだ。 潮風の気持ち良さを想像していると、 「自転車持ってないけど、大丈夫なの?」 「貸してくれるから心配しなくていいんだよ」 「へえ……そうだよね。そうじゃなきゃ通ろうなんて思わないよね」 「そりゃそうだろ」 あまりに当たり前のことをわざわざ口にするものだから、オレは思わず苦笑を漏らした。 「だけど、自転車漕ぎっぱなしってのも辛いよねぇ……」 「そうか? 潮風感じながら颯爽と自転車を漕ぐんだから、結構楽しいと思うんだけどな」 ――そんなことまで気にしてたのか? 平坦な道が続いてるだけだから、精神的には辛いのかもしれない。 でも、両脇を海に挟まれて、潮風を感じながら颯爽と駆けていくんだから、気分的に楽しいと思うんだけどな。 ま、一回走ってみれば考えも変わるだろうから、それ以上は何も言わなかった。 「一日で着くかな?」 「三日はかかるって話だ」 「ええっ!?」 なんでそこでそんな大げさに驚くんだ? ナミは表情を引きつらせていた。 いくら自転車でも、直径百キロ近くはあろうかという大きな湾を一日で渡りきれるはずがない。 島と島を結ぶのに、道が直線に続いてるわけじゃないんだからさ。 ああ、そうそう。 点々としている島にはポケモンが棲息してるから、見かけたらゲットするのもいいかもしれない。 途中には宿泊所も設けられているから、野宿の心配もない。 「あのなあ、一日で渡りきれると思ってたのか?」 「うん」 今にも消えそうな声でつぶやき、頷く。 無知ってほど無知ってワケじゃないけど、知ってるってほど知ってるわけでもないみたいだ。 まあ、エリカさんからいろいろと聞いたんだろうけど、うろ覚えだったってところか。 何も知らないよりはずっとマシだけどな。 「無理に先を急ぐ必要はねえよ。ノンビリ潮風感じながら行こうぜ」 「うん、そうだね。楽しみだな……」 サイクリングロードの途中にある島に棲息してるポケモンは…… じいちゃんが書いた本を見た限り、オニスズメやオニドリル、ベトベターといったポケモンが棲息しているとか。 少なくとも、今オレが欲しいと思うポケモンはいない。 次にゲットするんだったら、水タイプか電気タイプ、あるいはエスパータイプってところか。 サファリゾーンなら、だいたいのタイプのポケモンが揃ってるって話だから、ゲットするならそこで、ってことになるんだろう。 「そういえば、ナミはサファリゾーンでどんなポケモンをゲットしたいんだ?」 「あたし?」 「うん」 「う〜ん……」 話を振ると、ナミは人差し指を口元に当てながら、首を傾げた。 どんなポケモンをゲットしたいかまでは考えていなかったらしい。 無理に答えを引き出しても仕方がないんで、オレは彼女が口を開くまで待った。 そうしているうちに郊外に差し掛かり、タマムシシティの西ゲートが見えてきた。 ゲートの向こうは16番道路で、サイクリングロードはそのもう少し先にある。 「カイリューとか」 「いや待て。それはいないぞ間違いなく」 ナミの答えに、オレは即座にツッコミを入れた。 だって、カイリューといえば、すっごく強いドラゴンタイプのポケモンなんだ。 育てるのが難しいと言われているけど、見事育て上げることができたら、無類の強さを誇るとか。 ドラゴンタイプのポケモンの筆頭と言われているのがカイリューで、ミニリュウの最終進化形なんだ。 ま、ミニリュウならサファリゾーンにもいるらしいんだけど、なかなかゲットできないってシゲルが言ってたっけ。 「じゃあバンギラスとか」 「それもいないな」 「え〜、なんで『いない』ばっかり言うの〜?」 間髪入れずに否定すると、ナミは不満げに頬を膨らませた。 いや、いないものはいないわけだし。不満並べられても困るんだけどな…… ちなみに、バンギラスっていうのはこれまた最終進化形のポケモンで、攻撃力・防御力に優れている。 性格的には気性が荒く、平気で破壊光線をぶっ放すような神経をしているらしい。 そんな歩く凶器のようなヤツが、サファリゾーンにいるはずがない。 ナミがそこまで詳しいことを知っているかはともかくとしても、人の背丈より高いようなポケモンは、サファリゾーンにはいない。 「おまえ、バンギラスってポケモンのこと知ってるか?」 「もちろん。破壊光線が得意技なんだよ」 「そんなヤツがサファリゾーンにいたらどうなるか、分かるよな?」 「う……」 諭すように言葉を突きつけると、ナミは口ごもってしまった。 万が一、サファリゾーンにやってきたトレーナーがバンギラスを怒らせるようなことをしたら……とんでもないことになる。 だから、バンギラスはどう考えてもサファリゾーンにいないっていう結論になるんだ。 「じゃ、じゃあカイリューはなんでいないって思うの?」 「そ、それは……」 気晴らしのつもりで口にしたであろうその一言に、今度はオレが口ごもってしまった。 何気に鋭い……っ!! 下手な返答じゃ絶対納得してくれないんだろうな。取ってつけたような言葉でどこまで通用するのやら。 カイリューって言えば、パワフルでカッコよくて優しいポケモンだ。 カントーリーグ四天王の大将・ワタルがカイリュー使いとして知られている。 四天王が手持ちとして入れるくらいだから、その強さは伝説のポケモンに匹敵するとさえ言われている。 だから、オレが手持ちポケモンの最終形として掲げている中の一体にカイリューが数えられてるんだ。 とはいえ、タイプの関係で氷技にやたらと弱いらしいんだけど、それを差し引いても余りあるパワーファイターだ。 200kg近い体重を支えるのにはやや小振りな翼だけど、16時間で地球を一周できてしまうような飛行スピードも備えている。 また、難破しかけた船を陸地まで導くといった報告例もあるらしく、穏やかな気性のポケモンでもある。 強くてカッコよくて優しいなんて、あらゆるトレーナーの理想だよなあ…… お、そうだ。 そこまで思い当たったところで、ナミに対する答えも浮かんできた。 「カイリューってカッコいいポケモンだろ」 「うん」 「そんな目玉のポケモンを置いといたら、普通のトレーナーだけじゃなくて、ロケット団だってやってくるかもしれない。 そんなことになったら、普通のトレーナーがサファリゾーンを楽しめなくなるだろ?」 「うん」 「だから、カイリューはいないんだよ」 「へえ……そうなんだ。アカツキってすごいね♪」 「…………」 口からでまかせだとオレ自身が思う言葉にも、ナミは素直に納得したようだ。 本気で納得してる……? 確かめようかと一瞬本気で思ったけど、下手にほじくり返されるのが嫌だったんで、何も言わないことにした。 でも、よくよく考えてみれば、あながち間違っちゃいないかもな。 カイリューほどのポケモンをロケット団が見逃すとは思えない。 各地で悪さをしているけど、何日かに一回はニュースで耳にするくらいだ。カイリューを狙っても不思議じゃない。 そういえば、サトシやシゲルも、何度かロケット団の下っ端と遭遇したことがあるって言ってたっけ。 仮にも犯罪結社に所属しているとは思えないくらいドジでマヌケな下っ端だって話らしいけど。 ……まあ、そういうのも世の中にはいるんだろうな。 いつだったか、ヤマトにコサンジっていうヤツとも出会ったし……結構裾野の広い大規模な組織だ。 「サファリゾーンってたくさんのポケモンがいるんだよね」 「ああ。おまえも手持ちに加えときたいタイプのポケモンだけを狙ってハンティングした方がいいぜ。 余計なポケモンに目移りなんかしてたら、時間を無駄にしちまうからな」 「うん。でも、あたしはどんなポケモンでもいいな。大好きだし」 「後々困るような選び方だけはしないでほしいんだけど」 「もちろん」 ナミはどういうわけか自信たっぷりに答えてみせたけど、どういうわけかそれが妙に不安だったりする。 こりゃ絶対目移りするぞ。 本人は目当てのポケモンだけを捕まえようと息巻いてるようだけど……絶対目移りするな。 ニドキングとかニドクインとか、強くてカッコいいポケモンを見かけたらすかさずゲットしに行くんだろう。 それこそ、目なんかハートマークになっちゃうのかも。 与えられたモンスターボールにどんなポケモンを入れようと、制限時間をどう使おうとそれは本人の自由。 だから、これ以上口を挟むのは野暮ってモンだろう。 「そういうアカツキはどんなポケモンをゲットしたいの?」 「あ? オレ?」 「うん」 聞き返してくるか。 一瞬何言われてるのか分からなかったけど、自分だけ聞かれてアンフェアだって思ったんだろうか。 いや、まさかな…… 「ねえ、どうなの?」 オレの左手を取って、縦に横にと揺さぶって答えを急いてくる。 このまま無視したらもっとすごいことになりそうだから、しょうがなくオレは答えてやることにした。 「水タイプとか電気タイプとかエスパータイプのポケモンだな」 「うわ、すごい贅沢……」 「ほっとけ」 正直に答えたつもりなのに、ナミは呆れたように口を大きく開けた。 すかさずツッコミ入れて黙らせる。 うーん、やっぱり贅沢なんだろうか。 目当てのポケモンだけに狙いを絞っとけってナミに言っといて、実は三つのタイプを狙ってるなんてさ。 まあ、確かに贅沢だって思われても仕方ないな。 あー、でも、一応その三タイプのポケモンのうち一体でも出てくればその場でゲットっていう腹積もりだ。 しかし…… オレもナミにツッコミを入れられちまうようになったんだなあ。 旅に出る前はオレの後をちょこちょこついて来てただけだと思ってたんだけど、いつまでもそういうわけじゃないんだな。 うれしいんだか淋しいんだか……分かんないや。 その分オレだって成長してるわけだし。 まだまだ旅は途中なんだ、ずっとずっと先まで道は続いてる。 様々な思いが胸中に入り混じるのを感じながら歩くうち、サイクリングロードの入り口が見えてきた。 「あれ、あそこ?」 「ああ。あそこからがサイクリングロードだな」 ナミがサイクリングロードの入り口に当たる大きな建物を指差した。 タマムシジムほどの大きさはあろうかというその建物こそ、サイクリングロードの入り口なんだ。 中にはポケモンセンターがあって、トレーナーやブリーダーの憩いの場となっている。 さらには無数の自転車があって、サイクリングロードに出る際には、好きな自転車を借りることができるんだ。 その建物から、突き出るようにして南へ伸びている大きな橋がある。 それがサイクリングロードだ。 シンプルなデザインの橋だからこそ、陽光煌めく海に周囲を囲まれていても、浮いた感じがしない。 むしろその中の一部に溶け込んでいるようにも見えるんだ。 左手に見える小島まで、サイクリングロードが一直線に伸びていて、その島からさらに別の島へと続いている。 サイクリングで洋上の小島めぐりっていうのもシャレてていいかもしんない。 「ねえねえ、早く行こうよっ♪」 ナミはにわかに興奮した声で言い、オレの前に回りこむと握りしめた拳を胸の前で上下させた。 早く自転車に乗って海風を感じたいってことか。 「よし、じゃあそこまで競争な」 「うん。負けないよっ!!」 よーいドンでサイクリングロードの入り口まで競争したんだけど、オレが勝ったのは言うまでもない。 かけっこでナミに負ける気なんかしないからな。 「あー、疲れた……」 「そりゃ何百メートルも全力疾走したら疲れるだろ。下手に意地なんか張らなきゃ疲れなかったのに」 肩で荒い息を繰り返しているナミに目をやり、オレは呆れるしかなかった。 サイクリングロードの利用申請をして、オレたちは自転車の保管庫へと通された。 ちょっとしたホールほどの広さがあって、そこには無数の自転車が並んでいた。 大小様々な自転車のデザインもまた千差万別。同じ自転車なんか二つとないだろう。 さっきは意気込んで競争競争って楽しそうに騒いでたけど、いざやってみれば当然オレが勝って…… ナミはオレから一分近く遅れて、やっとの思いでたどり着いたんだ。 足なんか今にも縺れそうだったから、しょうがなく肩を貸してやったんだけど…… とはいえ、意地を張ってたのはオレも同じなんだよな。 ナミに負けたら名折れだって思ってたから、何気に全力疾走したりして。 手加減しても勝てるって分かってたけど、それじゃ競争の意味なんかないわけだ。 ああ、何を言っても仕方ないか。一応意地張ってたわけだし。 同じことしてたんだから、とやかく言えないよなあ…… 「ま、元気出せよ。この中から好きな自転車選べば結構気分的に……って早ッ!!」 元気付けるつもりで言葉をかけてやったんだけど、その途中でナミは勢いよく駆け出し、すぐ近くの自転車を押して戻ってきた。 しかもニコニコの笑顔で。 これで額に汗なんかかいてなければ結構サマになってたんだけど、それは言うまい。 なんつーか、すげぇ気分が変わるの早いなあ。 感心していいんだか、呆れるところなんだか……よく分からんわ。 「ねえねえアカツキ。この自転車チョー最高でしょ?」 「チョーって言うかはわかんないけど、まあまあいいんじゃないか?」 オレは言葉を濁したけど、ナミが選んだ自転車は、なんつーかママチャリの子供バージョンみたいなヤツだった。 後輪に動力を伝えるチェーンが露出していたら危ないから覆いが被せられている。 その覆いがまた花柄で、目に痛い色調だったりするんだよな。 一体何の基準でこーゆー意味不明なヤツを選ぶんだか…… まあ、乗るのはナミだから、別に勝手にしてくれって感じなんだけど。 「あたしこういうの大好きなんだよね」 「へえ、そうなんだ……」 どうでもいいや…… 投げやり気味に言葉を返し、オレも自転車選びを開始した。 どうせ乗るんだったらマウンテンバイクのようなヤツがいい。 そう、いかにもアウトドアって感じのヤツがいいよな。 その方が楽しそうだし……少なくともナミの自転車とイメージ的に被るようなのは選べない。 「どれがいいんだか……」 オレは周囲を見渡した。 マウンテンバイクは何台かあったけど、どれも似たようなデザインだった。 ナミがタマムシデパートで上着を選んでた時も、似たようなヤツばっかりだったから迷ってたなんて言ってたけど。 その気持ちがなんとなく分かったような気がする。 分かったところでうれしくもなんともないんだけどな。 厳選した二台を見比べ、オレはサドルの高い方を選んだ。 デザインは似てるし、どうせなら少しでも高い位置から景色を楽しみたいと思ってさ。 いちいち調整するのも面倒だから、この際最初から高い方を選んだ方が手間もかからないってワケだ。 「アカツキはマウンテンバイクが好きなの?」 ナミは意外そうな顔で、オレが選んだ自転車を嘗め回すように見つめた。 「ママチャリよりは好きだよな。どうせなら、こういう自転車でサイクリングロードを駆け抜けてみたいと思ってさ」 「ふーん……あたしはこういう、気持ちが和む自転車で颯爽と風を感じてみたいなあって」 「…………」 なんか違うだろそれ。 潮風を存分に感じてこそ気持ちが和むわけで……順序が思いっきり逆だったりするのは気のせいだろうか? 「まあ、早速行ってみようぜ。疲れは残ってないよな?」 「もちろん♪」 議論するよりは実際に体験してみるのが一番。 というワケで確認のためにナミに訊ねたんだけど、その途中ではたと気が付いた。 意気揚々と自転車を選んだナミに疲れなんか残ってるわけないじゃん!! ああ、オレってどうかしてるかも…… ここは潮風を存分に感じて気持ちを落ち着けることにしよう。 オレたちは案内板に従って、サイクリングロードへと続く道を、自転車を押しながら歩き出した。 屋内では自転車に乗ることが禁じられてるんで、ルールはちゃんと守らないと。 ただでさえ自転車がいっぱいなんだ、一台でも倒したら次々と……将棋倒しにしちゃったら後片付けも面倒だからな。 幸い通路は広くとられていて、そういう心配はなかった。 あっという間にサイクリングロードへの坂道にたどり着く。 この坂道を自転車で下りれば、いよいよサイクリングロードの始まりだ。 「よし、行くぜ!!」 「うん!!」 自転車にまたがり、ペダルに足をかける。 もう片方の足で地面を蹴って、前進。坂道に差しかかると瞬く間に速度を上がるから、漕ぐ必要はない。 屋外へと飛び出して少し進んだところで坂道は終わり、左右に海原のパノラマが広がった!! 「ひゃっほー!!」 右に顔を向けると、海の向こうにおぼろげに陸地の影が見える。 あの辺りにマサラタウンがあるんだよな…… 晴れてるからよく見えるけど、少しでも雲がかかっていたらすぐに見えなくなるってところか。 「う〜ん、気持ちいいねっ」 「ああ」 吹き付けてくる潮風に、ナミが歓声を上げる。 穏やかな風は涼しくて、潮の香りを運んでくれた。 髪と服をなびかせ、頬を撫でるような潮風に気持ちよさを感じずにはいられなかった。 嫌なことも、何もかも忘れさせてくれる、不思議な感じだ。 サイクリングロードは起伏がほとんどないから、次の島までは一直線に道が続いている。見通しが良くて、島までの道がハッキリと見える。 そのおかげで、この辺りを走ってるのがオレたちだけだってのも分かるから、貸し切り気分に浸れる。 この潮風も、美しい景色もオレたち二人だけのものなんだって思うと、妙に心が弾むんだ。 子供っぽいって言われるかもしれないけど、それでいいんだ。 だって、オレはまだ大人じゃないし……だったら子供でもいいさ。 「もっと早くここに来れば良かったかな?」 オレの横について、ナミがポツリ漏らした。 言うまでもないんだけど、オレはナミのペースに合わせていた。 こいつは絶対にオレのペースにゃついて来れないと分かってたから、こっちが合わせるしかない。それに、ノンビリ行くというのもなかなか風流だし。 「何言ってるんだよ。 いつだって同じさ。むしろ、今のように空が晴れてる方が気分は最高だろ?」 「うん」 ナミはうれしそうな顔を向けて頷いてくれた。 「……って、前見ろよ、前」 「分かってるって」 「本当だろうな……?」 オレの注意にも気楽に答えてみせるナミ。 本当に分かってるんだかどうだか…… 「って……」 景色を楽しむつもりで西に目を向けると、青い空の彼方から、重苦しい灰色の雲がゆっくりやってくるのが見えた。 はて……天気予報で夜前には雨が降り出すって言ってたけど。 それにしてはずいぶんと雲がやってくるのが早いな。 こりゃ早々に宿泊施設に向かった方がいいのかもしれない。 「あれ……雨降るのかな?」 「かもしれないな。早いとこ先に進もうぜ。こんな一直線な場所じゃ、雨宿りもできやしない」 「うん」 サイクリングロードに屋根なんて障害物は存在しない。 ところどころに、夜間点灯のライトが建っているだけで、三百六十度のオーシャンビューだ。 ノンビリと風を感じて、景色を楽しみながら行こうと思ってたんだけど…… 雨が降るかもしれないとなると、そうノンビリはできないのかもしれない。 まあ、雨を適当にやり過ごせば、ちゃんと空は晴れるだろう。 速く行ったって、セキチクシティ側へ抜けるには三日かかるんだ。慌てなくたっていい。 「でも、本当に誰もいないね。いつもこんな感じなのかな?」 「分かんないけど……でも、今日はたまたま空いてるって感じだよな。 いつもこんなに空いてるんだったら、あんなに自転車を用意してないだろ」 「そういえばそうだね」 至極まっとうな言葉を返され、ナミは何度も頷いてみせた。 とはいえ、確かに妙だよな。 ポケモントレーナーやブリーダーにとっては、平日とか祝日なんてのはまったくと言っていいほど関係ないんだ。 いつも平日であったり、祝日や休日であったり…… どっちでもいいんだけどな。 でも、せっかく空いてるんだから、気兼ねせずに走っていけばいいや。 せめて次の島まで行ければ、雨宿りできる場所もあるだろう。 緑豊かな島だけに、ポケモンもたくさん暮らしているに違いない。 場合によってはノンビリ見ていくという選択肢もアリだ。 「あ、ポッポが飛んでるよ!!」 「ホントだ」 ナミの声に視線を上に向けると、中空をポッポの番が飛んでいくのが見えた。 ポッポは一日に百キロ以上の距離を移動することもあるらしいから、たぶん今それをやってるんだろう。 普段は巣の近くでエサを取って暮らしてるんだ。 よく見てみれば、ポッポだけじゃない。 進化形のピジョンや、バタフリーも群れになって優雅に空を飛んでいる。 一様に東へと向かっているように見えるんだけど……徐々に近づいてくる、灰色の大きな雲から逃げてるみたいだ。 「まさかな……」 一つの可能性が浮かぶ。 ポケモンは人間なんかよりもよっぽど感覚に優れてるんだ。 嵐の前ぶれとかっていうのも、敏感に感じ取れるのかもしれない。 だとしたら、そうそうノンビリはしてられないってことか? 「ナミ」 「なあに?」 「ちょっと急ぐか」 「え、どーして?」 「ほら、競争だ。ついて来いよ」 呆然とするナミにニコリと微笑みかけ、オレは足に力を込めて、思いっきりペダルを漕いだ。 「あーっ、待ってよぉ〜っ!!」 ナミの悲鳴のような声が瞬く間に小さくなっていく。 こうでもしなきゃ分かんないだろうなって思ったんだけど、やってみてなんだか悪いなって気持ちになった。 まあ、後でクレープでもおごって機嫌を直してもらおう。 「しっかし……なんでこんなに空いてるんだろうな? 偶然だって片付けちまえば楽なのに……」 偶然と片付けられない。 なんだか嫌な予感がするんだ。 直感じゃない。漠然とした予感だ。 大きさも形も曖昧で、中身がぜんぜん分からないから、不安になる。 なにか変なことが起きなきゃいいんだけど…… 「もーっ、アカツキったらヒドイよ!! いきなり競争なんて……」 「悪い悪い」 ナミは意外とあっさり追いついてきた。 開口一番文句を垂れてきたけど、まあそれは仕方がない。 オレもいきなり競争なんて、大人気なかったかな。 「でも、そうノンビリしてられないみたいなんだよな、これが」 オレは右手の親指で西の空を指し示した。 釣られるようにナミがそっちを見つめ、目を丸くした。 「あれ、いつの間に雲が?」 ハトが豆鉄砲食らったような顔をして、徐々に大きくなってきた灰色の雲を見つめている。 単なる雨雲にはとても見えない。 大きさが並外れてるし、なんとなく形が積乱雲に似てるような……思い過ごしだったらいいんだけど。 「そういえば天気予報で雨が降るとか言ってたよね」 「よく覚えてたな。一応そんなことを言ってたぞ」 ナミにしてはよく覚えてる方だと思う。 まあ、オレがこいつのバッグにモノを詰め込んでた時に、のうのうとテレビ見てたんだから。 オレより覚えてなかったら何のためにテレビ見てたんだって感じだよな。 そう思うと、なんだかおかしくて笑いが込み上げてくる。 「ねえ、アカツキ」 「なんだ?」 オレとしても笑いを噛み殺すのに精一杯だ。 ちょっとでも気を抜けば、途端に大爆笑しちゃいそうで。 「あの雲、イワシに似てない?」 「どこが!?」 近づいてくる雨雲の形がイワシに似てるなんて言い出したんだ。 思わずツッコミを入れてしまったけど……ぜんぜん似てねえ。せいぜいが焦げたサンマを山にした感じだろ。 「サンマだろ、あれは」 「え〜? どこが〜? 絶対イワシだって」 「いーや、サンマだ」 「イワシなの!!」 なんて瞬く間に言い争いにまで発展してるあたり、オレたちがまだまだガキなんだなあって思い知らされるところだ。 このままイワシだのサンマだのと主張し続けててもお互いの論点が平行線を辿るのは目に見えてる。 シャクだけど、ここは妥協点を見出すしかないか。 「おいおい、もうやめようぜ。 イワシだろうとサンマだろうと雨雲は雨雲なんだ」 「うん」 ナミは意外と素直に折れてくれた。 こいつも不毛な言い争いだってことに気づいたんだろう。今まで気づかなかったオレもどうかしてるよな、やっぱ。 島に近づくにつれて、雲がその版図を拡大していく。 青い空もずいぶんと灰色に染まってしまった。 心なしか横風も強くなっているし…… 意外と早く降り出すかもしれないな。 ……なんて思っていると、本当に雨が降り出した。 ポツポツと、小雨程度だけど確かに降り出した。 「うわ、本当に雨が降ってきたよ!?」 「急ぐぞ!!」 「うん!!」 オレたちは全力で自転車を漕いだ。 宿泊施設まではまだ何キロかあるって、今しがた通り過ぎた案内板に書かれていた。 その距離が今はとても恨めしく思えるよ。 小雨程度だった雨はあっという間に勢いを増した。 横風に乗って斜めに降ってくる雨は、時折痛いと思えるほどに強まったんだ。 あっという間に服が濡れて、肌に張り付いた。 気持ち悪いとは思うけど、そんなことを気にして立ち止まってたら、それこそ風邪を引いちまう。 「やだ〜っ、も〜っ!!」 オレと同じことを考えてるんだろう、ナミは心底ウンザリと言わんばかりの声音で叫んだ。 オレだって叫びたいよ。 でも、叫んだところで雨が止んでくれるわけじゃない。 雨はアスファルトの地面をあっという間に浅い水たまりにしてしまった。 バシャバシャと地面に叩きつける音が妙に耳に痛い。 空は灰色の雲に覆われて、昼間とは思えないほど暗かった。 さっきまで晴れてたのが嘘みたいだ。 普通の雨とは明らかに違う。 こりゃマジでヤバイ。嵐だ。 天気予報でもそんなことは言ってなかったぞ。 まあ、予報が必中しないってことは前々から分かってたことだ。 100%の確率だって自信たっぷりに予報士が言ったその日に雨が降らなかったことだってある。 ある程度の指標にはなっても、傘を持つか持たないかは最終的にゃその人それぞれの判断ってことになるんだよな。 横殴りの風に対して傘なんか差したところでムダに決まってる。 そんなことをするくらいなら、一刻も早く雨宿りできる場所へ向かうのが正解だ。 「ねえアカツキ、まだなのかなあ……」 「まだみたいだな。ぜんぜん見えてこない」 「もうイヤ」 「愚痴ったって雨宿りできるわけじゃないんだ。黙って漕げ」 吹き付ける雨が叩きつけるように頬を打つ。 何気に痛かったりするけど、いちいち泣き喚いてたって仕方がない。 これだけ空が暗いと、宿泊施設に明かりくらいは灯るはずなんだ。 それが見えないってことは、まだまだ遠いってことに他ならない。 一本道のサイクリングロードには雨宿りできる場所は存在しない。 宿泊施設じゃなくてもいいから、せめて雨宿りできる場所を増やしてほしいもんだ…… 今日はどうりで空いてると思ったら、強い雨が降るってみんな知ってたからなんだ。 利用申請する時にでも教えてくれてたら、今日はあきらめてたのに。 なんて不満が沸々と湧き上がってくるけど、それを口に出したところでこの雨が止んでくれるわけじゃない。 本当は愚痴りたい気分なんだけどな。 その不満を力に変えて、一心不乱に自転車を漕ぎ続ける。 気分は最悪。 宿泊施設に着いたら、服を洗濯しなきゃならないな。 あと、熱いシャワーでも浴びて、身体を暖めたいよ。 旅にアクシデントはつき物だと思えば…… 「……!?」 何の前触れもなく、オレのすぐ脇を何かが通り抜けた。 「なんだ?」 強い風が後ろから吹き抜けて行ったのかと思ったけど、明らかに違う。 風にしては妙に生暖かかったし…… 「今なにか通った?」 「さあ……」 ナミも感じたみたいだけど、やっぱりその正体は分からないようだった。 一瞬のことだったからな、分からなくてもそれはそれで仕方がないんだけど…… 「気にしてても仕方ないって。さっさと行くぞ」 「うん!!」 今のは幻か何かだろう。 世の中、何も科学がすべてじゃない。心霊現象とか何とか……そういうのもアリだろう。 人魂とか、何もないところに水が滴り落ちてたりとか……今のもそういう類なんだって、たぶん。 だけど、気のせいじゃなかった。 突然足元に光が差した。 思わず振り向いたら、無数のライトがものすごい勢いでこっちに向かってやってくるのが見えた。 それに、吹き荒れる風をも散らすような轟音が近づいてくる。 これは……まさか!! あんまり考えたくない可能性がにわかに現実味を帯び、背筋がざわつくのを感じた。 オレはとっさに、自転車ごとナミを弾き飛ばした。 「きゃっ!!」 ナミの悲鳴が聞こえ、同時にオレも倒れこんだ。 刹那。 ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!! ぶんぶんぶんぶんっ!! 轟音が連続で耳元を掠めた。 ライトが次々とすごい勢いで傍を通り過ぎていく。 ライトとライトの合間に見えたのは、違法に改造されたバイク。 サドルは背もたれつきで、なぜか釘打ち(ボンテージ)。 マフラーなんか丸太のように太くて、ものすごい量の排気を撒き散らしている。 暴走族!? だいたいここはサイクリングロードだぞ!? なんでバイクなんかが入ってこれるんだ!? 自分の目を疑うわけじゃないけど、こんなところにバイクがいるなんて、素直には信じられなかった。 入り口で止められるに決まってるんだから。 でも、鼻を突く排気の臭いが、これは現実だと、幻や夢と言う可能性を捨てろと促しているようにしか思えない。 「な、なに、今の!?」 ナミは立ち上がると、何台ものバイクが駆け抜けて行った方に身体を向けた。 オレに弾き飛ばされたことなんて気にしてないみたいだ。 「暴走族だろ。なんでバイクで入ってこれたのかは知らないけど……それより大丈夫か?」 オレはナミの傍へ駆け寄り、頬についた泥を拭ってやった。 「うん、あたしは大丈夫。 ありがとう……アカツキが飛ばしてくれなかったら、あたし、轢かれてたかも」 「ああ……」 もう少し遅かったら、ナミだけじゃなくてオレも轢き逃げされてたかもしれないんだ。 間一髪のところで助かったって感じだよ。 ライトでオレたちの存在に気づいてたはずなのに、まったくブレーキをかけてなかった。 本気で轢き殺すつもりだったのか……!? 暴走族に取っちゃ人命なんてゴミみたいなものなのかもしれないけど…… だからこそ沸々と怒りが湧きあがるのを覚えずにはいられない。 今から追いかけて、ラッシーの蔓の鞭で泣いて詫びるまで叩き続けてやろうかという考えが浮かんだけど。 今はどこの馬の骨とも知れないヤツらを相手にする時間が惜しい。 「……くしょんっ!!」 ナミが盛大にくしゃみをした。 寒いのか、身体を震わせている。 まずい……このままじゃ絶対に風邪を引くな。 雨宿りできる場所まで頑張ってもらうしかないか…… 「ナミ、立てるか?」 「うん……大丈夫」 ナミは弱々しい声で言って、ゆっくりと立ち上がったけど、足元はどこか覚束ない。 倒れた自転車を起こしてサドルに腰を下ろすけど、とてもいつもの元気さは見られない。 どこか身体を強く打ちつけたんだろうか……? なんて思ったけど、今はそんなことをしてる場合じゃないんだ。 「あたし、頑張るから。そんなに心配しないでよ」 「……心配しちまうぞ、いつもの元気さが全然ないじゃないか」 無理に強がってるとしか思えない。 心配するなと言われて、はいそうですかと自転車を漕ぎ出す気になんか、なれるはずがないんだ。 だけど…… 頭では分かってるのに、なんでだか理性が違う行動を取ろうともがいてる。 なんだか頭が少し熱くなったような気もするし…… ああ、今のオレなんかどうかしてるぞ。 「大丈夫だって。そう信じなきゃ」 「……ああ、そうだな」 なんだろうな。 強がってるナミに励まされるなんて、オレらしくもない。 本当は分かってたんだ。 今やらなきゃいけないのは、雨宿りできる場所まで自転車を漕いで行くことだって。 でも、どうしてだろう、頭と心の足並みが揃わない。 「よし、行くぜ」 「オッケー」 この先へ進むことを確かめ合って、ペダルに足をかける。 さっきに比べて、雨も風も強くなってるんだ。 いつまでもここにいたら、何が起こるか分かったモンじゃない。 せめて、雨宿りできる場所まで行ければ……雨と風を凌げればそれで十分だ。 足に力を込めて漕ぎ出そうとした――ちょうどその瞬間、一瞬前方が赤く輝いた。 同時に爆音が轟く。 炎のようなものが立ち昇ったように見えたけど……あっという間に消えた。 爆発!? 一瞬、行くべきか迷った。 何が原因かは分からないけど、爆発があったのは間違いない。 最悪、途中でサイクリングロードが寸断されてる可能性もあるんだ。 調子に乗って自転車を漕いで行ったら、海に向かってダイビングなんてことにもなりかねない。 でも、爆発があったのは意外と近い。改造バイクを乗り回す暴走族たちが向かった方向だし……気になるな。 戻るか、それとも進むか。 サイクリングロードの入り口まで戻るのが一番かもしれないけど、ここからだとかなり時間がかかる。 低く垂れ込める雲のせいで距離感がイマイチ掴みきれないけど、前方の島の方が近いかもしれない。 「どうするの?」 不安げな顔で見つめてくるナミ。 ……そうだ。 オレがしっかりしなきゃ。ナミはオレに助けを求めてるんだ。オレだったらどうにかできるって思ってるんだ。 「行くぜ。こうなったら進むしかない。やれるか?」 「もちろん。できるだけ頑張るから」 強がりでも信じるしかない。 いざとなったらポケモンの力を借りればいい。ここは行くしかない。 自転車を漕ぎ出すと、横殴りに雨が叩きつけてきた。 スピードに乗ってる分、針のように叩きつけてくるけど、そんなのにいちいち怯んじゃいられないんだ。 肌を突き刺す痛みに歯を食いしばって耐えながら、懸命に自転車を漕ぐ。 時折振り返って、ナミが遅れてないか確かめるけど、彼女も必死の形相で自転車を漕いでいる。 いつもじゃ絶対に見られない表情だけど……オレと一緒じゃない時には見せてるのかもしれない。 でも、なんだか頼もしいな。 ナミのこと頼もしいって思えるようになったのも、なんだかうれしい。 向かい風じゃないっていうのが不幸中の幸いだ。 とはいえ、風雨が強いこの状況……これじゃ完全に嵐だ。 やり過ごすこともできないなんて…… 人間は天災に対していかに無力かっていうのを思い知らされるよ。 なんでもできるような気になってイキがってても、それだけだ。 地面が揺れたり、竜巻が発生したり、大雨が降ったり、火山が噴火したり……それだけですぐにパニックに陥る。 粋がるのだって、単なる強がりだ。 なにかあったら、それだけでベールを剥ぎ取られて、素顔を晒される。 でも…… 何もできなくたって、足掻くだけは足掻いてやる。 『何もできない』のと、『何もしない』のとじゃ、全然意味合いが違ってくるはずだからさ。 サトシもシゲルも、こんな目には何度も遭ってきたはずだ。 あいつらに乗り越えられて、オレたちに乗り越えられない壁なんてない。 オレたちはあいつらなんかにゃ負けない!! 濡れた路面を、左右に水を散らしながら走っていくと、焦げ臭い空気が鼻を突いた。 これは……さっきの爆発が起きた場所に近いってことなのか? 「ナミ、少しスピード落とした方がいい。何があるか分かんないからな」 「う、うん……」 さっきの爆発に暴走族が関わってるとしたら……あんまり面白い想像は膨らませられそうにない。 念のために、スピードを落としておいた方がいいだろう。 速度を緩め、警戒の眼差しを向けながら進んでいくと、暴走族が何人か倒れているのが見えた。 そして、その周囲に彼らが乗り回していたバイクがガラクタのように転がっている。 仰向けに倒れている暴走族の一人はモヒカンの頭の、残り少ない(?)髪がパンチパーマのようになっている。 服とかも焦げてるように見えるけど…… 「な、なにがあったんだろ……」 ナミは声を震わせていた。 さっきの爆発はここで起こったのか……? だとしたら、濡れた路面でスリップして転んだ先頭のバイクに後続が突っ込んで爆発ってところか。 でも、周囲を見回してもても、それらしい痕跡は見当たらなかった。 じゃあ、一体なんで爆発なんか…… こういう場合、関係者を叩き起こして訊ねるっていうのが一番だろうけど、ここは放っておいてもいいだろう。 暴走族なんか、他人に迷惑をかけるだけのバカだし。 どこがカッコいいんだか。 ギラギラしたパンクスーツに身を包んでたり、鼻や頬にまでピアスをつけていたり…… ホントに、何を考えてるんだか分かんないな。 少なくとも反面教師という意味じゃ役に立ってるんだろうけど。 爆発の原因が気になるけど、ここで立ち止まっていても埒が明かない。 「ナミ、先へ進もう」 「え、この人たちほっといていいの?」 「いいんだよ。それより今はオレたち自身の身体をこれ以上冷やさないようにしなきゃいけない。 ああ、ラズリーやガーネットに暖めてもらうってのはナシだぞ。 この雨じゃ、ラズリーやガーネットだって風邪を引いちまうからな」 「あ、うん……」 ナミは躊躇いがちに頷くと、すぐ傍で倒れている暴走族の一人に目をやった。 このまま雨ざらしにしておくのに抵抗があるんだな。変なところで優しいんだから。 「バクぅっ!!」 「……!?」 前方から聞こえてきた悲鳴……のような声に、オレは半ば無意識にナミに顔を向けた。 ナミもオレの方に顔を向けてきた。 今の声はいったい何だ!? 人の声じゃない。まさか、ポケモン!? 吸い込まれるように前に目を向ける。 「ポケモン……なのかな?」 「分かんない。でも、人間じゃないよな、あれは……」 オレはナミの言葉に明確に答えてやれなかった。 聞いたことのない声……でも、人の声じゃないのは確かだ。 獣じみた、とでも言えばいいんだろうか。 それでも悲痛な叫びだってのはなんとなく分かるんだ。 それに…… 倒れている暴走族を見ていると、何か違う気がする。何か引っかかる。 ……騒音と排気を撒き散らしながら走るんだったら、こんな嵐の日より、晴れ渡った日の方がいいに決まってる。 その方が安全だし…… もしかして、何か追いかけてたのか……? 目的もなく嵐の日に暴走行為を楽しむとは思えない。 ってことは…… 今の声の主か、暴走族が追いかけてたのは? 悲痛な声だった。助けを求めているように聞こえたんだ。気のせいじゃないと思う。 心に訴えかけているように聞こえたんだ。 声の主が誰だろうと、そんなのはどうでもいい。 助けてくれっていう風に聞こえたんだから、それだけで十分だ。 オレは自転車をその場に倒し、声が聞こえてきた方へと駆け出した。 「あ、ちょっと、アカツキ!!」 背後からナミの声が飛んでくるけど、オレは立ち止まらなかった。 「おまえはそこで待ってろ!! 大丈夫だ、すぐ戻ってくる!!」 肩越しに振り返って、ナミをその場に足止めする。 本当に何があるか分からないんだ。 声の主が爆発を起こした張本人だって可能性だって捨てきれない。ナミを危険な目には遭わせたくない。 いざとなったら、ポケモンを使って……念のためにモンスターボールを手に取った。 ぼっ!! 火が出るような音が聞こえ、目の前に炎が現れた。 「……!?」 思わず足を止めると、一つ向こうのライトの鉄柱に何かがしがみついているのが見えた。 そのすぐ傍で炎が燃えている。 昼なお暗いこの状況、燃え盛る炎は、鉄柱にしがみついた何かの正体をくっきりと照らし出した。 「バクフーン……!? なんでカントー地方(こんなところ)に!?」 オレは思わず声をあげていた。 ライトの鉄柱にしがみついているのは、ジョウト地方に棲息するバクフーンというポケモンだったんだ。 何かに耐えるように、目を固く閉じている。 かざんポケモンのバクフーンは、ジョウト地方の『最初の一体』であるヒノアラシの最終進化形だ。 カントー地方で言うリザードンと同じような存在なんだけど……バクフーンはカントー地方には棲息していないってじいちゃんが言ってた。 一般に言われているところだと、攻撃力と素早さに優れていて、体毛を擦り合わせて爆風を巻き起こす大技を隠し持っているとか。 なんてことを考えていると、突風が横から吹きつけてきた。 「うわっ!!」 突風に煽られ、オレは危うく転びそうになった。よろけながらも、何とか体勢を立て直す。 ……そういや、バクフーンは炎タイプだっけ。 すぐ傍で炎が燃えてるんじゃなくて、あれは背中から燃え上がったものだったんだ。 炎タイプだから、強い雨風が結構堪えているのかもしれない。 なんで鉄柱にしがみついてるのかは知らないけど、このままじゃ身体にも好くない。 何とかして宿泊施設まで連れてってあげないと……そこからならポケモンセンターに転送することができる。 ジョーイさんに看てもらうように頼むのが一番だな。 まずは何とかしてバクフーンを説得するなりしないと…… オレは台風並(?)に強くなった雨と風に耐えながら、一歩、また一歩とバクフーンに近づいていった。 ぴちゃぴちゃという、浅い水たまりの地面を踏みしめる足音が聞こえたんだろう。 バクフーンは目を開いて、顔を上げた。その視線の先にはオレ。 バクフーンの目には、怯えの色があった。 最終進化形だっていう――高い攻撃力を持っているという、強いという自信が漲っているはずの目に、背負った炎のような気迫はなかった。 ……本当にバクフーンか? オレは疑いの念を抱かずにはいられなかった。 オレよりも大きな身体をしているはずなのに、どうして怯えたような目をしてるんだ? 何かしらの事情はあるんだろうけど――たとえば、暴走族に追い回されていたとか……今はそんなのどうでもいい。 風雨を浴び続ければ、いくら炎タイプのポケモンでも風邪の一つは引いてしまうんだ。 そうさせたくない。 オレはその一心でバクフーンに近づいていったんだけど…… 「…………」 バクフーンはじりじりと後退りしたんだ。 背中を丸め、上目遣いで向けられた視線。 なぜかそれが心に刃のように突き刺さって、オレは足を止めてしまった。 なぜだか分からない。 なんで……なんで逃げるんだ? もしかして、オレのこと、怖がってるのか? 冗談だろ…… ポケモンは人間よりも能力的に優れてるんだ。炎を吐けるし、空だって飛べる。 生身の人間には、とてもできないようなことだって、平気でやってのける。 ……なんでオレのこと追いかけるんだ。 バクフーンが向けてくる視線を、オレはそういう意味に受け取っていた。 オレのことを怖がってるんじゃなくて、もしかして人間そのものを怖がってるんだろうか? それならありうる話だ。 一時期、ポケモンは人間の手で乱獲されて、ラプラスなんて絶滅寸前にまで個体数を減らしていた頃があったらしい。 今ではラプラスなんてそう珍しくもなくなったけど……乱獲の方法だって、直視できないようなモノだってあったはずだ。 もしかすると、このバクフーンも、人間に嫌な目に遭わされていたんだろうか? だから、オレからも逃げようとしてるんだろうか……? オレの中では一番説得力を帯びた推測だけど、それを当の本人に投げかけたところで、答えなど戻ってこないだろう。 少し近づくだけで後ずさりするようなポケモンなら。 オレよりも体格は立派だし、その気になれば、背中から燃え上がる炎をこちらに差し向けることってできるはずだ。 いや、そうすれば確実に逃げられる。 でも、立派な体格も、背中を丸めているのと上目遣いのせいで、オレよりも小さく見えてきた。 「バクぅ……」 怯えた犬のような声をあげ、バクフーンはオレから遠ざかっていく。 橋のようなサイクリングロードの欄干につかまって、それもカメのような遅さで。 思いきり走り出さないのは、時折強く吹き付けてくる横風に飛ばされるのを警戒しているからだろう。 「大丈夫だよ。 オレは君をどうにかしようと思ってるわけじゃない。だから逃げないでくれ」 オレはなるべく優しく、だけど叩きつける風雨に負けないように声をあげて言ったけど、全然効果がない。 バクフーンは怯えながらも疑いの眼差しを向け、じりじりと後退するばかりだ。 どうにかして、危害を加えるつもりがないことを伝えなきゃ。 分かってもらえないことには、保護することもできない。 だけど、ここまで怖がるなんて……オレなんか、バクフーンからすれば簡単に蹴散らせるはずなのにさ。 よっぽど人間に怖い目に遭わせられたんだろうな、それこそ逆らう気力すらごっそり奪われるほどに。 そんなバクフーンに哀れみなんて抱いてるわけじゃない。 ただ…… 目の前で助けを求めている……傷ついてる、困ってるようなポケモンがいたら、それを助けたい。 それだけだ。カワイソウだから、なんかじゃない!! たとえ誰にどんな目に遭わせられても……ポケモンと人間はちゃんと共存できるはずなんだ。 手に手を取って暮らしていけるはずなんだ。 それをちゃんと伝えたい。 オレの強い気持ちを敵意と解釈してか、バクフーンは後退するスピードを少し上げた。 欄干につかまりながら後退するなんて、妙に人間くさい仕草だけど……今はそんなこと気にしてる場合じゃない。 「待ってくれ!! オレは君を助けたいだけだ!! このままじゃ、君の身体がどうなるか分かんないんだよ!!」 なんて言ったけど…… ホントはオレの身体の方がヤバイのかも。 何十分も雨を浴び続けて、体温が下がってるのが自分でよく分かるんだ。 気のせいか、頭が、肌が汗ばんでるように熱を帯びてる。 このまま時間を無駄にかけてしまえば、共倒れだ。それだけは…… 「…………バクっ!!」 バクフーンは一際大きな声で咆えると、橋の欄干から前脚を離し、オレに背を向けて駆け出した。 「あ、待って!!」 オレは逃げ出そうとするバクフーンの後を追った。 どうにかしたい一心だったけど、バクフーンはそれを『捕まえにきた』と解釈したに違いない。 そんなつもりはないのに、相手には悪く思われてしまうこと。 人間社会じゃよくあることだけど、人間とポケモンの間にもそういうのがあるんだな…… 妙に冷静に頭の隅っこのどこかでそんなことを考えてる。 轟々と唸りをあげる横風に足がもつれて転びそうになるけれど、ダメだ。 こんなところで転んでる暇なんてない。 オレは必死にバクフーンの後を追うけど、その中で不自然に感じたことがあった。 一向に距離が広がらない。 詰まりもしないし、広がりもしないんだ。 まさかバクフーンの足がそこまで遅いとは思ってないけれど…… 視界不良のせいで、そういう風に見えるだけなんだろうか。 そう思いながらも走り続けるうち、風の唸りが一際強く聞こえた。 「……まずい!!」 オレはとっさに身を伏せた。 その次の瞬間、耳元を猛烈な風が駆け抜けていった!! 伏せなかったら、間違いなく吹き飛ばされてた。 左から右へ吹き抜ける風は、その先にある低気圧に吸い込まれるかのようだ。 風の唸りがかすかに弱まったのを耳で確認してから、オレは立ち上がった。 吹き飛ばされてたら、間違いなくサイクリングロードから落ちてたところだ。 さて…… 一刻も早くバクフーンを助けなくちゃ。 視線を前に戻したけど、バクフーンの姿はなかった。 ……逃げられた? 昼間なのに灰色の闇が色濃く垂れ込めているサイクリングロードは、百メートルも視界が確保されてない。 オレが伏せている間に風が弱まったのを読んで、さっさと逃げてしまったんだ、きっと。 人間が逆立ちしたって、感覚や身体の強さでポケモンに勝てるはずがない。 なんか、思いもしない形で思い知らされたな…… オレは呆然と立ち尽くすしかなかった。 バクフーンは逃げ去り、オレは何のためにここまで走ってきたんだろう。 助けたいと使命感に似た何かに心突き動かされていたのに、結果的にはそれができなかった。 虚しさが心の中に浸透していく。 「……戻ろう……」 ナミはまだ待っていてくれてるはずだ。 こんなことになるのなら、待たせておくんじゃなかった。 今もオレが戻ってくるのを、雨と風を浴びながら待ち続けてるのかと思うと、本当に悪いと思う気持ちしか浮かんでこない。 戻った時、どう言い訳をしよう……そんなことまで考え出したよ。 バクフーンが消えた闇に視線をやり――オレは身を翻した。 ナミの元へ戻ろうと足を動かした……ちょうどその時だ。 「バクぅっ!!」 「バクフーン!?」 バクフーンの声が聞こえ、オレは思わず叫んでいた。 振り返るけど、その姿はどこにもない。 逃げたんじゃなかったのか!? なのに、声は意外と近くから聞こえてきた。 目を凝らして闇の奥を凝視するも、それらしい姿はまったく確認できない。 「バク、バクぅ!!」 声……じゃない。 悲鳴だ!! ただの声だと思っていたけど、切羽詰った感情を隠そうともしないその声は、悲鳴にしか聞こえなかった。 近くにいる……!! 「どこにいるんだ!?」 オレは広がる闇へ向かって、あらんばかりの声を振り絞って叫んだ。 返事の代わりに、バクフーンの悲鳴が何度も聞こえた。 助けを求めてる……今度は!! 確信し、オレは駆け出した。 絶対に助けるんだって、強く心に誓って。 少しずつバクフーンの悲鳴が近づいてきた。発生源まではそう遠くない。 そしていつしか、悲鳴は背後から聞こえるようになっていた。 通り過ぎたのか……立ち止まって振り返るけど、そこには何もない。 闇へ吸い込まれるサイクリングロードがただあるばかり。 「……おかしいなあ……」 確かにバクフーンの悲鳴は背後から聞こえた。 そう、振り返った今では正面から。 なのに、どこにもいないなんて……見過ごしたなんてことはないはずだ。一本道で、身を隠す場所なんかないんだから。 じゃあ、どこに……? まさかライトの鉄柱の上とか? そう思って見上げてみたけど、当然そんなところにいるはずなどなかった。 雨で濡れて、なおかつ風で揺れてるんだ、登ろうったって危なくて仕方がない。 でも、どこかにいるはずなんだ。 注意深く、鉄柱から欄干まで、隅々まで見つめる。 と、何かが引っかかった。もう一度手前からゆっくりと視線を前方に向けて―― 「あ!!」 今度こそ見つけた。 バクフーンは二本の前脚だけで、橋の欄干につかまっていたんだ。 「待ってろ、今すぐ助けてやるから!!」 オレは駆け出し、バクフーンの傍にたどり着くと、しなやかな前脚を全身全霊の力を込めて引っ張った。 「バク、バク……!!」 バクフーンは海に落ちるという恐怖があるせいか、完全にパニックに陥っていた。 暴れこそしないけど、自分も力を込めて戻ってこようという感じでもない。 それでも……助けなきゃ!! 「待ってろ、絶対に……絶対に助けてやる!!」 濡れたバクフーンの前脚は思った以上に滑りやすく、なかなか思うようにいかない。 オレ一人の力じゃ、限界か……!? こうなったら、ラッシーや他のみんなの力を借りて助けるしかない。 バクフーンは嫌がるかもしれないけど、四の五の言ってられるような状況じゃない。 こんな天気で大荒れの海に落ちてしまったら、いくらバクフーンでも助かるかどうか分からない。 だから…… 「ううう……」 歯を食いしばり、足腰に力を入れて、思いっきり引っ張る。 それでもダメだ。 バクフーンの身体が重いせいか、それともオレの力のなさか……一向に状況は良くならない。 両手でやってもダメなこの状況で、わずかな間とはいえ片手を離して、 誰かポケモンが飛び出してきて力を貸してくれるまで、片手で持ち堪えられるだろうか……? これは賭けだけど、こんな時にまで賭けたくはない。 それも、見ず知らずのポケモンだなんて。 もちろんオレのポケモンだって賭けられない。 やらなくちゃいけない。それだけなんだから。 しかし―― びゅっ!! 風の唸りがすぐ傍で聞こえた。 「ま、まさか……」 最悪の光景が脳裏を過ぎった。 思わず手の力が緩んでしまうけど、気力でカバー。辛うじて手放すことは避けられた。 ぶんっ!! 刹那、オレの身体は浮かび上がった。 「……!?」 一体何が起こったのか分からなかった。 気がつけば橋の欄干を飛び越え、バクフーンの前脚をつかんだまま、荒れ狂う海へと投げ出されようとしていた。 ……風か!! 突風が吹いて、オレの身体をあっさり投げ出したんだ。 ぐんぐん迫る海。 オレは海へと落下する中、バクフーンの身体をギュッと抱きしめた。 寒さからか、恐怖からか、小刻みに震えていた。背中の炎は消えていて、炎タイプのポケモンとは思えないくらい、身体は冷たかった。 「絶対に助かるから……オレを信じろ!!」 オレはバクフーンの耳元で叫んだ。 オレだって怖いものは怖いんだ。荒れ狂う海に投げ出されて、助かるかどうかなんて分からない。でも、信じなくちゃ。 助かるって!! 背筋の芯まで凍りつきそうな恐怖が心にまで忍び寄る。 それほど時間をかけずに、オレたちは海に落ちた。 落下の勢いで一度深くまで潜り、その後は浮力に従って海面に顔を出した。 「ぶはっ!!」 顔を出し、息を大きく吸い込む。 「バク……っ!!」 冷たい海はバクフーンにとっては辛いだろう。 突き刺すような寒さはないけれど、だからといって、このまま長い間身体を浸していれば、体温を奪われてしまうのは目に見えている。 何とかしないと…… 周囲を見回すけど、陸地はまったく見えない。 真上のサイクリングロードには、手を伸ばしても届くはずがない。 一番近いはずなのに、とても遠く感じられる。 今さらポケモンを出したところでどうにかなるはずもない。 くっ……運を天に任せるしかないっていうのがとても悔しい。助けるって、誓ったのに…… バクフーンは海に落ちたショックのせいか、気を失ってまったく動かない。 「絶対に助けてやる……一緒に助かるんだ……」 オレはバクフーンに、そして自分に言い聞かせた。 どっちか片方だなんて、そんなことは言わない。 助かるならオレもバクフーンも、両方が助かる道を選びたい。 陸地はない、付近を航行する船なんぞあるはずもない。 「絶対に助かるんだ……こんなところで終わってたまるかよ……」 オレは春の海の冷たさに掻き消えそうな炎を胸に灯した。 「ナミ!! 聞こえてるか!? 聞こえてたら誰かを呼んできてくれ!! 頼んだぜ!!」 オレは声を振り絞って叫んだ。 こうなったら、ナミに助けてもらうしかない。 今頼れるのは……悔しいが、ナミだけなんだ。聞こえていたら、誰かを呼んで戻ってきてくれ。 頼む…… 思った以上に春の海は冷たく、あっという間に指先まで冷え切ってしまった。 身体に力が入らなくなって、バクフーンの身体を捕まえることだけでもひどく辛い。 でも、あきらめるわけにはいかない。 あきらめなければ助けが来るのか……なんて期待を抱いてるわけでもない。それでも、信じなきゃ。助かるって。絶対に。 普段は穏やかな海も、嵐のせいで時化っている。 「くっ、力が入らねえ……」 必死に力を込めるけど、明らかに普段よりも弱い。 つかまなきゃ、バクフーンの身体は荒れる海に流されてしまうだろう。 二人でいる方が、重いからその分だけ流されにくくなる。 残された力――力と呼べるほど強くはないけど、オレの身体に残ったわずかばかりの力を振り絞って、バクフーンの身体を引き付ける。 と、視界に壁のように盛り上がった波が映った。 「……!!」 オレは思わず息を飲んだ。 人の身長などとても及ばないような大波が、オレたちに覆い被さろうとしているんだ。 あんな波に飲まれたら……助かる、助からないなんて次元の話じゃなくなっちまう。 かといって、逃れる方法も見当たらない。 運を天に任せるしかないな、こうなったら…… オレは、周囲の海水を巻き込みながら迫り来る大波をじっと見つめた。 抵抗にもならないものだけど、おとなしくその運命に従わないという、せめてもの意思表示だ。 それが何になるかは分からないけれど、それでも、納得だけはしない。 大波が轟音と共に覆い被さってきた。 あっという間に海水が鼻に入ってきて、息ができなくなった。バクフーンとも離れ離れになってしまった。 必死に手を伸ばすけれど、バクフーンの姿はどこにもなかった。 あっという間に流されてしまったらしい。 かといって、オレの方もマジでヤバイ。 酸素が欠乏しているせいか、思うように頭が働かない。 頭の中がモヤモヤしてる。 海水を掻き分けて水面に顔を出そうともがくけど、波が押し寄せては洗濯機の中の服のように翻弄されるしかない。 「ちく、しょう……」 どうしても納得いかなかった。 息ができない。 いよいよ意識も薄れてきて、身体も動かせなくなった。 板切れのように、ボロ雑巾のように、荒れ狂う海の中でただ翻弄されるばかり。 「……助けてやれなくて、ごめんな……」 薄れゆく意識を背に、オレはなぜか分からないけど心の中でバクフーンに謝っていた。 今さらどうにもならないと分かっていたのにさ…… あっという間に、オレの意識は海の中に溶け込んでいった。 「…………」 視線を注いでいる相手はまったく動かない。 時間間隔が麻痺しているせいか、どれくらいの時間が経ったのかもよく分からないけど……ずっと見つめているのに。 「…………」 目の前で横たわっている少年は、安らかな顔を見せていた。 何かに満足しているようには見えないが、だからといって苦しんでいるわけでもないのだろう。 背中から燃え上がる炎によって体温を取り戻したそのポケモン――バクフーンは、目の前の少年をじっと見つめていた。 他にやるべきことが見当たらなかったから……という言い訳もあるだろうが、それ以上に、彼から離れることができなかった。 バクフーンにとって、人間など子供も大人も同じに見える。 男と女で多少は見た目が違うが、本質的なものは同じ。 すなわち、心である。 だから、不思議でならない。 バクフーンにとっての『人間』というのは、相容れないという言葉の代名詞のようなものだったから。 ずっと辛い目に遭ってきた。 何日、何ヶ月……よく分からないけれど、ひどい仕打ちを受けてきた。 背中には消えない傷をつけられた。 緑の体毛で大部分を覆い隠しているものの、それは一生消えることがないだろう。 同じように、心につけられた傷も。 今日も今日で暴走族に追いかけ回され、危うく鉄パイプで殴られるところだった。 たまらなくなって炎を吐いて撃退したのだが……ようやく逃げられたと思ったら、今度は少年が追いかけてきた。 『大丈夫だよ。 オレは君をどうにかしようと思ってるわけじゃない。だから逃げないでくれ』 少年はそう言ったが、バクフーンにはよく分からなかった。 人間の言葉など通じるはずもないし、その意味も理解したいとは思わなかった。 だが、どうしてだろう。 妙に心に残る言葉だった。 意味は分からない。それでもなぜか心に引っかかる。 トゲのように引っかかっているけど、それを抜こうとは思わない。 なぜなら、それは痛みを伴わなかったからだ。 「バク……」 どんな格好をしていようと、男だろうと女だろうと、子供だろうと大人だろうと関係ない。 『人間』は『人間』で、バクフーンにとっては不吉の象徴以外の何者でもない。 目の前の少年とてそれは例外ではないはずだ。 だが、彼から逃げるという気持ちを抱けない。 雨も風も収まりつつあり、空に漂う暗雲の合間から、太陽の光が地上へと降り注いでいる。 嵐は峠を越えたが、大きな波がバクフーンと少年のいる場所の近くに何度も打ち上げてきた。 完全な形で平穏を取り戻すには、今しばらくの時間を要するだろう。 「バクフーン……?」 ――今さらになって思うことがある。 どうして『人間』から逃げなければならなかったのか、と。 いざとなれば、燃え盛る炎を吹きかけてやれば、それだけで撃退できるはずなのだ。 それだけの力を自分は持っている……そのことを強く自覚している。 相手がどんな存在であろうと傷つけることを善しとしなかったのか。 でも、そうではないのかもしれない。 自分でもよく分からない部分があまりに多い。 自分のことなのに。 『人間』から逃げることが当たり前すぎて、疑問にすら思えなかったのだろうか? バクフーンは煮え切らない気持ちを持て余していた。 気がついたら陸に打ち上げられていて、すぐ傍に少年がいた。 少年はなぜか自分の身体をしっかりと掴んでいて、引き離すのにも苦労したほどだ。 それから、波が届かない場所に退避したのだが…… 自分と同じで全身ずぶ濡れの少年は意識を失っていたようで、結構強引に引き離しても気がつかなかった。 「…………」 そのまま放っておくのもなんとなく躊躇われて、ずっと少年を見ていたのだ。 なんだか見ているだけというのも飽きて、背中で燃える炎を少年の傍に近づけた。 濡れた身体に、同じく濡れた服が張り付いていて、身体と一心同体になっているかのようだ。 『待ってくれ!! オレは君を助けたいだけだ!! このままじゃ、君の身体がどうなるか分かんないんだよ!!』 待てと言われて待つバカはいない。 『人間』は『人間』であって、それ以上でも、以下でもないのだ。 「バク……バク……」 バクフーンは淋しそうに嘶いた。 今までそう思い込んでいたのがおかしかったし、なんとなく悲しくなった。 いろんな場所を巡ってここに至ったが、それまで『人間』とポケモンが仲良く暮らしているのも何度か見てきたのだ。 自分とは違う存在だからと、仲間まで気にかけていなかっただけだ。 あるいは、『人間』なんかと一緒に暮らすような輩など仲間でも何でもないと断罪でもしてきたのか。 そこのところは妙に曖昧に線引きがなされているが…… その線も、少しずつ消えていく。 「バク……?」 ――君は僕をいじめようとしていたの? そんなニュアンスの一言を放つが、当然少年からの反応はない。 答えてくれようがくれまいが別に構わなかった。 『ノー』であることが少しずつ分かってきたから。 少年は別に自分を捕まえようとはしていなかったのだ。 本当は知っていたような気がする。 でも、少年の腰には、今まで自分を追いかけてきた『人間』と同じで変な色分けがされている球体が差されてあった。 だから、そう思い込んでしまった。 強風で足がすくんで、動けなくなってしまったところで、まだ少年が何かを言いながら近づいてきたから、思わずまた逃げて…… 海に落ちた。 あっという間に身体が冷えて、意識も滑り落ちてしまった。 ただ……最後にかすかな温もりを感じた。 生まれ落ちた瞬間に感じたような……柔らかな陽の光を思わせる温もりだった。 それを与えてくれたのが少年だと気づいて、バクフーンの中で彼に対する疑いの念はほぼ完全に消え去ったのだ。 もう少しだけ…… せめて彼が目を覚ますその時まで、この背に燃える炎でその身体を暖めてやろう。 バクフーンはそう思って、背中を丸めて目をつぶった。 何ヶ月かぶりに、心の底から安らげるような気がしてならなかった。 バクフーンはそのまま眠りに落ちた。 少年の傍にいれば、きっと大丈夫だと……漠然とした予感に身を任せることを厭う気持ちはなかった。 「ん……」 顔に何かが当たったような気がして、オレはゆっくりと目を開けた。 妙に周囲がキラキラして見える。 焦点が合うのにそれほど時間はかからなかったけど、それまで浮いてるんだか沈んでるんだかもよく分からなかった。 完全に視界を取り戻し、オレは風にそよぐ木の葉の下にいることに気がついた。 顔に当たっていたのは、木の葉の隙間を縫うように降り注いでいる木漏れ日だったんだ。 「助かった……のか……?」 身を起こすこともせず、オレは今までの経過を頭の中で再生した。 海に落ちて、それから……波に飲まれて気を失っちまったんだ。 それで…… 「そっか、助かったんだ、オレ……」 一時はどうなることかと思ったけれど、助かったようだ。 生きているという実感が湧きあがるのを感じ、オレは背中を押されるように身を起こした。 「……?」 まず目に入ったのは、背中を丸めて眠っているポケモン――バクフーンの姿だった。 オレに背中を向けているのを見る分に、背中の炎でずっと暖め続けていてくれたんだろうか……? 直接訊ねてみたい衝動に駆られたけど、安らかな顔で眠っているバクフーンを起こすのも気が引けた。 でも、このバクフーン……あの時の? 体格の似たようなバクフーンならいくらでもいそうな気がするけど、 カントー地方にまで遠出するバクフーンで体格が似通っているなんて、偶然で考えてもバカバカしい。 やっぱり、オレが助けようと心に決めたバクフーンだ。 でも、海に落ちてしばらくしてから、オレはバクフーンの身体を離してしまったはずなんだけど…… 身体に力が入らなくなって、鉛のように重くなっていくのを確かに感じたんだ。 オレもバクフーンも両方助かって……経過はどうあれ、それで良しと思えるよ。 あの状況で助かったんだから、奇跡と言っても言いすぎじゃないさ。 「荷物……大丈夫かな……?」 オレはリュックを下ろし、中身を確かめた。 けれど、確かめるまでもなく、中身はぐちゃぐちゃになっていた。 非常食なんかは水を被って妙に重くなってるし、その上変な臭いまで放っている。 なんとも不快なその臭いを嗅いだ瞬間、近くの茂みに投げ捨てたけど。 調理器具もちょいと錆が浮かんでるように見えるし……海に長い間浸かっていると、塩分で錆びちゃうものなんだよな。 近くの町に行ったら、その時にでも買い換えようか。 二束三文に近い安物だし、すぐダメになるってことだろう。 完全に密封されているポケモンフーズのビンは辛うじて海水の浸入を逃れていたけど、念のために作り直した方がいいな。 パジャマや寝袋も海水塗れで、一回洗濯した程度じゃ染み込んだ塩分を落としきれないのは間違いない。 命が助かっただけ儲けモノかもしれないけど……いざ助かってみると、贅沢を求めちゃうんだな。 でも、だからこそ生きてるんだって実感できる。 使い物にならなくなったのが、リュックの中身程度で済んでよかったよ、本当に。 それに…… オレは親父からもらった(っていうか、手渡されたのは母さんだけど……)ポケナビを手に取った。 精密機械だけに、あんだけ長い間水に浸かっていたとなると、たぶんこれも壊れてるんだろう。 そう思いつつ、念のために電源スイッチを押してみると、なんとピコピコと電子音を発して起動したんだ。 「うわ……すげえ……」 壊れていないのがあまりにすごすぎて、オレは思わず感嘆のため息を漏らしてしまった。 だけどよく考えてみれば、それも頷けた。 トレーナーの旅に耐えられるようなものでなければ、親父が買ったりするはずがない。 今でこそ博士になんて腰を落ち着けているけれど、元は親父もトレーナーなんだから。 多少水を被った程度では中の基板や部品にまで被害が及ばないように密閉されてるんだろう。 まったく……変なところで感心しちまうよ。 とはいえ、外の小さな画面に表示された日付を見て、オレは唖然とした。 海に投げ出されたときから丸一日が経っていたんだ。 いつ流れ着いたか分からないけれど、それからほとんど一日寝てたのか。信じられないな。 遠くに橋のような何かが見える。 あれはサイクリングロードか? だとすると、近くに流れ着いたってことなんだろう。 あの嵐じゃ、陸地なんてとても見えなかったから……案外近くにあったってことなんだろう。 不幸中の幸いってところかな。 「オレは無事に助かったけど、ナミはどうなったんだ……?」 サイクリングロード……ということで、オレはナミのことを思い浮かべた。 あの嵐でも、ナミはオレが戻ってくるのを待っていたんだろうか? たぶんオレが戻らなかったのを見て、どこかに移動したんだとは思うけど、それでも心配だ。 風邪を引いてはいないかと、心配してしまうよ。 「トパーズやガーネットがついてるから、オレのような目には遭ってないと思うけど……」 できれば今すぐにでも探しに行きたい気持ちだけど、ここがどこかもよく分からない。 それに、これからどうやってサイクリングロードに戻ろうかという手立てを探すのにも苦労しそうだ。 今はこの場を離れないようにしよう。 もしかしたら助けが来るかもしれないし、心なしか体力が戻りきってないみたいで、長く歩くのは辛いかもしれない。 それにさ、このバクフーンを放ってはおけないんだ。 今は安らかな顔で寝てるけど……オレのこと、助けてくれたんだろうか。 だとしたら、何か礼をしたいな。 この場に一緒にいるっていうのも、なんだか偶然じゃない気がするし。 視線を注いでいると、オレの視線に気がついたのか、バクフーンは耳をぴくぴく動かすと、目を開けた。 寝ぼけ眼が瞬いて、パッチリと見開かれた目がオレに向けられる。 あの時と同じで逃げたりしないだろうか……もしもの可能性が頭を過ぎって、どうすればいいか分からなかった。 声をかけるべきか、それともじっと視線を交わすべきか。 オレがあれこれと心配していると、バクフーンはゆっくりと立ち上がった。 後ろ足だけで立ち、背中をピンと伸ばす。 一般的なバクフーンの体格と同じで、身長はオレを優に上回っている。およそ170センチ。 見下ろされているけれど、バクフーンの視線は物腰や雰囲気と同じで穏やかだった。 サイクリングロードで対峙した時とは違って、まったく怯えた様子も見せていない。逃げる素振りすらない。 吹っ切ったんだろうか……? オレの気持ちなど素知らぬフリで、バクフーンはゆっくりと歩いてきた。 オレから逃げようとしていたあの時がウソのように、その足取りは優雅でしなやかだった。 堂々としていて、これぞバクフーンという気迫すら感じられるんだ。 バクフーンはオレの前まで歩いてくると、屈みこんで―― ぎゅっ。 「△※♪♯&$……!?」 いきなり抱きついてきたんだ。 いきなりのことに、オレは何も言えず、拒絶もできなかった。 もっとも、拒絶するつもりなんてないけれど。 バクフーンの身体はとても暖かくて、背中の炎でオレのことをずっと暖めてくれたのも、間違いないと思える。 「よしよし……」 オレは優しく声をかけ、バクフーンの背中を撫でてやった。 緑の体毛はフサフサで、肌触りはとてもいい。 「一時はどうなることかと思ったけど、助かって良かった」 「バクフーンっ……」 オレの言葉に、バクフーンは頷いてくれた。 言葉の意味までも理解できていないだろうけど、言いたいことというか、趣旨はなんとなく分かってくれてるんだろう。 お互いに助かってよかったと、喜んでくれてる。 それが分かるから、とてもうれしい。 「でも……なんで逃げないんだ? あの時はオレから逃げようとしてただろ?」 一頻り温もりを感じ取ってから、バクフーンの身体を離す。 じっと視線を注いでくる彼(あるいは彼女? わかんないけど……)に、オレは正直な感想を漏らした。 あの時、バクフーンはオレから逃げようとしてた。暴走族から逃げていたのと同じように。 でも、今は逃げるどころか、オレのことを受け入れようとしてる。 オレと一緒に行きたい、みたいな素振りも見せてるんだ。 心変わりって言うと悪い言い方かもしれない。 だけど、なんか違う気がするんだ。 不思議な気分さ。 そんな簡単に気持ちの切り替えなんて、普通はできないはずなんだよ。 だから……余計に信じきれないのかもしれないな。 じっと視線を向けてくるバクフーン。 穏やかな瞳を吸い込まれるように見つめていると、答えが自ずと湧きあがるのを感じずにはいられなかったよ。 「オレ、君のこと助けたかったけど……その必要もないみたいだな。本当に良かったと思うよ」 今のバクフーンは、オレが助ける必要もないほど堂々として、恐れも何も振り払ったような顔をしている。 本当の意味で『助けられた』のかもしれない。 だとすれば、良かった……ちゃんと助けてあげられたし、オレもバクフーンに助けられたような気がするからさ。 「さ、行きな。今の君なら何があっても大丈夫さ」 オレはバクフーンから手を離した。 恐れも何も吹っ切って、堂々としているのを見ていると、これ以上ないほど安心できる。何があっても乗り越えられるだろう。 だから、オレがわざわざどうこうする必要もない。そう思ったんだけど…… 「フーン……?」 バクフーンは前脚でオレの手をつかんできた。 「……?」 一体何を考えてるんだろう……オレの手をつかんでくるなんて。 オレはつないだ手をじっと見つめた。 オレから離れたくないと思ってるのかな? 顔を上げると、バクフーンは何かを期待するような眼差しを向けてきていた。 「なあ、もしかして……オレと一緒に行きたい、とか?」 「バクフーンっ!!」 もしかすると……もしかするのかもしれない。 そう思って切り出すと、バクフーンは、それはもううれしそうな顔で何度も頷いた。 言葉の中身までは分からなくても、雰囲気や口調から、意味を組み立てたのかもしれない。 そっか……オレと一緒に行きたいとまで思ってくれてるんだ。なんだかうれしいな。 命張って助けようと思った甲斐があったってモンだよ。 もっとも、オレは見返りなんか期待はしていなかったし、そのつもりもなかったかれど……それでもうれしいな。 「そっか……」 胸がじんと熱くなるのを感じたよ。 思わず目頭が熱くなってきたけれど……さすがに泣くわけにもいかず、こみ上げる気持ちを堪えるのに大変だった。 「なら、一緒に行くか? 楽な道ばかりじゃないけどさ……」 言うと、バクフーンはうれしそうにはしゃぎ出した。あー、なんていうかこういうところはナミに似てるかも…… でも、一緒に行くって言うんなら、拒否するわけにもいかないさ。 来る者は拒まない。それもオレのモットーのひとつなんだ。都合いいよね。 「じゃ、一緒に行こうぜ」 「バクフーン!!」 バクフーンはたった今からオレたちの仲間だ。 オレが助けたように、オレもこれからいろいろと助けられていくんだろう。 同じ時間を共に過ごせる大切な存在がまたひとつオレの傍にいてくれるというのが、とてもうれしい。 「オレの仲間の証に、ニックネームをつけてあげなくちゃな」 「バクっ!!」 待ってましたと言わんばかりに、バクフーンは頷いた。 ニックネームって意味、ホントに分かってるんだろうか? って思ったけど、楽しそうにしてるんだから、まあいっか。 ニコニコしながら言葉を待っているバクフーンを前に、考えに考え抜いた末に思い浮かんだニックネームは…… 「よし、君の名前はルースだ。よろしくな、ルース」 「バクフーンっ!!」 オレのつけたニックネームに、バクフーン――ルースは、それはもううれしそうな顔で返事をしてくれた。 ルースっていうのは、オレが知ってる数多くない英単語の一つだ。 Loose……「自由な」「解き放たれた」という意味の単語だ。 意味や語感がなんともなく印象的だったんで覚えてたんだけど、今のバクフーンはそれに相応しい状態なんだ。 人間を怖がっていたけれど、少なくともオレは受け入れてくれた。 ともあれ、新たな仲間が加わったところで、出発するとしよう。 「それじゃあルース。これに入ってくれるか?」 オレは腰に差した空のボールを一つ手にとって、ルースに見せた。 こくんと首を縦に振ってくれたんで、オレは捕獲光線を発射して、ルースにモンスターボールに入ってもらった。 よし…… これで全部の準備が整った。 ナミを探しに行かなくちゃいけないな。 ここがどこであっても、海を渡る大橋のようなサイクリングロードが目印になるから、時間はそうかからないはずだ。 サイクリングロードから戻ったか、あるいは先へ進んだか……どちらにしても、あいつなら大丈夫なはずだ。 確信を胸に抱き、オレは駆け出した。 To Be Continued…