カントー編Vol.19 惑いの毒牙 「ここ……だよな。セキチクジムって」 オレは目の前の家屋を見つめ、小さくつぶやいた。 というのも…… 目の前にあるのは、木造建築一階建ての、萱葺き屋根が乗っかった家なんだから。 でも、表札には名字代わりに『セキチクジムは此方。御用の方は釦を押して暫し御待ちを』なんて文言が書かれてあった。 流れるようにして文字と文字がつながってる。 行書体って言うんだかよく分かんないんだけど、見る人が見れば『なんたる達筆』『素晴らしい』って感動するんだろうなあ…… オレにとっては、すっごく見にくいだけなんだけど。 まあ、何とか読めるだけでも意外と見やすいのかもしれない。 ……なんて思いつつ、釦を押してみる。 今時、ボタンのことを『釦』っていう字で表すのも珍しいよな。 オレがその字を読めたのは、じいちゃんが昔言葉を好んでいる影響を受けてきたからだろう。 ともあれ、オレは書かれてある通りにインターホンのボタンを押した。 ピンポーン、とお決まりの音が何度か反響し、やがて消える。 「…………」 待てども待てども、返事は来ない。 ……留守か? そう思ったけど、それなら留守にしてる旨の看板を出すとかするだろう。 よくよく見てみれば、ジムと住宅を兼ねているだけあって、敷地はかなり広そうだ。 ここに来るのに、結構回り道させられたのは……そのせいなんだろう。 ベルの音が敷地の隅々にまで行き届いていないんだろうか。 昼寝をするにはまだ早い時間帯なんだけども…… なんていろいろと想像を膨らませながら時間をつぶすものの、返事が来る気配すらない。 白い石畳の道が玄関まで一直線に続いている。 横開きの戸を左右に開いてジムリーダーが登場か、なんて想像をしてみたけど、それが現実にならない。 ……何気に、もう何分か経ってたりするんですけど。 ジムリーダーさん、お留守ですか〜? 胸中で勝手なアナウンスがこれ見よがしに流れてたり。 もしかして、ジムリーダーは戸の向こうで倒れてたりするんだろうか? いつかどこかのポケモンセンターでジョーイさんが熱を出して倒れた、なんてことがあったけど、それと同じことが起こってたりするんだろうか? それにしては、なんでこんなに静かなんだろう。 どこかで小川が流れているようで、チョロチョロという水音が聞こえてくる。 日本庭園でも敷地の中にはあるんだろうか? 言うまでもなくオレはここにジム戦をしにやってきたんだ。 なのに、誰も応対しないなんて…… 何かあったと考えるのが自然なのかもしれない。 暫し御待ちを――ってメッセージがあったけど、それをいちいち鵜呑みにして重大な何かを見逃したんじゃ、それこそ本末転倒じゃないか。 自分を奮い立たせ、オレは石畳の道に足を踏み入れた。 インターホンでダメなら、戸を開けて直訴するしかない。 そう思った矢先だった。 カチッ。 小さな音と共に足元に石畳とは違う感触をかすかに覚え、オレは立ち止まった。 次の瞬間…… ひゅっ!! 目の前を細長い何かがすごいスピードで右から左へ通り過ぎて行った。 「……今の一体なんだ!?」 恐る恐る左に目をやると、一本の木の幹に、細長いものが突き刺さっていた。 「矢ぁ!?」 オレは思わず叫んでいた。 ……どう見ても矢だった。 オレの目の前を、鼻先を掠めるかのような至近距離で、すごいスピードで矢が通り過ぎて行ったんだ。 幹に突き刺さっているのを見ると、鏃(やじり)は鉄か鉛でできてるんだろう。 ……って、思いっきり殺傷能力あるんですけど!! オレはいきなりの歓迎(?)に、ただただ立ち尽くすばかりだった。 心なしか膝がガクガク震えてたり…… 顔があと十センチ、いや五センチでも前にあったら、思いっきり突き刺さってたんですけど!! これって一体何がどうなってるんだか。 いきなり矢が飛んでくるなんて、どう考えても尋常じゃない。 矢が飛んできた方に顔を向けてみたけど、どこにも異常は見当たらない。 剪定された茂みと、鮮やかな葉をつけた木がそこにあるばかり。 でも、どこからかちゃんと発射されたんだよな。 小洒落たメッセージが残されてた意味を、身体で理解することになるとは。 うれしくなんかないけど…… しっかし、このまま先へ進んでもいいものだろうか? ここから玄関までの距離は、五メートル弱。 一歩踏み出したらまた矢が飛んできました、とかっていう展開になったりしないだろうか? なんとなく踏み出すのが怖くて、オレは先へ進むことも、引き返すこともできずにいた。 あんなのが顔とか首とかに当たったら、絶対に死ぬって!! ルースを助けるのに海に落ちちゃった時よりも絶対に怖いよな。 あの時は使命感みたいなもので身体も心も奮い立ってたから、そんなに怖いとは思ってなかったんだけど。 あー、なんかとんでもないトコに来ちゃったかも…… わずかばかりの後悔を覚えた時だった。 「あれ? あんたそんなところで何やってんの?」 聞き覚えのない声に、オレは振り返った。 買い物籠を両手に持った少女が門柱にもたれかかっていた。 年の頃は十代後半といったところか。物腰こそ大人びて見えるものの、顔立ちは幼さを多分に残している。 化粧らしい化粧はしてないけど、すっぴんというわけではないんだろう、結構美人に見える。 一昔前のファッションに身を包んでるけど、大人びた物腰とマッチして、時代遅れと感じさせない不思議な雰囲気をまとっている。 黒髪の少女は呆れたような顔でオレをじっと見ていた。 彼女の目にオレはどう映っているんだろうかと、想像してみた。 十中八九、オマヌケな泥棒って感じなんだろうな……ぜんぜん面白味のない想像だった。 「待ってろって書いてあるのに、わざわざ踏み込んだんだ。あんた、意外とせっかちなんだねえ」 「って、ここの人?」 「うん。そうだよ」 オレが古風の家を指差すと、少女は事も無げに頷いた。 買い物にでも行ってきたんだろう、両手に持った買い物籠からは大根の葉っぱやフランスパンが飛び出している。 すっげぇミスマッチな取り合わせだけど、そんなことを口にしたってどうしようもない。 「あのさ……オレ、ジム戦に来たんだけど。ジムリーダーは……?」 オレはしどろもどろになりながらも、用件を伝えた。 少女がジムの関係者なら、ジム戦と言えば理解してくれるだろう。 そう思ったんだけど…… 「そっかぁ。あんた、挑戦者だったんだねぇ」 何が楽しいのか、少女はクスクスと小さく笑った。 マヌケな挑戦者だって思ってるんだろう……せっかちだって。 「あたしゃてっきり、オマヌケな泥棒だって思ってたよ。あはははは」 ついには腹を抱えて大爆笑。 やっぱり、泥棒だって思ってたんだ……大笑いされ、オレは思わずへこんでしまった。 見ず知らずの人間にせっかちだと言われ、オマヌケな泥棒だと言われ、ついには笑われるなんて。 万が一オレがオーキド博士の孫だなんて知れたら、それこそ今以上に大爆笑するのは目に見えてる。 もちろん、全然笑えないんだけど。 「あんたみたいに不用意に中に踏み込んで矢の洗礼を浴びる人っているんだよね。 でも、あんたのような反応を見せたのって初めてだよ。 いいねぇ、気に入った」 「…………」 何か満足したようで、少女は得意気な笑みを浮かべ、何度も頷く。 あの、一体何様? 唖然としていると、少女は買い物籠からなぜか大根を取り出し、なぜかその先端をオレに突きつけて、堂々と宣言した。 「あたしがここのジムリーダー、アンズ様さ」 でも、一瞬冗談かと思って……ジムリーダー? 少女の顔にこそ笑みは浮かんでいるが、目だけは本気で笑ってない。 「あんたがジムリーダー!?」 「そうだよ。そうは見えないでしょ」 思わず素っ頓狂な声を上げて人差し指を向けてしまったけど、少女――アンズは全然気にしていないようだった 大らかっていうか、なんていうか…… 「でも、ホントのことなんだよね、これが。 勇敢でいて無謀な挑戦者であるあんたに敬意を表して、教えてあげるね」 褒めてるんだかバカにしてるんだか分かんないような言い方で言葉を放つと、アンズはおもむろに石畳へと足を踏み出した。 ……ってヲイ待て。 「ちょっと待った」 「なに?」 オレの声に、アンズが足を止める。 ちょうど石畳に一歩目が踏み出されたところだった。 「矢が飛んでくるんじゃなかったのか?」 「それを教えてあげようと思ってたんだよ。やっぱりせっかちだね。 嫌いじゃないけど、賢いとは言えないだろうね」 また矢が飛んできて、今度は本気で首あたりに突き刺さるんじゃないかと思って怖くなり、オレは彼女を止めたんだけど。 やっぱり、彼女の言うとおり、オレってせっかちなんだろうか。 言葉を最後までちゃんと聞いてなかった。 飛んでくる矢の恐怖に耐え切れず、先走ってしまった。 ああ、オレって一体どうなってんだろ? ジム戦の前だってのに、いきなり調子狂わされてるぞ。 マーブル模様の心を懐くオレを嘲笑うかのように、アンズは笑みをそのままに、何事もなかったかのように歩を進めた。 一歩、二歩、三歩…… 矢が飛んでくるんじゃないかと、オレは気が気じゃなかった。 周囲を見渡し、少しでも矢が飛んでくる兆候を見つけようと必死になってたけど、 「自分ん家の罠に引っかかるバカはいないでしょ、普通」 アンズの言葉に振り返ると、彼女は玄関の前にいた。 ……って、罠? 唖然としているオレに見せ付けるように肩をすくめ、アンズは矢が飛んできた方を指差した。 釣られるように顔を向けた。 でも、茂みや木があるだけで、矢の発射装置(カタパルト)があるようには見えないんだけど…… 「あの茂みの中にボウガンが仕込んであってね。 今あんたが踏んでる場所には、石に似せた感触のスイッチが埋め込まれてあるのよ。 それを踏むと、地下に張り巡らせたカラクリが作動して、ボウガンから矢が発射されるってワケ。 泥棒避けの罠だよ」 うえぇ…… アンズの言葉に、オレは仰天した。 空の青さがこんなにきれいに見えるなんて、本気で思ってもなかったよ。 あとちょっとで頭射貫かれてたのかと思うと、生きることの素晴らしさをこんな歳で実感してしまう。 「もちろんあたしはどこにスイッチがあるのか知ってるから、引っかかるなんてことはないんだけど。 あと、あそこでちゃんと待てって書いてあるのは、あたしがこの罠を解除する時間をくれってことなのよ」 「そういうことだったら、ちゃんと事情説明までしてくれればいいのに……」 半ばヤケになって漏らした一言に、アンズは眉を上下させた。 「あのねえ、それじゃあなんのために罠張ってるんだか分かんないじゃない。 おとなしく待ってないあんたが悪い」 呆れたように――でも、語尾はやたらと強くて、それでいて非難めいていた。 被告人の悪事を糾弾する検察官のように聞こえたぞ。 そこまで言われると、オレとしても返す言葉が見当たらない。 まあ、確かに『暫し御待ちを』っていうメッセージを蔑ろにして、 矢を発射するという罠が牙を剥いてる場所に足を踏み入れたオレが悪いのは当然なんだけど…… いくらなんでも、そんな罠まで張ることないだろ。 運が悪けりゃ死ぬっての。 いくら泥棒でも、侵入する前に矢に射貫かれるなんて、因果応報もここまで来ると割に合わないだろうなあ。 「あのさ……ほかに罠ってあるのか?」 「そりゃあ、ジャンジャン作ってるわ。 今の泥棒って警備会社の警備だって易々と突破してくるって話じゃない。 アルセーヌ・ルパンも顔負けね」 恐る恐る訊ねてみると、アンズは胸を張って自信たっぷりに豪語した。 本気かよ…… もう何も言う気がしない。 家に入ったら、今度は床が抜けて、穴の中にビッシリと針が突き立っていたりとか。 ピラニア入りの水槽につながってたりとか……するのかもしれない。 深く突っ込んだことを訊くと、ドツボにはまるような気がしたんで、これ以上は何も言わなかった。 「で、あんたジム戦しに来たんだよね」 「ああ……なんだか思いっきり話が脇道に逸れちまったけど」 「じゃあ、少し右に移動して」 「……?」 噛み合わない返答をされ、オレは言葉の意味を図りかねた。 ジム戦しに来たってのはいいけど、罠にはまるわ笑われるわ自慢されるわと、本題に入る前に思いっきり疲れちまったよ。 今日はもう帰ろうかなあ…… なんて思っていると、アンズの言葉が飛んできた。 「このまま真っすぐ前に進んだって、三回くらいは矢が飛んでくるわよ。 頭とか足を刺されたくなかったら、あたしの言うとおりにしなさい」 「わ、分かったよ」 アンズはどうやら、オレをジム戦のバトルフィールドへ案内してくれるようだ。 言われたとおり、ちょっとだけ右に移動する。 「そうそう、そんな感じね。そこから右斜め前に一歩」 「ああ」 「次に前に一歩」 「こうか?」 「そうそう、そこからは斜め四十五度に進めば大丈夫」 言われたとおりに足を踏み出す。 一歩ごとに立ち止まり、方向を確認しながら慎重に進んでいく。 一歩間違えれば矢が飛んでくるんだ。 アンズの口ぶりからすると、スイッチはたくさん仕掛けられていて、石畳の両脇に広がる青々とした芝生にも同じような仕掛けが施されているようだ。 これじゃあ、普通に庭を歩くことすら危なっかしくて仕方ない気がするんだけどな。 まあ、その時はその時で、ちゃんと仕掛けを解除してから出歩くんだろうけど。 少なくともオレにはマネできないな。 いくらなんでもおっかなすぎだろ。 外出する時なんか、ついうっかり解除し忘れて、スキップしてたらいきなり矢が飛んできました、じゃあな。 そう思うとゾッとする。 人間、ついうっかりというケアレスミスにはどうにも疎いからなあ……切り離そうにも切り離せないんだ。 コインの裏と表みたいに。生きてりゃ誰だって失敗する。 大なり小なり差異はあっても、失敗すると言う共通項がある。 なんてウンチクめいたことを考えながら進むうち、オレは無事玄関の前にたどり着くことができた。 「あー、死ぬかと思ったぁ……」 ホッと胸を撫で下ろすと、思わず身体の力が抜けて、戸にもたれかかった。 いくらなんでもシビアすぎだ……これは。 「あたしのアドバイスがなかったら、たぶん死んでたわね。 こういうケースってホント珍しいから、見ていて新鮮だったわ」 「新鮮か……オレは海鮮スープの具じゃねえんだけど」 「うふふふ」 何を勘違いしているのかサッパリ分かんないアンズの言葉を返すオレも、何を言ってるんだか自分でも全然分かんない。 危うく死にそうになったってのに、それを笑い話に変えるか、普通? あくまでも他人だってことで、真剣に考えてないんだろ。 あまつさえ、その原因が泥棒避けの罠だって言うんだから、普通反省なんかしない。 待たないヤツが悪いって言い切られてしまえば、それだけでこっちの敗北が決定するんだから。 刑事的にも、不法侵入と言われてしまえばそれまでだ。 「んじゃ、バトルフィールドに案内したげるわ。ついといで」 「はいはい」 アンズはニコニコしながら言い放つと、戸を開いて中へ入っていった。 オレは数歩遅れてその後をついていく。 玄関を抜けた先は廊下になっていて、靴を脱がなくても進むことができた。 文字通り石畳の廊下で、左右には灰色の無機質な壁があるばかり。バトルフィールドに直通している入り口のようだ。 暗い色調(トーン)の廊下に、妙な圧迫感を覚え、オレは気持ちを切り替えるべく口を開いた。 「カギ、かけてないのか?」 「カギ? かけてないわよ」 「あーゆー罠を張ってれば大丈夫だって、枕を高くして寝てるってワケじゃないんだろ?」 「あたしのポケモンが番犬代わりに庭にいるからね。 言っとくけど、あたしはジムリーダーだからねえ……プライベートのポケモンには自信あるのよ」 「そういうことか。だったらあんな罠張らなくてもいいだろ」 「その方が楽しいからね」 「ああ、そう……」 全然噛み合ってない気がするぞ、この会話。 矢が飛んでくるなんていう凶悪な罠を仕掛けるような用心深さを見せておきながら、玄関のカギはかかっていない。 番犬代わりのポケモンがいるのなら――それも自信たっぷりに言うような強いポケモンならなおさらだ――、 凶悪な罠なんぞ張らなくてもいい気がするんだけどな。 思いっきり矛盾しまくってて、矛盾しないって思える方がすごいってくらいの発言だったぞ、何気に。 泥棒が入り込もうとして、矢が飛んでくる罠や番犬代わりのポケモンに四苦八苦するのを眺めて楽しんでるって感じだよな。 いや……間違いないッ。 こいつはそういう陰険な性格に違いないッ。 こういうタイプのジムリーダーは初めてだよな……何気に小悪魔なのって。 「弁明ってワケじゃないんだけど、一応言っとくわ。 あの罠を張ったのはあたしじゃない。あたしのお父さんよ」 「…………どっちも大差ない気がするぞ」 「ま、そうだよね。 お父さんもあたしと似た考え持ってたし。自分で言うのもなんだけど、差を考えるのって詮無いことよね」 自分で言っといて笑うか? ことごとくオレの調子を狂わせてくるな。 これが計算づくなのかまでは判断がつかないけど……ナミのような『脳みそお花畑』と違うことくらいは分かるつもりだ。 となれば、前者の方が可能性高いってことか? あー、頭がこんがらがってくる……どうにも消えないモヤッとした気持ちを持て余しているうちに、突然視界が拓けた。 少々長めの廊下を抜けた先は、スタジアムのように拓けていた。 しかし観客席があるというわけではなく、代わりに周囲を長屋のような建物がぐるりと取り囲んでいる。 芝生が敷き詰められていて、バトルコートが描かれているようには思えないんだけど……ここがバトルフィールドか? 訊ねようとした矢先、オレの気持ちを読んでいたかのようにアンズが振り返りざま口を開いた。 「ようこそ、セキチクジムへ」 なんて、さっきと全然雰囲気違うんですけど。 胸中でツッコミの声が上がったが、それが口を突いて出ることはなかった。 何考えてるか全然分かんないような少女の表情は影を潜め、細めた目と引き締まった表情は、まさにジムリーダーのものだった。 さっきのは普段の顔か……ジム戦になると、こうまで変わるんだ。 カスミやエリカさんは表裏なかったから違和感なかったけど。 それに、よくよく考えれば、ジムリーダーの普段の顔とジム戦で見せる顔の違いなんて、普通のトレーナーは分かんないよな。 「一応ここがバトルフィールドよ」 アンズは周囲を見渡した。 建物に囲まれた芝生のフィールドが、セキチクジムでのジム戦が行われるバトルフィールドか。 明確な境界線(ライン)が描かれていないところを見ると、ポジションは自由ってことか。 ジムリーダーと挑戦者が相対する形に変更がないのなら、境界線があろうとなかろうと、大差ないってことなんだろう。 「スポットにつく前に、ルールを説明させてもらうわね」 アンズはジム戦を行うというのに買い物籠を両手に持ったままだった。 まさか、買い物籠の中に仕込んでるんだろうか……思っていると、ルール説明が始まった。 「あたしもあんたも三体のポケモンを使ったシングルバトル。 形式は入れ替えだから、先に二勝した方が勝利を収めるのよ。 それぞれのバトルでは時間無制限、どちらかの戦闘不能か降参までバトルは続行。質問は?」 「ない」 首を横に振ってみたけれど、入れ替え形式のシングルバトルっていうのは初めてだ。 ちょっとだけ戸惑ってしまった。 ちなみに、入れ替え形式というのは、どっちかのポケモンが一体戦闘不能になった時に、 戦闘不能になった側のトレーナーだけでなく、相手もポケモンを戻す形式なんだ。 もちろん、勝ち星は相手側に与えられる。 三体で行われるシングルバトルなら、先に二勝した方が勝者ということになる。 今までやってきた勝ち抜き形式だと、後々の展開も考えて、 ポケモンの力をムダに消費しないようにいろいろと考えながら戦わなきゃいけない。 だけど、入れ替え方式の場合は、相手のポケモンさえ戦闘不能にすればいいから、最初からフルパワーで戦うことができる。 そういった意味では、ごまかしの効かない形式と言える。 オレのポケモンはみんな長期戦に向いていない。 この形式なら、最初から火炎放射とかアイアンテールとか、大技を連発できる。 短期決戦型にシフトできるってことだ。 「オッケー、それならあんたの名前、聞かせてもらいましょうか」 「アカツキ。マサラタウンのアカツキだ」 「うんうん。いい名前だねえ。 それじゃ、ちょちょいと終わらせちゃいましょうね」 アンズはその場に買い物籠を置くと、胸の前で両手を合わせ―― 「むんっ!!」 気合と共に言葉を放つと、彼女の足元から煙が吹き上げた!! 「な……」 一体何が起こったんだ? オレは事態についていけず、ただ呆然と煙に包まれるアンズを見つめるしかなかった。 火災報知器の誤動作かと思ったけど、それが違っていたことはすぐに証明された。 煙は程なく消え…… 姿を現したアンズは、さっきまでの服装とはうって変わって、口を覆面で隠し、鮮やかな青に染め上げられた衣服をまとっていた。 それこそ、アニメに出てくるような忍者のような格好だ。 もしかして、これってコスプレ? いや、だって……いかにも忍者らしい仕掛けじゃん。 煙で姿を隠したかと思ったら、ものの数秒で早着替えをして見せて。 「ふふん、驚いた?」 アンズは目をさらに細めた。笑みを浮かべているようだけど、口元が見えないんでよく分かんない。 「マジックか何かとか?」 「なんでそういう発想に行くのよ!! 違う違う!! 忍術よ!!」 「…………」 ごく当たり前な指摘に、アンズの眉根が音もなく吊り上がった。 忍術って……猛烈な口調で反論してきたけど、いくらなんでも無理があるでしょ。 今時そういう言い方は流行んないって。 マジックっていうカッコイイな言葉で飾った方が万人受けするような気がするぞ。 「このジムは元々忍者屋敷だったのよ。侵入者避けの罠は、それが基になっているの。 ここまで言えばもう分かるでしょ!? あたしは忍者の子孫だったりするわけ!!」 「えっと……それとジム戦とどういう関係が? 特にそのコスプレ衣装みたいなのは?」 「だから!! これはれっきとした忍者の正装!! ……って、あたしはお父さんから教わったんだけど」 なんか、最後の方は自信なさそうだ。 確かに、昔は忍者なんて呼ばれてた人たちがいて、敵の偵察だとか闇討ちだとかっていう、裏の仕事を粛々とこなしてたらしい。 時代が移り変わるにつれて、そういった人たちは姿を消していったと言われているけれど…… まあ、子孫ってのはいてもおかしくないよな。 子孫を残していく中で、彼らの考えや価値観が引き継がれていったとしても、別に不思議じゃない。 ……って、何気に歴史が絡んでたりするわけ? ジム戦の前だってのに、どぉも今日はややこしいことに巻き込まれてるな。 アンズの服装は、当時の忍者を模したものらしいんだけど、ジム戦ではこういう服を着ろ、という規定があるわけじゃない。 むしろどんな服装でも構わないんだけど、いくらなんでもこれは初めてだ。 迷彩服だったり身体にピッタリフィットしたスーツだったり着物だったり…… なんか違うけどそれなりにワビサビみたいなものを感じられた今までとは違って、忍者だなんて。 ジムリーダーって普通の人とは違うんだなあって、こういうところからも思い知らされるよ。 「まあ、今はせいぜい勝ち誇っていなさいよ。 バトルに入ったら、すぐに伸してあげるからさ……さあ、やるわよ!!」 「おう!!」 オレとアンズはスポットについた。 場所を示すラインがなかったんで、いつもの感覚で、フィールドの端の方に陣取る。 反対側の同じ位置には忍者の正装のアンズ。 「審判はいらないわね。それじゃ、あたしの一番手!!」 アンズは一方的に言い放つと、腰のモンスターボールを手に取り、真上に投げた。 一体どんなポケモンが出てくる……? タイプによっては、戦い方をガラリと変えなければならない。 どんなタイプが出てきてもそれなりにオールラウンドに戦える戦術は用意しているけど…… アンズの一番手は……? 真上に投げられたボールは最高点に達したところで口を開き、ポケモンを放出した!! 「ベトベターか……」 飛び出してきたポケモンは、見るからに毒々しい紫の身体をしていた。紫のジェルに目と口と手がついたような見た目だ。 ベトベター……ヘドロポケモンという分類をされていて、見た目どおり毒タイプのポケモンだ。 工場が流す廃液とか、ヘドロだとか、汚いものを好むポケモンだって言われてる。 月からのX線を浴びたヘドロが変化したとも言われてるけど、分かっているのは汚いものが好きな毒ポケモンだってことだ。 弱点を突くなら、地面タイプかエスパータイプがベストだな。 となれば、一番手は確定。 オレはモンスターボールを引っつかみ、投げ入れた。 「リンリ、行くぜ!!」 一番手はリンリだ。 フィールドに飛び出したリンリは、相変わらず無言だった。 だけど、視線は波打つような仕草を見せるベトベターにじっと向けられていた。 静かな闘志……みたいなものを背中越しにひしひしと感じるよ。 リンリはやる気いっぱいのようだ。 「なるほど、地面タイプね。 まあ、相性いいポケモンで攻めるのはセオリーよね」 相性的に不利な相手が出てきても、アンズはまったく動じていなかった。 そんなことは日常茶飯事だっていう顔をしてる。 地面タイプの技は、毒タイプのポケモンに効果抜群。毒タイプの技は、地面タイプのポケモンには効果が薄い。 攻撃面、防御面共に有利なリンリで、相手の出方を窺うことにするか。 とはいえ、一戦ごとにポケモンの入れ替えが行われるバトルでは、一気に相手を倒す方がベターだな。 リンリが使えそうな技を頭にいくつか思い浮かべる。 手に持った骨を武器にしたリンリは、意外と多くの技を使えるんだ。 「んじゃ、どこからでもかかってらっしゃい」 「お言葉に甘えて……」 あくまで余裕と言う態度を崩さないアンズ。 なら、一気に攻め込んで気合を削いでやるまでだ。 「リンリ、骨棍棒!!」 オレの指示に、リンリは無言で駆け出した。 バトルは初めてだけど、リンリは普通のカラカラよりはずっと『できる』はずだ。 物静かなのは何気に自信のあらわれに違いない。 『能ある鷹は爪を隠す』っていうことわざだってあるくらいだ、間違いない。 オレの推測は見事に的中していた。 「うわ、何気にあんたのカラカラ素早いね!!」 アンズが声を上げてしまうほど、リンリは足が速かったんだ。 50m競争したら、オレが負けてしまうくらいの足の速さだ。 無論、普通のカラカラならオレよりも足が遅い。 さささっ、と草を踏みしめながらベトベターに駆け寄ると、リンリは手に持った棍棒を振り上げた!! 「ベトベター、ヘドロ爆弾」 振り下ろすまでのわずか一瞬の隙を突いて、ベトベターが口からヘドロの塊を吐き出した!! ぼむっ!! 至近距離からのヘドロ爆弾はリンリに命中すると、周囲にヘドロをぶち撒けた!! 効果が薄いって言っても、ノーダメージってワケじゃない。 それに、ヘドロ爆弾は相手を毒状態にする効果も秘めている。毒タイプの技に強いリンリなら、その可能性は低いけど…… 白い骨のヘルメットが、ヘドロの紫に染まる。 せっかくのアクセサリーが台無しになってしまったけど、リンリの瞳は相変わらず静かな闘志を湛えていた。 何事もなかったかのようにベトベターを睨みつけると、骨を振り下ろす!! ごっ、ごごごごごごっ!! 一度のみならず、ヘドロ爆弾のお返しだと言わんばかりに、何度も何度も殴りつける!! ……な、何気に怒ってるんだな。 ヘルメットを汚されたことか、それとも痛い思いをしたことか。 どっちにしても、リンリの怒りのボルテージはかなり高まっている。 「や、やるわね……!! ベトベター、影分身!!」 骨で何度も殴られているベトベターに指示を下すアンズ。 今の今まで驚いてたみたいだけど……普通のカラカラと『違ってた』からだろう。 でも、ここからが本番のはず。 ベトベターは骨棍棒でかなりのダメージを受けているけれど、意外とタフなんだよな。 それほど苦にしている様子は見られない。 アンズの指示を受けて、ベトベターが影分身を発動する。 音もなく左右にベトベターが現れ、リンリを八方から取り囲んだ!! 影分身で来るか。 ベトベターは、お世辞にも素早いポケモンとは言えない。 その素早さを補うように、影分身で回避率を上げるとは……さすがはジムリーダー。 それらしからぬ部分があるのは否めないけど。 リンリは首を左右に振って、突然増えたベトベターを見つめているけど、手を出そうとはしない。怒りが収まったんだろうか…… そう思っていると、 「ベトベター、火炎放射!!」 「なにぃ!?」 思わぬ指示を耳にして、オレはビックリ仰天した。 毒タイプのベトベターが火炎放射を覚えるのか!? さすがにそういうことまでは知らなかったんで、驚くしかない。 でもまさか、ハッタリなんてことは……あるはずもなかった。 ベトベターは口をより大きく開くと、赤い炎を吐き出したんだ。 八方から迫る炎は、瞬く間にリンリを飲み込んでしまった!! 毒タイプの次は炎タイプとは……マルチに戦えるように、様々なタイプの技を覚えてると見るべきだな。 ラッシーを出さなくて正解だった。 必殺のソーラービームコンボを使ってたら、威力の上がった火炎放射を浴びせられていた。 しかし、入れ替えバトルでは、バトルの途中での入れ替えはできない。 勝ち抜きバトルなら、ここでラズリーにチェンジするところだ。 もらい火で威力の上がった火炎放射やらオーバーヒートやらで一気にフィニッシュを決められるんだけど、ないものねだりをしても仕方がない。 ここはリンリで乗り切るしかない。 リンリを取り囲んでいるベトベターは八体。 どれか一体だけがホンモノで、残りはニセモノ。 無論、ニセモノが繰り出す火炎放射もニセモノで、ホンモノの火炎放射だけがリンリにダメージを与えている。 見た目はまったく同じで、目に頼っても見抜けるものじゃない。 日本晴れで陽射しを強くすれば、ニセモノを暴き出すこともできるけど……リンリに日本晴れは使えない。 より窮地に追い込まれるだけだ。 となれば……一つの作戦が思い浮かんだ時だった。 アンズが口の端に笑みを浮かべ、 「ほらほら、どうしたの!? たくさん増えちゃったベトベターの見分けがつかないのかしら? だったら悪いこと言わないわ。降参しなさいよ。これ以上そのカラカラにダメージ与えることもないでしょ」 「バカ言うなよ」 身勝手極まりない言葉を、オレは真っ向から否定した。 ベトベターの火炎放射は、見た目こそそれっぽく見えるけど、威力の方は到底本家に及ばない。 だから、リンリに与えるダメージも、そう大きいものではないはずだ。戦闘不能には到底程遠い。 リンリは黙って火炎放射に耐えてるんだ。 降参するなんて、リンリを裏切るってだけでしかない。だから、冗談じゃない。 「リンリ、ボーンラッシュ!!」 リンリを取り囲んでいるベトベターの中からホンモノを暴き出す方法。 それは、カラカラとガラガラだけが使える技、ボーンラッシュだ。 炎の赤から、リンリのヘルメットが少し覗いたと思った瞬間。 ごごごおっ!! リンリの周囲の地面から土砂が猛烈な勢いで噴き上げられた!! 「なっ……なに!?」 轟音と共に噴き上げられる土砂を見て驚くアンズ。 ジムリーダーなのに、これくらいのことで驚くなんて……もしかして経験浅いのか? ま、そんなことはどうでもよろしい。 肝心なのは、リンリが手に持った骨で地面を何度も叩きまくって、小石と共に土砂を噴き上げてるってことだ。 ボーンラッシュ……骨を使って周囲に攻撃を繰り出す技だ。 分類上は地面タイプに属してるんで、ホンモノのベトベターに当たれば、かなりのダメージが期待できる。 噴き上げる土砂が、ニセモノのベトベターを音もなく貫く!! 貫かれたベトベターは霧のように消えてなくなった。 一体、また一体と非常に短い間隔で消えていき、最後に残ったのは…… 「右だ!!」 オレが叫ぶが早いか、リンリは残ったベトベターに向き直った。 炎を浴びて、身体も少し焦がしているけど、その目に宿った闘志はその程度で燃え尽きることはない。 むしろボルテージはますます上がってるように思える。 「骨ブーメラン!!」 リンリは骨を振りかぶると、思い切り投げ放った!! 「避けるのよベトベター!!」 アンズは檄を飛ばすけど、それが届くよりも早く、リンリが投げた骨がベトベターを直撃した!! 真正面から攻撃を受けて仰け反るベトベター。 骨は仰け反ったベトベターの頭上を通り過ぎ、遥か後方へ飛んでいってしまった。 「今がチャンス!! ヘドロ爆弾!!」 リンリの手から骨がなくなった今なら、攻撃の手立てはないと踏んだんだろう。 アンズは息巻いて攻撃を指示した。 ベトベターはダメージを受けながらも怯んだ様子を見せず、口から再びヘドロ爆弾を発射した!! 「リンリ、避わせ!!」 ひょいっ。 間一髪、ヘドロ爆弾は飛び退いたリンリの脇を掠め、すぐ傍の地面に着弾した!! またしてもヘドロが撒き散らされる。 リンリにもちょっとだけかかったけど、これくらいならダメージらしいダメージにもならないだろう。 「いくら避けたって同じよ!! 攻撃手段がなけれ……ばぁっ!?」 アンズの言葉は最後まで続かなかった。 ひゅるるるるる…… そんな音を立てて、リンリの投げた骨が戻ってきたからだ。 「ベトベター、後ろよ!! 後ろから攻撃が来るわ!!」 ベトベターが振り返った――その時だった。 ごっ!! またしても真正面から攻撃を食らい、たまらずダウンするベトベター。 ブーメランのように、骨は再びリンリの手に戻った。 骨ブーメランとは、骨をブーメランのように飛ばして、相手を二度攻撃する技だ。 もちろん相手の立ち位置によっては二度攻撃しないこともあるけど、そもそも骨を投げるには、それ相応の技量が要求される。 リンリはそれを難なくクリアしていたんだ。 さすが……って、バトルでなければ抱きしめてでも誉めてやるところなんだけどな。 水たまりのような形になるベトベター。 骨棍棒にボーンラッシュ、さらに骨ブーメランによる、地面タイプの総攻撃をまともに受けたんだ。 ダメージはかなりのものになるはず…… 「……ふう。 さすがにこの子じゃキツイかしらね……戻って、ベトベター」 「……?」 これからが本番だと思った矢先、オレの予想を裏切って、アンズは水たまりのようになったベトベターをモンスターボールに戻した。 戦闘不能になるほどのダメージとは思えないんだけど…… アンズにはアンズなりの判断の基準というか、そういうものがあるんだろう。 少なくとも、ベトベターはもう戦えないという風に受け取ったに違いない。 自分のポケモンのコンディションを常にチェックするのも、ポケモントレーナーとして大切なことだ。 「一回戦はあんたの勝ちよ。そのカラカラをモンスターボールに戻して」 「ああ……」 何か企んでるな……そう思いながらも、オレはモンスターボールを掲げ、 「リンリ、お疲れさん、ゆっくり休んでてくれ」 労いの言葉をかけ、リンリを戻した。 冷静な性格とは思えないほどの戦いっぷりに、思いっきり圧倒されたよ。 やっぱ、やる時はやるんだなあ…… ルースと一番に仲良くなったり、ハルカのサーナイトとも、あっさりと打ち解けることができた。 顔が広いというか、すぐに仲良くなるということが得意なんだろう。 さて、白星スタートを切れたのはいいとして、問題はアンズの発したセリフだ。 アンズはベトベターのモンスターボールを腰に戻すと、次のポケモンが入ったボールを手にとって、じっと眺めている。 何か思うところがあるんだろうか……? アンズは、この子じゃキツイと言っていた。 となると、これからはジム戦で使う最強のポケモンが二体連続で出てくるってことだ。 毒タイプのポケモンといえば、ベトベターの進化形のベトベトン。 ドガースに、進化形のマタドガス、ズバットに、進化形のゴルバットとクロバット。 モルフォンやアリアドスなど、毒タイプのポケモンは意外とたくさんいたりする。 相性的に有利なリンリを出せないというのは、正直痛いところだ。 アンズはそれを見越して、一番手にベトベターを据えて、わざとオレを勝たせたか。 ……なんて、穿った見方までしてしまうよ。 とはいえ、次で勝てば、三回戦を待たずしてオレの勝利は確定する。 ここでルースかラズリーを出して一気に決めるのが最善の方法だろう。 無論アンズには後がないから、ここで最強のポケモンを出してくるのは間違いない。 となると、次は…… 「それじゃあ、あたしの二番手を見せてあげるわ。アリアドス、行くわよっ!!」 アリアドスで来るか…… アンズが投げ放ったモンスターボールから飛び出してきたのは、大きいクモのようなポケモンだった。 オレンジと黒の縞模様が特徴のポケモンで、紫と黄色に色分けされた六本の脚を生やしている。 大きさはオレの腰ほどだろうか。脚を広げれば、もっと大きく見えるだろう。 見た目からして「私、毒持ってます♪」と言わんばかりで、紫に濁ったように見える目は何気に不気味な雰囲気を放っている。 あんまり素早いとは言えないポケモンだけど、アンズが何か企んでいるのは間違いない。 なら、スピードに優れていて、なおかつ相性抜群のポケモンで相手をすればいい。 「ラズリー、君に決めたぜ!!」 オレは迷うことなくラズリーを出した。 「ブーっ……」 ラズリーは飛び出してくるなり脚を肩幅に広げ、威嚇するように低い声を上げるとアリアドスを睨みつけた。 「相性が有利なポケモンを出してきたわね……まあ、いいわ。 アリアドス、糸を吐くのよ!!」 糸を吐く……? いくら丈夫な糸でも、炎で焼いちゃえばそれまでだ。 先制攻撃はアンズに譲った。 糸を吐いている間は、アリアドスは思い通りに動けないはず。 アリアドスは口を開いて、白い線のように束ねられた糸を吐き出した!! 勢いよく吐き出された糸は矢のような勢いでラズリーに向かう!! なかなかスピードはあるな…… 「ラズリー、避けて火炎放射!!」 避けられないスピードじゃない。 ならば、ここは回避からの攻撃で行く。 ラズリーは軽いフットワークで糸を避けると、アリアドス目がけて炎を吐き出した!! まともに食らえば、それだけで大ダメージのはずだ。 でも、そう簡単に食らってくれるはずもなかった。 「アリアドス、穴を掘って逃げちゃいなさい」 アリアドスは目にも留まらぬスピードで六本の脚を動かし、地面を掻き始めた。 土が掻き出され、その身体がどんどん沈んでいく。 そして程なくアリアドスは地面の中に消え、先ほどまでいた場所を炎が虚しく貫く。 穴を掘って逃げたか…… ここは追いかけて、逃げ場のない地中で火炎放射を叩き込むという乱暴な手段もあるけど、罠を張っていると見るべきだろう。 アンズが何をするつもりかは知らないけど、地中じゃ大したことはできないはずだ。 穴を掘って出てきたところで、アリアドス自体の攻撃力は低い。 むしろラズリーの火炎放射で返り討ちだ。 「ふふふ……攻撃しないの? 穴の中に入れば簡単よ?」 「さあね……」 アンズの安っぽい挑発を鼻で笑い飛ばす。 やっぱり罠張ってやがるな……どこか不気味な薄い笑みが如実に物語っている。 挑発に引っかかったら最後、穴の中に張り巡らせた罠で大ダメージだと。 なら、ここは待っていよう。 「ラズリー、影分身!!」 ただ待つだけじゃない。 相手が何をしようと、回避率を上げておけば、命中する可能性は少ない。 オレの指示に、ラズリーがその姿を幾重にも周囲に展開する。 その数十体。 本体を入れると十一体になる。 「……なるほど。準備は万端ってことね?」 「どうだろうな……」 見え透いた挑発もこれで二度目。 そこまでして引っかからせたいのか? その割にはずいぶんと単調で芸がない。 ジムリーダーともあろう者が、こんな拙い策を弄して何になるっていうんだ? アンズはオレよりも年上で、キャリアもそれなりに積んでいるだろう。 となれば、もっと効果的な挑発の仕方と言うのも知っているだろう。 引っかからせたい……本気でそう思っているのなら、安っぽい言葉でどうにかするとも思えない。 ……もしかして、それこそが罠か? だとしても、アリアドスが何かをする時間を稼ぐことにしかならない。 地中でできることなんて、ごく限られてるんだから。 分かんない……アンズは一体何をしようとしている? 影分身の使用を許すってこと自体、解せない。 「アリアドス、そろそろ頃合よ。やっちゃって」 アンズがおもむろに言った――その瞬間、信じられないことが起きた。 びしっ、びしびしっ!! 広範囲の地面がいきなり陥没したんだ。 「なっ……!!」 アリアドスの仕業か……!? 事態はそれだけで終わらなかった。 陥没した地面に、影分身で数を増やしたラズリーが吸い込まれ――あっという間に一体だけを残して姿を消した。 影分身を使われることを見越して、それを無効にする罠を張っていたか……なるほど、賢いやり方だ。 一体だけ残ったラズリーは何が起こったのか分からずに周囲を見渡した。 そこへ―― ぼんっ!! 穴の側面から糸が飛び出し、ラズリーに巻きついた!! ……アリアドスか!! ラズリーは巻きついた糸を振りほどこうと身体を動かすけど、ますます絡まって身動きが取れなくなる。 アンズはこれを狙ってたんだ……彼女の企みを読めたのはいいとしても、すでに彼女の作戦は発動している。 オレの考えが追いつけなかったら、それで終わりだ。 「ラズリー、炎を吐け!!」 「おっと、そうはさせないよ!!」 身体に巻きついた糸は焼き切ってしまえばいい。 ラズリーが口を開こうとした――その時だ。 別の場所から飛んできた糸がラズリーの口に巻きついた!! 「しまった!!」 「んふふ。 あんたのブースター、攻撃力は強そうだからね……封じさせてもらったわよ。 あと、自慢の炎も、口を塞いじゃえば吐けないでしょ?」 アンズが不敵に笑う。 真の狙いはこれか…… ラズリーの動きを封じるということ。 見えない場所から攻撃されたんじゃ、防ぎようがない。 穴を掘ったのは油断を誘うのと、隙を作り出すという二つの目的があったと見るべきだ。 ラズリーの攻撃力の高さと、炎の威力を警戒して、アンズは先に両方を封じようとしてきたんだ。 確かに、口を塞がれたら炎は吐けないし、糸が身体中に巻きついてる状態じゃ、普段の実力を発揮するのは難しい。 ラズリーはなおももがくけど、ついに身動きが取れなくなって、横倒しに転んでしまった。 まずい……動けないんじゃ、アリアドスのやりたい放題だ。 「アリアドス、出てきていいわよ」 アンズの言葉に応え、アリアドスが地面の下から姿を現し、ゆっくりと、見せ付けるような動きでラズリーの傍まで歩いていった。 「さあ、サックリ料理しちゃいましょうね。アリアドス、サイコキネシス!!」 「エスパータイプの技まで使うのか……」 今のオレにできるのは、ラズリーの全身に巻きついた糸を解く方法を考えることだけだ。 アリアドスの紫の目が妖しく光ると、ラズリーの身体が音もなく宙に浮かび上がった。 二メートルほどの高さまで浮かび上がると、今度は地面に向かって急降下。 派手な音を立てて地面に叩きつけられるラズリー。 「ふふふ……打つ手なし、かしら?」 浮かび上がったかと思ったら急降下という攻撃を繰り返すアリアドス。 防御力の低いラズリーにはかなりのダメージになるけど……どうすればいい? 地面に叩きつけられるたびに、ラズリーはダメージを受ける。 十回も二十回も耐えられるかは分からない。 時間がない……!! オレは奥歯をグッと噛みしめ、どうにかしてこの窮地を脱する術はないかと考えをめぐらせた。 「アリアドス、サイコキネシスを解除。 ナイトヘッドからシグナルビームでグリルして、トドメに破壊光線!!」 アンズの指示で、アリアドスはラズリーを宙に持ち上げたところでサイコキネシスを解除。 続いて目から黒い光線を発射した!! 避けようのないラズリーをまともに直撃する!! さらに口からまだら模様の光線を発射!! 最後に破壊光線がラズリーを吹っ飛ばす!! いずれも威力の高い技ばかりだ。 相性でダメージが軽減されることを考慮しても、これはさすがにキツイ…… しかも、微妙に加減されているせいか、ラズリーの全身を絡め取った糸はまったく解けていない。 破壊光線を受けても解けないほどの丈夫な糸なら、ラズリーの怪力をもってしても振り解けないのも分かるけど…… ラズリーは陸に打ち上げられた魚のようにじたばたするけど、跳ねる以上の動作にはなっていない。 大ピンチだってのに、まだ戦う意志を捨ててないんだ。 オレがここであきらめててどうする? オレの役目は、最後まで頑張るっていう、アバウトだけど根気の要ることのはずだ。 ラズリーの身体で自由に動かせそうなのは、シッポくらいなものだけど…… ん、シッポ? これは、ひょっとすると、ひょっとするのかも…… 「これでキメるわよっ!! アリアドス、ヘドロ爆弾!!」 頭の中に閃いた時、アンズの指示が飛んだ。 口を大きく開き、アリアドスがヘドロが凝縮された爆弾を撃ち出した!! 間に合うか……なんて心配をしてても仕方がない。 「ラズリー、アイアンテールで糸を引きちぎれ!!」 「んんっ!?」 ラズリーはシッポを立てると、躊躇うことなく自らの身体に振り下ろした!! ぶちっ、という耳障りな音がして、全身を包み込んでいた糸が弾け飛んだ!! 「なっ……!? 尻尾を使うとはさすがね。でも、間に合うかしら!?」 ラズリーが自由になる光景を目の当たりにしたアンズは驚きこそしたものの、すぐに強気に戻った。 ヘドロ爆弾がラズリーのすぐ傍にまで迫っていたからだ。 「火炎放射!!」 迷っているだけの時間はない。 一か八かの賭けでもいい。ここは攻撃に打って出る!! ラズリーは立っているだけでやっとのようだったけど、大きく息を吸い込んで、炎を吐くべく口を開き――その瞬間、 どごっ!! ヘドロ爆弾がラズリーに炸裂!! ベトベターのものとはまた違った毒々しい色の液体が周囲に撒き散らされ、ラズリーはそれに塗れてしまった。 元々の威力はかなりのものだから、今のラズリーにはかなり辛いけど……大丈夫か? やっぱり、辛かった。 ラズリーは踏ん張りこそしたものの、すぐに倒れてしまった。 自由になるまでの間に受けたダメージが大きすぎたか…… 「ラズリー、戻れ!!」 オレはラズリーを戻した。 相性が有利だと思って油断した……否定するつもりはないさ。 アリアドスが穴を掘って地中に潜った時、ラズリーに追わせていればすぐに決着をつけられたんだ。 アンズの不敵な挑発に罠があると勝手に思い込んでいただけだった。 アンズは『それっぽい演出』をして、アリアドスを守っていたんだ。 やられたよ、まったく。 言葉こそが罠だったなんて。 「これで一対一。お互いに後がなくなったわ。背水の陣と行きましょう」 アンズが口元に笑みを浮かべる。 確かに、お互いに一勝一敗。次のバトルで雌雄を決することになる。 アンズはここで最強のポケモンを出してくるだろう。 毒タイプなら……虫タイプを併せ持つモルフォンなら、問答無用でルースをぶつければいいけど。 いや、仮に相性が有利だとしても、油断できる相手でないことはアリアドスで実証済み。 「アリアドス。お疲れ様。ゆっくり休んでて」 アンズもアリアドスをモンスターボールに戻した。そして、最後のポケモンの入ったモンスターボールを投げ放つ!! 「それじゃ、最後のポケモンをお披露目しましょ〜か。行くわよっ、モルフォン!!」 モルフォン……虫と毒タイプのポケモン!! アンズが投げ放ったモンスターボールから飛び出してきたのは、紫の毒蛾みたいなポケモンだった。 薄紫の羽を広げれば、オレの身長と同じくらいになるだろうか。 三叉の槍を思わせる触角が額に生えていて、ガラス球のような双眸は虚ろに鈍く輝く。 パタパタと羽を羽ばたかせて宙に浮かんでいる。 モルフォンは見た目どおり毒蛾ポケモンという分類をされている。 羽の鱗粉は猛毒を持っていて、羽ばたくとそれを撒き散らすんだそうだ。 なるべくこの羽に触れないような戦い方が必要になるってことか。 虫タイプのポケモンだけに、炎タイプの技は効果抜群だ。 ならば―― 「ルース、行くぜ!!」 オレはルースのモンスターボールを投げ入れた。 ぽんっ!! ワンバウンドしたところでボールは口を開き、中からルースが飛び出してきた。 「バクぅ……♪」 やっと外に出られたぁ……♪ ルースは緊迫した雰囲気をまるで無視したような声を上げると、窮屈そうに身体を動かした。 だけど、モルフォンの姿を目の当たりにした瞬間、凍りついたかのように動きを止めた。 あ。これはもしかして…… 「バクぅぅぅっ!!」 予想通りの展開になった。 ルースは声を上げると一目散に駆けてきて、オレの後ろに隠れてしまった。 肩に置かれた手が、ブルブル震えている。 うーん、これはアレルギーだ。 それも、とっても重症だな。 そう簡単には治せないだろうけど、ここは辛抱強く接していくしかない。 それが一番の特効薬だろう。そうでも思わなきゃやってられなくなるかも。 「あれ……? どしたの?」 図体がデカいバクフーンが怯えている姿など、想像したこともなかったんだろう。 アンズは唖然とした様子でポツリつぶやいた。 彼女の前をフラフラ飛んでいるモルフォンは素知らぬ顔をしているけど……気にしてないんだろう。 「ルース……」 オレは振り返った。 ルースはうっすら涙目になりながら、オレを見つめている。 ――お願い、僕を戦わせないで。痛いのヤだ。 ……って思ってるのが分かるような表情だった。 うーん…… オレとしてもできればその願いを叶えてやりたいんだけど、いつまでもこのままじゃダメなんだよな。 必要な時に必要な力を出せず、さらなる窮地に陥ってしまうことも考えられる。 だから、酷だろうとなんだろうと、ルースにはバトルを体験してもらわないと…… 勝ち星の一つでも挙げれば、自信がつくだろう。 ハルカのゼクシオと戦った時は不覚にも敗北を喫してしまったけど、今回は大丈夫……なはずだ。 「大丈夫。今回は勝てるって。オレを信じろ!!」 「バクぅ……?」 ――ホントに? 「ホントだって!! 君の力だったら勝てる相手だ!! もっと自分に自信持てよ!! 君は君が思ってるほど弱くも情けなくもみっともなくも臆病でもないんだからさ!!」 もはや自分でも何を言ってるのかよく分からなかったけど…… オレが言いたいのは、ルースにもっと自信を持ってほしいってことなんだ。 自分に自信が持てないから、自分より小さくて弱い相手にでも臆してしまう。 自信を持てば、そういうこともなくなるんだ。 「…………」 じっと見つめ合うオレとルース。 ここで目を逸らしたら負けだ。トレーナー失格だ。 強い意志を持って、オレはルースの目を真っすぐに見つめ続けた。 アンズは何も言わない。 どうでもいいことだと思っているのか、それとも…… 「……バクぅ?」 ――ホントに大丈夫? 疑り深いんだな、意外と。 まあ、ハルカのゼクシオにイジメ倒されたのがトラウマになってるんだろうけど、今回のバトルでそれを振り切ることができるはずだ。 オレは胸を張り、笑顔で言った。 「大丈夫!!」 アバウトな一言。 余計なことを言うから不安になるんであって、ここは単調な言葉一つで安心させるのが一番。 すると、ルースは無言で前に出た。 お、やる気になった? 「バクぅぅっ!!」 ルースは肩幅に脚を広げると、唸り声を上げた。 ぼっ、という音がして、背中から真っ赤な炎が燃え上がった。 やる気だな、これは……オレの一言が効いたんだろうか? 「うーん、やっぱりそれくらいやる気になってくれなきゃダメ×2だね。 オッケー、サックリ片付けちゃうわよ」 アンズは満足げに何度も頷いた。 やる気のあるポケモンと戦うのが楽しいようだ。 まあ、普通はそうだよな。 見るからに怯えていてやる気のカケラもないようなポケモンを倒したって、勝ったっていう実感なんぞ湧かないだろう。 トレーナーのサガってヤツだろうな。 ルースの場合は、あきらめたってことかもしれないけど……動機はともかく、要は結果さ。 今回は絶対に勝つ。 そして、ルースに自信をつけさせてやる。決めたんだ、だから絶対に勝ってやる。 「んじゃ、今回もあたしの先攻!!」 アンズはハエを振り払うような仕草で腕を振るうと、朗々と宣言した。 「モルフォン、銀色の風っ!!」 モルフォンは音もなく数メートル上昇すると、羽を激しく羽ばたかせた!! キラキラと銀色に光る粉が、猛烈な風に乗ってルースに吹き付けてきた!! 銀色の風……虫タイプの技だ。 文字通り銀色の風を吹かせて攻撃するんだ。 見た目は飛行タイプっぽいんだけど、分類上は虫タイプ。 だから、ルースが食らったところでそんなに痛くはない。 他の虫タイプの技なら、ダメージ覚悟で反撃するところだけど、銀色の風となると、話は別である。 「ルース、避けて火炎放射!!」 オレの指示に、ルースはさっと飛び退いた。 鼻先を銀色の風が掠めていったけど、ダメージはほとんどないはずだ。 虚しく虚空を吹き抜ける銀色の風。 銀色の風は、時折虫タイプのポケモンの潜在的な能力を呼び覚まし、あらゆる能力を上昇させる効果がある。 確率的には低いんだけど、何発も連続で使われると、いつその効果が発現するか分からない。 なるべく使わせないように、近距離戦を挑むのがいいだろう。 モルフォンは脚がないから、接近すればルースのパワーで十分に抑え込める。 ただ、今は遠距離で戦って、頃合を見計らってから接近戦に移行する。 ルースはモルフォンの横に回りこむと、口から猛烈な炎を吐き出した!! 「ひゅーっ、なかなかやるじゃない!! こうじゃなきゃ面白くないわ!!」 炎の威力に驚きながらも、アンズは口笛を吹いた。 強い相手と戦うことが無性にうれしいらしい。 「モルフォン、もいっちょ銀色の風よ!!」 モルフォンは羽を大きく羽ばたかせて方向転換すると、再び銀色の風を発射した!! 炎の舌先がモルフォンに届くか否か、といったギリギリの場所で、風に押し留められる。 風と炎の勢いは五分と五分。 ちょっとでも力を抜けば、そのまま押し切られてしまうだろう。 お互いに負けじと力を込めているのが分かる。 際どい均衡だ。いつ崩れてもおかしくないような…… ちょっとでも横から力を加えれば崩れそうだ。 だったら、この状況を効果的に使うか……!! 「ルース、電光石火の準備しといてくれ!!」 「んんっ……!?」 ルースは一瞬戸惑った様子を見せたものの、オレの言葉に従って、前傾姿勢になった。 一番走りやすい体勢を取ったことで、炎の勢いも自然と弱まる。 「何を企んでるかは分かんないけど、自分で炎弱めるなんてチャンス!! モルフォン、全開で銀色の風!! 炎を返しちゃえ!!」 アンズの指示を受けて、モルフォンが一層激しく羽ばたく。 風は瞬く間に勢いを強め、炎がルースの方へと戻ってきた!! 自分の炎で火傷をすることがないというのが、炎ポケモンの特性だ。 ラズリーのように「もらい火」の特性があれば、炎を自分で食らうことで能力強化を図れるんだけど…… ルースの特性は「猛火」――ピンチになれば炎の威力が上がるっていう、一発逆転の要素を秘めた特性だ。 とはいえ、特性を発動させて一発逆転を狙うなんてバカなマネはしない。 いくら相性が良くったって、ジム戦ではわずかなダメージでも命取りなんだ。 「よし、ルース!! 電光石火だ!!」 炎が風と共に戻ってきたタイミングを狙い、オレはルースに指示を出した。 ルースは矢のような勢いで駆け出す!! ぶおっ!! 吹き付ける風に杭のように突っ込んでいって、風圧に文字通りの風穴を開ける!! 炎を食らうけど、ダメージらしいダメージにはならないはずだ。 わずかなダメージでも命取りと、さっきは言ったけど、何も考えずにこんなことをさせたりはしないさ。 アンズが銀色の風の連発で能力アップを狙っているのは間違いない。 それなら、可能な限り銀色の風を使ってくるはずだ。 ならば、オレはその風を味方につけて攻撃するまでだ。普通に攻撃するよりも遥かに労力は低いはず。 モルフォンに近づくにつれて風が強まっているようで、ルースはちょうど真ん中あたりで立ち往生していた。 これ以上進めないようだ。 「甘いわね!!」 立ち往生して、風に流されないよう必死に踏みとどまっているルースを見つめ、アンズが嘲笑する。 「あたしが銀色の風にどれだけの労力をつぎ込んできたか……さすがの電光石火でも突き破れないわよッ!!」 自信たっぷりに言ってのけるアンズ。 確かに……電光石火でも破れないほどの風の強さとは思わなかった。 ルースの体重は軽く見積もっても70キロ。 物理的なエネルギーは重さ×速さの二乗に比例すると言われてるけれど、ルースの素早さはなかなかのものだ。 普通の向かい風程度なら、難なく突き破って走れるだろう。 それを不可能にするほどの風速となると、アンズの言葉も頷ける。 銀色の風で相手を足止めし、連続で発動させることで、能力アップの確率を高める。 そして高まった能力で一気に相手を蹴散らす……なるほど、確かにそれなら防御は考えなくていい。 その分だけ銀色の風に労力をつぎ込むことができるっていう算段だ。 よく練られたやり方だとは思うけど……今のオレにはじいちゃんの口癖の『物理法則』ってものが味方してるんだ。 これを利用しない手はない。 「モルフォン、このまま銀色の風で相手をKOしちゃうわよぉ!!」 アンズは嬉々とした表情でモルフォンに指示を下す。 このまま銀色の風を浴び続ければ、ルースのダメージも蓄積していって、いつかは戦闘不能になるだろう。 相手の体力を徐々に削っていくという、ある意味で荒技だ。 「ルース、モルフォンの周りを走り回れ!!」 ルースはきっ、と目を見開くと、言われたとおりにモルフォンの周りを走り始めた。 時折風に流されながらも、一定の間隔を保ちながら走り続ける。 「何をしようとしてるのか、知りたいとも思わないけど、無駄なことはやめたら? モルフォンはちゃんとあんたのバクフーンに銀色の風を発射し続けてるんだからね!!」 またしてもアンズの言うとおり、モルフォンはちゃんとルース目がけて銀色の風を発射し続けている。 目も回さず、ちゃんと狙いを定めてるんだから、そっちの方もちゃんと鍛えられてるってところだろう。 でも、それでいい。 十秒ほど経ったところで、オレは風の流れが変わるのを肌で感じた。 さっきまで吹いていた風の向きが微妙に変わったんだ。 オレが気づいて、アンズが気づかないはずがない。 怪訝そうに眉を動かすアンズ。 ――今だ!! 「ルース、立ち止まってモルフォンに火炎放射!!」 「ムダよ!!」 ルースは立ち止まると、どっしりと構え、炎を吐き出した!! モルフォンはまたしても銀色の風で炎を返そうとするけど、さすがにそう都合よくは行かなかった。 「なっ……!!」 アンズの表情が驚愕に歪む。 そうしている間に、ルースの火炎放射がモルフォンの銀色の風によって軌道を変え、モルフォンの周囲を取り囲んだ!! これこそ文字通り炎の渦!! 「な、なんで……!!」 驚愕のあまり、アンズはモルフォンに対する指示を忘れてしまっていた。 「電光石火!!」 チャンスは今しかない!! オレはルースに指示を出した。 瞬時に姿勢を変え、駆け出すルース。 モルフォンは周囲を炎に包まれて、逃げるに逃げられない。 おどおどして、周りを見渡すばかり。 逃げ道はないか探してるんだろうけど、それは無理な相談。 なぜなら、モルフォンが回転しながら繰り出した銀色の風もまた、回転していたからだ。 結果、モルフォンの周囲を取り囲むことになり、炎はそれに乗ったに過ぎない。 下手に動けば炎の流れが押し寄せて、大ダメージだ。 でも、悠長に炎が弱まるのを待つ理由はない。 ルースは易々と炎の渦を突き破り、モルフォンに電光石火の一撃を食らわした!! 真正面からまともに入り、モルフォンは弾き飛ばされ――その先は言うまでもなく炎の渦。 羽の端が触れた途端に、久々の獲物に狂乱するかのごとく、炎がその身体に絡み付いた!! 「うっそーっ!!」 アンズが悲鳴を上げる。 「モルフォン、銀色の風で吹き飛ば……うっ……」 慌てて出した指示も、途中で切れた。 この状態で銀色の風を放てば、バックファイアが来ると分かったんだろう。 下手に風なんて起こしたら、それこそ炎の勢いが強まる。 バックファイアがないということは、とても考えられないんだ。 アンズが慌てている間にも、モルフォンは真っ昼間から役に立たないような松明状態。 あ、何気に燃えてるし。 これで戦闘不能になれば言うことはないんだけど、たぶんそれもないだろう。 だったらダメ押しの一撃を加えてみよう♪ 「ルース。ダメ押しにオーバーヒート」 「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」 アンズの悲鳴は無視。 炎から逃れようとじたばたしているモルフォンに狙いを定め、ルースは大きく息を吸い込んだ。 そして、炎タイプ最強と名高い技……オーバーヒートを発動!! 火炎放射とは比べ物にならないような強烈な炎がモルフォンに突き刺さる!! どんっ!! 耳を劈く爆音と共に、モルフォンはもっと大きな松明になって、青空を照らし出す。 「あぁぁぁぁぁぁぁ……そんなぁ……」 アンズの唖然とした声をバックコーラスに、モルフォンがぱたりと倒れた。 火炎放射にオーバーヒートと、威力の高い弱点の炎技を連続で受けて、さすがに力尽きたようだ。 とはいえ、これで戦闘不能になってませんでしたってことになったら、それこそシャレになってないんだけどな。 ルースはオーバーヒートを発動したことで、能力が著しく下がっている。 見た目じゃ分かんないけど、それは間違いない。 「仕方ないわねぇ……」 なんてブツブツつぶやきながらも、アンズは引き際を心得ていた。 あっさりとモルフォンをモンスターボールに戻し、自ら敗北を宣言した。 「あたしの負けね。 あんた、なかなかやるじゃない。ま、あたしのお父さんには及ばないけどね〜」 負け惜しみとしか思えないセリフも、すっきり晴れ渡った空のような気分で口にしているんだろう。 アンズの顔に負けた悔しさみたいなものは見られなかった。 本気で潔い。 昔の忍者ってのも、引き際はちゃんと心得てて、潔かったんだろうか……って、思わず考えてしまう。 「銀色の風の連続コンボには自信あったんだけど、あんな感じで風をかき回されたのは初めてだったわ」 「ああでもしなきゃ炎を食らってくれないだろうと思ってさ……な、ルース?」 「バクぅ♪」 話を振ると、ルースは喜び勇んだ表情でオレの傍まで駆け寄ってくるなり、抱きついてきた!! ……そーいう趣味もあったんだ。 でも、ルースはとってもうれしそう。 バトルに勝てたってのはもちろんそうだけど、今回の勝利で、少しは自分に自信を持てたみたいだ。 これなら、この先相手に怯え続けるってこともなくなるだろう。 「よしよし、よくやったぞ、ルース」 オレはルースの背中に手を回し、優しく撫でてやった。 ついさっきまで炎が燃えていたとは思えないほど、背中は暖かかった。 熱くて触れないかと思ったけど、なんとか触れた。 「少しは自信がついただろ?」 「バクっ!!」 オレの問いに、ルースは一も二もなく首を縦に振った。 やっぱ、何事も経験なんだなって思い知らされるよ。ルースを見てるとさ。 「あたしに見事勝利したあんたに、渡しとくモンがあるのよ」 アンズは懐から小さな何かを取り出すと、オレに向かって投げてよこした。 危うく取り落としそうになりながらも、辛うじて受け取る。 ルースが抱きついたまま離れなかったから……って言っても、ルースのことだ。 しばらくはこの体勢を維持してきそう……ってワケで、オレはルースをモンスターボールに戻した。 ルースのハグハグから脱出したオレは、改めてアンズが投げてよこしたものを目にした。 ピンク色の、ハートのような形をしたバッジだ。 セキチクジムを制した証となるリーグバッジのひとつだろう。 「これはピンクバッジ。 あんたのような、強いトレーナーに相応しいわね。おめでと」 「サンキュ」 アンズなりの誉め言葉を、オレは素直に受け取っておくことにした。 ピンクバッジか……カントー地方のリーグバッジは、色にちなんだ名前のものが多いようだ。 今までのバッジも、バッジの色がそのまま名前になってたから。 ともあれ、これで六つ目のバッジをゲットだ。 カントーリーグに出るのに必要なバッジはあと二つ。 そろそろカントーリーグ出場も見えてきたな。 「あんたとはまたいつか、プライベートでバトルしたいもんだわ。 近くを通りかかったらで構わないわ、気軽に寄ってってよ。ただし……」 アンズは目を細めると、 「次は負けないからね。あんたもせいぜい腕を磨いてなさい」 「連勝してやるさ」 ジムリーダーとプライベートなバトルを行うというのもいいかもしれない……オレは彼女の言葉に頷いた。 ジムリーダーがジム戦で使うポケモンはあらかじめ決められている。 ジムごとに得意とするタイプがあって、それはポケモンリーグに登録されているんだ。 だから、ジム戦ではそのタイプのポケモン以外を使ってはいけないことになっている。 ジム戦用に育てられたポケモンってことになるんだけど、それとプライベートに育てているポケモンとは明らかに異なってるんだ。 じいちゃんの話だと、プライベートに育てているポケモンの方が強いんだって。 アンズもプライベートに育てているポケモンには自信があるってことなんだろう。 それほどのポケモンならぜひお手合わせ願いたいところだけど、今すぐにというのは無理だ。 せめてカントーリーグに出場してからってことになるだろう。 その時に備えて、もっともっと強くポケモンを育てていかなきゃいけないな。 もちろん、オレもトレーナーとして強くならなきゃいけないけど。 オレはルースのモンスターボールを腰に戻し、 「それじゃな。またいつかバトルしようぜ」 「オッケー。楽しみにしてるわ」 アンズに向かって手を挙げると、踵を返して駆け出した。 ダメージを負ったリンリとラズリーを一刻も早く回復させなければならない。 勝利の喜びに、足も心も身軽になった。 そういえば…… スイッチを踏んだら矢が猛スピードで飛んでくるっていうあの凶悪な罠を、アンズはちゃんと解除していたんだろうか? 彼女がそういう素振りを見せていなかっただけに、ポケモンセンターに辿り着く少し前にそんなことを思い返してしまったけれど。 その答えを知る術がないのは、当然のことだった。 あは……あはははは…… もう考えないようにしよう。 偶然でも必然でも構わないから、あの罠のことだけは忘れよう…… ポケモンセンターに戻ったオレは、ロビーの椅子に腰を下ろして待ち構えていたナミの脇をすり抜けて、 ジョーイさんにリンリとラズリーのモンスターボールを手渡した。 「お預かりいたします」 笑顔でモンスターボールを受け取って、傍らの回復装置にかけたジョーイさんに礼を言い、オレはゆっくりとナミの傍へ歩いていった。 そんなに慌てる必要はなかったんだけど、ナミにはそれが不満だったらしい。 頬を膨らませると、 「どうなの? ジム戦には勝ったの?」 なんて、開口一番矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。 不満をぶち撒けてるような口調だっただけに、本気でストレス発散のための質問なんじゃないかって思っちまった。 「まあ、そう慌てるなよ。おまえがジム戦してきたわけじゃないんだからさ……」 オレはナミの隣の椅子に腰を下ろすと、深々とため息を漏らした。 まったく…… 自分のことのように本気で訊いてくるんだから、それだけ気になってたってことなんだろう。 人の心配する前に自分の心配しろって言いたくなるけど、ナミなりにオレのことを気にしてるみたいだから、そう無下にはできない。 「とりあえず勝ったぜ」 オレはナミにピンクバッジを見せてやった。 吸い込まれそうな鮮やかなピンク色に、ナミは口をポカンと大きく開けて、 「うわー……これがセキチクジムのバッジなんだね。すっご〜い」 なんて、感嘆のつぶやきを漏らしてたりする。 女の子は青系の色よりも赤系――特にピンクとかを好む傾向があるらしい。 ナミも例に漏れず、ピンクという色には特別な想いを抱いているんだろう。 本気で吸い込まれてたりするし。 「おまえも明日頑張れよ。 オレにできて、おまえにできないことはないって思ってるんだからな」 「あ、うん。もちろんだよ!!」 「ふっ……」 オレにできておまえにできないことはない……か。 自分で言っといてなんなんだけど、よくよく考えれば、 オレよりもナミの方がトレーナーとしての素質はあるんじゃないかと思うんだよな。 ナミは気づいてないと思うけど……こいつは将来大物になるだろう。 れっきとした根拠とかってのはないんだけど、なんとなくそんな気がするんだ。 男のカン、なんてアテにならないとは思うけどさ。 「さて、それより……」 オレはピンクバッジをケースにしまうと、リュックの中に放り込んだ。 「あ……もう終わり? もうちょっと見せてくれてもいいのに……」 ナミは名残惜しそうに漏らしたけれど、もっと見たけりゃジム戦に勝てってことさ。 ゲットできれば、いつでも眺めてられるんだから。 それよりも今は、頑張ってくれたルースにご褒美をあげなきゃな。 オレはモンスターボールを手に取ると、中にいるルースに呼びかけた。 「ルース、出て来いよ!!」 オレの言葉に応えるようにボールは口を開き、中からルースが飛び出してきた。 「バクぅ〜♪」 気分ノリノリのルースは、ナミにも余裕の笑顔を振り撒いていた。 オレの従兄妹ってことで、すっかり気を許しているようだ。 でも、笑顔の理由はそれだけじゃないんだろう……なんとなくそう思っている。 「あ、ルースちゃんだ。なんか楽しそうだねぇ」 「まあな」 ルースはジム戦でよく頑張ってくれたんだ。 銀色の風を何発か受けたけど、ダメージらしいダメージにもなっていないようだ。 最終進化形ってことで、スタミナはピカイチで、疲れた顔一つ見せていない。 火炎放射、オーバーヒートと大技を連発可能にするだけの体力を備えてる。 単純な攻撃力だけで言えばラズリーを上回り、オレのチームの中では最強と言ってもいいだろう。 ジム戦で頑張ってくれたルースを労う意味も込めて、オレはポケモンフーズ入りのビンを目の前で左右に振ってみせた。 「バク!?」 ポケモンフーズ=甘い=大好きな味=美味しい=最高な気分。 ルースはバトルの疲れなど感じさせないほど瞳をキラキラ輝かせていた。 早く食べさせて――!! そう言わんばかりにビンに手を伸ばすけど、決してその指先が触れることはない。 ちゃんと自分を律して、オレが出してくるのを待ってるんだろう。 なんか……見てて楽しいな。 オレは小皿を取り出すと、ルースの目の前に置いて、ポケモンフーズをパラパラと注ぎ入れた。 「今日はよく頑張ってくれたから、たくさん食べていいぞ」 「バクバクぅぅぅぅっ!!」 オレの言葉に、ルースはこれでもかと言わんばかりの大きな歓声を上げると、ポケモンフーズをガッチリとつかみ取り、口の中に放り込んでいく。 ジョーイさんをはじめ、オレとナミを除いたほぼ全員がこっちに視線を向けてきたけど、それはほんの数秒で別の方へ散り散りになった。 いきなり大声上げられてビックリして、思わず振り向いた、ってところだろう。 ルースはポケモンフーズをたくさん口に含むと、満足げに頬を膨らませた。 そんなに入れなくてもいいのに……って思うけど、ルースは甘味の強いこの味が大好きなんだろう。 「うわ、すごい食欲……」 あっという間に小皿は空になった。 ものの十秒も経っていないだろう。 ナミは小皿が空になるまでをビデオカメラのようにじっと見つめてた。 ルースの旺盛な食欲に脱帽しているようだけど……オレはジト目でナミを見つつ、 「おまえの方が食欲あるだろ」 なんてことを思ってみたりする。 だって、ナミは見るも恐ろしいような量を皿に盛り付けてきて、あっさりと平らげてしまうんだ。 それに比べたら、ルースの食欲はまだ控えめと言えるかもしれない。 「バクっ!!」 ルースは満足げな顔でお腹をさすった。 ごちそうさま……ってところだろう。 バトルで激しく動きまわった割に、小皿に山盛りになった程度のポケモンフーズで満足するなんて。 やっぱり、ルースはナミと違って、腹八分目っていう言葉を知ってるんだろうな。 ……もちろん、ナミにとっては誉め言葉じゃないんだけど。 「よしよし……それじゃ、モンスターボールに戻って……ん?」 満足してもらえたところで、ジョーイさんに診せるとしよう。 そう思ってモンスターボールを手にした時だった。 その手をルースの前脚がガッチリ掴んで止めた。 ん……? 「どうした、ルース?」 「バクバクぅ……」 ルースは首を横に振ると、オレの手を押し下げた。 逆らうこともせず、オレは押されるまま手をぶらりと下げた。 「あれ、どうしたの?」 なんてナミは唖然としているけど、オレはルースがなんでこういうことをしたのか、理由をちゃんと知っている。 自分のポケモン相手に分かんないようじゃ、まだまだ半人前ってことさ。 「分かったよ、ルース」 オレは唖然としているナミを尻目に、背伸びをしてルースの頭を撫でると、 「今日はオレと一緒にいような。 でも、さっきみたいに大きな声出しちゃダメだからな。あと、炎も吐いちゃダメ。OK?」 「バクぅ♪」 一通りの注意をしとけばいいだろう。 ルースはモンスターボールに戻りたがらなかったんだ。理由は分かんないけど…… オレと一緒にいたいって思ってくれてるんだったら最高だなって思うよ。 ルースのおかげでピンクバッジをゲットできたんだから、今日一日くらいはワガママを許してもいいだろう。 ラズリーやリンリにも同じことをしてあげたいけど、大きなダメージを受けてるから、それもままならないだろう。 ゆっくりと休んでもらって、後で改めて……という形にするしかない。 これも、ルースのバイタリティの為せるワザってところだろうな。 「よし、それじゃあ部屋に行こうぜ」 「あたしも行く〜」 オレとナミの部屋は別々なんだけど、今すぐ寝るってワケにもいかないし、上がり込むくらいは許してやろう。 寝泊りする部屋へ向かうオレとルースの後をスキップしながらついてくるナミ。 ……なんでこうも盛り上がれるんだ? いろいろと考えられる理由を頭の中に浮かべているうちに、今晩の宿となる部屋にたどり着いた。 「おじゃましま〜す」 なんてナミは律儀にも一言付け加えてから上がり込んだ。 部屋はベッドとデスクがあるだけだ。 言うまでもなくベッドに腰を下ろしたのはオレとルースで、ナミは追いやられるかのごとく、机に備えつけの椅子に座ることになった。 「バクぅ〜♪」 ルースはオレの隣に腰を下ろすなり、そのまま仰向けに寝転がった。 布団の心地良さにうっとりしてるってワケじゃないだろう、いくらなんでも。 尻に敷いといて言うのもなんだけど、フワフワっていう類じゃないな、これは。 単に寝転がれて幸せって気分だろう。 「で……」 幸せそうな顔をしているルースは良しとして、オレは視線をナミに向けた。 「一応訊いとくんだが……」 「どしたの? そんな改まっちゃって」 一応って言ってるのに『改まっちゃって』なんて言うか普通? まあ、こいつに普通というか常識なんて通用しないだろうから、想像するだけムダって言うか無意味? なんだか変な方に脱線しそうな考えに終止符を打って、オレは本題に入った。 「なんでついてきたんだ? なにか理由があるだろうと思って止めなかったが……」 「ジム戦のこと訊こうかと思って」 オレの問いに、ナミはニコニコ笑顔でいけしゃあしゃあと応じてのけた。 「…………」 まさかこうもバカ正直に答えてくれるとは思ってなかったんで、一瞬拍子抜けしちゃったけど、一体こいつは何を言ってんだ!? 「ジム戦って……相手のポケモンとかタイプとか戦い方とか特性とか聞こうと思ってるわけじゃないんだろ?」 ダメだと思いつつ、一応訊いてみる。 ジム戦のことでナミが訊きそうなことと言えば、おおざっぱなバトルの中身とか、相手のポケモンについてのことだろう。 今さら言うまでもないことだけど…… オレがそーいうことをベラベラしゃべりまくったりしたら、ナミは事前に対策を立てられることになり、あっさりとアンズに勝ってしまうだろう。 そんなことになったらジム戦の本来の意味が失われてしまうんで、オレとしては守りを固めて、沈黙を守り通すしかない。 胸中で意気込んでいると、ナミは不機嫌そうに頬を膨らませて、 「違うよぉ」 「ホントに?」 「ホントに違うの」 ――じゃあ何を訊きたいんだ? ナミが訊きそうなことなんてそれくらいしか思い浮かばなくて、新しい可能性を閃こうと頭を回転させてみる。 当然と言えば当然だけど、オレにそれ以上の可能性は閃けなかった。 「ジムリーダーってどんな人なのかなあって思って。 あたしだって、アカツキがジム戦のことを素直にしゃべってくれるとは思ってないよぉ」 「……どうだか」 少しは分かってきたようだけど……まだまだって感じだな。 ナミの態度を見てると、イマイチ信頼しきれない。 でも、そう言うんだから、そういうことにしておこう。 「でも、なんでジムリーダーのことなんて訊くんだ?」 「どういう人なのか、気になるからだよ。 エリカさんみたいな人だったらいいなあ、なんて思ってたりするの」 「そういうのを期待するだけムダだぞ、あそこのジムリーダーに……」 オレはアンズの顔を脳裏に思い浮かべ、暗澹たる気分になった。 泥棒避けの罠に引っかかったオレのことをせっかちだって笑ったヤツだ……性悪女としか思えない。 ナミはタマムシシティにあるタマムシジムのジムリーダー・エリカさんに憧れみたいなものを抱いてるんだ。 ナミとは正反対でおしとやかで、それでいて清楚で、慎ましい女性(ひと)だ。 自分と正反対だって分かってるから、憧れってのを抱くんだろう。 だからって今回のジムリーダーにそれを期待するってのもどうかと思うぞ。 ナミは、アンズのことを知らないからこそそういうことをオレに訊ねてきたんだ。 ある意味哀れって言えば哀れだよな…… 「エリカさんとは違うタイプだな。 ここのジムリーダーにそういうのを期待するだけムダだぞ。さっきも言ったけど」 「じゃあどういう人なの?」 エリカさんのようなタイプじゃないと聞いて、ナミは肩を落とした。 つまんない……表情が如実に物語ってるけど、オレにとっちゃどうでもいいことだ。 そんなのは勝手に思ってりゃいい。 「カスミを大人にしたような感じ」 「楽しみ〜」 「…………」 本気で言ってるんだろうか。 肩を落としたかと思ったら、今度はニコニコ笑顔。 コロコロと二転三転する態度に、オレはナミの真意を測りかねていた。 カスミとナミは結構似てる部分あるからな……自分と似てるようなジムリーダーだって分かって、親近感が湧いたとか? まさかな。 アンズのイメージというと、見た目は元気な美少女。 でも、中身は小悪魔というか……トラがネコの被り物をしてるような感じだろうな。 泥棒を避けたいんなら、矢なんかビュンビュン飛ばすなよって。 カスミをそのまま大人にしても、アンズのようにはならないだろう。 でも、どこかで歯車が狂えば、そうなる可能性はある。 「結構変な方法で攻撃してくるから、気をつけとけよ。 オレが言えるのはこんくらいだ」 「うん。分かった」 これくらいのアドバイスはしてやってもいい。 アンズの戦い方は、今までのジムリーダーとは明らかに違っていた。 いきなりダメージを与えてくるより、地道に罠にはめてくるタイプだ。 相性では圧倒的に有利だったラズリーが、アリアドスの罠にはまって負けちまったし…… 銀色の風を連発して能力アップを狙ったりと、今までのジムリーダーが現場にいたら目を丸くするような戦い方だ。 アバウトな説明だと自分でも思ったけれど、ナミはあっさりと頷いて、それ以上は訊いてこなかった。 少しは分別がつくようになったってことか。それならありがたいんだけど。 とはいえ、今回はルースが頑張ってくれなかったら、かなりヤバかった。 ラッシーじゃ必殺のコンボを決められなかったし、リッピーじゃ力不足。 ルースがいなかったら、勝てなかったジム戦だ。 勝利の立役者はというと……寝てるし。 ナミと話をしている間中、なんでだか静かだなぁ、って思ってたら……仰向けに寝転がったまま、眠っていたんだ。 よっぽど疲れてたんだろうな、あっという間にイビキを欠き出した。 さっきモンスターボールに戻るのを嫌がったのはなんでだろう……? ポケモンにとってモンスターボールの中は、結構居心地がいいんだそうだ。 実際にオレが入ったことはないから、本当かどうかは分かんないけど。 抵抗して暴れないってことは、居心地がいいってことなんだろう。 でも、今回はオレの傍にいたかったってことだと思う。 オレの傍なら安心して眠っていられるって思ってくれてるなら、本当にうれしいな。 出会いが出会いだっただけに、早くこの環境に慣れて欲しいと思っていたから。 でも、オレの心配なんてホントに無意味だったみたいだ。 こうやって無防備なところを見せてるんだから。 「眠っちゃってるね」 「ああ……こうして見てみると、かわいいもんだよな……」 オレはナミの言葉に頷いて、ルースの顔を横から覗き込んだ。 寝顔は何気に可愛かったりする。 じろじろと嘗め回すように見つめているナミの視線すら気づかないくらいだ。さっきのバトルで体力をかなり消耗していたんだろう。 このまま眠らせとくか、それともボールに戻してジョーイさんに診てもらうか…… 正直迷ったけど、オレはこのまま眠らせとくことにした。 起きた時に別の場所にいました、じゃ、ルースもきっと戸惑うだろう。 だったら、このまま眠らせとく方がいいに決まってる。 「あ〜あ……」 机に頬杖なんぞ突きながら、ナミは半眼でルースを見やった。 この場に、しつけに厳しいハルエおばさんがいたら、 「行儀が悪いッ!!」 なんて怒鳴りつけながらハリセンでナミを張り倒すんだろう。 これは確かに行儀が悪いけど……別に誰も見てないんだから、この際大目に見てやろう。 「ルースちゃんのような可愛くて強いポケモン、あたしもほしいなあ……」 「だったらサファリゾーンでゲットすればいいじゃないか」 オレはため息混じりに返した。 ナミがルースのことを羨むのは分かるけど……でもさ、オレからすればトパーズだって羨ましいよ。 恐ろしいほどの俊足だし、高い素早さを活かして確実に先制攻撃を決められる。 回避率だって高いんだから、上手く戦えばノーダメージでジム戦を乗り切ることも可能だ。 オレもそれくらい素早いポケモンをサファリゾーンで狙おうか…… 「ま、おまえのジム戦が終わってからだけどな」 「そうだね」 どっちにしても、サファリゾーンに行くのはナミがジム戦を終えてからだ。 ま、ナミのことだから今回も結構楽に勝つんだろうけど。 オレだけサファリゾーンに行ったって、それじゃあ張り合いがなさすぎる。 どうせなら一緒に行って、どっちがより良いポケモンをゲットできるか。競争した方が、やる気になるってモンさ。 「どうせジム戦やるんだったら勝てよ。なに、おまえなら勝てるって」 「うん。そう言ってもらえると、あたしとしても心強いかな」 ナミはニコッと笑った。 その背後に、手薬煉引いて待ち構えてるアンズの姿が浮かび上がった。 敵を毒牙にかけるべく、邪悪な(?)笑みを浮かべて「ひっひっひ」なんて魔女っぽい笑い方なんかしてるけど…… ホントはそうかもしれない。 オレはナミがアンズの毒牙にかからないことを祈るばかりだった。 To Be Continued…