カントー編Vol.23 久しぶりの故郷 <前編> オレたちはポケモンセンターを後にして、火山と浜辺を結ぶなだらかな坂道を、ゆっくりと浜辺の方へと歩いていた。 「あ〜あ、もうこの島とサヨナラなんだね。なんだか淋しいなあ…… ビキニ着て泳いでみようかと思ってたのに」 隣を歩くナミが、ため息混じりに漏らした。 彼女の視線を追うと、穏やかな波が寄せては返す砂浜に行き着いた。 まあ、砂浜で日焼けしてる女性とか、楽しそうな顔でビーチバレーに興じている人たちの姿を見れば、そんな気持ちも分からなくもない。 とはいえ、本格的なシーズンの到来はまだ先の話で、砂浜にいるのは数十人程度だ。 ナミの気持ちも分からなくもないけど、今はやるべきことがある。 カントーリーグに出場するためのバッジを八つ集め終えてからなら、好きにしてもらって構わないけどな。 オレもナミもグレンジムでのジム戦を制し、ポケモンリーグ公認バッジの一つ、クリムゾンバッジを手に入れることができた。 だから、この島にこれ以上留まる意味はないんだ。 確かにナミの言うとおり、ちょっとだけ淋しいけど……今のオレたちにはやらなきゃいけないことがある。 それを先延ばしにしてまでも、この島でノンビリするわけにはいかない。 ナミも、本当はそれをよく分かっているはずなんだ。 それ以上、物欲しそうにつぶやくことはなかったから。 「まあ、後でまた来ればいいさ。今はトキワシティに行かなくちゃな」 「うん。分かってるよ」 念を押すように言葉に出すと、ナミはすぐに頷いて、坂道の先に視線をやった。 「でも、あと一つであたしたち、カントーリーグに出られるんだね」 「ああ。あと一つだ。あと一つ……」 旅立ってからの一ヶ月で、オレたちは七つのバッジを集めた。 カントーリーグに出場するためには、リーグバッジを八つ以上集めなければならない。 ニビジムのグレーバッジ。 ハナダジムのブルーバッジ。 ヤマブキジムのゴールドバッジ。 クチバジムのオレンジバッジ。 タマムシジムのレインボーバッジ。 セキチクジムのピンクバッジ。 そして、一昨日ゲットしたグレンジムのクリムゾンバッジ。 以上、七つのバッジがオレの手元にある。 そして最後の一つは、トキワシティのトキワジムにあるんだ。 何がなんでも、あそこのジムで最後のバッジをゲットしなくちゃならない。 坂道をゆっくりと下りながら、オレは旅立ったばかりの頃のことを思い返していた。 とはいっても、ほんの一ヶ月前のことなんだよな。 オレが今まで生きてきた十一年の中じゃ、ほんの一コマ程度の時間なんだろうけど、その間にもいろいろなことがあったよ。 感覚に直せば、十一年分以上だったかな。 さて…… マサラタウンを旅立ったオレたちは、隣町であるトキワシティのトキワジムにジム戦を挑んだ。 その時、ジムリーダーにとても嫌な……そう、屈辱的なことを言われた。 新米トレーナーと戦っても、得られるものはあまりない――と。 そんな自分勝手な言葉でジム戦を断られ、オレとナミは当然黙っちゃいなかった。 あの手この手でジム戦をしてもらおうと詰め寄ったけど、取り付く島はなかった。 結局ジム戦をしないままニビシティへ向かって出発することになったんだけど…… あの時の悔しさは今でも色褪せてはいない。 むしろ、これから行くってことで、炎のように胸を焦がしている。 「今のオレを、あの時のオレと一緒だと思うなよ……絶対に倒してやる」 拳をきつく握りしめ、トキワジムのジムリーダー・レオの顔を頭ん中に思い浮かべる。 見た目こそ気さくな青年その1って感じだけど、中身はまったく違ってた。 どこまでも人を小ばかにして、相手が年下だからって、新米トレーナーだからって馬鹿にしてた。 そんなヤツがジムリーダーに就任するなんて、世も末だなって思ったものだけど…… 人格に問題があったとしても、そのマイナス面を補うだけのバトルの実力を持ってるってことなんだろう。 相変わらずどんなタイプのポケモンを使ってくるのかは分からないけど、今のオレたちなら絶対に負けない。 旅立って一ヶ月足らずだけど、今まで様々なバトルを経験して、実力も伸ばせたし、自信だってそれなりについたんだ。 あの時の借りは、今回倍にして……いや、十倍にしてでも必ず返してやる。 「ね、ねえアカツキ……」 「ん、なんだ?」 声をかけてきたナミの表情が、どこか困ったように見えた。 たぶん、知らず知らずのうちに表情が強張っていたんだろう。 声をかけづらそうにしてたのかな……なんだか、悪いことをしてしまったような気がする。 「なにか考えごとしてたの? すっごく怖い顔してたよ?」 「まあな……でも、そんなに怖い顔してたのか?」 オレは言い終え、ふっと息を吐いた。 これで少しは表情も元に戻っただろう。 なにぶん自分じゃ見えないから、どうとも言えないんだけど。 でも、ナミがバロメーターだ。 安心したような表情を見て、オレは自分の表情が普段のそれに戻ったんだと納得した。 まあ、怖い顔するくらいの感情の昂りってのは確かにあったんだろうな。 眼下に見えてきた船着場に目をやりながら、オレは思った。 なにしろ、あの時のことはとても忘れられそうにない。 いきなりジム戦なんて確かに無茶と言えば無茶なんだけど、やりもしないうちからあきらめるっていうのは、どうにもいけ好かない。 単純な結果論で済ませてしまう大人なんかに、チャレンジ精神だとかプロセスは分からないのかもしれない。 そう……結果論って言えば親父だ。 四つ目のバッジをゲットした直後に現れたかと思ったら、バトルで思いっきり負けちまうし、次で最後だなんて言って…… 結局、今の今まで現れずじまいだったんだけどな。 なんか舐められてるような気がしてならない。 そりゃあオレはまだ十一歳の子供だし、親父やレオからすれば、青二才に映っていてもおかしくないからさ。 「…………なんか嫌な気分だな。忘れよう……」 考え出せばキリがなくなる。 船着場に停泊してい船が一隻出航していくのを見ながら頭を振って、つまらない考えを頭の中から強制排除した。 考えてしまうと、どんどん悪い方へ向かっていく気がしてならなかったんだ。 親父やレオのことなんかで気分を悪くするなんて、そんなのは嫌だからな。 船着場には、一隻だけ船が残っている。 「ねえねえ、あの船に乗ってマサラタウンに戻るんだよねっ?」 「ああ……」 ナミはその船を指差すと、大声ではしゃぎたてた。 スキップしてみたり、変なダンスをしてみたり……周囲の人が「何、この子?」っていう視線を投げかけてきたり。 当の本人はまったく気にしてる様子がないみたいだけど。 見てるこっちが恥ずかしいっていうか…… だけど、ナミの気持ちも分からないわけじゃないんだ。 船着場に残った船に乗って、オレたちはマサラタウンに戻ろうと思っているから。 トキワシティへ向かうのには、この島から定期船に乗ってマサラタウンの南の港へ行き、陸路で向かうのが一番早い。 その際、マサラタウンを通ることになるんだけど、オレたちは少し生まれ育った故郷でゆっくりしていこうと思ってる。 ……のんきじゃないかって? まあ、そう言われりゃそうかもな。 最後のバッジを一刻も早くゲットしたい気持ちはあるんだよ。 だけど、今まで結構早いペースで来たものだから、ここで少し骨休めをして、英気を養っておこうと思ってるんだ。 そんでもって、一気にラストスパートかけようと思ってるんだ。 久しぶりにじいちゃんの顔も見たいし、ケンジやナナミ姉ちゃんとも話をしたい。 なにより、母さんにオレの元気な顔を見せてやりたいんだ。 親父と違って、オレは母さんのことは好きだからさ。 テレビ電話越しに顔を見せたことはあるけど、やっぱり実物を見せてやる方が安心できるだろうし。 ただ、気がかりなのは親父の存在だ。 仕事が忙しそうだから、マサラタウンにいる可能性は低いんだろうけど。 それでもゼロじゃないってところが何気に痛い。 会ったらその時こそ最後のバトルをすることになるだろう。 そこでオレが負けたら…… その時は、オレは博士になるしかなくなってしまう。 何が何でも勝たなきゃいけないバトルが一つ増えたんだよなあ。 こりゃ頭痛の種以外の何者でもないや。 親父とレオ……この二人に勝たないことには、カントーリーグには出られない。 壁は高いけど、乗り越えなきゃいけないってことに変わりはないんだ。 「久しぶりにおじーちゃんに会えるんだね。なんだかとってもうれしいなぁ」 「そうだよな。 じいちゃんには結構心配かけちまってるだろうし……戻ったら、一番に顔を見せに行こうな」 「うんっ♪」 オレの言葉に、ナミはうれしそうな顔で、大きく頷いた。 ナンダカンダ言って…… いつも明るく振る舞ってても、やっぱり淋しかったんだろうな。 ま、オレの場合は親父から離れられるってことで、万々歳って感じだったけどな。 オレたちはそれからお互いに何も言わず、坂道を降りていった。 海のすぐ近くにやってきたところで、砂浜の方に降りていく階段と定期船乗り場の分かれ道に差し掛かる。 当然定期船乗り場の方へ足を向けた。 あと三十分で出航ということもあって、チケット売り場には結構な人数が列を作っていた。 「混んでるね……間に合うかなあ?」 列に並ぶ人の数を指で数えながら、ナミが不安げに言った。 「これくらいの人数なら大丈夫だ」 オレは停泊中の船を見やり、ハッキリと言ってやった。 マサラタウンの南の港へ向かう定期船はそんなに大きくないけど、セキチクシティに行く人の方が圧倒的に多いくらいだ。 だから、まず乗れると思って間違いない。 そこまで解説してやったって意味ないと思って言わなかったけど、ナミはオレの言葉を聞いてホッとしたようだ。 オレの言うことだから安心してるんだろうか……? もしそうだったら、なんだかうれしかったりするんだけどな。 なんてことを思いつつ、列の最後尾についた。 「なんか、こうやって列に並ぶのって、タマムシデパートにエリカさんと一緒に行った時のこと思い出しちゃうな」 「そうなのか?」 「うん。サーティーエイトのアイスクリームを買いに並んだんだよ」 あー、そういえば、そんなこともあったっけ。 ナミはタマムシジムのジムリーダーであるエリカさんと、カントー地方最大のデパート・タマムシデパートに出かけたんだったな。 オレはポケモンセンターでノンビリくつろいでたから、戻ってくるまでの間に何があったのかは分からなかったけど…… 順番が回ってくるまで、その時の話を聞いてるってのも悪くないかもしれない。 ナミは楽しそうな顔で話し出した。 オレと話ができるっていうのがそんなにうれしいんだろうか……? それとも、エリカさんとショッピングしたことがうれしかったんだろうか……? どちらとも区別はつかなかったけど、ナミの楽しそうな顔を見てると、こっちまで気分が明るくなってくる。 親父やレオのことなんか、すっかり頭の中から抜け落ちたかのように。 「アカツキの分も買いたかったんだけど、あの時はそれどころじゃなかったんだぁ。あーあ、残念だな〜」 「オレは別に甘いものが好きなわけじゃないんだから、そこまで気を遣わなくたっていいんだよ」 「うん。並んでる途中でね、リーグバッジが入ったケースを盗まれちゃって……」 「そんなことがあったのか!?」 「うん」 ナミは別段何事もなかったかのように言ってくれるけど、それって結構重大なことだったんじゃないか!? オレは思わずビックリしてしまったよ。 だって、そんなこと聞いてなかったから。 「でもね、エリカさんと協力して取り戻したんだよ。あの追跡劇をアカツキにも見せてあげたかったなあ……」 ナミはうっとりしたような目を遠くに向けながら、両手を組み合わせてつぶやいた。 ウットリするようなことか、それって……? ツッコミ入れてやろうかと思ったけど、それで話の腰を折っては元も子もない。 「最後はね、トパーズちゃんの10万ボルトで犯人さんをビリビリ痺れさせちゃったの。 だって、あたし、あの時はすっごく怒ってたからねっ」 なんて、胸を張って言うナミ。 「それって胸張って自慢するようなことか?」 ツッコミどころ満載の話に、オレは笑いをこらえるのに必死だった。 顛末がナミらしいといえば、すっごくナミらしいし。 トパーズの10万ボルトか……そこまでやるんだから、バッジケースを盗まれた怒りっていうのはそれ相応のものだったんだろう。 傍にいたであろうエリカさんが止めなかったのを見ると、それくらいのお仕置きは必要だと思ってたんだろうな。 エリカさんらしいよな、それも…… おっとりしてるように見えて、やっぱりジムリーダーとしての顔も忘れちゃいないんだ。 バッジケースを取り戻して、犯人をジュンサーさんに突き出して一件落着、ということらしい。 大事にならなくて良かったっていうのが素直な感想だよ。 エリカさんがいればそれくらいは造作もないことなんだろうけど。 「おまえが本気で怒ったところって見てみたいよな。 ……いや、あんまり見たくないような気もするけど」 「アカツキにはそんなことしないよ。 だって、あたしはアカツキのこと大好きだからね。 お兄ちゃんみたいに頼りになるし、いろんなこと知ってるから」 「へえ、なかなかうれしいこと言ってくれるじゃん」 挑発めいた言葉にもニコニコしながら返してくるナミ。 挑発だって聞こえてないんだろうなあ……「引っかかる」「引っかからない」っていう論議以前の問題なのかもしれないけど。 「楽しかったか? エリカさんとショッピングできて」 「うん。やっぱり、ショッピングって女の人と一緒に行くのが一番だよね」 何気にその一言が痛かったりするんですけど…… タマムシシティを発つ前に、タマムシデパートでナミの上着を買った時のことが脳裏を過ぎる。 売り場に着いてから買うまでの時間が結構長かったからなあ…… やっぱり、ショッピングって女性同士が一番楽しめるんだろう。男はそういうことで待つのは苦手だからさ。 いろいろと話をしていると、あっという間に順番が回ってきた。 「子供二枚お願いします」 売り場の女性にVサインで二枚頼もうとした――ちょうどその時だった。 「大人一枚、子供二枚で結構です」 背後からどこかで聞いたような女性の声が聞こえ、オレは慌てて振り返った。 真後ろに見覚えのある女性が立っていて、目が合うなり「は〜い」なんて指を動かしながらニッコリ微笑んできた。 「か……カリンさん!? いつからいたんですか!?」 オレは本気で驚いてしまった。 バトル中でもこんな醜態をさらしたことはないだろう。 そう思えるような、痛恨の醜態だった。 でも、彼女はまるで気にしていないようだった。 「あ、カリンおばさんだ!!」 ナミがパッと表情を輝かせた。 「大人一枚、子供二枚ですね。かしこまりました」 一方、何事もなかったように、売り場の女性はカリンさんの言葉どおり、三人分のチケットを差し出してきた。 「はい。ありがとう」 カリンさんは財布からお札を取り出すと、チケットと引き換えに女性に渡した。 「ほら、行くわよ。 こんなところに立ってちゃ、後ろの人の邪魔になるだけよ」 言われてみて、初めて気づく。 オレたちの後ろにも、数十人の人が並んでたんだ。 確かにここで話をしていても、邪魔にしかならないだろう。 オレたちはカリンさんの言葉に素直に従った。 場所を定期船の船内に移し―― 「お久しぶりです、カリンさん」 「そうね。久しぶりね、元気してた?」 「うん、もちろん」 定期船の甲板で、オレたちは久しぶりの再会に心を弾ませた。 カリンさんは白みがかった髪と、女性にしては長身。スタイルは抜群で、ナミは密かに憧れているらしい。 あと、研究者のような白衣をまとい、その下には黒いTシャツとジーパンで簡単にまとめていて、パッと見は研究者とは思えない。 でも、ホントに研究者だったりするんです。 一見するとモデルのような体型だけど、以前はそういうことをしていた時期もあったと聞いたことがある。 でも、彼女はインドア派の研究者。 「オーキド博士から、君たちが旅立ったって聞いたけれど……まさかこんなところで会えるなんて思っていなかったわ」 カリンさんはうれしそうに微笑んだ。 もちろん、オレもナミもこんなところで会えると思っていなかったから、とてもうれしいよ。 だって、この人は遠く海を隔てた南にあるホウエン地方に住んでる人なんだから。 会えたとしても普段は電話越しで、こうして本人を目の前にするなんて、文字通り夢のようだ。 カリンさんは、ホウエン地方のオーキド博士と言われているオダマキ博士の奥さんなんだ。 フィールドワークを得意とするオダマキ博士と、インドアワーク専門のカリンさん。 研究者としては対照的なこの二人がどういった経緯で結婚までこぎつけたのか…… 結構興味深いところではあるんだけど、今はそんなことはどぉでもいいんだった。 わざわざカントー地方にやってきたんだ、それなりの用事というものがあるんだろう。 気になったんで、訊いてみた。 「でも、どうしてカントー地方にやってきたんですか?」 「ウチの夫の代わりに、オーキド博士に会いに来たの。 あの人、研究し出すと予定が入っててもそれをすっぽかして研究を続けるタイプでね。 わたしが派遣されることになったってワケ。 まあ、たまには外に出たいと思ってたから、渡りに船で飛びついたんだけどね」 「そうなんですか……じゃあ、目的地は一緒なんですね」 「そのようね」 オレの言葉に、笑みを浮かべたまま頷くカリンさん。 マサラタウン行きの船のチケット売り場に並んでいるのを見れば、それくらいはすぐに分かるだろう。 実際にカリンさんと会うのは久しぶりだ。 テレビ電話で顔を合わせたのは半年ほど前のことだけど、あの時と全然変わってない。 大人になると、半年程度じゃ見た目とかあんまり変わらなくなるんだろう。 じいちゃんに会いに来たっていうのはなんとなく分かるんだけど、どうしてわざわざグレン島に寄ってったんだろう? 他の地方へ行く船はマサラタウン南の港かクチバシティしか出てないんだ。 だから、ホウエン地方から直接マサラタウンにアクセスするのが普通だろう。 カリンさんは一度クチバシティに上陸してから、わざわざここまで足を伸ばしてきたってことだ。 これにも理由があるんだろうけど……オレから訊ねたところで仕方ないだろ。 「でも、久しぶりに会ってみたら、君たちはずいぶんと成長したのね。 トレーナーとして各地で頑張ってきたからなのかな?」 カリンさんはオレとナミに交互に目をやり、うれしそうにつぶやいた。 まるで我が事のように、喜びを満面に湛えて。 「カリンさんも元気そうじゃないですか。 オレたちにとってはそっちの方が安心しましたよ。な、ナミ?」 「うん」 話を振ると、ナミは元気に頷いてくれた。 相変わらず元気そうで、何よりだと思っているんだろう。 「ねえねえ、カリンおばさん」 「なに?」 ナミはやたらと馴れ馴れしい口調で訊ねた。 「どうしておじーちゃんに会いに行くの?」 その途端、カリンさんの眉がピクリと上下した。 笑顔がそのままだけに、なんだか見てはいけないものを見てしまったような……そんな気がして一瞬背筋が寒くなった。 ……って、なんでそんなこといきなりダイレクトに聞くかな!? ナミにデリカシーとか礼儀とか、そういった類のモノを期待するのが間違いだってことは百も承知だけど。 それでもさ、少しくらいは相手の事情とか、そういうものを考えろって!! カリンさんの手前、そんなことで説教垂れるわけにもいかず、言葉を舌の上で転がしていると…… 「研究の資料を預かってもらってたの。 博士は郵送してくれるって言ってたけど、そこまで世話になるわけにもいかないからね。 たまには顔を見せに行こうかと思って」 カリンさんは気を悪くするでもなく、普通に答えてくれた。 はあ…… オレの思い過ごしでホントによかった……ナミのデリカシーのなさを、カリンさんはちゃんと承知してくれているようだ。 さすがに一児の母だけのことはある。 そう、カリンさんはママさんなんだ。 一人息子……オレよりも二つばっか年上の息子がいるんだ。 ユウキって名前で、将来博士になるんだって息巻いてたっけ。 とはいえ、会ったのは何年も前のことなんだ。 今は何をしているのか、よく分からないんだけど……たぶん、今でも博士を目指してるんだろうな。 なにせ、両親が研究者というサラブレッドだけに、ポケモンの知識には自信があるらしい。 ……ってワケで、当然と言えば当然なんだけど、オレのことを猛烈にライバル視してた。 オレもガキの頃からポケモンの知識はそれなりに持ってたから、ライバルだって思われても仕方なかったんだけどさ。 でもまあ、博士になる気のないオレを勝手にライバルに指定されても困るんだよな。 苦言を呈したところで「今さら何を言ってやがる」ってニュアンスで返されるだろうから、結局言えずじまいだったのを覚えてる。 「そういう君たちは? 一時帰郷?」 「まあ、そんなところです」 カリンさんの問いに、オレは素直に頷いた。 あながち間違っちゃいないし、イエスと答えといても問題ないだろう。 「旅立ったのは一ヶ月くらい前だって、ナナミちゃんから聞いたんだけど。 旅立って一ヶ月の新米トレーナーとは思えないくらい、なんか凛々しく見えるわ。 いろんなことを経験してきたんでしょうね」 カリンさんは目を細め、笑みを深めた。 なんだか、オレたちに向けられている笑みが、懐かしいものを見ているように思えるのは気のせいだろうか……? それから会話が途切れた。 船の甲板もたくさんの人が乗って賑わってきた。 セキチクシティの時と同じで、様々な職業の人が乗り込んでいる。 だけど、カリンさんみたいに白衣に身を包んだ人は一人も見受けられない。 こんな人目につく場所で堂々と白衣をまとってられるような人ってのも、それは確かに珍しいんだろうし。 それに、モデル体型のナイスバディが手伝ってか、スケベ心丸出しの大人の男が何人か、彼女に目をやってはニヤニヤと笑っている。 そんな目に気づいているのかいないのか、カリンさんはまるで気にしていないようだった。 さっすが大人の貫禄ってヤツだよなあ…… 流れる水のように、何事も簡単に押し流しているように思えるんだ。 「ねえ、カリンおばさん」 「なあに?」 途切れていた会話が再開されたのは、汽笛が鳴って、いよいよ出航という頃だった。 「ユウキくんは元気にしてるの? もう何年も顔見てないから……気になって」 「ああ、あの子は元気よ」 ナミの問いにあっさり答えると、カリンさんはふっと息を漏らした。 ユウキか…… 何年も前にオレのことライバル視してたけど、たぶん今も変わってないんだろうなあ。 なんとなくだけど、そんなことを思うよ。 互いに大人顔負けのポケモンの知識を持ってるし。 それ以上に、名だたる研究者の血族同士ということで、負けてはいられないという気持ちがあるんだろう。 そんなのオレにとっちゃどうでもいいことなんだけど、ユウキからすれば、捨て置けない存在なんだろうな、オレって。 それならシゲルのことをライバルだと思ってりゃいいのにさ。 なんでオレなんだか。 博士になる気のないオレにとっては、ホントに傍迷惑な話だ。 おっと…… さすがにお母さんを前にそんなことは口が裂けても言えないよな。 カリンさんに見えないように慌てて頭を振って、その考えを払い落とす。 「お父さんのような立派な博士になるんだって言ってね、今はミナモシティの研究所に留学してるの」 「留学……?」 「ええ。机上での勉強とかフィールドワークによる研究も大切だけど、どうせなら第一線の研究所で頑張った方がいいんじゃないかって思ってね。 勧めてみたら、あっさり飛びついてきたの。 半年の期限っていう条件つきだったけど、あの子は喜んでミナモシティに旅立っていったわ」 なんか、素直には信じがたい話だった。 ユウキは昔からリーダーシップを発揮するタイプだ。 研究者向きと言えばそんな感じだったけど、まさか留学してるなんて……なんていうか、すっごく意外だって思ったよ。 シゲルも別の研究所で助手として働いてるし、やっぱり、現場第一線で働く方が、いろいろと身につくんだろう。 現に、トレーナーとして旅をしているオレたちは、その旅の中でいろんなバトルや経験を重ねて、強くなっていくんだから。 お互いに目指すもののために頑張ってるんだって思えれば、それも悪くはないのかもしれない。 これでライバルをシゲルに変えてもらえれば言うことなしなんだけど…、そこまで期待するのはちょっとやりすぎかな。 「そういえばアカツキ君。君は博士になるつもりはないの?」 「え……」 いきなり話を振られ、オレは思わず肩を震わせた。 カリンさん、なんだか目が真剣になってるんですけど。 顔こそ笑ってるけど、目はマジ笑ってない。 自分の職業について語るんだから、そりゃ真剣にもなるわけだけど。 なんか、それとはまた違ってるような気がするんだよな。 いろいろと胸中で分析していると、 「君にはポケモンの知識があるし……ユウキもね、こんなこと言ってたのよ。 『あいつならきっといい博士になれると思うな。オレも負けちゃいられない』って。 あの子、何年も会ってない君のことをそう言ってたの。だから、ちょっと気になっちゃってね」 「……そうなんですか」 やっぱり、ユウキはオレのことをライバルだと思ってる。 ……今もかよ。 シゲルのこともそれなりに競争相手だとは思ってるんだろうけど、一番のライバルはオレなんだろう。 理由を直接訊きたいところだけど、その相手はミナモシティ……ここからじゃ連絡も取れないだろう。 傍迷惑な話だけど、別に悪い気はしない。 切磋琢磨できる相手がいるってのはいいことだ。 目指すものが違っても、お互いに負けたくないと思う気持ちは大切で、尊ばれるべきだと思うからさ。 でも、なんか違うんだよな。 そう、目指してるものが違うってこと。 オレが博士に『なりたくない』ってことなんだ。 そんなこと言ったら、ユウキは怒るんだろうか? 『せっかくの知識を活かさないなんて、宝の持ち腐れじゃんか』 ……って、言いそうだ。 だけどオレが目指してるのは最強のトレーナーであり、最高のブリーダーでもあるんだ。 少なくとも博士とは相容れないものだ。 「オレ、あんまり博士にはなりたくないです。 親父やじいちゃんが研究者だってのは分かってますけど、押し売りされるのはゴメンだし、何よりオレはオレの道を歩きたい。 親父はどうしてもオレを博士にしたいらしいんです。 でも、じいちゃんはオレの歩みたい道を行けと言ってくれた。 オレとしてはやっぱりじいちゃんの言葉に従いたいなって思ってるんです。 ポケモンの知識を活かさない手はないっていう言い分も分かりますけど、押し売りされたものに満足する気はないですから」 言い終えてから、オレははたと気づく。 ポケモンの知識を活かさない手はない……それは親父が口癖のようにオレに言ってた言葉だ。 耳にこびり付いて離れず、今もこうして口に出してしまうほどだ。 本気で忌まわしいけど、なんでだろう? その言い分が分かるって言ってしまったんだ。 言い終えてから、本気で耳を疑ったよ。 オレの本心から出た言葉なのか……って具合に。 自分のことなのに、何がなんだか分からなくなる。 ナンセンスな考えが海のように広がって、オレはその真ん中で浮き沈みを繰り返してた。 どれが正しいものなのか、手探りで拾い集めてるような感覚。 「そうね。いい答えだと思う」 カリンさんは目元に笑みを作って、深く頷いてくれた。 ちょうどその時、船が動き出した。 煙突から吹き出される灰色の煙が斜めに棚引き、流線型の船体が水面を割って海原を進み始めた。 穏やかな風が吹きぬけ、カリンさんの白みがかった長い髪をふわりと浮かび上がらせる。 「押し売りされたものに満足しているようじゃ、思い描く夢にはたどり着けない。 その前に、自分自身に妥協してオシマイになるに決まっているわ。 良かった……君はやっぱりわたしが思ったとおりのトレーナーだった」 安心したように、胸に手を当てるカリンさん。 オレの答えに満足してくれたらしい。 だって、押し売りの夢なんかに満足してたら、自分が本当に目指すものから遠ざかるばかりだ。 そんなの、オレは金輪際お断りだ。 親父が博士っていう道を押し付けてくるのも、トレーナー、あるいはブリーダー以外の道を志すのも。 一度決めたことを、そう簡単に曲げたくない。 「今の君の表情を見たら……きっと、オーキド博士も喜んでくれると思う。 それに、ナミちゃんも大きくなったわ。 ユウキを連れてくれば良かったって思うけど……今さらそんなこと言っても、仕方ないわね」 長い息を吐いて、少しずつ小さくなっていくグレン島に目をやるカリンさん。 なんか、とても淋しそうだ。 研究者って言っても、やっぱり一児の母親なんだな……子供のこと――ユウキのことを案じてるんだ。 自慢の息子だって思っていても、やっぱり心配になるんだろう。 それが親心なんだ。 子供のオレにだって分かることだっていうのに、親父はそのカケラすら見せてくれたことがない。 口を開けば皮肉と夢の押し付けばかり…… 「おまえの知識は、研究者のためのものだ」 ……と耳にタコができてもお釣りがくるほど言われ続けてきた。 最初の方は気にしないようにって思えば良かったけど……懲りずに何年も言われ続けてると、さすがに頭にカチンと来る。 オレが爆発する寸前に決まって母さんが駆けつけてきて、宥めてくれるんだけど。 それでも、母さんは親父の肩を持ってたな、どっちかっていったら。 どっちの味方なんだって訊きたいことは何度もあった。 だけど、それだけは言えなかった。 母さんが一番傷つくに決まってるから。 だって、オレの味方だって言っちゃえば親父を裏切ることになるし、親父の味方だって言ってもオレを裏切ることになる。 かといってどっちでもない、あるいはどちらの味方でもあると答えたところで、あっさりとボロが出るに決まっている。 いくら親父の肩を持つからって、母さんが悪いわけじゃない。 親父は親心ってのを分かってないんだ。 たとえオレの幸せを願ってくれていたとしても、そのために自分の思い描く未来を押し付けられるのはお断りだ。 未来が光り輝いてようと、輝いてまいと、そんなのは関係ない。 オレはオレの選んだ道を行くってだけのことだ。 最後に不幸になったって、悔いは残したりしない。 それがオレの人生設計(ライフプラン)ってヤツだ。 親父なんかには屈しない。 改めて自分の意志を確認する。 それを見計らっていたように、カリンさんが転落防止用の柵に背中をもたれながら言葉をかけてきた。 「アカツキ君は最強のトレーナーになるの? それとも、最高のブリーダーになるの?」 「どっちもできるように頑張ります。 ちょっと欲張りなくらいがちょうどいいんだって、誰かがそう言ってましたし」 「そうね。夢には貪欲であるべきよ。わたしもそう思うわ」 カリンさんは苦笑した。 将来的にはどちらか片方を選ぶとしても、今は両方を目指していたい。 いつかの未来で選ばれなかった片方の知識や技術が無駄になるなんてことは、ないと思ってるからさ。 「あたしはね、すっごいトレーナーになるの」 オレに負けじと、ナミが声をあげて話に加わってきた。 ま、オレのことをライバルだって思うのは構わないけど、その意気込みが空回りしないように気をつけるのが一番だろう。 「すっごいトレーナーって……どんな風に?」 「えっとね……」 息巻くナミに、微笑みながら問いを投げかけるカリンさん。 訊かれるとは思っていなかったのか、ナミは口をパクパクさせていた。でも、すぐに顔を上げて、 「強くてカッコいいトレーナーなの。 そうねえ、歌って踊れて戦えて、それから華麗にフィニッシュ決めてみんなからの注目を浴びるの」 「そ、そう……結構いいんじゃないかしら、そういうのも」 目に炎など燃やしながら熱く語るナミを見つめ、カリンさんが一歩退いた。 声も心なしか震えているようだったし……いきなりっていうのは彼女も同じことだったんだろう。 どんな風にすごいトレーナーなのかと訊いたのに、面白おかしい尾びれがついてきたんだから、そりゃ一歩退きたくなるのも分かるんだけど。 「それはそうと……」 カリンさんはどこかぎこちない動きで身体の向きを変え、オレに話を振ってきた。 「カントーリーグには出るのかしら? トレーナーとして旅してるのなら、一度くらいは経験しといた方がいいと思うんだけどね」 「もちろんです。バッジをあと一つゲットすれば出られるんですよ」 カントーリーグ出場に必要なリーグバッジの、八つのうちすでに七つをゲットしたと告げると、カリンさんは今度こそ本気で驚いた。 「それはすごいじゃない。 確か旅立って一ヶ月くらいだったわよね。 それでバッジを七つゲットしちゃうなんて…… 信じられないって気持ちは確かにあるんだけど、そこまで早いペースでバッジを集めたトレーナーなんて見たことないわ。 わたしが知ってる最短記録で二ヶ月くらいだったし。 まあ、ホウエン地方は結構広いし、名所も数多いから、一ヶ月じゃさすがにキツイかしら」 信じられない気持ちはあると、堂々と言ってきた。 でも、オレは下手に繕って本音を隠すような人よりは、カリンさんのようにキッチリ言ってくれる人の方が好感を持てる。 確かに、旅立って一ヶ月でバッジを七つもゲットするなんて、普通じゃまず考えられないようなペースだからさ。 サトシだってオレの倍くらいの時間をかけたって言ってた。 それだけいろんな場所に行って、いろんなものを見てきたってことなんだろう。 オレたちは必要最低限の場所にしか行ってない。 だからどうした、って言うワケじゃないけど、やっぱりたくさんのポケモンを見たいっていう気持ちはあるんだよなあ…… ホウエン地方には、オレの知らないポケモンがたくさんいるって話だし。 セイジのマッスグマや、ミツルのフライゴンなんかがそうだ。 カントーやジョウトじゃ見られないような、不思議なポケモンもいっぱいいるんだろう。 伝説のポケモンと呼ばれるほどの存在も、きっといるんだろうな。 カントー地方で伝説のポケモンと呼ばれているのは、サンダー、フリーザー、ファイヤーの三体の鳥ポケモンだ。 呼び名どおり、サンダーは電気タイプを、フリーザーは氷タイプ、ファイヤーは炎タイプをそれぞれ持っている。 鳥ポケモンだから、もちろん飛行タイプも併せ持ってるんだ。 一度でいいから会ってみたいと思うけど、そう簡単に会えるような相手じゃないらしい。 伝説のポケモンって言うと、実際に使ってるトレーナーを見たことがないから、どれくらい強いのか分からない。 普通のポケモンよりはよっぽど強いとは思うんだけどさ。 やっぱり、伝説っていう名を冠するに値するだけの強さと、神々しさ、神秘性を持ってるんだろうな。 ホウエン地方にも、そんなポケモンがいるのかもしれない。 そう思うだけで、ワクワクしてくる。 ホウエン地方にはどんな伝説のポケモンがいるのか、カリンさんに訊いてみようと口を開きかけた矢先だった。 ナミがまたしても割り込んできた。 「カリンおばさん、腰にモンスターボール差してるけど、おばさんのポケモンなの?」 「は?」 何バカなこと言ってんだ……って思ったのは一瞬だった。 確かに、カリンさんの腰には左右にそれぞれ三つずつモンスターボールがぶら下がってたんだ。 今の今まで気づかなかった……ナミに言われなきゃ、きっと見逃していただろう。 なんか悔しいけど、これが女の第六感ってヤツなんだろうか……? オレの位置からだとちょうど白衣に隠れて見えなかっただけか。 なんだ、第六感なんて大げさなこと考えて損したぜ。 ナミのことだから、何をやっても大して驚きはしないけどさ……でも、気になるなあ。 カリンさんって研究者としての気質が強い人だから、一体どんなポケモンを持ってるんだろう……? 「そうよ。わたしのポケモンなの」 カリンさんは笑みを深めると、腰にぶら下げたモンスターボールを一つ、手に取った。 「見てみる?」 「見るっ!!」 ナミは目の前にモンスターボールを差し出され、目をキラキラ輝かせた。 このボールには、ホウエン地方のポケモンが入ってるんだろうか……? そう思うと、オレもドキドキしてきたよ。 「それじゃあ……カモン!!」 カリンさんはモンスターボールを軽く放り投げた。 ボールの表面を陽光が滑り、キラリと反射して眩しさを感じた瞬間、ボールの口が開いて、中からポケモンが飛び出してきた。 「ブラっ……」 カリンさんの足元に現れたポケモンは、そんな声をあげて、オレとナミを交互に見上げてきた。 「ブラッキーだ……」 オレは屈み込み、ポケモン――ブラッキーと同じ目線に立った。 げっこうポケモンのブラッキーは、爪先から尖った耳の先まで真っ黒な身体をしていて、シッポと耳に黄色い縞が入っている。 身体の数箇所に、黄色い輪っかがあるけど、これはいずれも進化した時に、そのポケモンの特徴として現れるものらしい。 だから、ブラッキーと一口に言っても、それぞれの個体で、輪っかの場所や数は異なっているとか。 オレとブラッキーの目がピッタリと合った。 真っ赤な瞳は血を固めたような鮮やかな色。 身体の黒さと相まって不気味に感じられる人もいるそうだけど、オレには全然不気味とは思えない。 むしろ、妙な愛嬌があっていい感じだ。 身長はラズリーやトパーズと同じくらい。 というのも、ブラッキーはラズリーやトパーズと同じで、イーブイから進化したポケモンだから。 ご存知の通り、イーブイは五つの進化形に進化する可能性を持つという特異なポケモンだ。 その進化形は、ブースター、シャワーズ、サンダース、エーフィ、ブラッキーの五種類。 進化の石を使えばブースター、シャワーズ、サンダースに進化できる。 エーフィとブラッキーに関しては、進化の石ではなく、とある特殊な条件下で進化するって言われてるんだ。 そこまではさすがに分からないんだけど……特殊と言うからには、簡単には進化してくれないんだろう。 エーフィはブラッキーと違ってピンクと紫を混ぜたような身体の色をしてて、シッポの先が二つに分かれている。 いずれ会う機会があったら、その時は詳しい説明をするけどさ。 ブラッキーはホウエン地方のポケモンじゃないけど、カントー地方じゃ結構珍しい方に入るんだよな。 見た目から連想されるように悪タイプで、エスパータイプの技を完全に無効にすることができる。 その上、特性は『シンクロ』。 相手の攻撃で毒、麻痺、火傷の状態異常になった時、自分と同じ異常を相手にも与える、ある意味で凶悪極まりないものだ。 まあ、種がバレたらそれを無効にする手段はいくらでも思いつくんだけどね。 まずは『柔軟』っていう特性を持ったポケモンでブラッキーを麻痺させる。 他には、毒タイプのポケモンでブラッキーを毒状態にしてしまう。 自分のポケモンの特性やタイプを把握できれば、一方的にブラッキーだけを状態異常にすることができるんだ。 弱点もあるけど、全体的にバランスは取れてるんじゃないかと思う。 カリンおばさんがブラッキーを持ってたなんて……正直言って、驚いたよ。 シゲルもイーブイをブラッキーに進化させたし、見た目を裏切ったタフさを頼りにしてるのかもしれない。 「おばさん、ブラッキーなんて持ってたんだね。驚いちゃった」 オレと同じようで、ナミは驚きを隠しきれない様子だった。 「ふふ、驚いたでしょ?」 さもありなんと言わんばかりに微笑むカリンさん。 普通に研究者をやっていたのでは、イーブイをブラッキーに進化させるなんてまず無理なことだ。 ある程度バトルで実力をつけて、その上で特殊な条件下に置いた時、初めて進化するんだから。 レベルに関係なく、単に進化の石を宛がえば進化するような生易しい進化ではないはずだ。 だからこそ、余計に分からなくなる。 カリンさんって、単なる研究者ってだけじゃないんだろうか? オレが知ってるカリンさんって、インドア派の研究者で、派手さはないけど堅実で勤勉な人ってところだ。 言い換えればそれ以外のことはあまり分からない。 暇な時を見つけて、ポケモンを育てているのかもしれないけど…… さすがにそこまで突っ込んだことを訊くわけにもいかないだろう。 親しき仲にも礼儀ありっていう言葉もあることだし、この際、謎は謎のままにしておくのも、いいかもしれない。 「ブラっ……」 ブラッキーがオレに向かって声を発した。 トーンは低めで、さしずめ『なんでオレのこと見てるんだ?』ってところだろうか。 さすがに見つめられたままでいると、オレの視線が気になるらしい。 別にオレとしても品評するようなつもりはないさ。 ただ、単にブラッキーなんて珍しいから、ちょっとよく見ておこうと思っただけのことだ。 それでブラッキーが気を悪くしたのなら、悪いことをしたって思うけど…… 見た感じ、ブラッキーは気を悪くしたような表情ではない。 気になるっていう程度なんだろう。 「あら……」 ポケモンのかすかな変化にも気がついたようで、カリンさんが視線をブラッキーに下ろした。 「ブラッキー、アカツキ君のことが気になるのね」 「分かるんですか?」 「ええ、もちろん」 オレは驚いて顔を上げた。 目が合ったカリンさんが小さく頷く。 当然といえば当然か、カリンさんはブラッキーの心境というのを些細な変化から読み取っているようだ。 「だって、わたしのブラッキー、普通の人が相手じゃ、後ろ足で砂を引っ掛けて逃げちゃうような性格してるんだもの」 「うえぇ……」 オレは呻いた。 そんな性格なのか、目の前にいるカリンさんのブラッキーって。 なんだかとんでもないポケモンと同じ目線に立ってるんだなあ。 もしこれがナミだったら、後ろ足で砂を引っ掛けてカリンさんの後ろに隠れちゃうんだろうか? 臆病……っていうか、小悪魔みたいな性格だな、これは。 さすがに悪タイプのポケモンのことだけはある。妙に納得できるから、なんだか不思議だ。 「それをしないってことは、アカツキ君のことが気になってるからなの」 「へえ……」 ナミがすぐ横から割り込んできた。 ブラッキーはナミに一瞥くれたものの、すぐにオレに視線を向けてきた。どうやら、ナミには興味がないらしい。 だが、ナミは全然気にしていないようで、「わあ……」とか「かわE〜」なんて感嘆の声を漏らしている。 これはこれで神経図太くて羨ましいんだけどな…… 「でも、オレの何が気になってるんだ?」 ブラッキーは視線こそ向けてくるけど、それを直接オレに伝えかけてきてるわけじゃない。 言葉が通じればすぐにでも意気投合できるかもしれないけど。 その術がない以上、どうすることもできない。勝手な想像で満足する気はないんだけどなあ…… どうにかしてブラッキーが気になっている『オレの何か』を知る術はないものかと思案していると、 「君のポケモンが気になってるみたいね。 もちろん君に対しても興味はあるみたいだけど……ブラッキー、そうでしょ?」 「ブラっ」 カリンさんの言葉に、ブラッキーはシッポを左右に振った。 そうだ、と答えているようだ。 「オレのポケモンって……一体誰のことだって……」 皆目見当がつかず、ポツリ漏らした時だった。オレは不意に気がついた。 ブラッキーが興味を示すようなポケモンといえば…… オレは迷わずモンスターボールをつかんで、中にいるポケモンにそっと呼びかけた。 「ラズリー、出ておいで」 「ん?」 オレの声に応えて、ボールが口を開く。 カリンさんは興味深げに眉を動かすと、口が開いたボールに目を向けた。 ラズリーがオレのすぐ傍に飛び出した。 「ブーっ……」 「ブラっ……!!」 ラズリーの姿を見て、ブラッキーの目の色が変わった。 いや、雰囲気って言った方がいいか……すごく興味を示しているようだ。 「ブーッ……?」 ラズリーは目の前にいる、似たような体格をした相手の目を見つめ返した。 ラズリーとブラッキーは体格的に似通っていて、違うのは身体の色くらいだろうか。 やっぱり、ラズリーも気になっているらしい。 お互いに鳴き合っているだけで、実際に何を話しているのかは分からないけど……結構仲は良さげだ。 「あ、ラズリーちゃんに興味があったんだ。 じゃあ、あたしのトパーズちゃんも入れたらもっと楽しくなりそうだね♪」 なんて一方的に宣言し、ナミも同じようにモンスターボールを手に取った。 なんかややこしいことになりそうなんですけど…… オレはカリンさんに目を向けたけど、カリンさんはカリンさんで微笑をたたえたまま、ナミを止めようとはしなかった。 「じゃ、トパーズちゃん、出ておいでっ♪」 ボールを頭上に掲げて呼びかけると…… ぽんっ!! そんな音がして、ボールの口が開いて、中からトパーズが飛び出してきた。 「あら……君たちもイーブイの進化形を持ってたのね、驚いたわ」 トパーズを見つめ、カリンさんが目を細めた。 ぜんぜん驚いてるようには見えなかったけど……ま、いっか。 トパーズはラズリーたちの方へ歩いていくと、「ワンっ」と一声あげた。 すると、ラズリーとブラッキーはさらに賑やかになった。 「ブーっ……」 「ワンっ」 「ブラっ……ブラ?」 「ブースタぁ……」 「ワンワンっ!!」 一体何がなんだか全然分かんないけど、みんな楽しそうだ。 イーブイの進化形という共通項があるせいか、ずいぶんと仲良くやっている。 ま、楽しそうだから、何も言わないさ。 こうやって和気藹々とやってリラックスするっていうのも、実際は大切なことなんだから。 ポケモンも人間と同じで、ストレスを溜め込んだままだと、いつかは爆発してしまう。 だから、適度にガス抜きをして、心を落ち着かせた状態でバトルに臨むというのも、とても大切なことなんだ。 こういった形でガス抜きすることになるなんて、まったく予期していなかったけど、そういうのってやっぱり楽しいんだよ。 「みんな、楽しそう……」 ナミがなにやら楽しそうなラズリーたちに目をやり、表情を輝かせた。 「まったくだわ。君たちがイーブイの進化形を持ってるなんて思わなかった。 それに、ブラッキーの楽しそうな顔を見るのも、本当に久しぶりだわ」 カリンさんの言うとおり、ブラッキーはとても楽しそうな顔をしていた。 それについてはラズリーやトパーズも同じことが言えたけど、やっぱりブラッキーが一番楽しそうに見えた。 ラズリーやトパーズは見慣れてるって部分もあるからな……そういうのを、新鮮味っていうんだろうか。 「ラズリーとトパーズは、旅に出る前はイーブイだったんです。 じいちゃんから譲ってもらったポケモンだったんですよ」 「そうだったの……でも、さすがに毛艶はいいわね。 あのサンダース……トパーズちゃんって言うんだっけ? すごくリラックスしてるのね。全身の毛が逆立ってないわ」 オレの言葉に興味深げに頷くカリンさんだけど、こんな時にでも研究は欠かさないらしい。 トパーズの毛が針みたく逆立っているのはバトルの時だけ。 リラックスしている時は滑らかな肌触りなんだ。 うっとりするほどの極上さっていうのはないけど、なかなかの触り心地だった。 「今じゃ信じられないけど、ラズリーはオレと初めて会った時、すっごく臆病だったんです。 進化したせいか、すごく勇敢な性格になっちゃいましたけど……」 屈託なく笑うラズリー。 出会った当時は、そんな表情、とても想像できなかったけれど……今は違う。 幸か不幸か、性格がガラリと変わっちゃった。 そのことで気になるところがあって、オレはカリンさんに訊ねてみた。 「進化で性格が変わることってあるんですか? コイキングがギャラドスに進化する時、脳細胞が組み変わるとかで凶暴になっちゃうって話はよく聞くんですけど。 それ以外の実例とかは……」 「何通りかは報告を受けているわ。 確かに、進化がその引き金になるって可能性は皆無じゃないと思う。 でも、そうやって一方的に決め付けちゃうのも、問題があると思うけどね」 カリンさんは肩をすくめると、ラズリーに視線を向けた。 「ラズリーちゃんを見てると、進化が後押ししたってところはあるんじゃないかと思うの。 でも、ラズリーちゃんはラズリーちゃんなりに変わろうとしていたんじゃないかしら。 進化という形で自分に自信がついたから、物怖じしないようになったっていうのがわたしの仮説ね。 君がどう思うかは知らないけどね」 「なるほど……参考になります」 オレは思わず相槌を打ち、頷いていたよ。 カリンさんの仮説は、ありふれているように見えるけど、とても説得力がある。 トレーナーのオレとしては、そう思わなきゃいけないんだろうな……ラズリーはラズリーなりに変わろうとしてた。 進化で実力を伸ばしたことがきっかけで、ラズリーはラズリーが望んだように変われたんじゃないかって。 言われてみれば、その通りかもしれない。 出会ったばかりのラズリーはとても頼りなくて、進化しても戦力として当てにならないだろうと思ってた部分も少なからずあった。 進化が最大のきっかけだったのかもしれない。 今がチャンスなんだって、ラズリーはきっとその波に乗れたんだろう。 だから、変われた。 そう思うと、オレが今までトレーナーとして頑張ってきたことも、少しは報われるのかもしれない。 他愛のない安堵感に浸っていると、ナミの底抜けて明るい声が耳に飛び込んできた。 「おばさん、ほかのポケモンも見たい?」 「見たいけど、ここじゃ出さない方がいいわね。 マサラタウンに着いたら……その時のお楽しみってことで、ね?」 「うん」 確かにここじゃ出さない方がいいだろう。 ラズリーやトパーズ、ブラッキー程度の大きさのポケモンなら、他の人に迷惑がかからないだろう。 でも、ルースやルーシーのような、ちょっと大きなポケモンが出てきたら、周囲に迷惑をかけてしまうかもしれない。 それなりに甲板も混んできたし。 グレン島の方に目を向けると、さっきよりもずいぶんと小さくなっていた。 あれからまたずいぶんと時間が経ったっていうことなんだろうな…… それだけマサラタウンに近づいている。 なんだか悪い気はしなかった。 乗っている人と同じ数の想いを乗せて、定期船は海原を往く。 <後半へと続く>