カントー編Vol.23 久しぶりの故郷 <後編> 半日後、オレたちは再びカントー地方の本島の土を踏んだ。 陽は西に傾き、マサラタウンに到着する頃にはちょうど西の山の稜線に太陽が沈んでいくんだろう。 「しかし、ずいぶんと久しぶりだわ」 定期船を降りたカリンさんの第一声。 周囲に顔を向ける彼女の目に映ったのは、きっと豊かな自然なんだろうと思う。 港なんて大層な名前はついてるけど、実際は単なる船着場に過ぎない。 桟橋と、船が停泊するスペースが確保されているだけで、道が整備されているわけではなく、コンビニや施設が立ち並んでいるわけでもない。 「あー、ここまで戻ってきたんだね。マサラタウンが見えてるよっ、ほら!!」 ナミが声を上げてはしゃいだ。 指差したその先に、マサラタウンの建物が見える。歩いていけば数十分とかからないだろう。 「ああ、そうだな。 もうこんなに近くに来ちまったんだ……」 オレも、ナンダカンダ言って結構感慨に耽ってたりするんだ。 故郷って、離れてみなければその大切さや偉大さといったものが分からないものだ…… どこかでそんな感じの言葉を聞いたことがあるけど、確かにその通りだと納得させられる。 「さて、それじゃあ行きましょうか。 オーキド博士には一刻も早く会いたいからね」 「はい」 オレたちはマサラタウンへ向かって歩き出した。 心なしか、いつもよりも胸の鼓動が速く、それでいてハッキリ聞こえる。 やっぱり、オレにとってのマサラタウンって、すっごく偉大なものなんだって思っちゃうよ。 「やはり、あまり代わり映えしないのね」 歩くにつれて、マサラタウンが少しずつ近づく。 カリンさんはポツリ漏らした。 彼女はじっとマサラタウンの方角を見つめていたが、不意に目を細めた。 そういえば、カリンさんが住んでるミシロタウンも、ホウエン地方の中じゃ田舎の方だって話だ。 近くに小さな港があるのも、自然が豊かなのも、マサラタウンにそっくりなんだよな。 居住地と似たような環境の場所に来て、少し懐かしく思っているのかもしれない。 当然といえば当然だけど、輪郭がハッキリしてきたマサラタウンは全然代わり映えしていなかった。 旅立って一ヶ月しか経ってないわけだから、ただでさえ変わりにくい町がそう簡単に変わるはずもない。 だけど、代わり映えしてないのを見て、ホッとした。 いつまで経っても、このマサラタウンが静かで豊かな環境の中にあったらいいな。 オレには都会は似合わないからさ。 人の多さには目眩がするし、賑やかで煌びやかな都会って、いろいろとややこしそうだから。 「あ、おじーちゃんの研究所が見えてきたよっ!!」 ナミが指差した先に目をやると、小高い丘の上にじいちゃんの研究所が見えた。研究所の建屋の傍にある風車が、ゆっくりと回っている。 のどかな町並みが近づく。 道の少し先に、町の入り口であるアーチがある。 アーチをくぐれば、そこから先がマサラタウンだ。 「そういえば、ショウゴは元気にしてるの?」 不意にカリンさんに訊ねられ、オレは驚いて何も言い返せなかった。 「え、えっと……」 そういや、カリンさんと親父は親友なんだっけ。研究仲間っていう間柄が強いけど、実際はそれ以上の関係らしい。 だから、オレはカリンさんに親父との確執といったややこしい話は避けてきたんだ。 話題にも出さないように、結構言葉には気を配ってたんだけど……まさか、カリンさんの方から切り出してくるなんて。 さすがに無視するわけにもいかず、オレは短く返した。 「一応元気にしてますよ。多分……」 「そう。それならいいんだけど……あいつ、あんまり連絡をくれないのよね」 呆れたように言うと、カリンさんは肩をすくめた。 同年代ということもあって、親父とは話題が結構合うらしい。以前に談笑していたのを覚えてる。 カリンさんと話してる時の親父の顔、とっても輝いてたな。 息子いびりする時の顔とは正反対だ。 親友とは言っても、他人は他人だ。身内であるオレに対する態度とは明らかに違ってた。 それも親父のことを腹立たしく思う要因のひとつだったりするわけだけど…… 「まあ、あいつがへこたれてるような姿は想像できないわ。 さて、マサラタウンに到着ね」 カリンさんの言葉が終わるか終わらないかのうちに、オレたちはアーチをくぐって、マサラタウンに入った。 やっぱり…… 「ぜんぜん変わってねえや……まあ、その方がいいんだけどな」 オレは変わらぬ町並みに、ホッと胸を撫で下ろした。 暖かみのある風景と、人情に厚い住人。それだけでも十分すぎるほどだ。 華々しさや賑やかさなんてものは、この町には不釣合いで、それでいて不要なシロモノさ。 じいちゃんの研究所は町の北東部……郊外に位置している。メインストリートが十字架のように東西南北に伸びているんだ。 メインストリートの両脇に立ち並ぶ建物も周囲の景観を損ねないために、地味な佇まいになっている。 窓の外に置いてある鉢植えに水をやるおばさんがいたり、家の前で犬と戯れてる子供がいたり。 都会では考えられないようなほのぼのした光景があちらこちらで見受けられる。 「ミシロタウンと本当によく似てるわ。 でも、ミシロタウンは少しずつ変わってるの。いずれは都会になるのかと思うと、なんだか悲しいわね」 「そうなんですか……」 淋しそうに漏らすカリンさんに相槌を打つ。 ミシロタウンはちょっとずつ変わってるんだ…… マサラタウンののどかな光景を見て目を細めていたカリンさんは、ミシロタウンのことを懐かしんでたわけじゃない。 少しずつ、だけど確実に変わっていくミシロタウンの行く末を案じていたんだ。 そう思うと、オレもなんだか淋しい気分になってくる。マサラタウンが都会になったら……なんて、あんまり考えたくもないからさ。 いつかは変わってしまうにしても……無責任な考えかもしれないけど、オレが生きてるうちは変わらないでいて欲しいな。 だって、そうだろ? 生まれ育った故郷が変わっていく様なんて、誰だって見てたくはないはずだから。 カリンさんが顔を上げた。 「ごめんなさいね、変なこと言っちゃって」 「変だなんて、そんなことないですよ」 オレがフォローを入れたものの、カリンさんの表情はあまり晴れなかった。 気にするなと言われて、「はいそうですか」とすぐに振り払えるような考えじゃないんだろう。 オレにも少しは気持ちが分かるから、これ以上は何も言わないことにしよう。 オレのすぐ傍で、ナミは片っ端から顔見知りの人と楽しそうに話してたりする。 こいつに『場の雰囲気を読む』っていう高等テクを期待するのも無駄だろうから、こっちの方にも何も言わなかった。 言ったら言ったでややこしくなるだろうなあ、と思って。 町を縦断、あるいは横断する二本のメインストリートの合流地点を右に折れると、視界の先に拓けた郊外が見えてきた。 なだらかな傾斜の小高い丘に、じいちゃんの研究所がポツンと建っている。 郊外の敷地はほとんどオーキド家の所有で、そのおかげでたくさんの種類のポケモンが暮らす環境を整えることができる。 この時間だと、みんな中にいるんだろう。 空に朱色が差しはじめ、ケンジとナナミ姉ちゃんが夕食の準備に取り掛かってるんだろうな。 じいちゃんはじいちゃんで、モンスターボールの中を見ることができる特殊な顕微鏡を覗きこんで、いろいろと研究しているに違いない。 こっちの方も変わってなさそうで、何よりだ。 研究所へと続く道を歩きながら、オレはそんなことを思った。 じいちゃんも結構トシだから、無茶して寝込んじゃいないかと心配になることもあるんだ。 ケンジとナナミ姉ちゃんがいれば、よっぽどのことがない限り無茶はしないと思うんだけど…… それでも、人間やっぱり歳には勝てないんだよなぁ。 若いオレがどうこう言うことじゃないけど、じいちゃんのこと、結構心配してるんだぜ。 ばあちゃんは何年か前に死んじゃって、その時のじいちゃんの落ち込みようは、それこそハンパじゃなかったんだ。 このまま後を追っちゃうんじゃないかって、幼心にもどうなるものかと心配したけれど…… じいちゃんに会ったら、一番に何を言おうかな? 研究所の入り口に目線を据えながら、じいちゃんに言う言葉を考えていると、戸が開いてナナミ姉ちゃんが出てきた。 バスケットを手にしてるけど、夕食の材料の買出しだろうか。 それにしては時間的に結構遅いな……なんでもテキパキこなすナナミ姉ちゃんらしくもない。 あれこれ思案しているオレを余所に、ナミが大きな声を上げ、手を振った。 「お〜い、ナナミおねえちゃ〜んっ!!」 その声に気付いたのか、ナナミ姉ちゃんは戸を閉めかけ――振り返った。 姉ちゃんの顔がパッと明るくなった。オレとナミの存在に気がついたんだ。 ナミはおもむろに駆け出すと、全力疾走でメインストリートを駆け抜けて、数十段の階段を二段飛ばしで軽々と登っていった。 「…………グレンジムの時もそうやって登ってたんだろうな……」 なんとなく、あの数百段をナミが登った時の様子が想像できた。 今のように、一気に駆け上がっていったに違いない。 女の子って、変なところで妙なチカラ持ってるものだから。 なんていうか、恋する乙女は天変地異にも負けないっていうか…… ナナミ姉ちゃんの傍にあっという間にたどり着いたナミは、驚いている姉ちゃんの顔をじっと見つめながら、口を動かし始めた。 久々の再会に、堰を切ったような勢いで話しているんだろう。 「あらあら……ナミちゃんってパワフルねえ」 感心しているのか、呆れているのか。 どちらとも取れるような口調でカリンさんが言った。 この際どっちでも構わないんですけど…… ナミのヤツ、ちょっとは雰囲気(ムード)ってのを考えろよな。 思わず胸中で愚痴が飛び出すけど、噛み殺すしかない。 オレたちが到着するまで、ナナミ姉ちゃんはナミを相手にしてくれていたらしい。 ちょっと困ったような顔を向けてきたけど、ナミのペースにちょっと引きずり込まれてしまったようだ。 「一瞬誰かと思ったんだけど……やっぱりあなたたちだったのね。元気そうで良かったわ」 オレの顔を見て、これ以上ナミにしゃべられずに済むと思ったのか、ナナミ姉ちゃんはホッと胸を撫で下ろしたようだった。 「久しぶり、ナナミ姉ちゃん。そっちこそ元気にしてたみたいだな」 「まあね。ところで……」 ニッコリ頷くと、姉ちゃんはカリンさんに顔を向けた。 「カリンさん、お久しぶりです」 「ええ、久しぶり。ナナミちゃん、ずいぶんと大人っぽくなったわね。見違えちゃったわ」 「そんな、とんでもない。 私はまだまだヒヨっ子ですよ。おじいちゃんには到底及びません」 お世辞じゃないけど、姉ちゃんは謙虚だから、口の端に笑みなんて浮かべつつも首を横に振った。 大人っぽくなったって言われて、内心喜びを隠しきれない様子。 うーん…… ナナミ姉ちゃんはナナミ姉ちゃんで、大人っぽくなったっていう感じはしない。 一ヶ月前と今じゃ、ほとんど変わってないんだけど。 やっぱり、大人の女性同士だと、ちょっとした変化にも気がつくものなんだろう。 勝手にそう結論付けて、オレは姉ちゃんに切り出した。 「姉ちゃん、じいちゃんは中にいるのか?」 「うん。ケンジ君と一緒にポケモンの学会に提出する論文を作成中よ。 締め切りが明日だって話だから忙しそうにしてたけど、あなたたちの顔を見れば、安心すると思うわ」 「本当に大丈夫なの? 忙しいって……」 「大丈夫。学会よりも、孫のあなたたちの方が大切なんだから。 私は買い物に行って来るんだけど、その間だけでもいいわ。おじいちゃんにあなたたちの元気な顔を見せてあげてね。 それじゃあ……」 カリンさんに小さく頭を下げ、ナナミ姉ちゃんは軽やかな足取りで階段を駆け下りていった。 ナンダカンダ言って、姉ちゃんもオレたちの顔を見れて満足したんだろう。 オレも、姉ちゃんが元気にやってるのを見てよかったと思ってるよ。 「ナナミおねえちゃん、元気そうだったね!!」 「ああ……で、オレたちが来るまで何を話してたんだ?」 階段を颯爽と駆け下りていく姉ちゃんの背中を見つめながら、オレはナミに訊いた。 姉ちゃんが困惑するような話でもしたんだろうか……何気に気になるんだよ。 「うん。今までのことを話してたの。ついついしゃべりすぎちゃったみたい。えへっ」 「えへっ、じゃないだろ……姉ちゃん、困ったような顔してたぞ。 後でゆっくり話せばよかったのに」 「え〜っ、なんでそれを早く言ってくれなかったの〜?」 オレの言葉に、ナミは頬を膨らませて反論してきた。 なんで反論してくるんだか……それこそ意味不明だぞ。 「あのなあ、オレが言うよりも先に、おまえがすっげぇスピードで駆け出したんだろうが。オレの責任にするなよ」 「うぅ……」 強気に出ると、ナミは萎れた草花のように縮こまってしまった。 オレとしては当然のことを言ったまでだけど、今回は効きすぎたみたいだ。 言い過ぎたと謝ろうと思ったら、カリンさんが口を開いた。 「ナミちゃん。 ナナミちゃんと再会して喜んでたのは分かるわ。 でもね、相手のことをちゃんと考えてあげなきゃ。 アカツキ君だって、ホントはそんなこと言いたくなかったと思うの。ね?」 「うん、気をつけるね」 慰められて、ナミは息を吹き返したように元気になった。 ホントに分かってるのかは……まあ確かめないことにして、こんなところでつまんないことを論議してても仕方ないよな。 「それじゃ、行くぜ」 ナナミ姉ちゃんが閉め損ねた戸を開け、オレたちは研究所の中に入った。 中はいろいろな機械がぐいんぐいん唸ってる音がするだけで、生活観はまるで見られない。 それだけじいちゃんとケンジが論文執筆に取り組んでるってことなんだろう。 それを邪魔するのかと思うと、結構気が引けたりとかするんだけど、ナナミ姉ちゃんだって言ってた。 「あなたたちの顔を見れば安心すると思う」って。 カリンさんっていうお客さんも来てるんだし、じいちゃんだって一時中断、くらいはするだろう。 「ちょっとだけ配置が変わったかしら? あの機械は見たことがあるけれど……」 じいちゃんの研究室へ続く廊下を歩きながら、カリンさんが左右に視線をめぐらせてつぶやいた。 カリンさんが前にここに来たのは、三年くらい前になるんだろうか。 あの頃と比べると増改築とかして、リフォームも結構変わってるからな。 それでも、あちらこちらで唸ってる機械に見覚えがあるっていうんだから、すごい記憶力だ。 つぶやきを漏らす口調からは、懐かしさに似た感情が窺える。 じいちゃんに会うのが楽しみなのは、カリンさんも同じだ。 テレビ電話と実物じゃ、結構違うと思うんだ。 モンスターボールの保管室を通り抜けた先――行き止まりに木のドアがある。 その向こうがじいちゃんの研究室だ。 ドアには「研究中」という木のプレートがかけられていて、無用な訪問をシャットアウトしてるんだ。 オレはドアの前で足を止めた。 プレートの文字はじいちゃんが書いたもので、一筆入魂と呼ぶに相応しい字体だった。 それだけ研究に熱中してるってことが、字体からもずしりと伝わってくるんだから、ドアをノックすることすら躊躇われる。 締め切りが明日って言ってたっけ……誤字脱字がないか、最終チェックの段階に来てないと、とてもじゃないが間に合わないだろう。 今はメールですぐ送れるけど、じいちゃんのことだから、最後の最後まで推敲や誤字脱字のチェックに手を抜かないんだろうな。 「アカツキ君、やっぱり邪魔しちゃダメだって思ってるのね?」 何もしないオレの背に、カリンさんの優しい言葉が飛んできた。 「……姉ちゃんはオレたちの顔を見れば安心するって言ってたけど。じいちゃんの邪魔はしたくないなって……」 「どんなにせっぱ詰まった状況でも、孫が戻ってきたのを邪魔に思うような人じゃないわよ、博士は」 分かってる、それくらい。 でも、じいちゃんの邪魔をするってことに抵抗があるんだ。 親父の邪魔なら喜んでしちゃうけど…… 論文の提出があるってことは、近々学会に出席するってことだ。じいちゃんには一刻の猶予すらないはずなんだ。 「さ、行きましょ♪」 意気揚々と声を上げ、ナミがドアノブに手をかけた。 ……って、じいちゃんの邪魔をするっていう自覚がないのか、こいつは!! 喝を入れてやろうかと思ったけど、それこそじいちゃんの邪魔になると思って、ぐっと言葉を飲み下した。 と、肩に重みを感じ、振り返った。 カリンさんがオレに微笑みかけてきた。 大丈夫……何も言わなかったけど、その微笑みが物語っている。 じいちゃんなら、多少の遅れは簡単に取り戻せる。 いざとなったら、その時は君も手伝えばいいんだ、と。 そうなんだ。分かってるよ。 でも、相手が他人だったら、ためらう理由なんてなかった。 誰よりも尊敬してるじいちゃんが相手だから、どうしても慎重にならざるを得ない。 やだな……なんかオレ、妙に臆病になってないか? 嫌われるかもしれないなんて思ってるわけじゃない。 それでもなんか違う。 臆病になってるよなあ……妙に気持ちがグラついてるし。 いろいろと諸問題を抱えているせいなんだろうな。 あー、ウジウジしてても仕方ない!! 無理矢理気持ちを整理したところで、ナミがドアを開けた。 「おじ〜ちゃ〜ん、ただいま〜♪」 ネコかぶったような甘えた声で言いながら、室内に踏み込んでいく。 ……なにも、そんな入り方しなくてもいいのに。 普通にただいまって言えばいいんだ。 文句を言っても、せっかくの再会に水を差すような気がして、やめた。 オレは小さくため息を漏らすと、ナミの後に続いて研究室に入った。 広さは二十畳ほどで、三方に窓が設けられているけれど、壁という壁は本棚で覆われてほとんど見えなくなっている。 中央に大きな木をくり貫いて作られたテーブルと数脚の椅子、部屋の奥の方には申し訳程度にひっそりとパソコンが置かれている。 じいちゃんとケンジは、膨大な資料を前に、テーブルに向かって格闘していた。 オレたちが入ってきたことに気がついて顔を向けてくるなり、二人の表情がパッと明るくなった。 「おお、ナミ、アカツキ。 それにカリン君も……よく帰って来たのう」 じいちゃんはペンを放り出し、笑顔で駆けつけてきた。 ホントに、オレたちが戻ってきたのを知って、喜んでくれてるんだ。 邪魔だなんて、思っちゃいないんだ。 つまんないことを考えてたんだって、今さらながら後悔しちゃうよ。 どんなに予定が立て込んでいても、じいちゃんがオレたちのことを無下に扱ったことなんて、なかったのにさ。 「アカツキ、ナミ、元気してたかい?」 「ああ、もちろん。ケンジこそ元気そうで何よりだ」 じいちゃんもケンジもとても元気そうで良かった。 この二人が落ち込む姿なんて、それこそ想像できないんだけどさ。 「えっと……」 一頻り挨拶し終えたところで、ケンジがカリンさんの方を向いた。 あ、そっか。 ケンジはカリンさんと会ったことないんだっけ。 「この人誰?」って顔をしてるけど、カリンさんは気に留める様子もなく、笑顔のままだった。 「君がケンジ君ね。 はじめまして、ミシロタウンのオダマキ博士の妻のカリンです」 「あ、はじめまして……!!」 差し出された手をギュッと握るケンジの顔は赤らんでいた。 カリンさんが美人なものだから、思わず見惚れてしまってるんだろう。 やれやれ……ケンジも意外と純情なトコ、あるんだなあ。 からかえるネタができたんで、オレは胸の中でガッツポーズを取った。 だって、ケンジって研究熱心だから、こういう純情なシーンなんて、それこそ想像すらしたことなかったんだ。 やっぱ、お年ごろなんだなあ…… 「照れてる照れてる!!」 ナミが赤らんだケンジの顔を見て、はしゃぎたてた。 良くも悪くも正直なんだよな、こいつは……思ったことをすぐに口に出すんだ。 いいことなのか悪いことなのか、今のオレにはよく分からないけど……たぶん今は悪い方なんだろう。 痛いところを突かれたようで、ケンジはさらに顔を真っ赤にして、ナミに食ってかかった。 「ナミ!! 君ってヤツは……もう!! なんでそうやって人をからかうんだよ!!」 「だってぇ……」 だけど、ナミは痛くも痒くもないと言わんばかりにニッコリ笑うと、視線をオレに向けてきた。 ……ってオレ!? 糸のように細い眼を見て、オレは不吉な何かを感じずにはいられなかった。 そして、それは嫌と言うほど的中する。 文字通り、百発百中で。 ケンジが勢いよく振り向いてくる。 真っ赤に染まった顔は、鬼か修羅かと見まごうような形相。 ヲイ……オレも共犯だなんて思ってるわけじゃないだろうな!? いや、思ってるって絶対!! 今にも噴火しそうな顔を向けられ、オレとしても苦笑するしかなくて…… 「なに、アカツキも同じだってこと!?」 「バカなこと言ってんなよ。ケンジをからかうより、ナミからかった方がよっぽど面白いって」 「…………」 「ちょっと、なによそれ!!」 ケンジがクールダウンしていくのとは対照的に、今度はナミが顔を赤くしてヒートアップしていく。 なんかシーソーゲームやってるような感じがなんとなく楽しいかも。 こんなこと、口が裂けても言えないけど。 「ま、そりゃそっか」 元の顔色に戻ったケンジが、思いついたように手を叩く。 「ぶーぶー!!」 ナミは声を上げ、拳を上げ、精一杯の抗議をしているつもりのようだ。 こいつ、単純だから慰めるのは簡単なんだよな……そう思った時だった。 「これこれ、ケンカはよさんか。 せっかく戻ってきたんじゃ、積もる話もあるじゃろう」 じいちゃんの鶴の声に、ナミもクールダウン。 何か言いたそうなに頬を膨らませていたけど、やがて納得したように、元の鞘に納まった。 やっぱ、じいちゃんって偉大(すごい)よ。 その場の雰囲気を一言で変えてしまうんだから。亀の甲より年の功、とはよく言ったもので。 「しかし……見苦しいところを見せてしまったようじゃな。久しぶりじゃ、カリン君」 「お久しぶりです、オーキド博士。 以前とお変わりないようで、安心しました」 カリンさんは恭しく頭を下げた。 心の底から尊敬していると、こういう風に気持ちが態度に出てしまうんだろう。 「本来ならば夫が直接お伺いするべきところ、わたしが参りました」 「構わんよ。 君ともいろいろと話をしたいと思っていたところだ。 君が得意とするポケモン心理学のところで、少々引っかかるところがあってな」 「光栄です。ぜひお願いいたします」 じいちゃんと直々に研究について話し合えるということで、カリンさんもうれしいんだろう。 笑みが一層深まったように見えた。 「じゃがその前に、孫たちと話をさせてもらっても構わんかな?」 「ええ、存分にどうぞ」 カリンさんが一歩横に退いた。 オレとじいちゃんの間を半ば遮るような形になっていたのを、意識していたんだろうな。 ナンダカンダ言って、抜け目ないんだから。 「じいちゃん……」 「よく帰って来たな。元気そうで何よりじゃ」 そう言って、じいちゃんはオレとナミの頭を優しく撫でてくれた。 一ヶ月前と比べて、じいちゃんはほんのちょっとだけ背が小さくなったような……気のせいかな。 結構トシだから、そういう風に思っちゃうだけかもしれない。 相変わらず研究熱心だなって、机の上に積み上げられた資料の量が如実に物語っている。 この中から、テーマに沿った部分を抜粋して論文を構成しているんだろう。 研究者になるつもりのないオレにとっては、よく分からないことだらけなんだけど…… 「一ヶ月ぶりくらいだよな……じいちゃんも元気にしてたみたいだし、安心したよ」 「うむ。 わしはまだまだ現役バリバリじゃからな。ポケモンたちと一緒に暮らしていると、チカラがもりもり湧いてくるんじゃ」 じいちゃんは自慢たっぷりに、胸を張って言ったけど、すぐに横からケンジの言葉が飛んできた。 「とかなんとか言って、この間張り切りすぎてギックリ腰になったばかりじゃないですか」 「なっ……何を言っとるか!!」 文字通りの横槍に、じいちゃんは顔を真っ赤にしてケンジを怒鳴りつけたけど、ケンジはニコニコしてた。 ナンダカンダ言って、このデコボコしたところも見てて楽しかったりします。 「おじーちゃん、結構元気だね」 ナミが何気にキツいツッコミを入れる。 一瞬、じいちゃんの表情が引きつったけど、すぐに何事もなかったかのように笑みが戻った。 「やっぱり、じいちゃんは相変わらずだよ」 「うむ。おまえたちは少し大きくなったかな。 一ヶ月という短い期間ではあったが、その間にいろいろなことを経験したんじゃろう」 「もちろん」 いろんな経験……オレはそれらの結晶をじいちゃんに見せた。 リュックからバッジケースを取り出し、開いてみせる。 中には七つのバッジが整然と並んでいる。 「うわ……もう七つも集めちゃったのかい?」 ケンジが驚いたような顔でつぶやいた。 一ヶ月で七つのバッジを集めてくるとは思っていなかったんだろう。 まあ、オレだってはじめはもっと時間かかるだろうと思ってたけど…… やっぱり、実行力だよな!! 「うむ、さすがはわしの孫じゃ!!」 じいちゃんはうれしそうな顔で何度も何度も頷いてくれた。 やっぱり、孫のオレたちが頑張ってるのを見て、うれしいんだろう。 そう思ってもらえるだけで、オレもとてもうれしいよ。 だって、どこかの誰かさんと違って、頑張りを素直に認めてくれてるんだから。 「あと一つでカントーリーグに出られるんだ。 カントーリーグに出られたら……一人前のトレーナーって証になるんだよな、じいちゃん?」 「そうじゃな…… ジム戦はそう簡単に勝てるものではないからの。そう言えるのかもしれん。 しかし、おまえたちがカントーリーグに出るとなると、スケジュールは空けておかなければならんな」 じいちゃんはニコニコしながら言葉を返してくれた。 じいちゃんに観に来てもらえるってのは、オレ的にすっごくうれしいし、楽しみなんだ。 「あたしもアカツキと同じなんだよ。ほら、見て見て」 ナミもバッジケースを取り出して、中身を見せびらかした。 じいちゃんやカリンさんはニコニコしながら見ててくれたけど、ケンジはどこか困惑してるように見えた。 なんていうか、ナミの妙な迫力(?)についていけないといった様子だ。 ま、それが普通の反応だと思うな。 昔からナミと接してきたオレやじいちゃん、オレたちのことを前から知ってるカリンさんはともかく。 ケンジはナミのそういった部分にはあんまり慣れてないんだろう。 「慣れろ」とは言わないけど……いや、いっそ慣れない方がいいのかも。 「そ、それよりさ……」 ケンジはナミのペースに引き込まれまいと必死になっているようで、どこか引きつった笑みを顔に張り付けたまま、こっちを向いた。 「今までに結構ポケモンとかゲットしてきたんじゃないのかい? まだここには転送されてきてないけど…… カントーリーグに出るんだったら、六体以上は集めなきゃいけないって話でしょ?」 「ああ」 ずいぶんと遠回しだけど、暗に『今までにゲットしてきたポケモンを見せろ』って言ってるんだ。 「そうだよねえ。あたしももっといっぱいポケモンゲットしなきゃダメなんだよね」 ナミは気づいているのかいないのか、あっけらかんと言った。 そういや、ナミはまだ四体しかポケモンを持ってないんだっけ。 でも、それでよく今までジム戦を勝ち抜いてこられたよな。 ある意味『逆境フォース』っていうか『天才的なポケモン運用』っていうか……結構スゴイことかもしんない。 変なところで感心していると、 「そうじゃな。おまえたちのモンスターボールは一つも転送されてこなかったな」 じいちゃんが顎を撫でながらポツリ漏らした。 モンスターボールがこの研究所に転送されるのは、手持ちの限界を超えてポケモンをゲットした時―― つまり、七体目のポケモンを手持ちに加えた時なんだ。 一度に面倒を見きれる数が六体なのは、トレーナーだけじゃなく、ポケモンに携わる人の常識だ。 それで、七体目をゲットした時、あらかじめ登録されている『ボックス』にゲットしたポケモンのモンスターボールが転送される。 マサラタウン出身のトレーナーはこの研究所が『ボックス』になっているから、モンスターボール保管室に転送されるんだ。 言うまでもなくオレもナミも七体目のポケモンなんてゲットしてないから、転送されてくるはずもなく…… 今の今まで、オレたちのポケモンを見たことがないという状態なんだ。 ラッシーやガーネット、ラズリーとトパーズは旅立つ前に手持ちに加わっていたから、じいちゃんもケンジもよく知っている。 それ以外のポケモン……リッピーにリンリ、ルース、ルーシー、サファイア、パールの六体は、この場の誰も見たことがない。 旅をしてきた成果ってことで、リーグバッジ以外に披露するのもいいかもしんない。 バッジケースをリュックに入れ、代わりに腰にぶら下げたモンスターボールを両手に持った。 「じいちゃん。オレたちがゲットしてきたポケモンを見せてやるよ」 「うむ。楽しみじゃのう」 「そうですね」 欲しいオモチャの発売日を心待ちに待つ子供のように、瞳を輝かせるじいちゃんとケンジ。 ポケモンのことになると、まるで別人だよ。 カリンさんは何も言わず、ニコニコ笑顔で待っている。 「ナミ。行くぜ」 「うんっ」 準備バッチリと言わんばかりに、ナミの両手には四つのモンスターボールがすでにあった。 「出て来い、みんな!!」 「お披露目だよ〜♪」 各々の掛け声と共に、ボールを軽く放り投げる。 頭上に投げ上げられたボールが一斉に口を開いて、中からオレたちの大切なパートナーたちが次々に飛び出してきた!! 「おおっ、これは……」 飛び出してきたみんなの姿を見つめ、じいちゃんが感嘆のつぶやきを漏らす。 何も言っていないのに、飛び出してきたみんなは卒業写真を撮影する時みたいに二列にキレイに並んでいた。 まさかとは思うけど、そのことに対して感動してたんじゃないよな…… 「うわあ……結構珍しいポケモンが多いんだね」 ケンジはいつの間にやらスケッチブックを片手に、ポケモンたちの前に立って観察なんか始めてたりするし。 うーん……ケンジも結構この家の雰囲気に染まっちゃってるのかもしれない。 みんなは唖然とした表情で、鉛筆を走らせているケンジを見つめる。 でも、ケンジはまったく気にせずに、鼻歌なんぞ交えながら楽しそうにみんなを観察している。 これはこれでいいことなんだろう、たぶん。 まだみんなの紹介が終わってないけど…… 「ソーっ」 ラッシーがうれしそうな声を上げて、背中から蔓の鞭を伸ばした。 「おお、ラッシー。元気そうで何よりじゃな」 蔓の鞭に優しく手を触れて、じいちゃんがニコリと笑った。 「ガーっ」 ガーネットも負けじとじいちゃんの傍まで歩いていくと、白衣の裾を引っ張った。 「おお、ガーネットは進化したようじゃな。たくましくなったのぉ……」 ガーネットは旅の途中でヒトカゲからリザードに進化したんだったな。 じいちゃんが覚えているのはヒトカゲだった頃のガーネットだ。 進化して攻撃的になったガーネットを一目見て『たくましい』って言っちゃうんだから、さすがだよ。 「ピクシーにガラガラにバクフーンにガルーラにラッキーまで……ああ、珍しいポケモンのオンパレードって感じだよねぇ」 ケンジはみんなにメロメロらしい。 感嘆の独り言をつぶやきながら悦に浸ってたりする。 そういえば、カントー地方じゃルース――バクフーンは珍しいんだっけ。 リッピーやリンリ、ルースとパールも、結構珍しいんだよな。 特にリッピー……人前には滅多に姿を現さないって言われてるくらいだからなぁ。 「アカツキぃ、みんなを心行くまで観察させてもらっていいかなぁ?」 振り返りざまに、ケンジがねだるような顔と口調でそんなことを言ってきた。 オレとしても断る理由はなかったけど……とりあえず一言。 「みんなの邪魔にならない範囲なら構わないと思うよ。 みんな、あんまり怒りっぽくないから、大丈夫だと思うけど……な?」 「ピッ!!」 オレの言葉に、リッピーが飛び上がらんばかりの勢いで返事をしてくれた。 それから、脇目も振らずに得意の歌とダンスを披露する。 リッピーは陽気で、リンリはおとなしく、ルースは見た目に反して臆病で、ルーシーは心優しいママさん。 この組み合わせなら、よっぽどのことをしない限り、怒ったりはしないだろう。 ケンジとしても、安心して観察していられるだろう。 ただ……みんなのペースに引きずり込まれたら、大変だと思うけど。 「ありがと〜。それじゃ、早速……観察させてもらいますっ!!」 オレの許可が下りたということで、ケンジは朗々と宣言すると、さっきよりも格段に速く鉛筆を動かし始めた。 その気になった人間を止めるのは難しいってよく言うけど……まさに今のケンジはそれかもしんない。 「やれやれ……ケンジは熱くなりやすいのが困ったところじゃが。 そういうのは、わしは嫌いではないな」 「ええ、そうですね。 博士が有望な助手と言うのも頷けますわ」 じいちゃんとカリンさんが微笑ましいものを見るような視線をケンジに向けた。 確かに……ケンジはポケモンに関してはすごく熱心に観察してるからなあ。 オレも何冊にもなるスケッチブックを何度か見せてもらったことがあるけど、『グレイト!!』の一言だったよ。 鉛筆一本で描くポケモンの絵は、そのポケモンの特徴を余すことなく表現していて、立体感も伴っている。 まるで今にも飛び出してきそうな感じで、大枚叩いて買っても絶対後悔しないくらいの出来栄えなんだ。 この年齢でこれだけすごいものができるんだから、成長を重ねて大人になったら、もっとすごいものになるに違いない。 ケンジがポケモンウォッチャーとしての道を極めるのも、そう遠くはないのかもしれないな。 「しかし、実に面白いポケモンをゲットしてきたものじゃな」 「そう? 別に普通だと思うんだけどな……」 「うん、普通普通」 「そういうものかしら?」 オレやナミ的には普通……だと思うんですけど。 じいちゃんもカリンさんも、みんなに目を向けた。 じっと立っていることにも飽きたのか、リンリはその場で横になっちゃうし、ルーシーは子供の相手をしている。 何もしていないのはルースとパールくらいで、サファイアはリッピーと合唱しつつダンスを披露している。 あー、なんていうか…… こういう時にこそポケモンの性格が反映されるんだろうか? サファイアもリッピーに同調するあたり陽気なんだろうし、パールはお腹のタマゴが気になっているようだから慎重そうだ。 ルースは忙しなく周囲を見回している。 ここはどこだと言わんばかりだけど、初めての場所だから戸惑うのは仕方がない話だ。 ただ……そこまで慌てなくてもいいと思うんだよな。 オレが傍にいるし、まともに勝負したらルーシーとリンリ以外の相手には勝てちゃうはずだからさ。 まあ……なんつーか、それ以前の問題かもしんないけど。 「アカツキ。おまえのガルーラ、よく育てられているようじゃが……どこでゲットしてきたんじゃ?」 「え、どうしたんだ、突然?」 何の前触れもなくじいちゃんに訊ねられ、オレは驚いてしまった。 ルーシーがよく育てられてるって……一瞬何のことかと思ったけど、すぐに理解できた。 「セキチクシティのサファリゾーンだよ。ナミのパールも、サファリゾーンでゲットしたんだ」 オレはルーシーをゲットしたいきさつをじいちゃんに話した。 すると、じいちゃんとカリンさんの表情が真剣なものに変わった。 「そうか……大変じゃったな。じゃが、おまえもよく頑張った」 「ありがと」 先回りするだけでも大変だったのに、追いついたかと思ったら、遊ばせている子供に危害を加えたと勘違いして威嚇される。 果てはストライクがやってきて本当に子供を襲い、ルーシーとの一騎打ちに発展してしまうし…… まあ、結果的にゲットできたんだけど、そこまでの経緯がやたらと長ったらしく感じちゃうんだよな、今でもさ。 苦労してゲットしただけあって、ルーシーは屈指の戦闘力を誇る。 パーティ全体の戦力の底上げという点では、ルーシーが功労賞を受けるに相応しいんだろう。 「そういう経験って滅多にないものよ。 いろいろな困難を乗り越えたトレーナーとポケモンって自然と結びついていくものだわ。 君のガルーラはきっとバトルの中で最大の実力を発揮してくれるはずよ」 「そういうものなんですか? オレにはよく分かんないですけど……」 カリンさんは誉めてくれてるみたいだけど……正直、今のオレにはよく分かんない。 言いたいことは分かるけど……でも、『最高の実力を発揮してくれる』という点では経験がないんだ。 だから、よく分かんない。 「いつかは分かるようになるわ」 カリンさんはそう言って、陽気に踊っているリッピーとサファイアに目をやった。 周囲の雰囲気などまるで無視して、マイペースに踊りを披露している。 「そういえばアカツキ」 「なに?」 「トモコには会ったのか?」 「いや、まだだよ」 オレはじいちゃんの問いに、首を横に振った。 マサラタウンに戻って、一番にじいちゃんに会いに来たんだ。 だって、カリンさんっていうお客さんだっていることだし、勝手に家に戻るってのも気が引けたんだよな。 何より、じいちゃんに一番に顔を見せたいっていう気持ちが一番大きかったよな。 「それはいかんな」 じいちゃんはため息混じりに言った。 「誰よりもおまえのことを心配しておったのがトモコじゃ。一番に顔を見せに行くべきじゃろう」 「そりゃそうだけどさ……」 じいちゃんの言葉はもっともなもので、オレは胸にズシンと重く響くものを感じずにはいられなかった。 そりゃ、じいちゃんよりも母さんの方がオレのこと心配してるってのは分かってたよ。 でもさ、親父に出くわすかもしれないって思ったら、そう易々と近づけるものじゃないんだよな。 出会ったらその瞬間にポケモンバトルを申し込まれるだろうし、そうじゃなかったとしても、顔を合わせるだけで嫌な気分になる。 せっかくマサラタウンに戻ってきたのに、いきなりそんな気分になるのも嫌だったからさ。 ……言い訳だよな。 ナンダカンダと繕ったところで、余計に惨めになるだけだ。 オレ自身が誰よりもよく分かっているよ。 「博士、そこまで言われなくても……アカツキ君とナミちゃんに案内を頼んだわたしの責任でもありますから」 「うむ……」 カリンさんが口添えしてくれたこともあって、じいちゃんはそれ以上何も言わなかった。 「…………」 うれしいけど……でも、これじゃなんかダメな気がする。 とはいえ、ここで何か言ってカリンさんのメンツをつぶすわけにもいかない。 何も言えないなんて、なんか悔しいな。 「うっわ〜、ケンジってやっぱり絵が上手なんだね。あたしももっと上手だったらなあ……」 ナミはドキドキワクワクした表情で、脇からケンジのスケッチブックを覗き込んでいる。 こいつも、この場の雰囲気ってのをあんまり読んでないようだな。 そういや、ナミは恐ろしく絵が下手なんだっけ。 学校に通ってた頃、リンゴを描けっていう課題を与えられた時に、ナミはすっごいシロモノを描き上げたんだよな。 もちろん、オレは普通にリンゴを描いた。 上手くもなければ下手でもない、いわゆる平均点のリンゴだ。 でも、ナミのはとんでもなかった。 なぜか楕円形で、目や口や鼻がついてて、アニメのロボットみたいに身体がくっついてたり……当然、先生は怒ってたよな。 もっとちゃんと描きなさいって、金切り声で喚いてたのを今でも覚えてるんだ。 ナミのヤツ、それ以来絵が下手ってことを自覚するようになって、あんまりそっち方面には近づかなくなったんだけど…… ケンジのスケッチブックを見て、忘れかけていたものを思い出したらしい。 「アカツキもナミも帰って来たことだし、今日は宴会でも開こうかのう……」 なにやら楽しそうにニコニコしながらじいちゃんが言った。 「そこまでしなくても……どうせ何日かしたら旅に出ちゃうんだから。 そんなことしたら、決意鈍っちゃうかもしれないし」 オレは丁重にお断りしようとしたんだけど、 「そうですね。それがいいかもしれませんね」 カリンさんの鶴の一声で、あっさりと意見はかき消された。 ナンダカンダ言って、カリンさんも宴会に参加したいだけじゃないのか? いや、絶対そうに決まってる!! じいちゃんとカリンさんがタッグを組んだとなると、こりゃもう勝ち目どころの話じゃない。 「分かったよ」 白旗を揚げるしかなかった。 「母さんとかハルエおばさんとか呼ぶんだろ?」 「もちろんそのつもりじゃ。うむ、ナナミにたくさん材料を買ってくるよう、電話しておかねば」 すっかりその気になっているようで、じいちゃんは今にも飛び上がらんばかりにスキップしながら電話機の傍まで行った。 「やれやれ……」 「そう漏らすものじゃないわよ」 「そうですね。まあ、たまにはそういうのもいいかもしれないし」 「素直じゃないのね。本当はうれしいんでしょ?」 「……ええ、まあ」 カリンさんを前に誤魔化しきれる、なんてカケラでも思ったオレが馬鹿だったよ。 素直に喜べればいいんだけど、そういうわけにもいかない。 ナナミ姉ちゃんの苦労を増やすのかと思うと、なんか気が重いなあ。 母さんやハルエおばさん、アキヒトおじさんも呼ぶんだよな……だったら、いいかもしんない。 アキヒトおじさんは元ポケモンブリーダーで、いろいろなことを知ってるんだ。 だから、この機会にいろんなことを教えてもらおうかなって思ってるんだ。 そうと決まったら、善は急げ、だ。 「じいちゃん、オレ、家に帰るよ。 後でまた戻ってくるからさ、その間だけでいいからみんなの面倒見ててくれないかな?」 受話器を耳に当ててナナミ姉ちゃんと通話中のじいちゃんに言うと、じいちゃんは親指と人差し指で輪っかを作って頷いてくれた。 オレは踵を返し、研究室を飛び出した。 廊下を駆け抜けて、研究所を出る。 さっきまで青かった空は朱が滲み、丘の下のメインストリートの両脇の街灯がポツリポツリと灯りはじめた。 そろそろ夕食時か……急がないと、母さんが夕飯の準備を済ませてしまうんだろう。 そう思うと、自然と足が速くなった。 あっという間に丘を駆け下りて、メインストリートを一直線に走り抜ける。 理由もなく胸が熱くなった。 あっという間に家の前までたどり着いてた。 窓の中には明かりが点り、母さんがリビングに一人でいるってことが分かる。 一ヶ月ぶりに生の顔を拝めるんだ、さっさと行こう。 オレはノブに手をかけ、戸を開いた。 「母さん、ただいま!!」 声をかけると、カランと何かが落ちたような音がした。 それから地鳴りにも似た足音がドタバタ響いて、リビングから母さんが飛び出してきた。 「あ、アカツキじゃないの!! 今帰って来たの!?」 「え、あ、まあ……」 エプロン姿と右手にお玉の割にはずいぶんと迫力を漂わせている母さんに、オレは思わず一歩退いてしまった。 なんで女性ってこんなに迫力出す時があるんだろ? それだけ現代の男が弱くなってるってことなんだろうか? ま、そんなことは廊下の隅のゴミ箱にでも捨てといて…… 「久しぶり、母さん。元気にしてた?」 「当たり前でしょ」 母さんはニコッと笑ってくれた。 「さ、入りなさい。今ちょうど夕食の支度をしていたところなの。すぐに作るから、待ってて」 「それなんだけどさ。じいちゃんのところで宴会やるって話になってて」 オレは事の子細を母さんに伝えた。 ナミも一緒に戻ってきていて、今晩はじいちゃんの研究所で宴会を開くこと。 そこにハルエおばさんやアキヒトおじさんも呼んでいること。 オレが母さんを呼びに戻ってきたこと。 すべてを聞いた母さんは納得したような顔で頷くと、 「分かったわ。すぐに準備するから、ちょっと待っててね」 大慌てでリビングに引っ込んでいった。 夕食の準備してたんだな。 なんか、悪いことしちゃった気がするけど……廊下の先の階段に目をやった。 母さんがリビングでドタバタしてる音が聞こえてくるけど、親父はどうやらいないようだ。 いるんだったら降りてくるだろう。 嫌われてると分かっててもノコノコ出てくるような神経を理解したくはないけど、それが親父だ。 相手の気持ちなんかこれっぽっちも考えちゃいない。 自分の理想を相手に押し付けることが一番だと信じて疑わないようなヤツだ。 ま、いなくて清々するけどな。 「でも、母さんは相変わらずで安心したよ」 オレは母さんが旅立つ前とまったく変わっていなくて安心した。 ちょっとそそっかしいところはあるけど、とても優しいんだ。 玄関で待っていると、母さんが戻ってきた。 当然エプロンを脱いで、それなりにファッションも意識してる服装だ。 オレや親父がいないからって、そっちも手を抜いていなかったらしい。 「お待たせ。それじゃ、行きましょうか」 「うん」 オレたちは家を出た。 母さんが戸に鍵をかけたのを確認して、歩き出す。 さっきよりも空は赤く、それでいて暗くなっていた。灯っている街灯の数も増えている。 「でも、驚いたわよ」 メインストリートに出たところで、母さんが言ってきた。 「何が?」 「いきなり戻ってくるなんて思わなかったわ。 連絡してくれたら、ナミちゃんのためにもわたしが腕を振るってご馳走を作ってあげられたんだけど……」 それって暗に『どうして一番に戻ってこなかったんだ』って非難にも似ていたから、オレはただ謝るしかなかった。 母さんがオレのこと心配してくれてるって、そんなの分かりきってたことなんだから。 「ごめん。 言い訳するつもりじゃないけど、じいちゃんの知り合いにカリンさんっているだろ? あの人も一緒だったから、ウチに寄ってくわけにはいかなかったんだ」 「それなら仕方ないわね……」 ため息混じりに漏らす母さん。 本当に仕方ないって思ってくれてるんだな。 なんだか、本当に悪い気がしちゃうよ。 親父に対してならどんな嫌がらせだってする気になるけど、やっぱり母さんにだけはじいちゃんよりも気を遣っちまう。 「旅だった時よりもちょっと背が伸びたかしら……一ヶ月なのにね、やっぱり成長期だから」 「そう? オレにはよく分かんないけど」 隣を歩く母さんの顔を見やる。 ニッコリ笑ってた。 オレが戻ってきて……それがたとえ一時のことだとしても、母さんはとてもうれしいんだろう。 親父は学会に出席したり、あちこちの研究所を飛び回ったりして、家にはほとんど戻っていないだろうから。 そんな時だから、親孝行をしなくちゃいけないんだよな。 マサラタウンには数日滞在するつもりだし……その間に、今までできなかったことをしてみよう。 「電話越しじゃ分からなかったわ。あなた、とても成長したわね」 「ありがとう」 うれしそうに言う母さんに、オレは微笑みかけた。 ずっと一人で、淋しい想いをしてた母さんに、今のオレができること。 他愛ない会話でもいいから、ちゃんと付き合うってことなんじゃないかって思う。 この一ヶ月の間……オレはトレーナーとして各地をめぐり、ジム戦をこなしてきた。 母さんの一ヶ月間ってのは、今までの延長線でしかないんだろうけど…… だからこそこうやって親孝行ができるんだって思えば、悪いことばかりじゃないんだろう。 隣り合って歩く様子は、歳の差さえなければ恋人とかに見えるのかな? なんとなく、そんなムードが漂い始めてるような気がするんだ。 でも、母さんがそれで満足してるのなら、それでいいのかもしれない。 「なあ、母さん。親父、あれから戻ってきたか?」 「ううん、セキエイ高原に行ってたり、トキワシティの研究所に行ってたりと、忙しそうに飛び回ってる」 「そっか……」 それ以上は何も訊かなかった。 親父が忙しそうにしてるのが分かったから。 オレが家にいる間に親父が戻ってくる可能性は限り無く低い。 とはいえ、親父のことだから脈絡なく戻ってくることもありうるわけで、決してゼロでないことが何気に痛いけど。 メインストリートを南下し、東西の道と交差するあたりで、ナナミ姉ちゃんの背中を見かけた。 両手に、パンパンに膨らんだ買い物袋をぶら下げてる。 じいちゃんから電話があって、たくさん買い込んだんだろう。 研究所へ戻るその背中は、結構辛そうに見えた。 「母さん、ちょっと先行ってる」 「行ってらっしゃい」 駆け出したオレを、母さんは一言で見送ってくれた。 オレがナナミ姉ちゃんの元へ駆け寄ってくこと、分かってたんだろう。 「ナナミ姉ちゃん!!」 オレは声を上げて、ナナミ姉ちゃんを止めた。 立ち止まり、振り返る姉ちゃんの傍に駆け寄る。 「アカツキ。どうしたの、こんなところで……?」 ナナミ姉ちゃんは怪訝そうな顔を向けてきた。 オレが研究所にいるものとばかり思っていたんだろう。 あの時の電話の声、聞こえてなかったのかな。 「母さんを呼びに行ってたんだよ」 「おばさんを……?」 オレが指差した先に目をやるナナミ姉ちゃん。ニコニコしながら母さんが歩いてきた。 「姉ちゃん、それ持つよ」 「いいわよ、これくらい」 「いいからいいから」 オレは姉ちゃんの手から買い物袋を半ば強引に奪い取った。 最初は抵抗したけど、やがて観念したように手の力が弱まる。 かくして、オレの両手に買い物袋がぶら下がった。 「なんだか悪いわね。持たせちゃったみたいで」 「いいんだよ、別に。男が持つの、当然だろ?」 「言うこと言うようになったわね。でも、そういうの嫌いじゃないわよ」 オレの言葉に答えたのは母さんだった。 ナンダカンダ言って、オレの反応を楽しんでるような節があるな。 それも、姉ちゃんと共謀してる。 とはいえ…… 「結構重いんだな」 両腕に圧し掛かった重さはかなりのものだった。 パンパンに膨れた買い物袋の中は食材でぎゅうぎゅう詰めで、無理に膨らませてるようなところさえ見受けられるんだ。 こんなのをよく今まで持てたもんだ……ナナミ姉ちゃんって、意外と力持ちなんだな。 持てないほど重いわけじゃないけど、だからって「軽い軽い♪」って言いながら肩に担げるほど軽いわけでもない。 ま、研究所までなら何とかなるだろ。 女性二人を前に「重いよ〜、無理だから交代して〜」なんて情けないこと、言えるワケねえだろ……いくらなんでもさ。 そんなみっともないトコさらすくらいなら、親父相手にコイキングで戦いを挑む方が楽かも。 「それじゃ、行こうぜ」 「そうね」 両手に買い物袋ぶら下げたオレを先頭に、夜の帳に覆われつつある町を行く。 元から人口が少ないだけに、いくらメインストリートでも夜の人通りはとても少ない。 研究所に着くまでに、誰ともすれ違わなかった。 「アカツキも男の子っぽくなったわね」 「え?」 背中にナナミ姉ちゃんの声がぶつかる。 オレは一瞬立ち止まっちゃったけど、何事もないように装って、歩を進める。 「わたしの荷物、持ってくれたし。 やっぱり、一ヶ月も離れてると、変わるものなのね」 「そういうものなんだ。よく分かんないや」 男の子っぽくなったって……オレは元々男の子だし。 ツッコミを入れる気にもならなかった。 「いろいろとポケモンバトルを経験してきたんでしょ? 顔つきも身体つきもたくましくなったわね。 あなたは分かんないって言ってるけど、気づいてないだけかもしれないわ。 あなたは確実に成長してる。わたしにだって分かるんだもの、あなたに分からないはずがないわ」 ナナミ姉ちゃんは我が事のように断言してのけた。 そういうものなんだろうか? 自分の顔や身体つきなんて、鏡を見なきゃ分かんないわけだし…… ナミもオレと同じように成長してるから、なおさら分かんないよ。 「そうそう。あなたたちがあちこちを旅している間に、シゲルから連絡が何度か入ったわ」 「!?」 ナナミ姉ちゃんの言葉に、オレはビクッと身体を震わせた。 こりゃもう隠しようがない。 「シゲルから……?」 「ええ」 シゲルから連絡があったのか…… あいつ、じいちゃんに何か報告するのに連絡を入れたんだろうか? そういえば、旅立つその日に、じいちゃん宛に送ったメールを見たけど……連絡って言うんだから、電話なんだろう。 そう思っていると、 「あの子、化石からプテラを復活させることに成功したそうよ」 「ええっ!? プテラを復活させたぁ!?」 思わぬ言葉をかけられ、オレは素っ頓狂な声で叫んでしまった。 あ…… 叫び終えてから、自分の声の大きさに驚く始末。 オレの叫び声は何度か周囲に反響して消えた。 近くに人家がないのがせめてもの幸いってところだけど、まさかこの二人を前にこんな醜態をさらすなんて、恥ずかしい。 でも、驚くって普通!! 恐竜時代に生きていたと言われるプテラ。 ずっとずっと昔に絶滅して、化石として現世にその姿を留めているはずの存在なんだ。 現代科学のチカラは、化石からポケモンを復元できるほどのものだったんだなって思う。 プテラっていうと獰猛ってイメージがあるけど、そこんとこはどうなんだろう? 気になってナナミ姉ちゃんに訊いてみた。 「プテラって気性荒いんだろ? シゲルだって扱いには苦慮したんじゃないのか?」 「最初の方はそうだったらしいんだけど、今じゃすっかりシゲルに懐いちゃってるんだって。 プテラを復活させただけでも大したものだけど、懐かせちゃったんだから、シゲルもすごく自信がついたみたい」 「そうなんだ……やるなあ、シゲルのヤツ」 恐竜とタメ張って生きてたポケモンなんだ、プライド高くて扱いにくいんだろうな、とは思った。 だけど、シゲルは見事に手なずけてしまったんだと言う。 こりゃ完敗だ。今のオレじゃとても勝てそうにない。 旅をしてきて、それなりに張り合えるかなって思ってたけど、オレが成長した分、シゲルだって成長してるんだ。 追いつくには、もっともっと頑張らなくちゃいけないな。 「他には何か言ってなかった?」 「アカツキはどうしてるかって訊いてきたわ。 もちろん、旅に出たって言ったけど……」 「そっか……」 オレのこと訊いてくるなんて……やっぱり今でもオレのこと、ライバルだって思ってるんだな。 オレってつくづくライバルが多いみたいだ。 そりゃもちろんうれしいけどさ。 旅に出る前は、シゲルは電話越しにオレの顔を見るなり、 「あれぇ? まだ旅に出てないの? そんなにおウチが恋しいのかい?」 なんて、朗らかな笑顔で嫌みったらしく言ってきたもんだけど。 今となっては昔の出来事のように懐かしく感じられるよ。 そうだよな。 今はそれぞれに目標があって、それに向かって走り続けてるんだから。 「シゲルは、あなたのことを結構気にしてたわ。 口じゃ悪ぶってても、やっぱり気になるものは気になるのよ」 悪ぶってたんだ…… あいつ、ナナミ姉ちゃんやじいちゃんには素直なんだよな。 反面、オレやサトシに対しては妙に対抗心燃やして、口尖らせてたんだよな。 ライバルってそういうものかと思ったけど、そういうわけでもないんだろう。 一度はシゲルに会って、いろいろと話をしてみたいんだけどな。今はそういうワケにも行かないか。 今は……まだ無理だ。 オレ的には、カントーリーグが終わったあたりが理想なんだ。 お互いに成長した自分を見せ合うことで、いろいろと理解できることもあるかもしれないから。 シゲルは立派な博士になるんだって息巻いてたな。 ジョウトリーグが終わって、一度マサラタウンに戻ってきた時、オレに人差し指突きつけて、こんなことを言ってた。 「アカツキ。僕は君には負けない。君よりも早く夢を叶える」 生意気なこと言いやがって、オレだって負けないからな。 オレ、その時は悪態ついてたけど、シゲルが羨ましかったんだろうな。 トレーナーとして経験を積んで、実力もついたし、いろんなことを知った。 負けたくないって思ってたから、反発したんだ。 はあ……今思うと、すっごく惨めだよなぁ。 なんていろいろ考えるうち、オレたちは丘の上に聳えるじいちゃんの研究所にたどり着いた。 煌々と明かりが灯り、中から人の話し声が聞こえてきた。 ハルエおばさんとアキヒトおじさんの声だ。 「みんな揃ってるみたい……急がなきゃね」 そう言って、母さんがオレの脇をすり抜けて、扉を開けてくれた。 「ありがと」 オレは玄関をくぐって研究所の中へ滑り込んだ。 急いでキッチンに運び込む。シンクの傍のテーブルに置いたところで、オレもお役ごめん。 「あとはわたしたちがやるから。 アカツキはみんなとくつろいでいていいわよ」 「じゃ……お言葉に甘えて……」 オレは買い物袋の重みから解放され、キッチンを足早に立ち去った。 調理は母さんとナナミ姉ちゃんの担当だ。 オレがやることなんて一つもない。 ……ってワケで、先にじいちゃんたちのトコに行って話でもしてよう。 じいちゃんたちがいるのはリビングだ。キッチンと廊下を挟んだ向かい側の部屋。 少しだけ開いていた扉を開けると、見覚えのある男女が振り返ってきた。 見た目は二十代、でも実際は三十代半ばのハルエおばさんと、どこにでもいるようなおじさん…… もとい、彼がアキヒトおじさんだ。 「あ、来た来た。遅かったじゃない」 オレの姿を見つけたナミが、ソファから顔を覗かせて、手を振ってきた。 「主賓の到着ね。ずいぶんと待たせてくれるじゃない……」 「まあまあ、そう言わないの」 腕など組みながら無表情で言うハルエおばさんの肩に手を置いて、カリンさんが宥めた。 ……って、相変わらずだな。 オレは肩をすくめ、クロスのかけられたテーブルへ歩いていった。 あとは料理が届くのを待ってるってだけだ。 まったく……ハルエおばさんは料理上手なはずなんだけどな、たまには楽がしたいってことなんだろう。 やっぱ、おばさんは抜け目がない。 それでいてちょっと皮肉屋さん。 冷めてるように見えて、実は誰よりも熱いハートの持ち主だったりするんだ。 艶やかな黒髪を後ろに束ねてて、美人と呼んで差し支えないほどの顔も、仏頂面で半ば台無しになってたりする。 本人が気にしてないんだったら、口にするだけ無駄だろうし…… カリンさんとハルエおばさんは親友なんだ。 性格で言えば水と油なんだけど、逆に自分にないところを相手が持っているということで、馬が合うようになったらしい。 おばさんはナミを厳しく育ててきたらしいけど、ナミの性格を見れば、空回りしまくってるとしか言いようがない。 まあ……それはエグイから言わないけどさ。 ともかく、相手が誰だろうと態度を変えない。 じいちゃんだろうとオレだろうと、キツイ態度で接してくるんだ。 だからといって礼節を弁えていないというわけでもない。 ただ、相手が尊敬するに値するか否かで変わってくるんだって、じいちゃんは困ったように言ってた。 「おばさん、おじさん。久しぶり。元気してた?」 おばさんとおじさんの前に歩いていくと、オレは挨拶した。 ナンダカンダ言って礼儀にはうるさい人だから、これくらいはしとかないと、マイナスに評価されかねないんだ。 だからなんなんだ、って感じもするんだけど、やっぱり悪く見られるのって嫌じゃない? 「ああ、まあね。 アカツキこそ元気そうでよかったよ」 仏頂面のおばさんとは対照的に、アキヒトおじさんはニコニコ笑顔で頷いてくれた。 一見どこにでもいるような、どこかパッとしないおじさんだけど、誰よりも優しくて辛抱強いんだ。 ブリーダーとしても、人間としても尊敬できる人なんだよ。 ナミをこれでもかとばかりに可愛がっていて、今まで怒ったことがないんだって。 そのことでおばさんからチクチク刺されてたみたいだけど、あんまり気にしてないみたい。 そういう大らかなところを、おばさんはきっと好きになったんだろう。 ナンダカンダ言って、おじさんのことは大切にしてるみたいだし。 「しかし、一ヶ月見ない間にずいぶんと大きくなったみたいだね。 ナミがいろいろと迷惑をかけたかもしれないけど……まあ、何事もなかったみたいで良かった」 「いや、別に……慣れっこだし」 「パパ〜。なんでそんなこと言うのよぉ……」 オレとおじさんのやり取りが気に入らなかったのか、ナミは不満げに頬を膨らませながら大股で歩いてきた。 いや、父親として、一緒に旅してきた相手にそういうこと言うのって、当たり前のような気がするんだけど…… どうやら、アキヒトおじさんはそこんとこをナミに教えていなかったらしい。 ハルエおばさんも、常識は常識として教えとけって。 ツッコミを入れたら二倍にも三倍にもなって返ってきそうなんで、言わなかったけど。 「ナミ。おまえもアカツキには迷惑かけてきたんだろう。 ありがとうって言っといた方がいいんじゃないのか?」 「同感ね。アカツキはよくやってくれてると思うわ。 あんたを連れて一ヶ月も各地を渡り歩いてきたんだから。 何度置き去りにしたいって思ったか……想像に余りあるわね」 諭すように言うおじさんに同調するおばさん。 顔や口調はともかく、ナミがオレに迷惑かけてきたってことを気にしているらしい。 「う〜」 ナミは苦虫を噛み潰したような顔で唸った。 「ハルエ。それくらいでやめておいたらどうじゃ?」 ん……? 顔を向けると、じいちゃんが本を片手にこっちに歩いてくるところだった。 どこにいるのかと思ったけど……ベランダで夜風に当たってたんだろう。 おばさんは鋭い視線をじいちゃんに少しの間向けたけど、すぐに観念したようにため息を漏らした。 「でも、一言くらいありがとうって言いなさい」 「は〜い」 口調もどこか柔らかくなってきた。 ナミはオレの前に出てくると、ペコリと頭を下げた。 「あの……ありがと。アカツキと一緒に旅できて良かったよ。これからもよろしくね」 「まあ、あんま気にすんな。オレも結構楽しい思いできたしさ」 「本気で言ってるの?」 オレの言葉に横槍入れてきたのは、ハルエおばさんだった。 眉なんか十時十分に近い形になってて、目を大きく見開いている。 信じられない気持ちでいっぱいなんだろうか? 「この子、あんたにずいぶん迷惑かけたんじゃない? スピアーの大群に追いかけられたとか、タッグバトルで足引っ張ったとか……」 なんかどっかであったようなことが出てきたな。 ……察するに、ナミから経過報告を受けたんだろう。 抜け目のないハルエおばさんが、今までどこで何をしてたんだと、報告を求めていてもおかしくないし。 それに、ナミのことだ。そんなに深く考えるでもなく、ベラベラしゃべりまくったんだろう。 「言っただろ、慣れっこだってさ」 オレは口の端を吊り上げ、左手でガッツポーズをつくった。 ナミがオレに迷惑かけるのって、何も今に始まったことじゃないんだ。 物心ついた時から今のような性格してて、何かあるとオレも巻き添えを食らった覚えがあるんだよな。 当初は『なんでオレがこんな目に……?』なんて恨めしく思ったもんだ。 だけど、何度もそういう目に遭って、なんていうか慣れちまったんだ(嫌だなぁ……)。 そりゃ嫌な気持ちはあるけど、ナミだからっていう一言で片付けられるくらい、なんか吹っ切っちまったんだな。 だから、今さら「迷惑かけてごめん」なんて言われたところで「ドンマイ!」で片付けちゃえるんだ。 損な性格かもしれないけどさ。 板についちゃったものを、そう簡単に離せたりはしないだろ。 だったら、気にしないだけさ。 「あれ、トモコはどこ行ったの?」 今ごろになって気がついたのか、ハルエおばさんが辺りを見回した。 もちろん無表情で、平坦な声で。 「ナナミ姉ちゃんと一緒に料理作ってる」 「そう。まあ、彼女はそういうの好きみたいだからね」 「ママは嫌いなの?」 「特別に好きってワケでもないわ」 いつもおばさんの美味い料理を食わせてもらってたナミだからな……自然な気持ちで訊ねるのも理解できる。 確かに母さんは料理が大好きだ。 「新しい料理作ってみたの。味見してみて」 ……って、そうやって何度もオレに味見(毒味?)させてたからな。 もちろん、美味かったけど。 「そうだ、じいちゃん」 「なんじゃ?」 しおりを挟んで閉じた本を、じいちゃんはテーブルの上に置いた。 ちょうど訊いておきたいことがあったんだ。 「トキワジムのこと、訊きたいんだけど……」 「トキワジム? ああ、おまえが最後に挑戦するジムじゃな。どうかしたのか?」 「いや……ちょっと気になってさ」 怪訝そうに目を細めるじいちゃん。 ハルエおばさんとアキヒトおじさん、カリンさん、ナミ、いつの間にか部屋にいたケンジの視線がオレに集中する。 う…… 一体なんなんだ……? 妙な威圧感に圧倒されながらも、オレは旅立った翌日にトキワジムに赴いた時のことをじいちゃんに話した。 すると、 「それは災難じゃったな」 じいちゃんは真摯に耳を傾けてくれた。 新米トレーナーだからって勝負挑みに来た相手を理論武装で門前払いするのって、そんなの間違ってるじゃないか。 いつにも増して熱弁振るった甲斐あって、みんなオレに同調してくれた。 「まったくね。そんなジムリーダーがいるなんて、世も末だわ」 皮肉たっぷりに吐き捨てたのは、当然ハルエおばさんだった。 オレの話だけで、不快感を露わにしている。 とはいえ、感情の起伏の激しい人だから、不快を感じる程度ならまだ軽い方なんだろうけど。 「なんかひどい話だよね。そういうジムリーダーって腕だけは立つ場合が多いし」 ため息混じりにケンジが漏らす。 知り合いにそういうジムリーダーがいるんだろうか……詮索しても仕方ないんだけど。 「確かに常識的にはありえない話だけど、ジムリーダーにはジムリーダーなりの考えがあったんじゃないのかな? 一概に悪者にするのはどうかと思うけど」 中立の意見を持ち込んできたのはアキヒトおじさん。 話だけじゃどうにも信憑性が薄いんだろうか。 でも……ナミにもその言葉の意味が理解できているようで、猛烈に反論した。 「ちょっと、パパ!! パパはあたしたちの味方なの? それとも『あの』ジムリーダの味方!?」 「おいおい、そんなことを言ってるんじゃないよ」 今にも噛み付いてきそうなナミの勢いに驚いてか、おじさんは困ったような顔を見せた。 ナミもあの時のことを未だに根に持っているらしい。下手をすればオレよりもよっぽどヒドいんじゃないか? なんて思っていると、 「僕はどっちの味方とか、そういう次元で話を進めているわけじゃないんだ」 いつの間にか話題が『ジムリーダーが悪い』って方向に行ってるのを警戒して、脱線する前に元通りに戻そうとしてるんだろう。 いかにも温和なおじさんらしいやり方だと思う。 オレとしても、そういうのは嫌いじゃない。 もっと冷静にならなきゃいけないのは確かだからな…… ハルエおばさんもケンジも、どこかピリピリしてる。 「そんなジムリーダーがいていいのか!?」 みたいな顔してるんだ。 完全にオレたちの肩を持ってくれてる。 それはそれでありがたいことだけど、なんかプレッシャーかけられてるような気がするんだよなぁ。 「僕の知ってる限り、ジムリーダーというのはポケモンバトルの実力だけが優れていても、なれるものじゃない。 かといって、人格が整ってるだけでも務まるものじゃないんだ」 「何が言いたいわけ?」 ハルエおばさんがコツコツと踵を鳴らしながら、いかにも不機嫌そうな眼差しをアキヒトおじさんに向けている。 愛している相手でも、言葉の上で敵ならば容赦しない……っていうところか。 さすがに敵に回したくないタイプだ。 「人の話は最後まで聞いてくれよ、ハルエ」 おじさんは困ったような顔で小さく笑うと、一同の顔をじっくりと見回した。 「僕の知っているジムリーダーはみんな素晴らしい人たちばかりだ。 だから……というわけじゃない。 そのジムリーダーをかばうつもりはないけれど、初心者だからって断るのには、何かしらの理由があったんじゃないかと……」 「それくらい分かってるわよ。 どんな事情があっても、そんなの理由にもならないでしょ」 「そうよそうよ!!」 おじさんの言葉に、おばさんとナミがすかさず切り返した。 「む……それはそうだが……」 左右からダブルパンチを食らい、おじさんも撃沈されてしまった。 ジムリーダーの肩を持っていると勘違いされたようだ。 いや〜、女性って怖いねえ…… 「アキヒトの言うとおりじゃな」 じいちゃんが話に加わってきた。 基本的には家庭内のイザコザなんだろうけど、アキヒトおじさんが一方的に攻撃されているのを見かねたんだろう。 「お父さん、この人の肩持つの?」 「そういうわけではない。 物事には必ず理由というものがある。 たとえ理由にならないような戯言だとしても、ジムリーダーにはジムリーダーなりの考えがあるということじゃ」 「それはそうかもしれないけど……」 勢い込んでじいちゃんに食いついたものの、理論武装の一言にあっさり蹴散らされ、ハルエおばさんも沈黙した。 じいちゃんに頭上がらないのは、おばさんも同じなんだよな。 オーキド家って単純に言っても、中身はいろいろとあったりするんですよね、何気に。 でも…… 「ジムリーダーなりの考えか……」 オレはじいちゃんの言葉の一節を口に出した。 トキワジムのジムリーダー――レオには何らかの考えがあったってことなんだろうか? 初心者……なりたてというだけの理由でジム戦を拒否しただけだけど、そこにある考えっていうのは一体なんなんだ? 単に『歯ごたえのあるバトルをしたい』というだけのことか? オレに考えられるのはそれくらいだけどさ、そんなつまんない理由でバトルを拒否される方の身にもなってもらいたいよな。 だって、そのバトルに歯ごたえがあるかどうかってのは、やってみなくちゃ分からないじゃないか。 やりもしないうちから一方的に無駄と決め付け、バトルを拒否するんだから。 その根底に横たわる考えなんか、どうせロクなものじゃないんだろうな。 考えてはみたものの、あいつの考えを理解することはできなかった。 理解しようにも、オレのものとは相容れないって、二人の間に横たわる溝が深いと再確認するだけの結果に終わった。 「アカツキはどう思うんじゃ? 当事者じゃからな……」 「え、オレ……?」 じいちゃんから指名され、オレは思わず自分で自分の顔を指差してしまった。 決まりの悪い顔で俯いていたハルエおばさんも弾かれたように顔を上げ、こちらを向いてきた。 またしてもオレにこの場の全員の視線が集まった。 そりゃまあ…… 当事者なんだけど、どうせならナミに話振ればいいだろうに。 そう思ったけど、じいちゃんにもよく分かってるんだろう。 ナミに話振ったってしょうがないってことも。 あー、なんていうか一方的に損した気分だよ。 「ん〜、オレにはあんまり理解できないな。 なんだって、やってみなきゃ分かんないと思うんだ。 なのに、やりもしないで一方的に撥ね付けるんだから、オレには理解できない」 オレは思ったことを素直に口にした。 だって、理解できないものはできないし。 無理に気持ちと反対のことを言い繕っても、余計に綻びが大きくなるだけだって、分かってるから。 「うむ。そうじゃな。 わしにも理解できんが、だからといって相手を一方的に悪役にするのはいかがなものかと思う」 深く頷くと、じいちゃんは演説でもするように両手を広げた。 「アカツキ、ナミ。 もう一度挑戦してみると良かろう。 もう七つもバッジをゲットしておるんじゃ、相手も考えを改めるやもしれん」 「もちろん、そのつもりさ。 次は絶対にギャフンと言わせてやるんだからな」 「そうね。その意気よ」 オレが拳をギュッと握りしめると、カリンさんがニコッと笑った。 と、その目が研究室の入り口の方に向いた。 「料理の到着よ」 その言葉に、全員が一斉に振り返った。 「お待たせ」 笑みを浮かべたナナミ姉ちゃんが、料理の載ったワゴンを押して入ってきた。 その傍では母さんがニコニコ笑ってる。 どうやら、会心の出来に仕上がったらしい。 見た目にも鮮やかで、姉ちゃんと二人で腕によりをかけて作ったってことか。 「それじゃ、こういう辛気臭い話は止めにして、パーッと飲んで食って騒ぎましょうか!!」 パンと手を叩いて、ハルエおばさんが大きな声で言った。 やっぱ、辛気臭い話だったんだろうか……? オレやナミにとっては結構深刻なことだと思ったんだけど。 まあ、愚痴を聞かされてたようなものだから、どこかで嫌だと思ってたんだろう。 だとしたら、なんだか悪いことしちゃったかも…… 「そうだよね。美味しそうな料理だし、いただきましょ〜♪」 ナミは握り拳を上下させながら、キラキラと目を輝かせながらワゴンの上の料理を見つめた。 色とりどりのサラダに、大皿に満たされたホワイトシチュー、小麦色に程よく焼けたバターロール。 完全な洋食だけど、漂ってくる香りに、思わず腹の虫が騒ぐ。 「結構腹減ってたんだな……」 お腹をさすり、胸の中でポツリつぶやく。 「それでは、パーティの始まりじゃ!!」 じいちゃんが弾んだ声で言うと、ナミが拳を頭上に掲げて「おーっ!!」とうれしそうな顔で叫んだ。 やれやれ…… しばらくはこいつのお守りも大変なんだろうな。 ため息混じりに思うと、なんとなく笑えて仕方がなかった。 「そういえばじいちゃん、みんなはどこ行ったんだ? あのさ……いきなりああいう話になったから、今の今まで訊けずじまいだったんだけど……」 部屋の反対側でワイワイ騒いでいるナミとケンジとナナミ姉ちゃんの楽しそうな声を背中に聞きながら、オレはじいちゃんに訊ねた。 部屋の中央に置かれたワゴンの料理はあっという間に平らげられて、この部屋は半ば二次会の場と化していた。 オレの傍にはじいちゃんだけ。 ナミはケンジとナナミ姉ちゃんのティーネイジ・トリオで盛り上がってる。 母さんは同世代のアキヒトおじさんとハルエおばさん、カリンさんの四人でいろいろと話し合っている。 聞いたことのない言葉が飛び交ってるあたり、オレにはとても理解できない次元の話なんだろう。 で……オレはというと、じいちゃんと二人きりになってしまった。 なんていうか、取り残されたような…… そんな感じがしないわけでもないけれど、かえってその方が良かったような気がするんだ。 じいちゃんとこうして二人で話ができるっていうのも、旅に出る前からそうそう機会があったわけじゃなかったんだよ。 いいチャンスだと思えば、この状況もそれなりに楽しめそうな気がする。 この機会に、いろんなことを訊いてみよう。 旅に出てから知ったことも、オレにはあるから。 でも、その前にみんながどこへ行ったのかを聞いておかなければならない。 研究所に戻ってきたオレたちは、じいちゃんたちに自慢のポケモンを見せたんだけど、みんなをボールに戻すことも忘れていた。 母さんを呼びに行ってしまったんだ。 で、戻ってきたら、みんなの姿は消えてたってワケ。 たぶんじいちゃんが気を利かせて別の場所に移してくれたんだとは思うけど……それでも心配だったりするんだよな。 なにせこの研究所には、マサラタウンを旅立ったトレーナーのポケモンが敷地に放し飼いにされてるんだから。 じゃれ付くつもりで全力で噛み付いてくるサトシのワニノコ。 じゃれ付くつもりが全力の体当たりを食らわしてくるサトシのベイリーフ。 とにかく人懐っこいサトシのベトベトン。 問題の種をばら撒いてるのは大概、サトシのポケモンなんだ。 そういうヤツがいる敷地に放り出して大丈夫なものか……どうにも心配になってきたんだよ。 大丈夫だとは思うけど、万が一って可能性も捨てきれないからさ。いろんな意味で。 オレの問いに、じいちゃんは数秒の間を空け―― 「敷地に放しておいた」 予想通りの答えを返してきた。 その割にはずいぶんと間が空いてたように思うけど、言っていいのかどうか、考えていたんだろう。 「本当ならおまえが戻ってくるまでこの場にいてもらうのが一番なんじゃろうが……」 じいちゃんは、遠い目をポケモンたちが棲息する敷地の方に向けた。 「こんな退屈な場所に留めておくくらいなら、もっと広い場所に移しておいた方がいいと思ったんじゃ」 「そうだよな……ありがとう、じいちゃん」 じいちゃんなりにいろいろと考えてくれてたんだ。 自然にありがとう、という言葉が口を突いて出た。 そりゃ、オレが戻ってくるまでの数十分の間とはいえ、窮屈な場所にみんなを留まらせておくわけにはいかないだろう。 何かの拍子にみんなが暴れ出したら、研究資料なんかあっという間に粉砕されちゃうし、ストレスも溜まってしまうだろう。 だから、じいちゃんはみんなの息抜きも考えて、広い敷地に放しておいてくれたんだ。 今ごろはみんなたくさんのポケモンと仲良くしてるんだろう。 何も問題が起こってないというのがその証拠だ。 ラッシーは、敷地に棲息するポケモンにはすこぶる評判がいい。 オレのポケモンの中ではどっちかというと問題を起こしそうなルースのことも何とかしてくれてるだろう。 身体は小さくても、オレのパーティのリーダー的存在だから、そこんとこでリーダーシップを如何なく発揮してくれてることと思う。 「しかし、おまえのポケモンは皆個性的じゃな」 「それって誉め言葉?」 顔を向けると、じいちゃんはこっちを向いて、口の端にニヤリと笑みを浮かべた。 「もちろんじゃとも」 そう言うあたり、半分はからかってるつもりなんだろう。 ま、いいんだけどさ。 ポケモンに個性があるってのは当たり前な話だし、それがどんなものであったとしても、オレは別に構わないと思っている。 だって、ルーシーの次に身体が大きなルースは、見かけによらず臆病な性格で、結構人見知りも激しかったりする。 リッピーなんて、どっちかと臆病と言われているピクシーの中でも群を抜いて陽気で快活な性格だ。 みんなのムードメーカーとしての地位を不動のものとしている。 ……というように、人間と同じでポケモンにもそれぞれの個性があるってワケ。 個性的って言葉は、オレにとっては誉め言葉とからかい、どっちにも感じられるんだ。 だから逢えて『誉め言葉?』って訊き返したんだけどさ。 じいちゃんは『どっちも』というニュアンスで言葉を返してきた。 オレの考えてることはお見通しってことなんだろうな。 頭が上がらない相手だから、なおさらこれ以上食い下がる気が失せる。 「おまえのバクフーン、ずいぶんと臆病な性格のようじゃが……」 じいちゃんは、どこか納得いかないものを見るような表情で漏らした。 「ルースは人間からあまりいい扱いを受けてなかったみたいでさ。オレと初めて会った時も、すごく怯えてたんだ」 オレはルースとの出会いについて、真実と嘘を適度に混ぜたことをじいちゃんに話した。 ルースを助けようと荒れ狂う海に飛び込んだ、なんてことはさすがに言えないからさ。 「そういうポケモンも多いそうじゃな。 なにせ、ポケモンは道具だと考えている人間も少なくはない」 じいちゃんは神妙な面持ちで言った。 ルースのことだけじゃない。 表向きには、人間とポケモンは同じ大地に共存しているように見える。 でも、実際はそうじゃないところもある。 ポケモンのことを金儲けの道具にしたり、ひどい扱いをしたり…… およそ共存という言葉の片鱗すら与えがたい状況も、ニュースとかでは度々流されたりしてるんだ。 ルースも、オレと出会う前は人間からいろいろと危害を加えられたり、追い掛け回されたりしてたんだろう。 だから、自分より身体の小さいオレにすら、怯えていた。 この研究所の敷地にも、ルースと同じような境遇のポケモンが結構いるって聞いた。 じいちゃんはとても胸を痛めてるんだ。 誰よりもポケモンのことが好きだから、なおさらだよな。 「オレにとってポケモンは家族だよ。 みんなが一緒じゃなかったら、今まで頑張ってこれなかった」 「うむ。そうじゃな」 そうさ。 みんなが一緒じゃなかったら、とうにこの旅は終わりを迎えていただろう。 みんながいてくれたから、どんな時でもあきらめずに最後まで頑張ろうって思えたんだ。 親父とのバトルに負けてしまっても、くじけずにいられたのは、みんながいてくれたから。 大切な家族のようなパートナーが傍にずっといてくれたからなんだ。 そういう風に認識できるってことを思えば、ポケモンを道具にしようとかって考えは自然に消えていくはずなんだけどな。 世界中のみんながそう思えるようになれば、本当の意味での共存が実現するんだろう。 うーん、結構哲学的…… 子供らしからぬことを考えていると、じいちゃんの鋭い言葉が飛んできた。 「ところで、ショウゴには会ったのか?」 「親父……?」 いつかは訊かれるだろうと思っていた。 親父のことだ。 じいちゃんがわざわざ訊いてくるんだ。 親父はオレが旅立ってから、じいちゃんにすら顔を見せてないんだろう。 母さんも、戻ってきてないと言ってたから、この想像は間違っていないはずだ。 「会ったよ。相変わらず嫌味な性格してた」 思い出したくもないけど、じいちゃんに嘘を言っても仕方がない。 向こうから触れてきた話だ……こっちが蹴り飛ばすわけにもいかない。 「相変わらずか……ショウゴも意固地なところがあるからのぉ……」 意固地ね…… 偏屈な性格だってのに、意固地なんて言葉を冠するようなものじゃないだろ。 何の罪もないじいちゃんには、そんなことは言えなかった。 本人が目の前にいたら、皮肉のスパイスを存分に塗した言葉を突き刺してやるのにさ。 オレが心の中で苛立っているのを感じ取ったんだろう、じいちゃんはその時の状況とか、踏み込んだことは聞いてこなかった。 こっちとしても、あんまりそういったことを話したくはないからさ。 思い出すだけでイライラする。 「じゃがな……」 じいちゃんの手が肩に乗った。 思いのほか軽いその手から、確かな温もりが伝わってくる。じいちゃんの傍にいるって実感できるよ。 「ショウゴにはショウゴなりの理由があると思うんじゃ。先ほどのジムリーダーの話と同じでな」 「そういうもんなのかな……?」 オレはかぶりを振った。 じいちゃんの言いたいことは分かる。 親父がオレにあんな嫌がらせをするのにも、それなりの理由があるのだと。 とはいえ、嫌がらせをする理由なんて、知りたくもない。 オレが全然納得してないのを知ってか知らずか、 「おまえがショウゴのことを嫌う理由は分かっているつもりじゃ。これでもわしは、あれの父親じゃからの」 じいちゃんはどこか淋しげな口調で付け足してきた。 「おまえがそう思うのも、分かっているつもりじゃ。 今さら好きになれと言うことなど、おこがましいじゃろうが…… ショウゴはショウゴなりにおまえの幸せを願っているのではなかろうか」 親父のこと……オレが嫌ってるってこと、じいちゃんはよく分かってるんだよな。 じいちゃんとしても、孫が実の息子を嫌ってるって、あまりいい気分はしないんだろう。 文字通りの『骨肉の争い』で、嫌気が差してるのかもしれない。 それはそうと…… 親父がオレの幸せを願ってる? 冗談じゃねえ!! 息子の希望に満ちた夢の新芽を摘み取るような父親が幸せを願ってるなんて、聞いて呆れるぜ。 「『親父の幸せ=オレの幸せ』じゃないってことだけは分かってくれよ、じいちゃん」 「もちろんじゃ」 親父はオレも同じ道を歩くってことが幸せなんだろうけど…… それでオレが幸せに思うかどうかってことなんだよ、問題は。 もちろん答えはノーだけどさ。 なりたくもないものに『させられる』ってことにどんな幸せを見出せというのか。オレには分かんない。 「じいちゃん。一つだけ訊いていいかな?」 「なんじゃ?」 これ以上じいちゃんに嫌な想いはさせられない。 この質問で、この話題は終わりにしよう。 オレはじいちゃんの顔をじっと見つめ、 「いつだったか……じいちゃんは言ってくれたよな。 おまえはおまえの道を行けって。 今でもその言葉は……変わんないよな?」 「当たり前じゃ」 じいちゃんは自信たっぷりに言うと、大きく頷いた。 なんとなく安心したよ。 どんなに妨害されても、オレはオレが行きたいと思う道を行けばいいんだって……ちょっとだけ、そこんとこが揺らいでたんだ。 親父がその気になれば、オレが旅を続けられないようにすることだってできるんだから。 でも…… じいちゃんの言葉が、確かな支えとしてオレの中に息づいてる。 そう確認できただけでも収穫だろうし。 「おまえはおまえの信じる道を行け。 いつかはショウゴも分かってくれることじゃろう」 何気ないその一言。 だけど、その言葉はどこか予言めいて聞こえた。 翌日。 朝食を摂り終えたオレは、じいちゃんの研究所へ向かった。 久しぶりに自分のベッドで寝たんだけど、やっぱり寝心地は一番良かった。 ポケモンセンターのベッドが悪いと言うわけじゃない。 ただ、寝慣れてる分、安心できるんだよな。ベッドに入ったら、あっという間に眠りに落ちてしまったんだ。 嫌な夢を見ることもなく、目覚めはマジで爽快。 気分は最高に晴れ渡ってるんだ。そう、頭上に広がる青い空のように。 「ラッシーたちを迎えに行かなきゃいけないんだよな……」 じいちゃんの研究所でいろいろとポケモンのことを観察したり、何かしらの手伝いをしたりしよう。 もっとポケモンのことが知りたいんだ。 だけどその前に、ラッシーたちを迎えに行かなきゃいけない。 広い場所で存分に羽を伸ばさせてやりたかったから、昨日は連れて帰らなかったんだ。 問題を起こしているわけでもなさそうだから、安心してじいちゃんに預けられた。 でも、さすがに何日も預けておくわけにはいかない。 世話になりすぎるのも、なんか悪い気がするんだ。 まあ、じいちゃんやケンジのことだから、迷惑には思わないんだろうけど…… 「でも、こうやってこの道を走るのも久しぶりだなあ……」 人通りの少ないメインストリートを走りながら、しみじみと思った。 ほんの一月前までは、毎日のようにこの道を往復してたもんだ。 でも、旅に出てからはいろんなものに目移りして、こういう何気ない行動にすら懐かしさを感じてしまう。 そういうのも、悪くないかもしれない。 戻ってきて、改めて故郷の偉大さというか、大切さみたいなのを感じるんだ。 「ケンジやナナミ姉ちゃんは大きくなったような気がするし……その分オレたちも成長したんだと思うけど」 たった一ヶ月とはいえ、旅立つ前と後では、ケンジやナナミ姉ちゃんは結構変わった気がする。なんていうか、雰囲気っていうのかな……? しばらく見ない間に、結構変わったんだよ。 毎日見てたら、少しずつの変化にも気づくんだろうけど。 しばらく離れていると、久々に再会した時に、相手の成長ぶりにビックリしてしまうんだ。 相手の成長の分、オレたち自身も成長したんだって思ってるよ。 トレーナーとしての実力は言うまでもなく、人間的にも、一回り……いや、二回りくらいはあって然るべきかな。 なんて、いろんなことを考えながら走るうち、小高い丘の階段を駆け上がり、あっという間にじいちゃんの研究所にたどり着いた。 今の時間帯なら、ポケモンにあげるエサを作ってる頃だろう。 戸を開けて屋内に入ると、コツン、コツンと金属を叩くような音が聞こえてきた。 音のした方へ歩いていくと、ケンジが小さなスコップでポケモンの食料をバケツに入れていた。 「ケンジ、おはよう」 邪魔しちゃいけないとは思いつつ、ただ見てるだけでもつまらなかったんで、オレは声をかけた。 すると、ケンジはこっちを向いてニコッと笑った。 「おはよう、アカツキ。 君がこうしてここに来るのも久しぶりだよね」 「ああ……それ、ポケモンの食事だよな?」 「そうだよ」 受け答えこそするものの、ケンジは手を休めることなく、傍に置かれた五つのバケツに、ポケモンの食糧を入れ続けていた。 食事を待ち望んでいるポケモンたちのためにも、休むわけにはいかないんだろう。 だけど、人の手で食事を与えられて、ポケモンって幸せを感じるんだろうか? 不意にそんなことを思った。 一生懸命なケンジを前にそんなことは言えないけれど、そう思うのはオレだけじゃないはずだ。 人間と一緒に暮らすことを幸せと感じるポケモンもいるかもしれない。 だから、それが正しいことだとは思わないけど、人間の都合でポケモンを敷地に住ませて、エサあげて…… こっちの都合で振り回してるような気がするんだ。 オレ、どうかしてるんだろうか? 今までにもそう思ったことはあったけど、今ほど深刻に考えたことはなかった。 研究所のポケモンたちが今の生活に満足し、幸せを感じているんだったら口を挟む余地などないんだろうけど…… 「アカツキ、どうかしたのかい? 黙り込んじゃって……」 「え……」 いつの間にやらケンジはバケツを食料でいっぱいにして、テーブルにもたれかかってひと休みしていた。 考え事とかしてると、時間の流れが遅く感じられるんだろうか。 あっという間だった。 「いや、なんでもない……ちょっと考え事してただけ」 オレは首を左右に振って、何事もないことをアピールした。 「それならいいけど……」 ケンジはオレの答えに釈然としないものを感じたのか、どこか納得しきれない顔を見せたけど、それ以上何も言ってこなかった。 「じいちゃんは?」 「ピジョットに乗ってタマムシシティに向かったよ。買い出したいものがあるんだって」 「そっか……」 話を振ってみたけど、あっさりと返された。 じいちゃん、こんな朝早くから鳥ポケモンのピジョットに乗ってタマムシシティまで出かけるなんて…… いかにもじいちゃんらしい話だ。 本当に欲しかったり気になるものは、自分の目で見て購入したいと思うんだろう。 人に買いに行かせて満足できないものを買ってこられても困るってことかもしれない。 じいちゃんにいろいろ相談しようと思ってたけど、いないのなら仕方がない。 みんなの様子を見に行くのも兼ねて、ケンジの手伝いでもしてみようか。 そう思って、口を開いた。 「ケンジ、手伝おうか? 一人じゃ大変だろ?」 「そうしてくれると助かるな。ありがとう」 ケンジはニコッと笑った。 そう申し出ることが分かってたみたいな顔だった。 ま、お互い様ってところだろう。 「それじゃあ、バケツを二つずつ持って出かけよう」 「分かった」 オレはケンジの右側にあるバケツを両手に持った。 山のように積まれているけど、ポケモンフーズのような見た目とは裏腹に、結構重かった。 両手を通じて、身体にずしりと重みが圧し掛かってくる。 ケンジは毎日こういうのを繰り返してきたんだろう。 がっちりした体格からは、何度繰り返しても苦にならないような体力が漂ってくるようだ。 対するオレは……なんかみっともないかもしれない。 足取りも、自分でも分かるくらい頼りないし、ちょっとでも気を抜けば中身を周囲に撒き散らしちゃいそうだった。 でも、さすがにそんなみっともないところを見せるわけにはいかない。 歩き出したケンジの後について、部屋を出る。 これに慣れれば、腕力も体力もつくんだろうな。 ケンジは進んでこういうことを引き受けてるから、じいちゃんはとても感謝してたよ。 老体に鞭を打つっていうのも、そろそろ辛くなってきたみたいだし。 研究所を出ると、建屋をぐるりと回って、ポケモンたちがたくさんいる敷地の方へ向かう。 なだらかな傾斜は牧草に覆われていて、ちちうしポケモンのミルタンクがノンビリとくつろいでいる。 その周囲に適度にバケツの中身をばら撒いて、通り過ぎる。 振り返ると、緊張感のない緩慢な動作でそれを頬張るミルタンクの姿。 ノンビリしてるのは、ここで暮らしていることに安心感を抱いているからだろう。 たまには他のポケモンとのイザコザもあるだろうけど、自然と打ち解け合う。 共存という流れが自然にできあがるから、安心できるんだろう。 楽しそうに暮らしてるポケモンの姿を見てると、さっきまで考えてたことがバカみたいに思えてくる。 人間側の都合というのもある程度はあるんだろうけど…… 最終的にそれが不満であれば、ポケモンたちは自分たちで考えてここから逃げ出すなりできるはずだもんな。 それをしないってことは、ここでの生活に満足しているからだ。 なんか、つまんない考えで時間を無駄にしてたな……オレは気持ちを切り替えた。 転ばないように気をつけながら斜面を降りていくと、左手に水場が、右手に木々生い茂る林が見えてきた。 「アカツキは右側をお願い。僕は水辺の方に行ってくるから」 「わかった」 オレたちは二手に別れることになった。 もしもケンジが一人ですることになったら、時間と手間がかかるに違いない。 今までそれをしてきたんだから、苦にもしていないのかもしれないけど……時間って何よりも大切なんだよな。 時間がなきゃ、何もできないからさ。 ケンジに背を向け、林の方へ歩いていく。 草タイプのポケモンや、森に住むポケモンたちの姿を多く見受けた。 時々立ち止まり、食料をばら撒きながら進んでいく。 みんな軽い足取りで寄ってきて、うれしそうな顔でポケモンフーズのような食料を頬張るんだ。 どんな味がするのかは分からないけど、ポケモンたちにとっては美味しいんだろう。 毎日こうやってポケモンのうれしそうな顔を見て、触れ合ったりして、ケンジはそれなりに楽しんでいるに違いない。 そうでもなきゃ、とてもじゃないけど暮らしていけない。 ナゾノクサにマダツボミ、コラッタからニドランまで、実に様々な種類のポケモンが住んでいる。 林に入ると、木の枝から飛び降りて食料をねだってくるマンキーや、パタパタと羽ばたきながらやってくるポッポの姿を多く見かけた。 常識じゃ考えられないような仕草を見せてくれるポケモンもいて、食事している姿を眺めていてもまったく飽きが来なかった。 思わず何分も足を止めていると、 「ソーっ!!」 林の奥から声が聞こえてきた。 顔を向けると、ラッシーとルースが走ってくるのが見えた。 食糧の匂いにつられたか、それともオレの存在を感じ取ったか……どっちにしても、とても楽しそうに見えた。 「ラッシー、ルース、おはよう。昨日は久しぶりにゆっくりできたか?」 駆け寄ってきたラッシーとルースの頭を順番に撫でながら、オレは訊ねた。 ラッシーは言うまでもなく、ルースも珍しく笑顔を見せている。 人見知りもあるけど、ポケモン見知りとかにもなってるんじゃないかと心配したけど、いつまでもそのままでいるわけがない。 ラッシーがいろいろと仲介してくれたりして、ずいぶんと楽しく時間を過ごしてきたようだ。 「ソーっ、ソーっ」 ラッシーはオレが傍らに置いたバケツからポケモンフーズのような食料を蔓の鞭で絡め取ると、口に運んだ。 みんなの邪魔になってはいけないと思ってるんだろう。 「ルースも食べろよ。お腹空いてるだろ?」 オレはバケツの中身を一掴みすると、ルースの前に差し出した。 ルースはしばらくオレの手の上にある食料を見つめていたけど、恐る恐る手を伸ばして、一つつかんで口に放り込んだ。 すると…… 「バクっ♪」 美味しいと言わんばかりに声を上げると、あっという間にオレの手の上にある分を平らげ、バケツの中身に手を伸ばした。 うーん、すごい食欲…… 食事の時間ということで、ポケモンたちがゾロゾロとやってきたけど、みんなちゃんと順番を守ってくれた。 横入りはしないし、他のポケモンの分を奪ったりもしない。 秩序が築かれているんだろう。 人間の秩序よりもよっぽど立派に思えるのは気のせいだろうか? ラッシーもルースもお腹を満たしたようで、他のポケモンに場所を譲って、ちょっと離れた場所に陣取った。 木の幹に背中をもたれて座り込んだルースは、お腹をさすって『満腹』という仕草を見せた。 妙に人間らしい仕草だけど、見てるとなんかかわいいかも…… オレの周りには数十体……どころか百体以上のポケモンが集まっていた。 食事を心待ちにしているようで、みんなウキウキした顔を向けてくる。 あんまり笑わないって言われてるマンキーたちも、ニコニコしてる。 オレが見たことのないポケモンたちの姿がここにはあった。 「楽しいな……こうやってポケモンたちを見てるのも」 時の移り変わりと同様に、ポケモンたちもその時その時によって見せる顔が異なるものだと、オレはじいちゃんから教えられた。 怒る時もあれば、悲しんだり喜んだりする時もある。 今はみんな楽しそうだ。 些細なイザコザも、あっという間に立ち消えて、友情というか仲間意識というか…… そういうものに変わっていくんだろう。 仲良く暮らすことで満足感を得ているに違いない。 気のせいか…… ラッシーとルースの笑顔、オレが今まで見たことがなかったタイプのものかもしれない。 笑顔と一口に言っても、浮かべてる当人と、それを見てる人の気持ちひとつで、違って見えてくるものなんだ。 今までに見たことのない笑顔。 ラッシーの笑顔は、久々に友達と再会して、楽しく遊んで満足してるみたい。 ルースの笑顔は、昨日出会ったばかりのポケモンたちだけど、昔から知っているようにみんなと接していて、とても楽しそうだ。 何日かしたら、また激しいバトルに身を投じることになるから、今はこうしてノンビリさせてあげたい。 それが今のオレにできる、みんなへの最大の感謝じゃないかって思ってるからさ。 オレだって、結構この状況を楽しんだりしてるんだ。 なんて、ポケモンたちと戯れているうちに、ケンジがやってきた。 空になったバケツをふたつ重ね、それを片手に持っている。みんなに食事をあげてきたんだろう。 「アカツキ、楽しそうだね」 「ああ、もちろん」 笑顔には笑顔で返した。 だって、本当に楽しいんだから。 服が汚れたり、髪が乱れたりすることも、気にならないくらい、楽しかったんだから。 「こういうの、久しぶりだよ」 オレの周りに渦巻くいろんなしがらみも完全に忘れて、みんなとひとつになれたような感覚…… これが、トレーナーやブリーダーとしての醍醐味なのかもしれない。 久しぶりに戻ってきた故郷で、オレは今までで一番楽しい時間を過ごした。 これから待ち受ける波乱の予感など、まったく感じなかった。 To Be Continued…