カントー編Vol.24 最後の壁 トキワシティ。 街の名前の「トキワ」は「永遠に変わらないもの」という意味の言葉だとか。 街を包む豊かな自然がいつまでもこの街と共にあるようにとの願いを込めて街の名前になった。 ……と、今朝マサラタウンを発つ直前にじいちゃんから聞かされた。 今まで街の名前になんてあんまり興味が湧かなかったけど、そういうのを考えてみるのも悪くないかもしれない。 そう、目的地へ向かう間、考え事をするのにちょうどいい題材かもしれないからさ。 オレたちはトキワシティに到着し、一路トキワジムを目指していた。 隣ではナミが相変わらず黄色い悲鳴を上げてたりする。 いちいち付き合ってたらジム戦の前に疲れちゃうんで、適度に相槌を打って、適当なとこに視線を向けながら別のことを考えて気を紛らわす。 ところが…… 「今回はギャフンと言わせちゃうんだもんね!!」 周囲の景色にも飽きたのか、ナミはついにオレに直接話を振ってきた。 さっきまでは同意を求める程度だったから、適当に相槌打ってりゃ良かったけど……なんか大変なことになりそうだ。 「今のあたしたちなら、勝てちゃうかな?」 「どうだろうな……」 オレは短く返すと、道の先に目を向けた。 トキワジムまではあと五百メートルくらいだけど、まだ見えてこない。 道なりに進んでいけばたどり着けるとかで、タウンマップによると道は途中からカーブしている。 カーブの内側に高層マンションが建設されるということもあって、鉄筋が組まれているせいでジムは見えてこない。 一ヶ月前にはなかったけど、ここもやっぱり都市になっちゃうんだろうか? タマムシシティやクチバシティが寂れない限り、急激に発展するとはないんだろうけど。 それでも少しずつ都市の仲間入りを目指すんだろうか。なんか淋しいけど、仕方ないよな。 街の外れ……郊外だけど、ここにまで高層マンションが建つんだ。都市再開発って感じもしないわけじゃない。 マンションの建設現場を迂回する形で道なりに歩いていくと、一枚の看板が目に飛び込んできた。 『トキワジムはこちら。このまま200m歩いて右に曲がる。トレーナー諸君の熱い挑戦を待っています。ジムリーダー・レオ』 殴り書きに等しい字が書かれた看板を見て、オレは全身の血液が沸騰するような感覚に襲われた。 レオ…… ジムリーダーの名前だけど、それがもうとんでもないヤツだったんだ!! あの時の憤りが蘇ってきて、心も身体も焦がしてしまいそうなくらいに熱くなった。 一ヶ月前…… オレたちはマサラタウンを旅立ち、ここトキワシティにやってきた。 カントーリーグ出場の目標を掲げていたオレたちは、当然この街のジムでジム戦をしようと思ってたんだ。 で、いざ赴いてみると、ジムリーダーにあっさりジム戦を拒否されてしまった。 その理由がとんでもなく自分勝手なものだから、オレもナミも怒りまくったモンだ。 もちろん今でもその怒りは収まるどころか、近くに来たこともあって、どんどん膨らんでいる。 この怒りをジムリーダー・レオに叩きつけて勝つ!! 一ヶ月前、オレたちの挑戦を蹴飛ばしたこと、絶対に後悔させてやる。 各地のジムをめぐり、いろいろなバトルを経験してきたオレたちの実力なら、今回のジム戦も制することができるはずだ。 あの時はラッシーとラズリーしかいなかったけど、今は違う。 リッピー、リンリ、ルース、ルーシーというかけがえのない仲間も加わり、とても心強いんだ。 みんなと共に戦ったなら、きっと勝てる。 看板のすぐ傍で道が二つに分かれていて、看板に書かれていた通り、右に曲がる。 景色が拓けて、仮設のジムが見えてきた。 プレハブにバトルコートだけという、ジムというにはあまりに淋しい光景だけど、それも仕方のないことなんだ。 数ヶ月前、ポケモンセンターのすぐ近くにあったトキワジムの建屋が事故だか事件だかで吹っ飛んだ。 急ピッチで建て直しを行ってるところだけど、さっき見た限りじゃ、復旧までは一ヶ月以上はかかるだろう。 できれば建て直された新しいバトルフィールドで最後のジム戦に挑みたいところだけど、贅沢を言っても仕方がない。 どんなフィールドであっても、そこがジムである限り、挑戦するということに違いはないんだから。 もらえるリーグバッジだって同じものなんだからさ。 相手が変わるわけでもなし、愚痴ったところで仕方がない。 「やっぱり淋しいねえ……」 「殺風景って言わないか、こういうの?」 フィールドの周囲には飾り気がなくて、本気で殺風景だった。 敢えて挙げれば雑草が点々と生い茂っているだけで、これじゃ飾りにすらならない。 ま、どうでもいいんだけどさ。 オレたちはバトルフィールドの脇にあるプレハブの傍へ歩いていった。 閉め切られたプレハブの中で、小麦色の肌と同じ色の髪を好き勝手な方向に伸ばした青年が横になっていた。 ジムリーダーだってのに、のん気なモンだ…… こうやってノンビリくつろいでるなんてさ。 緊張感が足りないっていうか。 確か、この前来た時も同じような感じだったっけ。 ま、どうでもいいんだけどな。 「のん気に眠ってるね……ギャフンと言わせてあげるのに」 隣でナミが空恐ろしいことを言った。 オレは聞かないフリを決め込むことにした。 ナミなりに、目の前の相手にいろいろと憤りを抱いてるんだろう。 オレは言葉の代わりに、それをバトルでぶつけてやることで気持ちの整理をつけた。 ぐっと拳を握り、ガラス戸を軽く叩く。 その音に目を覚ました青年――ジムリーダー・レオがこちらを向いて、眉を上下に動かした。 オレたちが来るのが、そんなに意外だったんだろうか……? ともかく、今回こそは絶対にジム戦を拒否させない。 いざとなれば、今までゲットしてきたバッジを突きつけて、有無を言わさずバトルに持ち込んでやるだけだ。 胸のうちでいろいろと策をめぐらせていると、ガラガラと音を立ててガラス戸が開いた。 「おや、キミたちは……いつぞやの」 「覚えてくれててありがとさん、選り好みするジムリーダーさん」 気さくな口調で話しかけてくるレオに、オレは嫌味を隠すことなく返した。 いい感情を抱いてないんだから、それくらいは当然だろう。 これでも自制してる方なんだ。 でも、レオは気にするでもなく、表情をまったく変えなかった。 「一ヶ月ぶりくらいだねぇ、元気してた?」 「落ち込んでるように見えるほど、あんたの目は節穴か?」 古い友達に会ったように満面の笑顔を浮かべているけど、オレとナミは同じように笑顔で応じられるはずがなかった。 現に、ナミなんか膨れっ面で、今にも怒り出しそうだ。 「見えないね」 レオはふっと息をついた。 「むしろ、息巻いてるように見えるよ。俺とバトルしに来たんだろう?」 「当たり前だ。 オレたち、あんたにジム戦拒否されてから、七つのジムを巡ってきたんだ。 ここで最後……今回は絶対にバトルを受けてもらうからな!!」 オレはリュックからバッジケースを取り出すと、等間隔に並んだバッジをレオに突きつけた。 「ほう……」 口元の笑みが深くなる。 一ヶ月の間に七つのバッジをゲットしてきたことを賞賛してるつもりなんだろうか? 「キミたちはかなり頑張ってきたようだ。ならば、ジム戦を拒否する理由はないな」 「じゃあ……」 「受けるよ」 ナミが期待を込めて漏らすと、レオは頷いた。 よし、これでジム戦に持ち込める。 リーグバッジの持つ力って絶大なんだって、改めて思い知ったよ。 オレたちの努力の結晶が、こうして最後のジムの扉を開いたんだから。 「あの時キミたちの挑戦を断ったこと、今ここで詫びよう」 レオはそう言うと、小さく頭を下げた。 だからといって今まで抱いてきた蟠りが消えてなくなるわけではないんだけども。 ほんの慰め程度だ、これでオレたちの戦意を削ごうなんて姑息な考えを持ってたら最悪なんだけどな。 「キミたちが俺に憤りを抱いていることはよく分かる。 それを、ジム戦で十分に発散したまえ」 レオは席を立つと、ガラス戸を閉めて、プレハブから出てきた。 左右の腰に三つずつモンスターボールが装着されている。 準備万端なのは、相手も同じだったということか。 値踏みするようにモンスターボールを見ていると、 「マサラタウンのアカツキ君だったな」 「ああ……」 「まずはキミからジム戦を行おう。バトルフィールドで待っていてくれたまえ」 「は?」 意味不明の言葉に、オレは思わず声をあげた。 バトルフィールドで待ってろって……一体なんでそんなこと言うんだか。 冗談かと思ったけど、レオの目は顔のように笑っていなかった。 何かある……? 「ポケモンが本調子かどうか、確かめておかなければならないのでね。 まさかキミたちが今日来るとは思わなかったからな」 「ジムリーダーなら、いつでもポケモンの状態を万全にしておくべきじゃないのか?」 「まったくもってその通り。 それについては俺の不徳のいたすところだ。 だが、どうせバトルをするのなら、お互いに万全の状態で戦うのが一番だろう」 「まあ、そりゃそうだな……」 そこまで言われちゃ、何も言い返せない。 詭弁もいいところの言い訳だけど、ここで言い返したところで何にもならないって分かってるんだ。 見事にオレに釘を刺してくれたわけだ……人生経験の差、とでも言うべきだろうか。 「それじゃあ。早く済ませてくるから」 そう言って、レオは軽い足取りでポケモンセンターの方へ走り出した。 オレはその背中が建設中のマンションに隠れるまで、じっと見ていた。 「行っちゃったね」 「ああ……」 一体なんなんだか…… 言い訳まがいの詭弁でわざわざオレの反論を封じてまでこの場を離れるなんてさ。 何か事情でもあるんだろうか? もしかすると、一ヶ月前にオレたちの挑戦を断ったことにも、同じように理由があったのか…… じいちゃんが言ってた。 ――ジムリーダーにはジムリーダーなりの理由があるんじゃろう。 オレにはレオの考えなんて分かんない。 だから、知りたいとは思わない。 気にはなるけど、他人の事情を詮索してまで、知ろうとも思わないな。 「なんでだろうね? なんか間が抜けてるっていうか……」 ナミも釈然としない何かを感じてるんだろう。 肩をすくめて、レオが消えた建設現場の方に目をやった。 確かにレオの準備不足が目立つ結果に終わったわけだけど…… やっぱり、何かあるんだな。 ポケモンのコンディションを確かめるなんてさ。 もしもオレがその言葉を突っぱねていたのなら、レオはどんな手を使ってきたのか。 よもや、再び断るなどということはないと思うんだけど…… 「気にしてたって仕方ないさ。行くぜ、バトルフィールドへ」 気にしたところで、推測しか組み立てられない。 想像するだけ無駄だと思って、オレはナミを連れ立ってバトルフィールドへ赴いた。 急場しのぎのフィールドにしては、小奇麗に整えられている。 トレーナーにとって聖地であるフィールドだけは、仮設だろうとなんだろうと、ちゃんと整備しておくんだろう。 オレはスポットに立った。 ここで最後のジム戦を行うんだ……ジムリーダーはどんなポケモンを出してくるのか。 向こう側のスポットに相手の姿を浮かべてみる。 オレと同じように真剣な表情になったレオが、フィールドにボールを投げ入れる。 バウンドしたボールの口が開いて、中からポケモンが飛び出す。 ジムにはそれぞれに得意なタイプというのがあって、ジム戦で用いるのはそのタイプのポケモンに限る。 弱点も偏ってるから、正攻法で相手の弱点を突く布陣にすれば、多少は勝率が上がる。 ただし、それは普通の相手であれば、の話だ。 ジムリーダーは普通のトレーナーとは一線を画す特別なトレーナー。 弱点を突かれた時のことも考えた上で戦略を練っているに違いない。 だけど、今回で最後なんだ。 ここでのバトルを制したら、いよいよカントーリーグ出場だ。 ニビジムは岩タイプ。 ハナダジムは水。 ヤマブキジムはエスパー。 クチバジムは電気。 タマムシジムは草。 セキチクジムは毒。 グレンジムは炎。 それぞれのジムで、七つの違うタイプのポケモンたちと戦ってきた。 残るタイプは十あまり……今回のジム戦ではどのタイプのポケモンが出てくるのか。 どのタイプのポケモンが出てきても大丈夫だとは思うんだけど、それでも不安は拭いきれない。 「ねぇねぇ」 「ん?」 背後から飛んできたのん気な声に振り返ると、フィールドの外に用意された椅子に腰を下ろしノビノビとしているナミの姿。 オレが全身全霊賭けてバトルしようっていう時に、そうやって背後でノンビリくつろごうってワケだ…… 殊勝な趣味してやがる。 ここでオレが勝とうが負けようが、ナミは相手のポケモンを見ることができる。 戦略を知ることができる。 相手のポケモンに対して有利なタイプのポケモンを主軸に据えた戦略を練り合わせることができるんだから、オレよりも優位に立てる。 本当ならそんなエコヒイキなことはさせたくなかった。 「うるせえ気が散る!! ポケモンセンターで待ってろ!!」 ……って言ってやりたいところだけど、それで悪者にされるのもなんか癪だ。 なんとも言えず、オレの胸中はくすぶっていた。 どっちにしたって、ここでオレが勝っちまえば,ナミにとってこれ以上のプレッシャーはないだろう。 リークしてやる代わりに、それくらいの見返りってゆーか、きっついパンチをくれてやってもいいだろ。 「アカツキがどんな風に戦うのか見るのも、久しぶりだよね」 「そうかあ? タマムシジムじゃ一緒に戦ったろ。 久しぶりっていうほど時間が経ってるわけじゃないと思うんだけどさ」 なに意味の分からないことを言ってるんだか。 オレはナミの目にもくっきり映るよう、大げさに肩をすくめてみせた。 今までに何度か、オレはナミと肩を並べて、ポケモンバトルをしたことがある。 タマムシジムでジムリーダーのエリカさんと戦った時は変則ルールだったから、あんまり考えないことにしたんだけどな。 その時だって、オレがどういう風に戦ったのかを、ナミはよく見てきたはずだ。 なのに、久しぶりだなんて。 そんなに時間経ってるわけじゃないんだけどさ。 「だって、あれからあたしもアカツキもちょっとは強くなったわけじゃない。 だったら久しぶりだよ」 「あ、そう……」 呆気なく返したものの、オレはナミが言うことを言うようになったもんだと思った。 ナンダカンダ言って、人間的にも成長してるんだなあ…… 旅に出る前とあんまり変わってないかと思ってたけど、とんだ間違いだったみたいだ。 色気なんて微塵も感じられないような身体つきはまだ変わりようがないけど、中身は別かもしれない。 特に言葉なんか、ずいぶんと筋道立ててしゃべるようになってきた。 言葉は人の気持ちの玄関口だ。 ちゃんと筋道立ててしゃべれるってことは、自分の気持ちを相手に伝えることができるってことだ。 もしもこのままのペースで中身が成長していったなら、カントーリーグが始まる頃にはどうなっているんだろう? 歳相応どころか、それ以上に大人びてたりして…… いや、まさかな。 半ばありえないような想像を浮かべ、オレは思わず吹き出しそうになった。 「ね、頑張ってねっ!!」 「ああ、当たり前だろ。オレが負けるわけねえじゃん」 「うんっ」 親指を立てて見せると、ナミはニコッと笑った。 オレに何かを期待しているような眼差しを向けているけど、それはオレの勝利を願ってのことだろう。 まったく、何気にオンナっていうのが恐ろしい時代になったもんだよ。 母さんといい、ハルエおばさんといい、カリンさんといい、オレが関わってきた大人の女性って、 誰もが一筋縄じゃ行かないクセモノだったりするんだよな。 面と向かっちゃさすがに言えないけど、母は強しというか、なんというか…… オレは身体の向きを変え、ジムリーダーの立つ向こう側のスポットを凝視した。 どんなポケモンが出てこようと、どんな戦術を用意していようと、オレたちはそれを打ち破って勝つ。 それだけだ。 今は、バトルが始まるその時を心静かに待つことにしよう。 ナミもオレの思ってることを理解しているのか、珍しく黙り込んでいた。 静かなのはありがたいからな。 ここで下手に言葉をかけたら、これ幸いとばかりに話を弾ませてしまうかもしれない。 何分が経ったか…… 少し強い風が頬を撫で、髪をなびかせる。 ちょうどその時、足音が聞こえてきた。 顔を向けると、レオがこっちに歩いてくるのが見えた。 ポケモンの準備は万端ってことか……いよいよバトルだ。 否が応でも心が弾む。どくんどくんと心音も弾み、ポケモンバトルという高揚感が全身を淡く包み込む。 レオは向こう側のスポットの横に立つと、口を開いた。 「お待たせ。それじゃあ、バトルをはじめようか」 「ルールは?」 「二対二のシングルバトル。勝ち抜き戦だ。 どちらかのポケモンが二体戦闘不能になるか、白旗揚げた時点で勝敗を決する。 入れ替えは君にだけ許される。 質問は?」 「ない」 ありふれたルールだ。 ポケモンが二体となると、相性が有利になるポケモンで、なおかつオレのパーティの中で最強のポケモンを出すことが必須となる。 ここが最後のジム戦なんだ……なにがなんでも、ここでしくじるわけにはいかない。 オレはグッと拳を握りしめた。 まずは、相手のポケモンを見極めてからだ。相手の特徴をとらえ、その上で相性が有利になるポケモンを選ぶ。 相手の出方をうかがってからでないと、迂闊に踏み込むわけにはいかない。 「そうか。では、はじめるとしよう」 満足そうに口の端を吊り上げると、レオは空を仰いだ。 「出番だぜ、旦那」 「……!?」 一体何をするつもりなんだ? 彼の言葉の意味も分からず、つられるようにして空を仰ぐと、ちょうど真上に鳥のような何かが浮かんでいた。 その何かっていうのは…… 「あ……あれって……」 ナミがベンチを蹴って立ち上がる音が聞こえた。 真上に浮かんでいたのは、真紅の竜を思わせるような体躯のポケモン……リザードンだ。 ヒトカゲの最終進化形で、ナミのガーネットもいずれ進化して、同じように空を飛ぶことだろう。 炎、飛行タイプを併せ持っていて、地上戦、空中戦と両方こなせるんだ。 実力もかなりのもので、最悪の弱点である岩タイプ以外のポケモンが相手なら、そう易々と負けたりはしないだろう。 「リザードン……それに、背中に乗ってるのは……」 オレはリザードンの背中から顔を覗かせている人物を見て愕然とした。 な、なんで…… なんでこんなとこにいるんだ……!? 文字通り真上からオレを見下しているその相手を、レオは旦那と呼んだ。そして、出番だ、と。 「おじちゃん!? なんでおじさんがここにいるの!?」 ナミが指差した先――リザードンの背にまたがっているのは、紛れもない、親父だったんだ。 どうしてこんなところにいるのか…… まさか、最後のジム戦を前に、オレの夢をつぶしにやってきたってのか。 もっとも衝撃(ショック)が大きい、最悪のタイミングで。 そうだとしても……オレは親父になんか負けない!! 親父を乗せたリザードンは徐々に高度を下げ、音もなくレオの傍に舞い降りた。 その背から親父が降り立ち、スポットに立った。 ラフな格好で、画家がかぶるような丸い帽子をかぶっている。 学会の帰りっていう風には見えないな。 ま、どんな格好してようと、別にそんなの知ったことじゃないけどさ。 「親父、何しに来た?」 オレはスポットに立った親父を睨みつけた。 これでもかとばかりに視線を鋭く、鋭く、鋭く尖らせて。 ホントはしゃべりたくもないけど、ジムリーダーであるレオが立つべきスポットに立ってるんだ。 何をしに来たのか、嫌でも悟っちまう。 親父はここでオレと戦うつもりなんだ。 次が最後だ――クチバシティの埠頭で、バトルに負けたオレに親父が言った冷たい一言。 その言葉を現実にするために……オレを研究者として育てる第一歩として、やってきたんだ。 「少しは成長したようだな……安心した」 親父は何の感情も宿さぬ表情のまま、平坦な声で告げてきた。 カラッポの声をぶつけられても、痛くもなんともない。 むしろ、わざとそうやってるようにしか思えない。 「オレの質問に答えろ」 答えになってない言葉を返されて、満足できるはずがない。 オレは語気を強くして親父に迫った。 親父がやりたいことは分かってる。 でも……じいちゃんが言ってたように、親父なりの理由というか……そんなものがあるんだろう。 バトルをする前に、それを知りたい。 なんでだろ……知りたくもないはずなのに、知ろうと思ったのは。 オレにも分かんない。 何がなんだか分かんなくて、なんかイライラする。 「決まってるじゃないか」 オレの言葉に真っ先に口を開いたのはレオだった。 さも当然と言わんばかりの表情で、隣に立つ親父に目を向ける。 「この旦那……君の親父がこのジムのジムリーダーだからさ」 「なっ……そんなバカな!! なんで親父がジムリーダーなんだよ!! ジムリーダーはあんたじゃないのか!!」 信じられない言葉に、オレは気が動転してしまった。 ナミなんか、口をポカンと開け放ったまま、完全に硬直していた。 親父がジムリーダーなんて……そんなこと、どうやったら信じられるんだ? 現にプレハブにいたのはレオだったし、彼はモンスターボールを腰にぶら下げていた。 親父は研究者として多忙な身で、ロクに家にも帰れないほどのスケジュールをこなしていたんじゃないのか!? なのに、ジムリーダーなんてさ……本気で笑えねえ冗談だ。 研究者とジムリーダーを両立してるってのか、まさか本気で……? 単に、レオがオレのことをオーキド・ショウゴの息子と知って、親父を呼んできただけって可能性も考えられる。 ジムリーダーでもなんでもなくて、親父がたまたま近くにいたから、オレに会わせた。 その方がどっちかと言うと自然だし、支離滅裂(メチャクチャ)な言葉よりも信憑性があるように思えるんだ。 でも、レオが嘘をついてるとも思えない。 わざわざ親父を呼んでまで、つまらない嘘をつく理由はないだろう。 一ヶ月前にジム戦を拒否された時と今を重ね合わせてみて……レオは本当のことを言っているような気がしてならない。 そう…… 親父がこのジムのジムリーダーだってこと。 でも、それならレオはなんなんだ? モンスターボールをぶら下げてるあたり、ただの事務員というわけでもないんだろう。 かといって、一ヶ月前にオレたちの挑戦を断った時の彼は紛れもなくジムリーダーだったし。 「アカツキ。 俺がジムリーダーと知って驚くのは分かるが……このバトルを受けるのか、受けないのか。 それだけははっきりしてもらいたいな」 「……っ」 親父は腕を組むと、かすかに首をかしげて言葉を投げかけてきた。 一ヶ月前から今までの間にジムリーダーに就任したってことか。 でも、それなら母さんやじいちゃんがそのことを知らないはずがない。 ――くそっ、知ってて黙ってたんだ…… じいちゃんたちに対する苛立ちも膨らんできたけれど、責め立てたところで何にもならない。 オレのためを思って言わないでいてくれたことくらい、分かってるんだから。 「おじちゃん、ジムリーダーだったの? おじーちゃんもママも、そんなこと言ってなかったよ?」 考えをめぐらすオレの背後から、ナミが親父に訊ねた。 あいつらしくないほど、声が震えている。 オレの親父がジムリーダーなんてさ……悪い冗談だって思ってるのかもしれない。 「ああ。おまえたちが旅立つ少し前に、招請を受けた。 本復旧までの急場しのぎだが、拝命したってわけだ」 「そういうことか……」 以前ここに来た時には、すでに親父がジムリーダーだったんだ。 レオはいわば影武者のようなもので、親父がいない時に代役を務めていたんだろう。 でも、それならなんでオレたちの挑戦を断ったのか。 答えはすでに出ている。 親父から拒否するように言われていたんだ。 どこまでもフザけたマネしてくれるんだ、クソ親父ッ!! 回りくどいことばかりして苛立たせる親父に対する怒りが、噴火寸前にまで達した。 こんなとこでのこのことしゃしゃり出て、オレの今までの苦労を完全に叩き潰すつもりなんだ。 「ん〜、なんだかよくわかんないけど…… おじちゃんに勝たないと、カントーリーグに出られないってことなんだね?」 「そういうことだ」 ナミの問いに頷く親父。 親父がジムリーダーであるということを受け入れたってワケか。 ……ついでに言うならば、オレの方も結論は出たよ。 「さて、答えは出たか?」 「ああ……」 オレは親父の目を真っすぐに見据えた。 相手が誰であろうと……それが憎い親父であろうと、親父と共謀したレオであろうと、そんなのはどうでもいいんだ。 相手がジムリーダーならば、そのポケモンを倒してリーグバッジをゲットする。 今のオレは『親父の息子』のオーキド・アカツキじゃない。 『ポケモントレーナー』のアカツキだ。 それだけで十分。 それ以上でも、それ以下でもない。 「親父を倒してカントーリーグに出る。それで満足だろ」 「そうだな……」 それに、ちょうどいい機会だ。 ここで親父に勝てば、オレは晴れてカントーリーグに出場できる。 ひいては、トレーナーとしての、あるいはブリーダーとしての未来も開けるんだ。 いつまでも親父から逃げ続けるのはごめんだ。 だったら、今この場で雌雄を決し、自分自身の夢をつかみ取るまで。 目の前の相手こそが、オレにとっての最後の壁。 今までで一番辛く厳しい戦いになるのは目に見えてる。 だからこそ、みんなの力を結集して、その壁を打ち破って未来へ向かうんだ!! 「アカツキ……がんばってね。負けないでね」 「ああ……任せとけ」 不安そうな声でエールを贈るナミ。 親父の実力をかじった程度であれ知っているから、不安に思ってるんだろう。 でも、オレに勝ってほしいと思ってくれている。 今のオレにとっては、何よりの追風に思えるんだ。 ナミが応援してくれてるから……何があっても負けられない。 ここで負けたら、オレを応援してくれた全ての人たちに申し訳が立たないから。 「ルールは先ほど彼が説明したとおりだ。 覚悟はいいな、アカツキ。ここがおまえにとって最後のジムとなる」 最後……カントーリーグに出場するための最後のジム。 親父からすれば、オレからトレーナーの夢を取り上げるための最後のジム。 もちろん前者さ。 後者になんか、意地でもさせないさ。 「では、行くぞ」 親父は引き締まった表情になった。 今まで見せたことのない真剣な表情。 鋭い視線は刃のように飛んできて、これ以上ないほどのプレッシャーとなる。 オレは足腰に力を込めて、プレッシャーを跳ね飛ばす。 これが最後だ。最後にするんだ。 親父の干渉をここで断ち切る。オレは自由に夢を求められるようになるんだ。 親父は腰のモンスターボールをつかみ、フィールドに投げ入れた。 バウンドと同時にボールが口を開き、中からポケモンが飛び出してきた。 「ぐりゅぅぅぅっ!!」 立派な体躯のそのポケモンは、腕を大きく動かすと、威嚇するように大きく嘶いた。 「カイリュー……!!」 親父のポケモンはカイリューだ。 ドラゴンポケモンのカイリューは、ハクリューの進化形で、ミニリュウの最終進化形。 進化するまでの道程が長い分、その実力は『最強』という言葉を冠するに相応しい五つ星!! ドラゴン、飛行の二タイプを併せ持ち、弱点は岩、ドラゴン、氷の三つのタイプのみ。 薄いオレンジの立派な体躯とは不釣合いなほど小さな翼。 でも、その翼は力強く羽ばたき、二百キロ以上あるというカイリューの身体を軽々と飛び上がらせる。 ファンシーな顔つきとは裏腹に、実力は凄まじいの一言。 カントーリーグ四天王の大将ワタルの最強のポケモンとしても知られているだけに、舐めてかかれる相手じゃない。 一瞬でも油断したら、あっという間に負けてしまうだろう。 身長二メートル五十センチ弱。 オレのポケモンでそこまで大きなポケモンはいない。 そして、カイリューと釣り合うほどの実力を持つポケモンも。 その上、弱点を突くのは不可能。 やる前からいきなり不利だけど、だからといって何もせずに降参するわけにはいかない!! カイリューは地上、空中、水中と、どんなフィールドでも戦える万能ファイターで、攻撃力、素早さと定評のあるポケモンだ。 弱点を敢えて言うならば、氷タイプの技にめっぽう弱いことと、防御が薄いということ。 その防御をさらに下げることができれば、普通の攻撃でも大ダメージを与えられるだろう。 そこまで持って行くのは大変だけど……それでも、論じてるだけじゃ何も始まらない。 カイリューは最強クラスの実力の持ち主だ。 持ち前の能力は言うに及ばず、多彩な技を使いこなすことも、その強さの一因なんだろう。 ほとんどすべてと言っていいほどのタイプの技を覚えられる。 高威力の吹雪や破壊光線なんか、得意技に数えられてるほどなんだ。 親父のカイリューも、あらゆるタイプの技をマスターしていると見て間違いない。 最後にして最強の相手とは、まさにこのことだ。 なら、弱点の少ないポケモンに先鋒を任せるしかない。 「ルーシー、頼んだ!!」 オレの一番手はルーシーだ。 フィールドにボールを投げ入れると、ルーシーが飛び出してきた。 「ほう、ガルーラか……なかなかいいポケモンをゲットしたようだな」 誉めてるつもりか、親父の口調はどこか穏やかだった。 そんな親父を無視し、ルーシーはお腹のポケットから子供を出すと、そっと地面に下ろした。 「がるぅ……?」 「がーっ」 不安げにルーシーを見上げる子供。 これからバトルが始まるんだと、肌で雰囲気を感じ取っているのかもしれない。 ルーシーのことを……母親のことを心配してるんだ。 実に親思いの子供だけど……いや、だからこそオレは頑張らなきゃいけない。 しばらくルーシーを見上げていた子供も、意を決したようにこちらに向かって駆けてきた。 オレの脇をすり抜けて、ナミの足元まで走っていった。 「うん、一緒に見ようね」 顔を向けると、ナミがニコッと笑って、子供を抱き上げて膝の上に載せるのが見えた。 バトルの余波が届かない場所に避難させなきゃ、ルーシーも思うように戦えないだろう。 「じゃ、審判は俺がやろう」 お互いのポケモンがフィールドに出て、レオが審判を務めることになった。 この期に及んで親父の肩を持つようなマネをするとは思えないけど。 なんか、こうなることを知ってたみたいでどこかいけ好かない。 「それではこれより、グリーンバッジを賭けたジム戦を行う。 両者、準備は良いか?」 朗々と響く声で言うと、オレと親父を交互に見つめる。 オレは頷いた。 準備なんて……いいに決まってるじゃないか。 一刻も早く、オレはオレの夢をつかむんだ!! 「では、バトルスタート!!」 「ルーシー、岩砕き!!」 先手を取ったのはオレ。 親父に先手なんか取らせるわけにはいかない。 「ガーっ!!」 ルーシーは咆哮と共に腕を振り上げ、地面に叩きつけた!! グォンッ!! 轟音と共に、地面が揺らぐ!! 「むぅ……!?」 親父が表情を険しくする。 岩をも砕く勢いで叩きつけられた衝撃で、地面がひび割れる!! 地面のひび割れは意思を持ったように、蛇のように曲がりくねりながら、カイリューに向かって大きくなっていく!! ひび割れた地面から、拳大の無数の岩の破片が吹き上がった!! これを食らえば、いくらカイリューでもかなりのダメージになるはずだ。 「なかなかの威力だが、当たらなければ意味がないぞ。 カイリュー、飛び上がって破壊光線!!」 だけど、そう簡単にダメージを許してくれるはずがなかった。 カイリューは翼を広げて飛び上がった!! その直後、地面のひび割れがカイリューの立っていた場所に達し、岩の破片を吹き上げた!! ルーシーの攻撃が届かない高さまで飛び上がると、カイリューは口を大きく開き、破壊光線を撃ち出した!! 最強クラスの攻撃力を持つだけあって、見た目にもその威力は明らかだった。 ど太い破壊光線をまともに受けたら、ルーシーでもかなり危ないだろう。 でも、ルーシーの攻撃が届かない位置にいるからこそ、ルーシーは破壊光線を避けることができる!! 「ルーシー、避けるんだ!!」 オレの指示に、ルーシーはさっと横に飛び退いた。 刹那―― ごごぉっ!! 破壊光線が地面を打つ!! 破壊光線は避けられたけど……こっちから攻撃することはできない。 ルーシーは、接近戦は強いけど、距離を空けた戦いは苦手なんだ。 とはいえ、親父としても、空から破壊光線を連発するような戦い方はしないはずだ。 体力の消耗は激しいし、いくらカイリューがタフでも、攻撃を避け続けられるとなれば、戦意も多少なりとも低下するはず。 ルーシーの攻撃の届かない高さで羽ばたきながら、カイリューは破壊光線の反動からの回復を待っている。 なるほど、上手い手を考えたもんだ。 ルーシーが接近戦で真価を発揮するポケモンと見抜いて、空から攻撃を仕掛けてくるとは。 距離が開いていても戦えるよう、冷凍ビームでも覚えさせてみるか…… そう思った矢先。 「カイリュー、ドラゴンクロー!!」 「……!!」 親父の指示に、カイリューが動いた!! まさか、もう破壊光線の反動から回復したのか!? たかだか十秒とちょっとだぞ? 普通のポケモンなら、この倍、いや……三倍以上の時間を要するのに……さすがはカイリューといったところか。 カイリューは高度を上げると、そのままルーシー目がけて急降下!! 空を飛ぶポケモンの中で最速と言われているカイリューの飛行スピードは、オレの知る限りマッハ2!! あっという間にルーシーとの距離が詰まる!! 手のように器用に動かせる前脚の爪に、赤い光が宿った!! ドラゴンクロー……ドラゴンタイプの大技か。 いつだったか……ミツルのフライゴンが使ってきたのを覚えてる。 威力は高く、弱点を突かれなくてもダメージは大きい。 まともに食らうと、戦況は一気に不利に傾くだろう。 だけど、ここはこっちにとっても攻撃のチャンスだ。直接攻撃だけに、ほんの一瞬だけ、ルーシーの攻撃が届く!! オレはタイミングを計り―― 「ルーシー、ブレイククロー!!」 ルーシーに指示を出す!! 威力が高く、攻撃が命中すると相手の防御力を一時的に下げることができるブレイククロー。 当たれば、普通の攻撃でも大ダメージを期待できるんだ。 カイリューが迫る!! 矢のような勢いで飛来してきたカイリューの赤い爪がルーシーを薙ぐ!! その瞬間、クロスカウンターでルーシーのブレイククローが決まった!! 苦しそうに表情をゆがめるカイリュー。 だけど怯むことなく飛び続け、またしても高度を取った。 ヒット・アンド・アウェイ(攻撃後、離脱)の戦い方ってワケか。 これでカイリューの防御力は下がった。 あとは破壊光線を一発でも決められれば、それだけでカイリューを倒すことができるかもしれない。 とはいえ、外した時のリスクの大きさを考えると、切り札として手元に取っておくのがいいだろう。 ブレイククローでカイリューにそれなりのダメージは与えられたものの、ルーシーもドラゴンクローでかなりのダメージを受けている。 攻撃を当てた瞬間、一瞬よろめいたけど、すぐに何事もなかったように踏ん張ったんだ。 カイリューが飛び去る時の風圧によろめくほどのダメージか…… これは何発も食らうと本気でヤバイかもしれない。 慎重に行かないと…… でも、カイリューには雷や吹雪といった、最強クラスの技があるんだ。 使い方によっては、直接当てるよりも効果的な場合もあるんだ。 親父のことだ、それを計算して攻撃してくることも十分にあり得る。 「なかなかやるな。 だが、カイリューの力はこんなものではないぞ。雷!!」 親父の指示に、カイリューの頭の上の触角が妖しい動きを見せた。 バジバジっ…… うねる触角の間に電気が流れたかと思うと、それが増幅されてフィールドに降り注いできた!! 電気タイプ最強の威力を持つ雷。 やはり、親父のカイリューは覚えてたか……!! この分だと、吹雪や大文字もどこかで使ってくるかもしれないな。 ルーシーは軽いフットワークで、降り注ぐ雷から身を避わした。 だけど…… 「それで避けたつもりか? 見せてやれ、カイリュー!!」 親父の嘲笑と共に、カイリューが雷を発射したまま空を縦横無尽に飛び回る!! 「なっ……攻撃しながら移動だぁ!?」 オレはマジで驚きを禁じ得なかった。 攻撃を繰り出しながら移動するなんて、そんなの普通のポケモンじゃまず無理だ。 仮に可能だとしても、移動に重点を置いている分、攻撃の威力はかなり低下するんだ。 でも、カイリューの雷は、威力がまったく落ちていない!! ルーシーは空から降り注ぐ雷を避けるのに精一杯で、カイリューの動向なんてまったく目に入ってないようだ。 雷の直撃を受けると、運が悪ければ身体が麻痺してしまう。 思うように動けない状態で渾身の一撃を受けたら、戦闘不能になる可能性がとても高いんだ。 真上から、あるいは斜め上から降ってくる雷を避けるのに神経を集中しているルーシーは、 カイリューが徐々に距離を詰めていることにも気付いていない!! 「ルーシー、カイリューが来るぞ!! 気をつけるんだ!!」 この状況を打破する効果的な策が浮かばず、オレはルーシーに注意を促すことしかできなかった。 遠距離からの攻撃に紛れて、徐々に近づいてホントの攻撃を繰り出す……親父の作戦はそんなところだろう。 ルーシーの様子を見る限り、少しでも気を抜けば雷に当たってしまうという、かなり危険な状態。 このまま雷を避け続け、カイリューが攻撃を繰り出してきた瞬間に反撃に転じる…… それが今しがた思いついた最善の策なんだけど……どうにも分が悪い。 「カイリュー、気合パンチ!!」 親父の指示を受けて加速するカイリュー!! 一直線にルーシーへと向かう!! もちろん、雷を発射したままで。 攻撃を繰り出す瞬間に雷を止めて、気合パンチ一本に絞るつもりだろう。 こうなったら、雷をある程度浴びることを覚悟して、気合パンチのダメージを可能な限り減らすしかない!! 運に任せるのは気が進まないけど、躊躇ってるだけの余裕はないんだ!! オレはグッと拳を握りしめ、ルーシーに向かって叫んだ。 「ルーシー、破壊光線の準備を!!」 気合パンチとクロスカウンターで放てれば、これ以上ないダメージになるだろう。 ダメージは動きを鈍らせ、破壊光線の反動から回復するまでの時間を稼ぐこともできるかもしれない。 ルーシーはオレの指示に動きを止めると、真正面から飛んでくるカイリューを睨みつけた。 「気合パンチに耐えられるか……おまえのガルーラは?」 親父が口の端に笑みを浮かべた。 気合パンチは格闘タイプで最強の威力を誇る技だ。 文字通り気合を込めた全力のパンチを繰り出す技だけど、すごい集中力が必要となるんだ。 少しでも集中力を欠けば、攻撃自体を出すことができなくなる。 でも、カイリューの特性は『精神力』!! 何があっても決して怯まないというもので、集中力を欠くなんてことはほとんど考えられないんだ。 相打ち覚悟で破壊光線をぶっ放すしかない!! 空を飛びまわりながら雷を連射され続けたら、いつかはルーシーが戦闘不能になってしまうだろう。 だったら、さっきと同じように、攻撃を『当てられる』瞬間に賭けるしかない。 すごい勢いで飛んでくるカイリューが、ルーシーめがけて裂帛のパンチを繰り出した!! 二メートルを超え、竜と呼ぶに相応しい体格から繰り出されるパンチの威力は、推して知るべし。 その瞬間、ルーシーが口を開いて、破壊光線を発射!! ごっ!! 破壊光線の真っ只中に、カイリューが拳を突っ込む!! 瞬く間にカイリューは破壊光線に飲み込まれた!! このタイミングなら、カイリューもルーシーも避けることはできない。 攻撃を当てることはできたけど、果たして、ルーシーは耐えられるのか……気合パンチに……? ぶおっ、という耳障りな音を立て、破壊光線がはじけた!! そこには、肩で荒い息を繰り返すカイリューと、仰向けに倒れているルーシーの姿があった。 「ルーシー!!」 「がるぅぅぅっ!!」 「あ、ダメだよ危ないから!!」 オレと子供の声が重なった。 振り向かなくても、どんな状況なのか、手に取るように分かる。 倒れた母親に駆け寄ろうとした子供を、ナミが必死に止めているんだろう。 それはともかく…… ルーシーは戦闘不能か。 気合パンチをまともに食らったら、大ダメージは確実だけど…… さっきのドラゴンクローが結構響いたのかもしれない。 対するカイリューも、足元が小刻みに震えていて、立っているのもやっとという状態だ。 ルーシーの破壊光線は絶大なダメージを与えてくれたらしい。 「カイリューにここまでのダメージを与えるとはな……」 親父の口元から笑みが消えた。 親父なりに、ルーシーのことを賞賛してるんだろうけど……相手が相手だけに、あんまりうれしくない。 「ルーシー、戻れ!!」 オレは戦えなくなったルーシーをモンスターボールに戻した。 光線になって、ボールに吸い込まれるルーシー。 「よく頑張ってくれたな、ルーシー。 ありがとう、あとはゆっくり休んでてくれ」 労いの言葉をかけ、腰に戻す。 これでオレは後がなくなった。 戦闘不能寸前のカイリューを倒せたとして、親父にはオレのポケモンに対して有利なタイプのポケモンを出すチャンスがある。 どう考えても、先に一体目を倒されたオレの方が不利…… やる前から不利で、やってる途中でも不利だけど、勝負は最後までどう転ぶか予測不可能なものだ。 だから、最後まであきらめないという選択肢がいつでも手元に残ってる。 「ガルーラ、戦闘不能!!」 レオが左手を高々と掲げ、ルーシーの戦闘不能を宣言する。 文字通りの背水の陣ってワケだ……ちっともうれしくないけど。 カイリューの弱点を突くのは不可能。 でも、今のカイリューなら、弱点を突かなくても倒すことができる。 一撃でも加えれば、そのまま倒れそうなほど、足元は覚束ない。 「誰を出す……?」 攻撃力と素早さを重視するなら、ラズリーだ。 ラズリーにこそ攻撃力は及ばないものの、防御面が多少マシなルースにするか。 どちらかしか考えられないところだ。 ここは安定感を取ってルースにするか…… オレはルースのモンスターボールに手を伸ばし、触れた瞬間。 何かが手の甲に触れてきた。 「……?」 虫か何かが飛んできたのかと思って視線を落としたら、腰に振動が走った。 「モンスターボール……?」 モンスターボールがカタカタと音を立てて震えていた。まるで、オレの手の甲を叩くかのように。 でも、このボールは……思わず手に取ると、震えが止まった。 「ラッシー?」 ラッシーのボールだった。 普通、ポケモンはモンスターボールの中でゆっくりくつろいでいる。 バトルの時には、トレーナーの気持ちというか、気迫というか、そういうものがキッカケで、投げられた時にボールから飛び出すんだ。 でも、ポケモンが飛び出すのはバトルの時だけじゃない。 トレーナーの言葉に反応して自分からボールをこじ開けて飛び出してくることもある。 だから、ラッシーはボールを震わせてまで、オレに何かを伝えようとしてるんだ。 「ラッシー……もしかして、戦いたいっていうのか……?」 オレは小さな声で、モンスターボールの中のラッシーに問いかけた。 相手が親父なら……オレの大嫌いな親父なら、ラッシーも気兼ねなく戦えるってことなんだろうか? でも…… 戦闘不能寸前の手負いと言っても、カイリューは最強クラスの能力を備えたポケモンだ。 万が一、倒す前に一撃でも攻撃を受ければ、後々になって痛いほど戦況に悪く響いてくるのは間違いない。 ラッシーが気持ちを昂らせていても、相性が圧倒的に不利な状態でバトルに出すわけにはいかない。 トレーナーはいつだってポケモンに対して優しい判断をしていればいいというものじゃない。 時には厳しく、冷徹と受け取られるような判断をしなければならないこともある。 相打ち覚悟で技を指示するとか、思い描く作戦のために、わざとポケモンを一体囮のようにしたり…… ここは心を鬼にしてでも、ラッシーを出しちゃいけないのかもしれない。 でも、オレにはそんなことできない!! 最終的に勝ち負けで責任を取るのはトレーナーだ。 「ラッシー、君がやる気なら、オレは君を止めないよ。 どんなことになろうと……オレは君を信じるからな」 一般論(セオリー)から離れていようと、そんなことは気にしない。 ラッシーがやる気なら、オレは信じるだけだ。最後まで頑張ってくれるってことを。 「ラッシー、行けぇっ!!」 オレは腹の底から声を振り絞り、ラッシーをバトルフィールドに送り出した。 ボールが最高点に達したところで口を開き、中からラッシーが飛び出してきた!! 「フッシーっ!!」 「ん……?」 威嚇するように低い声をあげるラッシーを、親父は訝しげな表情で見つめた。 いくらカイリューが手負いでも、相性が不利となるポケモンを出してくるとは思ってなかったんだろう。 「ラッシーか……アカツキ、おまえは本気でラッシーで俺に勝とうというのか?」 親父なりの忠告のつもりなんだろう。 でも、どこかバカにしたような言葉の響き。 オレはカッとなって、叫び返した。 「バカにすんな!! どんな結果になろうと、オレはラッシーを信じるって決めたんだ!! 冗談でこんなことすると思ってんのか、バカ親父!!」 思わず汚い言葉も飛び出したけど、冗談や酔狂でこんなことをしてるわけじゃない。 そこんとこだけは誤解してもらいたくない。 それだけだ。 「そうか……」 親父は短くつぶやき、肩をすくめた。 納得したようで――それでいて失望したようにも見えたけど、ンなことはどうでもいいんだ。 「ならば、俺もそれ相応の覚悟で戦わねばならんな。レオ、開始の合図を」 「あいよ。 フシギソウ対カイリュー、バトルスタート!!」 レオの合図で、中断していたバトルが再開された。 「ラッシー、マジカルリーフで一気に仕留めるんだ!!」 すかさすラッシーに指示を飛ばす。 相性的にダメージがそれほど期待できなくても、今のカイリューなら倒すことができるはず。 今までのバトルで培ってきた実力なら、ある程度の相性は度外視できる。 ラッシーは背中から鋭い葉っぱを何枚か撃ち出した!! 「凍える風!!」 と、そこへ親父の指示が飛ぶ。 氷タイプの凍える風か……ラッシーには痛いけど、幸い威力は低めの技だ。 後で光合成を使って、受けたダメージを補填すれば問題ない。 カイリューが口を大きく開き、凍える風を吐き出した!! 陽光を受けてキラキラ光る粒子は、細かな氷の粒だ。 凍える風はダメージと共に相手の素早さを下げる効果がある。 元からあまり素早くないラッシーなら、多少下がったところで気にするほどのこともないだろう。 吹き付ける風に、ラッシーが身体を縮め込ませた。 草タイプだけあって寒さが苦手なんだ。 ラッシーが撃ち出した、一見頼りない葉っぱ。 しかし、吹き付ける冷たい風に負けるどころか、むしろその風に乗るようにして、カイリューに迫る!! マジカルリーフは、いかなる風にも負けない魔法の葉っぱだ。 炎なら焼き尽くせるだろうけど、凍える風を使っているカイリューが炎に攻撃を切り替えることはできない。 葉っぱはどんどん速度を上げ、カイリューを直撃した!! 「がりゅぅぅぅっ……」 カイリューは苦しそうに表情をゆがめると、そのまま前のめりに倒れ込んだ。 ホントに、気力だけで立ってたんだ。 破壊光線の直撃を受けて戦闘不能にならなかっただけでも十分すごいけど…… やっぱ、親父のポケモンだけあってよく育てられている。 「カイリュー、戦闘不能!!」 レオがカイリューの戦闘不能を宣言する。 これで、親父にも後がなくなった。ひとえにルーシーの破壊光線のおかげだ。 もしも避けられていたら、体力が全快に近いカイリューを相手にかつてない苦戦を強いられるところだった。 戦闘不能寸前でも、マジカルリーフ一発で撃沈されたことで、親父も多少なりともショックを受けているはずなんだけど…… そんなのを表に出すはずもないか。 「なるほど……おまえが最初に心を許したポケモンだからこそ、おまえのために、最大の実力を発揮できるというわけだ」 親父がポツリ漏らした。 そして、傍らでバトルを見ていたリザードンに顔を向けた。 一体何が言いたいんだ……? 本来なら親父の戯言になんか付き合っちゃいられないんだけど、今はバトルが中断されている状態。 光合成で体力回復なんて狙えない。 「今までの旅で、一回りも二回りも大きくなったようだな。 ならば、俺もおまえに相応しいポケモンで決着をつけてやろう。 おまえにピリオドを与えるのは、リザードンだ」 親父の言葉を受け、リザードンが足音を響かせながらフィールドに躍り出た。 リザードン…… ラッシーの天敵とも言える炎、飛行タイプを併せ持つポケモンだ。 親父が最初にゲットしたヒトカゲの最終進化形。 最後のポケモンと呼ぶに相応しい威圧感を全身から放っている。 「言っておくが、俺のリザードンはさっきのカイリューよりも強いぞ。 なにぶん、俺が最初にゲットしたポケモンだからな」 「だからどうした。相手が誰だろうと戦うだけだ」 「ほう……その強気がいつまで続くかな……?」 強気か…… 強がりだって、親父は容易く見破っていた。 いくらラッシーでも、あらゆる能力が上回っている相手に勝つのは容易なことじゃない。 一番厳しい戦いが始まるんだ。 強がりでも持ってなきゃ、とても戦い抜けそうにない。 お互いに最初にゲットしたポケモンの進化形で戦うなんて……予想だにしていなかったよ。 相手が炎タイプを持っているから、日本晴れからソーラービームの必殺コンボは使えない。 となると、マジカルリーフに状態異常の粉を含んだ複合技でじわじわ追い詰めてくしかないな。 単純なぶつかり合いじゃ、どう足掻いても勝ち目はない。 セオリーをぶち壊すような劇的な勝利を目指すなら、変則的な戦いでペースをこっちに引きずり込むしかないんだ。 親父の視線を「バトル開始」の合図と受け止めたんだろう、レオは両手を挙げて、 「バトルスタート」 「ラッシー、痺れ粉!!」 バトル開始と同時に指示を出す。 親父よりも指示を多く出し、手数で押して行くしかない。 ラッシーはオレの意図を的確に把握し、すぐに背中のつぼみからキラキラ輝く粉を空に舞い上げた。 近づいてくれば、すぐに身体が麻痺する。そうなれば、相性が不利でも戦況はこっちに有利に働く。 「そんな見え透いた攻撃に引っかかるほど馬鹿ではない」 親父はピシャリと言い切ると、 「リザードン、炎で粉を焼き尽くせ」 やっぱりそう来た!! リザードンが口を大きく開き、紅蓮の炎を吐き出してきた!! 矢のように先端が尖った炎は空気抵抗をものともせずに飛んでくる!! まともに食らったら、確実に戦闘不能だけど……当然、ただで食らうつもりなんて、これっぽっちもない。 むしろ、接近戦じゃなくて、炎を吐くように仕向けたのさ。 「ラッシー、影分身!!」 「むっ……!?」 小さく親父が唸るのが聞こえた。 飛来する炎をじっと睨むラッシーの姿が左右にいくつも現れ、その数は瞬く間に十を超えた。 苦手な攻撃でも、当たらなければ痛くないっていう寸法さ。 リザードンの吐き出した炎はキラキラ舞い上がる粉をあっさり焼き尽くし、真正面にいたラッシーを飲み込む!! その瞬間、ラッシーの姿が掻き消えた。 残念、ニセモノだ。 オレにもどのラッシーがホンモノかは分かんないけど、その方がオレの表情の変化とかで親父に見破られる可能性も低いのさ。 「なるほど……そう簡単には倒させないということか……」 「当たり前だ!!」 そう簡単に倒させてたまるか。 思わずツッコミを入れてしまったよ。 これで親父も少しは攻めあぐねるだろう。 その間にこっちもリザードンを倒すための策をめぐらせなければ。 ソーラービームやマジカルリーフでも、リザードンに大ダメージを与えることはできない。 毒の粉で上手く毒状態にすることができれば、あとは影分身を使わせてひたすら『逃げ』るだけ。 ヤケになって攻撃してくればくるほど、毒が身体に回って自滅するって算段だ。 問題は、リザードンが毒の粉を炎で焼き尽くしてくるってことだ。 不意打ちで上手く毒の粉を身体に付着させられたらいいんだけど…… それだと、一発は攻撃を食らうことを覚悟しなければならない。 光合成で体力を回復させる暇がないことを考えると、どんな攻撃であれ、一発たりとも食らうわけにはいかない。 「そういえば、ラッシーは男の子だったな」 「な、なんだよいきなり」 何かを思いついたような顔で親父が漏らした。 またしてもツッコミを入れてしまう。 今はバトルの最中だろ!! なのに、なんでラッシーは男の子だったな、なんて言い出すのか…… ふざけてるのかと一瞬思ったけど、そうじゃないことはすぐに分かった。 「リザードン、メロメロ」 「……!!」 親父の指示に、リザードンは蛇のようにくねくねと身体を動かした。 赤い竜という見た目だけに、色気なんてまったく感じられなかったけど……親父のリザードンはメスか!! およそポケモンは見た目でオスかメスの区別がつかないのが通説(じょうしき)だ。 だから、リザードンがオスかメスかなんて、まったく気にしてなかったんだ。 でも、まさか色気ムンムンのメロメロで攻めてくるなんて…… 普通に攻撃してたんじゃ埒が明かないってことに、親父の方が早く気付いてしまったんだろう。 「ええっ、リザードンって女の子だったの!? 信じらんな〜いっ!!」 背後でナミが驚きの声をあげる。 ……って、驚いてるのはそっちかヲイ!! このタイミングでメロメロを使ってきたことじゃなく、リザードンが見た目を裏切って可憐なメスだったからだ。 全力でツッコミ入れたい気分に襲われたけど、今はそんなことしてる場合じゃない!! リザードンの方を向いているたくさんのラッシーの目がとろんっ、ととろけたように見えた。 まずい…… 完全に魅入ってしまってる!! メロメロは名前どおりの技で、相手を魅入らせて攻撃を封じる効果を持つ。 ただし、どんなポケモンであっても、技を使うポケモンと相手のポケモンの性別が違っていなければ成功しない。 言い換えれば、性別さえ違っていれば成功するという、ある意味で凶悪な技でもある。 リザードンに魅入られたラッシーに、オレの言葉は届かないだろう。 ラッシーが攻撃できない隙に、影分身で作ったニセモノを次々に撃破し、ホンモノのラッシーに攻撃を命中させるつもりなんだ。 命中率がゼロでない限りは、安心なんかできない。 「リザードン、空から火炎放射。一体ずつ狙って撃て」 リザードンが空に舞い上がる。 そして、大きく息を吸い込むと、左端のラッシー目がけて炎を吐き出した!! 頼む、ニセモノであってくれ……!! リザードンを凝視するラッシーにぐんぐん迫る炎を見つめながら祈った。 祈りたくなるような気分だったんだ。 その祈りが通じたのか、炎の先端に触れた瞬間、ラッシーの姿が音もなく消えた。 よかった、ニセモノだ。 だけど安心はできない。 これでホンモノに命中する確率が何パーセントか上がったんだ。 まともにあの炎を食らったら、本気で危ない……!! 最終進化形というだけあって、炎の威力は抜群だ。 ラッシーも最終進化形のフシギバナに進化していれば、一発くらいは凌げるかもしれないけど…… 少なくとも、今のラッシーじゃあっという間にノックアウトだ。 ラッシーは吸い込まれるような眼差しをリザードンに向けたまま、まったく動かない。 炎が空から降り注ぎ、次々とニセモノのラッシーが音もなく消えていく。 今のところはまだホンモノに命中してないけど、一刻も早くメロメロの効果が消えなければ、いつかは命中する!! たった一発でノックアウトなんて、信じたくはないけど、炎の威力を見る分に、それは間違いなさそうだ。 「さて、もうすぐホンモノに当たるだろう……」 ラッシーが五体にまで減った時、親父が待ちかねたように言った。 単体攻撃を仕掛けてくるなら、確率は二十パーセント。 一パーセントだって無視できないんだから、大差ないと言ってしまえばそれまでだけど…… と、ラッシーが大慌てで周囲を見回した。 メロメロの効果が切れたのか!! 「ラッシー、もう一度影分身だ!!」 それを待ってたのはオレの方さ。 またしてもラッシーが影分身で姿を増やしていく。 なにぶん五体のラッシーが一斉に姿を増やしたんだ、瞬く間にその数は二十を越えた。 これで親父も迂闊には手を出してこられないはず…… これで親父も別の手段を考えざるを得なくなったってワケだけど…… なんでだろ、妙に胸がざわざわする。不安……なのか、もしかして。 なんとなく、嫌な予感がする。 膠着したバトルを見守りながらその理由を探す。 お互いの指示がないまま数十秒が過ぎ、 「このままではお互いに埒が明かないだろう。 ならば、ここで決めてやろう」 親父は腕を垂直に挙げた。 決めるだと……? 炎の渦で範囲攻撃を仕掛けてきたところで、命中率はせいぜい三割程度だ。 結構痛い確率だけど、十回に三回程度しか当たらない計算。 でも、親父が何の根拠もなしに決めるなどと言うはずがない。 まさか、嫌な予感ってのはこのことじゃ…… 背筋が凍ったように冷えていくのを感じた。 刹那、親父の指示が飛ぶ。 「リザードン、ブラストバーン!!」 ブラストバーン……? 聞いたことのない名前だけど、一体どんな技なんだ……? リザードンの出方をうかがってからラッシーに回避を指示しようと思った。 リザードンは巨大な炎の塊を真下に撃ち出した!! ラッシーたちは斜め前にたむろしてるんだ。 真下に撃ち出したところで何にもならないはず…… ここは回避を指示しなくても大丈夫か――と思った矢先。 炎の塊は地面にぶつかると、周囲に猛烈な勢いで炎を撒き散らした!! 「これは……!!」 炎の渦でも、火炎放射でもない!! 大文字ですら目じゃないような威力の炎の波!! 爆発的に版図を拡げる炎。 オレは慌ててラッシーに逃げるように指示を出した。 「ラッシー、逃げろ!!」 普通に逃げて逃げ切れるとは思えないけど、それでも何もしないまま炎に飲み込まれるのを待つだけってのはごめんだ。 ラッシーたちが一斉に踵を返すけど、炎はあっという間に追いついた。 次々とニセモノが炎に触れて消失する。 あっという間にホンモノのラッシーだけが残った。 「急げ!!」 オレはすぐ背後に迫った炎を見やりながら、ラッシーに喝を入れた。 でも、津波のごとく押し寄せる炎から逃れることはできなかった。 次の瞬間、ラッシーが炎に飲み込まれる!! 「ラッシー!!」 炎の中に消えたラッシーに向かってオレは叫んだ。 ラッシーを飲み込んだ炎はそれで満足したかのように、突き進むのを止めてその場で燃え盛った。 「くっ……」 火炎放射一発でもヤバイってのに、こんな炎を食らって、ラッシーが戦闘不能を免れる確率は……? どんな技でも確実に防げる『守る』を覚えていないラッシーが戦闘不能を免れる確率はゼロ。 オレは為す術もなく、ラッシーを包む炎を見ているしかなかった。 炎はやがて勢いを失って、徐々に小さくなっていった。 完全に消えた時、そこにはラッシーが倒れていた。 炎に飲まれて、身体のあちこちが焦げている。 目を瞑り、ぐったりしている。 「ラッシー……」 もう駄目だ、戦えない。 オレは誰よりもラッシーのことを知ってるんだ。 だから、戦闘不能になってるってことくらい、見なくても分かった。 「アカツキ、おまえの旅はここで終わる。 せめて、これ以上余計な苦しみを味わわせないために、ラッシーをモンスターボールに戻すんだな」 親父が冷たく言った。 リザードンが空を滑り、音もなく親父の傍に舞い降りる。 オレの旅はここで終わるってのか……? ラッシーが戦えないってことは分かってる。 ここであきらめたら本当に終わってしまうんだ。 でも、オレには戦えるポケモンがいない。 負けた……? 目の前が真っ暗になった。暗闇に倒れたラッシーと親父の姿がくっきりと浮かび上がる。 次が最後だと、親父が言っていたのを思い出す。 ここで負けたら、親父はオレから永久にトレーナーとしての、ブリーダーとしてのライセンスと未来を取り上げるってことだ。 だから、負けるわけにはいかないと思ってた。 なのに…… 「おじちゃん、どういうことなの?」 ナミの声が遠くから聞こえたような気がした。 あるいはそれは幻聴だったのかもしれない。 でも……今のオレにとってはどうでもいいことだった。 呆然と立ち尽くすオレに、親父が駄目押しの一言を付け足してきた。 「あきらめが悪いな。 徹底的にやられなければ分からないようだな。リザードン、アイアンテール」 「……!!」 ラッシーがぐったりしてるってのに、リザードンに攻撃を指示しただと……!! その瞬間、オレは全身の血が逆流したような感覚を覚え、思わず駆け出していた。 「あ、アカツキ!!」 ナミの声が遠ざかる。 ラッシーをモンスターボールに戻すことすら忘れてた。 ただラッシーを守りたい一心で、あの時と同じ過ちを犯そうとしてたんだ。 リザードンが舞い上がり、ラッシー目がけて急降下!! オレはラッシーの傍まで駆け寄ると、熱を帯びたその身体を抱きしめて、リザードンに背を向けた。 ラッシー……こんなになって…… 平熱を明らかに越えた体温に、オレは唖然とする他なかった。 人間が普通に暮らしてるんじゃ、とても感じられない『熱さ』。 ラッシーは常識を遥かに超えた炎に巻き込まれたんだ。 これ以上ラッシーを傷つけさせるわけにはいかない。 何を言われようと、そんなの知ったことじゃない。 ラッシーやみんながオレのためにバトルに臨んでくれているように、オレもみんなのことを守っていかなきゃいけないんだ。 誰が口を挟もうと、そんなのは笑い飛ばしてやるだけなんだ。 だから……痛いのも我慢する!! 歯を食いしばり、きつく目を閉じる。 刹那、背骨が砕け散るかのような凄まじい衝撃が襲いかかり、全身を鈍い痛みが駆け抜けた!! リザードンの、アイアンテール…… 打撃の痛みに、オレはリザードンが躊躇うことなく攻撃してきたことを知った。 オレが間に割って入れば、もしかしたら攻撃を受けずに済むんじゃないかって、どっかでそんな甘い期待をしてたんだ。 でも、親父はそんな甘い期待を簡単に壊した。 全身を貫く痛みに、オレはただ耐えるしかなかった。 途中で痛みが嘘のように消えていく。 それは、あまりの痛みに感覚が麻痺してしまったからだ。 麻酔を打たれたように、意識が遠のいていく。 ラッシー…… ぼやける視界の中に、ラッシーの顔を収める。 ごめん、オレが未熟だったから…… 倒れ込みそうになり、オレは感覚の麻痺した身体に無理に力を入れて、ラッシーを傍に横たえた。 「ショウゴ、何をしておる!!」 薄れる意識の片隅に、じいちゃんの声を聞いたような気がした。 でも、もうどうでもいいんだろ……お先真っ暗って、このことなんだって分かったからさ。 倒れ込んだ衝撃を感じる暇もなく、オレの意識は真っ暗闇に落ちていった。 「アカツキ、アカツキ!!」 泣き喚きながら、ナミは倒れこんだ従兄妹の少年に駆け寄った。 どうしてこんなことになったのか、まるで分からない。 分からないから、なおさらワケが分からない。 背後から祖父とケンジとカリンが走ってくるのが視界の隅にかすかに映ったが、そんなことはどうでもよかった。 「しっかりしてよ、アカツキ……」 揺さぶってみても、彼はピクリとも動かなかった。完全に気を失っていた。 「なんでこんなことになったの……?」 もう決着はついていたはずだ。 それなのに…… アカツキを傷つけた原因を作り出した相手に振り向くと、ナミは涙を拭うことなく、憎悪の眼差しを向けた。 ――ショウゴ……アカツキの実の父親である。 彼が、戦えなくなったラッシーに攻撃するよう、リザードンに指示を出した。 リザードンは言われたとおりにラッシーに攻撃を仕掛けたが、アカツキが身を挺してラッシーを守ったのだ。 攻撃を加えたリザードンはショウゴの傍に舞い降りると、どこか気まずそうな顔を見せた。 無抵抗な相手に攻撃してしまったということで、少しは罪悪感を抱いているようである。 「おじちゃん、あたしには優しかったのに、どうしてアカツキにはこんなことするの!? おじちゃんの子供でしょ!?」 耐えられなくなって、ナミは大声で叫んだ。 しかし、ショウゴは表情一つ変えず、ナミの傍らで気を失っている息子をじっと見やるばかり。 ナミのことを空気のように無視していると、ゆっくりと、しかし重い足取りでオーキド博士がショウゴの傍に歩み寄った。 その顔は真剣で、怒りにも似た眼差しを息子に注いでいた。 「ねえ、アカツキ!!」 ナミはショウゴになど構っていられなかった。 声をあげてアカツキの身体を揺さぶった。 「ナミ、動かさない方がいいよ」 「ケンジ……」 いつの間にか傍にいたケンジを見上げるナミ。 いつも笑顔で、明るくて、だけど時には平気で無茶をする少女の顔は涙に濡れて、くしゃくしゃになっていた。 ケンジはナミの顔を見ているのが辛くて、傍らのアカツキとラッシーに目をやった。 ラッシーもアカツキも穏やかな顔で気を失っているが、気を失う前にすごい痛みを味わったはずだ。 どうしてこんな顔をしていられるのか、不思議に思ったものの、今はそれよりもやるべきことがある。 有無なんて言っていられない。 ケンジはアカツキの代わりにラッシーをモンスターボールに戻してやると、そのボールをアカツキの腰に差してやった。 「ナミ。ポケモンセンターに行くよ」 「う、うん……」 優しく言われ、ナミはようやく涙を拭った。 泣いていてはカッコ悪いと思ったワケではない。 アカツキが目を覚ました時に自分が泣いていたら、彼も気を落とすかもしれないと思ったからだ。 ケンジは膝を折ってアカツキの身体を引き寄せると、背負い込んで立ち上がった。 と、そこでショウゴと視線が合った。 ケンジはむっとした表情を返したが、彼は何も言ってこなかった。 居たたまれなくなって、ケンジは足早にその場を立ち去ろうとした。 その背中に、ショウゴの声がぶつかる。 「余計な邪魔が入って命拾いしたな、アカツキ。 こんな中途半端な状態で決着など認めん。 ……次こそ最後だ、覚悟しておけ」 一瞬ケンジは足を止め――しかし、何事もなかったかのように装って歩き出した。 ナミは気を失ったアカツキに寄り添うように、ケンジと共にポケモンセンターへ向かった。 三人の姿が見えなくなったところで、ショウゴの傍にレオがやってきた。 「胸くそ悪くなるようなジム戦だったな。 あんたがここまでするとは思ってなかった。 こうなると知ってりゃ、あんたに手なんか貸さなかったんだけどな」 一言目から恨み節全開で、ショウゴを強く非難した。 レオは事前にショウゴから事情を聞いており、多少憎まれるのも覚悟の上で一肌脱いで見せたのだ。 だが、このような形で裏切られるとは思ってもみなかった。 事情があれど、血を分けた息子にあんな仕打ちをしておいて、表情一つ変えないショウゴを見ていると、怒りを覚えずにはいられない。 「ショウゴ。これがあなたのやり方なの?」 カリンは腕を組み、どこか淋しそうに問いかけた。 彼がやろうとしていること、その理由も理解しているつもりだ。 だが、物事には限度というものがある。今回の件は、その限度を明らかに越えている。 「あなたのやりたいことは分かっているつもり。 でもね、あんなになるまで子供を傷つけてまで目的を達したところで、後にはどうしようもない蟠りが残るだけだと思うの。 それが分からないようなあなたではないでしょう?」 優しく諭すように言うと、続いてオーキド博士も啖呵を切った。 「おまえに親としての情がないとは思っておらん。 じゃが、これ以上わしの孫を傷つけるつもりなら、どんな目的があろうと、わしはそれを許すわけにはいかん」 ぴしゃりと、炎すらかき消せそうな勢いで言葉を叩きつける。 言葉によるタコ殴り状態に遭っているショウゴだが、何も言い返さない。 言い返せないわけではない。何も言う気が起こらないのだ。 「あなたはアカツキ君に厳しさしか与えてこなかった。 これがあなたなりの愛情だと言うのなら、わたしはあなたのことを軽蔑するわ」 トゲを突き刺すかのごとく語気を強めると、カリンは物言わぬ親友に背を向けた。 その背には何者も恐れない凛とした雰囲気を宿していた。 「覚えておいて。 優しさだけじゃ子供はちゃんと育たない。 だけどね、厳しさだけでも、結果は同じなのよ」 言うと、ポケモンセンターへ向かったケンジの後を追って、駆け出した。 「ショウゴ、おまえは本気でアカツキから夢を取り上げるつもりなどないんじゃろう? じゃったら、どうしてそのことをアカツキに伝えてやらんのだ? わざわざ誤解させるようなことばかりして……」 「これが俺の決めたことだ。親父、口出しはしないでもらおう」 ショウゴは有無を言わさぬ口調で言うと、傍らのリザードンの背に乗った。 トレーナーを乗せたリザードンは翼を広げ、空へ飛んでいった。 「…………」 去っていくショウゴの背中を見つめるオーキド博士の表情は、怒りと寂しさが同居しているように複雑にゆがんでいた。 ゴマ粒のように小さくなったリザードンを見上げ、博士はポツリつぶやいた。 「おまえがアカツキに夢を与えようとしていることを、わしは知っているつもりじゃ。 じゃが、今の状態でどうやって信じることができようか……」 ケンジたちはポケモンセンターに到着するなり、ジョーイに事情を説明して、部屋を取ってもらった。 ナミとカリンを引き連れてその部屋に急ぐ。 部屋に入ると、すぐにアカツキをベッドに横たえた。 アイアンテールという強烈な技を生身で食らった割には外傷もなく、寝顔はとても安らかだった。 夢の中までも苦痛に苛まれているわけでないと悟って、本当にホッとした。 「おじちゃん、どうしてこんなことしたんだろ…… あたし、おじちゃんは優しくて強くて偉いんだってずっと信じてたのに……」 ナミはベッドの傍にパイプ椅子を置くと、それに座ってじっとアカツキの顔を見つめていた。 「アカツキ、とても痛そうだった……」 リザードンのアイアンテールを食らった瞬間に見たアカツキの苦痛にゆがんだ表情が、焼きついたように頭から離れない。 「それにしても信じられないよ」 アカツキのリュックとモンスターボールを机の上に並べ終え、ケンジは肩をすくめた。 「ショウゴさんがあんなことするなんて……」 ケンジの知るショウゴは、オーキド博士に並ぶほどの尊敬の対象だ。 だが、今の一件で、その尊敬が崩れそうになった。 ショウゴはケンジにいろいろとよくしてくれた。 分からないことを丁寧に教えてくれたり、家に招待して自筆の資料を見せてもらったりもした。 まるで本当の父親のように優しく接してくれた。 なのに、どうして実の息子であるアカツキにあんなことをしたのか…… いくら考えても答えは出てこなかった。 誰も何も言わず、時間だけがただただ過ぎてゆく。 爽やかな風が室内に吹き込み、窓際のカーテンを揺らす。 「うーん、いくら考えても分かんな〜い」 ケンジは何十分か考えたところで、いい加減嫌になってさじを投げた。 答えを求めるように視線を窓の外に向けた時、不意にカリンと目が合った。 それを『なんでショウゴさんはそんなことをしたんでしょうか?』という問いと受け止めたのだろう。 カリンはふっとため息を漏らし、眠るアカツキに顔を向けた。 問わず語りに、ポツリポツリと話し始める。 「ショウゴは、あんなことをするような人じゃないはずなの。 アカツキ君の夢を奪うどころか…… 本当はトレーナーとして、ブリーダーとしての将来を誰よりも想っているはずなのに。 どうしてあんなことをしたのか、わたしにも分からないわ」 事情を理解し切れていないナミとケンジは、カリンが何を言っているのかよく分かっていなかった。 呆然と見つめてくるナミとケンジから目をそむけ、カリンはアカツキに目をやった。 「こうなった以上、隠し立てできそうにないわね……」 ショウゴのリザードンがアカツキにアイアンテールを食らわせる瞬間を目撃してしまった以上、今さら隠し立てしても無駄だろう。 オーキド博士がカリンとケンジを連れてトキワシティにやってきたのは、もともとは研究に必要な資材を買い足すためだった。 だが、偶然トキワジムの傍を通りかかった際、アカツキとショウゴがバトルをしているのを目撃した。 なにやら不安を感じたらしいオーキド博士は物陰に隠れてバトルが終わるのを待っていたのだが…… アカツキがラッシーをかばっているのを見て、居ても立ってもいられなくなって飛び出していったというワケである。 カリンは、アカツキとショウゴの間にある蟠りや、ショウゴが今やろうとしていること、その理由をナミとケンジに説明した。 当然、二人の表情は一変した。 「なんでそんなことを……」 「信じらんない。おじちゃんって、アカツキのことそんなに目の敵にしてたのね!!」 「そうじゃないと思うの」 険しい表情になったナミとケンジを見つめ、カリンはかぶりを振った。 ショウゴのやっていることは確かに許せないが、だからといって誤解だけはしてもらいたくない。 「ショウゴはアカツキ君の将来を本当に考えてる。 どういう経緯であんなことするに至ったのか、わたしにも分からない。 でも、彼はわたしたちが考えている以上に意志が強い人よ。 わたしたちがいくら口を挟んだところで、途中で止めるつもりはないでしょうね」 「それってなおさらまずくないですか?」 「アカツキが危ないじゃない!!」 「あのね、だから……」 詰め寄ってくるナミとケンジを手で制し、カリンは深々とため息を漏らした。 誤解させてはいけないと思ったつもりが、逆に誤解を深めてしまったようだ。 「そうそう。 このことなんだけど、アカツキ君には言わないで。 きっと、ショックを受けると思うから。 何も知らなかったように装ってほしいの。 オーキド博士も、そう思っていらっしゃるはずだわ」 「……そうですね」 一頻り考えをめぐらせた後で、ケンジは頷いた。 カリンの言葉にも一理あると思ったからだ。 だが、ナミはそれで満足できていないのか、表情を強張らせたまま、 「アカツキだって知ってるんじゃ……」 「だからこそ、これ以上彼を追い詰めたくないの。 このままだったら、何をしでかすか分からない。 ナミちゃんだって、アカツキ君をこれ以上苦しめたくないでしょ?」 「そりゃそうだけど……ホントにいいの?」 「ええ」 時間が解決するのを待つことはできない。 だからといって、強硬論で乗り切れるほど生温い問題でもない。 どうすればいいものかと思い、カリンは窓の外に目をやった。 「お父さ〜ん、ぼく、ポケモン大好きだよ!!」 無邪気な子供の声が耳に飛び込んだ瞬間、強烈な光と共に視界が拓けた。 青々と生い茂る芝生の向こうにはじいちゃんの研究所がある。 研究所の傍の風車がゆっくりと回っている。 のどかな風景をバックに、年端も行かない子供がフシギダネと楽しそうに戯れている。 それを微笑ましい表情で見つめる白衣の青年…… こういう頃もあったんだな……オレは今さらのように、他人事の感覚で思い返していた。 フシギダネと戯れているのは幼い頃のオレ自身だ。そして、白衣の青年は親父。 今よりもずいぶん若く、それでいて凛々しく見える。 あの頃はまだ、親父はまだ優しかった。 当時の優しさはどこへ行ってしまったんだろう……? 将来を押し付けてくる姿しか思い出せない親父の姿と、目の前にいる親父を見比べながら、オレはふとそんなことを考え出した。 これは確か…… 学校に通い出す少し前だろうか。 幼いオレが戯れているフシギダネこそ、ラッシーだ。 出会ったのはちょうどこの日だった。 昔のオレは、ポケモンのことが大好きだった。 もちろん今もそれは変わらない。 ただ純粋に、他の一面を知ることもなく好きでいられたんだ。 「おまえは本当にポケモンのことが好きなんだな」 「うん!!」 親父はオレの傍で屈むと、その頭を優しく撫でた。 ああ、こんな頃があったんだ…… 今とはまったく違う状況だっただけに、親父がどうして掌を返したような態度で接してくるようになったのか、まったく理解できない。 あの頃のオレは、まだ何も知らなかった。 ただポケモンが好きで、たくさんのポケモンと友達になることばかり考えてた。 自分のことを「ぼく」なんて言ってさ…… 学校に入ったのと前後して、親父は急にオレに博士になれとしつこく言い始めた。 当時は首を縦に振ってたけど、いろんなことを知っていくうちに、 親父の「博士になれ」という言葉がオレの求めるものと違っていることに気付くようになった。 それからだっけ。 オレはことごとく親父に反発して、それまでは「ぼく」と言ってた一人称を「オレ」って変えたのは。 人形のように従順じゃない、あんたの道具じゃないと証明したくて、オレは自分を必要以上に大きく見せることばかり考えてた。 親父がどうして博士になれって口癖のように言い出したのか……なぜか分からない。 オレのポケモンの知識が惜しかったのかもしれないけど……本当にそれだけなんだろうか? 不思議と、そんなことを考え出す。 考えたって分かりっこないのに……でも、気になりだしたら止まらなくなりそうだった。 目の前では、幼いオレがラッシーとじゃれあい続けていた。 それを温かく見守る親父の眼差しが、刃物のように胸に突き刺さって、なんだかとても痛かった。 と、視界が一変し、一面のクリーム色が目に飛び込んできた。 オレとラッシー、親父の姿はクリーム色に塗り潰されてあっという間に消え失せた。 ……夢? 目を擦ってみる。 クリーム色が一瞬ぼやけ――そしてすぐに輪郭を取り戻してハッキリと目に映る。 続いてハッキリしてきたのは、オレが今ベッドの上で横になっているということだった。 首から下に感じるかすかな重みは布団のものだ。 オレ、寝てたんだ。 何があったのか……よく覚えてる。 あの時味わった痛みも。 痛みはもう完全に引いたようだけど、もうそんなことすらどうでもいいように思える。 オレは最後の壁を越えることができなかったんだから。 じいちゃんに……たぶん、みっともない姿を最後に見せてしまったんだ。 親父には負け、ラッシーをモンスターボールに戻すことも忘れて、リザードンのアイアンテールが来ると知っていながらかばったりした。 なんでそんなことをしたのか、よく覚えていない。 全身がカッと熱くなって、気付かないうちに飛び出してたんだから。 あーあ、なんか、すっごく惨めだ…… 自己嫌悪の海に沈みそうになるオレを救うかのように、ドアをノックする音が聞こえた。 To Be Continued…