カントー編Vol.25 Partnership 〜最奥の扉を開くカギ〜 <前編> 扉を開けて入ってきたのはじいちゃんだった。 険しい表情でオレのことを見つめていたけど、その眼差しがどこか淋しげに感じられるのは気のせいだろうか……? じいちゃんは扉を閉めると、ゆっくりと歩いてきた。 「どうじゃ、身体の具合は? 痛まないか?」 どこかの誰かと違って、労わるように優しい言葉をかけてくれた。 「ああ、大丈夫。どこも痛まないよ」 幸い、身体の痛みはすっかり引いていた。 だけど、心の痛みは回復の兆しすら見せてない。 言葉にならない痛みはまだ色褪せずに残ってるんだ。 悟られまいと気丈に振る舞ったけど、じいちゃんの前じゃそんな拙い努力が通用しないこと、いつの間にか忘れてしまっていた。 じいちゃんはベッドの傍の椅子に腰を下ろすと、 「ショウゴはどこかへ行ってしまったようじゃ」 すかさず親父の話を持ち出してきた。 オレが一番気にしてること……やっぱり、じいちゃんは分かってたんだ。 オレと親父の間にある深い溝と、今までの経過を。 「オレ、どのくらい眠ってたんだろう……?」 オレは小さくつぶやくと、開け放たれた窓の外に目をやった。 染め上げたように鮮やかな青空と、たなびく白い雲。 うっすらと山のような何かが映ってるけど……それは西のシロガネ山を含む山脈だ。 オレはどれくらい気を失って寝てたんだろうか。 親父のリザードンのアイアンテールを生身で食らって、あっという間に気を失っちまったんだよな。 情けないよ、ラッシーを助けるつもりが、じいちゃんに助けられるなんてさ。 モンスターボールに戻してれば良かったんだ。 そんなことも忘れてたなんて、オレ、あの時は本当にどうかしちゃってたのかもしれない。 気を失う直前、オレはじいちゃんの声を聴いた。 だから、目の前にじいちゃんがいるんだって思う。 「ちょうど一日といったところじゃな」 「一日……じいちゃん、ラッシーは!?」 一日か。 思ったほど長くなくて、ちょっとだけ安心した。 それよりも、オレはラッシーがどうなったのか、それが気がかりだった。 情けないことに、オレはラッシーをモンスターボールに戻す前に気を失ってしまったんだ。 だから、ラッシーがどうなったのか、オレは知らない。 じいちゃんなら知ってるんじゃないかと思って訊ねたら、 「ラッシーなら大丈夫じゃ。 少し前に目を覚まして、他のみんなと遊んでおる。 激しいダメージを受けていたが、後遺症は残っていないようで安心した」 「そっか……よかった」 ラッシーが無事だと聞いて、オレは心の底から安堵のため息を漏らした。 同時に、じいちゃんに感謝の気持ちが沸々と湧き上がってくる。 「ありがとう、じいちゃん。 じいちゃんが来てくれなかったら……もっとすごいことになってたと思う」 もしもじいちゃんが来てくれなかったら……考えただけで身震いしてしまう。 親父はオレとラッシーを徹底的に痛めつけてただろう。 ラッシーにアイアンテールで攻撃するようリザードンに指示を出した時の親父の顔。 罪悪感とか後ろめたさとかっていう乙な感情はこれっぽっちもなかった。 顔色一つ変えずにそこまでやってのけるんだから、とんだポーカーフェイスだよ。 あるいは本当に悪いと思ってなかったのかもしれない。 「おまえをここに運んだのはケンジじゃ。 ナミもカリン君も、おまえが目を覚ますのをじっと待っておった。 少し落ち着いたら、会いに行くといいじゃろう」 「そっか……そうだな、そうするよ」 ケンジとカリンさんも来てたのか。 そういや、カリンさんは客人ということで、数日ほど研究所に滞在してたんだっけ。 急ぎの用事じゃないのと、母さんやハルエおばさんと積もる話もあるってことだから。 トキワシティに旅立った時も、手を振って見送ってくれたんだ。 「でも、なんでケンジやカリンさんまでここにいるんだ?」 「うむ。実はトキワシティに来たのは、研究用の資材を買い足しにくるためだったんじゃ」 「……親父がジムリーダーやってたってこと、知ってたのか?」 「知っておったよ」 じいちゃんは素知らぬ顔で言ってのけた。 じいちゃんなら、親父がジムリーダーやってることを知ってるかもしれない。 いや、オレの目の前にいる時点で、じいちゃんはすでに知っていたに違いない。 どっちにしたって、詮無いことさ。 知っててオレのこと止めなかったんだから。 これでも、じいちゃんの気持ち、少しは分かってるつもりなんだよ。 もしもマサラタウンを旅立つ時にトキワジムのジムリーダーが親父だって打ち明けられても、オレはジム戦をしに行くだろう。 余計な負担をかけないために、じいちゃんはわざと黙ってたんだ。 オレたちのことを想ってくれてるじいちゃんを、どうして責めることができるだろう。 「おまえたちに話したところで、あきらめないと思っておったんじゃ。だから、何も言わなかった」 「じいちゃんの気遣いはうれしいよ。でも……」 じいちゃんはじいちゃんなりに罪の意識を感じてるんだろう、その表情は心なしか暗く沈んでいるように見えた。 なんか、悪いことしちゃったかな……? だけど……もう、どうでもいいんだ。 「オレ、親父に負けた。 これで最後だって言われてたんだ。 今回負けたら、オレからトレーナーとブリーダーを奪うって言ってた。 だから、オレはもう終わりなんだよ」 ラッシーが元気になってくれたことはうれしい。 でも、もうオレにトレーナーとしての未来はない。 もちろん、ブリーダーとしての未来も。 親父が奪い去ったんだ。 親父がその気になれば、そんなことは造作もない。 オレには研究者としての将来しかないんだろう。 そう思って俯いていると、 「おまえには信じられない言葉かもしれんが……ショウゴは『次こそ最後だ』と言っておった」 「え……?」 意外な言葉を突きつけられ、オレは弾かれたように顔を上げた。 次こそ最後だって……そんな、一体どうして? クチバシティの埠頭で戦った時、親父は負けたオレにそう言ってたんだ。 最後の最後になって前言を撤回するなんて、親父らしくない。 何らかの意図はあるんだろうけど……それが何かは分からない。 ただ、まだトレーナーとして、ブリーダーとして頑張れるのかもしれない。 おぼろげな希望が、オレの心を少し明るく照らしてくれていた。 「わしには、ショウゴが何を考えているのかは分からん。 じゃが、ヤツが何を考えていようと、おまえがおまえの夢をあきらめる理由にはならないのではないかと思うんじゃ」 「……!!」 じいちゃんの言葉に、オレは思わず息を呑んだ。 雷に撃たれたような衝撃が身体と心を駆けめぐったのを感じずにはいられなかった。 そうだ……オレ、大切なことを忘れてた。 オレの夢はオレのものなんだ。 親父のものでも、じいちゃんのものでも……ましてや、ナミのものでもない。 だから、親父がもしオレの行く道を閉ざしたとしても、オレの夢まで消えてなくなるってワケじゃないんだ。 「おまえは旅に出る前、わしによく話してくれたな。 『最強のトレーナーと最高のブリーダーに登りつめてみせる。それまでくたばるなよ、じいちゃん』と。 わしはな、それを心待ちにしておるつもりなんじゃよ」 「あ……」 そういえば、そんなことも言ったっけ。 思った瞬間、あの時の熱い気持ちが胸に込み上げてきた。 あの時のオレは、誰が立ち塞がろうと、すべての障害を乗り越えて夢の場所に立つっていう気持ちを持ってたんだ。 いつの間に、現実の中に落としてしまったんだろう…… じいちゃんに教えられるなんて、なんだかちょっと恥ずかしいな。 本当なら誰かに言われる前に自分で気付いて、自分で拾い上げなきゃいけないのにさ。 でも、やっと分かったんだ。 気持ちが上向き、自分でも気付かないうちに表情にも『ハリ』が出てきた。 じいちゃんは満足げな表情を向けてきた。 「確かにショウゴはあちこちに多大な影響力を持っておる。 じゃが、おまえならどんな邪魔も困難も跳ね除けて夢を叶えられるはずじゃ。 なにせ、わしの自慢の孫じゃからな」 「じいちゃん……ありがと。 オレ、まだやれるんだよな……?」 「うむ」 自分で勝手に終わったと思い込んでただけだ。 親父の言葉を間に受けて、親父ならどんなことだってできると思ってた。 でも、結局はオレがそれを認めるか認めないかなんだ。 決めるのはオレ自身なんだ!! やる気があれば、どんな困難だって乗り越えていける。 オレ、ひとりじゃないんだから。 ラッシーや他のみんながいてくれる。 オレが勝手に夢を投げ出したら、ついてきてくれるみんなに申し訳が立たない。 みんなを裏切らないためにも、オレが先頭に立って頑張っていかなきゃ。 身体に力が漲り、何かをせずにはいられない気持ちになってきた。 ここにいたって、何にもならない。 親父の意図がどうあれ、ここにいたままじゃ何にも始まらない。 始めなきゃ、始まらないんだ。 オレは布団を跳ね除けるとベッドを降り、部屋の隅にかけられているいつもの服に着替えた。 「どこへ行くんじゃ?」 「ラッシーを迎えに行って来るんだよ」 じいちゃんの問いに、机の上にあるモンスターボールとリュックを手に取りながら答える。 「それからどうするんじゃ?」 「そりゃもちろ……ん……」 もちろんと言いかけ、オレは口ごもってしまった。 ラッシーを迎えに行くのはいいとして、それからどうすればいいんだろう? 冷静になって考えてみたら、トキワジムのジムリーダーは親父で、親父に勝たなきゃグリーンバッジはゲットできないわけで…… 他の町のジムで代わりのバッジをゲットすれば、それでカントーリーグには出られるんだけど、なんかそれじゃ納得いかない。 知らず知らず口元に手を当てて考え込む。 ここでこの街を離れて、別の町でバッジをゲットしても、親父から逃げてるみたいでなんか嫌なんだよな。 だからといって、今のオレじゃ親父には勝てない。 三回も立て続けに負けたせいか、悔しいけど親父の実力は認めなくちゃいけないって分かってるんだ。 トレーナーとしてのキャリアは圧倒的に親父の方が長いし、その分ポケモンもよく育てられている。 能力の高さはもちろん、技のバリエーションも豊富で、最強クラスの技の威力は、本家に劣らぬほどの高さを誇る。 今のオレじゃ勝てない。 なら、やることは決まっている。 オレは口元に当てていた手を胸の前で握りしめ、じいちゃんに言った。 「もちろん、親父に負けないように強くなるつもりさ。 しばらくこの街を離れることになると思うけど……」 いろんなところをめぐって、いろんな戦い方を研究しなきゃいけない。 その中でみんなを鍛え、オレ自身ももっともっと強くならなきゃいけないんだ。 その気持ちを込めた言葉に、じいちゃんはニコッと微笑んだ。 「じゃが、カントーリーグが始まるまでに、普通のやり方でショウゴを出し抜くのは難しいじゃろう。 それを覚悟してのことなら、わしは止めんよ」 「もちろん!! 簡単じゃないからこそ燃えてくるってモンさ。そうだろ!?」 「そうじゃな」 訊くだけ無駄だったと、じいちゃんの苦笑が物語る。 そう…… これが『オレ』なんだ。 どんなことがあったって信じるもののために突き進む。 じいちゃんの自慢の孫『アカツキ』は、そういうヤツなんだよ。 親父なんかに飲まれて自分自身を見失ってたなんて、ホントに恥ずかしい話だ。 でも、これからは違う。 親父になんか絶対に屈しない。 いくら親父でも、オレの心まで挫かせることはできないんだ。 オレが負けないという気持ちを持ち続けていれば。 とはいえ、じいちゃんの言うとおりだったりするんだよな。 まともな方法で親父を出し抜くのは困難を極めるだろう。 長いキャリアと能力の高いポケモンという、オレにはないものを親父は持ってるんだ。 小手先の努力や見かけだけの強さじゃ、あっという間に粉砕されてしまうだろう。 その上、カントーリーグが始まるまでというタイムリミットも設定されている。 もしも親父を出し抜けなかったら、その時は別のジムのバッジで我慢しようか。 ナミと、一緒にカントーリーグに出ようと約束したんだもんな…… オレの都合で約束破るのって、やっぱりまずいだろうし。 そう思いかけた時、じいちゃんが口を開いた。 「今のおまえは、やる気ではあるが、カントーリーグに間に合わなかった時のことを今から気にかけているようじゃな」 「げ……」 見透かされてるし。 思わず表情を崩していると、 「そこでわしから提案があるんじゃが……」 「提案?」 「うむ。短期間で強くなれる方法がある」 「え!? 本当か!?」 オレは思わず飛びついてしまった。 短期間で強くなれる方法がある……じいちゃんの言葉に嘘はないだろう。 冷静にオレの心理状態を分析しておきながらカマかけてくる理由なんてないはずだからさ。 とかいうオレも、何気そんなこと分析してたりするし。 なんだ、完全燃焼とは程遠いみたいだ。 じいちゃんは苦笑のままで頷き、窓の外を指差した。 つられるように視線を移動させる。 「シロガネ山が見えるじゃろう」 「ああ……」 見えるか見えないか微妙なトコだけど、まあ何とか見える。 シロガネ山。 カントー地方と西のジョウト地方にまたがってそびえる山岳地帯で、その一帯の総称が『シロガネ山』なんだ。 一つ一つの山にも名前があるらしいんだけど、そこまで知ってる人はそう多くないだろう。 ……オレも知らないけど。 でも、シロガネ山がどうしたって言うんだろう……? 答えを求めるようにじいちゃんに向き直ると、 「あそこのポケモンの特徴を述べてみるんじゃ」 いきなり問題を出された。 面食らったけど、答えられるなら答えなきゃいけない。 「厳しい自然環境に適応したポケモンは、普通の野生ポケモンよりもずっと強いってとこかな」 「その通りじゃ。満点はやれんが、八割は正解としてやっても良い」 「手厳しいね」 「学会ならこれが当然じゃよ」 じいちゃんは声を立てて笑った。 なんでだか、じいちゃんの笑顔を見ていると、敗北の痛手も忘れられそうだ。 それはそれとして、シロガネ山に棲むポケモンは、他の土地に棲息する野生ポケモンよりも段違いに強いんだ。 標高が高いシロガネ山は、中腹より上は一年を通して氷点下ということも珍しくない。 万年雪……冬の間に降り積もった雪が、春、夏、秋と季節をめぐっても溶けきれずに残り、 そして冬が来てまた雪が降り積もる……いつでもそこにある雪を万年雪と言うんだ。 そんな厳しい環境に適応したポケモンが、普通のポケモンよりも弱いなんてことは有り得ない。 熾烈な生存競争を勝ち抜いた強豪が犇めく山とで、中腹以上はへの立ち入りはポケモンリーグによって禁止されているほどだ。 そこまで答えてれば満点をくれたのかな……じいちゃんのことだから、それも分からない。 いろいろと考えていると、 「ポケモンリーグによって立ち入りを禁止されているあの山を、自分の力で登りきること。 それができれば、おまえはもっともっと強くなるじゃろう」 「う……」 その言葉を、シロガネ山を踏破しろと解釈し―― オレは思わず漏らしてしまった。 実際に行ったことないから、シロガネ山のポケモンがどれくらい強いのか分からない。 でも、普通のポケモンと段違いの強さを秘めてるって言うなら、簡単に勝てるような相手じゃないんだろう。 確かにそんなポケモンがうろうろしてる山を踏破できれば、トレーナーとしての実力もつくし、手持ちのポケモンも強くなるだろう。 シンプルだけど、ずいぶんと手荒で危険だ。 「どうじゃ? 今のおまえにならそれができるやもしれん。 無論、危険はつきものじゃ。 あそこはわしも知らぬポケモンがいるかもしれんからな」 じいちゃんの知らないポケモン……? そんなのがいるのかとツッコミたくなったけど、じいちゃんが伊達や誇張でそんなことを言っているとは思えない。 本当のことなんだろう。 危険だけど、成し遂げた時の成果は大きい。 ハイリスク、ハイリターンってワケだ。 ――地味で時間と根気が必要な方を選ぶか。 ――時間というかけがえのないものを可能な限り節約し、危険だけど効果の高い方を選ぶか。 オレの目の前にあるのはその二つだけだ。それ以外の方法は思いつかない。 じいちゃんは答えを急かすわけでもなく、じっと待っててくれた。 どっちかを選ばなくちゃならない。 オレだって好きで危険なトコに飛び込みたいと思ってるわけじゃない。 みんなを危険に晒さない方が、本当は正しいのかもしれないから。 迷ってる。 だけど、それでいいと思う。 迷わなくちゃ、今の自分にとって本当に必要なものが何なのか、導き出されないから。 でも…… オレは窓の外にかすかに見えるシロガネ山に目をやった。 親父に勝ってバッジをゲットし、カントーリーグに出場するという二つを満たすには、じいちゃんの提案に乗るのがベストだ。 いずれは親父とも決着をつけなければならないんだし、この際一挙両得の方を選ぶべきだろう。 そこまで来れば、答えはあっという間に決まった。 「じいちゃん、オレ、シロガネ山を登ってみる」 「そうと決まったら支度をしないといかんな」 「え、支度って?」 「決まっているじゃろう」 じいちゃんはさも当然と言わんばかりの表情でオレを見つめ返してきた。 「自慢の孫がシロガネ山に登ると言っておるんじゃ。わしも一肌脱がねばなるまい」 「えっと……どういう意味で一肌脱ぐの?」 じいちゃん、一体何を考えてるんだろう。 オレを焚き付けた――もとい、オレに最高のロケーションを提供してくれたのはありがたいけど。 わざわざ『一肌脱がねばなるまい』なんて言い出したんだ。 元から何か企んでるんじゃないかと思いたくなるよ。 「先にナミやケンジと会うといいじゃろう。 彼らもおまえのことは心配しておったからな。 あと、ラッシーを迎えに行ったなら、後で屋上に来てくれ。 そこで詳しい話をしよう。それでは……」 じいちゃんは立ち上がると、あっという間に部屋を出て行ってしまった。 一息で話し終え、止める間もなかった。 「……いったいなんなんだ?」 じいちゃん、あんなキャラだったっけか? オレはしばらく呆然と立ち尽くしていたけど、やると決めたら行動あるのみ、だ!! 気を取り直してリュックを背負い、モンスターボールを腰に差して、準備完了。 まずはラッシーを迎えに行かなきゃいけない。 他のみんなと遊んでるのなら、中庭にいるはずだ。 部屋を飛び出し、廊下を走り抜ける。 ストレッチャーを運んでいるラッキーがビックリしたような顔を向けてきたけど、気にしない気にしない。 こんなにやる気になったの、生まれて初めてかもしれない。 どん底から這い上がった……とでも言えばいいんだろうか。 ずいぶんとオーバーな表現だって自分でも思うけど、まだやれるって分かって、何でもできるような気がしてきたんだよ。 旅立つ前の純粋な気持ちを少しでも取り戻せたんだって、そう実感できるのがとてもうれしかった。 その気持ちを思う存分表現するように、オレはあっという間に階段を駆け下り、ロビーを突っ切って中庭に飛び出した。 そこに、オレの大切な仲間たちはいた。 ナミとケンジが一緒に遊んでる。 カリンさんの姿はないけど、そのことを気にしていても仕方がない。 ラッシーはリザードンの凄まじい炎に巻き込まれたとは思えないくらい活発に動き回っていた。他のみんなも、とても楽しそうだ。 一瞬、躊躇した。 楽しそうなみんなを危険な目に遭わせてもいいのかと、心のどこかでそんな声が聞こえてきたんだ。 でも、もう決めたんだ。 みんなを守るのもオレのやるべきことの一つなんだって。 いざという時はオレが身代わりになってもいい。 それくらいの気持ちがなければ、シロガネ山を踏破することなんてできないはずだ。 改めて意を決し、オレは拳をきつく握りしめた。 爪が肌に食い込む痛みが、心の中に眠る何かを呼び起こしたように思えた。 「ラッシー、みんな!!」 オレは声をあげ、走り出した。 その声に気付いて、みんなが一斉に振り向いてきた。 そして、みんな一様に明るい表情を振り撒いた。 「アカツキ!!」 「ソーッ、ソーッ!!」 ナミとラッシーも声をあげて、こちらに向かって走ってきた。 あっという間に距離がなくなり、オレは飛び込んできたラッシーを胸で受け止めた。 ちょっと痛いけど……いいんだ、これで。 オレの顔を見上げるラッシーの表情は、とても輝いていた。 「大丈夫か? どこも痛まないか?」 「ソーっ……!!」 まぶしいばかりの笑顔がちょっとだけ胸に痛い。 オレが至らないばかりに、ラッシーには辛い想いをさせてしまった。 でも、ラッシーはそんなことをまったく気にしていないようだった。 オレが気にしたってどうにもならないことくらい分かってる。 でも、罪悪感にも似た何かがオレを責め立てるんだ。 あんなになるまでモンスターボールに戻さなかったのは何故だ、って。 確かにあれはオレの落ち度だったよ。百パーセント、他の理由なんか混じらない。 だからこそ、これからはそうならないように気をつけてかなきゃいけないんだ。 「ごめんな。でも、次からはあんな風にはならないようにするからさ」 「ソーッ」 ラッシーはオレの腕の中でじゃれていた。 旅立ってから、こういう風にじゃれ付かれたのって初めてなんだよな。 いろいろとやるべきことがあって、あんまり構ってやれなかった。 みんなの手前、ラッシーだけを気にかけるということはできなかったんだ。 トレーナーとして、みんなに均等に愛情を注ぐのってとても大切なことだから。 一体だけを特別扱いしたら、他のみんなもいい気分はしないだろう。 だけど、今くらいは多めに見てもらえると思ってるんだ。 だって、みんなは慌てず騒がず、ゆっくりと歩いてきてるから。 たまにはこれくらいはさせても良い……ラズリーのゆったりとした足取りが、そんな風に感じさせるんだ。 「これからもよろしくな、ラッシー」 「ソーっ……」 オレはラッシーを地面に下ろし、触れるか触れないかの距離まで顔を近づけてきたナミに目をやった。 なんでだか妙にニコニコしてる。 「……バカだな、ナミ」 無理に笑顔を繕ってるくらい、誰だって一目見りゃ分かるんだ。 まさか、ごまかせるなんて本気で思ってるわけじゃないだろうに。 「なんでそんなにニコニコしてるんだ? もしかして、オレがこうやって外に出てきたのがうれしいとか?」 「うん!!」 オレの問いに、ナミはオーバーなくらい大きく頷いてみせた。 やっぱ、無理矢理笑ってやがるな。 大方、じいちゃんやカリンさんからオレと親父の確執を聞いたからだろう。 オレに合わせる顔がない……とまでは言わないけど、それなりに気を遣ってるつもりなんだろうな。 でもさ、こういうのって逆効果だぜ。 むしろオレの方が気を遣っちまうんだ。 口に出してそれを伝えたところでしょうがないから、黙っておくことにするけど…… 反面、ケンジはどこかぎこちない表情をしていた。 ナミのように無理に繕ったりはしてないけど、それでも気取られまいと口を一文字に結んでる。 はあ…… 浮かべてる表情こそ対照的だけど、オレには同じにしか思えないんだよな。 ま、本人たちがその気なら止めやしないけど。 「でも、本当によかったよ。 アカツキ、まともにアイアンテールを食らったからね」 「大丈夫。痛みは残ってないからさ」 心配そうに言うケンジに、オレは笑みを向けた。 少しでも安心させられるのなら、いくらでも笑ってやる。 それが、心配してくれている二人に対する唯一の罪滅ぼしみたいなものだって思ってるからさ。 そう。 オレはナミにすら隠し通してきたんだ。 親父とオレの間に横たわる確執をさ。いつかは打ち明けなきゃいけないって分かってた。 でも、今のナミに打ち明けたところで激しく動揺し、親父のことを嫌いになってしまうだけだろう。 傷つけるだけだと分かっていながら話すほど、オレは落ちぶれちゃいないんだ。 「…………」 ありがちな会話も、なんだか虚しくなってきた。 オレは思いきって切り出してみた。 「じいちゃんから聞いたんだろ。オレと親父のこと」 口に出すと、ナミもケンジもビクッと身体を震わせた。ナミの顔から笑みが消え失せ、ケンジの表情が険しくなる。 やっぱりな…… 取り繕った表情なんて所詮そんなもんだ。 ちょっとしたキッカケで、あっさり崩れ落ちちまう。 だから、あんまりごまかさないで欲しかったんだ。 「…………」 ナミもケンジも俯いてしまった。 何を言えばいいのか、言葉が見当たらない様子だった。 でも、決断したように顔を上げ、ナミは口を開いた。 「なんで話してくれなかったの?」 その言葉は、オレには『なんで独りで抱えてたの?』という非難に聞こえた。 ナミはそんなつもりじゃないのかもしれないけど、オレにとってはとても痛いところなんだ。 もっと前に話していれば、こうなることは避けられたかもしれない。 親子で虚しく争うことなどなかったかもしれないと、ナミはそう言いたいんだろう。 何らかのアクションを起こせば、何かが変わるのは間違いない。 でも、根本に横たわる確執は変えようがなかったように思う。 「アカツキがおじちゃんのこと大嫌いだって知ってたけど…… だからって、あんなことになるなんて……あたし、おじちゃんのこと信じられないかもしれない」 虚しさを吐き捨てるように、ナミの口調はとても重苦しいものだった。 ホントに、親父のこと嫌いになっちまったのかな……? そうだとしたら、オレの判断がかえってナミを傷つけてしまったのかもしれない。 ホントに、最悪の展開だ。 「黙ってたのは悪かった。 でも、おまえがそんなに気にすることじゃない。オレと親父の問題だ」 オレは強い調子でナミに言った。 結局はオレたち親子の問題なんだ。 いくら従兄妹だからって、ナミがそういう風に首を突っ込んでくるから、傷ついてしまう。 これからは立ち入らないように、少しは厳しいことも言わなきゃいけないんだろうな。 あんまり気が進まないけど、これ以上ナミを傷つけないためには、致し方ない。 「おまえが心配してくれてるのは痛いほど伝わってくるよ。 でもさ、あんまりそうやって他人の家庭の事情に踏み込んでくると、後で辛くなるだけだ。 ここいらで止めとけ」 従兄妹だけど、敢えて『他人』と言う。 その方がナミには効果的だろう。 事実、ナミは黙り込む。 「…………」 「アカツキ、そんな言い方ないじゃないか!!」 足元を見つめて、何も言い返してこない。 いたいけなその表情を見たケンジがオレに詰め寄ってきた。 少しはナミの気持ちも考えてやれと言ってるんだ。 確かにその言葉は正しいよ。 オレはナミの気持ちを考えて言ってるわけじゃないんだから。 後で傷ついて欲しくないから、今少し傷つけてでも遠ざけようって思ってるんだ。 それが許されるかどうかは分からないけどね。 「ナミは君のこと真剣に心配して……」 「いいの、ケンジ」 語気を強めるケンジの言葉に、ナミが割り込んできた。 「アカツキが言いたいこと、あたし分かってるから。アカツキが悪いわけじゃないの。 だから、アカツキのこと責めないであげて」 「ナミ……いいの?」 「いいの。アカツキはね、あたしがこれ以上傷つかないようにって思ってきついこと言ってるだけだから」 その言葉にオレは愕然とした。 こいつ、何もかも分かってたってのか……? オレが何を言いたいのかも。 子供(ガキ)だとばかり思ってたけど、いつの間にか人の気持ちをわかるような大人になってたんだ。 変わってないとばかり思い込んでた、オレの方がよっぽど子供なんだ。 ナミを傷つけないためとか言って、一方的に言葉を押し付けるんじゃ、確かに大人とは言えないだろうし。 「ケンジ、ごめん。 確かに君の言うとおりだ。 でも、オレはこれ以上ナミに傷ついてもらいたくない。 それに、オレは親父をなんとしても乗り越えなきゃいけないんだよ。 ナミのためにも、オレ自身のためにも、みんなのためにも」 オレは思っていることを率直に口にした。 「だから、今は何も言わないでほしい。 今のオレにはやるべきことがあるんだ」 「ショウゴさんを超えること?」 「ああ」 ケンジは割り切れないような複雑な表情を向けてきた。 ケンジの言いたいことは分かってる。 オレのことを責めるのも当然だって思ってる。 でも…… 「ちゃんと結果にして出すからさ。 言いたいことがあったら、その時に全部ぶつけてもらって構わない。 だから、今は行かせてくれないか?」 じいちゃんが屋上で待ってるってことは伏せておいた。 じいちゃんが絡んでることを話したって、余計に心配をかけるだけだと思ったから。 シロガネ山が強い野性ポケモンの棲息地だと、ケンジは当然知ってるだろう。 素直に話したって止められるだけと分かってるからな。 ケンジもナミも何も言ってこない。 それをイエスと判断し、オレは傍にぞろりと控えたみんなの方を向いて、決意表明をした。 「よし、みんな行くぞ。 オレは絶対に親父を超える。少なくとも、それまではみんなの力を貸してくれ」 オレが親父を超えること。 それはじいちゃんやナミ、ケンジだって望んでくれてるはずだ。 だから、なんとしても実現しなくちゃいけない。 少しくらいの困難も、みんながいれば必ず乗り越えられる。そう信じてるんだ。 「ピッキ〜♪」 最初に声をあげたのはリッピーだった。 相変わらず陽気さを振り撒いて、踊り出した。 それにつられるように、ラズリーが空を仰いで大きな声で咆えた。 「ブーっ!!」 「…………」 リンリは相変わらず物静かに頷いたけど、その瞳には並々ならぬ決意が宿っているように見えた。 「バクっ!!」 「がーっ!!」 ルースとルーシーは競うように大きな声をあげて返してくれた。 そして最後に…… 「フッシーっ!!」 ラッシーが締めくくってくれた。 これがみんなの総意だと、そう言わんばかりに青空に響き渡る力強い声。 今ほど仲間という存在がオレにとって不可欠なんだって思った瞬間はなかった。 思わず熱いものが込み上げてくる。 「よし、行くぜ」 オレは手早くみんなをモンスターボールに戻し、ナミとケンジに背を向けた。 今はまだこぼれてこないけど、涙なんて見られるの、すっげぇ恥ずかしいからさ。 「頑張ってね、アカツキ」 「ああ……任せとけ。すぐに親父をギャフンと言わせてやるさ」 ナミのエールを背中に受け、オレは駆け出した。 熱い気持ちで胸がいっぱいになる。 でも、こんなとこで泣くわけにはいかない。 泣くのなら、親父をギャフンと言わせた後、思い切り泣いてやるんだ。 今までのオレと訣別するための涙なら、きっとどんなものよりも価値があるんだろうって思えるからさ。 その時まで泣くのはお預けだ。 そういえば、カリンさんはどこに行ったんだろう? ポケモンセンターのロビーと屋上をつなぐ螺旋階段を一段飛ばしで駆け上がりながら、オレはカリンさんがどこに行ったのかふと気になった。 じいちゃんの話だと、カリンさんもこの街に来てるってことだけど…… もしかしたら、入れ違いにじいちゃんのところに戻ってるのかもしれない。 そう思って一気に階段を駆け上がっていく。 今は一刻の時間も惜しい。 屋上の扉を思い切り開け放つ。 外に出ると、じいちゃんとカリンさんがこっちをじっと見つめながら立っていた。オレが来るのを心待ちにしていたようだ。 「本当に来ましたよ、博士」 オレの顔を見るなり、カリンさんはニコッと微笑んでじいちゃんに話を振った。 「やはり、伊達に祖父をやっていませんね」 「それは誉めているつもりかね?」 「ええ、もちろんです」 苦笑を向けられても、カリンさんは表情を変えることなく頷いた。 いやあの、他人の前で漫才やられても困るんですけど…… 力いっぱいツッコミ入れてやろうかと思ったオレの視界を、大きな何かが横切った。 目でその動きを追うと、『それ』は巨体を感じさせないような滑らかな動きでじいちゃんの傍に舞い降りた。 「……親父のカイリュー? なんでこんなとこに……」 間違いない。 じいちゃんに頭を撫でられてご機嫌な様子なのは、親父のカイリューだ。 なんで親父のカイリューがこんなとこにいるんだか……なんか嫌な予感がする。 親父も一枚噛んでるってのか? 余計な勘繰りさえしてしまうんだから。 この時点でいっぱい食わされたってことになるんだろう。 まったく……ホントにヤな親父だよ。 それでも親父のことを憎んだりできないんだから、ホントに不思議で仕方ない。 ま、憎んだところで現実が変わるわけでもないし、心のどこかで無駄なことだと思ってるんだろう。 「ショウゴから無理を言って借りてきたの」 カリンさんはようやっとオレに話を振ってきた。 無理を言って借りてきたのか……でも、その割には妙に従順に見えるんだよな。 親父がそれを望んでたってことなのか? そう思っていると、じいちゃんがこっちに歩いてきた。 じいちゃんに寄り添うように、カリンさんとカイリューも歩いてくる。 うーん…… なんか違和感ある光景だなあ。 カイリューが普通の博士とかなら結構様になってるんだけど。 立派な体躯とそれに似合わないファンシーな顔つきが、研究者たちの雄大なる行進を奇妙な光景に変えてしまっている。 雰囲気ぶち壊しだろ、これは…… じいちゃんは咳払いひとつして、口を開いた。 「アカツキ。 おまえにはこれから、シロガネ山を登ってもらうことになる。 今ならまだ引き返せるが……どうする?」 「行くに決まってるだろ。 そうじゃなきゃ、こんなところまで来ない」 「うむ……訊くだけ無駄じゃったな」 「だから言ったじゃないですか。その気になったら何言っても止めないって。 そういうところ、ショウゴにそっくりだって」 「うむ……」 カリンさんにすかさずツッコミを入れられ、じいちゃんは決まりの悪そうな顔をして、オレから目を逸らした。 ……オレの決意は揺らぎないものだよ。 たとえ、親父が目の前にいたとしても。 ここでバトルを申し込まれるようなことがあったとしても。 今のオレは独りじゃない。 支えてくれる仲間がいる。 それだけで、何倍も強くなったような気になれるんだ。 そんなオレに、カリンさんが言ってきた。 「アカツキ君。君のリュックの中身、見せてもらえる?」 「リュックですか? 構いませんけど……」 出し抜けにそんなことを言われ、オレは一瞬呆然としたけど、見られて困るようなものはない。 素直にカリンさんにリュックを差し出した。 手に取るなり、カリンさんはリュックを開けて、中身をひとつずつ取り出して、地面に置いていく。 傷薬とか、ポケモンフーズとか、非常食とか…… とにかくいろんなものが地面に並べられる。 リュックが空になったところで、中身は左右にキッチリ分けて置かれていた。 意図してのものだと、オレはすぐに分かった。 何かを選別していたんだ……それが何かは分かんないけど。 「こんなものですかね」 「うむ、そうじゃな」 左右に分けて並べられたリュックの中身を眺め、じいちゃんは小さく頷いた。 カリンさんはしゃがみこむと、オレから見て右側のものだけをリュックに詰め込んだ。 残ったのはブリーダーズ・バイブルと、調理器具、予備のモンスターボール、傷薬とかの回復の道具、ポケモンフーズ。 ……って、ほとんどじゃん!! リュックに戻したのは携帯用の燃料とライター、非常食くらいなものだ。 ずいぶんと軽そう……萎んでるようにさえ見えるリュックに目を向け、そう思った。 「君が持っていくのはこれだけよ。他のものは必要ないわ」 「え……ポケモンフーズって必要ないんですか?」 「今回の修行には不必要なものよ」 思わず訊ね返したオレに、カリンさんは首を横に振ってみせた。 ブリーダーズ・バイブルや調理器具、予備のモンスターボールは分かるけど…… 傷薬やポケモンフーズまでここで没収なんて、一体何がどうなってんだ? まさか、傷ついたポケモンはモンスターボールに戻すだけで済ませろとでも言うつもりか……? 胸の中で疑問を浮かべていると、カリンさんは手を差し出してきた。 追い打ちの言葉が投げかけられる。 「ラッシーちゃん以外のポケモンもここで預かります」 「ええっ!?」 まさかそんなことまでしてくるとは、さすがに思ってもみなかった。 ラッシー以外は連れて行くなってことだろ、それ。 なんでラッシーだけなんだろう……他のみんなを連れて行っちゃいけないなんて。 理由が分からず呆然と立ち尽くしていると、 「アカツキ。カリン君の言うとおりにするんじゃ」 じいちゃんが急かしてきた。 うーん…… ラッシーだけしか連れていけないってのは痛いけど……でも、これが修行だって言うのなら、仕方がない。 オレはラッシー以外のみんなが入ったモンスターボールを腰から外すと、言われたとおりカリンさんに差し出した。 「ラッシーだけで踏破しろってこと?」 オレはじいちゃんに確かめた。 これ以外の答えは考えられないんだろうけど……万が一ってことも考えられる。 どんな万が一かは……想像にお任せします。 じいちゃんは小さく頷いた。 カリンさんが、没収(?)したモンスターボールを白衣のポケットに押し込んだ。 彼女なら研究こそすれ、変なことはしないだろう。 下手な人間に預けるよりはよっぽど安心できる。 とはいえ…… 熾烈な生存競争を勝ち抜いてきたポケモンたちが犇めき合うシロガネ山を、ラッシーとふたりで踏破しろって…… 簡単に言ってくれるけど。当然、簡単なことじゃないよ。 相性が不利なポケモンと出会ったら、その時点で結構ヤバイんだからさ。 運も絡んでくると思うけど、それでも、お世辞にも条件がいいとは言えない。 楽な修行じゃ達成感はないし、実力もつかないから、それくらいのハンディは当然だけどさ。 「ラッシーちゃんをモンスターボールに戻すことは許可するわ。 でも、可能な限り外に出して一緒にいること。 ラッシーちゃんと二人でシロガネ山を登りきれたら、君は君自身が驚くほど見違えるはずよ」 「はい」 そりゃそうだろ。 文字通りの修羅場なんだから、あそこは。 「それでは出発しよう。カイリューの背に乗るのじゃ」 「……乗るの?」 じいちゃんの言葉に、カイリューが前屈みになった。 どうぞお乗りくださいと、運転手がタクシーのドアを開けてくれる光景がふと脳裏を過ぎる。 カイリューは水中でも、陸上でも、空中でも、どこでも戦える身体を持っている。 だから、人が背中に乗っても空を飛び回るということも当然できるわけで…… でも、抵抗がある。 じいちゃんたちに従順とはいえ、なにせ親父のポケモンだ。一癖も二癖もあって然るべきなんだよ。 シロガネ山を踏破したら親父が登場してきて、さあバトルだという展開もありうるわけで…… 「あー、もうなんでそんなつまんないことばっか想像するんだオレは!!」 つまんない想像に意識が向かいそうになって、オレは頭を左右に打ち振った。 誰が待ってたってそんなのはどうでもいいことなんだよ、まったく…… 完全に吹っ切ったと思ってたけど、どこかで嫌な余韻が残ってたらしい。 親父のカイリューは親父とは違うんだ。 オレは身体を屈めたカイリューに歩み寄った。 向けられた視線が気になってか、上目遣いで見つめ返してくる。 ファンシーな顔つきで、それでいて今にもとろけそうな瞳に見つめられても、怖いとは感じない。 ただ、バトルしてる時とは別人……じゃなかった、別のポケモンみたいだ。 「オレを乗せるの嫌かもしれないけど、よろしくな」 乗せてもらうということで、オレは一応カイリューに言葉をかけた。ついでに頭を撫でる。 「ぐりゅぅ……」 うれしそうな顔で、かわいい鳴き声を発する。 任せといて……オレにはそんな風に聞こえた。 親父のポケモンでも、親父のように他人を見下したりとかはしないんだな。 正直、安心したよ。 オレはカイリューの背に乗った。 見た目ほど狭く感じられず、オレがもう少し前に詰めれば後ろにもう一人乗れるだろう。 それに、結構肌触りがいいんだな。 ファーのようにサラサラしてて、思わずうっとりしてしまいそうだ。 もちろん、これから修行に臨むってのに、そんな腑抜けた表情は見せられないけど。 「ではカリン君、行ってくる」 「お気をつけて」 「って、じいちゃんも来るのか?」 「当然じゃろう」 いけしゃーしゃーと言いながら、じいちゃんもカイリューの背に乗った。 ちょっと窮屈だけど、文句は言っていられない。 でも、なんでじいちゃんがついて来るんだ? 肩越しに振り返ると、 「おまえが山頂に登ってくるのを待つんじゃよ。 そうでなければ、ちゃんと踏破したのか、確認できんではないか」 「そりゃそうだけど……」 山頂で待つつもりなんだ…… オレがやってくるのを信じてくれてると思える反面、オレがちゃんと登ってくるのか監視してるそんな風にも思ってしまう。 もちろん、前者の方がオレの胸の中じゃ強いけどさ。 「カイリュー、行ってくれ」 じいちゃんの言葉に、カイリューが翼を広げて飛び上がった。 オレたちが落ちないように気を遣ってくれてるんだろう、ゆっくりと高度を上げていく。 口元に笑みを浮かべながら見上げるカリンさんが豆粒のような大きさになったところで、カイリューは身体の向きを変えた。 真正面にシロガネ山を望む。 中腹から上は真っ白に染まっている。 寒さもそれなりに厳しいだろうから、草タイプのラッシーには辛いだろう。 でも……一緒に乗り越えていかなきゃ。 ちょっとした寒さなんて、オレたちの絆の炎で吹き飛ばしてやるのさ。 翼を上下に振って、シロガネ山へ飛んで行く。 眼下の景色が少しずつ移り変わり、街の外――北に広がるトキワの森に差し掛かった。 見た目は緩やかに移り変わっているけれど、実際は結構な速さで空を飛んでるんだなって、吹き付けてくる風の強さで実感した。 まあ、これでもセーブしてるんだろうけど。 カイリューはマッハ2で飛行し、地球をわずか16時間で一周してしまうほどのスピードの持ち主だ。 背に乗ったオレたちが風に流されて落ちないようなスピードで飛ぶのは意外と辛いのかもしれない。 そういう風にはまったく感じられないけどさ。 「なあ、じいちゃん……」 「なんじゃ?」 「親父のことなんだけど」 シロガネ山に到着するまでの間、ただ景色を見つめているだけというのもつまらないんで、オレはじいちゃんに話を振った。 カイリューは人間の言葉を理解こそすれ、話すことはできないんだから、何を話しても問題ないと思ったんだ。 「ショウゴがどうかしたのか?」 「うん」 親父のことで気になることがあるんだ。 オレは思いきってじいちゃんに訊ねてみた。 「親父、いつからオレに博士になって欲しいって思ってたんだろう」 「おまえが生まれる前から、わしにはよく言っておったよ」 「そうなんだ……」 オレが生まれる前からそんなこと話してたのか、親父は…… 自分勝手なことをと憤りを抱いたものの、あっという間にそれを通り越して呆れてしまった。 なんか、その光景が脳裏に浮かんできたよ。 身ごもってお腹が大きくなった母さんを前に、親父はニコニコしながら 「息子だろうと娘だろうと、立派な研究者になるといいなぁ」 なんてことを話してるんだ。 うわ、ありえねー!! 頭の中ではパロディ以外の何者にもならなくて、思わず吹き出しそうになった。堪えるのも必死だったよ。 笑いを堪えていると、 「ショウゴを弁護するわけではないが……」 そんな前置きをして、じいちゃんは話し出した。 親父を弁護するわけではないが、って……ちょっとでも気を抜けば吹きだしちゃいそうな笑いが一瞬にして消え失せた。 ある意味でそれは感謝すべきことかもしれないけど。 「おまえは物心つかないうちから、ポケモンと仲良く遊んでおった。 一目見るなり、どんなポケモンも怖がりもせずにニコニコしていたものじゃよ。 その姿を見て、ショウゴはより強く思ったんじゃろう。おまえは博士になるべきだと」 「そういうモンなのか……?」 オレはポケモンに関する嫌な思い出っていうのがまったくない。 楽しいことばっかりだったな。 じいちゃんの言うとおり、オレはガキの頃からポケモンと触れ合ってきた。 どんなポケモンだって怖がりやしないし、触れ合うことを厭うつもりもない。 そういう姿を見て『博士になるべきだ』って思うなんて、傍迷惑な話さ。 今回の修行を乗り切って、ぐうの音も出ないほど完膚なきまでに親父に勝利すれば、それも露と消えるんだ。 俄然やる気になってきたよ。 「じゃが、わしはおまえに博士になってもらいたいとは思っておらん。 おまえが博士になりたいと望むのなら止めはせんが、おまえは別の道を行こうとしておる。止める理由はないからの」 「ありがと、じいちゃん」 何があっても、じいちゃんはオレの味方でいてくれるんだ。 なんか、とってもうれしくて思わず目頭が熱くなったよ。 泣きそうになったり大笑いしそうになったり、今日のオレって感情豊かな感じがするなあ。 じいちゃんだけじゃない。 ナミやケンジ、カリンさんもオレを応援してくれてる。 もちろん、ラッシーや他のみんなだって同じだ。 ……もう、オレ一人の夢じゃなくなったんだなって思う。 オレたちみんなの夢なんだ。 だったら、なおさら叶えなきゃいけないよな。どんなことがあってもさ。 思えば、オレはいい仲間たちに恵まれてるんだよなあ…… 元気がトレードマークのラッシーは、オレをいつもリードしてくれる。 ラズリーも、リッピーも、リンリも、ルースも、ルーシーも、みんな独特の個性を持ち、独自の方法でオレを支えてくれている。 遠く離れていても、その存在はちゃんと感じられる。 見えない糸で心と心がつながってるんだって、今は感じられるんだ。 旅立つ前は、考えたこともなかったけど。 これも、オレが旅に出て見つけたもののひとつなんだろうと思う。 「じいちゃんも、こういう壁にぶち当たったこととかってあるのか?」 「もちろんじゃよ」 口調から、じいちゃんが苦笑しているのが分かった。 じいちゃん、昔はトレーナーをやってたんだよな。 どういう経緯があって研究者を志したのかは分からないけど……結構大きな転機があったんだろう。 オレはじいちゃんがトレーナーとして戦う姿なんて見たことないから、どれくらいの実力があったのかは分かんない。 でも、じいちゃんなら結構強かったんじゃないだろうか。 いつか機会があったら、そういうことも訊いてみようかな。 じいちゃんのことだから、きっと楽しそうに話してくれるんだろう。 「わしも、若い頃はずいぶんと無茶をしたものじゃ。 今になって、どうしてそんなことをしたのかと思うことも、一度や二度ではなかったかのう……」 しみじみとつぶやくじいちゃん。 きっと、遠い目をしてるんだろう。 だって、すごく懐かしそうに聞こえるんだ。 オレが生まれるよりもずっとずっと前のことだから、忘れてしまっているかもしれないのに。 ちゃんと覚えてるってことは、それだけ大切で、充実した日々だったってことなんだろう。 オレも、そういう風に過ぎし日を誇れるようになれたらいいな。 じいちゃんがやってきた無茶なことに興味はあるけど、今はそれを訊く時じゃない。 シロガネ山を踏破することだけを考えなきゃいけないんだ。 他のみんながいれば簡単なことだけど、それじゃあ意味がない。 ラッシーと二人きりで登るからこそ、意味があるんだ。 でも…… どうしてラッシーなんだろう? 単純な実力で考えれば、ラッシーじゃなくてルースかルーシーの方がよほど安心できる。 弱点が格闘タイプのみのルーシーなら、難易度もずいぶんと変わってくるだろう。 なのに、カリンさんはラッシーだけを連れて行けと言った。 そこのところはじいちゃんの入れ知恵みたいなところがあるんだろうけど…… バカ正直に訊ねても、ホントの答えは教えてもらえないだろう。 こういうのは、踏破した後でじっくり聞きだすに限るんだな。 なんてことを考えていると、前から冷たい風が吹きつけてきた。 シロガネ山がさっきよりもずいぶんと大きくなっていた。 知らないうちに速度を上げてたんだろうか、眼下の景色もさっきより早く移り変わって行く。 それにも気付けなかったなんて…… カイリューが緩やかに速度を上げてたってこともあるだろうけど、いろいろ考えてたってことなんだろうな。 中腹から上は雪化粧。 登るとなると、オレもラッシーもずいぶん寒い思いをすることになるんだろう。 「さて、もうすぐ到着じゃ。準備は良いか?」 「ああ、ドンと来いって感じさ」 じいちゃんの言葉に、オレは胸を張って答えた。 ここまで来たからには、何がなんでも踏破するだけさ。 どんだけ時間がかかっても、必ず乗り切ってみせる。 これは、親父との勝負の第一ラウンド……前哨戦なんだ。 メインディッシュの前の前菜ということで、なんとしても乗り切らなければ。 そしてほどなく、オレたちはシロガネ山の麓に降り立った。 近くに登山道が見えないあたり、ハイキングコースからは離れているようだ。 まあ、ハイキングコースは野生ポケモンが飛び出さないような場所を選んで設定してあるから、それじゃ修行にはならないだろう。 オレたちの後ろは青々と草が生い茂る草原が広がっていて、山との境は曖昧になっている。 だから、もしかしたらここはもうシロガネ山かもしれない。 でも…… 目の前には標高千メートル級の山々が連なるシロガネ山。 それでも、親父よりは小さく見えるけどな。 「さて、わしは先に山頂に行っておる」 そう言って、じいちゃんは再びカイリューの背に乗った。 翼を広げ、飛び立つカイリュー。 「おまえが一刻も早くたどり着くのを待っておるよ。それではな」 「ああ、すぐにたどり着いてみせる。首を長くして待っててくれよ」 「うむ……」 じいちゃんを乗せたカイリューは、音もなくフワリと舞い上がり、吸い込まれるように山頂の方へ飛んでいった。 その姿が見えなくなって、オレは腰のモンスターボールを手に取った。 オレの最初のパートナー。 それでいて最高の相棒だ。 「ラッシー、行くぜ!!」 オレはモンスターボールを頭上に掲げ、呼びかけた。 すると、ボールが開いて、中からラッシーが飛び出してきた!! 「フッシーっ!!」 ラッシーは飛び出してくるなり、背伸びするように身体を伸ばした。 モンスターボールの中は安心できるけど、手狭と考えているんだろう。 オレと今まで過ごしてきた全部の時間の中でも、モンスターボールの外に出ている時間の方が圧倒的に長いからさ。 だから、ラッシーにとってモンスターボールっていうのは檻のようなものかもしれない。 他のみんながどうかは分からないけど、ラッシーの場合はそれが顕著なんだろう。 「ラッシー、オレと二人でこの山を登るんだ。できるよな?」 「フッシーっ!!」 当然だ。 そう言わんばかりに、ラッシーは大きく頷いた。 変に弱気じゃなくて、正直安心したよ。 「よし、それじゃ行くぜ!!」 オレは眼前にそびえるシロガネ山へ、足を踏み出した。 青々とした葉を茂らせた木々の幹はとても太く、何百年も生きてきたであろうことをうかがわせる。 人の手があまり加わってないってことなんだ。 それだけ歩きにくいってことなんだけど、四の五の言ってられない。 道がなくたって、切り拓いていかなきゃいけないんだから。 とりあえずは、より高い場所を目指して歩いていけば、いずれは山頂にたどり着けるだろう。 デコボコした山肌に足を取られそうになるけど、慌てず騒がず、一歩一歩、確実に地面を踏みしめて進んで行く。 「ラッシー、大丈夫か? ちゃんと歩けるか?」 歩きにくさを噛み締めながら、オレはラッシーに訊ねた。 ルースやルーシーといった大型のポケモンなら歩きやすいと思うんだけど、中型以下のポケモンだと結構辛いんじゃないんだろうか。 そう思って発した言葉に、ラッシーは大きな声を返してくれた。 「ソーっ」 ――大丈夫大丈夫。 どこかリッピーを思わせる陽気な声音に、オレはホッと胸を撫で下ろした。 歩きにくさは感じてるみたいだけど、それを苦にしてはいないらしい。 山に入ってしばらくは歩きにくさが常につきまとっていたけど、慣れっていうのは意外と早く訪れるもので…… 何十分か歩いているうちに、歩きにくいという気持ちは消えていた。 それどころか、澄んだ空気がとても気持ちいいとさえ感じられるようになっていた。 その頃にはラッシーもデコボコな山肌に慣れたのか、先導するようにオレの前に躍り出て、ぴょんぴょん飛び跳ねながら進むようになった。 新鮮な空気を存分に吸い込んで、気持ちがいいんだろう。 機嫌がいい時はそうやって全身で表現してくれるんだ。 見てるこっちが元気付けられるくらいさ。 しかし…… どこに野生のポケモンが潜んでるのか分からないってのは、結構痛いところかもしれない。 オレは周囲に視線をめぐらせながら思った。 ラッシーの方が感覚に優れてるから、オレよりも先に野生のポケモンを発見してくれると思う。 でも、その気になれば気配を消すことのできるポケモンだっているんだ。 ラッシーの感覚だけを頼りにするわけにはいかない。 可能な限り、オレも野生ポケモンの発見に携わらないといけない。 デコボコした山肌は高くなったり低くなったりしている場所があって、どこにポケモンが身を潜めていてもおかしくない。 相当近くまで迫ってないと発見するのは難しいのかもしれない。 まあ、ラッシーが楽しそうにやってる分には問題ないって考えるのが一番なんだろうけど……楽天的な考えに染まるのも考えものだ。 いつ何時襲撃を受けるか分からないんだ、警戒し過ぎるということはないはずだ。 「ソーっ、ソーっ……」 ラッシーは今オレたちが置かれている状況が分かっていないのか、いたって楽しそうだ。 ハイキング気分で山登りしてるわけじゃないんだろうけど…… たぶん、自然豊かな環境に、気分がよくなってるんだろうと思う。 草タイプのポケモンは特にそうなんだ。 緑が豊かな場所にいると、本能的に落ち着くというか、気分がよくなるんだって、じいちゃんが言ってた。 ラッシーもラッシーなりに、周囲に注意を配ってるんだろう。 ただ、そう見えないってのがネックかな。 ともあれ、オレとラッシーと二人しかいないんだ。両方でできる限り注意しながら進んでいくしかない。 シロガネ山に棲息しているのはどんなポケモンか……襲撃してくるかもしれないポケモンの姿を脳裏に思い浮かべる。 ギャロップにドードリオ、ニューラにモンジャラと、実に多彩なタイプのポケモンがこのシロガネ山には棲息してる。 単純に考えて、ラッシーにとって苦手なタイプのポケモンが多いから、まともに戦いながら登るのはとても難しい。 ……いや、不可能と言ってもいいだろう。 痺れ粉や眠り粉といった状態異常の技と、マジカルリーフの状態異常コンボで身動きを適当に動けない状態にしてから、 さっさと通り過ぎて登って行くのがベストだろう。 まともにやって登りきれる可能性は皆無に等しいんだ。 そうやって適当にやり過ごすということも必要になってくるかもしれない。 ここで試されてるのは、恐らく…… いかに必要な戦いを選び、不要と考えた時に回避しながら目的地へ向かうことができるのかということだ。 全部をいちいち戦っていたら、ラッシーの体力が尽きる。 光合成で多少は持ち直せるとしても、とてもじゃないけど捌ききれない。 トレーナーであるオレの方も、精神的に参ってしまうだろう。 だから、取捨選択を完璧にこなさなくちゃいけないんだ。 とても難しいことだけど、だからといってやりもしないうちからあきらめるつもりはないよ。 だって、やらなきゃ親父には勝てない。 親父は取捨選択を完璧にこなしてるように思えるんだ。 自分の戦術を流れるように……数式のように美しく完璧に使いこなして、バトルを進めていく。 そのやり方『だけ』は尊敬できるよ。 オレもそういう風に戦えたら、もっともっと強くなれると思うんだけどさ。 「じいちゃんが修行の場所にここを選んだのも、なんとなく分かる気がする……」 ラッシーの苦手なポケモンが多く棲息するこの場所で、取捨選択のセンスを磨かせようとしてる。 必要なものだけを選ぶことができたら、それだけバトルでも有利に戦えるから。 「ソーっ?」 ラッシーの声のトーンが変わった。 なんか、つまんなそうな声音に、オレは足を止めてラッシーに目をやった。 オレの前にポツンと立つラッシーは、つまんなそうな視線をオレに向けてきていた。 「ラッシー、遊びで来てるわけじゃないんだ。気を引き締めなきゃいけないんだよ。 いつ野生ポケモンに襲われるか分からないからさ」 オレは諭すようにラッシーに言った。 遊びで来てるわけじゃない。そんな生半可な気持ちで親父を超えようなんて、そんなおこがましいことはできないさ。 生半可な気持ちじゃないと伝わったのか、ラッシーは小さく頷くと、 「ソーっ……」 申し訳なさそうな声音で言ってきた。 オレとしては責めるつもりなんてなかったんだけどな…… ラッシーの申し訳なさそうな表情を見ていると、なんだか悪いことをしちゃったような気がするんだ。 でも、間違ったことは言ってないつもりだ。 お遊びじゃとても乗り切れない。 それどころか、ラッシーだけじゃなくてオレまで危険な目に遭うことになる。 もしかしたら、生きて戻れないなんていう嫌な展開だってあり得るんだ。 そうなりたくないから、そうならないために真剣にならなくちゃいけない。 ラッシーにそれが伝わったのなら、十分だよ。 「ラッシー、塞ぎこんでたって仕方ないぜ。そんなの君らしくないしさ……」 オレは膝を折り、ラッシーの頭を撫でてやった。 突き進み続けるだけじゃできないことがある。 立ち止まっていろんなことを考えることだって必要だ。 でも、いつまでもそうしていたって変わらない。まずは行動なんだ。 「そろそろ先に進もうぜ。じいちゃんも待って……」 言葉の途中で、草の擦れる音が聞こえてきた。 音のした方に顔を向ける。 野生のポケモンか……? 注意深く見つめていると、木の影から何かが飛び出してきた!! ドードリオ!! すごい跳躍力でラッシーに向かって飛び掛ろうとしているのはドードリオだ。 飛行タイプのポケモンで、胴体から三つの首が生えているという、見た目にも珍しいポケモンなんだ。 それぞれの頭が喜び、怒り、悲しみの感情を司っているとされ、それぞれの頭が独立した意思を持っている。 キラキラ光るくちばしを前面に押し出しながら攻撃してくるドードリオ。 三つの頭それぞれで攻撃されたら、ラッシーでもかなり苦しいだろう。 波状攻撃を仕掛けられる前に、短気決着で行かなければ。 「ラッシー、痺れ粉!!」 オレはラッシーの後ろに隠れるように飛び退きながら指示を下した。 「フッシーっ……!!」 ラッシーは低い唸り声を上げると、背中のつぼみから痺れ粉を舞い上げた!! 少しでも身体に付着すれば、それだけで身動きが取れなくなる。 わざわざ倒す必要もない。 だって、予備のモンスターボールも没収されちゃってるから、ポケモンをゲットすることもできない。 だったら、倒す必要がなくなるってワケだ。 「キェェッ!!」 怒りを司るドードリオの頭がけたたましい鳴き声を上げながら、くちばしを高速で回転させた!! ドリルくちばしか!! 飛行タイプの技で、結構威力が高い。 その上連射も効くんだから、数を頼みに攻撃されると結構苦しくなる。 ラッシーが舞い上げた痺れ粉に向かって、ドードリオが高速回転したくちばしを突き刺す!! ぶおっ!! 乾いた音がして、ドードリオのくちばしの周囲の痺れ粉が吹き散らされる!! なるほど、そう来たか……!! くちばしを高速回転させることで、周囲に風の流れを作り出すんだ。 怒りを司る頭は痺れ粉の影響を受けなかったけど、左隣の喜びの頭の方に痺れ粉が流れて行く!! 「キェッ!?」 まさかこちらに流れてくるとは思っていなかったらしく、喜びの頭はまともに痺れ粉をかぶって、身動きが取れなくなった。 三つの頭それぞれに意思があるということは、裏を返せばどれか一つの頭が行動不能でなければ戦えるということだ。 でも、相性の不利な相手と戦うのに、攻撃手段が一つでも減らせるのは大きい。 少なくとも波状攻撃を受ける可能性は少なくなった。 「キェッ!!」 悲しみを司る頭もドリルくちばしで痺れ粉を吹き散らした!! 怒りの頭と同じで、これで痺れ粉は受けない。 存分にドリルくちばしを叩きつけられるって算段か……でも、そうは問屋が卸さない。 「ラッシー!!」 オレは痺れ粉が流れていった方を指差して、ラッシーに指示を出した。 「あっちに飛び退け!!」 ラッシーとドードリオのスピードの差は如何ともしがたい。 とてもじゃないけど、回避したって追い打ちをかけられて大ダメージを被るだけ。 なら、攻撃を受ける前に倒すだけだ。 状態異常の技で……なんて悠長にやってられる余裕もなさそうだし…… ラッシーはオレの指示通り、痺れ粉が流れていった方に飛び退いた。 その直後、怒りの頭が繰り出したドリルくちばしが、ラッシーのいた場所を貫いた!! あれをまともに受けたらどうなっていたか……その威力を見る限り、まともに食らったら戦闘不能に近いダメージを受けるだろう。 ラッシーが痺れ粉を挟んでドードリオの反対側に着地した瞬間を狙って、オレはさらに指示を下す。 「今だ、マジカルリーフ!!」 「フッシーっ!!」 ラッシーが背中からマジカルリーフを発射した!! 左右一枚ずつと、枚数的には小振りだけど、ドードリオにはそれで十分だ。 頼りなく見える葉っぱは、しかし孤を描きながら、痺れ粉の真っ只中を突っ切ってドードリオに向かう!! 「キェェ!?」 背後から迫るマジカルリーフに気付いたんだろう、ドードリオは頭だけで振り返った!! 避けようとしないのは、そうしなくても対処できるということ。 生存競争を勝ち抜いてきたシロガネ山の野生ポケモンは無駄な動きをしない。 でも、それが役に立つ場合がある。 「キェッ!!」 怒りの頭が、飛来するマジカルリーフの一枚をドリルくちばしでいとも容易く粉砕した!! 文字通り木っ端微塵になったマジカルリーフが力なく地面に落ちる。 悲しみの頭が残りの一枚を粉砕しようとするけど、偶然か、風の流れか、すぐ脇をすり抜けて、無防備な胴体を掠めた!! よし、これでいい。 痺れ粉を存分に浴びたマジカルリーフは、少しでも相手を掠めれば、あっという間に粉の成分が体内に取り込まれ、血液の流れに乗って全身に回る。 全身が鈍い痺れに支配されるのも時間の問題ってワケさ。 「ラッシー、毒の粉で足止めするんだ!!」 あとはダメ押しするだけでいい。 毒の粉で、相手の行動を阻害する。 舞い上げられた毒々しい紫の粉を警戒して、ドードリオは近づけない。 毒の粉は宙に漂いながら、周囲に広がっていく。 その分、密度が薄くなり、それが目に見え始めた頃…… 「……!?」 ドードリオがその場に崩れ落ちた。 何が起こったのか分からなかったらしく、残った二つの頭は戸惑いの表情を浮かべていた。 痺れ粉が全身に回って、動けなくなったんだ。 頭を一つ一つ戦えないようにするのは大変だから、すべての頭の共有部分である胴体がターゲットだ。 痺れ粉がたっぷりついたマジカルリーフを触れさせれば、それだけでイチコロってワケだ。 ともあれ、これでドードリオもしばらくは身動きが取れないはず。 オレは動けなくなったドードリオの傍を足早に通り抜けると、ラッシーに向かって手を振った。 「ラッシー、行くぜ」 「フッシーっ……」 オレの言葉に、ラッシーはドードリオがちゃんと麻痺したか確認してから、こっちに向かって走ってきた。 「よくやったぞ、ラッシー。さすがだな」 「ソーっ……!!」 オレは膝を折って、駆け寄ってきたラッシーの頭を撫でてやった。 今になって、ドードリオに負わせた状態異常が麻痺で良かったとつくづく思う。 もしもこれが『眠り』だったら、下手をすればもう目覚めていたかもしれない。 ドードリオの特性は『早起き』で、その名の通り、眠らされても普通のポケモンよりも早く目覚めるんだ。 だから、眠りよりも麻痺の方が状態異常としては効果的と判断したんだけど……ビンゴだった。 「よし、ドードリオが動き出す前にさっさと行っちまおうぜ」 立ち上がり、オレは歩き出した。 半歩遅れてラッシーがついてくる。 ピッタリと寄り添うように隣を歩く。 道なき道だけに、今自分がどこにいるのかさえも分からないけど、着実に山頂へ向かっていることだけはハッキリしてる。 身長の半分くらいある段差を登ったり、一面の茂みを掻き分けながら進んだりした。 と、目の前に巨木が折り重なるように倒れている光景に出くわした。 「進めないな、これじゃ……」 オレは左右を見回したけど、どこも同じような感じだった。 巨木が折り重なって倒れていて、道がふさがれてしまっている。 いや…… 道なんてないんだけど、歩けるなら道だって強引に解釈したものですから、つい……って、それはともかく!! このままじゃ進めない。 どうにかしなきゃいけないんだけど…… いま一度左右に視線をめぐらせるけど、抜け道のようなものはなかった。 となると、この木々をどうにかして退かすかしなきゃいけないってことだ。 その方法を考えていると、 「ソーっ」 ラッシーがおもむろにオレの前に躍り出た。 その時に発した声が、オレには『任せとけ』と言ってるように聞こえたよ。 ラッシーのことだから、何の考えもなしにしゃしゃり出てきたりはしないはずだ。 何かしらの考えがあるに違いない。 「あの木々をどうにかできるのか?」 「ソーっ!!」 オレの問いかけに、ラッシーは一度振り返って頷くと、再び倒れている巨木に向き直り、 「フッシーっ!!」 裂帛の気合と共に、背中から無数の葉っぱカッターを撃ち出した!! 無数の葉っぱはすごい速さで回転しながら、巨木に突き刺さった!! すると、あっという間に巨木が輪切りのように等間隔にスライスされた。 「おおっ!!」 あっという間の早業に、オレは思わず感嘆の声を上げていた。 無数の葉っぱカッターを発射するところを見て、てっきり巨木を細切れにするのかと思ってたけど。 ラッシーって意外と芸が細かかったんだなぁ……って、改めて感じたよ。 なるほど、巨木も一本の木のままではとても動かせない。 だけど、輪切りにしてしまえば、鶴の鞭で持ち上げたり、運んだりすることができるってワケだ。 オレがその答えにたどり着く前に実行しちゃうんだから、ラッシーって頭いいなあ。 今さらって感じだけどさ。 「やるじゃん!!」 「ソーッ、ソーッ」 ラッシーはうれしそうに嘶くと、鶴の鞭で一本ずつ輪切りにされた巨木を持ち上げては横に運ぶ。 それを五回ほど繰り返したところで、オレたちが通れるだけの幅の道が出来上がった。 「サンキュー。やっぱ、ラッシーを連れてきて良かったよ」 「ソーっ、ソーッ」 ――そうだろう、そうだろう。 ラッシーはそう思ってるんだろう。 ラッシーだから、巨木を葉っぱカッターで輪切りにしてから蔓の鞭で持ち運ぶというやり方を思いついたんだ。 他のみんながこの場にいたら、どうしていただろう……? ノンビリしてる暇はないと分かっていながらも、想像せずにはいられなかった。 リッピーだったら、巨木の上をステージにして陽気に歌って踊って、まったく解決に至らなかったりするのかも。 ラズリーやルースだったら、火炎放射で巨木を焼いちゃうんだろう。 ポケモンによってやり方が極端に違ってるものだから、想像するのも結構面白い。 リンリなら手に持ったホネで削って彫刻とか作りそうだ。 ルーシーだったら土木作業みたく、一本一本持ち上げては別の場所に運んだりするのかも。 その現場を見たい気もするけど、今はラッシーしかいないんだ。 一通り想像したところで、オレは輪切りにされた巨木の隙間を通って先へ進んだ。 「ソーっ、ソーっ、ソーっ♪」 一仕事やり終えたという達成感があるんだろう、ラッシーは陽気に歌いながらオレの隣にくっついて歩いている。 でも、なんか気になることがあった。 チラリと背後を振り返り、折り重なって倒れている巨木を見やる。 自然に倒れたにしては明らかに不自然なところがあったんだ。 局地的な雨とかで土壌が押し流されて木が倒れたって言うのなら、あんな小さな範囲だけで済むはずがない。 巨木の根っこが見えなかったから、どういう倒れ方をしたのかっていう断言はできないけど……でも、あれは自然にできたものじゃない。 それだけは言える。 人間の力でできるようなことじゃないから、考えられるとすればポケモンがやったってことだけだ。 でも、巨木をあんな風に倒して先に進めないようにするほどのポケモンとなると…… 考えたくないけど、かなり強いポケモンなんじゃないだろうか? もしもこの近くにそのポケモンがいるとすれば…… 余計な戦いはしたくないけど、もし戦うことになった場合、今のオレたちで勝ち目があるんだろうか? ドードリオやニューラ、ギャロップくらいならなんとかなるんだけどな。 それ以上の大物が出てくるようなことがあれば、それこそヤバイ。 じいちゃんさえ把握していないようなポケモンが出てくるとなると…… あー、こういう時になんでモンスターボールを没収されちゃってるんだろう。 戦って勝ってゲットするって選択肢も本当はあったはずなのに。 今さらどうこう言っても仕方ないから、これ以上は考えないようにするけど、その時はその時だ!! どんな障害だって、オレとラッシーの歩みを止めることはできないのさ!! ここは強気で行こう!! というわけで、オレは腕を大きく振りながら歩くことにした。 それからは何の障害もなく、オレたちは中腹まで順調に登っていった。 ただ、今日はそこで時間切れのようだった。 木々の合間から覗く空は茜色に染まり、視界もどこか狭くなったように感じられる。 オレもラッシーも夜目が効かないから、夜に無理矢理歩いたところで危険が増すだけだ。 それに、山頂に近づいてるってことを感じさせるように、肌寒くなってきた。 肌を突き刺すほどの寒さじゃないけれど、夜になればそうなるかもしれない。 近くにある洞穴で、夜を明かすことにした。 外から見る分にも、オレとラッシーが大の字で寝てもまだ余るほどのスペースがあって、雨風も凌げるとなれば、それ以上の場所は望めない。 オレは洞穴に入る前に、持てる分だけ薪を拾った。 洞穴の真ん中で、オレは腰を下ろした。 リュックから固体燃料を取り出して、その上に薪を並べる。 それからライターで燃料に着火すれば、あっという間に炎が燃え広がって、薪がパチパチと火の粉を弾けさせながら燃え出した。 洞穴の中が暖かくなる。 「ソーっ……」 気持ちいい…… ラッシーは焚き火の傍で横になると、そんな声を上げた。 そうだよな…… 寒さに弱いラッシーにとっては、焚き火の暖かさは歓迎すべきものなんだ。 かくいうオレも薄着なものだから、焚き火で暖まれるのはありがたいことなんだよ。 ここに来るって事前に分かってたら、それなりに準備もできたんだろうけど……今になって嘆いていても仕方がない。 じいちゃんとカリンさんはオレのことを想って、この場所を選んだんだ。 余計な準備をして難易度を下げてしまっては、修行の意味がない。そんなところだろう。 寒さなんて熱っついハートで溶かしてやる。 それくらいの意気込みがなきゃ、ここから先には進めないってことだと思うからさ。 「ラッシー、ご苦労さま。よくがんばったな……」 オレはラッシーに労いの言葉をかけた。 今日は今までで一番よく頑張ってくれたよ。 ラッシーと一緒の方が、なんでだかとても楽しくて、どこまでもトコトンやってやろうという気になるんだ。 最初のパートナーなんだって、つくづく思うよ。 「ソーっ……」 焚き火が暖かくて、気持ちいいんだろう。 「なあ、ラッシー」 オレはラッシーの背中を撫で続けた。 「こうやって二人きりになったの、ずいぶん久しぶりのような気がするよな。 どんくらい前だっけ……」 パチパチと火の粉を弾けさせる焚き火を見つめながら、オレはポツリつぶやいた。 赤い炎の向こうに、ラッシーと二人で過ごしてきた日々が見えたような気がした。 旅に出る前……それでも、ラッシーと本当に二人きりでいられた時間はとても短い。 寝てる時なんかは同じ部屋にいるんだけど、寝てる間は何も感じられないから、一緒にいるっていう実感も沸かない。 だけど、今この瞬間、オレはラッシーと本当に二人きりになっている。 手を差し伸べてくれる人も、行く手を塞ぐ人もいない。 二人だけの力で困難を乗り切って行かなきゃいけない。 とても厳しくて大変なことだけど、その分ラッシーのことを強く信じようって思える。 いつだってラッシーのことは信じてるけど、今回の修行で、それをさらに強固なものにしなきゃいけないんだ。 オレは横になっているラッシーに目をやり、自分の素直な気持ちを口にした。 「オレ、ラッシーが最初のパートナーになってくれて、本当に良かったと思ってるんだよ」 「ソーっ?」 不思議そうな顔で見上げてくるラッシー。 ――当たり前でしょ? なに今さらそんなこと言ってんの? なぜか、そんな風に見えて…… なんか、胸にチクリと来ました。 そりゃそうなんだけどさ……でも、ホントにオレはそう思ってる。 もし、ラッシー以外の二体(ナミのガーネットとシゲルのカメックス)を選んでたらどうなってたんだろう? 真面目なゼニガメだったら、今ごろ順風満帆に邁進してるかもしれない。 マヌケなガーネットだったら、もっと大変なことになっててアタフタしてるかもしれない。 どっちもそれなりに楽しそうだなって思えるけど、だけど、ラッシーじゃなきゃ今のオレはなかったって思えるんだよ。 「ラッシーじゃなかったらって考えたら、すごく怖くなるんだ……」 パチン。 一際大きな音を立てて弾けた焚き火の方へ、弾かれたように顔を向けた。 「ラッシーだったから、オレはすごく頑張ろうって思えるよ。 ラッシーだってオレやみんなのためにすっごく頑張ってくれる。 オレたちのこと信じてくれてる。 それが分かるから、オレもラッシーやみんなのことを誰よりも、何よりも強く信じようって思えるんだよ」 信頼って、赤い糸のように目に見えたりはしない。 感じようって思わなきゃ感じられないものなんだ。 「ソーっ……?」 「大丈夫。オレ、もう全部吹っ切ったからさ。 ラッシーが吹っ切ったのに、オレが吹っ切れないなんてことはないだろ? それに……」 心配そうな声を上げたラッシーに視線を落とす。 声と同じで不安げな表情に、オレはニコリと笑みを向けた。 「オレ、約束したことは必ず守るって決めてるんだ。 ラッシーに約束しただろ? 絶対に最強のトレーナーと最高のブリーダーになってみせる。 ずっと前のことだけど、ついさっきのことのようによく覚えてるんだ。 そのためなら、なんだってやってみせる。そう決めてるんだからさ。な?」 そう、ラッシーと約束したんだ。 ずっとずっと前のことになる。 でも、言ったとおり、ついさっきのことのようによく覚えてる。 「ラッシー、ぼく、一番強いトレーナーと、一番強いポケモンを育てられるブリーダーになるからね!!」 親父に夢押し付けられる前のことだったよ。 何も知らない子供の言葉。 現実をよく知る大人から見たら、そう思われて仕方ないものだけど…… でも、その頃と今と、抱いた気持ちは変わらないよ。 「どんなに辛くても、苦しくても……絶対乗り切るんだ。二人で一緒に。 オレ一人じゃ当然無理だろうし、ラッシーだけでも意味がないだろ。 だったら、一緒に行かなきゃな」 「ソーっ……!!」 半ば決意表明のような言葉に安心したんだろう、ラッシーは頭を地面に垂れた。 表情も穏やかなものに戻る。 「そうさ…… 親父がどんな手を使ってきたって、オレとラッシー…… みんなとの信頼の絆を断ち切ることはできないんだ」 親父はオレにもう一度だけチャンスをくれるって言ってたらしいけど、どうも釈然としない。 勝負はついてたし、最後の最後、仕上げの段階で水を差されたところで、親父がそんなことをする理由にはならないだろう。 決着という『現実』を盾にすることだってできたはずだ。 まあ、ワンチャンス残ったわけだから、ツベコベ言っても仕方ないんだけどさ。 なんでだろ、とっても気になるんだ。 考えてどうになる問題じゃないんだけどさ、今ごろになって気になるなんて…… 「…………」 洞穴の中に静寂が満ちる。 親父、今ごろ何をしてるんだろう? 結局あの勝負以来、会わずじまいだったわけだけど…… あの親父がどこで何をしていようと、そんなの気にしたって仕方ないのに。 分かんない。分かんないよ。 一体なんなんだ? ワンチャンスくれたのは、嫌がらせのつもりか? こうやって頭を悩ませて、混乱させるつもりなのか? それとも別の思惑でもあるってのか? 「…………」 考えれば考えるほど、余計に分かんなくなる。 蜘蛛の巣に引っかかった蝶が、羽ばたこうともがけばもがくほど、余計に糸が絡まるように。 この際、考えないようにするってのが一番の解決策なんだろう。 なんだか漠然として気に入らないけど、四の五の言ってたって……仕方ないのさ。 嫌な考えを吹っ切る一番の手段は、言うまでもなく食事だ。 「ラッシー、メシにしようぜ。 よく頑張ってくれたし、今日はたくさん食べなきゃな」 「ソーっ!? ソーっ!!」 待ってました。 ラッシーは今まで気持ち良さそうにくつろいでたけど、メシという言葉に敏感に反応して、身を起こした。 期待のこもった眼差しを向けてくる。 やれやれ…… 相変わらず食欲旺盛だと思いながらも、オレはリュックから非常食の缶詰を二個取り出した。 乾パンと非常用ポケモンフーズなんだけど、非常食というだけあって、自分で作ったものよりも味は落ちる。 ラッシーにとっては物足りないと思うけど、オレも乾パンしかないわけだし、ここはお互い様と行こう。 オレは蓋を開けると、ポケモンフーズが入った缶をラッシーの前にそっと置いた。 乾パンに似たポケモンフーズに鼻を近づけ、なにやら匂いを嗅ぎ始めるラッシー。 オレの作ったポケモンフーズと違うものだって、すぐに分かったんだろう。 匂いで、風味がどれくらい違っているのか、判断しているのかもしれない。 「ラッシー、オレの作ったポケモンフーズじゃなくてごめんな。 ホントは持ってきたかったけど、カリンさんに没収されちゃったし。 でも、オレもラッシーと同じで、好きなものを食うわけじゃないんだ。 お願いだから、我慢してくれ」 言って、オレはラッシーに乾パンの缶詰のラベルを見せた。 乾パンって、正直あんまり好きじゃないんだよな。 日持ちさせるのと、栄養価を高めることの二点に力を入れているせいか、味は二の次って感じなんだよ。 くどくはないけど、サッパリした味じゃない。 単純に言えば無味なんだけど、それでも腹は膨れるから、食べるしかない。 オレの申し訳ない気持ちが通じたのか――あるいは、これしか食糧がないことを悟ったのか。 ラッシーは何も言わずに、ポケモンフーズを食べ始めた。 あー、ホントに悪い気がして仕方ない。 でも、それはオレも同じことだ。我慢、我慢。きっと修行の一環なんだから。 乾パンの缶詰の蓋を開け、中身をつまみ出して口に運ぶ。 土気色の乾パンは、乾いたパンというよりも、ミイラ化したビスケットって感じなんだよな……たとえ悪いけど。 ちょっと固めの乾パンを噛み砕く。 味は……ほとんどしなかった。 ふっくらした焼きたてのパンとは天と地ほどの差はある。 いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。 美味しいと感じられないことだけがとっても不幸だ。 あんまり楽しくない食事ということもあって、ラッシーは黙ってポケモンフーズを食べていた。 オレのポケモンフーズを美味しそうに食べてくれる姿が、この現状と比較・対照するかのように脇に浮かんで見える。 あー、なんでポケモンフーズまで没収されなきゃいけなかったんだろ。 食事はアリで、ポケモンフーズはNGだなんて、なんか不公平って感じがするな。 ラッシーにとってポケモンフーズは食事と同等の価値を持つものなんだから。 あの時ちゃんと主張しておかなかったオレの落ち度もそれなりにあるんだろうけど…… でも、今になって納得行かないって喚いても仕方ないよな。 己の不徳の致すところなら、これを何とかするのも修行のひとつなんだ。 「オレたち、どこまで登ってきたんだろ……?」 カリンさんがポケモンフーズを没収したことはもう忘れよう。 都合の悪いことはさっさと忘れちゃうに限る。 逃げと受け取られるだろうけど、それは時に必要なことなんじゃないかって思ってるんだよね。 非常食の量を考えると、そうノンビリと進んで行くわけにはいかない。 この洞穴みたいに、ゆっくりと休める場所が都合よくあるとは限らないんだ。 考えなしに登って行くことこそ危険なんだ。 一食に缶詰一つと考えて、せいぜいあと二日……が精一杯。 それ以上かかっても登りきれなかったら、本気でヤバイな。 明日中に一気に登り切っちまおうか。 多少無理をしてでも進まないと、お腹が空いて先に進めなくなってしまうという最悪な事態を避けられなくなりそうだ。 いろんなことを考えながらも、ちゃんと乾パンを一枚ずつ噛んではごくりと飲み干す。 味はないけど、それでも食べなきゃ身体が保たない。 無言の食事タイムは十分くらいで終わった。 「ソーっ……」 ラッシーは空になった缶詰に目を向けたまま、残念そうな声を漏らした。 やっぱ、オレのポケモンフーズが一番のご馳走だってことなんだろうな。 こんな不自由な思いを長引かせないためにも、なるべく早くこの山を登りきらなければ。 ラッシーに対する申し訳なさも相まって、簡単にそんな気持ちになる。 「ラッシー、明日は一気に登っちまうぜ。 早く登りきったら、オレのポケモンフーズも食えるようになるからさ。気張ってこうな」 「フッシーっ!!」 もちろんと言わんばかりに、オレの言葉に大きく頷くラッシー。 オレだって、乾パンやコンビーフを何日も連続で食うのは嫌だからな。 どういう目的であれ、同じ目的のために気持ちを一つにするのは大切なことさ。 ……さすがに、言葉にすると虚しくなるけどね。 空になった缶詰を回収し、ビニール袋に詰めてリュックに戻す。 エコロジーが声高に叫ばれている昨今、ゴミはちゃんと持ち帰らなきゃ。 山はゴミ捨て場じゃないんだからさ。 一応お腹も膨れたし、今日やるべきことはやった。 後はここで朝を待つだけだ。 「ラッシー、もう休むんだ。朝は早いからな」 「ソーっ」 ラッシーは小さく声を上げると、欠伸をしてそのまま横になった。 あっという間に寝息を立て始める。 やっぱり、疲れてたんだ。 ただ歩いてるだけのオレと違って、実際に戦いの矢面に立ってた。 だから、休める時に休ませてやりたい。 楽しい夢でも見ているのか、穏やかな寝顔のラッシーに向かって、オレはつぶやいた。 「ラッシー、どんなことがあっても、ずっと一緒だ。 君がオレを守ってくれるように、オレも君のこと守るから。おやすみ、ラッシー」 ラッシーの睡眠を邪魔しないよう、物音を立てずに、オレもその場に横になって目を閉じた。 <後編へ続く>