カントー編Vol.25 Partnership 〜最奥の扉を開くカギ〜 <後編> それから時は少し遡り―― シロガネ山の山頂で、オーキド博士は一人の男性と向き合っていた。 同じ白衣をまとった眼差しの鋭い男性――博士の実の息子ショウゴである。 円形のステージを思わせる山頂からの眺めは格別なのだが、生憎と二人ともそれを楽しんでいられるような雰囲気ではなかった。 親子だというのに、どこか刺々しい雰囲気すら漂わせている。 そんな二人を前に、困ったような顔を交互に向けているカイリュー。 ショウゴのポケモンであるが、今は博士の言うことに従っている。 「ショウゴよ。なぜ素直にアカツキに告げんのじゃ?」 「告げる? 何を?」 博士の言葉に、ショウゴは無表情のまま首をかしげた。 本当に知らないのか、それともとぼけているのか。 どちらにしても白々しく見えて仕方がない。 後者だと判断し、博士は深々とため息をついた。 味気ない反応に、自分の若い頃は『煮ても焼いても食えない』タイプだったのだろうかと、若き日を思い返してしまう。 一応、目の前にいる男は自分の息子である。 若い頃の自分と重ねてしまうのも、無理のないことだった。 「親父のやろうとしていることは分かっているつもりだ。 だから、俺もカイリューを貸してやった。 しかし、だからといって、俺は俺のやり方を変えるつもりはない」 原稿を棒読みするような口調で言うショウゴ。 感情のほとんどこもっていないその声に、博士はそれが本心からのものであるのか、困惑してしまった。 無論、そうするように仕向けているのは疑いようもないが。 「血を分けた我が子を傷つけるのがやり方というのなら、わしはそれを認めるわけにはいかん」 「認めてもらうつもりはない。 ましてや、許してもらうつもりなど……」 ショウゴは首を左右に振った。 博士の言葉は、遠回しに聞こえて仕方がない。 回りくどいやり方は好きではないが、自分のやり口の一部は、目の前の父親から受け継いだものだ。 「おまえは素直ではないな。昔からそうじゃった」 「なら、何も言わず最後まで見守ってもらいたい。 俺のやり方に口を出すのなら、それはアカツキが俺を超えてからにしてもらおうか」 一方的に話を打ち切ると、ショウゴは口笛を吹いた。 甲高い音が周囲に響き、空から最大の相棒であるリザードンが傍に舞い降りた。 博士と話をしている間、ウォーミングがてら空を散歩させていたのだ。 「俺は俺のやり方でいく。 誰に理解してもらえなくても、許してもらえなくても構わない。 親父、アカツキにちゃんと言っておくんだな。 次こそ容赦しない……おまえの夢を摘み取ってやると」 リザードンの背に乗ろうとしたショウゴに、博士は声を叩きつけるように言った。 「それでアカツキに憎まれても構わないというのか?」 「構わない」 即答だった。 「これが俺のやり方だと言っただろう。 今しばらく、カイリューは親父に預ける。 親父がアカツキの肩を持とうと持つまいと、そんなのはどうでもいいことだ。 最後にはバトルで勝敗を決する。 そのことに、何ら変わりはないのだから。カリンにもそう伝えておいてくれ」 やけに饒舌な口調で返すと、リザードンに飛ぶように指示を出した。 戸惑う様子も見せず、リザードンは翼を広げて飛び上がった。 複雑そうな顔で飛び去るリザードンの背にまたがったショウゴを見上げる博士とカイリュー。 一方的に打ち切られた会話。 博士とてそれで気が晴れたわけではないが、これ以上話したところで同じことだろうと、二度目のため息で割り切った。 「ショウゴ……おまえはなぜ、そこまでアカツキに憎まれても構わないと思えるのじゃ……? 実の息子に憎まれて、いい気持ちなどせんじゃろう……」 ショウゴの抱く覚悟の大きさを見せ付けられたような気がした。 だが、お互いに背負うものがあるのなら、二者の間に妥協点などあるはずがない。 本気でぶつかり合って解決するしかない。 「かく言うわしも、おまえを止めることもせん。 もしかすると、わしもおまえと同じなのかもしれんな……」 「ぐりゅぅ……?」 悟ったような、力ない笑みを浮かべるオーキド博士の顔を覗き込むカイリュー。 悲しくて、淋しくて……それでいてどうしようもなく辛そうに見えた。 翌朝。 目覚めたオレが時刻を知ることができたのは、ポケナビのおかげだった。 すっかり焚き火は立ち消え、洞穴の中はちょっとした寒気でいっぱいで寒かった。 でも、動かなきゃますます寒さが身に染みる。 「七時か……よく眠ってたもんだ……」 オレは起き上がると、洞穴の外に出た。 ちょっと周囲を覗く程度だけど、頭にまとわりつく眠気を払拭するにはちょうどいい。 すっかり明るくなっていて、この分なら進んでも問題ないだろう。 周囲の状況を一頻り確かめてから、洞穴の中に戻る。 すると、ラッシーはすでに起きていて、戻ってきたオレを「おはよう」のあいさつで出迎えてくれた。 「ソーっ」 「起きてたんだ、おはよう、ラッシー」 オレも笑顔であいさつを返す。 もしかしたら、寒さで目が覚めてしまったのかもしれない。 草タイプのラッシーは、寒さと暑さにはとても敏感なんだ。 でも、そんなんでよく眠れたんだろうか……? オレは昨日、夕食を摂った後ですぐ横になって、そのままついさっきまで延々と寝てたわけだけど…… でも、見る限りラッシーはいたって健康そうだ。 やせ我慢が嫌いなラッシーのことだ、大丈夫だろう。 「大丈夫か、動けるか?」 鳥肌が立つ寒さに、思うように動けないんじゃないかと思って声をかけたけど、 「ソーっ!!」 大丈夫だと言わんばかりの声量に、すぐに納得。 「よし、それじゃ行くぜラッシー。 一刻も早く、こんなとこからはオサラバだ」 「フッシー!!」 オレはリュックを背負うと、ラッシーを連れて洞穴を後にした。 「十二時間以上寝てたってことか……よく寝てたな、オレも……」 ひんやり寒い山の獣道を歩きながら、オレはそんなことを考えていた。 昨日の晩からずっと寝てたから、単純に考えて十二時間以上……半日もよく寝ていられたものだと思わずにはいられない。 それくらい疲れてたってことなんだろうけどさ。 つーか、昨日も一日ほど寝てたような……オレ、そんなに寝るの好きってワケじゃないんだけどな。 はあ…… 今どの辺にいるんだろ。 それが分かれば大助かりなんだけど……ポケナビでもそれは調べられない。 地図を見ても、目の前の木々の配置が載ってるわけじゃないし。 高いトコ目指して歩いてきゃ、間違いはないか。 「でも、この時間だと、活動してるポケモンはそう多くないな」 警戒がてら、今の時間帯から襲ってきそうなポケモンを割り出してみる。 ドードリオは『早起き』の特性を持ってるだけあって、早朝から夕方まで活発に行動することが多い。 ギャロップやモンジャラは日中が中心だから、本格的な行動を開始するのはもう少し先になるだろう。 ニューラは夜型のポケモンで、日中にはほとんど活動しない。 となると、警戒すべきはドードリオか。 そういえば昨日のドードリオ、あれからどうなったんだろ。 オレたちを追いかけてくる様子が見られないから、あきらめたんだろう。 今度は別のドードリオに襲われたりして……まあ、それならそれで昨日と同じ戦法で適当にやり過ごすだけさ。 「ラッシー、昨日みたいにポケモンが襲ってきたら、頼むぜ」 警戒するようにと遠回しに声をかけてみると、ラッシーは「ソーっ」と大きな声を返してくれた。 言わなくても分かってるよ、と聞こえたのは気のせい……だろうな。うん、きっとそうだ。 勝手に自己完結し、さらに歩みを進める。 歩き出して十分と経たないうちに、前方に雪が積もっているのが見えた。 中腹を越えたのか……? シロガネ山は中腹から上が万年雪に覆われている。 降り積もる雪のせいか、心なしかさっきよりも冷え込んできてるように思えるんだけど…… 「そ、ソーッ……」 「ラッシー?」 力ない声が聞こえた。 オレは立ち止まり、しゃがみ込んでラッシーの身体に触れた。 ……震えてた。 時折吹き付けてくる冷たい風をモロに浴びて、体温が低下してるんだ。 こんな時、モンスターボールに戻した方がいいんだろうか? くっ……単純なことなのに迷ってる。 トレーナーはポケモンのために頑張らなきゃいけない。 可能な限り傷つけないようにしなきゃいけない。 草タイプのラッシーにとって、この寒さは文字通り身に沁みるはずだ。 「大丈夫か? 無理するなよ、ラッシー」 オレはラッシーの身体をさすりながらそう言いかけ――やめた。 カリンさんが言ってたことをふと思い出したんだ。 ――可能な限りラッシーちゃんと一緒にいること。 それって、今の状況を想定した言葉じゃないだろうか? もちろんオレとしてもできるだけラッシーを外に出したいと思ってる。 でも、寒さに身を震わせているラッシーをこのまま出しておくことが、果たしていいことなのか、悪いことなのか。 今までのオレなら『悪いこと』とすぐに決め付け、モンスターボールに戻してただろう。 でも…… なんでだろう、素直にモンスターボールに戻す気になれない。 ラッシーに対する愛情や信頼が揺らいだとか、そういうわけじゃないんだ。 ただ、トレーナーは時にポケモンに対して心を鬼にしなければならない。 それが今なんじゃないか……今なんだと、そんな声が聴こえるんだよ。 甘えさせるだけが愛情じゃない。そんなの、とっくに知ってる。 敢えて厳しい選択をしなきゃいけないってことも。 優しさだけで乗り切れる修行だなんて、オレはそんなことこれっぽっちも思っちゃいない。 「ラッシー、頑張れるか?」 だから、オレはラッシーに声をかけた。 頑張れるなら頑張らせる。 それもまた、トレーナーとしての責務の一つなんじゃないか……なんとなくだけど、そんな気がする。 ラッシーは身体を震わせながらも、顔を上げて頷いてくれた。 オレのこと、信じてくれてるんだ。 寒いのを我慢して、一緒に歩いてくれるんだ。 だったら、オレもその信頼に応えて、ラッシーをちゃんと連れてかなきゃいけないな。 「ラッシー、行くぜ。もたもたしてる暇はないんだ」 言い放ち、歩き出す。 ラッシーがその傍にピタリとついてくる。 何も言わずに。 ただそれだけのことなのに、ラッシーがオレのことを信じてくれてるって、すごく実感するんだ。 互いに想い合う信頼の絆で、どんな困難をも乗り越える。 それができるって、信じるからこそなんだ。 「後でいくらオレを責めてくれてもいい。今は黙ってついてきてほしい」 でも、後ろめたい気持ちや、罪悪感みたいな感情は拭えない。 なるべく表に出さないように努めながら、オレは胸の中でラッシーに謝った。 降り積もる雪を踏みしめながら進む。 ずっ、と小さな音を立てて、地面に少し沈む雪。凍り付いてないのがせめてもの救いと言わざるを得ない。 もし凍り付いていたら、進むこともできなかったかもしれない。 程よい堅さで、踏んでも滑るようなことはない。 問題は、ラッシーが素足で雪を踏みしめているってことだ。 冷たくて、凍傷を負うかもしれない。 辛い想いをするかもしれない。 それでも……その半分の痛みをオレも背負ってあげられるなら、何も言わないよ。 せめてもの慰めに、オレは言った。 「ラッシー、辛いならいつだって言ってくれていいから。 君を苦しめるつもりだけは、ないんだからさ」 「ソーっ」 ラッシーは首を左右に振るばかり。 意地を張ってるってことくらい、オレにだって分かった。 大丈夫だと言い張ってる。 寒くて辛い想いをしてるけど、それを大っぴらにすることなく、黙って歩き続ける。 そんなラッシーを見て、オレは胸が締め付けられるような想いだった。 「ダメなんだ……ここで戻しちゃ。辛いのはオレも同じなんだから。 最後の最後まで、ラッシーのこと信じるって決めたんだから」 ラッシーがオレを信じて、意地を張っているのに、オレがその気持ちを手折るようなことをしちゃいけない。 お互いに話をする余裕も、少しずつなくなっていった。 登れば登るほどに雪は深くなり、踏みしめた足が膝下スレスレまで埋まってしまうこともあった。 空気も薄くなって、知らず知らずに息が荒くなる。 肩で息をしていると気がついた時には、周囲の木々も雪化粧をしていた。 枝葉は積もった雪が微妙にしなり、そうでない箇所も、かすかに射し込む陽光に反射してキラキラ輝く氷の粒で覆われていた。 これ、もしかして樹氷だろうか……? 実際に見るのは初めてだけど、オレの知識が確かなら、樹氷のある場所はとても寒い…… これは、本気で今日中に登りきらなきゃいけない。 ラッシーはいざとなればモンスターボールに入ってもらえば寒さを凌げるけど、人間であるオレはモンスターボールに入れない。 縦しんば昨日みたく洞穴を見つけられても、焚き火だけで寒さを完璧に凌ぎきることはできないだろう。 寝袋とかもカリンさんに没収されちゃったし、夜を明かす場所によっては本気で凍死することもあり得る。 中腹よりも標高の高い場所まで来たってことだけは確かだ。あと半分弱、一気に登りきってみせる。 ラッシーは蔓の鞭で周囲の雪を薙ぎ払いながら、進路を確保している。 なるほど、器用なもんだ……旅に出る前までは、そんな器用なところをあまり見たことがなかったんで、今でも意外に思うよ。 だって、オレに飛びついてきたり、ハグハグを迫ってきたりと、非の打ち所がないほどの悪ガキっぷりを存分に見せ付けてきたんだから。 でも、だからこそとても力強くて、頼りにできるって思える。 休みも取らずに一時間以上も登り詰めだと、さすがに息も切れてきた。 とはいえ、ここで休んだら、暖まりかけた身体があっという間に冷え切ってしまうだろう。 そうなっては、動くに動けなくなってしまう。 実に辛い状況だけど、一刻も早く脱しなければならない。 ラッシーは泣き言一つ言わずに、黙々と進んでるんだ。 オレがこんなところで先に音をあげてどうする? みっともないところなんて、できるだけ見せたくない。 つまんない意地だけど、張らずにはいられないんだよ。 ラッシーはオレを信じてる。オレもラッシーを信じてる。 だから、弱いところは見せられない。 少なくとも、ラッシーよりも先に立ち止まったりしちゃいけない。 トレーナーはポケモンを導かなきゃいけないんだから。 辛くたって、苦しくたって、ポケモンのために頑張らなきゃいけないんだから。 ちょっと足腰に力を込めて、頂上を目指して一歩ずつ進んで行く。 「今ごろ、ナミやケンジはどうしてるんだろうな……?」 不意に、あいつらのことが頭に浮かぶ。 退屈っていうのも、意外と考え物なんだな…… あいつら、今ごろ何やってんだろう……? ケンジがついてりゃ、ナミは大丈夫だと思うけど。 どこで何をしているのか、なぜか無性に気になる。 大丈夫だって思ってるのに、信じてるのに…… こんなにもナミのことが気になったのは生まれて初めてだったと、キッパリ断言してもいいくらいだ。 今まではずっと、って言ってもいいくらい一緒にいたから、離れた時のことなんて、あんまり考えたことなかったんだよな。 一度、二日くらい離れてたことがあった。 でも、その時は今のような状況とは違ったし、ハルカっていう話し相手もいた。 退屈なんてまったく感じなかった。 今は、ラッシーと二人きりで、シロガネ山踏破という重い目標を背負ってる。 何かを考えずにはいられないのかもしれない。 「なんで気になるのか、オレにも分かんないんだから、まったくワケ分かんねえよ」 理由を探ろうにも、足がかりとなるものがないんだ。 足場のない切り立った崖でロッククライミングするように、どうしようもなくなってきた。 「ナミのヤツ……オレのこと、心配してくれてるんだろうか?」 なんて、都合のいい方に、考えが引っ張られて行く。 一方で、冷静にその考えを見つめてるオレもいたりする。 「ナミはオレの従兄妹だ。それだけさ」 確かにその通りだと思う。 対照的な二人の『オレ』のやり取りを傍観してる……たとえるならそんな感じ。 「ドジでマヌケで、見てたら危なっかしくて手を貸さずにはいられない。 そんだけさ。 妹のように思ってるからって、それだけなんだから」 確かにその通りだと思う。 ナミはオレの従兄妹だ。兄妹じゃない。 手のかかる妹という感じがないわけじゃないけど、従兄妹だって割り切ってるつもりだ。 あいつがどこで何をしてようと、オレには関係ないはずなんだ。 なのに、どうしてこんなに気になるんだ? いくら考えてもその答えが見つからない。 影も形もない。 本当にそんなものが存在してるのかって疑いたくなるくらい、何にも見当たらない。 終わりのない思考を隅から隅まで繰り返していると、視界が拓けた。 ハンマーで粉々にされたガラス窓みたいに、考えがあっさりと瓦解していくのを感じながら目の前の光景に目をやり――オレは足を止めた。 「これって……」 周囲の木々は無造作になぎ倒され、大きな足跡が走り回ったように点々と続いている。 傾斜も今までと比べて穏やかで、ほとんどないと言ってもいいくらいだ。 「そ、ソーっ……」 何か不吉なものでも感じたのか、ラッシーのつぶやきは、どこか怯えているように聞こえた。 この光景、どこかで…… そうだ……昨日見たんだ。 普通のポケモンなら骨の折れることだ。 続けてやるにしても、多少のムラは出てきてしまうだろう。 でも、目の前に横たわる木々を見ていると、一気にやりぬいたっていう感じがして仕方がない。 オレの見間違い……気のせいかもしれないんだけど、その一言で片付けることだけはできなかった。 片付けるな、って声が聴こえるんだよ。 これはきっと何かある…… 「ラッシー、何か感じないか?」 オレはラッシーに話を振った。 オレよりも先に、何かを感じ取っているかもしれない。 すると…… 「ソーっ……」 咆えるような声を前方にぶつけた。 背中から蔓の鞭が伸び、誰かを威嚇しているように見える。 やっぱり、何かがいるんだろうか……? そう思って、つられるように前方を凝視していると…… どしんっ!! どしんっ!! 地響きに似たような音と共に、地面が揺れた。 「これは……」 慌てて周囲に目をやるけど、何も変わった様子はない。 でも、地響きのような音は少しずつ大きくなり、地面の揺れも強くなる。 大きく揺れるほどではないけど、足の裏から雪を伝ってくる衝撃は明らかに大きくなっている。 これほどの衝撃を足音(?)で伝えてくるようなポケモンって一体……ギャロップじゃないのは間違いない。 もっと大型で、強いポケモン…… 頭の中で考えをめぐらせていると、足音の主が姿を現した。 鎧のような立派な身体を持ち、片手で邪魔な木々を薙ぎ払いながら歩いてくるそのポケモンに、オレは思わず悲鳴を上げたくなった。 「バンギラス!? なんでこんなとこに……」 三メートル近い背の高さと、鎧のごとき立派な緑の身体つき。 それだけで相手を威嚇するには十分だろう。 その上、鋭い眼差しまで加わったとなれば、文字通り鬼に金棒というものだろう。 味方になってくれたら、の話だけど。 姿を現したバンギラスの目つきは刃物のように鋭くて、とても友好的とは思えないような雰囲気を全身から発している。 やっぱ、敵って認識を持ってるのかもしんない。オレたちに対して。 バンギラスはアニメとかでよく見る怪獣のモデルと言われているような見た目で、四本足だけど後ろ脚だけで歩くことができる。 左右に揺らすシッポにはトゲのような突起が二本ついていて、丸太のような太さも相まって、トゲトゲの棍棒を思わせる。 よろいポケモンという分類で、ヨーギラスというポケモンの最終進化形だ。 一般的に気性が荒いとされていて、その上周囲をあまり気にしないというふてぶてしい性格だと言われている。 木々を無造作に薙ぎ払ったりすることも、バンギラスにとっては朝飯前のことなんだ。 つまり、犯人はこいつだ。 他のバンギラスだとしても、バンギラスというポケモンの仕業には違いないだろう。 岩と悪という二つのタイプを併せ持ち、物理攻撃、物理防御ともに優れていて、スタミナもトップクラス。 唯一の弱点はあまり足が速くないこと。 タイプで言えば格闘タイプの技にめっぽう弱いけど、ラッシーは格闘タイプの技を使えない。 となると、岩タイプの弱点となる草タイプの技でチビチビと攻めていくしかない。 こいつを倒さないと、先には進めそうにないからな。 「ラッシー、戦って切り抜けるしかない」 オレの言葉にラッシーは頷くと、オレの前に躍り出た。 戦うつもりなんだ。 相手はバンギラス……そう簡単に勝てるような相手じゃない。 でも、戦わなきゃ勝つことはできない。 よし、オレもできるだけラッシーの受けるダメージを少なく抑えて勝利するための方程式を組み立てなきゃいけないな。 「ギラァァァスッ!!」 ラッシーが戦う気満々でいることを察知したのか、バンギラスは張り裂けんばかりの声をあげて、ゆっくりと歩いてきた。 体重がある分、動きは鈍い。 まずは…… 「ラッシー、周囲の雪を薙ぎ払って足場を確保するんだ!!」 ラッシーが自由に動ける環境を作ること。 バンギラスは自身の体重で、降り積もる雪なんてものともせずに迫ってくるんだ。 むしろ、雪が積もってる状態でリスクを被るのはオレたちだけ。 「フッシーっ!!」 ラッシーは頭上に掲げた蔓の鞭を振るい、周囲の雪を払いのける!! たった一発で、ラッシーが自由に動き回っても大丈夫なくらいに地面が露になった。 威嚇になるかと思ったけど、当然なるはずもない。 バンギラスは勢いを落とすどころか、スピードをちょっとずつ上げてくる。 「ラッシー、痺れ粉からマジカルリーフ!!」 まともに戦って勝つのは苦しい。 素早さ以外のあらゆる能力がラッシーを上回っているバンギラスを倒すとなると、短期決戦しかない。 昨日のドードリオと同じように、麻痺させて動けなくなったところでさっさと進むのがベストだ。 まともに戦ってたら、本気で体力が尽きてしまうだろう。 それに、バンギラスはまだ発動させてないけど、『砂起こし』の特性が発動してしまったら、それこそ大変なことになる。 周囲に砂嵐を発生させる特性で、岩、地面、鋼のいずれかのタイプを持たないポケモンは少しずつダメージを受けてしまう。 言うまでもなくラッシーはどのタイプにも該当しないから、知らないうちに大ダメージを受けることになりかねない。 バンギラスが『砂起こし』を発動する前に決めるしかない!! ラッシーはオレの指示通り、キラキラ輝く粉を舞い上げると、すかさずマジカルリーフを発射!! どんな風が吹こうと、その風に負けることなく標的目がけて飛んで行く葉っぱだ。 痺れ粉の中を突き抜けた葉っぱが、何枚もバンギラス目がけて突き進んで行く!! これを食らえば、いかにバンギラスとて、無事ではいられないはず。 そう思ったけど、さすがにまともに食らってくれなかった。 バンギラスは立ち止まると、傍に倒れている木を前脚で軽々と持ち上げて、バットのように振りかざした。 ぶおっ!! 突風が真正面から襲い掛かってきて、オレは危うく吹き飛ばされそうになった。 その風の強さに、バンギラスの膂力がいかほどのものか、その一端を垣間見た気がした。 あの力で繰り出された攻撃を一発でも受けたら、それだけで危ない。 光合成で体力を回復しても追いつくかどうか、結構際どいところだ。 痺れ粉を存分にまぶした葉っぱは、バンギラスが振りかざした木に突き刺さった。 何かに衝突すれば、それで追尾を止めてしまうという一面も持つんだ、マジカルリーフは。 だから、上手に不意を突いて攻撃しないと、当てることは難しいかもしれない。 「さすがに簡単には勝たせてくれないな……」 オレは握り拳に力を込め、奥歯を噛みしめた。 手強い相手ほど燃えるのが性分なんだけど、タイムリミットの設けられた今の状況じゃ、存分に戦い続けることもできない。 何とか適度に切り上げて、先に進まなければ……時間をかけすぎれば、不利になるのはオレたちの方なんだから。 なんとか、突破口を見出さないと…… 胸の中に焦りのようなものが芽生え始めた時、バンギラスが前脚でガッチリつかんだ木を投げつけてきた!! 「あんなん食らったらヤバイっての!!」 オレは慌てて横に飛んで、槍のように一直線に飛んでくる木を避けた。 ラッシーも、さすがにあれをまともに受けるつもりはなかったようで、オレと反対の側に飛んで避わした。 どしーん!! 轟音を立てて、木が地面に叩きつけられる。 まともに食らってたら、下手すりゃ死んでたかも……これは本格的にヤバイ相手かもしれない。 バンギラスにとって今の攻撃は朝飯前のようなものなんだろう。まったく息を切らしていない。 「ラッシー、葉っぱカッターを連発!!」 攻撃の手を休めていては埒が明かない。 オレはラッシーにひたすら攻撃するように指示した。 バンギラスが防ぐかダメージを受けている間に、どうにかして突破口を見出さなければならない。 「フッシーっ!!」 ラッシーは鋭い声を発すると、背中から次々と葉っぱカッターを発射した!! たくさんの花火に一気に着火したように、絶え間なく撃ち出される!! よし、これならさっきのように木を盾にしても、次々と襲い掛かる葉っぱカッターが、木を輪切りにしていく。 いつかは防御しきれなくなって、攻撃を受けるっていう算段だ。 これなら時間稼ぎも意外と簡単にできるかもしれない。 オレは正直なところ、胸をホッと撫で下ろしてた。 もう少し欲を言えば、これで状態異常の粉を乗せることができたら、最高だったんだよな。 一発でも掠れば、それだけで事実上の戦闘不能になる。 でも、今からそれをやると、バンギラスに反撃する隙を与えかねない。 案の定、バンギラスはこれまた手短なところに落ちている木をつかむと、またしてもバットのように振りかざした!! 葉っぱカッターはその風圧に撃ち落とされるものもあったけど、次々と木に突き刺さり、傷を刻み込んでいく。 「ラッシー、怯むな!! 撃って撃って撃ち続けるんだ!!」 攻撃の手を休めてはならない。 バンギラスが持っている木に刻み込まれた小さな傷は亀裂になり、ついには耳障りな音と共に細切れになった!! 「ぐぉっ!?」 まさかただの葉っぱに斬られるとは思っていなかったのか、バンギラスが動揺の声をあげた。 次の瞬間、怒涛の勢いで次々とバンギラスの身体を葉っぱカッターが掠めていく!! 一発一発の威力は低くとも、岩タイプの弱点となる草タイプの技だ。 積もり積もれば、そのダメージは計り知れないものとなる。 スタミナに自信のあるバンギラスでも、怒涛の連打は辛いはずだ。 「グォォォォォッ!!」 悲鳴をあげ、たたらを踏んで後退するバンギラス。 かなりのダメージを受けているな…… あとは、日本晴れからソーラービームの必殺コンボで一気にキメればいいか。 思いのほか順調に行っていることに拍子抜けした感は否めないけど、順調に行っていることは、いいことだ。 この分だと、予定よりも早くカタがつく。 そう踏んで、ラッシーに日本晴れを指示しようとした矢先、バンギラスが吹っ切ったように大きく目を見開いた!! 「ガァァァァッ!!」 裂帛の咆哮をあげて、すぐ傍に落ちている木を拾い上げると、それを携えたままラッシーの方へと駆け出した!! 葉っぱカッターのダメージをものともせずに突っ込んでくるのか!? ただの強がりか、それともヤケを起こしたのか……? バンギラスの憤怒の形相からは、どちらとも読み取れなかった。 ただ、鬼気迫るその表情に、最大の力を発揮してくるであろうことは容易に予想がついた。 「ラッシー、逃げながら日本晴れを発動するんだ!!」 オレの指示に、ラッシーが葉っぱカッターを撃つのを止めた。 攻撃にかまけて、相手の渾身の一撃を避けられなかったら、それこそ本末転倒だ。 ラッシーは大きく飛び退くと、小さく声をあげながら空を仰いだ。 音もなく、木々の間から差し込む陽射しが強くなった。 これで、ソーラービームを発射するための下準備は整った。 あとは、バンギラスの攻撃を掻い潜りながらソーラービームを発射し、一気に大ダメージを与えるのみ。 「ガァァッ!!」 バンギラスが憤怒の形相をそのままに、大きな木を縦横無尽に振りかざしながらラッシーに突進を仕掛けてきた!! 攻撃範囲、めちゃ広いんですけど!! オレは胸のうちでツッコミを入れていた。 というのも、縦横無尽に振り回された木によって、周囲の木々の枝葉がいとも容易く千切れ飛び、宙を舞っていたからだ。 これって遠回しな環境破壊じゃないっすか!? ラッシーは次から次へと襲い来る攻撃を紙一重で避けながら、ソーラービームを発射するチャンスを窺っている。 あとはオレの指示待ちってワケか。 でも、迂闊にソーラービームを発射するのを指示したら、足が止まった瞬間に攻撃を受ける恐れがある。 バンギラスが持っているモノと、それを振りかざす勢いが勢いだけに、一発でも攻撃を食らったら危険だ。 「簡単に行き過ぎてたってワケか……」 経過が順調でも、そこから先も順調とは限らない。 障害はいつでもどこでも、立ち塞がる機会を虎視眈々と狙ってるんだ。 「ガァァッ!!」 何十撃目になるか、それすらも分からないほどの攻撃をバンギラスが繰り出す!! 「そ、ソーッ!?」 その攻撃がラッシーの鼻先を掠める!! うわ、危ねっ!! まともに食らったんじゃないかって、すっごくヒヤヒヤしちゃったけど、ホッとするのも束の間。 すごい勢いで繰り出された攻撃によって生まれた風をまともに受けて、ラッシーがバランスを崩した!! まずい!! バランスを崩したラッシー目がけて、バンギラスの振りかざした木が唸りをあげて迫る!! 「ラッシー、危ない!!」 オレの声に、ラッシーははっとした顔を前方に向けたけど、とてもじゃないけど間に合わない。 体勢を立て直した瞬間に、ラッシーはバットのような角度で迫ってきた木の直撃を受けて、あっさりと吹っ飛ばされた!! 「ラッシー!!」 悲鳴すらあげられずに、近くの木の幹に豪快な音を立てて叩きつけられる!! 今のダメージはバカにならない!! っていうか、下手をすれば戦闘不能モノだ!! オレはバンギラスの攻撃を受けないよう、細心の注意を払いながら、ラッシーの方へ走っていった。 地面に落ちたラッシーはぐったりとして、戦う力が残されていないように見えた。 バンギラスと、バンギラスが振りかざす木が邪魔で、ラッシーをモンスターボールに戻すことができない。 もっと近くに行かなきゃ、捕獲光線も届かないだろう。 「ラッシー、しっかりしろ!!」 持ち堪えられたなら、光合成で一気にダメージを回復することができる。 それを期待するしかないのは、とても辛いところだ。 声をかけてみたけど、ラッシーはピクリとも動かない。 ラッシーにキツイ一発をお見舞いしたことで気が晴れたんだろう。 バンギラスは手に持っていた木を近くに投げ捨てると、勝ち誇ったような足取りで、じわりじわりとラッシーに迫る。 わざとゆっくり歩いてるんだろうけど、その方がありがたかった。 オレはラッシーの傍にたどり着くと、しゃがみ込んでラッシーの状態を確かめた。 身体を撫でながら声をかける。 「ラッシー、大丈夫か……?」 「ソ……ソーっ……」 あんまり大丈夫じゃなさそうな声音だった。 今すぐモンスターボールに戻して、オレ一人でなんとかバンギラスを撒いて先に進むのがベストだ。 でも…… 「ソーっ……」 ラッシーは掠れた声をあげ、ゆっくりと身を起こした。 まだ戦おうってのか……? バンギラスもそれなりにダメージを受けているようだけど、その度合いは比べるまでもない。 ちょっとした攻撃でも受ければそれで戦闘不能確定だ。 バンギラスにとっての『ちょっとした攻撃』ってのがどれほどのものか…… あんまり想像もしたくないんだけども、攻撃の巻き添えってところだろう。 「ラッシー……」 目の前に戦うべき相手がいるのに、その相手に背中を向けたくないってことなんだろう。 状況を弁えない、度を過ぎたプライドだと思うけれど……ラッシーの表情は真剣そのものだった。 「やれるのか?」 「ソーっ……!!」 ラッシーはオレの言葉に頷くと、立ち上がった。 だけど、その足元は覚束ない。ちょっと指でつついただけで倒れ込んでしまいそうだ。 この状況で攻撃の狙いなど定まるんだろうか? でも、やるからにはやるんだろう。 ラッシーのことを疑ってるわけじゃない。むしろ信じてるさ。 だから、ラッシーをモンスターボールに戻すのは後にする。 「なら、任せるよ」 無理だと思ったら、その時はその時だ。有無を言わさずにモンスターボールに戻すだけのこと。 できるだけ……手遅れになる寸前まで、ラッシーに任せてみよう。 ごくりと、唾を飲み下す。 今のラッシーがバンギラスを確実に倒せるとすれば、ソーラービームだけだ。 数を頼みに葉っぱカッター、という余裕はない。 「ラッシー、ソーラービーム一発で決めるんだ。それ以外じゃ、君の身体が保たない」 「ソーっ」 ラッシーは頷くと、背中のつぼみに太陽の光を吸収し始めた。 その速度がいつもよりも遅い……どうやら、身体の具合がよくないと、発射までの時間がかかるらしい。 バンギラスはラッシーが強力な一撃を放とうとしていることを察してか、何かに追い立てられるように足を速めた。 まずい、このペースじゃ間に合わない!! 先に攻撃を食らえばどうなるか。火を見るよりも明らかだ。 ラッシーには避けるだけの、逃げるだけの余裕がないだろう。 だったら……やるべきことは決まっている。 「やるぞ、アカツキ」 オレは自分自身に喝を入れ、足元の石を拾い上げ、バンギラス目がけて投げつけた!! 人の頭ほどはある大きな石だ。 いくらバンギラスでも、これを無視するわけにはいかないだろう。 ラッシーがソーラービームを発射するまでの時間稼ぎをしなきゃいけない。 その手段として選んだのが石だった。 手当たり次第にバンギラスに投げつけるけど、バンギラスはまったく意に介さない。 腹に当たっても、気にする様子もなく歩いてくる。 効いてないのか……!? 振り払いもせず、避けもせず、悠然とした足取りで歩いてくる。 その表情が笑みの形に歪んだように見えた。 「なにやってんだ、こいつは?」とバカにするような表情だったけど、そんなことを気にする余裕なんてなかった。 効いてなくてもいい。 少しでもラッシーから注意を逸らすことができれば、それだけでいいんだ。 その一心で石を投げ続けるオレに、バンギラスがおもむろに丸太のような腕を振るう!! 「あっ……!!」 気がついた時には、バンギラスの腕が目の前に迫っていた。 逃げたらラッシーに当たる…… そうなったら、ソーラービームどころの騒ぎじゃなくなるだろう。 痛いの、ホントは嫌だけど、四の五の言ってられない状況だってのは、認めなきゃいけない。 オレは腕を広げ、ラッシーの前に立ちはだかった。 ラッシーをモンスターボールに戻して、一人で先に進んだところで、バンギラスから逃げ切ることはできないだろう。 なら、戦って勝つしかない。 この攻撃を食らったら、どれだけ痛いんだろう……気のせいか、振り下ろされるバンギラスの腕がスローモーションのように見える。 感覚が鈍ってるからそう見えるだけかもしれないけど……そんなことを考えてみた。 最悪、首の骨を折ったりするんだろうか。 それでも、ラッシーのためなら命くらい懸けてやる!! 戦いの矢面に立つのはいつだってラッシーやみんななんだ。 その痛みの幾許かでも共有できるようにならなきゃ、トレーナーとして一人前なんて言えないだろ!? 「ソ、ソーっ……!?」 ラッシーが悲鳴のような声をあげる。 逃げろと言ってるように聞こえるけど、それは聞けない相談さ。 目の前に立ちはだかってるオレの背中を見て、ラッシーは何を思ってるんだろう? どんな表情をしてるんだろう? オレのことを思ってくれるのなら、逃げないでソーラービームを発射する準備をしててほしい。 後で何を言ってくれてもいいからさ。 「ソーっ!!!!」 一際大きなラッシーの悲鳴が聞こえた。 その瞬間、バンギラスの腕が止まった。オレの目の前……ほんの十センチほどの位置だ。 もう少し止めるのが遅かったら、オレはあっさり吹っ飛ばされていただろう。 文字通り間一髪ってところだったけど、一体どうしたっていうんだ? ラッシーの悲鳴だけで攻撃を止めるほど、バンギラスは気の小さなポケモンじゃないはずだ。 オレは恐る恐る振り返った。 「ラッシー、まさか……」 ラッシーの身体が淡い光に包まれているのを見た。 そういえば……エリカさんがラッシーに関して言っていたことが脳裏を過ぎった。 「もう少しで進化できるかもしれませんね」 もう少しというのがいつか、断定していなかったから、当分先と判断して、いつの間にやら忘れてたんだけど…… まさか、このタイミングで進化するなんて!! 期待に弾む気持ちで、光に包まれたラッシーを見つめる。 少しずつ、その身体が大きくなっていく。 輪郭しか分からないけど、それでも最終進化形に相応しいほどの大きさになった時、身体を包んでいた光が音もなく消えた。 そこに残ったのは、フシギバナに進化を果たしたラッシーだった。 「バーナーッ!!」 密林の王者を名乗るに相応しい、迫力のある声を張り上げ、バンギラスを威嚇するラッシー。 よく通るその声音に、バンギラスがわずかに後ずさりする。 自分よりも小さな相手だけど、迫力に圧倒されてるんだ。 ラッシーの身体は元の二倍……いや、三倍近くに大きくなっていた。 背中からまっすぐに伸びた南国植物を思わせる幹の先端で、色鮮やかな花が咲いている。 フシギダネの時は種だったものが、フシギソウでつぼみになり、そしてフシギバナになって大輪の花を咲かす。 文字通りの進化を果たしたんだ。 「ラッシー……」 「バーナーっ……」 任せとけ。 ラッシーの返事はそんな風に聞こえた。 並々ならぬ自信と風格を漂わせたその声に、オレは安堵にも似たものを覚えずにはいられなかった。 身体が大きくなった分、動きはかなり制約されてしまう。 だけど、それを補ってなお余りあるだけのパワーを身につけたラッシーがオレの前に躍り出た。 ゆったりとした足取りは、しかし一歩一歩がすごい重みを宿していた。 花を含めるとオレよりも背が高くなるけど、それがなくたって十分に大きくなったって分かるんだ。 オレよりも小さかったラッシーが、ほんの十数秒でオレの背丈を追い抜いちゃったんだから。悔しいけど、でも、頼もしいな。 「ラッシー、ソーラービームで決めてやれ!!」 オレはラッシーの迫力に及び腰のバンギラスに人差し指を突きつけて、ラッシーに指示を出した。 ラッシーは進化という形でもって、今までのオレの気持ちに応えてくれた。 なら、オレも今まで以上にラッシーのことを愛してやらなきゃいけない。 それがトレーナーの責任だ。 チャージを途中で止めてただけあって、ラッシーはあっという間に光を吸収し終えて、口を大きく開いた。 「バーナーッ!!」 これでも食らえと言わんばかりに気勢を発し、口から凄まじいビームを放った!! これがフシギバナの実力……!? 今までのソーラービームとは段違いの威力に、オレは本気でぐうの音も出なかった。 凄まじい威力を持っているソーラービームから逃れようと、バンギラスは慌てて身体の向きを変えた。 ……だけど、とても間に合うはずもなく、ビームの先端がどでっ腹に突き刺さる!! どぉんっ!! 耳を劈く爆音に、オレは思わず目を閉じて耳も塞いだ。 直後に強い風が吹きつけてきた。 身体を切り裂かんばかりの強い風はとても冷たく、その風に乗って砂や小石が飛んできては身体をパチパチと叩く。 痛いものは痛いんだけど、オレはフシギソウとフシギバナの実力の違いを存分に見せ付けられたような気分でいた。 今までのラッシーが束になってやっと対等に渡り合えるほどの威力だったんだ。 多少相性が悪くても、これだけの威力のソーラービーム一発で沈められるポケモンもかなり多いだろう。 これで、エースの座をルースやルーシーから一気に奪取することができたってワケだ。 文字通りの大躍進。 いくらバンギラスでも、これだけのソーラービームを食らってはひとたまりもないはずだ。 風が収まったのを見計らって、オレは恐る恐る目を開いた。 眼前の光景に、耳を塞いでいた手をどける。 バンギラスは仰向けに倒れ、気を失っていた。 そりゃ、あんだけのソーラービームを食らって無事でいるポケモンなんて、そう多くない。 親父のリザードンやゲンガーといったトップクラスのポケモンならともかく……ジムリーダーのポケモンだって一撃で倒せるのかもしれない。 その証拠に、バンギラスの周囲の地面は深さ数センチまで抉り取られたようになっていて、その外周に沿うような形で、木々がなぎ倒されていた。 「ラッシー、すごいよ、君は!!」 勝負を制したのはオレたちだと理解できた瞬間、オレはうれしさのあまり、ラッシーに抱きついていた。 自分でもなんでこんなにハジケちゃったんだろうと、後になって恥ずかしくなった。 それでも、その時ばかりはあふれ出る喜びを止めることができなかった。 「バーナーっ……」 ラッシーは抱きついてきたオレを、笑顔で受け入れてくれた。 ソーラービームに必要な光を吸収したこともあって、ラッシーの身体はポカポカと暖かかった。 「やっぱり、君がオレの一番のパートナーなんだよ!!」 最初にゲットしたポケモンだから、触れ合った時間も一番長い。 それだけ目に見えない信頼の絆を深めたんだ。 だから、最終進化形(フシギバナ)に進化してくれた。 オレがラッシーのことを信じ続けたように、ラッシーもオレのことを信じ続けてくれた。 だから、進化という結果を迎えることができたんじゃないかって思う。 今この時ほど、ラッシーとの絆が深いと感じたことはなかった。 海よりも深く、鋼よりも強固な絆があれば、この先どんなことがあってもくじけずに歩いていけそうな気がするんだ。 「ラッシー、これからもよろしく。 頼りないトコ、きっとたくさんあるけれど……」 差し出した手に、ラッシーは背中から伸ばした蔓の鞭をそっと乗せてくれた。 進化しても大きさはあまり変わらないけど、これはラッシーの武器であり、コミュニケーションの手段でもあるんだ。 「バーナーっ……」 ラッシーは笑みを深めた。 身体は大きくなったけど、内面はまったく変わってない。無邪気で人懐っこいんだ。 ガーネットはヒトカゲからリザードに進化して、バトルが好きな性格になった。 リザードっていう種族自体が好戦的だってことが一番大きいんだろうけどさ。 オレの知る限りだと、フシギダネ、フシギソウ、フシギバナはあまり好戦的じゃない。 だから、進化を経ても性格はまったく変わらないんだ。 「バーナー、バーナー……」 むしろ磨きがかかってるかもしれない。 ラッシーは楽しそうな声を発しながら、蔓の鞭を何本も伸ばしてオレの身体をパチパチと叩き始めたんだ。 「痛てっ、こらラッシー!! 頼むからやめ……痛てっ!!」 じゃれてるつもりでも、結構痛かったりするんだな。 オレは口でこそ怒ったけど、笑うしかなかったよ。 ラッシーにあからさまな悪意なんてまったく感じられないから、本気で叱りつける気にはなれなかったんだ。 今までは飛びかかってきたりしてたけど、ここまで身体が大きくなると、それも難しいんだろう。 飛びつく代わりに、蔓の鞭によるコミュニケーションを発達させたに違いない。 うれしいような気がするし……半面、当分は過激なコミュニケーションにこっそり涙しなきゃいけないのかもしれない。 オレはラッシーの蔓の鞭から逃れるように身体の向きを変えた。 と、真正面に倒れたバンギラスに目を留める。 葉っぱカッターでダメージを受けていたとはいえ、ソーラービーム一発で倒してしまうんだから。 並のポケモンならまとめて倒せるかもしれない。 本当ならここでモンスターボールを投げて、すかさずゲット!! ……ってところなんだけど、予備のモンスターボールを没収されているせいで、それも夢に終わりそうだ。 バンギラスほどのポケモンをゲットできたら、それこそ戦力の底上げどころの騒ぎじゃ済まない。 素早さ以外の能力がトップクラスのポケモンだけに、ゲットできないということが無性に悔しくて仕方ない。 思いっきり地団駄踏みたいところなんだけど、それをしたら余計に惨めに思えてくるから、ここはグッと我慢のしどころさ。 いずれ機会があれば、その時は正々堂々バトルを挑んでゲットしてやればいい。 「バーナー……」 ラッシーが不安げな声をあげた。 大丈夫かなあ……? 仰向けに倒れて動かないバンギラスのことを心配してるんだろう。 敵だった相手の心配をするんだから、ラッシーも進化と共に度量が大きくなったってことか。 それならそれで歓迎すべきことかな……? でも、倒れているとはいえ、主(ヌシ)とも言えるバンギラスを襲おうなんてポケモンはいないだろう。 放っておいても大丈夫。 自然と気がついて、元の暮らしに戻ることだろう。 オレはそう判断して、 「ラッシー、行こう。じいちゃんがこの先で待ってるぜ」 「バーナーっ……」 ラッシーを連れて先へ進むことにした。 少し進むと、膝下まで簡単に沈みそうなほど雪が積もってたけど、ラッシーが足場を確保してくれた。 進化して、器用さも増したようだ。 周囲への影響も最小限に留めている。 実際のバトルでもこれはかなり役立つ。 周囲に被害を及ぼすような戦い方っていうのは、力の無駄遣いがないってことだ。 だから、気を配る必要はあるけれど、無駄な力を使わずに戦う術が、相手が強ければ強いほど必要となってくる。 その前段ということで、これからの活躍にますます期待が持てるよ。 進化したラッシーの風格と迫力が幸いしてか、そこから先、野生ポケモンが襲い掛かってくることはなかった。 雪が降り積もるような寒い場所で暮らせるポケモンがいないってこともあるだろう。 おかげさまで、雪の重みで倒れ込んだ木が邪魔して、それをどかすのに手こずったってこと以外は、順調に進むことができた。 太陽が西に傾いてしばらく経って、オレたちはようやくシロガネ山の山頂にたどり着いた。 円形のステージを思わせる平べったい山頂には、雪は積もっていなかった。 燦々と降り注ぐ陽射しを遮るものが何もないせいで、雪はあっという間に溶けてしまうんだ。 そして、殺風景な山頂のちょうど真ん中に、じいちゃんが立っていた。 オレを出迎えるかのように、傍らのカイリューともどもこちらを見ている。 その顔に、満足げな笑みが浮かんでいるように見えた。 光の加減でこういう風に見えてくるんだろうか…… そう思い、オレはじいちゃんの十メートルほど手前で足を止めた。 「ほう、ラッシーがたくましく進化したものじゃ」 「ああ……ラッシーが頑張ってくれたからさ」 じいちゃんの感嘆のつぶやきに、オレはラッシーの方を向いた。 ちょうどラッシーと目が合って、お互いに小さく笑みを浮かべる。 「どうじゃ? このシロガネ山を登ってきた気分は」 「気分って……」 投げかけられた言葉に、オレはじいちゃんに向き直ったけど、すぐには答えられなかった。 答えられるようなものじゃないだろ、気分はどうだ、なんて…… 達成感はあるけど、そこから先――むしろここがスタートラインだっていう感じだから、充実感とはまた違うような気がする。 先に立つのはやっぱり、 「大変だった。できれば二度と登りたくない」っていう想いだった。 もう少し心にゆとりが持てるようになったら、その時はもう一度自分を見つめ直すのに登ってみるのもいいかもしれない。 まあ、ここ数年はノーサンキューって感じだよな。 でも、この修行の機会を提供してくれたじいちゃんにそんなことを言うのは、さすがに気が引けた。 これでも、じいちゃんとカリンさんにはとても感謝してるんだ。 ラッシー以外のみんなと一緒だったら簡単になるのは間違いないし、大変な苦労もせずに、楽しくハイキングできただろう。 でも、それじゃラッシーはきっと進化することはできなかった。 オレとラッシーの二人きりだったからこそ、お互いの重要性を再認識することができたんだ。 なんと答えようか口ごもっているオレに、じいちゃんが文言を変えて再び質問を投げかけてきた。 「シロガネ山を登って、おまえは自分がとても大きくなった…… 強く変われたように思えるかな?」 「よく分かんない」 今回は即答できた。 ノーっていう方に。 オレの答えを聞いて、じいちゃんは神妙な面持ちで眉根を寄せた。 なぜかカイリューもそれに倣う。 このカイリュー、じいちゃんの方に懐いてるのかもしれない。 「よく分からない、とは?」 さすがに今の一言には納得できなかったのか、より突っ込んだ答えを求めてくるじいちゃん。 「オレ、自分のことなのによく分からないんだ。 たった一日だし、自分で強くなったかなんて分からない。 オレとラッシーの間の絆がとても深いってことを確認しただけだし…… オレ自身が変わったかどうかなんて、本当に分からないよ」 そう答えるしかなかった。 本当に、オレはこの一日で……シロガネ山をラッシーと二人で登ってきただけで強くなれたんだろうか? トレーナーとして、成長できたんだろうか? むしろ、成長したのはラッシーの方だし……オレが大きくなったのかなんて、そんなのは分からない。 自分のことは自分が一番知ってるって、今まではずっとそう思ってた。 でも、今回シロガネ山を登ってみて、それが百八十度変わってしまった。 自分が今回の修行以前と変わったのかどうか……よく分からないんだ。 「それで良いのじゃ」 「え……?」 じいちゃんは口元に笑みを浮かべた。 唖然としているオレに、優しく言葉を投げかけてくれた。 「それが『成長』なんじゃよ。 自分のことは自分が一番よく知っている……それは単なる思い上がりに過ぎん。 自分で自分を理解した気になっているだけで、本当は何も分かっておらんのじゃ。 じゃが、今のおまえは自分というものを直に見つめることができるようになった。 間に色眼鏡を通さず、ありのままの自分を見つめられるようになったのじゃ。 そこにはどんな思いあがりも、強がりも存在せん。 自分のことを満足に見られないような人間が、自らのパートナーとなるポケモンのすべてをちゃんと見てやれるはずがない。 今回のシロガネ山登頂は、おまえに、おまえ自身を見つめなおしてもらいたかったから提案したんじゃよ」 「そうだったんだ……」 ずいぶん難しい表現使われたような気がしたけど、じいちゃんが何を言いたいのかは手に取るように分かった。 『自分のことは自分が一番よく知ってる』っていうのは、自分なんだから当然だって言う思い上がりがあったんだ。 いつの間にか、ありのままの自分を見つめるっていうことを忘れていたのかもしれない。 『自分のこと』と、色眼鏡を通して見た自分自身の姿がありのままであるはずがない。 なんとなく、分かった気がする。 ラッシーのことを今までよりもずっと素直に見つめることができる。信じることができる。 今までは、間に何か板切れのようなものが挟まってたような気がするんだ。 今だからこそ、それが分かる。 じいちゃんは、それを成長だと言ってくれた。 自分じゃ成長してないつもりでも、見る人が見れば、ちゃんと成長したねって言ってくれるものなんだ。 「さて、見事ここまでやってきたおまえに、最後の試練を与えよう」 「最後って……まだあるの?」 「うむ……本当は止めにしようかと思っておるんじゃが、ショウゴに勝ちたいと思うなら、受けて立つが良い」 驚くオレを尻目に、じいちゃんはいけしゃあしゃあと言うと、白衣のポケットからモンスターボールを取り出してみせた。 「モンスターボール……って、まさか!!」 オレは声がカラカラに渇くのを感じずにはいられなかった。 じいちゃんの口元に浮かぶ笑み。 一体何を思っているのだろう……? 「バーナー……」 ラッシーが低い唸り声を上げる。 じいちゃんが何をしようとしているのか、分かったんだろう。 「わしのポケモンが使う技を見事自分のものとすること…… それがわしの、トレーナーとしてのおまえに対する最初で最後のプレゼントじゃ」 妙に淋しそうな口調で言うと、手にしたモンスターボールを放り投げた。 地面に当たってバウンドした直後、ボールの口が開き、中からポケモンが飛び出してきた。 「……フシギバナ!? じいちゃんのフシギバナなのか!?」 「そうじゃ」 ボールの中から飛び出してきたのはフシギバナだった。 ただし、ラッシーよりも一回り大きく、雰囲気も含めれば倍以上のボリュームはあるかもしれない。 進化したてのラッシーよりもあらゆる面で優れているようにすら感じられる。 強敵だと、頭の中にレッドランプが点灯し、激しい警笛が鳴り響く。 「フシギバナには、わしからは何も指示せん。 フシギバナ自身の考えに従って戦ってもらう」 ジム戦のルール説明でもしているような口調で、じいちゃんが言った。 「勝ち負けは特に指定せん。ラッシーが負けたからといってペナルティを課すつもりはないんじゃよ。 じゃが、おまえとラッシーは力を合わせて、わしのフシギバナが使う『ある技』を盗み取るのじゃ」 「盗み取るって……ドーブルのスケッチみたいに、技そのものをコピーしろってことじゃないよな?」 じいちゃんの言葉にオレが思いついたのは、ドーブルというポケモンが使う『スケッチ』という技だった。 『スケッチ』は、使う直前に相手が出した技を、ドーブル自身も使えるようになるという、ドーブルだけが使える技なんだ。 でも、ドーブル自体の戦闘能力はそんなに高くないから、威力の高い技をコピーされてもそんなに脅威じゃないんだけどね。 でも、今回はそういうわけじゃないらしい。 大工さんとか、職人気質の親方が弟子によく言う言葉……『技術は教わるものではなく、盗むものだ』。 まさかじいちゃんに言われるとは思わなかったけどさ。 何も言わないオレに、じいちゃんが問いかけてくる。 「どうしたんじゃ? よもや、怖気づいたということはないじゃろう?」 「当たり前だろ。今までにないタイプの展開だから、ちょっと戸惑ってただけさ」 なんて語気を強めて返したものの、どうやってその技を盗めと言うんだか……ハッキリ言って、いきなり途方に暮れてたりする。 わざわざ『ある技』という表現を用いたんだ、オレの知らない……当然、ラッシーにも使えない技と見ていいだろう。 言い換えれば、それだけ今のオレたちに必要な技かもしれないってことだ。 何が何でも、じいちゃんのフシギバナが使う『ある技』をラッシーにも習得させなければ。 実戦形式の方が飲み込みが早いから、じいちゃんはわざわざフシギバナ同士で戦わせることを選んだんだ。 じいちゃんの想いも、無駄にはできない。 「ラッシー、できるか?」 オレはやる気でいるけれど、ラッシーはどうだろう。 そう思って訊ねてみると、ラッシーはオレの前に躍り出た。 それが答えだった。 できる――やってみせるという、強い決意がその背中から確かに伝わってくる。 なら、これ以上待つ必要もない。 「じいちゃん、やってくれ」 「分かった。フシギバナ、おまえの考えるとおりに戦うのじゃ。 そして、ハードプラントを必ず一度は使うように」 「ハードプラント……?」 聞き慣れない技に眉をひそめていると、じいちゃんのフシギバナは背中から蔓の鞭を伸ばし、ラッシー目がけて振りかざしてきた!! ……って、問答無用かよ!! 答えを知りたければ戦え――フシギバナの鋭い眼差しは、オレたちにそう告げていた。 ハードプラント……それが『ある技』の名前なんだろう。 フシギバナがオレたちの知らない技を使ってきたら、それがハードプラントって技だと思えばいいんだ。 フシギバナがハードプラントを使う瞬間を見逃さないように、こっちも全力で戦って行かなければならない。 「ラッシー、こっちも蔓の鞭で応戦だ!!」 オレはバトルの巻き添えを食らわないように下がると、ラッシーに指示を出した。 「バーナーっ!!」 雄たけびと共に、ラッシーも蔓の鞭を伸ばした。 両者の蔓の鞭がパチパチと激しい音を立ててぶつかる!! 牽制し合っているように、ぶつかっては距離を取り、またぶつかるを繰り返す。 自分の意志で自在に操ることができる蔓の鞭だからこそ、相手の鞭に巻き付ければそれだけ有利になると考えたんだろう。 でも、このままじゃ埒が明かない。 お互いにそれを狙っているのなら、文字通りイタチごっこを繰り返すばかり。 その上、フシギバナは自分の考えで戦ってるんだ。 いつどんな技を出してくるのか、予想するのはほぼ不可能。 トレーナーが考えて指示を出すのなら、その時の状況によってどんな技を出すのか、ある程度は予測できるけど。 ポケモン自身が考えるんだから、とてもじゃないけどその考えを読むことなんてできないんだ。 だから、確実に先手を打って相手の行動の幅を可能な限り狭めて、次の一手を読みやすくする状況を作り出すことが必要だ。 じいちゃんは腕を組み、真剣な眼差しを向けてきている。 オレたちがハードプラントって技をモノにできるかどうか、じっくり確かめようっていう趣向だ。 オレの知らない技なんだから、それ相応の威力を誇るんだろう。 そんな技を使えるじいちゃんのフシギバナって一体……? そんな疑問は丸めてゴミ箱に投げ捨てて、今は目の前のバトルに集中しなければ。 「ラッシー、痺れ粉からマジカルリーフ!!」 オレはタイミングを見計らい、ラッシーに指示を出した。 蔓の鞭がぶつかり合った直後に、ラッシーがキラキラ輝く粉を舞い上げ、続いて二枚の葉っぱを発射した!! 葉っぱは痺れ粉の中を突っ切って、緩やかなカーブを描きながらフシギバナへ向かって突き進む!! ハードプラントが強力な技なら、フシギバナがピンチになれば必ず使ってくるはずだ。 一発逆転を狙うなら、威力の高い技を使うだろう。 こっちから攻撃を仕掛け、ハードプラントを使わざるを得ない状況を作り出すまでさ。 ただ、フシギバナの特性は『深緑』。 ピンチになると草タイプの技の威力がアップする特性だ。 こっちも相手も同じフシギバナである以上、その特性は諸刃の剣として作用する。 これをどういう風に使って行くか……これもカギになるんだろう。 まずはこの痺れ粉とマジカルリーフのコンボだ。これが決まれば、フシギバナは身動きが取れなくなって窮地に立たされる。 そうなれば、ハードプラントを使わざるを得ないはずだ。 そう考えたんだけど、そこはさすがにじいちゃんのフシギバナ。そう簡単に決めさせてはくれなかった。 「バーナーっ!!」 ラッシーよりもさらに低く、迫力のある声を発すると、目の前に淡い緑に輝くカーテンが出現した!! ――神秘の守り……!! そんな技まで使ってくるのか……!! ラッシーが発射した痺れ粉つきの葉っぱは、緑のカーテンを易々と突き抜け、フシギバナの身体を掠めた!! でも、痺れ粉は緑のカーテンによって取り除かれてしまった。 神秘の守り……一時的に状態異常の技を受け付けなくする効果を持つ防御技だ。 痺れ粉とマジカルリーフの複合技は、神秘の守りによって痺れ粉だけ取り除かれる。 そして、ただのマジカルリーフとしてフシギバナにヒットする結果となった。 もちろん、一発食らった程度じゃ、フシギバナにとってはダメージなんかないに等しい。 「さすがに一筋縄で行くような相手じゃないか……」 状態異常コンボを封じられたとなると、こちらの打つ手も限られてくる。 草と毒タイプを併せ持つフシギバナには、得意とする草タイプの技も効果的なダメージを与えにくい。 実質、状態異常の技と草タイプの攻撃技は封じられてるような状態だ。 まるで、ラッシーを鏡に映した相手と戦っているような気にされられる。 いや、実際そんなもんだろう。 「ラッシーが使える技はぜんぶ覚えてると見た方がいいな……」 オレの知らない技を使えるフシギバナだ、ラッシーの使える技はぜんぶ使ってくると見て間違いない。 「どうする……? ソーラービームでもそんなにダメージは期待できない。状態異常コンボも通じない。 打つ手は非常に限られてしまってる……この窮地をどう切り抜ける、アカツキ?」 八方塞の状況……袋小路に追い詰められたような気がして、オレは自分自身に問いかけた。 どうにかしてこの窮地を脱け出さなければならない。 余裕のつもりか、オレが考えをめぐらせている間も、フシギバナはこっちを睨みつけてくるばかりで、攻撃を仕掛けてこない。 まさか、オレと同じことを考えてるわけじゃないと思うんだけどな…… ハードプラントって技で一気に決めてこないところを見ると、様子見の段階ってところか。 「せめて、一発でもハードプラントを使ってきてくれたら、何とかなると思うんだけど……」 見たことも聞いたこともない技を指示したところで、とても使えるとは思えない。 どうにかして、一発でも使ってくるように仕向けることができれば…… 何らかの対策を見出そうとしていると、突然フシギバナが口を大きく開き、いかにも毒々しい紫のボールを放ってきた!! 「ヘドロ爆弾か……!!」 ラッシーめがけて一直線に飛んでくるヘドロ爆弾に、オレは舌打ちした。 進化して全体的な能力の底上げを行ったラッシーだけど、素早さだけは下がってるんだ。 とても避けられるとは思えない。 ならば…… 「ラッシー、蔓の鞭で地面をなぎ払え!!」 こうするしか方法がない。 ラッシーがオレの言いたいことを、正確に理解してくれたら、ヘドロ爆弾を防ぐことができるはずだ。 たった一言の指示だけど、そこにはトレーナーの考えが隠されている。 相手にバレないように、それでいてパートナーには必ず伝わるようにしなければならない。 指示の仕方一つ取っても、実に奥深いものと思い知らされる。 ラッシーは言われたとおり、蔓の鞭を振りかざして目の前の地面をなぎ払う!! ばこんっ!! 蔓の鞭に打たれた衝撃で、その周囲の地面に亀裂が入り、続く二本目の鞭がその部分の地面を持ち上げ、弾き飛ばす!! 完璧だ…… ラッシーはオレの指示を完璧に理解し、オレの望むとおりの結果を導き出した。 それだけで、今まで頑張ってきたことが報われたような気がしたよ。 蔓の鞭が弾き飛ばした、人の顔ほどの大きさの地面は飛来してきたヘドロ爆弾とぶつかり、ボロボロに砕け散った。 無論、ヘドロ爆弾もただでは済まなかった。 中身が周囲に撒き散らされ、毒々しい色の飛沫が広範囲に飛び散った。 ヘドロ爆弾は、毒タイプの技で、何かにぶつかった時点で爆弾のように破裂して周囲に毒の飛沫を撒き散らす。 威力があり、かなり高い確率で相手に毒を与えられることから、毒タイプのポケモンには必須と言ってもいい技なんだ。 でも、毒タイプを持つラッシーには追加効果の毒は通用しない。 まあ、食らうと痛いから、一応撃退させてもらったけど…… ヘドロ爆弾まで飛び出してきたところを見ると、本当に覚えられるだけ覚えさせてるって感じがするんだよな。 「アカツキよ。 ハードプラントがどんなものか、おまえは見てみなければ対抗のしようがないと思っているんじゃろう」 出し抜けにじいちゃんがボソリと言ってきた。 うきゅ…… 澄ました顔見せつけてるってのに、じいちゃんはオレの思ってることが手に取るように分かってるんだろう。 「そうだよ」 オレは素直に頷いた。 ラッシーはヘドロ爆弾を使えない。 使えるものなら今すぐ使ってフシギバナにダメージを与えてるところさ。 日本晴れ&ソーラービームのコンボ。 各種状態異常の粉&葉っぱカッター(あるいはマジカルリーフ)。 そういったコンボで倒せる相手が多いから覚えさせてなかったんだけど、それが仇になったってワケだ。 だからといって、為す術がないと一方的に思い込んで、指をくわえて黙って見てるわけにもいかない。 「ならば、見せてやろう。 そして、自分自身の力で、つかみ取ってみるがいい。 ハードプラントは、自分の力を大地に注ぎ、大地を活性化させて相手を攻撃する技じゃ。 一発放つと、破壊光線と同じでエネルギーチャージに時間が必要となるが……口で言うより、実際に体感した方が早いじゃろ。 フシギバナ、ハードプラントじゃ」 ……って、いきなり実演っすか!? でも、それだったらなんで今まで戦わせてたんだか……意味が分かんなくて呆然としていると、フシギバナが動いた。 「バーナーっ……!!」 低く唸るような声を上げ、背中から伸ばした二本の蔓の鞭を地面に打ち込んだ!! 一体どういう原理で発動するんだ? じいちゃんの言葉はあまりに難しくてよく分かんなかったけど……まあ、確かに口で言うより実際に技を見た方が早いだろう。 「ラッシー、気をつけろ!!」 オレはラッシーに警戒するようにしか言えなかった。 何があっても落ち着いて対処できるよう、オレ自身も落ち着かなければ…… と思った矢先、ゴゴゴゴ……と地鳴りにも似た音が周囲に轟き始める。 これは……? 「バーナーっ!!」 フシギバナの裂帛の気合が地鳴りと重なった瞬間、ラッシーの身体があっさりと宙を舞った。 「……!?」 さっきまでラッシーがいた場所に、樹齢数百年を優に超えるような太い幹の木が突き立っている。 これがハードプラント……!? ラッシーが地面に叩きつけられ、オレはやっと我に返った。 「ラッシー、大丈夫か!?」 声をかけると、ラッシーはゆっくりと立ち上がり、頭を左右に振った。 その動きはどこかぎこちない。 ……そういえば、進化する前にバンギラスから結構攻撃受けてたんだっけ。 進化で能力が底上げされたからといって、ダメージが回復するわけじゃない。 今の一撃で、結構体力的にもきつくなってきたんだろう。 ラッシーは緩慢な動作でフシギバナに向き直る。 今のがハードプラント……とんでもない威力だ。 百キロ近いラッシーの身体を易々と宙に投げ飛ばすほどの勢いを持った攻撃。 普通のポケモンが食らったら一撃で戦闘不能になるだろう。 これは何がなんでもゲットしなくちゃ!! すごい威力に背筋が震えそうになりながらも、オレはこの技を自分のモノにしなければならないという強い気持ちに燃えていた。 この技なら、親父のリザードンに対抗できる。 「さて、一度やってみると良い。 わしのフシギバナは、エネルギーチャージで攻撃できんからな。 その間にできなければ、もう一度食らうことになる。 無論、そうなればラッシーは耐え切れんじゃろう」 「く……」 じいちゃんの言葉に、オレは歯を食いしばった。 次にあの攻撃を受ければ、今のラッシーじゃ耐えられないだろう。 フシギバナがエネルギーチャージを終えるまでの間に、一発でも放たなければならない。 時限爆弾という重圧が一気にのしかかってくるけど、そんなものに負けられない。 「ラッシー、やるぞ!!」 「バーナーっ……!!」 オレの言葉に、ラッシーが大きく頷く。 ラッシーも、やられっぱなしじゃ気分が悪いんだろう。 まあ、理由はどうあれやる気になってくれたんだから、これ以上に心強いことはないよ。 オレはラッシーに指示を出す前に、ハードプラントについてじいちゃんから聞いたことを一つ一つ思い返した。 確か、自分の力を大地に注ぎ込んで、それで活性化した大地の力で相手を攻撃するとか何とか…… 言葉じゃよく分かんないけど、フシギバナと同じようなことをすれば、多分ラッシーにも使えるはずだ。 一発食らっただけで完全に再現することは難しいだろうけど、それでも使えないよりはずっとマシなはずだ。 「行くぞラッシー、ハードプラントっ!!」 オレはフシギバナを指差し、ラッシーに指示を出した。 ラッシーが、さっきフシギバナがやって見せたのと同じように、蔓の鞭を左右にそれぞれ一本ずつ地面に打ち込んだ!! そこから先は何をやってるんだか、見た目には分かんないんだけど、自分の力を大地に注いでるんだろう……たぶん。 自分の力を大地に注いで、それから……どうやって大地を活性化するんだろ? そこんとこの理屈が分かんないから、全貌がハッキリしないんだけどな。 この修行が終わったら、じいちゃんからじっくり聞き出してみるのもいいかもしれない。 なんてことを考えながら事態の推移を待っていると、フシギバナの真下の地面がかすかに動いた。 次の瞬間―― ごごんっ!! すごい音と共に地面から巨木の幹が生え、フシギバナの身体を宙に投げ出していた。 やった、ラッシーにも使えた!! オレは歓喜に打ち震えた。 これで親父に対抗できる……勝てるかもしれないんだ、今度こそ本当に!! いつになくハイになる気持ちに水を差すように、じいちゃんが宙を舞うフシギバナをモンスターボールに戻した。 「お見事じゃ。さすがはラッシー、一度見ただけでこれほどの威力を生み出すことができるとは思わなんだ」 フシギバナのモンスターボールを白衣のポケットにしまい込むと、じいちゃんは満足げに微笑みながら言った。 そっか……じいちゃん、ラッシーがハードプラントを使えると分かって、これ以上の戦いは無意味と判断したんだ。 やっぱ、引き際まで完全に心得てる。 「じいちゃんのおかげだよ。 じいちゃんがヒントを出してくれなかったら、ラッシーでもこんな風に使えたかどうかは分からない」 とはいえ、一番頑張ったのはラッシーだ。 フシギバナがやっていたことをちゃんと見てた。 力を注いでるところなんか、見るだけで分かるんだろうかと思ったけど、それは人間の鈍い感覚がそう思わせていただけだ。 ラッシーはちゃんと感じ取っていたんだろう。 「しかし、まだ粗削りなのは否めん」 じいちゃんは肩をすくめた。 「完全じゃないって……あれでまだ不完全だっての?」 オレは信じられない気持ちで、思わず声をあげてしまった。 目の前には、ラッシーが生み出した巨木の幹が斜めに突き立っている。 瞬時に屹立した幹は、クレヨンのように先端が丸みを帯びているけど、フシギバナを軽々と投げ出すほどのスピードで屹立したんだ。 よっぽど素早いポケモンでも、そう簡単には避けられるものじゃない。 それでも不完全だって言うんだから、もしもこれが完全だったらどんな威力になるっていうんだろう? オレには想像もつかない。 「アカツキ。 この不完全なハードプラントではショウゴに勝つことはできんじゃろう。 おまえが今までに培ってきた知識で、より威力を高めることじゃ」 「これでも親父には勝てない……」 じいちゃんが何気ない口調で言った言葉が、刃物のようにオレの心に突き刺さった。 不完全でも、威力だけならソーラービームを軽く上回るハードプラント。 これですら親父には勝てないって? 冗談だろ――と言いかけて、思いとどまる。 じいちゃんにそんなことを言ったって何にもならない。 じいちゃんは冗談で言ったわけじゃないんだ。 親父のポケモンは強い。 確かに、ハードプラントを覚えたからといって、それだけで勝てるような相手じゃないんだ。 なんで、そんなことを忘れていたんだろう……舞い上がっていたオレ自身を、とても恥ずかしく思った。 吹き付けてきた風が、とても冷たい。 「今のおまえにならできるはずじゃ。 わしは……おまえにできんことを口にしたことはない。今までも、そしてこれからも」 「……ああ、当然だ」 じいちゃんを落胆させたくなくて、オレは軽口を叩いてみせた。 でも、それは本当のことなんだ。 じいちゃんはできないようなことを口にしたりしない。 オレだって、ナミだって、シゲルだって。サトシだって同じだ。 できないようなことを『頑張れ』の言葉に任せて、無責任に口に出したりはしない。 厳しい言葉でも、その裏には思いやりが見え隠れする。 だから、頑張ろうと思えるのかもしれない。 「ラッシー、オレたちにならできるはずだ」 「バーナーっ……」 ラッシーはゆっくりと振り返り、頷いた。 ハードプラントを放ったせいで、恐ろしく疲労している……今までのダメージと重なって、結構辛そうに見える。 「ラッシー、大丈夫か!?」 オレは慌てて駆け寄ったけど、ラッシーは当然弱音なんか吐かなかった。 精一杯強がって見せるけど、それがかえって痛々しく思えてならない。 「大丈夫。すぐにポケモンセンターに連れてってやるから。 すぐに回復させるから。だから、今はゆっくり休んでてくれ」 オレはモンスターボールを手に取り、ラッシーを引き戻した。 「じいちゃん、もう修行は終わりなんだろ? だったら、早くトキワシティに戻ってラッシーを回復したいんだ」 「いいじゃろう。おまえは見事に試練を乗り越えた。 さあ、カイリューに乗るが良い」 じいちゃんの言葉を受けて、カイリューは身を屈めた。 オレは一秒のためらいもなくその背に乗った。 続いてじいちゃんが乗ったのを確認して、カイリューは翼を広げて浮き上がった。 すぐに方向転換して、南東へ――トキワシティへと向かって飛び立つ。 「ラッシー……今度こそ、絶対に勝つんだ。オレたちの夢を、オレたち自身の手で守るんだ」 オレはラッシーのモンスターボールを見やり、心の中で言葉を投げかけた。 To Be Continued…