カントー編Final それぞれの道へ 〜There's not your dream in the road where I walk〜 マサラタウンに戻ったオレは、いつものようにじいちゃんの研究所に朝から入り浸って、膨大な研究資料の山を読み耽っていた。 すぐ傍では、小さな活字の軍隊の相手をするのに飽きたナミが机に突っ伏して寝息を立てている。 やれやれ…… これで何冊目になるか。 たぶん両手の指の数は超えただろう。 ちょうど一冊を丸々読み終えたところで、オレはナミに目をやった。 そうやって寝るくらいなら、ここに来なければいいのに……そんなことを言いたくなる。 けれど、最初のうちは熱心に小さな活字と格闘してたんだ。 真剣な目つきで研究資料を睨みつけてたんだけど、ものの三十分と保たずにあっさり眠ってしまう。 熱意が空回りしたような結末に、呆れを通り越して、喜劇的にすら思えてくるんだ。 「だいたい、このあたりのポケモンは調べつくしたんだよな……」 机の上に積み上げられた研究資料の背表紙を指でなぞりながら、ため息混じりにつぶやく。 大半はポケモンの生態や心理学に関するものだ。 じいちゃんと親父が何年もかけてまとめ上げた論文で、研究の成果を絵や図を用いて的確に表現してる。 ポケモンの生態については、カントー、ジョウトの二つの地方に棲息するポケモンならあらかた頭の中にインプットされてる。 心理学はそのポケモンの個性とも言える部分だから、一体一体異なってて然るべきなんで、あんま興味はないんだよな。 たとえば、一般的に好戦的と言われてるガラガラ。 だけど、オレのリンリはとってもおとなしくて、攻撃を受けてからじゃないと反撃しないようなタイプなんだ。 ポケモンの性格という言い方もできるだろう。 だから、あんまり興味は湧いてこない。 一般論と形骸化して、一方的なモノの見方をしたくないんだ。 カントー、ジョウトの二つの地方に棲息しているポケモンは、合計で約230種類。 その中には、伝説とか幻とかいう冠のつくポケモンは含まれていない。 カントーで言うならサンダー、ファイヤー、フリーザーの三体の鳥ポケモン。 ジョウト地方ならエンテイ、スイクン、ライコウや、海の神と言われているルギア、虹色の翼を持つという神秘の鳥ホウオウ。 実際にその姿を目撃した人はいても、ゲットした人まではいない。 だから、外見こそ絵や写真として知られていても、その生態や生活習慣まで知っている人はいないってことなんだ。 言い伝えとして現代に残っている話はあるけれど、それが本当なのか証明する術が皆無に等しい。 まあ、研究者たちは彼らの生態をつかむべく日々奮闘してたりする。 実際にゲットするのが無理なら、その足跡をたどって、推測を重ねて真実に近づこうとする。 「オレはそういうことする気はないけど……やっぱ、知りたいって気持ちはあるんだよな」 オレはナミを起こさないよう静かに席を立ち、自分で持ってきた資料を元あった場所に一冊ずつ戻した。 この数日で、一つの本棚に納められた百冊近い資料を読破したんだけど、あんまり収入……というか収穫があったとは思えない。 オレの頭の中にある知識をなぞってるだけのような気がして、なんだか物足りないんだ。 「カントーリーグまであと八ヶ月を切ったし、やるべきことはたくさんあるんだろうけど……」 窓の外に目をやる。 ラッシーや他のみんなが楽しそうに輪になって遊んでいるのが見える。 この数日で、みんなも息抜きができたと思う。 充電期間としては十分なくらいの時間だけど、さて、これから何をしよう。 やるべきことはたくさんあるんだけど、だからこそどれから手をつけていいのか、どうにもよく分からない。 今までのオレだったら、何かに急かされているように、何であろうとさっさとやってしまうんだろうけど…… 今のオレは、落ち着きが出てきたみたいで、一通り考えてから進もう、みたいな感じになってたりする。 それも、親父とちゃんと仲直りしたという事実が一番大きいんじゃないかと思う。 いろいろとあったけど、オレは親父とちゃんと仲直りすることができた。 オレは相手を親父として接することができてるけど、みんなはそうもいかないらしく、敵意にも似た眼差しを向けていることが多い。 特に、ラッシーなんかそれが顕著だ。 今までオレがいろいろと傷つく場面を見てきて、怒りを共有してきたんだから、無理もない。 親父とオレが仲直りしたからと言って、そう簡単に今までの感情を捨て去ることができないんだ。 まあ、そこんとこはオレも粘り強く交渉していくとして、あとは時間が解決してくれるのを待つのがベターだろう。 当面の心配事もないものだから、ノンビリ過ごそうという気持ちが強い。 「カントーリーグに向けて、そろそろ始動するかな」 カントーリーグの開催は十二月の中旬。 オレとしても、まさか旅立って一ヶ月少々でカントーリーグ出場に必要な八つのバッジを集め終えるとは予想していなかった。 余った八ヶ月近い時間をどういう風に過ごして行けばいいのか、分からない部分も大きいんだ。 そりゃ、カントーリーグの大舞台で通用する戦術を練ったり、ポケモンを強く育てたりするのは当たり前のことだけどさ。 ……それだけでいいのかなって思うんだ。 まだ何か、やるべきことがあるんじゃないかって思うんだ。 漠然としていて、何かは分からないけど……でも、やらなきゃいけないことはある。 目の前にあって、オレが踏み出すのを待っている。 そんな感じだよ。 「むにゅぅ……んんっ?」 ……と、出し抜けにナミの声が聞こえ、振り向いた。 ナミは、ゆっくりと身体を起こして、背伸びをして欠伸を欠いていた。 よく寝たんだろうな。まったく、羨ましいことで。 なんて思っていると、ナミはガックリと肩を落とした。 「ありゃりゃ……また眠っちゃった……結構面白かったのに……」 「それって集中力が足りないってことじゃないのか?」 「むぅ……」 オレの言葉に、ナミはふてくされたように頬を膨らませた。 好きなことは、集中力なんてなくても長続きする。 でも、苦手なことや取り組み始めたばかりのことは、集中力がなきゃ続かない。 ナミにとって、読書とは未知の領域なんだろう。 集中力を維持しようと思ってるんだろうけど、最終的には睡魔に負けてしまう。 別にそれが悪いと言ってるわけじゃない。 睡魔ってのは身体が発するシグナルだ。 それに無理に逆らう方が悪いに決まってる。 ただ、もう少し頑張って欲しかったなと思う。 「あれからどれくらい経ったの?」 「壁の時計見てみれば?」 「げ……」 オレの言葉どおりに壁際の時計に目をやるナミ。 直後、女の子とは思えない下品な声と共に、凍りついたように動きを止める。 もう四時近い。太陽も西に傾いてきて、もうすぐ山の稜線に沈む頃だ。 ナミはかれこれ一時間以上は寝てたな。 正確な時間はオレもよく分かんないけど、最後から二冊目を読み始めたあたりから寝てたから、それくらいは優に経ってるだろう。 ま、それを口にするのはカワイソウだから、適当な言葉でごまかしとくとするさ。 「うーん……アカツキ、あんなに高く積み上げた資料の山、ぜんぶ読んじゃったの?」 「まあな。あんまり収穫があったとは言えないけど、それなりに暇つぶしにはなったな」 ナミの質問に答え、オレは肩をすくめた。 暇つぶしか……自分なりに、なかなか上手い表現だと思わずにはいられない。 もちろん暇つぶし以上の意味はあると思ってるけど、暇つぶしという言葉以上にピッタリな表現が見当たらなかったんだ。 「オレ、そろそろ帰るけど。ナミはどうするんだ?」 「あたしも帰る」 「そっか。じゃ、片付けなきゃな」 オレはナミの目の前にある資料を持って、棚に戻した。 意気込んで五冊も持ってきたのに、一冊目の途中でリタイアだ。 初日は三十ページも読めなかったんだから、格段の進歩と言えないこともないか。 まあ、継続は力なりっていう言葉もあることだし、頑張れば一冊読破することもできるようになるさ。 気長に行こうぜ、と胸中でナミにエールを贈った。 「あれ、片付けてくれたの?」 「ああ。おまえに任せてたんじゃ、ヘンなところに片付けるかもしれないし。寝起きでボケてるだろ」 「うーん、うれしいような悲しいような……ま、いっか」 ナミは三秒くらい頭を抱えて唸ってたけど、何事もなかったような顔をして笑った。 立ち直りの早いヤツだと思わずにはいられない。これが『ナミらしさ』なんだから、ケチはつけられない。 オレは窓を開けて、外で遊んでいるラッシーたちに声をかけた。 「ラッシー、みんな、帰るぞ〜」 すると、ラッシーが先頭になって、ぞろぞろと一列で歩き出すみんな。 研究所の入り口で合流することになってるんだ。 妙に人間くささを感じるけど、それも個性だから、敢えて口出しはしない。 ××だから、と型に填めて物事を考えるのは好きじゃない。 自分が填められてイヤだって思うから、他の誰にもそんなことはしない。それだけさ。 「オレたちも行くとしようぜ」 「うんっ」 オレの言葉にナミはうれしそうに頷くと、恋人のつもりか、腕を絡めてきた。 本人はじゃれ付いてるつもりなんだろうけど、これって他人に見られると恥ずかしいんだよな〜。 それも、じいちゃんやナナミ姉ちゃんに見られたらなおさらだ。 何とかして引き離さないと。 そう思いながら部屋を出たところで、一番見られたくない人に見られた。 「お、親父……」 「あ、おじちゃん。こんなところで逢うなんて奇遇だね」 「ああ、奇遇だな」 ナミの笑顔に当てられたように、親父も笑みを浮かべた。 ナミのような純粋な笑顔ならまだしも、親父ったら、絶対にこの状況を楽しんでるだろ。 オレがうろたえてるのも含めて。 あー、これだから始末悪ぃんだよ。 どぉにかしてこのピンチを切り抜けないと……オレは必死に考えをめぐらせた。 その間にも、ナミはオレの腕をぶらりぶらりと前に後ろに揺さぶりながら、楽しそうに親父と会話してたりする。 うげぇ、ナミに任せてたら埒明かねぇ。 「しかし驚いたな。アカツキ、おまえはモテモテだな。うらやましいことだ」 「あのなあ……そういうんじゃなくて……」 親父の言葉を、オレは頭から否定して、後頭部を掻いた。 あー、なんて言えばいいんだか……モテモテだとか、そういうことじゃないだろうに。 だって、オレとナミは別に恋人でもフィアンセでもない。 従兄妹っていう関係なんだ。 そりゃまあ、ちょっとだけ兄妹に近いところはあるかもしれないけど、従兄妹っていう大前提がついてるんだから大差ないか。 「ただの従兄妹か?」 「まあ、そういうもんだ」 「ええっ?」 親父の問いに頷くオレに不満げな声をあげてくるナミ。 いよいよ腕を大きく揺さぶってきた。 「あたし、アカツキのことお兄ちゃんみたいに思ってるのにぃ。アカツキはあたしのこと従兄妹としか思ってないの?」 「あのなあ……」 親父とナミというダブルパンチを食らって、オレは本気でペースを狂わされていた。 ナミだけでも手に余ってるのに、親父まで加わったんだから、本気でどうにかしなきゃと考えてしまう。 どう答えたらいいものか。こういうシーン、なんか苦手なんだよなぁ。 思うような答えが見つからずに四苦八苦していると、親父が助け舟(?)を出してくれた。 「まあ、それは後で訊いてみればいい。俺がいると、アカツキも遠慮するだろうからな」 「うん、そうするね」 「ヲイ……」 助け舟どころか、追及を先延ばしにしてるだけじゃん。 全ッ然、助ける気ねえよな…… 「で……」 こんなことは一刻も早く忘れてしまいたいという一心で、オレは親父に話を振った。 「何か用があるから、こんなところまで来たんだろ」 「まあな」 薄笑いを浮かべながら頷く親父。 だいたい、ここはじいちゃんや親父が溜めまくった研究資料が山積みになってる場所だ。 中には分厚いホコリをかぶってるような資料だってあるくらいだ。 わざわざこんなところに来るんだから、それなりの用があるってことだ。 偶然通りかかるような場所じゃないし。 「そろそろ帰る頃だろうと思ってな」 「迎えに来たってことか?」 「まあ、そうなる」 曖昧な受け答えをする親父。 素直に「そうだ。おまえを迎えに来た。一緒に帰ろう」って言えないのか? オレは胸中でヤキモキしていた。 だって、あんたはオレの親父だろ。それくらい言ったって罰は当たらないだろ。 そう思う反面、親父としてもオレに面と向かってそういうことを言えないんだろう。 オレは今でこそ親父のことを『親父』として受け入れることができるけど、ちょっと前までは悪鬼のように思ってたんだ。 そう思われるようなことをして、心が痛まなかったわけがない。 親父なりに葛藤とか苦しみとかを抱えてたに違いない。 だから、心の底から笑って接することができないんだろう。 大人って、不器用だから。 「そっか。それじゃ帰ろうぜ。母さんも待ってるだろうし」 「じゃあ、途中まで一緒だね」 「ああ……」 オレは頷き、歩き出した。 腕を絡めたままナミがついてくる。 半歩遅れて親父も歩き出した。 じいちゃんのいない研究所は明かりの消えた街のように静かで、虚しいほど広く感じられた。 じいちゃんは一昨日から、学会に出席するためにタマムシシティに赴いている。 出発前に学会のプログラムを見せてもらったんだけど、これがまあ内容の濃いテーマでビッシリ。 その上、日程は一週間という、超すし詰め状態。 研究者が火花を散らすという、ある意味戦争真っ只中にいて、じいちゃんは大丈夫なんだろうか? 結構トシだから、心配なんだよなあ…… 結構張り切ってたけど、下手に興奮しすぎなきゃいいな。 じいちゃんの仕事を引き受けているのが親父とナナミ姉ちゃんだ。 もっとも、親父は完璧にじいちゃんの代わりを務めていて、ナナミ姉ちゃんはたまにその手伝いをする程度だけど。 「静かだけど、誰もいないのか?」 「ああ。ナナミとケンジはポケモンの健康状態の調査に出ている」 やれやれ、大変だなあ…… 人気のない研究所の廊下を歩きながら、オレはため息を漏らした。 ナナミ姉ちゃんもケンジも、年に数回のポケモンの健康調査できりきり舞いなんだよな。 定期的に健康調査を行うんだけど、なにぶん敷地内のポケモンの数が多い。 一週間に一回くらいの割合で、一日かけて敷地内に繰り出している。 あー、そういやそんな時期だったっけか。 他愛のない会話を交わすうち、研究所のドアをくぐって外に出る。 「バーナーっ……」 「ピッキーっ!!」 外に出たオレたちを迎えてくれたのは、オレの大切な仲間たちだった。 みんな一様に、待ちくたびれたと言わんばかりの表情を見せていた。 あー、親父とちょっと話してたから、みんなを待たせてたんだったな。 「ごめん、待たせたな。それじゃ、帰ろうぜ」 オレはみんなの頭を順番に撫でると、親指を立てた。 歩き出したオレの傍にピタリと寄りそうみんな。 ナミは相変わらず腕を絡んだままで絶好のポジションを手放そうとしない。 親父も、何歩か遅れてついてくる。 みんな、親父に対していい気持ちを持ってるわけじゃないんだよな……こればかりはオレでもどうにもならない。 少しずつ打ち解けてってもらうしかない。 今は我慢してくれ、と親父に向かって胸中でつぶやく。 「リッピー、楽しく遊べたか?」 楽しいことでもあったのか、いつにも増してキレのある踊りを披露しながら歩くリッピーに話しかける。 「ピッキーっ!!」 元気よく頷いてくれた。 みんなと遊ぶのがとても楽しいらしい。 ラズリーやルースもニコニコしている。 リンリは相変わらず無表情だけど、腕を大きく振っているところを見ると、楽しい時間を過ごせたようだ。 これ以上の息抜きはないだろう。 敷地内のポケモンとも仲良くなれたようだし、今までのバトルでささくれ立ってた気持ちも、丸くなっただろう。 「あーあ、あたしのガーネットもリザードンに進化したらいいのになあ……」 ナミがオレの身体越しにラッシーを見やり、羨ましそうにつぶやいた。 ガーネットはまだリザードだ。リザードンには進化していない。 だから、大きくて王者の風格漂うラッシーのことが羨ましいんだろう。 ラッシーは照れくさそうな顔で、ナミから視線を逸らした。 やれやれ…… ナミのヤツ、分かってねえなあ……そう思いつつ、言葉をかけてやる。 「何言ってんだよ。リザードだろうがリザードンだろうが、ガーネットはガーネットなんだからいいじゃないか」 「うー、そりゃそうだけどぉ……」 オレの言葉に、ナミは不満げに唸った。 オレはポケモンの姿形になんかこだわったりはしないな。 フシギバナだろうとカメックスだろうと、ラッシーはラッシーなんだから。 それ以外の何が必要だって言うんだか。 ナミだって、ホントは分かってるはずなんだけど、やっぱり進化して欲しいっていう願望があるんだろう。 まあ、進化すればポケモンは強くなる。言い換えれば頼もしくなる。 ナミの気持ちも分かんないことはないんだけど、肝心なところだけは見失わないでいてほしいな。 「やっぱりぃ、進化するとたくましくなるじゃない。 ガーネットにもそういう風になってもらいたいなあって思ってるわけ」 「まあ、オレとしてもラッシーが進化してくれて良かったと思ってるよ。 なに、おまえがちゃんと頑張ってればガーネットだっておまえの期待に応えてくれるって。 なあ、親父?」 「その通りだ」 振り返って話を振ると、親父は小さく頷いた。 「ホント?」 「ああ、本当だとも」 ナミはようやくオレの腕から離れると、期待に瞳を輝かせ、親父に擦り寄った。 これで自由になれた……家に戻ってからも絡みつかれたままじゃどうしようかと本気で思ってたから、何気に気分になった。 親父はナミに擦り寄られて驚いていたけど、すぐに何事もなかったかのように咳払いをして、 「ポケモンはトレーナーからの信頼を受けると、普段以上の実力を発揮するものだ。 その中には進化も含まれているんだ。だから、頑張ればポケモンはちゃんと応えてくれる」 「へえ……じゃあ、カントーリーグが始まるまでにはリザードンに進化してくれるかな?」 期待に声を弾ませるナミ。 「さあ、どうかな」 おどけるような口調で親父が返す。 さあ、どうかなって……わざわざそんな風に言わなくてもいいだろう。 そう思ったけど、親父はちゃんとした言葉を継ぎ足してきた。 「それはナミしだいだな。君が頑張れば、ガーネットも頑張ろうという気になるさ」 「よ〜し、あたしも頑張らなきゃねっ!!」 ナミは「うおおおおおっ」なんて声(奇声?)を発すると、握り拳を振り上げて走り出した。 頭、おかしくなったのか? そう思ったけど、何も言わなかった。 今に始まったことじゃないし……気にするほどのことじゃないだろ。 「……こんな性格だったか?」 「さあ……」 親父はなぜか躊躇いがちに訊ねてきた。 まあ、ナミだからな。驚くほどのことじゃないだろ。 ミもフタもない言い方をすれば、 「ナミだからねぇ、なんでもありでしょ」 ……ってことで。 ナミは途中までそうやって声をあげながら意気込んでいた。 「頑張るぞ〜っ」とか「カントーリーグ優勝〜」とか、夕陽に向かって叫んでた。 まるでどこぞのスポ根アニメを連想させるけど、ヘンな声音がそのシーンを台無しにしてしまっている。 どこかで勿体ないと思ってるオレも、ちょっとだけおかしくなったのかもしれない。 町中に入って人の姿がちらほらと見え始めると、ナミはおとなしくなった。恥ずかしいって思ったんだろう。 メインストリートに入って、道が幾多にも分れてきたあたりで、 「それじゃあアカツキ。また明日ね」 「ああ。じゃあな」 ナミは手を振ると、自分の家のある方へ走り出した。 家でノンビリくつろいでいる……もとい、アキヒトおじさんに可愛がられているガーネットたちが気になったんだろう。 すごいスピードで走っていった。 暮れなずむ町の中を、オレたちはゆっくりと我が家へと向かって歩いていた。 ナミの姿はあっという間に曲がり角の向こうに消えた。 「旅をして、ナミも変わったな」 「まあな」 親父の言葉に、オレは小さく笑った。 ナミはオレよりも変わったよ。 どうしようもないガキだって思ってたけど、とんでもない。 ちゃんと人の気持ちを理解できる大人になってたんだ。 むしろ、オレの方がどうしようもないガキだったみたいな…… まあ、今のオレはナミになんか負けちゃいないんだけどな。 「ところで、アカツキ」 「なに?」 親父が、さっきまでナミが死守したポジションに立った。 邪魔者は消えた……と言わんばかりだけど、まあ、それは仕方がない。 オレだって、親父との距離を少しでも近づけたいと思ってるから、何も言わないさ。 「これからどうするつもりだ?」 「これから?」 「そうだ。カントーリーグに出るんだろう。だったら、ノンビリしている暇はないはずだが?」 「まあ、そりゃそうだよな」 急かすような言葉に、オレは小さく頷いた。 カントーリーグまで八ヶ月を切った。 残った時間が『十分』か『たったそれだけ』か、どちらに受け取るかは、参加するトレーナーしだいだけど、オレとしてはどちらとも受け取ってるんだ。 大舞台で通用する技を覚えさせるには十分な時間だし、本気で優勝を目指すためにみんなをみっちり鍛え上げるのには時間が足りない。 一長一短なのは否めないけど、限られた時間の中でできることをひとつひとつやっていくしかない。 「充電期間としては十分過ごしたんじゃないかと思ってる。 出場するからにはもちろん目指すは優勝だから、みんなをみっちり鍛え上げなきゃいけないってのも分かってるつもりさ。 でも……カントー地方のポケモンは知り尽くしたし、かといってジョウト地方に足を伸ばす気にもなれないんだ」 「道理だな」 「ああ……」 カントー地方とジョウト地方のポケモンは知り尽くしている。 使えそうな技から、そのポケモンに合わせた対策まで、頭の中では完成しているんだ。 だから、みっちり鍛え上げると言っても、それだけじゃ何かが足りないような気がするんだよ。 道の先に、母さんの待つ家が見えてきた。 「ならば、新しい地方へ行ってみたらどうだ?」 「新しい地方?」 「そうだ」 なんか、新鮮な響きだった。 心躍るようなドキドキ感が胸に芽生える。 「おまえにだって、知らないポケモンはいるはずだ。 彼らのことを調べながらみんなを育ててゆくのも、いいことだと思うがな。 もちろん、そうするかしないかはおまえ次第だが」 オレの知らないポケモン……もちろん、カントーとジョウトだけがすべてじゃない。 世界は広くて、オレの知らないポケモンがまだまだたくさんいるんだ。 たとえば、ホウエン地方。 数ヶ月前にサトシが旅立った、オレンジ諸島のさらに南に位置する地方だ。 ホウエン本島と呼ばれる一番大きな島を中心に、周囲の無数の小さな島を含めた地方。 サトシはホウエンリーグに出るんだって意気込んでたっけ。 それに、ハルカやセイジ、ミツルがホウエン地方からやってきたんだよな。 ラグラージやフライゴン、マッスグマといった、オレの知らないポケモンたちがたくさん棲息してるんだ。 それに、カントー地方の北部には、ニビシティからハナダシティにかけて東西に連なる山脈を越えた先には別の地方。 確か、ネイゼル地方って言ったか。 他の地方と違って、地方や街の名前が外国語なんだけど、外国人が入植した影響なんだとか。 そこにも、カントーやジョウトには棲息してないポケモンがいるらしい。 「オレの知らないポケモンがたくさんいるんだよな……」 行ってみようかな……漠然とそんな気持ちが芽生えた。 土を押し退けて生え出る新芽のような気持ちだ。 カントーやジョウトでも、それなりにポケモンを鍛えることはできる。 そう、ただ鍛えるだけならば。 カントーリーグでは、ホウエン地方や、また別の地方のポケモンを使ってくるトレーナーがいないとも限らない。 彼らのポケモンのことを知らなければ……どんな戦い方をしてくるかも、どんな技を使ってくるのかも分からなければ、手の打ちようがない。 他の地方で、他のポケモンたちのことを知るのは、言うまでもなくオレにとってプラスになる。 マイナスなんて、とても考えられないさ。 親父に背中を押されてるような気がしないわけじゃないけど、最終的に決断を下すのはオレ自身だ。 背中を押してくれたって、飛び出すか飛び出さないかを決めるのは自分自身の心ひとつだから。 今晩、じっくり考えてみよう。 それだけが選択肢じゃないはずだからさ。 「なあ、親父……」 「うん?」 「親父はどうしてトキワジムのジムリーダーを引き受けたんだ? いろいろと忙しいんじゃないのか?」 「さあ、どうしてだろうな……」 「あのなあ……」 答えをはぐらかす親父。 答えたくない、という風には見えない。 目も口元も笑ってて、わざとそうしてるってのが丸分かりだ。 あと数十歩で玄関をくぐる、といった微妙な距離になった時に、親父はポツリ答えた。 「トレーナーとして、おまえと戦える場所が欲しかったのかもしれないな」 「え?」 トレーナーとして、って……? オレは親父の言葉に耳を疑ったよ。 だって、そうだろ? 親父は元トレーナー……っていうか今もトレーナーだけど、ポケモンを持てば誰もがポケモントレーナーになれるんだ。 研究者だって、警察官だって、弁護士だって、裁判官だって、スチュワーデスだって同じさ。 だから、親父の言葉の意味が分からなかったんだ。 一体何を意図してそんなこと言ったんだろう……? 考えながら歩みを進め、とうとう家に着いてしまった。 母さんの手前、話しづらいなあと思っていると、親父は扉を押し開きながら答えてくれた。 「純粋に、親子としての感情を抜きにして戦える場所として、ジムが一番相応しいと思っていただけかもしれん」 「……そっか」 オレはその答えに満足したわけじゃないけど、それ以上は深く突っ込まなかった。 親子としての感情を抜きにして戦える場所か。 なんとなく、その意味が分かったような気がした。 普通の場所なら、どうしても親子としての情が芽生えてしまう。 だけど、リーグバッジを賭けたジム戦なら、情なんか必要ないって。 親父がオレとトレーナーとして戦いたかったというのが、本当の気持ちだってことは理解できる。 「みんな、戻っててくれ」 オレはみんなをモンスターボールに戻した。 玄関をくぐってリビングに行くと、母さんが笑顔で迎えてくれた。 「あら。お帰りなさい」 くるりと一回転して、エプロンのフリルが花びらのように揺れた。 母さんにはいろいろと心配かけちまったよなあ…… 食卓に並ぶ、腕によりをかけて作った料理を眺めながら、オレはそんなことを思った。 親父と仲違いしてた頃、母さんは一人で苦労してた。 親父の肩を持つことが多い母さんのことを、きつい言葉で非難したりもした。 だけど、今になって思えばそれは間違い以外のなんでもなかった。 母さんに八つ当たりしたからって何の解決にもならないことくらい、分かってたのにさ。 世界で誰より愛している親父を、血を分けた息子が憎んでいる。 母親として、妻として、それがどれくらい辛く苦しいことか。 母さんの気持ちのすべてまではとても理解してあげられないけれど、自分自身に置き換えれば、幾許かは理解できるんだ。 母さんと同じ立場になれば、オレだって辛いと思うから。 だから、オレと親父が仲直りして、普通の親子として接しているのを見て、母さんはとてもうれしそうなんだ。 ごく当たり前な親子関係を取り戻すのに、無意味に時間を費やしてたんだな、オレたち。 でも、だからこそこれからは無意味な時間を埋めるくらい、親子として過ごしていきたいと思ってるんだ。 一家団欒のひとときは、まさにその絶好の機会なんじゃないかって思う。 円形のテーブルを囲む三脚の椅子。 廊下に一番近い椅子に腰を下ろす。親父は向かって右側に座った。 立ち昇る湯気から漂う香ばしいにおいに気をよくしたのか、親父が目を細めた。 大皿にスパゲティが山盛りに盛られていて、ミートソースが程よく絡んで、とても美味しそうだ。 テーブルに並んでいるのは洋風の料理ばかり。 真ん中に空いたスペースに、母さんが最後の一品を置いた。 「うわ……」 真っ白な海に牛肉やニンジンやジャガイモが浮かんでいるその一品はシチューだった。 母さんはエプロンを脱ぐと近くに放り投げて、席に就いた。 「今日も腕によりをかけて作ったわよ」 「いつもそれだな。まあ、美味しいから文句は言わないが……」 母さんの気合の入ったセリフに、親父が冷ややかにツッコミを入れる。 「まあ、あなたったら……相変わらず辛口ね。だけど、今日は甘口の味付けになってるわよ」 シャレなんか交えながら、母さんが笑う。 ちょっと前までは、こんな光景、想像すらできなかった。 ナンセンスだって、現実にはありえないんだって思ってたから。 でも、それが今は当たり前のように目の前にある。手を伸ばせばいつだってつかみ取れる。 「どうしたの、アカツキ?」 二人のやり取りをじっと見ていたオレに、母さんが言葉を投げかける。 心なしか、その口調は喜びに弾んでいた。 「なんでもない」 「ウソ」 「ホントになんでもないってば」 「じゃあ、そういうことにしてあげるわね」 「うー……」 なんでもないように装って言ったつもりが、母さんにはちゃんと見抜かれていたらしい。 まあ、母親だし、それくらいは当然なんだけど……取り付く島もないってのはこういうことを言うんだなって思ったよ。 息子をからかってそんなに面白いんだろうか。 大真面目にそう訊ねたら、母さんのことだからイエスと答えるんだろう。 お茶目というか、なんというか……まあ、どうでもいいけど。 「それじゃあ、たんと召し上がれっ」 「いただきま〜す」 「頂こう……」 一家団欒の夕食が幕を開けた。 まずはスパゲティだ。 大皿に大盛りになっている一角をパンばさみで強引にもぎ取って小皿に移し変える。 スプーンでクルクル巻いて、口に運ぶ。 スパゲティは、口の中でちょっと力を加えるだけであっさりと千切れて、じわじわと味が染み出てくるような感じがとても良かった。 パスタとミートソースの旨みが微妙な加減でマッチして、なんともいえない味わいになる。 自然と、表情が綻ぶ。人間、美味いモノを食べると、誰だって表情が柔らかくなるものなんだ。 「やっぱり、母さんの手料理が一番だよ」 「うむ……そうだな。やはり、シンプルなものが一番だ。ホテルの食事はあまり口に合わないからな」 口々に褒め称えると、母さんはさらに笑みを深めて、左手を口元に添えた。 「いやだわ、もう……褒め過ぎよ」 なんて言ってるけど、まんざらじゃないんだろう。 でも、褒め過ぎだなんて思ってないよ。ホントに母さんの料理は美味しいんだから。 ポケモンセンターのバイキング料理もそれなりに美味しかったけど、やっぱり母さんの手料理には敵わない。 オレや親父の好きな味付けを誰よりもよく知ってるから、好みの味付けにしてくれるってことが一番大きいんだろう。 小皿のスパゲティをあっという間に平らげ、次はシチューだ。 ほの甘い湯気に鼻を近づけて、存分ににおいを堪能しながら、別の小皿に装う。 スプーンに一口大の大きさにカットされたジャガイモとスープを乗せて口元に運ぶ。 ジャガイモは口の中に入った途端にとろけて、音もなく形が崩れた。 それなのに、アツアツのジャガイモ特有のホクホク感が損なわれてないってのが母さんの高等テクの為せるワザってヤツなんだろう。 めくるめく母さんの料理ワールドを堪能しているオレを、母さんと親父が揃ってじっと見つめている。 それに気づいたのは、シチューの一口目を飲み干して、二口目を口元に運んだ時だった。 「な、なんだよ……」 手を止め、母さんと親父の顔を交互に見つめる。 「いや、旅に出たとはいえ、おまえはやはり俺たちの息子だなと、そう思っただけだ」 「そうよ。ちょっとは大きくなったみたいだけど、やっぱり変わってないのよねえ……」 「……それって、成長してないって意味?」 「それは違うな」 思わず突き返した言葉を、親父は受け取らなかった。 虚空に落書きするようにスプーンをくるくると回して、こんなことを言った。 「親の前では、子供はいくら歳をとっても子供だということだ」 「あ、そう……そーゆーこと……」 親子関係は死ぬまで続くんだって言いたいわけね。 ちょっと前までのオレは金輪際お断りだって、着信拒否状態だったんだろうけど、今はそういうのも悪くない。 それどころか、そういう関係でいたいと思ってるよ。 優しく包み込むだけが、危険から守ることだけが愛情じゃない。 親父はそれを教えてくれた。 オレはそんな親父にどうやったら報いてやれるのだろう? 親父のやり方すべてに納得したわけじゃない。 やりすぎだろうと思ってる部分だってちゃんと残ってる。 それを踏まえたうえで、オレは親父を超えなきゃいけない。 トレーナーとしても、人間としても。 一通り考えたところで、オレはシチューを口に含んだ。 親父はしばらくトレーナーから遠のいていたとはいえ、実力はぜんぜん衰えていなかった。 今のオレじゃ、本気の親父に勝つことはできないだろう。 トキワシティで戦った時だって、親父は本気の本気までヴォルテージを上げてなかった。 今だからこそ分かるんだ。 オレの『覚悟』を見るための戦い。 だから、わざわざ本気まで出す必要はなかった。 ちょっと悔しいけれど、あの時のオレに、親父を本気にするほどの力はなかったってことだ。 それは認めなければならない。 「いつかは本気になった親父を倒さなきゃいけない時がくる。 それまでにオレがやらなきゃいけないことは……」 柔らかくなったニンジンと牛肉を噛みながら、シンキングタイム続行。 「いろんなポケモンのことを、もっと詳しく知ることなんじゃないか……?」 なんとなくそう思った。 カントー、ジョウト地方に住むポケモンだけがすべてじゃない。 ホウエン地方や他の地方には、オレの知らないポケモンがまだごまんといるんだ。 いろんなポケモンのことを知ることで、自分の戦い方に彼らの習性や特性を吸収することができるんじゃないだろうか? 都合のいい自己解釈だってことは重々承知だけど…… 「後で考えよう……」 答えを先延ばしにすることに必要性を感じてるわけじゃないけれど、今は……親子団欒のひとときを思う存分楽しみたいな。 もしかしたら、明日にはまたここを出て行くことになるかもしれないから。 「親父だって親父だろ。旅に出る前とぜんぜん変わってない」 「む……?」 オレから言い返されるとは思っていなかったのか、親父は思わず口に含んだシチューを噴出しそうになった。 すんでのところで手を添えて、シチュー噴射は辛うじて免れたようだ。 「一体何を言い出すかと思ったら……当たり前のことを言うな」 親父は何事もなかったかのような顔で言うと、シチューを一気に飲み干して、ナプキンで口元を拭った。 ほら、ぜんぜん変わってない。 顔で平静を装ってても、声は震えてたぞ。 やっぱり、オレに言われるとは露とも思ってなかったんだ。 「俺はもう三十過ぎだ。そう簡単に変われるトシじゃない。トモコ、おまえからも何か言ってやってくれ」 「そうね。でも、変わろうという気持ちを持つのは、大切なことじゃないかしら」 「…………」 満面の笑みで答えられて、親父は沈黙した。 今度はオレの肩を持ってくれたんだ。 まあ、母さんはそう思ってるるんだろうけど。 「親父、オレはいつまでもガキのままじゃないんだよ。 これから、それを存分に見せてやるから、覚悟してろよな」 「いつになるかな……だが、楽しみにしていよう」 親父は口元に不敵な笑みを浮かべた。 オレの言葉を『宣戦布告』と受け取ったらしく、目元だけはあんまり笑っていなかった。 母さんはオレと親父を交互に見つめ、さらに笑みを深めた。 その晩、オレは部屋の明かりを消して、ベッドの上で横になっていた。 月明かりだけが室内に差してくるけど、こうやって考え事をしている分には、余計な明かりが少ない方がいい。 月明かりで青白く滲む天井をじっと見やりながら、明日からどうしようかって考えていたんだ。 「なあ、みんなはどう思う?」 オレはベッドの傍らで思い思いに時を過ごしているみんなに問いかけた。 もちろん、一番近い位置をキープしているのはラッシーだ。 首を傾けてみると、ラッシーはニコニコ笑顔で見つめ返してくれた。 リッピーとラズリー、リンリは遊び疲れたのか、安らかな寝息を立てていた。 ルースは窓の外に浮かぶ月をじっと見上げたまま動かない。 背中を見せてるから、寝てるかどうかも区別はつかないけど、ルースもルースなりにいろいろと考えるところがあるんだろう。 ルーシーはお腹のポケットの中で眠っている子供をあやしている。 みんなと遊んでる時には見せなかった表情……これが、ルーシーの母親としての表情なんだろう。 自分やみんなのことばかりじゃなく、子供のこともちゃんと面倒を見なきゃならない。 大変だろうけど、オレもできるだけみんなと協力してサポートしていければいい。 そう、みんながいるんだ。 「ラッシーは? 知らない地方とかに、不安とか感じたりはしてないか?」 カントーとジョウトだけが世界じゃない。 北と西に陸続きにつながってる地方や、海の彼方にある別の地方……オレの知ってる世界は、まだほんの一部分でしかないんだ。 オレは、どの地方にだって行けると思ってる。 そこで見たことも聞いたこともないポケモンのことをたくさん知って、将来のために役立てたい。 最強のポケモントレーナーになるんだったら、やっぱりあらゆるポケモンに精通していなきゃ。 バトルの実力もそりゃ当然大切だけど、それだけじゃ最強って名乗れないよな。 オレは心の準備ができてるけれど、みんなはどうなんだろう? トレーナーとして、オレがみんなを引っ張って行かなきゃいけないってのは分かってるつもりだ。 でも、オレの勝手な考えにみんなを巻き込んでいいのかって言われたら、答えはもちろんノーだ。 だからといってみんなの考えだけに引きずり込まれるのもどうかと思うよ。 大切なのは、みんなが納得できるような形でオレが行動することだ。 みんなに意見を求めるくらい、罰は当たらないよな。 だって、これが『仲間』っていうものなんだって思うから。 「バーナーっ……」 ラッシーは小さく頷いた。 みんなを起こさないように、小声で言いながら。 ――不安じゃない。みんながいるから平気だ。 なんとなく、そんな風に聞こえたよ。 風前の灯火を思わせる声量だったけど、それでもとても頼もしく聞こえた。 迷うな……そう叱咤しているようにも。 「あー、オレ、迷ってたんだろうな……」 オレの勝手な考えでみんなを引きずり回すことを恐れてたのかもしれない。 みんなに迷惑をかけるんじゃないか……思ったように舵取りができなかった。トレーナーとして、これは致命的な欠点なんだろうな。 でも…… 「だからみんなはオレのことを支えてくれてる。それが分かるだけで十分さ」 何を迷う必要があったのか。 夜空にかかる月が、オレの中の何かを変えるように高く高く昇ってゆく。 「迷う必要なんか、なかったじゃないか。だって……」 オレは身を起こし、笑みをみんなに向けた。 「答えは最初から決まってたんだから」 新しい地方へ行くこと。 それ以外に考えてたことがないんだから、他の選択肢なんてなかったんだ。 なのに、みんなのことを必要以上に心配して、そちらに傾ききれずにいた。 みんなのことを想う気持ちに偽りはないけれど、想いすぎるのにも問題はあるんだろう。 適度な兼ね合いってのが難しいけど、とても大切なことだと分かる。 「なあ、ラッシー」 オレは身を起こし、ラッシーに向き直った。 「みんなは、オレがオレの行きたいところに行くことを迷惑だって思ってないかな?」 「バーナーっ……」 即答。 ラッシーはかぶりを振った。 思ってない……か。 そう答えるだろうって、分かってた。 みんなの気持ちを試すようなことをしてしまったけれど、最後の一押しをして欲しくて…… オレの不甲斐なさをフォローして欲しかった。 オレ一人じゃ、とても乗り切って行けないからさ。 みんなの気持ちを一つにしなきゃいけないって、心の底から思った。 手のひらを重ね合わせるように、束ねた気持ちはどんな困難にも負けないパワーになるんだ。 「そうだよな……考えるまでもなく分かってたんだ」 みんなが今までオレについてきてくれたこと。 それがすべての答えだったんだ。 知らず知らず不安に襲われて、オレは大切なことを見失っていたような気がする。 でも、もう大丈夫。 同じ過ちは二度と繰り返さない。それがオレのモットーでもあるんだから。 「…………?」 ルースが振り返ってきた。 ――何話してるの? 臆病な性格も、みんなと一緒にいると薄れるらしく、ニコニコ笑顔だった。 「ルース。君も、少しは臆病な性格を何とかしろよ。 これから、みんなの知らないポケモンをたくさん見ていくことになるんだからさ」 「バクぅ?」 イマイチ理解できていないようで、ルースは首をかしげた。 うーん、こういう時は現地で慣れてもらうっていう最終手段を採らざるを得ないか。 「ま、みんな同じさ。不安もどっかで少しは抱えてる」 先行きの不安がないことは、絶対にありえない。 不透明で雲行き怪しいことだって何度もある。 思うように旅を続けられるのか、途中で妙なアクシデントに巻き込まれたりしないか。 そういう不安はあるけど、だからって物怖じして動けなくなってるんじゃ意味がない。 この足は、歩き出すためにあるんだから。 「ラッシー」 オレは手を差し出した。 もう一度、ここから始めよう。 そのつもりで差し出した手に、ラッシーは蔓の鞭をそっと巻きつけた。 「よし、決まりだ」 明日、ここを出て行く。 一ヶ月前のように、親父に負けない力を身につけるためじゃない。 今度こそ、オレのやりたいことをやるために。ここを出て行くんだ。 「今までオレを支えてくれてありがとう。これからもよろしくな、ラッシー」 「バーナーっ……!!」 蔓の鞭から伝わってくるぬくもりに、オレは先行きの不安が吹き飛んで行くのを確かに感じたんだ。 「準備はこれでオッケー……と」 リュックに必要なものを改めて詰め直し、オレは準備を整えた。 服に汚れやシワは見当たらないし、帽子もふやけたようになってない。 モンスターボールもちゃんと六つ腰に差してある。 机の上をキレイに整理して、布団もちゃんとたたんでベッドの上に置いておく。 当分は帰ってこれないからな……これくらいはしとかないといけないや。 前回のように、一ヶ月足らずで帰ってこれるような場所じゃないからさ、これからオレたちが向かうのは。 「よし、行くぞ、アカツキ。冒険の始まりだ!!」 意気込みを声に出して、次の地方のポケモンのすべてを知り尽くそうという気持ちを高揚させる。 まっさらな紙のように、ポケモンたちのことはぜんぜん分からないんだ。 だからこそ、失敗はないし、どんな風にでも描いてゆける。 オレは昂った気持ちをそのままにリュックを背負うと、部屋を後にしてリビングに向かった。 リビングでは母さんが昼食の準備に取り掛かっていた。 まだ十時前、昼が近いわけじゃない。 でも、母さんは今やれることをやって、後で楽をしようというタイプの人だから、できることはさっさとやっちゃうんだ。 「母さん」 「なあに?」 オレが声をかけても、母さんは大根を千切りにする手を止めるどころか、振り返りすらしなかった。 「オレ、もう行くよ。今度は当分戻ってこれないけど……」 「あなたの気が済むまで、存分にやってくればいいわ」 母さんは不意に手を止めると、笑顔で振り返った。 それ以上は何も言わない。 次の言葉を待っても、ただ時間だけが無意味に過ぎていくだけだった。 母さん、オレがまた旅に出るってこと、知ってるような口ぶりだった。 もちろん、事前に「旅に出るよ」なんて言ってあるわけがない。 大事になるのが嫌だったから、突然宣言して、風のようにサラリと行こうと思ってたんだ。 でも…… 「なんて顔してるの。これから未知の世界へ旅立とうとしてる男の子のするような顔じゃないわよ」 「え、あ……うん」 腑抜けた顔をしてると思ったんだろう、母さんはエプロンで手を拭くとオレの傍まで歩いてきて、頬をつねった。 「あだっ……!!」 痛いけど……これが親の愛情なんだろう。 前回は、母さんのこと、親父の肩を持ってるって先入観があったから、素直にそう受け取ることができなかったけど……でも、今は違う。 オレは口元に笑みを浮かべた。 「親父には上手く言っといてくれよ」 「うふふ……」 母さんはオレの頬から手を離すと、小さく笑った。 ん……? 何がおかしいんだ? その笑みの意味が分からなくて首をかしげていると、 「上手く言うも何も、そんなことする必要はなさそうだわ」 「は?」 「そういうことだ」 「……!!」 出し抜けに親父の声が聞こえ、オレはビックリして振り返った。 「親父……いつからそこにいたんだ!?」 「おまえが頬をつねられてるあたりからだ」 「最初からいたんじゃねえかよ!!」 親父はニコニコしていた。 オレのこんな姿見て楽しんでやがるな!? あーもう、悪趣味にも程があるっての!! 胸のうちで非難轟々としていると、親父はオレの肩に手を置いた。 「おまえがどこに行くかは、敢えて聞かないことにする」 「なんで?」 「おまえにはおまえの道があるんだろう。だったら、その道の上におまえの夢が存在しているはずだ」 またしても意味不明なことを……と思ったけど、すぐにその言葉の意味を理解できた。 オレと親父の間にだけ通用する暗号みたいに、すっと頭に入ったんだ。 この言葉……すぐに使う機会が来るだろうって、予感めいたものを感じたよ。 「頑張ってこい。おまえは俺の自慢の息子だ」 「ああ、言われなくてもやってやるさ」 握り拳に親指を立てると、親父は小さく頷いて、肩から手をどけた。 「定期船はあと一時間で出航する。それを逃したら明日になるぞ。急げ」 「分かってる。でも……ちょっとだけ、いいかな?」 「……? なんだ?」 親父は怪訝そうな顔を見せた。 「ここじゃ、なんだから……外で」 「いいだろう」 オレが声を潜めて言うと、親父は小さく頷いた。 母さんが不思議そうな視線を向けてくるのを背中にひしひしと感じながら、それでもオレと親父は場所を移した。 「一体何の話だ? ここまで連れてくるくらいだ」 「ああ……母さんの前じゃ恥ずかしいから。どうしても親父と二人っきりの時に言いたいことがあって」 「改まった言い方だな……余計、気になる」 親父は庭の木に背をもたれ、ため息混じりにオレに笑みを向けてきた。 改まった言い方か……確かにそうかもな。 でも、そうでもしなきゃ言い出せないことだって、あるんだよ。 だってさ……親子だから。 厄介なモノだって、正直に思うよ。そういうしがらみも。 「親父は、オレのことを本当によく見ててくれてたよな。 忙しい研究や、学会の合間を縫って……本当はそんなことをしてられるほどヒマじゃあなかったんだろ?」 「まあな。だが、研究よりもおまえの方が大事なんだ」 「うん」 親父は照れているのか、顔を赤らめていた。 ナンダカンダ言って…… 親父にもそーいうカワイイところがあるんだな。 本当に意外に思ったけど、それはそれで、後でからかってみるとしよう。 今まで散々担がれた仕返し代わりに、親父の苦渋に満ちた顔を拝んでやるのも悪くない。 だけど、今は…… 新しい場所に旅立つ前に、言っておきたいことがある。 「ところで、俺に言うことがあるんだろう?」 「あ、ああ…… あのさ、親父…… 今まで、オレも子供らしくあんまり親父に甘えたこととかなかっただろ? そのせいかさ……言いたいこととか、結構いっぱい貯まってたりするんだ」 「ふむ」 「オレ、今まではぜんぜん感じたことなかったけど……」 親父の目がすっと細くなる。 普通の親子として仲直りができた今だから。 新しい場所に旅立てば、またしばらくは顔を合わせることもできなくなるだろう。 だから、本当に言いたいことを、今ここで言うしかない。 オレは告白を前に気持ちを奮い立たせる若者のように拳をグッと握りしめ、親父の目をまっすぐに見据えて、口を開いた。 「でも、今なら心から思えるんだよ。 ……オレ、親父の息子で本当によかった。 母さんと愛を育んでさ……オレを産んでくれて、本当にありがとう」 オレが言いたかったのは、たったそれだけのことだったんだ。 オレの親父でいてくれてありがとう……って一言。 わざわざ憎まれ役を買って出てまで、オレがオレの望む道に進めるようにしてくれてたんだ。 ちょっと前までのオレなら、そんなの「つまんない」って斬って捨ててたかもしれない。 でも、今は違うんだ。 親父の親心に、心から感謝してる。 そんなオレの気持ちが伝わってか、親父は小さく笑った。 「それを言うために、わざわざこんなところまで来たのか?」 「そりゃあ……母さんに聴かれてたら、恥ずかしいだろ?」 「うむ。まあ、そうだな」 互いに声を立てて笑う。 母さんが窓から顔を覗かせたけど、すぐに興味をなくしたのか、引っ込んだ。 もしかして、聴かれてたんだろうか……? 母さんが顔を見せた窓を見上げながら思う。 もし聴かれてたら……すっげぇ恥ずかしい。 聴かれてたらどうしよう……なんて、何気にドギマギしていると、 「ありがとう。 そうやって、おまえに言ってもらえて、俺もおまえの父親でいてよかったと思うよ。 そうだな……」 親父は手を差し出してきた。 オレはビックリして、差し出された手をじっと見つめていた。 「おまえが俺の息子でよかった。俺の息子として産まれてきてくれて、本当にありがとう」 「なんだ……親父も似たようなこと言いたかっただけじゃないか」 「親子だからな」 「けっ……」 オレは悪態をつきながらも、差し出された手を握った。 少し前までは考えられなかったこと。 でも…… オレだって、親父といつまでも仲違いしたままでいたかったわけじゃない。 やっぱり寂しいって思ったこともあるし……だけど、取っ掛かりがつかめなかったんだよ。 今、こうして素直に握手できることを、本当に幸せだって思える。 できるなら、いつまでもこうして普通の親子として接していたい。 だけど…… オレは親父の手を離した。 「じゃあな、親父。次は、親子って感情抜きでポケモンバトルしてくれよ」 「もちろんだ。それまでに強くなっていなければ許さんぞ。 俺がいろいろと憎まれた甲斐がないというものだからな」 「ああ!!」 オレは頷き、駆け出した。 それに、また一つ目標が増えちまったし、ノンビリしてられなくなってきた。 次に戻ってくる時……カントーリーグが始まる少し前になるだろうけど、それまでにもっともっと強くなっておかなきゃ。 本気の親父を相手にしても、互角以上の戦いができるように。 みんなを鍛え上げるのはもちろん、オレもトレーナーとして強くならなきゃいけない。 目標が多いのって、結構大変なことだけど、それを励みに頑張れる自分に気がついて、とてもうれしくなった。 背中に翼が生えたように、オレの足取りは軽やかだった。 あとは…… 次に向かうべき場所。それは決まっている。 オレはメインストリートに出て、その場所を目指した。 昼間なのに、通りを埋め尽くすほどの人出はない。 むしろ人口に対して道が無意味に広いという言い方もできるけれど、ゆったりと余裕を持って歩けるのはいいことだよ。 タマムシシティみたいに、押し競饅頭しながら歩くのとは天と地ほどの差はあるだろう。 旅立った時と、ぜんぜん変わっちゃいない。 建物の佇まい、街灯ひとつを取っても。 次に帰ってくる時には、少しは変わっているんだろうか? そんなことを思いながら歩くうち、目的の場所にたどり着く。 「久しぶりだな、ここに来るのは……」 目の前にそびえる一軒家を下から上までじっくり見回しながら、オレはポツリつぶやいた。 オレの家と佇まいとしてはほとんど変わらない。 間取りにいたってはまったく同じ。 同時期に同じ住宅公団から購入した建売住宅だから、この辺りの建物はどこも同じ間取りになっている。 まあ、外観こそそれぞれの家が工夫を凝らして、ナンバーワンならぬ『オンリーワン』を前面に押し出しているけれど。 「ナミのヤツ、いるかな……?」 そう。 この家、ナミの家なんだ。 今ごろは研究所に行ってるんじゃないかと思いながらも、オレはチャイムを押した。 すぐに返事があった。 「はい、どなたですか?」 ハルエおばさんの声だった。 「あ、ハルエおばさん? アカツキですけど、ナミはいますか?」 「ナミね? ちょっと待ってて。そっちに向かわせるわ」 短く答えると、ぶちっという音がして会話が切れた。 ナミ、家にこもってるのか? じっとしてるのが苦手なタイプだからな。 なにせ、小説とか時事を取り上げた雑誌とか、活字の小さな本は読む気すら起きないって自慢げに話してたから。 ナミに、これからまた旅に出ると打ち明けたところで、素直に納得してくれるとは思えない。 でも、何も言わずに出てったら、また余計な問題を起こしかねないからな。 とりあえず、言うだけ言ってみよう。 方向性がちょうどまとまったところで、ドアが開いてナミとアキヒトおじさんが出てきた。 「おはよ〜」 ニコニコ笑顔で、じゃれ付くような口調で挨拶してくるナミ。 「あ、ああ、おはよう」 おはようっていう時間じゃないような気がしないわけじゃないけど、挨拶を返す。 挨拶されて何も言わないのって、すっごく失礼なことだからさ。 礼儀に関しては、ハルエおばさんは親父の数百倍は厳しいからな。 「やあ。君がここに来るなんて珍しい」 「そうかな……?」 アキヒトおじさんの言葉に、オレは首をかしげた。 珍しいか……確かに、旅に出る前はナミとじいちゃんの研究所に入り浸ってたから、ナミの家に来ることはあんまりなかったっけ。 せいぜい食事をご馳走になったり、部屋の掃除を半強制的に手伝わされたり。 あと、元ブリーダーのアキヒトおじさんにいろいろと教わりに行ったりした。 でも、免許皆伝と言わんばかりに、 「もう僕が教えることはないよ。あとは君が経験を積んでたくさんのことを学んで行くんだ」 ……って、アキヒトおじさんが言ってたか。 よくよく考えれば、それ以来ってことになるんだよな。 その割には代わり映えしない外観だけど。 どこでハルエおばさんが聞いているか分からないから、口が裂けてもそんなことは言えなかった。 ナミは物珍しげな視線を向けてきた。 「あれ? また旅に出ちゃうの?」 「まあな。充電期間は終わりにしようと思って」 「そっか。それじゃ、準備してくるから待っててね」 ほら、やっぱりそう来た…… ナミの行動パターンは単純で、とても分かりやすい。 これもまた口が裂けても言えないけれど、そう思うくらいは自由だろう。 旅に出ると言えば(あるいは訊かれてイエスと答えれば)、これ幸いとくっついて行こうとする。 踵を返して家の中に戻ろうとするナミの背に、オレは強い口調で言葉をぶつけた。 「おまえは来るな」 「へ?」 その一言に、魔法にかかったようにナミは動きを止め、恐る恐る振り返ってきた。 アキヒトおじさんはオレがそう言うのを予想していたように、そのままの表情で、眉を少しひそめただけだった。 「あたし、一緒に行っちゃダメなの?」 「おまえがそれを本当に望むんだったら止めないけど」 「じゃあ行く」 「あのな……話は最後まで聞いてくれ」 またしても家に戻ろうとしたナミを引き止める。 まったく…… 思い立ったが吉日と言わんばかりに、即座に行動を起こすんだよな。 大概はいい意味だけど、それが迷惑ってこともままあるんだ。 「なあ、ナミ。 オレ、前々から思ってたんだけどな……今まで言い出せなかったことがあるんだ」 「なに? そんなに改まっちゃって。アカツキ、なんか変だよ?」 「変か。 言われてみるとそうかもしれないな。でも、オレは真剣なんだ」 普段の物言いと違うと気づいてか、ナミは首をかしげた。 自分でも言い方違うなあ、って分かってるからさ。 でも、今だから言わなくちゃいけないんだ。 オレは気を強く持って、思い切ってナミに胸のうちを打ち明けた。 「オレと一緒に行きたいっていうのならそれでもいい。 でも、よく考えてから決めてくれないか。そうやって安易に決めてると、後で絶対後悔する」 「うう……なんかキョーハクしてない?」 「違うって。脅迫ってこんな生温い言葉を使ってやることじゃない」 「まあ、確かにその通りだね」 上目遣いに見つめてくるナミ。 オレの言葉に腕組なんかしながら小さく頷くアキヒトおじさん。 まあ、そこんとこの対比はどうでもいいとして……続けよう。 「おまえの夢って何だっけ?」 「決まってるじゃない」 夢について訊ねられ、ナミは得意気に口元を緩めた。 「すっごいトレーナーになることだよっ♪」 「うん、まあそうだな。で、その夢はオレと一緒に行けば叶うようなものなのか?」 「え……」 出鼻を挫くように言うと、ナミは口元を緩めたまま、顔を引きつらせた。 唖然としているナミに、オレはさらに言葉を投げかけた。 「おまえがオレの道にくっついてくるだけなら、おまえの道ってのはどこにあるんだ? オレの道にはオレの夢しかない。おまえの夢なんて、どこにも落ちてないぞ? おまえの夢は、おまえの道にしか存在してないんだよ」 「ええっ、そうなの!?」 「そうなの!? ……って、本気でオレとおまえの夢が同じ場所にあると思ってたのか……?」 大仰に驚くナミに、オレは本気で、心の底から呆れてしまった。 こいつ、オレにくっついてけば、それだけで夢が転がり込んでくるなんて、本気で考えてたのか……? 別にオレはナミの夢まで別の道から拾ってくる義理もなければ、余裕だって残ってないんだ。 自分のことで精一杯で、ぶっちゃけ『他人の夢』まで構っちゃいられない。 「なあ、そろそろオレたち、別の道を歩いていかないか?」 オレの言葉に、ナミは淋しそうな……それでいて辛そうな顔で俯いてしまった。 ああ、傷つけちまってる。 表情から漂ってくる感情に、オレは心を揺り動かされそうになったけど、毅然とした態度は崩さない。 中途半端な態度で接しても、ナミは甘えてくる。 ……未来のあいつのためなら、オレは今、いくらだって悪役になってやるさ。 そう、親父と同じように。 それだけの覚悟は持ってるつもりなんだ。 親父と同じとまでは言わない。 けれど、同じようなことをやろうとしているから、親父の気持ちも、少しは理解できるんだ。 「…………」 アキヒトおじさんは何にも言ってこない。 じっとナミに視線を注いだまま、身動き一つしなかった。 いくら親と言っても、当事者同士で解決してもらいたいと思っているんだろう。 おじさんだって辛いはずなのに…… ナミのためだってことで、断腸の思いでオレの言葉を耳にしてるんだろうな。 だからこそ、手を緩めるわけにはいかないんだ。 「一ヶ月前……旅に出た時にも感じてたんだけどさ、違和感って言うのか? そういうのがあってさ。 その正体が、やっと分かったんだよ。 このままじゃいけない……ナミがオレと一緒の道を歩き続けてたら、絶対おまえの夢は叶わないってな」 そう。 一ヶ月前に旅立った時、かすかに感じた違和感。 旅を続けていく中で、いろいろとやるべきことを見つけた。 だから、そういったものは自然と薄れて、いつしか忘れ去っていたけれど……親父の言葉で、その違和感が首を擡げたんだ。 ――おまえにはおまえの道があるんだろう。 だったら、その道の上におまえの夢が存在しているはずだ―― それはオレに向けられたメッセージだけど、ナミに対してのものでもあったんだ。 言い換えれば、ナミにはナミの道があって、その道の上にはナミの夢があるってこと。 だから、いつかは袂を別って、別々の道を行かなきゃいけないんだ。 「だから、そろそろ別の道を行こう」 ナミはゆっくりと顔を上げた。 今にも泣き出しそうなほど、くしゃくしゃした表情だ。 「ねえ、アカツキはあたしのことが嫌いなの? 嫌いだから、一人で行っちゃうの?」 一緒に行きたい。 懇願するような口調で、心を揺さぶる声音で言ってくるから、ちょっとでも気を抜けば引き込まれてしまいそうになる。 傷つけるつもりがないと思ってるから、なおさらそう思ってしまうんだ。 「オレはおまえのことを嫌いには思ってない。むしろ、大好きだよ」 「え……?」 驚くナミに、オレは微笑みかけた。 「大好きだから、オレはおまえに夢をつかんで欲しいって思ってるんだ。 本当に嫌いだったらさ……一ヶ月前だっておまえのこと連れてったりしなかった。そうだろ?」 「……うん」 「だから、おまえもそろそろおまえだけの道を見つけて歩き出さなきゃいけないんだ。 そうじゃなきゃ、ずっとオレの背中追いかけてたって、その場で足踏みしてるのと同じなんだよ。 それにさ…… 今のオレたちなら、何があったって乗り越えていけるはずさ。 たとえ、別々の道に歩き出しても…… ガーネットやトパーズ、パールやサファイアだっている。 何があったって信じられる仲間がいるだろ。オレがいなくたって、おまえは一人じゃないんだ」 「ナミ。アカツキの言うとおりだよ。 そろそろおまえも頑張らなきゃな……いつまでも彼がおまえの傍にいてくれるわけじゃない。 だから、笑顔で見送ってあげなきゃいけないよ」 「パパ……」 ナミはアキヒトおじさんを見上げた。 おじさんはニッコリ微笑んで頷くと、愛娘の頭を優しく撫でてやった。 「アキヒトおじさん、ナミのこと、頼むよ」 「ああ……君にも今までいろいろと迷惑をかけたね。でも、これからは君の道を存分に突き進んでいってもらいたい」 「もちろんそのつもりだよ」 オレは頷き、ナミに背を向けた。 ずっとここにいると、本当に未練が残ってしまいそうでさ。 ナミのためにも、オレ自身のためにもならないのは目に見えてるんだ。 だから、もう行かなきゃ。 「ね、ねえ、アカツキ」 「ん……?」 声をかけられ、振り返る。 ナミはぎこちないながらも笑みを浮かべていた。 オレの気持ちが通じたってことなんだろう。 むしろ大変なのはこれからだけど、ナミなら大丈夫。 持ち前の明るさでガーネットやみんなをぐいぐい引っ張ってってくれるはずだ。 無責任な期待かもしれないけど……信じてるんだ。 オレが最強のトレーナーと最高のブリーダーになれるって信じてるように、ナミも「すっごいトレーナー」になれるってさ。 「カントーリーグが始まる時には、戻ってくるんだよね?」 「ああ。その時までには、今よりはもっとマシなトレーナーになっとけよ」 「う、うんっ!!」 オレが親指を立てると、ナミはパッと表情を輝かせた。 これで安心だ。 「じゃあな、ナミ。また戻ってくるからさ、その時まで頑張れよ」 「アカツキも頑張ってね。負けないから!!」 「ああ。楽しみにしてるさ」 負けない……か。 こりゃ、オレも負けちゃいられないな。ウカウカしてたら、あっという間に追い越されちまうかもしれない。 となれば、一瞬でも立ち止まっちゃいられない。 オレは突き動かされるように歩き出した。 背後でナミが手を振っているのが、見なくても分かる。なんとなく……だけど。 さて、一人身になったわけだし、気ままに旅を続けようか。 とりあえず目指すのは街の南にある港。 船に乗って、別の地方に旅立つんだ。 ポケナビを手に取り、ボタンを二、三回押して時計を表示する。 あと三十分…… 今から行けば、あんまり待たずに済むかな。 当分はこの街に戻ってこれないから、何気ない日常の風景をまぶたに焼きつけるように、歩きながら周囲を忙しなく見回す。 自然豊かな街並み。なんでもかんでも詰め込むような都会とはまた違った、落ち着いた雰囲気。 世間ズレしてない素朴な人たち。 これから向かう地方にも、こんな町があるんだろうか。 ちょっとだけ淋しくて、だけど楽しみなんだ。 オレの知らないポケモンがいて、トレーナーがいて、いろんな戦い方や触れ合い方がある。 今までオレが培ってきた知識と溶け合って、コラボレートした時に、どんなものに変わってゆくのか、それが知りたいんだ。 どう変わるかなんて今はまだ分からない。 でも、頑張ればきっといい方向に変わっていくはずさ。 じっくりと生まれ育った町の景色を見つめながら港へ向かう。 思っていたよりもずっと早くたどり着いたように思えたのは、それだけいろんなものを見たってことなんだろうと思う。 埠頭にはすでに船が停泊していて、乗船する人が一列になって並んでいる。 そんなに大きくはない船だけど、たくさんの人の想いを運ぶんだ。 オレは乗船券(チケット)を買って、列の最後尾に並んだ。すでに乗船は始まっていて、ゆっくりと前に進む。 トレーナーやブリーダー、ビジネスマンとか、新婚夫婦とか、とにかくいろんな人が並んでる。 この船の行き先はミシロ港……ホウエン地方の西部に位置するミシロタウンの外れにある港。 何を隠そう、オレたちがこれから向かうのはホウエン地方なんだ。 あ、そうそう。 先に断っとくけど、サトシが一足先に行ってるけど、別にあいつに対抗意識燃やして、っていう不純な理由じゃないからな。 知らないポケモンがいる。それで十分なのさ。 それならカントー地方北部のネイゼル地方があるじゃないかって? 説明不足だったみたいだな。 今までの旅でホウエン地方出身のヤツに何人か会って、ホウエン地方に棲息してるポケモンを見てきた。 見てきたけど、知らないんだ。 そういう気になってしょうがないシロモノをほったらかしにしとくのかってことさ。 いろいろと考えるうちに、順番が回ってきた。 船員さんにチケットを渡して、船に乗り込む。 ミシロ港に到着するのは明日の昼過ぎ。丸一日の船旅だ。 すぐにでも船室に向かおうかと思ったけど、後で暇を持て余しそうだからさ……今は外で潮風に当たっていよう。 甲板に上り、船首の縁にもたれかかる。 出航まで残り十分。 ホウエン地方に行ったら、まずは何をしようか? 手始めに、ミシロタウンでも散策しようか。 マサラタウンと同じであんまり大きな町じゃないって、カリンさんが言ってたっけ。 せっかくの機会だし、カリンさんやオダマキ博士に顔を見せるってのもいいかな。 いろいろとアドバイスもいただけるかもしれないし。 「まあ、一日ばっかしゆっくりしてられるんだから、慌てて考える必要もないな」 明日、ミシロ港に到着するまでは、どこにも行けないんだ。 時間はたっぷりある。ゆっくり考えればいい。 「ホウエン地方って、カントーに負けないくらい広いんだろうな……」 自然豊かな島の地方……それがホウエン地方だ。 森があったり火山があったり砂漠があったりと、それこそ大自然の息吹が育んだ豊かな景色がそこら中に散りばめられてる。 カントー地方に砂漠はない。 だから、気になるんだよな。砂漠ってどんな風なんだろう……って。 だってほら、画面を通じて見たことはあっても、実物を目の当たりにしたことがないんだ。 昼は蜉蝣ができるほど熱くなったかと思えば、夜になったら氷点下にまで冷えてくることもあるらしい。 一般的な知識としてはそれくらいのものだけど、実際に足を運んでみると、意外な一面を発見できるかもしれない。 そういった寄り道っていうか、雑学的っていうか……そっち方面でも知識の腕を伸ばすのも悪くはないだろう。 陽光きらめく水面を見つめながら、オレは胸に手をやった。 逸る気持ちを抑えきれなくなりそうだった。 ドキドキしてるんだ。 未知の世界へ飛び立つってことでさ。 胸から飛び出してきそうな気持ちをさらに掻き立てるように、出航を告げる汽笛が鳴った。 振り返ると、煙突から煙が濛々と立ち昇っていた。 遠ざかる景色。 いよいよ出航……慣れ親しんだ故郷としばらくお別れだ。 名残惜しい気持ちはあるけれど、それよりもホウエン地方で過ごすこれからの日々への期待の方がよっぽど大きい。 「これでよかったんだよな……」 遠ざかる景色を眺めながら、小さくつぶやく。 オレはオレ、ナミはナミ。 お互いに目指す夢が違うんだから、歩いていく道だって違ってるはずだ。 幹から伸びた枝が幾多にも分かれてゆくように、最初の方は同じ道を歩いても、途中からは「じゃあね」と手を振って別々に進んでいくんだ。 だから、これでよかったんだ。 今になって妙にナミのことが気になってくるんだけど……あいつに限って落ち込むなんてことはないだろ。 オレだって、一人で旅するのは初めてだから、いろいろと不安なところはあるさ。 でも、不安だってことを理由にして立ち止まっても仕方ない。 目の前に道がある限り、歩いていくしかないんだ。 道の先にある「夢」っていう名の光を目指して歩いていくだけ。 「でも、それでいいんだ」 人は、鳥にはなれない。 空を飛んで、障害物を避けながら一直線に進むことはできない。 でも、だからこそ強くなれるんじゃないかって思うんだ。 親父はきっと、オレにそう教えようとしていたんじゃないだろうか。 まあ、親父のやり方が強硬だったこともあって、オレはそれに気づけずにいたけれど。 船が進んで行く方向に顔を向ける。 一面の大海原。 背後にマサラタウンが見えなかったら、海にポツリ取り残されたんじゃないかって錯覚に陥ってしまいそうになる。 「ここからが本当の始まりなんだ。頑張らなくちゃな……」 これからは自分のやりたいことを思う存分できる。 翼をひろげて飛び立つ雛みたいに、自由な世界が目の前に広がってるんだ。 「誰も助けてはくれない。自分の力で乗り切っていかなくちゃ」 手を差し伸べてくれる人はいるかもしれない。 だけど、根本的な問題は自分達で解決していかなくちゃいけない。 それでも不安はそんなにないよ。 みんながいてくれるから、それだけで心強いんだ。勇気の炎で暗闇を照らしながら進んでいける。 陽光きらめく水面が、オレの旅立ちを祝福してくれているようにキラリ輝いていた。 翌日―― オレは朝からずっと甲板に出て、船首の縁に陣取っていた。 前方にうっすらと見える島影は、ホウエン地方でもっとも大きな島――ホウエン本島だ。 いよいよホウエン地方に到着する。 オレの心は今までにないほど歓喜と興奮で満ちあふれていた。 今すぐにでも飛んでいきたい気持ちになりながらも、逸る気持ちを辛うじて抑え込む。 あと数十分で上陸できるけど、一秒が一年のように長く、とても長く感じられる。 次第に大きくなるホウエン本島をじっと見つめながら、オレは到着の時をひたすら待った。 どんなポケモンがいて、どんな生活をしているんだろう。 知りたいという気持ちが爆発しそうなほど膨らんでいる。 このまま膨らませたら風船みたく空を飛んでいけるんだろうか、なんて思いながら、じっと待つ。 ホウエン本島が視界に収まりきらなくなったあたりで、ミシロ港の桟橋が見えてきた。どうということはない、コンクリートの桟橋。 だけど、オレの新しい冒険の旅はそこから始まるんだ。 そして、到着を告げるアナウンスが響く。 「本船は、まもなくミシロ港に到着いたします。まもなく、ミシロ港に到着いたします」 そのアナウンスに応えるように、見たこともないポケモンが船に寄り添うようにやってきた。 「あのポケモン、なんて言うんだろう……」 翼を広げて滑空する鳥ポケモンを、船がミシロ港に到着するまで、オレはずっとずっと見つめていた。 船が泊まると、そのポケモンはすーっと空に舞い上がった。 ここから君の冒険が始まるんだよと、そっと語りかけるように。 Ever Believe カントー編 おわり Ever Believe ホウエン編に続く