ホウエン編Vol.02 友達 <後編> 「戦った……って?」 オレは一瞬、オレと親父の間にあった確執を思い浮かべた。 ホウエン地方に来る少し前まで、オレは親父ととても仲が悪かった。 何度かポケモンバトルしたけど、それはあくまでもトレーナーとして戦いに応じただけの話。 当然、アカツキの言う『戦った』という表現には当てはまらない。 アカツキは淋しそうな笑みを浮かべた。 「お父さんは家族四人で暮らすことが幸せだって思ってた」 「……悪いことじゃないと思うけど」 オレは思わず言葉を返してしまった。 だって、家族四人で暮らすってことを悪くは思わないだろ、普通。 だけど、アカツキは思いもよらない言葉を突きつけてきた。 「普通はそう思うよね。 でも、ぼくたちのポケモンは、その中に含まれてなかったんだよ」 「……!!」 家族『だけ』の幸せを掲げた父親。 言葉にこそしなかったけど、オレには分かる。 アカツキは家族同様に一緒に暮らしてきたポケモンも『幸せ』に含んでたんだろう。 『彼ら』を四人の中から切り捨てて考えた親父さん。 だからこそ実の父親と戦うハメになってしまった。 どうしてそんなことになったのかは分からない。それに、結果がどうなったのかも、知りたいとは思わない。 「その時から今まで、お父さんは行方不明になってたんだ」 アカツキも話したくはないんだろう。 だったら、わざわざこっちから話を振る必要もない。これ以上辛い思いをさせちゃいけない。 黙って話に耳を傾けるオレ。 「警察の人とか、ポケモンリーグの人とかもお父さんを追いかけてたらしいんだけど、今の今まで見つからなくて……」 「ポケモンリーグ?」 オレは言葉にこそ出さなかったものの、眉をひそめた。 親父さん、ポケモンリーグにまで追われてたのか? 「お父さんにポケモンのことを教えてもらった知り合いの人がいるんだけど……自分の手で捕まえるって言い張ってたんだ」 「ふーん……」 弟子ってワケね。 師匠の不始末は自分の手できっちり責任取らせるって意気込むのは、なんかドラマとかアニメとかの世界でよくある話だなって思ってたけど…… まさかそういう人が実際にいるなんて。驚きで声も出なかった。 「…………」 アカツキはそれから何も言わず、窓の外に映る空に目をやった。 何を口にすればいいのか、分からない様子だった。 ……本当に辛そうだった。 一年以上も行方不明だった父親が、下の階で眠っている。 母親に付き添われ、ゆっくりと安らげる環境が整っている。 父親がすぐ近くにいるのに、思い切り甘えられない……そんな風に見えるんだ。 今までいろんなことがあったから、素直な気持ちで接することができないんだろう。 ……ちょっと前までのオレを見ているような気分になった。 「そうさ。今のアカツキはちょっと前のオレと同じなんだ」 経緯は違っていても、父親に素直に甘えられないっていう境遇はオレと同じだった。 まあ、オレは和解するまで、親父のことが大ッ嫌いだったけどさ……アカツキはお父さんのことが好きなんだろう。 表情や言葉から、抱いている気持ちは簡単に読み取れる。 「やっぱ、ほっとけないよな」 お節介と言われようが嫌われようが、そんなことは知ったこっちゃない。 ただ、ほっとけないんだよ。 「なあ……アカツキは親父さんのこと大好きなんだろ?」 「え……?」 言葉をかけると、アカツキは弾かれたような勢いで振り向いてきた。 「そりゃ嫌いじゃないけど……」 でも、表情はどこか複雑だった。 当人をすら『戦い』と言わしめるだけの出来事があったんだ。 そう簡単には割り切れない想いも、胸の中に抱えているはずだ。 オレのように、簡単に和解はできそうにない。 「でも、お父さんもぼくとは会い辛いかなあって……」 「そりゃそうだな……」 言い方は悪いけど、敵が実の息子だったんだ。 親父さんの側にも、会い辛い気持ちがあるだろう。 でも、それは言い換えれば、『会いたい』という気持ちも同居してるってことになる。 会い辛いって思うのは、会いたいって気持ちがあるからこそなんじゃないだろうか? だったら、この問題も意外と簡単に解決の糸口を見出せるかもしれない。 まあ、まずは親父さんとアカツキを会わせてみないことには始まらない。 それまでも多少は壁があるだろうけど、アカツキならすぐにその壁を壊してくれるはずだ。 そのためには…… オレのケースも話して、アカツキの抱く緊張の糸を解きほぐしてやるしかなさそうだ。 「オレもさ、ちょっと前まで親父に素直に甘えたりできなかったんだ」 「アカツキも? なんで?」 オレも同じようなケースだとは思ってなかったようで、アカツキはハトが豆鉄砲食らったような顔で、目を丸くしていた。 「オレさ……親父のこと大嫌いだった」 オレは親父との間に横たわっていた確執をアカツキに話した。 お互い腹を割って話をし合うことで、分かってくるものもあるはずだ。 親父がオレにしつこく『研究者になれ』と言い寄ってきたこと。 オレがそれを拒絶し続けたこと。 旅先で何度もバトルを挑まれて、実力の差を思い知らされたこと。 アカツキはオレの話を唖然としながら聞いていた。 経緯は違っていても、アカツキがオレと同じように、父親に素直に甘えられなかったのは事実だ。 アカツキが本当はどう思っているのか。 それを知らないことには始まらないだろう。 会わせるのはその後でも遅くはない。 「でも、親父がオレのことを助けてくれたんだ。 大切な研究資料を手放してでも、オレを助けてくれた。 その時に言われて、初めて気づいたんだよ。 親父が、本当はオレのことをずっと想っててくれてたんだって」 「……いいお父さんだね。ぼくはそんなこともなかったよ。 小さい頃からずっと行方不明だったし。羨ましいな」 羨ましい……か。 アカツキは憧れに瞳を輝かせていた。 さっきよりも明るい表情になった。 少しでも気持ちが上向いてくれるのなら、ちょっとくらい痛い話でもいいかもしれないと思った。 でも、アカツキがそう言いたくなるのも分かるんだ。 嫌う以前に、物心ついた時には父親がすぐ傍にいなかったんだから。 「でも、やり方は結構ロコツだったから、オレも言われるまで気づけなかったんだけどな」 ため息混じりに漏らし、肩をすくめる。 親父も親父で、やり方がロコツだったからなあ。 素直に『おまえのためにやってるんだ』って言ってくれれば、嫌いには思わなかったんだろうけど……お互いに不器用だったってことで。 今だから、こうやってあっけらかんと話せるんだけどね。 「だからさ、アカツキ」 オレはアカツキの肩に手を置いた。 「これからそうやっていけばいいんだよ。親父さん、すぐ傍にいるんだからさ」 「……うん。そうだよね。ありがとう」 親父さんはすぐ傍にいるんだ。 だから、やろうと思えばすぐにでもできるはずだ。 ちゃんと向き合わなきゃ、相手が何を思ってるのか分からないし、言葉を交わさなきゃ、抱いてる気持ちを引き出すこともできない。 だから、まずは会ってみよう。 オレも、アカツキの親父さんがどんな人なのか、知りたいと思ってるし。 ……ほら、会った時は眠ってて話できなかったからさ。 「じゃ、そういうわけで早速会ってみないか? もしかすると、目を覚ましてるかもしれないし」 「うん。そうする。アカツキも一緒に来る?」 「ああ。君の親父さんがどんな人なのか、知りたいからさ」 「それじゃあ、行こう!!」 「オッケー」 オレはニコッと笑って親指を立てた。アカツキも笑みを返し、同じように親指を立ててくれた。 話が決まってからは、早かった。 オレはアカツキの後についていったんだけど、その背中が妙に緊張してるように思えた。神経質っていうのとはまた違う。 「お父さんはぼくのこと、どう思ってるんだろう?」 期待半分、不安半分ってところだろう。 こればかりは言葉でもどうにもならない。 オレは何も言わず、アカツキの後について階段を降りた。 アカツキがリビングの隣の部屋の扉を軽く叩くと、中からお母さんの返事があった。 「入るよ?」 「え、ええ……」 ん……? 扉が間にあるせいで、お母さんの声がくぐもって聞こえるんだけど……なんか、うろたえてるように聞こえるのは気のせいだろうか? その疑問を確かめるより早く、アカツキが扉を開いて――そこで動きを止めた。一歩も足を踏み入れられない。 というのも、部屋の中にはアカツキの両親のほかに五人――いずれもオレの知らぬ顔だった――も突っ立ってたからだ。 足の踏み場もないほど手狭に感じられるわけじゃないけど、一室に七人ともなると、そりゃ狭い。 「おや? 見ない顔だねえ。お友達?」 なんて声をかけてきたのは、褐色の肌の女性だった。 年の頃は二十歳ぐらいってところか。 ワイルドなカットの頭にハイビスカスを象った髪飾りをつけて、ずいぶんと露出度の高い格好をしている。 晴れ渡る空を思わせる青い布を胸元と腰に巻いて、もっとも見られたくないところはちゃんと隠してるけど。 ヘソを丸出しにしてるあたり、単なる暑がりってワケでもないんだろう。 そういう趣味の人ってことで受け取っとこう。 「あ、はい」 女性の問いかけに、アカツキは驚きながらも頷いた。 知り合いみたいだけど、一体何者なんだろう? 女性を含めた五人は、いずれも特徴的な衣服をまとっている。 部屋の入り口から一番遠い位置にいる灰色の髪の青年は、黒系のスーツをきっちり着こなし、 アクセントのつもりか、両肘のあたりに銀色の腕輪を填めている。 次に、壁に背をもたれている背年。 物静かな雰囲気を放つその青年は白い帽子をかぶり、燕尾のような切れ目のある白いマントを羽織っている。 オレたちのことなんて眼中にないように――文字通り、目をつぶっていた。 続いては船長のような服装をした壮年の男性。 口ひげをたくわえ、鋭い眼光をオレたちに向けてきている。 でも、どっかカッコイイ……もうちょっと若かったら、たぶん憧れの対象になってただろう。 最後に、赤毛を短く刈り込んでいる青年。 先に紹介した二人の青年とは歳も同じ二十歳代で、不良上がりを思わせる雰囲気を宿していた。 それぞれが特徴的な雰囲気を放ちまくっていて、それもまったくマッチしていない。 反発し合ってるようにしか思えない雰囲気も、不思議なことに妙に融和しているような……ああ、なんか矛盾しまくって頭の中は混乱状態。 「ダイゴさん、来てたんですね」 アカツキが躊躇いがちに問いかけたのは、灰色の髪の青年だった。 どうやら、彼がこの五人のリーダー格だろう。 それっぽい雰囲気も感じられる。 「ああ。久しぶりだね、元気にしていたかい?」 「はい。 ……あの、やっぱりお父さんのことで?」 「ああ……」 ダイゴと呼ばれた青年はアカツキの問いに頷くと、ベッドの上の男性――アカツキの親父さんに顔を向けた。 釣られるように視線を向ける。 彼は、身動ぎ一つせず、真正面をじっと見据えていた。 覇気のない表情で、どこか虚ろに見える目が、生気を感じさせない。 まるで人形か何かと見間違いそうだった。 ……この人が、本当にアカツキの親父さん? 思わず疑いたくなるほど、拍子抜けしてしまった。 「リクヤの身柄が確保されたと聞いて、みんなを連れて飛んできたんだ。 でも、こんなことになっているとは思わなかった……」 親父さんに向けた顔はそのままに、ダイゴは口元に冷笑を浮かべた。まるで……自分自身を嘲笑っているように。 「こんなことって、どんなことですか?」 アカツキは今にも泣きそうな表情を父親に向けた。 彼の中にある父親と、目の前にいる父親がまるで別人だからだろう。 オレにだってそれくらいのことは分かる。 「アカツキ。聞いて驚かないで」 そっとささやくようにつぶやいたのは、アカツキのお母さんだった。 どこか疲れきった表情で、今朝見送ってくれた時のような晴々しさとは正反対だった。 十も二十も老けて見えるほど、表情を曇らせていた。 「この人……記憶を失っているの。わたしのこと、分からなかったの」 「え……」 一瞬、オレも何を言われているのか分からなかった。 記憶を失っている……記憶喪失。 そうか…… オレは親父さんの虚ろな表情を再び見やり、合点が行った。 記憶を失って、呆然としているんだ。 自分が何者かも、傍に寄り添っている愛する女性の名前も……息子のことも忘れてしまったんだ。 だから、アカツキが部屋に入ってきても、何の反応も示さなかった。 ……なんか、マジで居辛くなってきた。 見知らぬ五人衆が重苦しい雰囲気を放ち始めたことが原因じゃない。 記憶喪失のアカツキのお父さんを『見つけてしまった』ことに、なんでか分かんないけど、罪の意識みたいなのを感じてしまったからだ。 口には出せないけれど…… オレが見つけなかったら――レキを連れて歩こうと考えなければ…… こんなことにはならなかったと、記憶喪失の父親を目の前にしなくて済んだのかもしれないと思うと、どうにも居たたまれなくなってくる。 オレの独りよがりかもしれないと分かってはいるけどさ。 でも、アカツキが身体を震わせているのを見ると、それが妙に現実味を帯びて、巨大な波のように押し寄せてくるんだ。 「そんな……」 アカツキは声を震わせた。 「ウソでしょ? お父さんが……記憶失くしちゃったなんて……」 誰も肯定しなかった。 当のお父さんも、何も言わず、振り向きもしない。 無言の沈黙。 それこそが、アカツキに突きつけられた『現実』だった。 言葉だけが肯定の意を示すものではない。何もないこと――否定をしないことも、肯定のうちなのだ。 「お父さん、ぼくのこと、忘れちゃったの?」 今にも泣き出しそうな声音で、親父さんに問いかける。 顔を近づけて、真正面から虚ろな目を見つめて。 「…………」 目の前にいる少年がなぜそのような表情をしているのか、親父さんは分からなかったんだろう。 怪訝そうに眉根を寄せると、トドメの一言を突きつけてきた。 「お父さん……? 俺は君の父親なのか?」 「あ……!!」 たった一言。 他愛ない口調。 だけど、アカツキを奈落の底に突き落とすには十分すぎるものだった。 「…………」 何も考えられないほど、身体を動かすことを忘れるほど、心に衝撃を受けたであろうことは、もはや疑う余地などなかった。 「…………」 ダイゴさんと女性と赤毛の青年は、目の前の光景から逃げるように、顔を逸らしていた。直視しづらかったんだろう。 でも…… 「……っ!!」 アカツキは振り返ると、猛ダッシュで部屋を飛び出してしまった。 オレは慌てて振り返ったけど、アカツキが勢いよく閉めた扉が、バタンと音を立てた。 ……泣いてた。 アカツキ、涙をボロボロ流して泣いてた。 本当は声を上げて泣きたかったに違いない。 でも、お母さんの手前、それができなかったから、部屋を飛び出してしまったんだ。 親父さんは何が起こったのか理解できないといった表情をしていた。 そんな親父さんを責めるのは酷だろう。記憶がないから、実の息子を傷つけていたという自覚すら芽生えるはずもないんだ。 「…………」 アカツキのお母さんが、両手で顔を覆った。 表情は見えなくても、彼女も泣いているのは分かった。肩が小刻みに上下していた。 「……やはり、息子のことも分からなくなっていたんだね、リクヤ」 ダイゴさんが穏やかな声音で話しかけた。 リクヤ……それが、アカツキの親父さんの名前か。 今は、そんなことはどうでもいいんだ。 控えめな口調だけど、その言葉の中には非難が存分にこもっているように聞こえた。 たぶん、気のせいじゃない。 「息子……あの子は、俺の息子なのか?」 「そうだよ。あなたが愛し、あらゆるものを犠牲にしてまで幸せにしようとした息子だ」 親父さんの問いに頷くダイゴさん。 それ以上、誰も何も言わなかった。 息子のことすら忘れてしまった父親を責めたところで何にもならないと、言葉を押し殺している。 こんな時でも、白いマントの青年は目を閉じ、表情一つ変えていなかった。 こうなることが分かっていたように。 オレには…… この場の誰も責めることはできなかった。 たとえば、アカツキのお母さんに対してなら、夫が記憶喪失になっているのを知りながら―― それを知ったアカツキがああなることを知っていながら部屋に入れたってことで、責める理由ならある。 他の四人も同じだ。 でも、赤の他人であるオレが、どうして彼らを責められるだろう。 一年ぶりに再会した父親は記憶喪失。 アカツキにとっては残酷すぎる再会となった。 気まずい雰囲気が部屋の中に充満していた。 息苦しささえ覚え始めたのは、いつからだろうか。 「……ねえ、ダイゴ」 「うん?」 そんな雰囲気に耐えかねたのか、女性が渋面でダイゴさんに言葉をかけた。 「やっぱり……あの子には知らせるべきじゃなかったんじゃないの? こうなるって、分かってたじゃない?」 「いつかは知るんだよ、フヨウ」 フヨウと呼ばれた女性の言葉に、ダイゴさんはかぶりを振った。 目を伏せるフヨウさん。 「一時間後かもしれないし、一週間後かもしれない。だけど、いずれは知るんだ」 「うむ……辛いが、それは事実じゃな」 ダイゴの言葉に頷いたのは初老の男性。 彼のその一言が、この場の総意なんだろう。 そんなのは言わなくても分かってる。 誰だって、久しぶりに会った父親が記憶喪失なんだって知ったら、ショックは受ける。 ましてや、会いたいと思っていれば、余計に衝撃は大きくなる。 今のアカツキがそうなんだ。 「……悪いことをした」 ポツリとつぶやく声。 全員が視線を向けた先に、アカツキの親父さん。 さっき飛び出していったのが自分の息子だとは知らなかったんだろう、沈痛な面持ちを見せている。 子供を傷つけてしまったことに罪悪感を抱いているようだ。 でも……なんでだ? オレは身体が熱を帯びて、思考回路すらぶち切れそうなほどの気持ちの昂りに気づいた。 気づいたところでどうしようもないと知っていながら。 「でも、分からない。あの子が俺の息子だとは……」 漏らしたその一言が、オレの頭のヒューズを吹っ飛ばした。 何秒か、意識が飛んだ。 その間、何をしていたのかはまるで分からない。 「おい、君!!」 オレの意識を現実に引き戻したのは、誰かが発した叱咤の声。 目の前に、親父さんの顔があった。 オレの手は、親父さんの襟首を引っつかんでいた。 身体に宿った熱が、行き場を求めて暴れている。 それはオレの感情そのものだった。 理解するのに、時間は必要なかった。 「……なんでアカツキを傷つけるようなこと言ったんだよ。あんた、あいつの親父だろ!? あいつはあんたに会いたいって気持ちでいたんだ。 表情見れば、それくらいのことは分かるだろ!? なのに、なんであいつを傷つけるようなこと言うんだ!?」 オレは感情のままに怒鳴り散らした。 たとえ親父さんにその気がなくても、アカツキを傷つけたことだけは許せない。 「悪いことをした? そう思うんならなんで追いかけなかった!? あんた、父親だろ!? 記憶がなくたって……」 「ならば、君は何故追いかけなかった?」 「……!!」 親父さんにぶつけた言葉を、背後からも同じようにぶつけられ。 オレはハッとした。 親父さんの襟首を離し、振り返ると、初老の男性が刃物のような視線をオレに突きつけていた。 「君は彼の友達なのだろう? ならば、何故追いかけなかった? この男に感情のおもむくがままに喚き散らせば、それでこの状況が好転するとでも思ったか? 実に浅はかだ。子供の絵空事ほどの価値もないな。ただの妄想だ」 「そ、それは……」 冷静な言葉の――単語の一つ一つが、胸に突き刺さる。 砂漠をも凌駕する熱さも、一瞬で冷め切ってしまった。 なんでこんなことをしたんだろうと、猛烈な後悔が嵐となって吹き荒れる。 ダイゴを含めた他の四人の視線がオレに集まる。 やっと、白マントの青年も目を開いた。水のように澄んだ青い瞳は、何の感情も宿していないように。 「父親と友達。 多少の差異こそあれど、あの子にとって大切な存在であることに変わりはない。 どうしようもない『立場』を棚に上げて相手を非難するのは、卑怯なことだ。 人間(ヒト)の風上にも置けんな」 「…………」 言うとおりだった。 今さら『父親』って立場は変えられないんだ。 なのに、オレは『父親なんだろう?』と、ことさらに強調して親父さんを非難した。 オレは……アカツキの『友達』だ。 相手を非難する前に、オレはアカツキを追いかけてやるべきだったんだ。 言われてから気づくなんて…… オレ、ホントにどうかしてた。 ショックを受けてたのはオレじゃなく、アカツキだったのに。 オレは男性の言葉をただ噛みしめるばかりだった。 理路整然と非難されても、それはそれで仕方がないことだと――オレ自身に非があるんだと、嫌というほど理解していたから。 「君は誰を助けたかったのだ? アカツキ君か。それともこの男か」 男性の向けた視線の先に、アカツキの親父さん。 誰の言葉が挟まるよりも早く、矢継ぎ早に言葉を継ぎ足してくる。 「わしにはこのような経験はないから、何とも言えん。 だが、ショックを受けたあの子を助けてやれるのがこの中にたった一人だけいることだけは確かだ。考えるまでもなかろう」 「……!!」 その言葉に。 脳裏に、アカツキが部屋を飛び出した時に見せた表情が過ぎった。 泣いてた。 ――助けてくれって、そう訴えかけているようにも思えた。 今だから……そう思える。 どうしようもない気持ちが爆発して、あんな風に飛び出していってしまったんだ。 単に衝撃を受けたから、というワケじゃない。 それだけなら、暴れるなりつかみかかるなり……できたはずだ。 誰もいない場所へ逃げようとしていたのは、助けてくれと面と向かって言えないほど、追いつめられていたからじゃないのか……? 「わしにも、ダイゴ殿にも、あの子を助けてやることはできん。 ましてや、ナオミ殿も同じことだ」 ダイゴ殿…… 彼が、彼の人生の半分も生きていないであろう若造――ダイゴさんに対して『殿』という敬称を用いたことなど、今は本気でどうでもよかった。 気にはなったけど、それを追及するのは後でもできる。 「名も知らぬ少年よ、あの子を助けてやれるのは君だけだ。 あの子のために、あそこまで熱くなれた君にしかできないことだ」 「そうだな……情けないけれど、君にしか頼めそうにない」 ダイゴさんは、顔を上げたオレの肩に手を置いた。 「アカツキ君を助けてやってくれないか。 悔しいが、僕たちではどうしようもない。 君はあの子のために、僕らの制止を振り切ってまでリクヤにつかみかかった。 故意ではないといえ、あの子を傷つけたことを心の底から本気で怒ってくれた。 君がやらなければ、僕がやっていてもおかしくはなかった」 言われて初めて――オレは知った。 ダイゴさんたちも、親父さんに食ってかかりたい気持ちを抱いてたことを。鉄の自制で、それを抑えていたことを。 オレがただ一人、心のヒューズ吹っ飛ばしてしまっただけだってことを。 ……別に、アカツキのためにって思ってつかみかかったわけじゃない。気がついたらああなってただけだ。 「オレ……」 言いかけたオレに、ダイゴさんは優しく微笑みかけた。 「友達のために本気で怒れる君だから……君にしか頼めない」 「分かりました。 オレにしか、できないんでしょ? だったら、断るわけにはいかないじゃないか」 オレは、初老の男性に身体ごと振り向いた。 「あなたの言うとおり、オレは卑怯なことをしました。 でも……あいつを助けたいって気持ちはこの場の誰にも負けないって思ってる。だから……行きます」 どうしようもない立場を棚に上げ、相手を非難した。 それって、卑怯なことだ。 オレの中にもそんなものがあったんだって、唖然とした。 だけど、今はアカツキを助けたい。 ほっとけば、あいつが心に負った傷はどんどん大きくなるだろう。 そうなる前に、何とかしなきゃ。 友達なんだ、ほっとけないだろ!! 「うむ……行きなさい」 オレは頷き、部屋を飛び出した。 オレのいない部屋で、こんな会話があったことなど、当然知る由もない。 「いい友達を持ったものだね。あの子も……」 目を細めたのはダイゴだった。 「ああ……俺でもあんな風に怒れるかは分からないね。 現役バリバリだった頃も、ダチのためにそこまでしようって思ったことはなかった」 赤毛を刈り込んだ青年が頷く。 口の端に笑みを浮かべ。 「ああいう男同士の友情には憧れちゃうなぁ。あたしも男の子に生まれればよかったわ」 「あんまり期待しない方がいいよ、フヨウ」 「ちょっとミクリ。それってどーゆー意味!?」 フヨウが白マントの青年に食ってかかる。 ミクリと呼ばれた白マントの青年は、困ったような笑みを浮かべて、 「夜に太陽を期待するのと同じだってことだよ」 「意味わかんない!!」 フヨウは眉を十時十分の形にして、猛烈な勢いでミクリに食ってかかるが、彼はあっさりと彼女の追撃を避わし――さらに怒らせる。 ダイゴと初老の男性は顔を見合わせ、ふっと微笑んだ。 少なくとも、この場の雰囲気が明るくなったのは否めない――そう思って。 家を飛び出してから、周囲を忙しなく見回したけど、アカツキの姿はどこにもなかった。 よくよく考えれば、あれから一分近くやり取りがあったんだ。 その間に全力で走れば、何百メートルも遠くに行くことができる。 「アカツキのヤツ、変な気を起こさなきゃいいんだけど……」 家を飛び出して――オレは軽い後悔を覚えていた。 アカツキが立ち寄りそうなところを聞いておけばよかった、と。 闇雲に探し回ったって、アカツキのことだ、リザードンに乗ってどっか遠い場所に行ってしまったかもしれない。 何かしらの宛があれば探しやすいんだけど…… とはいえ、今さらあの部屋に聞きに戻るというのも間が抜けている。 タンカ切って飛び出した割にいきなり戻ったんじゃ、あの初老の男性にそれ見たことかと笑われてしまうのは目に見えてる。 オレとしてもシャクなんで、それだけはできない。 でも、一体どこを探せばいいんだ? オレは空を飛べるポケモンを持っていない。空からなら探しやすいと思ったんだけど、それはできそうにない。 オダマキ博士に事情を説明して、研究所のポケモンを借りようかと思った。 その案もすぐに否決された。 オダマキ博士やカリンさんなら、親身になって聞いてくれるだろうし、間違いなく協力もしてくれる。 でも、あの人たちまで余計な心配をかけるわけにはいかない。 もう、こうなれば意地だ。 オレの力で見つけ出す。オレの力で、あいつを助けてやる!! 行く宛なんてないけど、オレは駆け出した。 人通りの多いところなら、誰かしらアカツキの姿を見ていてもおかしくない。 何もしないうちからあきらめて、妥協するなんていうのは嫌だ。 アカツキがオレに『助けてくれ』と訴えかけていたことを、無に帰すわけにはいかないんだ。 あいつを助けてやれるのがオレだけだっていうなら、なおさらだ。 「こんな経験、初めてだ……でも、何があってもやり遂げたい……!!」 誰かを助ける。 ナミもシゲルも、こんなになるまで困ったり悲しんだり泣いたりしたことはない。 だから、助けるっていう表現はオーバーだって思ってた。 ちょっと手を貸すだけで簡単に立ち直ったりしてたから、それは人助けのレベルではないと思ってた。 だけど……今、オレは生まれて初めて、友達を助けたいと心の底から思った。 アカツキのためだけに、この身体をフルに使いたいと思った。 誰かを助けるのに理由なんて要らない。 敢えてその理由を挙げるなら、『友達』だからだ。オレにとって大事と思える存在だからだ。 それだけで十分なはずだ。 下衆な感情を持ち込むほどの余地も存在しない。 見返りなんていらない。 オレが損をしたって、構わない。 誰もが持っているはずの損得勘定は、部屋を飛び出した時に一切合切捨て去った。 「アカツキ、どこへ行ったんだ……?」 昨日友達になったばかりということもあって、オレはアカツキのことを何も分かっちゃいなかったんだ。 あいつが、こんなにも思いつめてたってことも……知らなかった。隠してたんだ。 こうなったら、町中をしらみつぶしに探すしかない。 考え迷っている時間の分だけ、アカツキの置かれている状態は悪くなるんだ。 メインストリートに出るけど、そこにはいつもと変わらぬ佇まいがあるばかり。 通りを行き交う人たちの顔は明るく、アカツキが通った後とはとても思えない。 逆の方向に来たのかと思い、思わず立ち止まる。 アカツキが行きそうな場所といえば、オダマキ博士の研究所か、よくオーダイルと二人で寝そべっている、研究所の近くの丘か…… オレから見た『心当たり』はそれくらいのものだけど、行くしかないだろう。 オレは進路を東に採った。 『心当たり』に明確な根拠があるわけじゃない。 でも、思いついたからには行ってみなくちゃ始まらない。 もしかしたら、どっちかにいるかもしれないんだから。 いや…… いるとすれば、研究所の近くの丘くらいか。 弱いところを、親友の両親になんてとても見せられないだろう。 「あいつ、辛いのになんで一人で抱え込むんだ……」 アカツキは我慢してる。 我慢しすぎてる。 メインストリートを颯爽と駆け抜けながら、オレはアカツキが見せた涙の意味を噛みしめていた。 誰にも負担をかけたくないという気持ちが強いんだろう。 でも、一人で抱え込んだって、心の痛みが減るわけじゃない。 分け合えばこそ、小さく感じられるんだ。 今走っている方向で本当に合っているのか……? 真逆で、アカツキは港の方に走っていったのではないか……? そんな疑問が絶えず湧きあがるけど、オレはそれらの疑問が芽を出した瞬間に、その芽を摘み取って投げ捨てる。 「我慢しなきゃいけない時ってのを履き間違えてるよ、おまえは……!!」 オレは奥歯を噛みしめた。 人間にゃ、我慢しなくちゃいけない時ってのが必ずある。 もちろん、我慢しなくてもいい時だってある。 今のこの状況は……どう考えても後者だ。 我慢したって辛くなるだけだ。まったく好転しない。 なのに、アカツキは我慢してる。 独りで抱え込んで、誰にも負担をかけまいと耐えてるんだ。 間違いだなんて思わない。 でも、正しいとも思えない。 通りの両脇から人家が消え、景色が小高い丘に取って代わる。 右側の丘に人影を認め、オレは立ち止まった。 こっちに背を向けて座り込んでるのは……間違いない、アカツキだ。 意外と近くにいたんだな…… 感心するのは後だ。 オレはあいつが逃げ出さないように、足を速めた。 結構な傾斜の丘を一気に駆け上がり、アカツキの傍で立ち止まる。 「こんなところにいたのか。探したんだぜ」 わざと明るい声をかけ、膝を抱えて座り込んでいるアカツキの肩をポンと叩いた。 「……?」 アカツキは顔を上げ、ゆっくりと振り返ってきた。 涙は流していなかったけど、とても悲しげな表情だった。 今まで頑張ってきたことが無駄になったかのような……そんな顔。 「アカツキ、どうしたの?」 「言ったろ。探してたって」 オレが何をしに来たかも分かってない様子だった。 あるいは、分かってないフリを装っているのか……どちらとも区別はつかなかったけど。 「……ごめんね、心配かけて。でも、大丈夫だよ。少しは落ち着いたから」 ニッコリと、悲しい表情のままで微笑むアカツキ。 ……全然説得力ねえよ。 全力投球でツッコミを入れたくなるのを、グッと堪える。 ここでアカツキに強い調子で言葉をかければ、絶対に逃げられると思った。 でも、そんな顔で大丈夫って言われても、全然そうは見えない。 強がってるって、バレバレじゃないか。 「お父さんが記憶を失くしちゃってるって聞いて……やっぱり、ショックだった。 でも、気づくの遅すぎたね。お母さんに言わせちゃって……ぼくって、ダメな息子だよね」 半ばあきらめたように、肩をすくめてみせる。 アカツキは立ち上がり、お手上げのポーズを取って見せた。 オレの前でも、そうやって強がってごまかそうとするのか? オレに余計な負担を押し付けたくないって思ってるのか? 余計な負担? ……冗談。オレはそんなの余計ともなんとも思っちゃいねえ!! こみ上げる想いを、オレは抑えることができなかった。 アカツキの『身勝手さ』が、イヤになったんだ。きっと。 「なんで、そうやって独りで我慢するんだ?」 「え……?」 押し殺したオレの声に、何か感じ取ったのか、アカツキは唖然とした表情を見せた。 「親父さんがおまえのこと忘れちまって、それがショックだってのは分かるよ。 オレが同じ立場だったら、たぶんおまえと同じことやってる。 でも……だからってなんで独りで抱え込むんだ?」 「な、何を言ってるの?」 「そうやって何事もなかったようにごまかすなって言ってんだ!!」 オレは声を張り上げた。 言い終えるが早いか、固く握りしめた拳が飛んだ。 ごっ!! 乾いた音を立て、左のフックがアカツキの頬を打った。 受け身も取れず、その場に倒れ込むアカツキ。 何が起こったのか分からないといった顔で、頬を抑えながら呆然と見上げてくる。 「おまえが一番辛いってのは分かってる!! でも、だからって一人で抱え込んでいいっていう理由にはならねえだろ!?」 誰でもいい。 オレじゃなくても、お母さんじゃなくても。 せめてダイゴさんでも……他の四人でもいい。せめて誰かに、今辛いんだってことを話してほしかった。 オレはアカツキの頬を殴り飛ばした拳を震わせた。 なんとも言えない気持ちになる。 友達を殴ってしまった罪悪感や、アカツキが一人で抱え込んでるもどかしさ。 頼ってくれない淋しさもある。 「オレには、おまえがしたことが正しいかどうかなんて分かんねえ」 「だったら好き勝手なこと言うな!!」 アカツキはバネのような勢いで跳ね起きると、ありったけの声量で叫んで、オレの右頬に拳を叩きつけてきた!! 「……っ!!」 すげえ痛かった。 豊かとは言えない体格のどこにこんな力があるのかって思わせるの力を、オレは感じ取っていた。 数歩よろめきながらも、足腰に力を入れて踏ん張ったおかげで、転倒は免れた。 表情も一変していた。 眉なんか十時十分に吊り上げて、心の底から怒りの感情を露にしている。 「アカツキにぼくの何が分かるって言うんだよ!! ぼくがどれだけ辛かったか……」 言葉と共に繰り出された拳を、オレは半歩左に動いて余裕で避わす。 アカツキの上体が泳ぎ―― ばしっ!! オレはアカツキの右頬に平手打ちをくれた。 「甘ったれてんじゃねぇ!! 辛いのはおまえだけじゃねえよ!! おまえの母さんはどうだ!?」 母親を引き合いに出され、アカツキが一瞬怯んだ――ように見えた。 その隙を突くように、オレは言葉のパンチをさらに叩き込む。 「おまえよりもずっとずっと前に、親父さんの記憶がなくなってるってことに気づいたはずだ!! なのに、逃げずにおまえに真実を打ち明けたのはなんでだよ!? 答えてみろ、アカツキ!!」 「……!!」 アカツキは気づいてない。 お母さんが、どうして愛する息子に辛いことを話したのか。 父親の記憶がなくなってしまったってことが、息子を傷つけると分かっていたはずだ。 なのに、なぜ話したのか。 「本当のことを知ってほしかったからじゃないのか!? つまらないウソで、おまえを余計に傷つけたくなかったからじゃないのか!?」 「偉そうなこと言うな!! アカツキに何が分かるんだよ!!」 オレの言葉が逆鱗に触れたのか、アカツキは顔を怒気に染め、殴りかかってきた!! 「ぼくと同じような経験をすれば、同じことをするって言っといて、説教なんか垂れるなよ!!」 殴られた。 「説教!? 冗談じゃねえ。オレは事実を言ったまでのことだろ!!」 殴った。 「何も知らないくせに……ぼくがお父さんのことを愛してたことも知らないくせに!!」 殴られた。 「ああ知らないね!! 何も知らないよ!! 知りたいとも思わないよ!!」 殴った。 「うるさい、黙れ黙れ黙れ!!」 殴られた。 「自分独りが不幸を背負い込んだような顔して、ひとりで抱え込んで……それで何になるって言うんだ!!」 殴った。 殴られ、殴り、殴られ、殴り、殴られ、殴り…… 何度拳の応酬を繰り返しただろう。 気の遠くなる程の時間を殴り合ってるような錯覚を覚えてしまうほど、オレたちは本気で殴り合っていた。 お互いに本気の言葉と拳をぶつけ合い――だからこそ、お互いの本音が垣間見えたはずだ。 オレとアカツキがそれに気がついたのは、一体いつのことだっただろう…… 「はぁ、はぁ……」 息を切らし、お互いに睨み合う。 いつの間にやらもみ合ったらしく、服が皺くちゃになって、ところどころが土に塗れていた。 「……でも、これでアカツキも想いを吐き出したはずだ。少なくとも……肩の荷は下りたはず」 アカツキの眼差しが澄んでいるのを見て、確信した。 何度殴られたかな……同じだけ殴ったけど。 痛い思いしてでも、お互いの本音をぶつけ合って、分かり合えたんなら……この痛みも、無駄じゃなかったんだよな。 「なんだよ……」 オレはケラケラと、気が狂ったように笑った。笑いが止まらなかったよ。 「おまえ、結構おしゃべりなヤツなんだな。 口じゃロクでもねえこと言ってたくせに、拳だけは妙におしゃべりで、強気だったじゃないか」 「……あ……!!」 オレの言葉の意味に気づいたんだろう。 アカツキは小さく声をあげた。 そう。 アカツキの拳で何度も頬を殴られ――オレは確信したんだ。 親父さんに対する想いが純粋だってことを。 中途半端な気持ちで繰り出せるようなパンチじゃないからな。 ……って、それだけ痛い思いしちまったわけだけど、それでよかったと思ってるんだ。 お互いの本音をさらけ出して、言葉と拳でぶつかり合えた。 おかげで、分からなかったことも分かるようになったし、相手が何を考えているのかも理解する糸口の一端をつかめたようにも思えるんだ。 あー、なんていうか、すっげぇ男臭さ全開って感じだったけどな。 「おまえが親父さんのことを本当に心から想ってるってことは分かったよ。 だったら、それを言葉や態度で示していけばいいじゃないか。 独りで抱え込んで……誰にも知られないように隠したって、それじゃあ何にもならないんだぜ? 苦しいのなら苦しいって、辛いなら辛いって。 そうやって誰かに助けを求めることって、そんなにみっともないことなのか? 違うだろ。 自分独りで抱え込んで、誰も巻き込まずに解決しようとして余計に自分を傷つけることの方がみっともないだろ?」 「……うん」 アカツキは困ったような――神妙な面持ちで頷いた。 オレとの拳の応酬で、いろいろと分かってくれたみたいだ。 荒療治だけに、一か八かっていう賭けの部分は大きかったけど……でも、結果オーライだ。 痛いのは……そうだな、貸しにしとくさ。 「オレは親父や母さんが記憶喪失になったっていう経験はないから、おまえの気持ちの全部を理解することはできないけど…… でも、辛い時はどんなつまんないことだって、相談してくれていいんだよ」 オレはアカツキの肩に手を置いて、ニコッと微笑んだ。 「オレたち、友達なんだろ? 困ったり辛くなったりしたことがあったら、お互いに助け合わなきゃ。そうだろ?」 「……うん」 友達って、そういう間柄のことを言うんじゃないだろうか。 切磋琢磨したり、助け合ったり……時には今のように拳と拳をぶつけ合ったりもする。 オレは、アカツキとそういう間柄でいたいと思ってるんだ。 「ごめん。ぼく、間違ってたね」 アカツキは小さく笑い、オレの目をまっすぐに見つめてきた。 「誰にも心配かけたくなかったけど……キミに心配かけちゃったね。 きっと、お母さんやダイゴさんも……みんな心配してくれてるんだろうなあ……」 「そりゃあ……な」 オレは思い切って、あの部屋で交わされたやり取りをアカツキに話した。 はじめは驚いていたけど、みんなが見せた反応を頭の中に浮かべて納得したんだろう。 すぐため息に変わった。 「後で謝らないと……お母さんには」 「そうだな。さり気ない言葉でもいいから、お母さんにだけは謝っといた方がいいよな」 辛かったのはアカツキだけじゃない。 彼のお母さんの方が、むしろ辛い想いをしていたはずだ。 それが少しでも分かったなら……きっと、同じ過ちは二度と繰り返さないはずだ。アカツキなら、きっと。 根拠はないけど、なんとなくそう思える。 「……いきなり殴ったりしてごめんな。 言葉だけじゃ、たぶん納得させることができなかったと思ったんだ」 先の展望も見えてきたところで、オレはアカツキに頭を下げて謝った。 どんな事情があるにしても、いきなり殴りかかってしまったのは、オレの不徳のいたすところだ。弁明の余地もない。 頭を上げた時、目の前にアカツキの驚いた顔があった。 なんでオレが謝ったのか、ワケが分からなかったのかもしれない。 でも…… 「ううん、悪いのはぼくの方だよ。 アカツキはぼくの目を覚まさせようとしてくれたんだよね。だったら、謝ることなんてないよ」 アカツキも謝ってきた。 「…………」 なんでだろ。 いろいろと誤解や気持ちのすれ違いもあって、殴り合っちゃったけど。 その誤解が紐解けたっていうか、すれ違ってた気持ちもちゃんと通うようになったっていうか…… 妙に、スッキリしてるんですけど。 「……今になって思うんだけど……」 アカツキはその場に座り込み、空を仰ぎながら言った。 「お父さんが記憶喪失だって知った時…… どうしようもない気持ちと一緒に、あの時のことを忘れていて良かったって、そんな気持ちもあったんじゃないかなあ、って」 「…………」 オレは黙って耳を傾けていた。 アカツキの隣に腰を下ろし、青空を仰いだ。 大小さまざまな形の雲が、ゆっくりと流れてゆく。 あの時…… どんな時か、言われなくても分かるのは、アカツキの気持ちを少しでも理解してるからかもしれない。 そう思いながら、次の言葉を待つ。 「でも、今は違うよ。 ぼくのことを、どんなことでもいいから、覚えてないってのは辛いし、とても淋しいよ」 争ったと言っても、相手は自分に血を分けてくれた父親だ。 辛い思い出しかなくても、覚えてないと言われるのは、それ以上に辛いだろう。 ましてや、アカツキは親父さんのことを今は大切に思っているんだから。 「だからね……これからはぼくとお母さんがずっと傍にいて、お父さんが記憶を取り戻す手伝いをしたいって思ってるんだ」 希望に弾んだ明るい声に振り向くと、アカツキはオレの顔を見つめて、ニッコリ微笑んでいた。 「そうだな……真っ先にお母さんに話してやったらどうだ? きっと喜んでくれるよ」 「うん」 笑みを返すと、アカツキは大きく頷いた。 あー、でも……殴り合いました、なんて言ったら、どんな顔するんだろ。 子煩悩な母親っぽい雰囲気を持ってるアカツキのお母さんだけに、バカ正直にアカツキとのやり取りを話したら、一体どうなるんだろ。 考えてみるんだけど……なんか、すっげぇ怖いんだよな。 「ねえ、アカツキ」 「うん?」 「キミがぼくと友達になってくれて、本当に良かった…… キミじゃなかったら、きっとあんな風にしてまで、ぼくの目を覚まさせてくれなかったって思うんだ」 「よせよ、オーバーだな」 アカツキは真剣な口調で謝意を述べてくれたけど、オレは苦笑を漏らすしかなかった。 だってさ、オーバーすぎじゃないか。 オレじゃなかったら、あの中の誰かがオレと同じことをしてたんだし。 ただ、気づくのが早かったか遅かったかっていう、タイミングの違いにしかならないんじゃないかって思うよ。 「オレもさ、君と友達になれてよかったって思ってる。 だって、こういう経験、滅多にないだろ?」 「う……そりゃ、そうだけど……」 アカツキは表情を引きつらせた。視線があちらこちらに泳いでいる。 並大抵の関係じゃ、あんな風に本音を織り交ぜながら殴り合うなんてことにはならないはずだ。 だから、ある意味じゃ貴重な経験だったのかも。 「やっぱり、あんな顔はアカツキには似合わないよな」 オレはその言葉を口に出さなかった。 さっきまでの表情とはまるで違う。 一人で世界の不幸を背負い込んだような顔をして、独りで何もかも抱え込もうとしてた時とは違う。 悩みを打ち明けられる相手がすぐ近くにいるってことを知ってほしかった。人は一人じゃ弱いけど……何人も集まれば強くなれるんだって。 「……昨日から気になってたことがあるんだけど、聞いていいか?」 弾かれたように顔を上げるアカツキ。 そろそろ、この話はこれくらいにしよう。 いつまでも引きずってると、かえってやりにくくなるだろうって思ったんだ。 オレは返事を待たずに、質問をぶつけた。 「さっき部屋にいた灰色の髪の人……ダイゴさんって言ったっけ。 あの人なのか、リザードンの前のトレーナーって?」 「うん。あの人だよ。リザードンの前のトレーナーは」 口ごもるかと思ったけど、アカツキは意外とあっさり答えてくれた。 そっか…… ダイゴっていう名前を聞いて、ピンと来たんだ。 さっきは、それどころじゃなかったから、わざわざ口に出そうとは思わなかったけど。 昨日、アカツキが言ってた。 色違いのリザードンは、ダイゴという人とトレードしてゲットしたポケモンだって。 ダイゴさんだけじゃない。 他の四人も、ただのトレーナーじゃないことは明らかだ。 見た目がまるで違う五人(そのうち四人は同年代だったけど、着衣のセンスは明らかに違ってる)が一堂に会するっていう状況はいかがなものか。 単に気が合っただけかもしれない。 でも、それだけじゃ、こんなところまで繰り出してくる理由が説明できないんだ。 恐らく――警察から連絡を受け、自分たちの目で確かめるためにやってきたんじゃないだろうか。 そう考えれば、あの人たちがあの場にいた理由も説明がつく。 まあ、実際に確かめてみなきゃ、推測の域を抜けることはないんだろうけれど……正直、もうどうでもいいんだけどさ。 オレが知りたかったのは、あれほど強いリザードンを気軽にトレードに出すトレーナーのことだ。 普通のトレーナーなら、惜しくてとても出せないだろう。 出すにしても、それ相応のポケモンを要求してくるはずだ。 単に鋼タイプを極めたいから、というだけでトレードに応じるんだから、アカツキに肩入れでもしてたのかと思ったんだけど。 「ダイゴさんは、ぼくならリザードンを家族のように愛してくれるって、そう言ってくれたんだ。 ぼくも、ダイゴさんなら世界一のエアームドにしてくれるって思った」 「そっか……」 リザードンをゲットした時のことを懐かしむように言うアカツキ。 オレは、その時の情景をなんとなく頭に浮かべてみた。 なんか、結構いい雰囲気のように思えるんだなぁ。 オレはトレードなんて一度もやったことないから、どういう雰囲気なのかは分からないんだけど。 ああ、オレがいい雰囲気だって思ってるのは、アカツキとダイゴさんの間に流れてる空気のことだよ。 アカツキは共にいるポケモンのことを家族のように思っている。 トレードに出したエアームドも、家族として長い間接してきたに違いない。 だから、そう簡単には決められなかったはずだ。 夢のために家族を犠牲にするのか、という問いかけに等しいトレード。 結論を出すのには、結構悩んだに違いない。 それをサラリと言ってのけるのは、相手のことを――ダイゴさんのことを信じているからじゃないだろうか? 世界一のエアームドに育ててくれるって。 自分と同じように、エアームドを家族として接してくれるんじゃないかと。 都合のいい思い込みかもしれない。 でも、アカツキは夢のために家族を簡単に犠牲にできるようなトレーナーじゃない。 オレの知る限り誰よりも優しくて……でも、脆くて弱いところも持ってるトレーナーだ。 だから、ポケモンだってアカツキのために全力を出し切って頑張ってるんじゃないだろうか。 なんとなくだけど、そう思える。 「あ、あのさ……」 息を弾ませ、慌てたような素振りなど見せながら、アカツキが早口で捲くし立ててきた。 「アカツキは最強のトレーナーになりたいんだよね。だったら、何か大きな大会に出たりはするのかな?」 「大会ねえ……」 なんか、論点を摩り替えようという魂胆がミエミエなんだけどさ。 ここでそれを指摘したって時間と労力が無駄になりそうな気がして、何も言わずに話に応じる。 いかにもオレが食いついてきそうな話題に絞ってるあたり、そこそこ考えてはいるみたいだけど…… サトシだったら何の疑いもなく話に乗るんだろうな。 なんてことを考えつつ、オレは口を開いた。 「カントーで十二月の中旬くらいから『カントーリーグ』っていうポケモンバトルの大会が開かれるんだ。 それに参加するつもりさ。 バッジはもう集めたし、開催までに大会で通用するレベルまでみんなを強く鍛え上げるだけってところ」 「そうなんだ……ホウエン地方でも、十二月に入ってすぐに『ホウエンリーグ』っていう大会があるんだよ」 「地方の名前にリーグって言葉をくっつけてるだけだけど……一応ポケモンバトルの大会なんだな」 カントー地方だからカントーリーグ。 ジョウト地方だからジョウトリーグ。 そして、ホウエン地方だからホウエンリーグ。 なんつーか…… めちゃくちゃ安っぽいネーミングだけど、その大会に参加するトレーナーの気合の入れ方はハンパじゃない。 参加するからには、目指すはもちろん優勝の二文字のみ。 幾多の強豪を倒した先にあるその二文字は、ただ一人しか手に入れることが許されない、厳しい戦いだ。 いや、戦争って言ってもいい。 サトシが出てたカントーリーグとジョウトリーグはテレビで観た。 八つのバッジを集めなければ出場できないだけあって、バッジを集め抜いたトレーナーたちのレベルはいずれも高かった。 予選ですら屈指の好カード、という場面も何度も見受けられたほどだ。 オレも、カントーリーグに出るからには、もっともっと強く、どんな相手にでも勝てるようなチームを組む必要がある。 やるべきことって、やっぱり多いんだよな…… なんて考え込んでいると、アカツキが困ったような表情で、オレの顔を覗き込んできた。 「大丈夫? 何か深く考えてたみたいだけど……」 「あ、ああ。別に大丈夫だ」 深くってほど深くは考えてなかったんだけどな。 アカツキにはそう見えたのかもしれない。 目の前の友達を安心させるために、オレはニコッと笑みをつくった。 「ちょっと、カントーリーグのことを考えててさ」 「カントーリーグかぁ……」 感慨深げな声音で言い、アカツキはその場に仰向けに寝転がった。 空を見上げ、口元を緩める。 そっちこそ何か深く考えてるのか……? 思わずツッコミたくなるような姿を見せていたけど、ここは我慢のしどころだ。 「バッジは八つ集めなきゃいけないってことだよね?」 「そうだな。ホウエンリーグでも同じなんだろ」 「うん」 つまるところ、出場するには八つのバッジをゲットしなきゃいけないってことは変わらない。 バッジはその地方のジムのものしかカウントされないから、カントー地方のリーグバッジを八つ集めても、ジョウトリーグに出場することはできない。 「アカツキはもうバッジを八つ集めてたんだね。 どうりで、あんな強い技を使えるフシギバナを出してくると思った」 誉め言葉のつもりだろう。 一応、そのように受け取っとく。 ラッシーのことを誉められるのは、オレとしてもうれしい限りだからさ。 とはいえ……そう言われると、言い返したくなるのが性分だったりするんだよな。 「そういうアカツキだって、あんな強いリザードンを持ってるんだ。 リーグバッジだって集めてたりするんじゃないのか?」 お互いに、大きな大会に出るとか出ないとかといった話には触れなかったけど……今になってとても気になるんだ。 アカツキが無理に話題を変えてきたのも、そこんとこをはっきりさせたかったからかもしれない。 「一度だけ、ホウエンリーグに出たことがあるんだ」 ぶっ!! 思いもよらない――ある意味では当然の――言葉に、オレは思わず吹き出してしまった。 自分でも「汚ねっ!!」って分かってはいたんだけど…… 「道理であんなに強くポケモンを育ててるわけだ……」 リザードンはともかく、一番手に出してきたアブソルだ。 蝶のように舞い、蜂のように刺すという言葉がピッタリ似合うほどの身のこなしと力強さを兼ね備えていた。 もしも剣の舞で極限まで攻撃力を強化していたら、ラッシーでもかなり危なかったかもしれない。 なんだ、おとなしそうに見えて、実はポケモンバトルにのめり込んでたりするんじゃないか。 ホウエンリーグ出場までにバッジを八つ集めたんだから、それまでの間に、ポケモンを強く育て、トレーナーとしても成長したんだろう。 「やっぱ、お互いにバッジを集めただけのことはあるってところだな……」 オレはお口直しの代わりに咳払いをした――そこんとこ、妙に親父っぽいって指摘もあるんだけど、気にしない気にしない。 「サトシはいくつか大会には出たって言ってたけど、ホウエンリーグにも出るつもりだって言ってたよ」 「だろうな」 アカツキの言葉に、オレは半眼で頷いた。 ンなこと、聞くまでもない。 サトシのことだから、大会という大会には片っ端から出るつもりなんだろ。 あいつの直情的な性格は、まあ……暑苦しい点さえ除けば、嫌いじゃないな。 「アカツキは出るの?」 「は?」 出るのかって……? オレはカントーリーグの出場権を確保して、大会が開かれるまでの間は、ホウエン地方でまだ見ぬポケモンに触れたりして、 もっともっと貪欲に知識を得ようとやってきたわけで……ホウエンリーグに出ることなんて、まったく考えてはいなかったんだ。 だから、アカツキの一言はまったく予期せぬ方向から投げかけられたように感じた。 「考えたことなかったな。 カントーリーグには出るけど……大会を掛け持ちするのって、大変なことだと思うんだよ。 気持ちの切り替えっていうか……まあ、そこんとこ」 「そうだよね。二つはキツイよね。同じ時期だし」 ほほぉ…… 言い出しといて、そうやって相槌打ちますか…… 空に視線向けたままのアカツキに投げかける眼差しが妙に据わってる。 自分で気付けるんだから、なんかそれだけの心のゆとりみたいなものがあるってことなんだろう。 あー、なんだかなぁ。 「ぼくは、今回は出ようかなって思ってるんだ」 「今回は……?」 なんか意味深な言葉に、オレは思わず反応してしまった。 前回のホウエンリーグに出たってワケじゃなさそうで……じゃあ、前々回? オレの考えてることを察してか、アカツキは絶妙なタイミングで言葉を付け足してきた。 「前回は出なかったんだ。 おじさん――オダマキ博士とユウキの三人でフィールドワークしてたからね。 でも、今回は出ようって思ってるんだよ」 身体は動かさぬまま、顔だけこちらに向けてくる。 笑みを深めて。 「だって……サトシやアカツキっていう新しいライバルができたんだよ。 ぼくだって、ノンビリはしていられないなって、そう思っただけさ」 「そっか……」 ライバルねえ…… いつ聞いても新鮮な響きだったりするんだよな、その言葉。 友達だけど、トレーナーとしてはライバル。 オレもアカツキのことはそういう風に認識してるつもりだ。 「じゃあ、またもう一度バッジを集め直すのか?」 話の腰を折るわけにもいかなかったんで、オレは問いを返すしかなかった。 アカツキが出たのは前々回のホウエンリーグだ。 一年の間を空けたのは、ユウキとオダマキ博士の三人でフィールドワークに勤しんでいたから。 アカツキにとっては、ホウエンリーグよりも楽しくて有意義なものだったんだろう。 今、ユウキはミナモシティに留学し、オダマキ博士もどこか忙しげ。 その上、オレやサトシというライバルもできた。 追い越されるわけにはいかないと、そう思ったんだろう。 ナンダカンダ言って、負けたくないとか、追い越されたくないとかって言葉は使わないのな。 まったく、変なところで意地を張ってるんだから。 そういうとこ、サトシにもちょっとは似てるかな。 「ううん、本選に出られたトレーナーは、三年以内にもう一度だけ、バッジを集めなくても出場することができるんだって」 「へえ、そんな制度があるのか……」 オレは舌を巻いた。 単にオレがそういった制度に疎いだけかもしれないけど。 アカツキはバッジを集めなくても、もう一度だけホウエンリーグに出場できるってワケか。 でも、予選はちゃんとクリアしていかなきゃいけないんだろうな。 いくらなんでも、無条件で本選出場、ってことはないと思うけど。 「正直、日程的には結構キツイな……」 オレは正直な気持ちを口にした。 カントーリーグ、ホウエンリーグと立て続けに大会に出場するとなると、カントー地方へ戻るのにも強行軍になるだろう。 日程的に、精神的にも結構キツイところがある。 「でも、ぼくはホウエンリーグでアカツキと決着つけたいな」 「え……?」 魔法にかかったように、オレは一瞬、何も考えられなくなっていた。 決着……か。 すぐに思考が働きだす。 昨日のバトルは審判を務めたカリンさんの一言で引き分けになっちゃったんだよな。 白黒はっきりついてない状態で、灰色。 勝ちも負けもない。中途半端な結末。 負けるよりはマシという肯定的な考え方もできるし、勝ちでないのなら、引き分けなど負けと同じだと、シゲルのような否定的な考え方だってできる。 どっちにしても、白黒はっきりつけるっていう意見には賛成だな。 どちらつかずの状態で終わるっていうのも、シャクだ。 「じゃあ、出てやろうか?」 「ホント!?」 オレは挑発的に言ったつもりだったんだけど、アカツキは飛び起きて、瞳をキラキラ輝かせて振り向いてきた。 日程的、精神的にハード。 でも、それにチャレンジしてみるのもいいかもしれない。 時間的な余裕を失くして、自分をちょっとした崖っぷちに追い込めば、余計なことはしなくて済むだろうし…… 一歩道を踏み外せば崖下へ真ッ逆さまってところなんだけどな。 すごい勢いで心変わりしたんだなあって、自分でも思う。 あんまり出る気なんてなかったけど、ちゃんとした形で決着つけたいっていう気持ちはオレもアカツキも同じだ。 だったら、いっそ後学のためにも出場してみようって思ったんだ。 ホウエンリーグでどれだけのレベルに達したのか、まずは軽く試してみるのもいい。 カントーに戻るまでの間に欠点を見つけ出して、それを補えるようにパーティを組み替えたり、必要な技を教えておけばいい。 つまり――ぶっちゃけ、カントーリーグの『練習』だと思えばいいんだ。 さすがに口には出せない一言だけどな。 「そこまで期待されちまうと、冗談じゃすまなくなりそうだしな……いいぜ、出てやるよ」 オレは宣言した。 この際、白黒はっきりつけた方がいい。 「ホント!?」 なんか、アカツキはすごくうれしそうだった。 こういうのも……なんか悪くないかも。 「それじゃ、ホウエンリーグで決着つけようね」 「ああ、望むところだ」 アカツキはニコニコしたまま、手を差し出してきた。 差し出された手をガッチリ握る。 「絶対に勝つからな。それまでにもっとポケモンを育てとけよ」 「アカツキこそ……ね」 本気で挑発するつもりで投げかけた言葉にも、笑みを浮かべたままで返す。 ライバルっていいなあ……って、心の底からそう思った瞬間だった。 翌日。 オレは北ゲートで、コトキタウンへ向かってミシロタウンを発とうとしていた。 「アカツキはこれからどうするんだ? 親父さんの傍についててやるのか?」 「うん、そのつもり」 オレの投げかけた質問に、見送りに来てくれたアカツキは小さく頷いた。 その顔には明るい笑みが浮かんでいる。 昨日はいろいろあったけど、一晩経って気持ちもずいぶん落ち着いてきたんだろう。 親父さんの記憶は今もまだ戻っていない。 いつ戻るか分からないから、アカツキは親父さんの傍で粘り強く、記憶を取り戻す手伝いをするつもりだという。 それが息子としての義務だと、力強く、誇らしげに言ってたっけ。 お母さんも、頼もしげにアカツキのことを見ていたよ。 これなら心配要らないと、ダイゴさんたちは五人揃って、昨日のうちに帰っていった。 とはいえ……気になるのは、彼らが何者かってことだよな。 考えられるのはポケモンリーグの関係者だけど…… あんな個性的な服装をした連中がゴロゴロしてたりするんだろうか、ホウエン地方の支部って? アカツキに聞いてもはぐらかすばかりで彼らの正体は分からずじまいだった。 まあ、機会があればいずれは分かるかもしれないし。 「でも、トレーナーとしての修行は怠らないよ。 そうじゃなきゃ、アカツキにあっという間に追い抜かれちゃうと思うからさ」 「まあ、当然だな」 オレはニヤリと口の端をゆがめた。 ぼーっとなんてしてたら、あっという間に追い抜くくらいの気持ちはあるんだ。 アカツキのことだから、たゆまぬ努力を続けていくとは思うけど……自分で自分に釘を刺すのって、どういう気分なんだろう。 ……なんて考えてみたりした。 「親父さんのこと、大切にしてやれよ。 オレも……今は親父のこと、大切だって思ってるからさ」 「うん。 正直、息子として見てもらえなかったり、接してもらえなかったりするのは辛いけど……でも、お父さんはお父さんだから」 「ああ。それじゃ、行くぜ。次はホウエンリーグの舞台で会おうな」 「うん。楽しみにしてるよ」 オレは片手を挙げ、アカツキに背を向けて歩き出した。 こんなにワクワクしたのは……もしかしたら、初めてかもしれない――そう思いながら。 まずはコトキタウンだ。 昨日はアカツキの親父さんを見つけちまってから、いろいろとゴタゴタして出発の時機を失してしまったけど…… 今度こそはホウエン地方の各地を旅して回れるんだ。 ホウエンリーグに出るべく、八つのバッジを集めるという目的も新たに加わって。 大変だけど、楽しい旅になりそうだ。 漠然とした予感が確信に変わるのに、時間はそれほどかからなかった。 青い空のような澄んだ気持ちを胸に、コトキタウンへ続く101番道路を北へ行く。 To Be Continued…