ホウエン編Vol.03 何かがかすかに始まるところ 「やっと着いた……」 オレは目の前に広がる町並みを前に、足を止めてため息を漏らした。 コトキタウン。 ミシロタウンの真北に位置する町で、その規模はミシロタウンに毛が生えたような程度。 まあ、それでもミシロタウンよりは人がちょっとだけ多いってところか。 片田舎ってほどじゃないけど、都会と呼ぶには程遠い……っていう、ある意味中途半端な規模の町だ。 ホウエン地方の地図には、『何かがかすかに始まるところ・コトキタウン』なんて謳い文句が頭にくっついてたっけ。 何かがかすかに始まるところ、ねえ…… 言っちゃなんだけど、そんな感じ全然しないんだよな。 ミシロタウンと雰囲気はよく似ていて、建物の立ち方や街路樹の配置とかもよく似ている。 片田舎でも都会でもない中途半端さは、カントー地方の町にたとえるなら、ニビシティかシオンタウンあたりが妥当だろうか。 とはいえ、ここがオレにとって、ホウエン地方で二番目に訪れる町ってワケだ。 とりわけ強調できるのはそれくらいだから、考えれば考えるだけ、かえって虚しくなる。 「でも、自然が豊かなのは、見てて悪い気はしないな」 地図を折りたたんでポッケに滑り込ませ、オレは今晩の宿となるポケモンセンターへと足を向けた。 町の周囲は緑が色濃くて、一見すると森の中に町があるように見える。 街路樹が通りの両脇に点々と植えられているけど、都会に比べればまだ緑が多いと言ってもいいだろう。 通りを行く人たちは、ミシロタウンよりは都会っぽいファッションに身を包んでいるけど、 それがむしろ田舎でも都会でもない中途半端さをにじませている。 なんか、ビミョーな町だ。 どうせなら、都会か田舎かのどっちかに傾けばいいんだけど、どっちにもなれないんだろうなあ…… どっちつかずの気持ちってのも、結構難しいものがあるんだ。 そうそう。 緑が豊かと言えば、ミシロタウンと今いるコトキタウンを結ぶ101番道路はアスファルトの舗装もされてなくて、両脇には森が広がってたっけ。 ホウエン地方は緑豊かな地方だと聞いたけど、もしかしたら、ホントにカントー地方よりも自然の恩恵を受けているのかもしれない。 なんてことを思いながら歩いていると、道の先にポケモンセンターが見えてきた。 町々によって外観は異なっているけれど、看板代わりのモンスターボールがでかでかと掲げられているのを見れば、一目瞭然。 オレのようなトレーナーやブリーダーが一番よく立ち寄る施設だから、目立つようにモンスターボールのボードが掲げられてるんだ。 やっぱり、そこんとこは地方が違ってても同じなんだよな。 全国共通ってことで統一されているようだ。 だから、違う地方に来ても、安心してポケモンセンターに寄っていけるんだよ。 磨き抜かれて鏡のようになっている自動ドアがお出迎え。 オレはゆっくりとスライドしていくドアの前でほんの少しの間足を止め――ドアが開いた瞬間、猛烈な勢いで向こう側から少年が飛び出してきた!! 「うわっ!!」 思わず声をあげながらも、オレは間一髪のところで、少年のタックルから身を避わした。 ……ってヲイ、危ねえなぁ。 謝りもせず、何事もなかったように走り去っていく少年の背中を見つめながら、オレは胸中で愚痴った。 はて……? こんな展開、どっかであったような気がするんだよな。 ……どこだったっけ? 似たような状況を前に一度経験したような気がするんだ。 でも、少年が交差点を右折して姿を消したところで、オレは考えるのを止めた。 考えたって何にもならないってことに、今さらながら気づいたんだな。 ま、生きてく上じゃ、こういうことは何度だってあるもんだ。 今のはそのひとコマってことで、気にしたって仕方がない。 ただ、彼はとても慌てているように見えたな。 約束の時間に遅れて友達を待たせてるような……そんな感じだった。 「ま、関係ないよな……」 過去は過去と割り切って、オレはポケモンセンターに足を踏み入れた。 淡いオレンジのタイルはピカピカに磨き上げられ、天井から煌々と降り注ぐライトを床面で反射している。 控えめな色の天井や壁とマッチして、さながら光の中にいるような錯覚を覚える。 佇まいは質素だけど、都会の下手なポケモンセンターよりはよっぽど雰囲気的に安らげるな。 壁に沿ってソファーが並んでいて、ロビーの中央部はゆったりと広がっている。 普通のポケモンセンターだったら、病院の待合室のごとく椅子がダダダダーッ、と並んでるんだけど。 こういう方が、どっちかというといいかも。 ポケモンの毛を梳いてたり、ポケモンフーズを食べさせたりしているトレーナーやブリーダーを横目に、 オレはカウンターの向こうでパソコンと睨めっこしているジョーイさんの傍へと歩いていった。 「今晩泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」 「空いていますよ。キーを発行しますから、少々お待ちください」 ジョーイさんはニコッと微笑み、快く応対してくれた。 続いて、キーボードをカチカチと激しく叩く。カードキーを発行してくれているようだ。 「ポケモンの回復はどうしますか?」 「うーん、今回は大丈夫です。ありがとう、ジョーイさん」 ポケモンの回復は必要ないか。 ここまでは一人で歩いてきたし、誰もモンスターボールの外には出していない。 レキと一緒に行こうかと思ったけど、あの性格を見てみれば、今日一日みんなとゆっくりするだけで十分仲良くなってくれるだろう。 なにせ、レキは誰かさんと違って人見知りしないし、甘えん坊だし、無邪気な性格の女の子だ。 同族の女の子に言い寄られた程度で逃げるような誰かさんとは大違いだ…… ……おっと。 天と地ほどの差があるんで、つい本音を心ん中に垂れ流しちまったけど……そう思うのって、やっぱり仕方ないんだよなぁ。 ルースがああなった原因はオレたち人間にあるわけだし、なんとかして元来の性格に戻してやるのも、 オレたち人間が積極的に関わってかなきゃいけないことなんだよな。 オレたちと一緒にいる分には元気だけど、知らない人やポケモンを前にすると、すごく臆病になる。 せめて、ホウエンリーグが始まる前までにはなんとかしとかないと…… どうしようかと思案していると、ピーという甲高い電子音が鳴った。 音のした方に顔を向けると、機械の口からカードキーが飛び出てくるところだった。 それを手に取り、ジョーイさんはニコニコ笑顔でオレに渡してくれた。 「左側の廊下を渡ってすぐの部屋です。どうぞごゆっくり」 「ありがとうございます」 礼を言い、小さく頭を下げると、オレはカードキーに刻印された部屋へ向かった。 このポケモンセンターは二階だけど、オレの部屋は一階だ。 できれば上の部屋の方がいいけど、今さら変えてくれと言うのも気が退ける。 上の部屋の人が、ドタバタしなきゃいいんだけど……なんて思いつつ、ロビーの左側の廊下を渡る。 廊下は天井から側面にかけてガラス張りになっていて、燦々と降り注ぐ陽光がプリズムのように反射して、 周囲の緑と相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。 うーん、これも落ち着くなぁ…… ロビーが本館で、宿泊室が別館といった感じになっていて、今歩いている廊下は二つの建物をつなぐ通路といった感じだ。 廊下を渡り終えてすぐの部屋が、カードキーに記された部屋番号と一致する。 キーを差込口に差し入れると、小さなLEDのランプが緑に点灯し、カチッと鍵の開く音がした。 キーを抜いてノブを下げる。 ドアを押し開き、部屋に入った。 一人用の部屋だけに、それほど広くはなかったけど、ロビー同様落ち着いた雰囲気で、これならよく眠れそうだ。 淡い色調の天井と壁、クリーム色のカーペットが床に敷き詰められていて、まるで水墨画の中にいるような気分になる。 とはいえ、これじゃあみんなを出してくつろぐこともできそうにない。 これから向かうべき場所が、自ずと導かれる。ガラス張りの廊下から望んだ、ポケモンセンターの庭だ。 ひと休みしてから向かうとしよう。 ミシロタウンからここまで歩き詰めだったから、結構足とか痛くなっててさ。 リュックを下ろしてベッドで横になる。 存分に身体を伸ばして、リラックスする。 「親父、今頃何やってんだろうなぁ……」 脳裏に浮かんだのは親父の得意げな表情。 仲直りするまでは、それがとても嫌みったらしく見えたものだけど……今では、とってもまぶしいものに思える。 なんで親父のことを思い浮かべたのか…… 答えは簡単だった。 ミシロタウンでアカツキと親父さんのことを見てきたからだ。 別に、家が恋しくなったわけじゃない。 ……ホントだぞ。 まあ、オレのことはともかく…… アカツキの親父さん、記憶を失くしちまってたんだよな。 俗に言う記憶喪失ってヤツだけど、やっぱり当事者になってみないことには、その苦しみっていうか悲しみっていうか…… そういうのは分からないんだよ。 アカツキなんて、投げやり気味になってたからさ。 拳とか言葉とかいろいろ使って立ち直らせることはできたけど。 もし……オレもアカツキと同じ立場になったら、自暴自棄になっていたとしてもおかしくない。 だから、思うんだ。 オレはまだ幸せな方なんじゃないかって。 アカツキが不幸だって言ってるわけじゃない。 ただ、オレの方がちょっとだけ幸せなんじゃないかって。 今までは険悪ムード満点だったけど、今はホントの親子だって、お互いに心の底から認め合える。 ケンカしたりいろいろ話したり……その時の記憶はちゃんとある。 親父の胸の中にもあるはずだ。 でも、一時的とはいえ、アカツキの親父さんは楽しい記憶も悲しい記憶も失ってる。 アカツキのことも忘れてしまっている。 考えてみたんだ。 もしも親父がオレのことを忘れてしまったらどうしよう……って。 とっても辛いよ。 「……親父、オレ、すっごく幸せだよ」 思わずつぶやく言葉がすべてだった。 共に過ごしてくれる仲間がいて、決して負けられないライバルもいて。 それだけで十分とは決して言えないけれど、今はそれでいい。 「だから、頑張らなきゃな」 いろいろと思うところはある。 でも、今はやらなきゃいけないことがあるんだ。 考えるのはこれくらいにしよう。 オレは起き上がり、モンスターボールだけを腰に差して、部屋を後にした。 鍵もちゃんとかけたことだし、荷物は置いて行っても問題ないだろう。 すぐ近くにあったドアを抜けると、緑がいっぱいの庭に出る。 意外と広くて、みんなが走り回ってもなお余りあるほどのスペースがあった。 「よし、みんな出て来い!!」 オレはモンスターボールを手に取り、一気に空へ投げ放った。 ぽぽぽぽぽぽんっ!! 次から次へと口を開いたモンスターボールから、みんなが飛び出した!! 向かって左からラッシー、ルース、レキ、リッピー、ラズリー、ルーシー。 みんな揃って清々しい表情を見せている。 ポケモンにとっても、緑という色は安らぎを与えてくれるものらしい。 「ピッキ〜♪」 真っ先に動いたのはリッピーだった。 マイペースな性格のせいか、何をやるのにもぶっつけ本番って感じが強い。 まあ、誰のペースにも引きずられないって強みもあるわけだから、マイナス面は考えないことにしよう。 明るい声で歌い、陽気に踊り出す。 それをキッカケに、みんなもそれぞれの時間を過ごし始めた。 「バーナー……」 低い声を上げ、ラッシーが歩み寄ってくる。 進化のせいで身体が大きくなり、フシギソウの時ほど軽やかな動きはできなくなったけど、明るい笑顔は変わらない。 「ラッシー、どうしたんだ? それに、レキも……」 ラッシーの傍ではしゃいで、オレに擦り寄ってきたのは言うまでもなくレキだった。 「ゴロゴロ〜っ」 「レキはいつも元気だな〜」 オレは屈み込み、レキの小さな身体を抱き上げた。 進化したら身体も大きくなるから、こうやって抱いてやることもできなくなるんだろうな。 今だからこそしてやれることなのかもしれない。 「バーナー……」 レキにばかり構っていると、ラッシーが怒ったように唸り声を上げた。 顔を向けると、どこかむくれた表情を突きつけるように向けてきていた。 ……あれ、もしかしてヤキモチ? 今までにない状況に、ラッシーもついにヤキモチを妬くようになったようだ。 「ラッシー、別に君のことをないがしろにしてるわけじゃないよ」 オレはラッシーが伸ばしてきた蔓の鞭をそっと握った。 そういえば……オレはラッシーと初めて出会った時のことを思い出した。 今と同じように、オレの眼前に、蔓の鞭を伸ばしてきてたっけ。傍にいたじいちゃんが言っていた言葉―― 「バトルの時以外で蔓の鞭を伸ばすと言う行為は、フシギダネやフシギソウ、フシギバナにとっては友愛を示すものなんじゃよ」 友達になろう、という意味。 オレはその言葉に何の疑いも抱かず――ラッシーの鶴の鞭をそっと握った。 ポケモンから友達になってくれと言われるなんて思ってもいなかったから、とってもうれしかったよ。 そうして、オレたちは友達になった。 いつしか家族になっていたんだけど……そういや、こういう風に蔓の鞭を伸ばしてくるのも、ずいぶんと久しぶりのような気がするなぁ。 「ラッシー、君がオレたちのチームの大黒柱なんだ。 みんな、君のことを頼りにしてる。オレももちろん頼りにしてるよ」 ニッコリと微笑むと、ラッシーの表情も綻んだ。 ヤキモチ妬いてた割には、ずいぶんと簡単に熱を冷ましたもんだ…… というのも、レキがオレの腕の中でじゃれ付きながら、ラッシーの蔓の鞭に向かって手を伸ばしていたからだ。 レキも、ラッシーに甘えたいんだろうか。 ラッシーとしても、まんざらでもないってところなんだろうな。 こうやって新しい仲間と親交を深めてもらうってのも、大事なことだ。 オレはレキを地面に下ろした。 すると、レキはラッシーに駆け寄り、 「ゴロ!?」 人懐っこい声をあげてじゃれ付き始めた。 ラッシーは笑顔をレキに向け、背中から伸ばした二本の蔓の鞭をその眼前で左右に揺らしてみせた。 楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるレキ。 ラッシーも、レキのような仲間が加わってうれしいんだろう。 レキとこうやって遊ぶのも、考えてみれば初めてなんだっけ。 顔合わせは済ませたけど、いろいろとあって、それ以上のことはしてこなかったんだ。 まあ、レキとラッシーなら馬が合うだろうから、そんなに心配する必要はないか。 さしあたっての問題といえば…… 「ブーっ」 「バク?」 続けざまに声が聞こえてきた。 ラズリーとルースだ。 声の方に身体を向けると、ラズリーとルースがうつ伏せに寝転がって、じっと見つめ合っている。 一応、これでもコミュニケーションの一環なんだろうけど……なんか、すっごく変に見える。 ほんの一瞬だけ目のやり場に困って、子供と楽しげに遊んでいるルーシーの方に顔を向けたんだけど……すぐにルースに視線を戻した。 ルースもラズリーも、とても落ち着き払った表情をしていて、ルースなんて怯えるどころか、ニコニコしている。 背中から炎を噴き出していることもない。 相手が同じバクフーンのカエデなら、こんな風にリラックスしてられないんだろうけど。 オレにとっては笑い話でしかないことも、ルースにとっては身の毛もよだつほどの恐怖だったんだろう。 さしあたっての問題はルースだ。 毎回毎回怯えられても困るんで、ここいらでその性格を何とかしてもらわなきゃ困るんだよな。 まずはコミュニケーションを深めるのが大切……ってことで、オレはルースとラズリーの傍に腰を下ろした。 円らな黒い瞳で見上げてくるラズリー。シッポを左右に振っているのは、楽しいからだろう。表情もとても明るかった。 「同じ炎タイプのポケモンってことで、やっぱり一緒にいると楽しいのか?」 「バクっ♪」 オレの言葉に、ルースは大きく頷いた。 臆病な性格のルースも、同じ炎タイプのラズリーと一緒にいると落ち着けるらしい。 性格、思いっきり正反対なんだけどな……そこんとこは関係ないか。 「ルースはレキと遊ばないのか?」 その言葉をかけようとした時だった。 どんっ!! 轟音が響いた。 オレが音のした方に振り向くよりも早く、ルースとラズリーが立ち上がって耳を欹てた。 結構近くから聞こえたような気がしたんだけど…… 周囲を見回してみたけど、音はすぐに消えてしまい、方向を定めるまでには至らなかった。 「一体何が起こったんだ?」 ただ事じゃなさそうだ。 ルースとラズリーの引き締まった表情を見れば、それくらいは分かる。 一体何が起こったんだか。 何かが爆発したような音にも聞こえたんだけど……そういう音って同じように聞こえるから、判別もつかない。 あー、人間の耳って悪いよなぁ。 「ブーっ……!!」 真っ先に動いたのはラズリーだ。 出会った当時こそ臆病そのものだったけど、進化を機に勇敢な性格になった。 それを象徴するように、耳を欹てたままで駆け出した。 オレたちを案内してくれるってことだな。 「みんな、行くぜ!!」 何が起こったのかは、確かめてみれば分かることだ。 爆発っぽい音なんだから、何もないってことはないだろう。 野次馬根性の血が騒ぐっていうか。 ポケモンセンターの本館をぐるりと回りこんで、正面の入り口が見えてきた。と、入り口のあたりに人だかりができていた。 やっぱり何か起こったか…… 人垣が幾重にも連なり、もうちょっと近づかないことには、何が起こってるのか分かりそうにない。 人垣の一番後ろで立ち止まり、オレは背伸びをしたり飛び跳ねたりして、 人の壁の向こうで何が起こっているのか知ろうとしたけど、最前列に背の高いヤツがいたせいで、見えなかった。 「やっぱり、性格のきついポケモンを相手にするのは大変ねえ……」 「わたしのキモリ、冷静な性格で良かったわ」 なんて、前の方で言ってるけど、何がなんだか……そう思っていると、不意に身体が浮かび上がった。 「ん?」 視線はあっという間に人垣の向こうで起こっている出来事を捉えていた。 気になって腰に目をやると、幾重にもロープのようなものが巻きついている。 なるほど……ラッシーか。 蔓の鞭を腰に巻いて、持ち上げてくれたんだろう。 振り返らなくても、それくらいのことは分かる。 背後にいくつもの気配。 みんな一斉にやってきたってところだな。 オレとラズリーに任せとけばよかったのに……まあ、蔓の鞭で視界を良くしてもらったから、そういうこと思うのは筋違いかもしれないけどな。 で、何が起こっているかというと…… 「わ、ワカシャモ、冷静になろう!! ねえ!?」 どっかで見た少年が、彼のポケモンであろうワカシャモを宥めているところだった。 ワカシャモの足元はひび割れていて、周囲の草は黒コゲ…… 一応、何があったのかは想像がつく。 ああ、ポケモンセンターに入る時に危うくタックルを食らいそうになったあの少年だ。 オレと同い年くらいで、背はどちらかというと低い方か。 「ワカシャモってば〜!!」 どうやら、ワカシャモを宥めているようだけど…… 当のワカシャモは、地面を何度も何度も強く蹴りつけるばかりで、少年の言葉に耳を貸す気はなさそうだ。 あー、やっぱりそういうことか。 しっかし……だからって人垣ができるようなことかなぁ。 変に期待してここまで来て損したような気がひしひしとしてくるんだけど、だからといって知らん振りするっていうのも気が引ける。 人垣がなくなるまで待つか…… 「ラッシー」 オレは振り返り、ラッシーに声をかけた。 下ろしてくれと、ちゃんと受け取ってくれたようで、ラッシーはすぐにオレを地面に下ろしてくれた。 時間がかかるかと思ったけど、人の興味もなんとやら。 一人二人とその場を去って、三分と待たずに人垣はあっさりと消え去った。 「はぁ……」 残ったのはオレたちと、少年とワカシャモ。 人がみんないなくなったと勘違いしてか、深々とため息を漏らす少年。 「ブーっ……?」 どうしたんだろうと、ラズリーが小さく声をあげる。 と、地面を蹴りつけていたワカシャモが振り向いてきた。 「シャモ……?」 怪訝そうに目を細め、値踏みするようにラズリーを――オレたちを見回す。 「ワカシャモ? どうかした?」 ポケモンセンターの壁に向かって人生相談(笑)していた少年が振り返る。 なんか、あんまり自信なさそうな表情してるなあ……辛気臭さ全開って感じだ。 ワカシャモが言うことを聞かないのと関係あるんだろうか。 そう思っていると、少年は躊躇いがちに言葉をかけてきた。 「あの、もしかして、さっきからずっと見てた?」 「見てたって、何を?」 何を見てたってんだ? 分かんないから、質問に質問で返してしまった。 でも、少年はまったく気にする様子も見せず、 「その……ワカシャモが僕の言うこと聞かなくて暴れてたところとか……」 「暴れてたのか?」 「うん」 思いっきり白状してくれてるし。 そっか。 さっきの轟音は、ワカシャモが暴れてた証ってことか。 「って……あ!!」 オレがまったく何も知らないことにやっと気づいて、少年ははっと息を飲んだ。 カマかけたつもりはなかったんだけどな。 ワカシャモは少年から顔を逸らすと、小さくため息を漏らした。 トレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモンってことかな。 ポケモンはトレーナーに似るって言葉があるけど、強気な姿勢のワカシャモと、気弱にしか見えない少年じゃ、全然似てないよな。 オロオロとうろたえている少年が立ち直るのを待つのも時間がかかりそうだったんで、こっちから言葉をかけた。 「オレはアカツキ。後ろにいるのはオレの大切なパートナーさ」 「ブーっ」 「バーナー……」 「ピッキ〜♪」 まずは自己紹介。 紹介されたみんなが、よろしく、と声をあげる。 「えっと……」 少年は困惑しながら、みんなに目を向けた。 見慣れないポケモンばかりで、ビックリしてるんだろうな。 見たところ、彼はホウエン地方のトレーナーのようだ。 オレのポケモンのほとんどはカントー勢だから、見たことがないのは当然だ。 「別に興味本位でここに来たわけじゃないんだ。 なんか、君のワカシャモは気が立ってるみたいだからさ、気になって」 ホントは興味本位の野次馬根性丸出しにしてやってきたんだけど、こうでも言っとかないと、話が拗れちゃいそうな気がしたんで、一応説明してみた。 「何かあったのか? オレでよければ相談に乗るよ」 ポケモンがトレーナーの言うことを聞かないってことは、確かにあるんだ。オレはそういう経験がないからなんとも言えないんだけど…… でも、サトシにはそういう経験があったらしい。 詳しくは聞いてないんだけど、ヒトカゲがリザードに進化した後と、リザードがリザードンに進化した後。 実際にポケモンにそっぽ向かれるような経験をしないと、それがどれくらい大変で辛いことなのかっていうのは分かんないけどね。 「…………」 話すべきか迷っているんだろう。 少年はしばらく黙りこくっていたけど、やがて顔を上げた。 「僕はタクヤ。こいつは僕の最初のパートナーなんだけど……」 ワカシャモに視線を向けるものの、あっさりとそっぽを向かれてしまった。 あー、やっぱり言うこと聞いてくれないんだな。 はぁ…… ワカシャモの傍だっていうのに、タクヤは構わず深々とため息をついた。 そうせざるを得ないくらい、悩んでるってことだろう。 そういうのを見せつけられると、やっぱり放っとけないんだよな。 オレって物好きなのかな……? まあ、それはさておいて。 「昨日進化してくれたんだけど……どうしてなのかなぁ、アチャモからワカシャモに進化してから言うことを聞いてくれなくなって。 宥めようとすると炎を吐かれたり、蹴られそうになったり……モンスターボールに戻すこともできなくって」 本人はとても深刻そうに話してるけど…… 傍らにいるワカシャモは知らん振りだ。 うーん。 ワカシャモといえば……アカツキもワカシャモを持ってたっけ。 見ている分にはとても仲が良かったな。 ワカシャモは好戦的な性格だっていうのは聞いてたけど、トレーナーにまでその性格を向けるものなんだろうか? ホウエン地方のポケモンについては知識不足が否めないなあ……でも、なんか釈然としないものがある。 「オレは君のような経験をしたことがないから、なんとも言えないんだけど……ワカシャモは君のことを嫌ってるのかな?」 「え?」 タクヤは弾かれたように顔を向けてきた。 なんか、違うんだよなあ…… 『言うことを聞いてくれない』っていうのと『嫌っている』っていうのは同じかって言われたら。 オレだったら『ノー』って答える。 ポケモンは、人間にはない力を持ってる。 炎を吐いたり電気を起こしたり、空を飛んだり……生身の力じゃ、どう足掻いたって勝ち目はない。 だから、違うって感じられるんだ。 当のタクヤは全然感じちゃいないみたいだけど……これじゃ、ワカシャモがそっぽ向くのも仕方ないかもしれない。 危うく口を突いて飛び出しそうになる言葉を、慌てて飲み下す。 「嫌われてるとは思わないけど……」 キックの練習(……だろう)をしているワカシャモに目をやり、タクヤは自信なさげに答えた。 「…………」 実際に無視されてるんだから、自信なさげにするのは分かるんだけど…… オレが今までに見てきたトレーナーの中で、タクヤは間違いなく一番気弱だ。 見た目はそんなに気が弱そうには見えないんだけどなあ。 やっぱり、人は見た目じゃないってことか。 ワカシャモは彼の傍らで、ひたすらキックを繰り出していた。 しゅしゅしゅっ、という風を切る音が聞こえる。 ポケモンバトルで相手に勝つために、こんな時にでも練習してるってことだろうか。 表情は真剣そのもので、単なる練習じゃないって、本人はそう思ってるんだろう。 「でも、あんまり好かれてもいないような……そんな感じ」 「…………」 タクヤはワカシャモに声をかけようと身体の向きを変え――途中で動きを止めた。 ワカシャモの真剣な雰囲気に呑まれて、何もできなくなってしまったんだろう。 恐ろしく気弱だな、ヲイ。 気が引ける理由は分からんでもないんだけど、いくらなんでもそれはないだろ。 なんか話が脱線しかけているような気がして、頭の中で軌道修正をかける。 「あのさ、僕がワカシャモに嫌われてるかどうかっていうのと、今の状態が関係あるの?」 「…………」 妙なところで鋭いツッコミを入れてきた。 どうでもいいことはチャッカリしてるんだな……こっちも痛烈な皮肉をお返ししてやりたくなったけど、ここは我慢のしどころだ。 「ポケモンは人間とは比べ物にならない力を持ってるってことは分かるよな?」 「うん。ワカシャモのキックは、分厚い塀だってヒビを入れちゃうくらい強力だから」 オレの問いに、一転、タクヤは自信満々な口調で答え、キックを繰り出しているワカシャモを見つめた。 ふぅん……ワカシャモを信頼してるってワケだ。 そりゃ頼りになるだろう。 炎による遠距離攻撃と、自慢の脚を生かした接近戦と、どちらもこなせるポケモンは、トレーナーからすればそりゃもぉ頼りになる。 オレだって、強力な炎と、圧倒的な物理攻撃力を持つラズリーのことはとても頼りにしてる。 みんな平等に頼りにしてるけど、近距離、遠距離の両方をこなせるのはラズリーだけだ。 「君のことが嫌いだっていうなら、どうしてワカシャモは君の前から消えなかったんだろうな?」 「え……」 意味が分からなかったのか、タクヤは一瞬呆気に取られたような顔をして―― すぐに、何か思いついたかのごとく息を飲んだ。 「あ!!」 短く叫ぶ。 その瞬間、ワカシャモの身体がぴくっ、と震えた。 キックが止まる。 傍で大声上げられて、集中力が途切れてしまったんだろう。 タクヤの方に振り向くと、むくれたように頬を膨らませ、不機嫌そうな眼差しを向けた。 「そっか。ワカシャモが僕のことを嫌ってるんなら、わざわざ僕と一緒にいるはずがないんだもんね」 「そういうこと」 今ごろ気づいたか。 アニメとかでよく見る悪役よろしく、オレは胸中でつぶやいた。 ポケモンにも心はある。 だから、嫌だって思えば、逃げるなり叩きのめすなり、容易いことなんだ。 それをしないってことは……答えは一つだ。 少なくとも、ワカシャモはタクヤのことを嫌いとは思っていない。 キックとか炎とかって、ワカシャモなりの愛情表現かもしれないけど、 それを愛情と受け取るかどうかってのは、やっぱりトレーナー次第なんだよ。 オレも、ラッシーがフシギソウに進化した時は飛びつかれたり、蔓の鞭でバシバシ叩かれたりしたけど…… その時のラッシーの表情はとても楽しそうなものだった。 ラッシーなりの愛情表現だって、すぐに気づけたモンだよ。 ただ、今のタクヤとワカシャモはちょっとだけ気持ちがズレてるってところだろうか。 お互いに同じ方向を見ようとしているのに、どういうわけかすれ違ってチグハグしてる。 「ワカシャモはさ、きっと君のこと大好きなんだぜ。 そうでなきゃ、炎まで吐いたりしてこないだろ。嫌いなら嫌いで、さっさと逃げちまえばいいんだ」 タクヤも気づいてくれたみたいだし、あとは当事者に任せておけばいいだろう。 部外者(オレ)がこれ以上首を突っ込んだら、それこそ拗れてしまうかもしれないからな。 適当なところで身を引くのも、大切なことだろうし。 「そうだよね。僕のこと、嫌いになったわけじゃないんだよね」 タクヤは身を屈めると、ワカシャモと同じ目線に立った。 不思議なモノでも見るような眼差しを、トレーナーに注ぐワカシャモ。 一体どうしたの?……と言いたげだ。 「ワカシャモ〜」 そんなワカシャモをがばっ、と抱きしめるタクヤ。 いきなり抱きしめられるとは、夢にも思わなかったんだろう。 ワカシャモは驚いたけど、彼を振り解いて逃げようとはしなかった。 「ふう……」 これで一安心。 少しは気持ちをちゃんと双方向(パラレル)で通わせられれば、あとは時間が解決してくれるはずだ。 オレは振り返った。 ラッシーたちは一様に笑顔だった。 良かったね、とささやきかけてくるようだった。 と…… これで一件落着と行けばよかったんだけど、残念ながらそうは行かなかった。 心地良い眠りの世界から世知辛い現実にオレを引き戻したのは、どんどんどんっ、と乱暴にドアを叩く音だった。 「うぅ……一体なんなんだ、こんな朝っぱらから」 オレは寝ぼけ眼をこすりながら、身を起こした。 ちょうど視界に入ってきた時計は、朝の七時を指していた。 もうちょっと……せめてあと三十分は寝てたかったんだけど、生憎とオレは二度寝ができないんで、こればかりはどうしようもない。 いろいろと考えている間も、ドアを叩く音は止まない。 それどころか、音は大きくなり、その間隔も短くなっている。 ……こんな朝から、どこの誰かは知らないが、近所迷惑も考えてほしいもんだ。 オレは眠りを妨げられた苛立ちを抱えたままベッドを降り、ドアへ向かう。 「誰だよ、こんな朝早くに……」 「僕だよ、タクヤだよ!! アカツキ、起きてたら返事して!!」 「タクヤ……?」 ああ、そっか。 昨日知り合ったトレーナーの少年だ。 しかし、なんでこんな朝早くに訪ねて来るんだか。 それも、すごく慌ててるような口調で、ひっきりなしにドアを叩いて。 そこまでしてオレを呼び起こしたんだから、それ相応の理由がある……はずなんだけど。 あの気弱な様子を見ると、つまんないことで呼びに来たんじゃないかって思ってしまう。 気のせいだって思えればいいんだけど……なんか無理っぽい。 オレはドアを開けた。 その向こう側に、切羽詰った表情のタクヤが立っていた。 顔は青ざめ、肩で荒い息を繰り返している。 尋常じゃない様子に、身体にまとわりついていた眠気が一瞬で吹き飛んだ。 今度は一体何が始まったんだ? またワカシャモが炎を吐いたり、キックで器物損壊でもやらかしたっていうんだろうか? 「どうしたんだ、こんな朝早くに」 投げかけた言葉は、何倍の大きさにもなって返ってきた。 「ワカシャモがいなくなっちゃったんだ!!」 「ん!?」 ワカシャモがいなくなった……? まさに寝耳に水という言葉がピッタリだった。 オレが言葉を返すより早く、タクヤが早口で捲くし立てた。 「朝起きたら、部屋にいなくて…… それで慌ててポケモンセンター中を探したんだけど、見つからなくて。 ポチエナが体調悪いんでジョーイさんに預けてるんだけど……」 「……落ち着けよ、タクヤ」 何とか落ち着かせようと、混乱しているタクヤの肩に手を置く。 完全に我を失っている。 ワカシャモのことが心配で、自分のことなんて二の次だったんだろう。 シャツの裾がズボンからはみ出てたり、ボタンを掛け違えてたり。 本当に、ワカシャモのことが純粋に心配で、オレを頼ってきたってところだろう。 こんな様子を見せられちゃ、さすがに知らん振りするわけにもいかない。 「オレも協力するから。ちょっと待ってろ、着替えるからさ」 「あ、うん。ありがとう」 オレはタクヤに背を向けた。 クローゼットから服を取り出して、パパッと着替える。 荷物もまとめて、腰には六つのモンスターボールを装着。 顔を洗って、リュックを背負えば準備完了だ。 「ワカシャモが行きそうなところに心当たりは?」 部屋を出て、早足で廊下を歩きながら、オレはタクヤに問いかけた。 「ううん、探したんだけど……」 近くにはいないってことか。 いや、気配を消せば、人間じゃ見つけられない。 オレたちが仲を取り持ってから今までの間に何かあったってことか……? 考えられるのはそれくらいだけど……にしては、夜から朝にかけて出てくなんて、どうにも納得が行かない。 まあ、考えてたってワカシャモが行きそうな場所が分かるわけじゃないし、そうするだけ無駄かもしれないんだけど、なぜか引っかかるんだ。 ガラス張りの通路を抜けて、だだっ広いロビーに出る。 こんなところにいるはずがないと分かってはいたんだけど、視線がワカシャモの姿を探す。 ワカシャモなら、タクヤに見つかるような場所でノンビリくつろぐなんて失態は見せないだろう。 格闘タイプなんて持ってるけど、実際はとても繊細な性格で、ちょっとしたことでも敏感に感じ取るんだ。 「やっぱり、こんなところにはいないよね……」 予想はしつつも、肩を落とすタクヤ。 もしかしたら戻っているかもしれない……と思っていたんだろう。 それだけに、落胆の色は濃い。 カウンターにはジョーイさんの姿。 昨日と同じく、ラッキーを伴って忙しなく働いている。 「ジョーイさんには聞いたのか?」 「聞いたけど、見てないって」 「ふむ……」 ジョーイさんも見てないってことは、庭から外に出てった可能性が高いな。まだそうと決まったわけじゃないけど…… ん……? 彼女の姿を見て、あることが脳裏を過ぎった。 「さっき、ポチエナって言ってたけど……」 「うん。僕の大切な仲間だよ」 ポケモンか。 どんなポケモンかは知らないけど、タクヤにとっては大切な仲間だろう。ワカシャモと同様に。 具合が悪いって、ここに来るまでの間に言ってたな。 「ジョーイさんに看てもらってるんだ。明日になれば大丈夫って言ってもらったから、安心してたんだけど……」 言葉に元気がない。 ポチエナが快方に向かってることはうれしいけど、ワカシャモがいなくなってしまったことの方が辛いんだろう。 「ワカシャモって、ポチエナのことをどんな風に思ってるんだ?」 オレはロビーの出入り口へ向かって歩きながら、タクヤに訊ねた。 行く宛もなくて、何をすればいいかもよく分からないタクヤは、オレの後をついてきた。 「とても可愛がってくれてるよ。いつも楽しそうに遊んでるんだ」 「そっか……」 ワカシャモはポチエナのことをとても可愛がってる。 で、そのポチエナが具合を悪くしてジョーイさんに預けてる。 翌日、ワカシャモがいなくなった。 これらの事象が結びつく先にあるのは……なんだ? 考えられるとすれば、ポチエナのためにどっかに出かけたってことくらいだけど。 推測でモノを言ってもしょうがない。 まずは『動くこと』だ!! 「たぶん、ワカシャモはこの中には『いない』だろ。いるとすれば外だ」 「なんで分かるの?」 自動ドアをくぐって外に出たところで足を止め、タクヤの問いに答える。 「ポケモンにとっての『薬』ってなんだと思う?」 「人間の薬とは違うんでしょ。うーん……」 大真面目な表情で、眉間にシワなんて寄せながら考え込むタクヤ。 考え込むってことは、ワカシャモのことが心配で、それ以外のことは何にも考えられないってことだろう。 いつまで待ってても埒が明かなかったんで、代わりにオレが答えてやった。 「木の実だ。 ポケモンは自然に生えてる木の実を薬にする。 クラボの実なら麻痺を治せるし、オレンの実ならちょっとだけ体力を取り戻せるっていう具合にさ」 「なるほど!!」 ようやく合点がいったのか、タクヤが手を叩いた。 「ワカシャモはポチエナのために木の実を取りに出かけたってことだね!?」 「たぶん……そうとは言い切れないけど、君の話を聞いてる分には、それが一番可能性としては高いんじゃないか?」 「さっすがはアカツキ。いろんなこと知ってるよね!!」 ――君が何も知らないだけじゃないの? ……とは言えず、オレは口を噤んで歩き出した。 ま、誉め言葉として受け取っとくさ。 オレと同じ年頃のトレーナーなら、知らないことの方が圧倒的に多い。 オレはガキん頃からずっとじいちゃんの研究所で知識を吸収し続けてきたから、 自慢じゃないけどそこいらの研究者よりは物知りだって思ってる。 「この近くに木の実の採れそうな森とかはあるのか? オレはどうにもこのあたりは不慣れだから、よく分かんないんだけど……」 ワカシャモが木の実を採りに行ったらしいことは分かっても、どこに行ったのか分からないんじゃ、探す宛もない。 まさか、ワカシャモが戻ってくるまで待つというのも、タクヤとしては不安で一秒だって我慢できないだろう。 オレに助けを求めてきたくらいだ……よっぽど、ワカシャモのことを大切に思ってるんだろう。 ポケモンを大切に思うその気持ちは、オレだって負けてはいない。 だから、こうやって手を貸してるんだ。 「それだったら、この町の北にちょっとした森があるけど……そこくらいしか……」 「よし、行こう。案内してくれ」 「うん!!」 地理に疎いオレとしては、道案内をタクヤに頼むしかない。 でも、それはただ道案内を頼むだけじゃない。 オレを頼りにしてくれてるのはうれしいけど、いつだって助けてくれる人がいるわけじゃない。 一人になった時でも大丈夫なように、リーダーシップというか、行動力を身につけてほしいと思ってるからだ。 ……なんでここまで肩入れしちゃってるんだろ。 タクヤの後について走り出しながら、オレはそんなことを思っていた。 シゲルやナミにだって……ましてやサトシにさえ、オレはここまで深く肩入れしたことはなかった。 ミシロタウンのアカツキなら……まあ、状況が状況だからそうせざるを得なかったというのはあったけどさ。 それを差し引いても、出会ったばかりで、あんまりお互いのことをよく知らないトレーナーのことを助けようと思えるのが、 自分でもなんだか不思議なんだ。 人助けして自慢しようなんてバカなことは考えちゃいないよ。 偽善の大安売りなんて、そんなのは政治家にでもやらせとけばいいさ。 ただ、困ってる人を見てると放っておけないっていうか……そんなところだろうか。 それが性分だって言うなら、しょうがないけど。 タクヤは迷うことなく、すぐ近くの交差点を左折し、その先にあるT字路を右折した。 この町の出身か、やけに詳しいけど……まあ、そんなことはどうだっていい。 朝早い時間帯だけに人の少ない通りを抜け、町の外に出る。 ゲートの傍にある立て札に、「103番道路」と書かれてあったのを脇目に、南の101番道路と同じく土を固めただけの道を蹴って走る。 「遠いのか?」 「ううん、そんなに遠くはないよ。あと十分くらい」 道の両脇は背の高い木々がそびえていて、町のすぐ傍だってのに、森のように感じられた。 これじゃあ『ちょっとした森』なんて話じゃないだろ。 数歩先を走るタクヤの背中に言葉を突き刺してやりたい気分になったけど、正直なところ、結構骨の折れることかもしれない。 『木を隠すなら森の中』という言葉がある。 一本の木を隠すのなら、だだっ広い森で、同じような木が無数にある森の中に隠した方がいいって意味の言葉だ。 だから、今の状況が結構似通ってるように思えるんだよ。 森の中は障害物が多い。 それだけに、ポケモンは身を隠しやすいんだ。 障害物に隠れて見逃してしまうことだってあり得る。 分が悪いけど、こればかりは仕方がない。 「でも、ワカシャモが通ったような感じはしないよ」 「そう簡単に足跡がつくようじゃ、道路とは言えないと思うんだけどなあ」 「そうだよね」 通った感じはしない……か。 ワカシャモがバカ正直に道路を通って、木の実のある森に向かったとは思えない。 ポケモンは人間が作った道を目印に行動するわけじゃない。 自然にできたもの……たとえば、ちょっと大きな岩とか、変な形をした樹木とか、いわば自然界の目印を標に行動することが多い。 簡単に言えば、最短ルートを通っていくってこと。 人間が作った道ってのは、街と街をつなぐためのものだから、実際に『森』に向かうとなると、それが最短ルートになるとは考えにくい。 だから、ワカシャモが通った感じがしなくて当然なんだ。 ワカシャモは森の中を通っていったんだろう。 「…………」 それから、タクヤは黙ったままひたすら走っていた。 後を追うオレだからこそ、彼の背中は、何かに追い立てられているようにさえ感じられた。 ワカシャモに何かあったんじゃないかっていう不安……二度と戻ってこないんじゃないかっていう恐怖。 オレが思いつくのはそんなところだけど、それを突きつけたところで、何にもならない。 「なあ、タクヤ」 沈黙がなんとなく辛くなって、オレはタクヤに言葉をかけた。 何も言わないほど思いつめたままじゃ、いざ何かをする時になって、なかなか動き出せないかもしれない。 少しは気持ちを解した方がいいだろうと思って。 「ワカシャモって素早いポケモンなのか?」 「え? 素早いって?」 「ああ、なんとなく気になってさ」 タクヤは驚いているようだった。 背後からそんなことを訊かれるとは思ってなかったんだろう。 でも、それでいい。 驚くってことは、思いつめてるところに楔を打ち込めたってことだから。 それに、本当に気になってるんだ。 ワカシャモは足の速いポケモンなのかどうか。 「足腰とか強そうだからさ、本当に足とかも速いのかなって思ったんだ」 「うん。結構素早いよ。キモリの進化形のジュプトルと互角に戦えるくらいだから」 「なるほど……」 キモリやその進化形のジュプトルがどれくらい素早いのかは分からないけど、タクヤが言い切るんだから、それは間違いないだろう。 でも、だからこそ疑念は深まる。 芽生えた不安を打ち明けるべきかどうか、正直迷ったけど……タクヤを余計に不安にさせたくはない。オレは黙っていることにした。 一枚の立て札の前でタクヤは立ち止まった。 オレも足を止めた。 『← 木の実が採れる森。役に立つ木の実はこの森で集めましょう』と書かれてあった。 なるほど…… 立て札の指し示す方向に、枝分かれするように道が延びている。 街と街を結ぶ幹線道路から外れたところに、木の実が採れる森があるってワケだ。 「この先?」 「うん。ワカシャモはきっとこの先にいるはずだよ」 「よし、行こうぜ」 「うん」 足を止めるのもほどほどに、オレたちは一回り細くなった横道へと駆け出した。 一分くらい走ったところで、道が途切れた。 「……これは?」 オレは立ち止まり、周囲を見渡した。 道らしい道が見当たらない代わりに、周囲の木々にはクラボの実やカゴの実がたくさん生っている。 ここが終点……ってワケでもなさそうだけど。一体どうしたことかと思っていると、 「ここからが木の実の採れる森なんだ」 同じように周囲を見渡しながらタクヤが言う。 「道を作ったら環境に悪くて木の実が採れなくなるかもしれないから、道はここで終わりなんだよ」 「そっか……」 周囲に木の実が生ってるってところに道なんて作ったら、土壌が変わって、木の実が採れなくなってしまうかもしれないんだ。 「ワカシャモはこの辺りにいるかもしれない。呼んだら戻ってきてくれるかな?」 不安げな顔を向けてくるタクヤに、オレは大きく頷いた。 「ああ、君が呼べば戻ってきてくれると思う」 少なくとも、ワカシャモもタクヤもお互いに嫌い合ってるわけじゃない。 だから、呼びかければ何らかの形で答えてくれるはずだ。 ……答えられる状態ならば。 オレがさっきタクヤに言わなかったのは、そのことだったんだ。 「ワカシャモぉっ!! いたら返事してぇっ!!」 声を大にして、森の奥へ呼びかけるタクヤ。 彼の声は立ち込める森に吸い込まれ――返事はなかった。この近くにはいないということか。あるいは…… 「うーん……」 タクヤは不安げな表情で、いま一度周囲を見渡した。 ワカシャモの影も形も見当たらない。 近くにあるのはクラボの実やカゴの実。麻痺と眠りの状態異常を治してくれる実だ。 「いないのかなぁ……」 そよ風にさえかき消されそうなほど弱々しいつぶやきを漏らすタクヤ。 不安が最高潮に達したんだろう。 表情も、今にも泣き出しそうなほど崩れて見える。 「タクヤ。君のポチエナの具合ってどんな感じなんだ? 麻痺や眠りの状態異常とは違うんだろ?」 「うん。体力を使いすぎてるって、ジョーイさんは言ってたけど……」 「じゃあ、オレンの実だ」 「え?」 「オレンの実は体力を回復する効果を持ってる。 ワカシャモならきっとそれを探して持ち帰ろうとするはずだ」 「うん……それは分かるけど」 「この辺りにオレンの実は生ってない」 「え、ホント!?」 慌てて周囲の木に生っている実を見つめるタクヤ。 木の実の名前は知ってても、実際にどんな形や色をしてるかまでは分かっていないらしい。 まあ、それはともかく、ワカシャモの目的がオレンの実であることはハッキリした。 目に見える範囲に、オレンの実が生っていないことも。 となると、もっと奥に行かなきゃダメってことか。 最悪、入れ違いの形で、すでにワカシャモがポケモンセンターに戻ってるっていう可能性もあるんだけど、それは考えないことにしよう。 時間を置いて戻った方が、ワカシャモも戻っている可能性が高い。 「この森はもっと広いんだよな?」 「うん。じゃあ、ワカシャモはもっと奥に行ったってこと?」 「ああ。それしか考えられない」 「急ごう!!」 「オッケー!!」 短距離走者のように勢いよく駆け出すタクヤの後を追い、オレも駆け出した。 木の実はそれぞれ見た目も効果も異なっている。 オレンの実は体力を回復してくれる効果があるし、オボンの実はオレンの実よりもたくさん体力を回復してくれる。 ラムの実にいたっては、火傷や麻痺、眠り、毒、混乱と、あらゆる状態異常を回復してくれるんだ。 ポケモンに食べさせても効果を発揮しない実もあるけど、 それらはポロックやポケモンフーズに粉末という形で錬り込ませることで栄養価を高めることができたりする。 果てにはチイラの実やカムラの実といった超レアな木の実になると、ポケモンがピンチに陥ると、能力を高めてくれるものもある。 一発逆転の可能性を秘めた木の実であり、収穫数も極めて少ないことから、市場価値は恐ろしいほど高く、値段も普通の木の実とは何桁も違う。 こういう森に生えてるのは、オレンの実とかヒメリの実とかいった、レベルで言うところの中の下程度のものだ。 所狭しと生えている木々の脇をすり抜け、森の奥へ向かう。 ヒメリの実、モモンの実、チーゴの実と、入り口とは異なるバリエーションの木の実がお出迎えしてくれたけど、そんなのは無視。 目指すはオレンの実のあるところ。 そこにワカシャモがいるはずだ。 草を掻き分け、倒木を飛び越えて走っていくと、オレンの実が生っている木を見つけた。 周囲の木々も同じようにオレンの実が生っているけど、ワカシャモの姿はない。 入れ違ったか……そう思いつつも周囲を見渡す。 「ワカシャモ!! いたら返事して!!」 タクヤが声を張り上げてワカシャモの名を呼ぶ。 ざっと見たところ、ワカシャモの姿は見当たらないけど…… 「……シャモ……」 今にも消えそうな声は、斜め前から聞こえた。 声のした方に身体を向ける。 視線の先にあるのは茂みだけど……今の声は……!? 「ワカシャモ!!」 疑いもせず、タクヤは駆け出した。 さすがに自分のポケモンの鳴き声を聞き間違えたりはしないってことか。 オレだって、ラッシーと同じフシギバナがたくさんいても、ラッシーを見分けることくらいできるさ。 身体的な特徴とか、鳴き声とか仕草とかで。 タクヤが茂みを掻き分けると、そこにワカシャモがいた。 身体のあちこちが傷ついてて、艶やかなはずの毛も、荒れ放題だ。 「シャモ……?」 ワカシャモは駆け寄ってきたタクヤを見上げた。 「ああ、ワカシャモ……こんなに傷ついて……」 タクヤは今にも泣き出しそうな沈痛な面持ちをワカシャモに向けた。 どうしてこんなに傷ついてしまっているのか、分からないからだろう。 「シャモ、シャモ……」 ワカシャモは鋭い爪が生えた手を、タクヤの目の前に差し出した。 そこには―― 「これってオレンの実……」 そう。 ワカシャモの手の上には、オレンジの丸い木の実があった。オレンの実だ。 「やっぱり、ワカシャモはポチエナのことが心配で、この木の実を採りに来たんだね」 「シャモ……」 タクヤの言葉に頷くワカシャモ。 「ワカシャモ……!!」 タクヤはワカシャモの身体をギュッと胸に押し当てて抱きしめた。 こんなに傷ついてまで、仲間のために木の実を集めていたんだ。 トレーナーとしては頭の下がる思いだろう。 でも…… オレは『ただならない空気』を感じずにはいられなかった。 ワカシャモは格闘タイプで、攻撃力の高いポケモンだ。 先手必勝で相手に攻撃を当てたら、そのまま続けざまに連打して、反撃の暇を与えずに相手を倒す。 オレにはそんな風に思えるんだけど、ワカシャモにここまでのダメージを与えるようなポケモンなんてそうはいない。 もしかしたらまだ近くにいて、ワカシャモを襲撃する機会を窺っているのかもしれない。そう思うと、気が抜けないよ。 いつでも応戦できるよう、モンスターボールを持つ。 「でも、ワカシャモ、どうしてこんなに傷ついちゃったの? いつもの君はとても強いのに……」 「シャモ……」 心配かけてごめんなさい。 淋しそうな鳴き声は、そんな風に聞こえた。 でも、タクヤの心配もこれで払拭できただろうし、あとはワカシャモをここまで傷つけた相手をどうにかすれば…… 「やっぱり、ポケモンにやられたの?」 「…………」 ワカシャモの返事の代わりに、横手の茂みが擦れる音が聞こえてきた。 とっさに振り向く。 茂みが大きく揺れている。 ワカシャモを倒した相手のご登場か。気を引き締めてかかんないと…… 思った瞬間、茂みから影が進み出てきた。 ゆっくりとした足取りは、余裕を見せ付けているかのようだ。 茂みから完全に出たところで、その姿が木漏れ日にさらされて明らかになった。 「ぐるるるる……」 低い唸り声を上げたのは、大型犬のようなポケモンだった。 まあ、見た目は確かに犬だけど…… 灰色と黒の体毛に覆われたポケモンだ。 頭から背中、シッポ、四本の足にかけて黒い体毛に覆われ、残りの部分が灰色になっている。 真っ赤な双眸は、血で固められたようにすら思えた。 これが元の色なんだろうけど、不気味なことこの上ない。 見たことのないポケモンだ。 こいつは一体……? いつでもモンスターボールを投げられる体勢をとってから、図鑑を取り出し、センサーを向けた。 ピピッと電子音が鳴って、液晶にその姿が映し出された。 「グラエナ。かみつきポケモン。 ポチエナの進化形。優れたトレーナーの言うことは絶対服従だが、普通のトレーナーの言うことはなかなか聞いてくれない。 大昔に群れで行動していた頃の名残と言われている」 「グラエナっていうのか……しかも、ポチエナの進化形……」 オレは一通り説明を聞き終えると、図鑑をポケットに滑り込ませた。 ワカシャモが助けようとしていたポチエナの進化形が、ワカシャモをここまで痛めつけたのか。 皮肉もいいところだけど、だからって感心してる場合じゃない。 タクヤはワカシャモとポチエナしかポケモンを持ってないって言ってたから、グラエナと戦えるのはオレだけだ。 グラエナはワカシャモの方を向いた。 「……っ!!」 凄みのある視線を向けられ、タクヤの身体が強張る。 必死にワカシャモを抱き寄せて、グラエナの視界から遠ざけようとするけど、限度というものがある。 ……グラエナは敵意を剥き出しにしている。ここは戦うしかないだろう。 判断し、オレはモンスターボールを持つ手を掲げた。 「グラエナ、おまえの相手はオレがしてやるぜ」 声をぶつけ、グラエナの気を引き付ける。 「ぐるるるる……」 戦意があることを察知してか、グラエナの注意がこっちに向いた。 やっぱ、そこんとこは犬だな。 「タクヤ。ここはオレに任せとけ」 「う、うん……」 「じっとしてろよ。巻き添え食らうかもしれないからな」 下手に動き回られたら、オレとしても戦いにくくなる。 ……とはいえ、グラエナは油断できる相手じゃなさそうだ。 ポケモン図鑑によると、悪タイプの持ち主。 格闘タイプのワカシャモなら相性のいい相手のはずだけど、特性が厄介だ。 ――威嚇。 相手の物理攻撃力を知らず知らずのうちに低下させてしまう特性だ。 気づかない間に攻撃力が下がっているものだから、渾身の一撃も思ったほどの効果を発揮せずに、心理的に追い込まれてしまうということがある。 まあ、物理攻撃主体のポケモンにとっては脅威だけど、炎や水で戦うポケモンにはほとんど関係ない特性だ。 「……よし、行くぜリッピー!!」 手に持ったモンスターボールを軽く前に投げ放つと、リッピーが飛び出した。 「ピッキー♪」 グラエナの敵意に満ちた視線を向けられても、いつものように陽気にダンスするリッピー。 うーん、うらやましいな、その神経の図太さ……もとい、マイペースなところ。 リッピーを選んだ理由は特にない。 ただ、久しぶりのバトルだから、腕が鈍ってたりするといけないんだよな。 初めて戦う相手だけど、言うまでもなくリッピーに気後れしている様子は見られない。 どんだけの憎しみを向けられても、リッピーならなんてことのない顔をするんだろう。 そういうマイペースなところが、役に立つ場面もきっとあるはずだ。 グラエナは、目の前で能天気に踊っているリッピーを『戦うべき相手』と判断したんだろう、 「ぐるぁっ!!」 獰猛な声をあげると、地面を蹴った!! いきなり襲い掛かってくるか!! ま、相手は野生のポケモンだ。先手必勝ってことなんだろう。 でも、負けないぜ!! 「リッピー、コスモパワーからリフレクター!!」 まずは防御を固め、グラエナの出方を窺おう。 リッピーはダンスを止めると、両腕を真上に掲げた。 すると、キラキラ輝く粒子が腕に宿り、徐々に身体全体を包み込んでいく。 螺旋状に身体を包み込んだ粒子は、弾けるようにして消えた。 コスモパワー……防御系の技で、物理攻撃、特殊攻撃両方に対する防御力を上げることができる。 使い勝手は抜群で、予備動作もほとんどない。 防御技としてはこれ以上優秀なものはないだろう。 グラエナは猛烈な勢いで駆けてくる。 コスモパワーを発動した段階で、リッピーとの距離は約五メートル。これなら…… 「ピッキー♪」 リッピーが右腕をクルクル回す。 それを合図に、グラエナがジャンプ!! 大きく開いた口の中に生え揃うは鋭い牙!! 噛み付く……? いや、噛み砕く!? どっちにしても、受けると結構痛い技だ。 でも…… びきっ!! リッピーの前に突如オレンジ色の薄い壁が現れ、グラエナは顔面から壁に激突した!! リフレクター……相手の物理攻撃の威力を弱める技だ。でも、完全に無効化することはできない。 壁は音もなく砕け散り、グラエナはこれ幸いとばかりに口を再び大きく開いて、リッピーに襲い掛かった!! しかし、勢いはずいぶん落ちている。 コスモパワーで防御を強化したリッピーには、それほどのダメージは行かないだろう。 だからといって、まともに受けるわけにはいかないけど…… グラエナの勢いが落ちたことで、リッピーに攻撃が当たるまでの『時間』が生まれる!! これを利用しない手はない!! ……ってワケで、 「リッピー、コメットパンチ!!」 「ピッ♪」 待ってました。 リッピーが、左の腕をクルクル回す。 準備体操のように見える動作も、精神を集中させるための手段なんだ。 コメットパンチは高い威力を誇る。 運が良ければ、威嚇で下げられた攻撃力が元に戻るかもしれない。 そうなれば、一気に有利になる。 リッピーの腕の先に、白光が宿る!! 斜め上から襲い掛かってくるグラエナ目がけ、彗星のごとき輝きを秘めた腕を伸ばし、ジャンプ!! ごっ!! 伸び上がるような鋭いアッパーが、グラエナの顎にクリーンヒット!! グラエナの牙がリッピーの耳をちょっと掠めたけど、ダメージはないに等しい。 コメットパンチをまともに受けたグラエナは宙に放り出されながらも、途中で体勢を立て直し、軽やかに着地を決めた。 さすがに、大ダメージとは行かなかったか。 リッピーはお世辞にも攻撃力が高いとは言えない。 単純に比較すれば、ラズリーの半分行けばいいか……ルースと比べても低いのは否めない。 いくら技の威力が高くても、ベースとなる攻撃力が低ければ、相手に大ダメージを叩き込むことは難しい。 まして、威嚇で攻撃力を下げられていたとなれば、なおさらだ。 「ぐるるるるる……」 グラエナは腰を低く構えた。 いきなりコメットパンチのような大技を食らうとは思ってなかったようで、慎重にならざるを得なくなったってところか。 でも、それならそれで好都合。 こっちから大胆に仕掛けていけるってことだ。 どうやって攻めていくか……作戦を頭の中で組み立てていると、不意にグラエナが猛烈な勢いで吠え出した!! 「ぐるるる、ばうばうっ!! ぐるるるる……」 一体なんなんだ……? 『咆える』って技とはまた違う感じを受けるけど……ともあれ、作戦は完成した!! 「リッピー、影分身!!」 まずは影分身で回避率を高める。 そうすれば、多少無理をしてでも作戦を完全に遂行させられる。 そう踏んだんだけど…… 「ピッ?」 リッピーにしては珍しく慌てている。 キョロキョロと忙しなく周囲を見渡し―― 「ぐるぅっ!!」 逃がすか、と言わんばかりの鋭い声を上げ、グラエナが飛びかかってきた!! ……影分身が発動しない……!? そんなに体力を使う技じゃないはずだし、特性『プレッシャー』で技を出せなくなったわけじゃない。 第一、グラエナの特性は『威嚇』だ。 一体何がどうなってるんだ……? いきなり作戦が頓挫して、頭が混乱する。 その間にも、グラエナの鋭い牙がリッピーに迫る!! 「アカツキ、『挑発』だよ!!」 タクヤが声をあげる。 「挑発されると、攻撃技しか出せなくなるんだ!!」 「なにっ!?」 しまった……盲点としか言いようがない。 さっきのは、ただ威嚇として咆えてるだけじゃなかったんだ。 挑発……オレもその技は知っている。 でもまさか、挑発を仕掛けていたとは夢にも思わなかった。 タクヤの言うとおり、挑発を受けたポケモンは攻撃技しか出せなくなる。 リフレクターや影分身と言った防御技は、効果が切れるまで封じられるんだ。 グラエナが挑発を使ってくるとは、読み違えたのはオレの方か……!! あまり高くないリッピーの物理攻撃力でコメットパンチを何発放ったところで、グラエナを戦闘不能に追い込むのは難しいだろう。 追加効果の『攻撃力アップ』が発動したとしても。 えーい、こうなったら…… リッピーは物理攻撃のみならず、意外とたくさんのタイプの技を覚えられる。 一応、一通りは教え込んでみたけど、実際に使ってみるのは初めてだ。 「リッピー、10万ボルト!!」 「ピッ!!」 オレの指示に、リッピーが腕をグルグル回す。 刹那、グラエナの噛みつく攻撃が、グルグル回していない方の腕にヒット!! 噛みつかれ、逃げるに逃げられなくなってしまった。 「ピッ!?」 いきなり噛みつかれ、リッピーも動揺を隠せない。 必死にもう片方の腕を回して、10万ボルトを繰り出す!! ゼロ距離から繰り出された攻撃に、グラエナも逃げられなかった。電撃をまともに食らい、痙攣する。 痛み分けってところか…… でも、グラエナは怯んでいる。 今がチャンス!! 「リッピー、冷凍ビーム!!」 リッピーはそのまま腕を振り回し続けた。 グラエナが体勢を立て直した瞬間、指先に白い輝きが生まれ、その身体に突き刺さる!! びぎっ!! 耳障りな音と共に、グラエナの身体が分厚い氷に閉ざされた。 リッピーに噛み付いている口だけが辛うじて氷から逃れたものの、口だけじゃ氷をどうにかすることはできないだろう。 「リッピー、今のうちに距離を取るんだ!!」 「ピッ!!」 いくらマイペースでも、いつまでも噛み付かれたままというのは嫌なんだろう、軽やかなステップで凍りついたグラエナと距離を取った。 「すごい……」 タクヤの小さなつぶやきが耳に入る。 リッピーが10万ボルトや冷凍ビームを駆使してグラエナに確実にダメージを与えていることに驚いてるんだろう。 あるいは、可愛い顔してなかなかやると思っているのかもしれないけど……まあ、そこんとこはどうでもいい。 今はグラエナをどうにかすることだけを考えなければ。 自力で分厚い氷をぶち破って自由になるのは難しいし、可能だとしても時間がかかる。 グラエナは辛うじて動かせる口をパクパクさせ、脱出の機会を窺っているように見えた。 戦闘不能とは程遠いってところか…… だけど、身体を包み込む氷はじわりじわりと体温を低下させる効果もある。 それはダメージと言えないこともない。 このままバトルを続行させるか。 あるいは、ここでゲットしてしまうか……グラエナが自由を取り戻せば、モンスターボールを取り出すほどのヒマも与えてくれないだろう。 だったら、ここでゲットした方がいい。 直感的に判断して、オレはリュックを地面に下ろした。 中に手を突っ込んで、予備のモンスターボールを取り出す。 「アカツキ、もしかしてゲットしちゃうの?」 いちいちタクヤが訊いてくる。 「ああ。ここでゲットする」 オレは頷き、モンスターボールを持つ腕を振りかぶった。 狙いを、氷に閉ざされたグラエナに絞り込む。 グラエナの『種族的な力量』はどれほどのものかは分からない。 でも、このグラエナは強い方だと、オレはそう思った。 これも直感だから、ゲットした後でバトルさせたら、思ったほど強くなかったという可能性も否定できない。 それでもさ、威嚇という特性はかなり使えるんだ。 物理攻撃主体のポケモンが相手になった時には、リッピーやルーシーなど、格闘タイプが弱点となるポケモンの支援にも一役買ってくれる。 素早さも、技のキレもなかなかのものだ。育てれば、もしかすると、もしかするのかもしれない。 ホウエン地方でポケモンをゲットしておけば、カントーリーグで優位に立てる可能性が高い。 それらのことを総合すると、ここでゲットしておいた方がいいという結論に至る。 ……ってワケで、 「グラエナ、おまえをゲットするぜ!!」 宣言し、モンスターボールを投げる!! グラエナは口をパクパクさせるだけで、抵抗らしい抵抗ができないまま―― こつんっ。 渇いた音を立てて、モンスターボールがグラエナを包む氷にぶつかる。 その瞬間、ボールが口を開いて、グラエナの姿を赤い閃光に変えて、その中に吸い込んだ。 グラエナを吸い込んだボールは口を閉ざして地面に落ちると、カタカタと小さな音を立てて揺れ始めた。 モンスターボールに入った時点で、氷の状態異常は回復する。 これ幸いと、ボールの中で抵抗してるんだろう。 オレは揺れるボールから目を離さず、じっと注視し続けた。 もしもグラエナがボールから出てきたら、すかさずリッピーに攻撃させるためだ。 まだ挑発の効果が残っているらしく、影分身やコスモパワーで防御を固めておくこともできない。 ならば、片時も意識をグラエナから逸らしてはならない。 グラエナはなおも抵抗を続ける。 それほどまでにゲットされたくないのか。 それとも、まだ戦い足りないと、バトルを望んでいるのか……まあ、敵意剥き出しのところを見ると、ゲットされたいと思うわけないよな。 なんてことを思いながら、グラエナの抵抗が収まるのを待つ。 一瞬が限りなく引き伸ばされたように感じられたけど、やがて、グラエナが抵抗をあきらめて、ボールの揺れが止まった。 「やったあ!!」 真っ先に喜びの声を上げたのはタクヤだった。 自分がゲットしたわけでもないのに、表情なんかキラキラ輝かせてる。 喜びに水を差されたような気がしたけど、それはさておいて…… オレはピクリとも動かなくなったボールに歩み寄り、そっと手に取った。 抵抗をあきらめたフリをして、オレを驚かそうとはしてないよな……なんて思ったけど、それはなかった。 「よし。グラエナ、ゲットだぜ」 オレはニヤリと口の端に笑みを浮かべた。 ともあれ、これで新しい仲間がまた加わった。ホウエン地方で二体目になる。 「アカツキ、やったね!!」 タクヤが息を弾ませながら駆け寄ってきた。 ワカシャモの姿が見えないところを見ると、オレがグラエナと戦っている間にモンスターボールに戻したんだろう。 「僕のワカシャモを倒したグラエナをゲットしちゃうなんて……やっぱり君ってすごいんだね!!」 「……そうか?」 あからさまな誉め言葉だけに、本気で言ってるのかと疑いたくなったけど、まあ、どうでもいいや。 自分のポケモンの仇を討ってくれたって思ってるんだろうな。 まあ、それもどうでもいいけど。 「でも、これでこの辺りも安心だろ」 オレはふっと短い息を吐き、手にしたモンスターボールをじっと見つめた。 「こいつ、この辺りを縄張りにしてたみたいだな。 ワカシャモが立ち入ったから、追い払おうとしたんだろ」 でも、ワカシャモはポチエナを助けるために、オレンの実を持ち帰らなければならない。 どうやったって戦いは避けられなかったんだ。 グラエナの特性『威嚇』で持ち前の攻撃力を存分に発揮できなくなったワカシャモは負けて、動けなくなってしまった。 大方そんなところだろう。 犬のようなポケモンは、縄張り意識が非常に強いという共通点がある。警察犬として重用されているガーディも同じだ。 「でも、ありがとう、アカツキ。 これでワカシャモも、ここに来ても襲われなくて済むよ」 「そうしようと思ってゲットしたわけじゃないんだ。そんなこと言わなくてもいいって。気持ちだけありがたく受け取っとくよ。 ……んっ!?」 オレはタクヤの言葉に応えながら、不意に気づいた。 手からモンスターボールの重みが消えている。 もちろん、さっきまで手のひらにあったモンスターボールは影も形もない。 七体目のポケモンが入ったモンスターボールだと分かって、じいちゃんの研究所に自動転送されたんだろう。 今ごろ、ケンジが「どんなポケモンかな〜」なんてワクワクしながらモンスターボールを手にしているに違いない。 今すぐにでもグラエナをボールから出してやりたいところだけど、ポケモンセンターで研究所から転送してもらわないことには、それもできない。 それに…… 「タクヤ。コトキタウンに戻ろうぜ。ワカシャモも、回復させてやらなきゃいけないだろ」 「うん、そうだね。戻ろう」 オレはリッピーに顔を向けた。 いつの間にやら、いつものように陽気な声で歌いながら、軽やかなステップで踊っていた。 グラエナに噛みつかれたっていうのに、全然ペースが変わってない…… 「はあ……羨ましい」 オレがこうやって羨んでることさえ、リッピーはたぶん感じ取ってないんだろう。 そう思わずにはいられなかった。 コトキタウンのポケモンセンターに戻ったオレたちは、グラエナとのバトルで傷ついたそれぞれのポケモンをジョーイさんに預けた。 回復が終わるまでの間、オレはタクヤとロビーの壁に沿って並べられた長椅子でひと休みすることにした。 「アカツキ、ありがとう。おかげで助かったよ」 「まあ、気にすんなよ。同じトレーナーが困ってるの、ほいほい見捨てられないだけさ」 「それでも、ありがとう。君がいてくれなかったら、ワカシャモがもっともっと傷ついてたかもしれないし……」 言い終えると、タクヤは深々とため息を漏らして、肩を落とした。 何か考えるところがあるんだろう。 「あーあ、やっぱり僕、まだまだなんだなぁ……」 「そんなこと言ったら、オレだってまだまだだぜ。トレーナーになって二ヶ月経ってないんだから」 「ええっ!?」 調子を合わせるつもりで軽く言ったオレの言葉に、タクヤは思いっきり反応した。 首の骨が折れるんじゃないかと、こっちがヒヤヒヤしてしまうような勢いで顔を向けてきたんだ。 「アカツキってまだトレーナーになったばっかりなの!?」 「キャリアだけで言えば新米だよな……よく考えてみたら」 「うわぁぁ……」 この驚きようを見てる分に、トレーナーとしてのキャリアはタクヤの方が長いらしい。 うーん、オレも驚きだ。 てっきり、トレーナーになったばかりなのかと思ってたけど……先輩だったなんて。 実績はともかく、経験だけなら普通のトレーナーにだって負けちゃいないって思ってる。 キャリアはほとんどないようなものだから、新米トレーナーと言われても仕方ないんだろうけど。 「まあ、キャリアなんてあんまり関係ないんじゃないか? トレーナーは、そりゃバトルの実力だって大事になるけど。 それよりも、何があったって自分のポケモンをトコトンまで信じられることの方がよっぽど大切だって思うけどな」 オレは驚愕に表情を引きつらせているタクヤに、そう言った。 キャリアだの経験だの…… まあ、確かにそれもある程度は重視される傾向が強いのは仕方がないとしよう。 でも、そういったものにばかり目を向けて、ポケモンとの信頼関係やバトルの実力を疎かにしちゃ、それこそ本末転倒だ。 正直、キャリアなんて今の今まであんまり考えたことなかったんだよな……どうでもいいって思ってたから。 「うーん……僕も頑張らなきゃ。アカツキには負けられないね」 「頑張れよ。オレだって、君に負けたくはないし」 仲間想いのワカシャモ。 ワカシャモがそこまでポチエナのことを想っていたのは、タクヤがポケモンたちに惜しみない愛情を注いできたからこその結果じゃないだろうか。 そう思うと、オレもタクヤには負けてられない。 もしかしたら、新しいライバル出現ってヤツかもしれない。 と、会話に一区切りついたところで、ジョーイさんが歩いてきた。 「あなたたちのポケモンの回復が終わりましたよ」 「ありがとう、ジョーイさん」 「ありがとうございます」 オレたちは口々に礼を言い、それぞれのポケモンが入ったモンスターボールを受け取った。 ジョーイさんは職業病の――もとい、いつもの明るい笑みを残し、カウンターの奥へと戻っていった。 タクヤはワカシャモのモンスターボールを腰に差すと、席を立った。 「アカツキ、じゃあね。 僕、これから頑張ってたくさんのポケモンを集めて、バトルの実力も伸ばしていくよ。 またどこかで会ったら、その時はライバルとして、ポケモンバトルしてくれるかな?」 「ああ、大歓迎さ」 オレも席を立った。 そのタイミングに合わせるように、タクヤが手を差し出してきた。 差し出された手をギュッと握ると、タクヤもオレの手を握り返してきた。 ライバル誕生の一場面だ……そう思っていると、タクヤはオレの手を払い、輝く笑顔を残して、ポケモンセンターを飛び出して行った。 自動ドアが閉まり、彼の背中が見えなくなって―― 「ホウエン地方で二人目のライバルか……ま、それも悪くねえな」 ライバルが多ければ多いほど、強ければ強いほど、燃えてくる性分なんだよ、オレは。 誰にも負けられない、負けたくない。 その想いが、これからのトレーナー人生を突き抜けてく原動力になるんじゃないかって思うんだ。 さて、タクヤも出てったことだし、そろそろオレもやることやるか。 オレはロビーの脇に設置されているテレビ電話に足を向けた。 ポケモンセンターの規模の割には台数が少なめだったけど、今は一台も使われていなかった。 壁際の一台を選び、キーボードでじいちゃんの研究所の電話番号を打ち込んだ。 ぶるるるる…… お決まりの呼び出し音が響き、画面の中で呼び出し中の文字が左右に躍る。 出るのはケンジか、それともナナミ姉ちゃんか。 どっちにしても、オレがホウエン地方でゲットしたポケモンが送られたとなれば、驚くんだろうな。 じいちゃんはまだ戻ってきてないはずだ。 明日か明後日か……話をしたかったけど、それはもう少し先の街に行った時にしよう。 楽しみは後に取っておく方がいいに決まってるもんな。 そう思っていると、七回目の呼び出し音の途中で、画面に相手の姿が映し出された。 ケンジだった。 「アカツキ。さっきポケモンが送られてきたんだけど、もしかして君が送ってくれたの?」 「ああ、そうだよ」 話が早い。 そういえば、そろそろ敷地のポケモンに朝食を与えて戻ってくる頃だっけ……チラリと壁際の時計に目をやって思う。 「ホウエン地方でポケモンをゲットしたんだね」 「ああ。結構手強かったけどな……それより、電話したのはさ、そのポケモンをこっちに送ってほしいからなんだ」 「えー? もう手持ちに加えるの?」 オレの言葉に、ケンジは驚いたような、それでいて不満げな表情を画面越しに向けてきた。 せっかく送られてきたんだから、存分に観察したかったんだろう。 ケンジには悪いけど、オレにはオレの都合がある。 グラエナを手持ちに加えて、みんなに早く慣れてもらわなきゃいけないんだ。 表情じゃ残念そうにしてても、オレが何を考えてるのか分かったらしく、ケンジはすぐにいつもの笑顔に戻った。 「じゃあ、その代わりに君のポケモンを送ってよ。 僕は君が旅先でゲットしたポケモンの世話とかあまりしてないから、どのポケモンでもいいよ」 「よく言うよ……」 オレは苦笑するしかなかった。 控えめな交換条件もいいところだ。 でも、グラエナのボールを送ってもらう代わりに、こっちも研究所に手持ちのポケモンを一体送らなければならない。 誰にするか…… オレは腰のモンスターボールを六つつかんで、画面の前に並べた。 ラッシーとレキは論外だ。 となると、ラズリー、リッピー、ルース、ルーシーの誰かを研究所に送らなければならないか。 同じタイプのラズリーとルースのどっちかが妥当な線なんだけど……でも、もう決めた。 こういう時は、うじうじ迷うよりもスパッと決めちゃった方がいいんだ。 「ラズリー、しばらくじいちゃんの研究所でゆっくり休んでてくれよな」 オレはラズリーを選んだ。 ラズリーのモンスターボールを、転送の機械にセットする。 「ラズリーっていうと、ブースターに進化した?」 「そうそう。とっても勇敢な性格だから、何か揉め事とかあったら、その時は先頭に立って解決に導いてくれると思うぜ」 「それは頼もしいね。観察のしがいがあるよ」 ケンジは満足げに頷いた。 誰を送っても存分に観察するのは変わらないんだろうけど、勇敢な性格ってところで安心してるんだろう。 「ボールはセットしてくれた?」 「ああ。そっちは?」 「セットしたよ」 オレが誰を研究所に送るか考えている間に、先にセットしておいたらしい。 ケンジはやることなすことすべてが早いからなぁ……じいちゃんやナナミ姉ちゃんが頼りにするのも頷けるよ。 「それじゃあ、転送を始めるね」 ケンジが、傍らにあるスイッチを軽く押した。 すると、ラズリーのボールをセットした装置が作動し、電極から放たれた電気がボールに突き刺さる。 ボールの中にいるラズリーを一時的にデータ化して、双方向の回線に載せているところだ。 こっちからは見えないけど、研究所でも同じことになってるはずだ。 しばらく電極から電気が放たれていたけど、やがて電極に吸い込まれ、静かになった。 モンスターボールの見た目はまったく変わってない。 だけど、中のポケモンが入れ替わってる。 「転送は終了したよ。そっちに君が新しくゲットしたポケモンが届いてるはずだけど」 「ああ、確認してみる」 オレは装置にかけてあったモンスターボールを手に取ると、真上に軽く投げた。 「出てきてくれ、グラエナ」 オレの言葉に応えて、ボールが口を開いて中からグラエナが飛び出してきた。 「ぐるる……」 真っ赤な双眸は初めて見た時と変わってなかったけど、雰囲気は百八十度ばっかし変わっていた。 敵対的な雰囲気はどこへやら、すっかり飼い主になついたワンちゃんみたいになってて、何が楽しいのか、黒い毛フサフサのシッポを揺らしている。 「…………」 あまりの変わりようにオレは言葉を失くし―― 「へえ、そこにいるのが、君が新しくゲットしたポケモンなんだね」 スピーカーから、ケンジの物珍しそうな声が聞こえてきた。 オレはただただグラエナをじっと見てたんだけど、スケッチブックを片手に、画面越しに観察し始めてるのは間違いないな。 「ぐるる……」 低く唸るグラエナ。 穏やかな眼差しと雰囲気を身にまとい、バトルの時に見せた獰猛さはすっかり影も形もない。 あー、なんていうか……普段は穏やかなんだろう。 普段から怒ってるポケモンって言えばマンキーとかオコリザルとか……あんまりそういうのって多くないんだよな。 バトルの時に見せる表情がすべてじゃないってことだ。 とはいえ…… 「具合はどうだい? ピッキーが10万ボルトとかコメットパンチとか食らわしたけど……痛まないか?」 オレはしゃがみ込んで、背中を撫でながらグラエナに言葉をかけた。 ジョーイさんに看てもらってないんだけど、グラエナはとても元気そうだ。 威嚇の特性のおかげで、ダメージをかなり軽減できたってところだろう。 「ぐるるる……」 大丈夫だと言わんばかりに頷く。 「よしよし……」 なんだかうれしそうなグラエナの頭を撫でて、オレはテレビ電話の画面に向き直った。 「また新しいポケモンをゲットしたら、その時は手持ちのポケモンを送ってね。 ナナミさんと買出しに行かなきゃいけないから、ここで失礼するよ」 「ああ。ラズリーをよろしくな」 「オッケー、任せといて」 買出しに行くと言われては、長々と話し込むわけにはいかない。 ニコッと深い笑みを残して、画面がブラックアウトした。 まあ、研究所での生活が長いラズリーなら、すぐにみんなと仲良くしてくれるだろうし、頼りがいのあるリーダーにもなれるだろう。 もしもこれがルースだったら……想像に余るほどすごいことになりそうなんで、考えるのは止めておいた。 ルースは今しばらく手持ちに入れといて、もうちょっと度胸をつけてもらうことにしよう。 研究所の敷地に放り込んで、強制的に慣れてもらうという荒療治もちょいと頭を過ぎったけど…… 止めといた方がいいって、すぐに頭の中でストップがかかった。 「……そうだ。 君はオレたちの新しい仲間だから、名前をつけてあげなきゃいけないな」 再びしゃがみ込んでグラエナと同じ視線に立つ。 すると、何かを期待するような眼差しを向けてきた。 ニックネームをつけて下さいと、心待ちにしているような……そんな感じ。 「何がいいかな……?」 グラエナらしい名前がいい。 見た目も習性も犬っぽいし、タロウとかポチとか、いかにもありふれた名前もいいかなって一瞬思った。 だけど、それじゃあいくらなんでもかわいそうだ。みんなと全然違うんじゃさ。 オレの大切なパートナーなんだから、ありふれた名前で妥協するわけにはいかない。 変なところで凝り性なんだけど、名前ってそれくらい大切なものなんじゃないかって思うんだ。 自分でも眉間にシワを何本も寄せてるってことが分かる。 誰も見てないから、別に気にしない。 何分か考えて――不意に首を擡げたのは、名前候補のひとつだった。 「リーベル……」 その候補が自然と口を突いて出てきた。うん……なんか、いい響きだ。 候補が、一瞬にして最有力候補に躍り出た。 なんでその名前なのかは自分でもよく分かんないんだけど、なんか妙に合ってるように思えるんだよな。 「ぐるぅっ!!」 現に、グラエナはうれしそうな顔で声をあげ、さらに大きくシッポを振っている。 一度つぶやいただけでここまでうれしそうな顔をするんだから、気に入っちゃったのかもしれない。 リーベルっていう名前。 本人が気に入っちゃったんだから、つけないわけにはいかないな。 語感もどことなくいいし、とても呼びやすい。 「よし、君の名前はリーベルだ。よろしくな」 「ぐるぅ、ぐるぅっ!!」 グラエナ――リーベルは大きく嘶いた。 と―― ぐぅぅぅ。 あまりにみっともない音が耳に飛び込んできた。 「あ……」 リーベルが不思議そうな顔で見つめてくる。 せっかくいい雰囲気だったのに、一瞬で台無しになった。 「腹、減ったな……」 そういや、まだ朝食さえ摂ってなかったんだっけ。 タクヤが血相変えてやってきたものだから、メシも食わずに町の外まで出かけるハメになって…… 今の今まで空腹を感じてなかったんだから、我ながらたいしたもんだと思わずにはいられない。 恥ずかしさをカムフラージュするには過ぎた言い訳だけど、まあこの際仕方がない。 「なあ、リーベル」 「…………?」 「メシにしないか?」 「…………ぐるぅ」 オレの提案に、リーベルは小さく頷いた。 リーベルもそれなりに腹を空かせてるんだろう。 「よし、行こうぜ」 オレは周囲を見渡し――誰も腹の虫が騒いだ音を聞いていないことを確信してから、リーベルを連れて食堂へ向かった。 To Be Continued…