ホウエン編Vol.06 無邪気な翼 <前編> 次のジムがあるカナズミシティまでは、トウカシティから三、四日の道のりだ。 カナズミシティはトウカシティの真北に位置していて、二つの街の間には、トウカの森と呼ばれる森林地帯が広がっている。 足を踏み入れてみると、都会と違って空気の新鮮なこと!! 青々とした葉を茂らせた木々が並び、木々の間を縫ってつくられた道を歩いていると、トキワの森に戻ってきたんじゃないかって錯覚してしまうほどだ。 それに、深呼吸もしたくなる。 「うーん。やっぱ、こういうトコの方が落ち着くよなぁ……」 立ち止まり、背筋をピンと伸ばして大きく深呼吸。 都会と違って新鮮な空気をいっぱい吸い込む。 カナズミシティは都会だって聞いたから、あんまり空気もキレイじゃないんだろう。 今のうちに新鮮な空気で肺を満たしておこうかなって、つまんないこと考えたりしたんだ。 空を仰げば、風にそよぐ木の葉の合間から、光のカケラが降り注いでいる。 あー、やっぱり落ち着くなぁ…… このまま道端で昼寝でもしたい気分になるけど、そんなにノンビリするわけにはいかないから、仕方がない。 ホウエンリーグにカントーリーグ。 二つの大会は開催の時期が近いだけに、立て続けに出場することになる。 連戦に耐えられるようにみんなを少しでも強く育て上げなきゃいけないし、オレもトレーナーとしてもっともっと強くならなきゃいけない。 切羽詰まってるわけじゃないけど、やることは山積みなんだ。 「ゴロゴロ〜」 ……なんて、足元で声をあげてはしゃいでるレキの陽気な声を昼寝の代わりに聴きながら行くとしよう。 なんでレキだけを外に出しているかというと、外にいる方がトレーナーに懐くから。 レキはとっくにオレに懐いてるんだけど、それだけじゃないんだ。 ポケモンが懐いていればいるほど、レベルアップによる進化が速くなるっていうじいちゃんの論説を実践しようと思ってさ。 まだそこんトコは確立されてないけど、じいちゃんが言うには、ポケモンとトレーナーが深い絆で結ばれれば、 その分だけポケモンはトレーナーのために戦おうという気持ちになって、その上向きな考え(俗に言うポジティブシンキング)が身体機能を高め、 高まった新陳代謝が進化を促すとか何とか…… 難しい言葉がゴロゴロしてるけど、要はポケモンとトレーナーが深い絆で結ばれれば、強くなるってことだ。 じいちゃんの研究の手伝いをしてるんだから、オレって結構祖父孝行(そんな言葉あるのか?)なんだなぁ、って自分で自分を誉めたくなるよ。 まあ、レキはまだこれから二段階も進化を控えてるから、今から少しでも強くなってくれれば、進化による能力アップにもそれが反映されるだろう。 いつか戦ったラグラージ――最終進化形にまで進化したら、バカにならないほどの能力が上乗せされることになる。 じいちゃんの論説を証明することになるし、レキも強くなれる。まさに一石二鳥だ!! レキにとっても、いい勉強になるだろう。 外の世界に触れて、豊かな感受性でいろんなものを感じ取ればいい。 なにせ、オレと出会うまで、オダマキ博士の研究所から出たことがないという、文字通りの箱入り娘(レキは女の子!!)だもんな。 外の世界に対する憧れも人一倍強いから、オレがボールから出す前に、自分から外に飛び出してくるんだ。 モンスターボールに戻すのもどうかと思って、そのまま連れ歩くことにしてるんだ。 いざって時は、バトルでもなんでもさせてみればいい。 トウカシティとカナズミシティの間に横たわる森を南北に貫く道は人影も疎らで、まるでこの道を借り切っているような気分になる。 レキがはしゃいでも、周りには迷惑もかからないだろう。 オレはぴょんぴょんと飛び跳ねているレキに目をやった。 「楽しいか、レキ?」 「ゴロっ!!」 声をかけると、レキは大きく嘶いて、さらにぴょんぴょんと飛び跳ねた。 新鮮な空気だって、頭上のヒレで敏感に感じ取っているんだろう。 外の世界に触れているってだけで、レキはきっと楽しいんだろうな。 あの時オレが選ばなかったアチャモとキモリも、ここに来ていたらレキと同じことをしてたんだろうか? 楽しそうなレキを見ていると、そんな考えがふと頭をよぎった。 アチャモもキモリも、レキには及ばないもののすごく人懐っこかった。 できれば三体とも連れて行きたかったんだけど、一体だけだと言われた。 それに、三体も一気に連れて行くとなると、大幅な戦力ダウンは必至だ。 いくらなんでもそれだけは避けときたい。 戦力的に優れているラッシー、ルース、ルーシーを残したとしても、かなり苦しい展開になるのは間違いないからさ。 だけど、いつかは三体を揃い踏みさせてみたいなっていう気持ちはあるよ。 カントー、ジョウト、ホウエンの『最初の三体』を揃えてみるってのも、タイプのバランスから見てかなりいいことかもしれない。 レキが進化したらラグラージになるし、アチャモだったらバシャーモになる。 そういや、ジョウトリーグでサトシを破った人がバシャーモを使ってたっけ。 名前は忘れたけど、ホウエン地方の出身だって紹介されてたな。 ……それはそれとして、キモリの最終進化形ってどんなポケモンなんだろ? もしかして、空飛んだりするんだろうか? 戦力的に安定してくる、当分先の話だっていうのに、なんでこんなに面白い想像を掻き立ててるんだろう。 やってみたいって思ってるからかな。 かくいうレキは、アチャモとキモリっていう友達と別れたにもかかわらず、とても楽しそうだ。 ラッシーや他のみんなともとても仲良しだし、みんなのことを親友だと思っているのかもしれない。 それならそれで、オレとしてはうれしい限りだけどな。 しっかし…… 「そろそろレキもデビューさせていい頃だよな〜」 レキは仲間に加わってからというもの、一度もバトルに参加したことがない。 なにせ、戦ってきた相手が相手だったからなあ…… 実力的に未知数なレキを出して勝てるような相手じゃなかったし。 せめて野生ポケモンだったら十分に戦えるんだろうけど、ここいらで一度はバトルさせて、レキの実力を正確に測っておきたい。 後から仲間に加わったリーベルはトウカジムでのジム戦でその実力を如何なく発揮してくれた。 「あー、適当な相手が出てきてくれると助かるんだけど……」 トウカシティで一泊した時にリサーチしたところによると、トウカの森に棲息するポケモンは、レキでも十分に勝てる相手が多いらしい。 虫タイプのポケモンが多いから、強敵はいないと言ってもいいだろう。 さて、そろそろどこか適当な相手はいないかな? 周囲を見回してみるけど、ポケモンのポの字も見当たらない。 やっぱ、人の通るところには出てこないか。 とはいえ、変なところに踏み込むわけにもいかないんだよな。 どうにかして野生のポケモンを誘き出す手はないものか…… 考えていると、不意にレキの足が止まった。 「ん?」 オレも二、三歩進んだところで足を止め、振り返った。 レキが頭上のヒレをぴくぴく震わせながら、周囲を見回している。 「どうしたんだ、レキ?」 「ゴロ……ゴロゴロ……」 楽しそうな表情が一変、何かを探るように、険しい顔つきになる。 他のみんなが見たらきっと驚くだろうけど、レキもバトルをすればこんな表情を見せるはずだ。 平素とバトルじゃ見せる顔だって違うだろう。ルースなんて極端だけど、いい例だ。 「何か見つけたのか?」 いつものレキとはまったく違う。 オレもその変わりように驚きを隠しきれないけど、レキが何かを感じ取ったであろうことは理解できる。 でも、一体何を見つけたんだろう? 知りたい気持ちが急くけど、ここはレキに任せよう。オレがでしゃばったところで、何も変わりはしない。 と、レキが右側の茂みに顔を向けて、動きを止めた。 オレは釣られるように視線を向けた。 あの茂みの向こうに何かあるのか? 虫ポケモンが脱皮して進化しようとしてる場面とか……? あー、そういえば、あんまりいい思い出がなかったような気がするんだよな。 トキワの森で、散々スピアーに追いかけ回されたことが頭に浮かんだ。 あんまり思い出したくないんだよなぁ、ああいうの。 結果的にスピアーの大群に勝利はしたものの、ありゃ後味が悪かった。 なにせ、ナミのヤツが「ハチさんだ!!」なんてはしゃぎながら手を振ったものだから、産卵期で気が立ってるスピアーを刺激して…… ……で、追いかけ回された。 もしかしたら、レキが見つけたのもそういう類のヤツじゃないだろうか……? ナミと性格的によく似ているだけに、そういう想像だけは苦労なく湧き上がってくるんだけど…… 「ゴロっ!!」 行くべきか行かないべきか考えていると、レキが声をあげて茂みに突っ込んで行った。 「あ、おい!!」 止める間もなかった。 あー、こうなったらもぉ行くしかない。 何が待ってたって、今のオレたちなら大丈夫だろ。 無責任な確信を胸に秘め、オレはレキの後を追った。 茂みを飛び越え、木々の間をすり抜けて森の奥へ向かうレキを追いかける。 見かけによらず足が速く、ちょっとでもスピードを落とせば、障害物の多い森の中、すぐに見失ってしまいそうだ。 『その気』になった女の子はとてつもないパワーを発揮すると言うけれど、もしかしたらビンゴかもしれない。 木立を縫って進んでいくと…… 「ゴロっ!!」 レキの鋭い鳴き声。 オレに『来て!!』って言ってるように思えたよ。 背中を押されるように足を速め、レキに追いついた。 そこには、ケガをして動けなくなったポケモンがいた。 「このポケモンは……」 オレはポケモン図鑑を取り出そうとズボンに手を伸ばしかけて――それどころじゃないと気づいて止めた。 見た目からすると鳥ポケモンだろう。大きさはレキと同じか、少し大きいくらい。 頭から背中、翼にかけて藍色の艶やかな羽毛に覆われている。 黄色いくちばしはかすかに丸みを帯びた流線型で、大きな目がしきりに瞬きして、目の前にいるオレをじっと見つめている。 レキはこのポケモンを見つけたのか。 「ス、スバ……」 弱々しい声で嘶くそのポケモンは翼をケガしていた。 左の翼に傷がついている。本来フワフワのはずの羽毛が乱れ、汚れてしまっている。 これじゃあ、飛ぶことはできないだろう。 飛べない鳥ポケモンは、他のポケモンの格好の餌食だ。 自慢の翼が使えなければ、相手を追い返すこともできない。 まして、小型のポケモンなら、なおさらだ。 弱々しい鳴き声を頭上のヒレでキャッチして、レキはやってきたんだろう。 「ゴロ? ゴロゴロ!?」 レキは真剣な表情を崩さずに、そのポケモンに声をかけた。 どうしたの、大丈夫? そんな風に聞こえたよ。 「スバ……」 痛い。大丈夫じゃない。 そのポケモンの言いたいことも、なんとなくだけど分かった。 ……っていうか、この状況を見て分からなかったらトレーナー失格だろ。 「レキ、お手柄だぜ」 オレはレキの頭を撫でると、その場にリュックを置いて、中から傷薬と包帯を取り出した。 もうちょっと発見が遅かったら、ホントに他のポケモンに襲われてたかもしれない。 そうなったら、まず助からなかっただろう。 このポケモンがどんな種族っていうのは二の次だ。 まずは、ケガしてる翼にちゃんとした処置をしてやらなきゃ。 傷が悪化して化膿したら、治るどころか、翼を切り落とさなきゃならなくなる。 そうなったら、鳥ポケモンとしてこの先生きていくことはできないだろう。 そうなる前に、応急処置でもやっておかなきゃな。 森の途中にポケモンセンターがあるようだから、ここで応急処置をして、すぐにポケモンセンターに向かうことにしよう。 頭の中で瞬時に計画を立てる。 「よしよし、大丈夫だからな。すぐ治してやるから、おとなしくしてくれよ」 オレは声をかけ、安心させようとそのポケモンの頭に手を伸ばしかけ―― 「スバっ……!!」 手負いの身とは思えないような鋭い声と視線をオレに突きつけてくる。 「……!!」 思わず手が止まった。 まさか、オレに取って喰われるとでも思ってるのか? でも、鋭い眼差しは強い警戒心の表れだ。 人間を警戒するのは無理もないけど……この傷、パッと見たところ、ポケモン同士の争いでつけられたような感じだ。 まあ、どっちにしても、放ってはおけないな。 「大丈夫。別におまえをどうこうしようって気持ちはねえよ」 胸にチクリ刺さる視線を意識しないよう努めながら、オレはポケモンの頭をそっと撫でた。 親の仇でも見てるような目つきだけど、気にしちゃいられない。 「しっかし……なんでここまで警戒するかな。レキがいることだし、リラックスしてくれると思ったんだけど」 レキがしきりに声をかけるけど、オレに対する警戒心の方が強いんだろう。 頭を撫でるのもそこそこに、傷の手当てを始める。 バタバタと翼を激しく動かしてるけど、抵抗らしい抵抗じゃない。 傷を負った翼にスプレー型の傷薬を吹きかける。 「す、スバっ!?」 薬が染みるのか、ポケモンがより激しく暴れ出す。 「我慢してろよ。翼切り落とすのに比べりゃ、こんなの軽いモンだろ」 薬で傷口を消毒して、雑菌の混入を防がなきゃならない。 少なくとも、藍色の羽毛が乱れてる範囲は薬を吹きかけておく。 「スバ……」 痛みに負けたらしく、ポケモンはおとなしくなった。 暴れるだけの体力が残ってないのかもしれないけど、オレにとっては好都合だ。 下手に暴れられると、包帯を巻けないからな。 必要と思われる箇所に薬を吹きかけると、次は包帯を巻く番だ。 こっちは必要以上にきつく巻かないよう、力加減には気を配らなければならない。 ぐったりと横たわるポケモンの表情を逐一確認しながら巻いていく。 下手に強く巻くと、翼の核となる骨を傷めてしまうことがある。そうなると、翼が変形して、今までのように飛べなくなってしまうかもしれないんだ。 こういうことに関しては、じいちゃんの研究所でナナミ姉ちゃんやケンジの手伝いをしてきたことが大いに役立つ。 研究所の広大な敷地には、実に様々なポケモンが住んでいる。 空を飛ぶポケモンや、森に住むポケモン、水中で暮らしているポケモンもいる。 時にはそのポケモンたちが諍いを起こすことがあって、その度に双方にケガをしてしまうポケモンも出るんだ。 そんなんで傷ついたポケモンたちに処置してきたことがあるから、こういうのはお手の物ってワケさ。 まあ、素直には喜べないんだけどな。 包帯の両端をきっちり結んで、応急処置は終了だ。 ほんの気持ち程度の力で、包帯で白くなった翼を叩いてみる。適度に弾力性もあるし、これなら大丈夫だろう。 さて、あとはポケモンセンターに連れて行くだけだな。 改めてポケモンの顔を見てみると、さっきまでの威勢の良さはどこへやら。目も雰囲気もすっかり落ち着いてしまっている。 どうやら、オレが敵じゃないってことに、今さらながら気づいてくれたらしい。 「これからポケモンセンターに行くけど……大丈夫だよな?」 「ゴロゴロっ!!」 一緒に行こうよ、と言わんばかりに、レキが声を上げる。 とっても楽しそうな声音なのは、気のせいだろうか? 断られても連れて行くつもりでいただけに、そのポケモンがあっさりと頷いたのには、正直拍子抜けしてしまった。 イエスの返答に、いよいよレキがはしゃぎ始めた。 「ゴロ、ゴロっ!!」 ニコニコ笑顔で、そのポケモンの周りを走り出す。 「スバ……スバ……」 真ん前で足を止めるレキに、好意的な声を発する。 「…………」 ナンダカンダ言って、結構意気投合してるじゃん。 今思えば、薬を吹きかけた時におとなしくなったのは、レキがオレのことを『危険なヤツじゃない』と伝えてくれたからじゃないだろうか。 もしそうだとしたら、レキもなかなかやるなあ。 そこまで深く考えてるかどうかはともかくとしても、ここは結果論で評価してやろう。 「スバぁ……」 レキの前で、そのポケモンは翼を軽く上下させてみせた。無理をしてるようには見えないけど、飛び立つのはまず無理だろう。 だけど、この分だと、完治までそんなに時間はかからないはずだ。 「こらこら。あんまり動かすと治りが遅くなるから、それくらいにしとけよ」 オレは傷薬をしまい込んだリュックを背負い、ポケモンの身体を抱き上げた。 治りきってない状態で無理に動かし続けると、治るのが余計に遅くなる。 そうなると、余計な面倒も見なくちゃならなくなる。 「……おまえ、結構軽いんだな」 鳥ポケモンは総じて身体が軽い。 でも、オレが思っているよりも、腕に抱くポケモンは軽かった。 ポッポよりも軽いか……いや、同じくらいかもしれないけど、見たところ進化前のようだし、これくらいなんだろうか。 「スバぁ……?」 ポケモンはオレの顔を見上げてきた。 穏やかな瞳は、青い空のように澄んでいた。 ……これが素顔か。 オレのこと、敵だって思ってたみたいだけど、まあそれも無理のない話だよな。 だけど、もう敵じゃない。 「ゴロっ、ゴロっ!!」 立ち上がるオレの足に、レキが甘えるように擦り寄ってきた。 あたしも抱いて――って言ってるように聞こえたけど……ちょっとオーバーだろうか? まあ、レキだけ歩かせるのも不公平だし、レキくらいなら一緒に抱いても大丈夫だろう。 「分かったよ。レキも一緒に行こうな」 「ゴロっ!!」 ――やったね!! オレは左腕にポケモンを抱くと、しゃがんでレキを右腕に抱いた。 同じ目線に立って、レキとポケモンはニコニコ笑顔を向け合った。 応急処置までの間に何があったのかは分からない。 始終レキが声をかけ続けていたのは気づいてたけど、レキが何を話していたのかは分からないな。 初めて会った人間に従順になったのを見ると、レキとお友達になったってところか……それはそれで、いいことだと思うけどな。 「ゴロゴロ?」 「スバぁ……」 オレの腕の中で、レキとポケモンが会話を交わす。 相変わらず何を話しているのかは分からないけど、楽しそうな声を耳にすると、こっちまで落ち着いてくる。 木の葉の合間から覗く太陽の位置から方角を読み取って、森を南北に貫く道へと戻る。 思いのほか時間がかかったけど、何とか戻ることができた。 通った覚えがある……さっきいた場所より少し手前の地点に出た。 「ポケモンセンターはもう少しだな……ゆっくり行くか」 オレはゆっくりと道を歩いて行った。 ポケモンセンターに到着したのは、それから三十分後のことだった。 ポケモンセンターに入って、すぐにポケモンをジョーイさんに看てもらった。 どこで見つけて、どういう応急処置をしたかってことも、一応話した。 「いい応急処置だわ。これなら心配要らないわね」 ジョーイさんはポケモンの翼をすっぽり包む包帯に触れると、いつもの笑みをさらに深めた。 「完治するまではここで面倒を見ますけど、君のポケモンに懐いているみたいだから、治療が終わったら、君の部屋に届けるわね」 「はい、お願いします」 レキのことを言ってるんだろう。 さすがはジョーイさんだって思ったよ。 レキがポケモンと向き合ってるのを見て、仲がいいとすぐに読み取ったんだ。 だから、ポケモンの方も不安にならないように、治療が終わったらレキと遊ばせると言ってくれたんだろう。 「じゃあ、カードキーを発行するから、ちょっと待っててね」 ジョーイさんはラッキーを呼んで、ポケモンを奥の診療室に運ぶように指示すると、カウンターの傍のパソコンと睨めっこを始めた。 すごい速さでキーボードを叩く。 すぐにカードキーが発行された。 「はい。これが君の部屋のキーです。ゆっくり休んでね」 「ありがとうございます」 オレは礼を言い、カードキーを受け取った。 「ゴロっ!!」 レキが、ラッキーが運んできたタンカの上に乗せられたポケモンに向かって声をあげる。 ポケモンはチラリと振り返ると、小さくレキに声を返した。 ――また後でね。 そういう意味だったのか、レキは笑顔のままだった。 ゆっくりと扉が閉じられ、ポケモンの姿は見えなくなった。代わりに、扉の真上に「診療中」のランプが点灯した。 あとはジョーイさんに任せておけばいいだろう。 ……ってワケで。 ポケモンが消えた扉の向こうに視線を向けたままのレキの頭をそっと撫で、声をかけた。 「レキ、行こうぜ。また後で会えるんだからな」 「ゴロっ!!」 元気よく頷くと、レキはオレの腕から地面に飛び降りた。 もう抱いてくれなくても大丈夫だよ、ってことかな。 ……うーん、名も知らないあのポケモンに嫉妬してたように思えてならないんだけど。気のせいだろうか? 本人に訊ねるわけにもいかず、オレはその疑念を保留扱いにした。 カードキーに印字された部屋は近くで、ロビーの脇から左右に伸びている廊下の中ほどだった。 ロビーから三十秒も歩けばたどり着いた。 「ふう……やっと休めるな」 部屋に入ると、オレは荷物を机の上に放り出し、ベッドに倒れ込んだ。 柔らかなシーツに半ば身体を埋めると、気だるさが込み上げてきた。 別にいつもと違ったことをしたわけじゃないのに、妙に疲れるんだ。 もしかしたら、今までに溜まった疲れがここに来て大放出しているのかもしれない。 あんまりうれしくないんだけど、もしそうだとしたら、数日はゆっくりしなきゃいけないな。 無理をして身体を壊したら、数日どころの遅れじゃ済まなくなる。 ホントは、そんなにゆっくり休む時間はないんだ。 一日の遅れが、これから出場する大会に大きな影響を及ぼす。 あと一日ちゃんと特訓してたら、勝ててたかもしれない……なんてことになったら、それこそ目にも当てられないだろう。 でも、みんなをリラックスさせる時間も必要だ。 戦い詰めになると、知らず知らず日常の中でも無駄な力が入ったり、刺々しくなったりして、バトルする前に神経が参ってしまう。 そうなったら、まともに戦うこともできなくなる。 そうならないようにするためにも、ここいらで休みを取るのも必要かもしれない。 なんて、ボケボケしてきた頭で考えていると、 「ゴロ?」 陽気な声がして、無邪気な笑みを浮かべたレキが視界に入ってきた。 「ん……? どうしたんだ、レキ?」 「ゴロゴロっ!!」 声をかけると、レキが上着の裾を引っ張ってきた。 気だるい身体に力を込めて、オレは起き上がった。 一人じゃヒマだから、構ってほしいってところだろうか。 さっきのポケモンがジョーイさんの診療を終えるまで、もうしばらく時間がかかりそうだし……その間、じっとしてられないんだろうな。 いかにもレキらしいんだけど、かくいうオレも、やらなきゃいけないことってのがないんだ。 でも、気になることはある。 確かめたいって思うことがある。 暇つぶしがてら、それをレキと一緒に確かめてみるのもいいだろう。 「レキ、こっちにおいで」 膝を軽く叩くと、レキは一目散に走ってきて、膝の上にちょこんと乗った。 オレはズボンのポケットからポケモン図鑑を取り出して、蓋を開いた。 「ゴロ?」 何をするの? そんな言葉を受けて、オレは理解してくれるかどうか分からないけど、やろうとしてることをレキに説明した。 「さっきレキが見つけてくれたポケモンのこと、調べてみようかと思ってさ」 名も知らないポケモン。 鳥ポケモンであることだけは確かだけど、今まで見たことのない、いわば『未知のポケモン』だ。 出会ったのも何かの縁だし、そのポケモンのことを簡単にでも知っておきたい。 後々バトルで出てきた時の対策にもなる。 図鑑の液晶を見ながら、ボタンをいくつか押すと、ポケモンの検索画面になった。 身体の色や大きさ、タイプを指定してやると、それに該当するポケモンの名前が表示されるんだ。 身体の色は藍色。大きさは四十センチくらい。タイプは飛行タイプ……と、三つの条件をインプットして、検索開始!! 「検索中。待っててね」という意味の英語が画面に表示され、左から一文字ずつ色を変えていく。 退屈させないためにオマケ程度に付け加えたエフェクトなんだろうけど、いくらなんでもそりゃ古くないか? なんて胸中で製作者であるじいちゃんにツッコミを入れている間に、検索は終了した。 表示された名前は…… 「スバメ……スバメっていうのか」 スバメという名前だけが表示され、オレはその名前を選択した。 画面が切り替わり、さっきジョーイさんに預けたポケモンの姿が映し出された。 「ゴロっ!?」 レキが声を上げる。 表情を見てみると、「また会えた!!」と喜びを表していたけど、映像はあくまでも映像だ。 だけど、映像と実物はとてもよく似ていた。 スバメっていうポケモンなんだな。 さしずめ、カントー地方で言うポッポってところか。オニスズメほど攻撃的には見えないから、ポッポくらいがちょうどいいだろう。 画面に映し出されたスバメに向かって手を――じゃなかった、脚を伸ばすレキ。 液晶のツルツルした感触を疑問に思わなかったのか、まったく気にしている様子がない。 映像と分かっているのかもしれないけど、まあそこのところはどうでもいいや。 説明ボタンを押して、スピーカーから流れてくる声に耳を傾ける。 「スバメ、こツバメポケモン。 どんな強い相手でも勇敢に挑み、負けてもへこたれない根性を持つが、お腹が空いたり、夜になると淋しくなって泣いてしまうことがある。 巣立ちを終えたばかりなので、親を恋しく思うことがあるようだ」 ほう…… 説明だけ聞いてると、やたらと勇敢で、その反面泣き虫でもあるってところだけど、画面を切り替えてタイプと特性を確認すると、ああ納得。 鳥ポケモンらしく、タイプはノーマルと飛行を併せ持ち、特性は根性……毒、麻痺、ヤケドになると攻撃力がアップするものか。 窮地に陥るとパワーアップにするのは、ラッシーやルースの特性と似てるな。 ただ、こっちは状態異常だから、体力が満タンの時でも発動できるのがポイントだ。 でも、進化を控えているだけあって、種族的な攻撃力は低め。 元の攻撃力が高ければ、根性による攻撃力アップの幅も大きくなるだろう。 「そういや、根性はカイリキーとかが持ってたっけ……」 カントー地方のポケモンにも、この特性を持つものはいる。 たとえば、格闘タイプのカイリキー。 攻撃力の高さには定評があり、なおかつ四本の腕を持ってるから、普通じゃ考えられないような戦い方だってできてしまう。 実際、バトルで使ってるトレーナーも多い。 ……いつの間にやら、頭の中ではスバメのことからポケモンバトルのことへと話題が変わっていた。 警鐘を鳴らすように、レキが嘶く。 「ゴロっ、ゴロっ!!」 「うん?」 「ゴロゴロっ!! ゴロっ!!」 顔を向けると、レキは腰のモンスターボールにタッチしてきた。 みんなを出そうよ、って言ってるみたいだ。 ……そういえばそうだな。 オレは室内を見渡した。 みんなを出してもスペース的にはそんなに窮屈じゃない。 訪れるトレーナーがそれほど多くないのか、オレに宛がわれたのは一人用の部屋じゃなくて、二人用の部屋だった。 今さらながら気づいたんだけど、ベッドが二つあった。 倒れ込むベッドのことしか見えなかったらしい。 こんなのナミや親父に見られたら、それ見たことかと笑われるだろう。 あー、この二人がいなくてホントに良かった。 ホッと胸を撫で下ろし、オレはモンスターボールをつかんで、頭上に掲げた。 「みんな、出てこい!!」 呼びかけると、ボールが一斉に口を開いた。 続々とみんなが飛び出してきた。 ラッシー、リッピー、ルース、ルーシー、リーベル。 「ピッキー♪」 リッピーはみんなと違って、もうひとつのベッドの上に飛び出して、いきなり歌と踊りを披露し始めた。 「…………?」 リッピーの歌と踊りを見るのが初めてのリーベルは、「何だこれ?」と言いたそうな視線をリッピーに向けていた。 でも、マイペースのリッピーはまったく意に介していない。 将来は大物になるかもしれない……そう思っていると、 「バーナー……?」 ラッシーが低く唸った。 ――みんなを出して何するんだ? ラッシーの言いたいことなら、なんだって分かる。 ミーティングでもやるわけでもないのに、どうしてみんなを出したのか。 そう思うのはごもっともなことだけど、別に意味なくみんなを出してるわけじゃない。 そこんとこは分かりそうなものなんだけど……度々そうしてるから、今回は違うんじゃないかって思ったのかもしれない。 いかにもラッシーらしい考え方だと、オレは妙なところで感心した。 「みんなさ、今までバトルばっかりで大変だっただろうから、ここで何日かゆっくり休もうと思ってるんだ」 オレはみんなの顔を見回しながら、自分の考えを述べた。 「一刻も早くバッジを集めて、大会に通用するレベルまでみんなを育てなきゃいけないってことは分かってるつもりだよ。 でも、だからといって無理をしたら、それどころじゃなくなっちゃうんだ。 だから、ここでゆっくり休んで、今までに溜まった疲れをキレイさっぱり流しちゃおうって思ってるんだけど、どうだろう?」 本来はオレがみんなをぐいぐい引っ張ってかなきゃいけないところなんだろうけど、それじゃあ独裁政権と変わらない。 だから、本当に大切なことはみんなと相談した上で結論を出そうと思ってるんだ。 優柔不断だって思われてもいい。 みんなを信じてるから、相談しようって思えるんだよ。 みんなから何かしらの意見――大まかに言えば賛成・反対が出るのを待ってみる。 でも、何も出ない。 賛成か反対か、決めかねてるんだろうか。 相変わらず踊っているリッピーと陽気なレキはともかく、他のみんなは一様に考え込むような表情を見せていた。 オレの言わんとしていることを理解し、だからこそそうやって考えてくれてるんだろう。 なんだか胸がじーんとしてきちゃうけど、それとこれとは話が別だ。 ここで大切なのはみんながオレの意見を可決するか、否決するかのどっちかってことなんだ。 否決されたらされたで、先を急げばいい。 みんなの体調には人一倍気を配って、誰か一人でも不調になったら、そこで休めばいい。 で、結果は…… 「バーナー……」 ラッシーが小さく頷く。 それが合図と言わんばかりに、他のみんなも頷いてくれた。 よし、決定だ。 頭の中で勝手にファンファーレが鳴り響くのをバックに、オレはみんなに言った。 「よし、三日くらいここで休んでいこう。その間はバトルのこととかすっかり忘れてノンビリくつろいでくれよな」 「バウッ!!」 「がーっ」 「バーナー……」 「…………(ルースが小さく頷く)」 オレの言葉に、みんなは声をあげた。 ホントは休みたいって思ってたのかもしれない。 でも、自分から言い出すことはできなかったんだろう。 だったら、この機会に存分にくつろげばいい。 いい気分転換になるはずだ。 この際、思い切って決断した方がいい。そんな気がしたんだ。 「ゴロっ!!」 レキがオレの肩に飛び乗ってきた。 「……!!」 一瞬、ラッシーの表情が険しくなったように見えたけど……気のせいだろうか。 オレが見ている前で、そんな表情見せるわけないよな。 疲れてるってことか……ゆっくりと休養しなきゃな。 「みんなで庭に行こうぜ。ここよりはよっぽどくつろげるからさ」 ここでゆっくりと眠るのもいいけど、どうせならみんなとはしゃいだ方がよっぽど楽しいに決まってる。 オレの提案に、みんな揃って首を縦に振った。 狭い部屋じゃあ、思いっきり走り回ることはできないし、リッピーだって自慢のダンスを多くの観衆に披露できないだろう。 ……どうせなら、庭に行ってからみんなを出してやった方が良かったか。 今さらながらそのことに気づいたんだけど、今さらモンスターボールに戻すっていうのも、何のために出したんだ、ってことになっちゃうからさ。 こういう時は…… 「みんな、廊下からゾロゾロ行ったら大変なことになるから、ここから出ようぜ」 オレはみんなに言うと、窓を押し開いた。 爽やかな風が吹き込んで、レースのカーテンを揺らした。 森の中にあるポケモンセンターの庭だけあって、街のポケモンセンターよりも緑が色濃い。 木漏れ日が差し込んで、窓の向こうに絵本の世界が広がっているように思えた。 もちろんこれは現実だけど、こういう景色がすぐ近くにあるってのもいいな。 「…………」 何気に心躍らせていると、みんなが白けた視線を向けてきた。 う…… なんか、すっごく呆れてるみたい。 オレのこと、悪ガキだって思ってんだろうか。 あー、確かにそんな発想かもしんないけど、別にすぐ外が庭なんだから、思い切って飛び出すのもいいんじゃないかなあ。 「なあ、思い切って飛び出してみないか?」 オレは窓の外を指差した。 絵本のような世界だけど、だからこそあそこでなら心の底からリラックスできるんじゃないかって思うんだ。 一刻も早く、我先にと飛び出していくかと思いきや……みんなはとても落ち着いている。 既にリラックス体勢でスタンバイしてるってことなんだろうか? 疑問に思っていると―― だっ!! 目の前を黒い影が矢のような勢いで通り過ぎた。 リーベルか!! 窓の外に目を向けると、外に飛び出したリーベルが振り返り、口の端に鋭い牙をのぞかせた。 「一番乗り〜♪」って自慢しているように見えた。 すると…… 「バクっ!!」 ルースが、ルーシーが、リッピーが続いて飛び出して行った。 意外なことに、ルースが二番手で飛び出してったんだ。 少しは積極的になったってことだろうか。だとすれば、オレとしては喜ばしいな。 ……って、感心してるヒマもない。 「バウっ!!」 リーベルが吠え立てる。 早く来てよ、って言ってるみたいだ。 オレもすぐに飛び出して行きたいけど、ラッシーを一人で行かせるわけにはいかない。 進化する前だったら、ベッドから勢いをつければ窓枠を跳び越すことができたけど…… だから、 「ラッシーと一緒にそっち行くからさ。リーベルたちは存分にはしゃいでくれてていいぜ。行こう、ラッシー」 「バーナー……」 外に飛び出したみんなに適当に指示を出して、オレはレキを肩に乗せたまま、ラッシーを連れて部屋を後にした。 短い廊下は、しかし幅はかなりあって、オレとラッシーが横に並んでも窮屈に感じないほどだった。 オレはラッシーの歩調に合わせてゆっくり歩きながら、言葉をかけた。 「なあ、ラッシー」 ラッシーがゆっくりと振り向いてきた。 笑みらしい笑みは見せないけど、それでも楽しそうにしているのが分かるんだ。 長年家族として接してきたから、それくらいは何も言わなくたってすぐに分かる。 「ずいぶん遠くまで来たよな……ホウエン地方だぜ? マサラタウンから遠く遠く離れてる。海を越えた南の地方なんだ」 「バーナー……」 ラッシーが頷く。 マサラタウンからすっごく離れてる。 カントー地方とはまた違ったポケモンが棲息する南の地方。 オレたちは今そこにいる。 みんなと一緒だと、あんまりそういう実感が湧かないけどさ。 ラッシーと二人きりだと(レキが肩の上にいるけど、おとなしくなったんでノーカウント)、遠くまで来たんだなって、そう思えてくるんだ。 気のせいだとは思うけど…… やっぱり、ラッシーはオレにとって特別なポケモンなんだ。 「ラッシーだけは何があっても手持ちから外したりしないよ。 ラズリーとリンリがいなくなって、不安に思ってるかもしれないけど……それだけは絶対に約束する。オレはずっとラッシーの傍にいるからさ」 新しい仲間が増えて、今まで傍にいた仲間が代わりに離れてゆく。 別に永遠の別れってワケじゃない。 ちょっとだけ、じいちゃんの研究所で充電期間を置いてもらうだけだ。 ローテーションを組んで、定期的に入れ替えるつもりだけど、ラッシーだけは絶対に手持ちから外さない。 それだけは、ずっと前から決めてたんだ。 今やラッシーはオレのチームの中心的存在だ。 いわば大黒柱だけに、ラッシー抜きのチームは考えられない。 ラズリーとリンリがいなくなって、ラッシーもきっと淋しいんだろうな。 表面にこそ出さないけど、そう感じてることは間違いないだろう。 「さっき見せた険しい顔も、そういう意味だったんだろ?」 「…………」 オレの問いに、ラッシーは珍しく即答しなかった。 なにやら考え込むように前を見ていたけど、ロビーに差し掛かったところでオレの方を向いて、小さく頷いた。 ラッシーもそれなりに不安を感じてるんだ。 今までうまくやってきたみんなが、次々と新しい仲間に取って代わっていく。 上手にやっていけるかどうか、新しい仲間たちをまとめていけるかどうか……リーダーなりの不安や苦悩があったんだろう。 今の今まで気づけなかった。 もし、ラッシーがさっきあんな表情を見せなかったら、気づくのは当分先になっていたかもしれない。 きっと、それはシグナルだったんだ。 「大丈夫だから。 オレ、ラッシーのことを第一に見ていくから。 今までだってそうだったろ。これからだって変わらないさ。安心していいよ」 オレはラッシーの背中に咲く鮮やかな花に触れた。 柔らかくて、暖かい。 ラッシーだけを特別扱いするのは間違いかもしれないけど…… でも、ラッシーはオレにとって特別な存在なんだ。 みんなとの違いがそんなに明確なわけじゃない。 ただ、ラッシーはみんなをまとめるリーダーだから、ラッシーを今まで以上に支えていきたいって思ってるんだ。 オレがそう思ってることを知ったら、ラッシーもきっと安心してくれるだろう。 「バーナー……」 お願い。 ラッシーはそう言った。 オレがそう言い出すのを待ってたような顔を見せた。 ……もしかして狙ってたのか、この展開を? なんて考えちゃうけど、そこんとこはそれ以上考えないことにしよう。 ロビーに出ると、ジョーイさんが声をかけてきた。 「お出かけ?」 「庭でみんなとくつろごうかと思って」 「それはいいわね。ポケモンもリラックスしてくれるわ」 ジョーイさんは笑みを深めた。 豊かな自然がもたらすリラクゼーション効果に自信があるらしい。 ここのポケモンセンターで働けて幸せだって、満面の笑みがそう物語っていた。 ポケモンセンターといえばジョーイさん。切っても切り離せない関係だ。 ジョーイさんの一族がみんなポケモンセンターの顔になってる。 同じ顔ばかりで、パッと見た目にはどのジョーイさんか見分けがつかない。 もしかしたら一人だけがオリジナルで、あとはクローンじゃないかって思ったりもしたけど、そういうわけでもないようだ。 そこんとこは警察のジュンサーさんも同じで、世界七大ミステリーに数えられてるって話だ。 ……あー、どうでもいいや。 適当に考えていると、ジョーイさんがカウンターを出て、ラッシーの前で屈み込んだ。 一体何をするつもりかと思っていると、ラッシーの頭をそっと撫でたではないか。 「……?」 「フシギバナって、実際はとても優しいポケモンなのね。今まで見たことがなかったんだけど……」 興味本位で言葉を発しているのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだ。 ジョーイさんはポケモンのお医者さんだけに、様々なポケモンのことを知らなければならない。 同じ『風邪』でも、ポケモンによっては症状が異なったり、悪い箇所が違ったりもするとか。 だから、ジョーイさんはラッシーに触れることで、フシギバナというポケモンのことを知ろうとしているんだろう。 考えすぎかな……? でも、ジョーイさんならそれくらいは考えてるだろう。 ホウエン地方じゃ、フシギバナはまったくといっていいほど棲息してないって話だから、実際に触れるのはラッキーとしか言いようがない。 「ラッシーは優しいんですよ。とっても頼りになるパートナーなんです」 「そうね。そんな感じがするわ」 ラッシー以上に頼りになるパートナーはいない。 オレは胸を張って断言できる。 「…………これくらいにしときましょう。君たちのジャマをしてはいけないわね」 「すいません」 「いいのよ。これでも、少しはフシギバナのことが分かったような気がするから」 あまり長々とラッシーの観察はせず、すぐにカウンターの奥に戻っていった。 ……この短時間でフシギバナのことが分かるなんて、さすがとしか言いようがない。 分かったような気がする、なんて謙遜してたけど、どこまで分かったんだろうか。 「……バーナー?」 一体なんだったの? ラッシーが怪訝そうな顔を向けてきた。 「フシギバナってポケモンのことを知りたいんだってさ。 もしもフシギバナが病気にかかったりした時に、そのポケモンのことを知ってないと、どうしようもないだろ。 だからさ、あんまり気を悪くしないでやってくれよ。な?」 「バーナー……」 病気なんて縁起でもないけど、実際にかからないとは限らないんだ。 オレとしては、あんまりなってほしくない。なったとしても、すぐに治してあげたい。 だから、ジョーイさんの気持ちは分かるんだ。 ラッシーもそんなに気を悪くした様子は見せなかったし、ジョーイさんの気持ちは幾許か汲み取ってたんだろう。 「そろそろ行くか。みんな待ってる」 「バーナー……」 オレはゆっくり歩き出した。 相変わらずロビーには人気がなく、物静かだった。 チラリとカウンターに目をやると、さっきとは打って変わって、ジョーイさんが真剣な面持ちでパソコンと睨み合っている。 ラッシーと触れ合って分かったことをパソコンに記録してるんだろうか。 それがいつか役に立つ日が来ればいいな……オレは彼女の脇を通り過ぎながら、そんなことを思った。 カウンターの脇にある扉を押し開いて、オレたちは庭に出た。 「うわ……マジで絵本の世界って感じだよな……」 オレは息を飲んだ。 実際に外に出てみると、なんと落ち着くことか。 絵本の世界のほのぼのとしたタッチが目の前に広がっている。 たとえるなら、そう――楽園とでも呼べばいいだろうか。そんな景色だ。 「バーナー……」 ラッシーの声が喜びに満ちているように聞こえた。目の前の景色に魅了されてるんだろうか。 草タイプだけに、緑あふれる自然については他のポケモンよりも敏感に感じ取っているんだろう。 歩き出そうとした矢先、ラッシーが先にオレの脇をすり抜けて歩いていった。 ここでならリラックスできる……ラッシーのゆったりとした歩みを見て、オレは確信した。 ラッシーが感じている不安や憂いを、鮮やかな緑がぼかして、木漏れ日が溶かしてくれるだろう。 オレはゆっくり歩き出した。 草を踏み分ける足音が、妙に心地良く聴こえる。 生い茂る木々の合間を縫って歩いていく。 緑の葉がそよ風に擦れて、潮騒のように聴こえてきた。 このまま地面に寝そべってもいいと思えるほど、オレは心が落ち着いているのを感じずにはいられなかった。 小波ほどの揺れもない気持ちを持て余すように、歩く。 やがて、リッピーの歌声が聴こえてきた。 さながら森の演奏会といったところか。 木々の脇をすり抜けていくと、視界が拓けた。 右手に、オレの寝泊りする部屋がある。 窓は開け放たれたままで、新鮮な森の空気で室内が満たされている頃だろう。 変な虫がいるわけでもなさそうだから、このままにしていても問題はない。 ステージのように円形に拓けた空間の真ん中で、リッピーが自慢の歌とダンスを披露していた。 木漏れ日を浴びて踊るリッピー。 とても楽しそうな顔で、心の底からリラックスしているのが見て取れる。 他のみんなも、思い思いの過ごし方をしていた。 ルースとリーベルは一本の木を挟んで、寝そべっていた。 リーベルはともかく、ルースは性格上、日頃から気苦労が多いんだろう。 必要以上に神経を遣って、疲れてるみたいだ。 身体と心を落ち着けてくれる鮮やかな緑に包まれて、臆病なところなんてまったく見せていない。 ルーシーは子供とレキを遊ばせて、傍でじっと優しい眼差しを注いでいる。 子供の楽しそうな様子を、まるで我が事のように感じているように見えた。 そして、一足先にたどり着いたラッシーは、木漏れ日の中にいた。 全身をすっぽり包む木漏れ日の中で、空を仰いでじっとしている。 「光合成か……」 オレは傍の木に背中を預け、ラッシーを見つめた。 草タイプのポケモンは、植物に近い特性を持っている。 だから、光合成も時には必要になる。 マサラタウンにいた頃も、時々はこうやって光合成をしていたけど、なんだかずいぶんと久しぶりに見たような気がする。 最後に見たのは、一体いつだっただろう……? 思い出せないくらい前だったかもしれない。 「…………今まで、ゆっくり立ち止まることってできなかったんだなあ」 ラッシーを見ていると、なんとなくそんな気になった。 旅に出る前は、端から見れば似たような日々の繰り返し。家とじいちゃんの研究所を往復する単調な毎日。 でも、その毎日だって、少しずつ変化していった。 最強のトレーナーに、最高のブリーダーになるっていう夢へ向かって、ポケモンの知識を深めるべくじいちゃんの研究所で勉強してきたんだ。 ……立ち止まってなんかなかった。 一刻も早く旅に出たくて、親父から離れたくて、一心不乱に勉強してたっけ。 書物を読み漁ったり、ナナミ姉ちゃんたちの手伝いをして、実際にポケモンに触れてみたりして。 そのおかげで、結構いろんなことが分かってきた。 百科事典が何冊もできるくらいの量はあると胸を張って言える。 旅に出てからは、度々親父が妨害……じゃなかった。 妨害と見せかけてオレたちの成長を促してくれたんだけど、急き立てられるように、立ち止まることはできなかった。 立ち止まったら何かに飲み込まれそうな気がしてた。 あの頃は、親父に飲み込まれて、親父の言うがままになっちゃうんじゃないかって思ってた。 カントーリーグに出場するっていう目標もあったから、立ち止まるわけにはいかなかった。 このままじゃいけないんだって、分かってはいたけれど、実行に移せるような感じじゃなかったんだよな。 でも、今になって思えば、これでよかったんだって思う。 ゆっくり休むことも必要だって、ラッシーが教えてくれたんだから。 「……ゆっくり休んでいいからさ、ラッシー。 オレも、ゆっくり休むから」 ラッシーは身じろぎせず、じっと光を浴び続けている。 今の今まで、こうやってゆっくりすることができなかったんだって、改めて今までの旅の忙しさを思い知らせるようだ。 オレは小さく息を吐き、その場で腰を下ろした。 木の幹に背中をもたれ、そっと目を閉じる。暗闇に包まれた視覚の代わりに聴覚が鋭くなるのを、潮騒のような葉擦れの音の増した深みで感じ取る。 「……今頃、サトシはどのへんにいるのかな……?」 暗闇に、自慢げな表情のサトシが映った。 あいつもホウエンリーグに出るんだって、アカツキが言ってたな。 オレよりも何ヶ月も先にこのホウエン地方にやってきてるんだから、そろそろバッジを集め終えていても不思議じゃない。 オレだって、カントー地方のバッジを一ヶ月足らずで集めてしまったんだ。 まあ、ホウエンリーグが始まるまでの間にバッジを集められればいいから、そこんとこはたいした問題じゃない。 問題があるとすれば、サトシの手持ちがホウエン地方のポケモンで固められているであろうということだ。 ホウエン地方へと旅立った時、最初に旅に出た時にじいちゃんからもらったピカチュウだけを連れてったんだよな。 初心に帰って一からやり直すんだって誇らしげに言ってたっけ。 ピカチュウはサトシの最高のパートナーだから、オレにとってのラッシーと同じで、切っても切り離せないパーティの主軸となる存在だ。 残りの五体は、ホウエン地方のポケモンで補うことになる。 実際に会うまで、どんなポケモンで固めているかも分からない。 今のところ、それがオレの不安要素だな。 アカツキのポケモンは一通り見せてもらったから、対策については立てることができる。 でも…… 「ライバル、多すぎ……」 本音がポロリと口からこぼれ出た。 ホウエン地方に来てからというもの、ライバルがたくさんできたっていうか……このままなら何十人に膨れ上がりかねないペースだ。 バッジを一個ゲットした時点で、サトシにアカツキにタクヤにユウスケ……もう四人だ。 単純計算すれば三十人を優に超えることになる。 さすがにそれはないと思うけど、十人は超えるんだろうな……楽しみで、それでいて頭痛の種でもある。 複雑だよ、まったく。 思う存分リラックスできるかと思いきや、胸の中で闘志の炎がメラメラ燃え始めて、それどころじゃなくなってきた。 「あー、なんのためにこんなとこまで出てきたんだか……」 目を開く。 さっきと変わらない景色なのに、何年ぶりのように感じられる。 きっと、気持ちが昂ってそう感じてしまうだけだな。 オレ自身がリラックスできないのはいいとして……他のみんながちゃんとリラックスしてくれれば、当面は問題ないだろう。 オレ、気持ちの切り替えは速い方だって思ってるから。 だけど、ライバルたちへの闘志の炎は簡単に消せそうにない。 好戦的なのかな……? 自分じゃ、そうは思ってないんだけどさ。 「…………」 なんとも言えず、オレは空を仰いだ。 見えるのは、緑の葉が幾重にも擦れ重なる様子だけ。 重厚な緑の絨毯は、木漏れ日を通さないようだ。 「数日もあれば、オレ自身もリラックスできるよな。今すぐは無理でもさ……」 今すぐには気持ちを鎮められそうにないけど、時間が経てば、少しずつ落ち着いてくるだろう。慌てず騒がず、それを待てばいい。 時には『待ち』の姿勢も大切なんだ。 自分の中でそういった結論に達して一区切りつける。 視線をみんなに戻す。 「ゴロっ!!」 出し抜けに聞こえてきたのは、レキの元気な声。 「がるぅっ!!」 ルーシーの子供の声も負けじと響く。 元気なのはこの二人。 子供は疲れ知らずだから、先に参るのは大人の方。 さっきまで子供の遊ぶ様子をじっと見つめていたルーシーが、その場で寝息を立てている。 彼女も、いろいろと気を遣ってるんだ。 ここはゆっくり休ませてあげよう。 いつの間にか、リッピーも歌とダンスを取りやめ、リーベルとルースの間で眠ってるし。 考え事をしている間に、ずいぶんと時間が経ったんだろうか。 ラッシーは今までの分を取り返そうと考えているのか、ひたすらじっと光を浴びている。 ルーシーの子供……か。 そういう表現を使うのも飽きてきたな…… よし、名前をつけてあげよう。 今はみんなゆっくり休んでるから、声を出してネーミングはできないけど、心の中でそう呼ぶことにしよう。 ……やんちゃだけど、成長すればルーシーのようなパワフルなポケモンになるのは間違いない。 なら、期待の新人という意味を込めて、ルーキーって呼ぼう。 後でルーシーに訊いて、それでいいと許しを得たら、正式にそう呼んであげよう。 「単純すぎかな……」 期待の新人=ルーキー。 そのまんまって感じもしないわけじゃないけど、ルーシーの子供だからルーキー。似 たような名前の方が、親子ってつながりを感じられそうなんだよな。 まあ、オレの一方的な価値観を押し付けるのも気が引けるから、ダメだって言われたら、その時はその時で責任もって別の名前にすればいい。 ともあれ、ルーキーとレキは疲れを知らないように、無邪気に遊んでいる。 飛びつくルーキー。 転がって体当たりするレキ。 これを『ハダカの付き合い』って言うんだろうか。 文字通りのスキンシップ? オレがいろいろと考えていることなど露知らず、遊びを続けるルーキーとレキ。 歳も体格も似通ってる(前者はオレの判断)二人だから、ミシロタウンで出会ってすぐに意気投合した。 仲良くじゃれ合って遊ぶ様子は、リッピーに巻けず劣らずのムードメーカーぶりを発揮してる。 「でも、なんか楽しそうだな……」 楽しそうに遊んでいるルーキーとレキの姿が、ガキの頃のオレとナミに重なって見えた。 目の錯覚だって、幻なんだって分かってはいるけれど、とても懐かしい。 ガキの頃、オレとナミは毎日、日が暮れるまで遊んでたっけ。 学校行くようになってからはそうもいかなくなったんだけど、ルーキーとレキのように遊んでたな。 シゲルはガキの頃から気難しかったから、ちゃんと遊んだことは数えるほどしかなかったっけ。 遊ぶ時間がもったいないと、ガキには似合わない、歯の浮くようなセリフと仕草で断ってた。 「そういえば、ナミは元気してっかな……?」 あいつがへこたれてる姿なんてとても想像できないんだけど、むしろあいつだから心配になることもある。 ストッパーがないから、変なところまで突っ走るんじゃないか。 あのボケボケした性格がトラブルを呼び込んでないかどうか…… 別に深刻に思ってるわけじゃないんだけど、いったん気になると、どんどんその心配が膨らんでいくんだ。 風船のような感じかと思ったけど、それなら針で突けば破裂してオシマイ。 でも、風船よりもタチが悪いかもしんない。 「後で電話してみっか。たまには連絡してやった方が、あいつも安心するだろうし」 マサラタウンを出て一週間。 よくよく考えれば、一週間も離れたことなんてなかったよな。 でも、いつかはこうなるんだ。 ただそれが早まっただけだと思えばいい。 もう少し一緒にいてやった方がいいかなって、そう思うことはある。 だけど、それじゃあいつのためにならない。 「オレがいたら、あいつはいつか成長できなくなる。それはオレも嫌だからな」 オレが傍にいたら、オレを頼り、甘え、あいつ自身がちゃんと物事を考えて、判断して決められなくなる。 それは嫌なんだな……仮にも、あいつだってオレのライバルなんだから。カントーリーグで戦おうと約束したんだから。 「ガーネットやトパーズがいるんだから、心配する必要なんてないはずなのにな……なんで、こんなに気になるんだか」 心配というほど心配に思ってるワケじゃない。 ただ、気になるだけだ。 どうして気になるのか…… それは分からないけど、気になるものは気になるんだ。 リラックスとは正反対の方向にどんどん進んでいることにすぐ気づいたけど、ここまで来た以上、どうしようもない。 考えに心を任せるしかなかった。 ルーキーとレキがじゃれ合っている風景が、オレの心を辛うじて目の前の現実につなぎ止めているように感じられてならなかった。 後編へと続く……