ホウエン編Vol.06 無邪気な翼 <後編> 翌朝…… 「あ、ちょっと待ちなさい!! どこに行くの!!」 突然聞こえてきたジョーイさんの悲鳴で、オレは目を覚ました。 いい夢を見ていたわけじゃないけど、それなりによく眠れた。 なのに、心地良いまどろみは一瞬にして眠気と共に吹き飛び―― 「ゴロっ!?」 身を起こすが早いか、レキが声を上げた。 「レキ、どうしたんだ?」 いつものレキらしくない、鋭い声だった。 まるで、これから戦いに赴くような雰囲気を小柄な身体にまとい、真剣な表情を浮かべている。 一体どうしたっていうんだ? 他のみんなもジョーイさんの悲鳴に、眠りから叩き起こされたようで、寝ぼけ眼でぼーっとたたずんでいる。 ただ一人、レキだけが立ち上がる。 ……ジョーイさんの悲鳴と何か関係があるんだろうか? 偶然にしてはタイミングが良すぎる。 そんなことはどうでもいいんだ。 オレはベッドを降りると、上着を羽織って、机の上のモンスターボールを二つ手に取った。 どんな理由があるにせよ、ジョーイさんの悲鳴は尋常じゃなかった。 普通の声とは明らかに違う。悲鳴じゃなきゃ何なんだ、と言うほどの声音だった。 偶然とはいえ同じポケモンセンターに居合わせたんだから、放ってはおけない。 余計な野次馬根性かもしれないけど、何もしないよりはよっぽどマシだ。 「レキ、リーベル、行くぜ!!」 オレはレキとリーベルに声をかけ、部屋を飛び出した。 「ゴロっ!!」 「バウっ!!」 レキとリーベルがついてくる。 ロビーにたどり着くと、ジョーイさんがカウンターの奥で慌てふためいた様子で右往左往していた。 どうすればいいのか分からないと言った様子で、いつもの笑顔はあるはずもなかった。 「ジョーイさん、どうしたんですか!?」 オレはジョーイさんに駆け寄った。 どう見てもただ事じゃない。 何かの事件か……そう思ったオレに、ジョーイさんが冷静さを失った口調で告げてきた。 「ああ、君が連れてきたスバメが飛び出していっちゃったの!! まだ完全に翼が治ってないのに……このままじゃ、治るどころか余計に悪化してしまうわ……!!」 「なんだって!?」 オレは表情が引きつるのを自分でも感じずにはいられなかった。 あのスバメが飛び出して行ったなんて。 そういえば、ジョーイさんは、スバメのケガが良くなったら会わせてくれると言ってたけど、そうなる前に自分から出て行くなんて。 一体何があったっていうんだ? 翼のケガが治りきってないことくらい、当の本人が一番よく分かってるはずなんだ。 ケガをおしてでも出てかなきゃならない理由があったってことか? 追いかけるべきだと分かってはいたけれど、一体どこに行けばいいのか。 空を飛べるスバメの行動半径は広い。 下手をすると、すでにトウカの森を出て行ってしまっている可能性すらある。 どこから手をつけるべきか、頭の中で考えていると…… 「ゴロっ!!」 強い鳴き声に、オレは考えを中断して足元に目をやった。 「レキ……」 レキが口元を真一文字に結んで、真剣な表情で見上げてきていた。 円らな黒い瞳には、何があっても揺るがないような強い決意の光が宿っているように見えた。 「スバメを探しに行きたいんだろ?」 「ゴロっ!!」 オレの言葉に、レキは大きく頷いた。 ……そうだよな。 レキはあのスバメと友達になったんだ。 友達が、ケガしてるのに飛び出していってしまった。 どんな理由があるにしても、探しに行きたいと思うのが『友達』ってモンだ。 身体は小さいけど、心意気は山のように大きくて立派だ。 オレはレキの強い決意に胸を打たれた。 オレも……ナミやシゲルやサトシがピンチに陥ったりしたら、何がなんでも絶対に助けてやりたいって思うし、考えるよりも行動に移すだろう。 だから、レキの気持ちはよく分かる。 「ジョーイさん」 オレは顔を上げ、オロオロしているジョーイさんに言った。 「オレたちが探しに行きます。どっちに行ったかって分かりますか?」 「いいの? じゃあ、お願いするわ。 私が見た限りだと……えっと、トウカシティの方に飛んで行ったわ。 翼を傷めてるから、そんなに高く飛ぶことができないはずだけど……」 「分かりました」 そこまで聞けば十分だ。 「ジョーイさんはここで待っててください。もしかしたら、戻ってくるかもしれない。 行くぜ、レキ、リーベル!!」 オレはジョーイさんをその場に残して、ポケモンセンターを出て行った。 あの様子じゃ、ポケモンセンターに勤め始めて間がないんだろう、異常時の対応にまったく慣れていない。 誰だって初めはそうだから、ジョーイさんを責めることはできないけど、いくらなんでも頼りなさすぎる。 あのままじゃいくら待っても解決しないだろうし、オレはレキの気持ちを尊重してあげたいと思っている。 「確か、トウカシティの方に行ったって言ってたな……」 左右に伸びる道をざっと見渡し、トウカシティの方角を見定めて駆け出す。 道から少々外れたところは陽が差さないから、ところどころに朝靄が残っている。 寒くはないけど、そんなに暖かくもない。 朝早い時間ということもあって、道には人影がまったく見られなかった。 リーベルとレキはオレの走るペースに合わせてくれていた。 リーベルはともかく、レキはそれでも大股でぴょんぴょん飛び跳ねるようだけど、当の本人はまったく気にしていないようだった。 気にするほどの余裕もないんだろうけど…… 何度か木漏れ日を浴びて、オレは意識が冴え渡るのを感じずにはいられなかった。 「しかし、なんで翼をケガしてるのに、わざわざ無理して飛び出してったんだ?」 どうにも解せなかった。 重傷じゃなかったけど、かといって軽いケガでもない。 無理に動かせば悪化するのは目に見えている。 「それだけの理由がある……そうとしか考えられないな」 ケガをおしてまで出て行ったんだから、それ相応の理由があるってことだろう。 それって一体何なんだ? いくら考えたところで答えが出ないことは、考えをめぐらせる以前に分かってはいたけれど、考えずにはいられない。 レキの友達なんだ。 レキの友達ってことは、オレにとっても友達みたいなものなんだよ。 スバメの翼の傷は、戦いによってつけられたものだ。 あの様子だと、紙一重の勝利とは行かなかったんだろう。 考えられるとすれば、敗北……確か、スバメは負けてもへこたれないっていう性分だったよな。 だとしたら…… 「リベンジか……!!」 オレは奥歯をぐっと噛みしめた。 負けず嫌いなポケモンなら、ちょっとケガがよくなったらすぐに戦いに挑むのかもしれない。 真相がどうあれ、スバメがそうしようとしているのなら、一刻も早く止めなければならない。 あの程度のケガじゃ済まなくなってしまうかもしれない。 そうなると、スバメはおろか、レキまで精神的な痛手を被るだろう。 レキの明るさが消えるかもしれないと思うと、オレも必死にならざるを得ない。 「急ぐぞ!!」 オレはさらに足を速めた。 道の左右に視線をやるけど、スバメの姿は見えない。 もしかしたら追い越してしまったんじゃないか……って思ったけど、レキの様子を見る限り、それはなさそうだ。 道から外れたところにいるスバメを見つけたレキの察知能力はハンパじゃない。 ちょっとやそっとの近場なら、たちまち見つけ出してくれるだろう。 十分ほど走ったところで、レキが突然声をあげた。 「ん?」 オレは立ち止まり、振り返った。 すると、リーベルの隣で、レキが頭上のヒレをピンと立てて、ゆっくりと左右を見渡している。 何か見つけたんだろうか……オレは慌ててレキに駆け寄った。 「どうしたんだ、レキ?」 「…………」 レキは時折ヒレを左右に小さく動かしながら、周囲の様子を探っている。 「ぐるる……」 リーベルが低い唸り声を上げる。 レキに話しかけてるみたいだけど、何を言っているのかは分からない。 「ゴロ、ゴロっ!!」 レキはリーベルに言葉を返すと、左手の茂みに飛び込んで行った。 やっぱり、何か見つけたんだ……!! 「追いかけるぜ、リーベル!!」 「ぐるるぅっ!!」 オレはリーベルと共に、レキの後を追った。 道を外れ、茂みを分け入って進む。 草が腰ほどの高さまで達している箇所もあったけど、レキの姿を見失わないよう、目を凝らしながら追いかける。 そこんとこは、鼻のよく利くリーベルに任せておけば問題ない。 オレはレキとリーベルの後を追いかけるだけでいい。 何かあった時には、オレが陣頭指揮を執るだけのことだ。 草を掻き分け、倒木を飛び越え、小川を渡り、小高い岩山を乗り越えて進む。 レキは一度も立ち止まらず、迷うことなく走り続けている。 すでにスバメの存在をキャッチしてるってことだろうか。 「ずいぶんと道から離れてるけど……一体どこへ向かってるんだ?」 方角的には西……ってところか。 明らかに104番道路から遠ざかってる。 オレの頭ん中にある地図が正しければ、トウカの森の西部はすぐ海になってるはずだ。 スバメのヤツ、ホントにこんなところに来てるのか? いや、レキを疑ってるわけじゃないんだ。 ただ、昨日動けなくなっていた場所とは全然違ってる。 こんなとこに、スバメがリベンジする相手がいるってことがにわかに信じられないだけだ。 「森に棲んでるポケモンで、スバメを負かすほどのヤツって言ったら、虫ポケモンはありえないよな。 同じ鳥ポケモンで、同じかより大きなポケモンと考えるべきか……」 虫ポケモンが空を飛んでいるスバメに手を出す手段は一つ。 口から糸を吐いて、動きを封じること。 でも、昨日スバメを見つけた時、翼に糸は付着していなかった。 毒針も考えられたけど、それなら一晩で飛べるほどの体力が回復するとも思えない。 回復装置にかけていないのなら、なおさらだ。 「行ってみりゃ分かるんだ。今はレキを追いかけることだけ考えよう」 余計なことを考えていたら、足が鈍ってしまいそうだ。 オレは頭を左右に振って、浮かんでいた想像をかき消した。 レキはオレがちゃんとついてきているのかなんてほとんど気にもしてないみたいだから、余計なことを考えてたらすぐに見失ってしまいそうだ。 リーベルなら何とかしてくれるだろうけど、少しでもオレとレキの距離が開いたら、それだけスバメを発見する時間が遅くなるってことだ。 いくつ目の岩山を超えただろうか。 背丈の高い草地に着地したオレの前に、洞窟が姿を現した。 ポッカリと口を大きく開いた洞窟の前でレキが足を止め、けたたましく嘶く!! 「ゴロ、ゴロっ!!」 何かあるのか…… 草に足を取られながら走っていくと、レキの身体の影に何かが隠れているのが分かった。 藍色のシルエット……あれはスバメか!? 正解だった。 レキの傍で立ち止まると、そこには傷ついたスバメが地面に横たわっていた。 時折小さな身体をぴくぴくと震わせている。 パッと見たところ、昨日出会った時よりも傷が増えてるように思えるんだけど…… ジョーイさんが巻き直したであろう包帯も汚れ、無残に破けている。 「ここで誰かと戦って……また負けたってことか?」 そうとしか考えられなかった。 視線が、ポッカリと口を開いた洞窟に移る。 洞窟の中に棲んでるポケモンに戦いを挑んで負けたのは間違いないだろう。 昨日も同じように戦って、負けて、傷ついた。 傷つきながらもあの場所まで飛んでいったのだとしたら……そう考えれば、つじつまが合う。 今日は飛んでいくだけの力も残ってなかったってところか。 「おい、大丈夫か!?」 オレは屈み込み、スバメの頭を軽く揺さぶった。 すると…… 「す、スバ……」 今にも消えそうな弱々しい声が返ってきた。 「ゴロっ!? ゴロゴロっ!?」 レキが心配そうに声をかける。 ――大丈夫!? 痛くない!? 友達がすぐ傍にいることに気づいてか、スバメの目が小さく開いた。虚ろな瞳がレキを映し出す。 「スバ……」 オレが声をかけた時よりもさらに弱い声を返すスバメ。 友達に心配をかけたくないのか、スバメは飛び立とうと翼を動かそうとして――ほとんど動かなかった。 治りきってない状態で無理にここまで飛んできて、あまつさえここまでボロボロに負けちゃったんだから、傷の具合が良くなるはずがない。 それどころか、完全に悪化してる。 まだ化膿してないから、今すぐ連れ帰ってジョーイさんに看てもらえば簡単に治せるはずだけど…… 気になるのは、スバメが一体どんなポケモンに戦いを挑んだか、だ。 何度負けてもへこたれないっていう性分は見上げた根性だって思うけど、それもTPOってモンがある。 ヒトカゲじゃ、どんだけ頑張ってもカメックスには勝てっこない。 相性や実力の問題が一番だ。 同じように、スバメにとって『勝ち目のない相手』だとしたら? それとスバメの性分が重なったとしたなら、性懲りもなく、ケガをおしてまで飛び出していくのも分かる気がするんだ。 どっかの誰かさんに似て無鉄砲なポケモンなんだよな…… 「スバメ、戻るぞ。 そんなケガじゃ、いくらやったって勝ち目ねえよ。 まずはケガ治すことだけ考えろ。リベンジするのはその後でいいんだからさ」 オレはスバメを諌め、傷ついたその身体を抱き上げた。 モンスターボールに入れてやることはできないから、抱いたままポケモンセンターに戻るしかない。 ともあれ、レキが見つけてくれたおかげで、これ以上悪くならずに済んだけれど…… 「レキ、リーベル。戻るぜ」 オレは立ち上がり、洞窟に背を向け―― 「ぐるるるぅぅ……ばうっ!!」 リーベルの発した声が、走り出そうとしたオレの足を止めた。 魔法にかかったように、オレは恐る恐る振り返った。 「どうしたんだ?」 レキとリーベルは揃って洞窟に向かい合ったまま動かない。 と、その時、洞窟の奥で何かがキラリ輝いたように見えた。 「……!!」 何かがいる……!! オレの背筋を、悪寒に似た何かがすっと駆け抜けていった。 洞窟に棲んでるポケモンって言えば……何種類かは思いつく。 暗いところが大好きなポケモンって、意外と多いんだ。 「レキ、リーベル。慌てるなよ。迂闊に飛び出すな」 オレは身構えるレキとリーベルに、迂闊に動かないように指示した。 スバメを傷つけたのが洞窟に棲んでいるポケモンだとしたら、相手はこの暗闇に乗じて、こちらに危害を加えてくるかもしれない。 こちらから相手の領域に飛び込んでいくのは、それこそ自殺行為だ。 相手の手の内を見てからでも遅くない。 暗闇に紛れて、こっちの様子を見ている……品定めでもしてるつもりか? 闇の中に潜む相手も、オレと同じことを考えてるんだろうか。同列だと思うと、シャクなんだけど。 一体どんな手段で来る? レキとリーベルを連れてここから離れたいところだけど、そうもいかないみたいだ。梃子でも動かないと言わんばかりに、二人ともその場に踏ん張っている。 完全に対決ムードだな。 オレがモンスターボールを二つ持ってきたのは、不測の事態に備え、レキとリーベルを戻せるようにするためだ。 ここで戻したって、すぐに自分から飛び出してくるだろう。 どうする……って、考えるまでもない。 洞窟の中にいるヤツと戦って、勝つ。 そうでもしなきゃ、戻るに戻れないだろ。 スバメと二人でポケモンセンターに戻るにしても、道路に戻るまでが一苦労だ。 それなら、パパッとやっつけて、みんなで一緒に戻った方がよっぽど早い。 とはいえ、スバメの容態も気になる。 オレはその場に腰を下ろし、スバメをそっと草の上に横たえた。 リュックから傷薬と木の実をいくつか取り出して、スバメの傍にそっと置いた。 「処置しながらバトルか……大変だけど、やるしかない!!」 バトルにだけ意識を向ければ、スバメを放っておくことになる。 かといってスバメの処置にばかり気を取られていたら、バトルの方がおざなりになる。 どっちつかずにならないようにしなきゃいけないから、大変なのは大変だけど……それでもやるしかない。 相手が仕掛けてこない今のうちに、スバメの翼に巻いた包帯を取り払って、傷口にスプレー式の傷薬を吹きかけた。 「……っ!!」 傷に染みるのか、スバメの身体がびくんっ、と大きく震えた。 それだけよく効いている証拠だ。オレは傷薬を持っていない方の手で、スバメの身体を強引に地面に抑えつけた。 オレだって、ガキの頃は一日中駆けずり回って、何日かに一回は転んで、傷をこさえたもんだ。 家に戻ると、母さんが薬を塗って絆創膏を張ってくれるんだけど、その薬が染みること染みること…… 転んだ時よりも痛くって、身体を駆けめぐる痛みに身もだえしたり叫んだり逃げ出そうとしたりしたんだ。 だから、母さんはオレの腕を強くつかんだまま、絆創膏を張るまで離さなかったっけ。 今、オレはスバメに同じことをしてるんだな…… なんてことを思いながら、スバメに傷薬を吹きかける。 あくまでも応急処置だから、本格的な処置はポケモンセンターに戻ってからだ。 昨日と同じように、また包帯を巻かなきゃならない。雑菌の混入を防止するためだ。 傷薬を置いて、包帯を取り出そうとリュックに手を突っ込んだ時だった。 びゅっ!! 突如洞窟から風が吹き出してきた!! 顔を上げると、風の流れに乗って、洞窟の中から暗い影が矢のように飛び出してきた!! 仕掛けてきたか……!! 頭上を飛び越えた影を確かめるべく、身体ごと振り返る。 「ゴルバット……!!」 緑の木々を背に、悠然と羽ばたいているのはゴルバットだった。 こうもりポケモン・ゴルバット。 その呼び名どおり、蝙蝠のような姿のポケモンだ。 青い身体に紫の翼を持ち、顔の八割を占めるほどの巨大な口と、その上部に生えた二本の牙が特徴だ。 翼を目いっぱい広げれば、一メートル半は優にあるだろうか。 巨大な口で獲物にかぶりつき、鋭い牙で相手の血液を吸い取る、まさに蝙蝠のなせるワザ。 飛行タイプと毒タイプを併せ持ち、二つのタイプの技を自在に使いこなすポケモンなんだ。 強さとしてはなかなかの部類で、身体の大きさや威圧感は、スバメのそれとは比べ物にならない。 道理で、コテンパンにやられるわけだ…… 「スバ……」 スバメがオレの手の間から、ゴルバットを睨みつける。 ゴルバットは暗い場所――特に洞窟や鍾乳洞を好んで住処とする。 スバメとは明らかに趣向が違うから、どこでどうやって接触して敵対するようになったのか…… 解せないところはあるけれど、今はそんなことを紐解いてる場合じゃない。 「ゴロっ、ゴロゴロっ!!」 「ばうっ!!」 レキとリーベルが威嚇するように声を上げ、オレとゴルバットの間に躍り出た。 相手が外に出てくれば、わざわざ警戒したり、様子を窺う必要はない。 「レキ、リーベル。慎重に行ってくれ。ゴルバットはなかなかのポケモンだからな」 ゴルバットはスピードに優れている。 その上、空を自由に飛べるから、予期せぬ角度から攻撃を仕掛けてくるかもしれない。 慎重に慎重を重ねても、重ねすぎることはないだろう。 さて、どうするか…… 「ゴロっ!!」 レキが声を上げ、水鉄砲を発射!! ……ってコラ、言ったそばからいきなり攻撃仕掛けてるし!! 「キーキーッ!!」 ゴルバットは耳障りな声を発して、軽く翼を打ち振った。 身体がふわりと浮かび上がり、その真下をレキの水鉄砲が通り過ぎた!! 「レキ、落ち着け!! オレの指示に従ってくれ!!」 いつものレキじゃない。 完全に冷静さを失っている。 友達を傷つけられた怒りで胸がいっぱいになっちゃってるんだろう。 その怒りはオレも分かるけど、オレの指示通りに動いてくれれば、その怒りを完全にゴルバットにぶつけることができるんだ。 「キーッ!!」 不意に、ゴルバットが翼を激しく振った!! ぶおっ!! 台風でも接近しているような突風が生まれ、オレは飛ばされないよう、全身に力を込めて踏ん張った。 リーベルもレキも同じように踏ん張ったけど…… 「ゴロっ!?」 レキの小柄な身体が浮かんだ。 この風圧には耐えられなかったか!! 「リーベル、ゴルバットに突進!!」 オレは後方に飛ばされるレキに目をやりつつ、リーベルに指示を出した。 ゴルバットが風を起こしたのは、リーベルとレキを分断するためだ。 成功したら、自慢のスピードで一気にレキに接近し、攻撃を仕掛けるだろう。 頭数を減らすには、レキを狙うのが手っ取り早い。 オレがゴルバットの立場に立ったら、同じことを考える。 「ばうっ!!」 リーベルが地を蹴った。 俊敏な動きでゴルバットに肉薄し、口を大きく開く!! これでゴルバットも迂闊にレキに手を出すことはできなくなるはずだ。 リーベルで引きつけている間に、レキが体勢を立て直せばいい。 「キーッ!!」 ゴルバットもレキに手を出せなくなったことに気づいたようで、リーベルの相手をすることに決めたようだ。 翼を広げて滑らかに空を滑り、リーベルへ向かう!! 「レキ、大丈夫か!?」 地面に落ちて、毬のようにコロコロと何回転かしてやっと止まったレキに言葉をかける。 ダメージはほとんどないだろうけど、わずかな間でもリーベルと分断されたのは痛いところだ。 でも、ここから反撃開始だ!! ごっ!! 視線を戻すと同時に、リーベルとゴルバットが真っ向からぶつかり合った!! 大きく飛び退るリーベル。 ゴルバットは翼をばたつかせて高く飛び上がる。 「ぐるるぅ……」 ゴルバットと激突した頭が痛むのか、リーベルは険しい表情でゴルバットを睨みつけた。 「ゴロっ!!」 レキの鋭い声と同時に、水鉄砲が空気を切り裂いてゴルバットに向かって突き進む!! ああ、また何の考えもなしに攻撃を仕掛ける!! 水タイプなんだから、もうちょっと冷静になれって諭してやりたいところだけど、そんなヒマはない。 「キキーッ!!」 ゴルバットは奇声を上げて上昇した。 またしても水鉄砲は虚しくその下を通り過ぎるだけ。 友達を傷つけられたことで頭に血が昇っているのか、レキは仁王もビックリの険しい形相でゴルバットを睨みつけ、水鉄砲を放ち続ける。 完全に我を失っている……!! レキが怒るとこうなるんだって、意外に思った。 だからこそ、今はなんとしても落ち着かせなければ!! 「レキ、落ち着くんだ!! リーベル、ゴルバットの相手をしててくれ!!」 リーベルとレキの息がまったく合ってない。 このままじゃ、とてもじゃないけどゴルバットの相手なんてできないだろう。 ここはリーベルの考え方で戦ってもらおう。 オレもレキとスバメとゴルバットの三点に注意を向け続けることはできないからな。 ゴルバットはリーベルに任せて、オレがレキを落ち着かせなければならない。 「がうっ!!」 リーベルが再び地を蹴って、ゴルバットに飛びかかる!! ゴルバットの攻撃力はリーベルの『威嚇』で下がっている。攻撃を何度か受けたくらいじゃ、リーベルは倒されたりしないはずだ。 その間に……オレは脇を通り抜けようとしたレキの後ろ脚をつかみ、強引に引き寄せた。 「……っ!?」 レキは一体何がなんだか分からないといった顔をオレに向けてきた。 「レキ、落ち着け!! 君が血気に逸ったってどうにもならない!! リーベルと協力しなきゃ、あいつは倒せない」 「…………」 「友達を傷つけられて怒りたくなる気持ちは分かる。 でも、友達を傷つけた相手を倒したいって思うんだったら、オレの言うことをちゃんと聞いてくれ。 闇雲に攻撃したって、リーベルの足を引っ張るだけだ」 「ゴロ……」 オレは穏やかな口調でレキを諭した。 責めるつもりなんてこれっぽっちもなかったけど、堪えたんだろう。 レキは申し訳なさそうに頭を下げた。 ……それでも、オレはウソを言ったつもりはない。 リーベルの足を引っ張ってしまっては、協力どころの話じゃ済まなくなる。 レキが冷静になってくれなかったら、協力できないから。 ホウエンリーグの本選はダブルバトルで行われるって話だから、今回のバトルを、その予行演習にしようと思ってるんだ。 機会があるのなら、一回でも大切にしたい。 レキにとってもいい経験になるはずだ。 だから、オレがちゃんと話してやらなきゃ。 次の言葉を探しているうちにも、リーベルとゴルバットの戦いは進んでいた。チラリと目をやると、一進一退の攻防を繰り広げている。 手数ではゴルバットが上だけど、攻撃力はリーベルの方が上回っている。 見たところ互角……リーベルはオレの意図を的確に汲んでくれてる。 「いいかい、レキ? バトルは一人でやるものじゃないんだ。みんなと協力しなきゃいけないものなんだよ。 リーベルや他のみんなと、あとオレと……バトルってみんなでやるものなんだ。 難しいかもしれないけど、少しずつでいいから慣れてってほしい」 レキはこれがデビュー戦だ。 思うようにいかないところはあるだろうけど、そこんとこはオレたちが上手にカバーしていけばいい。 今はオレの言ったことを守ってくれれば、それだけでいいんだ。 「……大丈夫かい?」 オレはレキの顔を覗き込んだ。 「…………」 今すぐ分かってくれるとは思わないけど、それでもいい。 今は、リーベルと協力してゴルバットを倒さなければ……ポケモンセンターに戻れない。 レキが顔を上げた。 円らな瞳は今にも泣き出しそうなほど潤んで見えたけど、その表情には決意が表れていた。 「オレがちゃんと指示するから。心配しなくていいよ」 「ゴロっ!!」 オレはレキの脚を離した。 レキがオレとゴルバットの間に立ちはだかって―― オレもゴルバットに目を向けて……驚愕した。 「リーベル!! 一体どうしたんだ!?」 リーベルが苦しそうに蹲っている。 ゴルバットの攻撃を何度も食らって、戦えなくなったのか……いや、違う。 リーベルの表情を見れば分かる。 これは毒だ!! ゴルバットの毒タイプの技を食らって、毒が身体に回って体力を奪われてるんだ!! ラッシーのコンボでよく毒の粉とかを使うから分かる。 「あ……!!」 蹲るリーベル目がけて、ゴルバットが翼を振り下ろす。 毒によってまともに戦えなくなった状態で攻撃を食らったら、ひとたまりもない。 「リーベル、戻れ!!」 オレは腰のモンスターボールを手に取り、リーベルをモンスターボールに引き戻した!! 次の瞬間、ゴルバットの翼による鋭い一撃が、リーベルのいた場所をなぎ払った。 「くっ……」 リーベルに任せっきりにしたのがまずかったか……オレは自分の選択を後悔したけど、悔やむだけのヒマはなかった。 「キキーッ!!」 リーベルを仕留めたと思ってるんだろう、ゴルバットが歓喜の声をあげて、舞い上がった!! 次の標的をレキに定めているのは明白だ。 今のオレの手持ちで戦えるのはレキだけ。 ラッシーやルースだったら、苦もなく倒せる相手なんだろうけど、初めてバトルするレキだと、そう簡単には行かないだろう。 ジョーイさんのただならぬ様子に、素早く動けるリーベルとレキを選んで連れてったんだけど、それが仇になった。 いや…… 戦えるのがレキだけになったからこそ、オレは今トレーナーとしての実力を試されてるってことなんだ!! 明らかに戦力が不足している状態で、いかに窮地を切り抜けられるか……それはトレーナーとして必要な能力だ。 これが不足していたなら、公式の大会で勝ち進んでいくのは難しい。 劣勢を跳ね除け、逆転勝利をおさめるには、どんな状態になっても勝てるような戦い方をしていくしかない。 「レキ、準備はいいか? オレと君で、あいつを倒すんだ」 「ゴロっ!!」 オレはレキに言葉をかけたけど、訊くまでもなかったって、すぐに気づいた。 自分よりも強いリーベルが倒されて、怖気づいちゃうんじゃないかって心配したんだけど、やっぱりレキは芯が強い。 水タイプだけど、熱っついハートを胸ん中に宿してるんだ。 ここでゴルバットを倒さなければ、ポケモンセンターに戻ってスバメを助けることはできない。 痛みで気を失ったのか、いつしかスバメは抵抗しなくなった。 これ幸いというワケじゃないけど、だけど眠っててくれた方が、オレとしてもバトルに集中できる。 「キーッ!!」 戦いの第二幕の幕開けを告げたのは、ゴルバットの甲高い鳴き声だった。 オレは全身が粟立つような嫌な感覚を覚え―― ぎゅいぃぃぃぃぃぃぃぃんっ!! 耳障りな音が周囲に響き渡った!! 「くっ、これは……超音波か……!!」 頭蓋を割るような強烈な音波に痛みを覚え、オレは思わず両手で耳を塞いだ。 奥歯を強く噛みしめて痛みに対抗しながら、ゴルバットを見上げた。 翼をばたつかせたまま、口を大きく開いている(もともと大きいけど、それよりももっと大きく開けているように見えた)。 翼を使った攻撃を仕掛けてこないのが、超音波による攻撃を行っている証拠だ。 「レキ、大丈夫か!!」 オレは超音波に負けないような大声でレキに呼びかけた。 レキはその場に踏ん張って、押し寄せる超音波に必死に耐えていた。 超音波は、相手を混乱させる技だ。 ゴルバットは、こちらを混乱させて、思うように攻撃できなくなったところでじっくり料理する作戦に出てきたってことだ。 野生のポケモンの割にはよく考えてるって誉めてやりたいよ。場合が場合じゃなければ。 耳を塞いでも入ってくる音波を浴び続ければ、オレもレキもただじゃ済まない。 一刻も早く、この音波をどうにかしなければ…… しかし、レキが水鉄砲を放ったところで、この状態じゃ当たるとは思えない。 ……どうすればいいんだ!? オレは背後で気を失っているスバメに目をやった。 ……助けなきゃいけないんだ。助けるって決めたんだ。 レキにとって友達なら、オレにだって友達なんだから!! 「う、くっ……」 ゴルバットの発する超音波が、いよいよ身に染みてきた。 急速に意識が遠ざかるような、魂だけが抜けていくような感覚が襲う。 どうにかしてこの窮地を脱する方法を考えつかなければ……!! オレはゴルバットを上目遣いに睨みながら、その方法を模索した。 超音波はあくまでも音波だ。相手の調子を崩して混乱させる技。これに対抗するには……音かッ!! 「レキ、鳴き声!! 超音波を吹っ飛ばせ!!」 オレは叫んだ。 音には音で対抗するしかない。 レキの鳴き声も強烈そうだけど、この超音波をどうにかするには、この手しかない!! レキは口を目いっぱい開いて―― 「ゴロぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 開いた口の大きさに恥じないほどの大音量で叫んだ!! ……と、頭蓋を震わせる超音波が止まった。 超音波とレキの鳴き声が重なり合って、まったくの無害になったんだ。 よし、超音波はこれで怖くない。 オレは耳を塞いでいた手を退かし、超音波を破られて動揺しているゴルバットを指差した。 「レキ、水鉄砲!!」 「ゴロっ!!」 ――待ってました!! レキは開けたままの口から、水鉄砲を発射した!! 威力は心もとないけど、その鋭さはなかなかのものだ。 「キーッ!!」 動揺しているゴルバットは対応がわずかに遅れた。 避けようと翼をはためかせ、身体を浮かそうとしたところに、翼の先端を水鉄砲が掠めた!! 「……ッ!?」 ゴルバットはバランスを崩し、錐揉みのようにグルグル回りながら落下する!! 飛行ポケモンにとって、翼は最大の武器であり、弱点でもあるんだ。 飛んでいる状態でわずかにでも攻撃が掠めれば、絶妙に成り立つバランスが容易く崩れる!! そして、一旦崩れたバランスは、そう簡単に取り戻せない。 落下しながらもゴルバットは体勢を立て直そうとするけど、思うようにいかない。 そうやってもがいている今がチャンスだ!! 「レキ、体当たり!!」 オレの指示が届くが早いか、レキは全速力で駆け出した!! 「キーキーッ……!!」 ゴルバットは地面に落下したけど、それほどのダメージを負った様子はなかった。 起き上がると奇声を発して、飛び立とうと翼を広げ―― そこへ、レキの体当たりがクリーンヒット!! ごっ!! ゴルバットの顔面に渾身の体当たりを食らわせ、その身体を近くの木の幹に叩きつける!! おおっ、結構力が強い!! オレは意外と高いレキの攻撃力の高さに目を瞠った。 友達を傷つけられたと怒りで、普段より攻撃的になっているせいだろう。 でも、それを差し引いたとしても、レキの攻撃力は進化前のポケモンにしてはなかなかのものだ。 木の幹に叩きつけられ、またしても地面に落ちるゴルバット。 飛び立とうとする間は無防備で、攻撃する絶好のチャンスだ。 これを逃さないように攻撃を当て続ければ、勝つこともそう難しくはないだろう。 オレはギュッと拳を握った。 リーベルがやられて、一時はどうなるかと思ったけど、思いのほかどうにかなりそうな感じがする。 体当たりと木の幹に叩きつけられたことによる二重のダメージは相当なものだったようで、ゴルバットの動きは明らかに鈍っている。 素早さがウリのポケモンだけに、スピードがわずかに低下するだけでも致命的な戦力ダウンになるんだ。 ましてや、空中戦に特化したポケモンならなおさらだ。 一般的に、空を飛べるポケモンは地上での戦いに不向きとされている。 ポッポとかスバメとかゴルバットとかは、空中戦でこそ強さを発揮できるポケモンで、逆に地上に落とされてしまうと、コラッタやピカチュウにすら劣る。 まあ、カイリューのように地上でも水中でも空中でも平気で戦えるポケモンもいるけど、それはあくまでも例外だ。 普通のトレーナーに扱えるほど、カイリューはレベルの低いポケモンじゃない。 カントーリーグ四天王の大将ワタルはドラゴン使いと言われているトレーナーで、最強と名高いカイリューを使いこなすことで知られている。 ……要するに、カイリューを扱えるトレーナーなら、普通の野生ポケモンなんかに遅れは取らないってことだ。 どんなシチュエーションでも。 だって、カイリューは物理攻撃力がむやみやたらに高いし、頭の触角からは電気を発射できるし、口からは炎や水や吹雪など、多彩なバリエーションの攻撃が飛び出す。 他の追随を許さない豊富なバリエーションで、どんな相手とも戦えるんだ。 オレもカイリューが欲しいけど、それはもっともっとトレーナーとしてのレベルが上がってからの話だ。 今は、手持ちのポケモンでできるだけのことをしたい。 さて、話は逸れたけど…… 「レキ、水鉄砲!!」 飛び立とうと翼を激しく打ち振るゴルバットを指差し、オレはレキに指示を出した。 「ゴローっ!!」 裂帛の咆哮と共に、レキが口から水鉄砲を発射!! ゴルバット目がけて一直線に突き進む水鉄砲。これなら飛び立つ前に当たる!! 体当たりに続くクリーンヒットに期待を馳せる。 しかし―― 「キーッ!!」 負けてたまるか言わんばかりの声を張り上げ、ゴルバットが強く翼を打ち振った!! その瞬間…… しゅこぉぉぉっ!! 風の鳴る音が聞こえた。 でも、甲高い音が一瞬で低くなって――これは何かの技かと思って、警戒の眼差しをゴルバットに向ける。 と、ゴルバットに数十センチまで迫った水鉄砲が、ぶしゃぁぁぁっ!! という音を残して吹き散らされた。 風起こしか……? いや、違う。 単なる風起こしじゃない!! 「ゴロっ!?」 レキが怯えたような声を上げて、一歩後退りした。 バトルに慣れてないせいか、予測できない事態に遭遇すると、そういう反応を示す。 ラッシーだったら、多少のことに動じたりはしないんだけど……それと同じことをレキに求めるのは酷だろう。 水鉄砲の攻撃を防ぎ、レキが怯えている隙を見逃さず、ゴルバットは飛び上がった。 オレの知らない技か……飛行タイプの技だろうということはなんとなく想像がつくけど、その正体までは看破できない。 「キーッ、キーキーッ!!」 けたたましい声をあげ、ゴルバットが翼を打ち振った!! しゅこぉぉぉっ!! さっきと同じ音だ……今度はレキに攻撃を仕掛けてくるつもりか。 「レキ、左右に動いて避けるんだ!!」 水鉄砲を吹き散らすほとの力があるなら、まともに当たれば危険だ。 レキはオレの指示に、慌てて左に跳んだけど…… 「ゴロっ!?」 しゅばばばっ!! そうとしか聞こえない音がして、レキが吹っ飛ばされる。 「レキ!!」 一体なんなんだ、これは!! 相手の技が見えない……!? 見えない技なんてあるのか? 反則だろ、それは!! 一旦胸に芽生えた動揺は、どれだけ抑圧しても簡単に消せるものじゃなかった。 レキは毬のように転がった!! 「キーッ!!」 この機を見逃すものかと、ゴルバットが翼を広げ、滑空しながら一直線にレキに迫る。 まずい、ここで立て続けに攻撃を食らったら、一気にピンチだ!! どうすべきかと頭の中で作戦を練る。 レキは三メートルほど転がったところで身を起こした。 一直線に迫ってくるゴルバットを見て、一瞬ビックリしたようだったけど、すぐに真剣な表情になった。 水鉄砲で迎え撃つつもりでいるのは明らかだ。 でも、ゴルバットの動きなら、左右に避けて追撃してくるだろう。 水鉄砲や体当たりに頼っても無駄。 かといって、今のレキに使えそうな技は見当たらない。 くそっ、一体どうすればいい!? いい作戦が思いつかず、オレは歯軋りするほど強く奥歯を噛みしめた。 こうしている間にも、ゴルバットがレキに迫っている。 鳴き声でも、ゴルバットの勢いを削ぐことはできないだろうし…… イライラの数値がみるみる間に高騰するのを頭の隅に感じながら、策を探る。 ゴルバットの翼が、死神が携える鎌のように見えたのは、果たして気のせいか……? 翼の端が木漏れ日に輝いて、金属でできているかのようにも見えた。 強烈な一撃が来るであろうことは、オレの目にも明らかだった。 だったら、レキならそれがオレよりもよく分かるはずだ。 なのに…… 「……!?」 レキは毅然とした態度でゴルバットを迎え撃っている。 さっき見せた怯えはどこへやら。 どうにかする自信があるっていうのか……でも、いったん飛び上がったゴルバットをもう一度撃ち落とすのは難しい。 「レキ、逃げろ!!」 今のレキじゃゴルバットには勝てない。 ポケモンバトルに『絶対』というものがないと分かってはいるけれど、少なくとも今のレキじゃゴルバットに勝つのはとても難しい。 逃げを打ちながら、隙を見て攻撃を仕掛けるしかないか…… そう思った時だった。 レキが大きく口を開き―― 「ゴロぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 鳴き声とは名ばかりの、凄まじい大音響で叫ぶ!! 一体どうしたんだ……レキのただならぬ様子に、オレは呆然と見ているしかなかった。ゴルバットの翼が閃き、レキに繰り出されようとして―― かっ!! レキの身体から強烈な光が放たれ、ゴルバットの動きが止まった。 これは……進化ッ!? 間違いない。レキが使える技の中で、光を放つものはなかった。 でも、まさかこのタイミングで進化するなんて…… 光に包まれたレキから得体の知れない力を感じ取ったんだろう、ゴルバットはさらに高く飛び上がり、レキと距離を取った。 どんな攻撃が来ても避けられるようにするためだ。 ごくり…… オレは唾を飲んだ。 レキが進化を二回行うと、ラグラージになるってことは分かってる。 あのパワーはハンパじゃない。 でも、ミズゴロウとラグラージの間のポケモンについては、オレも知らない。 一体どんなポケモンなのか。 少しずつ身体が大きくなるレキに向けた視線に、大きな期待を抱く。 レキの身体は徐々に大きくなり――そして形を変えた。 時間にして十秒ほどの変化だったけど、それ以上の時間だと思えた。 それくらい、ポケモンの進化というのは神秘的なものなんだ。 光が消えた後には、進化で生まれ変わったレキの姿が残った。 「マクローっ!!」 一回り……いや、二回りも大きくなったレキは、後ろ脚だけで自らの体重を支えられるようになっていた。 身体の色が元の水色からちょっとくすんだ青になり、円らな黒い瞳は頬のエラやお腹と同じオレンジ色になった。 頭のヒレは黒い鉄を思わせるような色で、ブーメランを半分に折ったような形に変化した。 ミズゴロウが可愛さを前面に押し出すポケモンだとするならば、目の前にいるレキ――ヌマクローはたくましさと可愛さを両立したポケモンと言えるだろう。 オレはすかさず、ゴルバットに鋭い眼差しを注ぐレキにポケモン図鑑のセンサーを向けた。 センサーが反応し、液晶にその姿が映し出される。 「ヌマクロー。ぬまうおポケモン。ミズゴロウの進化形。 足腰が鍛えられて二本足で立てるようになった。 砂浜で泥遊びをする姿を見かけることが多いが、それは遊びというより、水分を補給する意味合いが強い。 進化によって地面タイプが加わったため、草タイプにはとても弱くなった」 図鑑の説明を一通り聞いて、オレは改めてレキを見やった。 進化でタイプがもう一つ加わったか……それも、地面タイプだ。 水タイプの弱点となる電気タイプを完全無効化するけど、地面タイプと水タイプの共通の弱点である草タイプにはめっぽう弱くなったってことか。 「キーッ……」 ゴルバットが威嚇するように低い声をあげた。 でも、レキは怯むどころか、さらに眼差しを尖らせて睨み返した。 進化によって自信がついたんだ。 今なら……今のレキなら勝てる!! オレは直感した。 ミズゴロウの時よりも、数段パワーアップしているはずだ。 どんな技を使えるのか……図鑑でピピッと調べ出す。 ヌマクローの代表的な技がいくつかピックアップされた。 その中から、オレは知らない技の名前を見出した。 「マッドショット……地面タイプの技か」 マッドショットという技だった。地面タイプの技のようだ。 どんな技かは分からないけど、そういう時は、百聞は一見にしかず、やってみるのが一番手っ取り早い!! ……ってワケで、オレは図鑑を手に持ったまま、レキに指示を出した。 「レキ、マッドショット!!」 待ってましたと言わんばかりに、レキはオレの指示を聞くとすぐに技を繰り出した。 胸を反って大きく息を吸い込み……矢を打ち出した弓のように身体が前に大きくしなり、大きく開かれた口から、茶色のボールが発射された!! 「マッドショット……!! これが……!!」 剛速球のような勢いで、緩やかにカーブを描きながらゴルバット目がけて飛んでいく。 直線じゃないところがミソだ。 一直線なら簡単に避けられるだろうけど、カーブを描くことで、その軌道を読めなくしてるんだ。 地面タイプの技は飛行タイプのポケモンに効かない……そう言われてるけど、それはそれぞれの技の特性によって異なる。 マッドショットなんか、いい例だった。 「キーッ!!」 ゴルバットは翼を打ち振って高度を上げるけど、さらにカーブしたボールが斜め下から伸び上がるようにその身体を叩きつけた。 同時に破裂し、周囲に泥を撒き散らす。 そうか、泥のボールか…… 泥に塗れたゴルバットが地面に落ちた。 口から泥のボールを吐くなんて、ちょっとえげつないって思っちゃったけど、これも立派な技だ。 使い方によっては飛行タイプへの切り札にもなりうる。 地面タイプの技は飛行タイプのポケモンに効かないとは言うけれど、それもケースバイケース。 威力の高さで定評のある地震は、空を飛んでいる相手にこそ当たらないものの、地面にわずかでも触れている状態ならヒットするんだ。 リンリのホネブーメランやマッドショットは、空を飛んでいる相手にだって命中する。 当たり前のことだけど、それを失念しているトレーナーは多いんだ。 「……キーっ……」 ゴルバットの呻き声が聞こえる。 目を向けると、ゴルバットは目を回していた。戦闘不能だ。 今の一撃がよっぽど効いたらしい。 ともあれ、これでポケモンセンターに戻れるな。オレはホッと胸を撫で下ろした。 「レキ、やるじゃないか!! 進化までしてくれたんだな……」 「マクロっ!!」 レキはうれしそうな顔で頷くと、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらやってきた。 オレの傍までやってくると、太陽のように輝いた笑顔で見上げてきた。 進化できた喜びか、それとも友達を傷つけた相手をやっつけられた安堵か……それは分からないけど、レキの機嫌はすこぶる良さそうだった。 「レキ、ありがとな。おかげで助かったよ」 オレはレキの頭のヒレをそっと撫でた。 鉄のように見えるヒレは思いのほか柔らかくて、暖かみがあった。 進化して姿形が違っても、性格は変わってない。無邪気なままだ。 「…………」 レキは笑顔のまま、オレの傍で気を失ったスバメに目をやった。 苦しそうな表情じゃないところを見て、安心したように大きく息を吐いた。 「君が頑張ってくれたおかげで、ポケモンセンターに戻れそうだよ。 でも、その前に包帯を巻いてやらなきゃな……」 オレはスバメをそっと抱き上げて、傷ついた身体に包帯を巻いた。 起こしてしまわないように、ゆっくりと包帯を巻く。 「さて、こんなモンだろ」 一通り巻き終えたところで、 「マクロっ」 スバメの身体を、レキが左右の前脚を揃えて持ち上げた。 ついさっきまでは同じくらいの大きさだったのに、進化しちゃったものだから、スバメの二倍くらいになっちゃった。 それでも、友情ってのは簡単には消えたりしないだろう。 人間と同じで、ポケモンも情に篤かったりするんだ。 オレはレキの前脚の上で気を失っているスバメに目をやった。 「レキ、君が運んでいくか?」 「マクロっ」 レキは小さく頷いた。 結構疲れてるはずなんだけど、そんな様子は微塵も見せない。 本人がやるって言ってるんだから、ここはレキに任せよう。 「よし、行こうぜ!!」 「マクロっ!!」 オレとレキはその場を後にした。 思ったよりも手こずったけど、これでポケモンセンターに戻れる。 スバメを助けてあげられたことと、レキが進化してくれた喜びで、オレの胸はとても暖かくなった。 その温度を噛みしめるように走っていくと、あっという間にポケモンセンターにたどり着いた。 「ジョーイさん、スバメをお願いします!!」 ポケモンセンターに到着して早々、オレはカウンターの奥で神妙な面持ちでなにやら唸っているジョーイさんに駆け寄った。 「スバメが見つかったの!?」 オレの言葉に、ジョーイさんが椅子を蹴って立ち上がる。 派手な音がして椅子が転んだけど、それが気にならないくらい、レキの前脚の上で気を失っているスバメを見つめる表情が輝いていた。 転んでしまうんじゃないかと思うほどに大きく身を乗り出したジョーイさんの手にスバメを乗せるレキ。 これでスバメが助かると、レキはニコニコしていた。 さっきからずっとそうだけど、レキはいつものレキに戻っていた。 進化しても無邪気な性格は変わらないと、オレは正直ホッとしてるんだ。 だって、ナミのガーネットは、ヒトカゲの時は『うっかりや』で奥ゆかしい性格をしてたけど、リザードに進化した途端、好戦的な性格に変わった。 それを言えばラズリーも似たようなものだけど、毎回いいように変わるとは限らないだろうしさ。 やっぱ、性格はそのままの方がいいんじゃないかって思うんだ。 「良かったわ……」 手のひらの上のスバメに、ジョーイさんは心から安堵したような柔らかな表情を向けた。 一時はどうなることかと思った、彼女はため息混じりに、今まで何をしていたのか話してくれた。 ジョーイさんは一月前にこのポケモンセンターに赴任した新人だって。 オレがこれから向かうカナズミシティやトウカシティのジョーイさんに助言を求めていたらしい。 ラッキーに探しに行かせようかと思っていたそうだけど、ラッキーはバトルに向いたポケモンじゃない。 万が一森の中で野生ポケモンに襲われた日には、それこそ目にも当てられない。 あと三十分が過ぎてもオレたちが戻らなかった時には、ポケモン救急隊に捜索を依頼しようとしていたとか。 ポケモン救急隊って何なんだって思ったけど、敢えて訊かなかった。 大方、ポケモン救助を目的とした組織なんだろう。 それにしてはネーミングがストレートだったから、変に気になっちゃったんだよな。 さて…… 「ありがとう。助かったわ」 ジョーイさんは深々とオレたちに頭を下げた。 彼女の安堵しきった様子を見ていると、それだけ不安だったんだろう。 自分一人の力じゃどうにもならないような事態に直面して、相当精神的に参っていたんだろう。 まあ、結果的に解決したんだから、これ以上何も言う気はないけどさ。 ジョーイさんは頭を上げると、ラッキーを呼んで、スバメを奥の診療室に運ばせた。 診療室の扉の上のランプが点灯する。 「今度は逃げられないようにしておかなきゃね……」 また逃げられたら、今度は探すのが大変だろう。 スバメが戦っていたゴルバットはレキが倒しちゃったし。 あのゴルバットもこれに懲りて、スバメに手を出したりはしないだろうから、今度はスバメが逆にゴルバットをどつき回しそうだ。 それを探すのは本当に骨が折れるだろう。 スバメが目を覚ましたら、そこんとこをレキから説明してもらおう。 友達の言葉なら、真剣に耳を傾けてくれるはずだ。 「ジョーイさん。オレのポケモンの回復をお願いできますか」 オレはリーベルのモンスターボールをカウンターに置いた。 健闘してくれたんだけどわずかに力及ばず倒れてしまったリーベル。 ちゃんと回復してあげなきゃ。 「分かったわ。スバメと一緒に回復させるわ」 「お願いします」 オレは小さく頭を下げた。 回復が終わったら、リーベルにも事の顛末を話しておこう。 リーベルが頑張ってくれたおかげでなんとか勝てたって教えてあげなくちゃ。 「オレたち、食堂に行ってます。何かあったら呼んでください」 「ええ。ゆっくり休んでね」 オレはレキを伴って、自室を目指した。 そういや、みんなを部屋の中で出したっきりだったんだ。 レキとリーベルを連れてったのは、寝ぼけ眼のみんなを連れて行くよりもマシだって判断したからだけど、そこんとこもみんなに説明しておく必要があるな。 置いていかれて、怒ってたりしてるかもしれないから。 ……特にラッシーは。 ただでさえリーダーとしての気苦労が大きいのに、これ以上余計な負担を与えるわけにはいかない。 短い廊下を一気に渡って、部屋に飛び込む。 みんなは部屋の中で思い思いに過ごしていたけど、オレの声を聞くとすぐに一斉に振り向いてきて、パッと表情を輝かせた。 やっぱり、不安になってたんだな……トレーナーとしてやっちゃいけないことをしてしまったような気がして、チクリと胸が痛む。 「みんな、ごめん!! 遅くなった!!」 オレは両手を合わせてみんなに謝った。 「バーナー……」 ラッシーは安堵と怒りがごちゃ混ぜになったような複雑な表情を浮かべながら、オレの前にやってきた。 一体何があった……? そう言ってるのは明らかだけど、言われなくても説明するつもりだ。 みんな、オレの傍にいるレキが進化したってことには気づいてるようだけど、それよりも先にオレの説明を求めているようだ。 まあ、そりゃ当然だ……オレは胸中で苦笑いしながら、みんなに説明した。 「昨日レキが見つけてくれたスバメがどっか行っちまってさ。 ただでさえ傷が治りきってないところで行方不明になっちまったんだ。 森の中にはいろんなポケモンがいるから、何かあるといけないと思って、レキとリーベルを連れてったんだ」 その言葉に、オレたちがスバメを助けて戻ってきたと理解したリッピー、ルース、ルーシーの表情がさらに柔らかくなった。 でも、ラッシーだけはまだ複雑な表情を浮かべていた。 ……だから何? 表情がそう物語っている。 正直、オレはその態度にカチンと来たけど、だからといってラッシーに八つ当たりするわけにはいかない。 だって、ラッシーは悪くない。 悪いのはオレの方なんだから。 「あちこち探してやっとスバメを見つけたんだけど、ゴルバットにコテンパンにやられた後でさ。 ゴルバットをどうにかして倒さなきゃ戻れないって思って、レキとリーベルでバトルしたんだ。 リーベルがやられちまったけど、レキが頑張って倒してくれたんだぜ。 そのおかげかな、こうやって進化してくれたんだ」 「マクロっ!!」 レキはオレの前に躍り出ると、自慢げに胸を反らした。 ――あたしが頑張ったから、スバメを助けられたんだよ!! 「進化して姿形は違っちゃったけど、性格は無邪気なままだからさ、いつもと同じように接してあげてくれ。頼むよ」 「ピッキ〜♪」 「がーっ」 「バクっ」 「……バーナー……」 みんながレキに注目する。 進化してたくましくなった身体と、ミズゴロウの時とあんまり変わらない愛くるしさのギャップに戸惑ってるようだ。 それでもみんながレキに向けた笑みが変わることはなかった。 ルースが怯えてないところを見ると、問題ないってことが分かる。ある意味、ルースが基準となっている。 ここでようやく、ラッシーの表情が緩んだ。 「みんな、置いていってごめんな。 本当はみんなを連れて行きたかったけど……あの状況じゃ、ここまで戻ってるヒマがなかったんだ」 オレはラッシーの頭を撫でながら、みんなに謝った。 本当は連れて行きたかった。 みんな一緒なら、ゴルバットなんて恐れるほどでもなかったし、これほど時間がかからなかったかもしれない。 バトルでの時間が短縮され、結果としてはそっちの方が早かっただろう……今さらだけど、そう思える。 でも、あの時はそんなことまで考える余裕はなかった。 一刻も早くスバメの行方をつかみたい一心で、敏感なセンサーを持つレキと、俊敏なリーベルの二体だけで探しに出てしまったんだ。 「ごめん、本当に心配かけちゃったな……」 「バーナー……」 本当に申し訳ないと思ってる。 この埋め合わせはいつか必ずする。 オレの気持ちが伝わったのか、ラッシーは背中から伸ばした蔓の鞭でオレの左右の肩を軽く叩いてくれた。 「ラッシー……」 ラッシーがニコリと笑った。 ……と、その時だった。 ぎゅるるる…… 思わず脱力するような音が響いた。 その発生源は……オレか。 みんなが唖然とした表情をオレに向けてきた。 一体どうしたんだと言わんばかりだけど……どうもしなくてもこればかりは恥ずかしいな。 「……みんな、お腹空いただろ。食堂に行って、遅いけど朝食にしよう」 「マクロっ!!」 照れ隠しに発した言葉に真っ先に飛びついてきたのはレキだった。 ゴルバットとのバトルで思いっきり動き回って、お腹が空いたんだろう。それを微塵も見せなかったんだから、大したものだと思わずにはいられない。 先に音をあげたオレがすっげぇみっともなく思えてくる。 「それじゃ、行こうな」 オレが先頭を切って歩き出すと、みんな軽い足取りでついてきた。 朝食の時間はあっという間に過ぎて、お腹いっぱいになったオレたちは、昨日と同じように、思い思いの時間を過ごすことにした。 みんなは絵本の世界のような中庭でノンビリくつろいでるけど、オレは一人自室にいた。 窓の前に動かした椅子に腰掛け、しばらく読んでいなかった『ブリーダーズ・バイブル』に目を通す。 旅の中でいろんなことがあって、悠長に読むだけの時間も余裕もなかったからなあ。 今の今までリュックの肥やしになってたけど、見た目もそんな風になってた。 手持ちに届いたのはほんの二ヶ月ほど前だっていうのに、何十年も放っておかれたような有様だった。 なんとか読めるだろうと、ちょっと不安に思いながらもページを開く。 パサパサになった上質紙に印刷された文字はぼけることなく、携帯型の翻訳機を宛がうと、ちゃんと訳が出てきた。 「ずっとずっと欲しかったものなのに、あんまり読んでなかったんだな。すっかりこんな風になっちまって……」 オレはしおりが挟んであるページを開いて、小さくため息を漏らした。 千数百ページはあろうかという、そのほんの一割程度も読んでないんだ。 ずっと欲しかったものなのに、ほとんど手付かずの状態で、著者に申し訳が立たなくなってきたな。 オレがブリーダーを極めるのに必要な知識が、この本にはギュッと凝縮されてる。 せっかくこのポケモンセンターでノンビリできるんだから、今のうちに読み進めて、知識を深めておこう。 「…………」 オレは翻訳機で英文の列をなぞった。 普通に読むことはできるかもしれないけど、翻訳機がなければ意味を理解することはできない。 「第二章 ポケモンの神秘……か」 翻訳機に表示された言葉を口にする。 同じページにある挿絵から察するに、ポケモンの生態や進化のメカニズムについて記されているパート、といったところか。 『ブリーダーズ・バイブル』は前半・後半と内容が分かれている。 オレが今読んでいる前半は、ブリーダーのみならず、ポケモンに携わる職業すべてにおいて共通の基本的な知識や理論が中心。 一方、後半がブリーダーについて著者の主観を元に文章が構成されている。 ……というのは、発行元のホームページから得た情報なんだけどね。 翻訳機を左から右に走らせ、表示された言葉に目をやり、右端にぶつかったら次の行に移って…… その繰り返しで一ページ、また一ページと読み進めてゆく。 ポケモンの生態については謎に満ちた部分が多く、最先端の科学力をもってしても、解明できないところがあるらしい。 親父が研究してたポケモンの遺伝情報『ポケモンゲノム』とか、ポケモンが進化することによって生じる体内組織の大幅な変化とか。 その言葉の意味とか考えるだけで頭痛がしそうなことが何ページにもわたって記述されている。 考えるだけで頭痛がしそうな……研究者が戯れに入れたとしか思えない部分を過ぎると、あとはオレでも理解できる内容だった。 ポケモンの進化とは、蛹が蝶になるのと同じような考え方だって記されている。 例として『ヒトカゲ→リザード→リザードン』の挿絵がある。 それによると、ポケモンの有する力が、その身体で扱いきれなくなると、増大したその力に対応できる身体を無意識のうちに構築する…… それがポケモンの進化と呼ばれる現象らしい。 らしい……っていうのは本に書かれてある表現ではなく、オレの考え方とちょっと違うから、断定的に認められないってだけのことなんだ。 どっちが正しいの正しくないの、なんて水掛け論をやるつもりはない。 十人いれば十通りの考え方があってもいいと思うし、いちいちそれらにケチをつける理由もない。 「レキも、そういう風に進化したのか……? どうも、そうは思えないんだけどな……」 オレはレキを見やりながら、本の中身に疑問を覚えた。 ブリーダーの神様と呼ばれる著者は聡明な人物だと言われているから、読者に疑問を提起させるような書き方をしていても不思議じゃない。 仮にそうであっても、オレはそれが100%ピッタリ合ってるとは思えないんだ。 レキは進化しても、ルーキーとじゃれ合って遊んでいる。 ただ、身体が大きくなって、パワーも上がってるから、ミズゴロウの時と同じような力加減で遊んでたら、とんでもないことになるだろうけど。 明らかに『加減』しているのが分かるんだ。 レキはさっき進化したばかりだけど、生まれ変わった身体を抵抗もなく受け入れている。 それが当然なんだと、そう言わんばかりの反応だけど、ポケモンってそういう気持ちを生まれつき持ってるんだろうか? 今までオレが立ち会ってきたポケモンの進化……毎回、ポケモンは自分の身体が変わっても、ポケモン自身がそれをまったく疑問に思うことはなかった。 オレがそれについてどう思ってたのかは、はっきり言ってよく分かんないんだけど、この本を読んで、初めて疑問を抱いた。 力があふれて、このままの身体じゃ扱えなくなったから、その力を扱えるだけの身体に変わる……それが進化だと、ティーナは著している。 でも、それって違うような気がする。 ケース・バイ・ケースなんだと思うけど、たとえばラズリーやリッピーはどうだろう。 たとえ力があふれて、今の身体じゃ扱えなくなったとしても、進化の石から放出される放射線を浴びなければ進化できない。 逆に、力がそんなにあふれてなくても――大したレベルじゃなくても――、進化の石を宛がってやれば進化できる。 この時点ですでにこの本に書かれてることは矛盾してるんだけど、それはオレの早合点だった。 次のページに、解答らしき一文があった。 「進化の石で進化するポケモンは自分の力を完全に制御できるからこそ、自然には進化しない」 とかなんとか。 いかにも取ってつけたような文章だけど、それを否定できるだけのカードはない。 それが一番自然な考え方だろうし、それ以上の考えを求めても余計にこんがらがっちゃうだけだろう。 「じゃあ、ラズリーやリッピーは自分の力をちゃんと自覚してるってことなんだな……それって、とってもすごいことなんじゃないか?」 燦々と降り注ぐ木漏れ日を存分に浴びながら歌って踊るリッピーを見て、オレはそんなことを思った。 あんな風にいつでもどこでもマイペースを振り撒いてるけど、それは自分の力を知っているからこその自信なんじゃないだろうか。 よくよく考えると、恐ろしいけどとってもすごいことなんだ。 自分の力を自覚してるってことは、言い換えれば、自分の限界を弁えてるってことだ。 力の限界を知っていれば、無駄に力を使うことは少なくなる。 バトルの時は、無駄に体力を削らないことが重要になってくるから、とても大切なことなんだ。 無駄遣いが少なくなれば、いざという時に少しでも体力を温存できる。 実力が拮抗し相手と戦っている時には、わずかな違いが勝敗を分けることだってあるんだ。 「あと、違う条件で進化するポケモンもいるって話らしいし……」 ポケモンの進化、進化の石の次に書かれていたのは、トレーナーとの絆が深まることが進化の条件となる、というものだった。 これにはオレも目を瞠ったけど、そういうのもあるんだろうと、素直に納得できた。 「トレーナーとポケモンの絆か。そういうのが一番理想的なんだろうな……」 クロバットとピカチュウの例が載っている。 クロバットの進化前はゴルバット。スバメをコテンパンに打ち負かしたポケモンだ。 一方、ピカチュウの進化前はピチュー。 これらのポケモンは、進化の条件が『トレーナーとの絆が深まること』なんだそうだ。 オレは実際にそういった進化を経験したことがないから、はっきり言ってよく分からない。 だって、この条件だと、レベルアップによるものと同じように見えてしまうから。 どっちもどっちって感じもするけど、オレはどっちでもいいって思う。 「レキはレベルアップの進化だけど……今回は違うのかも」 なんとなく、そんなことを考えた。 ルーキーとじゃれ合っているレキに目をやる。とても楽しそうな顔をしていた。 レキはゴルバットと戦っている最中に進化した。 あの状況を考える限り、レベルアップの進化とは違うような気がするんだよな……タイプ的にその進化であることは間違いないんだけど。 レキの強い気持ちみたいなのが進化の引き金になったんじゃないか。 たとえば、スバメを助けたくて、そのための力が欲しいって思ったその願いが、進化という形となったんじゃないか……とか。 言っちゃなんだけど、レキはあのバトルまで一度もポケモンバトルを経験したことがない。 レベルはあんまり高くなかったんだ。 だから、レベルアップの進化にはどうしても疑問がついて回る。 専門家が『レベルアップの進化だ』と断定したらどうしようもなくそれで決定しちゃうんだろうけど、それだけじゃないような気がしてるんだ。 ポケモンは人間よりもずっとずっとあらゆる感覚が優れているから、強く願えば、進化くらいはしちゃうのかもしれない。 レキはスバメのことを友達だって思ってる。 スバメだって同じようにレキのことを友達だと思ってる。 友達を助けたいっていう気持ちはとっても強いはずだ。 その気持ちが身体に力を与えて、進化に漕ぎつけたんじゃないか……根拠はないけれど、オレはそう思いたい。 レキの気持ちが純粋でとても強いものなんだって信じたい。 無邪気だって――いや、無邪気だからこそ、良くも悪くも純粋になれるんだって。 「でも、これでレキもみんなと肩を並べることができたってことだよな」 他のみんなは進化を経験してる。 ルーシーは進化しないけど、元から進化を経験したポケモンと同等以上の力を備えてる。 レキは新入りということもあって、出遅れてた感が否めなかったけど、進化してくれたおかげで、一躍主戦力の一角に躍り出た。 レキは炎タイプや岩タイプ、地面タイプのポケモンを相手にする時に活躍してくれるだろう。 緩やかな曲線を描きながら飛んでいくマッドショットは強力な上に飛行タイプのポケモンにもヒットする、地面タイプでも優れた技だ。 ちょっとクセが強いけど、それくらいがちょうどいい。 相手の意表を突くには、それくらいでなければ。 戦力も充実してきたし、みんなのタイプもそれなりにバラついてるから、どんなタイプのポケモンでも一通りは弱点を突けるだろう。 弱点のタイプがないポケモンがいる、って聞いたことがあるけど、それはとても強いから『弱点がないように見える』ってだけのことだろう。 ホントに弱点のタイプがないポケモンがいたら、それこそポケモンバトルの相性論を根本から覆すことになる。 「ま、そんなポケモンがホントにいたって、ラッシーの敵じゃないだろうけど」 ラッシーの切り札『ハードプラント』があれば、多少相性の悪いポケモンだって倒せる。 あの能力は本気で反則スレスレだ。 行使できる側からすると、とてもありがたいことなんだけどね。 庭の真ん中でじっと目を閉じて、木漏れ日を存分に浴びてリラックスしているラッシーを見ながら、オレは小さく息を吐いた。 レキも進化してくれたし、少しは気苦労も減るだろう。 オレは『ブリーダーズ・バイブル』に視線を戻し、ひたすら読み進めていった。 お世辞にもペースが速いとは言えなかったけど、逆にそれだけ深い意味まで掘り下げて読めた。 三十分、一時間…… どれくらいの時間が経っただろう。 「スバーっ!!」 威勢のいい声が聞こえ、オレは顔を上げた。 この声…… 聞き覚えのある声に、窓の外に目を向ける。 「マクロっ!?」 レキがうれしそうな顔を空に向けている。 ほどなく、レキの傍にスバメが舞い降りた。 「スバっ!!」 「マクロっ!!」 レキが前脚を組んで掲げると、スバメはその上にちょこんと乗った。 進化して、姿形が変わっても、スバメにはレキがちゃんと分かってるんだな。 たぶん、見た目じゃなくて、レキっていう存在を感じ取ってるんだろう。 見た目は大切だけど、それがすべてじゃないんだって、スバメがレキを見つけたのを見ると、そういう風に思えてくる。 「……そろそろ外に行こう。ひとりで篭りっきりになるのも、みんなに悪いし」 オレは『ブリーダーズ・バイブル』を閉じて机の上に置くと、窓枠を飛び越えて中庭に出た。 「スバーっ、スバーっ」 「マクロっ」 なにやら楽しそうに会話を交わしているレキとスバメに歩み寄る。 いつの間にか、他のみんなもやってきていた。 近くまで行くと、スバメの翼に巻いてあった包帯が取れていることに気づいた。 もう大丈夫だと、ジョーイさんが取ってくれたに違いない。 現に、レキの元へ来た時も、鮮やかな藍色の翼を存分に広げて飛んできたんだ。 「スバメ。動いて大丈夫なのか?」 オレはスバメの頭を撫でながら訊いた。 スバメは振り返ると、大きく嘶いた。 とても元気なその様子に、オレはホッと胸を撫で下ろした。 ゴルバットに手ひどくやられてたから、回復までには時間がかかると思ってたんだけど、スバメの治癒力も相当に高かったらしい。 それはさておき……スバメに言っときたいことがあったんだ。 予期せぬハプニング(?)に、その言葉を一瞬忘れてたけど、すぐに思い出して口にする。 「なあ、なんで傷が治りきってない状態で外に飛び出していったんだ? あれじゃ、ケガがひどくなるだけだって、おまえだって分かってただろ」 今朝、ジョーイさんの制止を振り切ってまで飛び出して行ったこと。 ずいぶんと苦労させられたけど、ちゃんと助けてあげられたし、レキも進化してくれた。 ケガの功名というか、なんというか…… でも、オレはスバメが正しいことをしたとは思わない。 勇敢な性格はいいとしても、ゴルバットと戦うんだったらちゃんとケガが治ってからにするべきだ。 勇気と無謀を履き違えることが正しいなんて、とても思えないからさ。 オレの言葉が胸に染みたのか、スバメの表情が曇った。 やっぱり分かってたんだ…… 声でこそ肯定の意を示していなかったけど、曇った表情が肯定していた。 ゴルバットのことを、何があっても負けられない相手だと思っていたのか。 朝一番じゃなきゃいけない理由でもあったのか……そこんとこはどうでもいい。 ただ、分かって欲しいことがあるんだ。 「レキはずいぶん心配してたんだぜ? おまえがいなくなって、とても不安そうだった。 まあ、ちゃんと見つけられたから、それ以上は言わないけどさ。 心配してくれるヤツがいるってこと、忘れないでやってくれよな」 レキがすごく心配してたことだけは分かって欲しい。 スバメを助けたい一心でゴルバットに戦いを挑んで、進化までしてくれたレキの気持ちを汲んでやって欲しいと思ってるんだ。 「スバぁ……?」 スバメはレキに顔を向けた。 「マクロっ……」 レキがは小さく頷くと、神妙な面持ちになった。 ――キミのこと、とても心配してたんだよ。 レキはレキなりに自分の気持ちをスバメに伝えたんだろう。 友達だから、何があっても放ってはおけなかったってことも。 レキが心の底から心配してくれたことを知って、スバメは縮こまってしまった。 なんてことをしたんだろうと、後悔してるのかもしれない。 丸まった背中が、オレにそう思わせた。 他のみんなは何も言わない。 今朝方何があったのか、オレから口頭で説明を受けたけど、それ以上のことは知らないからだ。 レキとスバメの間に何があったか、とか…… でも、それでいい。 これはレキとスバメの問題なんだ。 オレは心の中できっちりと割り切った。 と、レキの表情が明るくなる。 「マクロっ、マクロっ!!」 「スバぁ……?」 「マクロっ!!」 スバメの声を挟んだ前後の、レキの声のトーンは微妙に違ってた。 落ち込んでるスバメを励まそうとしてるんだろうか。 キミが無事だったんだから、それでいいじゃない? 都合良すぎかな、そんな風に聞こえてならなかったよ。 他のみんなも、レキの言葉に小さく頷く。 スバメは居づらそうな表情でみんなを見回した。 本当にみんなはスバメが無事でホッとしてるんだ。レキには及ばなくとも、それなりに心配していたんだ。 「…………」 スバメは押し黙ってしまった。 それなりに考えるところがあるんだろう。 だったら、答えを急かしたりはしない。オレはみんなに視線でサインを送った。 スバメの問題はスバメにしか真の意味で解決できないから。余計な口出しは無用だと。 一分が過ぎ、二分、三分と時間が過ぎていく。 ポカポカ暖かな木漏れ日に、安らぎに似た感情を抱き始めた時、スバメが顔を上げた。 視線の先には一番の親友であるレキの顔があった。 「スバっ!!」 スバメは声をあげると翼を広げ、飛び立った。 五メートルほどの高さに到達すると、円を描いて飛び回り始めた。 その表情はとても明るいものだった。木漏れ日の温もりと重なって、心に広がった安堵感が大きくなる。 「心配は要らなかったみたいだな……」 スバメはオレが思うよりもずっと強い心の持ち主なのかもしれない。 抱いた心配すら、お節介と思えるくらいに。 スバメが楽しそうに飛び回っているのを見上げていたレキが、前脚を振り回しながらはしゃぎ出した。 途端に雰囲気が明るくなり、みんな笑顔になった。 ここで休息代わりに過ごす数日が明るく楽しいものになるような、そんな予感が胸の中に広がっていくのを、オレは感じずにはいられなかった。 そして、楽しい数日はあっという間に過ぎ去っていき―― オレたちはカナズミシティへ向かうべく、ポケモンセンターを発とうとしていた。 荷物をまとめるオレの脇で、みんな活き活きとした表情を見せていた。 この数日ですっかり気分も落ち着いて、ポケモンバトルのことすら忘れたように見えたよ。 「マクロっ」 「スバーっ」 レキがベッドを降りたり登ったりしてはしゃぎ、スバメも狭い室内を苦にする様子もなく翼を広げて飛び回っている。 朝から元気なのは結構……カナズミシティに到着するまでにバテなきゃいいんだけどね。 レキとスバメはゴルバットの一件があってから、今までに増して親密になった。 他のみんなと一緒に遊ぶことが多かったけど、傍目から見ても、レキとスバメが一番仲良くしているのは明らかだった。 すぐに荷物をまとめたリュックを背負い、トレードマークの帽子をかぶる。 「よし、みんな行くぞ。戻っててくれ」 オレはみんなに振り向くと、レキとスバメ以外の五人をモンスターボールに戻した。 どうしてレキだけ外に出しているのか……当の本人は不思議そうな顔を向けてきた。 理由が分からない、と言いたげだったけど、当然理由がある。 それはもう少し後で……きちんと話さなきゃいけないことだから。 「さ、行こうぜ」 オレはレキとスバメを連れて、数日間寝泊りした部屋を後にした。 ほんの少しだけ名残惜しさを感じたけど、それは今までになく長期滞在をしたからだろうと、廊下を歩きながら思った。 レキとスバメは廊下を行く間も楽しそうな顔を向け合っていた。 これから何を話すのかも、まるで知らないような顔だ……ちょっとだけヤキモキしたよ。 オレはロビーでジョーイさんに出発する旨と謝意を伝え、ルームキーを返却した。 ジョーイさんも名残惜しそうな顔を見せたけど、すぐにいつもの笑顔で送り出してくれた。 ポケモンセンターを出て、森を南北に貫く道に差し掛かったところで、オレは足を止めて振り返った。 同じように足を止めたレキと、レキの傍で羽ばたいているスバメ。 「なあ、スバメ。オレたちと一緒に来るか?」 オレはスバメに言葉をかけた。 「……!?」 レキが驚いたような顔をしたけど、スバメは驚きもしなかった。 そう言われることを予期していたかのようだ。 「マクロっ?」 期待のこもったレキの声を、スバメは複雑そうな表情で受け取った。 飛行タイプのポケモンはオレの手持ちにいないから、できればここで加えておきたいと思ってるんだ。 それに、レキとスバメはとっても仲がいい。 ダブルバトルでは抜群のコンビネーションを発揮してくれることは間違いないし、何よりレキが喜ぶだろう。 そう思って声をかけたんだけど…… スバメの顔を見ていると、本人はあんまり乗り気じゃなさそうだ。 「マクロ?」 レキが怪訝そうな顔になる。 レキはスバメと一緒に行きたいと思ってるんだろう。 かけがえのない友達だから、ずっと一緒にいたいと、苦難を共に分かち合いたいと願っているんだろう。 でも…… 「……一緒に行けない事情があるんだろ。だったら無理にとは言わないさ。 おまえにはおまえの事情とか、生活とか、家族とか……いるんだろうし」 喜びと戸惑いの入り混じった表情を浮かべるスバメ。 申し出はうれしいけど、一緒に行けない事情がある……オレにさえ分かることを、レキが分からなかったはずもなく―― 「マクロっ!? マクロっ!?」 レキが慌てて声をあげた。 身振り手振りを交えながらスバメを説得したんだけど、スバメの表情は一向に晴れない。 もし…… もしもオレがスバメと同じ立場に立ったら…… たぶん、素直に首を縦には振れないだろう。 大切にしてる人がいたりとか、充実した生活があったりとか。かけがえのない友達と一緒にいられるとしても、手放せないものとかがあるんだ。 スバメは迷ってる。 レキを悲しませたくないっていう気持ちと、抱えてる事情の間で板ばさみになって苦しそうなのが分かる。 ……どっちを選ぶにしても、長いこと悩むのはよくない。 オレはそう思って、言葉をかけた。 それがレキにとって辛いものだとしても。 「手放せないものがあるっていうんだったら、無理にイエスと答えなくてもいい。 無理だって答えても、オレたちがおまえに抱く気持ちに変わりはないんだからさ。 おまえにとって本当に大事なものを考えて欲しいんだ」 「スバ……」 スバメは悲しそうな目でオレを見た。 ……残酷な言葉、突きつけちゃったかな。 悲しそうな目を向けられ、オレは胸に剣を突き刺されたような痛みを覚えた。 「ま……マクロ……」 レキがオレンジ色の目に涙を浮かべた。 「スバ……」 今にも泣き出しそうに身体を引きつらせているレキに目をやり、スバメの表情がより一層複雑になる。 「……スバメ、行くのなら早く行くんだ。そうじゃないと、オレもレキも、余計辛くなる。 おまえだって同じだろ。 だけど、会えなくなるワケじゃないんだ」 オレはレキとスバメを見ていられなくなって、風に揺れる木の葉を見上げた。 「この森に来れば、いつでも会えるはずさ。 進化で姿形が変わったレキのこと、一発で見つけられたんだから。 それだけお互いを大切に思ってるんだから、必ず会いに来る」 スバメの住処はこの森だ。 大きな街がいくつもすっぽり入るくらい大きな森だけど、同じ森にいたなら、スバメは必ずレキを見つけ出せるはずだ。 友達としての絆で結ばれているなら。 いよいよレキも感極まって、ボロボロと涙を流し始めた。 スバメの目にもキラリ光るものが浮かぶ。 だけど、これじゃあキューピッドどころか、大きなフォークで仲を切り裂く悪魔じゃないか…… なんて思いながら、だけどオレはスバメを悩みの縁から救い出してやりたい。 大切な二つのものの間に板ばさみにされて、一番苦しいのはスバメなんだ。 どんな形であれ――それがレキとスバメの別れになるとしても、オレは結論に導いてあげたいと思ってる。 「おまえがどんな理由でゴルバットに戦いを挑んだのか…… おまえが手放せないものが何なのか……それは分からないし、立ち入ったことを知りたいとも思わない。 でも、覚えてて欲しいんだ。 おまえにはレキって友達がいて、会いたいと思ったらいつでも会えるってことをさ」 オレの言葉を餞別として受け取ったのか、スバメはゆっくりと舞い上がって行った。 「マクロぉっ!!」 ――行かないでっ!! レキが悲痛な面持ちで叫ぶ。 スバメの目からも大粒の涙がこぼれた。 お互いのことを想い合っているんだ……二人を引き裂くオレって完全な悪役で、どうにも居たたまれなくなる。 でも、大切な仲間のためなら、オレは悪役になってもいいって思ってるんだ。 ……オレにとって、オレたちにとって、スバメはもう仲間と同じ存在なんだ。 だけど、スバメに手放せないものがあるのなら、オレはそっちを優先してやりたい。 オレたちにとって都合のいい選択肢だけが、正しいとは限らないんだから。 「スバぁ……っ……!!」 スバメもとても辛そうだった。 一時とはいえ、レキと会えなくなる、遊べなくなることを辛いと思ってるからなんだ。 心の中で、身を裂くような痛みを味わってるのかと思うと、オレまで辛くなる。 だけど…… 「いつかまた会えるさ。信じてりゃ、その通りになるもんさ」 オレは口元に笑みを浮かべ、スバメに向かって手を振った。 自分でも、無理してるなって分かる。 そもそも悪役なんて向いてないんだから、それ自体が無理なんだけどさ…… 「スバぁぁっ!!」 スバメは身を翻し、トウカシティの方角へと飛んでいった。 「マクロぉぉぉぉぉっ!!」 オレはスバメを追いかけようとしたレキの前脚をつかみ、強引に胸元に引き寄せた。 遠ざかるスバメの背中を見つめるレキの表情は、もはや沈痛などと呼べるモンじゃなかった。 ボロボロ流れる涙でくしゃくしゃになり、他のみんながこれを見なくて良かったと、そう思わせるほどだ。 「……マクロっ!!」 レキは声を上げ、振り向いてきた。 涙に潤んだ瞳に浮かぶのは、オレに対する怒りだろうか。 そりゃ、そうだよな……これでも自覚はあるつもりだよ。 事実だけ見れば、レキとスバメを引き離したんだから。 だけど…… オレたちの一方的な都合でスバメを縛り付けることなど、できるはずがない。 「レキ、追いかけちゃダメだ」 「マクロっ、マクロっ!!」 オレの言葉に耳を貸さないと、レキは身体を捻って、オレを振り払ってスバメを追いかけようとした。 スバメの姿が豆粒ほどの大きさになって、風にそよぐ木の葉と区別がつかなくなり始めた。 オレは足腰に力を込めて、レキを押し留めた。 ……ダメなんだ。 何があったって、ここでレキを行かせるわけにはいかない!! 「レキ!!」 オレの強い声に、レキがびくっ、と身体を震わせた。 恐る恐る、といった感じに振り向く。 怒りは消え、代わりに居たたまれない悲しみのようなものがあった。 友達との別れって、そんなに辛いことなんだ…… オレは経験したことがないから、どんなものかは分からないけど……レキの顔を見れば、その幾許かは理解できる。 それでも、レキを行かせるわけにはいかない。 心を鬼にすべき時は、今なんだ。 「レキ、スバメにはスバメの生活があるんだよ」 オレは膝を折り、レキの目元に溜まった涙をそっと拭った。 恨まれてもいい。 しばらく口を利いてもらえなくてもいい。 それでも、レキには伝えなきゃいけないことがある。 スバメにはスバメの人生(……って言うのかは分かんないけど、それに準じたもの)があるんだ。 だから、行くも行かないも、最終的にはスバメが決めることなんだ。 「リッピーやルース……それに君も。 オレたちと一緒に行くって頷いてくれたから、こうやって一緒に旅をしてるんだ。 決して、無理強いしたわけじゃない」 みんな、オレたちと一緒に行くと言ってくれた。 だから、今一緒にいて、一緒に旅をしてる。苦難を分かち合う仲間としてのコミューンを形成してるんだ。 レキが瞳を潤ませる。 オレはレキの頭に置いてない手を、グッと握りしめた。 「みんな、それなりに悩んだはずだ。 今の生活や、かけがえのない人とか、いたはずだ。 でも、それでも一緒に行くと言ってくれた。 だから、オレはみんなの気持ちを尊重したいと思ってるんだよ。 君も、キモリやアチャモっていう友達がいただろ? ……君はオレたちと一緒に行くって方の道を選んだ。 でも、それって、キモリやアチャモたちとはいつでも会えるって分かってたからじゃないのか?」 その言葉に、レキがわずかに顔を上げた。 「…………」 レキにも友達がいる。 オダマキ博士の研究所で一緒に遊んでいたキモリとアチャモだ。 オレは戦力のことを考えてレキを選んだ。 レキはあんまり悩んではいなかったみたいだけど、実際には遊び友達と離れることに苦悩を抱えていたはずだ。 それでも、レキはオレたちと一緒に行く道を選んでくれた。 そんなレキだから、スバメの気持ちは痛いほど理解できるはずなんだ。 「スバメとだって、またいつかは会えるよ。 今はホウエンリーグやカントーリーグに出なきゃいけないから、忙しいけど……ちょっと落ち着いたらさ、また会いに来よう。 この森に来れば、いつだってスバメと会えるんだから」 オレはレキの頭をそっと撫でた。 いつだって会える……そうさ、永遠の別れじゃないんだ。 この森に来れば、スバメと会える。 さっきスバメにも言ったけど、レキとスバメの間には見えないけど確かな絆がある。それを辿るのは、この二人なら簡単なことだ。 「マクロぉっ……?」 ――本当? 不安げなレキの声に、オレは笑みを深めて頷いた。 今すぐには無理だけど、少し落ち着いたら、またこの森に来ようと思っている。とても落ち着くし、またスバメに会えるんだから。 「なあ、レキ。 スバメには家族や生活があるんだよ。 君がスバメと一緒にいたいって思う気持ちは分かるけど、だからってスバメからそれを取り上げていいっていう理由にはならないと思うんだ。 違うかな……?」 友達という言葉を利用して『一緒に行こう』と無理強いするのは、ただの卑怯者だ。 友達でも何でもない。 少なくとも、オレはそう思ってる。それが正しいことかどうかはともかくとしても。 「ホウエンリーグやカントーリーグが終わったら、もう一度ここに来よう。 スバメだって、きっとそれを望んでるはずだよ。 それに、その時になったら、もしかしたら事情が変わっているかもしれない」 「……!?」 今はダメかもしれないけど、もう少し後になれば、スバメの側の事情も変わっているかもしれない。 もしかしたら……一緒に行くことができるかもしれない。 「今は、思いっきり泣いていいよ」 オレはレキの背中に手を回し、抱き寄せた。 泣きたいなら泣けばいい。 自分の気持ちを無理に押し殺すのはとても苦しくて、自分自身を傷つける。 だったら、爆発するような勢いだって、思いっきり声をあげて泣けばいい。 オレも、親父の胸で泣いたから。声が枯れるかと思うまで。 「……マクロぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 レキはオレの胸の中で、はちきれんばかりの声を上げて泣いた。 こぼれる涙が、オレの胸を濡らしていく。 オレはただ、レキの身体をそっと包み込むことしかできなかった。他に、してやれることが思い浮かばなかったんだ。 To Be Continued…