ホウエン編Vol.07 母は強し!! <前編> 目の前には近代的な街並みの都市が広がっている。 カナズミシティ――二つ目のバッジを守るジムがある街だ。 「……思ってたよりもずっと都会なんだな……」 オレは街の南ゲートをくぐったところで立ち止まった。 敷き詰められたレンガの道が、ずっとずっと先まで続いている。 傍の看板に目をやると、カナズミシティの全景が事細かに描かれていた。 今オレが立ってるのは、街の南と北にあるゲートを結ぶメインストリート――通称『レンガ通り』。 あっさりしたネーミングだけど、近代的な街並みと結構マッチしてていい感じだ。道の両脇に点々と立ち並ぶ街灯も、モダンな雰囲気が漂う。 街の西にはキラリ輝く水平線が広がっていて、時折吹き付ける潮風が髪を撫でる。 都会らしく、レンガ通りを行く人たちのファッションも洗練されていて、エネルギッシュな印象を受ける。 街の北西部に目をやると、高層ビルが互いに競い合うように屹立しているのが見えた。 天に届きそうなほどのビル群の中でも、一際群を抜いていたのは…… 「うわ、すっげぇ……」 そのビルに目を留め、オレはため息を漏らした。 今まで、こんな高いビルは見たことがなかったんだ。 タマムシシティやヤマブキシティのビルでも、ここまで高いものはないだろう。 優に数百メートルはあるだろうか。そのまま雲に頭を突っ込みそうな勢いだ。 でも、外観がただの高層ビルとは明らかに違っていた。 槍を思わせる形で、頂上が穂先のように尖ってるんだ。 確か、こういうのを『オベリスク』って言うんだっけ。周囲の高層ビルを寄せ付けないような、抑えつけているような圧倒的な威圧感が漂う。 まさに圧巻。 これほどのビルは、カントーやジョウトじゃとてもじゃないけど拝めないシロモノだ。 街の北西部は高層ビル群が建ち並び、その一角を中心にして、南東部にかけて建物が低くなっていく。 南東部には螺旋状のランプウェイがあって、高架上の幹線道路(車専用の道路)と街を結んでいる。 ……と、再び看板に視線を戻す。 今までとはまったく趣きの違う都会に、なんか頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。 あまりにマサラタウンとは違うというか……とてもじゃないけど暮らしていけない。 多分、流行やらなにやら、何もかもについて行けそうにない。 やっぱり、静かな町で暮らすのが一番だ。片田舎で生まれ育ったオレには、都会は似合わない。 自分で分かるんだから、間違いないだろう。 住めば都なんて言うけど、そりゃ絶対ないな。 ジムはどこかと思って、看板に描かれたカナズミシティの縮図に人差し指を突きつける。 ジムよりも先に目に入ったのは、『オベリスク』のビルだった。 「デボンコーポレーション本社……デボンって確か、モンスターボールとか傷薬とかの大手メーカーだよな」 そういや、デボンコーポレーション本社と、『オベリスク』の下に掲げられてたんだっけ。 モンスターボールや傷薬など、ポケモンに携わる職業に不可欠なグッズを製造、販売しているメーカーで最大手と言われている会社の名前だ。 カントー地方にも進出してきて、今じゃタマムシシティのデパートに並んでいるモンスターボールの半分近くはデボン製だ。 この分だとあと数年でカントーでのシェアが七割を超えるだろう、と実しやかにささやかれているほどの大会社だ。 その本社というのだから、壮麗で圧倒的な存在感を放っていて当然だ。 自分たちは他のメーカーとは違う――それをアピールするのに十分すぎるほどの外観だろう。 まさかこんなところに本社があるとは思わなかったけど、ジム戦の後で時間が空いていれば、見学がてら、近くまで行ってみるのも一興だ。 ナミたちへのいい土産話になるかもしれないし。 さて…… オレは本題に戻り、カナズミジムを探した。 街の北東部に、カナズミジムの文字を見つけ、人差し指をその上で止めた。 「ここからだと……この道をまっすぐ行って、分岐点を右に進めばいいんだな」 今いる場所からカナズミシティまでの道筋を辿ってみる。 思いのほか簡単そうに見えるけど、都会っていうのは田舎とはずいぶん勝手が違うからな……油断はできない。 「よし、行こう」 オレはカナズミシティに足を踏み入れた。 目指すはカナズミジムだ。 ポケモンのコンディションはほぼ最高。 トキワの森で充電期間として数日を費やしてきたから、これでコンディションが悪いワケがない。 ポケモンセンターへは、勝利の凱旋って形で行けばいいだろう。 そんなことを思いながら、レンガが敷き詰められた道を踏みしめる。 大都会カナズミシティが誇るメインストリートだけあって、通りには様々な人の姿があった。 トレーナーやらスーツとネクタイでビッシリ決めたビジネスマンやら……むしろビジネスマンの姿が目立つけど、それも都会だからこその光景だろう。 マサラタウンじゃ、スーツ着た人の方が逆に怪しく見えるんだから。 ……田舎すぎかな。 ま、それはいいとして…… あまりにマサラタウンとは違うものだから、まるで外国の都会に迷い込んだような気分になる。 通りの両脇には様々な店が軒を連ね、人々で賑わっている。 最先端のファッションとやらに包まれたマネキンが奇妙なポーズでたたずむブティックとか、金銀ギラギラまぶしいジュエリーショップとか。 見渡す限り、マサラタウンにはありえないような店ばっかり。 マサラタウンと比べたら、ホントに異世界に迷い込んだような……外国なんて生温いレベルじゃない。 カントー地方とも全然違ってる。 人間のセンスって、居住地ごとに違ってるものなんだろうか? そう思わせるには十分な違いが、このメインストリートにはゴロゴロしていた。 目眩を覚えつつ、一歩一歩、メインストリートを北上する。 途中、左手にポケモンセンターを見つけた。 その規模はタマムシシティと同じか、あるいはそれよりちょっと大きいか……大都会に恥じないほどの大きさは備えていた。 部屋が空いてるかどうか心配になったけど、いざとなれば野宿でもなんでもしちゃえばいい。 海のすぐ傍だから、潮騒を子守唄代わりにゆっくり眠るのもいいだろう。 新鮮な魚を獲って塩焼きにしてからかぶりつくのもまた格別なんだろうな。 海岸での初めての野宿に想いを馳せながら、ポケモンセンターを通り過ぎる。 この辺りから急にビジネスマンが目立ち始めた。 ビジネスマンがバッグを片手に、腕時計を気にしながら、走るような足取りで通りを往く。 大人って、時間に追われてるんだろうな。 オレにはよく分からないけど……今を生きてるっていう実感が、ビジネスマンの顔にはまったくと言っていいほど見られない。 仕事っていうのはそういうものだって、それくらいは分かるけど。 ああいう人たちを見ていると、絶対になりたくないって思う。 経済的に窮しても、やりたいことをやりたいって、そんな風に思うんだ。 トレーナーやブリーダーって、ランク的に上位に行かなきゃ賞金とかスポンサーとかつかないけど、 やるんだったら目指すはやっぱりナンバーワンだよな。 「あそこの中には、こういう人たちがビッシリ詰まってるんだろうな……」 視線を上げた先に、デボンコーポレーションの本社ビルがあった。 あの中にゃ、何千人って人が働いてるんだろう。 ビジネスマンもそれなりに多いだろうけど、やっぱり研究者もいるんだろう。 モンスターボールの性能を向上させる研究とか、より強力な効果を持った傷薬の開発とか…… ポケモングッズの最大手だけに、常に追い抜かれる恐怖と戦っているに違いない。 ちょっとでも手を抜けば、最大手から引きずり落とされる…… ビジネスの世界はそういうものだって、親父がつまらなそうに漏らしていたのを思い出す。 ……オレには縁がないと思って、真剣には耳を傾けてなかったけど。 通りを往来するビジネスマンを見ていると、そんなに遠い世界じゃないのかも、と思った。 オレと同じ方向に歩いていくビジネスマンの多くは、五十メートルほど先にある分岐点を左に向かって行った。 電柱から吊り下げられた看板に、 「← デボンコーポレーション・本社ビル 中心街」 なんて書かれてあったんだ。 デボンコーポレーションの本社を筆頭に建ち並ぶ高層ビル群は、カナズミシティのビジネスの中心なんだろう。 それに、デボンコーポレーションの本社ビルって、カナズミシティの名物っていうか、シンボルみたいな存在なんだろうな。 だって、見た目は圧巻だし、メインストリートの分岐に名前が出てくるくらいなんだから。 ポケモントレーナーやブリーダーが恩恵を受けている会社だけに、社会に対する貢献度も非常に高く評価されてるってところか。 で、看板の右側には、 「カナズミジム 高速道路入り口 →」 と書かれていた。 ランプウェイは街の北東部につながってるみたいだ。 ともあれ、オレは分岐を右に進んだ。 カナズミジムのジムリーダーは一体どんな人で、どんなポケモンを使ってくるのか……そればかりが気になって仕方ない。 ビジネスマンの姿はめっきり少なくなって、代わりに街の入り口で見かけたような人たちの姿が目立ってきた。 メインストリートを離れて、少しは人通りが減ったんだろうけど、それでもマサラタウンじゃありえないくらいの人がいたのは疑いようもない。 祭りでもこれほどの人手があるかどうか……いや、それ以前にそもそもの人口が違うだろう。 一概に比べることはできそうにない。 未だ見ぬ相手の姿を空に浮かべながら歩く。 ホウエン地方で二番目のジムになるけれど、トウカジムでのバトルを思い返した。 トウカジムのジムリーダーは、ノーマルタイプのポケモンを駆使するセンリさん。 意表を突いた戦い方に危うく引っ掻き回されそうになったけど、なんとか主導権を握って勝利した。 ホウエン地方のジムリーダーは変則的な戦い方が得意なんだろうか。 カントー地方のジムリーダーも、それなりに変わった戦い方をした人が多かったけど、センリさんと比べたら天と地ほどの差はあるだろう。 あの人の戦い方は完全に我流だ。型に囚われない奇抜な戦い方だからこそ、意表を突いた攻撃で相手を撹乱することができる。 オレも多少は見習わなきゃいけないところがあったから、あの人の戦い方は本当に参考になるよ。 「さーて……次のジムリーダーはどんな戦い方を教えてくれるんだろうな……」 吸収すべきところは迷わず吸収する。 他人の戦い方を取り入れながら、それを自分流にアレンジしたりミックスしたり……そうやって自分だけの戦術や戦略を作り出していく。 トレーナーとしての醍醐味を感じるところだ。 いろいろと想像を膨らませながら歩いていくと、一風変わった建物が目に入った。 十階建てのマンションの隣にぽつんと佇む岩の塊。 ……って、あれは建物か。 岩を模した建物だけど、あれは本当にニビジムみたく、岩をくり貫いてできた建物のように見えた。 でも、あれがカナズミジムなんだって、見てすぐに分かったよ。 あの建物を見る限り、タイプは岩……あるいは地面か。 どっちにしても、レキやラッシーなら有利に戦えることは間違いない。 逸る気持ちを抑えるように、ゆっくりとした足取りで歩く。 ジムと思しき建物の前で足を止め、オレはため息をついた。 バトルの前なのに景気が悪いことだけど…… ジムの建屋は、周囲の建物と通りが織り成すモダンな雰囲気を一気に台無しにしてるんだ。 浮いてるっていうか、周囲とギャップがありすぎるっていうか…… ジムは街の名士みたいなものだから、多少は他と違ってて当然なんだけさ。 ここまで浮いてると、変人奇人が集う館のようにしか見えてこない。 ……オレの思い過ごしかもしれないけど。 「……ここがカナズミジムだな。間違いない」 確信したのは、見た目からしてやたら重そうな扉の真上にある看板に書かれた文字を見てからだった。 『こちらカナズミジム。ジムリーダー、岩にときめく優等生・ツツジ。挑戦者の方々、お出でませ』 などと書かれてあった。 「やっぱ、岩タイプか……」 岩タイプのポケモンっていうと、イシツブテにゴローンにゴローニャとか……防御が固く、それでいて鈍重なポケモンが多い。 でも、ジムリーダーのポケモンは普通のポケモンとは一線を画すレベルだ。 どんな相手であっても油断はできない。 オレはぐっと拳を握りしめ、ジムの扉の前に歩いて行った。 重たそうな扉はところどころに浮き錆があって、長らく清掃されていないであろうことが容易に想像できた。 本当に開くんだろうか……と思いつつ、傍らのインターホンを押した。 開かなかったら、ラッシーのソーラービームで吹っ飛ばせばいいし。 なんて野蛮なことを考えていると、返事があった。 『はいは〜い、どなたですか〜?』 妙に間延びした女性の声だった。 ここのジムリーダーは女性か。 岩タイプを使う女性トレーナーって、あんまり見たことないな。 そういえば、セキチクジムのジムリーダー・アンズは毒タイプなんて使ってたし…… 不似合いと思えるようなタイプを使うとなると、むしろ新鮮にさえ思えるか。 『もしも〜し。どなたですか〜?』 返事がないことを不審に思ってか、女性の声が再び訊ねて来た。 いかんいかん、考え事にかまけて言葉を返すのを忘れてた。 オレは慌ててインターホンに顔を近づけた。 「ジム戦に来ました。ジムリーダーはいらっしゃいますか?」 『あー、挑戦者の人ね。ちょっと待ってて、そっち行くから』 ぶちっ、という耳障りな音で、会話は途切れた。 会話ってほど言葉を交わしたわけじゃないけど、向こうもオレを挑戦者と認識した以上、ジム戦はすぐに始まるだろう。 気を引き締めなければ……!! 相手が誰であろうと、全力で戦うのはトレーナーの使命だ。どんなに弱い相手でも、手加減するのは失礼だ。 扉の向こうから軽やかな足音が聞こえてきた。 来たか、ジムリーダーが……!! 足音が聞こえなくなったかと思ったら、代わりに重苦しい音を立てて扉が左右にスライドして入り口が開いた。 石臼を挽くような音がして、天井から白い粉がパラパラと落ちてきた。 雰囲気作りにしてはずいぶんと手の凝った仕掛けだなって思ってると、開いた扉の向こうに女性の姿があった。 「君が挑戦者ね。ずいぶんと歳若いけど、いい目をしてるじゃない」 女性はオレの目をまっすぐに見つめ、ニコッと微笑んだ。 年の頃は二十歳を少し過ぎたあたりだろうか。 肩口で切り揃えられた茶髪と、繊細でいて端整な顔立ちに浮かべた柔和な笑みが、美しくも妖しい、エキゾチックな雰囲気を演出している。 美人と呼んでもいい――どころか間違いなく美人だ。 ただ…… オレの注目を集めたのは、整った顔立ちでも、柔和な笑みでもない。 お腹…… スラリとした体格なんだけど、お腹だけが妙に突き出ている。 この大きさ、もしかすると……吸い込まれるようにお腹に目を向けていると、 「あら、男の子がそんなところ見つめてちゃダメよ。エッチ♪」 「なっ……」 思いもよらない言葉が飛んできて、オレは思わず赤面した。 エッチって…… どっちかというと細身だってのに、お腹だけ妙に出てるんだから、そりゃ普通は気になるだろ。 それなのに、男の子にかまけてエッチなんて……心外ッ!! 何をどう言い返していいものか分からずに、自分らしくないと知りながらおどおどしていると、彼女は小さく笑った。 「ごめんごめん。そんなに気にするとは思わなかったから。 やっぱり、君くらいの年頃の男の子って、無性にからかいたくなっちゃうのよ」 単に趣味が悪いだけか……オレは嘆息した。 でも、そのお腹……妊娠してるだろ。 お腹だけぷっくり太った人なんて、あまりいないし。 「わたしね、もうすぐお母さんになるの。妊娠九ヶ月なのよ、来月には産まれるってお医者さんは言ってくれたわ」 彼女は笑みを深めると、愛しいものでも見るようにお腹に目をやった。そっと撫でる。 そっか……もうすぐお母さんになるんだ。 オレを産んでくれた母さんも、臨月に近い時期はこんな風になってたんだな。 似ても似つかない彼女を母さんに重ね合わせ、オレはしみじみと思った。 でも、なんで妊婦さんがジムにいるんだろ。 ジムリーダーにしたって、代理を頼むべきだろうし……それとも、経理か何かの人だろうか。 思っていると、彼女は手をお腹に当てたまま、言葉をかけてきた。 「挑戦者なのよね?」 「はい。マサラタウンから来ました」 「マサラタウン……っていうと、カントー地方の?」 頷くと、彼女は「へぇ〜」とつぶやいて視線を向けてきた。 「遠路遥々ご苦労なことね。ホウエンリーグに出るつもりなのかな? そうじゃなきゃ、バッジは集めないわよね」 「ええ、まあ……」 歩調を合わせる。 あー、なんていうか、いきなりペース崩されてる気分。 さっきからバトルとは明らかにかけ離れたやり取りが続いてるし。 これも向こうの策略だとしたら、ここで気を許すわけにはいかない。 拳をグッと握って、気を引き締める。 「まあ、いいわ。フィールドに案内するから、ついていらっしゃい」 なんて気を引き締めた途端に、彼女がそんなことを言って身を翻した。 まあ、早いのはいいことだけど、無意味に気合を入れちゃったような気がしてきた。 案外、オレの考えてることを見抜いてるのかもしれない。 それはさておき、オレは彼女の後にピッタリとついて歩き出した。 新しい命をお腹に宿しているだけあって、足取りはどこか重たそうだった。 普通に歩けばそこそこ歩幅もあって、ペースも速いんだろうけど、ここは彼女に合わせるしかない。 重厚な扉をくぐったその先に、バトルフィールドがあった。 ひんやりした空気が肌を刺す。 思わず背筋がピンと伸びる。 トウカジムと違って、フィールドはゴツゴツした岩が乱立する殺風景なものだった。 ニビジムと似ている。やっぱり、ここのジムリーダーが使うポケモンは岩タイプだ。 フィールドの中央辺りで、彼女が足を止めた。 ジムリーダーの姿はない。 奥には廊下があって、その向こうに扉がある。扉の向こうで体勢を整えているんだろうか? おもむろに彼女は振り返り、 「ジムリーダーはわたしの妹なんだけど、ポケモンリーグの総会に出席してて、明後日まではサイユウシティに滞在してるの」 「それじゃあ……」 いきなり何を言い出すかと思ったら、ジムリーダーは不在!? じゃあ、ジム戦は明々後日あたりまでお預け!? そりゃないよ……せっかく気合入れたのに。 なんて何気に落ち込んじゃったりしていると…… 「でも、ちゃんとジム戦は受けるわよ。 君の戦うべき相手は目の前にいる。そう、わたしが相手をするわ」 「えっ……」 ニッコリ微笑む彼女。 オレは思わず戸惑ってしまった。 だって、大きなお腹して、来月には子供が産まれるっていうのに、ジム戦なんてして大丈夫なんだろうか? 派手なバトルをしたら、いきなり陣痛とか始まっちゃったりしないんだろうか? 心配になってきた。 今までにも女性ジムリーダーと何人も戦ってきた。 タマムシジムのエリカさんは目の前の彼女と年齢的に近いんだろうけど、妊娠はしてなかった。 自分からジム戦を受けると言ってるあたり、ジムリーダーの資格は持ってるんだろうけどさ…… 妊娠九ヶ月という重要な時期にわざわざジムリーダー代行なんてしなくてもいいだろうに。 お腹の子供に何かあったら、どうするつもりなのか…… どことなく、気が引けてきた。 もし何かあったらと思うと、今のオレじゃ、とてもじゃないけど責任なんて取れそうにないからさ。 そんなオレの迷いを見抜いているらしく、彼女はニコリと微笑んだ。 「君は優しいのね。 わたしの身体と、お腹の中の赤ちゃんを案じてくれてるのが痛いほど伝わってくるわ。 でもね、それとバトルは別なの」 「全然別じゃないですって。無理しないでくださいよ。もしお腹の赤ちゃんに何かあったら、どうするつもりなんですか」 身重な身体だってのに、ジム戦をするのが当たり前のように平然と言う彼女に、オレは語気を強めた。 赤ちゃんは、いわば自分の分身だ。 オレがもし彼女の夫だったら、何がなんでも絶対にポケモンバトルなんて危険なマネはさせない。 産後、容態が落ち着くまでは絶対安静にさせる。 自分のポケモンを監視につけてでも、危険には指一本触れさせない。 仮の話だけど、それでも真剣に考えてしまうのは、彼女のお腹に新しい『生命(いのち)』があるからだ。 まさか反論されるとは思っていなかったんだろう、彼女は渋面になった。オレよりも背が高いのに、なぜか上目遣いで見つめてくる。 「優しいかと思ったら、頑固なのね。 ダーリンは『君が望むならいいよ。だけど、無理はしないようにね』って、優しく言ってくれるのに」 「オレとあなたのダーリンは違います」 「むぅ……」 むくれる彼女。 あー、なんかややこしいジムに来ちまったな。 いっそ別のジムを先にクリアして、最後にこのジムを再び訪れようか……なんて本気で思った。 ママさんジムリーダーっていうのも、案外面白そうだし…… 「君はわたしに説教するつもり? わたし、君の倍近く生きてるつもりよ」 「いや、そういうわけじゃないんですけど……やっぱり、お身体を大事にした方がいいと思います。 そのお身体、もうあなただけのものじゃないんですよ?」 「あう……」 撃沈。 彼女は言葉を失った。 気まずそうな顔をオレからそむけている。 ……目を見ていると、良からぬこと(たとえばジム戦をやるにはどうすればいいか……とか)を企んでいるのが一目瞭然だ。 まるで身体だけ大きくなったナミを見ているような気分になってきた。 ……彼女のダーリンがどんな人かは知らないけど、ここでジム戦をやって何かあったら、ダーリンも悲しむんじゃないだろうか。 そう思うと、バトルをする気にはなれない。 数日経って、彼女の妹――本来のジムリーダーが帰ってきてから挑む方が正解だ。 でも―― 彼女がニヤリと口元に怪しい笑みを浮かべた。 うぅ、なんか嫌な予感がする…… 女性のこういった笑みは『わたし良からぬことを企んでます。命が惜しいなら近づかないでください』とアピールしているようにしか見えない。 そして、オレの考えを瓦解させる一言が、彼女の口から飛び出した。 「ここで受けてくれないなら、君を無期限の出入り禁止にしちゃおっかな」 ぶゥっ!! 掟破りの一言に、オレは頭をガツンと殴られたような衝撃と共に思わず吹き出した。 な、なんでそんなことを…… 「それって脅迫じゃないですか!?」 「人聞きの悪いこと言わないでよ。 そういう措置もありかな、って仮定の話してるだけなんだからさ」 オレの抗議の声に、彼女は素知らぬ顔で天井を見上げていた。 うわー、そう来やがったよこの人…… こういう無理難題は男が弱いんだって、分かってるはずなのに…… いや、それを分かってて言ってるのは、とぼけた顔が如実に物語ってる。 「さ、どうする?」 「うぐぐぐ……」 ここでジム戦を受けなければ、これから先ずっと受け付けない。バッジもやらない。 ホウエンリーグに出ようとしているトレーナーにとっては脅迫と同じことだ。 口調こそお茶目だけど、言ってることはマジでめちゃくちゃ。 お世辞にも、大人の女性の思考とは思えない。 「わたしの心配してくれるのはうれしいけど、わたしにも意地ってモンがあるのよ。 それを曲げるようなマネしてタダで済むと思ったら大間違いね」 「…………」 ヤバイよ、この人。 本気でナニ考えてるのか分かんねぇ。 この場を立ち去る、というのが一番いいのは分かってるつもりだ。 でも、そうしたら本気で出入り禁止にしてきそうだ。そうなったら、ホウエンリーグには出られないし…… オレが困っている様子を見て、彼女は満足げな笑みを浮かべている。 ひねくれてるな……ダーリンも苦労してそうだ。 「制限時間設けるわね。10、9、8、7……」 彼女の意見を尊重しつつ、なんとかバトルを避ける手立てを探っていたオレに追い討ちをかけるように、時間制限なんて突きつけてきた。 あー、焦るぅっ!! 「6、5、4……」 容赦なくカウントダウンは進む。 どうすりゃいいんだ、まったく!! じいちゃんや親父ならどんな言葉で彼女を往なすだろう。 考えてみたところで、容易に答えを導き出せるはずもない。 「3、2、1……」 「分かりました、受けます!! 受ければいいんでしょう!!」 「素直にそう言えばいいのに。君って意外と優柔不断ね」 やる前から負けるわけにはいかない。 先に折れたのはオレだ。 ここで折れなければ、将来が台無しになってしまう恐れがある。 とりあえずは首肯したフリをして、探りを入れるしかない。隙を見計らって全力離脱の方向で進めよう。 彼女は満足げに笑みを深めた。 オレが「受ける」って言うのを分かってたんだろ。 くぅっ……なんて嫌らしいママさんなんだ。 生まれてくる子供が、こういう嫌らしい性格を受け継いでなきゃいいけど……どうでもいいことなんだけど、そう願わずにはいられなかった。 「じゃ、ジム戦は成立ね」 「無理はしないでください。いくらバトルだからって、命の方が大事なんですから」 「分かってる」 ぜんぜん分かってなさそうな顔で言われても、説得力ないんですけど。 力いっぱい突っ込んでやりたかったけど、喉元まで出かけたその言葉を、オレは飲み下すしかなかった。 ここで駄々を捏ねても、先ほどのカウントダウンに逆戻りするだけだろう。 ここはおとなしく従ったフリをした方が得策だ。 「それじゃ、挑戦者――君の名前を聞かせてもらいましょうか」 「アカツキ。マサラタウンのアカツキです」 「ほう、アカツキ君っていうのね」 オレの名前を聞いた彼女は愉快なものを見るように、大げさなリアクションを見せた。 わざとやってるだろ……これも突っ込まない。 ここが我慢のしどころなんだ。 言いたいことが山積みになってるところをぐっと堪える。 「わたしの知り合いにも同じ名前の……そうね、君と同じくらいの年ごろの子がいるんだけど、元気にしてるかしらね」 「…………」 同じ名前で同じくらいの年ごろって言うと……脳裏に浮かんだあどけない笑顔。 オレは慌てて否定した。 まさか、そんな偶然、あるわけないよな。 ジム戦にはまったく関係ない話だ。 それがあいつであるかどうかは、ジム戦の後ではっきりさせればいい。 「オッケー、わたしはアヤカよ。 短い付き合いになるかもしれないけど、よろしくね。 それじゃ、スポットにつきましょう」 彼女――アヤカさんはウインクすると、左側のスポットに歩いて行った。 重たそうな足取りを見て、本当にこれでいいのかと思った。 だけど、アヤカさんはやる気だ。 どうにかしてバトルを回避する方向で考えてたんだけど、ここまで来たら、オレも腹を括るしかない。 こうなったら全力でバトルして、早期決着を目指すしかないだろう。 長引けば長引くほど、妊婦であるアヤカさんの身体の状態は悪くなる。 岩タイプが相手なら、相性が有利なレキとラッシーでガンガン押していけばいい。 ハードプラントを使えば、ラッシーだけで勝ち抜くこともできるだろう。 まあ、あくまでもあれは切り札だから、どうしようもなくなった時にだけ使うとして…… オレはスポットに立って、アヤカさんと対峙した。 彼女は活き活きしていた。 妊婦さんって、子供のことを考えて、心静かに過ごす人が圧倒的に多いんだけど、彼女は別だ。 子供に何かしらの影響があるかもしれないって、分かってるはずなのに、とっても楽しそうだ。 ……無理を言ってオレをバトルに引きずり込んだだけあって、バトルに生きがいみたいなものを見出しているんだろうか? ……考えるのは止めよう。 今は、妊婦さんとはいえジムリーダーであることに変わりない。 全力で相手をするだけのことさ。 「さて、久しぶりの挑戦者だもの。腕が鳴るわ」 アヤカさんはズボンのポケットからモンスターボールを取り出して、不敵な笑みを浮かべた。 「ルールを説明するわね。 三対三のシングルバトル、勝ち抜き方式よ。君だけがポケモンのチェンジを行えるわ。 どちらかのポケモンが三体戦闘不能になるか、降参した時点で決着。 ジャッジはいないけど、まあ必要ないわね。質問は?」 オレは首を横に振った。 審判が聞いたら怒り出しそうなことを言ってたけど、この際気にしない気にしない。 どこを見ても、審判なんていないんだから。 正規のジムリーダーが不在ということで、審判にも暇を与えたんだろう。 「それじゃあ、一番手、行くわよ!!」 アヤカさんは弾んだ声と共にモンスターボールをフィールドに投げ入れた!! カツン、と岩肌の地面にバウンドして、ボールが開く。 「ゴローンか……」 岩に手足がついたようなポケモンを見やり、オレはつぶやいた。 ニビジムのジムリーダー・タケシが使っていたイシツブテの進化形だ。 パワーに磨きがかかったけど、動きの鈍さは相変わらず。レキなら苦もなく勝てるだろう。 「ってワケで、レキ、レッツゴー!!」 オレは迷うことなくレキを選んだ。 ボールをフィールドに投げ込む。 最高点に達したところで口を開き、レキが飛び出した!! 「マクロっ!!」 飛び出すなり、なにやら楽しそうに飛び跳ねる。無邪気な性格だからな……こういうのも愛嬌ってことで。 「へえ、ヌマクローですか。渋いポケモンを使ってくるわね」 アヤカさんが目を細めてレキを見つめた。 相性が悪いのにこの余裕……相性が悪い相手と戦うための策を用意してると見て間違いない。 やはり、一気に決めるしかないか。 トレーナーと同様に不敵な笑みを浮かべているゴローンを睨みつけ、オレは作戦を組み立てた。 「先手は譲るわ。かかってらっしゃい」 手招きをするアヤカさん。 余裕のつもりか……いや、余裕そのものといった様子だ。 なら、一発キツイのをお見舞いしてやるか。 「レキ、マッドショット!!」 オレはゴローンを指差して、レキに指示を出した。 「マクロっ!!」 ――任せといて!! レキは大きく頷くと、口を大きく開いて、泥のボールを撃ち出した!! 緩やかな弧を描きながらゴローン目がけて飛んでいく泥のボール。その威力は折り紙つきだ。 数日前にゴルバットを難なく倒しちゃったところを見ると、マジでダークホース的な技としか言いようがない。 「なかなかの威力ね。でも……」 アヤカさんは笑みを崩さない。 やっぱり……先手を譲ったのは、こっちの攻撃を見て、対応を決めるためだったか。 でも、ゴローンはあんまり強いポケモンじゃない。そんなに慌てる必要もないだろう。 「ゴローン、転がりなさい」 彼女の指示に、ゴローンが手足を折りたたんで、猛烈な勢いで転がり出した。 なるほど、そう来たか。 オレはアヤカさんの意図を悟った。 レキのマッドショットがゴローンに炸裂する!! 避けるどころか、一直線に真正面から激突したけど、マッドショットはあっさりと蹴散らされた。 転がることで、並大抵の衝撃なら無効にしてしまうんだ。 たとえば、炎とか、水鉄砲とか……転がっていれば周囲に風の流れを作り出して、それらの攻撃さえある程度自動的に防いでしまう。 『転がる』は、時間が経てば経つほどスピードが上昇し、それに伴って威力も倍加していくという、使われる側からするとかなり嫌な特長を持っている。 でも、スピードが上がれば上がるほど、コントロールが難しくなる。 細かな方向転換ができなくなるから、冷静に対処すれば避け続けることは難しくない。 ゴローンが一直線にレキに迫る。 最初の方はスピードも大したものじゃないから、レキなら受け止められるかもしれない。 上手に受け止められれば、ゴローンは致命的な隙を作り出すことになる。 そこに水鉄砲をぶつけてやれば、大ダメージを与えられる。 でも…… その途端に『大爆発』でレキを道連れにしてくる可能性もある。 アヤカさんならそれくらいのことはやるだろう。 弱点を突いてくるポケモンを真っ先に倒す。 それから他のポケモン――特に弱点を突けないようなポケモンを出さざるを得ない状況を作り出すのも、ジムリーダーの常套手段なんだ。 危険がわずかでもあるなら、無理に攻撃を受け止めるのは避けるべき。 そう判断し、オレは別の方法でゴローンを撃破することにした。 「レキ、避けろ!!」 タイミングを見計らって、レキに回避を指示する。 さっと横に飛び退いたところを、ゴローンが矢のような勢いで通り過ぎて行った。 背後から攻撃してやろうか……一瞬そう思ったけど、一度決めたことを易々と覆すつもりはない。 ゴローンはフィールドの端まで転がっていくと、大きく弧を描きながら方向転換して、再びレキに迫る。 転がっている間は目なんて見えるはずがないんだけど、どうやって相手のいる場所を察知してるんだろう? 不意に疑問が浮かんだけど、そんなの今に始まったことじゃないし、考えるだけ無駄。 ……ってワケで、そろそろ行きますか!! 「レキ、目の前に全力で水鉄砲!!」 「んっ?」 オレの出した指示に、アヤカさんの眉がかすかに動いた。 反応を示しながらも『転がる』指示を取り消さない。 徐々に上昇していくスピードと攻撃力をゼロにしてまで別の攻撃をしようとは思わなかったようだ。 まあ、それならそれで好都合。 レキはなんの疑いもなく、目の前の地面に水鉄砲を吹きかけた!! ジュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!! 水鉄砲を吹きかけた場所の地面が抉れて、ゴローンを入れてもなお余裕があるほど大きなクレーターが穿たれた。 うわ、予想してたよりもずっと大きいな。 そんだけレキの水鉄砲が強いってことなんだろう。これなら、直接ぶつければゴローンなどひとたまりもないだろう。 ――普通の状態でぶつければ。 残念ながら、今のゴローンは転がっていることで、強烈な水鉄砲を食らってもダメージらしいダメージにならない。 弱点を防ぎつつ攻撃を行うという意味では最善の方法だけど、守りを磐石にすることはできない。 ゴローンの通った痕――尾を引くような土煙が、少しずつだけど、確かに上がっていることを示していた。 「レキ、ちょっとだけ下がって!! 逃げなくていいからな!!」 「何をするつもりかは知らないけど、わたしのゴローンを侮らないでもらいたいわ」 「すぐに分かりますよ」 オレは軽口を叩いた。 レキがさっと飛び退いた。 ……と、そこへゴローンが突っ込んできて、レキが作り上げたクレーターにはまり込んだ!! 「んんっ!?」 アヤカさんの目が大きく見開かれた。 一体何が起こったんだ、と言わんばかりだけど、事態はすでに動いていた。 単にクレーターにはまり込んだだけじゃ、ゴローンの勢いを完全に削ぐことはできない。 だけど…… ぎぃっ!! 『転がる』勢いは凄まじいものがあったようで、クレーターから抜け出した途端、縁に弾かれて真上に跳び上がる!! 「なんと!!」 これは予想していなかったようで、アヤカさんが驚きの声をあげる。 それでも表情は笑ってた。 楽しいことしてくれるじゃない……口元に浮かべた笑みが物語っていた。 クレーターを作ったのは、ゴローンの勢いを削ぐためじゃない。その方向を変えるためのものだ。 「レキ、水鉄砲!!」 宙に投げ出され、ゴローンの『転がる』が解除された瞬間を見計らい、オレはレキに指示を出した。 レキが無防備なゴローンを見上げ、水鉄砲を発射!! 「避けられないわね、これは……」 アヤカさんが観念したように、小さくため息をついた。 どんっ!! 背後から強烈な水鉄砲を食らい、ゴローンが斜めに投げ出される。 そのまま地面にぶつかると、折りたたんでいた手足をだらりと広げて、動かなくなる。 よし、まずは一体…… オレは心の中でガッツポーズを取った。 「やれやれ……ゴローンで君の実力を軽く測っちゃおうかと思ってたんだけど、そうもいかなかったわね。わたしの認識不足だわ」 アヤカさんはちょっとガッカリしたように言うと、ゴローンをモンスターボールに戻した。 戦えなくなったゴローンに、小さく声をかける。何を言ったのかは分からないけど、労いの言葉だろう。 「やるじゃない。 さすがに海の向こうからやってきたトレーナーだけのことはあるわね」 口元を笑みの形にゆがめるアヤカさん。 楽しいバトルになってきた、とでも言いたげだ。 事実その通りだけど、自分の状態ってのを分かってるんだろうか? 妊婦さんだよ、妊婦さん。 下手に興奮したり動いたりしちゃ、流産の危険があるんだ。 深刻に思い詰めないだけマシなんだろうけど……自制すべきだろ。今さらって感じはするけど。 「でも、わたしが手加減するのはここまでよ。次からは本気で行かせてもらう」 今までのは本気じゃなかったんだ……言われなくても、態度を見ればそれくらいのことは分かる。 『本気』でオレを試していたらしい。 普通、ジムリーダーは挑戦者を試したりなんかしない。 真剣勝負なんだから、一発目から自慢のポケモンを使ってくるはずだ。 まるで、ゴローンを捨て石にしていたとしか思えない。 それだけ余裕があるってことなんだろうか……どっちにしたって、ジム戦で勝利を収める、ということに変わりはないけどな。 ゴローンのモンスターボールをズボンのポケットに入れ、代わりに別のボールを取り出した。 岩タイプのポケモン…… 次は一体どんなポケモンが飛び出すんだ? やはり、セオリーどおり、ホウエン地方に棲息するポケモンか……? オレはアヤカさんが手に取ったモンスターボールを注視した。 「それじゃ、行くわよ。ノズパス、カモーンっ!!」 アヤカさんは聞き慣れない名前を口にして、モンスターボールをフィールドに投げ入れる!! ノズパス……一体どんなポケモンなんだ? 円弧を描いてフィールドに着弾したボールが開いて、中からポケモンが飛び出した!! 「ノーズ……」 小さく声を上げるポケモン。 これがノズパス……? 初めて見るポケモンに、オレはすかさずポケモン図鑑を向けた。 ピピッ、と電子音。 画面にノズパスの姿が映し出される。 「ノズパス。コンパスポケモン。 身体から常に磁力を発しており、ノズパスの近くでは方位磁石がまったく役に立たなくなる。 また、普段は赤い鼻を北に向けており、それを目印にして旅をしていた時代もあったという」 なるほど…… 説明を聞いて、オレは納得した。 青と紫の間を取ったような色の身体からして岩タイプとは思えないんだけど、それ以上に、ややピンクに似た赤い鼻が気になった。 注意を引きつけるためかと思ったけど、やっぱりそうじゃなかったんだ。ある意味ノズパス自体がコンパスになってるってワケだ。 こういうポケモンがホウエン地方には棲息してるんだな。 やっぱ、カントー地方とは毛並みの違うポケモンがいっぱいいるらしい。なんだかとっても楽しみになった。 タイプは岩タイプで、特性は二種類が確認されている。 頑丈――タイプの相性に関係なく相手を一撃で戦闘不能にする技を無効にする特性。 磁力――身体から発せられる磁力で、鋼タイプのポケモンを逃がさない特性。 アヤカさんのノズパスが持ってるのはどっちの特性か。 まあ、どちらにしても、オレの手持ちのポケモンに影響を及ぼすものじゃないか。警戒するだけ仕方がない。 「それじゃ、次はこっちから行かせてもらうわね」 アヤカさんが口元の笑みを深めた。 「ノズパス、砂嵐よ」 彼女の指示に、ノズパスが身体を激しく回転させ始めた。 足元の砂が舞い上がり、巻き起こった風に乗って砂嵐になった!! 「いきなり砂嵐か……」 吹き付けてくる砂まじりの風に、オレは手で鼻と口を抑えた。 ずいぶんとマニアックな技を一発目に持ってくるとは思わなかった。 砂嵐で、オレとアヤカさんの間に砂の壁が生まれ、互いのフィールドが視界的に遮断される。 ノズパスの姿が見えない代わりに、アヤカさんの視界からもレキの姿が隠される。 さて……どう来るか。 視界を遮ってから相手がやってきそうなことと言えば、穴を掘って攻撃を仕掛けるとか、逆にそう思わせて能力アップを図るとか…… 穴を掘ったら掘ったで、対抗手段はあるから慌てない。 砂まじりの風がレキの身体を叩くけど、砂嵐による効果は、地面、岩、鋼タイプのポケモンにはダメージを与えない。 アヤカさんはそれを知っているはずだ。 ならば、やはり砂嵐は視界を遮るため『だけ』に発動させたか。 体勢を整えているか、あるいは姿をすでに二重に隠しているか。 どっちにしても、ここで攻撃を仕掛けるのみ!! 「レキ、今の君になら使えるはずだ、地震!!」 オレはレキに指示を下した。 進化で地面タイプを加えたことで、技のバリエーションが広がる。 オレの期待通り、レキは地震を繰り出した。 前脚を地面に激しく叩きつけた瞬間、激烈な振動が地面を駆け抜ける!! 「くっ……」 砂の壁の向こうから、アヤカさんの悲鳴が聞こえてくる。 ノズパスにダメージを与えられたかは分からないけど、アヤカさんの反応を見る限り、地震を使ってくるとは思ってなかったってところか。 能力をアップしていても、地面に潜っても……どっちにしても、地震を避わすことはできない。 その瞬間だけ飛び上がればダメージを受けずに済むけど……それをやったとも思えない。 だったら、アヤカさんのノズパスは何をしていた? 「…………」 能力のアップか? それとも…… ノズパスがやりそうなことを頭の中で思い浮かべていると、アヤカさんの指示が飛んだ!! 「捨て身タックルっ!!」 「……!?」 思いもよらない技の名前に、オレは驚きを隠せなかった。 捨て身タックル……だって!? 特性を見る限り、攻撃が命中すれば、ノズパス自身にも反動でダメージが及ぶ。 文字通りの捨て身の一撃だ。 でも、威力はかなり高く、大ダメージが期待できる。 砂の壁の向こうにいるレキの姿を捉えた、とでも言うのか……? ノズパスのスピードは大したことなさそうだし……冷静に対処すれば、なんとかなるか。 「レキ、落ち着いて待つんだ」 オレはレキに慌てないように指示した。 ノズパスの姿が見えてからでも十分に対応できる。 落ち着かなければならないのはレキじゃなく、オレ自身だと言い聞かせながら、ノズパスが砂の壁を突破してくる瞬間を待った。 ほどなく、ノズパスが砂の壁を突き破って、いかにも硬そうな頭を前に、頭突きするような形でレキに向かって飛んできた!! ……って、飛んでるし!! 核弾頭のごとく、ノズパスは赤い鼻を下にして飛んできたんだ。 でも、なんで飛んでるんだ!? ノズパスが自身の身体から放っている磁気と地磁気を反発させてるんだってことにも気づけないくらい、 オレは目の前の信じられない光景に驚くしかなかった。 捨て身タックルをまともに食らうわけにはいかない。 こうなったら…… 「レキ、マッドショット!!」 オレの指示に、レキは迅速に応えた。 口を大きく開き、泥の剛速球を放つ!! 一直線に飛んでくるノズパスは避けようともしない。 ばしゃっ!! そんな音がして、泥の剛速球がノズパスの頭に炸裂した!! でも、ノズパスの動きが止まらない!! ……ってまずい、避けられない!! 悟った次の瞬間、ノズパスの捨て身タックルがレキを盛大に吹っ飛ばしていた!! 「マクロっ!?」 強烈な一撃をまともに食らい、吹っ飛ぶレキ。 フィールドに乱立する岩の柱を何本も砕いて、そのまま壁に激突した!! ……身体が岩だけあって、攻撃力はとても高いか。その上捨て身タックルなんて使ってくるから。 「レキ、大丈夫か?」 壁に蜘蛛の巣のような亀裂を生じさせ、レキは地面に落ちた。 声をかけると、むくっと何事もなかったように起き上がる。 オレは正直ホッとした。 今の一撃はレキにとってかなり重いものじゃなかったかと思ったんだけど……思ったよりはダメージを受けてないみたいだ。 でも…… 「マクロぉぉぉっ……」 レキは恨みの声など上げながら、ノズパスを睨みつけていた。 な、なんかいつものレキじゃない…… 目尻を吊り上げて、あからさまな敵意すらにじませている。 なんかヤバイかもしんない…… 砂の壁が消え、オレとアヤカさんの間を隔てるものはなくなった。 「あらら……」 怒り心頭のレキを見やり、アヤカさんは肩をすくめた。 火に油を注いだとでも思っているのだろうか。 でも、だからって慌てる様子もない。むしろ楽しんでるような……趣味悪いよ。 「お、おいレキ。落ち着け、落ち着くんだ、いいか?」 「マクロぉぉっ!!」 オレはレキを宥めようとしたけど、まったく聞く耳を持たなかった。 怒りの咆哮を上げ、レキがマッドショットを連続で発射!! あまりの球速に、アヤカさんの表情が変わった。 「ノズパス、穴を掘って逃げなさい!!」 次々と放たれるマッドショット。 まともに食らったらひとたまりもないと判断したんだろう、アヤカさんは大慌てでノズパスに指示を出した。 ノズパスは穴を掘って逃げようとしたけど、到底間に合うはずがない。 プロ野球のピッチャーが投げるのとは比べ物にならないほどのスピードで虚空を進むマッドショットが、次々とノズパスにヒットする!! ノズパスの硬い身体に当たって、マッドショットがバラバラに砕け散る。 その散りようが、スピードの凄まじさを物語っていた。 「…………」 オレは何も言えなかった。 これがレキの実力なんだ、と思い知らされたような気がした。 『オレの知らないレキ』なんだと思った。 まさかダメージを食らうと怒り出すとは…… それだけ捨て身タックルで受けた痛みは大きかったんだろうけど、いくらなんでも普段とはギャップがありすぎる。 ノズパスは次々と命中するマッドショットの勢いに圧されて、じりじりと岩の身体を地面に擦りつけたまま後退する。 「…………やるわね」 アヤカさんが悔しさをにじませながらつぶやくのが聞こえた。 これほどの底力を秘めているとは思わなかった。それはオレだって同じだった。 無邪気なレキがこんな風になっちゃうなんて、夢にも思ってなかったんだから!! ――レキはピンチになると攻撃的になる性格だったんだ。その性格が鍵を握るというバトルで、オレはその事実を知った。 レキは容赦なくマッドショットを放ち続ける!! もう何十発、ノズパスの身体に突き刺さっただろう。 レキの背中から立ち昇る怒りのオーラに、オレは声をかけることもできなかった。 声をかけた途端、くるりと振り向いてくるんじゃないか。 マッドショットを放ったままで…… ……正直に言おう。 オレが、自分のポケモンに対して『怖い』と思ったのは、これが初めてだった。 ラッシーもルースも、並々ならぬ底力を持ってる。 でも、ここまでの迫力をにじませることはない。 むしろ、レキの迫力がラッシーすら上回るほどのものだったんだ。 「ノズ……パァッ」 ついにノズパスが倒れた。 容赦ない攻撃に反撃することもままならず、無念の戦闘不能だ。 だけど、レキの怒りは収まらない。 倒れたノズパスに向かって、マッドショットを放つ!! ……まずい!! いくらなんでもこれ以上は許すわけにはいかない。 オレはレキに恨まれることを承知でモンスターボールに戻そうと腰に手をかけた。 「レキ、戻――」 オレの言葉が終わらないうちに、アヤカさんがノズパスをモンスターボールに戻した。 ノズパスが倒れていた地点に、マッドショットの集中砲火!! 普通のポケモンがこんなの食らったら、戦闘不能は免れないだろう。 それくらいの威力と数が合わさった、文字通りの暴力。 「…………」 レキは尾を引く捕獲光線を目でたどり、アヤカさんを見やった。 オレには背中を向けているけど、分かるんだ。 レキはまだ怒りを収めてない。 アヤカさんの強張った表情が、レキの怒りのほどを物語る。 「ずいぶんと攻撃的なヌマクローね。 でも、その怒り、わたしのポケモンで散らしてあげましょう」 次のポケモンが入ったモンスターボールに持ち変える。 最後のポケモン…… でも、なんで何も言わないんだ? ノズパスが手ひどくやられたっていうのに……レキのこと、恐れてるんだろうか? いや…… アヤカさんの瞳に、レキに対する恐怖はなかった。 この快進撃はここで終わり……最後のポケモンでレキを倒すという決意の色があった。 今まで戦ってきたジムリーダーの半分くらいは、レキの暴挙を咎める言葉の一つや二つは口にするだろう。 だけど、アヤカさんは何も言わず、その言葉の代わりにレキを倒すという行動を起こそうとしている。 「君にとっては最後の砦……わたしにとっては最高の信頼を置くパートナー。 ここまで引きずり出してくれたトレーナーは久しぶりよ」 アヤカさんはニコッと微笑んだ。 最後のポケモンに信頼を置いていることが分かる。 そして、そのポケモンでこれからオレの三体をごぼう抜きすることを楽しみにしていることも。 うーん…… なんか、ある意味すごいジムリーダー代行かも。 ジムリーダーの資格を持ってるってことは、もしかしたら元ジムリーダーかもしれないけど。 アヤカさんはわざとらしく一礼すると、手にしたモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 「行くわよ、ボスゴドラ!!」 ボスゴドラ…… 聞いたことのない名前だ。 モンスターボールはバウンドする直前に口を開き、中から最後のポケモンが飛び出してきた!! 「ゴドラァァァッ!!」 飛び出すなり、ボスゴドラは獰猛な声を響かせた。 これがボスゴドラ……子供向けのマンガとかでよく見る怪獣のようなポケモンだ。 もちろん初めて見るポケモンだったんで、図鑑を向ける。 「ボスゴドラ。てつヨロイポケモン。コドラの進化形で、ココドラの最終進化形。 頭の角は年齢を重ねるごとに長くなる。鎧についた傷はボスゴドラにとって勲章のようなもの。 縄張りに入ってきた相手は、誰であろうと容赦なく叩きのめす」 図鑑の説明は、ボスゴドラの見た目と雰囲気に見事にマッチしていた。 オレよりもアヤカさんよりも背が高く、身長は優に二メートルを超えていた。 金属のように黒光りする鎧を全身にまとっている。 頭部と脚の関節部分は白くなっているけど、そこは特別な位置なんだろう。 額には図鑑の説明にもあった通り、鋭い角が二本生えていた。 立派な体格と鋭い眼差しが、対峙する者を威圧する……これがアヤカさんの切り札か。 レキの怒りの視線を受けても、まったく意に介さない。 タイプは鋼と岩……攻撃力、防御力とも優れていると見て間違いない。 格闘、地面タイプにはめっぽう弱いだろうけど、見た目どおりの防御力だとしたら。 中途半端な攻撃力で弱点を突いたところで、大ダメージを与えることはできないだろう。 まさに『最後の砦』と呼ぶに相応しい相手だ。 ボスゴドラを見つめるレキの肩がかすかに動いた。相手に威圧されたというわけではないらしい。 むしろ、戦うべき相手を見つけて、喜んでいるような……いや、まさか…… 「マクロぉっ!!」 裂帛の気合と共に、またしてもマッドショットを連射!! 泥の剛速球が虚空で入り乱れながら、ボスゴドラに向かって突き進む。 いくら防御力が高くても、あんなにたくさんまともに食らったらひとたまりもない。 でも、アヤカさんは絶対の自信を持っている。何らかの方法で防いでくるはずだ。 「その攻撃力、なかなかのものだわ。でも、ボスゴドラの防御は鉄壁!!」 ボスゴドラが身を縮めた。 「鉄壁……!!」 その仕草が意味する技を、オレは知っている。 鉄壁という技で、文字通り物理攻撃に対する防御力を上昇させるんだ。 マッドショットは物理攻撃。 防御力が上がれば、受けるダメージは減らせる。 攻撃の手数が多ければ多いほど、その効果は大きくなる。 身を縮めたボスゴドラに、マッドショットが次々と命中する!! でも、ボスゴドラは一ミリも動かずに、すべての攻撃を受けきった。 数百キロはあるであろうその体格は、多少の攻撃じゃビクともしなかったんだ。 「ゴドラぁ……」 ボスゴドラが縮めた身体を元に戻す。 その顔には余裕の笑み。 まさか、あれだけの攻撃を受けてもまったくダメージを受けていなかったっていうのか……!? これにはさすがのレキもビビった。 「ま、マクロっ!?」 怒りは一瞬にして冷め切って、代わりに残ったのは言い知れない動揺。 すっかりトーンダウンしたレキを指差し、アヤカさんが指示を出す。 「ボスゴドラ、ソーラービーム!!」 「なっ……!?」 驚くオレを尻目に、ボスゴドラが口を開いて、ソーラービームを発射!! ソーラービームだって!? ボスゴドラが撃ち出したのは、紛れもなくソーラービームだ。 マッドショットを鉄壁で受けている間に、光を吸収していたとでもいうのか……!? そうでもなきゃ、このタイミングで発射してきたりはしないだろう。 防御している間に、攻撃の布石を打つなんて……そこらのジムリーダーじゃとてもできない芸当だ!! この人、妊婦さんだけどただの妊婦さんじゃない!! 「レキ、避けろ!!」 オレはレキに回避を指示した。 威力的にはそれほど恐ろしいものじゃない。 ラッシーと比べたらそれこそ天と地ほどの差はあるけど、水と地面タイプを併せ持つレキにとってはかなり辛い。 捨て身タックルで大ダメージを受けている上に、草タイプの技は最悪の弱点だから。 レキは動かない。 ボスゴドラに怖気付いたのか……!? でも、避けてもらわないと困る!! 「レキ、逃げるんだ!!」 声を張り上げて指示したけど、レキはまったく動いてくれなかった。 ソーラービームはレキに突き刺さり、爆発を起こした!! 強烈な一撃をまともに食らい、レキが地面に何度も何度も叩きつけられる!! 「くっ……戻れ、レキ!!」 オレは迷わずレキをモンスターボールに戻した。 ソーラービームが突き刺さった場所にはちょっとしたクレーターができていた。 ラッシーのソーラービームと比べたら確かに威力は劣るけど、威力的にはなかなかのものだ。 弱点の地面・水タイプのポケモンを返り討ちにするために覚えさせたにしては、ずいぶんと熟練している感じを受ける。 「…………」 オレはレキのボールをじっと見つめた。 下手にダメージを受けさせると、怒ってしまうんだな……そんなことになるなんて、今まで全然分からなかった。 バトルさせてなかったから、なおさら分かるはずもないんだけど。 今度からは気をつけなきゃいけないな。 怒ったレキの攻撃力は凄まじいけど、あんなことをさせていいはずがない。 レキはまったく気にしていないかもしれないけど、ああいう行動が身体にも心にもいいはずがないんだ。 この戦いが終わったら、レキとじっくりと話をしてみよう。 レキの仕草や表情を見れば、怒らないようにする方法も、見つかるかもしれない。 「今はゆっくり休んでてくれよ」 オレはレキに労いの言葉をかけ、ボールを腰に戻した。 アヤカさん側のフィールドには、何事もなかったようにたたずむボスゴドラ。 レキが戦闘不能になったとはいえ、数の上ではこちらの方が有利。残り二体を相性の有利なポケモンで固めて、パワーでごり押ししていけばいい。 よし。 見た目も硬そうなボスゴドラを一気に倒すには…… オレはレキのボールと、次に出すポケモンのボールを持ち替えた。 後編へと続く……