ホウエン編Vol.08 理性と本能の狭間 夜も更けて、窓の外には瞬く星たちに囲まれて、月が昇ってきた。 オレはポケモンセンターの一室で、先ほどゲットしたばかりのストーンバッジを手のひらに載せて、じっと見つめていた。 三角形の岩を二つ重ねたような形のバッジは、月明かりを反射してキラリと光を放っている。 ダイゴさんといろいろと話をした後、オレたちはアヤカさんの病室に戻った。 そこで、ストーンバッジをゲットしたんだ。 ジムでバッジをゲットする前に、アヤカさんが陣痛を迎えて、それどころじゃなくなったからさ。 まあ、結果が同じだったんだから、細かいところは気にしないでおこう。 でも……やっぱり気になることがある。 「レキ……」 オレは机の上に並べたモンスターボールを手に取った。 気になるのはレキのことだ。 いつもは無邪気でみんなの雰囲気を柔らかくしてくれてるけど、 カナズミジムでのジム戦で見せた表情は、それを根底から覆すと言ってもいいようなものだった。 オレの言うことをまったく聞かずに、完全な『フルパワー』で攻撃しまくったんだ。 二番手のノズパスは倒せたものの、アヤカさんが最後に出してきたボスゴドラのソーラービームをまともに食らって撃沈。 モンスターボールに戻してからは、今の今まで外に出してない。興奮が収まったのかどうかすら分からない。 ジョーイさんに回復してもらったけど、心理的な状態までは、あの機械じゃ測れない。 つまるところ、実際に出してみて、オレ自身の目でちゃんと見るしかないってことだ。 「あれが本当のレキの姿……じゃないよな」 レキはウソをつけるようなタイプじゃない。 むしろ、バトルで興奮して、あんな一面が出てきてしまっただけ。 普段のレキは穏やかで無邪気でみんなのムードメーカー第二号って感じだよ。 さすがにリッピーには及ばないけど、場の雰囲気を和ます能力には長けていると言っていい。 「…………」 レキは今何を思っているのか? 答えを知るには、実際に話してみるしかない。 もしも興奮が収まってなくて、手当たりしだいに八つ当たりをするようなら、その時はその時で何とかするしかない。 バトルで見せた凄まじい怒りように、思わず背筋が震える。 ……大丈夫。大丈夫だ。 オレはバッジをポケットにしまい込み、その手を胸に当てて深呼吸。 気持ちを落ち着けたところで、レキのボールを軽く頭上に放り投げる。 「レキ、出ておいで」 優しく呼びかけると、ボールはゆっくりと口を開き、中からレキが飛び出してきた。 「マクロっ……」 飛び出してきたレキは、やはりと言うべきか、元気がなかった。 いつもなら屈託のない笑みを浮かべながら、楽しそうに騒ぐはずだけど……バトルで受けたダメージは回復したはずだ。 身体的には何ら異常はない。 ……ってことは、気持ちの方か。 「レキ、いつもの元気はどうしたんだ?」 問いかけてみるけど、レキは疲れたような表情を窓の外に向けるだけで、何も答えてはくれなかった。 「…………」 「やっぱり、バトルで何をしたのか覚えてるんだな?」 「…………」 オレの言葉に、レキは躊躇いながらも、小さく頷いた。 覚えてたんだ。 バトルで、自分が何をしたのか。 どんな気持ちになったのか……も。 覚えてなかったら、いつもの笑顔を振り撒いて、オレの気持ちを明るくさせてくれるはずだ。 「…………君が悪いわけじゃないさ。落ち込むなよ」 オレはレキの頭をそっと撫でた。 同じように窓の外に目を向ける。 月の周囲で、星が瞬いているのが見えた。 一瞬、流れ星のようなものが見えたけど、祈る間もなく夜空に溶けて消えた。 「マクロっ……」 ノズパスが倒れてからも、攻撃を止めなかった。 アヤカさんが戻していなければ、もっとひどい状態になっていただろう。 運の悪いことに、それをちゃんと覚えてしまってるんだな。 今まで、ボールの中でやりきれない気持ちに沈んでいたんだろう。 「レキだって、あんな風になったことはないんだろ。だから、こうやって戸惑ってるんだ」 頷くレキ。 今まではオダマキ博士の研究所で、バトルとは無縁の生活を送ってきたんだ。 それがオレと旅をするようになってから、ゴルバットとのバトルを経て、カナズミジムのジム戦に臨んだ。 一気に戦いの矢面に立つハメになったから、レキとしても気持ちの整理がついてなかったんだろう。 そこんトコは、オレの認識不足だったと割り切るしかない。 少なくとも、レキには悪いところはないんだから。 敢えて言うなら、自分のしたことで悩んで引きずってるってところか。 親父さんの記憶がないと知って一人で抱え込んでたアカツキに似てる。 「でも、もう悩まなくていいよ」 オレはレキの手を取って、そのまま胸元に引き寄せた。 背中に手を回し、軽く撫でるように叩く。 「これからは、そうならないようにしていけばいいんだからさ」 「マクロぉっ……」 「辛かったんだよな、レキも」 レキの身体が小さく震える。 泣いてるんだろうか……胸に冷たい感触を覚えた。 レキはオレたちに迷惑をかけないようにって、そう思ってるのかもしれない。 でも、オレたちは迷惑だなんて思っちゃいない。 当たり前だろ、同じカマのメシを食う仲間なんだからさ。 むしろ、そうやってひとりで抱え込まれてる方が迷惑って言えば迷惑だよな。 「レキは、自分で自分を抑えきれなくなってただけさ。悪いわけじゃない。 気にするなって言っても、すぐに忘れるのは無理だろうけど、少しずつ慣れていけばいい」 レキは何かに怯えているように見えた。 進化で身体が大きくなったのに、今のレキはミズゴロウの時よりも小さく、縮こまって見えたんだ。 何に怯えてるのかな……? ああやって、暴走しちゃったことなんだろうか? その結果としてオレたちに迷惑をかけてしまったっていうことなんだろうか? 「…………」 どっちにしても、ここでちゃんと歯止めとしてカウンセリングを行っておかないと、後々面倒なことになりかねない。 もし、今後レキがさっきみたいに暴走しちゃったら…… いや、そんなことは絶対にさせない。 なんて言ったらいいのか、上手い言葉が思いつかなくて、オレは場の雰囲気をつなぎとめるために、今頭の中にある言葉を口にした。 「心当たりなんて、あるはずないよな。 でも、ゴルバットと戦った時は、ちゃんと冷静に戦ってたもんな」 そうなんだ。 ゴルバットと戦った時は、最後までオレの言うことを聞いてくれてた。 なのに、ノズパスの捨て身タックルを食らった途端に、あんなことになってしまった。 結果論で言えば、相手を倒せたんだから文句はないんだけど、それでレキが心を痛めたんだから、プロセスとしては失敗だった。 二度目のバトルで、場慣れしてなかったことが原因なんだろうか。 とっさのことに対応できず、冷静さを欠いてしまったとか? それにしては、攻撃的に変わるのは何かおかしい。 自分の身を守るのなら、逃げるのが一番だ。あの時のレキは臆するどころか、相手を倒すことしか考えていないように見えた。 負けず嫌いだったからだろうか? なんか、それも納得いかない。 独りよがりだと思うけど、それで片付けたくないんだよ。 「……本能なんだろうか」 オレは思いついた可能性を口にした。 自分でもなんでそんな言葉が思い浮かんだのか、分からないんだけど……それが一番的を射ているような気がした。 「そうだ、あれは本能だ……」 レキは本能で相手を倒すと認識して、それを実行したに過ぎなかったんじゃないか。 専門家じゃないから、それが正解かどうかは分からない。 でも、それがオレにとって一番納得できるものだった。 レキは攻撃的になったとしても、理性である程度は抑え込んでしまうだろう。 それができなくなるくらいに理性がかき乱されて、行動を決定づけるものが本能に摩り替わってしまったのかもしれない。 オレの勝手な推測だけど、大きくは間違ってないんじゃないかって思うんだ。 ちゃんと覚えてるってことは、どこかで理性が働いてたってことなんだろうけど、 それでもノズパスを倒したあのパワーはハンパじゃなかった。 人間もポケモンも、ある程度以上の力が出せないように、理性が身体に枷をはめるものなんだ。 『無理に力を出しすぎると、身体を壊してしまうものなんだ』 親父がいつかそんなことを言ってたっけ。 そう、そんな状態だったのに、レキはそれをちゃんと覚えてた。 本能に身を任せながらも、理性はちゃんと働いてた。理性が本能に追いつけなかった。 ……あー、普通に考えても一番始末に負えない。 自覚してるんだから、悩んで当然だ。 いっそ忘れていたら、オレも何も言い出すことはなかったんだけど。 目の前の現実から目をそらしていても、何も変わらない。 レキは、無理に力を出しすぎはしなかったけど、普段からは考えられないくらいの力を発揮していた。 上手に使えれば頼りになるけれど、さすがにそれは無理だろう。 どうしたらレキをいつものレキに戻せるのか……オレはレキの背中を撫でながら、じっと考えをめぐらせた。 さっきみたいな状態にならないようにするにはどうすればいいのか…… オレのトレーナーとしての実力を試すためにどっかの誰かが与えた試練のように思えた。 レキにとっては、さっきのような暴走……本能による行動が苦痛なんだろう。 ちゃんとした理性を持ってるから、理性で抑えきれない衝動に刈られた時にビックリして暴走しちゃうんだろう。 オレ自身がそれを体験したことがないから、レキの心の奥底までを理解することはできないけれど…… 「……だめだ、分かんない……」 いくら考え抜いても分からなかった。 でも、だからって投げ出すつもりはない。 レキを助けたいって思う気持ちは、槍のように最後まで貫き通したいって思うんだ。 今のオレじゃ分からないことがあるのなら、誰かに相談するしかない。 一人で延々と考えたって、答えは出てこない。それだけは間違いなさそうだった。 「みんな、出てきてくれ」 オレはモンスターボールをつかんで、軽く放り投げた。 次々とみんなが飛び出してくる。 ラッシー、リッピー、ルース、リーベル、そして仲間に加わったばかりのダンバル――ロータスを含めた五体が、オレたちの周りに集まった。 ルーシーは、ロータスが加わったことでじいちゃんの研究所に送った。 何も言わなくても、レキが落ち込んでることを知ってるんだ。 みんな真剣な面持ちを、落ち込むレキに向けている。 何か力になりたい……そんな気持ちをひしひしと感じられる。 とても暖かくて、力強い想い。 「なあ、みんな」 オレはみんなの顔を見回して、言った。 「少しの間だけでいい。レキの傍にいてやってくれないか。 オレはちょっとやることができて……少し、席を外さなきゃいけないんだ。 長くはかからないけど、その間だけでいい。レキを励ましてやってくれないか?」 自分勝手なこと言ってるなぁ……って自分で分かってるんだ。 みんなに任せて、一人だけ別の場所に行くんだから。 でも、そうでもしなきゃ、オレがレキを励ましてやることができない。 悔しいけど、オレの力不足だ。 解決するためなら、誰かの力を借りなきゃいけない。 自分の非力を認めずに、他人の助けを求めることをカッコ悪いって思ったら、そこまでだ。 どんな手段を使ってもやらなきゃいけないことがある。 みんなは顔を見合わせた。 ――どうする? そんな風に相談してるように見えた。 でも、みんなの視線がラッシーに集まる。ラッシーの意見がみんなの総意……ラッシーに従おうという気持ちの表れだろう。 「バーナーっ……」 ラッシーが小さく頷く。 任せておけ、と言わんばかりの自信を見せ付ける表情に、オレは安心してレキを任せられると思った。 「じゃあ、頼む……オレ、行ってくるから」 オレは立ち上がり、みんなにレキを託して部屋を飛び出した。 明かりの灯る廊下をひとり、一階のロビーに向かってゆっくりと歩く。 「…………」 はぁ。 誰も見ていない場所ってことで、思わずため息が漏れた。 こんなトコ、みんなに見られたら愛想尽かされかねないかも。 トレーナーはちょっとくらい弱音を吐きたい状態でも、みんなの前じゃなるべく強がってなきゃいけない。 虚勢でも、自分は大丈夫なんだってこと、見せなきゃいけない。 時には弱いところを見せてもいいけど、毎日それじゃあみんなが「頼りない」って三行半を突きつけてくるだろう。 ビミョーに難しいところだけど、少なくとも今は弱音を吐いてる場合じゃない。 「レキ……待ってろよ。絶対、君を元のレキに戻してみせるからな」 オレはグッと拳を握りしめた。 エレベーターで一階まで降りて、賑わうロビーの脇にあるテレビ電話と向かい合う。 受話器を取って、画面の傍にあるテンキーで電話番号を入力する。 画面に、入力した電話番号が表示され、そこから数秒何もしないと、すぐに電話がかかる。 お決まりの呼び出し音が何度か鳴ったところで、電話がつながった。 画面が変わり、相手の姿が映し出される。 「親父……」 「アカツキか。久しぶりだな。元気そうで何よりだ」 画面の向こうにいたのは親父だった。 何か楽しいことでもあったのか、ニコニコしてる。 少し前まではこんな親父の顔は想像すらできなかったけど……今も、こんなウキウキした顔はさすがに想定外ってところだろうか。 でも、オレがかけたのはじいちゃんの研究所だ。 ポケモンのことを相談するんだったらじいちゃんが一番だと思ったんだ。 間違っても、親父に相談するのが嫌だ、って思ってたわけじゃない。 まさか親父が出てくるとは思わなかったけど。 「この顔で元気そうだって思えるのはまずいだろ」 オレはじいちゃん以外の人が出た動揺を隠すべく、親父に言葉をかけた。 だけどオレ自身、自分が元気そうな顔をしてるとは思ってない。 塞ぎ込んでるような複雑な表情じゃなければ、落ち込んでるような表情でもないと思ってる。 良くも悪くも平坦な顔だって。 これはもしかしたら新手の嫌がらせか、と思うほど、親父はニコニコしてるんだ。 あー、考えるだけ嫌になるな……さっさと本題に入ろう。 「親父、じいちゃんはいないのか?」 「いや……俺の家にいるが」 「は?」 じいちゃんを出してもらおうとしたけど、あっさりといないと言われ、拍子抜けした。 なんでじいちゃんがオレの家に行ってるんだか…… 不思議に思っていると、 「俺の研究資料を見たいと言ってな。代わりに研究所にいるように言われた」 「あ、そう……」 入れ違いか。 だからといって、手ぶらでみんなのところに戻る気は起こらない。 当たり前だろ、大口叩いて出てっといて無収穫じゃ、はっきり言ってダサいことこの上ない。 あまりに惨めだ。 この際、背に腹は変えられない。 親父に相談してみるのもいいだろう。 思い切って、オレは切り出した。 「じゃあ親父でいい。相談したいことがあるんだけど……」 「うん? 何か引っかかる言い方だが、まあいいだろう。話してみろ」 親父の眉がピクリと動いた。 引っかかる言い方って……そりゃさっきの嫌がらせのお返しだ。 軽いジョークのつもりで受け取ってもらえると最高だな。 ま、それは置いといて…… 「親父はポケモンがバトルの途中で言うことを聞かなくなったっていう経験はある?」 「何度かあるが……それがどうした」 「オレのポケモン、今日ジム戦やったんだけど、途中から言うこと聞かなくなってさ」 「それはトレーナーのレベル不足とか……そういう次元の話じゃないんだな?」 「あのなあ、サトシのリザードンと一緒にするなよ」 「ふふ……」 親父が目を細める。 楽しんでないか、この状況を? オレにとっては全然笑えないのにさ……結構深刻に捉えてるのにさ。 オレがむすっとしていることに気づいてか、すぐに咳払いして、雰囲気を戻す。 だいたい、トレーナーのレベル不足が原因で言うことを聞かなくなるんだったら、それはバトルに限った話じゃない。 普段だって好き勝手に振る舞うだろ。 サトシのリザードンも、リザードから進化した時は言うことを聞かずに難儀したそうだ。 今回のケースとは明らかに違う。 「バトルの途中で、と言ったか?」 「うん」 オレは頷いた。 ノズパスの捨て身タックルを食らうまでは、レキはちゃんとオレの言うことを聞いてくれてた。 原因は捨て身タックルか……いや、それによるダメージと見て間違いない。 オレはレキの状況を可能な限り詳細に、親父に伝えた。 親父の眉間にシワが浮かぶ。 ようやっと重い腰を上げたって感じがしたけど、そこを指摘してもしょうがない。 「それは、ピンチになった時に性格が変わるということだろう」 「……本人はそれを覚えてて、結構深刻に受け止めてる」 「最初の方はそうだ。俺のリザードンもそうだった」 「親父のリザードンも……?」 「ああ」 親父も経験者か。 だったら、じいちゃんに聞くよりもいい答えがもらえるかもしれない。 オレは期待に胸を膨らませた。 そんなオレの様子に気づいて、親父が釘を刺してきた。 「俺の体験談は話してやるが、そこから先はおまえ自身が考えて答えを見つけるんだぞ。 今の話の流れからすると、同じやり方ではとても解決できん」 こういうところはちゃっかりしてやがる。 でも、確かにその通りだ。 十人十色――それぞれのポケモンによってケアの方法は違う。 親父の方法をそのまま使ったって、レキに通じない可能性の方がよっぽど高いのは分かってるからな。 「分かった」 思いもかけない宿題を投げかけられたけど、解決しなきゃいけないのはオレ自身だ。こればかりは仕方ない。 「ピンチになると性格が変わるポケモンは、正直言うとかなり珍しい」 「え?」 「理性の代わりに本能が前面に押し出され、パワーアップする。おまえのポケモンも、そういう感じだったようだな」 「ああ……」 「実際、そういうポケモンを使ったバトルが存在する。ウォッチングバトル、という形式のバトルだ」 「それとこれとどういう関係が?」 「まあ焦るな。話は最後まで聞け。質問は後で一括して受け付ける」 思いきりずれ始めた論点を修正しようと疑問を呈したけど、親父はあっさり疑問を吹っ飛ばしてみせた。 まるで、どっかの大学の講師のような口調だけど…… 今のオレにとっては、大切なことを教えてくれようとしてる先生みたいなもんだ。大差ない。 「ポケモンとの絆を試されるバトルで、ポケモンに対する指示は一切禁止。 ポケモン自身の考えに従って戦ってもらうんだが、そのバトルでは、ピンチに陥ると性格が変わるポケモンが活躍する」 「……ふーん」 「だが、おまえのポケモンや俺のリザードンが直面した事態は、少なくとも俺の知る限り異常なものじゃない。 ただ、ポケモンの本能が少し表に出ただけだ。 それに戸惑っているのは、人間と共に暮らしているからだ。 人間と暮らしているような状態だと、本能を剥き出しにしなければ乗り越えられないような危機に直面することがない」 「そういうことか……」 理性というリミッターで本能を抑えてたのは、人間と暮らしているからだ。 野性のパワーを抑えとかないと、ポケモンよりはるかに弱い人間とは一緒に暮らしていけない。 持ち前のパワーを存分に発揮されたら、人間なんかひとたまりもない。 そういえば、今まで経験してきたバトルでも、ポケモンの『本能』を感じることはなかった。 トレーナーの指示に従って戦うポケモンたちも、『指示に従う』という『理性』を前面に押し出していた。 本当の意味で『本能』が表に出たのが、あのジム戦…… オレの考えを余所に、親父は続ける。 「ポケモンバトルは理性という枷が填められている状態だからな。 本能を無理に封じていた理性を取り払わないと勝てない、と思ったんだろう。 そのポケモンに自覚はないだろうが、無意識のうちに理性を取り払ったと考えるべきだ」 無意識に理性を取り払ったのか…… 本人は自分が何をしたのか、ちゃんと覚えている。 ……ってことは、理性を取り払った瞬間だけ、記憶が飛んでたってことなんだろうか? 自分の意識で理性を取り払ったんだったら、あんなに塞ぎ込んだりはしないだろう。 自分でもどうしてそうなったか分からないから、ああやって悩んでるんだ。 「本人がそれをちゃんと覚えているということは、言い換えれば中途半端な形で本能が表に出たに過ぎない。 完全な形で本能が表に出ていたら、ポケモンバトル程度の次元では済まなくなるからな。 まだ、その方がマシだ」 「いや、あんまりマシじゃないって。 レキ、すっごく落ち込んでた……もう一度同じことがあったら、今度はどうなるか分かんない。オレにも……」 親父は『本能』が中途半端に表に出たから、完全な形で出るよりは被害が小さく済む、という意味でマシと言ったつもりなんだろう。 でも、オレたち当事者にとってみれば、どっちもどっちだ。マシなんて言葉は使えない。 「…………」 でも、なんか親父の言葉が妙に引っかかる。 何を伝えようとしてるんだ……? 「ポケモンの本能は野生動物のそれとは比べ物にならない。 もしすべてのポケモンの本能が解き放たれたら……一ヶ月と待たずにこの星くらいは壊せるだろうな」 「げ……マジかよ……」 「あくまで推測だが」 「…………」 親父の言ってることは、決して誇張じゃないんだろう。 それくらいはオレにだって分かる。 強く育てられたポケモンが放つ破壊光線は、普通の民家を跡形もなく吹っ飛ばすだけの威力がある。 だけど、それは『理性』で抑えられている状態の威力だ。 もしその『理性』が取り払われたら……『本能』に任せるまま放ったものなら、一体どれほどの破壊力を発揮するのか。 下手をすれば天変地異に匹敵するポケモンの力。 親父の言ってることは、ウソでもなければ想像でもない。 それだけの力はある、という前提に置き換えられた理論と言ってもいいだろう。 「話が逸れたな。 だが、その力を自分の望むままに振るうことができたならどうだ……? おまえのパーティの戦力は一気に上昇する」 オレは思わず息を飲んだ。 『本能』の力を発揮する――『理性』をくっつけたままでそれが可能だなんて言うのか? にわかには信じられなかったけど、 「……そんな方法、あるのか?」 「なければ言わない」 「あ、そう……そりゃそうだな」 もっともな答えが返ってきた。 そりゃ、方法がなければいちいち持ち出してきたりはしないだろう。 当たり前な言葉を返されただけなのに驚くなんて、オレも結構焦っちまってるってことなんだろうか…… まあ、それはそれとして、一体どういう方法なんだ? 期待と不安を抑えつつ、親父の言葉を待つ。 親父はじっと、オレの目を見据えている。表情がかすかに固くなる。 「俺はそのポケモンに『それもおまえの強さだ』と言った」 「……それもおまえの強さ?」 「ああ。そこから先はおまえ自身が考えて、おまえのポケモンに伝えてやれ。 これでいいかは分からんが、俺が言ってやれることはそれくらいだな」 「…………」 親父はあくまでも『タイトル』をつけたつもりだろう。 あまりにアバウトなその一言で立ち直れるポケモンなんて、そうはいない。 いや、親父のポケモンならないとは言えないけど、少なくともレキには、その一言だけじゃ足りない。 でも、一体どんな言葉を足してやればいいのか…… それは親父の言うとおり、オレ自身が考えたもの(オリジナル)じゃなきゃいけないんだろう。 親父のポケモンとレキは違う……たぶん、姿形だけじゃなくて、物事の考え方も。 ……レキは自分のしたことを覚えてる。 『理性』を取り払い『本能』でバトルに臨んで、ノズパスをあっという間に倒してしまったこと。 その有り余るパワーを。 自分じゃなくなったような感覚も。 「……アカツキ」 「ん……?」 親父に声をかけられて、オレはハッと我に返った。 なにやら深く考え込んでしまっていたらしい。 知らない間に額に汗をかいていた。暑くはないんだけど…… 「少し見ない間に、大きくなったな」 「え……」 親父の顔に笑みが浮かぶ。 何を言われているのか、一瞬よく分からなかった。 「あれからまだ二週間しか経っていないが、今のおまえは『俺の知っているおまえ』よりも明らかに大きくなっている。それがうれしくてな」 「……そっか」 二週間ぶりに画面越しに再会した息子の成長ぶりに、仏頂面でも感動してるってことか。 まあ、そう言われると、こっちとしても悪い気はしない。 画面越しに見る親父は、二週間前と全然変わっちゃいないんだけどさ。 オレだって、自分じゃカントーを旅立ってからの二週間、大きく成長したとは思ってない。 まったく成長してないとも思ってないけど、劇的な成長とは言えないかな。 「おまえが抱えている悩みは、おまえが成長したという何よりの証だ。 心に引っかかる何かを『悩み』として認識できるようになった時点で、認識する前よりも明らかに成長しているんだ」 「そういうもんなのか? 親父なりの哲学か何か?」 「まあな」 悩みが成長の証ねぇ。 なんかイマイチ釈然としないけど、悩むってことは、その物事に対して深く考え込んでるってこと。 だから、その悩みを見つける前とは別の視点で物事を見つめられるようになったってことか。 あー、なんか頭がこんがらがってくるなあ…… 一応、そういうことにしといてやるか。 「親父、あとはオレが何とかする。心配はしなくていいよ」 「ああ。心配するほど、おまえはヤワじゃないだろう?」 「それ、誉めてるつもりなのか?」 オレがすかさずツッコミを入れると、親父は小さく笑った。 「質問に質問で返すのは感心しないな。まあ、さすがに俺の息子、って感じがしただけだ」 「ヲイ……」 「それより……」 ジト目になるオレには構わず、親父は笑みをたたえたまま、口を開いた。 「ホウエン地方での冒険はどうだ? 温暖で、自然の豊かな地方だろう」 「ああ。旅してて楽しくなる地方だな。オレの知らないポケモンがたくさんいてさ……もう三体もゲットしたんだ」 「道理で、おまえからポケモンが送られてきたと、ケンジがはしゃぐわけだ」 親父はまるで自分のことのように、相槌を打ちながら、話を聞いてくれた。 今までの親父とはまるで違った反応だけど、それも息子のことをよく知りたいという気持ちの表れなんだろう。 仲直りはしたけど、親父は親父なりにまだ後悔していたのかもしれない。 でも、オレからは何も言わない。 オレなりに、もう仲直りしたつもりだし……これ以上は引きずりたくない。 「ホウエンリーグに出ようと思ってるんだ」 「カントーリーグにも出るんだろう?」 「ああ。でも、上陸初日にライバルができちゃってさ……そいつと約束したんだ。 勝負したんだけど、引き分けに終わっちまってな。 白黒ハッキリつけないままバイバイ、じゃ気味悪いからさ」 「おまえらしいな。 だが、ライバルは多ければ多いほど心の支えになるものだ」 「親父にはライバルって呼べる人はいるのか? カリンさん以外で」 「もちろんだ。今でもたまに会っては勝負しているな。 勝つのは俺だが、勝負の後には酒を酌み交わして、勝敗は水に流す」 「大人のやり方だな、それ……」 オレは言い終え、アカツキと拳の応酬をした時のことを思い返した。 大人になったら、そうやって酒を酌み交わして、昔の思い出とかを笑いながら語れるようになるんだろうか? そうだったら、なんかそういうのも悪くないかも。 妙に憧れちゃうよ。 なにせ、オレはアカツキと殴り合ってお互いの本音をぶつけ合ったくらいだからなあ……さすがにそれは親父には言い出せなかった。 呆れられるか笑われるか……あんまり面白い反応は見せてくれないだろうし。 「で……ホウエンリーグとカントーリーグの間は一週間程度しかないぞ。 その間にカントーリーグに切り替えられるのか? それができなければ、予選で敗北することになる」 「できなきゃそんなこと親父に言わないだろ」 「確かに……」 親父は親父なりに忠告してくれてるつもりなんだろう。 でも、そんな親父に一言。 親父は苦笑を隠さなかった。 さっき言われたことを、そのまま言い返したんだから。 息子に同じ文言で返されるとは思ってなかったに違いない。 はは、してやったり!!って気分だよ。 ちょっと前までは、こうして親父とゆっくり話し合うっていうことすら想像できなかった。 話したくないっていう気持ちが前面にあったからさ。 たまにはこういうのも悪くない。 親父に相談を持ちかけたり、経過報告をしたり……それだけのことに、親子としての絆を感じることができるんだから。 「……親父。オレ、そろそろみんなのところに戻るよ」 「もういいのか?」 「うん。あとはオレが何とかしなきゃいけない問題だからさ」 「そうか……」 親父は何も言わず、小さく頷いてくれた。 みんなが待ってるんだ。できるだけ早く切り上げて戻らないと。 「…………」 画面越しに、視線と視線が交わる。 「また電話する。 いつになるか、まだ分かんないけど……何かあったらさ、また相談することもあるかもしれないけど……その時は、よろしく頼むよ」 「ああ。俺にできることならなんでもしよう」 「じゃあ、またな」 オレは小さく手を振って、受話器を置いた。 画面が暗転する。 「……親父、ありがとな」 オレは真っ暗になって見えなくなった親父の顔を画面に重ね、礼を言った。 面と向かっては、なんか言いづらくて。 親父のことが嫌いだってワケじゃない。 レキのこと、まだ解決してないから、中途半端な段階で、正面切って礼を言おうっていう気にはなれないんだ。 単なるワガママだけど、それでもいい。 親父に礼を言うのはいつでもできるけど、レキの問題を解決するのは、今じゃなきゃダメなんだから。 思い立ったが吉日!! ……ってワケで、オレは席を立って自室に急行した。 「みんな、待たせたな」 レキを囲んでなにやら話をしていたみんなに声をかける。 みんな一斉に振り向いて、期待のこもった眼差しを向けてきた。 「ピッキ〜♪」 リッピーがレキの背中をぽんぽん叩きながら元気な声をあげる。 ――もう大丈夫だよ。元気出してねっ♪ ……って言ってるように聞こえたな。 ま、それは置いといて…… オレはレキの前に腰を下ろした。 みんなと楽しい話でもしてたんだろう、レキは明るい表情をしていたけど、オレの顔を見るなり、表情がじわじわと曇っていく。 楽しい話じゃないって、オレだってそう思ってるくらいだからな……そりゃしょうがないんだけど、それでもしなきゃいけないんだ。 みんな遠巻きに、オレたちのやり取りを見物するつもりらしい。 「レキ。さっきの話の続きなんだけど」 「マクロっ……」 小さく頷くレキ。 覚悟はしてます……って、なんか逃亡中の犯人が警察に捕まった時のようなワンシーンに映ったのは気のせいだろう。 うん、気のせいに決まっている。 そこはキッパリ割り切って、話をしよう。 「レキはあの時のこと覚えてて、それが辛いって感じられるんだろ? 自分が自分じゃなくなったりとか、自分にあんなパワーがあるのかとか……」 レキの悩みのすべてを理解することはできないけど、その何割かでも、オレが理解してあげられれば、それだけ近道になるんじゃないかって思う。 「でもさ、レキ。 君が恐れてるパワーも、君の強さなんだよ。怯えなくたって、もっと胸を張って誇ればいいんだよ」 親父が言いたかったこと。 それが分かったような気がする。 なんとなく……だけど、それでもレキには伝えないといけない。 レキはじっとオレの目を見ている。 オレなら何とかしてくれるって、信じてくれているのが痛いほどよく伝わってくる。 ……だったら、なんとしてもその想いに応えてやらなきゃいけないな、っていう気になってくる。 「そうやって物事を悪い方へ悪い方へ考えるから、悪循環を繰り返すんだ。 他のみんなには、あんなことはできない!! 君にしかできないんだから、自信を持っていいんだ!!」 オレは声を張り上げた。 レキが身体を震わせる。 平坦な調子で言うのもいいけど、ちゃんと自分の気持ちを込めるには、こうやって大声を出すのが一番。 親父が言いたかったこと。 それは、マイナス面を『マイナス』とばかり見るんじゃなくて、逆に『プラス』の視点で見つめろ、ってことじゃないだろうか。 それが『それもおまえの強さだ』って言葉に込められた意味じゃないだろうか。 短所だって、裏返せばそれが長所にもなるわけだし……暑苦しいっていう短所も、裏返せば熱血で真剣だって長所に変わる。 レキがノズパスを倒した時に見せた力。 『理性』が薄れて『本能』が表に出たからこその力。 だけど、レキ自身がそれを受け入れて、怯えなくなれば、自分の意識でその力を振るえるようになるんじゃないだろうか。 そうなれば、レキだって今まで以上に自分に自信を持てるようになるだろう。 「君が恐がるのも当然だと思う。 でも、いつまでも恐がってたって、何も変わらないよ。 ……一番辛いのは君だ。それはオレもみんなもよく分かってる。 だから、みんなで君の支えになりたいって思ってるんだ。な、みんな?」 みんなの顔を見渡す。 一斉に頷いてくれた。 「マクロ……」 オレの言葉が胸に染みたのか、レキはオレと同じようにみんなの顔を見渡した。 レキにも、みんなは大きく頷きかけてくれた。 みんなも、何があったってレキの味方だ。 たぶん、オレがいない間に、みんなはレキの悩みを共有したに違いない。 ラッシーなら、それくらいのことはやってくれるだろう。 「ホント、ラッシーにだって、君のような戦い方はできないんだよ。 だから、もっと自分に自信を持っていい。 あの力を自分でコントロールできるようになれば、レキはここにいる誰よりも強くなれる。そう信じなきゃ。な?」 オレはレキの肩に手を置いた。 口で言うほど簡単なことじゃないのは分かるけど、レキには支えてくれる仲間がいる。 一人じゃないから、辛い時にはちゃんと傍にいて励ましてくれる。 「今すぐにはできないかもしれない。 別に急いだりしなくていい。レキなりのペースで頑張ってくれればいいからさ」 「…………」 レキは小さく頷いた。 でも、その表情に翳りはなかった。オレンジの瞳には、強い信頼の色が浮かんでいるように見えた。 きっと、気のせいじゃない。 さっきまでの表情と、全然違う。見違えたような感じがするんだ。 これなら大丈夫……なんとなくだけど、そんな風に思える。 みんなも、同じように思ってるんじゃないだろうか。 自分の『フルパワー』を、自分でコントロールできるようになれば、 それだけポケモンバトルでも有利になるし、レキも自分自身に完全な自信を持つことができるだろう。 まさにこれこそ一石二鳥……いや、三鳥、四鳥にもなる。 レキにとっても、オレたちにとっても心強いパートナーになれるんだ。 そうなる可能性を持っているのは、レキだけ。 だから、レキには頑張って欲しいって思うんだ。 最初から上手に行くとは思えない。 親父の口ぶりから察する分には、気長にゆったりと構えていた方がいい、ってところなんだろう。 でも、それくらいがちょうどいい。 「ほら、いい顔になったじゃないか。この調子で頑張るんだぞ、レキ」 「マクロっ!!」 今度は大きく頷いてくれた。 理性と本能の間で板ばさみになっていた心が少しでも解きほぐされたら、それでいい。 オレはそんな風に思いながら、さっきよりもずいぶん高く昇った月を見上げた。 To Be Continued…