ホウエン編Vol.09 ライド・オン・ビッグウェーブ 燦々と降り注ぐ陽光。 海から吹く風が潮の香りを運んで、ジム戦を前に昂る心をそっと鎮めてくれる。 凪が訪れたように、なぜか落ち着けるんだ。 ホントは、落ち着いてる場合じゃないんだけどさ…… 耳に心地良い、妙に懐かしさを覚える潮騒に、知らず知らず視線が海に向く。 寄せては返す、を繰り返す穏やかな波。 延々とこの二つを繰り返すだけのことなのに、とても小気味よく感じられる。 すべての生き物は海から生まれた――いわば命の母である海は、人間、ポケモンを問わず、見る者の心を落ち着けてくれるのかもしれない。 これからジム戦に臨むにあたり、ジムリーダーがどんなポケモンを、どんな戦術で戦いを挑んでくるのか。 少しでもシミュレートしとかなきゃいけないはずだけど、今はそんな気にならない。 すぐ傍に海があるからだろう……って、言い訳じみたことを思う。 ポケモンセンターとムロジムの間二横たわる五百メートルほどの道の脇が砂浜になっていて、数十メートルも歩けば波打ち際に至る。 ムロ島は、ホウエン本島の南に位置してるんだ。 位置的にはミシロタウンの南西で、カナズミシティから定期船にユラリ揺られて一日半。 島に上陸したのは昨日の夕方だった。 ちょうど赤い夕陽が、オレンジの空の彼方に沈もうとしていた頃で、 船上から眺める夕暮れの景色は、心洗われるというか、理由もなく感動できるものだった。 だけど、ホウエン地方に来る時にも同じような景色を見たっけ。 見渡す限り海で、どこで見ても同じ景色のはずなのに、あの時とはまた違って見えてくるから不思議だ。 昨日はポケモンセンターでさっさと休んで、今日は早起きして身体を動かした。 東の空から昇ってくる朝陽を拝んだけど、水面に反射して目に届いたキラキラした光がとてもまぶしく、暖かかった。 まるで、ジム戦に臨むオレにエールを贈っているようにすら感じられたんだ。 そんな朝陽の後押しを受け、オレは朝食も早々に、こうしてムロジムに向かってる。 ムロ島は、規模的にはマサラタウンと同じくらいの大きさで、南国情緒溢れる島だった。 自然豊かなホウエン地方の例外に漏れず、緑が鮮やかで、ゆったりした時間が流れているようだった。 高層ビルは一つもなく、どの建物も自然との調和をモットーに設計されたように控えめなものばかり。 ジョーイさんの話だと、この島に住んでいる人はとても素朴で、いわゆる『世間ズレ』していない人ばかりだと言う。 マサラタウンにも似た雰囲気に包まれた町だけあって、昨日はすぐに寝付けた。 都会のように人が時間に追われているような光景は見られず、道を行くのはオレだけだった。 おかげで、この道は今オレのためだけに在るんだ、って気になってくる。 「……まるで散歩してるみたいな気分だなぁ」 オレは正直な気持ちを口にした。 そう。 ジム戦という戦いを前にして、心はとても落ち着いてるんだよ。 もしかしたら、これが『嵐の前の静けさ』ってヤツかもしれない。 バトルが始まったら、心には荒波と嵐が吹き荒れるんだろう。 だけど、今は…… 足取りも心も、散歩してるように落ち着いてる。 ホウエンリーグやカントーリーグが始まる時も、こういう風にゆったりした気持ちでいられたらいいんだけど、多分それは無理だろうなぁ。 ジム戦と大会とでは、次元が違いすぎる。 ジム戦は相手がジムリーダーで、負けたって何度でも挑戦できる。 自分の実力を確かめるためのトライアルのようなものさ。 だけど、ホウエンリーグやカントーリーグといった大きな大会は、幾多のジム戦を勝ち抜いた強者が集う場所。 予選や本選があって、そこで一度でも負ければ、総当り戦でもない限り即刻ジ・エンドだ。 負けが許されない厳しい戦いだけに、挑むトレーナーたちの気迫はジム戦のものとは比べ物にならない。 ハードルが高いだけに、勝った時の喜びもずっとずっと大きい。 だから、興奮するんだ。気持ちが昂って、鼓動が波打つ。 「あと七ヶ月もないんだよな……頑張らないと」 ホウエンリーグの次はカントーリーグ。 次期の近い二つの大会を前に、どうにも気張ってくしかない。 そうこうしてるうちに、ムロジムにたどり着いた。 見た目は体育館だけど、中はどうなってるんだろう。 どこかトウカジムと似てる雰囲気があるけど、中まで同じだったりして。 扉の前で足を止め、胸に手を当ててみる。 やはり心は落ち着いてる――と思った瞬間、心音が速くなった。 突き上げるような感じで、気持ちが昂り始めた。 今までが落ち着きまくってただけに、落差というか、今までのジム戦で感じていた興奮が蘇ってくる。 「ま、どんなポケモンが出たって勝つさ」 オレは小さく息を吐いた。 熱を帯びた心に一陣の涼風を吹き込む。 インターホンが見当たらなかったんで、オレは扉を叩いた。 「ジム戦に来ました!! ジムリーダーはいらっしゃいますか!?」 声を張り上げ、用件を告げる。 返事がない。 時間だけが虚しく過ぎていく。 三十秒待っても、音沙汰なし。 「……今日は休みなのか?」 休みなら看板がかかってるか、張り紙がされてるか。 どっちにしても、挑戦者にも分かるような形で休みであることを示すだろう。 それがないってことは、ジムリーダーがまだ寝てるか、散歩でもしてるか。 早朝の時間帯は過ぎたから、まだ寝てるんだったらよっぽど寝起きが悪いな。 まあ、ジムリーダーが寝坊魔だろうとなんだろうと、そんなことはどうでもいいんだ。 それより、反応がないってのはどぉいうことだ? 「あのー、ジムリーダーいらっしゃいます〜?」 今度は強めに扉を叩いてみた。 力加減としては殴るのとほとんど変わらないから、殴りつけてるようなものだけど。 これでも返事はない。 そんなに広いジムでもないんだろうけど、なんでこんなに返事がないんだか。 生活スペースは地下にあって、地上でいくら騒ごうが、ジムリーダーの部屋には一切物音が聞こえてこないとか…… あー、マジでそうだったら嫌だな。 かれこれ二分ほど過ぎて、オレもそろそろ業を煮やしてきた。 いっそラッシーのソーラービームで扉ぶち破ってやろうかと思ったけど、さすがにそれだけは止めといた。 いくらなんでも過激すぎる。 さて、どうしたものかと腕を組んで思案していると、背後に人の気配を感じた。 もしかして、ジムリーダーか……? そう思って振り返ると、こっちに向かって歩いてくる背の高い青年の姿があった。 年の頃は二十歳前後か。海のような鮮やかなブルーの髪で、引き締まった体格の持ち主だ。 オレンジのストライプが入ったサーフボードを肩に担ぎ、海パン一丁という、あられもない姿だ。 ……サーフィンを楽しんで、ノンビリ散歩しながら家路をたどる、ってところか。 どっちにしても、ジムリーダーじゃないだろ。 少々ガッカリしつつ、閉め切られた扉に向かい合う。 はぁ…… ここまで来るとため息しか出てこない。 ジムリーダーに会ったら愚痴の一つや二つは聴かせてやろう。 殴るような力で扉を叩いてるのに気づかないほど鈍感なんだから、愚痴を並べたところで気にしないだろう。 と、肩を突かれた。 振り返った先には、さっきの海パン青年。 こんなところに見慣れない子供が一人ってことで、気になったのかもしれない。 「こんな朝早くにジム戦の申し込みか?」 「そうですけど……何か?」 野次馬のような雰囲気に、オレは思わず口を尖らせた。 オレが敵意でも持ってると勘違いしたのか、青年は困ったような笑みを浮かべた。 この程度じゃビビらないぞって宣戦布告してるようにも見えるけど、気のせいだろう。 「いや、今時感心な子供だと思って」 「あ、そうですか」 一体なんなんだこの人? 世間話なんてしてる暇、オレにはないんだけどな。 彼は肩に担いだサーフボードを傍に立て、親指で自分自身を指した。 「君がジム戦を求めてる相手はここにいるぜ」 「じゃあ……」 海パン一丁!! 海帰りという言葉が似合うこの人がジムリーダーか!? いや、まさか…… どこに海パン一丁で現れるジムリーダーがいる? いくらなんでも非常識すぎるだろ。 「あの……あなたが本当にジムリーダーなんですか? 言っちゃなんですけど、全然それっぽく見えないんですけど……」 これでジムリーダーだって言われたって、素直に信じられるはずがない。 子供だと思ってからかってるのか。 でも、そうじゃなかった。 「そうさ。俺がジムリーダーのトウキ。 でも、その顔、信じてないな。 じゃあ、証拠を見せてやろう」 トウキと名乗った彼は口笛を吹いた。 すると、扉が開いて、中からポケモンが出てきた。 「ニョロボン……」 オレはその姿に見覚えがあった。 背丈はオレより少し低いくらいで、青い身体の真ん中――腹部に黒い渦巻き模様があり、後ろ足だけで器用に立っている。 おたまポケモン・ニョロボン。水タイプと格闘タイプを併せ持つポケモンだ。 格闘タイプを持っているだけあって目つきはとても鋭く、槍のような眼光で睨まれ、オレは思わず背筋を震わせた。 のっしのっしと、悠然とした足取りに迫力を感じて、オレは道を譲った。 何事もなかったように脇を通り過ぎるニョロボン。 強く育てられている、というのがその動作だけでビンビン伝わってくる。 ニョロボンがいるってことは、ここのジムは水タイプの専門か? あるいは格闘タイプ? どっちにしても、強敵であることに変わりはない。 ニョロボンは水タイプや氷タイプ、自身の持つ格闘タイプの技を使いこなす。 攻撃的なスタンスのポケモンで、物理攻撃、特殊攻撃を卒なく使い分ける器用さを持っている。 オレの脇を通り過ぎたニョロボンはトウキさんの傍で立ち止まり、くるりと振り返ってきた。 彼のポケモンってことか…… じゃあ、やっぱりこの人がジムリーダーってことなんだな…… 海パン一丁のジムリーダー。 こんな人、初めてだ。 目のやり場に困ってしまい、オレは救いを求めるように視線をニョロボンに移した。 「…………」 「…………」 ニョロボンと無言で視線を交わす。 鋭い目つきが印象的だけど、よくよく見てみれば、どこか憎めない可愛さも帯びている感じがする。 「これで信じてもらえる?」 一人置いていかれていることに気づいて、トウキさんが躊躇いがちに声をかけてきた。 さすがにここで無視するわけにもいかず、オレは視線を上げて、小さく頷いた。 まあ、ジムリーダーって一括りに言われても、様々なタイプの人がいるってことで納得しよう。 ……こういう変態と間違われかねないような人もいるということで。 もしオレが女の子だったら、カッコイイと思う反面、変態じゃないかって勘繰ってしまうだろう。 ……まあ、変態に見えないこともないんだけど。 ハナダジムのジムリーダー・カスミはオレと同い年の女の子。 クチバジムのジムリーダー・マチスは片言の言葉がおかしい外国人。 タマムシジムのジムリーダー・エリカさんはどこかおっとりしてた。 だから、こういう人がいても別に問題ない……んだろう。 よし、そういうことにして完結しよう。 深く考えれば考えるほど、脱け出せなくなっちゃいそうだ。 「トウキさん。ジム戦、受けてください」 「よし、いいだろう。受けて立とう」 オレの申し出を快諾すると、トウキさんは白い歯を見せた。 笑顔が爽やかな青年だと思った。 ……海パン一丁という変な格好でなければ。 「じゃあ、フィールドに……」 「いや、中じゃなくてもいいや」 「え?」 ニョロボンが開けてくれたジムに入ろうとしたけど、トウキさんはどういうわけか中に入ろうという気がないらしい。 一体どこでジム戦をやるつもりなのか…… そう思って周囲を見渡してみたけれど、バトルフィールドに代わる場所は見当たらなかった。 「そこでやろうぜ」 トウキさんの親指が指し示す方に目をやると、波が寄せては返す砂浜が広がっているばかり。 まさか、そこでバトルをやろうってのか? 「バトルフィールドなんて形式的なモンさ。実際はどこでやったっていい」 トウキさんはあっさり言ってのけると、ニョロボンを連れて、さっき指差した場所へ向かってゆっくりと歩き出した。 数歩遅れてついて行く。 「だいたい、普通のトレーナーだって、街と街を結ぶ道路でバトルやってるだろ。 ジム戦っていう呼び方してるけど、バトルはバトル。どこでやろうが、そんなのは構わねえのよ」 「まあ、そりゃそうですけど……」 ミもフタもない言い方をされ、オレは何も言い返すことができなかった。 ほどなく砂浜に到着して、オレとトウキさんは十数メートルの距離を挟んで対峙した。 トウキさんは傍らにサーフボードを置いて、すでに臨戦態勢に入っていた。 いつの間にやら手にはモンスターボールが握られている。 ……って、一体どこから出てきたんだろう? 不思議に思うけど、それを確かめようと口を開くよりも早く、トウキさんがルールの説明を始めた。 「ルールは二対二のシングルバトルで勝ち抜き戦。 どっちかのポケモンが戦闘不能になるか降参した時点で決着。 時間は無制限な。ポケモンのチェンジは君にだけ認められてる。 はい、質問は?」 「ないです」 ジム戦のルールって、ある程度は骨格が決められてるんだろう。 ジムリーダーが決められるのって、シングルバトルかダブルバトルか。 あとは使用するポケモンの数くらいか。 今までのジム戦は、二体か三体……どっちかだった。 戦闘不能になるか降参するか、という決着の条件や、時間の制限がないこと。 ポケモンチェンジは挑戦者だけが認められてることも、どこのジムも同じだった。 まあ、少しくらい違ったって、別に驚きはしないんだけど…… そうか。 今回は二体のポケモンしか使えないのか…… ここんところ三体ずつのジム戦だったから、その時よりも、誰を出すか慎重に選ばなきゃいけないだろう。 「バトルする相手の名前を知らないのは失礼だな。ってワケで、君の名前を聞こうか」 「アカツキ。マサラタウンのアカツキです」 「ほう、マサラタウンの出身か」 名乗ると、トウキさんの眉が上下した。 他の地方からやってきたトレーナーってことで、珍しいと思っているのかもしれない。 センリさんもアヤカさんも同じような反応を示したせいもあって、あまり気にならない。 「いやー、カントー地方に知り合いがいてな。 あいつ、元気にしてるのかな〜って考えたりしてたんだ」 にんまりとして言うトウキさん。 知り合いねぇ。 誰だろうと別にそんなのは構わないけど…… 「よしよし、アカツキ君だな。んじゃ、バトルしようぜ。オレの一番手はこいつだ!!」 バトルを心底楽しみにしているような笑みを浮かべ、トウキさんは手にしたモンスターボールを放り投げた。 ニョロボンは最後のポケモンとして出てくるってことか。 トウキさんの投げたボールは砂浜にズボッと埋もれた瞬間に口を開き、中からポケモンが飛び出してきた!! 「チャ〜っ……」 甲高い声で嘶くポケモンだ。 なんか、見た目に反して声が可愛かったんですけど…… 背丈はオレと同じくらいか。 色白の肌を持ちながらも、手や胴はとても細く、木の枝を折るような力加減で触れたら、 そのままボキッと折れちゃうんじゃないかって思うくらいだ。 ピンクのお面やズボンを思わせる部分も、身体の一部だろう。 とっても細い手をユラユラ揺らしながら、じっとオレの目を見つめている。 このポケモンは……見覚えがない。ホウエン地方に棲息するポケモンだろう。 となれば、敵を知ることから始めねば。 ポケモン図鑑を取り出し、センサーを向ける。 「チャーレム。めいそうポケモン。 アサナンの進化形で、格闘タイプとエスパータイプを併せ持つポケモン。 瞑想することで身体のエネルギーが高まり、第六感が鋭くなったことでサイコパワーを操れるようになった。 野山と一体となって気配を消す術を身につけた」 格闘タイプとエスパータイプを併せ持つポケモンか…… オレはチャーレムと図鑑の画面を交互に見やった。 格闘タイプの弱点であるエスパータイプの技を半減し、エスパータイプの弱点である悪タイプの技を半減する…… 互いの弱点を補い合うタイプの組み合わせを持つポケモンってワケか。 弱点らしい弱点といえば、この組み合わせだと飛行タイプとゴーストタイプの技。 だけど、オレの手持ちにチャーレムの弱点を突けるポケモンはいない。 ガチンコ勝負で決めるっきゃないな。 見た目はお世辞にも格闘タイプとは思えないけど、見た目と中身が一致しているとは限らない。 格闘タイプのポケモンっていうと、筋肉ムキムキで超好戦的な雰囲気を持ってることが多いけど、 このチャーレムは、好戦的でもなければ消極的でもない…… どっちつかずの、ごくごく普通の雰囲気を持っているように思える。 でも、むしろその方が油断できない。何を隠し持ってるか、分かったモンじゃないからな。 「さ、君のポケモンを見せてくれよ。 カントー地方のポケモンって、見るの久しぶりなんだよな〜」 トウキさんはゾクゾクする胸のうちを隠しきれないように、興奮した声音で促してきた。 相手は格闘タイプ……攻撃力は高いと見て間違いない。 だとすると、防御力の低いポケモンだと数発の攻撃で倒される危険がある。 となると、ある程度タフなポケモンを出した方がいいか…… チャーレムはエスパータイプの技……そう、たとえばサイコキネシスを覚えている可能性が高い。 同じく格闘タイプのポケモンでガチンコ勝負を仕掛けられた時に有利に戦えるように。 こういうタイプのポケモンは相手にするのが大変なんだよな…… サイコキネシスで動きを止めてから、格闘タイプの技で一気に攻撃を仕掛ける、という戦術で攻めてくるコンセプトかもしれない。 だったら、サイコキネシスを無効にでき、特性『威嚇』で攻撃力を下げられるリーベルを出すのがベストだろう。 よし、そうしよう。 「リーベル、行ってくれ!!」 オレはリーベルのモンスターボールを引っつかみ、頭上に放り投げた。 ボールは一番高い位置に達すると口を開き、リーベルを放出。 リーベルは軽やかに着地を決めると、 「ぐるるる……」 獰猛な唸り声と鋭い視線でチャーレムを威嚇した。 でも、チャーレムはまったく動じない。 さすがはジムリーダーのポケモンと言うべきか、表情一つ変えていない。 単に感情の変化が表面に出てこないだけなのかもしれないけど、表面的に変化がないってのは、 リーベルにとってはちょっとしたショックなのかもしれない。 「へえ、カントーのポケモンかと思ったらグラエナか……」 トウキさんは笑みを深めた。 格闘タイプのポケモンに対して、悪タイプのポケモンを出してくるとは思わなかったんだろう。 確かにタイプの相性では分が悪い。 でも、サイコキネシスの無効化と、攻撃力を低下させる特性を考えると、多少の相性の悪さはあっても、リーベルを選ばざるを得ない。 「でも、なかなかいい目をしてるな。その方が楽しめるってモンだ」 がしっ。 トウキさんは握り拳にした左手を、開いた右手に叩きつけた。 タイプ的に不利なポケモンを出して、そこからどんな戦い方をするのか、それが気になっているんだろう。 「ジャッジはいないが、まあ必要ないな」 当の本人がいたら憤慨するようなことを平然と口にすると、トウキさんは右手で「かかってこい」というポーズを取った。 相性が有利な分、先手は譲るっていう余裕のサインか。 まあ、いいだろう。 それなら、先手の一撃目を有利に使わせてもらおう。 オレはグッと拳を握りしめた。 「リーベル、突進!!」 黙ったままたたずむチャーレムを指差し、リーベルに指示を出す。 リーベルは地を蹴って、駆け出した!! 砂が舞い上がる。 砂浜という、今までとは違うフィールドに慣れていないのか、リーベルの動きは明らかに鋭さを欠いていた。 トウキさんがこの場所を選んだのは、相手の動きを鈍くするためなのか……そんな考えすら浮かんだけど、もうバトルは始まっている。 今さら苦情を申し立てたところで不戦敗を宣言されるのがオチだ。 だったら、この不利な足場で正々堂々戦って、勝利をこの手につかみ取ってみせる。 リーベルは動きにくさを感じさせないような表情で、チャーレムに迫る!! 「へえ、臆さずに攻めてくるとは、さすがはチャレンジャー!! どんくらいのビッグウェーブなのか、確かめさせてもらうぜっ!!」 意味不明なことを口走るトウキさん。 「チャーレム、ヨガのポーズ!!」 指示を下したのは、攻撃技じゃなく、能力をアップさせるための技だった。 ヨガのポーズは、文字通りヨガのポーズを取ることで身体能力を高め、攻撃力をアップさせる技だ。 なるほど、突進を避わして、次の攻撃が来るまでの間に、リーベルの特性で下げられた分の攻撃力を取り戻すつもりか。 上手いやり方だとは思う。 リーベルの攻撃が突進だけだって思うなら。 チャーレムは砂を巻き上げながら迫るリーベルをじっと見つめながら、枝のように細い腕をすっと上げた。 「ぐるるぁっ!!」 獰猛ながらも勇ましい声をあげて、頭からチャーレムに突っ込むリーベル。 強烈な突進が決まる直前、風に吹かれたようにチャーレムの身体がユラリと動く。 身体を軽く左に捻り、チャーレムは紙一重のところでリーベルの突進を回避した。 タイミング的には紙一重だけど、見たところ、それは偶然なんかじゃない。 チャーレムはちゃんとリーベルの動きを読んだ上で攻撃を避けている。 頼りなさそうな外見とは裏腹に、なかなか鋭い観察眼を持ってるな。 突進を避わしたところで、チャーレムはすかさずヨガのポーズを取った!! これもまた見た目にも変化はないけど、身体能力が高まって、攻撃力が上昇しているはずだ。 でも、リーベルの攻撃はこれだけじゃない!! リーベルは少し離れたところに着地した。 よし、今だ!! 「リーベル、砂かけ!!」 「むっ!?」 トウキさんの表情が強張る。 リーベルは振り返ることなく、後ろ足で力強く砂浜を蹴った!! ぶあっ!! 砂煙が勢いよく舞い上がり、チャーレムの身体を包み込んだ!! ヨガのポーズなんて取ってるから、避けようがない。 『砂かけ』っていう技がある。 名前どおり、相手に砂をかけて攻撃の妨害をする技だけど、あまりにシンプルで、実際に使うトレーナーは少ない。 だからこそ、意外に効くことが多い。 たかが『砂かけ』と侮っていると、痛い目を見るんだ。 現に、トウキさんだって意外そうな顔をしてる。 「チャ……チャっ……!!」 チャーレムは砂が目に入ったのか、驚き、慌てふためいている。 この隙を見逃したりはしない!! 「今だリーベル、突進!!」 今のチャーレムになら、反撃される恐れはない。 ヨガのポーズの効果が発現していたとしても、恐れることはない。 ここは強気に攻めよう。 リーベルは素早く身体を翻すと、俊敏な動きでチャーレムに飛びかかった!! 近距離から繰り出された攻撃はチャーレムに命中!! チャーレムは吹っ飛ばされ、砂浜を転がった。 そこそこのダメージは与えられたはずだ。 でも、突進は威力が高めだけど、相手に与えたダメージの一部を反動として受けてしまうリスクがある。 リーベルは体力的に優れている方だから、反動のダメージをそれほど気にせずに戦える。 そういった反動のダメージを無効にできる『石頭』の特性と、 相手の攻撃力を下げる『威嚇』だったら、やっぱり『威嚇』の方が活躍の場が多い。 チャーレムは三メートルほど砂浜に直線状の痕をつけたところで止まり、さっと立ち上がった。 「へえ、なかなかやるな。 でも、俺のチャーレムはそんなんじゃ倒せねえぞ。 ここから反撃開始……ってな!!」 トウキさんは鼻を鳴らした。 リーベルの実力を評価しつつも、絶対に負けないだけの自信があるってことか。 「チャーレム、シャドーボールだ!!」 トウキさんの指示に、チャーレムは綾取りでもするように細い腕を胸の前で激しく交差させた。 一瞬にして闇が凝縮して球のようになった。 シャドーボール……!! 格闘タイプの技を無効にできるゴーストタイプのポケモンで戦いを挑んできた相手を返り討ちにするために覚えさせたのか。 それと、距離を空けた相手ともちゃんと戦えるように、という意味合いもあるな。 でも、シャドーボールはゴーストタイプの技だ。リーベルには効果が薄い!! ダメージはあるだろうけど、それほど恐れることはない!! 「リーベル、突き破ってアイアンテール!!」 多少のダメージは覚悟で、アイアンテールで攻める!! 「チャッ!!」 チャーレムが鋭い気勢を発して、シャドーボールを打ち出した!! 一直線に突き進んでくるシャドーボール。 リーベルは恐れることなくシャドーボールに真正面から体当たりを食らわした!! ぶしゅっ!! シャドーボールが炸裂し、闇がリーベルを蝕む!! それでもリーベルの勢いはまったく衰えない。真っ赤な双眸でチャーレムを睨みつけながら、迫る!! 「やっぱ根性あるな〜。ははは、気に入った!!」 トウキさんが豪快に笑う。 いつの間にか、朗らかな笑みが野性味あふれる笑みに変化していた。 海パン一丁で爽やかな笑みというシチュエーションもそれなりにカッコイイんだろうけど、 むしろこっちの方がトウキさんの本当の姿なんだろう。 「チャーレム、見切れ!!」 トウキさんの指示と、リーベルが跳躍したのは同時だった。 見切り……!! アイアンテールは当たらない!! チャーレムの瞳が妖しく輝く。 「ぐるぅっ!!」 リーベルは空中で器用に身体を一回転させると、その勢いを存分に乗せて、鋼鉄の硬度を得たシッポを剣のごとく振り下ろす!! しかし―― すっ。 チャーレムは一歩下がっただけで、アイアンテールをいとも容易く回避した。 強烈な一撃は、チャーレムの眼前の砂浜に突き刺さり、盛大に土煙を上げた!! トウキさんが指示した技は『見切り』。 相手の攻撃を寸前に見切って、避けることができる技だ。 相手の攻撃を確実に回避できるという意味では『守る』と同じような効果を持つ。 全神経を費やして相手の攻撃を注視するから、それ相応のエネルギーを消耗し、何度も続けて出すことはできない。 ただし、『守る』と決定的に違うところがある。 『守る』は相手の攻撃を受けるんだ。 完全防御するけど、攻撃は当たる。 対する『見切り』は、攻撃を回避する。 防御とは意味合いとしてかなり異なる。 攻撃を避けるだけなら、すぐさま反撃に転じることができる。 だけど、防御は攻撃のために防御を解かなければならない。 つまり…… 相手の攻撃を誘い、すかさず反撃する!! 気づいた時には遅かった。 「チャーレム!! 『心の目』から爆裂パンチ!!」 トウキさんの指示が響く。 土煙はリーベルとチャーレムの間に広がって、互いの視線から姿を覆い隠しているけれど、それがまったくの無意味になる。 『心の目』は相手の動きを読み、次の攻撃を確実に命中させるための、いわゆる『つなぎ』。 そして、爆裂パンチは…… どぉんっ!! 天を突くような爆音と共に、リーベルがすごい勢いで砂浜に叩きつけられた!! 衝撃を緩和するクッションのような役割を持つ砂浜ですら、加えられた衝撃を緩和しきれずに、リーベルの身体が宙に浮き上がる!! 水切りのように何度かバウンドしながら、オレの遥か後方まで吹っ飛ばされた。 「リーベル!!」 今のは重い一撃だ。 特性『威嚇』によって下げられた攻撃力を元に戻してからの、弱点となる格闘タイプの一撃…… それも、爆裂パンチなんていう最高級の威力を誇る技だ。 いくらリーベルでも、ダメージは大きい!! 「リーベル、しっかりしろ!!」 オレは声をかけたけど、リーベルはピクリとも動かなかった。 爆裂パンチの威力は想像以上だったってことか。 それとも、完全な形でクリーンヒットして、ダメージがいつもより大きかったか……? 「おや? チャーレムの特性を知らないようだな」 「特性……?」 言われてみて初めて、オレは気づいた。 チャーレムの特性って何なんだ……? そういや、今の今まで特性らしい能力が発動した様子はない。 すでに発動していたのか……? 常に発動している特性といえば、飛行タイプのポケモンの多くが持つ『鋭い目』とか、『クリアボディ』…… 能力のダウンを防ぐタイプの特性が主だ。 あるいはそんな類の特性だと思ってたけど、トウキさんの口ぶりから察するに、それとは違うってことか。 「チャーレムの特性は『ヨガパワー』。普段から攻撃力を高く維持できる特性さ」 「知らなかったな、そんな特性があったなんて……」 ……いやマジ本当に知らないって。 カントーやジョウトのポケモンに、そんな特性を持つ種族はいない。 どーりで、爆裂パンチ一発でリーベルがダウンしてしまうわけだ。 普段から攻撃力が高いのなら、リーベルの『威嚇』で下げられたところで、それほど苦にもならないはずだ。 わざわざヨガのポーズで攻撃力を元に戻したのは、一撃で確実にリーベルを倒すために必要だったからか? 格闘タイプとは思えないような細身の身体の内側にそんなパワーがあったなんて、さすがにそこまでは読めなかったな。 これは明らかにオレのミスだ。 「リーベル、戻れ!!」 オレはリーベルをモンスターボールに戻した。 「ゆっくり休んでてくれ。ありがとうな」 懸命に戦ってくれたリーベルに労いの言葉をかけ、ボールを腰に戻す。 いきなり後がなくなるなんて、マジでオレらしくないけど、こればかりは窮地だと認めなければならないだろう。 チャーレムを倒しても、次に待ち受けるのは、トウキさんの傍でじっとバトルを見守っているニョロボン。 もしニョロボンじゃなくても、格闘タイプのポケモンであることは疑いようがない。 二体のポケモンを相手にしても互角以上に戦いぬけるポケモンでなければ、最後の一体は任せられないだろう。 となると、次にオレが出すべきポケモンは決まっている。 「ラッシー、頼んだぜ!!」 当然、この状況でバトルを任せられるのはラッシーしかいない。 軽く投げ放ったボールが口を開き、中からラッシーが飛び出してきた!! 「バーナーっ……」 砂浜をしっかりと踏みしめて、低い声をあげるラッシー。 ラッシーは立派な体格が災いして、素早さにあまり期待できない。 だから、少しくらい足場が悪くても問題ない。 「フシギバナか……カントー地方のポケモンだな」 トウキさんの笑みが深くなる。 戦い甲斐のある相手だと思ったに違いない。 ラッシーの毒タイプは、格闘タイプによる攻撃を軽減することができる。 ただ、エスパータイプの技には弱いんだけど、サイコキネシスを発動させる前にチャーレムを倒せばノープロブレムだ。 「じゃあ、行きますよ!!」 オレは啖呵を切り、チャーレムを指差した。 「ラッシー、蔓の鞭!!」 ラッシーは指示に迅速に応えた。 背中から左右一本ずつ蔓の鞭を打ち出した。 唸りを上げながら、チャーレムに向かって虚空を突き進む!! 「チャーレム、距離を詰めて炎のパンチ!!」 すかさずトウキさんが応じる。 炎のパンチか……ラッシーの動きの鈍さを突く形で、接近戦で勝負を仕掛けてきたな? サイコキネシスを発動させなくても倒せるって踏んだんだろうか。 ま、どっちにしたって、それはそれで好都合。 炎のパンチだろうが冷凍パンチだろうが、サイコキネシスに比べればまだまだぬるい方だ。 チャーレムが動く!! 風のようなしなやかで素早い足捌きで、蔓の鞭をあっさりと避けた。 速い……!! リーベルを相手にしていた時はほとんど動きを見せてなかったから、まさかここまで速いとは思わなかった。 でも、これくらいなら何とかなる!! 「ラッシー、日本晴れ!!」 回避は考えない……!! 防御は切り捨てて、攻撃に費やす。 ラッシーは蔓の鞭をさっと引き戻すと、満点の青空を仰いだ。 日差しが強くなり、熱気が砂浜を焦がす。 「……? 正気か、おい?」 トウキさんが立ち込める熱気に顔をしかめた。 日本晴れは、炎タイプの技の威力を引き上げる。 チャーレムが繰り出そうとしているのは炎のパンチ。 パンチと名はついていても、格闘タイプではなく炎タイプの技。 自分で、受けるダメージを大きくするような技を指示するとは、さすがに思っていなかったようだ。 でも、別に構わない。 チャーレムの握った拳に、ぼっ、と炎が灯る。 炎タイプの技の威力が上がろうと、当たらなければダメージは受けずに済む。 それ以上に、ラッシーの切り札を瞬時に発動するための布石として日本晴れを選んだだけだ。 十分に引き付けたところで、オレはラッシーに指示を出した。 「ソーラービーム!!」 一瞬でチャージが終了し、口からメガトン級のソーラービームを発射!! チャーレムは避ける間もなく直撃を受け、吹っ飛ばされた!! 「チャーレム!!」 トウキさんが叫ぶ。 チャーレムは空高くに投げ出され、放物線を描きながら砂浜に落下した。 周囲に砂煙が上がる。 今の一撃は完全にヒットした。 もしも戦闘不能を免れたとしても、その寸前までのダメージを与えたのは間違いない。 あとはマジカルリーフでも連発すれば、苦もなく倒せるだろう。 そんな考えとは裏腹に、チャーレムは立ち上がらなかった。倒れたままピクリとも動かない。 「チャーレム、戻れ」 トウキさんが押し殺した声でつぶやき、チャーレムをモンスターボールに戻した。 これでイーブン……お互いに残されたポケモンは一体になった。 「チャーレム、ご苦労さん。ゆっくり休むんだぞ」 労いの言葉をかけ、チャーレムのボールを持った左手を下げた。 どこにも戻す場所がないから、仕方なく持ってるって感じがするけど、それに関しては何も言わないことにしよう。 さて、次に出してくるポケモンは……? トウキさんはニョロボンの方に顔を向けた。 ニョロボンもやる気満々の顔でトウキさんを見上げている。 「ニョロボン、行け」 「ニョロっ!!」 トウキさんの言葉に頷くと、ニョロボンが戦いのリングに躍り出た。 やはり、ニョロボンが最後の砦か…… 草タイプの技はニョロボンの水タイプに効果抜群で、ニョロボンが自慢とする格闘タイプの技は、ラッシーに対して効果が薄い。 攻守揃って相性のいい相手だけど、油断は禁物だ。 素早さは相手に分がある。効果が薄いと言っても、連続して攻撃を食らえば、小さなダメージでは済まない。 長期戦はお互いに危険ってところだな。 日本晴れの効果で、ソーラービームを一瞬で放てるんだから、草タイプの技を弱点とするニョロボンには辛いはずだ。 水タイプの技じゃ、牽制にもならないだろう。 「なるほど……君のフシギバナ、なかなかよく育てられている。 だが、ニョロボンも君のポケモンに負けているつもりはないぞ」 トウキさんは感心したように言うと、ニョロボンに指示を出した。 「雨乞い!!」 「…………!!」 ニョロボンが天を仰いで声を上げると、立ち込める熱気があっという間に消え失せた。 日差しも弱くなり、徐々に砂浜の上空に雲が集まりだした。 『日本晴れ→ソーラービーム』の必殺コンボを封じるために雨乞いを発動したか……!! さすがに、一筋縄で勝たせてくれるほど甘くはないってワケか。 でも、ソーラービームの速攻を防がれても、勝利は揺るがない!! ポツリポツリと雨が降り出した。 オレとトウキさんは濡れることがなかったけど、二人の間に雨染みができて、あっという間に砂浜は降りしきる雨に霞み始めた。 「悪いが、ソーラービームをまともに食らうわけにはいかないんでね」 リーベルの突進でダメージを受けていたとはいえ、ソーラービーム一発であっさりチャーレムを倒されたのが何気にショックだったんだろう。 トウキさんの口調は苦渋を多分に含んでるように聞こえた。 「さあ、バトル続行だ。ニョロボン、メガトンキック!!」 トウキさんの指示に、ニョロボンが跳び上がった!! 砂浜という足場の悪さを差し引いても、脅威の跳躍力と言うしかない。 格闘タイプの技じゃ思うようにダメージを与えられないから、攻撃タイプを切り替えてきたのはさすがの一言に尽きる。 ニョロボンは脚を伸ばすと、ラッシー目がけて斜めに落下してきた!! でも、隙だらけだ。 空中で身体を捻ることはできるだろうけど、攻撃を避けることはできない。 「ラッシー、蔓の鞭!!」 オレはニョロボンを指差して、ラッシーに指示を出した。 漂う雨雲は日差しを遮断し、砂浜に濃い影を落としている。 この状況じゃソーラービームの発動に必要な光が思うように集まらず、威力も大幅に低下する。 その上、減った体力を取り戻せる『光合成』の効果も低くなる。 一度ダメージを受けたら回復しないという前提でバトルを進めていかなければならない。 ラッシーが再び蔓の鞭を発射!! 矢のような勢いで、斜めに落下してくるニョロボンの真正面から迫る!! メガトンパンチは威力の高い技だけど、受けなきゃノーダメージだ。恐れることはない。 しかし!! 「甘い、冷凍ビームだ!!」 「なにっ!?」 トウキさんの指示に、ニョロボンが瞬時に技を切り替えた!! 手を胸の前で合わせると、冷凍ビームを撃ち出してきた!! びしぃっ!! 冷凍ビームは蔓の鞭に突き刺さると、先端から根本に向かって徐々に凍りつかせていく!! ……それが狙いだったのか……!? 「バーナーっ……!!」 ラッシーが苦悶の声を上げる。 蔓の鞭は半ばまでが氷に閉ざされ、ラッシーの意志じゃどうにも動かせなくなってしまっている。 氷の重さで、蔓の鞭は真下に落ちた!! 蔓の鞭が封じられた!? まさか、そんな方法で攻めてくるとは思わなかった。 攻撃の手段を一つ一つ封じてからじっくり料理するっていうコンセプトか!? 「よし、メガトンキックだ!!」 トウキさんはモンスターボールを持っていない方の手をギュッと握り、再びメガトンキックを指示した。 蔓の鞭で迎撃される心配がないと分かって、ニョロボンは再びメガトンキックを繰り出してきた!! ソーラービームは撃てない、ラッシーじゃ避けられない…… となれば…… 「ラッシー、マジカルリーフ!!」 迎え撃つには、マジカルリーフしかなかった。 「バーナー!!」 ラッシーは気合を入れて、二枚の葉っぱを打ち出した!! いかなる強風にも負けない葉っぱが、ニョロボンを左右から切り裂く!! でも、さすがはニョロボン、今の一撃に怯むことなく、ラッシーの顔面に渾身のメガトンキックを命中させた!! 「……っ!!」 ラッシーの百キロ近い巨体が、数センチ後退する。 それだけ凄まじいパワーであることは疑いようがない。 格闘タイプじゃなく、ノーマルタイプなら、ラッシーの毒タイプに威力を殺されることがない。 ……いい判断だ。 ラッシーに強烈なキックをお見舞いすると、ニョロボンはその反動を利用して大きく飛び退った。 「ラッシー、大丈夫か!?」 今の一撃はかなり重かったはず。 戦闘不能になるとは思えないけど、それでもダメージは決して小さいものじゃない。蔓の鞭も凍らされ、その冷気が身体に凍みているはずだ。 まともな攻撃手段はマジカルリーフとヘドロ爆弾……それと、ハードプラント。 こういう場所でも発動できるかどうかは分かんないけど、あれはいざという時の切り札だ。 リスクも大きいだけに、易々と繰り出せる技じゃない。 「バーナーっ……」 ラッシーは唸り声を上げると、頭を激しく打ち振った。 さすがのラッシーでも、結構効いたに違いない。 ニョロボンを睨みつけるその背から、強烈な敵意のようなものが立ち昇っているのを感じた。 相当怒ってるな、こりゃ…… ラッシーももしかしたらレキと同じように、怒りで本能を理性のくびきから解き放ってしまったりするんだろうか……? なんて思ったけど、今までのバトルを見る限り、それはなさそうだ。 親父のリザードンと戦った時に、そうなっていたはずだ。 これは単に怒ってるだけってことか。 正直、オレはホッとしたよ。 レキに続いてラッシーまであんな状態になったら、まともに立ち直らせることができるかどうか、自信がない。 レキが立ち直れたのは、みんなが傍にいてくれたからだ。 その中心的役割を担ったラッシーがレキと同じ状態になったら、みんなの手には余るだろう。 でも、それならそれで一気に攻め切る!! 「眠り粉からマジカルリーフ!!」 雨に霞む砂浜の先に悠然とたたずむニョロボンを指差して、オレは指示を出した。 待ってました、とばかりにラッシーが動く。 背中の花から、キラキラ輝く粉を巻き上げた。粉は雨に打たれても落ちることなく、より高みを目指してその勢力を拡大する。 続いてマジカルリーフを打ち出す!! ひゅっ!! 二枚の葉っぱは風を切り、キラキラ輝く眠り粉のベールを突っ切って、ニョロボンに向かって突き進む!! 「苦し紛れにマジカルリーフかい? それならニョロボン、ガチンコファイトで爆裂パンチ!!」 「ニョロっ!!」 トウキさんが鼻を鳴らすと、ニョロボンが駆け出した!! マジカルリーフが眠り粉の効果をつけてることを知らないのか。 それとも、知っててなおガチンコ勝負を仕掛けてきてるのか……? どっちにしたって油断はできない。 オレは注意深くニョロボンの動向を探った。 ばじゅっ!! ラッシーのマジカルリーフが、ニョロボンを左右から切り裂く!! ダメージは与えられたけど、ニョロボンの足は止まらない。 これくらいのダメージは、根性でカバーしたってのか……そうだとしても、別に構わない。 マジカルリーフのダメージと、眠り粉のダブル効果こそ、このコンボの真髄だ。 変わらないスピードで走ってくるニョロボンの体内に取り込まれた眠り粉は、血管を介して全身に行き渡る。 そうなれば、たちまち行動不能に陥るのさ。 あとは目を覚ますまでの間にソーラービームを連発して一気に倒すことも容易い。 ニョロボンが腕を振りかぶる!! ラッシーとの距離は五メートルを切ったけど、一向にスピードが落ちない。 間に合わないか……!? 微妙な情勢になり、次の技を指示しようとした時だった。 がくっ。 ニョロボンが前のめりに砂浜に倒れ込んだ!! 「なんだ!? どうしたニョロボン!!」 何が起こったのか分からなかったらしく、トウキさんはひどく動揺していた。 ジムリーダーにも分からないことってあるんだな……って思ったよ。 この決定的な隙を見逃す理由はない!! 「ラッシー、日本晴れからソーラービーム!!」 小雨が降りしきるこの場の天候を変えて、ソーラービームを連発するための下地を作り出す!! ラッシーが空を仰ぐと、雨が止み、フィールドの空を覆っていた雨雲が霧散していく。 再び太陽が顔を覗かせ、砂浜に光が射し込んできた!! 「今だ、ラッシー。ソーラービーム、発射!!」 ニョロボンは突っ伏したまままったく動かない。 ダメージを受けているからじゃなく、眠り粉が全身に回って、深い睡魔に飲み込まれてしまっているだけだ。 戦闘不能とは違う。 でも、ここで一気にカタをつけてやる!! ラッシーは瞬時にチャージを終了すると、動かないニョロボン目がけ、ソーラービームを発射した!! 「おい、ニョロボン!! どうしたんだ!?」 トウキさんが叫ぶも、ニョロボンはまったく動かない。 いくら根性があっても、眠り粉の成分に打ち勝つなんてことは不可能さ。 トウキさんの叫びもむなしく、ソーラービームはニョロボンに突き刺さった!! どぉぉぉんっ!! 轟音が砂浜を揺らした。 衝撃に砂が舞い上がり、ニョロボンはいとも容易く吹っ飛ばされた!! ソーラービームのダメージで起きちゃったかもしれないけど、今さら起きたって別に問題ない。 マジカルリーフと比べたら、ダメージは格段に大きい。 「ニョロボン!!」 トウキさんの声に後押しされるように、ニョロボンは海に落ちた。 追撃は無理か…… だったら、起きて、飛び出してきたところを狙い撃ちしてやるか。 「ラッシー、ニョロボンの方を向いて、いつでもソーラービームを撃てるようにしといてくれ」 「バーナー……」 ラッシーはオレの指示に、身体の向きを変えた。 水平線の彼方まで広がる海と向かい合う。 どんな角度で飛び出してこようと、ラッシーなら確実に気づくことができる。 ほら、飛び出してきな……ソーラービームで狙い撃ちだぜっ。 オレは海の中に潜っているニョロボンに誘いの言葉をかけた。 ぷかぷか浮いてこないところを見ると、少なくとも戦闘不能は免れて、トウキさんの指示を待ってるってところだろう。 眠りから醒めたと考えるべきだな。 そうなると、次にトウキさんが打ってくる手は…… 出し抜けに、トウキさんの指示が響いた。 「今こそビッグウェーブに乗って、グレートな攻撃を仕掛ける時だ!! 波乗り!!」 波乗り…… そうか、水が大量にある場所なら、波を起こして攻撃を仕掛けることができる……!! 水タイプのポケモンが真価を発揮できるのは、やはり水が大量にある場所。 そう、湖や池、海だ。 でも…… 波乗りで攻撃してきたところで、ラッシーにはたいしたダメージを与えられない。 日本晴れの効果は、ソーラービームのチャージを一瞬に縮めたり、炎タイプの技の威力を上げることだけじゃない。 反対に、水タイプの技の威力を下げる効果もある。 さらにタイプの相性も加われば、波を叩きつけたところで、ダメージらしいダメージにはならない。 それくらい、ジムリーダーなら分かってて当然のはずだ。 チラリとトウキさんの表情を横目で見やると―― 「やっぱり……」 トウキさんは口の端に笑みを浮かべている。 刹那、穏やかな海に、巨大な波が出現した!! 幅こそ狭いものの、高さは優に五メートルを越えている。その上には、サーファーのごとくニョロボンが立っていた。 これはダメージを与えるための技じゃない。 ニョロボンを乗せた波が、ものすごい勢いで沖から浜へと迫る!! 津波を思わせるスピードにも、ニョロボンはバランスを崩すことなく、ピタリと立っている。 ビッグウェーブ……か。 確かに、これほどの波に乗ることができたら、ビッグなんだろうな。 「ラッシー、ソーラービームを発射せずに溜め込むんだ!!」 いつでも撃ち出せるように――オレは指示を出した。 チャージを終えてから撃ち出すまでに一瞬から一秒の時間差がある。 その差をゼロにするために、チャージだけを終了させる。 一見無茶な要求だけど、さすがはラッシー。簡単にこなしてくれた。 ソーラービームの力を体内に留めておくのは、とても大変なことだ。 ちょっとでも気を抜けば、暴発って形で放出してしまう危険がある。 暴発したら、相手にダメージを与えるどころか、バックファイアで自分が大ダメージを受けてしまう可能性が高い、危険な行動なんだ。 それでも、今はまだ『撃つべき時』じゃない。 波が砂浜に到達する直前、ニョロボンが飛んだ!! 「メガトンパンチ!!」 トウキさんの指示が響く!! 同時に、波が砂浜に打ち付けられ、大量の海水が押しよせてきた!! 姿を一瞬でも覆い隠すほどの水量にもまれながらも、ラッシーはまったくダメージを受けていない。 続いて、ニョロボンが空から迫る!! 波乗りは、あくまでもメガトンパンチの威力を高めるための補助的な役割を担うための手段。 波のスピードを利用して、衝撃力を高めるんだ。 波のスピードと、ニョロボンの攻撃力を重ね合わせると、ラッシーを戦闘不能にするだけの威力になる可能性がある。 だから、攻撃を食らう前に、ソーラービームを放つ!! 距離が詰まる。 緊迫感が漂う。 勝負は一瞬―― その一瞬が、果てしなく引き伸ばされて、永遠にすら感じられる。 だけど、『その時』はやってくる。 「今だっ!!」 何の前触れもないけれど、オレはそのタイミングが訪れたことを直感的に悟り、ラッシーに指示を出した!! あるいは、それはラッシーとの波長がピタリと一致したのかもしれない。 「ソーラービーム、発射ッ!!」 「バーナーっ!!」 ラッシーの口が大きく開き、ソーラービームを撃ち出した!! 「冷凍ビーム!!」 続いてトウキさんの指示。 ニョロボンが、振りかぶっていない方の手を突き出し、冷凍ビームを撃ち出す!! ソーラービームと激突するけど、一瞬で雌雄は決した。 冷凍ビームは容易く吹き散らされ、残ったソーラービームがニョロボンを飲み込んだ!! 「戻れ、ニョロボン!!」 トウキさんがモンスターボールを掲げ、捕獲光線を発射した。 ほどなく、光線がボールに引き戻される。 ……戻した? ちゃんと戻せたのか? ソーラービームが消えた空に、ニョロボンの姿はなかった。 オレはトウキさんに向き直った。 彼は満足げな笑みを口元に浮かべていた。 「いやー、負けた負けた。あははははは……」 負けたせいで頭がおかしくなったのかと思うような声をあげた。でも、トウキさんはオレに顔を向けてきた。 「完敗だ。こういうスッキリする勝負も久しいんでね。つい笑っちまったよ」 両手にモンスターボールをつかんで、ふっと笑みを浮かべる。 ジムリーダー自ら負けを認めたのか。 「じゃあ……」 「ああ。君の勝ちだ!!」 トウキさんは大きく頷いてくれた。 結構際どい勝負だっただけに、勝利したっていう実感が、じわりじわりと身体と心を包んでいくのを感じる。 「ラッシー、聞いたか?」 興奮を抑えるのにも苦労した。 声をかけると、ラッシーはゆっくりと振り向いて、ニコッと笑ってくれた。 蔓の鞭を一度引き戻して、オレに向けて伸ばしてくれた。 冷凍ビームで凍らされていたはずだけど……日本晴れで日差しを強くしたことで溶けたのか。 伸ばしてきた蔓の鞭の先端を、オレはそっと手に取った。 「…………」 冷たかった。 氷に包まれるというのがどういうことなのか。 体験したことがないから、よく分からないけど、その幾許かでも分かったような気がした。 冷たいなんてモンじゃないはずだ。身体の芯まで冷え切ってしまうんじゃないかっていう寒さと、ラッシーは戦ってきたんだな。 「ラッシー……」 オレは蔓の鞭を手放して、その場にそっと置いて、ラッシーに歩み寄った。 「痛かっただろ。でも、ありがとう」 メガトンキックをまともに食らった額に手を当てる。 傷らしい傷は見当たらないけど、強い衝撃を受けたせいか、少しだけへこんでるような感触があった。 「バーナー……」 ラッシーはオレの目をまっすぐに見据えると、小さく頷いた。 「…………君のおかげだよ。いつも、助けられてばかりだな……」 さっき…… オレはラッシーと気持ちの波長が一致したような感覚を覚えた。 ソーラービームのタイミングをちゃんと計れたのも、そのせいかもしれない。 ポケモンバトルは、トレーナーの独りよがりで進めるべきものじゃない。 トレーナーとポケモンが一体になって、シンクロして初めて成立するものなんだって、当たり前のことを改めて認識したよ。 ラッシーじゃなきゃ、チャーレムとニョロボンを倒して勝利をつかむことはできなかった。 それが痛いほどよく分かる。 「やっぱり、君が一番だ」 ラッシーと過ごしてきた時間は、他のみんなとは比べ物にならない。 だから……かな? どうしても、最後の最後に、ラッシーに頼ってしまう。 仲間を信じるっていう意味じゃ、確かにそれはいいことかもしれないけど、ラッシーだけに頼りすぎちゃダメなんだ。 それは分かってる。 ……ジム戦で勝ったっていうのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。 喜びと不安の間に壁ができて、オレ自身が不安の方に閉じ込められたような感じだ。 そんなオレの気持ちを解き放ってくれたのは、トウキさんの一言だった。 「リーグバッジは後でポケモンセンターに届ける。頑張ってくれたポケモンを労わってあげなきゃな」 「……そうですね。戻れ、ラッシー」 オレはラッシーをボールに戻すと、トウキさんに小さく頭を下げて、ポケモンセンターに向かって駆け出した。 後でポケモンセンターにバッジを届けてくれるって言うんだから、それを信じよう。 今は、頑張ってくれたラッシーとリーベルを回復させてあげなくちゃ。 ポケモンセンターとジムを結ぶ道を踏みしめて、走る。 行きはゆっくりだったけど、帰りはドタバタ。 三分もかからずにポケモンセンターにたどり着いた。 そんなに大きくないポケモンセンターだけど、明るい雰囲気に満ちていた。 ロビーは吹き抜けになっていて、高く昇り始めた太陽が、ちょうど吹き抜けの位置に差し掛かって、ロビー全体を明るく照らし出す。 オレはポケモンセンターに入ると、一直線にカウンターまで走った。 足音を立ててやってきたオレを、驚いたように見つめるジョーイさん。 でも、すぐにいつもの笑顔に戻った。 オレがカウンターに置いたボールを一目見るなり、すぐに話しかけてくれた。 「ポケモンの回復ですね? お預かりいたします」 「お願いします、ジョーイさん」 オレはジョーイさんにボールを預けると、回復が終わるまでロビーで待つことにした。 海岸線が近い窓際の椅子にゆったりと腰を下ろして、外を見やる。 リーベルとラッシーが頑張ってくれたおかげで、三つ目のバッジも無事にゲットできそうだ。 なのに、気持ちがどうにもスッキリしない。 ……考えすぎだって思えれば、一番楽なんだけど……それもできない。 「どうしちまったんだろう、オレは……」 自分でも自分の気持ちがよく分からないんだ。 リーベルとラッシーが頑張ってくれたことを素直に喜んでいいものか。 結果に対しては、そりゃ存分に喜んで然るべきところなんだろうけど。 ラッシーに頼らなければ勝てなかったって事実を知ってしまったことがとても辛い。 レキじゃ力の差で確実に押し負けるし、ルースの場合はそもそもの相性が不利だ。 ロータスはダンバルに進化するまでは「突進」しか使えないから、とてもジム戦で通用するとは思えない。 リッピーのマイペースで掻き乱されるようなニョロボンでもなかった。 消去法で考えても、相性論で考えても、ラッシーに行き着いてしまうのは仕方がないことなんだ。それは分かってる。 でも、なんだか納得いかない。 本当に他のみんなで勝利を収めることはできなかったのか……と思ってしまう。 今までだって、最後の相手に対して「君に決めたっ!!」って、そのポケモンしかいないと感じることはあったし、 ちゃんとそのポケモンを信じてバトルに送り出した。 でも、今回に限ってはそれがとても辛い。 先日親父に言われたことがふと脳裏を過ぎる。 「悩みだと認識した時点で、その前よりも確実に成長している」 悩むってことは、その事象を前向きに解決しようとする意思の表れだと、親父は言った。 ホウエン地方に来てからというもの、こうやって悩むことが多くなってきた。 カントーを旅してた頃には、そんなものはほとんどなかったけれど、肉親のいない遠く離れた地方にやってきたから、 心配とか不安とか、目には見えないものが首を擡げてきたんだろうか? んー、なんか違うような気がする。 いろんなことを知って、トレーナーとしての経験を重ねて、ちょっとした壁にぶち当たってるだけじゃないだろうか。 何もかもが順風満帆に行くわけじゃない。 やっぱりどこかでこういう壁にぶつかるんじゃないかって思ってはいたよ。 また親父に相談しようか…… 寄せては返す波をじっと見つめながら、そんなことを思った。 だけど、それだけはできない。 親父に相談すれば、答えは教えてくれなくても、解決の糸口になるヒントくらいはもらえるだろう。 だけど、毎回相談してたら、親父に頼りっきりになっちゃうような気がするんだ。 自分で解決するってことを忘れてしまうような気がするんだ。 だから、今回は自分の力で解決しよう。 オレはグッと拳を握りしめた。 手持ちで一番強いのはラッシーだ。それだけは嫌でも認めなくてはならない。 『日本晴れ→ソーラービーム』の速攻コンボや、『状態異常の粉→マジカルリーフ(葉っぱカッター)』の状態異常コンボ、 切り札である『ハードプラント』と、TPOに応じた必殺技がズラリ揃ってるから。 それらを駆使すれば、苦手となるタイプのポケモンが相手でも、そう易々と負けることはない。それくらいの自信はあるつもりだ。 だからこそ逆に、どうしてもラッシーに頼ることを止められない。 負けてしまうことが恐いわけじゃない。 ただ、負けることで『勝てる勝負に負けた』と思ってしまうことが嫌なのかもしれない。 勝利をみすみす逃したと後悔するのが嫌なのかもしれない。 それは、カントー地方を旅していた頃に、親父に散々叩きのめされた時に何度も味わってきた。 冷静に戦えば勝てたかも……と思えるような勝負が、一度や二度はあったように思えるから。 「他のみんなをもっと強くしたら、ラッシーだけに頼らなくて済むかな……」 簡単なことじゃないけど、せめてルースかリッピーをラッシーと同じくらいの強さまで育て上げたら、ラッシーだけに頼らずに済む。 少なくとも、誰か一人だけを特別扱いすることはなくなる。 ……違う。 そんな考え方じゃダメだ。 特別扱いするポケモンが二体になるだけで、それ以外の結果にはならない。 かといって、みんなをラッシーと同等にまで育て上げるとなると、時間がかかりすぎる。 根本的な解決にはなりそうにない。 「やっぱり、オレの気持ちの問題なのかな……」 砂浜にあるヤシの木の葉っぱが風にそよいだ。大きく生った実が落ちるんじゃないかと思うほど揺れたけど、落ちなかった。 どうにも答えがまとまらなくて考えをめぐらせていると、肩を叩かれた。 ポケモンの回復が終わったんだろうかと思って振り向いてみたら、 「よお、お疲れさん。考え事か?」 「トウキさん……」 清々しい表情のトウキさんがいた。 さすがにポケモンセンターという場所を弁えてか、さっきのような海パン一丁じゃなくて、ラフな薄着に着替えてきていた。 「約束どおり、バッジを持ってきたぜ」 差し出した右の拳をそっと開く。 握り拳を象ったと思われるバッジがあった。 「ムロジムを制した証、ナックルバッジだ。受け取ってくれ」 「ナックルバッジ……」 これが三つ目のバッジか。 オレはそっと手に取った。 見た目は銀色のバッジ。 重さにしても、せいぜい数十グラム程度だろう。 だけど、今のオレにはこのバッジがとても重く感じられた。 知らず知らずに、表情が強張る。 仕方ないとはいえ、ラッシーに頼りきりでゲットしたバッジだ。 舞い上がるほど軽いなんて思えるはずがない。 「隣、座っていいか?」 「え……あ、どうぞ」 突然そう言われて、オレは慌てて場所を空けた。 トウキさんがどっしりと、隣に腰を下ろした。 「綺麗だろ」 「海ですか?」 「そう」 「……そうですね」 トウキさんも同じように、窓の向こうに広がる水平線に目をやった。 ジムリーダーって、その街の出身者が務めることが多いと聞くけど、トウキさんはこの島の出身なんだろうか。 ふと、そう思ったんだ。 普段なら、陽光をキラキラ反射させる穏やかな海を見ていると、気持ちが洗われるような想いになるんだろうけど…… 今日ばかりはそんな気にもなれない。 「どうしたんだ? せっかくリーグバッジをゲットしたってのに、浮かない表情してるな」 「え……」 トウキさんは海をじっと眺めたまま、振り向きもせずに言った。 むしろオレの方が驚いて、トウキさんの方に顔を向けてしまったよ。 「顔なんて見なくても、すぐ傍にいるヤツがどんな気持ちでいるのか、それくらいは分かるさ」 「はあ……」 カマかけのような言葉に、オレは生返事をした。 オレの悩みのどれくらいを分かってるって言うんだか……どうせ、半分にも満たないんだろうけど。 そんなことを思いながら視線を戻すと、待っていたようにトウキさんが言葉を投げかけてきた。 「当ててやろうか」 「やってみます?」 オレは挑戦的とも取れる言葉を返した。 他人に当てられるほど単純な思考をしてるつもりはない。 でも、トウキさんは見事に当ててみせた。 「チャーレムとニョロボンを倒してみせたフシギバナのことだろ」 「……なんで分かったんですか?」 見事に言い当てられ、オレはメチャクチャ驚いた。 でも、その驚きを見せたくなくて、わざと平静を装った。 他人から見ても分かっちゃうくらい、オレはあの場で悩んでる顔を見せていたんだろうか? そんなつもりがなかっただけに、余計ショックだった。 「勝ったってのに、あんまりうれしそうじゃなかったからさ。 何を悩んでるのか、だいたいは想像つくんだけどな。 あんまりそこまで踏み込んだこと言われたくないって顔、してるよな」 「…………」 見た目は軽薄そうな青年だけど、やっぱりジムリーダーをやってるとなると、人を見る目も肥えてくるものなんだろうか? 眼力っていうか……人の悩みとか考えてることとか、薄々でも感じられるようになるんだろうか。 「俺が口出ししちゃいけないことだってのは重々承知してる。 でも、困ってるヤツを見てると、どうにもほっとけなくてな」 「お節介だと言われませんか?」 「よく言われる」 オレの苦言に、トウキさんは声を上げて笑った。 あまりの大声に、思わず耳を塞ぎかけて――そこでトウキさんは笑うのを止めた。 ここがどういった場所か、思い出したように。 お節介だな……オレは素直に思った。 他人の悩みに首を突っ込んであれこれ言うんだから。 お節介というか、ゆがんだ野次馬根性っていうか……あんまり関わりあいたくないタイプだ。 それでも、困ってるヤツを見てるとほっとけないと言われるとは思わなかった。 オレ、悩んでるけど、そんなに困ってるつもりはないんだよ。 自分の力で解決できると思ってる。 それだけの自信はある。 それを否定されたような気がする。 それこそ、根拠のない思い込みだろうけど。 「そういう時はな、本人に訊いてみるのが一番だぜ。 無理に他のみんなの力を借りようとすると、かえって拗れちまう場合もある」 「……そうなんですか?」 「全部が全部そういうワケじゃないけどな」 ラッシーに訊けってことか。 他のみんなをラッシーと同じくらいにまで育て上げるってことは無意味だって言いたいらしい。 根本的な解決にはならないと、オレもさっき思ってたところだ。 さすがはジムリーダー、鋭い視点でダイレクトに突いてくるな。 正直、胸に響くよ。 でもさ…… 仮に、ラッシーにこんな質問をぶつけてみたとする。 「オレは君に頼りすぎてるのか? 君にばかり負担をかけちまってるのか?」 いくらなんでも、素直に首を縦に振るわけないだろ。 ラッシーなら、オレの悩みを敏感に察知して、気遣ってしまう。 その気遣いはありがたく思うけど、いつもいつでもそういう風だと、なんかそうされてる方が辛い。 かといって、何もしないままだと進展しないし。 どっちもどっちじゃないか、って気がしてきた。 それでも、何もしないまま先に進んだら、余計に問題の根が深くなって、取り除くのが難しくなりそうだ。 ……レキの時よりも、よっぽど難しいよ。今、すでに。 「なんでそんなに気にかけてくれるんですか? ただ困ってるヤツをほっとけないって言うんだったら、そこまで言ってくれるわけないと思うんですけど」 トウキさんは何気に答えにつながるヒントをくれた。 『困ってるヤツをほっとけない』って言うんだったら、何もそこまでしてくれる必要はないんじゃないかって思ったんだ。 トウキさんには失礼だけど、何か魂胆があるんじゃないか……ありもしないことを疑いたくなる。 オレの問いに対して、トウキさんが返した言葉は―― 「君がいつかビッグウェーブになるんじゃないかって思ったからだよ」 「はあ?」 ビッグウェーブ……って、一体なんのことだか…… オレは拍子抜けした。 そんなオレに、トウキさんは言葉を続ける。 「将来、大物になるような気がしてさ」 「それって確信とかないんでしょう?」 「まあ、確かにそうだな。そんな気がするってだけさ。確証はない。 でも、そう思わなくちゃ、何も始まらないだろ」 「……!!」 オレが将来大物になるかどうかは、それはオレの努力しだいだ。 トウキさんの言葉一つでそうなるわけじゃない。 でも……思わなくちゃ、何も始まらない―― その一言が、オレの心の中の、どこを指し示したらいいのか分からない道筋に光の道しるべを与えてくれたような気がした。 ――何を迷ってたんだ、オレ? 信じるって決めたんだろ。 ラッシーのこととか、みんなのこと。自分自身のこととか。 その気持ちはどこに行ってた? いつの間にか、知らないうちに置き去りにして、ラッシーのことを思うあまり、気遣いばかりしてたんじゃないか? だから、直接訊ねられなかったんじゃないか? それって、「ラッシーを信じる」ってこととは正反対のことなんじゃないか…… 一枚の扉が開けたように、オレはそんな言葉を脳裏に浮かべていた。 オレが将来大物になるとか、ならないとか。そんなことは今のオレには到底知る由もないことだ。 だけど、ラッシーのこと、みんなのこと、オレ自身のこと。 信じるって気持ち、ちゃんと思い出せた。 寄せては返す波の音が、オレの背中を押してくれているように聞こえたのは、果たして気のせいか。 トウキさんが顔を向けてくる。 視線を感じて向き直ると、彼は満足げに笑みを浮かべていた。 「いい顔してんじゃないか。そういう顔の方が似合ってるぜ」 「つまんないことで悩んでたみたいです。ありがとう」 取るに足らないことだった。 今まで自信を持ってた気持ちが少し揺らいでただけ。 もっともっと自信を持たなきゃ、こんな簡単に揺らぐんだって、改めてそう思っただけだ。 でも、気づければ変われる。 オレはナックルバッジを乗せた手をグッと握った。 「あの、一つ聞いていいですか?」 「ん?」 「なんでオレが大物になるかもしれないって思ったんですか?」 気になってたんだけど…… なんでトウキさんはオレが大物になるかもしれないと思ったんだろう。 本気でそう思ってくれたのか、それともオレを励ますための方便なのか……どっちでもいいんだけど、なんかやっぱり気になるんだ。 トウキさんは再び窓の外に目を向けた。 「波ってのはさ、沖に引いても、また戻ってくるんだ。 小さな波が引いても、次に大きな波になって戻ってくることだってある。 サーファーはそんなビッグウェーブに乗ることを夢みてるのさ」 つまり、将来は大物になるっていうたとえってワケか。 根拠のない自信よりはよっぽどまともに聞こえるのは、本当に気のせいだろうか? でも、寄せては返す波を見ていると、気持ちが落ち着くのだけは確かだった。 潮騒に揺られるまま時を過ごすうち、肩を叩かれ、振り返った。 「ポケモンの回復、終わりましたよ」 ジョーイさんがいつもの笑顔で、モンスターボールを二つ差し出していた。 肩の荷が降りたような気がして、気がつけば笑顔になっていた。 To Be Continued…