ホウエン編Vol.10 雨のち晴れ <前編> ムロ島を出航した定期船は、ホウエン地方の海の玄関口として名高いカイナシティを目指して、洋々たる海を東へ向かって進んでいた。 船の先端が波をかき分け、滑るような動きでゆっくり進む。 ムロジムでのジム戦に勝利して、オレは三つ目のバッジをゲットした。 ホウエン地方に来てからは快進撃が続いてて、それこそこの船のように意気揚々と進んでるんだけど、なんか順調すぎて怖い。 どっかで息抜きっていうか、ちょっとくらい落ち込んじゃうようなことがあるんだろうなって思うと、この快進撃も素直には喜べない。 どこか憂鬱になりかけた気持ちに気づいて、オレは強引に頭の中の話題を切り替えた。 次のジムはどこだったっけ……? リュックからホウエン地方の地図を取り出して、ジムのある大きな街を探す。 「今オレがいるのはこのあたりで……」 ホウエン地方の左下にポツンと浮かぶ島がムロ島だ。 定期船の行き先であるカイナシティはムロ島の北東に位置している。 ホウエン本島の南には無数の小島があって、定期船の航路はそれらの小島に沿う形で二つの町を結んでいる。 ムロ島に置いた指で航路をなぞる。 地図で見る限り、航路沿いの小島には人の住んでいるものはなさそうだ。 どうせ通り過ぎるだけだから、別に大したことじゃないんだけど……こういう場所にこそ、意外とレアなポケモンが棲んでたりするのかも。 カントー地方の双子島には一時期、伝説の鳥ポケモンと名高いフリーザーが棲んでたって言われてる。 ずいぶんと昔のことらしいけど、フリーザーが生活していた形跡が残されているとか。 そもそも存在自体がよく分かってないポケモンだから、仮にたくさんの小島の一つにそういったポケモンが棲んでたとしても、 易々とは見つけられないだろう。 その分探し甲斐があるけど、時間制限のある今の状態じゃそれは無理。 二つの大きな大会を終えてから、ゆっくりと旅を続けられるようになったら、伝説のポケモンを探してみるのもいいかもしれない。 そんなことを思っていると、小さな群島が見えてきた。 東西にズラリ広がる群島に沿う形で、定期船は進んでいく。 「カイナシティって、どんなところだろうな……」 地図によると、カイナシティにジムはないそうだ。 海の玄関口、それとリゾート地として開発が進んだ街。 クチバシティとどこか似ているような気もしないわけじゃないけど、ジムがあるのはカイナシティのさらに北―― 「キンセツシティか……」 カイナシティから真北にある街を指差す。 キンセツシティ。 まだずいぶんと遠く思えるけど、毎度毎度すぐにジムのある街にたどり着けるとは限らない。 カントー地方ほどジムのある街が隣り合ってはいないようだ。 「まあ、ゆっくり行ってみるさ」 オレたちなら、どんなジムリーダーにだって負けない。 ジム戦で躓いてるようじゃ、とてもホウエンリーグやカントーリーグといった公式大会で戦い抜けない。 「自然をゆっくり楽しみながら、っていうのも悪くないよな……」 キンセツシティの北には砂漠が、北西には火山がある。 本当に自然が豊かな地方だ。 海もとても広いし、旅客船と比べて低価格(リーズナブル)な定期船には何度もお世話になるんだろう。 アカツキも、ホウエン地方を陸路と海路で旅していたらしい。 空を飛べるポケモンは持ってるけど、そのポケモンに頼るようなことはほとんどなかったと言っていた。 やっぱ、空を飛んで行ったら、新しいポケモンとは出会えないんだよな。 自分の足で歩いて、自分の目で見て自分の心で感じた景色やポケモンたちとの触れ合いの方が、よっぽど楽しいに決まってる。 あいつは、楽しいことも辛いことも悲しいことも喜べることも、たくさん経験してきたはずだ。 オレもそういう風な経験ができればいいなあ…… 地図をリュックにしまって、くるりと身体の向きを変える。 「もう三つ目のバッジなんて、結構ペース速いけど、それくらいがちょうどいいんだよな。たぶん……」 無理してるつもりはない。 でも、やっぱりどっかで適度に息抜きしとく必要があるんだって思うよ。 肩肘張ってばかりじゃ疲れるし、身体も心も保たない。 「今日はゆっくりしてよう」 カイナシティに到着するのは翌朝。 それまでは何にもできないんだ。ゆっくりと骨を休めて、英気を養うに限るよ。 リュックを背負いなおし、オレは次第に近づいてくる群島にチラリと目をやると、一夜を過ごす船室へと向かった。 定期船とはいえ船室にランクがあって、オレのチケットに書かれてあるのは船倉に程近い下層の一室。 甲板に近い上層の部屋は、内装や広さの桁が違うけど、その分値段が高い。 一夜を過ごすだけなら、別にそんな大層なトコじゃなくたっていい。 で……たどり着いた船室は、まあこんなもんだろうと思わせる程度の佇まいだった。 地味な壁紙に包まれた三畳ほどの狭い室内には机と椅子とベッドがあるだけ。 これくらいあれば、一夜を過ごす分には不自由はしない。 さすがにみんなを外に出すわけにはいかないけど。 「はあ……」 リュックを机に置いて、ベッドに飛び込む。 身体がベッドに沈む柔らかい感覚。 雨漏りでもしたのか、少しくすんだアイボリーの壁紙にできた小さな染みに、視線を向ける。 「研究所に送ったみんな、元気にしてっかな〜」 ふと浮かんだのは、新たに加わったレキ、リーベル、ロータスの代わりにじいちゃんの研究所に送ったラズリー、リンリ、ルーシーの顔。 みんななら、きっと上手くやってるだろう。 リンリのおとなしさはちょっと心配だけど、いざって時には頼りになる。 縁の下の力持ちって言葉がよく似合うポケモンだよ。 「連絡したいけど、テレビ電話なんてないしな……」 一番低いランクの船室だけあって、テレビ電話もない。 別にみんなの顔を見ないと落ち着かないとか、そういうわけじゃないんだけど…… まあ、いずれは手持ちのみんなと交替することになるから、心配するだけヤボってことかもしれないな。 カイナシティに到着したら、ポケモンセンターのテレビ電話でみんなの元気な顔でも拝もうか。 ごろんと寝転んで、シーツの柔らかさを存分に味わう。 ここにいる間は何もできないし、久しぶりに『ブリーダーズ・バイブル』でも読もうか。 やらなきゃいけないことも特に見当たらない……っていうと語弊があるけどさ。 ホントは今の手持ちでどんなタイプのポケモンとでも戦い抜けるかという戦術と戦略を練り直さなきゃいけない。 だけど、想像の中じゃそれも限度があるんだよ。実戦で少しずつやっていけばいい。 今はゆっくりとくつろごう。 そのための『移動時間』なんだから。 リュックから、カサカサになった本を取り出し、しおりを挿んだページを開く。 携帯型の翻訳機で英文の羅列をそっとなぞる。 瞬時に画面に対訳が表示される。 『ポケモンにとっての人間』と『人間にとってのポケモン』というパートだ。 前者と後者がいい意味でピタリ一致しているのが最高の状態だろう。 オレにとってはどっちも同じ。仲間とか家族とか……親しい人やポケモンに使うべき言葉が似合う。 一時はポケモンの乱獲があって、絶滅寸前にまでその数を減らした種族もいる。 カントー地方で言えばラプラスだ。 大きな身体に似合わぬ優しい性格が災いして、いとも容易く乱獲されていたらしい。 そんなにいっぱいラプラスを乱獲して何をしたかったのかって? そういった連中の考えは理解しがたいし、理解したくもないけど、 『ポケモンにとっての人間』が『敵』だった時期があるのは悲しいことだって思う。 もちろん、『人間にとってのポケモン』は仲間とかパートナーとか、そういう考えをしてる人の方が、今は圧倒的に多いんだけどな。 翻訳機の画面に表示される対訳は、ポケモンと人間が歩んできた歴史が主だけど、一定の間隔で著者ティーナの注釈が書き加えられている。 彼女なりの考え方なんだろう。 ポケモンの味方だったり、かと思ったら人間の味方だったり。 中途半端な描き方だなって思う部分は正直あるけど、どっちか一方に偏ってないだけ、すごいと思う。 オレだったら、たぶんポケモンの側に立つんだろう。乱獲してる人間は悪だ、ってことで、ポケモンの味方をする。 オレはポケモンが大好きだ。 ベトベトンだってなんだって、どんなポケモンとでも仲良くできる自信がある。 だから、大好きなポケモンをどうにかしようとしてる連中の味方にはなれない。 ラプラスの乱獲も、そう遠い昔のことじゃない。 せいぜいが二百年前とか……百年くらい前まで。 ページを何枚かめくると、未来における人間とポケモンの理想の関係がこれでもか、とばかりのボリュームで描かれていた。 ここでもティーナ自身の考え方が前面に打ち出されていて、その大部分にオレは共感できた。 共感できなかった少数部分は、あくまでもオレとの考え方の違いで完全に共感できなかったってだけのことだから。 割り切って考えれば、感銘を受けるだけの何かがあったってことだろう。 「そうだよな……やっぱ、ずっと仲間や友達でいたいよな……」 オレも、みんなとはできるだけ長い間一緒にいたいと思う。いつかは別れだって訪れるけど、その時までは一緒にいたい。 パートが終わったところで一段落。 オレは次のページにしおりを挿んで本を閉じ、リュックの傍らに置いた。 まだまだ全部は読みきれていない。また時間ができたらゆっくり読んでみよう。 「しっかし……ホントに何の変哲もない島ばっかだなあ」 机から顔を上げると、丸い窓の向こうに、定期船を導くように東西に点在する群島がポツリポツリと見えた。 そのさらに向こうに大きな島影がうっすらと見えるけど、それがホウエン本島だろう。 位置的に見て、ミシロタウンのあたりだろうか? 海面スレスレの高さで見ていると、ただの群島とはいえ、結構大きく見えてくる。 それこそ目の錯覚だろうけど、その島の一つ一つに、どんなポケモンが棲んでいるのか。 立ち寄る機会はそうそうないけど、だからこそ気になる。 今の手持ちに満足してるワケじゃない。 どんなポケモンが相手でも、どんな戦術を駆使するトレーナーが現れたとしても、 勝利を手につかめるような理想のチームにはまだまだ程遠いのが現実だ。 ラッシーをパーティの主軸として据えるのは確定してるからいいとしても、 その脇を固める布陣は、今よりももっと強力で強固なものでなければならない。 今のみんながもっと強くなれたら、それも十分に務まるだろう。 「慌てたってしょうがないよな。今すぐみんな強くなれるわけじゃないんだし……」 気がつけば焦っている自分がそこにいた。 ライバルが多くて、その誰一人として負けたくないと思っているから。 そうなんだよ。 慌てたってしょうがないって分かってるのにさ。 ……少なくとも、ナミとサトシにだけは負けたくない。 幼なじみだから、何がなんでも負けるわけにはいかないんだ。 どっちのポケモンも相当よく育てられてるだろう。 ナミとはカントーリーグで、サトシとはホウエンリーグで必ず顔を合わせることになる。 もしかしたら戦うことになるかもしれない。 ナミの主戦力はガーネット。今頃はもしかしたらリザードンまで進化してるかもしれない。 他のポケモンも、なかなか侮れない。 特にサンダースのトパーズは素早く、強烈な電撃を速攻で浴びせてくる。 一方、サトシの主戦力は言うまでもなくピカチュウだ。 進化前だってのに、どういうわけかむやみやたらと強かったりする。 ホウエン地方に旅立つ時に、それまでの旅で共に過ごしてきたポケモンをじいちゃんの研究所に残して、ピカチュウと二人だけで旅立ったんだ。 今頃は何体かポケモンをゲットしてるだろうけど、それまでにピカチュウはホウエン地方のポケモンと何度も戦ってきただろう。 もしピカチュウがライチュウに進化したら、一体どれほど強くなるのか…… 考えるだけで背筋が震えそうになるけど、まあ、ラッシーの敵じゃないだろ。 ハードプラントを使えば速攻で倒せるだけの自信はある。 あいつらに負けないだけの手持ちを育てていかなければならないんだ。 船での移動時間は充電期間なんだって分かってはいるけれど、やるべきことがたくさんある状態で、あんまり気持ちの方が落ち着いてくれない。 悪いクセなのかなぁ…… 休める時に休んどかないと、肝心な時に身体と心が保たないぞって、親父から口癖のように何度も言われてきたのを思い出す。 「はあ……なんだか落ち着かねえ」 いざライバルたちの顔を思い浮かべるたび、燻っていた闘志に火がついたように、心臓の鼓動も早まっていく。 とても落ち着いてる状態とは言えない。 とりあえず横になって、目を閉じてみよう。 外に広がる一面の海景色を思い浮かべれば、たぶん落ち着けるだろう。 そう思って身体を横たえようとした時だった。 どぅんっ!! 爆発音のような音が聞こえ、船体が大きく揺れた。 「……っ!?」 こんなんだから、とてもノンビリできる状態じゃない。 オレは身を起こし、室内を見渡した。見た目に何か変化があるわけじゃない。 当然だ。 今の音は外から――船内から聞こえてきたものなんだから。 一体何が起こったんだ? あんまり小気味の良い音じゃなかったけど。 じっとしてても、何が起こってるのか分からない。 下手をすれば沈没モノかもしれないから、ノンビリと待つだけってのはとても危険かもしれない。 余計なことに首突っ込む方がよっぽど無謀なのかもしれないけど、待つだけってのは、オレの性分じゃないんだよなっ!! 荷物を手早くまとめて、扉を押し開けて廊下に出ると、オレと同じことを考えてたと思しき人が何人かいた。 一様に忙しなく視線を周囲に向けているけど、少なくとも見える限りの箇所に異常は見当たらない。 結構大きな音だったから、もしかしたらエンジン関係がイカレちまったとか? 部外者――っていうか、乗客に分かるような異常じゃないのは確かだろう。 こういう時は…… 踵を返し、走り出したちょうどその時、船内放送(アナウンス)が流れた。 「お客さまにお知らせいたします。 只今、エンジン系統のトラブルが発生いたしました。 係員が調査しておりますが、爆発や沈没の危険はございませんので、ご安心ください」 スピーカーから聞こえてきた女性の声は、ひどく落ち着いていた。 エンジン系統のトラブルって、軽微なものなんて聞いたことないんだけどなあ。 沈没だの爆発だのという表現をわざわざ用いてるあたりはビミョーなところなんだけど。 普通、そんなヤバい表現は使わんだろ。 なんて、言葉遣いに胸中でツッコミを入れていると、 「このままカイナシティへ向かうことは困難と判断し、船長の責任において、すぐ近くの無人島に停泊することになりました」 停泊……オレはその言葉に、明日にカイナシティにたどり着くのは不可能だと悟った。 今のアナウンスから状況を分析してみる。 エンジン系統のトラブルは、爆発や沈没が起こるほど深刻なものではない。 ……が、カイナシティまでこのまま航海することができないくらいの損傷を受けたってことだろう。 で、ヘリとかでエンジンの部品やらエンジニアを運んでもらって、停泊した無人島でエンジンを直してから再び出航、カイナシティを目指す。 妥当な判断だろうと思った。 下手に航海続けて、エンジンがぶっ壊れでもしたら、それこそ目にも当てられない。 下手をすれば救援が来るまでの数日間、缶詰になるだろう。 空を飛べるポケモンを持ってる人なら、そのポケモンに乗って飛んでった方がよっぽど早い。 でもまあ、沈没とかじゃなくて良かったってのが本音さ。 無人島で直すにしても、一朝一夕で済むわけじゃないから、その間は無人島の探検をしてみるのも面白い。 ナンダカンダ言ってこの状況、今のオレにはなかなかいい展開のように感じられた。 そんなこと、口が裂けても言えないけど。 「え〜、愛しのカレが待ってるのに〜っ!!」 二つほど向こうの部屋から飛び出してきたキャミソールの女性が、素っ頓狂な悲鳴をあげている。 彼氏に会いにカイナシティへ向かっているらしい。 だけど、会えない時間があるから、会った時の喜びが大きくなるんだって、そういう方向には思えないんだろうか。 「…………最悪だわ」 さっきとは打って変わって弱々しい声でつぶやくと、がくりと肩を落とし、糸が切れた人形のような頼りない動きで、部屋に戻って行った。 バタンッ、と扉が閉まる音がして、それっきり女性は姿を現さなかった。 彼女のように文句垂れてる人もいれば、仕方ないかとすっぱりあきらめてしまっている人もいる。 オレのように楽しく思ってるヤツの方が少数派だけど、別にそれはそれで構わない。 時間制限のある旅だけど、せっかく無人島に立ち寄るチャンスが生まれたんだ。 オレの知らないポケモンがいっぱい棲んでるかもしれない。 それに、無人島だって言うなら、手付かずの自然が残ってて、身体も心もリラックスできるだろう。 それこそ、今のオレには至れり尽くせりって感じさ。 「さーて、一体どんな島なんだろうな。拝んでみっか」 オレは甲板へ向かって駆け出した。 廊下を駆け抜け、階段を駆け上がり、甲板に出る。 縁にもたれかかっている人たちが一様に指差す島があった。 船の左舷の真正面に位置する、ちょっと大きな島だ。周囲の島の中では一番大きくて、島一面に緑の木々がこれでもかとばかりに生い茂っている。 ホウエン本島にならって、ここもまた自然が豊かなんだろう。 ただ、海岸のあたりは砂地が広がっていて、これならヘリが着陸しても大丈夫だろう。 ちょっとした山もそびえていて、探検するには絶好のポイントと言える。 「あそこにはどんなポケモンがいるんだろうな……」 左舷の縁に身体を預け、海の向こうにある島をじっと見つめる。 それから三十分ほどして、定期船はゆっくりと島の入り江に停泊した。 砂浜からは少し遠くて、近くにはゴツゴツした岩場が広がっているけど、砂浜のあたりは浅瀬も多い。 そこんとこはよく分からないんだけど……少なくとも、探検できるってことだけは確かだ。 「この無人島は自然が色濃く残っております。 エンジンの修理は、明日の早朝には終了する予定となっておりますので、お暇な方は、島に繰り出してみてはいかがでしょうか」 さっきと同じ女性のアナウンスを聞いて、我先にと船から降りる人たち。 船の中で一日もいるのはヒマだからと繰り出したんだろう。 まあ、行けるんなら行くしかない。 オレは無人島に降り立った。 「うわ……」 遠くで見るよりもよっぽど大きく見えて、オレは思わず感嘆の声を漏らした。 ちょっとした街なら丸ごと入っちゃいそうなほどの面積があるのは間違いない。 見た目よりもよっぽど広いだろうから、一日探検しても、たぶん踏破はできないだろう。 でも、そういう場所の方がワクワクするんだよな。 エンジンの修理は明日の朝までには終わるって話だし、それまでに戻ればいい。 島の反対側に行っちゃっても、浜伝いに歩いてくればすぐに戻れるから、そんなに心配することもない。 ……ってワケで、オレはさっそく浜辺から一段高くなったところにある森に足を踏み入れた。 生い茂る木々が太陽の光を半分以上遮る。 温暖な気候で知られているホウエン地方にしてはとても涼しく、少し肌寒くも感じられる。 だけど、木漏れ日と豊かな自然が織り成す光のイリュージョンが、そんな涼しさをすぐに吹き飛ばしてくれた。 「こりゃ、カントーでもそうそうある場所じゃないよな……」 オレは周囲を見渡しながら、森の中を歩いた。 トキワの森に似た雰囲気があるけど、木の種類はまるで違う。 南国特有の、ヤシにどこか似てるな……でも、見たことのない種類の木々ばかり。 無人島だけあって、人の手はまったく加わっていない。 道らしい道がないものだから、膝丈ほどの高さのある草むらを注意深く踏み分けながら進んでいく。 下手にポケモンのシッポでも踏みつけたら、それこそ一大事だ。 ヤドンのような鈍いポケモンならいざ知らず。 ペルシアンだのラッタだのといった気性の荒いポケモンのシッポなんぞ踏みつけた日には、大変なことになる。 どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも……それこそ執念深く追いかけてくるかもしれない。 そうならないように、慎重にならざるを得ないけど、それもまたそれで結構スリリングで楽しかったりする。 無人島に立ち寄るなんて経験、めったにないもんな。 楽しめるのならトコトンまで楽しまなきゃもったいない。 人生一度きりだし、楽しんだモン勝ちって感じがするんだよな。 ……ま、十一歳には過ぎた考え方かもしんないけど。 「どんなポケモンがいるんだろ……草タイプのポケモンが多いのかな」 たまに前を横切るのは、スバメだったりポチエナだったりするけど、 こういう場所には虫タイプや草タイプのポケモンが多く棲んでることが多い。 スバメやポチエナがいるのは、それらのポケモンをエサにしてるからだ。 あんまり想像したくないんだけど、ポケモン同士でも弱肉強食っていう、自然界の厳しい掟があるってことなんだよな。 そういう光景を一度でも見たことはないけど、やっぱり考えたくない。 オレにとってポケモンは愛すべき存在で、とっても大切な仲間だ。 だから、仲間同士でそういうことをしてるのって、あんまり考えたくないんだよな。 そんなことをアレコレと考えながら草むらを越える。 それでも木の根が表面に出てたり、葉っぱが積もってたりと、道らしい道じゃないけど、なんとか歩けないことはなかった。 ズボンがちょっと汚れちゃったけど、これくらい洗濯すればキレイになるから、気にすることもない。 船を下りて三十分ほど歩いて行ったところで、不意に空間が拓けた。 普通の家が何軒か入るくらいのスペースがあった。 「広場か何かなのかな……でも、これならみんなを出しても大丈夫そうだ」 オレは周囲を見渡して、ポツリつぶやいた。 誰かにこの声が聞こえるわけでもないのに言葉を発したのは、ここが誰もいない場所だから。 とても落ち着ける場所だと感じたからだ。 人って、落ち着きと対面すると、知らないうちにポロリと言葉がこぼれてくるものなんだってさ。 それはともかく…… ルースが何かに怯えて炎を吐いちゃっても、すぐには火災になったりしないって分かれば、みんなを出しても大丈夫。 そういうワケで、オレは両手にモンスターボールを六つつかんで、木の葉に遮られた空目がけ、思い切り投げ放った!! 「みんな、出てこいっ!!」 オレの声に応えるように、次々とボールが口を開く。 右に、左に、斜め前に。 オレからさほど離れていない場所に、みんなが飛び出してきた。 「バーナー……っ?」 ラッシーが、ここはどこだと言わんばかりに唸ると、周囲を見渡した。 右も左も前も後ろも、緑が溢れている。 すぐにラッシーの顔が笑みが浮かぶ。 自然豊かな場所にいると、とても落ち着くらしい。 ラッシーにとっては、こういう場所は母親のお腹にいるような居心地の良さを感じられるんだろうな。 「ピッキー♪」 生い茂る木々が観衆だと思っているのか、リッピーはいつもの調子で踊りだした。 ホント、どこにいても自分のペースを振り撒けるなんてマジでうらやましい。 マイペースって結構悪い意味で使われることが多いけど、誰が干渉しても自分のペースを保ち続けられるっていういいところもあるんだ。 そういうところは見習いたいね。 リッピーと一緒になって踊りだすのはレキだ。 カナズミジムで暴走しちゃって、一時はどうなることかと思ったけど、すぐに立ち直ってくれた。 持ち前の無邪気さにも磨きがかかって、前よりも手が焼けるようになったかもしれない。 でも、それくらいがちょうどいいんだよな。 「バクっ……?」 ルースは不思議そうな表情で周囲を見渡している。 怯えてはいないみたいだけど、茂みから何が飛び出してくるのかと、警戒しているようにも見える。 出会った頃は何に対しても及び腰で、臆病だったけど、今はそういうわけでもないようだ。 見た目は変わってなくても、結構成長したってことなんだな。 リーベルも周囲に気を配っている。 こういう場所だからこそ、逆に警戒が必要だと思ってるらしい。 鋭い眼差しは、明らかにルースのそれとは意味合いが異なっている。 野生の時の警戒心は、オレたちと一緒に旅するようになった今でもまったく変わっていない。 注意深いというか、異常時には先頭を切る頼もしさも感じられる。 最後に、新参者のロータスだけど、リッピーとレキの間で、浮いたり沈んだりを繰り返している。 なにぶん感情表現が乏しいのがネックだ。 ポケモン図鑑で調べてみる分には、元々そういうポケモンらしい。 何を思っているのかはよく分からないけど、リズムに乗ってるところを見ると、それなりに楽しい気分でいるようだ。 「ここでなら結構くつろげそうだな」 腐葉土の絨毯があるわけでもないし、芝生のような草が茂っているところを見ると、寝転んでも大丈夫そうだ。 メシを食うにしても、近くに燃えやすいものがあるような場所じゃ、フライパンを使うこともできない。 こんなに自然が色濃い場所に来るなんて、ずいぶんと久しぶりのような気がするんだけど、実際は数日ぶりでしかない。 カナズミシティに向かう途中にトウカの森を抜けたから、それ以来かな。 久しぶりだって感じられるのは、その数日の間にいろんなことがあったからだろう。 でも、今はこの大自然を心行くまで感じていたいな。 「レキ、ロータス。楽しそうだな。こういう場所が好みなのか?」 オレはリッピーと楽しそうに踊っているレキとロータスに声をかけた。 レキはカナズミジムでの暴走があってから、ちゃんとスキンシップを取ろうと気を配ってる。 ロータスは少しでも早くみんなと馴染めるように、オレの方から声をかけるようにしている。 「マクロ〜っ」 「ごごぉっ……」 レキは心の底から楽しんでいるように、前脚をバタバタ振って元気よく頷いた。 ロータスの方は声……っていうよりも、金属同士が擦れ合った音を低くしたような声で応えてくれた。 ロータスはロータスなりに、結構この状況を楽しんでいるらしい。 さて…… 「ルース、そんなに気張ってちゃ、リラックスにならないぞ」 ルースの傍まで歩いてって、その肩にそっと手を置いた。 すると、安心したように肩をすくめる。 「バク……」 ルースの方がオレよりも身体大きいけど、気は小さいんだよな。 もっと自信を持ってくれれば、オレとしてももっともっと頼れるんだけど……今すぐに、というわけにはいかないだろう。 気長に待ってみるしかない。 どうくつろごうかと考えていると、ラッシーが右手の茂みに向かってゆっくりと歩き出した。 「ラッシー、どうしたんだ?」 声をかけると、ラッシーはゆっくりと振り返り、嘶いた。 「バーナーっ……」 この先に行くんだよ。 そう言ってるように思えたのは、ラッシーがすぐにまた歩き出したからだ。 「この先に、何かあるのか?」 茂みの向こうには特に何も見当たらない。 絶景が広がってるわけでもなければ、滝が流れ落ちているわけでもない。 耳を澄ませば、それくらいの音は聞き取れる。 じゃあ、なんで何もないような場所に行く必要があるのか。 何か見つけたから、としか思えないじゃないか。 「だったらオレたちも行くよ。何も一人で行くことないじゃん。なあ?」 オレは肩越しに振り返り、みんなに言った。 「バクっ」 「ピッキ〜♪」 ルースとリッピーが大きく頷いてくれた。 一緒に旅する仲間なんだから、何も一人で行く必要はないはずだ。 みんなで一緒に行った方が楽しいに決まってる。 そう思ったんだけど…… 「バーナーっ……」 ラッシーは振り返り、素っ気なく首を振った。 「…………」 一体、どうしちゃったんだろう。 オレはマジで唖然とした。 気のせいか、ラッシーもどこか元気なさそうだったし。 なんて思っているうちに、ラッシーの姿は茂みの向こうへと消えてしまった。 「どうしたんだ、ラッシー……」 誰も寄せ付けないような険しい顔をしていた――ような気がする。 どうしてかそこだけが曖昧だけど、オレの言葉を振り切ってまで一人で行動するなんて、今までにないことだった。 「……ラッシーは一人でゆっくりと落ち着きたいって思ってたのか? なんで……?」 レキやリッピーの声がうるさいとか。 いや、それだったら今までにだって今と同じことがあったとしても不思議じゃない。 「リーダーだから、気苦労が多いのかな。 だから、一人で落ち着きたいって……そういうことかな」 別にみんなのリーダーだって任命したわけじゃないけど、ラッシーは自分がこのパーティの大黒柱であり主戦力であることも当然認識している。 他の誰よりも強くて、オレとも一番仲がいいから、このパーティのリーダーだって思うのは当然だ。 とはいえ、みんなもちゃんとラッシーのことをリーダーとして認めてるわけだし。 ラッシーの方から「オレがリーダーだ!! オレの言葉に従え!!」なんて押し付けてるわけでもない。 少なくともオレが見る限り、みんなの仲が悪いってわけでもないんだよな。 じゃれついてきたレキとリッピーには何度か困った顔を向けてたけど、だからといって怒ったりしたことはない。 ラッシーはラッシーなりに、リーダーとしての重責に心身ともに疲れてたのかもしれない。 だから、こういった自然豊かな場所で、ゆっくりと一人でリラックスしたいと思ってたのかもしれない。 これからだって負けられない戦いは続いて行くわけだし、いつまでも肩肘張ったままじゃ、それこそぶっ倒れちまうかもしれないから。 これはラッシーなりの息抜きなんだろう。 「バクぅ……?」 ルースが服の裾を引っ張ってきた。 どことなく不安そうな顔をしている。 ――ラッシー、大丈夫かな? 一人で行ったラッシーのことを心配しているんだろう。 でも…… 「大丈夫。ラッシーなら大丈夫さ。 リーダーって結構神経遣うからさ、少しは一人で落ち着きたいって思ってるんだよ、きっと」 オレは努めて明るく振舞った。 みんなを不安にさせちゃいけない。 ラッシーならどんなポケモンが出てきたって、オレがみっちり教え込んだ必殺コンボで仕留めてしまうだろう。 それに、ラッシーよりも大きくて威厳漂うポケモンなんてそうはいない。 自分より大きなポケモンを襲うポケモンっていうのも、そうはいないからな。 そこまで説明する必要はないだろうけど、ラッシーなら大丈夫だ。 オレの最高のパートナーなんだから。大丈夫に決まってる。 ラッシーの消えた茂みに向かって、オレは声を張り上げた。 「ラッシー!! 夕食の頃にはここに戻ってきてくれよ!! 腕によりをかけて、美味しい夕食作るからなっ!!」 これくらい大きな声なら、ちゃんと聞こえているはずだ。 聞こえていれば、ラッシーはお腹を空かせて戻ってくる。 だから、心配することなんてない。 「なあ、みんな。 どうせならもう少し先まで行ってみないか? せっかくここまで来たんだし、ここでゆっくりしてるだけっていうのもつまんないだろ?」 リラックスするのも大切だけど、仲間としての絆を深めるってことも大切じゃないだろうかと思う。 特にリーベル、レキ、ロータスの三人は、仲間に加わってから日も浅い。 この機会に、ルースやリッピーと今まで以上に親睦を深めてもらうのもいいだろう。 みんなはオレの言葉に顔を見合わせた。 ――どうする? ――行ってみようか。 ――面白そう。 みんなの視線が言葉となって聞こえてくるようだ。 視線による意見交換は十秒ほどで済んだ。 みんなを代表して、ルースが笑顔で頷いてくれた。 「バクっ」 面白そうだから行ってみよう!! みんなも同じように小さく頷く。 「よし、決まりだな。行ってみようぜ!!」 オレは前方を指差した。 ラッシーが向かった茂みと同じように、その先には何も見えないけど、だからこそ何が待ってるのか気になるし、絶景を探してみるのも面白い。 無人島の探検なんて、こんなにドキドキワクワクするようなことも、そうはない。 オレはみんなを引き連れて、茂みの奥へと向かって、ゆっくりと歩き出した。 「バーナーっ……」 ラッシーは不機嫌だった。 不機嫌な表情を隠しもしないのは、自分を見ている知り合いが一人もいないからだ。 トレーナーであり、家族でもあるアカツキも、他のみんなも、今の自分の顔を見たら驚くだろう…… そう思いながら、ラッシーは立派な体格で地面を唸らすように踏みしめながら一歩ずつ森の奥地へ向かって歩いていた。 アカツキは「一緒に行く」と言ってくれたが、それを断った。 あの様子を見る限り、当人は断られた理由に気付いてはいないのだろうが……別にそれならそれでよかった。 無理に気付いてもらいたいと思っているわけではない。 ただ…… 「バーナーっ!!」 王者の咆哮が森に轟く。 ラッシーは蔓の鞭を伸ばし、道を塞ぐ大岩を粉砕した。 パラパラと岩の破片が飛び散る中を、悠然とした足取りで進んでいく。 不機嫌なりに、結構力んでいたようだ。 ポケモンも人間と同じように『心』を持つ生き物である。 だから、楽しいとか悲しいとかうれしいとか辛いとか、感情を常に抱えて生きている。 「…………」 途中で枯れ木を踏み潰し。 たわわに実る果実を蔓の鞭で口に運んで頬張る。 ラッシーは不機嫌だが、それは何も故なきことではない。ちゃんと原因があるのだ。 その原因は…… アカツキたちと別行動を始めてから約三十分。 水辺を越えて、ゴツゴツしている岩に悪戦苦闘しながらも、森を見下ろす高台までやってきた。 すぐ近くには青々と茂る草の絨毯があり、寝そべる分には苦労しない。 無人島は島の七割が森に囲まれていて、ラッシーにとってはとても心落ち着く場所だ。 それでも、不機嫌な気持ちは消えない。 じっと森を見やる。 「バーナーっ……」 悪いのはアカツキなんだと、小さく声に出す。 目の前を横切った鳥ポケモンがその意味を悟ったのかは分からないし、知りたいとも思わない。 自分は何も悪くない。 悪いのは、自分の気持ちに気付いてくれないアカツキの方だ。 最近は新しい仲間も加わって、そっちばかり構って、誰よりも頼りになり、誰よりも仲がいいはずの自分にはあまり時間を割いてくれない。 見向きもされないというほど深刻な状態じゃない。 それでも、今までよりも構ってくれなくなったのは、ラッシーにとって淋しくて、辛いものだった。 アカツキの気持ちは分かっているつもりだ。 新しい仲間には、早くこの空気に馴染んでもらいたいと思っていることくらい。 別にそれを悪いことだと言うつもりはない。 ただ、自分の気持ちに気付いて欲しいだけだ。 淋しいと、辛いと、せめてその気持ちに気付いてくれるだけでいい。 なのに、アカツキは気づいている様子もない。 それが無性に腹立たしく、ラッシーを苛立たせた。 すぐ傍に落ちている枯れ枝を、ぼきりと踏み折った。 ……贅沢なのだろうか? 新しい仲間には、早く馴染んでもらいたいと思っているのは、ラッシーだって同じだ。 そのために、いろいろと気を遣ってきたつもりだ。 それなのに、分かってくれない。 森の向こうには水平線が彼方まで広がっている。 旅に出る前のことを思い浮かべてみる。 「バーナー……」 なんだか懐かしくて、それでいて遠い昔のことのように感じられるのは気のせいだろうか……陽にきらめく水面に目を細めた。 あの頃、アカツキは一日中自分と一緒にいてくれた。 ちょっと体当たりしてじゃれついても、笑って許してくれた。 進化して身体が大きくなって、じゃれつくにじゃれつけなくなったことくらいは分かる。 リーダーである自分が堂々とアカツキに甘えているところなど、ほかのみんなには、とてもではないが見せられない。 権威だか威厳だか、そんなものが失墜するなどとは思わないのだが、なんとなく気恥ずかしい。 それなりにリーダーとしての自覚はあるつもりなのだ。 「…………」 アカツキと一緒にいる時間は、ラッシーにとってこれ以上ないほど幸せなものだ。 それは出会った時から変わらないし、これからも変わらないだろう。 だが、アカツキはラッシーだけの人ではないのだ。 ルースやリッピーや、他のみんなにとっても大切な人だし、彼がいなければ、冒険の旅に出ようなどと思わないだろう。 アカツキを独り占めしたいわけではない。 もう少し自分の気持ちを敏感に感じて欲しいだけだ。 それをどのように表現したらいいか分からなくて、ラッシーは一人でここまでやってきた。 ちょっと素っ気ない態度を取ったのも、そう思わせたかったからだが、それ以外の手段は残念ながら見つけられなかった。 ここまで来たのはいいけれど、これからどうすればいいのだろう。 ラッシーは人知れず、孤高にたたずむのだった。 茂みの奥には獣道が続いていた。 「どこに通じてるんだろうな……」 オレは先頭を切って獣道を歩きながら、肩越しにみんなに声をかけた。 ラッシーは一人でゆっくりリラックスしたいみたいだから、その時間をジャマしちゃいけない。 だから、その間はみんなで無人島探検を楽しもうって思ったんだよ。 手付かずの自然はちょっとデンジャラスだけど、ピリリとスパイスが効いてて、いい刺激になるんじゃないかな。 オレにとっても、みんなにとっても。 たまにはこういう経験をするのもいいだろう。 でも…… 「バクっ……?」 ルースはさっきから不安そうな声をあげている。 ――ホントに大丈夫? 不安がるのも分かるような気がする。 獣道の左右には、オレの膝の高さまで草が生い茂っていて、周囲には木々が乱立していて、障害物は多い。 野生ポケモンが襲ってくるんじゃないかって考えるのも分かるけど、こんな大所帯を好き好んで襲おうなんて考えるポケモンなんていないって。 それを知ってか知らずか、リッピーとレキは楽しそうに声をあげている。 振り返ったら、きっと踊ってるんだろうな、って思いつつも振り返らない。 ロータスとリーベルは何も言わないけど、リーベルはルースと同じように、周囲に気を配っているようだ。 みんな、結構ドキドキしてるみたいだ。 そうじゃなきゃ、探検って感じしないもんな。 背中でみんなの感情を感じながら、オレは草を掻き分け進んで行った。 ラッシーと別行動を始めてから十五分ほど、平坦な獣道をひたすら進んでいく。 勾配が少しついてきたけど、島の中央が山のようになっているからだ。 と、少し高めの草を手で掻き分けると…… 「崖か?」 目の前に、二メートルほどの崖があった。 気のせいか、水音も聞こえてきた。 近くに滝か川があるんだろうか。周囲をぐるりと見渡してみても、それらしいものは見当たらない。 「レキ、水辺ってどっちの方向か分かる?」 水タイプのポケモンなら、水には敏感に反応すると思って訊ねてみた。 「マクロっ?」 レキは頭上のヒレをピクピクと動かし始めた。 左右に揺れるヒレは、周囲の状態を感じ取ることができる敏感なレーダーだ。 ミズゴロウの時からそうだけど、レキは周囲の状況を察知する能力に長けている。 水辺を見つけ出すことなど造作もないだろう。 そう思いながら待っていると、レキはすぐに答えを導き出してくれた。 「マクロっ!!」 大きな声で言うと、手でその方向を指し示す。 オレとみんなの視線がつられるようにその方向に向いて…… 「崖……この先にあるのか?」 「マクロっ」 オレの言葉に、自信たっぷりに大きく頷くレキ。 「この先ねぇ……」 崖は無理をすれば登れないこともない程度の高さだ。ジャンプすれば、オレなら手が届きそう。 頑張れば登れるんだろうけど…… ちょっとでも低くなってるところはないかと、崖伝いに視線をめぐらせる。 でも、ちょうど目の前の部分が一番低くなっていて、右の方は五メートルくらいになってるところまであった。 とてもじゃないけど登れそうにない。 「どうやって登ろうか」 リーベルとルースは自慢の脚力で、一気にジャンプして登れるだろう。 レキならロッククライミングみたく登れるだろうし、ロータスは浮いてるから簡単。 問題はリッピーだ。 普通に走る分には問題ないんだろうけど、ジャンプに関してはそんなに得意そうじゃないから、他のみんなほど簡単には登れないだろう。 背中の羽根は、月明かりの晩にこそその力を発揮するから、今はほとんど使えないし。 腕を組んで考えていると…… 「バウっ」 「ん?」 リーベルがオレの前に躍り出てきた。 肩越しにオレの顔を見上げ、もう一声。 どうするつもりなんだ? リーベルにはそれなりの考えがあるんだろうけど……どうにもオレにはよく分からない。 自分でも分かるほど困ったような顔をリーベルの背中に向ける。 「バクっ」 オレが困ってると見て分かってか、ルースがリーベルの背中を指差した。 「背中?」 声に出すと、ルースは満足げに頷いた。 まさか、背中に乗れっていうのか? そうでもなきゃ、リーベルが躍り出る理由はないだろうし、ルースだって助け舟を出そうとはしないだろう。 でも…… 「リーベル。オレを乗っけても大丈夫なのか?」 正直、リーベルの背中に乗って大丈夫なのかという不安があった。 オレはまだ子供だけど、軽いってほど軽いわけじゃない。 四十キロくらいはあるし、リーベルにとってその体重は軽いってモノじゃないだろう。 無理に挑戦したら、リーベルの背骨を傷める可能性もあるわけだし…… どうしようかと及び腰になっていると、リーベルがまた振り返って、一声嘶いた。 ――大丈夫。乗ってみてよ。 口元にかすかに浮かんだ笑みが、オレの背中を押した。 リーベルは大丈夫だって言い張ってる。 だったら、それを信じるしかないよな。 「リーベル、苦しくなったら無理はしないでくれよ」 それでも一応念を押しておく。リーベルなら無理はしないと思うけど、万が一ということもある。 ゆっくりと、リーベルの背中に馬乗りになった。 黒い毛はフワフワしていて、羽毛のような触感だ。 元々毛並みがいいし、普段から手入れを行ってるから、捻れたりしないんだ。 オレがちゃんと乗ったことを確認するかのように、身体を左右に揺らす。 「大丈夫。頼むよ、リーベル」 オレは身体に力を込めた。 ――と、次の瞬間。 リーベルが跳んだ!! リーベルと一緒に浮かび上がり、身体が後ろに引っ張られるような感覚がオレを襲った。 身体に力を込めて、リーベルの背中から落ちないように努めた。 ナンダカンダ言って、面白いようですごく緊張感があった。 あっという間に、リーベルが崖の上に着地する。 思ったよりも軽やかな着地で、反動に振り落とされることはなかった。リーベルも結構気を遣ってくれていたようだ。 「サンキュー、リーベル。ありがとな」 オレは労いの言葉と共に頭を撫でると、リーベルは満足げな笑みを浮かべた。 一仕事終えたみたいな感じだけど、まさにその通りだ。 人を乗せて跳ぶなんて経験、普通に生きてたらしないからさ。 さて…… オレは登れたけど、他のみんなは大丈夫かな。 そう思って振り返ると、ロータスがふわりふわりと浮かび上がってきた。 身体をめぐる磁力と地磁気を反発させれば、浮かび上がるくらいは造作もない。 ロータスに続いて、レキが這い上がってきた。 崖の上に登って、ニコッと微笑んだ。 残りはリッピーとルースなんだけど…… 「ピッキーっ」 「バクっ」 ルースは崖の目の前で、駆け寄ってきたリッピーをがっちりと抱きかかえた。 そして、跳んだ!! 瞬発力の高さを存分に発揮して、リッピーを抱えたままでも簡単に登ってくることができた。 「やるなあ、ルース……」 正直、オレは脱帽した。 まさかここまでの力があるとは思わなかったよ。 驚くオレを尻目に、ルースは着地してリッピーを放した。 リッピーはオレに身体を向けて、ブイサインをして見せた。 ――あたしだって来れたんだよ。えっへん!! 自慢げだけど、それが嫌味に感じられないのが、リッピーのいいところだ。 憎めない陽気さが、周囲の雰囲気を和らげてくれる。 「ルース、ご苦労さん。オレが何も言わなくてもちゃんとやってくれたんだな」 「バクぅ……」 ルースにも労いの言葉をかけると、ルースは恥ずかしそうに俯いて、小さく応えた。 照れてるのかな、頬に朱が差したように見えたよ。かっわい〜。 ルースには、後でちゃんと言おうと思ってたんだ。リッピーを抱えて跳んでほしいって。 でも、オレが言わなくても、ルースはちゃんと分かってくれてた。 なんか、すっごくうれしいな。 オレが思ってること、ルースがちゃんと感じ取ってたんだから。気のせいだとしてもうれしいよ。 臆病にしてるように見えて、本当はみんなのことをちゃんと見てたんだ。 「さて、みんなちゃんと揃ったな」 まさかこんなに簡単に崖を登れるなんて思わなかった。 それぞれができる方法で、一つの目的――今回は崖登り――を成し遂げたってことが、なんだかとてもうれしかった。 これからもそうやって協力していければ、どんな困難だってオレたちの歩みを止めることはできないだろうって、自信を持ってそう言えるよ。 ラッシーにも見せてあげたかったけど、しょうがない。ラッシーには休息が必要なんだ。 リーダーっていう重責から解き放たれる時間を与えてあげないと、いくらラッシーだって参ってしまうだろう。 そうなったら旅にも支障が出るし、ラッシーだって屈辱的に感じてしまうだろう。 ナンダカンダ言って、ラッシーも意地っ張りなところがあるからな。 ポケモンはトレーナーに似るって言葉がある。 『犬は飼い主に似る』の類語だけど、その一番の典型はナミとガーネットだ。 悪気はないのにトラブルばかり運んでくるわ、うっかりしてるわ……似てるったらありゃしない。 オレももしかしたら、ラッシーと似てるのかもしれない。 ラッシーなりのプライドっていうんだろうか。 そういうのを傷つけないように、気を配ってかなきゃいけないからさ。 「……ピッ?」 考え事をしているオレの前に、リッピーがやってきた。 覗き込むようにオレの顔を見上げてくる。 「ん……?」 ニコニコはしてないけど、心配してるっていう顔でもない。無表情だけど、どこか憎めない。 愛くるしさすら漂うその表情に、考え事なんかしてる自分がなんだかバカバカしくなってきた。 今は楽しまなきゃいけないっていう目的を取り戻せたような気がしたよ。 「……ちゃんと登れたわけだし、先に行こうぜ」 崖下とは反対側を指差し、オレは歩き出した。 みんながゾロゾロついてくる。 なんか、『アカツキ探検隊』って感じがして、楽しい気持ちになる。 ちょっとした遠足気分だけど、水辺にたどり着ければ、そこで昼食にするのもいいだろう。 レキが言うには、この先に水辺があるって話だ。水音がハッキリと聞こえるから、そう遠くはないはずだ。 道なき道を数分ほど歩いていくと、視界が大きく拓けた。 鬱蒼と木々が生い茂るジャングルの先には、立派な滝があった。 「こりゃ絶景だなぁ……」 オレはまたしても脱帽した。 滝は十数メートルの高さから三段の岩棚を順番に流れ落ち、岩場と岩場の間を縫うように流れている。 岩棚にぶつかって飛び散る飛沫が、陽光に反射してとてもキレイだ。 気のせいか、一番上の岩棚には虹もかかっている。 無機質な岩場だけど、殺伐さを感じさせないような神秘的な雰囲気も漂っていて、ここでならゆっくりくつろげそうな気がしてきた。 「ピッキ〜♪」 リッピーが歓声を上げて、清流の傍までスキップするように歩いて行った。 しゃがみ込み、手のひらに水をすくって空に巻き上げる。 飛沫がキラキラ光って、リッピーはとてもうれしそうだ。 「リッピー、あんまり一人で行動するなよ。危ないかもしれないんだから」 声をかけて近づいていくけど、リッピーは楽しそうに水をすくっては巻き上げる、という行動を繰り返す。 そんなに楽しいんだろうか。 みんなを引き連れて清流の傍まで行くと、オレは三度脱帽した。 清流って言葉が似合うくらい、岩場と岩場の間を流れる川はとてもキレイで澄んでいた。 水面にくっきりと自分の顔が映っているし、水底まで一点の曇りなく見通せるんだ。 都会の川じゃ、とてもじゃないけどここまで澄んではいないだろう。 今でこそ川の水質もマシになってるけど、一昔前はとてもヒドイ状態だったらしい。 ゴミはプカプカ浮いてるわ、緑だか黒だか分かんない色に染まってるわ、臭いわ……と、とても川とは思えない有様だったらしい。 マサラタウンを流れる川は、目の前の清流と似ているんだけど、さすがにここまで完璧なものじゃない。 「さすがにキレイだよな。これを使ったら美味しいご飯を作ってやれるかもしれないな」 見たところ、野生ポケモンの危険もなさそうだし、時間的にまだちょっと早いけど、ここで昼食としよう。 未開の森を歩き回って、結構お腹も空いてきた。 オレはリュックを置いて、中から調理器具を取り出した。 いくつもまとめて入るから、意外とコンパクトだ。 みんなも毎日ポケモンフーズじゃ飽きるだろうし、非常食をベースにしても、頑張ればみんなの口に合う料理だって作れるはずだ。 「みんなはこのあたりで好きに遊んでていいぜ。メシができたら呼ぶからさ。あんまり遠くに行くなよ」 調理器具と食糧の詰まった缶を並べながら声をかけると…… 「マクロっ!!」 真っ先に反応したのはレキだ。 滝壺目がけてすたすた走っていくと、そのままジャンプして、滝壺にダイビング!! 派手に上がる飛沫が散る中、レキが水面に顔を覗かせた。 久々に水に触れられてうれしいんだろう、ニコニコしながら滝壺で泳いでいる。 やっぱり水タイプなんだな……って思ったよ。 ルースは炎タイプだけど、岩や地面タイプほど水が苦手ではないらしく、水辺で腰を下ろして、前脚だけを水に突っ込んでバタバタさせている。 気持ちいい温度なのか、表情はとても晴れやかだった。 リーベルも同じように水辺でしゃがみ込んだけど、こっちは舌を使って水を飲んでいる。 見た目同様犬らしい仕草だ。 元々は野生の狼みたいな生活をしてたらしいから、そっちの仕草の方が慣れているんだろう。 「ごごぉ……」 金属を擦り合わせた音を低くしたような声をあげて、ロータスが近づいてきた。 「ん、どうしたんだ、ロータス?」 声をかけると、ロータスは興味深そうな目で(オレから見て)、辺りに並べられた調理器具や缶詰を眺めた。 こういうのを見るのは初めてなんだっけ。 仲間になったのはカナズミシティで、今までは定期船での移動しかなかったから、こうして料理を作ってやるのは初めてなんだよな。 ダイゴさんが大切にしてたポケモンの割には、あまりこういうものを知らないらしい。 もしかして、箱入り娘とかなんとかってヤツか? まあ、これからいくらでもこういう光景は見ていくだろうし、今からいちいち気にしてても始まらない。 「これから料理を作るんだよ。 この水を使えば、きっと美味しい料理になると思うぜ。ロータスも食べる……んだよな?」 「…………ごぉ」 ロータスは身体を縦に振って頷いた。 そうか、食べるのか。 でも、どうやって食べるんだろう……常々疑問に思うんだけど、ロータスには口らしい口はないように見える。 開けたところを見たことがないだけってことかもしれないんだけど……でも、どこにも口らしいものは見当たらない。 えっと……ダイゴさんは何を食べさせてたんだろう。 不意にそんな疑問が浮かび上がってきた。 オレが頑張って料理を作っても、ロータスが食べられないんじゃ、みんなに喜んでもらっても喜びは半分になってしまう。 どうにかして食べさせてやりたいんだけど、どうすれば…… フライパンをじっと眺めていると、ロータスがオレの視界に割り込んできた。オレとフライパンの間に割って入ると…… 「ごぉっ」 「うおっ!!」 オレは思わず驚きの声をあげて後退った。 いや…… 今の、一体なんなんだ? ごくごく当たり前のことなんだけど……それを理解するまでに時間がかかっちまった。 あまりに衝撃的な光景だったからだろうか。 いや、なに…… ロータスは単に口を開けて見せてくれただけだ。 でも、それがショッキングだった。 こういうポケモンもいるんだ……なんていうか、カルチャーショックみたいな衝撃を受けたよ。 ロータスにも口があったんだって。 まあ、口がなきゃモノは食べられないし。何も食べずに生きることはできないし。 そりゃ、当たり前のことなんだけどさ。 あんな口の開け方をするなんて、さすがに予想してなかったんだ。 なんていうか……口じゃ説明できないや。 とてもじゃないけど口で説明しきれるような状態じゃない。 頭の中で火花がパチパチ散ってるような感じがして、言葉がまとまらないというか。 「バクぅっ?」 ルースが声をかけてくる。 ――どうしたの? 不思議そうな顔を向けてきたけど、 「いや、なんでもない。大丈夫大丈夫」 オレは手を振って何事もないと強調した。 驚いたけど、別にだからってロータスに対するイメージが変わるわけじゃない。 ただ、意外には思ったけどね。 「ロータスって食い物に好き嫌いってあるのか?」 「ごごぉ……」 身体を横に振る。 好き嫌いはない、ということらしい。 オレの料理が口に合うかどうかは、なんだかビミョーなんだけど、気にしないことにしよう。 夜眠れなさそうだから。 「そうだ。オレの手伝いしてくれないか? ロータスって結構力強そうだから」 「ごごぉ」 ロータスは快諾してくれた。 他にやることがないというよりも、オレの手伝いをしたいと思ってくれているらしい。なんかくすぐったいな。うれしいよ。 「じゃ、手伝ってもらおうかな」 何を手伝ってもらうかは、すぐに決まった。 「ロータス、突進でそこら辺の岩をこれくらいの大きさに砕いてくれないか?」 「ごごぉっ」 ロータスが唯一使える『突進』。 人の顔ほどの大きさの岩で円を作って、その中で火を焚くんだ。 フライパンを上に置けば、何の支えもなくたって安定してて、何もしなくてもいい。 野宿とかの基本だよな。 ロータスはフワリ浮かび上がると、右の方にある出っ張った岩に頭から突っ込んだ!! がぁんっ!! 激しい音を立てて、岩がぼきりと折れた。 「おおっ」 意外とやるぅ。 ロータスの力の強さに、オレは正直驚きを感じずにはいられなかった。 突進しか使えないって分かった時にはマジでどうしようかと心配になったけど、それも使い方次第でどうにでも戦える。 むしろ余計な技の指示を出さなくて済むっていう利点もあるからな。 実際にバトルしてみて、使い勝手を確かめてから作戦を立てれば、ある程度はどうにでもなるだろう。 ロータスは手近な岩に突進を繰り返し、瞬く間に同じくらいの大きさの岩をオレの元に運んできてくれた。 見た目とは裏腹に、軽快なフットワークを披露してくれた。 さすがに他のみんなと比べるとかわいそうだけど、仲間になりたての割にはなかなか筋がいい。 突進を繰り返しても、丈夫な鋼の身体には傷一つついていない。 うーん、さっすが〜。 「ロータス、サンキュー。君、結構やるじゃないか。頼もしいなぁ」 鮮やかなコバルトブルーの身体に触れて、労いの言葉をかける。 鋼の身体だけど、金属特有の冷たさはなかった。 血液の代わりに身体をめぐる磁力。 体温ってモノがあるのかもよく分かんないんだけど、それとはまた違う温もりのような気がするなあ。 「ロータスの分は多くしてあげるからな。期待してくれていいぜ」 「ごごぉっ」 ――楽しみにしてる。 そう思わせる頷き方だった。 ともあれ、ロータスが頑張ってくれたおかげで、思いのほか順調に進みそうだ。 自分で手近な岩を探して並べようかと思ったんだけど、岩を並べるだけで済む。 作業の簡略化に、ロータスの実力の計測……なんだか得しちゃった気分だな。 毎回こういうことをさせるわけにはいかないけど、ロータスの気が向いたら、やってもらうのもいいだろう。 岩を円形に並べて、真ん中に固形燃料を置く。 フライパンを並べた岩にはめ込むように置く。 水平になるように位置取りをするのに苦労したけど、これくらいは日常茶飯事だ。 シチューみたいに煮込むヤツにしようか。 コンビーフの塩と木の実パウダーで味付けをすれば間違いもないだろうし。 みんなの好みはバラバラだけど、そこんとこは微妙なサジ加減で満足させてみせるさ。 腕の見せ所だ。 「ルース、ちょっといいか?」 オレは水辺で脚をバタバタさせているルースを呼び寄せた。 「バクぅっ?」 「ここに火を点けてくれないか」 オレはフライパンを囲む岩をひとつ外すと、ちょうど覗いた固形燃料に火をつけるように頼んだ。 「バクっ♪」 ――任せといて。 ルースは大きく頷くと、岩の合間に覗く固形燃料の正面にうつ伏せに寝そべった。 座ったままじゃ、火炎放射のような大技でも使わないと火を点けられないんだろうな。 ……ってワケで。 「弱い火の粉でいいからな。間違っても火炎放射なんて使うなよ。ドッカ〜ンって吹っ飛ぶぞ」 そうならないように念を押す。 下手に火炎放射なんて使われたら、本気で大爆発だ。 黒コゲにはなりたくないからな。 ルースは小さく頷くと、口を開いて小さな火の粉を吐き出した。 おっ、さすがに加減が上手いな。 ルースの放った火の粉は燃料に当たって弾けると、ぼっ、と小さな音を立てて燃え上がった。 「よし、ありがとな、ルース。料理が完成するの、楽しみにしててくれよ」 「バクっ♪」 ルースは立ち上がると頷いて、水辺に戻っていった。 火も点いたことだし、ここからはペースを上げて料理を作らなきゃいけないな。 缶切りで蓋を開いて、塩味の効いたコンビーフをフライパンに落とした。 ジューッっていう音を立てて、芳ばしい香りが鼻をくすぐった。 「火力もちょうどいいな。よし……いっちょやるか」 コンビーフに火が通ったところで、真空パックに入った野菜を一口大の大きさに切ってフライパンに放り込む。 ムロシティを発つ時に買い込んどいたジャガイモやニンジンといった野菜が役に立つ時が来た。 まさかこんなに早く使うことになるとは思わなかったから、日持ちする真空パックのヤツを買ったんだけど…… 生のヤツを買っといた方が良かったかもしんない。 まあ、過ぎたことはそれくらいにしといて、サクサク揚げましょう。 焦げないように、菜箸でコンビーフと野菜を掻き混ぜる。 油はコンビーフに染み付いたものを使ってるから余分に加える必要はないし、 塩味も適度に混ざり合って、これだけで食べても美味しいって思えるだろう。 でも、ここで満足するのは素人だ。 計量カップできっちり200ccの水をすくって、フライパンに注ぎ込む。 木の実パウダーが詰まったビン(味ごとに分けておいた)と計量スプーンを取り出して、ぐつぐつ煮ている間に、パウダーの配合を行う。 ビンの蓋に、色も味も違うパウダーを少しずつ落とす。 ポケモン用の調味料って感じだけど、もちろん人間が口に入れても問題ない。 調味料って栄養素が乏しいんだけど、木の実パウダーは栄養も満点なんだ。まさに自然の恵みって感じだ。 スプーンで慎重に木の実パウダーをすくって、慎重に蓋の上に落とす。 一グラムでも配合を間違えると、とんでもない味になっちゃいかねない。 それはポケモンフーズで嫌ってほど思い知ってるんで、それこそ嫌でも慎重にならざるを得ない。 でも、その方が楽しいな。 みんなの喜ぶ顔が頭の中に浮かんで、俄然やる気が湧いてきた。 みんな、思い思いに遊んでいるようだ。 楽しそうな声が聞こえてくる。 その声に後押しされるように、作業をどしどし進めていく。 ぐつぐつと煮立ってきたところで、絶妙なバランスで配合した木の実パウダーを満遍なく振り掛けて、おたまで掻き混ぜる。 シチューのような乳白色がフライパン全体に染み渡っていく。 別にシチューを作ろうと思ったワケじゃない。木の実パウダーの配合でそんな色になっただけ。 実際の味は全体的に辛いんだけど、どこかで甘味や酸味が混ざってて、スパイシーな味わいになっているはずだ。 木の実パウダーの味が具に染み付いた頃合を見計らって、ジャガイモを一切れ取り出して口に放り込む。 「んんっ、こりゃいいや」 火が通ったジャガイモはホクホクしてて、噛まなくても自然ととろけていきそうなほど柔らかかった。 スパイシーな味もしっかり染みこんでいる。 この分なら、他の野菜やコンビーフもいい具合に味がついているだろう。 あとはもう一煮立ちさせれば食べ頃だ。 それまでみんなが楽しそうに遊んでいるのを見物するのもいいかな。 そう思ってみんなのいる場所に目を向けて―― 「あれ、いつの間に来てたんだ?」 いつの間にやら、みんなフライパンの周りに集まっていた。 スパイシーな風味に釣られて、腹の虫が騒ぎ出したんだろう。 一様に期待のこもった眼差しをフライパンに注いでいる。 うーん……食欲って恐ろしいな。 物欲とか色欲とかは棄てられても、食欲だけは棄てられないっていう理由がよく分かる。 そういえば、ちょっと前から水音が聞こえないなと思ってたんだけど……おとなしくしてるだけかと思ったら、とんでもない。 足音を忍ばせてやってきてたんだ。 オレが驚く顔を見たかったのかな。 まあ、どっちにしても一本取られた感じだよ。 何気にお茶目なところもあるんだなって、笑って許せる冗談みたいだ。 「マクロ〜っ♪」 レキがぐつぐつ煮立っているフライパンの中身に鼻を近づけてにおいを嗅ぐ。 「慌てなくてもいいぜ、レキ。 みんなが食べられる量は作ってるんだからさ」 オレはレキを言葉で制した。 ルースが何杯もお代わりしたら足りるかどうかビミョーなんだけど、みんなが同じ分量を食べるくらいなら、まあなんとかなるだろう。 深皿を六つ取り出して、それぞれの前に置く。 おたまでフライパンを掻き混ぜながら、均等にみんなの皿に盛り付けていく。 オレの分も含めて六人分、それぞれの皿に八分ほど盛り付けても、二人分ほど残った。 みんなよりも身体の大きいラッシーの分ってことで、みんなにはお代わりを我慢してもらおう。 「どうだ? いいにおいだろ?」 皿に盛られた、シチューのような料理に対して、興味津々の視線を注ぐみんな。 見た目はシチューでも、中身はカレーっていうか……そんな感じの料理にまとめてみたんだけど。 みんなの口に合うかな? 「お代わりはないんだけどさ、あとはラッシーの分だから、我慢してくれよ。 さあ、召し上がれ」 待たせてばかりも失礼だから、食べるように促すと、みんな我先にと宛がわれた深皿に口を突っ込んだ!! すっげぇ食欲…… 呆れつつも感心しながら、オレはみんなが一心不乱にオレの自慢の手料理を食べてくれるのを見て、とても胸が熱くなった。 「バク〜っ♪」 ――生き返ったぁ。 そんな声を上げながら一番に食べきったのはルースだった。 この中じゃ一番身体が大きいから、必要とする食物も多いんだろう。 ペロリと平らげて、一滴の汁も残していない。顔を上げることなく一気に食べきってしまったようだ。 フライパンに残ったのがラッシーの分だと分かっているから、おねだりしてくることはなかったけど……もうちょっと多くても良かったかな。 だからといって今さらルースだけ贔屓にすると、他のみんなの反感を買うことにもなりかねないから、ここは我慢してもらおう。 船に戻れば、ポケモンフーズをたらふく食べられるんだし。 「美味かったか?」 「バクっ!!」 食後の感想を訊くと、ルースは元気いっぱいに頷いてくれた。 ルースは甘いものが好きだけど、こういったスパイシーなものも食べられるみたいだ。 甘味も加えてあるから、多少辛くても食べやすかったんだろう。 他のみんなも幸せそうな顔で食べるものだから、さぞかし美味いんだろう。 騒ぎ出した腹の虫を抑えるのはこれくらいにして、オレも食べてみよう。 フォークでニンジンとジャガイモとコンビーフを串刺しにして、カレー風味の汁に浸しながら、一気に口に運ぶ。 「んまいっ!!」 自分でも分かるほど表情が綻んだ。 さっき味見したから味は分かってたんだけど、やっぱジャガイモだけじゃインパクトに欠けていたようだ。 スパイシーでパンチの効いた味の中に甘味や酸味がバランスよく含まれていて、なんとも言えないッ!! こりゃラッシーが食ったら大喜びするだろうな……残しといてよかったよ。 でも、ラッシーは今ゆっくり休んでるはずだ。 あまりの美味さに一気に平らげて、ナプキンで口を拭いたら、残った分をタッパーに移した。 できればラッシーも一緒に食べたかったけど、こればかりは仕方がない。 改めてみんなの様子を見やると、なんと、みんなすでに食べ終えていた。 みんな揃って満足げな表情。 ロータスはよく分かんないけど、短時間でちゃんと平らげてるところを見ると、満足はしてるんだろう……すごい食べ方をしてたんだろうけど。 みんなに喜んでもらえて、作った甲斐があったってモンだ。 「美味しかった?」 「マクロっ」 「ピッキー」 「バウっ♪」 改めて感想を訊いてみると、ルースと同じで百点満点の返事が来た。 これなら、できるだけポケモンフーズには頼らないで、オレの手料理をみんなに食べさせてみようかな。 食材の分の出費くらいなら、まあどうにか捻出できそうだし。 空になった皿を順番に見やって、満足感で胸がいっぱいになった。 「さあ、片付けよう!!」 吸湿紙で空になったフライパンを拭いて、軽く汚れを落とす。 キレイになったフライパンに水を汲んで、環境に害のない植物性洗剤で本格的に汚れを落としていく。 みんなの皿も泡立ったスポンジでキュキュッと洗う。 そうしたら、レキの水鉄砲で一気に汚れを洗い流す。 豪快に飛沫が飛ぶ。 泡が清流に落ちるけど、自然に分解して、汚染にはならない。 旅をするんだから、そういうところまでちゃんと気を配っとかないといけないよな。 ポケモンセンターで洗濯してキレイにしといたタオルで、濡れた食器や調理器具を拭いて、元通りに重ねてリュックに押し込む。 最後に、火こそ出さなくなったけど燻ってる固形燃料に水をかけて消火すれば、後片付けもオシマイ。 この燃料も、ほっとけば自然に還るタイプなんで、ちゃんと消火しとけば問題ない。 「いやあ、食った食った……やっぱ、こういうトコで食うメシは最高だな」 オレはいっぱいになった腹をさすって、頭上に限りなく広がる青空を見上げた。 しっとりした森の中で食うメシもいいけど、どうせならこういった明るくて空気のいい場所で食う方が最高だよな。 自然豊かなホウエン地方なら、景色のいい場所に立ち寄る機会も多いだろう。 これからもできるだけ寄り道しない程度にそういう場所でメシを食うようにしよう。 お腹も満たされるし、心の方もとても落ち着ける。 ケアとしては申し分ない環境がここには揃ってる。 ホウエンリーグやカントーリーグに出るっていう目的がなかったら、ここで何日かノンビリするっていう選択肢もあったんだろうけど。 でも、そんな目的を持って旅を続けていたから、こうして立ち寄ることができたわけだし…… なんていうか、縁は異なものなんだって思わせるよ。 晴れ渡った空を悠然と流れていく雲。 まさに快晴で、雨なんてとてもじゃないけど降らないんだろうな。 だったら、もう少しここでノンビリしていくか。どうせ、定期船のエンジンが直るのはもっと先の話だし。 オレはその場に仰向けに寝転んだ。岩場だけど、ゴツゴツしてはいない。 水辺の近くだけあって、むしろ冷たくて背中が気持ちいい。 澄んだ青空を視界いっぱいに収めつつ、目を閉じる。 滔々と流れ落ちる滝の音を子守唄代わりに、意識が気持ちよく弾けるのを感じた。 「バーナーっ……」 高台にたたずむラッシーの前を、つがいの鳥ポケモンが通り過ぎた。 森林の王者としての風格と威厳を感じ取ってか。 今までに目の前を通り過ぎたり、背後に気配を感じたポケモンは一体としてラッシーに襲い掛かってきたりはしなかった。 ポケモンは人間と比べるととても正直で、大部分は自分より強いポケモンに逆らったりしない。 だから、ラッシーの強さを肌で薄々でも感じたポケモンたちは、彼を畏れ敬うように、ただ黙って通り過ぎるばかりだった。 ――自分は強いのだ。 ラッシーだって、まんざらではない。 進化を果たし、ハードプラントという最高の技を覚えて、それなりに強くなったと自負している。 ――ルースやルーシー、ラズリーに負けないくらい強いのだ。 ハードプラントの使い方はラッシーが一番よく知っている。 アカツキよりも知っていると言ってもいい。 手足のごとく使えば、相性の悪いルースやラズリーを倒すことだって造作もないだろう。 アカツキのチームの大黒柱で、自分がいなければ、先行き不透明で霧がかかったような状態になるであろうことは想像に難くない。 何も、自分を崇めろとか、自分だけの言うことを聞け、などというワガママを申すつもりはない。 いくらなんでもそこまで落ちぶれているつもりはないのだ。 ただ…… 「君は最高だよ」 そう言うなら、それに見合った接し方をしてほしいと思っているだけだ。 ワガママだろうか? 誰よりも同じ時を共有してきた。『仲間』というよりも『家族』という関係が似合うポケモンは自分を置いて他にいまい。 涼やかな風が崖下から吹き上げてくる。 ラッシーの背中の葉っぱを揺らす涼風は、普段なら気持ちいいと素直に感じられるのかもしれない。 ……が、暗澹たる気分に陥りそうな心地には、生温くて鬱蒼としたジャングルを吹き抜けるような感覚でしかなかった。 ――自分が悪いのか。 ――アカツキが悪いのか。 ……どっちも悪い。 どちらかだけが一方的に悪いなどということはない。アカツキと今まで何年も暮らしてきて、それだけはよく分かっている。 ラッシーにも至らぬところはある。何がどう至らないのか。自分では分かっているつもりだ。 ただ、アカツキは分かっていない。 何がラッシーの気分を害しているのか。 先ほどは一方的に彼が悪いと思っていたが、よくよく考えてみれば、自分にも至らないところがある以上、それはない。 「…………」 別に、それを追及しなくたって、今までどおりの関係は続けていけるだろう。 アカツキと育んだ絆はハサミでも包丁でも切れないと信じているし、彼と一緒なら他には何もなくたって問題ないと思っている。 ただ、やはり中途半端なシコリはちゃんと取り除いておかなければいけないような気がするのだ。 たとえ嫌われることになったとしても、中途半端というのはラッシーのプライドが許さない。 今は結果じゃない。プロセスだ。 ここに来た時と比べると、雲が多くなってきた。 正確な方角は分からないが、西(と思われる方向)を見やると、雲が大挙して押し寄せてくる。 先ほどまでは雲一つない青空だったのだが、一雨来そうな勢いだ。 植物にとって雨は天からの贈り物、恵みの雨だ。 ラッシーは日光浴はもちろん好きだが、雨を浴びるのも好き。 ただ、浴びすぎると身体に良くないのだが…… 背後に、誰かが掘ったのかよく分からない洞穴がある。雨が降ったら、そこに入ってゆっくり休むのもいいだろう。 何をするでもなく、ラッシーは眼下に広がる森をじっと見つめていた。 後編へと続く……