ホウエン編Vol.11 潮香る港町で 庭に繰り出したオレを出迎えてくれたのは、みんなの満面の笑顔だった。 「バーナーっ……!!」 特にラッシーは、オレの姿を見るなり駆けてきた。 大きな身体で思うように走れないんだけど、それでも全速力を思わせる足取りでやってきて、蔓の鞭をオレの胸の前に差し出した。 「心配かけちゃったな、みんな。でも、もう大丈夫だから心配するなよ」 ラッシーの頭を一番に撫でて、続いてやってきたみんなの頭も同じように撫でる。 オレが元気になったことをこんなに喜んでくれてるんだって、すごくうれしい。 でも反面、心配もかけちゃったんだなあって、ちょっとだけ胸が痛いよ。 「ラッシー。無事だったんだな、本当によかった……」 「バーナーっ……」 オレはラッシーが差し出した蔓の鞭の先端をギュッと握った。 植物の触感と、確かな暖かさが伝わってきて、思わず表情が綻んだ。 定期船がエンジントラブルを起こして停泊した島を探検していた時に、途中でラッシーとは別行動することになったんだけど、 オレは合流する前にマルノームのヘドロ爆弾を食らって情けなくダウンしてしまった。 無事だとは思っていたけど、やっぱり姿を見るまでは心の底から安心できなかったんだ。 ラッシーほどのポケモンになれば、多少相性が悪いポケモンと遭遇しても、実力で相性を覆して勝利をつかむだろう。 ラッシー、リッピー、ルース、レキ、リーベル、ロータス。 大切な仲間たちが、オレを囲んで和気藹々とした雰囲気を漂わせている。 「そういや、フヨウさんのポケモンと遊んでたんだって?」 「マクロっ♪」 斜め前でニッコリと笑みを浮かべているフヨウさんの傍に、見慣れないポケモンの姿があった。 今の今まで気づけなかったのは、みんなの放つ喜びの雰囲気が強烈過ぎたからだろうか。 なんて思いつつ、ラッシーの脇から覗き込むように、彼女のポケモンを見やった。 「これがあたしのポケモンだよ。かわい〜でしょ」 「そうですね……」 一応頷いたけど、可愛いかどうかは別問題のような気がするんだな。 というのも、みんな色が暗かった。 雰囲気こそ温和で人懐っこく感じられるけど、なにぶん体色のダークさが際立ってしまっている。 フヨウさんに寄り添うようにじっとこちらを見つめているポケモンは四体。 一体はカントー地方にも棲息しているゲンガーというゴーストポケモン。 ずんぐりむっくりした紫色の身体が特徴で、意地悪とも受け取れる目つきと、得意気に歪む口元がとても愛嬌があって、可愛いとも思えるポケモンだ。 ゲンガーの右には、黒い包帯のようなもので全身をぐるぐる巻きにしたポケモン。 赤い一つ目と寸胴が強烈なインパクトを放っている。 クセなのか、灰色の手でオレを手招きしているような仕草を見せている。 その右には、黒い人形のようなポケモン。 フワフワとフヨウさんの顔の高さに浮かんでいて、縦に裂けた黒い瞳孔を持つ赤い瞳と、チャックのような口が特徴。 最後に、一番右のポケモン。 このポケモンが一番暗い雰囲気を放ってた。 ゲンガーも包帯ポケモンも人形ポケモンも人懐っこそうなんだけど、このポケモンだけは無機質な感じがする。 蝉の抜け殻を思わせる外見で、人形ポケモンと同じくらいの高さに浮いている。 頭上には白い三日月のような輪っかが浮かんでて、よくアニメとかで見る、天使の特徴でもある黄色い輪と良く似ていた。 ゲンガー以外は見たことのないポケモンだ。 みんな、彼らと遊んでたんだろうか。 レキがはしゃいでるところを見ると、結構楽しかったんだろうけど…… みんな人見知りもポケモン見知りもしないから、知らないポケモンが相手でも、馬が合えばすぐにでも仲良くなっちゃうんだろう。 これは実に羨ましいことだと思いつつ、オレは初対面のポケモンの傍に歩み寄り、挨拶をした。 「みんなと遊んでくれてありがとな。 オレ、アカツキ。みんなと一緒に旅してるんだ。よろしく」 軽く自己紹介をして手を差し出すと、真っ先に握手してくれたのはゲンガーだった。 「ゲンガーっ……」 みんなと遊んでとても楽しかったんだろう。 ゲンガーは世間で言われているようなダークさをまったく感じさせない笑顔で、オレと握手をしてくれた。 ゲンガーっていうと、生き物の影に身を潜めて命を吸い取るとか言われてる。 実際にそんなことはしないんだろうけど、昔の人はゲンガーのことをそういう風に思ってたらしい。 黒に近い紫の身体と、意地悪そうな顔を見れば、そう思うのは無理ないけどさ。 そこまでひどく言わなくてもいいのに……って思うのが正直なところだ。 続いて握手してくれたのは、人形ポケモンだった。 「ジュ……ペッ」 それが鳴き声らしい。 握った手は、人形のようなソフトな触感だった。 瞳を細め、ニコリと笑ってみせる。人形のように見えて、結構人懐っこいんだな。 残りの二体は握手こそしなかったけど、雰囲気的には友好ムードを漂わせていた。 どんなポケモンなんだろ。 ゲンガーのことは分かってるから、残りの三体にポケモン図鑑のセンサーを向ける。 まずは包帯ポケモンから。 「サマヨール。てまねきポケモン。ヨマワルの進化形。 身体の中は空っぽで、人魂が宿っていると言われているが、その真偽は定かではない。謎の多いポケモンである」 なるほど。 クセかと思った手招きは、分類上の呼び名になるような習慣なんだろう。 包帯に見えるのは、身体にくっきりと刻まれた線といったところか。 謎の多いポケモンって言うけど、実際はゴーストタイプのポケモンらしい。 続いて、人形ポケモンにセンサーを向ける。 「ジュペッタ。ぬいぐるみポケモン。カゲボウズの進化形。 捨てられたぬいぐるみがポケモンになったと言われている。ゴミ捨て場を住処とし、捨てた子供を捜して彷徨うという」 なんか、説明だけ聞いてると、すっごく悲しい経歴の持ち主なんだなって思ってしまう。 だけど、フヨウさんのジュペッタはとても人懐っこそうだ。彼女の人となりを鏡のように映しているのかもしれない。 最後に、蝉の抜け殻のようなポケモンをサーチ。 「ヌケニン。ぬけがらポケモン。ツチニンの進化形。 羽根を動かしていないのに浮かぶことができる。身体の中は空洞で真っ暗だが、ちゃんとした意志を持っている」 見た目どおり抜け殻みたいなポケモンってワケね。瞳の中は説明どおり真っ暗で、どんな気持ちでいるのか、ロータス以上につかみ所がなさそうだ。 「どう? あたしのポケモン、ステキでしょ?」 「……みんなゴーストタイプみたいですけど」 「そうよ。みんなゴーストタイプなの」 フヨウさんは胸を張って頷いた。 ゴーストタイプで脇を固めるなんて、なんていうか、ある意味すごいよこの人。 ジムリーダーなら得意なポケモンで固めるってことはあるんだろうけど、フヨウさんはジムリーダーじゃなさそうだし。 ゴーストタイプのポケモンが好きなんだろうか。 ゲンガーやジュペッタなら、体色のダークさを感じさせないような愛嬌があるから、好きになるのは分かるんだけど…… サマヨールとヌケニンは、先の二体とはまた違って、落ち着いた雰囲気。 フヨウさんのキャラに合ってないような気がするのは気のせいか。 本人が好きだって言ってるんだから、別にとやかく言うことはないんだけど。 「サナ、ルイ。楽しかった?」 フヨウさんがゲンガーとジュペッタの頭を撫でながら問いかける。 二体とも揃ってうれしそうな顔で頷く。 サナと……ルイ? ニックネームか。 口振りからすると、ゲンガーがサナで、ジュペッタがルイっていう名前らしい。 「サマヨールがグラ、ヌケニンがミアっていう名前なの」 オレが向けた視線を「紹介しろ」と受け取ったようで、フヨウさんはジュペッタとヌケニンの名前も教えてくれた。 なんか、ゴーストタイプには不似合いな名前のような気がするけど、何も言うまい。 フヨウさんとポケモン本人が気に入ってるみたいだから、他人がどうこう言うのは間違っている。 「キミのポケモンもニックネーム、あるんでしょ。紹介してよ」 「ラッシーです。オレの最初のポケモンなんですよ」 自分は紹介したから、そっちも紹介しろっていうのはごく当たり前なことだろう。 それ以上に、フヨウさんはオレたちと親睦を深めたいと思っているらしい。 明るく柔和な面持ちが、それを如実に物語っている。 だから、オレは素直にみんなのことを紹介しようという気になれた。 ルースと一緒にオレを看ててくれたっていう礼は差し引いても、この人は掛け値なしに『いい人』だってことを感じることができるんだ。 なんていうか、不思議な人なんだよな。 ダイゴさんと一緒にいたところを見ると、そう思えるのも当然なんだけどさ。 「一緒にいてくれたのがルースで、リッピー、レキ、リーベル、ロータスです。みんな、とてもいいヤツですよ」 「みんな元気そう。あたし、元気なポケモンは好きだよ」 紹介すると、フヨウさんは満足げな表情で頷いてくれた。それから…… 「みんな名前が『ラ行』だねっ。面白〜い♪」 「…………」 冗談のつもりなんだろう。 微笑みながら言ったその一言に、オレは思わず凍りついた。 ラ行って…… 言われてみるまで気づかなかったような。 ラッシー、ラズリー、リッピー、リンリ、ルース、ルーシー、レキ、リーベル、ロータス。 確かにみんなのニックネームの頭文字は『ラ行』だ。 別に意図して名付けたわけじゃないから、気づかなかったのは当然かもしれないけど。 あー、言われてみると『そうなんだ……』って思っちゃうな。 「ま、それはともかく……」 フヨウさんは手をパタパタと左右に振った。 言い出しといてそういう反応しますか…… 力いっぱいツッコミたいところだけど、サナをはじめとするみんなの手前、さすがにそれはできなかった。 忘れよう。 オレは何も聞かなかった。何も感じなかった。 「…………」 よし。 忘れたぞ。ちゃんと。 みんなの共通点がニックネームの頭文字だろうとなんだろうと、オレにとっては大切な仲間。 それだけで十分。 うん、そうだ。 そうに決まってるぞ。 なんとなく虚しくなりそうな解決を勝手に迎えていると、フヨウさんが思いもよらない言葉を連発した。 「ねぇねぇ、ヒマなら今日あたしと一緒に町中に出かけてみない? ほら、デートってやつ」 ぶっ!! オレは思わず吹き出した。 な……な…… 「デートって……冗談ですよね」 いくらなんでもキツイだろ、これは。 軽い調子で言うものだから、スパイシーなジョークとしか受け取れない。 でも……万が一本気だったらどうなるんだろ、オレ。 ミョーに心臓の鼓動が速くなってるのは、なんでだ!? いくらなんでもデートなんてオレは年齢的には早いし、別にフヨウさんのこと好きってワケでもないぞ。 そりゃ好感は持てるけど、異性を好きになるっていう気持ちとは明らかに別物だ。 知らず知らずに顔は真っ赤になって、視線があちこち泳いでいる。 そんなオレを見て、フヨウさんは声を立てて笑った。 よっぽど楽しいのか、腹を抱えている。 「……?」 「あはははは。本気にしてたの、もしかして? あははははは!!」 「……?」 「別にデートしましょって言ってるわけじゃないよぉ。 本気にしちゃうなんて、キミって子供なのにとっても純情だねぇ。 そういう子、あたし結構好きだけど、デートするんだったらキミがもうちょっと大人になってから。 その方が楽しいに決まってるじゃない。にゃははっ♪」 「…………」 からかわれてたのか。 別に本気にしたつもりはないけど、フヨウさんにはそういう風に受け取れたんだろう。 あああああ…… なんか穴があったら頭だけでもいいから突っ込んで、誰の視線も気にせずに隠れたい気分だよ…… オレ、なんでこんなにドキドキしてたんだろ。 今さらながらのように後悔してる。 この人のゴーストタイプのポケモンが好きってところ、まさに『つかみどころのない』性格なんだろう。 悪意がなければ善意もないっていう、一番厄介なタイプの人だ。 でも、だからって彼女に対する好感度が変わるわけじゃない。 「からかってゴメンネ。 つい、年下の男の子と一緒にいると、そういうことしたくなっちゃうの」 笑うことは止めたけど、フヨウさんはニコニコ笑顔で、顔の前で両手を合わせて謝ってきた。 本気で謝ってるわけじゃないのは、顔を見れば分かる。 「…………」 その顔がどこかナミに似ているような気がして、オレは何も言えなかった。 『つい』って言うか、それは病気だろ、と思いっきり突っ込んでやりたい気持ちがモヤモヤと残っている。 「まあ、冗談はこれくらいにしといてね……サナ、ルイ、グラ、ミア。戻っててね」 フヨウさんはオレの気持ちなど知らん振りであっさり言うと、傍に控えるゴーストポケモンをモンスターボールに戻した。 さっきは気づかなかったけど、腰にモンスターボールを差していたんだ。 ダイゴさんの知り合いなら、ポケモントレーナーだとしても不思議じゃない。 進化形のポケモンばかり、それもゴーストタイプばっかりだけど、それ相応のこだわりがあるってことなんだろう。 「じゃ、行こっか」 「えっ……え!?」 オレの答えも聞かず、フヨウさんはオレの手を取って駆け出した。 突然のことにビックリして、オレは半ば引きずられるような形でたたらを踏んで……数歩歩いたところで足を止めた。 「ちょ、ちょっとフヨウさん。オレ、まだなんにも言ってませんよ」 「いいじゃない。付き合いなさいよ」 反論したけど、あっさりと切り返され、さらに返す言葉に詰まってしまった。 「ねっ、行きましょ」 「って、ちょっと待って!!」 またしてもオレの手を取り駆け出そうとしたフヨウさんを呼び止める。 今度は足腰に力を込めて踏ん張ったから、一歩も進まなくて済んだ。 みんなが見ている手前、これ以上の醜態は避けたいところ。さっきからずっと、みんな何も言わずにオレたちのやり取りを見てたんだ。 あー、もう恥ずかしいったらありゃしないッ!! せめて、どーにかしてみんなが見なくて済むような状態を作り出さないと!! フヨウさんと街に繰り出すか否かというよりも、そっちの方が気になって仕方がない。 「みんなを戻してからでいいですか?」 「いいわよ。早くしてね」 フヨウさんは手を離してくれた。 オレが行くっていう前提を押し出したような口調だけど、この際付き合うしかなさそうだ。 ルースと一緒にいてくれた礼も兼ねて。 ……っていうか、それ以外の理由が見当たらなくて、理由もなく女性と街中を歩くというのはなんか嫌だったんだよな。 別に本気でデートするわけでもなし、ショッピングに適度に付き合うって感覚でいいんだろう。 フヨウさんの軽い調子を見てると、そんな感じがする。 「みんな、戻っててくれ」 オレはみんなをモンスターボールに戻した。 街に繰り出すのに、ポケモンをゾロゾロと連れてったら、それこそ余計なトラブルを招きかねない。 下手にちょっかいを出してこようものなら、リーベルが返り討ちにしてしまうだろう。 変な揉め事を起こすのは、オレとしても困るんだよね。 「じゃあ、行きましょうか」 「うんっ♪」 フヨウさんはうれしそうな笑顔で大きく頷いた。 ……そういえば、仕事が一段落ついて、一週間くらい休みだって言ってたっけ。 暇で仕方ないって言ってたから、誰かと一緒に街中を散策したいと思ってるんだろう。 オレも目を覚ましたばかりだし、身体を本調子にするのに、少しは歩き回った方がいい。 いいものがあったら、この機会に買い込んでおきたい。 モンスターボールを腰に差し、オレはフヨウさんと手をつないだ。 端から見てるとカップルに見えなくもないんだろうけど、なにせ歳の差が見た目にも明らか。 仲睦まじい姉弟っていう印象の方が強いかも。 ポケモンセンターの敷地を出たあたりで、フヨウさんは腕をオレの腕と絡ませたりしたけど、これくらいは許容範囲だった。 知り合いがこの街にいるわけじゃないし……少しくらいならこういうのもいいだろう。 万が一にもナミがこの光景を見ていたとしたら、激しく嫉妬するんだろうな。 どういうわけかオレと女性が一緒にいるのを見るだけで、『なによあの娘(コ)』なんて口を酸っぱくするんだ。 そうせざるを得ないほど感情を昂らせるのは、あいつにとってオレがとても大切な存在(従兄妹や普通の兄弟みたいに)なのかもしれない。 ポケモンセンターを出ると、港町らしい景観が広がっていた。 コンクリートで舗装された近代的な街並みに建ち並ぶのは、港町らしい景観を意識した地味な佇まいの建物。 南北に伸びる大通りを行く人たちは揃ってラフな服に身を包んでいる。 ファッションとしても洗練されていて、さすがは港町――いろいろな文化が交わる街だけのことはあると唸らせる。 「ね、市場に行こうよ」 「市場?」 「うん」 フヨウさんが指差した先に目を向けると、道路地図があった。 街の名所や目ぼしい施設が注釈つきで示されている。 カイナシティは南北に長い街で、港は街の南端に位置している。 街の南部はビーチが広がっていて、北へ向かうに連れて近代的な街並みが広がっていくらしい。 港から街に入ると、フォークのような三叉の道になっていて、真ん中の道を行くと、今いるポケモンセンターにたどり着ける。 左の道はフヨウさんが言った市場に通じる道で、右は港町ならではと言える『海の博物館』やデートスポットの灯台通りがある。 街の中心部で三叉の道は交わって、一本の大きな道となって街の北へと続いている。 次のジムがあるキンセツシティは、カイナシティの北に位置しているから、そっちに歩いていくことになるんだろう。 ただ、中心部とは名ばかりで、名所らしい名所はもっぱら南部に集中してるのが実情だ。 ビジネスシティとしての色合いが強いといったところか。 「カイナシティの名物といえば、カイナ市場なんだよ」 フヨウさんに腕を引かれ、オレは歩き出した。 この街のことをよく知っているのか、ロクに標識類に目を向けなかったけど、足取りは迷いなど微塵も感じさせないものだった。 まあ、今日一日付き合うだけだから、どこへ行こうと、それは彼女が決めればいい。 オレはただ黙ってついていき、適当に相槌を打つ。 一緒に楽しめるだけの余裕があるかは分かんないけど、せっかくの機会だ、できるだけ楽しむ方向で行こう。 カナズミシティと違って、高層ビルがまったく見当たらないものだから、とても開放的な印象を受ける。 青い空はとても広く、地味な色の外観と控えめな階層の建物や、波のようにウェーブのかかった丸い街灯。 そういったものが妙にマッチして、同じ港町でもクチバシティとはまた違った印象。 一口に港町と言っても、その地方によって景観もまた異なるんだろう。 見たことのない形の建物とか、アートと言えるような噴水に目を向けながら歩くうち、通りの両脇に店がちらほらと点在し始めた。 先が曲がった電柱に吊り下げられた看板は風に揺れ、『カイナ市場』と青地に白い文字で踊るように書かれていた。 「ここからがカイナ市場だよ」 フヨウさんは目を輝かせながら言った。 市場通りは、気のせいかポケモンセンターのある中央の通りと比べて人手が多いような気がするんだ。 名物なんだから、そりゃそうなんだろうけど…… 「いっぱい店があるんですね」 「うん。ここなら大体のものは揃うんだよね」 「へえ……」 他愛ない会話で盛り上がりながら、オレはフヨウさんに腕を引かれて、あちこちの店を覗いた。 大半はウィンドーショッピングだけど、いかにも港町のブティックといった佇まいが印象的なブティックに入ると、フヨウさんの表情が一変した。 ただでさえ明るいのに、きれいな洋服を見ると、もっともっと明るくはしゃいだ。 身体つきは大人でも、ハートの方は子供っぽさが残っているような人だ。 悪く言えば子供なんだろうけど、子供心を忘れない大人っていう風にオレには映ったよ。 フヨウさんは店内にかけられた服を手当たり次第に試着し始めた。 それから、時々オレに「どう、似合う?」なんてくるっと一回転してスカートの裾をなびかせながら感想を求めてきたりした。 オレはその度「似合いますよ」とか「もう少し控えめな方がいいんじゃないですか」と、ごく普通に感想をつけた。 だけど、フヨウさんはオレの言葉を真剣な面持ちで受け止めては、「似合う」と言った服を次々にカゴに放り込んでいった。 まさかこれ全部買うつもりなんだろうか。 お世辞にも金持ちには見えないし、服についた値札は、少なくともオレの小遣いじゃ手の出ない値段ばかりだった。 店員さんは上客だとニコニコしてたけど、雰囲気的には呆れてるような感じだったな。 当のフヨウさんはそんなことを気にせず、カゴの中に山のように積み上げられた衣服を、なんと買い上げてしまった。 支払いはと訊かれて、彼女が財布から出したのはクレジットカード。レジに映った金額は『ゼロ』が五つ並んでたんだけど、フヨウさんは「一回で」と言った。 一回払いでこんなにたくさん服を買うなんて、もしかしたら今巷で大流行の『買い物依存症』なのかと思ったんだけど……そうじゃなさそうだった。 十着以上の服を畳んで紙袋に入れるのには時間がかかりすぎると判断したんだろう、茶髪の店員さんは店の奥から別の店員さんを呼んで、手伝わせた。 キャミソールやスカートが紙袋に入るまでの間、オレはそっとフヨウさんの耳元で問いかけた。 「こんなにたくさん着るんですか?」 「そうだよ」 さも当然と言わんばかりに頷かれ、オレは本気で返す言葉がなかった。 一度にこんなにたくさん服を買って、目移りしないんだろうか。 着る、着ないはともかく、十万単位の買い物をしといてクレジットカードの一回払いっていうのがすごい。 「では、こちらにサインをお願いします」 差し出されたペンを持って、傍らの領収書に軽くサインするフヨウさん。 記された金額を見ても、眉根一つ動かさない。 豪胆っていうか、恐れ知らずっていうか……ホント、すごいよこの人。 三分くらい経って、やっと紙袋二つに購入した服が収まった。 差し出された紙袋を手にすると、店員さんは二人揃ってフヨウさんに頭を下げた。 「ありがとうございました〜」 フヨウさんはオレの腕を払って、両手に紙袋を提げて、ブティックを後にした。 モノが服だけに、そんなに重くはなさそうだけど…… 「あの、フヨウさん。片方持ちましょうか」 「うん。お願い」 オレがそう言い出すのを待ってたって口振りだな。 ニコニコ笑顔で、左手に持ってた紙袋をオレに渡した。 オレがそれを左手に提げたのをいいことに、フヨウさんは空いた左腕を、オレの右腕に絡めてきた。 うわ、やる気満々ですよこの人。 今さら何も言うつもりはないけど、やることが早いよなあ…… ハッキリ言って紙袋は軽いんだけど、それでも女性に両方とも持たせるってのは、マジで気が引けた。 端から見れば、女性に持たせてる……なんて子なの。なんて思われるかもしれないし。 誤解でもそれは嫌だよな。 「キミ、優しいんだね」 「そんなに重くないですし……別にいいですよ」 心をくすぐることを言われ、オレは鼻が痒くなった。 優しいって言われても、別に優しくしようと思ってやったわけじゃない。 でも、なんだかうれしいな。 片手に紙袋を提げてる状態じゃ、これ以上買い物をしようという気にはならないらしく、それから訪れた何軒かの店もウィンドーショッピングで済ませた。 フヨウさんはとても楽しそうな顔で、うれしそうな声音で話しかけてきた。 彼女からすればオレはまだまだ子供なんだろうけど、それでもこんなにうれしいなんて、よっぽどヒマを持て余してるんだろう。 誰彼構わず一緒に街に繰り出せればいいのかもしれないけど、オレは別にそんなことを気にしてはいなかった。 気にする理由はないし、誰かの笑顔を見られるのは、オレとしても心が落ち着くんだ。 通り沿いのカフェで軽く昼食を摂った。 それから、また市場通りを南下して、ウィンドーショッピングを楽しんだ。 フヨウさんに引きずられるような形でオレは付き添ったけど、それを苦に思わなかったのは、彼女の明るさがあったからじゃないかと思った。 「ねえ、ビーチ行かない? 潮風って、気持ちいいんだよ」 フヨウさんの言葉で、オレたちは港と街をつなぐコンクリートの桟橋の脇にある階段を降りて、水着を着た人で賑わうビーチへと足を運んだ。 波打ち際で海水を掛け合ってはしゃぐ子供。 チェアーでうつ伏せになって、彼氏にサンオイルを塗ってもらっている女性。 ビーチバレーを楽しんでいる男女。 同じビーチで、別々の時間を過ごしてる人たちの合間を縫うように、オレたちはサラサラした砂を踏みしめながら歩いていた。 「いや〜、海って近くで見るとやっぱりキレイよねぇ」 フヨウさんは時折深呼吸などしながら、きらめく波間に目を細めた。 「そうですね。意外と」 オレはとりあえず相槌を打った。 見慣れてるってほど毎日海を見てるわけじゃないんだけど、別に今さらどうのこうのと思ったりはしないモンだよ。 もしかして、フヨウさんはあんまり海を見られないような場所で仕事をしてるんだろうか。 適当に会話しながら、砂地を踏みしめてビーチをめぐる。 東西に広がるビーチを西へ西へと向かっていることに気づいたのは、周囲の人影が疎らになってからのことだった。 半ばフヨウさんのエスコートで進んでるようなものだから、どこに進もうが構わなかったんだけど…… そのせいで気づくのが遅れてしまったんだ。 「あの、どこまで行く気なんですか?」 さすがにこれ以上進んでも、何も見るものなどないだろう。名所があるわけでもなさそうだ。 だから、オレは思いきって口を開こうとして―― わずかに早くフヨウさんの口から言葉が飛び出してきた。 「ん〜、このへんでいいかな」 「……?」 一体どういう意味なのか。 オレは思わず言葉を飲み下した。 つかみ所のなさそうな性格でもって発せられた言葉にどんな意味があるのか……それが分からなかったからだ。 「ここなら思いきりはしゃいでも問題ないよね」 「あの……どーいうことなんですか?」 「持ってくれてる袋をそこの木の下に置いて」 「はあ……」 問い返すもまったく取り合ってもらえず、オレはただ従うしかなかった。 言われたとおり、手近なヤシの木の根元に紙袋をそっと置いた。 これから一体なにをするつもりなんだろう。 思いきりはしゃいでも問題ないって……これから思いきりはしゃぐぞと言わんばかりじゃないか。 オレと同じように、紙袋を木の根元に置いて戻ってくるフヨウさんに向ける眼差しには、自分でも分かるほど疑念があった。 もともと感受性が豊かな方なんだろう、彼女はオレが向けた視線の意味にすぐに気づいたらしく、ニコリと微笑んで、 「じゃ、始めましょっか」 「…………?」 主語のない言葉じゃ、何がなんだか分かんない。 呆然としているオレに見せつけるように、微笑みながら腰のモンスターボールを手にとって、掲げてみせた。 「キミもポケモン、出しなよ」 「別に構わないんですけど……何するつもりなんですか?」 さっきから疑問形ばかりだなあ、オレ…… 嫌ってくらい分かってるんだけど、相手が何をしたいのかまるで読めないんだから、それも仕方のないことだ。 「決まってるじゃない。 あたしが直々にキミのポケモンを強くしてあげるの」 「ええっ?」 オレの耳、おかしくなったんだろうか。 素っ頓狂な声を上げながらそんなことを思った。 「……ってわけで、サナ〜、出てきて〜」 オレの気を知ってか知らずか(たぶん知らないな、こりゃ……)、フヨウさんは掲げたモンスターボールの中にいるサナに呼びかけた。 すると、ひとりでにボールが開いて、中からサナが飛び出してきた。 「ゲンガーっ♪」 何が楽しいのか、サナは飛び出してくるなり足元を見ながら飛び跳ねた。 どうやら、足がサラサラした砂に埋もれるのが楽しいらしい。 「ほらほら〜、もたもたしないでさっさとポケモン出しちゃってよね〜」 「…………」 フヨウさんはすっかりやる気になっている。 わざわざ人気のないところまでオレを連れてきたのは、ポケモンバトルをするためだったのか。 だったら、何もここに来るまでの間、黙ってることなんてなかったはずだ。 正直に話してくれれば、オレだって別に拒否したりはしないのにさ。 それが分からないフヨウさんじゃないと思うんだけどなあ……大方、驚かせてやろうという腹積もりだったんだろう。 「やる前に一つだけ聞いてもいいですか?」 「ん〜、いいよ〜」 あまりに軽い調子で言われ、一瞬思考がマヒしたんだけど、すぐに切り出した。 「なんでわざわざそこまでしてくれるんですか?」 「ん〜、キミのことを気に入っちゃったから。それじゃあダメかなあ」 「え……」 即答。 ある意味当然の答えに、それこそオレは撃沈されてしまった。 「だって、キミのポケモンからは、キミのために頑張ろうっていう気持ちがビンビン伝わってくるんだよね。 そうやって一生懸命になってるポケモンを見るとね、応援したくなっちゃうの。 それって、悪いことなのかなあ?」 「…………」 「そういうわけだから、キミが一番強いって思ってるポケモンを出して、あたしのサナとバトルしましょ♪」 言ってることが正論だから、何も言い返せない。 とはいえ……実戦形式でレベルアップを図るということか。 せっかくバトルの機会を与えてくれるんだから、ここはフヨウさんの『厚意』に甘えさせてもらうことにしよう。 フヨウさんのポケモン――見る限り、サナはとてもよく育てられている。 ゲンガー繋がりで、親父のゲンガーと、どっちが強いんだろう。 実際に目の前で戦わせてみたいという欲求を振り払い、フヨウさんとの距離を取った。 一番強いポケモンって言ったら、やっぱりラッシーしかいない。 人気のない砂浜なら、どんな大技を繰り出しても、周囲にそれほど影響を及ぼすことはない。 せいぜい砂浜の形が変わったり、ヤシの木が何本か折れたりするかもしれないけど、それくらいなら気にしない、気にしない。 「じゃ、行きますよ」 「ドーンと来なさい。あたしのサナはね、そう簡単に勝てるような相手じゃないわよぉ」 オレは小さく頷き、モンスターボールを軽く上に放り投げた。 「ラッシー、行くぞ!!」 オレの呼びかけに応え、ボールが口を開いて、中からラッシーが飛び出してきた!! ずっ。 ラッシーの四本の脚が、砂にのめり込む。 元々素早い動きを苦手としているラッシーだから、砂に脚を取られて身動きが取れなくても問題ない。 攻撃手段も豊富で、遠近両用の対応ができる。 なにせフヨウさんは一番強いポケモンをご所望の様子。 だったら、ラッシーじゃなきゃとても釣り合わないだろ。 「うーん、やっぱりラッシーちゃんね。まあ、誰が相手でもいいけどさ……」 ラッシーを見やり、フヨウさんが目を細めた。 口元に浮かぶ笑みが妙にコワイように思えるのは、果たして気のせいだろうか。 「んじゃ、やりましょうね。 先手は譲ってあげるわ。かかってらっしゃ〜い」 その表情のままで手招きするものだから、マジでグラを見てるような気持ちになる。 キレイなバラにはなんとやら、とは良く言うけど、今のフヨウさんはその通りかもしれないと思った。 彼女の実力がどれほどのものかは知らないが、実戦形式でのレベルアップは、ポケモンバトルにおいてはかなり効果的だ。 機会があるなら、一度でも逃したくない。 「先手はこっちか……どう攻める?」 大方、最初の一手を見極めて、そこから連鎖的に攻撃を繰り出そうという、受けタイプの戦略が隠されてるってところだろう。 でも、見極められないような一手を繰り出せばどうなるか。 相手の戦略を打ち崩せるってワケさ!! 「ラッシー、日本晴れからソーラービーム!!」 速攻コンボを発動させる!! ラッシーが何も言わずに空を仰ぐと、周囲に熱気が漂い始めた。降り注ぐ日差しも強くなる。 「へえ、そういうことをしますか……」 フヨウさんは驚くどころか、むしろ楽しんでいるような口調でつぶやいた。 こうなることを予想していたか……? 日本晴れからソーラービームなんて、ありきたりだけど不意を突けるコンボだ。 でも、もしフヨウさんがこうなることを予想していたとしたら……反撃の一手は…… 「暑いのは苦手なの。サナ、雨を降らせて」 雨乞い……!! 「ゲンガーっ……」 サナが指をクルクル回すと、立ち込めるような熱気が消えて、代わりにぽつりぽつりと雨が降り始めた。 薄い雲が上空にかかって、日差しが遮られる。 「……なかなか戦る(やる)な……」 日本晴れからソーラービームの速攻コンボを崩すのに、雨乞い以上の手段はない。 日本晴れで日差しが強くなっている状態なら、ソーラービームを発射するのに一秒も必要ない。 でも、日差しが遮られている状態だと、発射のために必要な光を集める時間が増える。 つまり、発射までに時間がかかる上、威力も大幅に低下してしまうんだ。 さらには、草タイプのポケモンの多くが使える『光合成』も、光の量が減れば、回復する体力の量も極端に低くなる。 たかが雨乞い……と思って侮っていると、後々ややこしいことになるんだ。 でも、日本晴れに対して雨乞い、なんて指示をすぐに打ち出せるなんて、フヨウさんは並のポケモントレーナーじゃない。 小麦色の砂浜に雨粒が染みこんで、茶色に変わっていく。 雨乞いを使うとすれば、次の一手は決まっている。 オレがフヨウさんの立場なら、雨を伝って必ず攻撃が命中する技を指示するだろう。 だったら…… 「ラッシー、眠り粉からマジカルリーフ!!」 「サナ、ゴロゴロドカ〜ンっと雷を降らせちゃえ!!」 オレとフヨウさんの声は同時に砂浜に響いた。 やはり雷で来たかっ……!! ラッシーが背中の花から眠り粉を巻き上げ、続いてマジカルリーフが眠り粉を突き破ってサナ目がけて虚空を疾る!! わずかに遅れて、サナが頭上に掲げた手に光が宿り、電撃の帯となってラッシーに突き刺さった!! 「……くっ」 空気の塊を押し付けられたような衝撃を覚え、オレは思わず呻き声を漏らした。 サナの雷がラッシーにぶつかった余韻みたいなものだけど、余韻でここまでの衝撃をトレーナーに与えるなんて…… でも、ラッシーの草タイプは電気タイプの技には強い。 さらに、脚が砂に埋もれている状態じゃ、食らった電撃の半分とまでは行かないけど、かなりの量が地面に逃げていくはずだ。 豪快に食らったように見えても、ダメージはそれほどではないはず。 「ラッシー、大丈夫か!?」 衝撃が止んで、オレはラッシーに問いかけた。 「バーナーっ」 ラッシーはオレに背を向けたまま、小さく頷いた。 雷のダメージは小さいけど、問題は別のところにある。 「サナ、ナイトヘッドでそこの葉っぱを撃ち落として」 続いてサナが目から黒い光線を発射し、左右から挟み撃ちにするように突き進んでいたマジカルリーフを撃ち落とした!! 普通のゲンガーなら、ここまで素早い対応なんてできないだろ……親父ほどのゲンガーなら話は別だけど…… 言い換えれば、サナは親父のゲンガー並の実力は持ってるってことか。 そこまで育て上げるフヨウさんのトレーナーとしての実力もかなりのものってことだ。 でも、だからって負けてはいられない。 雨を伝って雷――のみならず電気タイプの技は確実に相手に当たるようになった。 もう一度日本晴れを使って、ソーラービームの速攻コンボを使用可能にするのもいいけど、日本晴れはかなりの体力を消耗する。 だったら、消耗した体力を光合成で回復すればいいじゃないかっていう意見もあるけど、それは残念ながら不採用。 フヨウさんならそこまでの時間を与えてくれそうにない。 電気タイプの技が確実に当たり、ソーラービームを発射できないような不利な状況だけど、ここで何とかするしかない。 状態異常の粉がマジカルリーフにくっついてると知ってて、ナイトヘッドで撃ち落とさせたかまでは分かんないけど…… ラッシーの周囲に、眠り粉が降り注ぐ。 それを警戒して、フヨウさんはサナに指示を出さない。 だったら、この状況を利用させてもらう。 「ラッシー、蔓の鞭!!」 「バーナーっ……!!」 オレの指示に、ラッシーは渾身の声をあげ、背中から二本の蔓の鞭を発射した!! 避けるなら避けてみろ。 下手に避ければ、ヘドロ爆弾やマジカルリーフが飛ぶぜ。 受けたら受けたで、それこそとんでもないことになるけど。 蔓の鞭は途中で左右に揺れながら、しかしサナ目指して突き進んでいた。 さあ、どうする!? フヨウさんが口の端をかすかに吊り上げた。 ……来るっ!! 「サナ、避けずに催眠術」 「…………!?」 避けもせず、かといって迎え撃つこともせず。 ダメージを受けることすら厭わずに攻撃を繰り出してくるなど、オレはまったく予想していなかった。 サナが動く。 飛び跳ねるような動きでラッシーに向かってくる。 途中で蔓の鞭に横っ面を引っ叩かれたけど、それでも臆することなく、口元に笑みを浮かべたまま。 うわ、怖ッ!! これがゴーストポケモンだ、と言わんばかりの表情に、オレは背筋を震わせた。 「……ラッシー、ヘドロ爆弾!!」 こっちがビビってちゃ意味ないじゃん。 ビビりかけた自分に喝を入れ、ラッシーに指示を出す。 ラッシーは口を開き、体内の毒素を凝縮したボールを吐き出した!! 相手に炸裂した瞬間に、凝縮した毒素が飛び散って二次災害……じゃなくて二次的なダメージを与えることができる。 ただ、ゲンガーは毒タイプを持ってるから、ダメージはそれほど大きくないだろうけど……ある程度の牽制になれれば、それでいい。 わずかでも怯んでくれれば、マジカルリーフと状態異常の粉を再び食らわせてやる。 ばしゃぁっ!! サナはまたしても避けることなく、真正面からヘドロ爆弾を浴びた!! 毒タイプのポケモンに対して毒素は効果が薄い。 表情ひとつ変えず、ラッシーの眼前に到達する。 「ゲンガーっ……」 誘惑するような声を上げ、ラッシーの目の前に手を掲げるサナ。 「ラッシー、見るなよ!!」 「遅いよ。ラッシーちゃん、サナのトリコになっちゃった♪」 催眠術は、目を閉じていれば避けることができる。 でも、間に合わなかった。 フヨウさんが妙にうれしそうな声で言うのだから、それは事実なんだろう。 ラッシーの蔓の鞭が、力なく地面に垂れる。操る意志がなくなった……眠りに落ちてしまったからだろう。 まずい…… 眠らせるつもりが、逆に眠らせられるとは思わなかった。 いや、サナもあと何十秒もすれば確実に眠る。 眠り粉を浴びた蔓の鞭をまともに食らったんだから、体内に粉の成分が取り込まれている。 恐らく…… フヨウさんはそれを承知の上で、催眠術でラッシーを眠らせ、短期決戦の場を組み上げたんだ。 ……恐ろしい戦略を平気で、しかも笑いながら実行するなんて、マジでヤバいトレーナーかもしんない。 ラッシーが眠ってしまった以上、オレには為す術がない。 相手の攻撃を食らって起きるのを期待するしか……そこから猛反撃を繰り出してサナを倒すしかない。 勝つためなら、ハードプラントを発動させるしかないんだけど……それはサナが眠る前にラッシーが目を覚ました場合の話。 今は仮定の話を進めても仕方がない。 バトルの推移を注意深く見守ることにしよう。 「じゃ、そういうわけでサナ。呪いをかけて、悪夢も見せちゃいましょ」 「げ……」 マジでえげつない指示に、オレは言葉を失った。 眠って動けない相手に呪いをかけ、さらに悪夢まで見せるか……? フヨウさんの指示した技は『呪い』と『悪夢』。ゲンガーの得意とする技の一つだ。 『呪い』は、相手に呪いをかけて、徐々に体力を削り取っていく技だけど、それはゴーストタイプのポケモンが使った場合の話。 その他のポケモンの場合は同音異語の『鈍い』になる。 素早さが下がる代わりに、攻撃力と防御力が上昇する、能力アップの技になるんだ。 ゴーストタイプのポケモンとそれ以外のポケモンでどうして効果が異なるのかはよく分からないけど、実際に使われてみると、とっても嫌らしい。 サナの身体から、燃えるような赤い光が空に立ち昇り、一箇所に集まって槍のような形になった。 槍で言えば穂先の部分が斜め下を向いていて、今にもラッシーを串刺しにせんと構えていた。 今のラッシーに回避の手段はないから、心配するだけ無駄なんだろうけど……それでも心配してしまう。 サナが腕を降ると、赤い槍がすごいスピードで降ってきて、ラッシーの身体に突き刺さった!! でも、身体のダメージはない。 あくまでも『呪いにかかった』だけで、むしろダメージを受けるのはこれからだ。 時間の経過によって体力を削り取られていく。 さらに、ラッシーの身体を黒い靄のような何かが取り囲んだ。 悪夢……!! 眠っている相手に対してのみ有効な技で、眠っている間、徐々に体力を削り取っていく。 『呪い』と似ているようだけどまったく別な技だ。 だからこそ、『呪い』とタッグを組むことができる。 催眠術で相手を眠らせ、反撃を受けずに済む状態にしてから呪いをかけ、さらに悪夢とダブルで体力を削り取る……!! なんて恐ろしいコンボだろう。 確かにそういうコンボもあると、前から知ってたけど、こんなに大胆に使ってくる人はマジで初めてだ。 ダブルで体力を削られれば、それこそあっという間に体力が尽きてしまうだろう。 その気になれば、サナ一体で複数のポケモンを倒すこともできる。 もっとも、ゴーストタイプのポケモンが使う『呪い』は、体力を半分使って発動するというリスクがある。 発動した後に敵の猛反撃を受けて倒されては元も子もないからこそ、先にラッシーを眠らせたんだ。 もちろん、悪夢とのコンビネーションも狙って。 ここまで鮮やかな手口を見せつけられると、オレがどんな戦術で攻めても、こうなるように仕向けてたとしか思えない。 ニコニコしてるその裏で、とんでもない作戦を練ってたってワケだ。 「んじゃ、トドメに夢食いねっ♪」 ばしゅんっ!! フヨウさんの言葉が終わるが早いか。 ラッシーの身体がびくんと震え、四本の脚をだらしなく伸ばして倒れ込んだ。 「ゆ、夢食い……」 技の名をつぶやく声が震えていることに、当然オレは気づいていた。 だって、ラッシーはもう戦闘不能になっちゃったんだから。 呪いと悪夢のダブルコンボで体力をあっという間に削られた上、夢食いで残り少ない体力を吸い上げられてしまったんだから。 夢食いはエスパータイプの技で、眠っている相手の夢を食べて、体力を奪い取ってしまう。 相手にダメージを与えつつ、自分の体力を回復できるという便利な技だけど、悪夢と同じで、眠っている相手にしか効果がない。 ラッシーの毒タイプはエスパータイプに弱いから、一気にゴッソリ体力を奪われてしまった。 呪いで消費した体力を、夢食いで補充する…… さすがにプラマイゼロにすることはできないだろうけど、何度もコンボを使うのに必要なくらいは補充できるだろう。 だとすれば…… マジでヤバくてハードなコンボだ。 こんなのを平然と使う人も初めて見たし。 いくら親父でも、ここまではしてこない。正攻法で、圧倒的な攻撃力を武器に一気になだれ込んで来る。 フヨウさんは、イリュージョンみたく華麗に技を使いこなす。それも、補助タイプの技を。 同じポケモンを使っていても、親父とはスタイルが全然違う。 「はい、おしまいっ」 フヨウさんは勝利宣言をすると、サナをモンスターボールに戻した。 勝敗は明らかで、これ以上戦う必要はないという判断だろう。 まあ、そりゃそうなんだけど…… なんていうか、イマイチ負けたっていう実感が湧かないのは、フヨウさんがめちゃくちゃ明るいキャラをしてるからだろうか。 そんな風に思ったりしてるんだけど。 「ん〜、まあまあだね」 サナのボールを腰に戻しながら、フヨウさんは歩いてきた。 ちょっと迂回すれば雨に濡れずに済むのに、わざわざ小雨の中を一直線に歩いてくる。 もう止む寸前だから、別に濡れても構わないって思ってるんだろうか。 それはともかく…… 「ラッシー、戻ってくれ」 オレもラッシーをモンスターボールに戻した。 この分だと、今日もカイナシティのポケモンセンターに泊まっていくことになりそうだな…… あんまりノンビリしてられないところだけど、この際仕方がない。 オレも寝覚めで身体の調子が完璧ってワケでもないし……一泊して、憂いを完全に断ち切っておこう。 「あたしの相手にはちょっと物足りないかな」 「……そうみたいですね」 普通の人が同じ言葉を発したら、バカにされてると思ってカチンと来るところだけど。 どうにも彼女の明るいキャラに触れていると、嫌味に聞こえないから不思議だ。 だから、オレも普通に応じることができるんだけどさ。 フヨウさんって一体何者様……? ダイゴさんの知り合いってところからして普通のトレーナーじゃないと思うんだけど…… オレの自慢のラッシーをこうもあっさり倒してのけるんだから。 相性の優劣がない状態では、純粋な力比べ。ラッシーはそれに負けてしまったんだ。 下手をすると、親父のゲンガーよりも強いんじゃないだろうか、フヨウさんのサナは。 「でも……いい経験になったと思います。ありがとう、フヨウさん」 「ん〜、素直で結構」 負けたのは悔しいんだけど……でも、いい経験になった。 こういう風に攻めてくる相手も実際にいるってことで、そういった戦い方を好む相手に対する策も練ることができる。 次は、今回のようにあっさりと勝たせはしない。 いつかまた戦うことがあったら、その時は必ず勝つ。 彼女が何者だろうが、そんなものはどうでもいい。 興味はあるけど、無理に知りたいとは思わないし。 胸のうちで静かに闘志を燃やしていると、フヨウさんは覗き込むように顔を近づけてきた。 「……?」 「キミの戦い方ね、遠距離攻撃に頼りすぎ。近づかれちゃったらどうしようもなくなるのが辛いよね」 「…………」 ニコニコしたまま、真面目な話を始めちゃったりするんですけど。 でも、その内容がこれまたシビアだなあ。 オレの戦い方なんて、たった一度の、しかも短いバトルでそう簡単に分かるものなんだろうか。 そう思っていると、次の言葉がかかる。 「確かにラッシーちゃんはマジカルリーフやヘドロ爆弾、ソーラービームといった遠距離攻撃が得意みたいだね。 だけど、それに頼ってばかりじゃ、接近戦で手も足も出なくなっちゃうよ。 そこんとこだけ、これから気をつけたほうがいいね」 「……そうします」 言われてみると…… 確かにその通りだった。 オレは今までのバトルを振り返った。 そんなに回数は多くないけど、ラッシーを活躍させたバトルは全体の半分以上を占めている。 れだけラッシーの強さを当てにしてるわけだけど、だからこそフヨウさんの言葉は胸に染みたよ。 ラッシーの得意技はすべてが遠距離攻撃可能なものばかり。 もちろん接近戦でも発動できるけど、バックファイアを食らう可能性を考えると、やっぱり距離を置いて発動した方が安全だ。 あまつさえラッシーはお世辞にも動きが速いとは言えないから、張り付かれると何もできなくなる。 フヨウさんはそこんとこを指摘してくれたんじゃないだろうか。 接近戦を得意とする相手は、大抵接近される前に撃破してるけどさ。 この先、そうはいかないような、一筋縄ではいかないような相手と戦うこともあるだろう。 その時のために対策を打てと、アドバイスをくれたんだ。 「あと、眠り粉とマジカルリーフを組み合わせた戦い方だけど……」 うん……? そこにも何か改良点があるんだろうか。 オレはフヨウさんの次の言葉をドキドキしながら待った。自分で組み上げて、完璧な攻撃方法だと思ったんだけど…… そこにさらにプラスするものがあるのなら、さらに磐石に近づける。 こりゃ期待を抱かざるを得ないでしょ。 「あれはいいわね。あたしも参考にさせてもらおうかしら」 改良点じゃないけど、素直に誉められて、気分的にはハッピーだ。 「キミ、歳いくつ?」 「十一歳ですけど……もうすぐ十二になります」 「トレーナーを始めて一年経ってない割には、なかなかの実力ね。将来が楽しみ♪」 「…………」 どういう意味で楽しみなのか訊きたいんだけど、頭ん中にある言葉が返ってきそうで怖かったんで、止めといた。 誉めるにしては微妙な言葉だろう。 正直、ドキッとしたよ。 この人、人をドキッとさせるのが得意なんじゃないか。 ゴーストタイプのポケモンを使ってたり、トリッキーな戦術で攻めてきたり。 ある意味そっちの方が凶器って感じもしなくはないけど。 「キミ、もちっと頑張ったら、きっといいトレーナーになれるよ。あたしが保証する」 言葉はうれしいんだけど、保証されても困るのは果たして気のせいだろうか。 冷静に頭ん中でツッコミ入れられるんだから、オレも相当肝が据わってきたみたいだ。 慣れって、怖いよな…… 「ダイゴから聞いたとおりだね。キミ、おもしろいトレーナーだよ」 「……面白いって……」 どういう意味だ? でも、ツッコミ入れるよりも先に、ダイゴさんの名前が気にかかる。 アカツキの親父さんに会いにきたっていうダイゴさんと一緒にいたのがフヨウさんで…… そのほか三名は考えないとして、ダイゴさんと一緒にいたんだから。 彼からオレのことをいろいろと聞いていたとしても、不思議はない。 だから、別に驚いたりはしないさ。 「将来がとっても楽しみなの。どういう風なトレーナーになるのかなって、ダイゴともたま〜に話とかしたりするんだよ」 「……暇なんですね」 他人の将来を語り合うなんて、よっぽどヒマなんだろうか。 フヨウさんの言葉に、そう思わずにはいられなかった。 思わず口走った言葉に、フヨウさんは大げさに肩をすくめた・ 「忙しい時はとっても忙しいの。 さっきだって、いっぱい服買ったけど、いろんな場所に出向くのに裸同然じゃあんまり良くないから。 最近はそうでもないけど……それよりキミ、ホウエンリーグに出るつもりなんだって?」 「はい」 「じゃあ、頑張らなきゃいけないね。 そろそろ戻ろうよ。キミのラッシー、回復させてあげなきゃいけないから」 「……はい」 論点を百八十度ばかり摩り替えられてるのは間違いないんだけど、オレとしては、異論はない。 早くラッシーを回復させてやりたいっていう気持ちが強いからさ。 頑張れ……か。 ヤシの木の根元に置いた紙袋を手に取り、オレはフヨウさんの言葉を頭の中で何度も反芻した。 「じゃ、行こっ♪」 フヨウさんも紙袋を手に取ると、オレの傍まで駆けてきた。 さっきと同じように、恥ずかしがる様子もなく、腕を絡ませる。 まるで恋人気取りだけど、別にオレはそんな風には思ってない。いくらなんでも年齢差がある。 ただ、いろいろと教えてくれたフヨウさんに、こういう形で恩を返すのなら構わないと思っただけの話さ。 人気のない砂浜を歩き出したオレたちに、爽やかな潮風が吹き付けてきた。 服を、髪をなびかす風は、心をくすぐるように時折強く吹き付けてきたけれど、それがかえって気持ちよく感じられた。 To Be Continued…