ホウエン編Vol.13 冒険、幻影の塔!! <後編> 「…………」 これが幻影の塔……幻影って割には、ずいぶんと年季が入ってるように見える。 なんていうか、幻影って感じがしないっていうか…… でも、こういう塔なら、昔の姿を後世に伝える何かが残っていたとしても不思議じゃない。 「ちゃんと登れるんだろうな……壁をすり抜けたりは……」 幻影という二文字がどうしても頭から離れず、オレは恐る恐る、塔の壁に手をついた。 「……ちゃんとしてる。大丈夫だな」 手のひらに伝わるのは、ちゃんとした石の感覚。幻影(ホログラフィー)なんかじゃなく、ちゃんと砂の上に建っている証拠だ。 「どうした?」 一足先に塔に入ったウィノさんが立ち止まり、言葉をかけてきた。 「いえ、なんでもないです。すぐ行きます」 オレは頭を振って、小走りに彼の後を追って、塔に入った。 「うわ……」 オレは思わず声を漏らした。 塔の内部は、思ったよりも明るく、そして広かった。 砂漠の中に建っているというのに、壁には松明がかけられてて、赤々と燃える炎がフロアを照らし出している。 壁から離れた真ん中の辺りは影ができてるけど、その他のところは、少なくとも歩く分には困らない程度に照らし出されている。 ……一体、誰がこの松明に火をつけたんだろう。 初歩的なミステリーなんだけど、ウィノさんはそんな疑問を置き去りに、壁際をゆっくり歩きながら、何の変哲もない壁に手を触れている。 見たところ、誰がつけたか分からない松明以外に、ミステリー漂うものは見当たらない。 左手の奥に、上の階に続く階段があるだけだ。 入り口……っていうか、ロビーって感じだな。 自然にできたとは思えないけど…… 昔の人が建てたんだろうか。 未来の人類――つまりはオレたちに、在りし日の姿を伝えるために。 「…………」 よく分かんないや。 でも、ある意味人類の英知って感じがするんだよな。 なんか、何気にすごいのかもしれない。滅多に経験することじゃないだろうし。 このことをナミに話したとしたら、きっとこういう反応をするんだろう。 「アカツキったらずる〜い。ひとりでそんな面白いトコ行って。あたしも誘ってよ」 いくらなんでも誘えるわけないし。 そもそもこれ不可抗力なんだから。 なにげに勝手に一人漫才で楽しい気持ちになっていると、ウィノさんの歓声がフロアに響き渡った。 「おお……これが昔の人類とポケモンの姿……なんと美しいことか……」 壁に向かってなにやらブツブツと話しては、腕を広げ天を仰ぐような仕草をしてみせる。 オレが見てることなんてお構いなしに、勝手に感動してるみたいだ。 「……人類とポケモン?」 壁に描かれてるとでも言うんだろうか? 松明の炎に照らし出された壁は、別に何の変哲もないように見えるけど…… もしかしたら、近くまで行けば、何か見えるような仕掛けになっているんだろうか。 ウィノさんが上の階に登る気になるまで待つのも面倒だし、時間もかかりそうだから、オレは彼の感動の原因を探ることにした。 ゆっくりと前に進む。 塔の内部は、砂漠の中にあるとは思えないほどひんやりとした涼しい空気が漂っていた。 さっきまで身体を包み込んでいた暑さはすっかり立ち消えて、クールダウンした気分になる。 それに、新鮮な空気。 森の中にいるようだ。 外観はどこか古臭かっただけに、内部はカビてたりするんじゃないかと思ってたんだけど……とんでもない。 澄み切った空気で満たされている。 本当に不思議な場所だ。 入り口は開け放たれたままだというのに、風が吹き込んでこない。 もちろん、砂も入ってこない。 何か、不思議な力が働いてるんだろうか。 周囲を見渡してみても、それらしいものは見当たらない。まあ、見た目で分かるようなものなら、別に不思議でもなんでもないか。 「…………!?」 これは…… ウィノさんの傍まで歩いていくと、壁が変わった。 いや、正確に言うなら―― 壁一面に大きく描かれた一枚の絵。 「壁画……」 空の青さ、森の緑、土の色。描かれているのは雄大な自然をバックに、人間(?)とポケモンらしい生物が共存している壁画だった。 さっきまで全然、空の青さすら見えなかったというのに。 近くに来なければ分からないような仕掛けになっているんだろうか? そういえば、角度によって見える絵とかがあるって聞いたことがあるけど……それとは違うようだ。 でも…… 吸い込まれそうな青さだ。 描かれてから長い年月が過ぎ去ったとは思えないほど、色褪せのない壁画。 一部分も欠けることなく、壁一面に完全な形で残っている。 この場所にあるからだろう。 もしもこれが外――砂嵐吹き荒れる砂漠に放置されていたら、一年と保たずに砂に削り取られ、見るも無残な姿になる。 完全な形で残っていること自体、ある意味で奇跡だ。 「…………」 すごい。 それ以外の言葉が見当たらない。 どんな名画よりも美しく、壮大な作品と思わずにはいられない。ウィノさんが感慨に耽るのも、頷ける気がする。 オレだけじゃない。 ナミが見ても、たぶんこの壁画の素晴らしさが分かるだろう。 そう思えるくらいの名作なんだ。 こういう場所にあってこそ、そう思わせるんだろう。 「なんのポケモンかな……」 人間は辛うじてそれらしいフォームで描かれているから分かるけど、ポケモンの方はそうもいかない。 子供が落書きしたようなタッチで、どんなポケモンか判別することさえできない。 この分だと、ポケモン図鑑でも判別は不可能だろう。 それらしいフォームじゃないし、目や口や鼻はない。のっぺらぼう。 無理にポケモンとして見るならば、ウパーとか、ズバットとか……自信ゼロだけど。 でも、ただひとつ分かることがある。 昔―― どれくらいの昔かは分からないけど、この壁画を描いた当時の人は、雄大な自然の中、ポケモンと共存していたということだ。 およそ壁画というのは史実を語るもので、『なかったこと』を描くものじゃない。 今は……どうだろう? 壁画の時代と、現代と。 頭の中で隣に並べて比べてみる。 今でこそ、ポケモンとは共存関係を結びつつあるけれど、一昔前までは、とんでもない状態だったらしい。 その当時にオレは生きてなかったから、なんとも言えない。 親父やじいちゃんなら、そのあたりは詳しく知ってるのかもしれない。 たとえば、優しい性格で有名なラプラスは乱獲され、一時は絶滅寸前にまで個体数を減じたことがあった。 とても、共存などと呼べる関係じゃなかったらしい。 でも今は違う。 ポケモンの乱獲を防ぐために世界中の国が連帯して、共同で基金を設立したり、密猟団の取締りを強化したり…… 実に様々な対策が施されている。 遠い未来になるんだろうけど、この壁画の時代と同じように、人間とポケモンが手に手を取り合って暮らす時代を迎えられるのかな? これが『本来在るべき姿』なんだと、伝えかけているような……心を打つ何かを確かに感じた。 この壁画を見れただけでも、もう十分な気がしてきた。 多少の無茶はしても、見るだけの価値がある。心の奥底に訴えかける、圧倒的な存在感。 「入り口でこれとは、上層にはもっと素晴らしいものがあるに違いないッ!!」 ウィノさんが声を張り上げる。 顔を向けると、もう笑いが止まらないと言わんばかりの表情で、喜悦に浸りきっているのがミエミエだった。 入り口でこれだ……最上階に到達した時は、抱腹絶倒の末に倒れちゃってたりするんじゃないだろうか。 余計な心配だとは思うけど、そんなことを考えちゃう。 「さあ、行くぞッ!!」 ウィノさんは特攻隊の隊長のごとく気勢を上げると、拳を突き上げて、揚々と歩き出した。 「…………やっぱりヘンな人だったりして」 オレは喜びと期待を滲ませるその背を見やり、小さくため息を漏らした。 どう転んでも、ただの人って感じはしないな。 偉人か変人か……たぶん後者だろ。 勝手に納得して、オレは彼の後について歩き出した。 左手の階段を一段ずつ、ゆっくりと登っていく。 途中から螺旋階段になっていて、一段一段の段差は大したことがない。 反面、その分段数を重ねるから、次の階にたどり着いた時には、何百段も登ったような気分になった。 「むぅ、これは……」 階段を登りきって三歩進んだところで、ウィノさんの足が止まった。 その傍で、オレも同じように足を止める。 彼の視線の先には、大きな穴があった。 侵入者対策なんだろうか、フロアの中央には大穴が口をポッカリと開けていた。 その穴のせいで、こちら側と、次の階へ続く階段のある側が分断されてしまっている。 そして、その穴の真ん中にあったのが…… 『シーソー?』 図らずも、オレとウィノさんの声が重なった。 そう。 シーソーがあった。 パッと見た目は公園にあるようなシーソーだ。 ただ、大きさが桁違い。 幅は三メートル近くあり、こちら側とあちら側を渡すだけの長さは、優に数十メートルを超えているだろう。 シーソーは床面と同じ高さ。 オレとウィノさんがこちら側の端にでも乗れば、あっという間に傾くだろう。 穴の奥に何があるのかは分からない。 シーソーに乗って下がった瞬間、突き出した槍でグサリ、なんて嫌な可能性もあるわけだし…… ここは慎重に慎重を重ねても、重ねすぎることはないだろう。 むしろ、何も見えないからこそ恐ろしい。 不安はさらなる不安を掻き立てる。 さっきの、壁画を見た時に浮かんだ澄み切った気持ちはとうに消えて、代わりに不安が沸きあがってきた。 このシーソーを上手く利用すれば、先に進めるってところなんだろうけど…… 「むぅ、どうすれば良いのか……」 ウィノさんは口元に手を当てて、唸っている。 中央を過ぎたところで両端の高さが逆転して、たどり着いた時にはジャンプしてもフロアに登れないかもしれない。戻る時も同じだ。 考えずに踏み出すと、引き返せないばかりか、一生閉じこめられる危険もあるってことか…… 知恵を試してるんだろうな。 大いなる宝とやらを手にするに相応しい者かどうか……こういった仕掛けで試すんだろう。 失敗した時のリスクと、成功した時の対価……そのどちらも示されてないんだから、それこそサギもいいところなんだろうけど。 ……でも、行くしかない。 一応、向こう側まで渡る方法は頭の中にあるんだけど…… 「うーむ……」 ウィノさんは眉間にシワなど寄せながら、真剣に考え込んでいる。 答えが見えないらしく、時折苦痛の声とも思える唸りを上げて。 こういった仕掛けに出会ったことがないんだろう。 まあ、普通に生きてれば、巨大シーソーを目にする機会もそうはないんだろうけど。 助手って、こういう時はさり気なくヒントの一つでも出してやるべきなんだろうか。 ウィノさんが答えを見つけるまで待ってたら、塔が砂漠から消えちゃうかもしれない。ラッシーとも、早く戻ると約束したんだ。 それに…… 「助手って、『助ける手』って書くんだよな。手助けする人って意味なんだよな。 だったら、少しくらい出しゃばったっていいだろ」 冒険者と名乗る割には鈍い回転のウィノさんの頭脳に期待するわけにもいかず、オレは案を提示した。 「ウィノさん。向こうに渡る方法があったりするんですけど……」 「なにぃっ!?」 あまり出しゃばった感じがしないように、声を控えめにして言ったんだけど、ウィノさんの返す言葉はメチャクチャ大声だった。 首の骨を違えるのではないかと思えるほどの勢いで振り返り、信じられないものでも見るような眼差しを向けてくる。 いくらなんでも極端な反応だなあ…… 呆れつつも、オレはシーソーを指差した。 「オレたちが向こう側にいる時に、オレたちよりに重い何かをこっちに乗っけてやれば、オレたちのいる方が上がりますよね?」 「うむ。それはそうだが……」 「ウィノさん。体重は?」 「……!?」 訊ねられている意味が分からないんだろうか。 ウィノさんは間の抜けた顔を見せた。 あー、ここまで言っても分かんないのか……!? なんだか腹立たしい気持ちになってきたけど、ここで感情に任せて怒鳴り散らすわけにはいかない。そんなことしたって、意味ないし。 「いいですか?」 もうこの際、助手だろうが何だろうが、そんなモンはどうでもいいや。 「ウィノさんの体重と、オレのポケモンの体重。三体分です。 ウィノさんの方が軽ければ、向こう側に渡れます。 だから、体重教えてください。何キロですか!?」 もしもウィノさんが女性だったら、速攻で張り倒されたり足蹴にされたりするようなセリフだな。 でも、そうやって自覚できるだけ、まだ冷静なのかもしれない。 「……っ!! そういうことか……!!」 ようやっと合点の行った表情に変わる。 ここまで言わなきゃ分からないなんて……本当に冒険家なのか? 冒険家って、雑学がメシのタネだったり、こういう仕掛けの解き方に詳しかったりする。 「僕の体重は六十キロちょっと……ここ二ヶ月は測ってないが、食べ過ぎたりしてないから、そうは違わないはずだ」 当てにできるかは疑わしいけれど、疑ったってしょうがない。 仮に六十キロ弱として…… ラズリーとリーベルとレキの体重を合わせれば、それくらいは軽く超えるだろう。 少なくとも八十キロ弱として……まあ、なんとかなるだろう。 それでも、オレだけなら確実に向こう側に渡ることができる。 空を飛べるポケモンがいれば、このシーソーをスルーできるんだろうけど……ないものねだりしたってしょうがないんだけどな。 そもそもそういうポケモン、持ってないし。 「オレから行きますね。オレなら、確実に渡れそうだし……」 「うむ……気をつけてくれよ。穴の奥には何があるか、分からんからな」 ウィノさんは心なしかホッとしたような声音で言った。 自分が真っ先に行かないから、大丈夫だなんて思ってるのか……ま、いいや。 シーソーの真ん前まで歩いていって、オレは手前から向こう側まで視線でなぞり、対岸で視線を留めた。 まずは…… 「みんな、出てこい!!」 オレは腰のボールを三つともつかみ、頭上に掲げて中にいるみんなに呼びかけた。 我先にとボールの口が開き、すぐ傍にみんなが飛び出してきた。 左にリーベルとレキ。右にラズリー。 塔の内部に漂う不思議な空気に気づいてか、緩やかに首を振って、周囲を見回している。 人間でも分かるんだから、ポケモンならもっと強く、正確に感じ取れるだろう。 それはともかく……さっそく始めよう。 「リーベル」 「バウっ」 オレはリーベルに呼びかけ、シーソーの真ん中を指差した。 指先に釣られるように、リーベルの目線がシーソーに向けられる。 「あの真ん中辺りに飛び移れるか?」 「バウっ」 リーベルはいとも容易く頷いてみせた。 本当に大丈夫かと思ったけど、今は信じるしかない。 俊敏なリーベルなら、多少シーソーが自身の重みで傾いたとしても、バランスを取ってくれるだろう。 何より一番重いポケモンから乗せていかないと。 不用意にシーソーが傾くと、それだけで平衡感覚を失って穴に落ちないとも限らない。 「じゃあ、頼むよ」 オレは立ち位置をリーベルに譲った。 万が一リーベルがシーソーから足を踏みはずしてしまった時のために、モンスターボールを構える。 リーベルはじっとシーソーを見つめている。 目測で距離感をつかんでいるんだろう。 五秒ほどじっとしているかと思ったら、次の瞬間には跳び出していた。 放物線を描きながら、リーベルは見事にオレが指差した地点に着地した。 その衝撃でシーソーが多少揺らいだけど、リーベルの並外れた平衡感覚は、それをものともしなかった。 うーむ、さすがにすごいな。 リーベルは揺れが収まるのを待ってから、ゆっくりと振り返ってきた。 「ぐるぅっ!!」 ――どうだ!! と言わんばかりに咆える。 「おおっ、すごいな、君のポケモンは……」 ウィノさんが小さく拍手しながら歓声を上げた。 いや、これくらいで驚かれても…… むしろオレの方が淡々としてた。 「リーベル。端っこまでゆっくり歩いてってくれ。ゆっくりでいいからな」 オレの指示に、リーベルが奥に向かって歩き出した。 進むにしたがって、シーソーが傾いていく。 その傾きが約二十度弱になったところで、リーベルが端にたどり着いた。 傾きの分だけリーベルのいる位置は低くなっているけど、反対側――こっち側は、床面から少し高くなっている。 二メートルくらいか。頑張れば飛び移れそうだ。 よし、それが分かれば十分。 「リーベル。そこでじっとしててくれ。落ちないように気をつけて」 リーベルに待機するよう指示を出したら、次はラズリーだ。 「ラズリー。飛び移って、ゆっくりとリーベルのいる方に歩いていってくれ」 「ブーっ」 ラズリーは頷くと、軽い足取りで持ち上がったシーソーに飛び乗って、小走りに向こう側へ駆けていった。 どう見ても、歩くって感じはしない。 それだけ脚力には自信があるってことだろう。 三十秒と経たずに、ラズリーはリーベルの傍に到着して、振り返った。 これで向こう側には約六十キロの力が加わったことになる。 この傾きをゼロにするには、同じだけの重さをこちら側に乗せればいい。 でも、まだダメだ。 傾きが完全な形で安定するまでには、まだ足りない。 「レキ。ラズリーと同じように向こう側まで行ってくれ」 「マクロっ」 最後にレキを向こう側にやればいい。 レキはラズリーほど軽い足取りではなかったけど、シーソーに乗って、向こう側に歩いていった。 ラズリーとリーベルが待つところにたどり着くと、楽しそうに声を掛け合う。 ――冒険だねっ♪ まるでこの状況を楽しんでるような感じがするんだけど……まあ、いいだろう。 ラズリー、リーベル、レキ。 三体の体重を合わせれば、最低でも八十キロ。 オレが大体その半分くらいだとして――旅に出てからは一度も測ってないんで、旅に出る直前くらいだと考えよう。 ウィノさんと同じで、食べ過ぎてないから、少なくとも増えてることはないだろうし。 「みんな、そこでじっとしててくれよ」 第一ステップはこれで終了。 次のステップは――オレがシーソーに乗ることだ。 二メートルほど高くなったシーソーの縁をジャンプでつかんで、腕力にモノを言わせてよじ登る。旅する前だったらたぶん無理だっただろう。 これも、旅をして、いろいろと力がついたからかもしれない。 「よし……」 シーソーに乗ってみると、反対側にみんなの体重がかかっているせいか、足元はとても安定している。 走ったくらいじゃ、揺れることはないだろうけど。 でも、ゆっくりと歩いていく。 まるで、闇の中に一本の道が浮かび上がっているかのように見える。 左右の穴に、思わず吸い込まれてしまいそうになるのをぐっと堪えながら、一歩ずつ歩いていく。 向こう側に到着すると、みんなニコニコ笑顔で出迎えてくれた。 やっと来てくれた…… そんな喜びが滲んだ瞳を受け、思わず頭を撫でてしまいそうになるけど、こんな場所で悠長にそんなことをやってる場合じゃない。 階段側に、約百二十キロ……反対側――ウィノさんのいる入り口側にはゼロ。 さて…… 第三ステップに突入だ。 オレは振り返り、声を張り上げた。 「ウィノさん!! シーソーに乗ってください!!」 「うむ、分かった!!」 この状態でなら、ウィノさんがシーソーに乗ったところで、傾きはほとんど変わらないだろう。 足をバタバタさせながらよじ登る彼を見やりながら、脳裏に思い描いた算段を一つ一つ完璧なものに修正していく。 彼がシーソーに乗るまでには、修正は完了した。 「これからどうすればいい?」 その言葉を合図に、第三ステップを進めていく。 「ウィノさん。真ん中より少し手前のところまで歩いてきてもらえますか?」 「分かった」 ウィノさんが恐る恐る足を踏み出す。 倍近い重さがこちらにある以上、傾きが変わることはないだろうけど…… やっぱり、オレと同じように左右の穴に吸い込まれそうになっているのかもしれない。 彼が中央よりの位置まで歩いてきたところで、 「みんな、ゆっくりと向こう側に歩いていってくれ」 傾きを逆転させ、まずオレからフロアへ上がる。 それからはもっと簡単に行くだろう。 みんなは指示されたとおり、一列になってウィノさんのいる方へ歩いていった。 シーソーの幅が広いおかげで、ウィノさんが退かなくても、すれ違うことができた。 そして、傾きが逆転する。 ゆっくりと足元が持ち上がっていき、反対側が下がっていく。 床面よりも高くなったことを確認し、オレは階段側のフロアに降り立った。 ウィノさん側には百五十キロ弱。 こっちはゼロ。 あとは…… 「ウィノさん、こっちに来てください」 傾きが完全に止まったのを確認してから、ウィノさんにもこちらに来るように伝えた。 ウィノさんが歩いてきても、リーベルたちが残っていれば、傾きは変わらないはずだ。 慎重な足取りで、ゆっくりと歩いてくる。 シーソーも頑丈にできてて、普通に歩いたりするだけじゃ、ひび割れたりはしないんだろう。 ウィノさんがこちら側の端までやってきた。 「とうっ!!」 なんて正義のヒーローが登場する時にあげるような声と共に、フロアに飛び降りる。 「ふぅ……寿命が縮まるかと思ったよ」 ウィノさんは着地するなり、胸に手を当てて、ため息を漏らした。 本当に怖かったらしい。 オレも怖かったけど……そこまでの恐怖は感じなかったな。 でも、すぐに気持ちを切り替えて、問いかけてくるウィノさん。 「で、これからどうするんだ?」 振り返る先には、入り口側で三体固まっているオレのポケモンたち。 いや…… どうするんだって、いちいち訊くか普通? もちろん、こうするに決まってるよ。 わざわざこんなこと答える気にはなれないから、その代わりにみんなに指示を出した。 「みんな、一列になってゆっくりとこっちに歩いてきてくれ。慎重に頼むよ!!」 「なるほど……」 そこで納得するんだ。 ウィノさんに呆れつつ、オレは指示通りゆっくりと歩いてくるみんなに目をやった。 少しでも落ちそうになることがあったら、その時は手にしたモンスターボールから捕獲光線を発射して引き戻さなきゃならない。 ただ、ここから反対側までは光線が届かないと思ったから、こっちに引き寄せることにしたんだ。 ラズリー、レキ、リーベルの順に歩いてきて、ラズリーとレキがこちら側に入った時、シーソーが傾いた。 上がっていたこちら側が、ゆっくりと下がっていく。 反対に、向こう側が競り上がる。 さすがはポケモンと言うべきか、シーソーが傾いていても、驚くことなく、増してや立ち止まることなく、すたすたと歩いてくる。 人並外れたバランス感覚で、傾くシーソーをものともせずに歩いてくるんだ。 「……そろそろいいだろう」 頃合を見計らい、オレはモンスターボールを掲げ、一体ずつ引き戻して行った。 三体がボールに戻り、シーソーに加わった重みがゼロになると、渡る前と同じように、両端が床面の高さで一直線の状態に戻った。 「これでよし……お疲れさん。ゆっくり休んでてくれよ」 オレは身体を張ってオレたちを渡すために頑張ってくれたみんなを労い、それぞれのボールを腰に差した。 「ブラボーだ!! さすがは我が助手。着眼点が違うね」 「いや、それほどでも……」 ウィノさんは心の底から感激して誉めてくれてるつもりなんだろうけど。 それを正直にそのまま受け取る気にはならなかった。 世辞だって思ってるわけじゃない。 誉めてくれるのはうれしいけど、この程度の仕掛けにいちいち感激なんぞされたら、この先が思いやられる……そう思っただけ。 最上階まであと何階あるかは分かんないけど、少しはウィノさんにも知恵を出してもらいたいというか…… せめてリーダーなら、それらしいところを見せてほしいんだよな。 まあ、今さら何も言うつもりはないけど。 「それより、急ぎましょう。 この先も、たぶんもっとややこしい仕掛けがあると思うし……時間を無駄にしたくないですから」 「うむ、そうだな」 胸を張って頷くウィノさん。 いや、あんた。ここは胸を張るトコじゃないでしょ。 思わずツッコミが喉元まで出かけたところで気がついて、必死に押さえ込む。 この人、ツッコミどころ満載で、ボケや漫才をやる分には相方が困らずに済むんだろうな。 冒険者よりも、芸能人とかコメディアンでもやった方が受けるような気がするな。 その悪口は後に取っとこう。 オレの気持ちが一整理つくのを見越していたようなタイミングで、ウィノさんが歩き出した。 オレはシーソーの方をチラリと振り返り、彼について行った。 次の階はどうなっているんだろう…… ヘンな仕掛けが用意されてなければいいんだけど。 あのシーソーは、ただシーソーってだけだったから簡単に渡ることができたけど。 あれで重さ制限があったりとか、時間が経つと穴から火の玉が飛び出てくるとか…… そんな仕掛けまで加わってたら、とてもじゃないけど渡れなかった。 先ほどと同じで途中から螺旋階段になっていて、ぐるぐると円を描きながら、階段を一段一段踏みしめてゆく。 「……でも、こんな仕掛けを作った塔にある宝って、本当にすごいものなのかもしれない」 ウィノさんの背中を見つめながら、そんなことをふと思った。 昔の人がこの塔を作ったとして…… わざわざシーソーの仕掛けを作ったのは、大切なものを奉ってあるからじゃないか。 それ以外の理由が考えられなくなっていた。 どうしてかは分からない。 手の込んだ仕掛けをしといて、それで何もありませんでした、じゃマジでブチギレ。 いくらなんでもそりゃないだろって、脱出したら速攻でぶっ壊すよな。 頼むから何かありますように…… この人についてった挙句に何もなかった、じゃさすがに気分的に収まりがつかない。 だから、せめて壁画の続きでもなんでもいいから、オレから見て『価値のあるモノ』がありますようにと祈るしかなかった。 そうこうしているうちに、次の階にたどり着いた。 ずいぶんと長かったような気がするけど、その分最上階に近づいてるってことだ。高さも相当あるから、楽観的に考えることはできないけれど。 「む……これは一体……」 ウィノさんが訝しげにつぶやくその原因は、目の前に広がっていた。 下の階への階段と、前方の奥にある上への階段。 その間には何もなかった。 ――特に、『変わった』と思えるようなものは。 無理にそう思うことができるとしたら、それは床の色だろうか。 二つの階段の近くだけが黄色いけれど、階段と階段の間のほとんどの部分が白い。 床の色の違いなんて、そんなに気にする必要はないのかもしれない。 だけど…… なんか嫌な予感がするんだよな。 ウィノさんも同じような何かを感じ取ったのかもしれない。 横から顔を覗きこむと、眉間にシワを寄せて、鋭い視線を白い床に向けていた。 『何もない』っていうのは、ただそれだけだってこともある。 でも、『何もない』ことほど危険なことはない。 目に見える危険なら、すぐに分かる。 でも、目に見えない、嗅覚でも聴覚でも捉えられないような危険…… たとえば、目の前に広がる『何もない』光景の中に潜んでいる危険は、少なくとも見た目じゃ捉えることができない。 だから、危険なんだ。 ウィノさんは踏み込むよりも、先に危険を見つけ出して対処する方を選んだようだ。 さすがにそこは冒険家といったところか。 今初めて、この人のことを冒険家だって思えたよ。 「……このまま渡れるんですかねえ。たぶん、無理っぽいと思いますけど」 「うむ。確かに。これは何かあると見ていいだろう」 オレの言葉に、ウィノさんは頷いた。 階段近くの黄色い床には、何の仕掛けもなさそうだ。 仕掛けがあるんだったら、階段を登り終えてからここまで数歩歩くまでの間に発動しているはずだ。 運良く発動していないっていう可能性も考えられるけど、そこまで考慮してたら、何もできなくなる。 思い切ってリスクを承知で対策を練るということも必要だ。 「あるとすれば、白い床の方……でも、一体どんな仕掛けが?」 ただ広がるばかりの白い床。 パッと見る限りだと、危険らしい危険は見当たらない。 別の場所にあるのか……? そう思って天井、壁と視線を這わせてみたけれど、そこにも何もない。 よくよく考えてみれば、見た目で分かるような仕掛けなら、仕掛けとは呼べないよな。 思い切って踏み出すかという考えが浮かぶ。 本当にそれでいいのか。 幾度目かの逡巡の末に、オレは答えを出した。 ――行こう。 考えるだけじゃ何も始まらない。 仕掛けを見破り、有効な対策も施せるかもしれない。 でも、それまでにどれだけの時間がかかる? 一分後かもしれないし、一時間後かもしれない。 時は金なりという言葉だってあるように、時間以上に大切なものはない。 時間がなければ存在さえできないし、金もかせげないし、大切なみんなと一緒にいることもできないんだ。 オレは一歩踏み出した。 すぐ目の前には白い床。 そこにどんな仕掛けがあったとしても……一歩を踏み出す勇気がなければ、見果てぬ夢の先に行くことなんてできない!! オレはありったけの勇気を振り絞り、白い床に足を踏み出した。 「…………何もないのか?」 床を踏みしめる足の裏の感覚は確かにある。 そのまま体重を移動させようと身体を前に出した――その瞬間。 みしっ。 不吉な音が耳にこびり付く。 なんとも言えない嫌な予感が――胸くそが悪くなるような悪寒に襲われたような気持ちがした。 刹那。 オレは弾かれるように身を引いた。 がららっ。 「……これは……なんということだ……」 ウィノさんの落胆の声。 黄色い床に両足をつけたオレの目の前の、白い床が見事に陥没していた。 いや、陥没とは言えないだろう。 オレの踏み出した部分の床が、完全に崩落してたんだ。 白い床にポッカリ空いた小さい穴の先には、シーソーの時と同じように、闇が広がっている。 「……こういうことか……」 この階の仕掛けは、だいたい理解できた。 「厄介な仕掛けだな……どう乗り越えればいいものか……」 「そうですね……」 シーソーなら、手順を踏んで渡していけば、それで済む。 でも、体重をかけたらあっという間に崩れ落ちてしまうような床なんて、それこそどうやって渡って行けばいいって言うんだ。 見渡す限り白い床……ってワケでもなさそうだ。 さっきは一面の白さに惑わされて見えなかったけど……白い床のところどころに、薄いクリーム色の床がある。 たぶん、その色の床は崩落しないんだろう。 この塔を建てた人は、在りし日の姿を後世に伝えたいという願いを抱いていたはずだ。 だから、後世の人間に伝えられなくなるような――たとえば、攻略不能な仕掛けを作るといったことはしない。 そういう前提があるんだったら……という話だけど。 でも、だったらわざわざこんな塔を作る必要もなかったはずだ。 「……どこかに攻略の鍵はあるはず。それが、あのクリーム色の床……?」 目に見えるものだけがすべてじゃない。 最悪、そのクリーム色の床すらブービートラップという可能性すらあるんだ。 「クリーム色のあの床……あれが攻略の鍵になるかもしれないな」 珍しく頭の回転が速いウィノさん。 「なら、あの色の床を探して、渡っていけば……」 「ちょっと待ってください」 やる気満々になって、一番近いクリーム色の床を見やるウィノさんを止める。 確かに鍵かもしれないけど、確定してない状態で踏み出すのはやはり危険だ。 確かめる術があるんだから、それを実行してからでも遅くはない。 「ウィノさん。オレが確かめます。それまで踏み出すのは待ってもらえますか?」 「……秘策があるんだね? 分かった、君を信じよう」 「ありがとうございます」 オレは小さく頭を下げ、腰のモンスターボールを手に取った。 確かめる手段は…… 「レキ、出てきてくれ!!」 頭上に掲げたボールの口が開き、オレの言葉に応えてレキがオレのすぐ傍に飛び出してきた!! 「マクロっ」 レキは「これからどうするの?」と期待のこもった眼差しで見上げてきた。 答える代わりに、オレは壁際の白い床を指差して、 「レキ、あそこに最大威力の水鉄砲」 「マクロぉぉっ!!」 言われたとおり、レキが水鉄砲を発射。 オレの指差した地点と寸分違わぬ白い床に、水鉄砲が突き刺さる!! がらららぁっ!! 盛大な音を立て、白い床が崩落する。 「……水鉄砲程度の衝撃でもダメなのか。これは厄介だな……」 ちょっとでも体重をかけたら崩れ落ちてしまうほどの脆さ、ってワケだ。 体重を移す前に次の一歩を踏み出して……の繰り返しでどうにかなるかと思ったけど、それは無理そうだ。 なら…… 「レキ、次はそこのクリーム色の床に水鉄砲」 続いて、鍵になると思われるクリーム色の床に水鉄砲を放つレキ。 さっきと同じくらいの威力の水鉄砲がクリーム色の床に突き刺さり―― 「…………」 水が床に当たって弾けて。 それからは何もなかった。 「やっぱり……」 「あの床を伝っていけば、攻略できる!!」 オレとウィノさんは顔を見合わせ、頷いた。 白い床は重みを加えればすぐに崩落する。 でも、クリーム色の床は大丈夫そうだ。 水鉄砲の衝撃力は、並の大人の体重を瞬間的に上回っている。 継続的に体重を加えられても大丈夫ってことだろう。 クリーム色の床に飛び移りながら、上へと続く階段を目指す……どうやら、それしかないらしい。 「レキ。サンキュー。助かったよ」 オレはレキをモンスターボールに戻した。 とりあえず、攻略法は見つかったんだ。 あとは、クリーム色の床を見つけ出す。点と点をつないで線にする。そしてその線を渡っていけばいい。 目が慣れてきたせいか、よく似た二つの色の床がハッキリと区別できるようになった。 これなら、攻略は可能だ。 というわけで…… 「今回は僕が行こう。冒険家じゃない君を真っ先に危険にさらすわけにはいかないからな」 ウィノさんが一歩踏み出した。 ん……? なんか、冒険者としての本分が目覚めたような……そんな雰囲気が立ち昇っているように見える。 初めて、頼りになりそうな気がしてきた。 さっきまでオレが主役だったことで、闘争心に火がついたんだろうか。 まあ、どっちにしてもやる気になってくれるのなら、それで構わない。 一番近いクリーム色の床まで、目測で約二メートル。助走をつければ難なく飛び移れる距離だ。 ウィノさんはしかし助走するでもなく、踏み出す二歩目で跳躍し、クリーム色の床に着地した。 やっぱり大人だな。 軽々と跳んでみせてくれましたよ。 それからすぐに次の床を見つけて、またしても軽い足取りで飛び移る。 よし…… 白い床を踏んだらアウトだ。 ミスしないように自分自身に言い聞かせながら、オレは助走をつけるために数歩下がった。 悔しいけど、身体能力じゃ大人には勝てない。脚力を距離で補うしかない。 スタートダッシュを切る陸上選手のようなフォームで駆け出し、白い床の直前でジャンプ!! 一瞬、白い床が遠くなり―― クリーム色の床の真ん中に着地できた。 いざ傍で見てみると、クリーム色の床はおよそ一メートル四方の正方形だった。 下手に勢いがありすぎてたたらを踏んだら、速攻で白い床に足をついてそのまま落ちてしまいそうだな…… 一メートルっていうと、結構余裕があるように見えて、数歩行き過ぎたらそれでアウトだ。大きく見ていい数字じゃない。 「大丈夫か?」 変哲もない白い床をじっと見つめていると、ウィノさんの声がフロアに響いた。 顔を上げて前方を見やると、彼はずいぶんと先に進んでいた。 オレが少し考え事をしている間にガンガン突き進んでいたらしい。 その勢いが最後まで続けばいいけど…… 思いつつ、代わりに返事を返す。 「大丈夫です。すぐそっちに行きますから」 答えて、オレは次の床に飛び移った。 いくつも床と床の間を飛び移っている間に気づいたんだけど、床と床の間の距離が一定じゃなかった。 一メートルくらいの時もあれば、オレが飛び移れるギリギリの距離――二メートル五十センチ近い時もあった。 等間隔だったら楽でいいんだけど、わざわざ距離をばらつかせたのは、挑戦者のリズムを狂わせるための罠だろう。 同じリズムで跳び続けていれば、いつかは白い床に着地してサヨウナラ。 でも、冷静になって考えれば、そんなに難しいものじゃない。 一度も白い床を崩落させることなく、次々とクリーム色の床を飛び移り―― 次の階へと続く階段のすぐ傍――黄色い床に立ってこっちを見ているウィノさんのすぐ目の前まで来たところで、オレは足を止めた。 最後の関門……と呼ぶに相応しい距離だった。 オレが立っているクリーム色の床と、ウィノさんのいる黄色い床と。 間に横たわる距離は約三メートル。 さっきまでとは比べ物にならないくらい遠く見えるのは、目の錯覚だろうか……? 目を擦ったとしてもその光景が変わるとは思えず、やめておいた。 「これをクリアしなきゃ、次には進めない……」 オレはごくりと息を飲んだ。 もし…… 途中の白い床を踏んだら、その時はもれなくサヨウナラだ。 下の階のどこかに運良く着地できたらいいけど、それができなかったら……思うと、背筋が震える。 な、なにを怖がってるんだ、オレは。 怖気付いている自分に気がついて、オレは頭を振った。 怖がる理由なんてないのにさ……でも、上辺だけの強がりは、すぐに剥ぎ取られる。 まるで庭園の縁石を思わせる真っ白な床。 でも、その裏側には闇がぽっかりと口を開いている。 三メートルなら、頑張れば跳べないことはない。 ただ、助走できる距離が最大で一メートルということを考えると、十一歳の足じゃ、簡単なことじゃない。 「大丈夫だ!! 君なら跳べる!! さあ!! 今、君は鳥になるんだ!!」 ……慰めのつもりか。奮い立たせるつもりか。 ウィノさんが大声援で応援してくれるけど、とっても虚しく聴こえるのは気のせいだろうか。 「……行くぜ、アカツキ。立ち止まってたって……何にもならない!!」 オレはありったけの勇気で自分を奮い立たせた。 心なしか、身体が火照ってきたように感じられる。 最大限に助走の距離を設けて―― だだだっ!! 三歩、助走をつけて、跳ぶ!! 頼む、届いてくれ……!! 祈りながら着地の時を待つ。 床面が近くなり―― 「げ……」 着地したのは白い床。 二十センチほど先に、黄色い床。 もう少し……あと少し……!! 次の一歩さえ踏み出せれば、クリアできる……そう思って足を踏み出そうとした瞬間だった。 がらがらがらっ!! 盛大な音を立てて、足元が崩れた。 やべっ……!! 急激に落下する感覚が――重力という楔から解き放たれた感覚が身体に刻み込まれる。 景色が変わる。 オレは慌てて白い床に手をかけたけど、次の瞬間には、手をかけた床さえボロリと崩れ落ちた。 最悪……!! なんで、こんな時に失敗するんだ……? 正直、自分に悪態をつく以外に、どうしようもない気持ちを消化する術が見当たらず、胸中で自分を罵る。 なんでもいい。つかまるものがあれば。 その一心で、手を動かして空をつかんで。 と、その時。 落下が止まった。 「……えっ?」 手首に暖かさを感じて顔を真上に向けると、黄色い床から身を乗り出し、必死の形相でオレの手首をつかむウィノさんの姿があった。 「……ウィ、ウィノさん……?」 「大丈夫かッ!?」 一歩間違えれば自分も闇に飲み込まれるっていうのに、どうしてわざわざ……いや、分かってる。 オレのこと、単なる助手という以外に思ってくれてるってことだ。 「僕の手首をつかめ。すぐに引き上げる」 「…………」 オレは言われたとおり、ウィノさんの手首をつかんだ。互いに互いの手首をつかむという、ある意味奇妙な光景。 でも、オレは胸がじんと熱くなるのを覚えずにはいられなかった。 ゆっくりと引き上げられていく。 途中で白い床の断面――これもまた真っ白だった――に服を擦ったことを除けば、おおむね順調に。 何十秒かかかって、オレはようやっと黄色い床に引き上げられた。 「はあ……はあ……」 そんなに歩いたわけでもないのに。 オレは床に四つん這いになって、荒い息を繰り返してばかりいた。 なんでだろ……すごく疲れたような気がする。 その理由が分からないから、なおさらだ。 本当に『死んじゃうかもしれない』って思ったからだろうか…… 身体が、さっきとは裏腹に冷え切ったような……そんな冷たさがじわりと全身を包み込む。 白い床の下に広がる闇―― 引き上げられる途中に一瞬だけ目をやった。 ……なんていうか、すっごく怖かった。 あの先には何があるんだろうって思った。本当は何もないのかもしれないし、文字通りの終焉があるのかもしれない。 どっちだって、心を恐怖に叩き落すには十分な威力があった。 助かったって頭では分かっているのに、気持ちがまだその恐怖に覆われている。それが自分でも分かるんだ。 単なる冒険なんかじゃない。 子供がドキドキワクワクしながらやるものとは、ワケが違う。 冒険家は、命を賭してミッションをこなし、達成した時の喜びは命を賭した以上に余りあるものがある。 そういうものなんだ。 オレが考えてたよりも、ずっとすごいものだったんだ。 オレを引き上げてくれた時にウィノさんが見せた熱い眼差しは……その最たるもの。 冒険家なんて大したことないって、正直今まではそう思ってた。 なんだか、それがとても恥ずかしくて、みっともなくて、情けなかった。 「……しかし、思った以上にハードだったね」 「…………」 オレは小さく頷いた。 ウィノさんの声音は明るい。 オレが助かったから、なんだろうか。 顔を上げ、彼と視線が合う。 ニコリと微笑むウィノさん。 「一時はどうなるかと思ったけど……良かったよ」 「ありがとう、ウィノさん。 ……すごく、怖かった……」 オレはウィノさんに礼を言った。 命の恩人だよ、本当に。 オレ自身がどうにかなっちゃうこともそりゃ怖いんだけど、それ以上に、みんながどうなってしまうんだろうって不安があったよ。 でも、少なくとも今はそんな不安を感じずに済む。 それがとてもうれしいんだ。生きてるって、本当に素晴らしいって思える。 「立てるかい?」 「……がんばります」 ようやっと身体が暖まってきた。 骨が松明のように燃えて熱を帯びたようで、すぐに全身が暖かくなる。 血が通い始めたような感覚に戸惑いを覚えつつ、オレは身体に力を込めて立ち上がった。 まだ……ここで終わりじゃないんだ。 この塔にはまだ上がある。 最上階まで、あといくつの仕掛けをクリアしなきゃいけないのかも分からない。 でも、ゴールは必ず存在する!! そこが今のオレが目指す場所だ。 だから、こんなところで立ち止まっちゃいられない。 「よし、行こう」 ウィノさんの言葉に頷き、オレは歩き出した。 階段を登る。 三度、途中から螺旋状になった階段を登りながら、オレはいつの間にやら壁に描かれた絵に気がついた。 ここまで来たご褒美と言わんばかりだ。 長い年月を刻んだとは思えないような色鮮やかさでもって描かれた壁画。 見つめていると、さっき感じた恐怖なんて、宇宙の隅っこにでも捨て去ったみたいだ。 ここでも、壁画はかつて人とポケモンが仲良く暮らしていたであろう光景を表していた。 途中で火山や砂漠らしい絵が出てきた。 噴火してたり、砂嵐が吹き荒れてたり。 また大河が描かれ、水の恵みを互いに享受しながら。しかし優しい流れのはずの大河が氾濫し荒れ狂う様子も描かれている。 晴れの日も雨の日も。 人とポケモンはそれぞれに助け合い、あるいは時に反目しながらも、理想的な共存関係を築いていた。 一階で見た壁画もそうだったけど、どんな名画も色褪せて見える、圧倒的な存在感。 そんな壁画に胸を打たれながら登るうち、オレは時が経つのも忘れていた。 一体どれだけの時間がかかったのか…… 一分か、それとも十分か。 それさえも分からなくなって、そして階段を登り終えた。 広がるフロア。 次の階段は……なかった。 どうやら、ここが最上階のようだ。 意外と仕掛けは少なかったけど、内容的には結構ハードだったな。 死にそうな目に遭えば、そういう風に思うものさ。 「おおっ、ここが最上階かッ!!」 ウィノさんは喜び勇んで駆け出した。 しかし…… 仕掛けはないんだろうか? ここが最後だって喜んでいると、ヘンな仕掛けが作動して、後で大変な想いをしたりすることだってあるんだ。 最後だけど……いや、最後だからこそ油断はできない。 湧きあがる喜びにすっかり警戒心をなくしているウィノさんの代わりに、オレは仕掛けらしいものを探してフロアを見渡した。 四本の太い柱で支えられた天井はとても高く、壁に掲げられた松明の灯りが届かないほどだ。 緩やかなカーブを描いてフロアを取り囲む壁。空間的には球体に近いらしい。 壁一面に描かれた古代の情景。 ウィノさんが走って行ったのは、奥にある台座の前。 ……台座? 他に取り立てて見るべきところも見当たらず、オレの視線はウィノさんの目の前にある台座に向けられた。 台座ってことは、何かが置いてあるのか? ここからじゃよく分からない。 確かめるべく、オレは慎重に歩いて行った。 途中で床に埋め込まれたスイッチでも踏んで、壁から矢が発射されてハチノスにされました、じゃシャレにならないからな。 そんな心配を余所に、あっけないほど容易く台座の前にたどり着くことができた。 「来たかい。見たまえ、この台座に奉られたものを」 ウィノさんの指差した先には岩のようなものがあった。 台座の上に奉られた岩らしきものの下には、ずいぶんとボロボロになって朽ち果てた布切れのようなものがわずかに残っている。 わざわざ下に敷くんだから、これがよっぽど大切なものだったんだろう。 でも、なんだろ、この岩…… 凹凸のついた岩の形、どっかで見たことがあるような、ないような……微妙に曖昧な記憶を手繰り寄せている間にも、ウィノさんが唸る。 「これは化石ではないのか……? その突起はかつてのポケモンの身体では……?」 「え……?」 言われてみて初めて、オレは確かに『それらしく』見えることに気がついた。 言われなければ、マジで分からなかった。 岩の突起は、確かにポケモンの身体の一部に見えないことはない。 ただ、どんなポケモンなのかまでは分からない。 ホウエン地方に棲んでいたポケモンで、今はすでに絶滅してしまっている種であることは確かなんだろうけど…… でも、逆に言えば……? オレは化石らしき岩に期待を馳せずにはいられなかった。 もしもこれが太古の昔に絶滅したポケモンの化石だったとしたら。 今じゃ忘れ去られ、誰もその存在を知らないのかもしれない。 オレたちはそのポケモンを発見した、いわば第一人者になるんじゃないか!? くーっ、これこそが古代のロマンなんだな!! ウィノさんが熱弁を振るっていた理由も、やっと頷けたよ。 「それに、この壁画……」 ウィノさんが顔を上げる。 釣られるように目を向けると、台座の正面に雄大に描かれた壁画があった。 空には厚い雲が垂れ込めながらも、雲の合間から光が大地に差し込む光景。 まるで、神様がこの世を作り出したような……どっかの宗教ならそんな風に形容するような光景だ。 人とポケモンが空を仰ぎ、何かを奉っているように見える。 小さなピラミッドの頂に赤々と燃える炎。 ピラミッドを取り囲む人とポケモン。 何をしているのか、今となっては解明する術はないのかもしれないけど……ただ一つ分かることがある。 人とポケモンにとって、このピラミッド――あるいはそこに奉っている何かがとても大切なもので、手に手を取り合ってそれを奉っていること。 「そうか……そうだったんだ……」 在りし日の姿を後世に伝えるもの……それが砂漠に眠る大いなる宝。 ウィノさんはそう言っていた。 なんとなく……分かる気がするよ。 在りし日の姿を後世に伝えるもの。 それは台座に奉られたポケモンの化石。 現代科学の粋をもってすれば、かつてのその姿を復元できるかもしれない。 シゲルも、プテラの化石を復元してるって話だし。 いつかあいつに会ったら、この化石のことを話してやるのもいいかもしれない。 かつての姿を蘇らせることができたなら……この化石を奉った人たちの願いを叶えることになるんじゃないかな。 それに…… この壁画も、在りし日の姿を後世に伝えるものなんだ。 砂漠に眠る大いなる宝。 そう、宝物だよ。 人間とポケモンの理想的な共存関係。 それを圧倒的な存在感とスケールで描いたこの壁画こそ、『在りし日の姿』=『いつかそうなるべき時』を著したものなんだ。 なんでだろ、自分でも分かんない。 そう思えるんだ。 胸にこみ上げてくるものを感じて、止める間もなく涙が溢れて頬を伝った。 いつか、オレたちとポケモンがそんな風に仲良くなれたらいいな……そんな気持ちが膨らんでいくんだ。 「かつての人の願い……それが分かった気がする」 オレと同じものを感じ取ったウィノさんがポツリと漏らす。 その声音には、感慨深い何かが重く、深く宿っていた。感銘を受けたのはオレと同じだろう。 「『それ』はかつての姿を伝えるものであると同時に、未来への願いでもあったんだな。 今まで見てきたどんな遺跡よりも、宝物よりも、胸を熱くさせてくれる……それが、よく分かるよ」 「はい……そうですね」 いつまでも、この理想の関係が続くようにという願い……いや、祈りだったのかも。 「…………」 オレは何を考えるわけでもなく、みんなのボールを手につかんで、頭上に掲げて呼びかける。 この雄大な壁画を独り占めするのはよくないし、みんなにもこういうことがあったって、知ってもらいたいんだ。 みんながすぐ傍に飛び出してきたのを見るまでもない。 視線を再び壁画に戻す。 みんなも、同じように壁一面に描かれた過去の人の願いの結晶を見上げ、感嘆の息を漏らした。 かすかな息遣いが、耳に入ってくる。 みんなにこれを見てもらって……何かしら、感じてもらえたらいいな。 ラッシーたちの許に戻ったら、ラッシーたちに話して欲しいんだな。 オレだけじゃ、思うように話すことはできそうにない。 こんな時こそポケモンの言葉を話せたら……って思うんだけど、それは無理。 だったら、オレの代わりにみんなに話してもらいたい。 一人でも多くの人に、伝えたいって思う。 当たり前だってみんなが思ってることの大切さを。 感慨に浸るオレの目の前で、ウィノさんが冒険者としての本分を現した。 「この化石を持ち帰り、知り合いの研究者に頼んで復元してもらうとしよう。どんなポケモンが蘇るのか……楽しみだな」 そう言って、台座に奉られた化石を手に取った。 思ったよりも軽かったらしく、化石を頭上に掲げて、振り返ってきた。 その顔には満面の笑み。 ミッション終了…… それも成功と言う形で終わらせられたんだから、喜びも一入だろう。 こういう時は…… 「ウィノさん。ミッション成功おめでとうございます」 「ありがとう。だが、君がいてくれたからの成功だと思っているよ」 おめでとうの一言に気をよくしたのか、ウィノさんの笑みが深まる。 まあ、オレだけでも、ウィノさんだけでも、ここに来ることはできなかった。 二人で――いや、オレのポケモンたちも、一緒に力を合わせてここまで来たんだ。 目には見えないけれど、確かな絆みたいなものを感じられたよ。 しかし…… 突然、フロアを大きな揺れが襲った!! 「な、なんだ!?」 化石を頭上に掲げたまま、ウィノさんが忙しなく周囲を見渡す。 これって…… 嫌な予感が背筋を駆け抜ける。 みんなも周囲を見渡して、何が起ころうとしているのか探っている。でも、こればかりは探らなくても分かる。 「たぶん……」 激しい揺れの引き起こす音にかき消されそうな小さな声で、オレはつぶやいた。 「お宝を手にした直後に発動する、最後の罠じゃないでしょうか」 「最後の罠……とすると……?」 オレとウィノさんは互いに顔を見合わせた。 これ以上は、何も言わなくても分かってもらえたらしい。 「崩れるのかッ!?」 「早く逃げましょう!!」 オレの言葉を合図に、一同、一斉に身を翻してフロアを後にした。 未来への願いが込められた壁画が、背後で崩れ去る音を聴きながら。 オレたちが命からがら脱出を果たした直後、幻影と呼ばれた塔はボロボロと崩れ落ち、砂漠を埋める砂の一部となった。 その光景を、砂嵐の止んだ砂漠でじっと見ていた。 なんだか切ないな…… 目の前に積み上げられた砂の山。石か岩でできていたはずの塔は、細かな砂の粒子となって目の前に佇んでいる。 どこからともなく吹き来る風が、砂の山を撫でて――何処かへと運んでゆく。 壁画も、巨大シーソーも、砂になってしまったんだ。 それこそ原理も不明だけど、目の前にないんだから、そう考えるしかない。 あんなに苦労して登ったのに、一瞬で崩れ落ちてしまうなんて…… なんだか遣る瀬無い気持ちになるけれど、最上階で見た壁画は、まぶたの裏に焼きついている。 心の中に鮮やかに思い浮かべられる。 それに、ウィノさんが脇に抱えた、古代のポケモンと思しき化石は、砂とならずに残っている。 夢じゃない……夢じゃないんだ。 頬をつねらなくても分かる。 「これが古代のロマンというものだ……」 本当かよ…… ウィノさんの言葉にツッコミを入れたくなったのは当然のことだった。 消えちゃうのがロマンなのか。 なんだか、とても切ないよ。 でも……オレは考えてみる。 昔の人の願いを託した塔は、後世の人間(オレたち)がその願いを受け取ったことを悟ったから、役目を終えた。 役目を終えて、砂に還っていったんじゃないだろうか、と。 都合のいい考え方だよな。 ただ崩れただけなのに、こうでも思わなきゃ、やりきれない気持ちになるんだ。 「……さあ、戻ろう。ミッションは終了した」 「……そうですね」 オレは頷き、みんなをモンスターボールに戻した。 砂嵐が止んで、空は青かった。 砂の海が一面に広がって、見通しは利く。 もしもポケモンが襲ってきたとしても、姿を見てからでも十分に反応できるだろう。 来た道を逆にたどって、爆弾で開けた穴をくぐり。 野生ポケモンに襲われることなく、ウィノさんと出会った場所に戻ってくることができた。 「バーナーっ……!!」 出迎えてくれたのは、ラッシーの歓喜の声。 「ただいま、ラッシー」 オレはラッシーに駆け寄った。 それから、同じように駆け寄ってきたルースとロータスを交えて、オレはあの塔で見てきたこと、感じたことを思いつくままに言葉に並べて話した。 自分でも話しすぎじゃないかって思ったのは、みんなが丸くした目を向けてきたことに気づいた時だった。 でも、そうでもしなきゃ、胸を熱くする想いが完全に伝わらないんじゃないかって、そんな気がしたんだ。 ――その晩、オレは112番道路のポケモンセンターで眠りについたけど、興奮のあまりなかなか寝付けなかったことを付け加えておく。 To Be Continued…