ホウエン編Vol.17 凪の海辺に ミナモシティ。 ホウエン地方東部の海の玄関口として有名な港町で、カイナシティと並んで、ホウエン地方と外の地方を結ぶ街でもある。 オレが今まで見てきた街よりも大きくて、それでいて近代的だ。 てっきり、カナズミシティがホウエン地方最大の都市かと思ってたけど、違ってたらしい。 眼下に見下ろす港町は近代的であり、すぐ傍が海であることもあってか、落ち着いた雰囲気に包まれているように思えた。 「ここからトクサネシティに行くんだよな……確か」 ついさっき、タウンマップから仕入れた情報を頭の中で整理する。 七つ目のバッジがあるのは、街の向こうに広がる海のさらに向こう……トクサネシティという町の、トクサネジム。 トクサネシティに渡るには、ミナモシティから出ている定期船に乗らなければならない。 ホウエン地方の東部は大小様々な島が無数に存在していて、陸と海では、海の割合が圧倒的に多いんだ。 オレはラプラスみたいに海を渡れるポケモンを持ってないから、定期船で島と島を行き来するしかない。 ホウエンリーグが開催されるサイユウシティはトクサネシティよりも東にあるから、そちらにも、定期船で行くしかない。 海を渡るか空を飛べるポケモンをゲットして、移動にかかる時間を短縮するのもいいかもしれないな。 移動の時間を削れれば、それだけ修行に時間を割くことができる。 とまあ、そんなことは後で考えればいいや。 ヒワマキシティから四日かかって、結構歩き詰めで足が疲れてきたから、 今日はミナモシティのポケモンセンターでゆっくり休んで、トクサネシティ行きの定期船に乗るのは明日にしよう。 海辺の街だから、ポケモンセンターにも潮騒の心地良い響きが聞こえてくるんだろうか? ヒワマキシティからここまで来る間に何度もポケモンバトルを受けてきたから、結構気が立ってたりするんだよな…… 自分で分かるんだから、相当なものだと思うよ。 もっとも、そのおかげでみんなの実力も上がったし、オレもトレーナーとしての腕を磨くことができた。 一概に悪いことばかりじゃないってトコかな。 とりあえずの予定も決まったことだし、オレは改めてミナモシティの全景を見渡した。 海岸線から緩やかな傾斜が伸びて、その傾斜に沿って街並みが形成されている。 海側にはビルのような建物は見られないけど、傾斜の上の方に行くに連れて、ビルやデパート、商社といったビルが目立つ。 街を眼下に見下ろす高台からでも、ポケモンセンターが見える。 中心街からは少し離れた位置で、どちらかというと海に近い。 一区画離れたところに、カントーで言うところのタマムシデパート……ミナモデパートがそびえている。 壁には大きな垂れ幕があったっけ。 安さ爆発だの海外ブランド品祭りだの、主婦の皆様方が黄色い悲鳴あげて喜びそうな文言が並んでた。 デパートか……そういや、タマムシデパートで、ナミと買い物したんだっけ。 オレは何も買わなかったけど。 あいつ、結構楽しそうだったよな。 服を選ぶにしても、とっても楽しそうだった。 オレは別に、服なんてちょっとカッコよくて普通に着られればそれでいいって思ってるけど…… 女の子はやっぱりファッションっていうのを意識するものなんだろうか。 「オレ一人じゃ、行ったってしょうがないよな」 誰かにお土産買う必要もないし、傷薬やモンスターボールは十分に残ってる。買い足す必要だってない。 「よし、行こう!!」 大きな街のポケモンセンターはそれなりに規模も大きいけれど、出入りする人も多い。 早めにチェックインを済ませておくことにしよう。 街のゲートをくぐり、街中へと続く階段を一段一段降りていく。 街中に近づくにつれて、ざわめきが耳につくようになった。 往来する人はカナズミシティやカイナシティ、キンセツシティと大して変わらない。 同じ地方なんだから、大差なんてないんだろうけど、港町って割には結構質素に見えた。 白い石畳はキレイに舗装されてるけど、別に飾りがあるわけじゃない。店や人家の佇まいも、結構地味。 海の傍だから、潮風が吹きつけてきて、金属とかだと錆びちゃうからかもしれない。 カジノや高級ホテルの多いキンセツシティは、歓楽街がすごく賑わってた。 電球やネオンが昼間っから光を放ってたんだよな。 ここは、そういうのがまったくない。 喧騒は同じだけど、みんな着飾ったところがまったくないんだ。 「ナミがいたら、デパートに行こうとか、結構はしゃいだりするんだろうな……」 タマムシシティですら、黄色い悲鳴を上げてたんだ。 ここに来たら、一日中オレを引っ張り回すに違いない。 どういうわけか、一回ナミとブラブラ街中をぶらついてみたいって思った。 一ヶ月半も会ってないとなると、やっぱり気になるんだ。 じいちゃんや親父に訊けば、ナミがどうしてるかなんて簡単に分かるけど…… いや、やっぱり訊く気にはなれない。 ナミはナミなりにカントーリーグに備えて頑張ってるはずだ。 オレの方から連絡入れるなんて、そんなのどうかしてる。普通は逆だろ。 「どうせ、ホウエンリーグが終わって、カントーに戻れば分かるんだ。わざわざ連絡入れる必要なんてないよな」 ホウエンリーグが終わったら、急いでカントーに取って返さなければ。 猶予は一週間弱だから、カントーリーグ用にポケモンのオーダーを組み直す必要があるんだ。 まあ、そこんとこは帰りの船の中で考えるとして…… 「着いたな。意外と早い……考え事してりゃ、当たり前か……」 思ったよりも早くポケモンセンターにたどり着いた。 海を基調にした青いトーンの建物は、どこか落ち着いた雰囲気に包まれている。 四階建てで、最上階からは彼方まで広がる青い海が一望できること請け合いだ。 海の見える部屋で休むってのはいいよな。 そう思いつつ、ロビーに足を踏み入れる。 これまた、落ち着いた雰囲気のロビーだった。 薄いブルーの床と天井には水玉だか泡だかよく分からない白い模様が無数に描かれていて、 床と天井をつなぐように円筒形の柱が立ち、その中で時折、競うように泡が立ち昇って、天井に吸い込まれていく。 ずいぶんと凝った演出だなあ…… ポケモンとトレーナーが落ち着けるようにという配慮だろう。 でもまあ、こういうのも悪くない。 オレはジョーイさんの待つカウンターまで歩いていって、声をかけた。 「ジョーイさん。今晩泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」 「空いていますよ。ルームキーを発行しますから、少し待っててくださいね」 ジョーイさんはいつもどおりの笑顔で――というと語弊があるかもしれないけど……――応じてくれた。 少し待ってて、と言ってた割にはあっという間にルームキーを発行してくれて、手渡してくれた。 「あなたの部屋は三階の廊下の突き当たりになります。 最上階ほどの眺めではないけれど、三階では一番眺めのいい部屋ですよ」 「ありがとう、ジョーイさん」 四階はすでに満室だったんだけど、三階はまだそれほど混んでないから、眺めのいい部屋を取ってくれたんだ。 ありがたい心遣いだよ。 「ポケモンのチェックはどうしますか?」 「じゃあ、お願いします」 またしてもありがたい心遣い。 オレから言い出す前に、ジョーイさんの方から言ってくれた。 ヒワマキシティからここまで来るのに何度かバトルしたけど、途中のポケモンセンターで十分にみんなを休ませといた。 それでも、明日にはトクサネシティに向かうんだから、最終調整とまでは行かなくても、 中間点として、みんなのコンディションを最善に近づけておくのもいいだろう。 そう思って、オレはジョーイさんに六つのモンスターボールを渡して、ポケモンのチェックをお願いすることにした。 「少々お時間をいただきますので、椅子にかけてお待ちください」 「分かりました」 オレは薄日の差し込む南側の、窓際の椅子に腰を落ち着けた。 「ふう……疲れたな、さすがに……」 ホウエン地方に来て、一ヵ月半が経つ。 旅をしている期間はカントーより長いけど、それは仕方がない。 ホウエン地方は、カントーのように陸続きってワケじゃないんだから。 でも、長く旅して、いろんなものを見てくることができた。 砂漠に入ったり、幻影じゃないかって思うような塔に入って頭使ったり、温泉に入ったり…… これからもそういった経験をたくさん積めるんだろう。 ただ、今はホウエンリーグとカントーリーグという二つの大会が控えてる。 旅行っていうのも、当分は無理だ。 窓の外に広がる景色を見つめながら、オレは考えに耽っていた。 ポケモンセンターの敷地の外――ミナモシティの大通りは往来が激しい。 トレーナーやブリーダー、学生にサラリーマンといった、様々な人が行き交っている。 と、その中に白衣に身を包んだ人を見つけた。 その人はすぐに人込みに紛れて見えなくなった。見覚えのない人だけど……なんか気になるんだ。 やっぱり、ユウキがこの街のどこかにある研究所で働いてるからだろう。 あいつ、元気にやってるかな。 最後に連絡したのは二年前で……それからは音信不通。っていうとオオゲサかな。 オレからも、あいつからも連絡してこないっていう状態なんだけど、 二年前ってぇと、あいつが旅に出た時期と一致するから、オレに連絡するほどのヒマがなかったのかもしれない。 「研究者になるんだって言ってたっけ……シゲルと同じだよな」 ポケモンの研究者になるのが夢だと、ユウキは口癖のように何度も繰り返していた。 ずいぶんと前になるけれど、一家揃ってじいちゃんの研究所に訪ねてきた時なんか、オレはユウキから猛烈にライバル視されちまったんだ。 それだけ、ポケモンの研究者になりたいっていう想いが強いんだ。 今はこの街の研究所で働いてる。年齢的に考えて、助手か何かってところなんだろうけど…… せっかく同じ街にいるんだから、ポケモンの回復が終わったら会いに行こうか。 もう二年も会ってないわけだし、お互いにどれだけ成長したのかっていうのも分からないだろう。 いや……逆に言えば、研究者としての道を着実に歩み出したユウキと、ポケモンのことでいろいろと話ができるかもしれない。 オレはホウエン地方のポケモンについてもっと知りたいと思ってるし、ユウキだって同じこと考えてるはずだ。 単純に、会って話をするだけで互いのためになるんだから、これはもう会いに行くしかないだろう。 それに…… 「アカツキのヤツ……ユウキのジャマをしたくないからって、立ち寄ったのに会いに行かなかったんだからな。 あいつの代わりに、っていうのがシャクだけど、しょうがないだろ……今回は」 事実、アカツキの代わりに会いに行くことになる。 ユウキが、オレとアカツキが友達だってことを知らなければ、わざわざ言う必要もないんだろうけど…… 下手をすると、ユウキの方から言い出してくるかもしれない。 『オレの親友に、おまえと同じ名前のヤツがいるんだぜ。驚いただろ』なんてさ。 別に隠す必要はないけど、アカツキがユウキのジャマをしたくないって思う気持ちは尊重してやりたいと思ってるんだ。 アカツキにはアカツキなりの思いやりがあるんだろうし、ユウキも同じことを考えてるんだろう。 それが間違いだとは思わないけど、オレからすれば、正しいこととも思わない。 オレが間に入って、アカツキとユウキの間にある距離を少しでも縮められればいいなって思ってる。 ひいてはそれがオレ自身のためにもなるはずだから、損な役割でもないだろう。 通りをじっと見つめながら考えをめぐらせていると、ジョーイさんに声をかけられた。 思いもよらないタイミングで声をかけられたものだから、オレは思わずビックリして振り返った。 そこには相変わらずの笑顔(職業病)があった。 「ポケモンの回復、終わりましたよ」 「ありがとう、ジョーイさん」 オレはモンスターボールを受け取って、ジョーイさんに小さく頭を下げた。 それから、カウンターに戻ろうとするジョーイさんを呼び止めた。 「この街にポケモンの研究所ってありますか?」 「ええ、ありますよ。 海岸を北側にずっと歩いていくと、街外れにポケモンの研究所がありますけど……どうかしたの?」 「はい、そこに知り合いがいるから、会いに行こうと思ってるんです。でも、道が分からなくて……」 オレは適当に言葉を濁した。 まあ、一応本当のことなんだけど、それっぽく言う方が説得力あるだろうし。 ジョーイさんも「そうか」と納得してくれるはずだ。 要は聞こえの問題なんだけど……そんなに深く考えてたワケじゃないよ。 「ちゃんとした看板もあるから、迷うことはないと思いますよ。それでは……」 ジョーイさんは小さく一礼して、カウンターの方に戻っていった。 海岸を北側って言うと……本当に街外れだな。人気がないっていうか。 まあ、人の多いところじゃ、ポケモンの研究って難しいだろう。 じいちゃんの研究所や、オダマキ博士の研究所は、町外れにある。 人が多いとなると、どさくさに紛れて研究を盗まれるとか、ポケモンが落ち着かないとかっていうデメリットが発生してくるんだ。 だから、街外れに研究所を構えてるんじゃないかとは思った。 ただ闇雲に歩き回っても、たどり着くまでに時間がかかるから、道を聞いておくことにしたんだ。 「んじゃ、行くかね」 オレはモンスターボールを腰に差し、立ち上がった。 ユウキがどんな研究をやってるかっていうのも正直気になる。 久しぶりに友達に会うんだから、結構ドキドキしてたりするんだ。 ポケモンセンターを出て、標識に従って海岸に向かう。 東西に広がるなだらかな傾斜を下りながら、オレは通りの両脇に点在するポケモンフーズの材料を売ってる店に立ち寄った。 さすがは港町。 人とモノの出入りする玄関口だけに、カントーじゃ見たことのない材料も売っていた。 店員さんに、どういう材料で、どんな味か、どういう処理をすれば一番美味しくなるか……っていうことまで、 店員さんが嫌な顔するまで徹底的に訊いてから、納得して材料を一気に買い込んだ。 リュックのふくらみが少し大きくなってしまったけれど、今晩にでも材料を処理すればいいだろう。 「やっぱ、活気はさすがだよな」 海岸に向かうにつれて、活気で賑わってきた。 今の時期は、暖かいホウエン地方なら海水浴シーズン突入。 観光客の掻き入れ時期だろうから、活気で賑わってて当然。 現に、海岸にはビキニ姿の若い女性の姿が多く見られ、首から下が砂に埋もれてたり、 サンオイルを塗って日焼けをしたり、同年代の男性とビーチバレーやらスイカ割りやらで楽しんでたりする。 ラムネやソーダ、かき氷を売る露店も繁盛してて、おっちゃんの顔なんか汗かいてる割にはホクホク顔だ。 えっと、確か…… ジョーイさんは、海岸を北に向かえと言っていた。 砂浜から一段高くなったコンクリートの道を北に進む。 雰囲気作りのためか、五十メートルおきに大きなヤシの木が生えている。 自生してるものとは思えないけど、南国+海岸というイメージは確かに感じられる。 結構強引な感じはするけれど。 まあ、それはともかく。 かれこれ二十分ほどコンクリートの道を北上していくと、ジャングルのような森のような一画が見えてきた。 その入り口に、研究所らしい建物がある。 「あそこか……」 あそこに、ユウキがいるんだろうか。 腰の高さほどの塀に囲まれた建物は、人の出入りはおろか、敷地にポケモンの姿がまったく見当たらない。 奥に広がる森に、ポケモンが放し飼いにされてるんだろうか。 自然の中にいた方が、ポケモンだって落ち着くだろうし……オレなら、人目につく場所にわざわざ放したりはしない。 どっちにしたって、研究所に行ってみれば分かることだ。 近づいてみると、扉の脇に『ミナモポケモン研究所』と書かれた看板が掛けられているのが見えた。 研究所としての規模はそれほど大きくはない。 こういう場所なら、地下に研究スペースを設けることが多いんだろう。 地味な佇まいなのは、街に漏れず。 白一色で、雨の染みか鳥のフンか分からないけど、ちょっとだけ汚れも見受けられる。 見た目、どこにでもある研究所その一ってところか。 塀の内側――研究所の敷地に一歩足を踏み入れた途端、 「ジュゥッ!!」 ポケモンらしい鳴き声が聴こえて、オレは思わず足を止めた。 まるで『入るな』『止まれ』と言わんばかりの、叩きつけるような声音。 言葉にできない嫌な予感を感じずにはいられなかったんだ。 「……ポケモンの鳴き声か?」 そう思うが早いか、目の前に緑のポケモンが現れた。 研究所への行く手を遮る形で、敵意にも似た視線をオレに向けている。 全身鮮やかな緑で、スラリと引き締まった身体の持ち主だ。 身長はオレよりも三十センチほど高くて、葉っぱをたくさん寄せ集めたみたいな大きなシッポを持つ。 後ろ足だけで立ち、腕のような前脚の、人間で言うところの手首には、刃のような尖った突起がある。 でも、いつの間に現れたんだ? 地面の中から現れたのかと思ったけど、それにしては穴を掘った形跡が残っていない。 となると、一瞬でオレの視界に入ってきたってところか。 なんていうか、素早そうな印象を受けるし。 ……っていうか。 「一体なんなんだ?」 オレのことを侵入者か何かと勘違いしてるのは間違いない。 そうじゃなきゃ、敵意なんて向けてこないだろう。 でも、見たことのないポケモンだ。 いかに相手が敵意を向けていても、気になるものは気になる。 オレは相手を威嚇しないようにゆっくりとポケモン図鑑を取り出して、センサーを向けた。 ポケモンは光るセンサーが気になるのか、じっと図鑑を見つめてきた。 気のせいか、わずかに敵意が揺らいだように思えた。 図鑑が反応して、画面に姿が映し出された。 「ジュカイン。みつりんポケモン。ジュプトルの進化形で、キモリの最終進化形。 腕に生えた葉っぱは刀のような鋭い切れ味を持つ。森の中ではジュカイン以上の動きをするポケモンはいないという」 キモリの最終進化形……? ああ、なるほど、微妙に似てるな。 あの人懐っこいキモリが進化すると、こういうポケモンになるのか。 スマートに引き締まった体格に、素早い動きを得意とするポケモンに。 ミシロタウンで短い間だったけど遊んだキモリのことが脳裏に浮かぶ。 あいつ、アチャモと元気にやってるかな。 それとも、別のトレーナーと一緒に旅立ったかな。 またミシロタウンに寄ることがあったら、その時はもう一度レキを交えて三体で遊ばせてやりたい。 「ジュゥゥ……」 しみじみ思っていると、ジュカインが威嚇の声を上げて、腕に生えた葉っぱを翳した。 ――これで斬られたくなかったら、おとなしく出て行け。 鳴き声の低さと仕草から見て、そういうニュアンスなんだろうけど…… おとなしく出て行くわけにもいかない。 ユウキに会いに来たんだから。 かといって、このジュカインを問答無用で倒すわけにもいかないんだよな。 たぶん研究所のポケモンで、敷地に入ってきたオレが気づいて、侵入者と勘違いしたんだろうけど…… でも、最終進化形のポケモンをそう易々と倒せるものだろうか。 どっちにしても、バトルは避けたいんだ。 ユウキに会いに来たつもりが、バトルで警察沙汰っていうのはマジでシャレにならないからな。 どうすべきか…… ジュカインとの睨み合いが続く。 隙あらば、攻撃をしてこないとも限らない。 そんな雰囲気をジュカインは漂わせている。 いや、オレにすらそれが分かるんだから、このジュカインは大したレベルなんだろう。 緊迫した空気が流れる。 一秒、また一秒。 時間が流れるのが緩やかに感じられるのは、ジュカインの敵意に気圧されているせいだろうか。 実際にはほんの十秒ほどのことだったんだけど、オレには一分以上にも感じられた。 睨み合いにピリオドを打ったのは、研究所の扉を開けて出てきた研究者だった。 「ジュッ?」 白衣に身をまとった背の低い研究者の存在に気がついて、ジュカインが敵(オレのこと)を前に背中を向けた。 「おい、ジュカイン。その人、別に侵入者でも何でもないぞ。 あんまりそうやってカリカリすると、身体に良くないって何度も言ってるだろ」 研究者は言葉でジュカインを宥めながら、こっちに向かって歩いてきた。 「ジュゥゥ……」 ――ごめんなさい。 ジュカインの声のトーンが一気に下がる。 申し訳ないっていう気持ちがこっちにまで伝わってきたよ。 「悪いな。こいつ、結構神経質でさ……」 ジュカインの肩をぽんぽん叩きながら、研究者が言う。 いや…… 研究者っていうにはずいぶんと子供じゃないか。 オレと同い年か、少し年上ってところか。背の高さだって大して変わらない。 白衣のサイズが大きいせいか、ダブダブな印象が拭えないけど、この研究所の関係者だってことは間違いない。 でも…… 白みがかった髪を短く切り揃えて、メガネなんてかけてる少年。 大人ぶってるように見えないこともないか。 ……どっかで見たような顔……って……!! 目の前の研究者らしき少年の顔にオレは思いっきり見覚えがあった。 「でも、悪気はないんだ。許してやってくれないか」 「…………」 「って、あれ?」 オレを見つめる少年の顔が変わった。 「おまえ、もしかして……」 「もしかして、って……」 互いに指差し合う。 どうやらお互い、気づいたらしい。 「もしかして、マサラタウンのアカツキ!?」 「じゃあ、ユウキか!?」 「おおっ、やっぱアカツキだ。その目つきの悪いところは相変わらずだよなあ。いやあ、久しぶり」 「ヲイ、さり気なくすごいこと言ってなかったか……?」 久々に再会したかと思ったら、さり気にヒドイこと言われた気がするぞ。 目つきが悪いとか…… いや、昔から目つきが悪かったわけじゃないし……そりゃ向こうの一方的な言い分だってことで。 どちらともなく、互いに手を握り合う。 「久しぶりだよな……確か、二年ぶりくらいか」 「ああ、そうだな……旅に出るちょっと前だった。 今まで連絡とかしてやれなくて、ホント悪い。 でも、おまえの方から会いに来てくれるとは思わなかったぜ、ははは」 ユウキは言い終えると、本当にうれしそうな顔で笑った。 ……本当にうれしいんだろうな。 友達が会いに来るのって、本当はこれくらいうれしいものなんだ。 アカツキなら、分からないはずがないんだけど……さすがにそれを言い出すわけにもいかず、オレは適当にごまかした。 「カリンさんに訊いたら、ここにいるって話だったからさ。 ついでに寄っただけだ。そんなに気にしなくたっていいよ」 「……相変わらずだなあ。トレーナーとして旅立ったんだろ?」 「ああ」 「わざわざこんなとこまで来てくれたんだ。 立ち話もなんだし、入ってくれよ。所長にはオレが話つけとくからさ。な?」 手を取って、研究所に招き入れようとするユウキ。 本当はやっぱり、寂しいんだろうな…… 周りは年上ばかりで、本当の意味で心を許せる近しい人なんてあんまりいないんだろうから。 「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」 「おう、入ってくれ。ジュカイン、リラックスしてていいからな」 ユウキの案内で、オレは研究所内に足を踏み入れた。 タイル張りの床は、自分の顔と睨めっこができるくらいに磨き抜かれている。 知的で落ち着いた雰囲気が漂っているけど、傍では機械が唸りを上げてたり、 プリンタから文字でびっしりの研究資料が吐き出されてくる。 「へえ、ここで働いてるのか……結構面白そうだな」 「そりゃあ、面白いさ。 オレはポケモンの生態と進化について研究させてもらってるんだ」 パソコンのモニタに向かい合ったり、研究資料を片手に忙しなく自論をぶつけ合っている研究者たちを横目に、オレは客室に通された。 シックな雰囲気で、レースのカーテンがかけられた窓際に小型の観葉植物が置かれている。 落ち着いた色合いのソファーとテーブルと、ちょっと大き目のテレビ。 それくらいしかないけど、むしろそれでちょうどいい。 客間ってお客さんが通される場所だから(自分で言うのもなんだけどね……)、 お客さんがリラックスできるような場所でなければならない。モノが多すぎても少なすぎてもいけないんだ。 そこまで完璧に計算されつくしたようなレイアウトに、オレはため息しか出てこなかった。 「所長を呼んでくるからさ、ここで待っててくれよ」 そう言って、ユウキが客室から出ようとした時だった。 「その必要はないよ、ユウキ」 「……?」 開け放たれたままの扉の向こうから声がした。 顔を向けると、柔和な笑みを浮かべた研究者が入ってきた。 「あ、所長……来てたんですか?」 「まあね」 ユウキの問いに、所長さんは笑みを深めた。 年の頃は三十過ぎだろうか。 茶色い髪の毛は、見方によっては乱れているようにも思える。 人の良さそうな雰囲気で、どこにでもいるような気のいいおじさんという印象を受ける。 ユウキと同じフレームのメガネをしてるところを見ると、所長さんはユウキの憧れの人ってところなんだろうか。 「ユウキがお客さんを連れてきたって聞いてね。 ……はじめまして。この研究所の所長を務めているミナヅキだよ。 君がアカツキ君だね。ユウキから話は聞いてるよ。ささ、座って座って」 「はあ……」 所長さんはいきなり話を振ってきた。 初対面の相手にも遠慮することなく、ニコニコ笑顔で接してくる。 苦労せずに人望を築けるタイプの人だな。 所長さんに言われるがまま、オレはソファーに腰を下ろした。テーブルを挟んで向こう側に、所長さんとユウキが座る。 まるで研究員採用試験の面接でもやってるような気分になる。 しかし…… ユウキのヤツ、オレのこと話してたのか。 いや、もしかするとミシロタウンのアカツキのことと勘違いしてるのか…… とも思ったんだけど、所長さんの次の一言で、疑問は吹っ飛んだ。 「なんでも、オーキド博士のお孫さんだとか。 いや、だからといってどうこう言うわけじゃないよ。 ただ興味があってね。 ユウキが結構よく誉めるものだから、どういう子かなって思って、一度会って話をしてみたいと思っていたんだ」 「そうなんですか……光栄です」 オレは小さく頭を下げつつも、ユウキに睨みを利かした。 当のユウキは素知らぬフリで、観葉植物に目を向けている。 けっ、チャッカリしてやがる。 胸中で毒づいていると、ミナヅキさんが言葉を継ぎ足してきた。 「いやあ、ユウキが言った通りだったね。 目つきが鋭いというか、凛とした雰囲気をその年齢でまとえるのって、結構すごいことだと思うよ」 「はあ……」 またヘンなことを言いふらしてくれたな…… この分だと、研究所のほかの人もオレのことをそういう風に誤解しちゃってるかもしれない。 こうなると、後々弁解するのが難しそうだ。 ……まあ、そんなくだらないこと、するつもりはないけれど。 でも、所長って肩書きを持ってる割にはずいぶんと気さくで庶民的な雰囲気の持ち主だ。 親父の知り合いとかにもいるんだけど、研究所の所長ともなると、他の人よりもいろんなことを知ってるんだよ。 居丈高だったり、自慢たらたらな人だったりと、およそ庶民感覚とはかけ離れたような人を想像してたんだけど…… どうやら、この人は少数派ってところらしい。 「それに、君は旅をしてるんだってね。 カントー地方からわざわざやってくるところを見ると、ホウエンリーグに出場するのかな?」 「はい、そのつもりです。あと二つバッジをゲットすれば出場できるんですけどね」 「へえ……意外とやるんだなあ、おまえ……」 「意外と……は余計だよ」 ミナヅキさんと話をしてるところに、横槍を入れてくるユウキ。やっぱ、 寂しいんだなって思ったよ。 茶々を入れずにはいられない。 顔こそ笑ってるけど、内心じゃオレと話をしたくてたまらない、っていうのが雰囲気から十二分に伝わってくるんだ。 本人は……たぶんそれで隠してるつもりなんだろうけど。 まあ、それはそれで、後でキッチリ話しといてやらなきゃな……今はミナヅキさんと話すことに集中しよう。 「でも、すごいことだと思うよ。君、確か十一歳なんだったっけ?」 「ええ、そうですけど……」 「カントーじゃ十歳になれば旅にでられるって話だけど、ホウエン地方じゃ十一歳にならなきゃ旅に出られないからね。 オーキド博士から話を聞いた分だと、旅に出たのってほんの二、三ヶ月前だって話だし…… ホウエン地方にまで足を伸ばすくらいなんだから、それはそれで十分にすごいことだよ。胸を張っていいと思う」 「ありがとうございます」 遠回しに誉められたけど、うれしいものはうれしいんで、ちゃんと「ありがとう」と言った。 どうやら、じいちゃんの知り合いってことみたいだけど……少なくともオレは初対面だ。 じいちゃんの知り合いの全員をオレが知ってるわけじゃないから、別に不思議でも何でもないんだけどな。 「どうだい、ホウエン地方は。 カントーもそうだけど、ホウエン地方は特に自然の豊かな地方なんだ。 ここまで来る間にも、いろいろ見てきただろうから、よく分かっていると思うけど」 「そうですね。砂漠なんて、カントーにはありませんから」 カントー地方に砂漠はない。 もっとも、森や火山や砂漠が一つの島に集まってるんだから、それはそれで十分にすごい。 それこそまさに、大自然の驚異ってヤツだよ。 オレは問いかけられるわけでもなく、ホウエン地方に来てから今までの主だったいきさつを話した。 この人になら話してもいいって、なんとなくだけどそう思ったんだ。 意味もなくヘラヘラしてるように見えるけど、雰囲気を和ませたり相手の警戒心を解いたりと、 博士らしくいろいろと考えた末の表情なんだろう。 じいちゃんの知り合いだって言うなら、大丈夫だろうという無責任な期待みたいなものも、少しはあるんだけどね。 一言一言にちゃんと相槌を打って、時に合いの手を返しながら、ミナヅキさんとユウキはオレの話に耳を傾けてくれた。 そんな真摯な姿勢が、もっと話したいと思わせる。 気がついたら、十分近くも話し続けていた。 二人の後ろにある外国製らしき時計の針を見て、長い間話し続けていたことに気づいた。 それでも、二人ともつまらなそうな顔を見せたりはしなかった。 研究所にこもりっきりのことが多くて、外のことを知る機会が少ないせいだろうか。興味津々といった顔をしていた。 「おまえ、オレの家に寄ってったんだよな……? だったら、おまえと同じ名前のヤツに会ったりとか……いや、そんなはずはないか。あいつだってヒマじゃないだろうし……」 「もしかして、アカツキのこと言ってるのか?」 「え、知ってんのか?」 「知ってるも何も……」 ユウキはあからさまに驚いていた。 やっぱり、アカツキとユウキは互いに連絡を一切してなかったんだな。 そうじゃなきゃ、こんな反応は示さないだろうし、オダマキ博士やカリンさんがわざわざユウキに言うとも思えない。 「ライバルだからさ」 「そうなのか……知らなかったな」 ユウキは顔を赤らめた。 恥かしいって思ってるんだろうか。 「だから、たまには友達に連絡を入れたらどうだって言ったんだよ。 この分だと、まだ連絡をしてないみたいだね」 「……はい」 ミナヅキさんに言葉でどつかれて、ユウキは苦笑した。 やっぱり、友達には連絡くらいしとけと、ミナヅキさんに言われてたのか。 それでも連絡しないなんて、頑固っていうか何ていうか……まあ、それはアカツキだって同じことだと思うけど。 「まあ、そんな湿っぽい話は止めにしよう。 せっかく来てくれたんだ、研究所を案内しよう」 「え、いいんですか?」 「ああ。息子の大切な友達なんだから。それくらいしたって、みんな嫌な顔しないよ」 息子って…… あくまでそんな風に思ってます、ってことなんだろうけど、本当にそういう風に扱ってたりするのかもしれない。 他の研究者たちにとってみても、歳の離れたユウキは子供か、あるいは弟のような存在なんだろう。 ミナヅキさんとユウキのやり取りを見てると、結構人間関係では恵まれてるってことが分かるよ。 「じゃあ、お願いします」 オレはミナヅキさんのご厚意に素直に甘えることにした。 他の研究所を見せてもらうのって、トレーナーとブリーダーを目指すオレにとってはあんまりないことだからさ。 いい経験になるような気がするんだ。 あわよくば、ホウエン地方のポケモンのことをもっともっとたくさん知ることができるかもしれない。 平たく言えば、互いの利害が一致してるんだよ。 「じゃあ、森のポケモンを集めてきますね」 「ああ、頼んだよ」 「それじゃ、また後でな」 「あ……ああ」 一足先に、ユウキが客室を出て行った。 その足取りがとっても軽く見えたのは気のせいじゃなさそうだ。 オレが訪ねて来たことを、本当にうれしく思ってるんだ。 二年間も音信不通のオレたちだけど、やっぱり友達なんだなって、しみじみとそう思ってしまうな。 「ユウキ、とてもうれしそうですね」 「うん。君が来てくれて、やっぱりうれしいんだよ」 慌ただしい足音が消えてから、オレはポツリ言った。 すると、ミナヅキさんが小さく頷いた。 さっきまでの笑みが消える。 無表情になると、途端に落ち込んでしまったように見えるんだから、笑顔の威力ってやっぱり大きいんだって思う。 「この研究所には、大人しかいないからね。 大人以上に知識が豊富だって言っても、いろいろあるみたい。 やっぱり子供は子供なんだって本人がそうやって思っちゃってる部分があるんだよ。 自分を無理に大きく見せることだって、そんなに珍しいことじゃない。 肩肘張ったって、辛いだけなんだけどね……何度も言ってきたんだけど…… やっぱり、一人前だって、子供じゃないんだって認めて欲しいところがあるんだよね」 「……ユウキ、そんな風に思ってたんですか?」 「うん。彼がいないから、こうして口にできるんだけどね……」 意外だった。 いや、別に嘘を言ってるんじゃないかと疑ってるわけじゃない。 ただ、ユウキっていつも自信たっぷりな顔してた。 嫌らしい『自信たっぷり』じゃなくて、本当に確信的な自信を漲らせてた。 でも…… 親元を離れて、知り合いがいるわけでもない場所に来て、やっぱりそういう風に思ってしまうんだな、ユウキでさえ。 これが現実の厳しさだと言ってしまえばそれまでだけど……本人はやっぱり、そういう風に認めたくはないんだろう。 オレだって、トレーナーとして、ブリーダーとして旅をしてきて、危うく死にそうな目に遭ったりもしてきたから、 世界は子供が思っている以上に厳しいんだって、それなりに理解してるつもりだ。 倍近く、あるいはそれ以上に歳の離れた人しかいない場所で、ユウキはユウキなりにがむしゃらに頑張ってきたんだと思う。 想像するだけで、あいつの必死な顔が思い浮かぶんだ。 大人以上の知識で、研究者としては他の人と渡り合っていけるのは事実。 反面、ちょっと裏を返せば『子供だ』って思われちゃってるところがあるんだろう。 大人にとっては他愛ない冗談のつもりでも、ユウキにしてみればすごく深刻に受け止めてしまうんだろうな。 一人前の研究者なんだっていう自負が強い分、与えられる傷も大きくなる。 だから…… ひとつ年下の友達であるオレが来てくれて、うれしいって思ってるんだ。 『子供』じゃなくて、『友達』として接してくれるオレが来てくれて…… 本当はアカツキがオレの前に来てれば、もっと良かったんだけど……今はそれは言わないことにしよう。 アカツキにはアカツキの考えがあって、ここには寄らなかったんだから。 なんて思っていると、 「短い間になると思うけど……ユウキのことを頼むよ。 あの子はとても頑張ってるし、周囲もその努力をちゃんと認めてる。 無理に肩肘張らなくても、歳相応の考え方で付き合ってってもいいんだって、さり気なくでいいから伝えてくれないかな。 僕が話しても、君以上の効果はないと思うんだ。どうだろう」 「もちろんですよ。あいつのためになるのなら、やらせてもらいます」 「そうか。ありがとう」 再び、ミナヅキさんの顔に笑みが浮かぶ。 ミナヅキさんも、ユウキのことをとても気に掛けててくれてるんだ。 ただ、言い出すキッカケが見つからなかった。 歳の近いオレだったら、その言葉をダイレクトにユウキの心に伝えられると思って。 そういう期待を抱いてくれてるんだから、オレがやらなくて誰がやるんだ。 ユウキは将来いい研究者になれる。 つまらないことで躓かせたくはないし、そのためにオレが力になれるのなら、友達としてそれは当然のことだって思ってる。 「じゃあ、案内するよ」 「はい。お願いします」 客室を出て最初に案内されたのは、二階にある広間のような一室だった。 なんだかよく分からない機械にかけられた『炎の石』に、真上や斜め上からレーザーが放たれている。 別の機械のスイッチやレバーを扱う研究者と、モニタと睨めっこしながらキーボードを忙しく叩いている別の研究者。 研究に夢中になっているらしく、眼差しは真剣そのもの。 オレやミナヅキさんが入ってきたことには気づいているようだけど、声をかけようとはしない。 「ここはね、進化の石について研究している部屋なんだよ。一応、ユウキもこの研究に携わってるんだ」 「そうなんですか…… あの機械にかけられてるのは、炎の石ですね。 たとえば、ポケモンを進化させる放射線や石の成分とか、そういうのを研究してるんですか?」 「まあ、そんなところだよ。さすがに詳しいね」 「いえ、それほどでも」 じいちゃんの研究所に入り浸ってれば、自然とそこんとこの知識は頭に入ってくるんだよ。 ポケモンを進化させるのは、進化の石の内部から発せられる放射線。 進化の石はその放射線によって、自然にはありえないような成分を宿してたりする。 さすがにその細かいところまでは分からないんだけどね。 ユウキは、その研究をしてるんだ。 そういや、さっきポケモンの進化についても研究してるって言ってたっけ。 部屋にいる二人の研究者は、だいたい三十歳くらい。 ユウキが肩肘張ってまで対等な姿勢で、『研究者』として研究に携わるのも当然か…… 一人前の研究者として十分すぎる知識を持って働いているユウキにとって、『子供』扱いされることは最大の屈辱なんだ。 だから、多少無理をしてでも、対等な立場にあることを示す必要がある。 ……オレがユウキの立場なら、たぶん同じことをしてるだろうけど、そこまで無理はしてないだろうな。 年齢の壁はどんなに頑張っても崩せないから、他のところでカバーしていくしかない。 「進化の石っていうと、炎の石、水の石、雷の石、リーフの石、月の石、太陽の石ですよね。 この六つの石は放射線の波長とか、放射線が石の成分に干渉して作り出す別の成分とか……違ったりしてるんですか?」 「うん。成分が違うから色も違うし、効果だって違う。放射線の波長によって違ってくるんだよ」 「じゃあ、変わらずの石ってどうなるんですか? ポケモンの近くに置いとくと、進化を抑制するって聞いたんですけど……」 「それもまた別の波長の放射線だよ。 ポケモンの進化を抑制する効果は、まだ研究段階で、どうなっているのかはまだ分からないんだ。 このセクションの最重要研究事項だよ」 「そうなんですか……すいません。立ち入ったことまで聞いちゃって……」 「いや、君がそこまで博識だなんて驚いたよ。 トレーナーやブリーダーとして旅をしてなかったら、研究員としてスカウトしたいくらいだよ」 「また、ご冗談を」 「ううん、結構本気だよ」 朗らかな笑みなど浮かべながら言うものだから、オレは全然本気に受け取ってなかった。 オレが研究者になるつもりがないことくらい、ユウキから聞いてるだろう。 だから、本気で訊ねてるなんて露ほども思わないよ。 だけど…… ぴくっ。 ミナヅキさんの何気ない一言に、機械に向かっていた研究者の肩がかすかに動いた。 あー…… オレよりもあの人たちの方が本気に受け止めてるのかもしれない。 神経質そうに動いた肩からは、また小生意気な子供が増えるのか……という無言のつぶやきが発せられているように思えた。 でも、ミナヅキさんはそんな雰囲気になど気づいていないように、ニコニコ笑顔。 鈍いっていうより、他人を疑ったりしないんだろうか。誰かさんみたいに。 「さて、ここじゃそんなに見るものがないから、次に行こうか」 「はい」 確かにあまり見るべきものはない。 進化の石のデータはパソコンの中だろうし、操作するにも研究員にやってもらわなきゃいけない。 あんまり好意的とは思えない雰囲気の中でそうしてもらっても、かえって居づらさを感じてしまうだけだ。 「じゃあ、ガンバってね」 気楽な口調で研究員に言葉をかけて、ミナヅキさんは部屋を出た。 オレもそそくさと続いたけど、部屋から出て扉を閉めるまで、研究員の無言のつぶやきが消えることはなかった。 やっぱり、学会ってドロドロした部分があるんだなって、端的ながらも感じ取れたような気がする。 こういうところに身を置いて研究を続けるのって、まともな神経の人なら結構辛いのかもしれないけど…… 時間が経てば、慣れていくものなんだろうか。 じいちゃんや親父という身近なところにモデルケースがあるけれど、あの二人はその雰囲気に染まるというよりも、 逆に自分の雰囲気に他人を染めてしまうんだろう。 そんなことを思いながら、ミナヅキさんの後についていく。 次に案内されたのは、庭に面した一室だった。 さっきの部屋ほど広くはないけど、普通に暮らすには結構広いスペースがある。 でも、その半分ほどを意味不明な機械が占めており、ランプが時折赤や緑の点滅を繰り返している。 ここにも、モニタに向かい合う研究者が二人。 もうひとりは、庭で遊んでいるポケモンをじっと見つめながらノートにペンを走らせている。 これも何かの研究だろうか。 部屋を見渡していると、ミナヅキさんが説明してくれた。 「ここはね、ポケモンが普通に生活してる時の波長とか、身体機能についてデータを取って計測を行っているセクションだよ」 「そうなんですか……」 なるほど、道理でモニタには心電図のような波があるわけだ。 よくよく見てみると、ナゾノクサの背中に、発信機のような小さな機械がつけられている。 そこからデータを発信して、機械で分析をしたりしてるんだろう。 「波長で、ポケモンの気持ちとかって分かるんですか?」 「うん。ある程度は読み取れるけど、機械だと時々誤動作して、正反対の結果を導くこともあるんだ。 それを機械の不正確さと断じることはできないけど、ポケモンも人間と同じで心を持ってるから、一致しなくて当然。 でも、少しでもポケモンの気持ちが分かるなら、トレーナーやブリーダーとより良い関係を築けるのは間違いないからね。 ここのセクションも、かなり重要な研究だと思うよ」 「そうですね」 結構難しい言葉を出してきたけど、要するに、ポケモンの気持ちを機械で分析して、人間の目に見える形にすることで、 より深く気持ちを理解し合えるように――より良い関係を築けるようにするための研究なんだ。 面白いけど、どうせならもっと自然な方法で触れ合った方がいいと思うんだけどな…… やっぱり、トレーナーとして、ブリーダーとしてポケモンと直に接していると、そう思うようになるんだろうか。 時間はかかるけど、確実にポケモンの気持ちが分かるようになるんだ。 理屈とかじゃなくて、心で感じられるようになる。 オレも、ラッシーの気持ちならよく分かる。 何も言わなくても、100%とまではいかなくても、ラッシーの言いたいことがなんとなくだけど分かる。 もうちょっと頑張れば、ラッシーと完全な形で意思疎通ができるようになるのかもしれない。 機械で波長を分析して、ポケモンの気持ちを目に見えるようにしたとしても、 それはあくまでも理屈とかであって、本当の意味での理解とは違うような気がする。 さすがに、研究してる人を前にそんなことは言えないけれど、彼らは彼らなりに、 ポケモンと人間のより良い関係を築くために努力を重ねてるんだ。 「どんな形でも、今よりもいい関係が築ければいいですよね」 「うん。そうだね」 一時期、ラプラスは乱獲されて絶滅寸前にまで個体数を減らしてしまったことがある。 ラプラスは人間よりも長寿で、人間にとっては昔のことであっても、ラプラスにとっては親父やじいちゃんの世代のことだ。 今でこそ関係は修復されてきてるけど、今よりももっといい関係を築くことができたら、それ以上にいいことはないだろう。 オレとしても、そうなることを願ってるんだ。 「じゃあ、次に行こうか」 「はい」 場所を移して、庭に出る。 ナゾノクサが遊んでいるのを横目に通り過ぎて、森へと続く石畳の道をゆっくりと歩いていく。 百メートルほど歩いて、森に入ったところで、ユウキが研究所内のポケモンを四体引き連れて待っていた。 その中に、さっきのジュカインも含まれていた。 さっきとは違って、敵意はカケラほども見せていない。 むしろ友好ムード一色って感じで、ジュカインなりの笑顔を見せていた。 「ユウキ、ご苦労さま。 ユレイドルは探すのに苦労したんじゃないの?」 「そうでもなかったですよ。今日はいつものところでじっとしてましたから」 「へえ。それは珍しいね」 ユウキとミナヅキさんが話を弾ませる。 当のユレイドルというポケモンは、二人の会話に飽きたのか、それともはじめから聞くつもりなどなかったのか。 うねうねと近くを歩き回っている。 ユレイドルか……初めて見るポケモンだ。 図鑑を取り出して、センサーを向けてみると、ピピッと反応した。 「ユレイドル。いわつぼポケモン。リリーラの進化形。 化石から再生したポケモンで、八本の職種で獲物を絡めとり、強い消化液で溶かしてから食べるとされている」 「へえ……アーマルドと同じだな……」 アカツキが連れていたアーマルドも、化石から再生されたポケモンだ。 ユレイドルの外観は、丘のような身体から伸びた長い首に顔がついていて、首元にはピンクの触手が八本。 顔には黄色い二重丸が二つあって、これが目……だろうか。 あるようなないような足で歩き回っている。 なんか、面白いポケモンだなって思った。 草タイプと岩タイプという、珍しいタイプの持ち主だ。 そこんとこは、アーマルドと似ている。 草タイプの弱点である飛行と炎を岩タイプで、岩タイプの弱点である地面と水を草タイプで相殺する…… 弱点といえば虫、格闘、氷、鋼タイプ。 タフそうだし、攻めよりも受けを得意とするポケモンなのかもしれない。 その点、アカツキのアーマルドは攻撃あるのみってくらい、アタックに特化していたけれど。 「歩き回ってるポケモンはユレイドルっていうんだよ。 あんまり周囲を気にしないポケモンだから、普段はいろんなところに出てて、一箇所に留まってるのが珍しいんだ」 「へえ……」 ミナヅキさんの説明に、オレはユレイドルがユラユラ歩き回っている理由を理解した。 周囲を気にしないのか。 だから、ユウキとミナヅキさんが傍で話してるのに歩き回ってるんだな。 でも……だったら、どうしてユウキについてきたんだろう。 新しい疑問が生まれるけど、それは言わないことにしよう。 ユレイドルにはユレイドルなりの考えがあるんだろうから。 次に、ヒワマキジムで苦汁をなめさせられたトロピウス。 特性と日本晴れの効果を合わせた能力アップコンボには苦戦させられた。 でも、このトロピウスはおっとりとした性格の持ち主のようだ。のほほんとした雰囲気で、ゆっくりと草を食んでいる。 残りの一体はチルタリス。 アカツキが連れていたチルタリスと比べるとちょっと小さいけど、堂々としている。 いずれもホウエン地方のポケモンだ。 「ホウエン地方に棲息してるけど、個体数があまり多くないポケモンを選んでもらったんだよ」 「そうなんですか……そこまでは知らなかったです。 チルタリスとトロピウスは見たことがあるんですけど……さすがにユレイドルは初めてですよ」 オレは図鑑をポケットにしまい込んだ。 ユラユラ歩き回っているユレイドルが、オレたちの周囲をゆっくりと一周する。 うーん、本当に考えがあるのか分かんないけど、立ち入ったってしょうがない。 「それじゃあ、僕はこの辺で」 「え、どうしたんですか?」 立ち去ろうとしたミナヅキさんの背中に、オレは声をかけた。 案内するだけして、ここでサヨウナラって、なんかヘンだ。 いや、はじめからそうするつもりだったとしか言いようがない。 まるで、ユウキとオレが二人っきりになるように自然と仕向けたとしか……まさかね。 ミナヅキさんはくるりと振り返った。 もちろん笑顔で。 「ここからはユウキに案内してもらってよ。 僕はちょっと調べたいことができたから、ここでお別れだね。 大丈夫、この森には獰猛なポケモンはいないから。それじゃ」 なんて一方的に言って、そそくさと立ち去った。 ……風のように去りぬっていう言葉が似合うような足取りだった。 あっという間にミナヅキさんの姿は道の先に消えてしまった。 「…………」 「…………」 オレもユウキも唖然として何も言えなかった。 きゅるきゅるきゅる…… ユレイドルが忙しなく歩き回る(?)ヘンな音だけが周囲に響く。 「…………」 「…………」 どちらともなく顔を見合わせる。 すぐに、二人してぷっ、と笑った。 「ミナヅキさんって、いつもあんな調子?」 「つかみ所がないって言うか……働き始めた当初は戸惑ったよ。 こういう人が所長でこの研究所大丈夫なんだろうかって」 ユウキはそう言うと、ジュカイン以外のポケモンに、さっきまでいた場所に戻るように言った。 チルタリスとトロピウスは素直に従って当然として、ユレイドルまでもがちゃんと従ったんだから、 ユウキはポケモンたちの人望(って言うのか?)があるんだろう。 「ジュカインは戻さないのか?」 「いや、こいつはオレのポケモンだからさ」 「そうなんだ……」 ジュカインがユウキのポケモンだとは意外だ。 でも、さっきユウキがやってきて言葉をかけただけでおとなしくなったんだから、そうであっても不思議じゃないか。 「でも、なんか強そうだな。最終進化形だから、普通のポケモンよりはよっぽど強いんだろ?」 「まあな。そうじゃなきゃ、庭番なんて任せないさ」 ユウキは白い歯を見せてニヤリ笑った。 研究所のガードマン代わりってワケか。 チルタリスもトロピウスも結構強そうなポケモンだけど、ユウキのジュカインはそれ以上の強さを秘めているんだろう。 そうでなければ、チルタリスたちにやらせているはずだ。 すっとぼけた顔してるけど、ミナヅキさんはかなりのやり手だ。 所長なんて任せられてるんだから、何食わぬ顔であんなことやこんなことをやってるのかもしれない。 まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。 「しっかし、所長もずいぶんと回りくどいことしてくれるよ」 ユウキがため息を漏らす。 ストレートにやってくれればいいのに、と言ってるんだ。 確かに、遠回しだってオレも思うよ。 「ま、いいや。所長になんて言われたんだ?」 これまたストレートに訊ねてくる。 カンが鋭いというよりも、ミナヅキさんの性格を考えれば、オレに何か言ったんじゃないかって考えるのも当然か。 「おまえのことを頼むってさ」 「ふーん……で、何をどう頼むって?」 オレは素直に答えたけど、ユウキの口調が針のように尖ってきた。 口元には笑みこそ浮かんでいるけれど、目は笑ってない。 ミナヅキさんに何を言われたのかは知らないが、余計なことに首突っ込むなって言いたげだ。 ……そうやって肩肘張って、無理に自分を大きく見せるから、疲れるんだよ。 「まあ、言いたくないのなら無理に言わなくたっていいさ」 「…………」 なんか、すっごく投げやりだなあ。 自分のことなのに。 ……いや、自分のことだから逆に投げやりにできるんだろう。 他人のことになると真剣になるくせに、自分のことはどうでもいいっていう人が意外と多いんだ。 ユウキはそこまで重症ではないにしても、周囲と対等に付き合っていくことばかり考えて、自分のことはおざなりになってる部分がある。 今の言動からも、それがよく分かるんだ。 「……アカツキ。ここじゃ何だから、場所移さないか。 せっかく所長が気を遣ってくれたんだ、もっといい場所を知ってるから、そっち行かないか?」 「ああ、そうしよう」 鬱蒼と緑の木々が生い茂るこの場所じゃ言い出しにくいんじゃないか……ユウキはそう思ってるのかもしれない。 まあ、もっといい場所とやらで気分を変えて話してみるのもいいかもしれない。 歩き出したユウキの後について案内されたのは、研究所の裏手に位置する砂浜だった。 ここまで来ると人気はなく、寄せては返す穏やかな波の音だけが響いている。 沖合いを見てみると、大きな波がひとつもなく、とても穏やかな顔を見せているんだ。 波打ち際に近い、砂浜から大きくせり出した岩に腰を下ろす。 「…………」 どう言い出していいものか分からず、オレは海に目を向けたまま黙っていた。 ユウキもジュカインも何も言わないものだから、本当に波の音しか聞こえない。 いくら景色がよくたって、重苦しい沈黙は結構辛い。 それも、見知った間柄の相手がすぐ隣にいる状況だから、なおさら。 跳ね付けられてもいいから、ここは切り込むように言葉を口にしてみよう。 小さな決意を固めて、オレは口を開いた。 「ユウキ。おまえ、半年くらい前からここで働き出したんだって?」 「正確に言えば八ヶ月前だな。まあ、あんまり変わんないと思うけど」 「それから一度もアカツキと連絡取ってないんだろ?」 「まあな……」 「なんでだ? 唯一無二の親友なんだろ? アカツキだって言ってたぞ」 「…………」 痛いところを突かれたと、ユウキの顔から笑みが消える。 なんか辛そうで寂しそうに見えてきた。 「あいつはあいつで、トレーナーとして頑張ってるからさ。 頻繁に連絡取って、邪魔するわけにもいかないって思ってな」 「アカツキも同じことを言ってた。 ユウキの邪魔したくないから、連絡取らないんだって」 「そっか……あいつなら言いそうだよな」 ふっ、とユウキが小さく笑う。 「分かってたさ…… あいつもたぶんそうなんだろうなって、思ってた。 だから、少し距離を置くのが互いのためだって思って、目の前の夢を互いに追いかけることを選んだのさ。 少しくらい距離が開いても、いつだって取り戻せる。そんな自信があったからな」 「…………」 親友だと思っているからこそ、少しくらいの距離はすぐにでも取り戻せるって自信を持てるんだ。 それはそれでいいことだと思うけど……互いを思いやるが故に見えなくなるものもある。 「アカツキのヤツ、この街に来てたみたいだ。 だけど、おまえの邪魔しちゃいけないって思って、研究所には寄らなかったんだってさ」 「そっか……」 波が寄せては返していく。 それだけが時計の針を動かしているように思えた。 「気になるんだってさ。 オレが言うのもなんだけど、一度だけでも連絡してやれよ。 まあ、今アカツキは今年のホウエンリーグに出るために旅をしてるけど…… 今どこにいるのかは、ポケモンセンターにでも問い合わせれば分かるだろ」 「ああ、そうするよ。なんか、不思議だなあ……」 ユウキは小さくため息を漏らして、岩の上に仰向けに寝転がった。 さっきみたいなシケた面は見せていない。 むしろ、胸の痞えが取れたような顔だ。 「おまえとここでこういう話するなんて思ってなかった」 「オレも。ミナヅキさんに頼まれなかったら、話さなかったかもな」 「所長、なんか他に言ってなかったか?」 「言ってもいいのか?」 「ああ、この際だだから、スッキリしとこうかと思ってな」 「そっか、分かった」 ユウキもミナヅキさんの思いやりを理解してるんだろう。 正面切って言われたことがないけれど……だからこそ気になってたのかもしれない。 意外と自覚があるみたいだ。 「ユウキ。おまえ、この研究所の人たちにどう思われてると感じてるんだ?」 「子供なんじゃないかな。いくら知識があっても、身体も心も子供だし……」 「だから、そうやって肩肘張って、自分を大きく見せようとしてる。ミナヅキさんはそう言ってたぞ」 「やっぱ、所長にはバレてたよな……」 お手上げだと言わんばかりに、ユウキは声を立てて笑った。 「オレはまだ十三歳で、他の人からすりゃ子供だ。 研究してる時は一人前に扱ってくれてるけど、それ以外の時はやっぱり子供の扱いだよな。 オレはポケモンの知識には自信がある。 だから、子供じゃなくて一人前だって認めて欲しい。どんな時だってオレは一人前だって……」 「その気持ちは分かるよ。 オレだって、親父とは仲悪かったし……オレだってトレーナーなのに、ガキ扱いされてたから」 カントーを旅してた頃、親父はオレの前に立ちはだかった時…… オレのことをトレーナーとして見てたんじゃなくて、ただのガキだって思ってたんだ。 もちろん今だからそれが親父の愛情なんだって分かるけどさ。 境遇は違っても、オレとユウキは一時的とはいえ同じ悩みを共有してたんだ。 「ミナヅキさん、言ってたぞ。 ユウキはとても頑張ってるし、周囲もその努力をちゃんと認めてる。 無理に肩肘張らなくても、歳相応の考え方で付き合ってってもいいんだって」 「…………」 ミナヅキさんから言われたことをそのまま伝えると、ユウキは空をじっと見上げたまま、黙り込んでしまった。 ジュカインが心配そうな顔で真上から覗きこんでも、反応ひとつ示さない。 何を考えてるんだろ…… 何度逡巡を繰り返して、ちゃんとした答えに行き着けたのならいいんだけど……なんか、心配になってきた。 ユウキはいつもオレに対して自信を見せ付けてきた。 ガキだったからこその無秩序な自信だけど、オレにはそれがとても眩しく見えた。 でも、今のユウキはちょっと違う。 成長して、いろんなことを知って、慎重になってる。 変わったって言っちゃえば、それまでだけど…… 「ホントはさ、全部知ってた」 一分くらい過ぎてから、ユウキは身を仰向けのままでポツリ漏らした。 「みんながオレのことを認めてくれてるって。 でも、それでもどこかで子供扱いされてるって思ってた。 そんな節は今までに何度もあったんだ。 だって、オレには重いものを持たせようとしなかったし、必要以上に難しいことはさせなかった」 それは彼らなりの思いやりだって言ってやれば、ユウキは怒るだろう。 ユウキだってそれは分かってるけど、子供扱いされてるのは屈辱なんだ。 全員がすべてを知ってるのに、腹を割って語り合えない。 本音で相手を傷つけることを恐れているから、どうしようもない停滞に陥ってしまった…… この研究所の人間関係は円熟しているように見えて、あと一歩のところで止まってしまったってとこだろう。 オレはそういう人間関係を構えたことがないから、よく分からない。 無責任なことは言えない。 相手がユウキだから……なおさらだよ。 どうすればいいのか。どうすべきなのか、というのはユウキ自身が決める問題だ。 オレがどうこう言っていいモンじゃない。 だから、これ以上は何も言わない。 ミナヅキさんの言葉もちゃんと伝えられたことだし……でも、なんだか雰囲気がちょっと重くなっちゃったな。 そんなつもりはこれっぽっちもなかったんだけど…… 「やっぱ、無理に背伸びなんてしない方がいいんだよな……」 「ああ。オレも、同じだったんだ」 オレも親父を乗り越えようと背伸びばかりしてた。 親父の気持ちなんて考えたこともなかった。 考えたところでどうにかなるとも思えなかったし、その行為に意味があるとも思えなかったから。 でも、それって考えるという行為を、チャンスを自分で放り投げて捨ててしまうことと同じなんだ。 親父の気持ちを上辺だけでも理解した上で、それを捨てるかどうか、決めれば良かったんだ。 今は親父と仲直りして、普通の親子として接することができるから、過去のことのように切り離して考えることができるけど…… 仲直りしてなかったら、ユウキと同じことを続けてきたんだろうな。 なんて切なくなっていると、ユウキが声をかけてきた。 「まさか、おまえにこんな風に励まされるなんて思わなかった。 逆だとばかり思ってたんだけどな……」 「オレだって成長したってことだろ、それは」 「まあな」 どちらともなく顔を向け合って、笑みをこぼす。 「おまえはやっぱり、研究者になるつもりはないんだろ?」 「ああ。トレーナーとブリーダーを極めるつもりだ。 研究者の方が簡単になれるんだろうけど……オレにはやっぱり、学会とかの空気は合わないよ」 「そうだな。おまえにゃ合わないかもしれないな」 ポケモンの知識については、下手な研究者には負けない自信があるから、なろうと思えば簡単になれると思う。 だけど、学会の空気にはどうにも馴染めない。 経験不足から来る症状だとは思うけど、こればかりはいくら経験しても相容れるものではない。 子供心にもそれくらいは分かるものだよ。 表面上は穏やかに見えても、中じゃ腹の探り合いとかでドロドロしてるんだ。 二時間ドラマも真っ青な現実が、学会には渦巻いている。 とてもじゃないが、そんな中でポケモンの研究を続けようという気にはなれないな。 「でも、トレーナーとブリーダーの両立って、口で言うほど簡単じゃないだろ。 それはおまえだって分かってるはずだよな」 「もちろん。でも、その方が断然やる気になるってモンさ」 オレは頷き、腰のモンスターボールを全部掴んだ。 「ちょうどいい機会だから、オレのポケモンを見てみないか?」 「いいのか?」 問いかけると、ユウキの目がキラキラ輝いた。 さっきまでとはまるで別人だけど、気分転換にはちょうどいいだろう。 「じゃ、出て来い、みんな!!」 オレはボールを軽く真上に放り投げた。 ぽぽぽぽぽぽんっ!! 競い合うようにボールが次々に口を開いて、中からみんなが一斉に飛び出してきた!! 「ブーっ……」 「ぐるる……」 「ほう、これがおまえのポケモンか……なかなかよく育てられてるじゃねえか」 「サンキュー。おまえにそう言ってもらえると、自信がつくよ」 ユウキの賞賛(?)を、オレは素直に受け取った。 ラッシー、ラズリー、ルース、レキ、リーベル、ロータス。 ユウキが真っ先に駆け寄ったのはラッシーだった。 「おまえ、あのラッシーか? ずいぶん大きくなったんだなあ……」 しみじみと、懐かしむような口調で言いながら、ラッシーの頭を優しく撫でる。 「バーナー……」 ラッシーもユウキのことをよく覚えていたみたいで、ニッコリと笑った。 オレとラッシーはガキの頃からの付き合いだ。 ユウキが両親に連れられてじいちゃんの研究所にやってきた時は、三人で日が暮れるまで遊んだっけ。 あれはラッシーにとってもいい思い出だったんだろう。 「確か、前に見た時はフシギダネだったよな?」 「進化したんだ。フシギバナになったのはほんの二ヶ月ほど前のことだよ」 「へえ……」 ユウキは感嘆の声を漏らすと、ラッシーの背中で鮮やかに咲いた花に手を触れた。 「色は鮮やかだし、適度に水分を含んでるな……本当によくここまで育ったよ。 おまえがラッシーにとってどれだけ大切な存在なのか……その逆も、ラッシーの育ち方ひとつでよく分かる」 「そ、そうか……?」 なんだかオオゲサに言われたような気がして、オレは一瞬たじろいだ。 素直な誉め言葉だけど、なんだかくすぐったいよ。 少しでも気を紛らわそうと、オレは他のみんなにユウキのことを紹介しようと考えた。 「みんな、オレの友達のユウキだ。 で、ユウキのポケモンのジュカイン」 みんなの視線とジュカインの視線が合った。 ポケモンはポケモン同士で遊ばせてやろうかと思ったんだけど…… 「バクっ……!?」 ジュカインの鋭い視線を受けたせいか、ルースが一際大きく身体を震わせた。 かと思ったら、オレの背中に隠れてしまった。 ヲイ…… 相手は別にカエデじゃないんだから……何もそこまで恐がらなくても。 「なんだか気の小さなバクフーンだなあ……」 「慎重すぎるだけさ」 呆れているようなユウキに、オレは適当に言葉を濁した。 臆病なんだ、って他人に言えるはずがない。本当のことだから、なおさら言いたくないよ。 「カントー、ジョウト、ホウエン……結構バランスよくポケモンを取り揃えてるじゃないか」 「別にジョウト地方に行ったわけじゃないさ」 オレはついでに、ルースをゲットした時のことを掻い摘んで話した。 「おまえもおまえで結構苦労してきたんだな」 「まあな。 でも、そのおかげでルースを仲間に加えることができたんだ。一概に悪いことばかりじゃなかったよ」 「そうだな。アカツキもそういう目に遭ってきたから…… やっぱ、トレーナーって言うのはそういう目に遭うものなのか?」 「一度くらいは、どっかでそういう目に遭うみたいだ」 たとえばサトシとか。 あいつはオレと比べると結構波乱万丈なトレーナーライフを歩んできたんだ。 どういうわけか珍しいポケモンに縁があるらしく、彼らに遭遇するたびに苦労してきたんだとか。 フリーザー、ファイヤー、サンダー、ルギア、エンテイ、スイクン…… 数えりゃキリがないけど、そんじょそこらのトレーナーよりは多彩な経験をしてきたってことだけは間違いない。 それを羨むかは人次第だけど……オレはどっちだろう。 どっちでもあり、どっちでもないのかもしれない。 「そういや、バクフーンつながりで思い出したんだけど、アカツキのバクフーン――カエデには会ったのか?」 「会ったよ」 オレは肩をすくめた。 さすがにルースがカエデのことを誰よりも恐れてるとか、 女の子に言い寄られた程度でジタバタして逃げだそうとしたとか、そんなことは口が裂けても言えるはずがなかったんだけど。 「カエデはルースのことをすごく気に入ってるみたいでさ。結構イチャイチャしてた」 「へえ、羨ましいねえ……」 ユウキはニヤリと笑い、オレの後ろに隠れたルースにその笑みを向けた。 それだけで気づいているとは思わないけど、ルースの性格を考えれば、幾分かは想像できているのかもしれない。 まあ、確かめる気にはなれないけどね。 「他のポケモンも、いい育て方をしてるな。 ブースターに、ヌマクロー、グラエナ、メタング……他にもゲットしたポケモンがいるんだろ?」 「じいちゃんの研究所に預けてる。 時々手持ちのポケモンと入れ替えて、みんな均等に育てることにしてるんだ。 ただ、ホウエン地方でゲットしたポケモンは当分手持ちに加えとかないと釣り合いが取れないから、結構苦労してるんだ」 「なるほど。 でも、いいことじゃないか。 ローテーションを組んだ方が計画的にポケモンを育てられるから、結果として無駄が少なくなるってところだな」 いかにも研究者らしい言い方だけど、それはオレも思ってることだ。 さっきと比べると自信たっぷりに見えるから、結構いい感じに立ち直ってくれたんだなって思うよ。 「おまえ、いい研究者になれるよ、きっと」 「……? 一体どうしたんだ、そんなこと言い出すなんて……」 他愛なく漏らした一言に、どういうわけかユウキは狼狽した。 別に嫌味でも冗談でも何でもない。 本気で言ったんだけどな…… オレからそんなこと言われるなんて、予想もしてなかったんだろうか。 だとしたら、それはユウキらしくもない。 なんて思いつつ、付け加える。 「今のおまえの言葉を聞いてると、まるでオダマキ博士に言われたような気分になったからさ」 「親父に?」 「そうだよ。オダマキ博士によく似てきたなって、そう思った」 「…………」 なんとなくだけど、オダマキ博士とダブって見えたんだ。 やっぱり息子なんだなって思った。 オダマキ博士のような立派な研究者になるっていう目標があるから、意識して似ようとしてるところもあるんだろ。 でも、今のユウキにはそんな素振りはなかった。 知らず知らずに似てきたってところなんだろう。 それを他人に指摘されて、唖然としている。 でも、その顔がすぐに緩んだ。 「なんか、マジでうれしいよ。親父のような研究者になりたいって、ずっと思ってたからさ。 少しでも似てきたんなら、うれしい」 湧きあがる喜びを包み隠すことなく、ユウキは喜びを滲ませた口調でポツリ漏らした。 目標に一歩、確実に近づいてると分かって、うれしいんだろう。 でも、それはオレも同じなんだ。 リーグバッジを一つゲットするたびに、目標に一歩近づけたんだってうれしくなる。 そこんとこは、やることが違っても同じように感じることができるんだ。 「なあ、アカツキ」 「ん?」 「おまえならさ……」 ユウキが何かを言いかけた時だった。 「おーい、ユウキ!!」 研究所の方から声が聴こえてきた。 振り向くと、研究所の二階から身を乗り出して、手を振りながら叫ぶ研究員の姿があった。 「なんですかー!?」 ユウキも大声で返す。 「お友達と話してるとこ、ちょっと悪いんだけど、戻ってきてくれ!! おまえに見てもらいたいものがあるんだ!!」 「分かりました、すぐ行きます!!」 「なるべく早く頼む!!」 言って、研究者は窓辺から離れた。 「…………」 やれやれ…… もっといろんなことを話せると思ってたんだけどな…… お呼びがかかった以上、ユウキは戻らなきゃいけない。 もちろん、オレがついていくことはできない。 ユウキを呼び戻したのは、研究について進展があったか、あるいはユウキの知恵を借りたい場面に遭遇したか…… どっちにしても、オレの出る幕はないってことだ。 残念だけど、ここいらが潮時かな。 「アカツキ、ごめんな。もっとたくさん話したいことはあるんだけど……」 「しょうがないさ。 少なくともあの人はおまえのことを必要としてる。 だったら、おまえがその声に応えてやらなきゃ。そうだろ?」 「ああ、そうだな」 ユウキは淋しそうな顔を見せた。 せっかく会えて、いろいろと話をしてたのに、予期せぬタイミングでそれが途切れてしまったからだ。 それはオレだって同じだ。 だけど…… 「ヒマがあったらまた寄るからさ。 今たくさん話したいことは、その時に持ち越そうぜ」 「ああ……」 お互いに、次に会う時は今よりももっと大人になってるはずだ。 今からでもそれが楽しみでたまらないよ。 「みんな、戻ってくれ」 街に戻るのに、みんなをゾロゾロ連れて行くわけにはいかない。 一足先に、みんなをモンスターボールに戻し、ボールを腰に差した。 「なあ……」 「ん?」 さっきの言葉の続きだろうか。 そう思って、無言で促す。 ユウキは照れくさいのか、顔を少々赤らめながら、でもちゃんと言った。 「おまえならきっと、いいトレーナーになれると思う。 別に、おまえがオレに言ってくれたことのお返しのつもりで言ってるワケじゃないからな。 本当に、おまえならいいトレーナーになれると思ったから言ったんだからな」 「分かってる。ありがとう」 ユウキがそんなつまらないウソをつけるようなヤツじゃないってことは、オレがよく知ってる。 だから、オレもうれしかったんだ。 いいトレーナーになれると言ってくれたこと。互いに互いの将来に想いを馳せてる。 それがいい形で未来に伸びていけばいいな。 「じゃあ、またな」 「ああ」 オレの差し出した手を、ユウキが握ってくれた。 短い間だったけど、久しぶりに会って、有意義な時間を過ごせた。 オレが感謝してるのと同じように、ユウキもオレに感謝してくれてるんだ。 「そろそろ行ってやれよ」 「そうするよ。それじゃあ、またな、アカツキ」 「ああ……」 手を離し、ユウキは白衣の裾を風になびかせて、ジュカインと共に颯爽と研究所に戻って行った。 その足取りと背中には、漲る自信があった。 これなら大丈夫だろう。 でも…… アカツキの親父さんが戻ってきたけど記憶喪失だってことは言わなかった。 もうちょっと時間があれば言うつもりだったけど…… 時間がないのにそんなことを言って引き止めては、ユウキの将来に影を差してしまうかもしれない。 だから、それは本人から聞くまで、オレの口からは何も言わないことにしよう。 「……でも、これで良かったんだよな……」 今すぐポケモンセンターに戻る気にもなれず、オレは岩に腰かけ、海をじっと見つめていた。 波打ち際には忙しなく波が寄せては返すけれど、沖合はとても穏やかだ。 「おまえが頑張るんだから、オレだって負けちゃいられないさ」 目指す場所は違っても、その方法が違っても、負けたくないという気持ちは同じだ。 ユウキは研究者の道に。 オレはトレーナーとブリーダーに。 凪の海とは対照的に、オレの心の中は熱く燃える炎のような闘志が渦巻いていた。 切磋琢磨していける相手がいるっていうのは、それだけで幸せなんだ。 負けたくない、負けられない気持ちがあれば、それを原動力にいくらだって頑張っていけるんだから。 そうと決まれば、じっとしてはいられない。 さっきとは百八十度ばかり考えが違っちゃうけど、そんな些細なことは気にしてたってしょうがない。 オレは立ち上がり、ゆっくりと砂浜を歩き出した。 ポケモンセンターの近くに行くまで、凪の海がその表情を変えることはなかった。 To Be Continued…