ホウエン編Vol.19 流水のアーティスト 船は白みを帯びた山に近づくと速度を落とした。 オレは甲板の縁に身体を預け、水面からポッカリと口を開いた山の向こうをじっと見ていた。 この山の向こう――性格にはその中が、ホウエン地方での最後のジム戦を行う街……ルネシティだ。 一見すると緑のない枯れた山にしか見えないんだけど、それはかつてこの山が火山であり、 緑に恵まれなかったからだと、タウンマップには載っていた。 あと、いろいろと伝説とかに縁のある街らしいんだけど、オレにはよく分からない。 伝説って言われてるからには、ポケモンの身体の一部があったり、 跡地が残っていたりするのかもしれないけど、そういうのはジム戦の後にしよう。 「あと一つで、ホウエンリーグに出場できるんだ……」 水面から顔を覗かせた半円状の穴の向こうにうっすらと建物の影のようなものが見えたことなど、 今のオレには気に留めるほどのことではなかった。 何とも言えない興奮が、オレの心を酔わせていたからだ。 ホウエンリーグ出場に必要なリーグバッジは八つ。あるいはそれ以上。 オレがゲットしたリーグバッジは七つ。 あと一つで、ホウエンリーグの出場権を獲得できる。 もっとも、出場権を獲得したところで、予選で敗退したのでは何の意味もないんだけれど…… そんなことも気にならない。 なぜなら、予選に負けるつもりなんてないし、目指すは優勝の二文字のみ。 負けを知らずに七連勝を飾ってきたんだ、最後のジム戦だって必ず勝利し、リーグバッジをゲットできるはずだ。 カントー地方とホウエン地方。 オレは旅立ってから今までの三ヶ月の間に、二つの地方を旅してきた。 なんでかな、今になってそういうことをふと考えてしまうんだ。 これが最後のジム戦だってことで、今まで歩いてきた道をもう一度振り返って見てみようって思ったからかもしれない。 戦いを前に昂った心には、焼け石に水程度の気持ちでしかないけれど、一滴の水でも、 それが心地良く感じられるんだから、やっぱり昂りきれていないところがあるんだろう。 カントー地方とホウエン地方の二つの地方を旅してきたとはいえ、ヘンなところに寄り道したことはないし、 目的地にまっしぐら、一直線に突き進んできただけだ。 名所やら僻地やらには行く気も起こらなかった。 大きな大会――ポケモンリーグの大会に出場するっていう目標があるんだ。 旅立った時点で大会の開催まで九ヶ月を切った。 新米トレーナーが易々と勝ち抜けるほど甘い大会でないことは分かってる。 だから、それまでに大会に通用するレベルまで技量を高めることに専念しなきゃいけない。 もちろんリーグバッジを集めなきゃいけないわけだから、同時並行的にやったとしても、時間なんて足りやしない。 余計な場所に寄って、余計な時間を費やすだけの余裕なんてどこにもない。 それがどういうわけかホウエン地方に旅立つことになって、いつの間にやらライバルが現れてるし。 それに、ホウエンリーグに出場するって自分で言い出しちゃったもんだから実行しないわけにはいかないわけだし…… 気がつけば、オレって結構行き当たりバッタリな冒険をしてきたんだなあ、って思う。 粗い山肌をくり貫いて掘られた穴に、船が吸い込まれていく。 視界に灰色の影が差す。 船が楽々通れるほどの穴の向こうには、陽光を照り受けて輝く水面と、斜面に沿って建てられた無数の家屋。 もちろん、ホウエン地方でも余計な場所に立ち寄ることはしなかった……はずだ。 成り行きでそうなっちゃったことは何度かあるとしても、時間のロスで考えれば、それほど苦しいものでもないと思う。 二つの大会を梯子するなんて、普通じゃ考えられないだろう。 トレーナー自身の気力が保つかどうかも分からないし、ポケモンだってちゃんと体力を回復させなきゃ、 とてもじゃないが戦いぬくことはできない。 でも…… 普通じゃないから面白いんだって思う。 他人がやらないことをやってみたい。 「親父の影響かな……今じゃどうでもいいことなんだろうけど……」 そう。 そういう考え方って、親父の影響なんだよ。 今じゃちゃんと仲直りして、普通の親子だけど、親父のことを嫌いだった時期に、 強く自分自身というものを意識するようになっていた。 オレはオレで親父じゃない。 だから、親父の押し付けがましい道なんて要らないし、歩くつもりもない。 自分は自分で他人じゃない。 だから、他人と違うことをして、自分が自分だって証を立てたい…… そういう考え方が基礎になって、オレは今まで旅を続けてきた。 サトシやシゲルとは違う旅。 ましてや、途中まで一緒だったけど、ナミとだって違うはずだ。 「ホウエンリーグでオレが戦ってるトコ、じいちゃんとかナミは食い入るようにテレビ観戦してるんだろうな……」 二人の性格を考えれば、テレビ中継が始まる三十分も前からテレビの前に陣取って、 お菓子やらビールやらおつまみやらを用意して息巻いてるんだろう。 あー、考えると滅入っちゃいそうだ。 じいちゃんやナミが観てる前で、みっともない戦いなんてできないじゃないか。 まあ、そんな戦いをするつもりはないけれど、結構プレッシャーになりそう。 ごぉぉぉ……と炎のように燃えていた心が滝に打たれて火が消えたみたいになるのを、オレはしっとりとした空気から感じ取った。 ほどなく船は穴を抜けて、ルネシティに入った。 「……ここがルネシティか……」 今まで考えていたことが、一気に吹き飛んだ。 オレは知らず知らず、火口に作られた街に目を向けていた。 白一色の山肌に、白一色の家並み。火口に溜まって、穴によって外とつながっている海。 白と青のコントラストがとても美しく、それでいて神秘的でもある。 斜面に沿って家屋が建っているんで、階段や道はとても急で、角度だけなら軽く十度以上はありそうだ。 足腰を鍛えるのにはもってこいの場所だけど、オレはあんまり住みたいとは思わないな。 空と海の青。山と家の白。 色彩の対比に目を奪われながら周囲を見渡していると、普通の民家とはまったく趣の違う建物を見つけた。 考えるまでもなく、船首が差しているその建物がルネジムだと分かった。 火口に湛えられた海の真ん中にある島。 その島に建てられた唯一の建物は、他の民家と同じく真っ白で、ドーム状だった。 マサラタウンの公民館なんか五つはすっぽり入りそうなほど、無駄に大きくて、上部にはネオン管が蛇みたくくねっている。 夜になれば、結構煌びやかになるんだろう。 儚い月明かりの下、輝くネオンライトと、その輝きを照り映す穏やかな水面。 小舟でも浮かべて、その上で男女がデートなどすれば、結構いい雰囲気になるんじゃないか……? そう連想させるだけの何かが、その建物にはあった。 まあ、それだけで十分にただの建物じゃない。 船首が左に向いた。 船着場は、ルネジムの左手にある。 ここでレキを出して、ルネジムの前まで引っ張ってってもらおうかと思ったけど、 それで風邪なんか引いた日には、本気でバカを見るだけだ。 「最後のジムか……ジムリーダーはどんなポケモンを出してくるんだ……?」 徐々に右に流れていくルネジムにじっと目をやりながら、オレは思った。 今までに経験してきた七つのジム戦。 いずれのジム戦でも、ジムリーダーはホウエン地方に棲息するポケモンを主戦力として繰り出してきた。 そりゃ、ホウエン地方のジムなんだから、その地方に棲息するポケモンを出してくるのは当たり前だ。 カントー、ジョウトのジムだって当然同じことをしてる。 どんなポケモンが出てくるのかなんて、実際に舞台に立ってバトルしなきゃ分からないし、今考えたところでどうにもならない。 それは今まで何度も同じことを思考して繰り返してきてもクセみたいに直らない。 やっぱり、気になるんだ。 どんなポケモンが出てきたって、倒して勝利をつかみ取る。 それだって変わらないのにね。 何とも言えない気持ちを舌の上で転がして持て余していると、船内にアナウンスが響き渡った。 「当船は、間もなくルネシティに到着いたします。 お手回り品をいま一度お確かめの上、接岸までお待ちください。 繰り返します。 当船は、間もなくルネシティに到着いたします」 言われなくてもそれくらいは分かるんだけど…… でも、そのアナウンスがモヤモヤした気持ちをどっかにふっ飛ばしてくれた。 船が静かに接岸し、甲板から桟橋に板が渡される。 ルネシティに降り立ったオレの気持ちは、思いのほかスッキリしていた。晴れ渡る空の青のように。 これなら今回も行けるんじゃないか。 そう思う。 確信を胸に秘めて、オレはルネジム目指して駆け出した。 白い坂道を駆け上がり、駆け下り、それを何度か繰り返して、オレは湖に浮かぶ島に建つルネジムの前にたどり着いた。 ナンダカンダ言って結構ハードな道のりだったけど、額に欠いた汗はむしろ気持ちいい。 ジムの前に立ち、深呼吸する。 ここをクリアすれば、それだけでホウエンリーグに出られるんだ。 ホウエン地方で最後のジム戦。 いつだって全力だけど、これが最後になるのなら、今までに培ってきたすべてを出し切って戦いたい。 船の上から見た時はドアがピタリと閉まっていたけれど、走ってやってきた時には開いていた。 まるで、オレの挑戦を受けて立とうと、オレが来ることを予期していたかのようなタイミングだ。 仮にそうであろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。 戦うべき相手がこの先にいるのなら、迷わずに突き進んでいくだけなんだから。 無断で入っていいものかと思ったけれど、ドアは開け放たれている。 ジムリーダーだってバカじゃないんだ、入っていいという意思表示でもしない限りは、そういうことはしないだろう。 ……ってワケで、オレはジムと同じ白亜の階段を一段ずつ登り、ジムの門をくぐった。 一歩足を踏み入れると、空気が変わった。 「…………」 涼風のような心地良い涼しさに染まった空気が、全身を余すことなく包み込むのを感じながら、オレはまっすぐに伸びる通路を進んでいった。 静寂に満ちた空気が、重厚で荘厳な雰囲気を生み出しているように思える。 通路の両脇には壁画が描かれている。どこかで見たような見なかったような、微妙にくすんでいる壁画だ。 立ち止まれば闘志が鈍るような気がして、後ろ髪を引かれる想いで、その脇を通り過ぎる。 十メートルほどの通路を抜けた先には、街の景観にも似た、すり鉢状の広間だった。 街で言えばルネジムの位置に当たる、広間の中央には、巨大な水槽に浮かんだブルーのステージ。 ステージには白いラインが浮かび上がっており、あそこがバトルフィールドであることは間違いなさそうだ。 どことなくハナダジムに似ているように思えるんだけど、ハナダジムのバトルフィールドは、 むしろトレーナーの立つスポットとスポットの間に小さな海が横たわっている感じだ。 ここのフィールドは、ステージの外堀を海が埋めているような……ある意味で正反対のフィールドだ。 ステージを囲むように、三百六十度に設けられた客席。 このジムも、どっかのジムみたく水中ショーでもやってるんだろうか。 とはいえ…… 今はそのショーもやってないようだし、ステージの上はおろか、客席にも人の姿はない。 オレがいる場所は、客席でも最上段に位置しているから、全体を見渡せる。 それでも人っ子一人いないなんて…… 改めて見渡してみても、人もポケモンも姿はなく、ステージの周囲の海は波ひとつ立っていない。 「今日は休みなのかな……でも、ドアを開けっ放しなんて無用心だし……」 ポケモンの感覚を欺けるような人間なんていないけど、それでも開けっ放しなんて無用心もいいところだ。 泥棒さん、どうぞ入ってくださいって言ってるようなものじゃないか。 なんて思っていると、 「ようこそ、ご客人。我がルネジムにどのようなご用件ですかな?」 背後から声をかけられ、オレは慌てて振り返った。 「…………?」 「驚かせて申し訳ない。 そのようなつもりはナッシング……つまり、なかったんですが……」 振り返った先には、スラリ背の高い中年の男性が立っていた。 足音も気配も感じなかったぞ、一体いつからそこにいたんだ……? なんてオレが考えてることなど露知らず、男性は流暢な語り口で続けた。 「その出で立ち、私が察するに、キミはトレーナーですね」 「あ、そうですけど……」 なんか、雰囲気が合ってない。 ジムとは似ても似つかぬ、ワンダーな雰囲気を全身から放つ男性に、オレはなぜかいきなり気圧されまくっていた。 海のような空のような鮮やかな青を基調にしたガウンに身を包み、立派な口ひげをたくわえた男性だ。 「では、ここに来たのはジム戦……そうでしょう」 「そうです」 オレは頷いた。 ジムの関係者なら、話が早い。 ジム戦に来たと言えば、ジムリーダーに会わせてもらえる。すぐにでもバトルを始められるだろう。 「うむ……キミのような意志の強そうな瞳を持つトレーナーを相手にするのは実に久しい…… いいでしょう…… 我がルネジムのジムリーダー…… 世の百万の麗しのレディより『魅惑のダンディ』の異名を賜った、このアダンが謹んでお相手いたしましょう」 「……ジムリーダー……!?」 「そのとおりですよ、ボーイ」 薄々は予想してたんだ。 でも、まさかこういうタイプのジムリーダーがいるなんて、思いもしなかった。 ジムリーダーというよりも、エンターテイナーの方が似合いそうな人だけど…… でも、ジムリーダーだって言うのなら、全力で戦うだけだ。 まあ、百万の麗しのレディから賜ったとかいう『魅惑のダンディ』っていう異名はさておき。 女性って、ちょっと渋くて味のある男性を好むんだろうか。 それはどうでもいいんだけど…… 「では、ボーイ。時に、キミの名前を教えてもらってよろしいでしょうか?」 「アカツキ。マサラタウンから来ました、アカツキです」 「うむ……ハツラツとした返事、お見事……」 「……?」 名前を教えろと言われたから名乗っただけなのに、なにやら意味不明なことを言い出すアダンさん。 突っ込んでも余計ややこしいことになりそうな気がしたんで、何も言わなかった。 「マサラタウンと言えば……一月前に、その町から来たというトレーナーと戦いましたね……」 ひどく懐かしそうに口にするアダンさん。 「……!!」 そのトレーナーが誰なのか、オレは嫌でも理解せざるを得なかった。 マサラタウンを旅立ったトレーナーは数多くいるけれど、この数ヶ月でホウエン地方に足を伸ばしたトレーナーは一人しかいない。 「まさか、そのトレーナーって、サトシって名前じゃ……」 「オールライト、そのとおりです。同郷のトレーナーということで、顔は知っているようですね」 アダンさんは朗らかな笑みなど浮かべながら言ってくれるけど、顔を知ってるなんて次元の話じゃない。 サトシはオレのライバルだ。 旅立つまでは、ことあるごとに突っ掛かってくるうるさいヤツだって思ってた。 だけど、同じトレーナーの土俵に立った今では、いずれは戦い、乗り越えていかなければならないライバルだ。 サトシがこのジムに挑戦した…… オレよりも何ヶ月も早くホウエン地方に赴いたんだから、それは当然と言えば当然のことなんだけど…… それでも脳天に雷が直撃したような感覚が全身を突き抜けた。 「彼はいいトレーナーでした。 私は力及ばず負けてしまいましたが、彼の情熱的な戦いは、私の中で永遠に語り継がれてゆくことなのでしょうね……」 サトシの性格を考えれば、近いジムから挑戦しているだろう。 ミシロタウンからもっとも遠いのが、このルネジムだ。 考えれば、あいつがすでに八つのバッジを揃えてホウエンリーグの出場権を一足先に手に入れたことくらい、すぐに分かる。 先を越されたのは悔しいが、同じ舞台に立つチャンスはオレにだってまだまだ残されてるんだ。 何も焦る必要はない。 「キミは幼なじみなのですか?」 「まあ、そんなものです」 「では、負けてはいられませんね……さっそく、バトルをはじめましょう」 「お願いします」 あいつに負けるのは嫌だ。 後先考えずに突っ走るようなヤツには負けたくないし、幼なじみだからこそ負けたくないんだ。 今はあいつの背中しか追いかけられなくても、ホウエンリーグでは正面きって戦うことになる。 こんなところで躓いてなんかいられない。 「こちらへ」 アダンさんに先導され、オレは歩き出した。 別の通路を通って、ステージに案内された。 「…………」 遠目で見るよりも、バトルフィールドは雄大で幻想的だった。 天井から燦々と降り注ぐライトに照らし出されたステージは、さながら海の中にいるような錯覚を与えてくれる。 アダンさんは通路から向かって左側のスポットについた。 「それではアカツキ君、スポットへ」 「分かりました」 アダンさんに促され、オレは反対側のスポットについた。 水槽に並々と満たされた海に浮かぶ、コバルトブルーのバトルフィールド。 それだけで、このジムが得意とするタイプが分かりそうなものなんだけど…… 「実に申し訳ないのですが、審判は急用でミナモシティに出かけておりますゆえ、審判はなしでバトルを行いましょう」 審判がいないっていうのなら、それはしょうがない話だ。 まあ、結構オマヌケに感じられるのは否めないけれど。 アダンさんは腕を広げ、まるで詩を吟じるような声音で言った。 「我がルネジムのルールは、四体のポケモンを用いたシングルバトル…… 時間は無制限で、ポケモンのチェンジはキミにのみ認められます。 お互いのポケモンが四体戦闘不能になるか、降参を申し出た時点で決着。 まあ、どこのジムにでもあるような拙いルールではありますが……質問はありますかな?」 「いえ、ないです」 「よろしい。では、始めましょう」 ルールの説明を終え、アダンさんは小さく一礼した。 ずいぶんと慣れた様子で、対戦相手に常に敬意を払っているのかもしれない。 オレもそれに倣って、小さく頭を下げた。 「私の最初のポケモンをお見せいたしましょう……出でよ、トドグラー!!」 ガウンの内ポケットからモンスターボールを取り出すと、アダンさんは声を張り上げ、ボールをフィールドに投げ入れた!! コバルトブルーのフィールドにカツンと音を立てて着弾した瞬間、ボールの口が開いて、中からポケモンが飛び出した。 「ぐぅぅぅ……」 フィールドに飛び出してきたのは、トドを連想させるポケモンだった。 そうか、だからトドグラーって名前なのか…… とはいえ、見たことのないポケモンが相手なので、一応ポケモン図鑑のセンサーを向けた。 「トドグラー。たままわしポケモン。タマザラシの進化形。 まず鼻で相手に触れて、感触とにおいを覚える。 タマザラシを鼻でクルクル回して遊ぶのが大好き。陸上でも生活できるが、氷の上の方が速く移動できる」 水と氷タイプのポケモン…… このフィールドから察するに、このジムの得意なタイプは水タイプ!! 電気タイプのポケモンが一体でもいれば、かなり有利に戦えるんだけど…… オレの手持ちには、電気タイプの技を使えるポケモンがいない。 リッピーは10万ボルトを使えたから、じいちゃんの研究所に送らない方が良かったか……? ちょっとだけ後悔したけれど、今さらジムリーダーに背を向けて逃げ出した挙句、 リッピーをよこしてくれなんて、みっともなくて言えたものじゃない。 でも、トドグラーの弱点は何も電気タイプだけじゃない。 草タイプや岩タイプ、格闘タイプの技も弱点なんだ。 それらのタイプなら、使えるポケモンがいる。 オレは図鑑をポケットにしまい込み、トドグラーをじっと見つめた。 トドに相応しい体格で、でもどこか愛嬌たっぷりの笑顔を振り撒いている。 動物園ならスターになれそうだけど、ポケモンバトルは愛くるしいだけじゃ戦えない。 でも、ジムリーダーが繰り出してくるんだから、愛くるしいだけじゃなく、バトルでの実力も備わっているんだろう。 トドのような身体つきも十分に目立つけど、何より目立つのは、鼻の左右についた、氷でできたような白いヒゲだ。 アダンさんの口ひげに通じるような何かがあって、まさしく彼が繰り出すに相応しいポケモンと思わせる…… おお、なんて恐ろしい。 戦う前からそんなことを考えさせるなんて……やっぱり、この人はタダモノじゃない。 「アカツキ君。キミのポケモンを出してください」 「分かりました……」 オレは頷き、腰のモンスターボールに手を触れた。 安全に行くなら、ラッシーを一番手に出して、『日本晴れ→ソーラービーム』の必殺コンボで一気にトドグラーを仕留める。 見たところ、動きはそれほど素早そうじゃないし……水中は相手の独壇場だ。 逃げられないうちに一気に仕留めるのがベストだろう。 だけど、ラッシーばかりに任せていては、他のポケモンが育たない。 ジム戦は、貴重な成長の機会なんだ。 普通のバトルとは比べ物にならないほど相手が強い分、ポケモンも大きく成長できる。 増してや、ホウエン地方でのジム戦はここが最後。 できるなら、ラッシーには頼らず、他のポケモンだけで切り抜けてみたい。 どうしても無理だと思ったら、その時はラッシーに任せることにしよう。 「だったら……」 オレがつかんだモンスターボールは…… 「リンリ、君に決めたっ!!」 一番手はリンリだ。 相性は不利だけど、スピードではトドグラーを上回っている。 トドグラーの弱点となる格闘タイプの技だって使えるし、戦い方しだいでは、トドグラーを出し抜くことができるだろう。 オレの投げ放ったボールはフィールドに着弾する直前、口を開いてリンリをフィールドに送り出した!! 「…………」 何も言わず、ホネの棍棒を振りかざすリンリ。 さながらトドグラーを威嚇しているような仕草だけど、さすがにその程度で動じるトドグラーじゃない。 慌てるどころか、むしろ欠伸なんて欠いて、本当にやる気があるのかとこっちをヒヤヒヤさせる。 「ほう……ガラガラですか」 飛び出したリンリを見つめ、アダンさんは眉を動かした。 「いや、話に聞いたことはありますが、見るのは初めてでしてね……いや……とても凛々しいポケモンですな。 それでこそ、挑戦者に相応しい……始めましょうか。 先手はキミにお譲りいたしましょう」 余裕のつもりか、流暢な語り口は相変わらずだった。 それくらいゆったりと構えていられないようじゃ、ジムリーダーなんて務まらないってことなんだろう。 オレの数十倍のキャリアに裏打ちされた自信が、ゆったりと構える態度を生み出しているのだとしたら…… エンターテイナーが似合うような人でも、油断はできない。 先手を譲ってもらえたのはうれしいんだけど、だからといって素直には喜べないんだな。 こっちの反応を見てから、攻め手を考える……典型的なパターンじゃないか。 でも、今回はちょっと違う。 リンリの方がスピードは上だ。攻撃力は言うに及ばず。 先手で一気に相手の懐に潜り込み、反撃する暇を与えずに一気に倒す……リスクは高いけど、これが最善の方法だろう。 虎穴に入らずんば、虎児を得ず……っていうことわざがある。 じいちゃんが口癖のように言うものだから、オレが最初に覚えたことわざなんだ。 虎の子供が欲しいのなら、虎の住んでいる穴に入らなければならない。 危険を冒さなければ、求めているモノは手に入らないというたとえのことわざだ。 「リンリ、一気にトドグラーに迫るんだ!! 瓦割り!!」 オレがトドグラーを指差して叫ぶと、リンリはたたたたっ、と駆け出した!! 久しぶりにバトルフィールドに立つとは思えないくらいの素早い動きだ。 じいちゃんの研究所にいたからと言って、ノンビリしてたワケじゃないらしい。 リンリはおとなしいけど、やる時にはやる性格なんだ。 たぶん、人知れず努力を重ねてきたんだろう。 身体が鈍るどころか、研究所に預ける前よりも明らかにスピードが上がっている。 さすがはリンリだ。 この分なら、トドグラーを倒すことも可能。 リンリの走りっぷりを見て、オレはそう思った。 「先手は確かにお譲りいたしました……なかなかのスピードですが……」 アダンさんはリンリのスピードを誉めつつも、口ひげをいじりながら、トドグラーに指示を出した。 「トドグラー、アイスボールです」 その指示に、トドグラーが口を大きく開く。 普通のポケモンなら気味悪いほどの大きさに開かれた口から、氷の球が吐き出された!! アイスボール……そのまんまだな。 見るのは初めてだけど、直線軌道の技なら、それほど恐くはない。 その証拠に、リンリはスピードを落とすことなく、わずかに左に動いただけで、飛来する氷の球から身を避わした。 何も言わないけれど、逆にそれは何があろうと動じない強靭な意志を胸に秘めた証なんだ。 とはいえ、トドグラーもトドグラーで、渾身のアイスボールを避けられても全然動じていない。 続いて、二発目のアイスボールを発射!! 気のせいか、さっきよりも一回り大きくなったように思えるんだけど……気のせいだろう。 割り切って、オレはリンリがトドグラーに瓦割りを食らわすのを待った。 「…………」 二発目のアイスボールも難なく避け、トドグラーの眼前に躍り出たリンリが、振りかぶったホネの棍棒を真上からトドグラーに叩きつける!! ごっ!! 見た目はホネ棍棒と変わらないけれど、これでも一応格闘タイプの技だ。 威力はなかなかで、汎用性は十分。 でも、瓦割りの真価は威力と汎用性だけじゃない。 ダメージを与えると同時に、相手が張り巡らせた防御技――リフレクターや光の壁を破壊することができるんだ。 防御効果の破壊……他のどんな技や特性でも為しえないことを可能とする、これが瓦割りの真骨頂。 相手の防御作戦を一瞬で無に帰すという、この効果がたまらない。 無論、汎用性が高いということは、この技を覚えさせているトレーナーもそれなりに多いということで、 自分がリフレクターや光の壁を使う際には注意が必要なんだけども…… どう見ても、トドグラーがそういう技を使うとは思えない。 今回は、タイプの相性で使ったに過ぎないんだ。 でも、かなり効いている。 「ぐぅぅぅぅっ……」 脳天にキツイ一撃を受けたトドグラーは、唸るような声をあげながらぐったりと倒れた。 まさか……いきなり戦闘不能ってワケじゃなさそうだけど…… 何かの罠かもしれないと思いつつ、注意深くトドグラーとアダンさんの動向を見守る。 リンリも罠を警戒して、さっと飛び退った。 「なかなかやりますなあ……ですが、その程度の一撃でやられるほど、私のトドグラーは弱くはありませんよ」 結構なダメージを受けたはずなんだけど、アダンさんは余裕の態度を崩していない。 その声に励まされるように、トドグラーが起き上がる。 愛くるしい表情はまったく変わらない。 ダメージを受けたことは理解しているんだろうけど。 ちょっとは怒るかと思ったんだけど……むしろ唖然としたのはオレの方だった。 そのわずかな隙を突くように、アダンさんがトドグラーに指示を出した。 「トドグラー、影分身です」 「……させるな、リンリ!!」 慌ててオレも指示を出したけど、遅かった。 リンリがトドグラーに飛びかかった時にはすでに、トドグラーがリンリを取り囲むように分身を生み出していた。 リンリが振り下ろした棍棒はトドグラーの身体に食い込み―― 何の抵抗もなく、その身体をすり抜ける。 同時に、トドグラーの姿は掻き消えた。 分身……!! 動きの遅さを影分身の回避能力でカバーし、攻撃を受ける機会を減らしつつ、 相手にダメージを与えるチャンスを増やす……なるほど、上手いやり方だと思った。 リンリはしかし慌てることなく、周囲に展開するトドグラーたちを一望している。 「では、参りましょう……」 アダンさんが手を振り上げたのを合図に、トドグラーたちが一斉に口を開き、アイスボールを放ってきた!! 四方八方……なんて生温いものじゃなく、上下を除いたあらゆる方角から放たれるアイスボールは、 まさに数の暴力という言葉がよく似合う光景だった。 雪崩打つように押し寄せてくるアイスボールも、どれか一つだけがホンモノだ。 あとはすべてニセモノだけど、それを見極めるのがとても難しい。 リンリは真上に飛び上がって、押し寄せてくるアイスボールから逃れたけど、それで攻撃が終わったわけじゃなかった。 第二撃が放たれる。 飛び上がって無防備になったリンリに、無数のアイスボールが迫る!! 「リンリ、防げ!!」 リンリの攻撃力で、アイスボールを片っ端から叩き落すしかない。 ヒットする前にホンモノを叩き落せたら―― あるいは、そのアイスボールの方角から、ホンモノのトドグラーの位置を読み取ることができるかもしれない。 ダメージを受けないようにするには、どうにかしてホンモノのアイスボールを叩き落してもらうしか…… リンリが凌いでいる間に、何とかして効果的な対策を思いつかなければならない。 リンリはホネの棍棒を振りかざし、襲いかかってくるアイスボールを一つ、また一つとかき消していったけど、 ほとんど時間を置かずに襲うアイスボールすべてを消すことはできず、 ごっ!! 鈍い音がして、右手から飛んできたアイスボールがリンリを直撃した!! 「リンリ!!」 地面タイプのリンリにとって、氷タイプのアイスボールは弱点だ。 一発でも受けるとかなりのダメージになる。 リンリはバッターに打たれたボールのように宙に投げ出された。 放物線を描いてフィールドに落下してくるリンリを指差し、アダンさんが指示を出す。 「トドグラー、オーロラビームです」 オーロラビームが一斉に発射される。 リンリの落下速度と、オーロラビームの速度を完璧に計算しているとしか思えないようなタイミングで、迫る。 ここでオーロラビームを食らったら、マジで戦闘不能になりかねない。 そうならないようにするためには…… オレはグッと拳を握りしめ、リンリに指示を出した。 「リンリ、ホネブーメランだ!!」 ホネブーメランでオーロラビームを受け止めて、防ぐしかない。 オレの意志を汲み取ってか、リンリは目を大きく見開くと、 「…………っ!!」 声にならない声を上げて、ホネ棍棒をブーメランのように飛ばす!! 放物線や直線とは明らかに違う、不規則すら思わせる軌道で放たれたホネの棍棒は、緩やかなカーブを描きながらオーロラビームを次々にかき消していった。 空気抵抗を無視したような動きも途中で見せたけど、それはもしかしたら、リンリの気合が為しえた技かもしれない。 理由はどうあれ、今はその幸運に感謝するしかないだろう。 「なんと……ビューティフル……美しい流れですねえ……」 バトルの最中だっていうのに、その雰囲気をぶち壊すようなアダンさんのうっとりした声がフィールドに響いた。 思わず白けるオレ。 罠かどうかなんて、全然気にならなかった。 リンリのホネブーメランの軌道が美しいと言ってるんだろうけど、やっぱりアダンさんにはアーティストの方が似合う気がする。 なんて思っている間に、ホネブーメランがホンモノのオーロラビームを弾いた!! ニセモノはすべて触れた瞬間に消え去ったのに、そのオーロラビームだけはホネブーメランに当たって弾けたんだ。 今の角度……そして、さっきのアイスボールの飛んできた方向を合わせて考えると…… 「どうやら、見破られたようですね……では、小細工せずに勝負と参りましょう。 吹雪です!!」 アイスボールとオーロラビームの方向からホンモノのトドグラーの位置を見破られたと察して、アダンさんが一気に攻勢に打って出た。 驚きも躊躇いも感じられない。 まさに、水のように流れる戦略だ。 相手がどのような戦い方をしてきても、慌てることなく、自分なりの戦いを繰り広げる…… 恐らくは、それがアダンさんのタクティクスなんだろう。 リンリが着地する。 かすかに足元がふらつく。 アイスボールのダメージは侮れないといったところか。 ちょうど戻ってきたホネの棍棒をちゃんとキャッチする。 と、トドグラーたちが一斉に吹雪を発射!! 前後左右から迫る吹雪は、スポットライトに煌いて神秘的にさえ思えたけど、そんな生温いものじゃない。 ホンモノの位置はおおよそ読めた。 あとは、ホンモノ目がけて攻撃を繰り出すのみ!! 「リンリ、アダンさんの斜め前のトドグラーにボーンラッシュ!!」 オレの指示に、リンリがホネの棍棒で目の前のフィールドをバシバシと激しく叩きまくった!! 刹那、オレが言葉で指し示したトドグラーの真下のフィールドにヒビが入り、 凄まじい衝撃と共に砕かれたフィールドが吹き上がって、トドグラーを宙に放り投げた!! 「アンビリーバボー……面白い攻撃ですね……」 アダンさんはそれでも動じない。 とはいえ、トドグラーの吹雪が消えてなくなるわけでもなく、リンリはモロに吹雪のダメージを受けていた。 でも、リンリは何気にタフなんだ。まだまだやれるさ。 「ホンモノに当たった……」 ちゃんと命中するかどうか、何気に不安だったんだけど、オレの計算は正しかったってことだ。 フィールドを破壊しちゃったのはちょっと悪いと思うけど…… こういう戦い方だってあるんだから、それはそれで納得してもらうしかない。 宙高く投げ出されたトドグラーは、まだ戦闘不能にはなっていない。 だけど、次で終わらせる。 「リンリ、ホネブーメランでフィニッシュだ!!」 この頃には、トドグラーが影分身で生み出した分身はすべて消えていた。 もう一度影分身を使われる前に倒しておかないと、今度はリンリの方が戦闘不能になってしまう。 リンリとしてもそれなりの危機感は抱いていたらしく、反応が早かった。 ホネの棍棒を振りかぶり、狙いを定め、ブーメランのごとく回転させながら投げ放つ!! 緩やかな円弧を描きながら舞い上がるホネブーメランを避ける術など、トドグラーに残されているはずもない。 「…………」 アダンさんは指示を出さない。 ホネブーメランを避わせないと悟っているかのような顔で。 ごっ!! 必殺のホネブーメランが、トドグラーを打ち据える!! 今度は逆に地面に叩き落され、さすがのトドグラーも戦闘不能になった。 一時期ブームになった、何とかパンダに似た格好で、目を回している。 「ふむ……グレイトです。 トドグラー、戻りなさい……」 アダンさんは素直にトドグラーをモンスターボールに戻した。 何があっても慌てない豪胆な性格というか……それでも勝利の確信は微塵も揺らがないという自信の表れか。 「相性の不利を覆してトドグラーを倒すとはさすがです、ボーイ。 ですが、次のポケモンを相手に、どう戦いますかな? ラグラージ、ステージオン!!」 トドグラーのモンスターボールを入れ替えるように、次のポケモンが入ったボールをフィールドに投げ入れるアダンさん。 しかし……次の相手はラグラージか。 あんまりいい思い出があるとは言えないポケモンだけに、ビミョーに気持ちに曇りが生じる。 放物線の頂点でボールを開いて飛び出してきたラグラージが、リンリを睨みつけながら威嚇の声を上げる。 「ラージ……」 いつか戦ったことのあるラグラージは、今目の前にいるラグラージよりも若干身体で小さく、雰囲気なら完全に圧倒されてしまっているだろう。 トドグラーのふくよかなボディとは違って、ラグラージのボディは程よく引き締まっている。 無駄に筋肉が多いわけでも、逆に脂肪が多いわけでもない。適度な筋肉と脂肪の割合が見て取れる。 確か、ラグラージのタイプは水と地面。 草タイプの技が最大の弱点……今のリンリじゃ、とてもじゃないが勝てる相手じゃない。 トドグラーとのバトルで受けたダメージはかなり大きいんだ。 無理に戦わせても、相手にダメージを与えられなければ無駄になる。 ここは一つ、別のポケモンでお相手しよう。 「リンリ、戻れ」 オレはリンリをモンスターボールに戻した。 「ここで戻しますか……賢明な選択です」 アダンさんが肩をすくめる。 本当に言葉どおりのことを思ってるのかどうかは疑問だけど、ラグラージに対抗できるのは、 「ラッシー、頼んだぜ!!」 ラッシーしかいないだろう。 ボールをフィールドに投げ入れ、ラッシーが姿を現す。 「バーナー……」 負けじと、ラッシーも声を張り上げてラグラージを威嚇する。 当然、威嚇程度で物怖じするラグラージじゃない。 むしろ好戦的な眼差しを鋭く尖らせてラッシーを睨みつけてきた。 「ナイスチョイスですね。 私のラグラージの最大の弱点を突いてくるポケモンをオーダーされるとは…… ですが、それだけで私のラグラージに勝てるとは、思わぬことです」 もちろん、簡単に勝てるとは思ってない。 相性では有利だけど、ラグラージと比べると、ラッシーは動きが遅い。 水中に逃げられでもしたら、ソーラービームでしか攻撃できないからだ。 アダンさんなら、水中からでもラッシーに攻撃する術を心得ているだろう。 そうなる前に、速攻でケリをつけるっきゃない。 「前回、先手をお譲りいたしました。 では、今回は私から参りましょう……ラグラージ、地震です」 いきなり地震……!! 驚く間もなく、ラグラージが強靭な脚を振り上げ、フィールドに叩きつけた!! ごぅんっ!! 強烈な揺れがフィールドを駆け抜けてゆく!! 「うわっ!!」 今まで味わってきたどの地震よりも強烈な揺れだと感じられるのは気のせいだろうか。 気を抜かずに足腰に力を入れて踏ん張っても、本当に転びそうになる。 それはアダンさんも同じだけど、表情が全然そんな風に感じさせない。 地震でラッシーが怯んだ隙に、冷凍ビームやメガトンパンチで一気呵成に攻め立ててくるな…… 地震さえ囮に使うとは、さすがに最後のジムリーダー……まさに最後の砦だ。 ラッシーほどの体重があれば、地震を食らっても倒れたり弾き飛ばされたりすることはない。 ちゃんと踏ん張ってれば、一ミリも動くことはない。 それでも、この状態で攻撃をすることはできない。 相手の次の一手で、こっちの出方がガラリと変わる。 そのチャンスを逃さぬようにしなければ…… しかし、アダンさんの指示は、オレの考えをあっさりと裏切った。 「ラグラージ、ダイビング……水中に逃れなさい」 攻撃してくるかと思ったら、逃げの一手を打つだと……!? アダンさんの指示を聞くが早いか、ラグラージは水中に身を潜めた。 この考え方だと…… マジカルリーフと各種異常の粉によるコンボを警戒している……いや、あるいはソーラービームか……? どっちにしても、この状態じゃ、普通に攻撃を加えることはできそうにない。 ここはもう一度、相手の出方を見るしか…… ラッシーも、相手が水中に逃げられては手出しができないと悟っているようで、堂々としていた。 水中から繰り出せる攻撃は、そう多くはない。 ステージの真下からハイドロポンプとか、水面に顔を出して冷凍ビームをチョコチョコ撃ってきたりとか…… まるで海坊主みたいで、ラグラージのイメージには合わないんだけど。 どんな強風にも負けないマジカルリーフだって、水の中にまでは入り込めない。 冷凍ビームを放つべく水面に顔を出した瞬間にマジカルリーフを放っても、間違いなく避けられる。 だとすると…… 「では、我がルネジムが誇る、華麗な水中ショーの始まりです……」 アダンさんはなにやら恭しく――まるで観客に対するような礼をして、ラグラージに指示を出した。 何から何までよく分かんないけど…… これが攻撃の合図なんだってことは分かった。 「ラグラージ、アイスエイジです」 技の名前じゃなさそうだ。 水中ショーって名目を出してきたところからすると、さしずめ演目ってところか。 でも、一体何をしてくるつもりだ……? 注意深く、ラグラージの動向に目を向ける。 すると…… ぼぉぉぉんっ!! ラッシーの背後の水面から、大きな塊が打ち上げられた!! あれは……氷の塊!! 家庭用テレビがすっぽり納まるほどの大きさの氷の塊が、高々と打ち上げられたんだ。 ラグラージが、冷凍ビームで水を凍らせた塊を盛大に打ち上げたってところか…… でも、これで一体どうするつもりなんだか。 斜めに打ち上げられたけれど、軌道を考えると、ラッシーには掠りもしない。 それはアダンさんだって承知しているはずなんだけど…… パチンッ。 アダンさんの指が鳴る。 それを合図に、ラッシーの真横の水面にラグラージが顔を出した!! 「ラッシー、マジカルリーフ!!」 攻撃のチャンスがあるのなら、できるだけモノにしておきたい。 ラッシーは振り向きもせず、背中からマジカルリーフを発射!! マジカルリーフは、まるで目がついているように、迷うことなく顔を出したラグラージ目がけて飛んでいく!! 掠めただけでも、ラグラージにとっては大ダメージになるはずだ。 なにせ、水タイプと地面タイプを持ってるんだ。草タイプは最大の弱点。 でも、簡単に食らってくれるほど甘くはなかった。 ラグラージはハイドロポンプを氷の塊目がけて発射すると、すぐに水中に潜ってしまった。 数秒後、その真上を虚しくマジカルリーフが通り過ぎる。 「……いったい何を……」 氷の塊に炸裂したハイドロポンプを見やりながら、オレは不意に悟った。 水中ショーに模したラグラージの攻撃の意図…… 「ラッシー、蔓の鞭で防げ!!」 オレの指示が響くが早いか、ハイドロポンプを受けた氷の塊は砕け、無数のカケラがフィールドに降り注いだ!! ラッシーは蔓の鞭を放って、降り注いでくる氷のカケラを次々に打ち砕くけど、十個ほどのカケラがラッシーを襲う!! 一つ一つのダメージは小さくても、氷タイプの攻撃だ。侮れない。 冷凍ビームを放つわけでも、ハイドロポンプを放ってくるわけでもない。 冷凍ビームで作り上げた氷の塊を天井目がけて打ち上げて、ハイドロポンプで氷の塊を砕くことで、 フィールド全体にカケラを降り注いで攻撃する……こっちの攻撃を防ぐ意味も込めて、わざわざ水中に身を潜めたんだ。 ショーであり、攻撃でもある。 観客がいたら、たぶん黄色い悲鳴を上げているんだろう。 エンターテイメントをバトルに取り入れるなんて、さすがと言うほかない。 草タイプの技を食らう危険を冒してまで、真正面から戦う必要はないと、アダンさんは判断したんだろう。 あるいは、ラッシーも最終進化形ということで、その強さに警戒しているのかもしれない。 相手を確実にフィールドに引きずり出す方法は…… ラッシーじゃ引きずり出せない。 まともな攻撃技じゃ、どうにもならない。 こういう時は、搦め手から攻めるしかないな。 「ラッシー、戻れ」 オレはラッシーを戻した。 このままじゃ、今の攻撃を連発されて、少しずつダメージを受け続け、ジリ貧状態に陥るだろう。 そうならないためにも、ここはポケモンチェンジをしておこう。 「……何か考えましたかな?」 「まあ、いい方法を……」 「なるほど……では、見せていただきましょう……」 軽口を叩きつつ、オレはラッシーのモンスターボールと別のモンスターボールを持ち替えた。 次のポケモンは…… 「リーベル、行ってくれ!!」 オレはリーベルのボールを頭上に掲げて呼びかけた。 すると、ボールの口が開き、閃光と共にリーベルがフィールドに飛び出してきた!! 「ぐるるるぅぅ……」 リーベルはフィールドを舐め回すように一望した。 立ち込める雰囲気が尋常なものではないと感じ取ってか、唸り声はいつもよりも低く聴こえた。 「ほう……これはシャープな眼差しのポケモンですな……」 アダンさんが口ひげを弄りながら言う。 シャープな眼差しだけじゃないさ、リーベルは。 さて、どうしよう…… 「では、お手並み拝見と参りましょう。ラグラージ、アイスエイジ」 またあの攻撃か…… お手並み拝見なんてふざけた言い方してくれるけど、そんなつまらない言葉に引っかかるオレじゃない。 ラグラージは水中で移動したらしく、アダンさんのすぐ傍から、氷の塊が飛び出した!! 斜めに打ち上げられた氷の塊が天井のスポットライトと重なった瞬間、センターラインの延長線上にラグラージが顔を出した。 よし、今だ!! 「リーベル、威張るんだ!!」 オレはリーベルに指示を出した。 リーベルは、氷の塊目がけてハイドロポンプを放ったラグラージに咆え立てた。 「ぐるぅ、ぐるるるぅぅっ!!」 威張り散らしているようなその声音に、さすがのラグラージもカチンと来たようだ。 好戦的な――野蛮とも受け取れるような笑みが消え失せ、その顔に怒りが浮かぶ!! よし、ラグラージは混乱した。 「そういうことですか……」 お手並み拝見、なんて余裕かました態度を見せるから、こういうしっぺ返しに遭うんだ。 ここからはこっちのペースで進ませてもらう!! 威張られて自分のペースを奪われ、混乱したラグラージがフィールドに飛び出してきた。 これで、水中に逃げられることはない。 怒りに我を忘れて混乱してるんだ。 逃げるっていう行動は、ラグラージなら取らないだろう。 「ラージっ!!」 ラグラージが駆けてきた!! ラッシーよりも素早いけれど、決して素早いとは言えない。 ましてや、怒りに打ち震えている状態じゃ、動きもずいぶん単調で大振り。 リーベルなら、いくらだって隙を突いて攻撃することができるだろう。 「リーベル、シャドーボール!!」 オレはラグラージを指差し、リーベルに指示を出す。 リーベルは口を開いてシャドーボールを発射!! ラグラージはリーベルしか見えていないらしく、シャドーボールを避けようともしない。 むしろ、自分から突っ込んでいって、ダメージを食らう。 それでも怒りが醒めないラグラージ。 「続いてアイアンテール!!」 リーベルが地を蹴った。 ラグラージとの距離が瞬く間に詰まり―― 「ぐるぅっ!!」 リーベルはジャンプ!! ラグラージの真上で身を翻し、見上げてきたその顔目がけて、鋼鉄と化したシッポを叩きつけた!! 「ラァァァジッ!!」 顔面にまともに受けて、ラグラージが仰け反った。 仰け反ったラグラージの肩を踏み台にして、さらに高くジャンプして、距離を取ってから着地する。 さらに―― 「シャドーボール!!」 このまま攻撃を畳みかけようとリーベルに指示を出した時だった。 「そうはさせませんよ。 ラグラージ、そろそろ混乱から醒めたでしょう。マッドショットでお相手して差し上げなさい」 「……!?」 リーベルがシャドーボールを発射!! すると、さっきまで怒り心頭だったラグラージが、すっかりいつもの表情を取り戻していた。 度重なる攻撃で、混乱が解けてしまったのか…… ……ってことは、かなりヤバイことに……!? ラグラージのコンディションを知り尽くしているアダンさんだからこそ、攻撃の指示を出したんだろう。 ラグラージがリーベルを見据え、口からマッドショットを発射!! 「げっ!!」 オレは思わず声を上げていた。 ラグラージが放ったマッドショットは、人間の顔の倍以上の大きさがあった。 あんな大きさの攻撃を、よく口から出せるものだと、ヘンなところで感心しちゃったけど……今はそんな場合じゃない!! 「リーベル、避けろ!!」 こんなものをまともに食らったら、ピンピンしてるリーベルだって一発で戦闘不能にされかねない。 リーベルが動いたのは、シャドーボールがマッドショットに蹴散らされた時だった。 直線でも曲線でもない……流線型を描きながら飛んでくるマッドショットの軌道を見極めるためだろう。 最小の動きで相手の攻撃を避けることで隙をなくし、次の攻撃につなげようという、リーベルからの提案だと思った。 リーベルのすぐ脇を、マッドショットが通り過ぎていく!! 刹那、フィールドにぶちまけられるマッドショット。 フィールドを染めた泥の範囲の大きさが、その威力の凄まじさを物語っている。 だったら…… オレはリーベルが着地するタイミングを読んで、指示を出した。 「突進だ!!」 ラグラージの動きは、リーベルに比べてやや鋭さに欠いている部分がある。 パワーは上回っているけれど、素早さではリーベルに分がある。 それを利用して、引っ掻き回すしか……攻撃力が上がっているラグラージに対抗するカードは他にない。 「ぐるぅぅっ!!」 リーベルは着地すると、すぐさま地を蹴ってラグラージに迫る!! 蝶のように舞い、蜂のように刺す……なんて悠長なことをやってる余裕はない。 能力がアップした相手ほど危険なものはない。 だから、突進で攻撃すると見せかけて…… 「フィールドが泥で汚れてしまいましたね……ラグラージ、ハイドロポンプで押し流して綺麗にしなさい……」 そこへアダンさんの指示が響く。 ラグラージは腰を低く構えると、口を大きく開いて、ハイドロポンプを放った!! さすがは水タイプだけあって、その威力は折り紙つきだ。 レキもラグラージに進化したら……同じ土俵に立てたら、あれだけの威力の大技を連発できるようになるんだろうか? なんて思っていると、リーベルは剛速球のようなハイドロポンプから軽々と身を避わしてのけた。 さっきマッドショットで汚れたフィールドを、ハイドロポンプの猛烈な水流がなぎ払い、いとも容易く汚れを洗い流す。 まさか、本気でそれを狙ってたわけでもないんだろうけど……あくまでも、外れた時のための布石ってところか。 何が布石なのかぜんぜん分かんないけど。 ともかく、リーベルはラグラージの眼前に迫っている!! 今から回避行動を取っても間に合わないだろうし、マッドショットやハイドロポンプ、 地震といった技でリーベルをどうにかすることはできない。 「リーベル、毒々の牙!!」 オレの指示が届くが早いか、リーベルはラグラージの腕に鋭い牙を突き立て、徐々に体力を奪ってゆく毒を流し込んだ!! 「ビューティフルな作戦とは言えませんが、なかなか面白いことをしてくれますね。 ですが、キミの幸運はここまでですよ。 ラグラージ、気合パンチです」 「……!!」 リーベルが牙を突き立てている間、逃げられないことを悟って、アダンさんが的確なタイミングでラグラージに指示を下す!! まずいぞこれは!! 戦慄に似た何かが背筋をぞっと駆け抜けていくのを感じながら、それでもオレはリーベルに指示を出そうと口を開いて―― ごっ!! 遅かった。 ラグラージの渾身のパンチを腹に受けて、リーベルが吹き飛ばされる!! 十メートルばっかしフィールドを吹き掃除したところでようやく止まったけれど、リーベルはピクリとも動かなかった。 弱点の技で、それも威力の高い技となれば、一撃で戦闘不能になってもおかしくはないんだけど…… 気合パンチの使い方が実に上手い。 気合パンチは発動までに少し時間がかかる。 集中力を高めることで最高の威力を持つパンチを繰り出すわけだけど…… 言い換えれば、その集中力を途切れさせれば、気合パンチは発動しない。 発動までに攻撃を浴びせる……それが、気合パンチを防ぐ手段のひとつだ。 でも、今回は『攻撃を受けた後』に気合パンチを発動させた。 リーベルが動けないことを知った上で、一気に蹴散らしにかかってきたってことだ。 攻撃を受けている間に――攻撃による痛みを集中力のコアとして、逆に集中力を高めたってところだろうか。 なんにしろ、リーベルが戦闘不能に陥ったことは疑いようもない。 「リーベル、戻れ!!」 オレはぐったりして動かないリーベルをモンスターボールに戻した。 これで数の上は互角だけど…… 「リーベル、よくやってくれた。ゆっくり休んでてくれ」 リーベルに労いの言葉をかけ、オレは顔を上げた。 ラグラージの腕――リーベルに噛みつかれたところが紫に腫れている。 リーベルはちゃんとラグラージにダメージを与えてくれたんだ。 毒々の牙で相手に与える毒は、徐々に体力を奪ってゆく。 次のポケモンで撹乱している間に、ラグラージが勝手に力尽きて倒れる……さほど労せずに相手を倒す方法は確かにある。 ただ…… アダンさんも、ラグラージが毒に冒されていることに気づいているはずだから、 残された体力で相手をいかに倒せるかということを重点に置いて、猛烈な攻撃を仕掛けてくることだろう。 だとすると、倒れる前に倒されるような事態にもなりかねない。 そうならないようにするには…… 「リンリ、頼む!!」 オレはリーベルのモンスターボールとリンリのモンスターボールを持ち替えて、フィールドに投げ入れた!! フィールドに飛び出したリンリは、相手が気迫を放っているとしてもまったく動じない。 冷静であるがゆえに、豪胆。 それがリンリの強みだ。 「先ほどのガラガラですね。ラグラージ、ハイドロポンプです」 アダンさんはしかし、こういう時でも冷静だった。 ラグラージがもうすぐ戦闘不能になると分かっているからこそ、むしろ冷静でいられるんだろうか。 落ち着いて作戦を組み立て、それを粛々と実行していく……ある意味、恐ろしい人だと思った。 ラグラージが口を開き、ハイドロポンプを発射!! 「リンリ、ホネブーメランだ!!」 ハイドロポンプを避ける前に、先に攻撃をしておこう。 リンリはハイドロポンプを見据えつつ、ホネの棍棒を投げ放った!! ブーメランのように円弧を描きながら飛んでいく棍棒。 リンリはさっと横に動いて、ハイドロポンプを避けた!! 円弧を描きながらラグラージに迫るホネの棍棒。 直線の攻撃なら避ける術はいくらでもあるんだろうけど、少しずつルートを変えていくものなら、そう簡単には避けられない。 いや…… ごっ!! ラグラージは避けようともしなかった。 まともにホネブーメランを食らう!! 「なっ……!!」 驚いたのはむしろオレの方だった。 なんでまともに食らうんだ……!? 体力の減少を早め、戦闘不能になるまでの時間を縮めると分かっているはずなのに…… あまりにも不可解すぎる光景に、オレはその奥に隠されていたアダンさんの思惑に気づくことができなかった。 「かかりましたね……」 アダンさんの口元に笑みが浮かぶ。 ラグラージを打ち据えたホネブーメランがリンリの手に戻るのと、アダンさんがラグラージに指示を出したのは同時だった。 「カウンターです」 「……しまった!!」 ただ闇雲に攻撃するよりも、相手の攻撃をギリギリのところで受けることで、相手を道連れにしようという作戦か……!! 下手な攻撃よりも的確で、相手トレーナーに対する心理的なダメージも大きい。 ラグラージの身体が灼熱したように赤い光を帯びて―― その光がリンリ目がけて迸る!! 幾重にも張り巡らされた赤い光の波動が、避ける間も与えずに次々とリンリをなぎ払う!! 「く……」 アイスボールで受けたダメージが意外と大きかったんだと思い知らされたのは、 カウンターによるダメージ倍返しを受けたリンリが、倒れたまま起き上がらないと悟った時だった。 「戻れ、リンリ」 オレはリンリをモンスターボールに戻した。 ちっ、ラグラージに二体抜きされるとは…… もうすぐ毒で力尽きるだろうけど、数の上で互角になったとしても、ラッシーの面が割れている以上、 アダンさんに選択の余地が与えられるだけで、不利になりこそすれ有利になることはない。 心の中で舌打ちしていると、不意にラグラージがフィールドに崩れ落ちた。 「ふむ……ラグラージ、よくやってくれました。ゆっくり休んでいてください」 アダンさんは満足したように大きく頷き、ラグラージをモンスターボールに戻した。 「……残りはお互いに二体となりましたね……では、次のポケモンをお目にかけましょう……」 次のポケモンが入ったモンスターボールに持ち替えて、アダンさんはフィールドにそのボールを投げ入れた!! 放物線を描いてフィールドに着弾したボールから、ポケモンが飛び出す!! 出てきたポケモンは…… 「シャァァァァッ!!」 刃物のような鋭い視線と鳴き声を発する、いかにも獰猛そうなポケモンだった。 エレガントっていう言葉には縁がなく、むしろ野性的で粗暴な顔つきだ。 ヒレまで加えると、背丈はオレと同じくらいになるだろうか。 パッと見た目は、大型のサメの頭部とヒレを加えた感じ。これでもちゃんとしたポケモンなんだろう。 一応、初対面だけど。 すかさずポケモン図鑑を取り出し、センサーを向ける。 ピピッ、と電子音。 「サメハダー。きょうぼうポケモン。キバニアの進化形。 一体で大型タンカーをバラバラにしてしまうほどの力を持つ、通称『海のギャング』。 また、尻から海水を噴射して、時速百キロ近い速度で泳ぐことができる」 きょうぼうポケモンっていう呼び名で、粗暴な顔つき。 開け放たれた口の中にズラリ生え揃った鋭い牙……しかも海のギャングっていう通称まであるなんて。 水は穏やかで生命に潤いをもたらすというイメージがあるけれど、時にそれはすべてを押し流す暴君と化す。 まさに、それを体現したようなポケモンだ。 陸上でも、尻から海水を噴射して移動することができるからこそ、こうやって繰り出してきたんだろう。 「さあ、キミのポケモンを見せていただきましょう」 アダンさんがポケモンを出すように促してきた。 サメハダーは、水と悪タイプを持つポケモン。名前や見た目やタイプからして、明らかに攻撃的。 こういう相手は…… 「ラッシー、出番だ!!」 ラッシーの必殺コンボで早々に仕留めるに限る。 オレがフィールドに投げ入れたボールから、ラッシーが飛び出した。 「バーナーっ……」 「フシギバナで来ましたか……」 アダンさんが眉をひそめる。 攻撃的なポケモンは、その分防御力が低かったりすることが多い。 恐らく、サメハダーも例に漏れてはいないだろう。 開始早々日本晴れを使って、ソーラービームで倒す。 よし、作戦は固まった!! 「先手はお譲りいたしましょう」 「日本晴れ!!」 お言葉に甘えて、オレはいきなりコンボを発動させることにした。 ラッシーが天井を仰ぐと、涼しかったフィールドに熱気が立ちこめてきた。 たとえ空が見えなくても、日本晴れが不発に終わることはない。 この熱気と、スポットライトの光を合わせれば、ソーラービームのチャージは短縮できる。 オレはサメハダーを指差し、ラッシーに指示を出した。 「ソーラービーム!!」 「バーナーっ!!」 裂帛の声を上げ、ラッシーが大きく開いた口からソーラービームを発射した!! これが直撃すれば、サメハダーは一撃で倒せる……ところなんだけど、さすがにそう簡単に食らってくれるはずもなく。 「サメハダー、急上昇による回避から、ロケット頭突きです」 アダンさんの指示に、サメハダーが身体を後ろに傾けた。 図鑑の説明にもあったように、尻から海水を噴射して、急上昇!! ソーラービームをあっさりと避わしてみせた。 やっぱり、簡単に勝たせてはくれないか……なんて思っている間に、サメハダーは海水の噴射を止めて、 体勢を立て直すと、再び海水を噴射して、ラッシー目がけて一直線に突っ込んできた!! 陸上でも、空中でも意のままに動ける水ポケモン…… 水陸両用のみならず、カイリューみたく水陸空、どの場所でも自在に戦えるということか。 でも…… そうやって一直線に向かってくるってことは、攻撃に対する回避が取れないってことだ!! 「ソーラービーム!!」 オレの指示が飛び、ラッシーがソーラービームを…… 「……!?」 放たなかった。 なんでだ!? ソーラービームを放つだけの体力は残っているはず。 なのに、なぜ放たない!? 得意技の不発に戸惑うオレをよそに、サメハダーがこれ幸いと距離を詰めてくる!! サメハダーが何かしたのか……だとすると、考えられるのは…… 「いちゃもん!?」 「そのとおりです。ソーラービームは危険な技……連続で放たせることは、許しませんよ」 アダンさんが小さく笑う。 なんてこった、知らないうちにいちゃもんをつけられて、同じ技を続けて出せないようになってたのか。 相手に悟られないように技を放つのは確かに重要なテクニックではあるけれど…… 正直言って、かなり痛い。 ソーラービームの連発で、相手に攻撃を許さず一気に仕留めるのが、このコンボの最大の特徴だ。 それを頭からいきなり潰されて、動揺しないわけがない。 いちゃもんが解けるまでの間、マジカルリーフやヘドロ爆弾とか、別の技で代用するしかない!! 「ラッシー、ヘドロ爆弾!!」 星のように降り注いでくるサメハダー目がけ、ラッシーがヘドロ爆弾を発射!! ばしゃぁっ!! まったく目に入っていなかったのか、サメハダーは避けようともせず、ヘドロ爆弾を真正面からまともに受けた。 それでいて、勢いはまったく落とさない。 尻から海水を噴射してるんだから、そう簡単に勢いが落ちるとも思えないんだけど…… スピードが出ている分、衝突時のダメージは大きいはずだ。 ヘドロ爆弾を発射したことで、次にソーラービームを放つことができる。 でも、間に合わない!! 今から指示を出し、ソーラービームを放ったとしても、その前にサメハダーの攻撃が当たってしまうだろう。 ――予想通りの展開になった。 「シャァァァァッ!!」 サメハダーのロケット頭突きが、ラッシーの背中に炸裂!! 「バーナーっ……!!」 凄まじい勢いの頭突きを食らい、悲鳴をあげてその場に倒れこみそうになるラッシー。 「こらえろ!!」 こんなところで倒れるようなラッシーじゃない。叱咤すると、ラッシーはすぐに持ち直した。 その時すでに、サメハダーは再び急上昇し、ラッシーの攻撃範囲から逃れていた。 これが本当の、蜂のように舞い、蝶のように刺すってことなんだろうか……? 今の攻防を見ていると、そんなことを思ってしまう。 さて、どうしたものか…… サメハダーは海水を噴射した反動を利用して、縦横無尽に空を飛んでいる。 こういうポケモンも珍しいけれど……珍しいだけじゃなくて強いんだよな。 『いちゃもん』でソーラービームを連発することができなくなっても、サメハダーを攻撃する手段はいくらでも考えられる。 ……うん、考えるくらいならそれをさっさと実行に移した方が、よっぽど建設的で前向きだ。 オレはグッと拳を握りしめ、ラッシーに指示を出した。 「ラッシー、マジカルリーフ!!」 サメハダーに少しでも多くのダメージを与えること。 それが今一番考えるべきことなんだ。 ヘドロ爆弾をまともに食らいながらも、サメハダーはまったくスピードを落としていない。 効いてるけど、大ダメージでもない……そんなところだろう。 だけど、弱点を突けば、それだけでダメージは跳ね上がる。 ラッシーが背中からマジカルリーフを発射!! 斜めに舞い上がり、サメハダーに迫る!! 「サメハダー、吹雪で凍らせて差し上げなさい」 すかさずアダンさんの指示が飛ぶ。 サメハダーはくるりと身体の向きを変えると、口を大きく開いて吹雪を吐き出した!! 猛烈な吹雪が、フィールドを包み込む!! 「……なんて威力だ……!!」 オレは襲いかかる冷たい風に歯を強く食いしばった。 鳥肌が立ち、寒さに身震いする。 並の氷タイプのポケモンが使う吹雪よりも威力は上だ。 本家に及ばずともこれだけの威力を出せるんだから、どれだけ強く育て上げられているのか…… 想像するだけで嫌になる。 サメハダー目がけて突き進んでいたマジカルリーフはあっさり氷に覆われ、フィールドに落下して粉々に砕けた。 なるほど、こうやってマジカルリーフまで防いでみせるか。 とはいえ…… 「バーナーっ……!!」 身を裂くような寒波にさらされて、ラッシーも辛そうだ。 フィールド全体に放っているだけあって、威力が拡散されているんだけど、 それでも弱点だけに、ラッシーに与えるダメージは決して小さいものじゃない。 時間が経てば経つほど不利になる。 だったら、防御に回す手数を、すべて攻撃に費やして、一気にサメハダーを撃破するのみだ!! 「ラッシー、怯むな!! ソーラービーム!!」 「させませんよ。ハイドロポンプです」 オレの指示にわずかに遅れて、アダンさんの指示が響いた。 ラッシーがソーラービームを発射すると、対抗するようにサメハダーが攻撃を切り替えた。 ぼんっ!! 凄まじい水圧を秘めた水の塊が、ソーラービームの先端にぶつかった瞬間―― どぉんっ!! 天を突くような凄まじい音が大気を震わせる。 音は衝撃となって、フィールドを駆け抜けていった。 小石を投げつけられたような小さな痛みを、オレは奥歯をさらに強く噛みしめてこらえた。 ソーラービームとハイドロポンプの威力は互角で、両者の技は相殺された。 正直、これはかなり痛い。 ソーラービームなら、ハイドロポンプくらい軽く消し去って相手を直撃するとばかり思っていたんだけど…… 認識が甘かったと言うしかない。 でも、だからといって立ち止まっている時間はない。 「痺れ粉からマジカルリーフ!!」 オレの指示に素早く応えるラッシー。 背中の花びらを震わせながらキラキラ光る粉を巻き上げる。 続いて発射したマジカルリーフがその粉の間を貫いて、サメハダーに迫る!! さっきみたいに吹雪で飛ばすなんてマネはさせないさ。 吹雪を出すなら、すかさずソーラービームが飛ぶぞ。 胸中でアダンさんにプレッシャーをかけていると…… 「もはやこれまで……破壊光線で道連れにしなさい」 「げっ!!」 あまりに突拍子過ぎる指示に、オレは下品な悲鳴をあげていた。 オレの考えを読んでいるように、絶妙なところで、絶妙な指示を出してくる。 サメハダーは痺れ粉つきのマジカルリーフを食らいながらも、怯む様子もなく、破壊光線を発射してきた!! まずい、ラッシーじゃ避けられない!! 考えをまとめて指示を出す暇もなく、破壊光線がラッシーに炸裂した!! 百キロ近い巨体が一瞬フワリと持ち上がり、数メートルの距離を飛ばされる。 「バーナーっ…………!!」 ラッシーは苦しそうな顔で呻いた。 破壊光線のダメージはハンパじゃないんだ……こういう時は…… 「光合成で体力を回復しろ!!」 完全にダメージをなかったことにするのは無理でも、かなりマシになるはずだ。 破壊光線を受けながらも、ラッシーは光合成で体力を幾分か取り戻す!! 体勢を立て直したところで、サメハダーが地面にポテリと落ちて、動かなくなった。 痺れ粉が効いてきたんだろう。 サメハダーは陸に打ち上げられた魚のようにジタバタするだけで、尻から海水を噴射して突進してくることもできなかった。 「ふむ……面白い攻撃をしますね。これは見習うべきところがあるようです。戻りなさい、サメハダー」 アダンさんはあっさりとサメハダーをモンスターボールに戻した。 動けないのでは、戦闘不能と変わらないと判断したんだろう。 これで……最後の一体…… トドグラー、ラグラージ、サメハダー……今まで戦ってきたどのポケモンよりも強敵なのは間違いない。 アダンさんの切り札となるポケモンって、一体どんなんだろう? 「では、我がルネジムが誇るスーパースターにして、私の最高のパートナーをご紹介いたしましょう……」 アダンさんはモンスターボールを持ち替えた。 最高のパートナーで……スーパースター? 言葉の文だろうか? それとも、本当にスーパースターなんだろうか? どうでもいいことを考えているうちに、アダンさんが持ち替えたモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 「行きなさい、ミロカロス!!」 ミロカロス……!! アカツキも持ってる、あのミロカロスか!! 人知れず戦々恐々としていると、フィールドに投げ入れられたボールから、ミロカロスが飛び出してきた!! いつくしみポケモン・ミロカロス。 世界一美しいと言われるポケモンで、とても穏やかな性格の持ち主なんだ。 争いの気持ちを忘れさせるほどの美しさを持つポケモン。 コバルトブルーのフィールドに現れたミロカロスは、慈愛に満ちた瞳でオレを見つめてきた。 ……だからと言って、オレの闘志が消えるわけでもないんだけどね。 淡いクリーム色の身体は蛇のような形で、手足はない。 半ばからシッポにかけては、ステンドグラスのように赤と青のウロコが入り乱れている。 最後にシッポだけど、拡げた扇のような形で、赤と青に彩られた模様が何ともなく美しい…… 額の両脇から鮮やかなピンクの髪を流すように垂らしているのも、美しさをさらに際立たせているんだ。 アカツキのミロカロスより、一回りは大きい。ボリュームは、倍以上……はありそうだ。 これがアダンさんの切り札……スーパースターか。 アカツキから聞いた話だと、ミロカロスは見た目や呼び名とは裏腹に結構タフで、攻撃よりも防御の方が優れているとか…… でも、相性はこっちの方が有利だ。 ラッシーのソーラービームを食らえば、いかにミロカロスでも、大ダメージは免れない。 ここは強気に攻めよう。 攻撃は最大の防御って、よく言うからな。 「先手はいただきますよ」 アダンさんは口ひげを弄りながら、ミロカロスに指示を出した。 「冷凍ビームです」 「ろぉぉぉぉっ……」 甲高い声を上げ、ミロカロスが口を開く。 氷のビームが虚空を突き進み、ラッシーに迫る!! やっぱり、弱点を突いてきた……!! サメハダーの『いちゃもん』は効果が切れたはずだから、ソーラービームを連発することができるはずだ。 光合成で体力を取り戻せたことだし、ソーラービームの連発でラッシーがへばるようなことはない。 「ソーラービーム!!」 確信し、オレは指示を出した。 ラッシーが大きく口を開き、ソーラービームを発射!! ミロカロスの攻撃力は、サメハダーと比べるとやや弱い。今の冷凍ビームを見るだけで、それくらいのことは読み取れる。 だったら、冷凍ビームを突き破ってミロカロスにダメージを与えることができる……!! オレの読みどおり、ソーラービームはいとも容易く冷凍ビームを消し飛ばし、ミロカロスに迫る!! ここで避けても、次のソーラービームから逃げおおせることはできないぜ。 単純に考えて、パワーとパワーのぶつかり合いになれば、ラッシーに分があるんだ。 さあ、どうする……!? 対抗手段がない以上、逃げを打ってくる……オレはそう読んだけど、それはあっさり裏切られた。 「確かに、対抗手段はありません。ですが……ミラーコートです」 「なっ……!!」 アダンさんが指示した技は、オレの予想を遥かに超えていた。 丸めた布切れを口に押し込まれたように、オレは言葉に詰まった。 ミラーコートだと……!? 対抗手段がない代わりに、受けたダメージを倍にして返す技でカウンターを狙う。 そして、カウンターで相手を仕留めるのがミロカロスのバトルスタイル……!! 恐ろしいことをする。 ソーラービームはミロカロスに炸裂!! 間違いなく大ダメージを与えたけれど、言い換えればミラーコートでラッシーが受けるダメージも段違いのものになる。 弱点となる草タイプと電気タイプの技は、いずれもミラーコートによってダメージを倍返しすることができる。 あとは、弱点を突かれても一撃で倒されない体力を身につけさせればどうなるか。 ――ミラーコートが通用しない悪タイプ以外の相手を確実に倒すことができる。 マジで恐ろしいやり方だ。 肉を斬らせて骨を断つっていう言葉が似合うような、意外とえげつないやり方。 「ろぉぉぉぉ……」 ミロカロスが苦悶の表情を浮かべながらも、眼前に光の鏡を生み出した!! ミラーコートは、防ぐことも避けることもできない!! リーベルのような悪タイプのポケモンなら、ミラーコートを無効にすることができるけど……ラッシーじゃ無理だ。 光の壁から突き出した無数の光の槍が、ラッシーを襲う!! どんどんどんばーんっ!! すべての光の槍がラッシーに突き刺さり、大爆発!! 「ラッシー……」 いくら体力を回復していても、ミロカロスに与えた倍のダメージを食らったら……間違いなく戦闘不能だ。 ……覚悟はしてた。 ミラーコートは、相手に対するプレッシャーでもあるんだ。 迂闊に弱点の技で攻撃させない、抑止力を有している。 ミロカロスがミラーコートを使えるなんて、さすがに知らなかった。 アカツキだって教えてくれなかったし、オレの勉強不足が一番大きい。 爆発の余韻が収まると…… ラッシーが倒れていた。 フシギバナに進化してから、一度も戦闘不能になったことのないラッシーが…… 「……くっ、戻れラッシー!!」 ラッシーが倒れた姿を見ていたくなくて、オレはすかさずモンスターボールに戻した。 ……今になって思ったんだけど…… オレのパーティの支柱的存在であるラッシーが倒れるということの意味を、オレは今まで考えたことがなかった。 ラッシーならどんな相手にだって勝てるって、自分の中で勝手に神話を作り上げていたけれど…… そう上手くいくはずがなかったんだ。 ラッシーなら大丈夫。 どんな相手にだって勝てる。 無責任だなあ…… そうやって決め付けてさ。 いざラッシーが倒れたら、いきなり気持ちがグラグラ揺らいでる。 胸に手を当ててみると、心臓の鼓動がとても早い。 ヤバイ…… 焦ってる…… ラッシーですら倒せなかった相手だ。 ミロカロスに視線を向ける。 ミロカロスはソーラービームをまともに受けて、かなり消耗している。 勝つことはできる……できるけれど…… ラッシーがいなきゃ、何もできないんだろうかって、一瞬だけそんなことを考えてしまった。 そんなことはない!! すぐにそんなつまらない考えを否定する。 「ラッシー……君がいなくても絶対に勝つ。 いつまでも君に頼ってばかりはいられない!!」 今までラッシーにばかり頼りすぎていた。 今回のジム戦で、それを痛感した。 ラッシーが倒れるだけで、心理的にグラグラしてしまうんだ。それだけで十分すぎるほどだ。 いかにオレの中でラッシーが大きなウェイトを占めていたのか……十二分に分かったよ。 でも…… 「オレたちは絶対に勝つ。 ラッシー、見ててくれ。オレなら勝てる……絶対に勝てる!!」 オレはラッシーに小さくつぶやきかけ、ボールを腰に戻した。 ミロカロスの最大の武器はミラーコート。 特殊攻撃で受けたダメージを倍にして返す、弱点を突いてくるポケモンに対しては一撃必殺の力を秘めた技だ。 だけど、それも相手の攻撃に耐えられなければ効果を発揮しない。 次の特殊攻撃でミロカロスを倒せれば、ミラーコートを使われることはない。 ただ、残された手持ちで、ミロカロスの弱点を突けるポケモンはいないんだ。 だから、ミラーコートの脅威はこの際考える必要はない。 ラズリー、レキ、ロータス…… この中から誰を出すべきか。 ラズリーは相性が悪いし、レキとロータスじゃパワー不足。 誰を出したって同じような気がするんだけど、攻撃と防御を総合的に考えて、安定しているのは…… レキしかいない。 レキなら地面タイプの技を使えるし、いざという時は、大技で一気に戦況をひっくり返すこともできるだろう。 水タイプのエキスパートに対して、水タイプのポケモンで挑むなんて、それこそ無謀なのかもしれない。 でも、やる前から勝手に負けてあきらめるなんてことはできない。 懸命に戦ってくれたみんなに申し訳が立たないんだ。 ここでやらなきゃ、いつやるんだ。 覚悟を決めて、オレはグッと拳を握りしめた。 反対の手でモンスターボールを手にし、フィールドに投げ入れる!! 「レキ、行くぞっ!!」 すべてをレキに託す。 レキなら勝てる……ラグラージに進化するレベルにまでは至っていないけど、濁流などの大技を使いこなせるんだ。 ボールはフィールドに着弾すると同時に口を開き、中からレキが飛び出してきた!! 「マクロぉっ!!」 レキは飛び出してくるなり声を上げて、威嚇するように前脚を振り上げた。 「最後のポケモンはヌマクローですか……水タイプどうし、面白い宴になりそうですな……」 アダンさんはレキの張り切っている様子を見て、ニコリと微笑んだ。 オレの選択を面白がっているのと、自信の笑み……オレにはどっちにも思えた。 レキは水タイプと地面タイプを持っている。 水タイプの技はミロカロスに効きにくいから、攻撃の主軸は地面タイプの技になるだろう。 とはいえ…… 地面タイプの技はバリエーションが豊富とは言えないんだ。 マッドショットは距離が開いていれば避わされるだろうし、泥かけはフィールドに泥がなきゃどうしようもない。 最後の頼みは地震なんだよな。 ミロカロスをどうにかしてフィールドに抑えつけて、地震の威力を全部ダメージにできるようにしてからじゃないと、効果は薄い。 今のレキなら地震を使えると思うけど……地面タイプの技だけじゃなくて、水タイプの技も交えて攻撃していけば、 マッドショットや泥かけのデメリットを克服することができるだろう。 よし、戦い方は決まった。 やる気満々のレキに対して、ミロカロスは冷淡とも思える雰囲気を放っていた。 こんなポケモンじゃ相手にならない…… 慈しみポケモンと呼ばれている割には、ずいぶんとストレートな表現に思えるけれど、見た目と中身は別だってことだろう。 「私の得意とする水タイプのポケモンで挑んできたことに敬意を表し、先手はお譲りいたしましょう」 敬意ね…… アダンさんが礼をしながら紡いだその言葉を、オレは額面どおりに受け取る気にはなれなかった。 レキの力量を一撃目で測ってから、どう戦うか決めるつもりなんだろう。 いいぜ、そっちがその気なら、怒涛の勢いで、守りなんてかなぐり捨てて、全力で立ち向かってやるさ!! オレはミロカロスをビシッと指差し、レキに指示を出した。 「レキ、マッドショット!!」 まずはマッドショットから。 レキは大きく開いた口から泥のボールを放った!! 小さなカーブを描きながら飛んでいく泥のボールを見やり、アダンさんがミロカロスに指示を出す。 「ミロカロス、水の波動でお出迎えして差し上げなさい」 「ろぉぉぉっ……」 ミロカロスはその指示に迅速に応え、水の波動を放った!! 超音波を含んだ水の波動を放ち、ダメージと共に相手を混乱させる技か…… ミラーコートの効果が薄いレキと戦っている今、主たる技は水タイプの技。 あるいは状態異常の技を絡めてレキを追い詰めようというスタイルか。 泥のボールと水の波動はフィールドのセンターラインの真上で激突し、双方とも力を失って弾け飛んだ。 威力は互角…… 互いに隙をうかがい、決められる時に技を決めていくしかないということか。 そう思っていると、 「続いて竜巻です」 「……!!」 アダンさんの指示に、オレは思わず身体を震わせた。 竜巻まで使うのか!? 驚いている間に、ミロカロスが嘶きながら、身体をくねらせた。 すると、レキの足下から緑に近い色をまとった風が現れ、瞬く間に竜巻となってレキを襲った!! 「レキ!!」 レキは為す術もなく竜巻に巻き込まれ、そのまま天井に叩きつけられた!! 水タイプのポケモンなのに、竜巻なんて大技まで使いこなすのか…… オレは奥歯を強く噛みしめながら思った。 竜巻は飛行タイプの技と思われがちだけど、実はドラゴンタイプの技なんだ。 威力はそれほど高くないけど、命中率はかなり高い。 結構大きな技だけに、使えるポケモンも限られるんだけど、アダンさんのミロカロスは事も無げに使いこなしている。 やっぱり、ジムリーダーのポケモンは普通のポケモンとは一線を画しているってことなんだ。 「レキ、水鉄砲でショックを和らげるんだ!!」 竜巻が消え、レキがフィールドに落ちてくる。 ダメージは受けたようだけど、レキの瞳からは、一片たりとも闘志は失われていなかった。 とはいえ、このままフィールドに叩きつけられたら、ダメージはバカにならない。 レキはオレの言うとおり、水鉄砲をフィールドに叩きつけて、落下の勢いを削いだ。 おかげで着地が成功し、激突によるダメージをゼロにできた。 でも、それまでの間、アダンさんが手をこまねいて見ているわけでもない。 「なかなかいい方法ですね。 では、次はどうでしょう。ミロカロス、冷凍ビームです」 水タイプのポケモンには、どういうわけか氷タイプの技を覚えられる場合が多い。 弱点である草タイプのポケモンを返り討ちにするために覚えさせるんだろうけど…… でも、相手が草タイプでなくても、冷凍ビームは絶大な威力を発揮する。 ダメージを与えると同時に、相手を氷に閉ざすんだ。 動きを封じられれば、あとは煮るなり焼くなりされ放題。 だから、アダンさんの指示も、ダメージ自体が目的というわけじゃない。 レキの動きを封じてから、大技で決着をつけようとしてるんだ。 だけど、そうと分かれば、簡単に思い通りにはさせない。 「マッドショット!!」 冷凍ビームは相手に命中しなくても、相手にたどり着くまでの間に障害物にぶつかれば、その時点で効力を失う。 それを利用して、マッドショットだ。 ミロカロスが冷凍ビームを放ち、続いてレキがマッドショットを放つ!! マッドショットが冷凍ビームの先端にぶつかった瞬間、白い光がマッドショットを包んだ。 泥のボールは分厚い氷の壁に覆われてフィールドに落下した。 次はどう来る……? やはり、竜巻で確実にダメージを与えるか……それとも他の技で来るか…… 相手の攻撃を待つなんて、それこそオレのスタイルじゃないんだけど…… 「竜巻です」 「地震だ、レキ!!」 その指示を待ってたんだ!! ミロカロスが竜巻を生み出すよりも早く、レキが渾身の力を込めて前脚をフィールドに叩きつける!! ごぅんっ!! 強い揺れがフィールドを駆け抜け、張り巡らされた水面を激しく揺るがす。 「むっ……!?」 初めて、アダンさんが表情を崩した。 ラグラージの地震にはさすがに及ばないけれど、進化前にしてはなかなかの揺れだ。 さすがはレキだと感心したけれど、そうするよりも前に…… 攻撃しようとした矢先に逆に攻撃され、ミロカロスもバランスを崩している!! この隙を逃す道理はない!! 「レキ、距離を詰めてメガトンパンチ!!」 ここで距離を詰めて、一気に攻勢に出たい。 レキはさっと体勢を立て直して、ミロカロス目がけて駆け出した!! ミロカロスはレキと違って、物理攻撃に優れているポケモンとは思えないから、近づいてしまえば、ボコボコにできるだろう。 レキがセンターラインをまたいだあたりで、ミロカロスが体勢を立て直した。 「冷凍ビームです」 アダンさんの指示に、ミロカロスが冷凍ビームを放つ!! レキはさっと横に動いて、冷凍ビームを難なく避わした!! 確実にミロカロスとの距離を詰め、 「マクロぉぉぉっ!!」 裂帛の気合と共に、レキが膨らませた前脚でパンチを放つ!! しかし、ミロカロスは避けようとしない!! これは、まさか……!! オレの戦慄をよそに、レキのメガトンパンチが、ミロカロスの胴体に突き刺さる!! 「ろぉぉぉっ……!!」 かなりのダメージを受けたようで、ミロカロスが身を捩って悲鳴をあげる。 そこへ、アダンさんの指示が飛ぶ。 「巻きつくのです」 ……やっぱり、そう来たか……!! 「レキ、逃げろ!!」 レキはハッとして逃げようとするけど、遅かった。 蛇のようなミロカロスの胴体が、レキに巻きついた!! 「しまった……!!」 巻きつかれたら、身動きが取れない!! レキは必死の形相でもがいているけれど、ミロカロスの締め付ける力は予想以上に強いらしく、振り解くことができない。 「レキ、あきらめるな!! アイアンテール!!」 辛うじて巻きつかれずに済んだシッポを叩きつけるレキ。 それでもミロカロスは離れない。 「これは私のスタイルではないのですが……そうも言っていられませんね。 ミロカロス、毒を流し込みなさい」 アダンさんの指示に、ミロカロスが口から毒を吐いて、レキに浴びせかけた!! 毒々……!! 巻きついて相手に身動きを取らさずに、毒で少しずつ弱らせていくっていう戦法か…… ラッシーのソーラービームで大ダメージを受けているだけに、体力の消耗が大きな技で攻めることをせず、 搦め手から相手を弱らせてから倒す……そういう戦い方か。 道理で、「私のスタイルではない」などと口走るわけだ。 そう…… ラッシーのソーラービームで、ミロカロスは結構弱ってるんだ。 今のレキでも、ミロカロスを倒すことはできる。 あきらめずに、攻撃し続けていけば。 毒でレキが力尽きるのが早いか、それともミロカロスを倒すのが早いか……際どい勝負になりそうだ。 「マク……ロぉっ……」 毒を流し込まれ、レキの表情が歪む。 「怯むな!! アイアンテールで攻撃し続けるんだ、レキ!!」 オレはレキに喝を入れた。 体力の消耗具合なら、ミロカロスの方が上だ。 攻撃し続けていけば、ミロカロスを倒せるはずだ。 巻きつかれて身動きが取れなくても、毒を流し込まれて少しずつ体力を削り取られても、レキの瞳から闘志が消えることはなかった。 オレですら驚くほどの形相で、必死にアイアンテールを放ち続ける。 攻撃を受けるたび、ミロカロスが苦悶に表情をゆがめる。 技を放つことは――身体を動かすことは、毒の回りを速めてしまうけど、 何もしなくても体力が減っていくんだから、何かをしなければ勝つこともできない!! 「キミのあきらめたくない気持ち、よく分かります。 ですが、これでフィニッシュと参りましょう……」 アダンさんが合図を送るように、手を振り上げる。 何をするつもりだ……!? 「ハイドロポンプです!!」 「……!?」 当たり前のことを忘れていた。 ミロカロスは長い胴体でレキに巻きついているけど、口の開け閉めは自由だ。 ハイドロポンプを放つなり、冷凍ビームを放つなり…… まあ、ゼロ距離の冷凍ビームは自分の身体まで凍っちゃうから、放ってこないだろうけど…… 水タイプの技なら、バックファイアもそれほど大きくはない。 まずい、逃げられない……!! 普通に振り解けない状態じゃ、ハイドロポンプを避けることは不可能!! どうしたらいい……!? ミロカロスが口を開き、ハイドロポンプを発射!! ゼロ距離で発射されたハイドロポンプは瞬時にレキに炸裂し、ミロカロスにまでバックファイアとなって襲いかかった!! 捨て身の一撃か……!! なんてことのない表情をしてるけど、アダンさんも相当せっぱ詰まってるんだ。 そうじゃなきゃ、気長に待ってるはずだ。 一刻も早く決着をつける必要が出てきた……言い換えれば、ミロカロスの体力が限界に近づいている証拠だ!! 解放された水圧にさらされながら、レキは必死に攻撃を続けている。 ミズゴロウからの進化で地面タイプが付加されたことで、水タイプに対する耐性が下がってしまっている。 ダメージは大きいはずだ。 最悪、戦闘不能寸前のダメージを受けているかもしれない。 その上、毒を食らったんだから、戦える時間はほとんど残されていない。 勝てるのか……!? 固唾を呑んでバトルの行方を見守る。 一秒がとても長く感じられた。 何秒経ったのか自分でも分からない。 じっとバトルの行方を見守っていると…… 「…………っ!!」 本当に苦しそうな顔をして、レキが攻撃するのをやめた。 力尽きちまったのか……!? 負けの二文字が頭の中で大きくなっていくのを感じていると、ミロカロスがレキを離して、そのままフィールドに倒れ込んだ。 「……相打ち……!?」 タイミングはほぼ同時だ。 ミロカロスから解放されたレキはそのままうつ伏せにフィールドに倒れた。 ドローっていう決着も、一応は存在するけど…… その場合、バッジはもらえるんだろうか? レキもミロカロスも動かない。 アダンさんは真剣な面持ちをフィールドに向けたまま、何も言わない。 ミロカロスをモンスターボールに戻さないところを見ると、バトルはまだ終わってないってことなんだろうけど…… この状況…… 勝ち、負け、引き分け…… どれもありうるんだ。 最後まで、どっちに転ぶかわからない。 だから…… オレはレキを信じる。 ミロカロスより早く立ち上がってくれたら、オレたちの勝ちだ。 「立て」って、喚き散らしたりなんかしない。 そんなことをしたって、逆効果になるかもしれないから。 ただ静かに、決着の時を待とう。 勝ちと負けが紙一重に……コインのように裏表がつきまとう。 勝利を信じる心にそっと敗北のささやきが忍び寄ってくるのを、オレは気を強く保つことで防いでいた。 十秒くらいが経って、時が動き出す。 「ろぉっぉ……」 ミロカロスが甲高い声を――カサカサに乾き、今にも立ち消えそうな声をあげながら、ゆっくりと身を起こす。 身体は小刻みに震え、ちょっと指で小突くだけで倒れてしまいそうだ。 レキは…… 「…………」 何も言わず――声を振り絞る力さえ、身体を動かす力に変えて、ゆっくりと、立ち上がろうとしている。 レキも、ミロカロスも、闘志の冷めやらぬ雰囲気を身体全体から放っている。 ここで両者が立ったら、バトルが再開される。 サドンデスなんて、本当は苦手なんだけど…… もしもバトルが再開されたら、どう攻めようか。レキに残された体力は、スズメの涙ほども期待できない。 マッドショットを放った途端、力尽きてバタリ倒れてしまうかもしれない。 それはミロカロスにも同じことが言えるけど…… 両者が立ち上がる。 いつ終わるともしれない戦い……そんな様相の雰囲気がかすかに流れ始めた時だった。 睨み合いを続けていた中、ミロカロスが倒れた。 起き上がってくるかと思ったけど、倒れたままピクリとも動かない。 そして、レキは倒れなかった。 その状態が五秒、十秒と続いて…… アダンさんが張り詰めた緊張の空気を断ち切った。 「お見事……キミの勝ちです。おめでとう」 その一言で安心したんだろう、レキはうつ伏せに倒れ、そのまま動かなくなってしまった。 勝利を宣言された後なら、倒れても引き分けにはならない。 つまり…… 「オレの勝ち……なんだ……」 勝利の実感が、じわりじわり心の中に広がっていく。 こんなに激しいバトルは初めてだった。 親父とのバトルを除けば……だけど。 でも、こんなに緊迫し、絶体絶命に追い込まれるようなバトルは初めてだったんだ。 だから…… 本当に勝ったんだと心の底から理解できた時、生まれた喜びはあっという間に爆発した。 「よっしゃ!!」 爆発した喜びのエネルギーの行き場に困り、オレは天高く拳を突き上げて、勝利の雄たけびを上げていた。 これで…… これで、ホウエンリーグに出られるんだ。 「レキ、オレたち勝ったんだよ!!」 オレは倒れたレキに駆け寄り、その身体を抱き上げた。 オレの存在を肌で感じ取ってか、レキはうっすらと目を開いて、オレを見上げながら口元にかすかな笑みを浮かべた。 ――良かったね……って、そう祝福しているように見えて、オレも笑みを深めた。 「レキ、君が頑張ってくれたから……ううん、みんなが頑張ってくれたから、オレたちはホウエンリーグに出られるんだよ。 本当によく頑張ったね……ありがとう。ゆっくり休んでて」 レキが小さく頷いたのを確認して、オレはレキをモンスターボールに戻した。 「ふう……」 張り詰めた糸のような、心の空気が和らぎ、朝を迎えたようにキラキラした光が差し込んできた。 心の解放を実感していると、アダンさんが拍手をしながら歩いてきた。 その表情は晴れ晴れとしていて、それでいて誇りを噛みしめているようにも思えた。 「アカツキ君、お見事です。 キミの、ポケモンを最後まで信じぬくその気持ち……確かに見せていただきました」 そう言って、ガウンのポケットから、雨粒を集めたようなバッジを取り出すと、 アダンさんはオレの手を取って、手のひらの上にバッジをそっと置いてくれた。 「これが、我がルネジムを制した証……レインバッジです」 「……レインバッジ……最後のバッジ……」 鮮やかな青を呈したバッジは、空の色であり、そして海の色でもある。 ほんの数十グラムの小さなバッジだけど、これを八つ集めれば、ポケモンリーグの公式大会に出場できる。 ホウエン地方の場合はホウエンリーグに、カントー地方ならカントーリーグに。 二つの大会の出場権を得て、オレはまさに天にも昇りそうな心地だった。 そんなオレに、アダンさんはニコリと微笑みかけながら言葉をかけてくれた。 「これからも頑張りなさい。 ホウエンリーグに出ようと、出まいと、キミのポケモンを信じる気持ちが揺らがないなら…… キミの道行きはきっと光り輝いたものとなるでしょう……」 なんかくすぐったい言い方だけど、それもアダンさんなりの精一杯の励ましなんだろう。 オレは大きく頷き、アダンさんが差し出した手をぎゅっと握った。 ルネシティのポケモンセンターから見上げる空は、なぜかいつもと違って見えた。 視界に、火口の縁が覗いているせいだろうかとも思うけど、どうもそれだけじゃなさそうだ。 バランスバッジ、ストーンバッジ、ナックルバッジ、ダイナモバッジ、ヒートバッジ、フェザーバッジ、マインドバッジ…… そして、レインバッジ。 ホウエンリーグ出場に必要な八つのバッジを集めた。 これから開催までの半年を、ポケモンと自分自身を鍛え上げるためだけに費やす前夜だから……かもしれない。 ただ…… 一つ、気がかりがある。 勝利の余韻に浸るのもほどほどに、オレは眼前に突きつけられた現実的な問題に目を向けざるを得なかった。 夜空に瞬く星は確かに美しい。 けれど、それにばかり見惚れて、考えるべき問題を先送りにしていては、何の意味もない。 「ラッシー、大丈夫か……? ずいぶん、手ひどくやられたみたいだけど……」 オレは振り返り、ラッシーに声をかけた。 ルネジムでのジム戦で、ラッシーはサメハダーの猛攻とミロカロスのミラーコートを受けて、戦闘不能になってしまった。 受けたダメージは絶大だったけど、ジョーイさんに預けて回復させたら、元気になってくれた。 それでも…… やっぱり心配になる。 「バーナー……」 心配なオレの気持ちを察してか、ラッシーは笑顔で大きく頷いてくれた。 ああ……心配かけちゃってるんだな。 ラッシーはオレと一番付き合いが長いから、何も言わなくても、表情に出さなくても、オレの気持ちを察してくれてることが多い。 だから…… 心配している気持ちが伝わってしまうのかもしれない。 こういう時だけは、絆の深さを呪いたくなるよ。 「当分は無理しないでくれよ……ラッシー、君はオレの大切なパートナーなんだから……な?」 「バーナー……」 心配しすぎるのもラッシーに対して失礼だ。 オレはちょっと後ろ向きの気持ちを振り切った。 今回のジム戦で分かったことがある。 オレたちにとって、致命的とも言えることだ。 ラッシーが戦闘不能になって初めて―― ラッシーがパーティの大黒柱なんだってことを思い知った。 上辺だけなら今までだって何度も思ってきた。 だけど、本当の意味で大黒柱なんだと、思い知ったんだ。 フシギバナに進化する前なら、戦闘不能になったことは何度かあった。 その時は、他のみんなと実力差がそれほどなかったから、大黒柱とまでは思ってなかった。 でも、フシギバナに進化してからは、他のみんなと明らかに一線を画す実力の持ち主となった。 大黒柱としてジム戦やトレーナーとのバトルで獅子奮迅の活躍を見せてくれた。 それがとてもうれしくて、オレはファーストポケモンにラッシーを選んでよかったと、何度も何度も喜んでいたよ。 フシギバナに進化して初めて、戦闘不能になった。 一瞬、支えを折られたような気持ちになった。 さすがにバトルを棄てるつもりにはなれなかったけど、 ラッシーはどんな相手にも必ず勝つっていうオレの中の常勝神話を手折られて、やっぱりショックだった。 同時に、ラッシーに頼りっきりになっていた部分が露呈したってことなんだろうなあ。 他のみんなをラッシーと肩を並べられるくらいに育て上げなくちゃいけないんだって強く感じたんだ。 いくらラッシーが強くても、一人じゃポケモンバトルを勝ち抜くことは難しい。 大技を放てば疲れるんだし、弱点だって結構多い。 他のみんなでラッシーの欠点を補えるとは思う。 でも、それだけじゃ足りない。 ホウエンリーグは、八つのバッジを手にした強いトレーナーが集まる場所なんだ。 今のままじゃ、絶対に勝ち抜けない。 ホウエンリーグやカントーリーグで通用するくらいのレベルにみんなを育て上げる…… そういう、漠然とした目標は前々から掲げていたけれど、ルネジムでのジム戦を経て、その目標は確かなものになった。 ラッシーの技にはクセの強いものが多いし、草と毒タイプのラッシーには弱点が多い。 ラッシーの弱点をみんなで補えるように、みんなの弱点をラッシーで補えるようにしなきゃ、 ダブルバトルが主体のホウエンリーグを戦い抜くことはできない。 話を聞く限りだと、ホウエンリーグは予選がシングルバトル、本選がダブルバトルと、二つの形式を採っているらしい。 予選と本選でキッチリと形式を分けることで、総合的な実力の高いトレーナーが自ずと優勝するようにしているんだろう。 本選がダブルバトルだからって、ダブルバトルばかりに慣らしても、予選を戦えない。 逆に予選を確実に勝ち抜こうとシングルバトルを主体に特訓しても、本選に進んだ時にダブルバトルで思うように戦えなくなったり…… どっちか片方だけ、っていう育て方をしては、絶対に勝てないようになってるんだ。 今までのバトルを振り返ると、シングルバトルの方が圧倒的に多い。 旅立つ前まで見てきたバトルはシングルバトルが九割以上だったし、シングルバトルに関しては慣れている。 ダブルバトルを積極的に取り入れて特訓しつつ、ダブルバトルに浸りきりにならないように、 時にシングルバトルを混ぜながらみんなのレベルを高めていく…… 育成方針はそんなところだろうか。 とりあえず今後の方針が決まったところで、オレはみんなのリーダーであるラッシーに話を持ちかけた。 みんな一緒に話を聞くべきだと思うけど、まずはラッシーに話したい。 さすがに反対することはないと思う。 でも、ラッシーはやっぱり、オレにとって特別なポケモンだからさ。 「ラッシー」 オレはラッシーの傍に座り込み、艶やかな額に触れながら話をした。 「これでホウエンリーグに出られる。 みんなが頑張ってくれたおかげで、さらなる高みに羽ばたけるんだ。 でも、やっぱりみんなの協力がなきゃ、ここから先に進めないと思う。 ホウエンリーグが始まるまで半年を切ったけど、バッジを集め終わったことだし、 これからはみんなを強く鍛え上げていくことしか、やることはない。 ……ホウエンリーグやカントーリーグで優勝するには、本当に大変な努力が欠かせないと思う。 時々……いや、たぶん毎日、厳しくすると思う。 みんな、投げ出したいって、オレ自身がそう思うことがあるかもしれない。 その時は、オレを……みんなを支えてくれないかな。ラッシーだけじゃない。みんなで支え合って、頑張っていきたいと思う」 「…………」 ラッシーはじっとオレの目をまっすぐに見据えながら、黙って話を聞いていた。 これじゃあ、まるで選挙前の演説だけど、大して変わらないと自分でもそう思ってる。 「だから、オレがなよなよしてると思ったら、蔓の鞭を飛ばしてくれていい。 ポケモンバトルは、ポケモンだけが強くなっても意味がないんだ。 オレが……トレーナーが強くならなきゃ、みんなと心を一つにして戦うことはできないと思う。 オレが少しでも弱いとこを見せたら……殴ってもいいよ」 「バーナー……」 分かった。 ラッシーは大きく頷いた。 いくらみんなを強く育てても、みんなに指示を出すオレが弱いままじゃ、みんなだって安心して戦えないだろう。 トレーナーが強いからこそ、ポケモンは全力を出してバトルに臨めるんだ。 だから、オレが弱いところを見せたら、みんなに容赦なく小突かれてもいい。 それで強くなれるなら、みんなが本当に心の底から安心して戦えるのなら、構わないと思ってる。 「互いに互いを育てよう。 これからが本当の戦いだけど……頑張ろうな」 「バーナー……」 長く険しい道は、むしろここからなんだ。 ジム戦という明確な目的地があったのは、もう過去の話。 これからは、『リーグで通用する強さ』っていう、標も何もない道を、漠然とした目的地へ向けて歩いていかなきゃいけない。 難しいけど、みんなが一緒なら必ずたどり着ける。 オレはそう信じてる。 胸が熱くなって、明日からの決意を固め―― もう一度、窓辺に立って夜空を見上げた。 星のカーテンに覆われた夜空に、一筋の流れ星が煌いた。 願い事は…… 思ったのも束の間、願い星は火口の縁の向こうに流れて消えた。 「いいさ……自分の力でつかみ取るんだから」 なんてカッコぶって言ってみたけど、オレは心の中で、一つだけ願い事をかけていた。 ――くじけることなく頑張り続けられますように……と。 To Be Continued…