セレビィ編・前編 〜時を越えた出会い〜 何気ない毎日。 マサラタウンでノンビリする日々に、オレは慣れきってしまっていたのかもしれない。 カントーリーグが終わって、マサラタウンに戻ってきて……また、旅に出る前と同じ日々。 朝起きたら、メシを食って、じいちゃんの研究所に一日中入り浸り、陽が沈んだら家に戻って、夕メシを食って、時間が来たら寝る。 この繰り返し。 それでも退屈は感じなかったよ。 じいちゃんの研究所にある蔵書は、オレに新たな興味を与えてくれたんだ。 おかげで退屈を感じることなく、単調な日々にもメリハリをつけることができた。 単に蔵書を読みふけるだけじゃなくて、ケンジやナナミ姉ちゃんの手伝いだってした。 八ヶ月も旅を続けてたオレにとっては、そういった何気ない仕事がとても楽しく思えたんだ。 そうやって、今日もまた同じ一日が始まる。 同じだけど、同じじゃない。 なんでかって言ったら、たとえ内容は同じでも、感じるものは日々違っているから。 胃に掻き込むような勢いで朝メシを平らげる。 毎度のことだけど、母さんは驚いたような呆れたような……どっちともつかない表情で、困ったようにオレを見ていた。 でも、時折その顔を見てみると、オレには安心したようにも思えたんだ。 「ごちそーさま!!」 「すごい食べっぷりね……やっぱり、成長期の男の子ねえ……」 「そりゃ、まあね」 母さんが目を丸くしているのを尻目に、オレは席を立つと、 「じいちゃんの研究所に行ってくる!!」 「はいはい、行ってらっしゃい」 母さんはやっぱり呆れているようだった。 どうでもいいことだって割り切って、オレはリビングを飛び出すと、 開け放たれて朝の空気を屋内に差し入れてくれている窓を飛び越えて、庭に繰り出した。 「ラッシー、行くぜ!!」 庭に一本だけ生えている木の根元で眠っていたラッシーに声をかけ、駆け寄った。 朝の陽射しと、ほんの少しだけ涼しい空気が心地良くて、眠っていたようだ。 だけど、ラッシーはオレの声に素早く反応して、むくっと起き上がった。 寝ぼけ眼なんて見せないけれど、オレには分かる。 やっぱり眠たいんだ。 だけど、それでもオレと過ごす一日を大切にしようと思ってくれてる。 あっという間に眠気を吹き飛ばしてるのかもしれない。 「バーナーっ……!!」 ラッシーは立ち上がると、挨拶を返してくれた。 「おはよう。よく眠れたか?」 「バーナー……」 よく眠れたらしく、ゴキゲンだ。 「それじゃ、行こう!!」 オレはゴキゲンなラッシーをモンスターボールに戻し、家を飛び出した。 フシギソウだった頃は一緒に走っても大丈夫だったけど、今は身体が大きすぎるせいで、走るのが苦手になっちゃったんだ。 だから、遠くに行く時は、こうやって一度、他のみんなと同じようにモンスターボールに戻して、 目的地に着いてから、モンスターボールから出す……ちょっと寂しいけれど、しょうがない。 朝の空気は涼しくて清々しい。 新しい一日の始まりを告げる温度というのがあるとしたなら、たぶんそれはこの涼しい空気の温度だろう。 まだ朝早いこともあって、外に出ている人はほとんどいなかった。 途中でサトシの家の傍を通ったけど、どういうわけかママさんに懐いてるバリヤードがせっせと掃除をしているだけ。 久しぶりに故郷に戻ってきたサトシは、今まで根詰めて頑張ってきた反動か、ここ数日は腰を落ち着けている。 時々じいちゃんの研究所にやってきては、研究所に預けたポケモンたちと戯れたり、オレの隣で、 専門的な用語が並ぶ蔵書相手に悪戦苦闘してたりと、結構やりたいことをやってる。 一方ナミは、家でハルエおばさんの手伝いをすることが多くなった。 少し前には考えられないことだ。 だって、ナミはドジでマヌケな部分があるから、ハルエおばさん曰く、 「この子に家事なんてさせたら、いくら家があったって足りないわ」 ……と言わしめるほどだ。 でも、それがどういうわけか、家事を少しずつこなすようになったらしい。 少しは女の子っぽいところが出てきたってことなんだろうか? あるいは、今のうちに花嫁修業でもやらせるつもりかもしれない。あのハルエおばさんなら、それも十分にありうる。 でも、昼過ぎにはじいちゃんの研究所にふらりと現れては、サトシと同じように蔵書相手に悪戦苦闘して、 あっという間に机に突っ伏してイビキを欠く始末。 まあ、やっぱりナミはナミだった、ってことらしい。 なんて、みんなの近況を脳裏に思い浮かべながら道を走っていく。 マサラタウンを縦断する道と交差する。 眼前に見えてきた小高い丘を一気に駆け上がり、じいちゃんの研究所にたどり着く。 「ラッシー、出てきていいぜっ!!」 風車がギコギコと軋んだ音を立てながら回っているその真下で、オレはラッシーをモンスターボールから出してやった。 「バーナーっ……」 いつもどおりの場所。 小高い丘から見下ろす町並みは、地味だけど格別だ。 「それじゃ、行こうぜ」 「バーナー……」 オレは研究所のドアを開け、ラッシーを伴って中へと入って行った。 研究所に入ったオレたちを出迎えてくれたのは、ポケモンの食事が入ったバケツが満載のカートをチェック中のケンジだった。 「おはよう、ケンジ」 「あ、アカツキ。おはよう。今日も早いね」 「まあな」 声をかけると、ケンジはニコッと笑顔で返してくれた。 それでも、チェックの手を休めることはない。 憧れの存在であるじいちゃんから言い付かった仕事だから、何がなんでも手を抜くわけにはいかないんだろう。 実際、ケンジはよくやってくれてる。 じいちゃんも鼻高々に語ってくれるよ。 オレのポケモンも、ケンジには世話になってるし…… やっぱり、いつもどおりに頑張ってくれてるところを見ると、安心するんだ。 「手伝おうか?」 たまには、ケンジだって休みたいと思うはずだ。 ポケモンのことを知るのに、食事を与えたりして触れ合うことほど手本になるものはない。 一石二鳥の願いを胸に秘めつつ、オレはケンジに言葉をかけたんだけど…… ケンジは首を横に振った。 「今日は大丈夫だよ。明日は手伝ってもらおうかと思ってるけど」 「そっか……」 じいちゃんから言い付かった仕事だから、何がなんでも自分の力でやり抜きたいらしい。 まあ、それはそれでケンジらしいことなんだけどね…… ちょっと、寂しいかも。 「じゃあ、また後で」 チェックを終えたケンジは、カートを押して、敷地へと出て行った。 いくらカートを押すといっても、中身は満載なんだ、重くないはずがない。 ケンジは大丈夫だって言い張ってるけど……結構辛いんじゃないかな。 そう思いながら、遠ざかるケンジの後ろ姿を見やる。 「バーナー……」 本当に大丈夫かなあ……? ラッシーも心配そうな声を上げる。 ケンジはよく頑張ってくれてる。 でも、だからこそ心配な面もあるんだ。 真面目すぎて融通が利かないから、本人が知らないうちに無理を重ねてたりとか…… 実際それで一度倒れたことがあるんだけど、本人は全然気にしてなかった。 むしろ、じいちゃんやナナミ姉ちゃんやオレに迷惑をかけたって謝ってくるくらいだ。 その時、ナナミ姉ちゃんがケンジに言ったんだ。 今になって思えば、普段穏やかな姉ちゃんが語気を強めたんだから、相当怒っていたのかもしれない。 「君が頑張ってくれるのはうれしいけど、それ以上に君は君の身体を大事にしなさい。 君のことを慕っているポケモンたちのためにも、無理はしないこと。いいわね?」 結構その言葉が堪えたらしく、ケンジはそれからというもの、以前ほど無理はしなくなった。 まあ、自分の体力の限界を一度知った以上、大丈夫とは思うんだけど……それでも、ヒヤヒヤさせられる場面は何度もあったよ。 「まあ、ケンジは大丈夫さ。ほらラッシー、行くぜ」 「バーナー」 オレの言葉に、ラッシーは振り返り、頷いた。 廊下を歩いて、じいちゃんが今の時間いるであろうモンスターボール保管庫の前にたどり着いた。 軽くノックしてから扉を開き、保管庫に足を踏み入れる。 「じいちゃん、いる?」 声をかけ、モンスターボールの棚の奥にある机を覗いてみるけど、じいちゃんの姿はなかった。 「あれ……? いないのか……?」 今の時間なら、ここにいると思ったんだけど…… 棚に半ば占拠された部屋をいくら探しても、じいちゃんはいない。 その代わり―― 「おじいちゃんなら、今は敷地に出てるわよ。当てが外れて残念ね、アカツキ」 扉に程近い棚から顔を覗かせてきたのはナナミ姉ちゃんだった。 「あ、いないの?」 「そうよ。いないの」 姉ちゃんはニコニコして、両腕でたくさんのモンスターボールを抱えながら出てきた。 ああ、今日は確かポケモンの体調チェックの日なんだっけ…… でも、なんでじいちゃんは敷地に繰り出してるんだろう……? 当然気になったわけだけど、オレの考えてることはお見通しと、姉ちゃんの方が先に口を開いた。 「研究所のポケモンが増えてきたから、敷地を広げたいんだって。そのための下見よ」 「そっか……確かにそうだよな……」 抱えたモンスターボールを机にどばっと置いた姉ちゃんの背中を見やりながら、オレは腕を組んで大きく頷いた。 確かに、最近は敷地のポケモンが増えてきた。 ポケモンだって生き物だから、生殖行為をする。繁殖すれば、研究所の敷地が手狭になる。 そこで、数十年ぶりに研究所の敷地を広げようとしているんだと、ナナミ姉ちゃんは言った。 「でもさ、それって簡単にはできないことなんじゃないかな。 広げる場所にもポケモンは棲んでるわけだし、工事用の重機なんて入れちゃ、大変だと思うけど」 「そうね。確かに大変だけど……そこんとこは、穏便に済ませるつもりらしいわ。 そこに棲むポケモンのことを調査した上で、重機を搬入するか決めて、広がるところに柵を立てるんだって言ってたの。 アカツキが心配するのも分かるけど、大丈夫よ」 「うん」 微妙に大変なことだとは思うけど、姉ちゃんはいとも簡単に言ってのけた。 まあ、確かにオレの考えてたこととはずいぶんと違う。 重機を使うんじゃないかと思ったんだけど、じいちゃんはポケモンに負担を与えない形で工事しようとしてるんだ。 だから、朝早くから拡張予定地に繰り出してるんだって。今日から業者と話し合いを始めるって言うから、なおさら。 「それより、今日もまた本を読みに来たの?」 「まあ、気ままに羽根を伸ばすだけだよ」 「ふーん、どうだろうね……」 オレの言葉に、含みのある答えを返し、姉ちゃんは振り返ってきた。 ニコニコ笑顔が、「わたし、何か企んでます」と、言わんばかりにゆがんで見えた。 問いただしたって、姉ちゃんのことだから、上手いこと逃げちゃうんだろう。 やる前にそうなるって分かってるから、なおさらそうする気も起こらない。 「姉ちゃんの邪魔になるといけないから、オレ、隣に行ってる」 こうでも言えば、姉ちゃんを振りきれると思ったんだけど…… それも見破られてたかもしれない。 姉ちゃんはニコニコしながら言葉をかけてきた。 「何もそう急がなくてもいいじゃない」 「そうじゃよ、アカツキ」 姉ちゃんの言葉を肯定する声が背後から聞こえ、オレは慌てて振り返った。 「え……?」 入り口に、丸めた設計図を持ったじいちゃんが立っていた。 って、拡張する現場に行ってたんじゃないのか……? 姉ちゃんに一杯食わされたのかと思った。 だけど、白衣があちこち土や草の汁で汚れているところを見ると、本当に現場に行っていたらしい。 妙に清々しい笑顔と汚れた白衣のギャップで、なぜか戸惑ってしまう。 「じいちゃん、戻ってたのか?」 「今戻ってきたところじゃよ」 じいちゃんは笑顔で頷くと、姉ちゃんがモンスターボールを広げた机の上に、設計図を放り投げた。 三十分で戻ってくるなんて、よっぽど順調なのか、あるいはよっぽど話にならない状況だったのか、ってところだろう。 二つに絞られた選択肢も、すぐに一つが消えて、もう一つだけが残った。 「順調に行ってるみたいだな、じいちゃん」 「うむ。 幸い、ポケモンたちもほとんど棲んでいないようじゃ。 そこのところは、敷地のポケモンたちに協力してもらうことになるじゃろうから、それほど労せずに工事に着工できそうじゃ」 「そっか、それならいいんだ」 ポケモンたちに影響を及ぼさないように細心の注意を払っていたからこそ、ホッとしてるんだろう。 敷地の拡張なんて滅多にやることじゃないから、余計に気を遣ってたのかもしれない。 その気遣いが徒労に終わっても――いや、徒労に終わったからこそ良かったんだ。 懸案事項が減って、じいちゃんは安心している。 「おじいちゃん、お茶を持ってきます。ゆっくり休んでてください」 「ああ、すまんな、ナナミ」 ナナミ姉ちゃんが気を利かして、じいちゃんを椅子に座らせた。 ニコニコしてるけど、肩で荒い息を繰り返している。 ナンダカンダ言っても、じいちゃんだってトシだからなあ……ハートが若いままでも、身体は着実に歳を取ってる。 オレもいつかはそういう現実に愕然とするんだろうな。 若い頃はこんな程度で疲れなんて感じなかったのに……って具合に。 でも、それならそれでオレはその現実をちゃんと受け入れるだけさ。 歳を取れば、若い頃には当たり前のようにできたことが、できなくなることだってある。 だけど裏返して考えれば、勢いに任せて突っ走ってた若い頃には見えなかった…… 見落としてしまっていたものを見つけたりすることができるのかもしれない。 姉ちゃんが、じいちゃんと入れ替わるように保管庫を出て行った。 そのタイミングを見計らったように、じいちゃんが口を開く。 「アカツキ。今日も来ると思っておったよ」 「そりゃ、もちろんさ」 オレは大きく頷いた。 「だって、じいちゃんの研究所には、たくさんの本があるだろ? 全部読みつくしてやろうかって思ってるんだ。いろんなことが書いてあって、本当に参考になるからさ」 「アカツキらしいな……じゃが、それでこそ自慢の孫じゃ!!」 「ありがとう」 オレらしいってどういうことだろ……? 一回訊いてみようかと思ったんだけど、今のじいちゃんに訊ねても、答えてくれそうにない。 やらなくても分かることって、本当にあるんだから。 じいちゃんにとって、オレが自慢の孫だっていうのは、オレ自身もとってもうれしいことだし、誇りにだって思ってる。 オレが毎日来て、じいちゃんもうれしいと思ってるのかもしれない。 なんて勝手に想像をめぐらせていると、 「おまえに頼みたいことがあるんじゃが……」 「え、なに?」 オレはキョトンとした。 改まった口調で『頼みたいことがある』って…… 別に、そんな風に言わなくても、オレはじいちゃんの頼みならどんなことだって聞いちゃうよ。 大切な人だし、憧れの人でもあるんだから。 断る理由なんてないじゃないか。 よっぽど危険だったり無茶だったりするのなら、多少は考えちゃうかもしれないけど。 でもまあ…… 一体どんな頼みごとなんだろう? ナナミ姉ちゃんがいないタイミングを見計らってるとしか思えないから、余計なことまで勘繰っちゃうけれど…… 「ニビシティまで、取りに行ってもらいたいものがあるんじゃよ」 じいちゃんは言いながら、机の引き出しから一通の封筒を取り出して、オレに渡した。 「……封筒? ニビシティに……?」 一体なんだろう? 封筒の宛て先は、確かにニビシティになってる。 宛名は…… 「ニビシティ科学博物館・研究室……ああ、あの博物館か……」 宛名には見覚えがある。 ナミと旅してた頃に、一度だけ科学博物館に寄ったことがあるんだ。 月の石とか、プテラの化石とか、珍しいものを飾っていたっけ。 封筒の裏には何も書いていないけれど、じいちゃんからだって、受取人は分かっているのかもしれない。 封筒から顔を上げる。 待っていたように、じいちゃんが口を開く。 「わしが直接出向いてもいいんじゃが、拡張工事のこともあるし……あまりここを離れるわけにはいかんのじゃ。 ケンジやナナミも同じじゃ。 かといって見ず知らずの人に頼むわけにもいかんから、誰に頼めばいいものかと思案しておったんじゃが…… おまえなら安心じゃ!!」 「…………」 よっぽど重要なものなんだろう。 じいちゃんの熱のこもった口調から、なんとなくだけどそう思った。 「オレなら大丈夫って……一体どんなものを取りに行けばいいんだ? この手紙を渡せば分かるの?」 「うむ。この手紙にちゃんと認めてあるから、大丈夫じゃ。 科学博物館は知っておるじゃろ? 話は通しておくから、手紙と引き換えに渡してくれるはずじゃ」 「ふーん……」 じいちゃんは拡張工事で手が離せない。 ケンジやナナミ姉ちゃんも、ポケモンの世話に追われて、それどころじゃない。 親父やシゲルがいない現状、研究所内で頼れる人間はいないってところか……かといって、見ず知らずの人間に頼むわけにもいかない。 そこで白羽の矢を立てたのがオレだったと…… なんだか上手くできすぎてるような気がしないわけじゃないけど、じいちゃんが直々に頼んできたんだ。 断る理由なんてどこにもなし!! 心ん中で使命感に燃えていると、じいちゃんが具体的な説明をしてくれた。 「おまえに取りに行ってもらいたいのは、オーレ地方で発見された『月のカケラ』と呼ばれている鉱石なんじゃ。 最近になってその話が耳に入ってきての、どんなものか興味があるから、 知り合いの研究者に頼んで、ニビシティの科学博物館に送ってもらったんじゃ。 先にそっちで研究をしてから、こっちでじっくり研究するという条件付きではあったんじゃが……」 ……って、何気にじいちゃんも目の玉に炎なんか灯しながら力説してるし。 オレとじいちゃんって、祖父と孫だけあって、変なところでよく似てるんだなあ……あはは。 でも……オーレ地方か。 久しぶりに聞く名前のような気がする。 実際にその名を聞いたのは、つい二週間ほど前のことだった。 オレのライバルの一人であるユウスケが、ホウエンリーグが終わったその日に旅立った場所が、オーレ地方。 外国の一地方で、マサラタウンに帰ってきてからいろいろと調べてみたんだ。 中央部を広大な砂漠が占めていて、野生のポケモンがあまり棲んでないっていう、荒野のような地方らしい。 最近はポケスポットっていう、野生ポケモンが集まるスポットが発見されたとかで、 オーレ地方では野生ポケモンブームなるものが蔓延してるとか、してないとか。 カントーやジョウト、ホウエン地方じゃとても考えられないことなんだけど……そんな地方で発見された鉱石か…… 『月のカケラ』って、月の石のカケラだったりするんだろうか。 いや、それならとっくに分かってることだし、改めて命名されるほどのものじゃない。 なんか、気になるなあ…… これを持ち帰れば、じいちゃんと顕微鏡を並べて研究とかできるんだろうか? 別に、研究者になるつもりなんてないけれど、気になるものを研究するのって、研究者じゃなくても、 普通の人だって当たり前のようにやってるだろ。 もしかしたら、今後トレーナーやブリーダーを続けていく上で、有益なものを得られるかもしれない…… そう考えると、『月のカケラ』を取りに行って、じいちゃんと一緒に研究させてもらうのが一番だ。 よし、決定!! 「分かったよ、じいちゃん。オレが取りに行ってくる!!」 「おお、引き受けてくれるか!!」 「もちろん!! どんなものなのか気になるからさ!!」 「うむ、さすがはわしの孫じゃ!!」 がしっ。 どちらともなく手をギュッと握り合う。 あー、こういうところもよく似てる。 頭の片隅で揶揄するような声がしたけど、気にしない気にしない。 「じゃあ、さっそく行ってくるよ」 「もう行くのか?」 「当たり前だろ」 じいちゃんは目を丸くしていた。 話を聞いた傍から行くなんて、思っていなかったのかもしれない。 でも、行くと決めたら行くんだ。 「それでさ、厄介ついでに頼みがあるんだけど……」 「なんでも言っておくれ」 「実は……」 オレは腰につけた五つのモンスターボールを手にとって、じいちゃんに渡した。 怪訝そうに眉をひそめ、モンスターボールとオレの顔を交互に見やるじいちゃん。 「ニビシティまで行って、現物を受け取ったらすぐに戻ってくるつもりでいるからさ。 連れてくのはラッシーだけで十分かと思って。 ホウエンリーグとカントーリーグって、続けて大会に出て、たぶん今でも疲れが残ってるんじゃないかと思うんだ。 だから、オレたちが行ってくる間、研究所の敷地でゆっくり羽を伸ばしてほしいんだよ。 その方がいいだろ?」 「うむ……そうじゃな」 じいちゃんはモンスターボールに視線を落とした。 立て続けに大会に出場して、完全な形で疲れが取れていないと思うんだ。 それに、ニビシティに行って帰ってくるだけなら、ラッシーだけで十分。 スピアーの大群に襲われても、今のラッシーなら楽に勝てるだろうし。 「分かった。研究所で責任を持って預かろう。 ラッシー、アカツキのことをよろしく頼むぞ」 じいちゃんはドアの外で心配そうな視線を向けてきているラッシーに言った。 「バーナー……」 ――任せておけと、ラッシーは大きな声で嘶いた。 どんな顔してるのか気になって振り返ると、ニコニコ笑顔だ。 久しぶりにまた旅に出られると思ってるのかもしれない。 今までずいぶんとおとなしくしてたけど……何か考えてたのかな。 いつになったら旅に出られるのか……とか。 それで、ずっとおとなしくしてたんだろうか。 ……まさかね。 脳裏に浮かびかけた想像をさっと振り払い、オレはじいちゃんに向き直った。 「それじゃあ、行ってくるよ」 「うむ。おまえなら大丈夫だとは思うが、気をつけるのじゃぞ」 「うん、任せといてよ!! 行くぜ、ラッシー!!」 じいちゃんから渡された封筒を手に、オレはラッシーを連れて研究所を飛び出した。 そんなオレを、じいちゃんはうれしそうな、でもどこか困ったような表情で見送ってたことなんて。 言われる時まで気づけるはずもなかったんだけど…… トキワシティのポケモンセンターで一泊したオレたちは、明くる日の朝早く、ニビシティへと向けて出発した。 トキワの森を抜けていかなければならないわけだけど、どういうわけか、ナミと二人で旅立った時とは景色が違って見えた。 季節の移り変わりっていうのも、当然あるとは思う。 でも、それとはまた違うような気がする……風に木の葉がそよぐ様を見ていると、なんとなくそう思えてくるんだ。 「バーナー……」 隣を歩くラッシーが、オレの顔を覗いてくる。 「ん、どうしたんだ、ラッシー?」 オレは立ち止まった。 ラッシーも立ち止まるけど、オレの顔をじっと見つめたままだ。 何か、ついてるんだろうか? 「バーナー……」 どことなく心配そうな声を上げる。 心配……か。 別に心配されるようなことをした覚えはないんだけど…… 「みんながいないから、不安だったりするのか?」 「…………!?」 オレの言葉に、ラッシーは驚いたように身体を震わせた。 「あれ、もしかして図星?」 オレは小さく笑った。 まさかラッシーに限ってそんなことはないと思ってたんだけど……いや、そんなことは本当にないさ。 ただ、ラッシーが心配に思うようなことがあるのなら…… オレが気に留めてないようなことでも、ちょっとしたことでも過敏に感じ取ってしまうことがあるんだ。 もしもそういうことがあったら…… 他愛ない言葉で元気付けてあげるのが一番だって、いつだったかな、じいちゃんが言ってたんだ。 だから、実践してみたんだけど…… 「バーナーっ!!」 ――バカーっ!! ラッシーは声を張り上げると、蔓の鞭を伸ばして、オレの腕や足をビシビシと叩いてきた!! 「うわ、何するんだ、ラッシー!!」 「バーナーっ!!」 ラッシーは顔を真っ赤にして怒ってた。 オレは逃げたけど、そう簡単に逃がしてくれるラッシーじゃない。 大きな足音を立てながら追いかけてきて、蔓の鞭で容赦なく叩いてくる。 痛いことは痛いんだけど…… 「でも、これでいいんだ」 オレは「痛い痛い。わー、逃げろ」なんて声を上げて逃げ回りながら、ニコリと笑みを浮かべていた。 これでラッシーの気持ちが上向いてくれるなら、オレが悪役を買って出るのも、まあ悪くないよ。 ラッシーはそれから十分くらい怒りっぱなしだったけど、やがて蔓の鞭で叩いてくるのをやめた。 気分が落ち着いてきたんだろう。 タイミングを見計らって振り返ると、ラッシーはバカバカしいと言わんばかりの表情でオレをじっと見ていた。 「……どうだ? 少しは気が紛れた?」 「…………」 オレの言葉に、ラッシーは小さく頷いた。 何か心配に思うことがあっても、それが何なのか……オレには分からない。 言葉が通じれば苦労はしないんだけど、こればかりはどうしようもない。 でも、ラッシーが心配なことがあっても、こうやってオレが悪役になれば、気分を上向かせることができる。 オレでも役に立てることがあるんだから、悪役でもうれしいかな。 「気にするなよ。 オレにはラッシーの言葉が分からない……だから、オレにしてやれるのは、これくらいなんだ」 「バーナー……」 背中に生えた鮮やかな緑の、瑞々しい葉っぱに触れながら、オレは言った。 ラッシーはしばらく俯いたけれど、すぐに顔を上げた。 笑顔だった。 よかった……これで、ラッシーの懸念も消えたかな。 「じゃ、行こうぜ。 早く、じいちゃんに『月のカケラ』を見せてやらなきゃ」 ちょっとだけ時間を無駄にしちゃったな。 じいちゃんなら、一日や二日遅くなったからと言って咎めたりはしないだろうけど、 だからといって、じいちゃんの研究を遅らせるわけにはいかない。 オレが一日遅れれば、じいちゃんの研究も一日遅れるんだ。 研究の世界っていうのは、特許の世界と微妙によく似てるんだって、シゲルが言ってたっけ。 特許は早いモン勝ち。 研究も、仮説を立てて、それを検証・実証していくんだけど、それも早いモン勝ちなんだ。 オレはじいちゃんの足を引っ張りたくない。 だから、早く行かなきゃ。 森の景色を楽しむことも忘れ、オレたちは再び歩き出した。 しばらくぶりのトキワの森は、ひっそりと静まり返っていた。 ナミと旅してた時にも通ったよな。 あの時は野生のコラッタが道を行き来してたり、虫や鳥の声も聴こえてたんだけど…… 嵐の前の静けさっていう言葉が似合うくらい、静まり返っていたんだ。 「あの時は確か、スピアーの大群に追い回されたっけ……」 木の葉が風にそよぐ音しか聞こえない。 不気味なまでに静まり返った森を行きながら、オレはナミと旅してた頃のことを思い返していた。 ナミがスピアーを見てはしゃいで、大声なんて上げたものだから、気が立ってるスピアーたちが一斉に追いかけてきたことがあった。 あの時は何とかやり過ごせたけど…… ナミの尻拭いまでさせられたような気がして、結構損した気分に浸ってたんだよな。 今思い返せば、それも笑い話のタネになるんだけど……本人にそのことを話したら、どんな反応をするだろう。 マサラタウンに戻ったら、試してみよう。 なんて、イタズラを思いついた時だった。 「バーナーっ!!」 ラッシーが声を上げる。 警告音にも似た鋭い声音に、オレは思わず立ち止まり、振り返った。 「ラッシー……」 どうしたと言うんだろう? ラッシーは険しい表情で、オレの視線など意に介することもなく、木の葉の隙間を縫うように覗く空をじっと見上げていた。 空に何か見えたんだろうか……? そう思って、オレはラッシーの目線を追って、空を見上げたんだけど…… 「…………!!」 その瞬間、オレは口をあんぐり開けて絶句した。 真っ赤な塊がこっち目がけて落ちてくるではないか!! どっかの誰かのリザードンが放った火炎放射が降り注いでくるのかと思ったけど、よく見てみれば、そんな程度のものじゃない。 ラッシーはいち早くそれに気づいて、オレに警戒するように声を上げたんだ。 「まずい、早く逃げないと……!!」 何が振ってくるのかは分からない。 でも、ラッシーが危険だと思うほどのものだ。 よっぽど危険なものに違いない。 「ラッシー、戻れ!!」 ラッシーの脚の速さじゃ、とてもじゃないが逃げ切れない。 オレはすぐさまラッシーをモンスターボールに戻した。 空を振り仰げば、轟音を立てながら、空から赤く燃えた何かが降ってくるのが見えた。 「一体、なんだってんだ……!?」 オレは踵を返し、トキワシティの方向へと駆け出した。 ここにいたら即死決定である。 下手に動かないのが一番、なんて言うけれど、じっとしてる方がよっぽど不安なんだ!! 何が起こるか分からない不安と恐怖から逃げるように、オレは全速力で走った。 そんなオレを嘲笑うように、轟音はいよいよ大きくなり、木の葉の隙間から覗く空が赤一色に染まった。 いつの間にか、火の粉まで降り注ぐようになってて、森は静寂とは打って変わって、混乱と喧騒に包まれた。 コラッタの親子がオレの向かう方へと駆け出したかと思えば、バタフリーやスピアーたちもが同じ方向へと飛んでいく。 危険から遠ざかるかのように。 やっぱり、危険なんだ。 人間のオレには、何がどう危険なのかは分からない。 ラッシーの態度で判断しただけだから、死ぬほどの危険なのか、それともすり傷で済む程度の危険なのか…… いや、分かる。 ポケモンたちが逃げようとするほどの危険だ。 火炎放射が飛んできた程度のものじゃない!! 轟音に混じって、強い風が辺りを吹きぬける!! 危うくバランスを崩して転倒しそうになるけど、足をもたれさせながらもオレは転倒を免れて、一目散に走った。 でも、この音…… 離着陸する時の、旅客機のエンジン音に似てるような…… もしやと思って振り返ったオレの目に映ったのは―― 木々をなぎ倒し、文字通り振ってくる旅客機だった。 エンジンから火を噴いて、その音が悲鳴のようにすら聞こえた。 「あ……っ!!」 ダメだ、いくら走っても間に合わない…… 時速千キロ近いスピードで飛行する旅客機と、人間の足じゃ、圧倒的な差がある。 森の木々も草も花も、すべてを等しくなぎ払いながら墜落する旅客機が眼前に迫る。 ――何も考えられなくなっていた。 眼前に迫った信じられない光景を、ただ見ているのが精一杯だった。 「…………」 頭が真っ白になる。 衝撃を食らったわけでもないのに、意識がすっと遠のいていくのが分かる。 薄れゆく意識の中、オレが最期に見たのは、目の前に飛び込んできた小さな影と、その影が発した緑色の光だった。 あー、こりゃさすがに死んだな…… 辺り一面が緑の光に覆われた中で目を覚まして、直後に脳裏に浮かんだセリフだった。 意識を失う直前に見た緑色の光と……視界に飛び込んできた小さな影。 あれって、俗に言う死神ってヤツなんだろうか。 オレは身を起こし、周囲に目をやった。 何もない。 一面が緑の光に覆われて、オレの姿だけがその中で異彩を放っている。 死後の世界ってホントにあったんだなあ…… 何をするでもなく、オレは空を見上げながら思った。 空だって、青じゃない。 周囲と同じ、鮮やかな緑。 自分の身に一体何があったのか…… あんまりいいことじゃないんだろうけど、意外と冷静に考えることができた。 理解できるがゆえの、あきらめというヤツかもしれない。 轟音を立てて降ってきたのは、エンジンを燃やした旅客機。 とてもじゃないが、どこに逃げても助かるはずがない。 「…………」 あまりに呆気ない結末に、ぐうの音すらも出てこない。 なんていうか…… みっともない死に方だよなあ…… 風に吹っ飛ばされて、運悪く木の幹や岩に頭叩きつけられて、首の骨を折って死んだんだろうか。 それとも、旅客機のタイヤにモロに轢かれてミンチになったとか……? どっちにしても、そんな姿は見たくない。 幸い、今のオレはちゃんとした身体になってるみたいだし…… もしかして、今のオレって幽霊だったりするんだろうか? 足元を見てみたけど、二本の足がちゃんとついてる。 幽霊じゃないとしたら、一体なんだろう? ……っていうか、ホントにオレって死んだのか? 頬をつねってみる。 「痛い……」 夢じゃないらしい。 夢じゃないなら…… 「ここ、どこだ?」 ズキズキ痛む頬をさすりながら、改めて周囲を見渡してみるけど、やっぱり一面は緑の光。 夢でもなくて、かといって死後の世界でもないなら、ここはどこなんだ? とんでもない場所にいるのは、もはや疑う余地もないんだろうけど…… 言いようのない不安が小波のように押し寄せてくるのを感じた時だった。 視界を覆っていた緑の光は徐々に薄れ、消えていく。 消えた光の代わりに広がっていたのは…… 「……!? 森……!? トキワの森なのか?」 急激な景色の変化に、さすがにオレも冷静さを欠いてしまった。 鳥や虫の音が心地良く響く森。 オレはたった一人、立ち尽くしていたんだ。 「…………」 一体何が起こったって言うんだろう? 旅客機が墜落したのは夢で、変な世界にいたのも夢だったって言うんだろうか……? 明らかに現実味を欠いた場所にいたものだから、感覚が麻痺していたのかもしれない。 だから、頬をつねって、痛いなんて感じたのかも。 うん、きっとそうだ。 悪い夢でも見てたんだ。 ここにこうしてオレはちゃんと生きてるわけだし…… 旅客機が目の前に墜落してきたら、どう考えたって助かるはずがない。 実際、助かってるんだから、それは夢だったんだ。 じいちゃんの頼みごとでニビシティに行く途中、強い衝撃に襲われて倒れたってところだろう。 そう考えれば、変な場所にいた理由も説明がつく。 「……それにしても、変な夢見たモンだよなあ……」 旅客機が墜落するだの、緑の世界にいただの…… 冷静になって考えてみれば、夢でしかありえないわけで。 周囲の景色も、漂う新鮮な空気も、トキワの森特有のものだ。 すぐ傍を、コラッタの親子がノンビリした足取りで通り抜けていく。 空を見上げれば、ポッポが木の枝に留まって、「ポッポ〜、ポッポ〜」と鳴いている。 おおむね平和な景色が広がっていた。 「…………あー、なんだか嫌な気分だなあ……」 夢とはいえ、自分が死にかけたところを見るのは気分が悪い。 その上、天国みたいな場所にまでいたんだから、妙な現実味があって、余計に後味が悪く感じられるんだ。 「……ここ、どの辺かな……?」 今いる場所が気になって、オレはリュックのベルトにつけたポケナビを手にとって、画面を開いてボタンを何度か押した。 ポケナビにはGPSによる現在位置の測定システムが搭載されている。 道に迷った時には、現在位置と地図を照らし合わせることができるんだ。 十秒ほど計測に時間を要したけど、すぐに画面に現在位置が地図上に表示された。 「どっちかっていうと……トキワシティに近い方だな」 トキワシティとニビシティの間に横たわるトキワの森。 GPSが導き出したオレの現在位置は、トキワシティに程近い……っていうか、ほとんど森に入った直後みたいな場所だった。 圧倒的にトキワシティの方が近い。 道路とは離れていて、ポケモンセンターもずいぶんと北だ。 時刻を見てみると、ここからポケモンセンターに向かうより、一度トキワシティに戻って、一泊して行った方がいいくらいだ。 「しょうがない……一度、トキワシティに戻ろう……」 オレはため息を漏らし、ポケナビをたたんで再びリュックのベルトにつけた。 今の時間と太陽の位置から、方角なんて簡単に割り出せるから、わざわざコンパスや地図を取り出す必要もない。 無理をして進んでも、夜の森はとても危険なんだ。 余計な危険に首を突っ込むくらいなら、戻った方がいい。一日遅れたって、じいちゃんなら笑って許してくれるだろう。 そんなじいちゃんの優しさに甘えちゃいけないっていうのは分かるけれど、オレの一存でラッシーまで危険にさらすわけにはいかない。 太陽の位置を確かめて、オレはトキワの森を縦断する2番道路に向けて歩き出した。 今日はさっさと寝て、嫌なことはぜんぶ忘れよう。 三分ほど歩いたところで、2番道路に出た。 迷うことなく南へ方向転換する。 穏やかな森の景色を楽しみながらも、オレはなんであんなところにいたのか、思い出そうとした。 「だいたい、普通に歩いて道から外れるなんて、ありえないんだけどな……」 じいちゃんの頼みごとで、ニビシティに向かってたんだ。 余計な寄り道なんてするヒマはないんだけど……実際に道から離れた場所にいた以上、寄り道をしちゃったってことなんだろう。 シャクだけど、それだけは認めなくちゃいけないのかもしれない。 もしかすると、珍しいポケモンを見つけて、夢中になって追いかけてたのかもしれない。 そう思ったんだけど、そこんとこの記憶はどうも曖昧だ。 トキワシティを出発して、森の中を歩いてた記憶はあるんだけど…… まあ、無理に思い出してもしょうがない。 一応は無事だったんだし、トキワシティのポケモンセンターで今日は休もう。 気持ちを切り替えて、黙々と足を進める。 やがて道の先に街の影が見えてきた。 「今日はなんだか疲れたな……変な夢、見たせいかな……?」 どこまでも尾を引きそうな気配さえ感じて、オレは頭を振った。 今のオレ、なんだかオレらしくないな…… 嫌なことだって、こんなに引きずったことはなかったから、なおさらそう思えてくる。 でも…… 「美味いモン食えば、嫌なことなんてすぐに忘れられるさ!! よーし、行くぜ!!」 半ば無理やりに気持ちを奮い立たせ、オレはトキワシティへ急いだ。 そして―― 「えっ……?」 街のゲートをくぐった瞬間、オレは稲妻に打たれたような衝撃を覚え、その場に立ち止まってしまった。 何かの冗談だろうか……? オレは慌ててポケナビで現在位置をサーチした。 画面に映し出された名前は、トキワシティ。 でも、オレの知ってるトキワシティは、こんな街じゃない。 目の前に広がるのは、高層ビル群が建ち並ぶ近代都市。 少なくとも、オレが旅をしている間に訪れた、どの街でもない。 タマムシシティも、ヤマブキシティも、キンセツシティも、カナズミシティも……目の前の景色とは合致しない。 別の街だろうか……? 何度かサーチし直してみたけど、同じだった。 ポケナビの画面には、決まって『トキワシティ』の六文字しか表示されない。 もしかして壊れてしまったんだろうかと思ったけど、パッと見た目で不具合は見当たらなかった。 まあ、電子ベースの製品だし、見た目で分かる不具合ばかりじゃないんだろうけど…… ここがトキワシティなのは、間違いないみたいだ。 でも、いつの間にこんなことに……? うっすらと目に浮かんだ涙にかすんで見える高層ビル群は、無機質で温もりなんて与えちゃくれなかった。 「……どうなってるんだよ……」 トキワシティはこんな場所じゃない。 それはオレがよく分かってることなんだ。 だけど…… 「一日でこんな風に変わるわけないし……ドッキリってワケでも、ないよな……」 ――ギネス記録に挑戦すべく、一日で高層ビル群を作り上げた。 ――テレビ局のドッキリ。 ――仕組まれた罠。 ――オレの見間違い。 それ以外に、何がある? およそ思いつく可能性を並べたところで、オレは頬を一筋流れ落ちた涙を手の甲で拭った。 こんなところ、ナミや他の誰かに見られるのはごめんだ。 「……ここがトキワシティなのは間違いない。 でも、オレの知らない景色っていうのは、どういうことなんだ?」 高層ビル群は巨大スクリーンに投影されたものでもなければ、ヘリコプターから投下された巨大な紙に描かれたものでもない。 なんだか、意味が分からない。 通りを行く人は、この景色が当たり前なんだって顔してる。 そりゃそうだろうと、冷めた眼差しで見つめながら小さくつぶやいてみる。 暮らしてる人からすれば、ごく当たり前の景色なんだ。 オレにとっては異世界みたいなものであっても…… そう、異世界なんだ。 何もかもが違う。 トキワシティという名前は同じでも、オレの知ってるトキワシティじゃない。 親父がやってるジムも、もしかしたら違うものになってるかもしれない。 確かめよう…… 一瞬だけ、そう思った。 でも、もしかしたら…… 本当にジムでなくなっていたら、どうしよう。 まさか、そんなことは…… 次々と否定しては、否定したものすらさらに否定して打ち消してしまう。 ポケモンセンターへ行けば、すべてがハッキリすると気づいたのは、何度も否定し続けて何分も経ってからのことだった。 ポケモンセンターで、じいちゃんに電話するんだ。 そうすれば分かる。 オレは悪い夢を見てるんだって。 そうに決まってる。 自分自身に言い聞かせて、オレは歩き出した。 トキワシティという名の見知らぬ街。 でも、街の全体的な構造は、オレの知ってるトキワシティそのものだった。 何がどうなってるんだろう……? オレの知ってるところと知らないところがごっちゃになって、マーブル模様の渦を描いている。 それでもなんとかポケモンセンターを見つけた。 「……ちょっと違うけど、確かにポケモンセンターだ」 オレはポケモンセンターの前で足を止めた。 屋根の形が違ってるけど、ポケモンセンターであることに違いはない。 さっそく、テレビ電話でじいちゃんに話を…… と、歩き出そうとした時だ。 ポケモンセンターの自動ドアが開いて、中から人が出てきた。 「あ、サトシ……」 サトシだった。 肩に乗っかったピカチュウとじゃれ合いながら、こっちに向かって歩いてくる。 サトシだ…… あいつがいるんだから、ここはきっとオレの知ってるトキワシティなんだ。 無邪気なサトシとピカチュウの様子に、胸に温もりが広がっていくのを感じずにはいられなかった。 見知らぬ世界に放り出されたような孤独感や不安が一気に消え失せる。 サトシはオレに気づいた様子もない。 ピカチュウとじゃれ合ってたら、そりゃ気づかなくてもしょうがない。 旅をしていた頃と、着ているモノは違うけど、顔は正真正銘サトシだった。 ちょっとだけ大人びてるように見えるけど、気のせいだろう。 「おーい、サトシ〜!!」 オレは声をかけ、手を振った。 サトシは弾かれたように顔を上げて――オレの前で足を止めた。 「ピカっ?」 ピカチュウがジャンプする。 「うわっ」 オレは慌ててピカチュウを受け止めた。 オレの腕に抱かれたピカチュウは、不思議そうな顔で、目をぱちくりさせている。 ……なんか、いつものピカチュウらしくないなあ。 いつもなら、オレに甘えてきたりするのに。 ビミョーな違和感を心に引っかけていると、 「サトシって……オレ、サトシじゃないぜ?」 「えっ?」 サトシの口からとんでもない言葉が飛び出した。 サトシじゃないって…… じゃあ、目の前にいるのは一体誰なんだ? ピカチュウを連れてるヤツで、この顔してるのはサトシしかいないはずだ。 世界には同じ顔をしたヤツが三人いるって話は聞いたことがあるけれど…… 仮にそうだとしても、残りの二人がピカチュウを連れてる可能性なんて、それこそゼロに近いだろう。 だから、オレはサトシだと思って…… 「っていうか、君は誰なんだ?」 サトシは首を傾げてきた。 タチの悪い冗談か…… でも、オレの知ってるサトシは、平然と嘘をつけるようなヤツじゃない。 少なくとも、こういう類の冗談を言えるようなヤツじゃ…… まさか、ホントにサトシと同じ顔をしたヤツ? 一目見た時には、全身が温もりで満ちてくような感覚があったけれど、今度は逆に、身体の芯まで冷え切っていきそうな…… 「お、オレは……アカツキだよ。 マサラタウンの……おまえと同じ学校にいたじゃないか。ホウエンリーグで……戦っただろ?」 自分でも分かった。 紡いだ言葉も、呂律がほとんど回ってなかった。 サトシであってほしい一心で、オレは話した。 それでも、目の前の少年は一向に理解できないといった表情を崩さない。 「…………」 やがて、困ったような顔を見せた。 オレの言ってることは本当かもしれないけれど、自分の身には覚えがないと、そう言いたげな。 「…………」 「なあ、本当にサトシじゃないのか……? だったら、おまえ誰なんだ……?」 これこそ、本当に悪夢であってほしかった。 現実にこんなことがあるなんて、信じたくないし、あってはならないことなんだ。 だから…… 少年は口を噤んでいたけれど、思い切ったように顔を上げて、 「オレはアカツキ。 悪いけど、オレは君のこと知らない。サトシって言うけど……オレ、その人にそんなにそっくりなのか?」 「…………」 石がガラスに当たって、ガラスがバラバラに砕けるような音が響いた。 サトシがアカツキと――オレと同じ名前を名乗り、オレのことは知らないと言った。 生まれてこの方、オレと同じ名前を名乗るヤツと出会ったのはこれで二度目。 だけど、目の前にいるヤツは、名前はともかくサトシだった。 そんなにそっくりなのかと、訊ねてきた。 「……でも」 少年はピカチュウを抱き上げた。 「ピカチュウが他の人に懐くなんて、本当に珍しいことなんだ。 それに、オレと同じ名前なんて……偶然かなあ」 ピカチュウを抱きかかえたまま、ニコッと笑みを浮かべる。 励まそうとしているのかもしれない。 普段のオレなら、その笑みに釣られてニコッとするところなのかもしれない。 だけど、そんな気にはなれなかったよ。 この先、何を信じていけばいいのか……それさえも分からなくなったんだ。 糸が切れた人形っていうのは、こういうものなんだろうか。 どうやって立っているのか分からない。 誰かが切れた糸を繋いでくれたような……そんな感じだ。 「あのさ……」 オレが放心状態なのが見て分かったんだろう、少年は恐る恐るといった感じで訊ねてきた。 「マサラタウンって言ってたけど……」 「え……ああ……」 オレは他にどんな言葉を返したらいいのか分からなくて、ただただ頷くだけだった。 「それに、サトシって……」 少年はピカチュウを肩に乗せると、眉間にシワを寄せて、なにやら考えている様子だ。 何か知ってるんだろうか? ……なんて思いながら少年を見ていると、 「あ……」 小さく少年が声を上げる。 一体どうしたんだろう。 少年はオレに――というよりも、オレの背後に目を向けているようだ。 半ば投げやりな気持ちで振り返ると、手を振りながら小走りに駆けてくる中年の男性の姿。 「おー、こんなところにいたのか、捜したぞ」 ニコッと笑みを浮かべながら、男性がやってきた。 「じいちゃん、ちょうどいいところに……」 「……ッ!!」 少年が助けを求めるように言う。 けれど、男性はその言葉を無視して、オレの顔をじっと見つめている。 表情はちょっと硬いけれど、目を大きく見開いて。 オレの顔に何かついてるんだろうか。 それとも、背後霊でも見てたり……それはないか。 どっちにしても、ここはオレの知ってるトキワシティじゃない。 カントー地方なのは間違いないけど…… もう、何がなんだか分かんない。 ここがどこだろうと、もうどうでもいい。 オレはここにいて、ここはトキワシティじゃない。それだけで意味不明だ。 脳ミソに鎖が絡まって、雁字搦めにされてるような状態で、まともに物事を考えられないんだ。 「こいつが、変なこと言うんだよ」 少年がオレを指差して言った。 「オレのこと、じいちゃんと間違えて……ホウエンリーグで戦ったとか、同じ学校にいたとか」 「じいちゃん……?」 オレは目を疑った。 中年の男性は、年の頃は四十代半ば。 親父と呼ばれるにはトシ食ってるけど、じいちゃんと呼ばれるにはまだまだ早いといったところか。 でも、少年と男性が知り合いなのは間違いない。 脳ミソを雁字搦めにしている鎖が少し解けたのか、考えがめぐる。 オレは少年をサトシと間違え――サトシと間違えられた少年は、じいちゃんと間違えられたと言う。 この二つを踏まえるなら、この男性の名はサトシと言うんだろうけど、オレの知ってるサトシとは違う。 少しは面影がある程度で、本人だとはとても思えない。 だって、オレは十二歳のサトシを知ってても、それ以上に歳を取ったサトシを知らないんだから。 当たり前さ、未来なんて分かるはずがない。 オレだって、五十歳になったらメチャクチャ老けたじいさんになってるかもしれないんだ。 ナミだってヨボヨボのばあさんになってるかもしれない。 「……頭、打ったのかな?」 「いや……それはない。こいつの言ってることは、本当のことさ」 『え……?』 男性は緩く首を振り――オレと少年は同時に声を上げた。 思わず顔を見合わせる。 オレの言ってることを本当だと理解できる人がいる……この人、何者? サトシって名前の、オレの知ってるサトシとは明らかに別人。 なんで、オレの言葉を本当のことだと断じることができるのか…… オレは改めて男性に向き直った。 硬い表情はすっかり消えて、柔和な笑みなんて浮かべながら、懐かしい光景を目にしたような視線を向けてきている。 「…………」 「…………」 「あの……」 「うん?」 恐る恐る声をかける。 「あなたは……一体何者なんですか? オレの言ってることを本当だって信じてくれるのはうれしいけれど……でも、なんで本当だって分かるんですか?」 素直には信じられない。 ここはオレの知らないトキワシティ。 別次元に迷い込んだような不安は、心に絡みつく蔦のようだ。 知らず知らずに蔦を伸ばしては、心を覆い尽くそうとする……放っておけば、すぐに心は闇に包まれてしまいそうだ。 それを押し留めているのは、オレの言ってることを本当だと理解してくれているこの人。 一体何者なんだ? まさか、神様なんてことは? いや、オレは本当に実在しているかも分からない神なんて信じちゃいないけど、目の前の男性は本当に神様じゃないかって思ってしまう。 普段じゃありえない思考に包まれて、オレは本当に追い詰められてるんだって、嫌でも理解せざるを得ない。 男性は目を細め、言った。 「まさか、こんな時代に小さな姿のままで出会えるなんて、夢にも思わなかったよ、アカツキ」 「え……?」 なんでオレの名前を知ってるんだろう。 オレは唖然とした。 だって…… 少年は、オレの名前がアカツキだと、この男性に告げてはいない。 なのに……オレの名前をピタリと言い当てた。 まさかオレの心を読んでたり、預言者だったりはしないんだろうけど。 「おまえの疑問に答えてやるよ。 ここがどこで、俺が誰なのか知りたいなら……ついておいで」 男性は笑みのままオレに背を向けると、歩き始めた。 「…………」 ……行くしかない。 オレはグッと拳を握りしめた。 どんな形であれ、少しでも疑問が紐解けるなら、行くしかないんだ。ここで立ち止まっていても、何も変わらない。 何もしないままの方が、すごく不安なんだ。 わだかまる不安と孤独を忘れたくて、オレは男性の後を追いかけた。 「……なんだって言うんだろ……」 少年は何がなんだか分からないといった様子で、でもオレたちについてきた。 男性は大通りを南へ向かって歩いている。 途中で高層ビルの脇を通り抜け、やがて郊外に差し掛かる。 「あの……」 声をかけるけど、男性は振り返るどころか、言葉を返してもこない。 ホントに大丈夫だろうか……? 別の不安が首をもたげる。 オレの疑問に答えてやると言っておきながら、何も答えないってどういうことだろう……本当にこの人についてって大丈夫なのか。 でも、他に選択肢はないんだ。 オレは口をつぐんだ。 ただついていくだけでも……何もしないよりはずっとマシなんだから。 一筋の光明を心に灯し、圧倒的な不安と孤独の闇を押し留めながら歩く。 オレたちがたどり着いたのは、緑の壁の、四階建ての建物。 ちょっとシャレたホテルにも見えなくもない外見だけど、窓はホテルと比べて圧倒的に少ない。 でも、そこがどこなのかはすぐに分かった。 「トキワジム……ここが?」 建物の割には小さな扉の脇に設置された看板には、そう書いてあった。 トキワジムなんだ……ここ。 謎の爆発で吹き飛んだものを再現したのとは違う。オレはそうなる前のトキワジムを見たことがあるんだ。 男性は扉を開け、振り返った。 「ほら、入ってくるんだ」 「あ、はい……」 トキワジムに何の用があるんだろう……? 疑問には思ったけど、ついていくしかない。 オレは男性の後を追って、トキワジムに足を踏み入れた。 オレンジの絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。 壁はクリーム色に統一されていて、ジムよりもホテルの方が雰囲気的には近い印象を受ける。 それでも、ここはジムなんだろう。 疑問を浮かべててもしょうがない。 今はただただ持て余すばかりだ。 オレが案内されたのは、執務室のような部屋だった。 来客用のソファとテーブルが隅に置かれ、奥にはパソコンを載せたテーブル。 傍にポケモンの回復装置やテレビ電話、転送装置まで搭載されている。 ジムの中枢といった感じの部屋だけど…… 「あの……」 オレは改めて口を開いた。 「ここ、トキワシティなんですよね?」 「ああ、そうだ」 男性は振り返り、小さく頷いた。 手で、ソファに座るように促す。 オレは小さく頭を下げて、ソファに腰を下ろした。 少年と男性がテーブルを挟んだ向かい側に腰掛ける。 「そしてここはトキワジム…… さて、おまえはここが本当にトキワシティなのか、信じきれていない。そうだろ?」 「はい」 トキワシティという名の別の街かもしれない。 オレには何が真実で何が嘘なのかも分からない。判断材料があまりに少なすぎるんだ。 少しずつでも、理解しなきゃ…… オレが内心焦りを募らせていることを見抜いて、男性は肩の力を抜くように言ったけれど、そう簡単に肩の力を抜くことなんてできない。 どんなことだっていいんだ…… ここがどこで、オレはどんな状態に置かれているのか……それを理解するまでは、落ち着けるはずがない。 説得するだけ無駄と悟ってか、男性はそれ以上言わなかった。 さっそく、本題に入る。 「おまえはマサラタウンのアカツキ。 オーキド博士の孫……そして、俺の大切な友達……それだけは間違いないよ」 「俺の大切な友達……」 オーキド博士の孫だって知ってることにも驚いたけど、何よりも。 俺の大切な友達ってどういうことなんだ? オレは少なくともこの人を知らない。 思わず身を乗り出すオレを手で制し、男性は続ける。 「おまえが俺を見て、誰か分からないのは当たり前なことなんだ。 でも、これも本当のことだ。 俺はサトシ。マサラタウンのサトシ。 この姿じゃ、信じてもらえないだろうが……」 「そんな……それ、どういうことなんだよ……」 ますます意味が分からなくなっていく。 オレのことをそこまで知ってるなら、彼がサトシだとしても不思議じゃないし、自らそう名乗っている上に、 少年の言葉からしても、それは間違いない。 でも、一体なんで……? 「アカツキ。今のおまえは何歳だ?」 「え……十二歳……」 その言葉の意味もよく分からないまま、オレは短く答えた。 この人が本当にサトシだとしたら……ここは未来だとでも言うのか? よく分かんないよ。 考えても答えなんて出ないって分かってるから、なおさら頭がおかしくなりそうだ。 「そうか……なら、ここはおまえがいた時から五十五年後の未来だよ」 「まさか、そんな……」 未来だって言われても、素直には信じられない。 想像と現実は違うんだ。 頭ではそうじゃないかと思っても、実際にそう言われて、素直に信じられるか? 「じゃあ……こいつ、過去から来たっていうのか、じいちゃん?」 「ああ……そうじゃなきゃ、こんな偶然はないだろ」 オレと同じ名前の少年の言葉に、男性――サトシは頷いた。 「信じられないって顔してるな。 でも、それは当然だと思うよ。 オレも、まさか十二歳のおまえがこんなところにいるなんて、実際に会って話するまでは信じられなかったからさ」 サトシは小さく笑みを浮かべた。 いや、オレは全然信じられないけど…… これこそ夢じゃないかと思って頬をつねってみる。 でも、夢じゃない。痛かった。 「夢じゃないさ。疑いたくなるのも分かる。 でも、ちゃんと聞いてくれ。これは現実だ。 証拠に……」 現実かどうかさえ疑っているオレを納得させるように、サトシはテーブルから折りたたまれた新聞を取って、オレに手渡した。 「日付を見てみろよ。そうすれば、分かる」 「日付……なっ!!」 言われたとおり、新聞の日付に目をやって……オレは仰天した。 サトシの言葉は間違いじゃなかったんだ。 オレの生きてる時代の五十五年後!! ……ってことは、もしこの時代にオレが生きてるなら、六十七歳のじいさん!? ここまで来たら、テレビのドッキリどころの話じゃない。 新聞の日付を故意に改ざんしたところで、よく考えればすぐに見破られるに決まってる。 そんな嘘をつく理由が、目の前の男にあるはずがない。 「そんなバカな……なんで、オレがこんなところにいるんだ……時を越えたなんて、まさかそんな……!!」 何らかの理由で時を超えたんだ。 そうじゃなきゃ、ここにいる理由の説明がつかない。 ずいぶんと短絡的で強引な理由付けだけど、そうじゃなきゃ、納得さえできないんだ。 こんな形で納得するのは嫌だけど……しょうがない。 どこかで割り切らなきゃいけない。 「おまえには残酷な現実かもしれない。 でも、これが真実なんだ。分かるだろ……?」 「うん……」 オレは項垂れた。 なんで、五十五年も時を越えたんだろう? 常識じゃ考えられないけど、常識が通用する世界ばかりじゃない。 すでに非常識に突入してる。 「おまえは知ってるはずだ。唯一、時を超えられる存在……そのポケモンの名前を……」 「……!!」 オレは顔を上げた。 サトシが、険しい表情で、睨みつけるようにオレを見ている。 時を超えられるポケモン……知ってる。 じいちゃんの研究所で……埃かぶった本棚の中から見つけ出したスケッチブック。 そこに描かれたポケモンは何て言うポケモンなのかと訊ねたら、じいちゃんはニコッと笑いながら答えてくれた。 「セレビィ……」 ……と。 「そう、セレビィだ」 「でも、なんでセレビィがオレを五十五年も後の時代に行かせたんだ……? 理由が分からない。 本当にセレビィだけが、時を超える手段だって言うのか……?」 「少なくとも、俺は他に知らないな」 サトシは頭を振った。 セレビィはときわたりポケモンと呼ばれている。 時を渡るポケモンだ。 遠くない過去から、遥かな未来まで……その神秘的な力で、あらゆる時代へと渡ることができるという。 オオゲサだって思ってた。 信じてなかったわけじゃない。 でも、いくらなんでもそんなことがあるなんて…… この身に起こった現実を突き詰めれば、それ以外の答えなんてなかった。見当たらなかった。 「……だったら、調べてみるか。 ウヤムヤにしとくよりは、よっぽどスッキリするだろ。どうする?」 「……うん……」 迷うまでもなかった。 なんでこうなったのか、せめてキッカケだけでも知りたい。 ここが五十五年後のトキワシティなら、あそこまで街並みが変わっている理由だって納得できるし、 ポケナビがトキワの森とトキワシティを指し示したことだって、説明がつく。 未来に飛ばされた理由が分かれば、元の時代に戻る方法だって分かるかもしれない。 一縷の望みだけど、可能性がゼロじゃないなら、賭けるしかない!! オレはグッと拳を握りしめた。 「……やっぱり、おまえは強いんだな」 「え……?」 突然の言葉に、オレは目を丸くした。 「未来に飛ばされたって分かっても、そんなに取り乱した様子も見せない……心の中じゃ、嵐が吹いてたんだろうけど…… やっぱり、おまえは俺のよく知ってるアカツキだよ」 「……そんなことない。 オレ、本当に取り乱してた。泣かなかったのは……誰にもそんなところを見られたくなかったからなんだ。 強くなんてない…… 現実を受け入れるのに時間をかけて、ウジウジしてた、ただの弱虫だ……」 オレはため息を漏らした。 強いなんて、とんでもない。 一時は絶望しかけた。 ここが未来だと分かって。 オレの生きてる場所じゃないと分かって。 これからどうすればいいのか分からなくなって。 一秒先の未来にさえ背を向けて、ただただ立ち尽くしてた。 そんなオレが強いだって? 冗談じゃないよ…… 「それでもいいさ。 誰だって自分が強いと認めるのには勇気がいるし、簡単には認められない。 弱さだって同じだ。それを教えてくれたのは、おまえなんだよ」 「オレが……?」 「そう……」 サトシは小さく頷いたけれど、それ以上は言わなかった。 オレが余計なことを知る必要のないことを、誰よりも知っていたからかもしれない。 「パソコンで調べてみよう。当時のニュースになら、載ってるはずだ」 「……そうなのか、オレには分からないけれど……」 パソコンなら、ニュースを遡ることができる。 データベースにアクセスして、何年も前の新聞を見ることは確かにできるけれど…… 五十五年も前のニュースとか新聞って、残ってるんだろうか? 五十五年前よりも文明は発達してるはずだ。 それでもにわかには信じがたい。 でも…… 「大丈夫。やってみなくちゃ始まらないだろ」 サトシはニコッと笑った。 ただそれだけのことでも、オレの心は温もりで満たされた。 ありがとう、と素直に言えなくて…… オレは黙って、サトシの後について行った。 サトシは椅子に座ると、机に向かった。 パソコンを立ち上げて、インターネットに接続する。 キーボードを叩いて、ニュースの検索を開始する。 「五十五年前の……いつか分かるか?」 「確か、十二月の二十六日だったと思う」 「そうか……」 オレが言った日にちの『翌日』を入力し、検索のボタンをクリック。 二十六日の出来事がニュースになるのは、その日の夕方か翌日。 マウスの矢印が砂時計に変わる。 膨大なデータベースから検索をかけるわけだから、いくら範囲を限定しても、それなりに時間がかかる。 三十秒ほど経ったところで、表題がたくさん表示された。 その中に、オレは見落とせないモノを見つけた。 「さて、どれかな……?」 サトシは一つ一つ、画面に表示された表題を指でなぞりながら探しているけれど、オレは一目で分かった。 「これだよ」 「うん?」 オレが指差したのは、トキワの森に旅客機が不時着したというニュース。 「なんで、これだと思うんだ……?」 少年――アカツキが眉根を寄せる。 一発で言い当てたことに驚いているのかもしれないけど、その顔を見るだけの心の余裕が、今のオレにはなかった。 早く知りたいと、心が急く。 激しい鼓動(ビート)を抑えるのが精一杯だった。 「夢じゃないかって思ってたけど……あれはやっぱり、夢じゃなかったんだ」 オレは、夢だと思っていたことを、サトシとアカツキに話した。 旅客機が降ってくるところ。 緑の光に包まれた不思議な場所にいたこと。 気付いたらトキワの森にいたこと…… 大まかにはこの三点。 でも、サトシにはそれだけで十分だったらしい。 「分かった……おまえがこの時代にやってきたのは、やっぱりセレビィの力が働いたからだ」 「……なんで、そう思うんだ?」 確信的に言うサトシに、オレは疑問を呈した。 ここまでセレビィに詳しいなんて、やっぱりサトシはこの時代じゃポケモンマスターになったんだろうか? 後で時間があったら、そこんとこを聞いてみようと思いつつ、今は目の前の問題を解決しなければ…… オレが再び画面に向き直ると、サトシが表題をクリックした。 数秒後、ニュースの詳細が表示された。 「トキワの森南部に、旅客機が不時着。 幸い死者は出なかったが、約五百ヘクタールの森林が焼失。 その時間帯に、付近を通っていたと思われる少年が行方不明になっているとのことだが、詳細は不明」 文章の脇に、旅客機が不時着した後の写真が添付されている。 森の中に横たわった旅客機の周囲の木々はなぎ倒され、あるいは炭と化して、散々たるものだった。 「じゃあ、この行方不明の少年っていうのが……」 アカツキの言葉に、サトシが頷く。 「おまえのことだろう」 「…………」 そっか…… セレビィがこの時代にオレを飛ばしたから、消えた翌日の段階で、オレは行方不明ってことになってたんだ。 妙に冷静に分析できるのは、この現実を受け入れていたからかもしれない。 自分でも、不思議に思うんだけど…… 変なところで適応能力が働いているんだろうか。 「……オレ、戻れるのかな?」 「ああ、大丈夫。 あの後……おまえはちゃんとマサラタウンに戻ってきたんだ。だから、ちゃんと戻れる」 思わず口走った不安な言葉。 だけど、サトシは断言してくれた。 ちゃんと戻れると。 何気ない仕草や言葉が、ここまで心を暖めてくれるなんて、初めての経験だ。 ワケも分からず飛ばされた未来で、そんなことを経験するなんて、皮肉もいいところなんだけど…… 「一つ聞いていいかな……?」 「なんだ?」 サトシは椅子ごと振り返ってきた。 「いくらサトシでも、歳が離れちゃってるし、やっぱり敬語、使った方がいいかな……?」 サトシだと分かってからは、友達と接するように気軽に話しかけていたけれど……確かに友達だけど、やっぱり違う。 目の前にいるのは、六十七歳の人なんだ。 友達感覚で話をするのは、間違いかもしれない。 「なに、バカなこと言ってんだ。 歳が違ったって、俺たちは友達なんだ。普通に話してくれ。その方が俺もうれしい」 「……ありがとう、そうするよ」 オレはサトシの言葉に甘えることにした。 やっぱり、大人なんだ。 五十五年も経てば、嫌でも大人になるんだろうな。 オレも、ナミも…… 「この時代に生きてるオレって、どんなヤツなんだろ……?」 ヨボヨボのじいさんになってるんだろう。 でも…… 知りたいという気持ちは一瞬で消えた。 未来の自分を知ったら…… 結果を知ってしまったら、きっとどこかで妥協してしまうような気がする。 結局はこうなるんだからと。 だから……やめよう。 未来の自分や、未来のナミを知るのは。 「……あとさ、セレビィのことに詳しいみたいだけど、いろいろと知ってるのか?」 「ああ、一応」 オレの質問に、サトシはあっさりと頷いた。 セレビィのことに詳しいような口振りなんだ。まあ、サトシはいろんなポケモンに出会っているから、 それらのポケモンのことに詳しくなって当然だし、何せ目の前にいるのは六十代後半――その割には四十にしか見えない未来の姿だ。 「おまえのように、過去から飛ばされてきたヤツと、何日か一緒に過ごしたことがあるんだ」 「え……?」 さすがに…… さすがにその一言にはオレも驚きを隠せなかった。 道理で詳しいと思ったら、オレと同じケースのヤツを見たことがあったからなんだ。 だから、断定的になんでも言えるんだ。 オレやアカツキの驚きをよそに、サトシは続ける。 「そいつはちゃんと、セレビィが元の時代に帰してくれた。 だから、おまえだって大丈夫。セレビィは必ずおまえの前に姿を現す」 「……だと、いいんだけど……」 自信たっぷりに言ってくれるのは、本当にそうだという確信があるからか、それともオレを元気付けようとしてくれているからか…… たぶん、両方だろう。 なんか、複雑だ。 サトシに励まされるなんて、元の時代じゃとても考えられなかったことだし。 五十五年もの時に置き去りにされたような気さえしているんだ。 完全に信じきれず、不安を抱いたままのオレを見つめたまま、サトシが口元を緩める。 思わず顔を上げて、その顔を見やる。 「そいつの話、してやるよ。 そうしたら……おまえも、きっと信じられる」 「うん、頼むよ」 サトシはやっぱりオレの友達のままなんだ。 五十五年前のオレを前にしても、驚きなんてあまり見せず、あの時と同じように接してくれる…… 年齢差というギャップが壁になっていても、対等に接してくれるその姿勢が、オレにはたまらなくうれしかった。 サトシはパソコンの電源を落とし、椅子ごと振り返ってきた。 「そいつはとても地味なヤツだったんだ。 モンスターボールがない時代から来たみたいで、モンスターボールの代わりにポケモンを入れてたのは、 ぼんぐりっていう木の実を加工したものだったんだ」 「ぼんぐり……?」 「聞いたことがあるよ」 サトシの言葉に疑問符を浮かべたのはアカツキだ。この時代の人間には分からないものかもしれない。 だけど、オレは聞いたことがある。 モンスターボールが発明されたのは、オレの時代から約三十年前のことで、 それ以前は『ぼんぐり』という木の実を特殊な方法で加工したものをモンスターボールの代わりに使用していたそうだ。 『ぼんぐり』のボールからモンスターボールにどうやって変遷したかまでは分からないけど、そういうものがあったってことは知ってる。 「……アカツキ、勉強不足だな。 もちっと、昔のことにも目を向けろよ。モンスターボールなんて今じゃ当たり前だけど、その前はもっと大変だったんだから」 「う、うん……」 サトシに笑いながら諭されて、アカツキは恥ずかしそうに顔を赤らめて、縮こまってしまった。 オレが知ってるのに自分が知らないということで、恥ずかしいと思っているのかもしれない。 なんだか、本当にその仕草さえサトシにそっくりだ。 孫というだけあって、本当に嫌というほどよく似てる。 でも、孫がいるってことは、サトシは結婚したってことなんだろう。 誰が相手なのかは知らないけど……いや、まさかね? 脳裏に浮かびかけたサトシの奥さんの名前を、すぐに振り払う。 そんなこと、想像でもありえないと思うから。 さて、それより…… 「その人、どんな人だったんだ?」 オレが促すと、サトシは頷いて、 「オレより少し年上だったかな。 当時は、まだ将来何になりたいかっていうのを明確に決めてなかったらしいんだ。 でも、ポケモンのスケッチはとても上手でさ、オレも傍で見て、本当に上手だって感心したんだよ。 夜……ピカチュウとセレビィが寄り添って眠っているところを描いた絵なんて、本当にどんな名画よりも価値があるように思えてさ……」 「…………?」 なんか、引っかかる。 具体的に何が引っかかるのかは分からない。 違和感があった。 ポケモンのスケッチなんて、そんなに珍しいことじゃない。ケンジだってよくやってる。 でも…… 「いろいろあったけど、そいつはセレビィと一緒に、元の時代に帰っていったんだ。 確か、五十年くらい前だったかな……」 「じゃあ、オレの時代だったら六十歳以上にはなってるってことだよな……少なくとも、この時代じゃとても生きてない人か……」 「ああ、そうなる」 単純計算で、その人が今も生きているとしたなら、軽く百歳を超えている。 いくら科学が発達しても、人間の寿命を延ばすなんて無理な話。 サトシが言うからには、その人はもう、この時代じゃ死んでるんだろう。 「……セレビィがおまえを助けてくれたのは、そいつに似てたから、かもしれないな」 「え……?」 予期せぬ一言を投げかけられ、オレは言葉に詰まった。 口の中に新聞紙を押し込まれたように、何も言えなくなる。 「セレビィの考え方は分からない。でも、それはあり得ることだと思うんだ」 「……そうなのか?」 「ああ……そいつは、おまえの時代で、歴史に名を残す立派な人になってる……」 「え……」 セレビィの力で未来に飛ばされ、過去に戻った人。その人が、オレの時代で偉人になってるなんて…… まさか、オレも今頃は偉人だったりするわけ……? いや、それはないだろ。 オレは別に偉人になりたくて頑張ってるわけじゃない。 別に有名人じゃなくてもいい。 ただ、家族や友達に少しでも尊敬される人であればいいと思う。 自分の時代に戻っても、その考え方は変わらないはずだから。 だから、オレはサトシの言葉の意味が理解できない。 「オレが偉人だなんてことはないと思うけど……どこが似てるんだ?」 先に否定してから、オレは訊ねた。 「一言で言うなら、そうだな…… そいつは、おまえがよく知ってる人なんだ。たぶん、今のおまえなら誰よりも尊敬してる人じゃないか?」 「オレが一番尊敬してる人……」 サトシの言葉を反芻する。 オレが尊敬してる人って言うと…… 今まで戦ってきたライバルたち。母さん、親父、ナナミ姉ちゃん、ケンジ、ナミ……じいちゃん。 歴史に名を残す人と言えば…… 「ヲイ……まさか、じいちゃんだなんて言うつもりじゃないだろうな……あ!!」 言いかけて、オレは口をつぐんだ。 さっき感じた違和感の正体が分かったんだ。 サトシの言葉と合わせてみて、やっと分かった。 セレビィのスケッチ…… それは、じいちゃんの研究所で見たスケッチブックにあったもの。 擦れて消えかけたポケモンはどこかピカチュウに似ていたけれど、あれが本当にピカチュウだったとしたら……? じいちゃんの研究所にそのスケッチブックがあるという事実を突き詰めて考えれば、想像するのは難しくもない。 でも、まさか…… じいちゃんがセレビィによって未来に連れていかれ、そして元の時代に戻ったなんて…… サトシがそんなつまらない嘘をつく理由なんて見当たらない。 ピカチュウとセレビィが描かれたスケッチっていう具体的な証拠を言葉で提示された以上、それを嘘と疑う理由はないだろう。 「そうだ。 セレビィがめぐり合わせてくれたのは、おまえのじいちゃん……オーキド博士なんだ」 「…………」 オレは絶句した。 じいちゃんにそんな過去があったなんて、知らなかった。 スケッチブックだって、セレビィに会ったことがあって、その時に描いたものだと言われただけなんだ。 まあ、さすがに未来に飛ばされて、そこで描いたんだって、言えるはずもないんだろうけど…… 「セレビィは、おまえとオーキド博士の少年時代を重ね合わせたのかもしれないな。 本当にそうかは分からないけど……」 「…………」 オレは何も言えなかった。 これは運命と呼ぶ他ないのかもしれない。 本当は、そんな言葉大嫌いなんだけど…… 運命なんて言葉は信じないし大嫌いだけど、縁っていうことなら、信じてもいい。 自分でも分かるほど勝手な理屈を捏ねてる。 セレビィの考え方なんて分からないし、そんな程度の理屈しか思い浮かばなかったけれど。 「オレの中に、じいちゃんと重ね合わせるような部分があるんだったら……」 オレは胸に手を当てて、目を閉じた。 まぶたの裏に、ニッコリと微笑むじいちゃんの顔が浮かぶ。 「それはそれで、誇れることなんじゃないかな……なんとなく、そう思うよ」 「きっとそうだよ」 アカツキが相槌を打ってくれた。 仮にセレビィがそんな基準でオレを未来に飛ばしたのだとしても…… 旅客機墜落の現場から助け出してくれたことに代わりはない。 だから、セレビィが目の前に現れた時、それに対する礼は言っておかなきゃいけないよな。 不思議と、そんなに不安は感じない。 さっきまではこれからどうなるんだろうっていう言いようのない不安が黒雲となって空を覆っていたわけだけど…… 目を開くと、目の前にはサトシが二人いる。 一人はホンモノのサトシ。でも、オレの知ってるサトシが五十五年分歳を重ねてる。 もう一人は、アカツキという名前の、でも、オレの知ってる顔をしたサトシ。 会ったばかりだっていうのに、とても頼れるんだ。 「セレビィがいつおまえの目の前に現れるのかは分からない。 でも……それまで、ここに泊まっていくといい」 「え……いいのか?」 「ああ。住むヤツが少ない割に、このジムは広いからな。 おまえ一人が加わったって、そんなに変わりゃしない」 「ありがとう、助かるよ」 オレはサトシの厚意を素直に受け入れた。 だって……一人でポケモンセンターに戻ったって、不安になるだけだ。 同じ場所にいれば、いざという時に頼りになるし、不安も和らぐ。 「そうと決まれば……アカツキ、部屋を用意してやれよ。 たまには働いてもらわないと、食費だってバカにならないんだぞ、ただでさえ育ち盛りで大変なんだからな……」 「うん、分かった!!」 食費がどうだとか、エンゲル係数がどうだとかと、ぐちぐち愚痴るサトシ。 ……大人になると、そういう風になっちまうんだろうか? そんなオレの疑問を余所に、アカツキは表情と瞳をキラリ輝かせて、オレの腕を引いてきた。 「ほら、こっち!!」 「あ、ああ……」 オレは引っ張られるまま、部屋を飛び出した。 なんか、アカツキはうれしそうだ。 つかの間とは言え、同じ名前の友達ができたってことで、喜んでるのかもしれない。 そう思うと、ちょっと強引なその態度を責めることはできなかったな。 腕を引っ張られるまま案内されたのは、ジムの二階のとある一室だった。 客室らしく、小奇麗に保たれていて、ベッドのシーツもどこか真新しい。 テレビやテーブルセットと、内装も簡素だけど、落ち着いた雰囲気はとてもありがたい。 「ここでいいかな?」 「ああ、ありがとう。十分だよ」 オレはアカツキに礼を言った。 普通に寝泊りできる場所なら、どこだって構わない。 一室が宛がわれるんだから、むしろ十分すぎるくらいさ。 「オレとじいちゃんがいつも寝てるのは廊下の反対側の部屋だからさ。 何かあったら、遠慮なく来ていいから」 「ああ……」 頷きながら、やっぱりこいつはサトシだって思った。 別人だってことは分かってる。 でも、人格的にはサトシとほとんど同じだ。 「あのさ……」 「なんだい?」 「アカツキ、君は一体何歳なんだ?」 「十五歳だけど、それがどうかした?」 「えっ……?」 何気なく訊ねたんだけど……オレはマジで唖然とした。 自分で訊いといて……って、胸のうちに呆れたような声でナレーションが流れる。 いや、だっていくらなんでもこれで十五歳ってないだろ。 「いや、なんつーか…… どう見たってオレと同じか、逆サバでも一つ上くらいにしか見えないんだけど。 それを言ったら、サトシだって同じだよ。どう見たって四十代もいいところさ」 そういう体質なんだろうか? 若作りってワケじゃないけど、そういう体質のヤツがいるんだって話は聞いたことがある。 でも、サトシがまさかそんな体質だったとは思わなかった。 頭ん中であれこれ勝手に想像を膨らませていると、アカツキは困ったような笑みを浮かべた。 「……まあ、なんていうか……」 どう話せばいいものか分からないらしく、慎重に言葉を選んでいるようにも見える。 オレへの気遣いって言うよりも、むしろサトシへの気遣いだろう。 じいちゃん想いなんだな…… でも、アカツキはちゃんと話してくれた。 「細かいことはオレにもよく分かんない。ただ、生まれつきの体質じゃないんだ。 その……特定のポケモンが発するオーラって言うのか? そういうのに触れちゃったから、歳を取りにくい身体になったっていうか……そんな感じ。 ごめん、分かりにくくて」 「いや……オレの方こそ、言いにくいこと訊ねてごめん」 確かによく分からない話だけど、それよりも、オレもアカツキも、どちらともなく笑い出した。 互いにごめん、なんて言うんだもん。 そりゃあ、おかしくて笑っちゃうよ。 「でも、なんか大変な目に遭ったんだな……」 一頻り笑い終えた後で、オレはアカツキに言葉をかけた。 ポケモンのオーラに触れて、体質が変わってしまったんだろう。 本当なら、笑っちゃいけないところだったんだろうけど…… 当人は、あんまり気にしてないみたいだ。 実年齢より幼く見られることにも慣れているらしい。 「そんなに気にしたことはないんだ。 オレはそのポケモンに出会えて、話ができてよかったと思ってるんだから」 「そっか……」 人の言葉を話すポケモンも、稀にいるらしい。 アカツキも様々なポケモンに出会ってきたんだろう。 「それより……オレ、アカツキのことをもっと知りたい。 せっかく出会えたんだし……友達になろうよ」 「ああ、オレの方こそ頼むよ」 オレが差し出した手を、アカツキは飛びつくように握ってくれた。 オレのことを知ってる人がほとんどいない時代…… そんな時代で数日は過ごすんだから、友達が必要なんだ。 ただ、支えてほしいと思っているだけじゃない。 逆に、オレもいろんな面で支えてあげたいと思ってる。 友達って、そういうものじゃない? 「アカツキって、オーキド博士の孫なんだろ?」 「ああ。だからって、特別視なんてしないでくれよ。そういうの、嫌いだからさ」 「分かってる」 アカツキは笑顔で頷いた。 「でもさ、じいちゃんってもう死んでるよな……この時代じゃ」 「うん。オレは会ったことがないけど……じいちゃんは、とても尊敬できる人だったって言ってた」 「そっか……じいちゃんも、幸せだっただろうな」 じいちゃんはこの時代に生きてはいないだろう。 サトシがじいちゃんのことを尊敬してくれてることは知ってる。 じいちゃんはオレやナミやサトシや、他のたくさんの人の尊敬を一身に受け続けてたんだろう。 証拠はないけど、確信できる。 そんな中で終えた人生なら、幸せだったのかも。 オレの時代じゃ、じいちゃんは元気にやってるのに……違う時代に来て、そんなことを考えるなんて。 やっぱり、数日を過ごすからには、少しはこの時代に順応していかなきゃいけないから、なんだろうな。 「やっぱり、研究者になろうって思ってるのか?」 「いや、違う。研究者はシゲルだけで十分。 オレは最強のトレーナーと、最高のブリーダーになりたいって思ってるんだ」 「そうなんだ……シゲルさんって、ポケモンのこと何でも知ってるからなあ……」 「シゲル、研究者なのか、今でも?」 「ああ。オレも何度か世話になったよ」 「そうなんだ……」 シゲルってサトシにはやたら手厳しいところがあるけれど、サトシの孫には世話を焼いているのかもしれない。 それもまた、シゲルらしいと思えるところだけど。 あいつ、本当は優しいんだよ。 ただ、ライバルが相手だと辛辣になるだけ。 ちょっとひねくれてて、素直になれないだけさ。 そういう意味じゃ、オレやナミよりもタチが悪いんだろうけど。 さすがに、本人を前にそんなことは口が裂けても言えない。 シゲルは立派な研究者になってるんだろう。 それ以上は口に出せなかった。 未来のことを知って、預言者を気取るつもりなんてない。 そもそも、深いところまで知る必要なんてないんだよ。 「最強のトレーナーになりたいんだったら、やっぱりじいちゃんとは戦ったんだろ? さっき、ホウエンリーグで戦ったって言ってたけど」 「ああ。負けちまったけどな……」 「そうなんだ……」 「結構際どい勝負してたんだ。でも、負けちまった。 その前は結構簡単に勝ったんだけどな」 他愛のない話が続く。 でも、そのおかげで、オレたちはすっかり打ち解け合えた。 見た目がサトシということもあって、本当にサトシと話をしているような感覚になった。 サトシと同じ学校を出たこと、サトシに一年遅れて、トレーナーとして旅に出たこと。 カントー地方を巡り、ホウエン地方を巡り、戦ったこと。 カントーリーグに出場したこと。 オレが話せたのはそこまでだった。 アカツキは瞳を輝かせ、食い入るようにオレの顔を見つめながら、一言一句に相槌を打ち、いろいろと言葉を返してくれた。 それがとてもうれしくて、話が弾んでいった。 互いにポケモントレーナーということもあって、自然と話は自分のポケモンのことに移っていった。 「アカツキが持ってるのは、そのポケモンだけなのか?」 アカツキが、オレの腰のモンスターボールを指差した。 「ああ……」 オレは頷き、モンスターボールを手に取った。 そう言えば……そうなんだよな。 ニビシティに行って、戻ってくるだけだからと、他のポケモンは研究所に預けていたんだ。 だから、連れてきたのはラッシーだけ。 セレビィはラッシーも、一緒に連れてきてくれたんだ。 オレは包み隠さず、アカツキに告げた。 「紹介したいけど、ここじゃ狭いよな……外に出よう!!」 「オッケー、こっちだよ」 オレの提案にアカツキは即座に首を縦に振り、部屋を飛び出した。 やれやれ…… 調子がいいというか、何と言うか…… オレは呆れたけれど、その積極性がとてもありがたかった。 じっとしていると、不安になる。 アカツキはそれを見越した上で、オレの提案を受け入れてくれたのかもしれない。 ――友達って、こんな時にこそありがたみを感じるものなんだって思った。 ジムの敷地に出たオレたちは、それぞれのポケモンを披露することにした。 「ラッシー、カモン!!」 オレはラッシーのボールを頭上に放り投げた。 ボールは頂点で口を開き、中からラッシーが飛び出してきた!! 「…………?」 「フシギバナだ!!」 ラッシーはここがどこなのか分からないらしく、忙しなく周囲を見渡していたけれど、 傍で上がった大声に、思わず身体を震わせ、勢いよく振り向く。 「ああ、ラッシーって言うんだ。 オレの最高のパートナーさ。な、ラッシー?」 「バーナーっ!!」 オレの紹介にラッシーは大きく頷き、背中から伸ばした蔓の鞭をオレの腕に巻きつけてきた。 軽いスキンシップだ。 ラッシーはアカツキを前に、戸惑いすら見せていない。 見た目はサトシでも、別人だってことは気づいてるはずなんだ。 もしかしたら、ここがオレたちの知らない場所であることも、気づいているかもしれない。 だけど、それは後でちゃんと話すつもりだ。 今は、新しくできた友達といろんなことを話したい。 「すごい、よく育てられてる……!!」 アカツキは期待のこもった眼差しでラッシーを見つめていた。 「ば、バーナー……」 ジロジロと見つめられて恥ずかしいのか、ラッシーが一歩後ずさる。 結構シャイなところがあるんだな、ラッシーも……ちょっと、意外だったよ。 「ピカっ!!」 ピカチュウまで詰め寄ってきたものだから、さすがのラッシーもタジタジだ。 見た目がサトシなら、ピカチュウもピカチュウで、サトシのピカチュウによく似てる。 まさか、サトシのピカチュウの孫とかひ孫とかじゃないよな……? 「確か……」 サトシが困ったような笑みを浮かべた。 ラッシーを見て、嫌な思い出(?)がよみがえったらしく、口を酸っぱくした。 「俺のピカチュウ、コテンパンにやられたんだったよな……」 「あ、覚えてたんだ……」 どうやら、ホウエンリーグが始まる前、下見にと訪れたサイユウシティでのバトルに負けたことを覚えていたらしい。 「そりゃあ……あんだけ後味の悪いやられ方は、そうそう忘れるものじゃないさ」 いや、後味の悪いやられ方って……ハードプラントでさっさと決めただけだし。 ピカチュウのスピードなら、下手をすればソーラービームを連発したところで全部避けられる可能性だってあったわけだし…… ここはサクッとスッキリ決めるのにはハードプラントしかないと思ったからなんだよな。 「え、何のこと?」 オレとサトシがバトルしてたってことで、アカツキが興味津々と言った表情で首を突っ込んできた。 トレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモンだ。 アカツキの肩に乗ったピカチュウも、キラキラと目を輝かせている。 これはもう、話さないわけにはいかないだろ…… オレはそんなことを思いながら、サトシに振り向いた。 「ホウエンリーグが始まる前に、一度バトルしたことがあるんだよ。 その時はこいつの勝ちだった。ラッシーのハードプラントって技で、一撃で決められちまったんだ」 「そうなんだ……すごい技だったんだろ?」 「そりゃ、まあ……あんなの、マジで反則だぞ」 「しょうがないだろ。 ピカチュウを倒すには、それしかないと思ってたんだから」 サトシは渋々と言った様子で話したけれど、何気に論点を反らして、オレの方に責任があったかのような口調になっている。 冗談じゃない。大人になって覚えたのはそういうことか。 到底納得行くものではなかったから、オレは口を尖らせて反論した。 「ラッシーがソーラービームを連発したって、おまえのピカチュウなら簡単に避けちまうだろ。 それに、ハードプラントはラッシーが血のにじむ想いして、覚えてくれた最強の技なんだ。 それをぶつけるに相応しい相手だったってことなんだよ、おまえのピカチュウは」 言い終えてから気づいたんだけど、オレも何気に論点を反らしてたんだよな。 アカツキは「へぇ〜」と唸り、サトシは「ちぇっ」と舌打ちをする。 オレがそういう風に言葉を返すとは思わなかったんだろう。 子供が相手だと思って、舐めてかかってたらしい。 いいザマだ。 なんて思ったけれど、つまんない言い争いはここらで終わりにしとこう。 ラッシーなんて呆れちまってる。 自分をダシにされるのはいい気分じゃないんだろうけど、ここまで来ると怒りを通り越してあきれ果ててしまったってところだろうか。 「それより……」 サトシはアカツキの腰のモンスターボールを指差した。 「おまえのポケモンも見せてやったらどうなんだ?」 「うん、そうする!!」 そういや、アカツキはピカチュウ以外にどんなポケモンと一緒に頑張ってきたんだろう。 サトシと同じような布陣だったりして…… いくら顔が同じでも、そこまでそっくりってことはないだろう、多分。 アカツキは腰のモンスターボールを手に取り、頭上に放り投げた。 「みんな、出てこい!!」 一斉に投げられたボールは次々に口を開き―― 中から我先にと、ポケモンたちがアカツキの傍に飛び出してきた!! 「おぉ〜っ……」 オレはマジで驚いた。 見た目はオレと同年齢でも、やっぱり中身は十五歳だけのことはある。 変なところで感心してしまうくらい、アカツキのポケモンはタイプのバランスが良かったんだ。 左からリザードン、カイリュー、サンダース、メガニウム、ブースター。 どっちかというと、地面や岩タイプに弱いんだろうけど、そこんとこはメガニウムでカバーしてるだろう。 でも……ピカチュウを除いて、全部最終進化形!? しかも、カイリューまでいるなんて……マジで、アカツキは強いのかもしれない。 バトルしても、勝てるかどうか……正直、分からないな。 層々たる顔ぶれを前に、オレは萎縮するどころか、逆にドキドキワクワク心を弾ませていた。 ここまでのパーティを育て上げるには、想像以上の苦労があったに違いない。 ポケモンはトレーナーの愛情を一身に受けて、最後の花を開いて、最終進化形へと進化するんだ。 特にカイリューは、ハクリューから進化させる時が大変。 海の化身とさえ呼ばれるカイリューは強大なパワーの持ち主だ。 それだけに、進化させた時、中途半端なレベルだったら、進化した途端に手に入れた強大なパワーを持て余してしまう。 見たところ、アカツキのカイリューはそんなことはなさそうだった。 「ば、バーナー……」 すさまじい顔ぶれに、ラッシーが小さく乾いた声をあげる。 気になって顔を見てみたら、緊張しているように見えた。表情は硬いし、いつもより瞬きの回数が多い。 「ラッシー、そんなに緊張しなくていいよ。 みんな、すごそうに見えるけど、とってもいいヤツらばかりだから」 アカツキがニコッと笑いながら言うと、 「がーっ!!」 「ぐりゅぅ……」 「わんっ!!」 「にゅーむ……」 「ぶーっ……」 「ピカっ!!」 彼のポケモン六体がラッシーの前にやってきた。 みんなニコニコ笑顔で、ラッシーと会えたことを心から喜んでくれているようにも見える。 すごく友好的な雰囲気を振り撒いてることがオレにさえ分かるんだ、ラッシーがそれを理解できないはずがない。 すぐにその雰囲気を受け入れて、ラッシーの表情が緩くなる。 そこから先は早かった。 「バーナー……」 友好のしるしにと差し出した蔓の鞭を、リザードンとカイリューが一本ずつギュッと握ってくれた。 それが無理なサンダースとブースター、メガニウムはボディタッチで友好を示す。 初対面だっていうのに、それを感じさせない展開に、オレもアカツキもちょっと置いていかれそうになっていた。 サトシはポケモンたちが触れ合うところを見て、笑みを深めた。 いくつになっても、こうやってポケモンたちが素顔のままで触れ合うシーンを見れば、うれしくないはずがない。 ラッシーはあっという間にアカツキのポケモンと打ち解け合っちゃって、ポケモン同士でしか成立しないような会話を進めている。 相手はもっぱらカイリューとリザードンだ。 体格が似通っていることもあって、それなりに話題(?)も共通性(?)があるんだろう。 生きてる時代は違うけど、ジェネレーションギャップを感じさせないような話術(?)に、 オレもアカツキも食い入るようにラッシーたちのやり取りを見ていた。 すっかりサンダースやブースターが視界から消えていたことにも気づかずに時間が過ぎて―― 不意に、ズボンの裾を引っ張られた。 それほど強い力じゃなかったから、オレはそのまますっ転んだりバランス崩してヘンな躍り披露することもなかったんだけど…… 「ぶーっ……」 視線を向けると、ブースターがズボンの裾をくわえて、引っ張っていた。 「ん……?」 円らな瞳で見上げてくるブースターと同じ目線に立とうと、オレは膝を折った。 あ、ラズリーによく似てる。 ラズリー、元気にやってるかな……? 五十五年後の現在じゃ、生きてるかどうかも分かんないけど…… 少なくとも、オレがいなくなった時代じゃ元気に駆け回ってるはずだ。 「どうしたんだ?」 オレはブースターの頭を軽く撫でた。 なんか、ラズリーに似てる。 本当にラズリーじゃないかって思うくらい、細かな仕草も似てるんだ。 同じ種族だから、余計にそう思えるのかもしれないけど…… ポケモンの仕草って、種族ごとにある程度の共通性がある。 ブースターなら、人が近くにいる時はおとなしくしてることが多い。 反面、バトルになると持ち前の攻撃力の高さを生かして、激しく戦う。 そういう特徴があるから、ブースターの仕草をラズリーと重ね合わせるのも当然なんだ。 でも…… なんとなくだけど、それ以上のような気がする。 オレじゃなくて、ブースターの方がオレに何かを感じ取っているような…… 円らな瞳は、特別な感情をにじませているようにも見えたんだ。 その正体を確かめられないまま、今度はサンダースがやってきた。 リラックスしている証拠に、全身の毛は針のように逆立つことなく、おとなしく寝ていた。 サンダースにとって、オレはリラックスしても大丈夫。 警戒しなくても大丈夫なんだって、心を許せる人間になったってことなんだろう。 それだけのことだけど、なんだかうれしいな。 オレはサンダースの頭も撫でた。 こうして見てみると、トパーズにそっくりだ。 まあ、同じポケモンなんだからそれは当然のことなんだけど…… それでも、サンダースよりブースターの方が、オレに対して特別な感情を抱いているらしいことは明らかだった。 サンダースはある程度距離を置いてるけど、ブースターはマジでゼロ距離だ。 「そっか……そういうことか……」 「……?」 アカツキが小さくつぶやくのが聴こえて、オレは顔を上げた。 目が合ったけど、アカツキは何事もなかったかのように慌てて手を振った。 いや……なんていうか…… そうやって全力で否定されると、かえって『何かありました』って宣言してるように見えるんだけど…… そうやってロコツに否定したところを見ると、バカ正直に訊ねても、正直に答えてはくれないんだろう。 こういう時は、ちょっと間を置いてから訊いてみるのがいいんだ。 サトシと似て、単純そうだし…… 実際にそれを訊ねるのは、明日のことだった。 夕食を摂ったオレは、風呂を済ませた後、アカツキとサトシと三人でテレビを見たり雑談したり、 適当に時間を潰した後、時計の針が十時を指し示したところで、宛がわれた部屋に戻った。 すぐにでも寝ようと思ったけれど、とても眠れそうな気持ちじゃない。 妙に心が昂ってるんだ。 胸に手を当てると、鼓動がいつもよりも早い。 布団に潜っても、なんだか眠れそうにないな…… ラッシーはモンスターボールに戻してある。 ポケモンにとって、モンスターボールは居心地のいい場所。 五十五年後の未来…… たぶん、ここが未来であることは、リザードンやカイリューとの会話で分かったと思うけど、オレからも話しておいた。 どれだけ理解してくれたのかは分からない。 ただ、ラッシーは目の前の現実をちゃんと受け入れるだろう。 受け入れたからといって、平然としていられるとも限らない。 だから、モンスターボールの中にいた方がゆっくり休めるだろうと思って、オレは外に出さなかった。 「…………」 オレはベッドの縁に座り、夜も深くなった外の景色を見やった。 いつもと変わらない夜空に見えるけれど、やっぱりここは五十五年後の未来なんだ。 いつものような景色に見えるから、なおさらそんな思いが首をもたげてくる。 サトシは六十代後半のおじいちゃんになって、アカツキっていう孫もできた。 トキワシティは発展を遂げ、高層ビルが建ち並ぶ大都市になった。 窓が面しているのは東の都市部じゃなくて、西の郊外。その向こうにはシロガネ山。 アカツキがこの部屋を選んだのは、五十五年の年月で変わり果てたトキワシティの街並みを見たオレが、 余計なことを考えないで済むようにと配慮をしてくれたからかもしれない。 客室は他にも何室かあったんだけど、他はいずれも窓が都市部に向けられていた。 配慮はありがたい。 だけど…… 結局、部屋からは見えないというだけで、それを知ってしまったという現実は拭い去れないんだ。 「オレ……戻れるかな……?」 一人ぼっちになって、不安が心を鷲づかみにする。 この部屋にはオレしかいないんだ。 サトシもアカツキも、今頃は寝ているかもしれない。 自分から部屋に戻ると言い出した手前、今さらあいつらの部屋に行くわけにもいかない。 なんか、損なことしたなあ……って思うけど、こればかりはしょうがない。 「……きっと、戻れるんだよな……」 サトシは戻れると自信を持って言ってくれた。 じいちゃんだって、紆余曲折はあったけれど、元の時代に戻れたんだ。 そうじゃなきゃ、オレは生まれてなかった。 五十五年前のニュースで、オレはちゃんとマサラタウンに戻れたことになってるんだ。 自ずと、セレビィが目の前に現れて、オレを元の時代に帰してくれるはずなんだ……それなのに、すごく不安になる。 見知らぬ時代に放り出され、何をしていいのか分からないという不安と焦り。 いくらその芽を摘んでも、根っこまでちゃんと燃やさない限り、何度でも芽を出すんだ。 明日…… 明日、目を覚ましたら、すべてが夢で、元の時代のトキワシティのポケモンセンターにいるんだろうか? 「…………」 そうだったら、どれだけうれしいか…… 何がなんでも、元の時代に戻らなきゃ。 オレが生きるのは、五十五年前の、じいちゃんや親父やナミがいる時代なんだから。 「……寝よう……」 早く寝て、明日に備えよう。 何をしたらいいのか、まだよく分からないけど……でも、明日には明日の風が吹くんだ。 明日にならなきゃ分からないことだってある。 セレビィのことでも調べようか。 ネットを使えば、いくらだって調べられるはずだ。 何かをせずにはいられない。 何もしない方が不安で孤独なんだ。 オレはベッドに潜り込んだ。 枕に頭を押し付けて、目を閉じても、なかなか寝付けなかった。 本当に大丈夫なのか……戻れるのかっていう不安は薄く引き延ばされた霧のように心に立ち込めていた。 結局、寝付いたのは時計の針が十一時を差した直後だった。 「へぇ……」 トキワシティの片隅――郊外にある背丈の低いビルの屋上の柵にもたれかかりながら、 一人の女が赤外線センサーのついた望遠鏡で、トキワジムの一室を眺めていた。 カーテンが閉められても、赤外線センサーはカーテンを通して、部屋の内部を克明に映し出していた。 少年がベッドに腰掛けて、物憂げな表情をしているのが見えた。 「セレビィが連れてきたのは、あの子かあ……ちょっと、カワイイな。 でも、あんな顔したら、せっかくのカワイイところも台無しじゃない」 小さく笑いながら、女はつぶやいた。 誰一人として、彼女がトキワジムの一室を覗いていることを知らない。 だから、彼女が口の端を余裕の笑みの形にしていることも知るはずがない。 「いつの時代から来たのかなんて、ちょっとネットで調べれば分かることだし…… でも、今はあの子をどうこうするよりも、セレビィを見つけてゲットする方が先ね」 女は腰に提げたモンスターボールに手を触れた。 その中で、強大な力が渦巻いていることなど、夜の帳の降りたトキワシティの住人が知ることなど、あるはずもなかった。 To Be Continued...